Wikipedia‐ノート:ウィキペディアは何ではないか/過去ログ4
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「検証可能性を満たしている批評は歓迎される」
[編集]翻訳元の英語版にこのような記述は見当たらないので恐らく独断による追加と思われますが、前後の項と矛盾してる上百科事典に批評を載せるというのは誤りの気がしますがどうでしょうか。--125.197.134.94 2008年2月19日 (火) 06:11 (UTC)
- 日本語版の最初期の版から「作品についての批評的な分析が、検証可能性を満たした上で適切な観察に基づいている場合には歓迎される」に該当する類似文が存在しているようですが(--率直な観察に基づく、芸術についての批評的な分析は歓迎されています [1])コレはあきらかに独自研究による評論を許容している表現になっておりおかしな文面になっていますね。「検証可能性を満たした適切な観察」という表現はおかしい。この文脈によれば「観察」とはWikipedia編集者による「独自の観察」を意味しており「検証可能性ある資料を独自に観察して投稿することは歓迎される」と表現してしまっている。該当箇所を『作品についての批評的な分析は、検証可能性を満たした適切な引用に基づいて整理されている場合にのみ歓迎されます』に差し替えることを提案します。--125.205.189.66 2008年2月24日 (日) 07:41 (UTC)
それは5年前の英語版のものですがその版に執着する意味はあるのですか。今の英語版は全く違いますが--122.134.147.145 2008年2月27日 (水) 21:07 (UTC)
- 該当箇所は削除で結構だと思います。--125.205.189.66 2008年2月28日 (木) 01:09 (UTC)
改名提案
[編集]現在のページ名「Wikipedia:ウィキペディアは何でないか」では、初めてページの存在を知る人にとっては、「ウィキペディアは何で存在しないのか」という意味に捉えてしまうかもしれません(私もそうでした)。また、日本語で「○○は何で(は)ないか」という言い回しをすることは普通ないと思います。そのため、「Wikipedia:ウィキペディアはこのようなものではない」もしくはより適切な名前への改名を提案します。--新幹線 2008年3月11日 (火) 11:01 (UTC)
- 改名案も微妙であると思います...122.134.204.213 2008年3月16日 (日) 01:48 (UTC)
- 私自身も、もっと良いページ名がないかなと考えているところです。よろしければページ名の案を出していただけないでしょうか。--新幹線 2008年3月16日 (日) 06:14 (UTC)
- 変える必要はないと思いますが、強いて言い換えるなら「これはウィキペディアではありません」あたりでしょうか。しかしこれも誤解がないとは言いがたく、(嫌な言い方に聞こえたら申し訳ないけど)辞典を編集しようと思うのであれば、これくらいのページ名は内容を読んで意味を判断できるようでなければ困ります。--Mt.Stone 2008年3月16日 (日) 06:25 (UTC)
- 百科事典を編集しようと思うのであれば、内容を読んで意味を判断できるようなページ名をつけられるようでなければ困ります?本文で言い換えているぐらいであるから「ウィキペディアはこのようなものではない」に賛成。自分の案は「ウィキペディアではないもの」。—以上の署名の無いコメントは、219.101.212.99(会話/whois)さんが[2008年3月17日 (月) 02:40 (UTC)]に投稿したものです(新幹線による付記)。
- 内容の方も変更を検討した方がいいかもしれませんね。現在のベースは約3年前の英語版ですし。--Web comic 2008年3月16日 (日) 09:12 (UTC)
- 一番わかりやすいのは各節のフレーズそのままに「ウィキペディアは××(もしくは○○)ではありません」だと思いますがいかがでしょうか?--モトカル 2008年3月16日 (日) 09:34 (UTC)
- 「WIkipediaとは何でないか」というのはいかがでしょうか。--M-lab 2008年3月16日 (日) 14:13 (UTC)
- 一番わかりやすいのは各節のフレーズそのままに「ウィキペディアは××(もしくは○○)ではありません」だと思いますがいかがでしょうか?--モトカル 2008年3月16日 (日) 09:34 (UTC)
変えるとしたら「何でないか」ぐらいですね。趣旨からすると「ウィキペディアとは何か」。johncapistrano 2008年3月21日 (金) 14:52 (UTC)
- 私はjohncapistranoさんの「ウィキペディアとは何か」が結構好きです。百科事典と断った上で「だから、○○ではない」とするのがしっくりとくるのではないかと思います。--Baldanders 2008年3月25日 (火) 16:16 (UTC)
「ウィキペディアとは何か」に賛成します。宝塚ファミリーランド 2008年3月27日 (木) 23:47 (UTC)
- 「ウィキペディアは何ではないか」「~で+は+ない」かなぁ--隠者 2008年3月28日 (金) 02:10 (UTC)
- 「何がウィキペディアであり何がウィキペディアでないか」でしょうか。これだとページ名が長すぎるか…--Ttkkss 2008年3月28日 (金) 15:58 (UTC)
私は基本的にこのままでよいと思います。いくつか思うところがあります。
- 否定形を使うほうがよい
はじめから少し脱線しますが許してください。通常何かを(例えばAとしましょう)定義するときは「〜がAである」と述べた上で、場合によって「〜はAではない」と補足します。それは「アルファベットの先頭文字がAである」というほうが、「アルファベットの末尾文字はAではない」というよりも手っ取り早いからですよね。ただそこを少しつっこんで考えてみると、肯定文のほうはアルファベット26文字のうちAがただ1文字に決まりますが、否定文のほうは26文字のうちの25文字の可能性が残ります。つまり否定形のほうがより(未定義領域の)可能性を残す、ということなんですね。
そのうえで、自分の書いた内容に他人がどんどん追加・編集をしていくというWikipediaの性格を考えると、ガッチリと定義を固めて可能性を狭めてしまうよりも、ゆるやかなガイドラインを張っておくのが適しています。そういう意味で「Wikipediaをあんまりこういうものにはしないでほしいなぁ」を記載する場としてこの記事があるのだと思います。
- 日本語としての問題は些少
新幹線さんも仰るとおり、なかなか使わない言い回しだとは思います。ですが理由を問う「何で(なんで)」という表現はとてもくだけた口語表現なので、それがガイド記事名に使用されていると捉えてしまう可能性は低いのではないでしょうか。
- 項目名との対比ができている
今の記事名「ウィキペディアは何でないか」と、項目名「ウィキペディアは〜ではありません」とが対になっており、その点からも巧い記事名であると考えます。
- 極めて主観的な意見・蛇足
これは好みの問題なのですが、「ウィキペディアは何でないか」という見慣れない表現にWikipediaらしさを感じて面白いと思います。(それに興味を引かれてやってきた私です)
--Leapaki 2008年3月30日 (日) 02:53 (UTC)
"ウィキペディアは何ではないか"にしてはどうでしょう。これなら、"ウィキペディアは何故ないか"とも捉えられず、ウィキペディアらしさも損なわれず、誤解も少ないでしょう。--Pruqsa 2008年4月2日 (水) 03:14 (UTC)
- Wikipedia:ウィキペディアはこのようなものではない
- Wikipedia:これはウィキペディアではありません
- Wikipedia:ウィキペディアではないもの
- Wikipedia:ウィキペディアは××ではありません(ウィキペディアは○○ではありません)
- Wikipedia:何でないか
- Wikipedia:ウィキペディアとは何か
- Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか
- Wikipedia:何がウィキペディアであり何がウィキペディアでないか
- 改名に反対
これまでの改名案とそもそも反対という選択肢を加えて一覧にしてみました。判断の一助になればと思います。また、ミスなどありましたら訂正ください。--Baldanders 2008年4月2日 (水) 05:24 (UTC)
「このような」や「これ」などの指示語は、何を指しているか分からないので良くないでしょう。否定的に定義するべきだと思うので、「ウィキペディアとは何ではないか」、「ウィキペディアでないもの」、「ウィキペディアと違うもの」などを推します。 - TAKASUGI Shinji (会話) 2008年4月8日 (火) 10:48 (UTC)
以前は各見出しのタイトルが「~と違うもの」でしたので、「ウィキペディアと違うもの」というのはいいかもしれません。--新幹線 2008年4月8日 (火) 11:03 (UTC)
「ウィキペディアは何以外のものであるのか」「ウィキペディアは何でないか」(現状維持)などがよろしいと思います。(過去に提案のあった、「何で」「ないか」の間に「は(わ)」を入れても問題ないと思います。--非国民 2008年4月9日 (水) 13:59 (UTC)
- 上記に追記します。「ウィキペディアはどういったものではないのか」案を提出します。--非国民 2008年4月10日 (木) 10:42 (UTC)
- 否定形は維持すべき
- 非存在を想起させる文体は変えられれば変えた方が良い
- 指示語使用は避けた方が良い
- 以上三点から、Baldandersさんのまとめによる7番目案に賛成し、4番目案を次点とします。--Kliment A.K. 2008年4月10日 (木) 10:49 (UTC)
現在のページ名「Wikipedia:ウィキペディアは何でないか」と、「ウィキペディアとは何ではないか」との差は改名をするほど大きくはないと思います。しかしながら解説中の具体例は、「ウィキペディアは○○ではありません」とあるので、言葉の響き的には「ウィキペディアとは何ではないか」を推したいところです。ウィキペディアの望ましくない姿を、「××ではありません」と否定形で列挙するスタイルをとっていることから、肯定形のページ名は避けたほうがいいと思いますがどうでしょう? --Licsak 2008年4月30日 (水) 18:01 (UTC)
いろいろなご意見が出ておりますが、今後どのようにすべきでしょうか?案も複数あり、1つの案に合意形成…というのは至難の業かとも思いますので、全体的に告知を行って投票といった感じになるのでしょうか?--Baldanders 2008年5月1日 (木) 16:21 (UTC)
仮に投票をされるんでしたら、選択肢に、
- 「ウィキペディアとしてふさわしくないもの」
も入れておいていただければと思います。 指示語は含まれませんし、日本語として素直ではあると思います。
個人的には、現在の表現もウィキペディアらしいと言いますか少しクセのある感じで、そんなに悪くはないと思いますが。--Tossie 2008年5月1日 (木) 18:09 (UTC)
一部の方のclosedなコミュニティを目指すならともかく、openであることを基本原則とするなら「~でない」という言い方はふさわしくないでしょう。事実これまでclosedな方々はnew comerや見解の異なる方に対して「演説」だの「独自研究」だの言って無用な争いの種をまいてきました。名前もそうですが、特定の単語に否定的意味合いをつけて誹謗の道具にするのはやめるべきかと。単純に、「ウィキペディアに書いてはいけないこと」で十分でしょう。--Aupen 2008年5月29日 (木) 17:34 (UTC)
はやく投票はじめて下さい。
ぼくは、新幹線さんの「ウィキペディアはこのようなものではない」に賛成です。
ほそい 20ねん6がつ21にち--以上の署名のないコメントは、220.106.79.248(会話/Whois)さんが 2008年6月21日 (土) 14:34 (UTC) に投稿したものです。
私が取り仕切っていいのかどうかが分からないのですが、とりあえず、あと1週間ほどおいて全会一致を見ることがなければ、Template‐ノート:SpoilerH/投票を叩き台にして、投票を行いたいと思います。時間はかかりますが、緊急性もないですしこの程度でいいかとも思いますし、一応、1週間のうちに投票に向けた草案を整備といった感じにしたいとは思います。--Baldanders 2008年6月21日 (土) 14:51 (UTC)
投票の準備
[編集]Wikipedia‐ノート:ウィキペディアは何でないか/投票を作ってみました。草案→転記とすると面倒ですので、実際の投票所で叩いていきたいと思います。一応、投票期間は2週間程度ですが、実際の開始等については白紙としています。そこで、
- 告知 - 6月28日 (土) から投票開始まで
- 投票 - 7月5日 (土) 0:00 (JST) から 7月19日 (土) 0:00 (JST) まで
- 集計 - 7月20日 (日)
- 投票(決選投票用予備日)告知 - 7月20日 (日) から投票開始まで
- 投票(決選投票用予備日)- 7月23日 (水) 0:00 (JST) から 7月30日 (水) 0:00 (JST) まで
- 投票(決選投票用予備)集計 - 7月31日 (木)
とりあえず、こんな感じでいかがでしょう。そもそも2週間が適切かどうかは分かりませんが…。そういった所を含めまして、ご意見をお願い致します。ご意見がいただけませんと、ホントに私だけの取り仕切りでスタートしてしまいますので、できる限りお願い致します…。--Baldanders 2008年6月25日 (水) 14:21 (UTC)
- こんにちは。コメント依頼とコミュニティポータルとお知らせあたりで告知をしてもらえないだろうか。--Ks aka 98 2008年6月30日 (月) 09:58 (UTC)
- のばしのばしにしてたら、いつの間にか月曜日でしたね。一応、昼間にも書こうかどうかをしてたのですが、いずれにせよ、このまま開始してもいいのかどうか微妙ですので、一旦凍結した上で、投票準備としてコメント依頼等で投票方法などは問題ないかの確認と、お知らせなどで準備にあるということを告知を行っていきたいと思います。しかしながら…こういうのって疲れますねぇ…ふと、なんで私がやってるんだろうという気持に襲われてしまいます…。--Baldanders 2008年6月30日 (月) 10:42 (UTC)
- Baldandersの案でよいかと思います。投票の期間についても、一般的だと思われる2週間程度が適当でしょう。なお、Wikipedia:投票/リストにも告知しておきました。--新幹線 2008年6月30日 (月) 11:33 (UTC)
- なかなかフランクな方だったのですね…。賛同意見ありがとうございます。--Baldanders 2008年6月30日 (月) 17:27 (UTC)
- Baldandersの案でよいかと思います。投票の期間についても、一般的だと思われる2週間程度が適当でしょう。なお、Wikipedia:投票/リストにも告知しておきました。--新幹線 2008年6月30日 (月) 11:33 (UTC)
- 私は残念ながら投票権がなさそうなのですが、投票資格の2.はSpoilerHの時と期間が違いませんか。また投票資格の3.は利用者の投稿記録で数えるしか確認方法はないのでしょうか。--えむかとー 2008年6月30日 (月) 12:10 (UTC)
- 投票資格については、Spoilerの時が投票実施提案の日時を基準としていたので、同様に今回私が6月21日に投票実施について提案したのでそれに順ずるように設定しました。一応、改名提案の3月を起点に…とも考えましたが、そうなるとかなり厳しいものとなってしまうのではないかと思いましたので、近い日付としました。もちろん、異論等がありましたらお願い致します。--Baldanders 2008年6月30日 (月) 17:27 (UTC)
- SpoilerHの場合は「1回以上の編集を行なっている」の基準日と、「標準名前空間編集数が5回以上」の期間開始が一緒ですが今回は違うんですか?私に投票権がないのはべつにいいんです。投票権がなくても議論に参加していいのか、ということだけで。--えむかとー 2008年7月1日 (火) 10:27 (UTC)
- 確かに違ってましたね…。2の意味がほぼなくなってしまってますが…若干緩い程度でそれほど問題ないかな?とも思います。失礼致しました。--Baldanders 2008年7月1日 (火) 12:47 (UTC)
- SpoilerHの場合は「1回以上の編集を行なっている」の基準日と、「標準名前空間編集数が5回以上」の期間開始が一緒ですが今回は違うんですか?私に投票権がないのはべつにいいんです。投票権がなくても議論に参加していいのか、ということだけで。--えむかとー 2008年7月1日 (火) 10:27 (UTC)
- 投票資格については、Spoilerの時が投票実施提案の日時を基準としていたので、同様に今回私が6月21日に投票実施について提案したのでそれに順ずるように設定しました。一応、改名提案の3月を起点に…とも考えましたが、そうなるとかなり厳しいものとなってしまうのではないかと思いましたので、近い日付としました。もちろん、異論等がありましたらお願い致します。--Baldanders 2008年6月30日 (月) 17:27 (UTC)
(報告)ご意見もいただけ、期間もある程度経ってしまいましたので、投票実施へと移行させていただきました。投票期間は、7月12日 (土) 0:00 (JST) から 7月26日 (土) 0:00 (JST) まで です。よろしくお願い致します。--Baldanders 2008年7月10日 (木) 22:38 (UTC)
- 投票期間開始後で申し訳なかったのですが、投票用署名テンプレートの呼出し文が不完全でしたので、諸々修正しておきました。投票の中で何か問題等がありましたらご連絡下さい。--Broad-Sky [note] 2008年7月12日 (土) 09:16 (UTC)
- 失礼致しました。修正ありがとうございます。--Baldanders 2008年7月14日 (月) 00:50 (UTC)
投票の結果
[編集]投票期間が終了し、集計の結果ウィキペディアは何ではないかに決定しました。つきましては、移動とそれにともなう変更作業となるわけですが、大変申し訳ないのですが、私が月曜まで忙しいため、それ以降…ないし他の方が協力していただけたら…といった状況です。ご了承願います。--Baldanders 2008年7月27日 (日) 00:57 (UTC)
私はウィキペディアは何ではないかという改名案を支持しております。ただ、投票の結果がそのまま議論の結果として導かれることには疑問を感じます。多数決が正しいとは限りません。そして、ウィキペディアは民主主義では無いはずです。私は、合意形成をもとにすればこのまま反対案がなければ決定ということでよろしいと思います。--Pruqsa 2008年11月6日 (木) 11:57 (UTC)
ネガティブリストはやめては
[編集]あれもだめ、これもだめ といったリストはうんざりです こういった書き方、こういった内容 ポジティブリストでいきませんか --むさし5 2008年7月26日 (土) 00:08 (UTC)むさし5
- 基本的な方向性としては同意しますが、「禁じられていないことは何をやってもかまわない」「抜け道を探せばいろんなことがやれる」といった方向性の方が少なからずおられますので、理想論はなかなか通らないと思います。--Nekosuki600 2008年7月26日 (土) 03:37 (UTC)
- むしろ、「ポジティブリスト」の方が場合によっては制約が大きくなるような気もします。たとえば「ポジティブリストで推奨されていないのでダメ」なんて言う人が出てくる可能性ですね。「ネガティブリスト」に記載された最低限やってはいけないことを守れば、自由にやっても結構ですよって言う方があるいみ自由じゃありませんか。--あなん 2008年7月26日 (土) 04:33 (UTC)
- むさしさんのうんざりする気持ちは痛いほどよく分かりますが、何をしてはいけないということがはっきりしていないと混乱するのも事実です。--125.195.56.155 2008年7月26日 (土) 18:39 (UTC)
- ホントにコミュニティを存亡の危機にさらす程の「招かざる人」ってのはごく少数だと思いますが、このトピックを含め、あらゆる規則、合意の大半はそうしたごく少数を対象にしたものでなんですよね。大多数のまともな人には「うんざり」とする量、内容になってしまうのは、止むを得ないかと。刑法を見ると「こんなことしねーよ(笑)」みたいなことばっかり書いてありますが、それと同じで。--Aupen 2008年7月29日 (火) 10:27 (UTC)
『ニュース速報ではありません』というのはいったいどこから出てきた概念なのか?
