風月堂 (東京都新宿区)
風月堂 FUGETSUDO | |
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店舗概要 | |
所在地 | 東京都新宿区角筈1丁目1番地 |
開業日 | 1946年 |
閉業日 | 1973年8月31日 |
正式名称 | 風月堂 |
後身 |
新宿三越アルコット ↓ ビックロ |
最寄駅 | 新宿駅 |
外部リンク | 電脳・風月堂 |
風月堂(ふうげつどう)は、日本の喫茶店。東京都新宿区にて、1946年から1973年まで営業した。名曲喫茶の先駆けともいえる。
来歴
[編集]横山五郎が、家業の潤沢な資金とクラシックレコードのコレクションを売りとして、新宿東口の角筈(つのはず)1丁目(後の新宿3丁目の新宿三越アルコット→ビックロ付近)に開業。 戦時中禁止されていたクラシックレコードをかける喫茶店としてスタートした。
滝口修造、白石かずこ、天本英世、三枝成章、三國連太郎、ビートたけし、野坂昭如、五木寛之、岡本太郎、栗田勇[1]、岸田今日子、長沢節[2]、朝倉摂、谷川俊太郎、唐十郎、安藤忠雄、寺山修司、若松孝二、高田渡、蛭子能収ら、若き才能が数多く集った。レコードのコレクションは充実しており、NHKも借用にくるほどであった。
1964年の東京オリンピックでは、外国人観光客向けガイドブックでも「日本のグリニッジ・ヴィレッジ」と紹介され、外国からの若者やヒッピーの間でも「Fugetsudo」の名は東京の代名詞にまでなり、若者文化の聖地、若き才能の坩堝と呼ばれるまでになった。
1960年代後半の全共闘運動時代には反戦運動の活動家や学生が出入りするようになり、公安警察が監視していた。作家・山崎朋子は、店のウエイトレスをしていたこともある。ベトナムに平和を!市民連合活動家の拠点ともなり、ベトナム戦争従軍米兵の脱走兵を保護していたことも度々あった[3]。さらにフーテンも出入りするようになり、かつての芸術喫茶は大きく変貌を余儀なくされ、常連の客足も遠退き、1973年8月31日、戦後の新宿文化を象徴した名曲喫茶「風月堂」は閉店し、27年の歴史に幕を閉じた。現在は、IDC大塚家具新宿ショールームが入る三越新宿店南館共同ビルの壁面にプレートが残るのみである。
関連項目
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 「乞食学入門(ビートロジー)」(北田玲一郎 1968/06 ノーベル書房)
- 「新宿考現学」(深作光貞 1968/09 角川書店)
- 「ティーチ・イン 騒乱の青春」内田栄一・編著 1969/01 三一書房
- 「わが新宿」関根弘 1969/05 財界展望新社
- 「脱走兵の思想」1969/06 小田実・他 太平出版
- 「青春 この狂気するもの」田原総一郎 1969/10 三一書房
- 「幻覚芸術」 LSD サイケデリック ラヴ・イン 蟻二郎 1970/04 晶文社
- 「機械的散策」関根弘 1974/04 土曜美術社
- 「ニュー・ライフ・ヴァイブレーション」地球の子供たちから愛をこめて 今上 武蘭人 1976/12 ブロンズ社
- 「思索の風景―都市への架橋」栗田勇 1977/09 白川書院
- 「異郷の景色」西江 雅之 1979/01 晶文社
- 「幻覚の共和国」 金坂健二 1971/02晶文社
- 「みんな八百屋になーれ」長本 光男 1982/07 晶文社
- 「セツ学校と不良少年少女たち」セツ・モードセミナー物語 三宅菊子 1985/01 じゃこめてい出版
- 「プライベート・タイム」森 瑶子1986/09 角川文庫
- 「東京ジャズ喫茶物語」アドリブ編 1989/11 出版社 アドリブ
- 「『族』たちの戦後史」都市のジャーナリズム 馬渕 公介 1989/10 三省堂
- 「アイ・アム・ヒッピー」山田塊也 1990/5 第三書館
- 「エンドレス・ワルツ」稲葉真弓 1992/03 河出書房新社
- 「ストリートファッション」若者スタイルの50年史 アクロス編集室 1995/04 PARCO出版
- 「エグザイルス」放浪者たち すべての旅は自分へとつながっている ロバート・ハリス 1997/06 講談社