- 事象の説明を書く。
- 記事の引用は変更してはいけない。
- 検証したら年号と月日、検証に使った資料を書く。
- 明治5年までは、記入する年号と月日は旧暦とする。なお、改元年は、参照した資料に応じて旧元号でも新元号でも可。
- 月日を特定できる場合のみ、西暦も可。その場合「(西暦)」と注記する (特にユリウス暦の場合は「(ユリウス暦)」と注記する)。
- その他の和暦または西暦の日付がわかるときは、同様に記入してよい。
- 1873年 (西暦) 以降は、記入する年号と月日は西暦 (グレゴリオ暦) とする。
- 年や日付に異説がある場合、両方を記入する (どちらかを除去することはしない)。
- 見出しの年号や月日は記事に書いてあったものなので、正しいとはかぎらない。
以下の資料は略記する。ページ番号は不要。
- 新国史
- 『新・国史大年表』第6巻 一八五三〜一八九五、日置英剛編、国書刊行会、2006年、初版。
- 百姓一揆年表
- 青木虹二「百姓一揆年表」・「都市騒擾年表」・「村方騒動年表」・「増訂百姓一揆年表」『百姓一揆の年次的研究』大原新生社〈日本史学研究双書〉、1974年、4刷。
- 3刷以前は刷数とページ番号を明記 (1967年2刷の追補巻の場合はそれも明記) すること。なお4刷は追補を合本し、初刷以降の正誤表を載せている。
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- 河瀬神社 (彦根市) - 1864年(元治元年)に神殿を譲り受け移築。
- 賀茂別雷神社 2010-09-27T12:51:08Z
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- ドルドレヒトで作業が開始されて1年半ほど経過した1864年(元治元年)、艦体の竜骨が組みあがり、第一段階の作業が終了した。
- 開陽丸 2010-11-09T12:21:28Z
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- 1864年(元治元年)〔…〕、大暴風のため空乗寺本堂が倒壊した。
- 空乗寺 2010-06-08T12:11:40Z
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- 1864年(元治元年)、父の隠居により家督相続し大館城代となる。
- 佐竹義遵 2010-04-04T22:54:26Z
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- その後、錦小路頼徳は1864年(元治元年)に病没、澤宣嘉は生野の変で挙兵したのちに脱出して長州に潜伏、残る五卿は第一次長州征伐の後に筑前国太宰府(現・福岡県太宰府市)に移された。
- 七卿落ち 2010-09-14T06:28:11Z
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- 〔…〕1864年(元治元年)
- 駿府城 2010-11-17T11:06:02Z
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- 本多正訥 1864年(元治元年)〔…〕
- 駿府城 2010-11-17T11:06:02Z
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- 中津藩の藩校・進脩館(しんしゅうかん) で漢学を修め、教頭となるが1864年(元治元年)、福澤諭吉の勧めで江戸に出る。
- 小幡篤次郎 2010-07-20T13:44:54Z
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- 〔 (<ref>中)〕1864年(元治元年)の第一次長州征討の罰則により称松平を禁じられた</ref>
- 松平氏 2010-10-11T01:34:47Z
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- 1864年(元治元年)には福岡藩工であった。
- 信国平助義直 2010-08-23T13:30:22Z
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- 1864年(元治元年)、土佐国安芸郡穴内村(現在の安芸市)に生まれた。
- 仙頭武央 2010-07-09T17:46:46Z
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- 1864年(元治元年) - 陳情書を老中稲葉正邦に提出
- 大山庄太夫 2010-09-28T05:54:18Z
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- 〔…〕、〔…〕、〔…〕、〔…〕1864年(元治元年)には文久の修陵の一環として前方部正面に拝所を造成している。