[編集]「ニュース速報ではありません」という日本語版条文の検証
[編集]Wikipedia:ウィキペディアは何でないかの「ウィキペディアは単なる知識ベースではありません」
- 5 ニュース・ニュース速報の場所ではありません。ウィキペディアでは、突発的な出来事の報告をするべきではありません。ニュースに採り上げられる速報的な話題はしばしば誤っていたり情報不足だったりしますし、またしばしば十分な考察や多面的な視点を欠くものです。最新の出来事についての速報はウィキニュースの領分です。しかし、現在ニュースの話題になっている事柄に関し、百科事典的な記述として記事を作ることは良いことです。いくつかの例をPortal:最近の出来事で見てください。現在起きている出来事を歴史的視点から見た百科事典の記事として作られている範囲において、人々の間で共同的にしかも分単位で更新していくことをウィキの仕組みが助けてくれるはずです。もしあなたが最近のニュースを更新する場合、数年後に読んでも文意が変わらないように、過去形を使って記述してください。
という項目についてですが、この「ニュース速報ではありません」とフレーズはいたるところで頻繁見かけられ、どうも拡大解釈、POV気味に乱用されているのではないか?という懸念があります。 青森朝日放送を見ていたのですが、「短期保護 編集過剰 ニュース速報にあらず 」という理由をもって保護されてしまいました。 [2] 結構、こういうのは散見されており、目立つイベントについては短期間に編集が集中するのは当たり前のことであって、たとえば、四川大地震なんかは、まさにその原理によってリアルタイムに進行中の出来事ながら多数の編集により、まともな記事に仕上がっていると思います。
青森朝日放送が保護された理由「ニュース速報でない」という理由をもって同様に四川大地震を1ヶ月保護依頼した利用者もおり、おそらくは根底にこのニュース速報は悪いことである、という信念みたいなものがあるようです。Wikipediaの基本方針と照らし合わせても、そもそもなんで「ニュース速報」はいけないのか?という合理的説明は導き出されません。
その弊害については、Wikipedia:性急な編集をしないという、各記事のノート、または個別のウィキプロジェクトなどで、速報的な記述に関して合意が形成された場合、上記ガイドラインの例外として認められます。ただし、合意意見が圧倒的に多い場合を除いて自粛が推奨されます(あくまで自粛であり、禁止ではない点に注意してください)。=ウィキペディア日本語版の考慮すべきガイドラインがありますが、このけっこう控えめな表現のガイドラインをWikipedia:ウィキペディアは何でないかという日本語版の公式な方針の「ニュース速報ではありません」が実質上書きして、かなり強制力を振るっている(少なくとも乱用気味に使用している利用者にとっては強制力として利用されている。)ように見えます。
また、類似の事例としてWikipedia‐ノート:保護の方針/仮運用の試行で多くの反対があり、実際問題点が露見しました。この速報性、性急の判断にはより慎重であるべきだという潮流が出てくる一方で、依然「ニュース速報ではありません」というもっとも頻繁に使われているフレーズについては十分吟味されていないと感じられます。
英語版をみていると、こういうニュース速報でない、というフレーズはまったくといって使われておらず、実際のところリアルタイム、イベント感のある立項、編集には非常に寛容であるというか、そもそもたくさんの編集者の注目が集まって編集が集積されて記事はなんぼ、というWikipediaの根本原理がそのまま利点として現れているように見えます。
要するに、日本語版の「ニュース速報ではありません」という文化は結構な独自路線、本家の英語版とは乖離している路線であり、Wikipediaの根本原理が十分にその功罪が吟味されていない、または乱用され気味な余剰なルールによって損なわれている可能性が極めて強いと危惧します。
このあたり、英語版のなんでないか?はどうなっているか?というと、
en:Wikipedia:What Wikipedia is not
Wikipedia is not an indiscriminate collection of information
- Further information: Wikipedia:Notability
5 News reports. Wikipedia considers the historical notability of persons and events. News coverage can be useful source material for encyclopedic topics, but not all events warrant an encyclopedia article of their own. Routine news coverage of such things as announcements, sports, and tabloid journalism are not sufficient basis for an article. Even when an event is notable, individuals involved in it may not be. Unless news coverage of an individual goes beyond the context of a single event, our coverage of that individual should be limited to the article about that event, in proportion to their importance to the overall topic. (See Wikipedia:Biographies of living persons for more details.) While including information on recent developments is sometimes appropriate, breaking news should not be emphasized or otherwise treated differently from other information. Timely news subjects not suitable for Wikipedia may be suitable for our sister project Wikinews.
と冒頭にNews Reportとあるものの、注目すべきことに実際それが意味するところは、この節の最初で示した「ニュース速報でない」の文章が意味するところとは本質的に異なります。そこに書いていることの中心概念とは notability つまりWikipedia:特筆性です。速報禁止的なフレーズはどこにも存在しません。
前提として、英語版と日本語版の方針がシンクロしている必要はないのは当然ですが、この方針は結構根本的なものであり、ローカライズされた日本語版の特殊な事情であるからずれがある、ということであれば、それはなんでなんか?という疑問が当然出てきます。少なくともニュース速報性について日本国あるいは日本語話者特有の事情など存在しません。
もし、現在のニュース・ニュース速報の場所ではありません。というのが英語版をもとにした翻訳であるならば、現在のものは本質的かつ結構な誤訳であり、もし、日本語版が独自にこのような文面の合意に至って方針化された、というのであれば、Wikipediaの原理を損なうデメリットもあるこういう文面がどういう根拠で、どういう議論の経緯を経て現在の形になったのか、ちょっとここらで再検証してみる必要があると思います。
以下、ちょっと英語版になるだけ忠実に翻訳してみたらどういうことが書いているのか?
- 5.ニュースレポート。ウィキペディアでは、人、イベントの履歴的なWikipedia:特筆性(の英語版)が考慮されます。ニュース記事は百科事典の項目に有用なソースとなりますが、すべてのイベントがそれ自体、百科事典の項目として成立できるわけではありません。公式発表、スポーツ、タブロイド報道のような日常的にあるニュース記事はウィキペディアの一項目として十分な基礎を満たしていないでしょう。仮にあるイベントが特筆的であったとしても、特定個人が関わる項目には注意を要します。複数のイベントに関する特定個人についてのニュースでない限り、そのトピックの重要性特定個人についてのウィキペディアの記述はそのイベントに関連したもの限定であるべきであり、トピック内の重要性を超えるものであってはなりません。(詳細についてはWikipedia:存命人物の伝記(の英語版)を参照)。直近の進展状況についての情報を含ませるのは往々にして妥当ですが、ブレイキングニュース(最新の情報)をことさら強調したり、他の情報と異なる扱いをしてはいけません。ウィキペディアで扱うのには適当ではないタイムリーなニュース案件があるならば、それは姉妹プロジェクトであるウィキニュースで扱うほうが適当であるかもしれません。
繰り返しますが、特筆性について、記事のバランスについての文章です。速報性を排除する文章ではけしてありません。
Wikipedia is not an indiscriminate collection of informationという英語の項目は Wikipedia:特筆性)を何でないか?的に例示して列挙するための項目であることは、そのセクションに最初に明記してあり、ページ全体の構造的にも明らかです。
一方、日本語版のWikipedia:ウィキペディアは何でないかには、 ウィキペディアは単なる知識ベースではありませんという項目になっており、これは実はWikipedia:特筆性のことについて書いてあるものだという事実が、よくわからないものになっているのも不備で問題があります。さらに、#5と、日本語版の明らかに英語版の同じリストを踏襲したものであるのに、この特筆性について語っているリストの事例の文章であるのにもかかわらず、それには一切触れず、原文にはどこにもなかった速報性についてのみ書いてある、とめちゃくちゃなことになっています。
以上、翻訳したにしろ、英語版の過去のどのバージョンを翻訳したのか、という疑問はありますが、現状を見る限り、いろいろつっこみどころはあって、たとえば最新の出来事についての速報はウィキニュースの領分です。という文面、ウィキニュースでやってください、と捨て台詞のように使われるコメントの該当根拠文面は、英語版ではウィキペディアで扱えないニュース案件についてはウィキニュースのほうが良いかもしれませんと単なる親切な案内文のようなものが、いつのまにかそれが強制力をもつ公式方針として一人歩きしている感がけして否めません。
私は、今回アカウントを取る以前のIP編集も含め比較的新しい利用者であるので、どのようにして日本語版におけるニュース速報NG的な独自路線、風潮が醸成されていったのか、根拠文であるらしき上記の記述はどうやってコンセンサスを得て市民権を得たのか精査するのは限界がありますが、ちょっとみると、結構強権的に便利に利用されているわりには、おおもとをたどるといい加減なもんじゃないか?という疑惑を持っています。このあたり、経緯について詳しい方がおられれば教授していただくと助かりますし、少なくとも情報、意見を集めてこのあたり再検証してみたいと思っています。--Trans24 2008年7月7日 (月) 01:34 (UTC)
- 経緯は知りませんが、感じたことを率直に控えめに。
- 質も量も最高の百科事典を目指すならばある程度の速報は必要かもしれませんが、百科事典の域を激しく逸脱した速報編集があれば慎めという意見が出てもおかしくないと思います。んで、ドキュメントの文面と現状を考えると行き過ぎた速報編集はダメよってのが速報編集はダメよって流れになったのかなという印象があります。--Marine-Blue [ 会話 履歴 電信 ] 2008年7月7日 (月) 03:33 (UTC)
- 見出しに「ニュース速報ではありません」と言うのが書き加えられたのがこの版なのですが当時の過去ログを見てもこのことに合意形成が図られた形跡は無いので場合によっては削除しても良いと思われます。また現在の日本語版WP:NOTは2005年2月9日に当時の英語版からの反映を行って以降は大きな変更はほとんど行っておらず、そのことも現状の英語版との乖離を生み出してしまっている一因と考えられます。この際現在の英語版との刷り合わせを行ってもよいのではないでしょうか。特にニュース云々に関してはTrans24さんのおっしゃられるように日本国あるいは日本語話者特有の事情はありませんので英語版にあわせて変えてしまっても良いかもしれません。--Web comic 2008年7月7日 (月) 04:04 (UTC)
- 利用者:Trans24(会話 / 投稿記録 / 記録)さんはWP:FXSTのソックパペットとして無期限ブロックを受けたようです。とはいえ提案自体はまともなものなんですよねえ。どうしましょ?--Web comic 2008年7月7日 (月) 04:14 (UTC)
- ブロックされた靴下に編集権はありませんからこれ以上は相手にする必要はないでしょう。--hyolee2/H.L.LEE 2008年7月7日 (月) 04:25 (UTC)
- ◆誰か議論を引っ張っていく人がいればそのまま継続でいいんじゃないでしょうか。--iwaim 2008年7月7日 (月) 04:28 (UTC)
- リンク先をみると、同じような意見のひとはそれなりにいるようですWikipedia‐ノート:保護の方針/仮運用/過去ログ1#「ニュース速報」的編集の解釈。とりあえず、この版を書いた、目蒲東急之介 さんにも事情を聞きたいというか、なんかかなり杜撰に昔はルールとか決まってそれが既成概念化してたんだなあという印象です。誰が出そうが、議論を切り捨てるのは愚かでしょう。Trans24 さんは、無期限ブロック者の模倣、ということですが、なんかよくブロック理由がわからないように思えます。前にIP一致なんかで特定したみたいなことを示唆したCUが叩かれていましたが、もしそうならCU権濫用になるんじゃなかったですか?ブロックした管理者さんが性急関連の議論に深く関わっていたようなのでなおさら、ブロック理由について説明をこの場で求めます。--119.72.16.210 2008年7月7日 (月) 04:35 (UTC)
- 利用者:Trans24(会話 / 投稿記録 / 記録)さんはWP:FXSTのソックパペットとして無期限ブロックを受けたようです。とはいえ提案自体はまともなものなんですよねえ。どうしましょ?--Web comic 2008年7月7日 (月) 04:14 (UTC)
えーと。ウィキペディアは百科事典です。この一文で、ニュースでもニュース速報の場所でもはないことは明らかです。百科事典とは何かを考えればよいのではないでしょうか。
そもそもなんですが、何か事が起きたときに、わーと編集が集中することは、「当たり前」のことなんかではないですね。事件が起きたときにすぐウィキペディアに反映させなければならないわけではありません。報道内容が正しいかどうかすらわからない(つまり検証すらなされていない)のに、どうして急いで書こうとするのかしら。事件や事故などは、1ヶ月、半年、1年くらい経ってから、事実が解明され、社会的影響なども明らかとなり、その事柄についての検証なども多方面から十分になされ、その時点で検証できる資料をもとにまとめていっても、全然遅くないと思います。ニュースとウィキペディアを同期させる必要なんか皆無です。そもそも、なぜ、事が起きて時間も経たないうちに流された「ニュース」なるものを信用するのでしょうか。そういうものを百科事典に持ち込むことへの疑問、もちこむ方の責任は、考慮されていないようです。
- ニュース速報っていうのはニュースなのでは。字面を追っても本質は射ることができません。--はるひ 2008年7月7日 (月) 05:05 (UTC)
- でもそれはあくまで現状のウィキペディア「日本語版」における解釈でしょうね。英語版のWP:NOTでは特質性があるニュースに関しての立項・編集は禁止されていませんし。英語版においては特筆性のあるニュースはウィキペディアに立項してもいいがそうでないタイムリーなニュースはウィキニュースで(立項した方がいいかもしれない)ってことになってます。現在特筆性に関してはノートで議論中なのでこれ(特筆性のあるニュースとは何か)とあわせて話し合うのがいいかもしれません。--Web comic 2008年7月7日 (月) 05:17 (UTC)
- はるひさんのコメントだけどね、ウィキペディアは百科事典ですっていうのは、ほんといろんな人が言っててよく聞くんだけどさ、ぶっちゃけ、そういう人ら思考停止してないだろうか?いままでの紙の百科事典と、こういう不特定多数がリアルタイム更新可能な新しいメディアが深い部分で性格が違うっていうのがあるから、こういう論点も出るし、性急関連の議論であれだけ意見が割れてゴタゴタしたんだと思うんだけどね。それを紙の百科事典基準にすべて統一するのはプロジェクトの性格として無理な話でね。だからいろいろルールが設定されてるんでしょ。百科事典って何か?って考えろ、ってだいたい、この節の提案者が方針に基づいて議論していること、あと、同じウィキペディアでも英語版と乖離している、ことをもって、百科事典について考えろじゃ話ははじまらないんだと思う。はるひさんの言ってることは性急保護の意見の当初の推進者の意見にすぎず、あとあと激しい反発にあったことを見ても、単なるあるサイドの意見で別に一般論として論じられるもんじゃない。単なる独自見解として承れるけども、この節のどっかでそれって合意あったわけ?みたいな答えにはなってない。--119.72.16.210 2008年7月7日 (月) 05:20 (UTC)
>事件や事故などは、1ヶ月、半年、1年くらい経ってから、事実が解明され、社会的影響なども明らかとなり、その事柄についての検証なども多方面から十分になされ、その時点で検証できる資料をもとにまとめていっても、全然遅くないと思います。
これについてだけど、Trans24さんのコメントにある四川大地震だけど、あなたの理屈で言ったら、あれは今現在も必要のない記事であるってことですか?リアルタイムに注目が集まってリアルタイムのソースで、それなりの人が編集加筆したらから時系列的にも興味深い記事が出来上がったんだと思うし、そういうのローカルHDDに保存して、数ヵ月後に加筆しろ、っていう人も出てくるけど、もうその時点でWikipediaって何か?って見失ってると思う。少なくとも、はるひさんの考えでいうと、現在、日本語版、英語版すべての言語版に四川大地震という項目は存在しえないし、数ヶ月に現状の記事レベルまでに迅速に成長する見込みは極めて低いと思う。なぜかというと、注目、興味が希薄になってるんで、編集する人らが現在まで編集可能であった場合に比較にならないほど少ないから。>検証なども多方面から十分になされ、その時点で検証できる資料をもとにまとめていって、とあるが、Wikipediaは、事故調査委員会の調査報告書ではありません。--119.72.16.210 2008年7月7日 (月) 05:38 (UTC)
- 大変興味深い話題と思います。サブページ化してみては如何でしょう?(私がやってみても良いのですが、井戸端からサブページを作成して議論を継続するケースについて未経験なので、齟齬があると困ると思います…他力本願で恐縮ですが…)--Kliment A.K. 2008年7月7日 (月) 08:20 (UTC)
- ◆俺も興味ある話題なのだけれど、出だしが良くなかった、かなぁとか(Web comicさん、hyolee2さん、iwaimさんの会話の流れから俺が感じた空気というか、なんかそういう感じです)。ある程度の経験があって、かつ議論を引っ張っていってくれそうな人が、しかるべきところで始めてくれれば、この話題ももっと意義があるものになるんじゃないかなあと。でもまあ、それには仕切り直しが必要な気がします。さらに個人的には、もう少し「性急保護」の件が落ち着いてからの方が煮詰めていけるんじゃないかとか思います。--ish-ka a.k.a.lisky@s.i.b! (talk/wikimail/contributions)2008年7月7日 (月) 08:48 (UTC)
- 速報性についてですが、事件・事故のばあい、ほとんどのケースでWikipediaには「被害者名」や「容疑者名」を記載する事は出来ません(Wikipedia:存命人物の伝記)。話題提起者の方はまずこの点をご確認頂きたいと思います。新聞に被害社名や容疑者名が記載されていてもWikipediaには「特別の要件を満たしていない限りは」記載してはいけないのです。ほとんどの場合は記載してはいけないと思っておいて下さい。--ネコバット 2008年7月7日 (月) 08:41 (UTC)ああ、ソックパペットで引っかかっているのですか。さてさて。--ネコバット 2008年7月7日 (月) 08:53 (UTC)
サブページ化してみました。馴れないので不具合があったら修正願います。--Ks aka 98 2008年7月7日 (月) 09:02 (UTC)
◆「禁止されているかいないか」からよいとか、禁止されているからダメ、とか、そこはスタート地点ではないと思うんですよ。そもそも禁止するとかしないとか以前に、ウィキペディアは百科事典であるというスタート地点がありまして、百科事典はニュースサイトや新聞とは意味の異なる言葉ですから。なぜウィキペディアは百科事典であるというスタート地点から話を進めると思考停止なのかわかりません。
- 「四川大地震」の項目を挙げて、「必要ないということですか」とおっしゃっていますが、この議論も、わたしの発言も、「記事の必要性」についてではなかったはずです。もちろんいずれ必要なんでしょう。それが、何も正確な情報がわからない、情報が正しいかどうかすらもわからない、そんな時期には、わたしは要らないと思いますが。その時期に情報を提供するのは百科事典の役割ではなく、ニュースサイト・新聞その他報道メディアにお任せしたい。性急な立項という問題は、ただ時期が早いかどうかという単純な問題ではなくて、全体を俯瞰・鳥瞰すらできない時期、編集の材料の正確性や正当性すら検証できない時期、そういうときに、テレビだとかの流した「情報」を鵜呑みにして信用して書いてしまう、それが問題なんだと、わたしは個人的には思っています。全体像が明らかになって、きちんと多角的に検証できる時期になってから、記事の全体像をイメージして初版を投稿すればよい、と。
Wikipediaは、事故調査委員会の調査報告書ではありません というのは批判のおつもりだったのかもしれませんが、私もそんなことは言っていませんし、これはもう百科事典の記事を作るに当たって、どれだけ信頼できる根拠資料にあたる姿勢があるのか、の現れなんだろうなと思います。ウィキペディアンが「調査報告書」は作る立場ではないですから(WP:OR)。多角的な検証(検証という言葉がWIKIPEDIA:検証可能性を早期させちゃったのかな?)すら社会的に不十分な中で、どうしてその情報を、記事執筆の根拠として採用するのかなぁという疑問です。「調査報告書」のような資料がどこか信頼できる機関等で作成され、もしくは信頼できる多方面からのある程度確定的な評価等がでた段階で、そうしたものに拠って書く。それは、「質の高い百科事典」を作るにあたって、きちんと調べ、構成、推敲、校正し投稿する、という姿勢のひとつなのではないかなぁと思っていますが。--はるひ 2008年7月7日 (月) 10:12 (UTC)- このように主観的かつ建設的でもない水掛け論は本意ではないので、Wikipedia:井戸端#『ニュース速報ではありません』の議論をWikipedia:性急な編集をしないの公式方針化議論に統合一元化に継承させます。--軽流水 2008年7月7日 (月) 11:20 (UTC)
