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007/死ぬのは奴らだ (映画)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
007/死ぬのは奴らだ
Live and Let Die
監督 ガイ・ハミルトン
脚本 トム・マンキーウィッツ
原作 イアン・フレミング
製作 ハリー・サルツマン
アルバート・R・ブロッコリ
出演者 ロジャー・ムーア
ヤフェット・コットー
ジェーン・シーモア
グロリア・ヘンドリー
ジェフリー・ホールダー
ジュリアス・W・ハリス
クリフトン・ジェームズ
デヴィッド・ヘディソン
バーナード・リー
ロイス・マクスウェル
音楽 ジョージ・マーティン
撮影 テッド・ムーア
編集 バート・ベイツ
配給 ユナイテッド・アーティスツ
公開 アメリカ合衆国の旗 1973年6月27日
イギリスの旗 1973年7月5日
日本の旗 1973年7月14日
上映時間 121分
製作国 イギリスの旗 イギリス
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
言語 英語
製作費 $7,000,000[1]
興行収入 世界の旗 $161,800,000[1]
アメリカ合衆国の旗 $35,400,000
配給収入 日本の旗 8億3000万円[2]
前作 007/ダイヤモンドは永遠に
次作 007/黄金銃を持つ男
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『007/死ぬのは奴らだ』(ダブルオーセブン しぬのはやつらだ、Live And Let Die)は、イアン・フレミング同名小説を原作とした、ガイ・ハミルトン監督の1973年のスパイアクション映画。映画「ジェームズ・ボンド」シリーズの第8作目。ジェームズ・ボンド役を、3代目のロジャー・ムーアが最初に演じた作品である。

前作『007/ダイヤモンドは永遠に』で一度限りの復帰となったショーン・コネリーの後継者として、新しいジェームズ・ボンド役に指名されたのがロジャー・ムーアである。ムーアはこのオファーを受けるのは初めてではなく、シリーズ第1作『ドクター・ノオ』を製作する際にも指名されたが、当時は多忙のため断っていた。それから10年後、ムーアはようやく46歳でボンド役を射止めた(ムーアはショーン・コネリーよりも3歳年上である)。彼が演じるボンドはコネリー時代のハードな部分が削られ、軽妙でユーモラスな007となった。コネリーのボンドもジョークをよく発したが、ムーアはジョークをさらに増やした。

ストーリー

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カリブ海の島国、サン・モニークを調査していたイギリス情報部員が相次いで3人殺害された。さっそくアメリカに飛んだボンド(ロジャー・ムーア)は、フィリックス・ライターデヴィッド・ヘディソン)とともにサン・モニークの首相、Dr.カナンガ(ヤフェット・コットー)を捜査する。カナンガは自らハーレムの大物Mr.ビッグに変装し、レストランチェーン「フィレ・オブ・ソウル」を通じて麻薬を無料で配布し、アメリカに麻薬中毒患者を増加させ、その後に麻薬の値段を吊り上げることで荒稼ぎしようとしていた。Dr.カナンガにタロットカードで指示を与える謎の美女、ソリテア(ジェーン・シーモア)から情報を得るため、ボンドはカリブ海へ向かった。

キャスト

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主人公のロジャー・ムーア

ボンドガール

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イギリスの首都ロンドン生まれの女性、ジェーン・シーモアボンドガールに選ばれた。シーモアは後に、IGNエンターテインメントの「トップ10ボンド・ベイブズ」で10位にも選ばれている[4]

