ATS・D6
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カテゴリー | F1 | ||||||||
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コンストラクター | ATS | ||||||||
デザイナー | グスタフ・ブルナー | ||||||||
先代 | ATS・D5 | ||||||||
後継 | ATS・D7 | ||||||||
主要諸元[1] | |||||||||
シャシー | カーボンファイバー製モノコック | ||||||||
エンジン | BMW M12/13, 1,499 cc (91.5 cu in), 直列4気筒, ターボ, ミッドエンジン, 縦置き | ||||||||
トランスミッション | ATS / ヒューランド 5速 MT | ||||||||
重量 | 540 kg (1,190 lb) | ||||||||
燃料 | シェル | ||||||||
タイヤ | グッドイヤー | ||||||||
主要成績 | |||||||||
チーム | チームATS | ||||||||
ドライバー | マンフレッド・ヴィンケルホック | ||||||||
コンストラクターズタイトル | 0 | ||||||||
ドライバーズタイトル | 0 | ||||||||
初戦 | 1983年ブラジルグランプリ | ||||||||
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ATS・D6は、ATSチームが1983年のF1世界選手権用に製作したフォーミュラ1カー。デザイナーはグスタフ・ブルナー。
開発
[編集]ブルナーの手によるカーボンファイバー製モノコックシャシーに、前年までのフォード-コスワース DFVに変えてBMW・M12/13エンジンを搭載した。シーズンを通して3台のシャシーが製作された[2]。D6はF1の歴史で初めてメス型成型のカーボン・コンポジット成型によって製作されており、モノコック表面がそのまま外皮となり、モノコックをカバーするカウルを必要としない構造となっていた[3]。カラーリングの黒の部分はカーボン地肌そのままにされており、これは新しい製造方法をアピールするためでもあった。この設計手法は以後、ブルナーが移籍するフェラーリをはじめ他チームが模倣し、F1界でのスタンダードとなる発明であった[4]。
レース戦績
[編集]前年までの2台体制に変わって1983年はドイツ人ドライバーのマンフレッド・ヴィンケルホック1台体制で戦うこととなった。ヴィンケルホックは予選では好位置に付けるものの、チームは信頼性に欠ける車に苦しめられた。独善的で悪名高いオーナーのギュンター・シュミットは、チーム運営上の決定を数多く下したが、結果にインパクトを与えることは無かった[2]。
ヴィンケルホックは予選で常にトップ10入りした。予選最上位は7位が3回で、サンマリノ、ベルギー、カナダであった。完走したのは4回のみで、ヨーロッパグランプリでの8位が最高であった[1]。
F1における全成績
[編集]年 | チーム | エンジン | タイヤ | ドライバー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | ポイント | 順位 |
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1983年 | チームATS | BMW M12/13 | G | BRA |
USW |
FRA |
SMR |
MON |
BEL |
DET |
CAN |
GBR |
GER |
AUT |
NED |
ITA |
EUR |
RSA |
0 | NC | |
マンフレッド・ヴィンケルホック | 16 | Ret | Ret | 11 | Ret | Ret | Ret | 9 | Ret | DNQ | Ret | DSQ | Ret | 8 | Ret |
注
[編集]- ^ a b ATS D6 @ StatsF1
- ^ a b Nye, 1985, pp. 164-165
- ^ F1デザイナー グスタフ・ブルナー '88日本グランプリ公式プログラム 85頁 鈴鹿サーキットランド 1988年10月発行
- ^ F1デザイナー列伝 グスタフ・ブルナー F1グランプリ特集 68頁 1996年5月16日発行
参照
[編集]- Nye, Doug (1985). Autocourse History of the Grand Prix Car 1966-1985. Richmond, Surrey, United Kingdom: Hazelton Publishing. ISBN 0905138376