- はい、ニュース速報ではない、ということについては、そもそも「百科事典であること」から自明ですので、もともと議論の設定がおかしいんでしょうね。「特筆性」など、ニュース速報的な段階で誰が判断できるのでしょう。そもそもが建設的でなく実質的な意味を持たない議論なんじゃぁないでしょうか。--はるひ 2008年7月7日 (月) 11:58 (UTC)
- すでに書いてあるとおり、「百科事典である」と何度もリピートすることは、「ウィキペディアは紙の百科事典ではない」という根本方針について何も語っておらないので、はるひさんの論理は自明でもなんでもないんですね。百科事典の出版で「百科事典である」ってリピートしたら自明ですが、そうではない。議論の設定がおかしいのはあなたのほうです。速報性と特筆性は異なる概念であるので、一緒くたにして話すことが誤りです。--軽流水 2008年7月7日 (月) 12:11 (UTC)
- はい、ニュース速報ではない、ということについては、そもそも「百科事典であること」から自明ですので、もともと議論の設定がおかしいんでしょうね。「特筆性」など、ニュース速報的な段階で誰が判断できるのでしょう。そもそもが建設的でなく実質的な意味を持たない議論なんじゃぁないでしょうか。--はるひ 2008年7月7日 (月) 11:58 (UTC)
- このように主観的かつ建設的でもない水掛け論は本意ではないので、Wikipedia:井戸端#『ニュース速報ではありません』の議論をWikipedia:性急な編集をしないの公式方針化議論に統合一元化に継承させます。--軽流水 2008年7月7日 (月) 11:20 (UTC)
- 一人で勝手に「議論を継承させます」って先走るのもどうかと思いますが…。議論参加者の合意も取らずに議論場所を勝手に移動しても、逆に議論を分散させるだけでしょう。
- ただ「ニュース速報ではない」という文言が拡大解釈され、一人歩きしているという意見には賛成です。そもそもWikipedia:ウィキペディアは何でないかにおいても、「ウィキペディアは紙製ではありません」で「ウィキペディアは紙製ではありません。ゆえに、ウィキペディアは(略)タイムリーであります」とあります。更に問題の「ニュース・ニュース速報の場所ではありません」の項に於ても「現在起きている出来事を歴史的視点から見た百科事典の記事として作られている範囲において、人々の間で共同的にしかも分単位で更新していくことをウィキの仕組みが助けてくれる」とあります。すなわち、方針はリアルタイムであることをけして否定しておらず、「速報的である」というだけで記述を問題視する考え方は誤りであることが分かります。
- おそらく、この項で言わんとすることは、ある情報があり、それを記述する時、
- 情報の価値(特筆性)が速報性(=知っている人が少ない)にのみ基づくのであれば、ウィキペディアはそれを記載する場所ではない
- 情報の価値(特筆性)が時間によらない普遍性を持つのであれば、それをタイムリーに(事が起こってすぐに)記述するのは問題がない
- ということでしょう。しかし、後者を読み取れていない人は結構多くいるように思います。
- そして『「特筆性」など、ニュース速報的な段階で誰が判断できるのでしょう』という点については、判断できる物もあるだろうし、判断を誤るものもあるだろう、という答えにしかならないのでは?そして、その課題の解決は「ウィキペディアは紙製ではなく、判断をいつでも容易に修正できる」という点にあるかと思います。逆に「『特筆性』の唯一絶対的に正しい判断」などすることが可能なのか、と考えれば、はるひさんの疑問には「じゃあ、いつ、誰なら判断できるんだ」という逆質問も可能だとも思いますし。--はま 2008年7月7日 (月) 12:49 (UTC)
- 仮にある遺跡の記事があるとします。その遺跡は考古学的に貴重なものとしてウィキペディアにもその旨の記事が書かれているとします。ところが、この遺跡はある学者による捏造であったことが明らかになったとします。さて、この場合はどう対応するべきでしょう。私なら、捏造であったというニュースソースを提示して(ここが重要)この遺跡は捏造であったと記述し、さらに現在進行テンプレと全面改稿を促すためCleanupテンプレを掲出するでしょう。しかし、「ウィキペディアはニュース速報ではない」とおっしゃる方々はこういった編集でも「事実が確定していない性急な編集」として差し戻して保護を依頼されるのでしょうか。こうなると、遺跡に関して虚偽の情報が掲示され続けるということになります。
- これはかなり極端な例かも知れませんが、「ウィキペディアはニュース速報ではないから性急な編集は禁止」という考えはこういった事態も生み出しかねません。--Avanzare 2008年7月7日 (月) 13:06 (UTC)
- 英語版の中心概念がen:Notabilityにあるということは、「Notability guidelines do not directly limit article content」がニュース速報にも考慮されてるのかな、どうだろ。
- ニュース速報は信頼性が低いから編集は控えよ、というガイドラインから適切に逃れる方法は、Wikipedia:検証可能性を満たした編集をせよ、ということではないでしょうかね。たとえ信頼性が低くとも出典による検証が可能であれば日々の編集で内容も改良していくでしょう。内容の真偽を判断するのはウィキペディアのお仕事ではないはずだしね。「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」。そう、四川大地震は後者の方だね。
- 何かが起こったときに編集が集中することは「仕方が無い」こと。嫌だ嫌だといっても現実は変わらない。規制するための方針はWikipedia:保護の方針/仮運用だったんですけどね。今後は、ただ書きたいだけの初心者ユーザーにも出典を書かせるように、ベテランユーザーが模範・誘導をしていくべきなんじゃないかな。--Knua 2008年7月7日 (月) 21:38 (UTC)
- 場合によりけりじゃないかと思いますね。
- 例えばあるスポーツでそれまで世界記録と信じられてきたものが、そのスポーツを統括する国際機関によって「実はドーピングによるものだったので、これを無効とする」と発表されたら、それはもうその瞬間から無効であるだろうし、将来同じ機関によって復権がなされない限り、無効であり続けるのでしょうから、速報的であろうとなかろうと、ウィキにもそう書かれるべきなのだろうと思います。
- しかし、例としてあがっている遺跡の捏造の問題などはどうでしょう。ある機関が「あれは捏造だった」と発表したら、誰がナニを言おうとそれが絶対の事実となるという類のものではないのでは? 「そんなはずはない」「いやいや、そうなんだ」「それを言うなら同じ彼の発表した例のアレはどうなるよ?」「それはそれ、これはこれじゃん」と、いわゆる「定説」のはっきりするまでひとしきりあるんじゃないでしょうか。この様な場合は、やっぱり事と次第のはっきりするまで、編集は控えたほうが良いのじゃないかなー、と私個人は思いますが。--橋川桂と09:28の死線 2008年7月8日 (火) 00:14 (UTC)
- あまり例え話に入っていくと本質を見失うと思うので、少しだけにしますが。遺跡の捏造の例で橋川桂と09:28の死線さんの言うような状態になったのであれば、「遺跡の捏造の可能性について論争が起きている」という事実を記述することができますね。編集を自粛する必要など全くありません。大切なのは何が検証可能で特筆性のある「事実」かを見極めることです。その見極めをせずに、脊髄反射で全てを書き散らすことも、逆に脊髄反射で執筆全てを止めようとするのも、共にWikipediaにとって害悪なのです。--はま 2008年7月8日 (火) 01:17 (UTC)
- 例えが悪かったでしょうか。速報的であっても、取捨選択が正しく行われるなら、記載されても良い、という意味で、橋川の思うところははまさんとほぼ同様であるはずですよ。--橋川桂と09:28の死線 2008年7月9日 (水) 02:39 (UTC)
- あまり例え話に入っていくと本質を見失うと思うので、少しだけにしますが。遺跡の捏造の例で橋川桂と09:28の死線さんの言うような状態になったのであれば、「遺跡の捏造の可能性について論争が起きている」という事実を記述することができますね。編集を自粛する必要など全くありません。大切なのは何が検証可能で特筆性のある「事実」かを見極めることです。その見極めをせずに、脊髄反射で全てを書き散らすことも、逆に脊髄反射で執筆全てを止めようとするのも、共にWikipediaにとって害悪なのです。--はま 2008年7月8日 (火) 01:17 (UTC)
- それは手続きとしては理性的ですが、やっている事は本質的でないと思います。遺跡に関する従来の知見が捏造であったならば、ウィキペディアに書かれるべきは「ではその遺跡は本当は何なのか」であり、現在進行と身構えて捏造報道の経緯を逐一追う事では無いと思います。捏造の可能性に触れておく事は必要ですが、いきなり全面改稿を促されても書ける事は少ないでしょう。性急な編集が嫌われる典型例のように感じます。- NEON 2008年7月8日 (火) 01:56 (UTC)
- 『ウィキペディアに書かれるべきは「ではその遺跡は本当は何なのか」であり』という考え方こそ、机上の理想論ではないですか?物事は「本当は何なのか」がいつまでも分からないものが殆どです。例えば、遺跡であれば、調査が捏造や間違いである可能性は絶対にゼロにはなりません。NEONさんの考える「本当は何か分かるまで書くな」というのは、未来永劫一切Wikipediaに項目を立てるな、何も記述するな、と言っているのと大差なありません。事典など、所詮は「現在分かっていることを書く」しかできないのですし、その「分かっていること」の修正が容易であるというのが、紙製でないWikipediaの優位性でもあるのです。
- また「事実を即時的に記載することの是非」を「報道の経緯を逐一追う」や「全面改稿を促されても」という極論に摩り替えないでください。特に「報道の経緯を逐一追う」べきなどとは一言も言っていません。だから大切なのは何が検証可能で特筆性のある「事実」かを見極めることと書いたのですが、お分かり頂けなかったのでしょうか?--はま 2008年7月8日 (火) 02:14 (UTC)
- 私の投稿はAvanzare氏へのものです。「報道の経緯を逐一追う」とは氏の投稿にある現在進行テンプレの貼付を受けた表現です。あなたの文章を意識した部分はありません。また「本当は何なのか」は、議論の経緯ではなく結論を参照すべきという程度の意味で、真実しか書くな、とは思っていません。- NEON 2008年7月8日 (火) 02:41 (UTC)
インデント戻します。四川大地震を立てた者ですが、大きな事件・事故などの場合に編集が集中するのはその件に興味を持つ人間が増える以上、ある程度やむを得ないかと。また、現実として報道によってもたらされる情報は直後が一番多い訳です。日本の新聞社のサイトなどだと比較的短い期間で記事が削除される様ですし、書籍など出典として使える別のソースが出るかは必ずしも確定的じゃないので「数ヶ月して落ち着いてから」では記述自体が難しくなる場合もあります。
ただ、この地震の例だと先に「中国大地震」という記事が立てられて、確かその内容が「四川省で地震があった、福田首相がお悔やみを言った」で終わってたんですよね。で、削除依頼となってる。結局のところ「ニュース速報的な記事」を書く人は、検証などは横に置いた状態で項目を立てることや書き込むこと自体が目的になってしまい「書いた!立てた!あと知らん!」になるってのが問題なんだろうと思ったりもします。
実際の話として、内容眺めてると「自分の書きたいことだけ書き込んだ」結果として「全部通して読むと脈絡が通らない」内容になってると思しき記事もチラホラっつーか。--KAMUI 2008年7月8日 (火) 01:43 (UTC)
- 上記の前半に同意。KAMUIさんが5/13に四川大地震を立ち上げたのが、[3]これです。だいたいウィキペディアの初版はこの内容レベルで十分だと思う。それから1ヵ月後の6/13には[4]このように、最新版の骨格と肉付けがすでに形成されるまでに成長しています。全履歴を参照すると[5]実に多くの利用者が貢献されていますが、おおかた9割の編集履歴は、5/13-6/13の1ヶ月に集中しています。多くの利用者の編集により記事が成長する、まさにウィキペディアの原理を体現した履歴であるといって良いでしょう。
- さらに驚くべきは英語版。en:2008_Sichuan_earthquake。[6]これ、初版から500編集分の履歴です。07:11, 12 May 2008から23:02, 12 May 2008 まで。おおよそイベント発生後よりたった16時間で、実に多くの利用者が500以上の版を重ね、結果、[7]ここまで成長しています。
- 要するに、なんでこういうことが起こるか?っていうと、集合智なんです。インターネットという人をひとつの場所にわーっと集めて、ひとつのことに集中させてなんかやらせる力学を最大限に具現化した現象です。当然、リスクもある、はるひさんとかがしきりに心労している「最高の質」を貶める不純物がまざらないか?とかいうリスクですね。このプロジェクトは同様に集合智によってそれがエラー修正されるだろうという楽観論に基づいています。そしてそれが実験の結果、機能することがわかった。オープンソースです。リナックスやってる人は知ってるでしょうが、伽藍とバザールの理屈です。リナックス、Firefoxのモジラプロジェクトは、世界中のボランティアプログラマがマイクロソフト製品を凌駕するものを作れることが実証されています。そもそもこのプロジェクトもこのオープンソースの思想を継承してはじまりました。オープンソース#GNU_Free_Documentation_License_.28GFDL.29つまりこのプロジェクトの文書ライセンスであるGFDLも、オープンソースライセンスをそのまま継承しています。
- オープンソースプロジェクトってのは、「人が集まってなんぼ」のプロジェクトです。その思想がこのウィキペディアプロジェクトの根幹にある。だからね、「イベント発生後人が集まるのは仕方が無いことです。」とか言うのは、そもそもこのプロジェクトの理解がまったくない証拠です。方針熟読しているつもりでしょうが、その理念が頭に入っていない。さらに「過剰編集」とか言う言葉。おそらく英語版は、文化的に、思想的にオープンソース思想が土壌に浸透しているのだろうと思います。日本語版でイベント発生直後から16時間で500編集とかはじまったらどうしますか?「過剰編集、ニュース速報にあらず」とかいう名目で保護する管理者がいて許容されてしまう、もしくはそれが正しいことだ、となってしまう風潮をみてもわかりますね。
- たった、24時間以内でもそこまで成長する、注目が高く人が多いほど、即座にまずい編集はリバートされるでしょう。間違ってたら別のひとが修正すれば良い。性急保護、速報性排除、削除、保護、というのは、この辺の「成長の可能性」を著しく損なうものです。性急保護ってのは、人がせっかく集まっているのにそこから全員追い出す行為ですからね。このプロジェクトの存在理由と照らし合わせてもオープンソース思想と矛盾している極めて愚かなルールです。
- さて、上ではるひさんが主張する「1ヶ月、半年、1年くらい経ってから、事実が解明され、社会的影響なども明らかとなり、その事柄についての検証なども多方面から十分になされ、その時点で検証できる資料をもとにまとめていっても、全然遅くないと思います。」「何も正確な情報がわからない、情報が正しいかどうかすらもわからない、そんな時期には、わたしは要らないと思いますが。」「数ヶ月して落ち着いてから」ということですが、これはウィキペディアの理念ではないです。本来特筆性の箇所が速報性についてと歪曲された「ニュース速報ではありません」以前に、そのページの一番上には「ウィキペディアは紙製ではありません」と最初に書いてあります。紙の百科事典のことを繰り返す前に、[8]に紙の百科事典でない利点について創立者の見解とともに書かれているので熟読して理解されたらいかがか?さらに、そういった作業をする利用者は注目が集まり人が集まっている間開放している記事に比較して、いったい何人くらいがその作業をするんでしょうか?少なくとも、「数ヵ月後」にはこのプロジェクトの財産、原動力である人なんていないですし、その時点では今実際ある記事もまったく存在しません。ゼロからたかだか数人がよっこらせ、と作業をはじめる。今実際ある記事にまで成長する見込みは低いです。
- 性急保護にしろ、いろんな人の議論を追っていたけれども、はるひさんのような見解を含め、根本的に誤解している人が多いです。このプロジェクトの原動力は「信頼できる情報源、資料」ではありません。そうではなくて「利用者の数」です。その辺は改めて、英語版の四川大地震の履歴を追えばよくわかるでしょう。たしかに記事執筆コンテストなどで、1名だけで集中して執筆し、投稿する、記事の整合性も最初から取れている、著作権のチェックもしている、というケースもありますが、そういう記事はむしろイレギュラーであると考えたほうが良い。逆にそういうものを追い求めるとプロジェクトのあり方を根本から否定していることになります。そういう少数の極めて優秀な執筆者さえいればよいという風潮が強まると、排他的になり(実際、日本語版は、英語版よりも排他的)プロジェクトの原動力である人が近寄りにくくなります。
- どうも見ていると、一部の利用者(管理者もふくむ)は、伽藍とバザールのバザールがこの場所であるのに、しきりに伽藍に改造したがっているように見える。伽藍は最初から清潔で整然としているが、このプロジェクトはその側面は設立、設計段階において切り捨てているのです。両方おいしいところ取りは土台無理な話で、その辺をしっかり理解して、バザールにはゴミが落ちていて当たり前、誰かが拾えば良い、でも人が集まってくるからバザールなのだということをぜひ理解していただきたいと思う。--Moviestyle 2008年7月8日 (火) 06:42 (UTC)
- Ks aka 98さん、サブページ化をありがとうございます。
- 私としましては(他にも賛成出来る方はいらっしゃいますが、特に)はまさんとMoviestyleさんに賛成ですね。特にMoviestyleさんの御意見は目から鱗といったところです。
- 「ニュース速報ではない」とは言われていても、「ニュースではない」とは言われていないような。「ニュースじゃない」と言ったら「1日経ったらニュースではない」のか、「何日経てばニュースではない」のか(週間ニュースなんていうのもある位ですからね)…。兎に角、実はとんでもなく曖昧な観念によって性急な保護が行われてきたのではないかと思う次第です。
- Moviestyleさん仰る通り、人数による叡智の結集がウィキペディアの利点の筈です。IPユ-ザーによる荒らしが発生するなどしたら、半保護の方針を適用すれば良いだけの話で、別に「ニュース速報では無いから即時保護云々」とならなくとも良い筈であります。--Kliment A.K. 2008年7月8日 (火) 08:19 (UTC)
- いくらWikipediaが『紙製ではない、新しい百科事典』であっても、やはり百科事典です。速報だろうが詳報だろうがニュースでは無いでしょう。 -- NiKe 2008年7月8日 (火) 11:29 (UTC)
- 典型的な詭弁ですね。確かにWikipediaは百科事典であってニュースではない。しかし、貴方の言うことが正しいと証明したければ、「ニュースで報じられていることは全て百科事典的に価値の無い情報である」と証明する必要があります。当然、そんなことはないわけで、ニュースの中にも百科事典的特筆性を持った情報もある以上、それを即時的に記載することを否定する論拠には全くなりません。--はま 2008年7月8日 (火) 13:32 (UTC)
- そのとおりですね。いくらWikipediaが「やはり百科事典」であっても、それはやはり『紙製ではない、新しい百科事典』です。このポイントがいつまでたっても理解できない人が絶えないのはなんでだろうか?多分「百科事典だ」と呪文を繰り返せばなんでも通ってしまうという悪しき風習があるのかもしれない。Nike氏の言ってることは、要するにこの節で指摘されている捏造された条文の繰り返しに過ぎません。それについて、おかしいという提起が出ているのになお捏造された条文を繰り返す行為自体が、いかにこの条文が鵜呑みにされていてあらゆる利用者の信条となってしまっているのか?という追加証拠になりますね。論理的には「すべてのニュースのうち特筆性のないニュースは百科事典では扱わない。」すべてのニュースのリスト→ウィキペディアの項目、とはならない、と特筆性の観点から除外するように牽制しているにすぎません。今、日本語版においては「すべてのニュースのリスト」について、本来の特筆性の尺度からいつのまにか時間的な速報性の尺度と摩り替わっている。その理屈で「すべてのニュースリスト」は最初は全部速報性のあるニュースなのでNG、時間が経過すれば速報性のなくなるニュースになるのでOKとかいう考えなのでしょう。--121.84.118.122 2008年7月8日 (火) 22:59 (UTC)
- 百科事典とニュースは求められるものが違います。Wikipediaがニュースサイトか何かなら、速報性は重要です。しかし百科事典にとっては速報性は必ずしも必要なものではありません。確かに、ウィキを使っているWikipediaは(紙の印刷物と違って)速報にも対応できますが、無理に速報を扱う必要はないのです。なお、 「ニュースで報じられていることは全て百科事典的に価値の無い情報である」と証明する必要 など全くございません。ニュースになった話題を記事にすること自体には問題ありませんが、一分一秒を競うように投稿・編集することはない、というだけのことですから。失礼ながら、はまさんのおっしゃることの方が詭弁に傾いているように感じられますね。 -- NiKe 2008年7月9日 (水) 04:19 (UTC)
- そうやって論点を摩り替えるのは止めませんか?それとも、論点が理解できないのでしょうか(もしそうなら、一度、素直な目で他の人の書いたものを読むことをお勧めします)? この議論は「Wikipediaで速報性を重視しよう」と言っているのではありません。むしろ逆で「速報的・即時的であるからという理由で、普遍的に特筆性のある情報を軽視・排除するな」ということです。ですから「無理に速報を扱う必要はない」というのはトンチンカンな反論です。むしろ貴方方反対派が「無理に特筆性のある情報の記述を排除する」ということを問題視しているのです。そして貴方が「一分一秒を競うように投稿・編集することはない」というお考えを持つのは勝手ですが、その意見にはウィキペディアの方針の裏づけが全くありません。むしろ、昨日Moviestyleさんが指摘されたWikipediaが「バザール方式」を原点としているプロジェクトである以上、「一分一秒を競うような投稿・編集を排除する必要こそない」と考えるのが、正しい考え方であると言えるでしょう。繰り返しますが、誰も「一分一秒を競うように投稿・編集すること」の必要性など論じていません。だから貴方がそれを必要でないと主張しても的外れです。論点は「有意な内容の編集でも、一分一秒を競うような投稿・編集なら排除するべきか」です。「Xが必要か」と「Xを排除するべきか」は、論点としてイコールではありません。--はま 2008年7月9日 (水) 06:02 (UTC)
