8000メートル峰
8000メートル峰(8000メートルほう、Eight-thousander)とは、地球上にある標高8000メートル (26247フィート)を超える14座の山の総称である。14座全てが広義のヒマラヤ山脈[1](北西のカラコルム山脈を含む)にある。登山の対象とされるが、世界最高峰であるエベレストを含む各山の頂上付近は、薄い酸素濃度、寒冷で悪化しやすい天候、峻険な地形により、登山者にとっては過酷なデスゾーンである[1]。
概要
[編集]人類が初めて登頂に成功した8000メートル峰はアンナプルナで、フランスのモーリス・エルゾーグとルイ・ラシュナルが1950年に山頂に達した。それから14年間のうちに他の8000メートル峰も全て初登頂された。
全14座のうち、8座では初登頂の際に酸素ボンベが使用された[2]。最高峰のエベレストから標高第5位のマカルーまではビッグ5と呼ばれ、現在でも頻繁に酸素ボンベが使われている[3][4]。
全ての8000メートル峰の登頂に成功した最初の人物はラインホルト・メスナー(イタリア)で、1986年10月16日に達成した。その一年後、イェジ・ククチカ(ポーランド)が2人目の達成者となった。2022年時点では45人が達成している。日本人では竹内洋岳、次いで石川直樹が全14座登頂に成功している。
14座で最初に冬季登頂された山はエベレストで、1980年2月にポーランド隊の2人が頂上を制した。2020年を終えてもK2のみ冬季登頂が果たされていなかったが、2021年1月16日にネパールの登山隊が冬季初登頂に成功した。エベレストとK2以外の冬季初登頂は無酸素で達成されている[5]。
8000メートル峰の一覧
[編集]山名[6] | 標高 | 所在地 | 初登頂 年月日 |
初登頂者 | 冬季 初登頂 年月日 |
冬季初登頂者[注釈 1] | 登頂者* (〜2011) |
死亡者* (〜2011) |
死亡/登頂比* (〜2011) |
死亡/登頂比** (〜1989) |
死亡/登頂比** (1990-2003) |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
エベレスト | 8848 m | 中国 ネパール |
1953年 5月29日 |
エドモンド・ヒラリー テンジン・ノルゲイ (イギリス隊) |
1980年 2月17日 |
クシストフ・ヴィエリツキ レシェック・チヒ |
5656 | 223 | 3.9 % | 37 % | 4.4 % |
K2 | 8611 m | 中国 パキスタン[注釈 2] |
1954年 7月31日 |
アキッレ・コンパニョーニ リーノ・ラチェデッリ (イタリア隊) |
2021年 1月16日 |
ニルマル・プルジャらネパールの登山家10人 | 306 | 81 | 26.5 % | 41 % | 19.7 % |
カンチェンジュンガ | 8586 m | インド ネパール |
1955年 5月25日 |
ジョージ・バンド ジョー・ブラウン (イギリス隊) |
1986年 1月11日 |
イェジ・ククチカ クシストフ・ヴィエリツキ |
283 | 40 | 14.1 % | 21 % | 22 % |
ローツェ | 8516 m | 中国 ネパール |
1956年 5月18日 |
フリッツ・ルフジンガー エルンスト・ライス (スイス隊) |
1988年 12月31日 |
クシストフ・ヴィエリツキ | 461 | 13 | 2.8 % | 14 % | 2 % |
マカルー | 8463 m | 中国 ネパール |
1955年 5月15日 |
ジャン・クジー リオネル・テレイ (フランス隊) |
2009年 2月9日 |
シモーネ・モーロ デニス・ウルブコ |
361 | 31 | 8.6 % | 16 % | 8.5 % |
チョ・オユー | 8188 m | 中国 ネパール |
1954年 10月19日 |
ヨゼフ・ヨヒラー パサン・ダワ・ラマ ヘルベルト・ティッヒー (オーストリア隊) |
1985年 2月12日 |
マチェイ・ベルベカ マチェイ・パフリコスキ |
3138 | 44 | 1.4 % | 7 % | 2 % |
ダウラギリ | 8167 m | ネパール | 1960年 5月13日 |
クルト・ディームベルガー ペーター・ディーナー ナワン・ドルジ ニマ・ドルジ エルンスト・フォラー エルビン・シェルバート (スイス隊) |
1985年 1月21日 |
イェジ・ククチカ アンジェイ・チョク |
448 | 69 | 15.4 % | 31 % | 11 % |
マナスル | 8163 m | ネパール | 1956年 5月9日 |
今西壽雄 ギャルツェン・ノルブ (日本隊) |
1984年 1月14日 |
マチェイ・ベルベカ リシャルド・ガエフスキ |
661 | 65 | 9.8 % | 35.16 % | 13.42 % |
ナンガ・パルバット | 8126 m | パキスタン[注釈 2] | 1953年 7月3日 |
ヘルマン・ブール (ドイツ・オーストリア隊) |
2016年 2月26日 |
シモーネ・モーロ アレックス・ティコン アリ・サドパラ |
335 | 68 | 20.3 % | 77 % | 5.5 % |
アンナプルナ | 8091 m | ネパール | 1950年 6月3日 |
