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霧が丘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
霧が丘
町丁
霧が丘公園(霧が丘五丁目)
地図北緯35度30分51秒 東経139度30分18秒 / 北緯35.514239度 東経139.505133度 / 35.514239; 139.505133
日本の旗 日本
都道府県 神奈川県の旗 神奈川
市町村 横浜市
行政区 緑区
人口情報2024年(令和6年)4月30日現在[1]
 人口 11,646 人
 世帯数 5,114 世帯
面積[2]
  1.132 km²
人口密度 10287.99 人/km²
設置日 1981年昭和56年)3月21日
郵便番号 226-0016[3]
市外局番 045(横浜MA[4]
ナンバープレート 横浜
ウィキポータル 日本の町・字
神奈川県の旗 ウィキポータル 神奈川県
ウィキプロジェクト 日本の町・字
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霧が丘(きりがおか)は、神奈川県横浜市緑区の地名。現行行政地名は霧が丘一丁目から六丁目。住居表示未実施区域[5]

地理

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新興住宅地であり、霧が丘一丁目から六丁目に分かれている。都市再生機構霧が丘団地(霧が丘グリーンタウン)を中心とし一戸建て住宅も多い。北は十日市場町、南は旭区若葉台、西は長津田町に接し、東名高速道路を隔てて新たに開発中の長津田みなみ台も近い。東は新治町(新治市民の森)・三保町(東洋英和女学院大学等)に隣接する。環状4号線が北東から南西に通り、これに沿い飲食店やスーパー等が並ぶ。

面積

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面積は以下の通りである[2]

丁目 面積(km²)
霧が丘一丁目 0.159
霧が丘二丁目 0.138
霧が丘三丁目 0.215
霧が丘四丁目 0.194
霧が丘五丁目 0.195
霧が丘六丁目 0.231
1.132

地価

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住宅地の地価は、2024年令和6年)1月1日公示地価によれば、霧が丘二丁目18番3の地点で18万1000円/m²[6]、霧が丘四丁目14番17の地点で19万1000円/m²[7]となっている。

歴史

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1966年昭和41年)頃から、十日市場町の奥にある霧が池周辺の開発機運が地元で高まり、ゴルフ場を造成する案もあったが自然消滅した。1968年(昭和43年)に日本住宅公団による開発計画が持ち上がる。公団の当初案では、三保町50万坪、新治町30万坪、十日市場町20万坪の計画だったが、話がまとまらず十日市場町を中心とした開発に決定する。同年8月から用地買収が始まり、12月には土地区画整理事業の施行区域が決定する[8]

計画が具体化する中、1970年(昭和45年)7月から1971年(昭和46年)4月までの約1年間、宮本常一を調査団長として縄文時代の遺跡調査が行われ、土器や土壙が発掘された[9]

1972年(昭和47年)2月に土地区画整理事業が事業認可され、1981年(昭和56年)8月26日に霧が丘土地区画整理事業竣工式がおこなわれた[8]

地名の由来

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十日市場村の字名であった「霧ヶ谷」と、その谷戸田の溜池であった「霧が池」に由来する[10]

沿革

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  • 1981年昭和56年)3月21日 - 土地区画整理事業に伴い、十日市場町、新治町、長津田町、三保町の各一部から霧が丘一丁目、霧が丘二丁目、霧が丘三丁目、霧が丘四丁目、霧が丘五丁目、霧が丘六丁目を新設設置[11]
  • 1982年(昭和57年)7月19日 - 長津田町、旭区上川井町[注 1]の各一部を編入[12]

町名の変遷

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実施後 実施年月日 実施前(各町名ともその一部)
霧が丘一丁目 1981年(昭和56年)3月21日 十日市場町、新治町の各一部
霧が丘二丁目 十日市場町、長津田町の各一部
霧が丘三丁目 十日市場町の一部
霧が丘四丁目 十日市場町、新治町、三保町の各一部
霧が丘五丁目 十日市場町の一部
霧が丘六丁目 十日市場町、長津田町の各一部

世帯数と人口

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2024年(令和6年)4月30日現在(横浜市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目 世帯数 人口
霧が丘一丁目 537世帯 1,248人
霧が丘二丁目 531世帯 1,050人
霧が丘三丁目 1,228世帯 3,124人
霧が丘四丁目 941世帯 2,188人
霧が丘五丁目 789世帯 1,771人
霧が丘六丁目 1,088世帯 2,265人
5,114世帯 11,646人

人口の変遷

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国勢調査による人口の推移。

人口推移
人口
1995年(平成7年)[13]
13,378
2000年(平成12年)[14]
12,771
2005年(平成17年)[15]
12,187
2010年(平成22年)[16]
11,868
2015年(平成27年)[17]
11,357
2020年(令和2年)[18]
11,371

世帯数の変遷

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国勢調査による世帯数の推移。

世帯数推移
世帯数
1995年(平成7年)[13]
4,150
2000年(平成12年)[14]
4,290
2005年(平成17年)[15]
4,369
2010年(平成22年)[16]
4,504
2015年(平成27年)[17]
4,449
2020年(令和2年)[18]
4,666