- 『速報的だからと言って有意な情報を排除するな』というのは賛成できます。しかし、「ニュース速報ではありません」という記述は、速報的なら排除せよとか言っているものではないと思いますので、これを外す必要はないと考えます(まあ現実的には、ニュースよりも遅れて編集するくらいでないと面倒なことになりがちだと思いますが)。なお、速報的だからと無理に排除していると思われる場合があれば、その都度おっしゃっていただければよろしいかと。 -- NiKe 2008年7月9日 (水) 13:30 (UTC)
- そうやって論点を摩り替えるのは止めませんか?それとも、論点が理解できないのでしょうか(もしそうなら、一度、素直な目で他の人の書いたものを読むことをお勧めします)? この議論は「Wikipediaで速報性を重視しよう」と言っているのではありません。むしろ逆で「速報的・即時的であるからという理由で、普遍的に特筆性のある情報を軽視・排除するな」ということです。ですから「無理に速報を扱う必要はない」というのはトンチンカンな反論です。むしろ貴方方反対派が「無理に特筆性のある情報の記述を排除する」ということを問題視しているのです。そして貴方が「一分一秒を競うように投稿・編集することはない」というお考えを持つのは勝手ですが、その意見にはウィキペディアの方針の裏づけが全くありません。むしろ、昨日Moviestyleさんが指摘されたWikipediaが「バザール方式」を原点としているプロジェクトである以上、「一分一秒を競うような投稿・編集を排除する必要こそない」と考えるのが、正しい考え方であると言えるでしょう。繰り返しますが、誰も「一分一秒を競うように投稿・編集すること」の必要性など論じていません。だから貴方がそれを必要でないと主張しても的外れです。論点は「有意な内容の編集でも、一分一秒を競うような投稿・編集なら排除するべきか」です。「Xが必要か」と「Xを排除するべきか」は、論点としてイコールではありません。--はま 2008年7月9日 (水) 06:02 (UTC)
- 百科事典とニュースは求められるものが違います。Wikipediaがニュースサイトか何かなら、速報性は重要です。しかし百科事典にとっては速報性は必ずしも必要なものではありません。確かに、ウィキを使っているWikipediaは(紙の印刷物と違って)速報にも対応できますが、無理に速報を扱う必要はないのです。なお、 「ニュースで報じられていることは全て百科事典的に価値の無い情報である」と証明する必要 など全くございません。ニュースになった話題を記事にすること自体には問題ありませんが、一分一秒を競うように投稿・編集することはない、というだけのことですから。失礼ながら、はまさんのおっしゃることの方が詭弁に傾いているように感じられますね。 -- NiKe 2008年7月9日 (水) 04:19 (UTC)
- そのとおりですね。いくらWikipediaが「やはり百科事典」であっても、それはやはり『紙製ではない、新しい百科事典』です。このポイントがいつまでたっても理解できない人が絶えないのはなんでだろうか?多分「百科事典だ」と呪文を繰り返せばなんでも通ってしまうという悪しき風習があるのかもしれない。Nike氏の言ってることは、要するにこの節で指摘されている捏造された条文の繰り返しに過ぎません。それについて、おかしいという提起が出ているのになお捏造された条文を繰り返す行為自体が、いかにこの条文が鵜呑みにされていてあらゆる利用者の信条となってしまっているのか?という追加証拠になりますね。論理的には「すべてのニュースのうち特筆性のないニュースは百科事典では扱わない。」すべてのニュースのリスト→ウィキペディアの項目、とはならない、と特筆性の観点から除外するように牽制しているにすぎません。今、日本語版においては「すべてのニュースのリスト」について、本来の特筆性の尺度からいつのまにか時間的な速報性の尺度と摩り替わっている。その理屈で「すべてのニュースリスト」は最初は全部速報性のあるニュースなのでNG、時間が経過すれば速報性のなくなるニュースになるのでOKとかいう考えなのでしょう。--121.84.118.122 2008年7月8日 (火) 22:59 (UTC)
- 典型的な詭弁ですね。確かにWikipediaは百科事典であってニュースではない。しかし、貴方の言うことが正しいと証明したければ、「ニュースで報じられていることは全て百科事典的に価値の無い情報である」と証明する必要があります。当然、そんなことはないわけで、ニュースの中にも百科事典的特筆性を持った情報もある以上、それを即時的に記載することを否定する論拠には全くなりません。--はま 2008年7月8日 (火) 13:32 (UTC)
- いくらWikipediaが『紙製ではない、新しい百科事典』であっても、やはり百科事典です。速報だろうが詳報だろうがニュースでは無いでしょう。 -- NiKe 2008年7月8日 (火) 11:29 (UTC)
- 速報的な記述を入れてよいかどうかというと、よいとは思うのですが、速報なら何でもありかというとそれも違うと思います。
- ウィキペディアは「最新の正確な情報を掲載しなければならない」という考え方に陥っている人もいるように思われますが、それもまた逆方向に極端な考え方になってしまっています。今後変わることが容易に推測される情報(大災害の被害者数など)を、新しい情報が入り次第更新すべきかというとそうではなく、ある程度情報が落ち着いてから編集すればいいのではないか、と思います。
- また、速報的に逐次追記した内容があってもいいとは思います。あとでまとめて百科事典的にすればいいだけで(ここをサボるから速報容認派が批判されているのは理解してください)、情報を集約する場としてウィキペディアを機能させることはできるのではないでしょうか。--Tamago915 2008年7月8日 (火) 23:18 (UTC)
- まず確認したいのですが、ひとつの記事の編集プロセスにおいて速報禁止派vs速報容認派という構図は成立しません。これはプロジェクトのスタンスの問題であり、まず一律速報禁止などというプロジェクト理念に反する合意のない概念(本来、判断根拠は特筆性、ソースの有無であり、時間ではない)に基づいた編集妨害行為を改めようということです。ここで速報禁止がおかしいという主張をしているもの≠あとあとまとめないサボっている編集者、ではないし、ひとつの記事を編集する多くの利用者で記事構造を整理する人、情報を追加する人、いろいろいるのは当たりまえのことです。全員ボランティアによるオープンソースプロジェクトでは誰かがサボりで悪い誰かが貢献で良いとかいう見方は取りません。次に、この節で論じられている主題は速報性についてのこれまでの誤った信念の指摘、訂正、否定であり、そういう信念の否定がコミュニティにより自覚された後に、はじめて個別の程度問題の議論が可能になります。今までは程度問題を議論するにしても、こういう「ニュース速報ではありません」という捏造条文に基づいた誤った信念をもった利用者が参加し、程度を議論するので、妥当な合意は不可能だったでしょう。とりあえずここは根本のプロジェクトのスタンスはどういうものであるのか?という基本的な確認作業で、それが終われば、程度問題の調整を図るために、「『ニュース速報ではありません』の議論をWikipedia:性急な編集をしないの公式方針化議論に統合一元化」の叩き台に具体的議論として場を移行させればよいと考えます。--121.84.118.122 2008年7月9日 (水) 00:19 (UTC)
- 半保護された議論で、非ログインユーザーにいうのも何ですが(反論できないので)、自分の価値観の押しつけしかできない上に他人の記述を正しく読み取れないのでは、議論にならないでしょう。
- 本題に戻りますと、ニュース速報そのものを禁止している、という事実はないと認識していますし、そのような運用も行われていないと思われます。自分が関わった具体的な事例でいうと、女流棋士 (将棋)#将棋連盟からの独立はかなり速報的・断片的な記述が続きました(2007年3~4月頃の履歴)がとくに問題視されたわけでもなく、Mixi#2008年4月1日施行予定の利用規約改定を巡りも同様です(こちらはまとめ直す必要がありそうです)。私が知らないところも含めれば、こういった例は多数あるのでしょう。
- 「ニュース速報ではない」というのは、すべての速報的記述を認めないというのではなく、その中に散見される不適切な記述が問題視されるのでしょう。具体的には、ニュースサイトからの文章の複製や、悪質ないたずら、極端に中立性を欠いた記述、百科事典的ではない文章(これは文章の巧拙の問題なのですが)といったものが挙げられます。もちろんこれらは常に問題なのですが、速報的な記述では、編集数が増えることもあって必然的にこれらの不適切なものが増えるので、問題視される可能性がより高まっているということはいえると思います。
- そういうところに気をつければ、速報だからといって目くじらを立てられるようなこともないのではないか、と思うのですが。--Tamago915 2008年7月9日 (水) 23:04 (UTC)
とりあえず、以上の議論に基づいて合理的な反論はこれまでなされておらず、すでに論点は出尽くしているように見えます。そこで、現時点でのコミュニティによる趨勢、状況を明示的に見極めるために調査投票を行い、その結果次第では、『ニュース速報ではありません』の議論をWikipedia:性急な編集をしないの公式方針化議論に統合一元化を一案とし、具体的検討のフェイズに移行させることを提案します。なお、この節での継続した議論、異論は妨げるものではありませんので念のため。--121.84.118.122 2008年7月9日 (水) 02:14 (UTC)
投票に反対します。私もこの場の議論が有益であること、現状に問題があることは賛同いたしますし、特にはまさまのご議論には深く共感していることは確かです。しかしながら、この場の議論自体が長期間荒らしによるソックパペットを強く疑われて無期限ブロックされた方による提案であること(その後もソックパペットと思しき方の介入が続いていることも含め)から、このままでは提案自体に瑕疵があるとして認めない方が多く出る懸念があります。議論を次の段階に進めるには、Wikipedia内で実績のある方による提案がないと、今後の展開がうまくいかないと考えます。さらにIPでの議論参加にはなんら問題がないものの、投票行為に参加することはできないことから121.84.118.122様には今後も議論をお進めになるならば、ぜひアカウントを取得していただき、一般の記事編集にもかかわっていただくことをお勧めいたします。IPの方の発言(編集ではなく)を軽視ないし否定する傾向(そのよしあしはここでは問いませんが)があることもお忘れなく。出発点に瑕疵があることで、せっかくの有意義な議論が反故になることは避けなければなりません。--春秋君 2008年7月9日 (水) 03:58 (UTC)反対表明を取り下げます。--春秋君 2008年7月9日 (水) 06:07 (UTC)- 私が上記の異見を書き込んだところ、さっそく私の会話ページと匿名掲示板に
いやみな苦言を呈する書き込みがありました。それはそれでよろしいのですが、私の主張を理解なさることのできない方がいらっしゃるようなので、もう少し書き込ませていただきます。私が賛同しているはま様の主張は特に次の部分です。以下はま様の 2008年7月7日 (月) 12:49 (UTC)の投稿より引用- 情報の価値(特筆性)が速報性(=知っている人が少ない)にのみ基づくのであれば、ウィキペディアはそれを記載する場所ではない
- 情報の価値(特筆性)が時間によらない普遍性を持つのであれば、それをタイムリーに(事が起こってすぐに)記述するのは問題がない
- 引用ここまで。
- 私が想像するこのような違いは例えば、古い例で申し訳ないのですが、哺乳類で最初のクローンドリーが誕生した際、それを新聞報道を基に記事を書いただけでは単なる速報だが、同じ時期であってもネイチャー誌の原著[1]をもとに書けば立派な普遍性をもった記事であるのだと思うのです。四川大地震でも事情は同じだと思います。アメリカ地震研究所や日本の東京大学地震研究所の公式発表は地震当日に行われているわけですから、記事の普遍性を担保する情報は存在していたわけです。それに気づいた人が、その信頼性のある情報源に基づいて記事を書けばいい。最初にいい加減な記事であれば、信頼性のある記事の存在を知っている人が加筆すればいいのだと思います(信頼性のおける情報源と思われたものをもとに記事を書いたが、後にそれが誤り、ないしは捏造などであることが発覚した、ということであれば、それはすでにWikipediaの問題ではなく、社会問題ですから、それ自体が記事の対象になるでしょう)。
- では最初にその項目が意味する事件なり事故なりが起こったときに、それが普遍性を持ったものかどうかを誰が判断するか。これはどこかで線を引かなければならないと思います。ある一定期間待っても信頼性のある情報源に基づいた加筆が行わなければ、それは普遍性を伴っていない(少なくともその時点で)、という判断を下す基準が必要なのだと思います。その基準が今存在しているのかどうかはよくわかりません。曖昧だから現在のような問題がおきているのかもしれません。だとしたら、これからそういう「速報性のある事象を記事にしてもよい規準」というものを決めなければならないのかもしれません。
ここまで書いてきていうのもなんですが、相変わらず121.84.118.122様の提案には反対いたします。理由は上記のまま変わりません。私が言いたかったのは、どれほど内容が理論として正しいものであっても、手続き的に瑕疵があるようでは正統性を主張できない、その意味で手続き論としてもきちんとした議論の場を作っていただきたいということだけです。私の会話ページで「ならお前が提示しろ」という趣旨のことをお書きになったIP様がいらっしゃいましたが、残念ながらこの問題に関して私はそこまでの情熱を持っておりません。きちんとした提案があれば議論に何らかの形で貢献したいとは思っておりますが。--春秋君 2008年7月9日 (水) 05:26 (UTC)反対表明を取り下げます。意見自体は変わらないので、理由は存続します。--春秋君 2008年7月9日 (水) 06:07 (UTC)
- ^ Wilmut, I et al (1997), “Viable offspring derived from fetal and adult mammalian cells”, Nature 385: 810-3, PMID 9039911
- 反対だけするのは政治的意図があるというご意見がありました。そういう意図はありませんが、私自身が改めて議論を提示するだけの情熱を持ち合わせていないので、反対表明は取り下げさせていただきます。お騒がせいたしました。--春秋君 2008年7月9日 (水) 06:07 (UTC)
『ニュース速報ではありません』の議論をWikipedia:性急な編集をしないの公式方針化議論に統合一元化
[編集]Wikipedia:井戸端/subj/『ニュース速報ではありません』というのはいったいどこから出てきた概念なのか?の議論を継承、参考とし、ひとつの叩き台をつくる試み。 IP編集でしたが、変化するのでアカウントとなっています。
統合一元化という見出しですが、本来は特筆性についての記述されている事例集リストに、ある時期にどこからともなく紛れ込んだ「ニュース速報でない」という条文を除去、分離し、該当文は英語版に準拠した特筆性という要点に基づき正しい翻訳文に修正しアップデートします。分離された「ニュース速報でない」という要素は、より体系的に整理され議論されているWikipedia:性急な編集をしないにおいて一元的に統合し、そこで妥当性の検証とともに合意を目指します。
- 「速報性」と「特筆性」は異なる概念であることの確認。中立的な観点、検証可能性、独自研究、著作権とも関連する要素であるが、現状ごった煮で議論されてしまうことが多い。
- 「ニュース速報ではありません」という表現による影響が大きすぎ、拡大解釈して参照の上濫用されるのが散見される。温度差のある異なる考えの利用者との衝突を解消する。事前に然るべき場所にてある程度までコンセンサスを取ることは可能で、これまでのプロジェクト全体の重複するディベートコストを削減する。
- 「ニュース速報ではありません」もしくはその表現に順ずる概念は英語版には存在していない日本語版の独自方針である事実の確認。日本国または日本語話者特有の事情によるローカライゼーションである根拠はない。
- この日本語版独自方針に関連し「ウィキペディアは紙の百科事典ではない」というプロジェクトの根本理念、メリットと相反しているとする考察多数。英語版はこれに沿った運用がなされており、日本語版の独自路線、風潮、運用方法が不自然であるという見解。基本方針、それに基づく英語版との乖離の検証。(参考意見)Wikipedia‐ノート:保護の方針/仮運用/過去ログ1#あまり厳しく対処すると基本方針に反しないか? Wikipedia‐ノート:保護の方針/仮運用/過去ログ1#「ニュース速報」的編集の解釈もしくは、性急保護仮運用時の反対意見全般。
- Wikipedia:ウィキペディアは何でないかの「ウィキペディアは単なる知識ベースではありません」というのは、原文参照すると、文書構造的にも特筆性についての例示リストであり、実際そのとおり詳細は特筆性を参照と明示されている。原文内容もすべて特筆性についての記述。日本語版の「ニュース速報ではありません」という速報性のみ強調した文章は、誤訳であり独自見解により歪曲されたままなし崩し的に方針化されてしまった可能性が高い。方針文書のフォーマットとしても現状結構めちゃくちゃなままに放置されている。
- また、ニュース速報ではない、という概念のまともな合意形成の形跡がない。。
- 最新版の英語版のen:Wikipedia:What Wikipedia is notの当該項目にフォーマットとともに準拠するように修正し、特筆性についての記述と正しく翻訳しなおす。
- 現状の「ニュース速報ではありません」その他の表現は、何でないか?の翻訳仕切り直しによる上書きに伴い方針から除去される。
- 速報性もしくは「ニュース速報ではありません」の議論は、何でないか?の当該項目の議論とは分離し、Wikipedia:性急な編集をしないの公式方針化議論に明確に統合一元化し、そこで合意形成を目指す。その際、「紙の百科事典でない」というプロジェクトの根本理念に留意し、それを侵犯せず矛盾しない範囲におさめる。
- 現在のテンプレートに含まれる「Wikipediaはニュース速報でも宣伝サイトでもありません。」という文面リンクを修正し、整合性を図る。
以上、重要な変更であり、別段急ぐこともないが、しばらく様子見の後、収拾が見られるようであれば、それぞれのノートに提起すればよいのではないか?--軽流水 2008年7月7日 (月) 11:17 (UTC)
- いっそのこと、ニュース系はウィキニュースに誘導するとかどうでしょうか?--𡚴 2008年7月8日 (火) 10:41 (UTC)
- ウィキニュース誘導ってよく言われてますがそれが実を結んだことってない気がします…。提案する人は提案するだけで人任せだし実践する人もなぜかよくフェードアウトするし…。まぁ、百科事典の域を完全に出るニュース速報的なものはウィキニュースへ持っていった方がWikimedia Projectsの理念にかなったものなのかもしれませんが。--Marine-Blue [ 会話 履歴 電信 ] 2008年7月10日 (木) 02:34 (UTC)
- ウィキニュース:記事の書き方などを読むと解りますが、ウィキペディアとは文章の書き方からして違うので単純に「誘導」つ〜ても難しいんじゃないでしょうか。
- あと、IPユーザーとしてウィキニュースに記事を投げてみた事が2〜3回あったと記憶していますが、確か翌日になっても査読中のままで掲載されなかったのでチェックも止めた記憶が。結局その記事が掲載されたのか知りません。つ〜か、もはや何を投げたのかすら覚えてない。--KAMUI 2008年7月11日 (金) 11:17 (UTC)
「ウィキペディアは辞書ではありません」への補足
[編集]「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは辞書ではありません」にウィキペディアは辞書ではありませんので、定義だけの項目を作らないようにしてください。もちろん項目は、そのトピックについての明解な定義をもつ文章で始めるべきです。もし、定義から始めるのが難しいならば、それに代わる説明で文章を始めてください。 と書かれていますが、往々にしてこれらが守られていない記事(項目)が散見されます。百科事典は辞書と同じでないことは当然ですが、辞書に書かれることと矛盾や相違が有る場合は、記事の内容において明確な定義や区別を持つ文章や文意は必要です。これらは無視され、「ウィキペディアは辞書ではありません」だけを捉えて、記事内の記述を削除や、除外、redirectなどを行う事がしばしば行われます。Redirectされる前の「検索」と現在の「検索」などが例として挙げられます。
従って、下記の文を上記のフレーズに加筆することを提案します。
また、辞書と同じでないにしても、それらと矛盾する記述は避け無ければならず、閲覧者にこれらの矛盾が違和感や誤解を与えないような文章となることが求められます。
ちなみに、
百科事典とは:人類の所有する諸知識を収録し、・・・辞典(書)と区別されるが、内容的に百科事典のカテゴリーに入るものにも「辞典」の語を冠せられることがある。
- ブリタニカ百科事典15th Edition:Encyclepedia, reference work that contains information on all branches of knowledge or that treats a particular branch of knowledge in a comprehensive manner. An Encyclepedia is a self-contained reference work... (途中の文略) It differs from pedagogical texts in its attempt to be easy to consult and to be readily understandable by the layperson.(曰く)、百科事典は知識の全ての分野の、または特定の分野の知識を包括的に含めた参考となるべきものである。百科事典はそれ自身に網羅されれ参考とされるものであり,,,, 中略 また、教育者の文章ではなく、素人によって容易に調べられ、理解出来るようにされたものである。と唱われる。--Namazu-tron 2008年11月2日 (日) 05:18 (UTC)
- んー、定義文が必要であるということ、語としての定義のみでは駄目だということ、を説明する上では、今の文章で足りると思います。加筆しようとされている文章では、「矛盾」というのが具体的に読み取れない気がします。ご指摘の「検索」については、リダイレクト先の「情報検索」が代表となっていることが好ましくなく、ウィクショナリへの誘導と共に「情報検索 (図書館情報学)」との平等な曖昧さ回避にするというのがよいのではないかなあ。ノート:検索で引き続き議論されるのがよさそう。個人的には、辞書的な記述を百科事典は内包するが、特に用例や文法的な部分については、辞書に委ねるというようなものと考えています。確かエーコがそんなようなことを書いていますよ。--Ks aka 98 2008年11月2日 (日) 08:08 (UTC)
ウィキペディアは出会い系サイトではありません
[編集]「Wikipedia:児童・生徒の方々へ#友だちさがしのサイトではありません」の内容を以下のようにより一般向けに作成したいと思いますがいかがでしょうか?
