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黄色いさくらんぼ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「黄色いさくらんぼ」
スリー・キャッツシングル
A面 黄色いさくらんぼ
B面 ピンク・ムーン
リリース
ジャンル 歌謡曲
時間
レーベル 日本コロムビア
作詞・作曲 星野哲郎(作詞)
浜口庫之助(作曲)
スリー・キャッツ シングル 年表
黄色いさくらんぼ
(1959年)
あの時帰れば
(1959年)
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黄色いさくらんぼ」(きいろいさくらんぼ)は、スリー・キャッツの1959年の楽曲。作詞は星野哲郎、作曲は浜口庫之助。演奏はコロムビア・オーケストラ[1]松竹映画体当りすれすれ娘』(1959年8月公開)の主題歌として制作され、健康的なお色気歌謡として大ヒットした。

解説

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映画主題歌として依頼され、翌日の締め切りに間に合うよう浜口の家で作詞作曲同時進行で「わずか一日」で作られた。占い師が「今年の流行色は黄色」と託宣していたのをヒントにして、浜口はタイトルに「黄色」を付けることを提案した[2]。作詞の際、原稿用紙がなかったため、詞はトイレットペーパーに記した[3]。担当したレコード会社のディレクター(現代の音楽業界ではプロデューサー相当)は後日本クラウン社長となる斎藤昇だった[3]

この曲は発表年1959年の最大のヒットを記録した。「ウフン」という吐息混じりの擬声語は浜口のアイデアによる。NHKは、歌詞に使った「ウフン」を卑猥と判断し、放送禁止とした[4]第1回日本レコード大賞にもノミネートされたが、卑猥な表現の社会的影響を理由に大賞は逃した[3]。レコード売上は25万枚[5][6]または(1968年時点で)45万枚[7]を記録した。

B面曲の「ピンク・ムーン」は、浜口としては初となる流行歌の作詞作品。作詞が間に合わず、作曲のみ担当の予定だった浜口が詞も書くことになり、大船へ行く電車の中で詞を書いて渡した[8]

そもそもが1959年8月公開の映画『体当りすれすれ娘』の主題歌として制作された「黄色いさくらんぼ」だったが、今度はこの曲と同名の映画『黄色いさくらんぼ』が製作され、1年もたたない翌年1960年3月に公開された(詳細は以下の章)。作詞した星野は、翌年誕生した長女を、この曲にちなみ「桜子」と名付けた[4]

1971年に、B面曲を次のシングル曲である「あの時帰れば」に変更して再発された。

カバー

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映画

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黄色いさくらんぼ
監督 野村芳太郎
脚本 野村芳太郎、山田洋次
製作 今泉国男
出演者 芳村真理
九條映子
国景子
音楽 浜口庫之助
主題歌 「黄色いさくらんぼ」(スリー・キャッツ
撮影 川又昂
編集 浜村義康
製作会社 松竹
公開 日本の旗1960年3月18日
上映時間 76分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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映画は1960年3月18日松竹系で公開された。カラー、スタンダード、76分。オープニングにはスリー・キャッツと浜口庫之助も出演している。

スタッフ

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  • 製作:今泉国男
  • 監督:野村芳太郎
  • 脚本:野村芳太郎・山田洋次
  • 音楽:浜口庫之助
  • 撮影:川又昂
  • 美術:宇野耕司
  • 録音:栗田周十郎
  • 照明:石渡健蔵
  • 編集:浜村義康

出演者

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同時上映

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白い波涛

参考文献

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  • 浜口庫之助『ハマクラの音楽いろいろ』立東舎、2016年。ISBN 978-4-8456-2816-2 

脚注

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  1. ^ スリー・キャッツ – 黄色いさくらんぼdiscogs
  2. ^ ラジオ「大滝詠一のスピーチ・バルーン」星野哲郎ゲスト回
  3. ^ a b c 第1回日本レコード大賞を逃したエロティックな歌謡曲「黄色いさくらんぼ」TAP the POP
  4. ^ a b 星野哲郎公式ウエブサイト いろはにそらしど 年譜
  5. ^ 平尾昌晃『昭和歌謡1945-1989 歌謡曲黄金期のラブソングと日本人』廣済堂新書、2013年、66頁。ISBN 978-4-331-51771-0
  6. ^ 浜口 2016, p. 31
  7. ^ 堀内敬三『音楽明治百年史』音楽之友社、1968年、346頁。NDLJP:2518791/190
  8. ^ 浜口 2016, pp. 79–80