コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

八木治郎ショー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
八木治郎ショー
ジャンル ワイドショー
出演者 八木治郎
阪本時彦
ほか
製作
制作 毎日放送
放送
映像形式カラー放送[1]
音声形式モノラル放送
放送国・地域日本の旗 日本
放送期間1970年1月3日[1] - 1980年9月27日
放送時間土曜日8:30 - 9:30 [1]
放送枠毎日放送制作土曜朝のワイドショー
放送分60分

特記事項:
番組開始から1975年3月29日まではANN系列にネットされていたが、ネットチェンジに伴い同年4月5日から最終回まではJNN系列にネットされた。
テンプレートを表示

八木治郎ショー』(やぎじろうショー)は、1970年1月3日[1]から1980年9月27日まで毎日放送を制作局として、NETテレビ(現・テレビ朝日系列局TBS系列局生放送されていたトーク中心のワイドショー。放送時間は毎週土曜日 8:30 - 9:30(JST[1]。カラー放送[1]

概要

[編集]

当初は1965年4月に『MBSウィークエンドショー』と題してスタート[2]。同年11月に『ウィークエンドショー』となり、1966年4月から1969年12月までは『ウィークエンドモーニングショー』というタイトルで放送された[2]。『小川宏ショー』(フジテレビ系列)の小川宏や『モーニングショー』(NETテレビ→テレビ朝日系列)の木島則夫と同様、NHKからの引き抜きの形で1966年4月の『ウィークエンドモーニングショー』への改編を機に『私の秘密』の司会などを務めていた八木治郎をメイン司会者に迎えた。
NET制作の『モーニングショー』とワンセットで放送されたが、1975年4月から腸捻転解消に伴いTBS系列の放送となり、完全に別番組となった[注 1]

当初は「教育社会政治経済」をテーマに特集や討論を繰り広げる硬派の番組としてスタート。中でも吉岡たすくの教育コーナーが当番組での人気となった。後にゲストを迎えてのトークバラエティ路線へと徐々に軌道修正した。そして、1980年10月に放送時間が8時からとなり『八木治郎ショー・いい朝8時』にタイトルを変更、完全なトーク番組となった。

スポンサーは筆頭スポンサーの田辺製薬(現:田辺三菱製薬[3]をはじめとした複数社の提供だった。

出演者

[編集]

司会

[編集]

アシスタント

[編集]

レギュラー

[編集]

ネット局

[編集]

1975年3月まで

[編集]

系列は当時の系列。◎は腸捻転解消後もネットを継続した局。○は『おはようワイド・土曜の朝に』(朝日放送)にネットを切り替えた局。△は『モーニングショー』とワンセットで放送していた局。

放送対象地域 放送局 系列 備考
近畿広域圏 毎日放送 NETテレビ系列 制作局
関東広域圏 NETテレビ
(現・テレビ朝日
○△
北海道 北海道放送 TBS系列 1970年1月3日から1971年8月28日まで[4]
北海道テレビ NETテレビ系列 ○△1971年9月4日から1975年3月29日まで[5]
青森県 青森放送 日本テレビ系列 ○△(△は1971年3月まで[注 4]
岩手県 テレビ岩手 日本テレビ系列
NETテレビ系列
○△
宮城県 東北放送 TBS系列 △1970年9月まで
宮城テレビ 日本テレビ系列
NETテレビ系列
○△1970年10月開局から
秋田県 秋田放送 日本テレビ系列 ○△
山形県 山形放送
福島県 福島テレビ TBS系列
フジテレビ系列
◎1971年9月までは日本テレビ系列
△(△は1970年1月の間のみ)[注 5]
山梨県 山梨放送 日本テレビ系列 ○△
新潟県 新潟放送 TBS系列 ◎△
長野県 信越放送
静岡県 静岡放送
富山県 北日本放送 日本テレビ系列
石川県 北陸放送 TBS系列
福井県 福井放送 日本テレビ系列 ○△
中京広域圏 名古屋テレビ NETテレビ系列 ○△1973年3月までは日本テレビ系列とのクロスネット局
鳥取県
→鳥取県
島根県
日本海テレビ 日本テレビ系列 ○△1972年9月までの放送エリアは鳥取県のみ
相互乗り入れ後も山陰放送と2局放送を継続
島根県
→鳥取県
・島根県
山陰放送 TBS系列 ◎△1972年9月までの放送エリアは島根県のみ
相互乗り入れ後も日本海テレビと2局放送を継続
広島県 中国放送 △(1971年3月まで)
広島ホームテレビ開局後、
『モーニングショー』を同局に一本化した1971年4月以降も9月25日まで放送
広島ホームテレビ NETテレビ系列 ○△1971年10月2日から[6][注 6]
山口県 山口放送 日本テレビ系列 ○△
徳島県 四国放送 ◎△
香川県 西日本放送 △(△は1971年3月まで)
当時の免許エリアは香川県のみ[注 7]
愛媛県 南海放送 ◎△
高知県 高知放送 ○△
福岡県 九州朝日放送 NETテレビ系列
長崎県 長崎放送 TBS系列
熊本県 熊本放送 ◎△
大分県 大分放送
宮崎県 宮崎放送
鹿児島県 南日本放送 ○△
沖縄県 琉球放送