モーリス・エルゾーグ ルイ・ラシュナル (フランス隊) |
1987年 2月3日 |
イェジ・ククチカ アルトゥール・ハイゼル |
191 | 61 | 31.9 % | 66 % | 19.71 % |
ガッシャーブルムI峰 | 8080 m | 中国 パキスタン[注釈 2] |
1958年 7月5日 |
アンドリュー・カウフマン ピーター・シェーニング (アメリカ隊) |
2012年 3月9日 |
アダム・ビエレツキ ヤヌシュ・ゴロヴ |
334 | 29 | 8.7 % | 15.5 % | 8.75 % |
ブロード・ピーク | 8051 m | 中国 パキスタン[注釈 2] |
1957年 6月9日 |
ヘルマン・ブール クルト・ディームベルガー マルクス・シュムック フリッツ・ヴィンターシュテラー (オーストリア隊) |
2013年 3月5日 |
マチェイ・ベルベカ アダム・ビエレツキ トマス・コワルスキ アルトウール・マレク (ポーランド隊) |
404 | 21 | 5.2 % | 5 % | 8.6 % |
ガッシャーブルムII峰 | 8035 m | 中国 パキスタン[注釈 2] |
1956年 7月8日 |
ヨゼフ・ラルヒ フリッツ・モラベック ハンス・ヴィレンパルト (オーストリア隊) |
2011年 2月2日 |
シモーネ・モーロ デニス・ウルブコ コートニー・リチャーズ |
930 | 21 | 2.3 % | 7.8 % | 0.44 % |
シシャパンマ | 8027 m | 中国 (チベット) |
1964年 5月2日 |
許競ら10人 (中国隊) |
2005年 1月14日 |
ピオトル・モラフスキ シモーネ・モーロ |
302 | 25 | 8.3 % | 2 % | 16.8 % |
* Eberhard Jurgalski of 8000ers.com;The Economist 2012年3月時点のデータ[7] (2011年度末まで)
** 2003年9月現在。出典:Chinese National Geography 2006.8, page 77.
全ての8000メートル峰の登頂に成功した人物一覧
[編集]達成 順位 |
全山 無酸素 |
名前 | 達成年 | 国籍 |
---|---|---|---|---|
1 | 1 | ラインホルト・メスナー | 1970-1986 | イタリア |
2 | イェジ・ククチカ | 1979-1987 | ポーランド | |
3 | 2 | エアハルト・ロレタン | 1982-1995 | スイス |
4 | カルロス・カルソリオ | 1985-1996 | メキシコ | |
5 | クシストフ・ヴィエリツキ | 1980-1996 | ポーランド | |
6 | 3 | フアニート・オヤルサバル | 1985-1999 | スペイン |
7 | セルジョ・マルティーニ | 1976-2000 | イタリア | |
8 | 朴英碩(パク・ヨンソク) | 1993-2001 | 韓国 | |
9 | 厳弘吉(オム・ホンギル) | 1988-2001 | 韓国 | |
10 | 4 | アルベルト・イニュラテギ | 1991-2002 | スペイン |
11 | 韓王龍(ハン・ワンヨン) | 1994-2003 | 韓国 | |
12 | 5 | エド・ベスターズ | 1989-2005 | アメリカ |
13 | 6 | シルヴィオ・モンディネッリ | 1993-2007 | イタリア |
14 | 7 | イバン・バレーホ | 1997-2008 | エクアドル |
15 | 8 | デニス・ウルブコ | 2000-2009 | カザフスタン |
16 | ラルフ・ドゥイモビッツ | 1990-2009 | ドイツ | |
17 | 9 | ベイカー・グスタフッソン | 1993-2009 | フィンランド |
18 | アンドリュー・ロック | 1993-2009 | オーストラリア | |
19 | 10 | ジョアン・ガルシア | 1993-2010 | ポルトガル |
20 | ピョトル・プステルニク | 1990-2010 | ポーランド | |
21 | エドゥルネ・パサバン | 2001-2010 | スペイン | |
22 | アベーレ・ブランク | 1992-2011 | イタリア | |
23 | ミンマ・ツェリン・シェルパ | 2000-2011 | ネパール | |
24 | 11 | ゲルリンデ・カルテンブルンナー | 1998-2011 | オーストリア |
25 | ヴァシリー・ピフツォフ | 2001-2011 | カザフスタン | |
26 | 12 | マクスト・ジュマイエフ | 2001-2011 | カザフスタン |
27 | キム・ジェスー | 2000-2011 | 韓国 | |
28 | 13 | マリオ・パンツェリ | 1988-2012 | イタリア |
29 | 竹内洋岳 | 1995-2012 | 日本 | |
30 | チャン・ダワ・シェルパ | 2001-2013 | ネパール | |
31 | 14 | 金昌浩(キム・チャンホ) | 2005-2013 | 韓国 |
32 | ホルヘ・エゴチャガ | 2002-2014 | スペイン | |