- ウィキペディアは出会い系サイトではありません。友だち探しやおしゃべりをするためのものではありません。ウィキペディアのアカウントを取ると自分だけの、自己紹介ができるページや会話ができるページがついてきますが、それらも百科事典作りのために用意されています。
- また、自分自身を宣伝する場所ではありません。特に、自分の名前・生年月日・性別・住所・年齢・電話番号・メールアドレスなど「個人情報」はウィキペディアに「書いてはいけない情報」にあたります。書いてしまった人が、犯罪者に目をつけられたり事件に巻き込まれたりすることもあり、注意が必要です。
- もちろん、同じ理由から、他人の「個人情報」を書いてもいけません。芸能人のように公に公表されていない人の事実の暴露や報道をする場所ではありません。
--YOUJI 2009年4月6日 (月) 13:46 (UTC)
- 「ウィキペディアに「書いてはいけない情報」にあたります。」という表現が引っかかる。Wikipedia:児童・生徒の方々へは子供が対象だから強い文体で警告しているのだろうけど、成人向けに書き加えるならそのような配慮は不要。特に性別・都道府県・年代は、明かしたところで実害に乏しいし、編集する記事の傾向によっては公開した方が有益な場合もある。厳禁を明文化するなら、この三つは外すべき。--白文鳥 2009年4月16日 (木) 11:37 (UTC)
では次のようにしてはどうでしょうか?
- ウィキペディアは出会い系サイトではありません。友達探しやおしゃべりをするためのものではありません。ウィキペディアのアカウントを取ると自分だけの、自己紹介ができるページや会話ができるページがついてきますが、それらも百科事典作りのために用意されています。
- また、自分自身を宣伝する場所ではありません。特に、自分の名前・電話番号・メールアドレスなど「個人情報」はウィキペディアに「書いてはいけない情報」にあたります。書いてしまった人が、犯罪者に目をつけられたり事件に巻き込まれたりすることもあり、注意が必要です。
- もちろん、同じ理由から、他人の「個人情報」を書いてもいけません。芸能人のように公に公表されていない人の事実の暴露や報道をする場所ではありません。
--YOUJI 2009年4月17日 (金) 13:31 (UTC)
振り仮名
[編集]文章全ての漢字に振り仮名を付けた方がいいのかもしれません。編集者の違いなんでしょうが、平仮名がやたら多い(漢字の使用が少ない)項目と、漢字がふんだんに用いられている項目がありますので、統一化を行った方がよろしいかと。漢字が少な過ぎると読み難くなり、かといって漢字を多用すると低学年の児童には読めなくなってしまいます。故に漢字+振り仮名というスタイルが好ましいと考えます。振り仮名は括弧表記で問題無いかと考えます。 --118.4.102.68 2009年4月16日 (木) 08:21 (UTC)
- ここはWikipedia:ウィキペディアは何(なん)ではないかの内容(ないよう)について話(はな)し合(あ)う場所(ばしょ)ですので、ウィキペディア全体(ぜんたい)についての提案(ていあん)は別(べつ)の適切(てきせつ)な場所(ばしょ)にお願(ねが)いします。漢字(かんじ)仮名(かな)交(ま)じり文(ぶん)をどこまで開(ひら)くかについては、Wikipedia:スタイルマニュアルやWikipedia:表記(ひょうき)ガイドあたりかと思(おも)います。が、総(そう)ルビについては多(おお)くの賛成(さんせい)を得(え)るのは難(むず)しいと思(おも)います。今(いま)ここでやっていますように、振(ふ)り仮名(がな)を括弧(かっこ)で添(そ)えた文章(ぶんしょう)は必(かなら)ずしも読(よ)みやすくありませんし、入力(にゅうりょく)するのも大変(たいへん)で、単純(たんじゅん)に考(かんが)えても2倍(ばい)以上(いじょう)の労力(ろうりょく)を要(よう)します。かといって、ウィキペディア側(がわ)のソフトウェアで自動処理(じどうしょり)するには作業(さぎょう)が高度(こうど)過(す)ぎるでしょう。Wikipedia:ツール#日本語(にほんご)の閲覧(えつらん)補助(ほじょ)で紹介(しょうかい)していますように、ウェブ上(じょう)の日本語(にほんご)ページを総仮名(そうがな)に変換(へんかん)してくれるサイトなどもありますので、そちらの使用(しよう)をお勧(すす)めします。そもそもウィキペディアは通常(つうじょう)の成人(せいじん)読者(どくしゃ)を対象(たいしょう)とした百科事典(ひゃっかじてん)ですので、小学校(しょうがっこう)低学年(ていがくねん)のための特別(とくべつ)な配慮(はいりょ)は行(おこな)っていませんし、今後(こんご)も行(おこな)う予定(よてい)はないと思(おも)います。--Aotake 2009年4月16日 (木) 11:14 (UTC)
全面改訂提案
[編集]現在のガイドラインは英語版から翻訳された2005年2月9日の版が、実質ほとんど改定されないまま現在まで使用されていますが、そのことにより現在の英語版との乖離が目立って来ているように感じます。そのため英語版とある程度整合性を合わせるためにも、現在の英語版を元にした全面改訂を提案いたします。Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか/改定案090625に英語版を翻訳したものを作成いたしましたので、この提案に対するご意見をお願いいたします。私としては一部は日本語版にあわせた記述変更が必要かもしれませんが、おおむねこのまま導入しても問題ないと考えます。--Web comic 2009年6月25日 (木) 12:24 (UTC)
- 翻訳お疲れ様です。ほとんどの項目が一般論であり、日本語版にもそのまま当てはまるので、このまま導入して良いと思います。ただ、いくつか気になった点があります。
- 「ウィキペディアは独自の考えを発表する場ではありません」節の「ジャーナリズム」にて、「first-hand news reports」を「直の(つまり検証可能性を満たさない)報道」としてありますが、「first-hand information」は、「 (また聞きでなく)直接聞いた話」という意味なので、「直の報道」とは要するに現地取材のことを言っているのだと思います。つまり、「利用者が現地で知ったことはウィキペディアでなくウィキニュースに投稿しましょう」ということを言っているのだと思います。「ウィキペディアはあなたが現地で取材した(つまり検証可能性を満たさない)ニュース速報を提供すべきではありません。…」とした方がわかりやすいと思います。さらに、原文にはありませんが、「生の情報はぜひウィキニュースへ投稿して下さい」などと付け加えるとよいかなとも思います。
- また、「ウィキペディアは演説台ではありません」節の「プロパガンダ、アドボカシー(擁護)、あるいは新人勧誘」ですが、アドボカシーは市民による政策提言のことだと思います。例えば、消費者庁で「日本の観光政策はこのようにすべきである」というように、利用者の持論を投稿するのは演説なので不可ということだと思います。
- さらに、同じ節の最後尾にある「Non-disruptive statements of opinion」を「意見の非破壊的な表明」としてありますが、「ちょっとした持論を展開する」くらいの意味ではないかと思います。つまり、「ウィキペディアの方針やガイドラインの変更について、利用者ページで持論を述べるのは演説に当たらず問題ない」ということだと思います。
- ご検討いただければ幸いです。よろしくお願いいたします。--伏儀 2009年6月27日 (土) 04:36 (UTC)
- 趣旨に賛同していただきありがとうございました。さてご指摘の件ですがおおむね問題がないと思いますので、若干表現を変えたものもありますが伏儀さんのご指摘のように修正いたしました。ご確認ください。--Web comic 2009年6月27日 (土) 07:49 (UTC)
- 議論するよりはと「定義」ではない、ということころまでの訳に直接手を入れてみました。--Jms 2009年6月29日 (月) 16:20 (UTC)
- 内容とは関係ありませんが、翻訳済みの原文を<small>かTemplate:Smallで小さくしていただいたほうが読みやすいと思います。--sabuell 2009年7月1日 (水) 15:53 (UTC)
- そこまで手がまわらないので、良いことならそうしていただけると助かります。実は、編集し始める時はこの件を覚えていても、編集している間に忘れてしまうことが続いています。--Jms 2009年7月1日 (水) 20:49 (UTC)
- 内容とは関係ありませんが、翻訳済みの原文を<small>かTemplate:Smallで小さくしていただいたほうが読みやすいと思います。--sabuell 2009年7月1日 (水) 15:53 (UTC)
- 賛成 ご提案の趣旨に賛成いたします。ただ、本文書は「公式な方針」文書の中でも比較的重要なものと認識しています。下でJmsさんも指摘されていますが、方針文書の改訂、それも全面改訂は慎重に進められた方がよろしいかと思います。少なくとも現状は、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか/改定案090625が各位の協力の下ブラッシュアップの最中のように見受けられます。先ずはこの改定案をFIX(合意)させてから、それを方針文書に反映する、とした方がよいのではないでしょうか。--Penn Station 2009年7月3日 (金) 03:43 (UTC)
改定案そのものに反対される方はおりませんでしたので、改定を実行いたしました。改定案提示後に修正作業を行った皆様、ありがとうございました。--Web comic 2009年7月2日 (木) 20:06 (UTC)
- まだ改訂案の検討中であり、改訂案に対してだれかの行った変更について要約欄での指摘もなく差し戻す例がある事からもわかる様に、内容について確定できているとはいえない状況ですから、現時点で公式な方針を改訂してしまうのは性急というものでしょう。差し戻しておきました。もうすこしじっくり検討させてください。--Jms 2009年7月2日 (木) 21:55 (UTC)
- 追記。公式な方針の改訂は、次の手順によるべきだと思います。少なくともWikipedia:著作権の改訂の際にはそうしました。
- 改訂案の細部までの確定と、改訂案に対応するノート (今回の場合このノートページ) での最終案確定の確認。
- Wikipedia:お知らせでの、改訂案ならびに改訂スケジュールの告知。必要に応じて仮運用試験期間を設ける。
- 改訂スケジュール中に変更意見があれば、適宜対応、場合によっては改訂案および改訂スケジュール告知からやり直し。
- 上記ステップが概ね収束すれば、あるいは問題なく改訂期限になれば、改訂実施。
- 「ウィキペディアは何ではないか」は記事削除の直接の基準とはならないにしても、判断の際に参照され得る文書ですから、全面改訂には相応の慎重さが必要だと思います。--Jms 2009年7月2日 (木) 22:38 (UTC)
- 英文箇所に、smallタグを入れました。Wikipedia:お知らせ、コミュニティ・ポータル、ウィキプロジェクト プロジェクト関連文書への掲載を確認しましたが、慎重を期すために掲載しておいたほうが良い場所は他にございますかでしょうか。--sabuell 2009年7月12日 (日) 13:26 (UTC)
最終案提示
[編集]Jmsさんの行為についてはいくつか思うところがあるのですが、不毛な議論は私の望むことではないですのでここでは粛々と進行を行います。最終案ですが翻訳内容が既にいろいろな方から手を加えられていること、その内容は初版から大意の違いはないこと、またこのまま各人が自由に修正作業をしていると永遠に作業が終わらないことから、問題が無い様でしたら一旦私が転記を行ったこの版を最終案として提示したいと思います。もしどうしてもここだけは修正すべきというものがありましたらご意見をお願いいたします。--Web comic 2009年7月3日 (金) 06:09 (UTC)
- Jms さんとのあいだになにがあるのかは存じ上げませんが、他人の作業を理由も挙げずに何度も差し戻すのは、方針を作成していくのに望ましいことではないと思います。とりあえず、転記をなさった 2009年7月2日 (木) 10:29 (JST) の版(要約欄にはUTCと書かれていましたが、JSTですよね?)のあと、改定案に IP 114.51.151.94 から修正が入っていますが、見逃すことのできないような誤訳の修正も入っていますよね。これだけを見ても、改定案にはまだ見直すべきところがあるということが明らかなのではないでしょうか。--Aotake 2009年7月3日 (金) 07:53 (UTC)
- 私自身、提示したものに拘っているわけではありませんので問題があるようでしたら訂正してもらってもかまいません。ただJmsさんやIPさんのようにダラダラと修正作業を続けてもキリがないと思いますので、ノートで修正に関する要点をまとめた上で最終案を決めたほうがよいのではないでしょうか?--Web comic 2009年7月3日 (金) 08:13 (UTC)
- 時間のとれる範囲で徐々にみてゆくしかありませんし、この手の文書の表現には案外微妙なところもあるので、検討にはそれなりに時間がかかります。それを「ダラダラと修正作業を続けて」と言われても困りますし、なにより公式の方針ですから、ある程度慎重に作業すべきでしょう。期限を切るなら、まず最初に目標とする期限を切って作業すべきでしょう。期限をきったやりかたとしてはWikipedia‐ノート:翻訳のガイドライン/作業用があります、ご参考まで。#修正点列挙にある様な方式をとりたいなら、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか/改定案090625の、他の人の手が入る前までの内容を、ご自身の利用者名前空間のサプページに転記してそこで作業なさってはいかがでしょう。利用者名前空間のサプページであったなら、わたくしは直接編集はしませんでした。経験上、ある程度内容が固まるまでは直接編集した方が効率はよいと思います。もちろん、編集意図をノートで説明すると尚よいのですが、(もしあれば) 明らかな誤訳の類までは挙げる必要はないと思います。--Jms 2009年7月3日 (金) 09:04 (UTC)
- 私自身、提示したものに拘っているわけではありませんので問題があるようでしたら訂正してもらってもかまいません。ただJmsさんやIPさんのようにダラダラと修正作業を続けてもキリがないと思いますので、ノートで修正に関する要点をまとめた上で最終案を決めたほうがよいのではないでしょうか?--Web comic 2009年7月3日 (金) 08:13 (UTC)
- コメント提案に反対意見が無かったとはいえ、方針文書の全面改訂が僅か1週間で行われようとしたことについて、正直驚きました。私にはその経験がないのですが、そのようなものなのでしょうか?文書の重要性を考えれば、繰り返しになりますが、もう少し慎重に行った方がよいと思いました。また、元々作業全体のマイルストーンや作業の期限が提示されていなかったにもかかわらず、協力者の作業に対して「ダラダラと修正作業を続けてもキリがない」とのご発言には疑問を覚えます。今後の作業についても、Jmsさんとかぶりますが、先ずはWikipedia:ウィキペディアは何ではないか/改定案090625を直接編集した方が効率的ですし、Wiki的であるとも思います。期限を切ってある程度形になった後に「修正点列挙」方式に移る、というやり方もあるのではないでしょうか。--Penn Station 2009年7月3日 (金) 11:24 (UTC)
- ■IP 114.51.151.94で翻訳に手をいれたものです。まず、Web comicさんの今回の大鉈とも言える全面改訂着手には賛同いたしますし、長大で冗長になりやすいwikipediaの議論、作業もなるべく効率よく進めたいという姿勢にも共感します。また、叩き台の翻訳作業は大変な作業であっただろうと謝意を示します。
- しかしながら、そもそも乖離があるから英語版から翻訳し直そうという作業において、このように誤訳も文面も十分吟味せずに、そもそもマイルストーンの提示のないままに、たかだか1週間で改訂合意と翻訳作業をひっくるめて独断で打ち切り、反映させようとするのは、効率よく作業を進めたいという姿勢を考慮してもあまりにも横着すぎ、翻訳して概念をあわそうというプロセスの本末転倒です。2009年6月25日から1週間で、全面改訂には意義がないとコンセンサスが得られたとしてよいとして、だから、現行の翻訳案でGOか?というのは、それは次の異なるフェイズでしょう。Jms氏の公式化反映の差し戻しはきわめてまっとうなものであると賛同します。翻訳期間はいつまでものばすべきではないと考えますが、キリがないこともない。現行の直接編集でも数週間以内に安定するでしょうが、今改訂コンセンサスができてから数日もたっていないタイミングでは煮詰まっていないだけの話です。とりあえず、これだけの長さ、重要度の高い文書であるので、マイルストーン提示として翻訳期間は今から最低2週間はとり、同時にメインページで告知するくらい、広く技量の高い翻訳者を募るくらいのことはすべきだと考えます。わたしも、方式は直接編集を積極にし、異論がありそうな微妙なポイントは修正点を抽出し、コンセンサスをはかるというハイブリッド方式がよいと思います。■実際、今回、私が手直した部分は、Aotakeさんご指摘のとおり、明らかな誤訳が数カ所あって、しかもそれは非常に論争になりやすく、実際この条文を根拠に混乱があった速報関連の部分であり、意味がまったく間違っていました。この部分だけでも初版と「大意の違いがあります。」その翻訳校正作業を無視した前のバージョンを最終案として提示し、さらに、その共同作業の参加についてダラダラうんぬん批判的に捉えられた事実に理解に苦しむとともに、苦言を呈します。できれば撤回していただきたい。--114.51.151.238 2009年7月3日 (金) 13:48 (UTC)
- すでに他の方から指摘のある様な問題があり、同様の問題が他にもあるかもしれない (ないかもしれない、精査してみないとわからない) ので、御指定の版を最終案とするのには現時点では賛成できません。ノートで修正に関する要点をまとめた上で、という作業方式は、ノートに「○○…○となっている箇所は原文では XX...X であり、××...×とする方が良いでしょう」という記述をすることになり、元文書からの履歴継承も含めればそれなりの作業 (××...×が採用された場合にはさらに履歴継承が必要になります) なので、現段階では現実的な作業方法ではないと思います。「ダラダラと修正作業を続けて」との御批判がありますので、作業方法について合意がとれるまで、精査もペンディングにしております。--Jms 2009年7月3日 (金) 16:43 (UTC)
- (追記) 「ダラダラと修正作業を続けて」というのの、具体的にどの側面が問題なのかお教えいただければ幸いです、改善可能であれば改善しようと思います。「だらだら」を広辞苑では「物事をのろのろとするさま」と説明していますが、仰っているのは作業スピードそのものより、節ごとの編集が行われることなのではないかと想像しています。節ごとに編集しているのは、単一の文書について比較的短い期間に複数人数で手を入れる際に編集競合の可能性を少しでも減らすこと、それぞれの作業の進行状況が互いに予想可能なので作業重複が避けやすいこと、作業単位が把握しやすく利用可能な時間を作業にアロケートしやすいこと、というメリットがあるからです。--Jms 2009年7月4日 (土) 22:02 (UTC)
最終案に向けての作業手法が決まるのを待つ間に、方向性について意見集約しておきたい点があります。明らかな誤訳は (もしあれば) 除去するのは当然として、訳文をどう表現するかというスタイルの範囲についても、方向性を決めて作業しないと、作業上問題となり得ると思います。特に気になっているのが、二人称代名詞を多用した硬い訳文なのですが、公式の方針の改訂である以上、日本語としてこなれたものの方が望ましいと思います。二人称代名詞はなるべく用いない方向にするか、それとも二人称代名詞を残し原文に対し精確な訳を目指すか、方向性についてご意見をお聞かせください。--Jms 2009年7月6日 (月) 22:55 (UTC)
- 私も査読しようと思ったのですが、作業の進め方が決まるまで保留にしています。二人称代名詞についてですが、日本語として自然な文章とするため、基本的には用いない方向(ただし注意喚起を強調したい場合は使用しても可)とした方が良いと思います。--Penn Station 2009年7月7日 (火) 03:20 (UTC)
現状修正をこのまま継続した方が良い意見が多いため今回の提示はひとまず取り下げることにいたします。改定案の内容を修正される方がいらっしゃいましたら引き続き作業をお願いいたします。--Web comic 2009年7月11日 (土) 06:25 (UTC)
- 歌詞まわり再度手をいれました。差し戻しされた理由がわからないので、もしかしたら不適切なのかもしれませんが、著作権関連の言い回しや内容を調整してあります。さて、改定案に関する議論はWikipedia‐ノート:ウィキペディアは何ではないか/改定案090625でまとめて行う方が見通しが良い気がしますが、如何がでしょう。--Jms 2009年7月12日 (日) 14:53 (UTC)
- 皆さん、こんにちは。私は当面実作業で協力することができませんが今後の為に作業の流れを拝見しております。Web comicさんはある程度の完成をもって置き換えるつもりだと思いますが他の方は完成度を高くしてからとのご意見のようです。全体の評価がはっきりしない状態なので他の方の部分的な協力が難しいと思われます。各セクションの進捗度の評価を行って進み具合が分かるようにしてはどうでしょうか?--Sweeper tamonten 2009年7月15日 (水) 12:27 (UTC)
