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OSAMU

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
OSAMU
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1958-06-16) 1958年6月16日
出身地 京都府
死没日 (2012-10-21) 2012年10月21日(54歳没)
死没地 三重県四日市市[1]
全日本GT選手権SUPER GTでの経歴
活動時期 1998年 - 2007年
所属 R.F.Leyjun
過去参加シリーズ
1995年 - 1997年
1997年 - 2000年
2006年
全日本F3選手権
フォーミュラ・ニッポン
全日本スポーツカー耐久選手権

OSAMU(おさむ、本名:中嶋 修(なかじま おさむ)、1958年6月16日 - 2012年10月21日)は、日本のレーシングドライバー京都府出身。

プロフィール

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  • 身長:173cm
  • 体重:68kg
  • 血液型:RH+O型

経歴

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デビュー

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レーシングキャリアは大変長く、1983年にFJ1600鈴鹿シリーズでデビューした。その後、全日本F3選手権を戦うなどしているが、一旦レース活動を休止している。1995年に自らのレーシングチームである「R.F.LeyJun(あーるえふれいじゅん)」を結成し、再びレース活動を開始した。F4や全日本F3選手権への参戦を行った。

「LeyJun」の名前の由来は、自身の妻と一人娘の名前からそれぞれ一字を取って合わせたもので、「レーシングファミリーレイジュン」として中嶋一家がレースを楽しむという意味で名づけられており、レース期間中パドックにおいて一家で楽しんでいる様子が見かけられた。

フォーミュラ・ニッポン

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1997年から2000年まで、日本のモータースポーツにおけるトップカテゴリーであるフォーミュラ・ニッポンへ参戦した。入賞こそなかったが安定した走りで完走を続けたものの、1999年に美祢サーキットミハエル・クルムと生死をさまよう大クラッシュを喫し[2]、2000年にも鈴鹿サーキットヤレック・ヴィエルチュクとクラッシュしたこともあり、体力の限界を感じて2001年はフォーミュラ・ニッポンへの挑戦を断念した。

スーパーGT/スーパー耐久

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同年以降は代わりのカテゴリーとして全日本GT選手権のGT300クラスに参戦することを表明した。その後はGT300クラスとスーパー耐久に挑戦し続ける(2005年はチームオーナーに専念)と同時に、2003年にはGT300で初の3位表彰台を獲得したほか、2006年は全日本スポーツカー耐久選手権にも参戦している。車種はポルシェ・911が最も多かったが、RGSミラージュ、ヴィーマック、モスラーといった希少生産の海外製スーパーカーのステアリングも多数握った。

事故死

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OSAMUの死亡が確認された病院・三重県立総合医療センター(三重県四日市市)

2012年10月21日鈴鹿サーキットで行われたスーパー耐久シリーズ第5戦ST-3クラス(排気量2,001~3,500cc)。11周目35号車のassetテクノZ33がオイルを撒き、後続のOSAMUの乗る63号車リールレーシング&レイジュンZ33は第一コーナーでコントロールを失い防護タイヤに激突。ヘリコプターで四日市市三重県立総合医療センターに緊急搬送されたが脳挫傷により死亡が確認された[1]。満54歳没。

