鶴田町立妙堂崎小学校
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鶴田町立妙堂崎小学校 | |
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北緯40度46分27.6秒 東経140度22分55.6秒 / 北緯40.774333度 東経140.382111度座標: 北緯40度46分27.6秒 東経140度22分55.6秒 / 北緯40.774333度 東経140.382111度 | |
過去の名称 |
妙堂崎小学 妙堂崎簡易小学校 妙堂崎尋常小学校 水元尋常高等小学校妙堂崎分校 水元国民学校廻堰分教場 水元村立妙堂崎小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 鶴田町 |
併合学校 | 廻堰小学 |
設立年月日 | 1876年4月18日 |
閉校年月日 | 2006年3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
所在地 | 〒038-3543 |
青森県北津軽郡鶴田町大字妙堂崎字高安1番2号[1] | |
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鶴田町立妙堂崎小学校(つるたちょうりつ みょうどうざきしょうがっこう)は、青森県北津軽郡鶴田町大字妙堂崎にあった公立小学校。
概要
[編集]- 鶴田町妙堂崎にあり、旧水元村南西部が学区となっていた。
沿革
[編集]- 1876年(明治9年)4月18日 - 妙堂崎村に校舎を新築、妙堂崎小学として発足。
- 1886年(明治19年)4月9日[2] - 廻堰小学を併合し、妙堂崎簡易小学校と改称。廻堰分校を設置。
- 1890年(明治23年)10月2日 - 妙堂崎簡易小学校と改称。
- 1895年(明治28年)11月14日 - 妙堂崎107番地に、校舎新築落成移転。
- 1906年(明治37年)3月 - 廻堰分教場が、独立・昇格し、廻堰尋常小学校と改称。
- 1909年(明治42年) - 妙堂崎字高安2番地に、校舎新築移転。
- 1910年(明治43年)4月 - 水元尋常高等小学校妙堂崎分教場と改称。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、水元国民学校廻堰分教場に改称。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学校教育法(旧法)施行により、水元村立水元小学校妙堂崎分校と改称。
- 1948年(昭和23年)
- 1950年(昭和25年)
- 1951年(昭和26年)4月20日 - 電話架設。
- 1953年(昭和28年)
- 1954年(昭和29年)
- 1955年(昭和30年)
- 1956年(昭和32年)
- 1957年(昭和32年)
- 1959年(昭和34年)
- 1960年(昭和35年)
- 1961年(昭和36年)
- 1963年(昭和38年)8月26日 - PTA奉仕作業により、校庭土盛り整地。
- 1965年(昭和40年)10月1日 - パン給食実施(希望者140名)。
- 1968年(昭和43年)
- 1969年(昭和44年)6月28日 - プール用井戸竣工。
- 2006年(平成18年)3月31日 - 本校と水元小学校(本校・田の尻分校)が統合した水元中央小学校開校により閉校。
周辺
[編集]脚注
[編集]- ^ 『東奥年鑑平成15年版名簿編』(東奥日報社・2002年9月1日発行)180頁「教育 - 小学校(北郡・上北郡)」
- ^ 『水元村史』(水元村・1956年6月30日発行)「水元村教育機関の変遷」345頁「妙堂崎小学校」
参考文献
[編集]- 『鶴田町誌 下巻』(鶴田町・1979年3月31日発行)453頁から459頁の「第十一章 教育・第三節 各学校・四 梅沢小学校・1 沿革概要」
- 『青森県教育史 別巻』(青森県教育委員会・1973年12月20日発行)「学校沿革 小学校」
- 804頁~805頁「妙堂崎小学校」
- 803頁「水元小学校」