学区

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市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2023年4月時点)[19]

丁目 番地 小学校 中学校
霧が丘一丁目 全域 横浜市立義務教育学校霧が丘学園
霧が丘二丁目 全域
霧が丘三丁目 全域
霧が丘四丁目 全域
霧が丘五丁目 全域
霧が丘六丁目 全域

事業所

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2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[20]

丁目 事業所数 従業員数
霧が丘一丁目 29事業所 210人
霧が丘二丁目 47事業所 546人
霧が丘三丁目 57事業所 606人
霧が丘四丁目 30事業所 273人
霧が丘五丁目 43事業所 394人
霧が丘六丁目 27事業所 331人
233事業所 2,360人

事業者数の変遷

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経済センサスによる事業所数の推移。

事業者数推移
事業者数
2016年(平成28年)[21]
224
2021年(令和3年)[20]
233

従業員数の変遷

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経済センサスによる従業員数の推移。

従業員数推移
従業員数
2016年(平成28年)[21]
2,116
2021年(令和3年)[20]
2,360

交通

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JR横浜線長津田駅十日市場駅東急田園都市線青葉台駅相鉄線三ツ境駅、鶴ヶ峰駅からバス。

施設

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史跡

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霧ヶ池弁天社
  • 霧ヶ池弁天社
霧ヶ池では旱魃のときに長津田大林寺の和尚によって度々雨乞いがおこなわれ、降雨に感謝して1771年明和8年)に弁財天の石祠が建てられた[22]。1981年(昭和56年)に新しい弁天社が完成し、霧が丘の発展祈念も合わせて遷座式をおこなった[8]

その他

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日本郵便

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警察

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町内の警察の管轄区域は以下の通りである[24]

番・番地等 警察署 交番・駐在所
全域 緑警察署 霧が丘交番

参考文献

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脚注

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  1. ^ a b 令和6(2024)年 町丁別人口(住民基本台帳による)町丁別人口_令和6年4月” (xlsx). 横浜市 (2024年5月9日). 2024年5月10日閲覧。 “(ファイル元のページ)(CC-BY-4.0)
  2. ^ a b 横浜市町区域要覧、1 - 46頁
  3. ^ a b 霧が丘の郵便番号”. 日本郵便. 2021年8月11日閲覧。
  4. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
  5. ^ 住居表示実施町名一覧 (令和2年10月19日現在)”. 横浜市 (2020年10月29日). 2021年8月28日閲覧。
  6. ^ 不動産情報ライブラリ 国土交通省地価公示(標準地) 横浜緑-22”. 国土交通省. 2024年6月1日閲覧。
  7. ^ 不動産情報ライブラリ 国土交通省地価公示(標準地) 横浜緑-9”. 国土交通省. 2024年6月1日閲覧。
  8. ^ a b c 画地測量設計株式会社/編『横浜国際港都建設事業霧が丘土地区画整理事業事業誌』霧が丘開発委員会、1981年、1-18頁。 
  9. ^ 霧ケ丘遺跡調査団/編『霧ケ丘』武蔵野美術大学考古学研究会、1973年、7-9頁。 
  10. ^ 相澤雅雄『歴史の舞台を歩く 横浜・緑区』昭和書院、1991年、177頁。ISBN 4-915122-62-X 
  11. ^ 横浜市町区域要覧、3 - 175頁
  12. ^ 横浜市町区域要覧、3 - 176頁
  13. ^ a b 平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年3月28日). 2019年8月16日閲覧。
  14. ^ a b 平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年5月30日). 2019年8月16日閲覧。
  15. ^ a b 平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
  16. ^ a b 平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
  17. ^ a b 平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
  18. ^ a b 令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) -男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2022年2月20日閲覧。
  19. ^ 横浜市立小学校、横浜市立中学校及び横浜市立義務教育学校の通学区域並びに就学すべき学校の指定に関する規則”. 横浜市 (2023年4月1日). 2024年5月7日閲覧。
  20. ^ a b c 経済センサス‐活動調査 / 令和3年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 事業所数、従業者数(町丁・大字別結果)”. 総務省統計局 (2023年6月27日). 2023年9月15日閲覧。
  21. ^ a b 経済センサス‐活動調査 / 平成28年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 都道府県別結果”. 総務省統計局 (2018年6月28日). 2019年10月23日閲覧。
  22. ^ 相沢雅雄『十日市場村誌』1976年、30-32頁。NDLJP:9522679 
  23. ^ 郵便番号簿PDF(2023年度版) 表紙等付属資料” (PDF). 日本郵便. 2024年5月3日閲覧。 “郵便番号データダウンロード 郵便番号簿PDF(2023年度版)
  24. ^ 交番案内/緑警察署/神奈川県警察”. 神奈川県警察. 2024年5月19日閲覧。

注釈

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  1. ^ 『横浜市町区域要覧』3-176頁には「(霧が丘六丁目)一部 長津田町、旭区川島町から」と記されているが、3-121頁には「(上川井町)一部 緑区霧が丘六丁目へ」と記されている。