この死亡事故は、スーパー耐久の安全への意識を向上させ、HANSデバイス装着義務化のきっかけとなった。これ以降2023年現在まで、同シリーズの死亡者は出ていない。

レース戦績

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  • 1982年 - 全日本カート選手権A2クラス
  • 1983年 - 鈴鹿FJ1600(シリーズ6位)
  • 1984年 - 鈴鹿FJ1600(シリーズ3位)
  • 1985年
    • 鈴鹿FJ1600(シリーズ6位)
    • 全日本F3選手権(シリーズ9位)
  • 1986年 - 全日本F3選手権(シリーズ19位)
  • 1987年 - 全日本F3選手権(シリーズ21位)
  • 1994年 - 全日本カート選手権FSAクラス
  • 1995年
  • 1996年
    • 全日本GT選手権・GT500クラス<Rd.6>(プローバ モータースポーツ/プローバ 993GT-2 3.8)
    • MINE F4シリーズ
    • 全日本F3選手権・Jクラス
  • 1997年
    • 全日本F3選手権
    • 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン<Rd.6-10>(TEAM LEYJUN/レイナード96D MF308)
  • 1998年
    • 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(TEAM LEYJUN/レイナード95D・97D MF308)
    • 全日本GT選手権・GT300クラス<Rd.6>(コブラレーシングチーム/コブラポルシェ)(シリーズ33位)
  • 1999年 - 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン<Rd.1-3>(TEAM LEYJUN/レイナード99L MF308)
  • 2000年 - 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(TEAM LEYJUN/レイナード99L MF308)
  • 2001年 - 全日本GT選手権・GT300クラス(アールアンドデースポーツ/レイジュンR&DダンロップGT3R)(シリーズ12位)
  • 2002年 - 全日本GT選手権・GT300クラス(アールアンドデースポーツ/レイジュンR&DダンロップGT3R)(シリーズ18位)
  • 2003年 - 全日本GT選手権・GT300クラス(TEAM LEYJUN/レイジュン・ダンロップ GT-1)
  • 2004年 - 全日本GT選手権・GT300クラス(TEAM LEYJUN/LEYJUNダンロップ320R)(シリーズ12位)
  • 2006年
    • SUPER GT・GT300クラス(A&S RACING #9/NOMAD ADVAN LeyJun MT)(シリーズ34位)
    • 全日本スポーツカー耐久選手権LMGT1クラス(シリーズ2位)
  • 2007年 - SUPER GT・GT300クラス<Rd.1-3,6,9>(A&S RACING #9/ LEYJUN DUNLOP MT900)

全日本F3000選手権/フォーミュラ・ニッポン

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チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 順位 ポイント
1995年 CERUMO Co. Ltd SUZ FSW MIN SUZ SUG FSW TOK FSW SUZ
Ret
NC 0
1997年 TEAM LEYJUN SUZ MIN FSW SUZ SUG FSW
15
MIN
16
TRM
16
FSW
Ret
SUZ
16
NC 0
1998年 SUZ
13
MIN FSW TRM
Ret
SUZ
Ret
SUG
13
FSW
C
MIN
9
FSW
Ret
SUZ
18
NC 0
1999年 SUZ
Ret
TRM
14
MIN
Ret
FSW SUZ SUG FSW MIN TRM SUZ NC 0
2000年 SUZ
10
TRM
Ret
MIN
11
FSW
14
SUZ
Ret
SUG TRM
14
FSW
14
MIN
15
SUZ
13
NC 0

全日本GT選手権/SUPER GT

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チーム 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 順位 ポイント
1996年 プローバ モータースポーツ ポルシェ・911 GT2 GT500 SUZ FSW SEN FSW SUG MIN
Ret
NC 0
1998年 コブラレーシングチーム ポルシェ・911 GT300 SUZ FSW SEN FSW TRM MIN
10
SUG 33位 1
2001年 アールアンドデースポーツ ポルシェ・911 GT3R GT300 TAI
9
FSW
8
SUG
6
FSW
17
TRM
17
SUZ
5
MIN
7
12位 23
2002年 GT300 TAI
17
FSW
Ret
SUG
3
SEP
15
FSW
17
TRM
13
MIN
10
SUZ
Ret
18位 13
2003年 TEAM LEYJUN ミラージュ・GT-1 GT300 TAI
Ret
FSW
Ret
SUG
DNQ
FSW
25
TRM
DNR
AUT NC 0
ポルシェ・911 GT3R FSW
14
ヴィーマック・RD320R SUZ
Ret
2004年 GT300 TAI
6
SUG
6
SEP
14
TOK
22
TRM
19
AUT
17
SUZ
16
12位 16
2006年 A&S RACING モスラー・MT900R GT300 SUZ
13
OKA
20
FSW
Ret
SEP SUG
13
SUZ
13
TRM
22
AUT
17
FSW
Ret
34位 3
2007年 GT300 SUZ
Ret
OKA
23
FSW
Ret
SEP SUG SUZ
18
TRM AUT FSW
23
NC 0

脚注・出典

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  1. ^ a b S耐鈴鹿で事故のOSAMU、搬送先の病院で亡くなる”. オートスポーツweb. 三栄書房 (2012年10月21日). 2014年12月10日閲覧。
  2. ^ 中嶋選手の大激突顛末記[リンク切れ]

関連項目

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外部リンク

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