1975年4月以降

[編集]

1975年4月以降はTBS系番組となり、TBS系列局(一部を除く)と北日本放送・四国放送・南海放送(日本テレビ系列)でネットを開始した。系列は放送当時の系列。◎は腸捻転解消前から放送している局。○は当該地域で腸捻転解消と同時に放映権が移動した局。

放送対象地域 放送局 系列 備考
近畿広域圏 毎日放送 TBS系列 制作局
関東広域圏 東京放送
(現・TBSテレビ
北海道 北海道放送[7]
青森県 青森テレビ
岩手県 岩手放送
(現・IBC岩手放送
1980年4月から
宮城県 東北放送
福島県 福島テレビ TBS系列
フジテレビ系列
山梨県 テレビ山梨 TBS系列
新潟県 新潟放送
長野県 信越放送
静岡県 静岡放送
富山県 北日本放送 日本テレビ系列
石川県 北陸放送 TBS系列
中京広域圏 中部日本放送
(現・CBCテレビ
鳥取県
島根県
山陰放送
岡山県 山陽放送
(現・RSK山陽放送
当時の免許エリアは岡山県のみ
広島県 中国放送
徳島県 四国放送 日本テレビ系列
愛媛県 南海放送
高知県 テレビ高知 TBS系列
福岡県 RKB毎日放送
熊本県 熊本放送
大分県 大分放送
宮崎県 宮崎放送

備考

[編集]
  • 腸捻転解消に伴い、解消後も本番組のネットを継続した新潟・長野・静岡・富山・石川・徳島・愛媛・熊本・大分・宮崎の10県は本番組をもってNETテレビ系列(現・テレビ朝日系列)土曜朝のワイドショーのネットを打ち切った[注 8]。そのため、当該地域ではNET系列朝のワイドショーは『モーニングショー』のみの放送となった[注 9]。同時に日本海テレビと山陰放送による1地域2局同時放送も解消され、腸捻転解消後における鳥取県・島根県における本番組は山陰放送での放送となり、日本海テレビは『おはようワイド・土曜の朝に』(朝日放送)に切り替えた。腸捻転解消後の日本海テレビと山陰放送における1地域2局同時放送を実施するNETテレビ系列のワイドショーは『モーニングショー』と『アフタヌーンショー』の2番組となった。
  • 逆に岩手県と山口県では岩手放送とテレビ山口(テレビ山口は当時はフジテレビ系とのクロスネット局)が、腸捻転解消当時『ハイ!土曜日です』(関西テレビ)を放送していたため未放送となったが、岩手放送は1980年4月に『ハイ!土曜日です』を打ち切った上で5年ぶりに岩手県における放送を再開している。長崎放送・南日本放送・琉球放送のTBS系3局と秋田放送・山形放送・福井放送の日本テレビ系列3局でも本番組を打ち切って、腸捻転解消と同時にNETテレビ系列局同様に『おはようワイド・土曜の朝に』(朝日放送)に切り替えた[注 10]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 但し、NET系列番組時代でネットし、TBS系列番組になった後もネットした一部局は腸捻転解消後も『モーニングショー』のネットを継続した。
  2. ^ 尚、福郎は1975年4月より平日昼のワイドショー番組『スタジオ2時』のメイン司会(開始当初は月・火・木・金曜。水曜のみ藤本永治アナウンサーがメイン司会を担当)も兼務。1977年秋の改編で『スタジオ2時』の番組リニューアルが敢行され、これに併せて福郎が金曜放送分を含め全曜日のメイン司会を務めることになり、スケジュール調整の必要が生じた事(『スタジオ2時』の開始以降、福郎は両番組に併せて、日曜昼の関西テレビ競馬中継』、平日朝のラジオワイド番組『お早うキンキ、ハイハイ福郎です』(近畿放送、現・KBS京都)とほぼ年中無休状態で複数の生放送番組の司会を掛け持ちする多忙ぶりを極めていた)を理由として1977年9月末をもって同番組を降板した。
  3. ^ 番組開始当初から若手の女性モデル・タレント(高見リサなど)が短期間交替でインフォマーシャル担当(番組内生CM・プレゼント企画等における宛先告知など)のアシスタントとして起用されていたが、本格的に女性タレントがサブ司会者という位置づけで番組本編の進行にも関わるようになったのはあかはが(「八木治郎ショー」に番組名が改称されて以降では)最初のケースであった(前身の「ウィークエンドモーニングショー」時代は八木と女性タレント(浪花千栄子加藤登紀子)の男女ペアが司会進行を担当)。尚、このトリオ司会体制移行時に「爽やかな土曜の朝の8時半、八木治郎ショーでご一緒に」という番組独自のキャッチフレーズを新たに制定。このフレーズを番組冒頭で八木とサブ司会者が一緒に述べた後で番組本編の進行を始めるというパターンが定着した。
  4. ^ モーニングショー』は1971年4月に青森テレビへ移行。
  5. ^ 『モーニングショー』は1970年2月に福島中央テレビへ移行。
  6. ^ 移行までは本番組の枠で再放送や外部配給番組などを編成。1971年7月時点では当該枠でドラマ『ポーラ名作劇場湖笛』の再放送を編成していた(出典、中国新聞テレビ・ラジオ欄、(1971年6月27日)下部の広島ホームテレビ出稿広告。本放送は中国放送で実施されていた模様)。
  7. ^ 『モーニングショー』は1971年4月に瀬戸内海放送へ放映権が移行したものの、本番組は腸捻転解消まで西日本放送で放送された。なお瀬戸内海放送でのこの枠は自主制作の「土曜8時半です」→「栗原玲児の土曜8時半です」を放送。
  8. ^ 新潟県では当時フジテレビ系・テレビ朝日系とのクロスネットだった新潟総合テレビ(現・NST新潟総合テレビ)が1981年3月をもってメイン系列の番組である『ハイ!土曜日です』(関西テレビ)を打ち切って『おはようワイド・土曜の朝に』(朝日放送、1983年10月に新潟テレビ21へ放映権移行)のネットを開始した他、長野・静岡・石川・愛媛・熊本・大分の7県でもテレビ朝日新局開局に伴いテレビ朝日系列土曜朝のワイドショー放送を再開している。
  9. ^ 宮崎放送は2009年3月をもって、北日本放送・四国放送は2011年3月をもって、それぞれテレビ朝日系列平日朝のワイドショーのネットを打ち切った。
  10. ^ 長崎放送・南日本放送・琉球放送のTBS系3局は『八木治郎ショー・いい朝8時』で当該枠のネットを再開した他、テレビ山口は1989年4月に、山形県では1989年10月のテレビユー山形開局により『すてきな出逢い いい朝8時』で当該枠のネットを再開している。