- 大仙陵古墳 2010-11-04T08:58:14Z
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- このとき大沢護忠から鑑定を依頼された人物の一人である国文学者の池邊義象(1864年(元治元年) - 1923年(大正12年))は、自身が源氏物語の本
- 大沢本源氏物語 2010-11-05T19:34:51Z
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- 1864年(元治元年)には初の観艦式が行われる。
- 大日本帝国海軍 2010-11-05T08:52:48Z
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- 元は1864年(元治元年)にイギリス・グラスゴーで竣工したイギリスの鉄製汽船DANBERTON。
- 長鯨丸 2010-04-28T17:23:06Z
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- 辻は当初軍人志望であり、西洋兵学を実戦で試す絶好の機会として1864年(元治元年)、藩に無断で幕府の武田耕雲齋討伐軍に加わったが、藩に呼び戻されて譴責を受けた。
- 辻新次 2010-11-13T02:59:57Z
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- 田口 米作(たぐち べいさく1864年(元治元年)〔…〕、版画家、浮世絵師。
- 田口米作 2010-11-17T02:45:28Z
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- 〔…〕、同党が八月十八日の政変を契機として弾圧されるや謹慎処分となり、翌1864年(元治元年)年には同志を集めて脱藩。
- 田中光顕 2010-11-13T12:25:06Z
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- 以下の図は1864年(元治元年)に作成された広瀬家所蔵の豆田町絵図を基にして製作されている。
- 豆田町 2010-10-11T11:25:23Z
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- 1864年(元治元年) - 新徴組取扱役 就任
- 白井重遠 2010-04-25T17:41:46Z
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- 翌1864年(元治元年)、藩が西洋式兵制を採用したことにより、西洋式砲術の高島流とオランダ式・イギリス式兵学を学び、1868年(慶応4年)、高島流砲術の免許を授かる。
- 美田村顕教 2009-11-11T16:41:41Z
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- 〔…〕1864年(元治元年)〔…〕
- 伏木曳山祭 2010-08-09T16:08:16Z
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- 〔…〕1864年(元治元年)には外国奉行支配翻訳御用頭取となり、福沢諭吉・福地源一郎らとともに、英文外交文書の翻訳に従事した。
- 箕作麟祥 2010-10-20T10:09:07Z
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- ただし、永年の居住は表向きなお禁じられており、季節の出稼ぎが主だったようであるが、18世紀の末頃から江戸幕府が蝦夷地を上知し天領とすると、次第に拡大し、〔…〕、現八雲町)1864年(元治元年)には同長万部(おしゃまんべ、現長万部町)など、後の胆振国山越郡にあたる地域に広がり、〔…〕、現小樽市)に達した。
- 和人地 2010-08-27T23:37:07Z
- 鹿児島藩、西郷吉之助 (西郷隆盛) の赦免を決定。
- 〔…〕1864年(元治元年))、島津久光に疎まれた西郷隆盛が流されて1年7ヶ月滞在した。
- 沖永良部島 2010-11-06T07:35:43Z
→文久4年/元治元年2月28日も参照
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- 1864年(元治元年)1月11日 - 何者かに寝込みを襲われて殺害される。
- 卍凱 2010-09-28T05:31:09Z
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- 1864年(元治元年)2月24日、従四位上に昇叙し、左近衛権少将に転任。
- 池田茂政 2010-11-12T22:08:56Z
- 沖永良部島を発った西郷吉之助 (西郷隆盛)、鹿児島に着く。