33 | 15 | ラデック・ヤロス | 1998-2014 | チェコ |
34/35 | 16/17 | ニベス・メロイ | 1998-2017 | イタリア |
ロマーノ・ベネット | 1998-2017 | イタリア/スロベニア | ||
36 | ピーター・ハモール | 1998-2017 | スロバキア | |
37 | 18 | アジム・ガイチェサズ | 2008-2017 | イラン |
38 | フェラン・ラトーレ | 1999-2017 | スペイン | |
39 | 19 | オスカル・カディアチ | 1984-2017 | スペイン |
40 | 金未坤(キム・ミゴン) | 2000-2018 | 韓国 | |
41 | サヌ・シェルパ | 2006-2019 | ネパール | |
42 | ニルマル・プルジャ | 2014-2019 | ネパール | |
43 | ミンマ・シェルパ | 2010-2019 | ネパール | |
44 | キム・ホンビン | 2006-2021 | 韓国 | |
石川直樹 | 2001-2024 | 日本 | ||
渡邊直子 | 2006-2024 | 日本 |
・ニベス・メロイ、ロマーノ・ベネットの二人は同時に達成
論争中の人物
[編集]頂上に到達した十分な証拠が無いため論争が起きている。
名前 (論争が起きている山) | 達成年 | 国籍 | |
---|---|---|---|
1 | ファウスト・デ・ステーファニ (ローツェ 1997) | 1983-1998 | イタリア |
2 | アラン・ヒンクス (チョ・オユー 1990) | 1987-2005 | イギリス |
3 | ウラディスラフ・テルジュール (シシャパンマ 2000) | 1993-2004 (14座目で下山中死亡) | ウクライナ |
4 | 呉銀善 (カンチェンジュンガ 2009) | 1997-2010 | 韓国 |
5 | カルロス・パウナー (シシャパンマ 2012) | 2001-2013 | スペイン |
画像
[編集]-
エベレスト
-
K2
-
カンチェンジュンガ
-
ローツェ
-
マカルー
-
チョ・オユー
-
ダウラギリ
-
マナスル
-
ナンガ・パルバット
-
アンナプルナ
-
ガッシャーブルムI峰
-
ブロード・ピーク
-
ガッシャーブルムII峰
-
シシャパンマ
日本人8000メートル峰登頂状況
[編集]登頂数 | 氏名 | 生年月日 没年月日 |
年齢 | エベレスト 8848 m |
K2 8611 m |
カンチェンジュンガ 8586 m |
ローツェ 8516 m |
マカルー 8463 m |
チョ・オユー 8188 m |
ダウラギリ 8167 m |
マナスル 8163 m |
ナンガパルバット 8126 m |
アンナプルナ 8091 m |
ガッシャーブルムI峰 8080 m |
ブロードピーク 8051 m |
ガッシャーブルムII峰 8035 m |
シシャパンマ 8027 m |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
14 | 竹内洋岳 | 1971/1/8 - |
53 | 1996/5/17 | 1996/8/14 | 2006/5/14* | 2009/5/20* | 1995/5/22 | 2011/9/30* | 2012/5/26* | 2007/5/19* | 2001/6/30* | 2004/5/28* | 2004/7/25* | 2008/7/31* | 2008/7/8* | 2005/5/7* |
14 | 石川直樹 | 1977/6/30
- |
47 | 2001/5/23
2011/5/20 |
2022/7/22 | 2022/5/7 | 2013/5/17 | 2014/5/25 | 2023/10/2 | 2022/4/9 | 2012/9/30
2022/9/28 |
2023/7/2 | 2023/4/15 | 2023/7/26 | 2022/7/29 | 2019/7/25 | 2024/10/4 |
14 | 渡邊直子 | 1981/10/27 |
43 | 2013 | 2018 | 2019/5 | 2022/5/13 | 2014 | 2006 | 2021/10/01 | 2019/9/26 | 2022/7/2 | 2019/4 | 2022/8/12 | 2022/7/27 | 2022/7/21 | 2024/10/9 |
9 | 山田昇 | 1950/2/9 1989/2/24 |
故人 | 1983/12/16* | 1985/7/24* | 1981/5/9 | 1982/10/18 | 1988/11/6 | 1978/10/21 | 1985/12/14* | 1987/12/20 | 1988/10/24* | |||||
9 | 名塚秀二 | 1956/11/19 2004/10/10 |
故人 | 1985/10/30 | 1990/8/9 | 1991/5/24 | 1993/10/8 | 2001/10/11 | 1997/7/7 | 2000/7/29 | 1997/7/14 | 1999/10/29 | |||||
9 | 田辺治 | 1961/1/4 2010/9/28 |