- 作業継続となったため、私も査読および修正を始めました。前例に倣い節ごとに編集しています。時間があるときに気分転換も兼ねて作業していますが、全部見るのは時間かかりそうです(修正期間にもよりますが、全部は見れないかもしれません)。--Penn Station 2009年7月17日 (金) 14:35 (UTC)
- ※私がここに記述した英語版へのリンクの形式の統一に関する報告は、Wikipedia‐ノート:ウィキペディアは何ではないか/改定案090625へ移動しました。--Penn Station 2009年7月18日 (土) 13:59 (UTC)
- ※114.51.9.175(114.51.151.94)さんのコメントをWikipedia‐ノート:ウィキペディアは何ではないか/改定案090625#「ニュースレポート」節についてに転記(移動)させていただきました。改定案の内容(翻訳)に関する議論はそちらのページでお願いいたします。--Penn Station 2009年7月21日 (火) 11:38 (UTC)
査読チェックリスト
[編集]Sweeper tamontenさんからのご指摘もありましたが、各利用者がどこまで査読が完了したか確認するために、チェックリストを作成しました。数字は査読・修正の時系列的な順序を表しています。今後査読・編集した場合(ただし細かい編集は省略)は、下記表に数字の記入をお願いします。--Penn Station 2009年7月19日 (日) 07:53 (UTC)
対象文書:Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか/改定案090625 (変更履歴、改定案の内容に関する議論)
節 | Web comic | Jms | Aotake | 114.51.151.94 114.51.9.175 114.51.37.170 |
S.T. | Penn Station |
---|---|---|---|---|---|---|
導入部 | 1 | 2 | 3 | - | - | 4 |
1 スタイルと体裁 | 1 | 2 | 3 | - | - | 4 |
1.1 ウィキペディアは紙製の百科事典ではありません | 1 | 2 | 3 | - | - | 4 |
2 内容 | 1 | 2 | 3 | - | - | 4 |
2.1 ウィキペディアは辞書ではありません | 1 | 2,4 | 3,5 | 7 | - | 6 |
2.2 ウィキペディアは独自の考えを発表する場ではありません | 1 | 2 | 3 | 5 | - | - |
2.3 ウィキペディアは演説台ではありません | 1,3 | 2,4 | 5 | 6 | - | - |
2.4 ウィキペディアはリンク、画像、メディアファイルのミラーサイトや保管場所ではありません | 1 | 3 | 2 | - | - | - |
2.5 ウィキペディアはブログ、ウェブスペース、ソーシャルネットワーク、追悼サイトではありません | 1 | 4 | 2 | - | - | 3 |
2.6 ウィキペディアは名鑑ではありません | 1 | 3 | 2 | - | - | - |
2.7 ウィキペディアはマニュアル、ガイドブック、教科書、学術雑誌ではありません | 1 | 3 | 2 | - | - | - |
2.8 ウィキペディアは未来を予測する場ではありません | 1 | 4 | 2 | 3 | - | - |
2.9 ウィキペディアは情報を無差別に収集する場所ではありません | 1,3,5 | 2 | 8 | 4,7 | - | 6 |
2.10 ウィキペディアでは検閲は行われません | 1 | 4 | 3 | - | - | 2 |
3 コミュニティ | 1 | 4 | 3 | - | - | 2 |
3.1 ウィキペディアは民主主義ではありません | 1 | 5 | 3 | 4 | - | 2 |
3.2 ウィキペディアは官僚主義ではありません | 1 | 6 | 2 | 3,5 | - | 4 |
3.3 ウィキペディアは戦場ではありません | 1 | 4 | 2 | - | 3 | - |
3.4 ウィキペディアは無法地帯ではありません | 1 | 4 | 3 | - | 2 | - |
3.5 ウィキペディアはあなたのウェブサイトではありません | 1 | 4 | 3 | - | - | 2 |
4 最後に | 1 | 2 | 4 | - | - | 3 |
5 疑問に思ったときは | 1 | 2 | 4 | - | - | 3 |
6 関連項目 | 1 | - | 3 | - | - | 2 |
7 注釈 | 1 | - | - | - | - | - |
8 姉妹プロジェクトの同種の公式方針 | 1 | - | 3 | - | - | 2 |
修正点列挙
[編集]上記にも書いたように継続的に修正活動を行ってもキリがありませんので、この節にてWikipedia:ウィキペディアは何ではないか/改定案090625における現在の要修正点を列挙して、まとめて修正を行う方式をとりたいと思います。その後ここで提示された修正案を反映させた上で改めて最終案を提示したいと考えます。以下に修正点の提示をお願いいたします。--Web comic 2009年7月3日 (金) 08:26 (UTC)
- キリがないことはない。たかだか数日、数人が校正作業を行いはじめた段階であり、この調子で直接編集は少なくともあと1,2週間は開放したままにしておくべきであると考えます。このままでも時間経過とともにある程度収束して安定するでしょうが、同時に誰かの校正作業に異論があれば、その都度その箇所を気づいた人が抽出してコンセンサスを図るというハイブリッド形式のほうが効率よくないだろうか。最終案というのは、誰かひとりが提示する官僚的なものではなく、WIKI的な共同作業をベースに最終的に合意に至るほうが良いと考えます。--114.51.151.238 2009年7月3日 (金) 14:01 (UTC)
- この種の改訂は誰か1人でも強行に「ちゃぶ台返し」をやる人がいればすべて無に帰しますので、慎重に、手続き論を重視して行うのが宜しいかと考えます。Wikipediaは不特定多数の大衆が参加する場所なので「手続き」を正しく踏んだということが「ちゃぶ台返し」に対抗できるほぼ唯一の根拠になるということもあります。まどろっこしいとお感じかと拝察いたしますが、いずれにせよ翻訳作業ご足労様でした。--大和屋敷 2009年7月3日 (金) 17:25 (UTC)
そろそろ表に出す現時点での最終案の合意形成へ移りませんか
[編集]修正作業を開始してからおよそ一ヶ月が過ぎ、皆様の断続的な翻訳作業、と問題点の議論にもとづく編集のおかげで、私が見るところ、かなりこなれたというか、概念上顕著に問題、齟齬となりうる潜在的箇所はひととおりつぶされて、表現もこなれて収束し安定しているように見受けられます。少なくとも、先ほど全体をざっと見渡してこれまで詳細を見ていなかったところで発見した場所は修正し、すでに見た箇所は再度チェックしましたが、私の方からはこれ以上は、何もありません。
一ヶ月の作業期間はすでに十分であるように思える事、ほぼ全員がだいたいの項目への翻訳と議論を十分に網羅しているように見える事、さらに、もし、このままさらにずるずる作業を継続して盆休みをまたぐとなれば、またさらに1ヶ月と作業自体が冗長で希薄なことになりかねないことから、今後数日で、できれば今回参加協力していただいたメンバー全員で最終合意を意識した上で明示的に洗い出し、チェック作業を行い、問題なしとなれば、翻訳作業のための余分箇所を整理して表に反映させる、ということでいかがでしょうか。
もちろん、英語リンクのままである部分も多いし、最終チェック後合意の後、表に反映の後になっても、やはり手直ししたいという箇所はでてくるかもしれませんが、とりあえず、表に出して効力を得ても、不特定多数の利用者より参照される文面としては何ら問題のないフェイズであるという位置づけで、現時点での最終バージョンを固めませんか?--114.51.176.140 2009年7月31日 (金) 11:20 (UTC)
- どの節も二人以上が査読していますから、次の段階に進んでよいと思います。細かな修正はきりがないので、数日、せいぜい一週間のうちに、どうしても検討すべき部分だけ検討し、そこで合意できた部分で最終案とする (議論の余地がある部分は必要があれば後日あらためて検討する) のが良いと思います。次の段階としては、最終案ができたことをWikipedia:お知らせで告知し、一週間程度の確認期間をおいてから改訂するのが望ましいと思います。--Jms 2009年7月31日 (金) 18:41 (UTC)
- 最終案としてまとめる作業がなされるべき段階ということでは一致されているようなので、その中で何をすべきかですね。Jmsさんの案では検討すべき点を全て挙げてから処理するという手順になるものと判断しています。他に今後の全体作業のあり方があるでしょうか?参考になる実例があればさらにいいのですがご存知の方はいらっしゃいますか?--Sweeper tamonten 2009年8月1日 (土) 01:59 (UTC)
- 検討すべき点を全て挙げてから処理、というよりは、ある期限までに挙げられたものについて、もうひとつ期限を切って、どの様な優先順位でその期限までに処理をするか決めて、そのもう一つの期限までに合意できた範囲で最終案、と考えています。作業箇所をリストアップするのはゴールが曖昧にならない様にするためです。まぁ、致命的な点はあったとしてもそんなには出てこないと期待しているので、ほとんど必要ないリストアップだろうとは思いますが…。--Jms 2009年8月1日 (土) 13:48 (UTC)
- 問題提起の期限、その処理に対する期限を設定するということですね。賛成です。問題がどれくらい提起されるか分からないので処理に対する期限は問題提起の期限の後に最終的に決定されるものと考えています。--Sweeper tamonten 2009年8月1日 (土) 14:31 (UTC)
- はい。問題提起期限に出てきたリストを見て、優先順位を睨みつつ処理期限と処理すべきリストを妥当なところに決めることになろうかと思います。つまり、リストがそこそこの長さであれば全部処理できそうな期限を決めるし、あまりにリストが長いなら、処理期限が妥当な範囲になる様、優先順位上位のものに限定する様にリストと処理期限を決める、というので如何がでしょう。--Jms 2009年8月1日 (土) 14:47 (UTC)
- 問題提起の期限、その処理に対する期限を設定するということですね。賛成です。問題がどれくらい提起されるか分からないので処理に対する期限は問題提起の期限の後に最終的に決定されるものと考えています。--Sweeper tamonten 2009年8月1日 (土) 14:31 (UTC)
- 検討すべき点を全て挙げてから処理、というよりは、ある期限までに挙げられたものについて、もうひとつ期限を切って、どの様な優先順位でその期限までに処理をするか決めて、そのもう一つの期限までに合意できた範囲で最終案、と考えています。作業箇所をリストアップするのはゴールが曖昧にならない様にするためです。まぁ、致命的な点はあったとしてもそんなには出てこないと期待しているので、ほとんど必要ないリストアップだろうとは思いますが…。--Jms 2009年8月1日 (土) 13:48 (UTC)
- 最終案としてまとめる作業がなされるべき段階ということでは一致されているようなので、その中で何をすべきかですね。Jmsさんの案では検討すべき点を全て挙げてから処理するという手順になるものと判断しています。他に今後の全体作業のあり方があるでしょうか?参考になる実例があればさらにいいのですがご存知の方はいらっしゃいますか?--Sweeper tamonten 2009年8月1日 (土) 01:59 (UTC)
- 賛成です。スケジュールもJmsさんの案でよいと思います。私自身はすべてを確認できないと思いますが、これまでの参加者の実績と複数人で確認されていることから、先に進むのに問題はないのではないかと推察します。--Penn Station 2009年8月1日 (土) 15:10 (UTC)
- 丁寧な説明をありがとうございました。Jmsさんの具体案に賛成です。--Sweeper tamonten 2009年8月1日 (土) 15:18 (UTC)
- さて、問題提起期限は具体的にどうしましょう。まだ一通り査読が済んでいない方がどれくらい時間を必要とするか/どこでとりあえずオッケイとするか、で決まると思います。プレッシャーをかける如くで気が引けますが…。--Jms 2009年8月1日 (土) 16:01 (UTC)
- 日本時間を基準とし、3日間を暫定の問題提起期限として提起がどのくらいあるか確認し、提起がしばらく続くと判断されるならその期限をさらに3日間延長するというのはどうでしょうか?実はあまり提起されないのではないかと考えています。そのような場合は処理の為の時間を多く取りたいので問題提起期限を短くしてはと考えます。しかし、そうではなく提起が一日に数個ずつ出されてくるようであれば、3日で全てそろわない可能性がありますので期限を延長すべきです。とにかく問題提起を求める広告を早く出して、期限の延長はそれからでいいと思います。--Sweeper tamonten 2009年8月1日 (土) 23:22 (UTC)
- 期限についてはそれで良いと思います (自分の査読は済んでいるつもりでいます)。「問題提起を求める広告」というのは、この段階で「お知らせ」あたりに出す、ということでしょうか。現時点での査読者による最終案が固まってから告知と考えていましたが、それ以前の段階でスケジュールも含めて提示してしまう手もありますね。--Jms 2009年8月1日 (土) 23:26 (UTC)
- 「お知らせ」に出すべきです。そして問題提起はWikipedia‐ノート:ウィキペディアは何ではないか/改定案090625に書き込んでもらうべきと考えています。問題があるなら早く提起していただきたいので広告は今でもかまわないと思いますが、先ずはここでの賛意を得たいと思います。--Sweeper tamonten 2009年8月1日 (土) 23:44 (UTC)
- 原則賛成します。告知文案をよろしくお願いします。--Jms 2009年8月1日 (土) 23:51 (UTC)
- 「お知らせ」に出すべきです。そして問題提起はWikipedia‐ノート:ウィキペディアは何ではないか/改定案090625に書き込んでもらうべきと考えています。問題があるなら早く提起していただきたいので広告は今でもかまわないと思いますが、先ずはここでの賛意を得たいと思います。--Sweeper tamonten 2009年8月1日 (土) 23:44 (UTC)
- 期限についてはそれで良いと思います (自分の査読は済んでいるつもりでいます)。「問題提起を求める広告」というのは、この段階で「お知らせ」あたりに出す、ということでしょうか。現時点での査読者による最終案が固まってから告知と考えていましたが、それ以前の段階でスケジュールも含めて提示してしまう手もありますね。--Jms 2009年8月1日 (土) 23:26 (UTC)
- 日本時間を基準とし、3日間を暫定の問題提起期限として提起がどのくらいあるか確認し、提起がしばらく続くと判断されるならその期限をさらに3日間延長するというのはどうでしょうか?実はあまり提起されないのではないかと考えています。そのような場合は処理の為の時間を多く取りたいので問題提起期限を短くしてはと考えます。しかし、そうではなく提起が一日に数個ずつ出されてくるようであれば、3日で全てそろわない可能性がありますので期限を延長すべきです。とにかく問題提起を求める広告を早く出して、期限の延長はそれからでいいと思います。--Sweeper tamonten 2009年8月1日 (土) 23:22 (UTC)
- さて、問題提起期限は具体的にどうしましょう。まだ一通り査読が済んでいない方がどれくらい時間を必要とするか/どこでとりあえずオッケイとするか、で決まると思います。プレッシャーをかける如くで気が引けますが…。--Jms 2009年8月1日 (土) 16:01 (UTC)
- 丁寧な説明をありがとうございました。Jmsさんの具体案に賛成です。--Sweeper tamonten 2009年8月1日 (土) 15:18 (UTC)
- 賛成です。スケジュールもJmsさんの案でよいと思います。私自身はすべてを確認できないと思いますが、これまでの参加者の実績と複数人で確認されていることから、先に進むのに問題はないのではないかと推察します。--Penn Station 2009年8月1日 (土) 15:10 (UTC)
Wikipedia:お知らせ#「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか」の全面改訂提案に追記する形で以下の文面ではどうでしょうか?--Sweeper tamonten 2009年8月2日 (日) 00:17 (UTC)
Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか/改定案090625に英語版を翻訳したものを作成し、検討を進めてきました。既に内容は複数の作業者により大きく前進しています。これを最終案とするために広く皆様による査読を求めています。お気づきの点がありましたら、その旨Wikipedia‐ノート:ウィキペディアは何ではないか/改定案090625にお示しくださるようお願い申し上げます。期限は8月5日とさせていただきますが状況によっては延長させていただきます。
- まずここで頻繁に使用されている「査読」という言葉が好きになれません。我々の誰一人として権威付けもない翻訳者でそれぞれ結構精度の低い翻訳作業も行われていると思いますので。それに今更この段階になって3日間限定で「広く査読を求める」も何もないでしょう。それはやるなら1ヶ月前にしておく作業であったわけです。とりあえず、今ここで私もふくめコメントされているのはAotake氏以外は、現状の文案で問題ないと考えられているということでよろしいのであれば、それを最終案として固めて問題ないでしょう。そして、それでよければ別に寝かす意味もなく、そうそうに表に反映させて、その後は通常の方針文書の書き換え合意ルーチンにのせれば良いと考えます。--114.51.143.113 2009年8月2日 (日) 12:28 (UTC)
「民主主義ではありません」節と「官僚主義ではありません」節の導入反対
[編集]mizusumashiです。皆様、翻訳おつかれさまです。
さて、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか/改定案090625への改定に原則として賛同いたしますが、「ウィキペディアは民主主義ではありません」と「ウィキペディアは官僚主義ではありません」の二つの節の導入に反対したします(現行Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかの「ウィキペディアは民主主義の実験ではありません」も残さない)。
「ウィキペディアは民主主義ではありません」節について
[編集]アメリカ合衆国の「草の根民主主義」的な活動、電話勧誘、訪問勧誘もありで、知っている人、親しい人に声をかけて票集めをするということを牽制することは理解できます。しかし、比較的多数の利用者が居住していると思われる日本の選挙では電話勧誘や訪問勧誘は禁止されており、少なくともそこまで積極的な票集めはそもそも「正しい民主主義のプロセスではない」とう了解があるので、そういった形での多数派工作を牽制するために「民主主義ではありません」といっても意味不明になってしまいます。
また、政治思想の用語法としても、「民主主義ではありません」節で批判されていることは「討議民主主義」の論者が「多数決民主主義」を批判している論点なので、その節の内容はまさに「~~なので、討議民主主義でいきましょう」と結論付けられても良いような内容であって、「民主主義ではありません」というのはこの点からも意味不明な内容だということになります。
「民主主義ではありません」節と「官僚主義ではありません」節に熱心であり、Wikipedia:執拗で嫌らしい指摘はしないの翻訳をしたWp99さん(と同一と思われる一連のIP群) は、ほとんど妥協をせず、意見対立者の論駁に熱中し、ついには「あくまでゴネて合意形成を軽視し議論妨害が続くようならば、これはこちらでは解決不能とみなし、コメント依頼にだすしかないのかな、とも考えています」(強調ママ。114.51.172.190、Wikipedia‐ノート:性急な編集をしない、2009-08-03 13:51:12)と言い出す言動を取っていました。Wp99さんにとっては、これが「ウィキペディアは民主主義ではありません」を踏まえた行動だったわけですが、こういった言動が横行して、何かウィキペディア日本語版の利益になるでしょうか。
「ウィキペディアは官僚主義ではありません」節について
[編集]「官僚主義ではありません」節では、少なくとも次の五つの主張が行われています:
- 規則はコミュニティの目的ではない
- 指示の肥大化は避けるべき
- ウィキペディアの基本方針とガイドラインは記述的であり、規範的ではない
- 手続き上の瑕疵は、その投稿を無効とする根拠にはならない
- 方針の字面の解釈に固執するあまり、方針の本質的意義を損なうことをしない
これらの主張は、「ルールにこだわりすぎるな」ということをいろいろな言い方で書きたかったのだと思いますが、結果として、あまりに錯綜しており、あまり一貫していないといえるでしょう。純粋に記述的なのであれば、「方針の字面の解釈に固執するあまり、方針の本質的意義を損なうことをしない」というのは、一体どのようなことを意味しているのでしょうか? 字面の字義的な解釈であれ、方針の「本質的意義」であれ、規範的に拘束されないのであればどちらを重視するか気にする理由が分からない、ということになりかねません。これは、少なくとも説明が必要なところではあるでしょう。