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f 1970年1月3日 朝日新聞大阪版 朝刊P.9 及び東京版 朝刊P.9 共にテレビ・ラジオ欄 (朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  2. ^ a b c d e 「制作ノートから(101) 毎日放送『すてきな出逢い・いい朝8時』 「番組は人なり」の基本姿勢で / 本多隆朗」『月刊民放』第21巻第2号、日本民間放送連盟、1991年2月1日、31 - 33頁、NDLJP:3471062/16 
  3. ^ 『田辺製薬三百五年史』田辺製薬、1983年10月、292頁。NDLJP:11956313/194 
  4. ^ 北海道新聞』(縮刷版) 1970年(昭和45年)1月 - 1971年(昭和46年)8月、テレビ欄。
  5. ^ 『北海道新聞』(縮刷版) 1971年(昭和46年)9月 - 1975年(昭和50年)3月、テレビ欄。
  6. ^ 出典、中国新聞テレビ・ラジオ欄、(1971年9月30日)下部の広島ホームテレビ出稿広告。「おなじみの八木治郎ショーです。10月2日からホームテレビが放送します」と告知。
  7. ^ 『北海道新聞』(縮刷版) 1975年(昭和50年)4月 - 1980年(昭和55年)9月、テレビ欄。

前後番組

[編集]
毎日放送制作 土曜朝のワイドショー
前番組 番組名 次番組
ウィークエンドモーニングショー
(1966年4月 - 1969年12月)
八木治郎ショー
(1970年1月 - 1980年9月)
八木治郎ショー・いい朝8時
(1980年10月 - 1983年5月)
NET(現・テレビ朝日系列 土曜朝のワイドショー
ウィークエンドモーニングショー
(1966年4月 - 1969年12月)
八木治郎ショー
(1970年1月 - 1975年3月)
おはようワイド・土曜の朝に
(1975年4月 - 1989年3月)
【これ以降はABC制作枠
TBS系列 土曜朝のワイドショー
ローカルセールス枠
(? - 1975年3月)
【各局により異なる編成】
八木治郎ショー
(1975年4月 - 1980年9月)
八木治郎ショー・いい朝8時
(1980年10月 - 1983年5月)
TBS 土曜日8:30 - 9:30枠
八木治郎ショー
(1975年4月 - 1980年9月)
八木治郎ショー・いい朝8時

関連項目

[編集]