1946年の野球
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1946年の野球(1946ねんのやきゅう)では、1946年の野球界における動向をまとめる。
競技結果
[編集]日本プロ野球
[編集]ペナントレース
[編集]1946年のペナントレースは8球団による15試合ずつの総当たり制の105試合で行われた。
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
---|---|---|---|---|---|---|
優勝 | 近畿グレートリング | 65 | 38 | 2 | .631 | - |
2位 | 東京巨人軍 | 64 | 39 | 2 | .621 | 1.0 |
3位 | 大阪タイガース | 59 | 46 | 0 | .562 | 7.0 |
4位 | 阪急軍 | 51 | 52 | 2 | .495 | 14.0 |
5位 | セネタース | 47 | 58 | 0 | .448 | 19.0 |
6位 | ゴールドスター | 43 | 60 | 2 | .417 | 22.0 |
7位 | 中部日本 | 42 | 60 | 3 | .412 | 22.5 |
パシフィック | 42 | 60 | 3 | .412 | 22.5 |
個人タイトル
[編集]タイトル | 選手 | 球団 | 成績 |
---|---|---|---|
最優秀選手 | 山本一人 | グレートリング | |
首位打者 | 金田正泰 | 大阪 | .347 |
本塁打王 | 大下弘 | セネタース | 20本 |
打点王 | 山本一人 | グレートリング | 95点 |
最多安打 | 金田正泰 | 大阪 | 152本 |
盗塁王 | 河西俊雄 | グレートリング | 39個 |
最優秀防御率 | 藤本英雄 | 巨人 | 2.11 |
最多勝利 | 白木義一郎 | セネタース | 30勝 |
最多奪三振 | 真田重蔵 | パシフィック | 200個 |
最高勝率 | 藤本英雄 | 巨人 | .778 |
ベストナイン
[編集]この年は選出なし
社会人野球
[編集]- 第17回都市対抗野球大会優勝:大日本土木
東京六大学野球
[編集]中等野球
[編集]- 第28回全国高等学校野球選手権大会決勝(阪急西宮球場・8月21日)
- 浪華商業(大阪府) 2-0 京都第二中学(京都府)
メジャーリーグ
[編集]→詳細は「1946年のメジャーリーグベースボール」を参照
できごと
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
- 日本プロ野球は、2年ぶりのリーグ戦再開となり、セネタースとゴールドスターが加入して、1943年以来に8球団制となる。近畿日本軍は「グレートリング」、阪神軍は「大阪タイガース」[1]、産業軍は「中部日本軍」、朝日軍は「パシフィック」にそれぞれ球団名を変更している。
- 都市対抗野球大会が4年ぶり、全国中等学校優勝野球大会が6年ぶりに開催されている。
1月
[編集]3月
[編集]4月
[編集]- 4月23日 -【MLB】ブルックリン・ドジャースのレン・バーカーが対ボストン・ブレーブス戦においてノーヒットノーランを達成、スコアは5対0。
- 4月27日 - 後楽園球場と阪急西宮球場において、戦後初の日本プロ野球公式戦が開催され、後楽園において中部日本軍対ゴールドスター[2]と東京巨人軍対セネタース[3]、西宮において阪急軍対グレートリング[4]と大阪タイガース対パシフィック[5]の2試合ずつが行われた。
- 4月28日 - セネターズの白木義一郎が対ゴールドスター戦(後楽園)で、4安打3奪三振の内容でプロ入り初登板で初完封。日本プロ野球史上8人目。球団初。戦後初[6]。
- 4月29日 - 中部日本対セネターズ戦で、中部日本先発の林直明が先頭打者から日本プロ野球新記録の5者連続与四球、タイ記録の1イニング6与四球を記録。一方のセネターズ先発の一言多十もこの試合13与四球(当時日本プロ野球歴代2位)ながらも、4併殺で野手の失策による1失点で自責点0で完投勝利。スコアは6対1[7]。
- 4月30日 - 藤井寺球場における初のプロ野球公式戦、グレートリング対阪急戦が行われ、5対2で阪急が勝利する。
- 4月30日 - 【MLB】クリーブランド・インディアンスのボブ・フェラーが対ニューヨーク・ヤンキース戦において2度目のノーヒットノーランを達成、スコアは1対0。
5月
[編集]- 5月10日 - ゴールドスターの内藤幸三が対中日戦で日本プロ野球通算1000投球回、史上19人目[8]。