故人 | 1993/12/20 | 1997/7/19 | 1995/5/21 | 1993/10/11 | 2005/7/16 | 2002/8/5 | 1993/8/24 | 1990/7/26 | 2006/10/9 | |||||
9 | 近藤和美 | 1941/11/22 - |
83 | 1998/5/22 | 2011/5/20 | 1992/9/20* | 1995/10/6* | 2009/5/19 | 1999/7/29* | 2003/8/1* | 2000/7/30* | 2010/5/17 | |||||
8 | 加藤慶信 | 1976 2008/10/1 |
故人 | 2005/5/24 | 2002/10/3 | 2006/5/3 | 1997/10/8 | 2003/5/16 | 2001/8/13 | 2001/7/10 | 2006/5/18 | ||||||
8 | 谷川太郎 | 1967/6/27 - |
57 | 2003/5/22 | 1996/8/12 | 1998/5/15 | 2003/5/10 | 1995/5/22 | 1999/9/28 | 1991/7/12 | 1993/7/22 | ||||||
7 | 山本篤 | 1962/10/7 - |
62 | 1989/10/13 | 1996/8/14 | 1995/5/21 | 1988/11/6 | 1997/8/10 | 2003/5/16 | 1988/10/24 | |||||||
7 | 北村俊之 | 1962 - |
62 | 1999/10/1* | 1997/5/31* | 2013/10/2 | 1998/8/6 | 1997/7/16* | 1995/7/20* | 2014/7/26 | |||||||
7 | 尾崎隆 | 1952/9/9 2011/5/12 |
故人 | 1980/5/10 | 1984/5/19 | 1983/10/9 | 2001/5/12 | 1981/10/12 | 1977/8/8 | 1986 | |||||||
6 | 宮崎勉 | 1947/11/11 - |
77 | 2002/5/17 | 1983/10/10 | 1993/10/12 | 1978/10/19 | 1997/7/14 | 1997/7/9 | ||||||||
6 | 後藤文明 | 1965/5/10 - |
59 | 1993/12/18 | 1993/10/8 | 2002/8/5 | 1997/7/20 | 1997/7/8 | 1999/10/29 | ||||||||
6 | 三谷統一郎 | 1956 - |
68 | 1989/10/13 | 1984/5/20 | 2002/10/3 | 1985/10/3 | 1982/10/17 | 1997/10/8 | ||||||||
6 | 高橋和弘 | 1974 - |
50 | 1996/8/14 | 2002/10/3 | 1997/10/8 | 2003/5/16 | 2001/7/10 | 2001/8/13 | ||||||||
6 | 天野和明 | 1977/2/23 - |
47 | 2002/10/8* | 2006/5/3* | 2003/5/16* | 2001/8/13* | 2001/7/10* | 2006/5/18* | ||||||||
6 | 平出和也 | 1979/5/25 2024/7/27 |
故人 | 2011/5/26 | 2017/5/26 | 2001/9/24* | 2009/7/26 | 2008/7/31 | 2008/7/8 |
* 無酸素登頂
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b 14座制覇王手 看護師の夢「稼ぎつぎこみ」「明日死んでもいいように生きる」偉業は通過点…子どもに夢を『東京新聞』夕刊2023年3月30日1面(同日閲覧)
- ^ 8000ers.com General Info。初登頂の際に酸素ボンベが使用された山はエベレストからマカルーまでの標高上位5座と、マナスル、ガッシャーブルムI峰、シシャパンマ。シシャパンマでは10人の登頂者が少数の酸素ボンベを交代で使った(深田久弥『ヒマラヤ登攀史』)。
- ^ 山野井泰史『垂直の記憶』山と渓谷社、2004年。ISBN 4635140059。
- ^ 塩野米松『初代竹内洋岳に聞く』アートオフィスプリズム、2010年。ISBN 4904659015。
- ^ Winter Climbing | The Bitter Cold and Wind, History, The Calendar Winter and More (Part-2/2) ExplorersWeb(2014年1月20日)
- ^ Geographical facts and first ascents information of the Main 8000ers http://www.8000ers.com/cms/en/8000ers-mainmenu-205.html
- ^ “Stairway to heaven”. The Economist. (May 29, 2013) 2013年5月30日閲覧。
関連項目
[編集]- ギャチュンカン(8000メートル峰14座に次いで15番目に高い山)
- 8000メートル峰で亡くなった登山家一覧