1973年、シーモアはこの映画でボンドガール、ソリテアとしての役割を果たし、国際的な知名度を得た。

日本語吹替

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役名 俳優 TBS版1[5] TBS版2[6] ソフト版
ジェームズ・ボンド ロジャー・ムーア 広川太一郎
ソリテア ジェーン・シーモア 岡本茉利 玉川砂記子 日野由利加
ドクター・カナンガ / ミスター・ビッグ ヤフェット・コットー 内海賢二 後藤哲夫
ペッパー保安官 クリフトン・ジェームズ 滝口順平 宝亀克寿
ティー・ヒー ジュリアス・W・ハリス 田中康郎 佐々木誠二
サメディ ジェフリー・ホールダー 蟹江栄司 銀河万丈 西凜太朗
M バーナード・リー 今西正男 石森達幸 藤本譲
マネーペニー ロイス・マクスウェル 花形恵子 竹口安芸子 泉裕子
ライター デヴィッド・ヘディソン 伊武雅之 徳丸完 小島敏彦
ロージー グロリア・ヘンドリー 高島雅羅 岡のりこ
ストラッター ロン・サットン 玄田哲章 秋元羊介
クオーレルJr ロイ・スチュワート 平林尚三 玄田哲章 をはり万造
ウィスパー アール・ジョリー・ブラウン 亀井三郎 安西正弘
タクシー運転手 アーノルド・ウィリアムズ 千葉繁 谷口節
美女 マデリン・スミス 吉川なが子 横尾まり
店員 クビー・チェーザ 横尾まり 岡のりこ
ウェイター ダン・ジャクソン 田中幸四郎 笹岡繁蔵
エディ ランス・ゴードン 広瀬正志
カナンガの部下 田口昂 島香裕
漁師 大滝進矢 笹岡繁蔵
靴みがき 小比類巻孝一 小室正幸

※キングレコードから発売の特別版DVDにはTBS版の2バージョンの吹替を収録。

プロデューサー - 熊谷国雄、演出 - 佐藤敏夫、翻訳 - 木原たけし、選曲 - 重秀彦、効果 - 桜井俊哉/遠藤堯雄、調整 - 小野敦志、制作 - 東北新社/TBS、解説 - 荻昌弘
※ムーア時代から、日本での007作品テレビ初放映は延長枠が恒例となった[7]
プロデューサー - 上田正人、演出 - 小山悟、翻訳 - 木原たけし、制作 - 東北新社/TBS、解説 - 荻昌弘
  • ソフト版 - 初出、2006年11月22日発売 DVD アルティメット・コレクション
演出 - 福永莞爾、翻訳 - 佐藤一公、調整 - 金谷和美、制作 - 東北新社
  • 当初、ボンドの声は「セイント 天国野郎」でムーアの声を担当していた近藤洋介にオファーしたが、近藤は舞台出演の為、収録スケジュールを確保できずに結局断念。前々作でレーゼンビーを吹き替えた経験のある広川が務めることになり、以降、広川は当シリーズ以外でもムーアの吹替を多数担当することとなる。

スタッフ

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主題歌

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ポール・マッカートニー&ウイングスが起用され、同タイトル曲を担当した[8]全英シングルチャートで最高位9位、アメリカのBillboard Hot 100で最高位2位を獲得し、映画と共に大ヒットとなった。007の主題歌が英米両方のチャートでトップ10入りしたのは、この曲が初めてだった。また、映画のサウンドトラックは、プロデューサーのジョージ・マーティンが担当し、ビートルズ時代以来の共演となった。同サウンドトラック・アルバムは、『ビルボード』誌アルバム・チャートでは、最高位17位だった。

興行成績

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1973年の映画の世界興行成績で第3位[9]。日本では、1973年度の外国映画配給収入の第2位。

脚注

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  1. ^ a b Live and Let Die” (英語). The Numbers. 2022年8月12日閲覧。
  2. ^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』(キネマ旬報社、2012年)312頁
  3. ^ 命がけで3匹のワニの上をポンポンポンと走り抜ける映画『007 死ぬのは奴らだ』のスタントが成功するまでのメイキング動画
  4. ^ Top 10 Bond Babes” (26 February 2007). 21 March 2012時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月25日閲覧。
  5. ^ 007 死ぬのは奴らだ(月曜ロードショー版)”. ふきカエル大作戦!!. 2022年7月29日閲覧。
  6. ^ 007 死ぬのは奴らだ(ザ・ロードショー版)”. ふきカエル大作戦!!. 2022年7月29日閲覧。
  7. ^ 初回放映から通常枠となったシリーズ第12作「ユア・アイズ・オンリー」のみ例外として、第21作「カジノ・ロワイヤル」まで延長枠初放映が続いた。
  8. ^ Benitez, Vincent P. (2010). The Words and Music of Paul McCartney: The Solo Years. Santa Barbara, Calif.: Praeger. p. 50. ISBN 978-0-313-34969-0.
  9. ^ Movie list by worldwide gross” (英語). WorldwideBoxoffice.com. 2009年6月16日閲覧。(第1位は『エクソシスト』、第2位は『スティング』)

外部リンク

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