- 5月19日 - 【MLB】ミネソタ・ツインズのミッキー・バーノン がサイクル安打を達成。
- 5月20日 - 5月26日 この間行われ既に試合が成立していた、パシフィックの4試合が没収試合扱いとなり、うち1試合の勝敗が逆転している。パシフックが事前の申し合わせに反して、戦前別チームでプレーしていた選手を試合出場させたため(詳細は松竹ロビンス#没収試合第1号参照)。
6月
[編集]7月
[編集]- 7月15日 - グレートリングが8回に対ゴールドスター戦において、8回に1イニング11安打と、1試合で28安打のそれぞれ日本プロ野球記録を更新、プロ野球史上3度目の毎回安打、全員安打を達成している。この日登板したグレートリングの別所毅彦が8回、1イニングで本塁打と三塁打を記録している。試合は26対0でグレートリングの勝利[10]。
- 7月20日 - 大阪が対パシフィック戦で22安打を放ち、日本プロ野球史上4度目の、毎回安打、全員安打を達成している。
- 7月21日 - 大阪が対セネタース戦に勝利し、6月24日からの連勝を14とした(当時の日本タイ記録)[11]。
- 7月26日 - 大阪対パシフィック戦が日本プロ野球史上最短試合となる55分で終了。大阪の渡辺誠太郎とパシフィックの湯浅芳彰の投げ合いとなり、1-0で大阪の勝ち。
8月
[編集]- 8月3日 - 4年ぶり、戦後初となる第17回都市対抗野球大会が後楽園で開催された。
- 8月9日 - 都市対抗野球大会の決勝戦が行われ、大日本土木が全桐生を3対0で破り、初優勝。
- 8月15日 - 6年ぶり、戦後初となる第28回全国中等学校優勝野球大会が開催される。甲子園がGHQに接収されていた為、全試合西宮での開催となった。
- 8月16日 - 中部日本の松尾幸造が対阪急戦で日本プロ野球通算1000投球回、史上20人目[8]。
- 8月21日 - 全国中等学校優勝野球大会の決勝戦が行われ、浪華商が京都二中を2対0で破り、初優勝。
- 8月31日 - セネタースの大下弘が対大映戦(後楽園)において、1回内藤幸三から日本プロ野球新記録のシーズン通算11号本塁打。
9月
[編集]10月
[編集]- 10月15日 - 【MLB】ワールドシリーズ第7戦が行われ、セントルイス・カージナルスがボストン・レッドソックスを4対3で破り、2年ぶり6度目の優勝。
- 10月18日 - 大阪の若林忠志が対セネターズ戦で日本プロ野球史上初の通算2500投球回[8]。
- 10月20日 - パシフィックのヴィクトル・スタルヒンが日本プロ野球史上初の通算200勝を達成[8]。
- 10月27日 - 巨人の藤本英雄が対阪急戦をNPB最少記録の75球で完封勝利。同時に8月29日から前日まで続いていた、阪急の野口二郎の出場試合連続安打日本プロ野球記録が、3打席凡退で、31試合で止まっている[13][14]。
11月
[編集]12月
[編集]誕生
[編集]1月
[編集]2月
[編集]3月
[編集]4月
[編集]5月
[編集]- 5月1日 - 池田重喜
- 5月3日 - ジミー・ウィリアム
- 5月15日 - 池田純一(+ 2005年)
- 5月15日 - 阿部良男(+ 2017年)
- 5月20日 - ジム・ライトル
- 5月29日 - 大橋穣
- 5月30日 - 髙嶋仁
6月
[編集]7月
[編集]8月
[編集]9月
[編集]10月
[編集]11月
[編集]12月
[編集]死去
[編集]- 4月 - 石原繁三(* 1914年)
- 12月10日 - ウォルター・ジョンソン(* 1887年)
脚注
[編集]- ^ 1940年までの名称。
- ^ 10対4で中部日本が勝利。
- ^ 12対0で巨人が勝利。
- ^ 5対1で阪急が勝利。
- ^ 6対5で大阪が勝利。
- ^ 宇佐美徹也『日本プロ野球記録大鑑』講談社、1993年、853頁。ISBN 4062061082。
- ^ 宇佐美徹也 1993, p. 637.
- ^ a b c d 各種記録達成者一覧[リンク切れ] セ・リーグ公式サイト
- ^ a b 岸野雄三 ほか『近代体育スポーツ年表 1800→1997』大修館書店、1999年、184頁。ISBN 4469264083。
- ^ 宇佐美徹也 1993, pp. 300, 304.
- ^ 宇佐美徹也 1993, p. 158.
- ^ 宇佐美徹也 1993, p. 304.
- ^ ただし、当時は野口の方は記録として知られていなかった(詳細)。
- ^ 宇佐美徹也 1993, p. 292.
- ^ 巨人と阪神以外の球団が優勝したのも初。