そもそも、現在、ウィキペディア日本語版では、ときに柔軟に解釈され、ときに他の考慮要素が優越することになるとしても、一般的に公的な方針やガイドラインにはいちおうの規範性が認められています。だからこそ、手間隙をかけて、改正論議を提起し、告知を出し、議論をして改正をしたりするのです。純粋に記述的なものであれば、仮に議論をするとしてもそこで行われる議論はおもに直近の事例の分析というものになるでしょうが、現実にはそういうことが中心となるのは稀です。ですから、「ウィキペディアの基本方針とガイドラインは記述的であり、規範的ではない」と宣言するこの節の記述は、ウィキペディア日本語版の現状を記述しておらず、この節の内容に従えば除去されるべき内容であるということになります。
代案
[編集]私はいまのところ、「ウィキペディアは民主主義ではありません」と「ウィキペディアは官僚主義ではありません」の二つの節は導入しない、ということで良いと考えています。私は、そもそもこういったことを無理に「○○ではありません」とまとめようとすることにあまり意味がないと考えているためです。必要なら、Wikipedia:合意形成やWikipedia:基本方針とガイドラインに文章形式や分量の制約なく書けば良いのではないでしょうか(というか、そういうところに一定の記述があって、それが煮詰まってはじめてこちらに反映されるべきなのでは?)。
しかし、この二つの節の趣旨を、この文書で何らかの形で残したいという意見が強ければ、それを検討してみる価値はあるだろうと思います。例えば、次のような形ではどうでしょうか:
- 「民主主義ではありません」節 - 「多数決至上主義ではありません」というようなセクション・タイトルにし、いきなりの多数決投票や無闇な多数派工作を戒める。I(個人的には、「賛成」とだけの投稿や、議論になっている点についてなぜ、どのように賛成なのか、反対なのかが分からない投稿を戒めることには意味があるだろうと思います。)
- 「官僚主義ではありません」節 - 「不磨の大典ではありません」というようなセクション・タイトルにし、方針は変遷しうるものであり、またその精神にそった解釈が求められるものであり、ときにはウィキペディア日本語版の目的そのものやその他の重要な考慮要素が優越することもあるのだ、ということを説明する。
以上。--mizusumashi(月間感謝賞を応援します) 2009年8月5日 (水) 07:34 (UTC)
ご意見・コメント
[編集]- 翻訳作業を行った者が言うのもナンですが、翻訳作業を通じて思ったのは、「コミュニティ」節まるごと不要ではないか、ということです。「ウィキペディアはあなたのウェブサイトではありません」節は「内容」節の一部としても良いかもしれませんが、それ以外は行動規範であり、内容規範からすると異質なものだと感じました。ウィキペディアがどういうものであるべきか、というのは、内容の話であって、コミュニティの事は別途語られるべきでしょう。--Jms 2009年8月5日 (水) 09:47 (UTC)
- 英語版にずっとあるセクションではあるので、残しておいてもいいと思いますし、この方針にかかれている必然性はないと思いますので、削除してもかまいません。主体性のない意見ですみません。ウィキペディアはあなたのウェブサイトではありませんは内容のほうにすでに重複する部分がありますよね。というか、この話題もそうですが、翻訳が一段落ついているようなら、重複している内容を削ったりする作業を少ししたほうがいいと思うんですが、やってもいいでしょうか。ドイツ語版ほどすっきりさせることもないでしょうが、実際、現在の英語版はちょっと長大すぎる気がします。--Aotake 2009年8月5日 (水) 11:37 (UTC)
- 「いいでしょうか」と問われて「いいでしょう」と言える人がいるのか、甚だ疑問ですが…。現時点で、細部はさておき、そのまま採用という意見、民主主義と官僚主義の二節を除去すべきだという意見、コミュニティについての節を除去すべきだという意見があります。逆の言い方をすればコミュニティに関する部分以外については重複除去作業は無駄にはならないでしょう。--Jms 2009年8月8日 (土) 20:44 (UTC)
- 英語版にずっとあるセクションではあるので、残しておいてもいいと思いますし、この方針にかかれている必然性はないと思いますので、削除してもかまいません。主体性のない意見ですみません。ウィキペディアはあなたのウェブサイトではありませんは内容のほうにすでに重複する部分がありますよね。というか、この話題もそうですが、翻訳が一段落ついているようなら、重複している内容を削ったりする作業を少ししたほうがいいと思うんですが、やってもいいでしょうか。ドイツ語版ほどすっきりさせることもないでしょうが、実際、現在の英語版はちょっと長大すぎる気がします。--Aotake 2009年8月5日 (水) 11:37 (UTC)
- mizusumashiさんを始めとした改変・除去を行おうという意思をお持ちの皆さんのやろうとしていることはつまり「ウィキペディアは何ではないか」ではなく「ウィキペディア日本語版は何ではないか」ということになるのではありませんか。これに違和感を感じるのは私だけでしょうか。(改定案を含め)この文書はウィキメディアプロジェクトとしての「ウィキペディア」の根本理念的なものについて述べた文書であり、1ローカル言語版である「日本語版ウィキペディア」を主題に解説した文書ではないと思います。--Tsukamoto 2009年8月9日 (日) 14:36 (UTC)
- 内容については理念としておっしゃる通りだと思いますが、コミュニティの運用には実際に言語版によって違いがありますので「コミュニティ」節については現実問題としてあてはまらないでしょうし、その意味でも「コミュニティ」節は除去が適当かと思います。--Jms 2009年8月9日 (日) 17:14 (UTC)
- 重複部分の整理については実施しました。特に差し戻しもなかったので、受け入れられたと理解していますが、問題があれば修正をお願いします。話があまり進んでいないのでこの節の本題についてすこしコメントしますが、基本的に「民主主義の実験でない」というのも「官僚主義でない」というのも、(少なくとももともとは)ウィキペディアでの唯一の行動原理は「百科事典編纂に有益なことをする」だけであるということを言おうとしているのであって、民主主義の種類とか、ルールの規範性がどのくらいなのか、というような細かい話ではないと思っていますし、「日本語版の現状とあわない」ということについては同意しません。しかし、コミュニティ節に書かれていることは他の文書でほぼカバーされている内容だと思いますので、そういう観点から除去してもかまわないし、あっても別にかまわないと考えています。--Aotake 2009年8月14日 (金) 13:11 (UTC)
- 「ウィキペディアは民主主義ではありません」節の有無はWikipedia:合意形成に関わってくることなので気にしています。Wikipedia:合意形成#合意は多数決ではありませんには「フォーラム・ショッピングによって合意が変化している様子を演出することが簡単にできます。」とあります。これは日本語版でも注意しなくてはならないことと考えますので日本版に残していただきたい。Wikipedia:合意形成はまだ草案の状態なので議論より投票で決まるような風潮を回避するためには必要と考えます。--Sweeper tamonten 2009年8月16日 (日) 01:19 (UTC)
- 自分も「民主主義ではない」「官僚主義ではない」節は絶対に必要だと考えます。100の独自研究より1つの検証可能性がWikipediaなので、投稿者同士による合意や手続きに重きを置く傾向は明確に否定しておくべきです(「記事の内容の編集について」)。--大和屋敷 2009年8月20日 (木) 04:44 (UTC)
- 私もこの文書からわざわざコミュニティ節を除去する必要性は感じません。この文書はウィキペディアがどういうものではないかを包括的にまとめたものであり、コミュニティに関する内容を含めた方が利用者にとっても理解しやすいものと考えています。--Web comic 2009年8月20日 (木) 11:04 (UTC)
- 「ウィキペディアは民主主義ではありません」節の有無はWikipedia:合意形成に関わってくることなので気にしています。Wikipedia:合意形成#合意は多数決ではありませんには「フォーラム・ショッピングによって合意が変化している様子を演出することが簡単にできます。」とあります。これは日本語版でも注意しなくてはならないことと考えますので日本版に残していただきたい。Wikipedia:合意形成はまだ草案の状態なので議論より投票で決まるような風潮を回避するためには必要と考えます。--Sweeper tamonten 2009年8月16日 (日) 01:19 (UTC)
- 重複部分の整理については実施しました。特に差し戻しもなかったので、受け入れられたと理解していますが、問題があれば修正をお願いします。話があまり進んでいないのでこの節の本題についてすこしコメントしますが、基本的に「民主主義の実験でない」というのも「官僚主義でない」というのも、(少なくとももともとは)ウィキペディアでの唯一の行動原理は「百科事典編纂に有益なことをする」だけであるということを言おうとしているのであって、民主主義の種類とか、ルールの規範性がどのくらいなのか、というような細かい話ではないと思っていますし、「日本語版の現状とあわない」ということについては同意しません。しかし、コミュニティ節に書かれていることは他の文書でほぼカバーされている内容だと思いますので、そういう観点から除去してもかまわないし、あっても別にかまわないと考えています。--Aotake 2009年8月14日 (金) 13:11 (UTC)
- 内容については理念としておっしゃる通りだと思いますが、コミュニティの運用には実際に言語版によって違いがありますので「コミュニティ」節については現実問題としてあてはまらないでしょうし、その意味でも「コミュニティ」節は除去が適当かと思います。--Jms 2009年8月9日 (日) 17:14 (UTC)
- 除去、というのが一人歩きしているかもしれないので、補足します。わたくしが述べたのはコミュニティについてはWikipedia:ウィキペディアは何ではないかとは別にすべきであって、ウィキペディアの方針文書群からその内容を抹消すべきだ、という意味ではありません。メインページにある様に、ウィキペディアというのはオープンコンテントの百科事典なのですから、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかというのはどの様な内容がその百科事典にふさわしくないかを述べた文書であるべきだと思います。百科事典が百科事典を作る活動の目標、目的であるのに対し、ウィキペディアコミュニティのありようというのはそのための手段であって、目標・目的と手段とは区別されるべきだ、というセンスです。意図を端的に表現すれば、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかを、「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか」と「Wikipedia:ウィキペディアコミュニティは何ではないか」に分ける方が適切ではないか、ということです。「Wikipedia:ウィキペディアコミュニティは何ではないか」の方は他の行動に関する方針文書類とすり合わせながら整備することになるかと思いますし、その結果簡略化ないし除去される部分もあるかもしれません。仮に分割するとしたら、単純分割ですので、公式の方針という文書ステータスは継承されることを前提としています。--Jms 2009年8月20日 (木) 10:55 (UTC)
「民主主義ではない」節について。Tsukamotoさんが「根本理念的」という言葉を使われていますが、そもそも、「民主主義ではない」節の根本理念というのはどのようなものなのでしょうか。
「Wikipedia is not an experiment in democracy」というのはウィキペディア創設者Jimbo Walesの言葉と伝えられています。en:Wikipedia:What Wikipedia is notから貼られているリンクを見ると、完全に一字一句同じというわけではありませんが、David Gerardさんが「Wikipedia is not primarily an experiment in Internet democracy」ということを述べたのに賛同する形で、Jimboは「it's an encyclopedia,
not an experiment in democracy」と述べています[9]。その文脈は、私の英語能力のため誤解もあるかもしれませんが、どうも、24時間以内に4回以上のリバートを行うと投稿ブロックされるというスリー・リバート・ルール(3RR)について、管理者の横暴を防ぐために厳格に適用するべきだ(例えば、24時間1分目に4回目のリバートを行ったならば、それはルール違反ではないのでブロックするべきではない?)という主張に対し、「民主主義の実験場ではない」のでそんなに厳格に管理者権限の行使を制約する必要はない/するべきではない、ということのようです[10][11][12]。
ところで、「民主主義ではない」節がウィキペディア日本語版でどのように理解され、参照されているかというのは、いろいろあるようです。ひとつは、削除依頼や投稿ブロック依頼で管理者が比較的少数派の意見を採用して権限を行使するとき、つまり、その依頼で意見を述べた利用者の多数派に反して権限を行使するときに、「多数決ではないので」管理者の権限行使を拘束しないという意味で参照されることがあるようです。もうひとつは、ページの執筆・編集で意見の対立があった場合に、「多数決ではないので」全会一致で解決しなくてはならないという意味で参照されているようです。
私は、いま「民主主義ではない」節の三つの解釈を述べました。(1)Jimboのもともとの文脈である、管理者の権限行使はルールにあまりに厳格に縛られたものではないという解釈、(2)管理者の権限行使は多数派の意見に拘束さえるものではないという解釈、(3)意見の対立があった場合には全会一致で解決しなくてはならないという解釈。
さて、Sweeper tamontenさんや大和屋敷さん、そのほかの「民主主義ではない」節を存続させたいとお考えの方たちは、どのような意味で「民主主義ではない」節を理解され、どのような趣旨のものとして「民主主義ではない」節を存続させたいとお考えなのでしょうか。記事の執筆・編集で意見の対立があった場合に全会一致でなくてはならないという意味で、存続させたいとお考えなのでしょうか?--mizusumashi(月間感謝賞を応援します) 2009年8月20日 (木) 12:07 (UTC)
- ディテールについてつめ過ぎた結論として「民主主義ではない」項目は「あえて」必要ないのではないか、と仰っているのではありませんか?簡単な例として、たとえば独自研究を投稿する100人の利用者がいて、それをたった一人の管理者がリバートないし編集保護した場合、「出典が明示されておらず検証不能」という管理者の保護理由を100人の利用者が糾弾して管理者権限を剥奪することができるような場合が「民主主義」です。また100人の利用者が他のWikipedia上の手続きを踏襲して正当に「中立性に問題のある情報」を記事化した場合、その合意が得られたのちに新たに公表・あるいは発掘された信頼できる情報源を投稿することを妨害することは「官僚主義」の可能性があります。--大和屋敷 2009年8月20日 (木) 12:22 (UTC)もうひとつ、ある投稿者による「十分に検証可能で中立的な投稿」が、ソックパペットの「懸念がある」との理由で投稿内容がすべて削除されるようなケースも「官僚主義」の可能性があります。--大和屋敷 2009年8月20日 (木) 12:24 (UTC)
- 「ディテールについてつめ過ぎた結論として「民主主義ではない」項目は「あえて」必要ないのではないか、と仰っているのではありませんか?」という部分の主語が良く分からないのですが、私(mizusumashi)が「つめ過ぎた結論として…必要ないのではないか」と言っているのか、という質問でしょうか。もし、そうであれば、そういうとらえ方もできると思います。たしかに、私は「民主主義ではありません」と「官僚主義ではありません」が曖昧、多義的すぎるので除去したいと考えています。ですから、改めて「民主主義ではありません」と「官僚主義ではありません」の内容を話し合ってより明確な内容にするのであれば、その明確になった内容にもよりますが、WP:NOT、あるいはJmsさんの考える分離先に残すことに強く反対ではありません。曖昧さの全くない準則にしたいとまで考えているわけではありませんが、現在は曖昧すぎ、そして好ましくない言動を誘発してしまっていると思います(多数決ではない→全会一致でなくてはならない→反対者は徹底的に論駁して負けを認めさせなくてはならない、といったような)。
さて、大和屋敷さんがいくつか出されている例示については、大和屋敷さんが意図されていることが不合理だとは思いません。必ずしも賛成でもありませんが、いくらか共鳴するところはあります。しかし、私としては、「民主主義ではありません」「官僚主義ではありません」節にはそうは書いてはない、むしろ大和屋敷さんがおっしゃっていることはこれらの節と部分的に矛盾すると考えます。
「たとえば独自研究を投稿する100人の利用者がいて、…管理者権限を剥奪することができるような場合が「民主主義」です」とおっしゃれていますが、少なくとも、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか/改定案090625#ウィキペディアは民主主義ではありませんには、「選挙や投票は、管理者を選ぶときなど、ウィキペディアそのものの外にあるものに対してのみ是認されます」と書かれています。管理者解任についても同様でしょう。「民主主義ではありません」の精神を汲んで云々、という議論もできなくはありませんが、ともあれ記述上は、管理者選任、そしておそらくは解任も多数決という意味での「民主主義」で差し支えない、というのが実際に書かれていることではないでしょうか。少なくとも、「たとえば独自研究を投稿する100人の利用者がいて、…管理者権限を剥奪することができるような場合が「民主主義」です」ということを、「民主主義ではありません」節が禁止ないしは牽制していると読むのは、自然ではなかろうと、私には思えます。
「また100人の利用者が…新たに公表・あるいは発掘された信頼できる情報源を投稿することを妨害することは「官僚主義」の可能性があります」というのは、たしかに「官僚主義ではありません」節が述べていることと一面通じるところがあるのかもしれません。しかし、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか/改定案090625#ウィキペディアは官僚主義ではありませんは、一義的にはルールや方針について書かれており、各ページでのアドホックな同意については表面上は沈黙しているので、おっしゃる事例にストレートには当てはまりません。逆に、「ウィキペディアの基本方針とガイドラインは記述的であり、規範的ではありません」「もし規則が百科事典の改善を妨げるものなら、それらを無視してください」とかかれており、単純に読む限り、Wikipedia:検証可能性にさえ縛られる必要はないと読み取れます。したがって、「また100人の利用者が…新たに公表・あるいは発掘された信頼できる情報源を投稿することを妨害する」場合に、その妨害を不当だと思う側は、せいぜい「官僚主義ではありません」節の精神とか趣旨とかに訴えてやや苦しい援用をしなくてはなりませんが、その妨害を正当だと主張する側は端的にその同じ節の文言にそって「規則を無視してもよい」ということができます。私は、そのような読解を不当だとは思いますが、ともあれ、「官僚主義ではありません」節を単純に読む限り、その妨害をしている側が「官僚主義ではありません」節の文言に記述にそった主張をしている、と判断せざるをえないでしょう。
「ある投稿者による「十分に検証可能で中立的な投稿」が、…「官僚主義」の可能性があります」という点も、やはり「官僚主義ではありません」節にそうは書かれていないだろう、と思います。
ですから、大和屋敷さんが考えられていること、「民主主義ではない」「官僚主義ではない」という言葉に込めたいことをある程度理解できるように思いますし、いくらかは共感もいたします。しかしながら、「民主主義ではありません」「官僚主義ではありません」節には、そのようなことが書かれているわけではなく、これらの節を導入・存続させる理由にはならない、というのが私からの意見となります。--mizusumashi(月間感謝賞を応援します) 2009年8月22日 (土) 10:03 (UTC)
- 「ディテールについてつめ過ぎた結論として「民主主義ではない」項目は「あえて」必要ないのではないか、と仰っているのではありませんか?」という部分の主語が良く分からないのですが、私(mizusumashi)が「つめ過ぎた結論として…必要ないのではないか」と言っているのか、という質問でしょうか。もし、そうであれば、そういうとらえ方もできると思います。たしかに、私は「民主主義ではありません」と「官僚主義ではありません」が曖昧、多義的すぎるので除去したいと考えています。ですから、改めて「民主主義ではありません」と「官僚主義ではありません」の内容を話し合ってより明確な内容にするのであれば、その明確になった内容にもよりますが、WP:NOT、あるいはJmsさんの考える分離先に残すことに強く反対ではありません。曖昧さの全くない準則にしたいとまで考えているわけではありませんが、現在は曖昧すぎ、そして好ましくない言動を誘発してしまっていると思います(多数決ではない→全会一致でなくてはならない→反対者は徹底的に論駁して負けを認めさせなくてはならない、といったような)。
