コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

阿部寿準

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
阿部 寿準
あべ ひさのり
生年月日 1879年10月24日
出生地 日本の旗 日本 山口県阿武郡徳佐村(現・山口市)
没年月日 (1955-08-04) 1955年8月4日(75歳没)
出身校 東京帝国大学法科大学
前職 内務属・大臣官房秘書課兼地方局勤務
千葉県事務官
神奈川県事務官
兵庫県事務官
法制局参事官
称号 第一回国政調査記念章(1921年)
親族 里見富次(娘婿)

鳥取県知事
在任期間 1919年 - 1920年

在任期間 1925年 - 1929年
テンプレートを表示

阿部 寿準(あべ ひさのり[1]1879年明治12年)10月24日[2] - 1955年昭和30年)8月4日[3])は、日本の内務農林官僚実業家。官選鳥取県知事農林次官

経歴

[編集]

山口県阿武郡徳佐村(現山口市)出身[1]山口高等学校を卒業。1905年7月、東京帝国大学法科大学を首席で卒業。内務省に入省し内務属・大臣官房秘書課兼地方局勤務となる。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格[1][4][5]

以後、千葉県事務官・第二部長、神奈川県事務官、兵庫県事務官、法制局参事官、兼内閣恩給局審査官、兼法制局書記官、内務監察官、兼内務省参事官などを歴任[1][4]

1919年4月、鳥取県知事に就任。災害復旧、教育振興などに尽力。1920年9月、国勢院第二部長に転任[4]。兼同第一部長、統計局長を経て[1]1925年4月から1929年7月まで農林次官を務め退官した[5][6]。その後、帝国海上火災保険社長、食糧営団総裁を務めた[7]

栄典

[編集]

親族

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e 「単行書・国勢院引継書類(八ノ二)・高等官履歴書」。
  2. ^ 『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』13頁。
  3. ^ 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』37頁。
  4. ^ a b c 『新編日本の歴代知事』762頁。
  5. ^ a b 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』186頁。
  6. ^ 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』116頁。
  7. ^ 『朝日新聞』(東京本社発行)1955年8月4日夕刊、3面の訃報より。
  8. ^ 『官報』第2858号・付録「辞令」1922年2月14日。

参考文献

[編集]
  • 戦前期官僚制研究会編『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』東京大学出版会、1981年。
  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
  • 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年。
  • 内閣「単行書・国勢院引継書類(八ノ二)・高等官履歴書」大正11年。国立公文書館 請求番号:本館-2A-034-07・単02265100


公職
先代
四条隆英
農商務次官
日本の旗 農林次官
1925年 - 1929年
次代
松村真一郎