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高清水橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
高清水橋
上流側より撮影した高清水橋。地図
基本情報
日本の旗 日本
所在地 福島県大沼郡三島町大字名入 - 大字宮下
交差物件 只見川
用途 道路橋
路線名 国道252号宮下バイパス
管理者 福島県会津若松建設事務所
施工者 川田工業櫻田機械工業日立造船宮地鐵工所・東開工業
竣工 1986年昭和61年)
開通 1986年(昭和61年)11月
座標 北緯37度28分11.3秒 東経139度38分16.1秒 / 北緯37.469806度 東経139.637806度 / 37.469806; 139.637806座標: 北緯37度28分11.3秒 東経139度38分16.1秒 / 北緯37.469806度 東経139.637806度 / 37.469806; 139.637806
構造諸元
形式 3径間鋼連続鈑桁橋+中路式鋼ローゼ橋+2径間鋼連続曲線鈑桁橋
材料
全長 320.000 m
13.000 m
最大支間長 172.000 m
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
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国道252号標識
国道252号標識

高清水橋(たかしみずばし)は、福島県大沼郡三島町大字名入 - 大字宮下の只見川に架かる国道252号宮下バイパスの橋長320 m(メートル)のローゼ橋桁橋

概要

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三島町中心部南側で一級河川只見川を渡り、国道252号を通す。東詰は三島町宮下、西詰は三島町名入に位置し、西詰で国道400号と合流し以後重複区間となる。橋名の由来は橋西側の高清水集落から取られた。現在の橋は1977年度(昭和52年度)に始まった宮下バイパス建設事業にあわせ福島県により着工され、1986年(昭和61年)に完成したものである。旧橋は1935年(昭和10年)に架設され老朽化が著しく幅員も5.5 mと狭小であり車両総重量14 t(トン)の制限がけられていた。前後区間も線形不良、幅員狭小のためバイパス整備が選択されたのである。総事業費は18億6000万円。施工は川田工業櫻田機械工業[注釈 1]日立造船宮地鐵工所[注釈 2]・東開工業。橋上は上下対向2車線で供用され、下り線(上流側)に歩道が設置されている。只見川の柳津ダム湖に架かり深さ30 mの谷間を跨ぐため中央径間には橋脚の設置が困難であり、上部工の形式にローゼ橋・ランガー橋斜張橋などが選定され、経済的で外観が周囲、環境に調和した橋という観点から比較検討した結果十分なアーチライズを確保できる中路式ローゼ桁が選ばれた[1][2]

中路式ローゼ橋として供用当時支間長が国内10位に入る大規模橋であり、全日本建設技術協会により昭和61年度全建賞道路部門を受賞している[1]

諸元

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  • 形式 - 3径間鋼連続鈑桁橋+中路式鋼ローゼ橋+2径間鋼連続曲線鈑桁橋
  • 橋格 - 1等橋 (TL-20)
  • 橋長 - 320.000 m
    • 支間割 - ( 29.000 m + 36.100 m + 29.000 m ) + 172.000 m + ( 25.600 m×2 )
    • アーチ支間 - 165.000 m
  • 幅員
    • 主拱間隔 - 13.000 m
    • 総幅員 - 11.500 m
    • 有効幅員 - 10.500 m
    • 車道 - 8.000 m
    • 歩道 - 片側2.300 m
  • 総鋼重 - 1,400.583 t
  • 床版 - 鉄筋コンクリート
  • 基礎 - 直接基礎
  • 施工 - 川田工業櫻田機械工業日立造船宮地鐵工所・東開工業
  • 架設工法 - ケーブルクレーン斜吊り工法(主径間)・トラッククレーンベント工法(側径間)
  • 竣工 - 1986年(昭和61年)[3]

[1][4]

沿革

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当地は江戸時代若松川口を結ぶ伊北街道と、その対岸の西方、更にその先の越後とを結ぶために高清水舟場が設置されていた。明治以降、奥会津地域は駒啼瀬峠など難所の多い伊北街道の整備が遅れていたために経済発展から立ち遅れており、1891年明治24年)に地域住民の強い要望によりようやく道路改修が行われ、沼田街道として開通した。それから遅れること3年後の1894年(明治27年)に架橋が行われ、奥会津の悲願であった檜枝岐から若松までの馬車道路が全線開通した。

  • 1894年(明治27年) - それまでの渡し船に変わり初代橋梁が竣工。1897年(明治27年)に流出[5]
  • 1903年(明治36年)10月 - 全長55.5 m、幅員2.7 mの木橋として完成[6]
  • 1915年大正4年)1月 - 全長73.3 m、幅員3.3 mの木橋として架替え[7]
  • 1935年(昭和10年) - 下路式単純トラス橋として架替え[8]
  • 1986年(昭和61年) - 宮下バイパス建設に伴い現在の橋梁が完成。

周辺

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脚注

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注釈

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  1. ^ その後サクラダに改称。2020年令和2年)法人格消滅。
  2. ^ 現・宮地エンジニアリング

出典

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  1. ^ a b c 福島県の橋梁 昭和61年度版” (PDF). 福島県土木部. pp. 16, 17, 77, 78, 82, 83. 2020年12月16日閲覧。
  2. ^ 道路整備の話 - 福島県土木部
  3. ^ 橋梁年鑑 高清水橋詳細 - 日本橋梁建設協会
  4. ^ 橋梁年鑑 昭和63年版” (PDF). 日本橋梁建設協会. pp. 198, 300, 301. 2020年12月16日閲覧。
  5. ^ 高清水橋1894- - 土木学会附属土木図書館
  6. ^ 高清水橋1903-10 - 土木学会附属土木図書館
  7. ^ 高清水橋1915-1 - 土木学会附属土木図書館
  8. ^ 高清水橋1935- 土木学会附属土木図書館

外部リンク

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