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長谷川勉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
長谷川 勉
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 千葉県富津市
生年月日 (1950-09-08) 1950年9月8日(74歳)
身長
体重
178 cm
77 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1974年 ドラフト1位
初出場 1975年4月6日
最終出場 1980年6月5日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
指導者歴

長谷川 勉(はせがわ つとむ、1950年9月8日 - )は、千葉県富津市出身の元プロ野球選手投手)。

来歴・人物

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父は漁師。小学2年生の時から船を漕いで沖へ出ていた。木更津中央高等学校では、1968年夏の甲子園千葉予選を、高校同期の宇佐美和雄投手との二本柱で勝ち進み、準決勝に進出。千葉商と対戦し、宇佐美が登板したが0-2で惜敗、甲子園への出場を逃した。

亜細亜大学へ進学。東都大学リーグでは1971年春季リーグで優勝を経験するが、1年上に山本和行投手がおり、登板機会には恵まれなかった。4年生の1972年春季リーグで初勝利。リーグ通算10試合に登板し5勝3敗を記録した。

卒業後は日産自動車に入社。1973年都市対抗にはリリーフエースとして出場、先発の藤田康夫投手とのコンビで勝ち進む。自身も2勝をあげ決勝に進出するが、日本鋼管に敗退し準優勝にとどまった。翌1974年都市対抗では、1回戦で先発、新日鉄堺山口高志投手(松下電器から補強)と投げ合うが、0-1で完封負けを喫した。

同年のドラフト1位で南海ホークスに入団。

1975年から先発に起用されるが、0勝3敗と期待に応えられなかった。同年オフに江夏豊の移籍騒動に巻き込まれたかたちで阪神タイガースに移籍。南海が江本孟紀島野育夫池内豊、長谷川の4選手、阪神が江夏と望月充の2選手という大型交換トレードだった。移籍後も2年間は結果を出せなかった。

1978年には主に中継ぎで36試合に登板した。

1979年には先発の一角として33試合に登板するが、4勝7敗に終わる。

1980年には先発を外れ、プロ初セーブを挙げるものの登板機会が減少、同年限りで引退した。 その後はアシックスに勤務。

のちに太成学院大学の女子ソフトボール部監督を務めた[1]

詳細情報

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年度別投手成績

[編集]




















































W
H
I
P
1975 南海 6 5 0 0 0 0 3 0 -- .000 120 26.0 26 3 16 0 2 16 0 0 16 10 3.46 1.62
1976 阪神 11 4 0 0 0 1 1 0 -- .500 111 27.2 25 3 5 0 0 16 0 0 8 4 1.29 1.08
1977 3 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 31 7.0 7 1 4 0 0 4 0 0 3 3 3.86 1.57
1978 36 8 0 0 0 2 7 0 -- .222 369 86.2 76 8 41 1 3 57 2 0 45 36 3.72 1.35
1979 33 15 1 0 0 4 7 0 -- .364 441 98.2 107 13 46 3 3 46 5 0 56 49 4.45 1.55
1980 9 2 0 0 0 0 1 1 -- .000 56 10.1 19 3 7 2 0 3 1 0 12 11 9.90 2.52
通算:6年 98 34 1 0 0 7 19 1 -- .269 1128 256.1 260 31 119 6 8 142 8 0 140 113 3.97 1.48

記録

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背番号

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  • 21(1975年)
  • 28(1976年 - 1980年)

脚注

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関連項目

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外部リンク

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