長崎丸 (3代)
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長崎丸 | |
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広島港停泊中の長崎丸 | |
基本情報 | |
船種 | 漁業練習船[1] |
所有者 | 長崎大学[2] |
運用者 | 長崎大学水産学部 |
建造所 | 林兼造船(株)長崎造船所[1] |
航行区域 | 遠洋区域国際航海[1] |
船舶番号 | 134820[要出典] |
信号符字 | 8KYO[3] |
IMO番号 | 8502444[4] |
MMSI番号 | 431397000[5] |
改名 |
長崎丸(1985-2018) 第二開洋丸(2018-) |
経歴 | |
起工 | 1985年(昭和60年)6月24日[6] |
進水 | 1985年(昭和60年)11月3日[6] |
竣工 | 1986年(昭和61年)2月20日[6] |
引退 | 2018年(平成30年)3月 |
現況 | 海洋エンジニアリング「第二開洋丸」として就航中(サンエイ・マリン運航)[7] |
要目 | |
総トン数 | 842トン[1] |
全長 | 63.87m[1] |
登録長 | 58.03m[6] |
垂線間長 | 56.00m[1] |
幅 | 11.40m[1] |
型幅 | 11.40m[6] |
深さ | 7.10m[1] |
型深さ | 3.30m[1] |
喫水 | 4.50m[1] |
機関方式 | ダイハツ 4サイクル中速ディーゼルエンジン 8DLM-32 x1基[6] |
推進器 |
かもめプロペラ ハイスキュードCPP x1基 |
定格出力 | 2,800PS[6] |
最大速力 | 16.2ノット[1] |
航海速力 | 13.5ノット[1] |
搭載人員 | 69名[1] |
旅客定員 | 44名(教官4名,学生40名)[1][6] |
乗組員 | 25名[1] |
長崎丸(ながさきまる)は、長崎大学が所有し、長崎大学水産学部が運用していた練習船である。本項目では1986年に建造された3代目を取り扱う。
概要
[編集]長崎丸 (2代)の代船として、林兼造船で建造され1986年3月に竣工した[8]。 学生の航海実習、漁業の実習、海洋観測実習の他に、他大学等との共同研究による海洋調査にも使用されている[8]。
2018年3月、長崎丸 (4代)の就航により引退、その後、海洋エンジニアリングに売却され、改修を受け第二開洋丸となり、海洋調査船として運用される見込みである。
略歴
[編集]- 1952年(昭和27年)3月 初代竣工[8] 103総トン[6]
- 1964年(昭和39年)3月 2代目竣工[8] 562.98総トン[6]
- 1986年(昭和61年)3月 3代目竣工[8] 842総トン[6]
特徴
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漁業実習は、トロール漁、延縄(はえなわ)漁、イカ釣り漁が可能[9]。他大学との共同研究にも使用されている[10]。有人潜水艇を装備していた[6]。
エピソード
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
2011年3月11日に発生した東日本大震災では、毛布、下着類、マスク、飲料水、かまぼこ、煮干しなどの救援物資や長崎県が派遣する職員を載せて[11][12]行先未定のまま3月14日に三重式見港を出港し[13]、福島第一原発沖を経て[13]、3月18日に福島県の小名浜港[14]、3月19日に岩手県の宮古港に救援物資を揚陸した[13][15]。救援物資のうち、清水100トンは給水車が岸壁に来なかったので揚陸できなかった[16]。小名浜港に最初に入港した救援物資輸送船であった[17]。帰路は、卒業式に間に合うか際どかったという[13]。
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o “長崎丸 概要”. 長崎大学. 2017年2月8日閲覧。
- ^ “[http://www.nagasaki-u.ac.jp/ja/about/disclosure/legal/open/file/h28_zaimushohyo.pdf 平成28事業年度 財務諸表]”. 国立大学法人長崎大学. 2018年6月26日閲覧。
- ^ “2014年09月 ※3ページの一番下”. 日本海洋データセンター (2014年9月). 2017年2月8日閲覧。
- ^ “わが青春の「長崎丸」。 ※▲最上階のブリッジの写真にIMO番号が写っている”. エキチョー ※個人ブログ (2013年8月20日). 2017年2月9日閲覧。
- ^ “海上移動業務において使用される番号順の局の識別信号の表”. 総務省. 2018年6月26日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l “長崎丸 ※紙のパンフレットをスキャンしたもの”. 長崎大学. 2017年2月9日閲覧。
- ^ “沿革 サンエイ・マリン株式会社 博昌海運有限会社”. サンエイ・マリン株式会社. 2018年6月26日閲覧。
- ^ a b c d e “長崎丸の歴史”. 長崎大学. 2017年2月8日閲覧。
- ^ “ようこそ 練習船 ”長崎丸”へ!”. 熊本大学. 2017年2月9日閲覧。
- ^ “東京大学地震研究所”. 東京大学. 2017年2月9日閲覧。
- ^ “東日本大震災における長崎県内の支援状況(概要)”. 長崎大学 (2011年4月13日). 2017年2月9日閲覧。
- ^ “つなごう希望:東日本大震災・長崎から 支援の動き、県内でも本格化/長崎”. 国際ヒバクシャ医療センター (2011年4月13日). 2017年2月9日閲覧。
- ^ a b c d “ホーム > 東日本大震災における支援 > 長崎大学の全支援活動 > 長崎丸での萩原教授レポート”. 長崎大学. 2017年2月9日閲覧。
- ^ “H23.3.11 東日本大震災 小名浜港の記録 ※21ページ、”. 国土交通省 (2015年3月). 2017年2月9日閲覧。
- ^ “ホーム > 東日本大震災における支援 > 長崎大学の全支援活動 ※同行した大学院生が撮影・編集した約10分間の動画が紹介されている”. 長崎大学. 2017年2月9日閲覧。
- ^ “日本海難防止協会情報誌 海と安全 2014春号 【特集】大災害時における船舶の役割 ※10ページ”. 日本海難防止協会. 2017年2月9日閲覧。
- ^ “2011.3.11 東日本大震災 被災地レポート集 ※129ページ、”. 全日本建設技術協会 (2012年3月). 2017年2月9日閲覧。