リチャード・カーペンター
リチャード・カーペンター | |
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ホワイトハウスにて(1972年) | |
基本情報 | |
出生名 | リチャード・リン・カーペンター(Richard Lynn Carpenter) |
生誕 |
1946年10月15日(78歳) アメリカ合衆国コネチカット州ニューヘイヴン |
出身地 | アメリカ合衆国カリフォルニア州 |
学歴 | カリフォルニア州立大学ロングビーチ校 |
ジャンル | ポップス |
職業 | 作曲家、編曲家、ピアニスト |
担当楽器 | ピアノ |
レーベル | A&Mレコード |
共同作業者 |
カレン・カーペンター ジョン・ベティス |
リチャード・カーペンター(Richard Carpenter、1946年10月15日 - )は、アメリカ合衆国の作曲家・編曲家・ピアニスト。妹のカレン・カーペンターとカーペンターズを結成していたことで知られる[1]。
人物・来歴
[編集]生い立ち
[編集]アメリカ合衆国コネチカット州ニューヘイブンで生まれたリチャードは、父親がレコード収集を趣味としていたため早くから音楽に興味を抱いていた。12歳でダウニーに転居、教会のオルガン奏者のアルバイトや、音楽バンドの奏者を経験。ダウニー高校時代は、マーチングバンド部の一員として活動していた。その後カリフォルニア州立大学ロングビーチ校に進学し、コーラス隊に入ったことでジョン・ベティス(後にカーペンターズの作詞家となる)と出会う。
ピアノに関しては、ニューヘイブンにいた頃からその才能を開花させていた。16歳の頃から年齢を誤魔化して度々ナイトクラブで演奏していたという。
カリフォルニア州に移ると、妹カレンとカーペンターズを結成して様々な場所で演奏を行った。その一方で、プロデビューを目指してデモテープを各所に売り込んでいたが、最初はことごとく断られていた。しかし、挫折を経てついにA&Mレコードと契約を結ぶことができた。
カーペンターズ
[編集]1969年10月9日、デビューアルバム『オファリング』(原題:Offering)(後に『涙の乗車券』(同:Ticket to Ride)に改題)を発表した。このアルバムの売り上げは散々なものだったが、シングル『遥かなる影』(同:Close to you)を発表すると、瞬く間にスターダムを駆け上がり不動の地位を築いた。
活動初期においてはリチャードがリードヴォーカルを担当することもあったが、やがてカレンの歌声に対する世間の評価を知ると、演奏に関してはバックコーラスと鍵盤楽器へと活動の中心を移してゆくことになる。作曲・編曲・製作をリチャード、作詞をジョン・ベティスが担い、完成した曲をロン・ゴローが楽譜にし、カレンのリードヴォーカルで演奏する形態へと移っていった。
リチャードは、ファースト・アルバムの『オファーリング』(後に『涙の乗車券』に改題)とセカンド・アルバムの『遥かなる影』、カレンの死後発表したアルバム『タイム』(同:Time)などでリードボーカルを担当する曲が数曲ある。
また、リチャードのアレンジ能力は高く、カーペンターズの日本語訳詞を行った小倉悠加はCDのライナーノーツで「(カバーした曲を)カーペンターズ風に料理するのが上手い」と評している。グラミー賞の最優秀アレンジメント賞には計6度ノミネートされている。
ウィリッツアピアノとして有名なウィリッツア社のエレクトリックピアノ「Wurlitzer 200A」の代表的なユーザーでレコーディングで多用したり、テレビ出演時に弾いている姿が見受けられる。なお、同機は「ローズ・ピアノ (Rhodes Piano)」と並ぶエレクトリックピアノの名機で、ヴィンテージキーボード市場では現在も高額な値が付けられている。
その後
[編集]- 現在は家族と共にロサンゼルス郊外に在住。精力的に音楽活動を続けている。
- 1997年3月9日、日本武道館でフル・オーケストラ、デビュー時からのスタジオミュージシャン、ジョー・オズボーンを迎えて来日公演を行った[1][2]。
