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ATS・D7

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ATS・D7
カテゴリー F1
コンストラクター ATS
デザイナー グスタフ・ブルナー
先代 ATS・D6
主要諸元[1]
シャシー カーボンファイバーモノコック
サスペンション(前) ダブルウィッシュボーン, プルロッド, コイルスプリング
サスペンション(後) ダブルウィッシュボーン, プルロッド, コイルスプリング
エンジン BMW M12/13, 1,499 cc (91.5 cu in), 直列4気筒, ターボ, ミッドエンジン, 縦置き
トランスミッション チームATS / ヒューランド 5速 MT
タイヤ ピレリ
主要成績
チーム チームATS
ドライバー 14. 西ドイツの旗 マンフレッド・ヴィンケルホック
14/31. オーストリアの旗 ゲルハルト・ベルガー
コンストラクターズタイトル 0
ドライバーズタイトル 0
初戦 1984年ブラジルグランプリ
出走優勝ポールFラップ
16000
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ATS・D7は、ATSチームが1984年のF1世界選手権用に製作したフォーミュラ1カー。デザイナーはグスタフ・ブルナー[2]。ATSにとって最後のマシンとなった。

概要

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ATS・D6の改良型として開発し、カーボンファイバーモノコックを採用。エンジンは前年に引き続きBMW M12/13を搭載、ピレリタイヤを装着。ドライバーはマンフレッド・ヴィンケルホックが残留し、第12戦オーストリアグランプリから地元出身のルーキー、ゲルハルト・ベルガーがドライブ。

D7はその強力なBMWターボエンジンのおかげで驚異的なスピードを発揮し、予選では中団グリッドにつく走りを見せるが、マシンの信頼性やチーム内の運営等に問題があり、リタイア数10回を数えた。ベルギーでヴィンケルホックは予選6位に付け、決勝では序盤フェラーリミケーレ・アルボレートルネ・アルヌールノーデレック・ワーウィックに次いで4位を走行したが、39ラップ目に排気系トラブルでリタイアした。次戦のサンマリノでも予選7位から決勝ではポイント圏内の6位を走行したものの、ターボトラブルでリタイアとなった。

ヴィンケルホックは速いが信頼性に欠けるD7で完走したのは2度のみで、カナダダラスでの8位であった。ベルガーの走らせたマシンはヴィンケルホックよりは信頼性が増し、エステルライヒリンクでは12位で完走した。第14戦イタリアグランプリでは6位入賞を果たしたが、開幕時点では1台エントリーとなっていたため、2台目のマシンを走らせていたベルガーにチャンピオンシップポイントは与えられなかった(このケースはオゼッラから参戦していたヨー・ガルトナーも同様)。

ベルガーによるモンツァでの6位にもかかわらず、D7は1984年シーズンにポイントを得ることができなかった。BMWは翌シーズンのATSへのF1エンジン供給を取りやめ、ギュンター・シュミットはチームのシーズン終了後のF1撤退を決定した。

F1における全成績

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(key) (太字ポールポジション

チーム エンジン タイヤ ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 順位 ポイント
1984年 チームATS BMW M12/13 1.5 L4t P BRA
ブラジルの旗
RSA
南アフリカの旗
BEL
ベルギーの旗
SMR
サンマリノの旗
FRA
フランスの旗
MON
モナコの旗
CAN
カナダの旗
DET
アメリカ合衆国の旗
USA
アメリカ合衆国の旗
GBR
イギリスの旗
GER
ドイツの旗
AUT
オーストリアの旗
NED
オランダの旗
ITA
イタリアの旗
EUR
ドイツの旗
POR
ポルトガルの旗
NC 0
マンフレッド・ヴィンケルホック EX Ret Ret Ret Ret Ret 8 Ret 8 Ret Ret DNS Ret DNS
ゲルハルト・ベルガー 12 6 Ret 13

ベルガーの獲得ポイントはチームが1カー登録だったため選手権には無効となった。

参照

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  1. ^ 1984 ATS D7 BMW- Images, Specifications and Information”. Ultimatecarpage.com. 2012年8月8日閲覧。
  2. ^ デザイナー列伝 グスタフ・ブルナー F1グランプリ特集 vol.083 68頁 ソニーマガジンズ 1996年5月16日発行