- 〔…〕1864年(元治元年))、島津久光に疎まれた西郷隆盛が流されて1年7ヶ月滞在した。
- 沖永良部島 2010-11-06T07:35:43Z
→文久4年1月も参照
- 水戸藩士の尊皇攘夷派藤田小四郎ら、「天狗党」を称して筑波山で挙兵。天狗党の乱が勃発。
- 1864年(元治元年)、遂に天狗党が筑波山で挙兵し天狗党の乱が起こった。
- 水戸城 2010-11-12T22:54:31Z
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- 1864年(元治元年) - 4月、徳川慶喜の侍医となる。
- 柏原孝章 2010-02-07T06:17:52Z
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- 1864年(元治元年)4月、左近衛権少将に転任。
- 蜂須賀茂韶 2010-10-30T05:37:09Z
- 村上英俊、『仏語明要』を刊行。日本初の仏和辞書。
- 村上は独学でフランス語を学び、〔…〕、後に蕃書調所に出仕して『仏語明要』(1864年(元治元年))を編纂した他、中江兆民・林忠正などを育てた。
- フランス学 2010-06-20T14:01:56Z
- 文久4年/元治元年 / 新国史
- 元治元年5月中旬 / 村上英俊「自序」『仏語明要』巻之一、江戸:達理堂、元治元年、3丁ウラ (左開き)。
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- 渡辺 祐策(わたなべ すけさく1864年(元治元年)〔…〕、日本の実業家、政治家(立憲政友会)。
- 渡辺祐策 2010-09-24T16:59:29Z
- 箱館奉行所の五稜郭、完成。
- 1864年(元治元年) 業務開始。
- 五稜郭 2010-10-28T11:44:33Z
- 朝廷、徳川慶喜 (禁裏守衛総督) に萩藩追討を命じる。
- 〔 (<ref>中)〕1864年(元治元年)の第一次長州征討の罰則により称松平を禁じられた</ref>
- 松平氏 2010-10-11T01:34:47Z
→元治元年8月2日も参照
- 萩藩追討のための将軍進発を布告。第一次長州征討の開始。
- 〔 (<ref>中)〕1864年(元治元年)の第一次長州征討の罰則により称松平を禁じられた</ref>
- 松平氏 2010-10-11T01:34:47Z
→元治元年7月23日も参照
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- 1864年(元治元年)9月 - 長州征伐に付き越中伏木浦より石州浜田廻米輸送後、京都詰所御用右に付兵士、仰渡
- 高橋荘兵衛 2010-11-10T17:36:00Z
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- 徳島藩の抱え力士として出発したが、途中で一時期松江藩の抱え力士となり1864年(元治元年)10月以降は薩摩藩の抱え力士となった。
- 陣幕久五郎 2010-11-13T12:07:26Z
- 対馬藩側用人勝井五八郎 (勝井員周)、尊皇攘夷派藩士への弾圧を開始。勝井騒動。
- 1864年(元治元年):甲子の変(勝井騒動)。
- 対馬府中藩 2010-06-06T12:32:55Z
→慶応元年5月3日も参照
→慶応元年11月11日も参照
- 長崎大浦山に天主堂が完成 (大浦天主堂を参照)。
- 鎖国解消に伴う長崎開港で、欧米人が長崎港の南の東山手・南山手に居住区を作り、その一角に1864年(元治元年)に大浦天主堂が造られた。
- 浦上教会 2010-11-06T07:44:23Z
- 元治元年12月29日 (暦法不詳) / 太田静六『長崎の天主堂と九州・山口の西洋館』理工図書、1982年。p. 136。「完成」
- 元治2年1月 / 浦川和三郎『浦上切支丹史』全国書房、1945年。pp. 48f。「竣工」
→1865年2月19日も参照
- 長崎大浦山の天主堂、献堂式。「日本二十六聖殉教者堂」と名づけられる (通称「大浦天主堂」)。
- 鎖国解消に伴う長崎開港で、欧米人が長崎港の南の東山手・南山手に居住区を作り、その一角に1864年(元治元年)に大浦天主堂が造られた。
- 浦上教会 2010-11-06T07:44:23Z
- 元治2年1月24日 / 新国史
- 1865年2月19日 / 浦川和三郎『浦上切支丹史』全国書房、1945年。pp. 48f。「六旬節の主日」
→元治2年1月も参照
- 対馬藩、家老平田大江を斬殺 (勝井騒動を参照)。
- 1864年(元治元年):甲子の変(勝井騒動)。
- 対馬府中藩 2010-06-06T12:32:55Z
- 慶応元年11月11日 / 新国史 (『平田大江父子伝』による)
- 慶応元年11月11日 / 『平田大江父子伝』岡崎茂三郎編、1896年。pp. 141f。
→元治元年10月13日も参照
→慶応元年5月3日も参照