- 2003年末には、カレンの遺骨をカリフォルニア州サイプレスのフォレスト・ローン記念公園から、自宅に近い場所となる同州ウェストレイク・ビレッジのピアース・ブラザーズ・ヴァリー・オークス記念公園に改葬している。
- 2018年12月12日『カーペンターズ・ウィズ・ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団』の発売記念で来日し、インタビュー、イベントが行われた[3][4]。
- 2023年3月〜4月に来日ライブツアーで計10公演が行われた[5]。
ディスコグラフィ
[編集]- 1987年 『タイム』(原題: Time)
- 1997年 『新たなる輝き~イエスタデイ・ワンス・モア』(原題: Pianist, Arranger, Composer, Conductor)
- 2021年 『Richard Carpenter’s Piano Songbook』[1]
著書
[編集]- イエスタデイ・ワンス・モア: カーペンターズ全業績 Carpenter The Music Legacy リチャード・カーペンター(Richard Carpenter) (著), マイク・シドーニ・レノックス(Mike Cidoni Lennox) (著, 翻訳), クリス・メイ(Chris May) (著), 森田義信 (翻訳) 晶文社 (2024年1月12日) ISBN 9784794973962
関連人物
[編集]- カレン・カーペンター - 妹。彼女の天性の声によりリチャードはカーペンターズを結成。
- ジョン・ベティス - 大学時代からの親友で、カーペンターズの楽曲の大半の作詞を担当。
- アルバート・ハモンド - 楽曲提供を受けたことがある。
- ポール・ウィリアムス - 作詞家、ロジャー・ニコルズと合作の楽曲提供を受ける。
- ロジャー・ニコルズ - 作曲家。
- ジョー・オズボーン - 最初にリチャードとカレンの才能を見いだした、著名なベーシストでスタジオミュージシャン。
- ハル・ブレイン - ドラマー。初期のカーペンターズのアルバムに参加。
- レス・ポール - ギタリスト、発明家。彼の多重録音がカーペンターズサウンドに多大なる影響を与えた。リチャードはレス・ポール&メリー・フォードを、ポップデュオとしての在り方の手本とした。
- ハーブ・アルパート - 当時のA&Mのオーナーでトランペット演奏家。リチャードとカレンの才能を見抜きメジャーデビューさせた。
- バート・バカラック - 作曲家。カーペンターズの音楽性に強い影響を与えた。
- トニー・ペルーソ - ギタリスト。リチャードの要請で、愛にさよならをからカーペンターズのリードギターを務めた。コンサートではオルガンを演奏することもあった。
脚注
[編集]- ^ a b c umgokubar (2021年10月25日). “リチャード・カーペンターに聞く、キャリア初のソロ・ピアノ・アルバム『Piano Songbook』の全貌”. uDiscoverMusic | 洋楽についての音楽サイト. 2024年9月28日閲覧。
- ^ “渡辺 格~Life In The Slow Lane~ : カレン・カーペンター没後30年。”. blog.livedoor.jp. 2024年9月28日閲覧。
- ^ Inc, Natasha. “「カーペンターズ・ウィズ・ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団」特集 リチャード・カーペンター×西寺郷太(NONA REEVES)|Carpentersが今もなお愛され続ける理由 - 音楽ナタリー 特集・インタビュー”. 音楽ナタリー. 2024年9月28日閲覧。
- ^ “リチャード・カーペンター、ニュー・アルバム発売記念イベントで日本のファンに御礼”. ototoy.jp. 2024年9月28日閲覧。
- ^ “ビルボードジャパン×ビルボードライブ企画 観覧者から募集したリチャード・カーペンターのライブレポートを公開 | Daily News”. Billboard JAPAN. 2024年9月28日閲覧。
関連項目
[編集]- カーペンターズ - 妹と組んだポップデュオ。