意見を求められましたので簡単に述べさせていただきます。「記事の執筆・編集で意見の対立があった場合に全会一致でなくてはならないという意味で、存続させたいとお考えなのでしょうか?」についてはその通り(Yes)です。en:Wikipedia:Consensus#Canvassingには一応 "Wikipedia does not base its decisions on the number of people who show up and vote; we work on a system of good reasons." とありまして数ではなく正当な理由による決定が求められていると理解しています。この基準を日本では採用しないという冒険はすべきではないだろうと考えています。そしてここ以外にこの基準を示す文書はないようです。--Sweeper tamonten 2009年8月24日 (月) 06:37 (UTC)
- Sweeper tamontenさん、ご解答ありがとうございます。その「全会一致でなくてはならない」という考えこそ、それがこの方針の「民主主義ではない」節の述べたいことなのか私にははっきりしませんが、私が反対したいと考えているものの一つなのです。もし、「民主主義ではない」節の趣旨が「全会一致でなくてはならない」ということであるならば、私はその方針に反対ですし、もしその趣旨が「全会一致でなくてはならない」ではないのであれば、(ちょっとまずい言い方になりますが)そのいわば「誤読」を避けるために除去なり、修正をしたいと考えています。
- まず、そもそも「全会一致でなくてはならない」とはっきり書かれているでしょうか。
- 私も、多数決方式が極めて優秀なやりかただと考えているわけではありません。多数決は、必ずしも正しい答えやベストの解決を出す方法ではありません。そもそも、ウィキペディアでは別人を装うことが容易であり、その容易さのゆえに誘惑に負けて不正投票を行う人も現実に存在し、よほど慎重に行わなければ、厳密な信頼性に欠けます。しかし、全会一致方式もまた、必ずしも正しい答えやベストの解決を出す方法ではありません。
- 少数意見にも耳を傾けるべきであり、少数意見を多数意見で抑圧してはならないという考えは、非常に重要なものです。しかし、私がウィキペディア日本語版では、むしろ、全会一致を取ろうとするがゆえに、たったひとりの少数意見を持つ人を大勢がよってたかって批判するという構図ができたり、少数対少数であっても徹底的に相手の意見を批判して論駁し「負け」を認めさせようとする構図になったり、ということがしばしばあるように思います(Sweeper tamontenさんがそういう方だと申し上げているわけではありません。念の為)。--mizusumashi(月間感謝賞を応援します) 2009年8月25日 (火) 14:00 (UTC)
- 現在は「多数決で決まるわけではありません」と明確に示されています。従ってこれを修正するなら十分な議論が必要で、そのレベルでmizusumashiさんの話が進んでいるものと思います。mizusumashiさんが全会一致について問題点を挙げています。私はその問題点はウィキペディアンとして未熟な者が起こすことのように思われます。mizusumashiさんが尊敬するようなウィキペディアンがそんなマネをするでしょうか?日本語版には調停作業を頼めるグループはありませんがそれでも他の尊敬を集めるウィキペディアンは何人もいると思われますのでその方たちの指導力に頼ることもできると思います。合意を得るために議論が進められ、多くの人が納得できるように論点がまとめられた状態であれば反対する側も有効な理由を示せないのではないでしょうか、そしてまともな理由を拒絶するのであればWikipedia:腕ずくで解決しようとしない#いつまでも「納得」しないに違反するものとなるので理由がまとめられた後も行動できないということはないと考えています。
- 蛇足になりますが私は多数決でないということは全会一致ということだろうと考えています。多数決でも全会一致でもない方法が思いつきません。--Sweeper tamonten 2009年8月25日 (火) 15:33 (UTC)
- 応答ありがとうございます。さて、この話をどう進めていったものか迷っています。
- まず、念のための確認ですが、私は、下の#部分改訂の提案で、現時点の措置として現行の「民主主義(の実験場)ではありません」節を存続させつつWikipedia:ウィキペディアは何ではないか/改定案090625をコミュニティ節以外を反映させることに異議はないとしています。そのため、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか/改定案090625のコミュニティ節以外の反映が氷づけになっていることにあまり責任は感じていません。
- また、Sweeper tamontenさんは「全会一致でなくてはならない」というのが「民主主義ではありません」節のほとんど明白な解釈であると考えておられるようであり、その考えにたてば私は現行の非常に一般的な方針の内容的な改定を提案していることになり、片手間で終わらせるべきことではないということになります。
- そのため、この「民主主義ではありません」節については、節を改め、仕切りなおして、時間をかけて話し合っていきたいと思うのですが、どうでしょうか。--mizusumashi(月間感謝賞を応援します) 2009年8月26日 (水) 10:11 (UTC)
- 私はそれを望みます。以前草案ではあるもののWikipedia:合意形成の内容から多数決の部分を削除しますとお知らせに出したのですが何の反応もありませんでした。こういったことはちゃんと話し合われるべきです。--Sweeper tamonten 2009年8月26日 (水) 12:14 (UTC)
- では、#多数決方式か、全会一致方式か、それとも…節を新たに設け、そちらで私の主張を述べさせていただきました。長くでやや雑然とした内容になってしまったことは、私の能力不足の面もあるでしょうからお詫びしたいと思います。ただ、おそらくはウィキペディア日本語版で広く流布した解釈・考え方に異議をとなえるものでありますから、あれこれと書かなければならなかった面もあるということで、お許しいただければ幸いです。--mizusumashi(月間感謝賞を応援します) 2009年8月30日 (日) 13:24 (UTC)
- 私はそれを望みます。以前草案ではあるもののWikipedia:合意形成の内容から多数決の部分を削除しますとお知らせに出したのですが何の反応もありませんでした。こういったことはちゃんと話し合われるべきです。--Sweeper tamonten 2009年8月26日 (水) 12:14 (UTC)
#多数決方式か、全会一致方式か、それとも…節を除去、Wikipedia‐ノート:合意形成へ移動。--Everystory 2009年11月6日 (金) 08:53 (UTC)
- >「討議民主主義」の論者が「多数決民主主義」を批判している~~意味不明な内容だということになります。
- そもそも「民主主義ではありません」というのが何の為にあるのかと言えば、「多数決民主主義」者が「民主主義で行こうぜ」と言いつつ数の暴力で勝利を得る目的で安易に投票に移行しようとする(そして議論が尽くされていないと反対すると「ゴネている/偉ぶるな/非民主主義者」等と批判する)姿勢を戒める為だと考えます。もしも「討議民主主義」者であれば、ウィキペディアのやり方こそが民主主義であることを理解するはずですから。問題を起こしているのは「多数決民主主義」者であり、彼らは「多数決」こそが「民主主義」だと考えていて、それ以外の意味を知らないのです。ウィキペディアのやり方が「討議民主主義」でありそれが民主主義であることは、「多数決民主主義」と「民主主義」の違いを知っている人には理解出来ることですが、そうでない人には理解出来ない(まさしく「意味不明」な)内容になります。そして理解出来ない人に向けて書く文を「理解出来ない人にとって意味不明」な内容にするのでは、何の為にあるのかわかりません。
- なので削除しないか、これを削除することで気弱なウィキペディアン達が「多数決民主主義」のウィキペディアンが安易に投票に移行しようとするのを防ぐ為の「現実的な」説得手段を奪うか、のどちらかしか改変の意味は無いと考えます。この頁に、どうにも曲解の仕様の無い「民主主義ではありません」という一言があるだけで、どんなに口下手で気弱なウィキペディアンでも「安易に投票に移行しようとするのを防ぐ」為に出来ることが残されるのです。即ち、此処へのリンクを貼ることです。
- 実際、Wikipedia:投票の指針にあるウィキペディアは民主制ではありませんも此処に向けてリンクが張られています。投票を控え合意形成に努めなければならない根拠は此処なのです。
- 以上より、「民主主義ではありません」を削除改変することに反対します。本件に関して私からは議論の余地はありませんので、残念ながらこの発言に対する反論は無意味(=私の意見は変わらない)です。私の意見を変え得るのは、ウィキペディアが多数決民主主義を採択し投票を推奨するように変化することだけです。
- 世界最狂の魔法使いCray-G 2009年12月19日 (土) 09:03 (UTC)
部分改訂の提案
[編集]Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか/改定案090625の翻訳作業は概ね終了と考えて良いと思いますが、その一部について根本からの異論が出されています。裏を返せば、それ以外の部分については特に問題がないということでしょうから、異論のない部分まで道連れで塩漬けにすることもないと思います。そこで、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか/改定案090625のうち、コミュニティ節以外を採用し、コミュニティ節については現行Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかのままとしてはどうでしょう。現行のコミュニティ関連節は現時点で有効な「公式な方針」ですから即刻廃止する必然性はないでしょうし、コミュニティ節をどうするかという議論は別途継続して結論が得られればそれに応じて対応すれば良いのではないかと思います。--Jms 2009年8月13日 (木) 22:19 (UTC)
- (賛成)ただし、除去するのでも賛成するし、改訂版に差し替えるのでも賛成します。--Ks aka 98 2009年8月14日 (金) 10:47 (UTC)
- (コメント)私としては、「民主主義ではありません」節と「官僚主義ではありません」節を最終的には除去することをやはり支持しますが、現時点での措置として、現行のコミュニティ節を存続したまま、コミュニティ節以外をWikipedia:ウィキペディアは何ではないか/改定案090625の内容に差し替えることに異議ありません。--mizusumashi(月間感謝賞を応援します) 2009年8月14日 (金) 11:28 (UTC)
- (賛成)Ks aka 98さんと同じく、部分改定、改定案との全面差し替えのいずれでも賛成します。なお、差し替えの準備として、改定案のコメントアウト部分を除去しました。--Aotake 2009年8月14日 (金) 13:11 (UTC)
- (賛成)「民主主義ではありません」節を今は残していただきたいので。Wikipedia:合意形成が草案から正式の文章になれば節の除去も問題はありません。Wikipedia:合意形成については手続きが分からないので正式化する作業を進められずにいます。--Sweeper tamonten 2009年8月16日 (日) 01:28 (UTC)
- (反対、部分改訂議論の留保)「民主主義ではありません」節と「官僚主義ではありません」節の翻訳者が現在ブロックされており、MLでWPNOT改定におけるMizusumashi氏の提案について、WPNOT改定におけるMizusumashi氏の提案について 2と、当人より強い疑義が提出されています。そちらで根本からの異論を提示されている利用者との対話が確認されますが、翻訳者自身の疑義内容についてこちらで話し合われることないのは、広い観点を意図的に落とすものと考えられ公正さに欠けると考えますがいかがでしょうか?このままでは、なし崩し的に部分改訂のまま問題とされた議論は先送り、実質当該節除去のままという流れが懸念されます。特に根本からの異論というのは、Wikimediaプロジェクトの設立規定第3項、および、WP原則Wikipedia:五本の柱の第4,5項に反するという主張がなされていますので、さきおくりにせず、ここでまとめてしっかり議論して、その後除去すべきであるという合意がなされるのであれば、部分改訂で決定に異論はありません。しかし、重要な論点について意図的に無視されたまま、なし崩し的に部分改訂、問題先送り、ということであれば、反対せざるをえません。--Pep5 2009年8月18日 (火) 00:12 (UTC) ML8月分ログ全部参照--Pep5 2009年8月18日 (火) 00:19 (UTC)--Pep5 2009年8月18日 (火) 01:11 (UTC)
- コメント Pep5氏は無期限ブロックユーザのソックパペットの疑い有りとして、投稿ブロックされています(追認審議中)。具体的にいえば、根本からの異論を唱えたWp99氏、114.51.172.190氏と同一人物である疑いがあり、もし同一人物であれば、ソックパペットであること以前の問題で、Wikipedia:多重アカウント#偽装となりすましに抵触します。もし人違いブロックであれば難儀なことだとは思いますが、CUなどでPep5氏には潔白を証明してもらい、その後改めて当ページの議論に参加していただくようお願いします。--ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2009年8月19日 (水) 21:31 (UTC)
- (賛成)議論が止まってしまいましたが現時点でソックパペットの疑いでブロックされたPep5さんしか反対者はおらず、現状ではコミュニティ節には賛否両論があるもののそれ以外に関しての改定には特に有意な反対意見がない状態ですのでもしこのまま有意な反対意見が無いようでしたら、Jmsさんの提案どおりコミュニティ節以外について改定作業を行い、コミュニティ節については引き続き継続して議論をすべきと考えます。--Web comic 2009年9月17日 (木) 22:58 (UTC)
- (コメント) 部分改訂提案者としてはPep5さんに対するブロックの追認結果を待って作業しようと待機しておりますが、結論が出る前に他の方がコミュニティ節以外についての改訂作業なさる事に反対はしません。--Jms 2009年9月17日 (木) 23:13 (UTC)
前記ブロックが追認されたので、部分改訂に関する議論は当面これ以上進展しないと思われます。では作業を…という段階になって、節名が現行と改訂案とで異なることにいまさらながら気づきました。現行の「ウィキペディアは何ではないか」「ウィキペディアのコミュニティは何ではないか」が、改訂案ではそれぞれ「内容」「コミュニティ」になっています。現行の節名で参照している場合が少なからずあろうことを考えると、少なくとも現行節名はアンカーとして保持する必要があります。それならばいっそのこと部分改訂の間だけでも現行節名のまま、という手抜きを考えたのですが、どうしましょう。しかしつまらないことで引っかかるものですね…。--Jms 2009年9月25日 (金) 10:49 (UTC)
- 節名が変更された部分にTemplate:Anchorを使用して旧節名へのアンカーも作成しておけば問題ないはずです。--Web comic 2009年9月25日 (金) 12:36 (UTC)
- 一部単純マップできない節についてアンカーを作成していませんが、それ以外はアンカー作成の上、コミュニティ節と言語間リンク以外の部分をWikipedia:ウィキペディアは何ではないか/改定案090625の内容で改訂しました。確認していだければ幸いです。お知らせにも要告知? --Jms 2009年9月25日 (金) 13:33 (UTC)
多数決方式か、全会一致方式か、それとも…
[編集]#「民主主義ではありません」節と「官僚主義ではありません」節の導入反対節 の話合いからのスピンオフです。最終的には、「民主主義ではありません」節を除去するのか、存続するのか、存続するのであれば、節名の変更も可能性として 入れてどのような記述にするのか、という実益のある話につなげたいと思います。とはいえ、これに関して出てきた、多数決方式か、全会一致方式かということ について話し合うために、ひとまずは、やや抽象的な話から始めたいと思います。
ウィキペディアの一般的な意思決定方式についての私の意見は、多数決方式でもないし、全会一致方式でもない、そもそもそのような「方式」の採用を一般的に決める必要はないし、一般的に決めることは賢明ではない、 ということになります。これは私の意見ではありますが、「民主主義ではありません」節の趣旨はこのようなものだと理解することも可能だと思います。以下 で、話の都合上、全会一致方式のほうを批判する形になりますが、私が多数決方式を絶対視しているわけではないということは、先に強調させてください。
前 の節で書いたことの繰り返しになりますが、多数決方式の欠点として、多数決は必ずしも正しい答えを出すわけではない、というものがあります。しかし、全会 一致方式でも、その欠点はたいして変わりません。場合によっては、全会一致方式のほうがその弊害は著しいといえます(詳細は省きますが、必要であれば説明 します)。つまり、多数決方式であれ、全会一致方式であれ、正しい答えを出せる「方式」ではありません。そもそも、いろいろな分野のいろいろな問題につい て、正しい答えを出せるたった一つの冴えたやり方があるという考え方が奇妙なものです。
しかし、でも、多数決方式ならば少数意見を無視す ることになるが、全会一致方式ならばそうはならない、という指摘もあるかもしれません。しかし、全会一致方式としてしまうと、疑問があるが議論をとめたく はないといった人たちは黙ってしまうでしょう。ある種の「同調圧力」というのが発生していしまうわけです。たしかに、多数決方式であれば、少数派の意見は 結局は採用されません。しかし、それは無視しているわけではありませんし、逆に、沈黙を要請する「同調圧力」のほうがときには危険なものではないでしょう か。
Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#いつまでも「納得」しないと いうガイドラインは、少数派が非常識・非合理なほど自説に固執することを戒めており、たしかに全会一致方式による機能不全を抑止するものです。これは、一 人ひとりの利用者が自分の行動指針とするガイドラインとしては相応しいものだと思いますが、しかし、このガイドラインの存在は合意形成のあり方というもの について、どのような影響をあたえるのでしょうか? 二 つ考えられます。一つ目、「腕ずくで解決しようとしない」に抵触するほど自分の意見に固執した利用者は投稿ブロックでき、よってその少数意見は存在しなく なるので、全会一致で議決できる。まぁ、そういうことがやむを得ないときもあるでしょう。ですが、全会一致方式による機能不全を防ぐ方策として投稿ブロッ クを活用するというのでは、そこまでして全会一致にこだわる必要があるのか疑問に思います。二つ目、「腕ずくで解決しようとしない」に抵触するほど自分の 意見に固執した少数意見は、存在しないものとして扱ってよい。しかし、それは結局、全会一致方式ではくてはならないということの否定ではないでしょうか。
さ て、だからといって、一般的に、全会一致方式をやめて、多数決方式にしようというのではありません。逆にいえば、全会一致を目指すことと、多数決で決めて しまうことはケース・バイ・ケースだとも思うのです。ウィキペディア上で何かの編集をする、何かの提案をする、そうすると異論が出される、出された異論に ついて話し合う、その段階では参加者全員が納得できるような、つまり全会一致による合意を目指すべきでしょう。しかし、話し合いの結果、全員の納得を得る 解決は難しそうだということになる、誰かがウィキペディア上の方針を根拠にして主張する、しかし方針の解釈も分かれる、こういった事態におちいれば、双方 が「方針無理解を理由とした投稿ブロック」を言い出す前に、ひとまず現状での判断を多数決で決めてもよい場合が多いのではないかと思います。いつ、どのよ うな段階で、全会一致を目指すべきところから、多数決でやむえをえないところに移行するのかといえば、それは、いうなれば「合理的な話し合いが十分に行わ れて、対立点が十分に明確になり、少数派にも対論者や第三者を説得する十分な機会が与えられたとき」というものでしょう。
私は、以上のよ うに考えています。そして、これは、「民主主義ではありません」節のひとつの解釈としてありうるものではないかとも思います。合理的に話し合え、合理的な 結論が採用すべき結論である、というもっとも重要なポイントを、多数決方式も、全会一致方式も、そもそもいかなる「方式」も保証するものではありません。 全会一致で決まったが、それは合理的な話し合いによるものでなかったし、合理的な結論でもなかったという場合もありうるわけで、その場合には、全会一致で 決まってもそれは正しいものではない、ということこそ「民主主義ではありません」節の言わんとしていることである、というのはおかしな解釈でしょうか。--mizusumashi(月間感謝賞を応援します) 2009年8月30日 (日) 13:35 (UTC)
スピンオフということですが、そのとおりで、その話はずいぶんピントがずれていて、それはここでする話ではないでしょうね。「民主主義ではありません」の節の解釈とおっしゃっているが、実際のところ英語原文、日本語翻訳の内容とは
Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか/改定案090625#コミュニティ「民主主義ではありません」節
- →「Wikipedia:投票の指針」も参照
- ウィキペディアは民主主義、あるいは他のいかなる政治システムの実験ではありません。合意形成の主たる(しかし唯一ではない)方法は、編集と議論であり、投票ではありません。合意形成にむけて調査投票を利用することはありますが、そうした投票や調査は議論の助けになるどころか、むしろ妨げになる場合があります。それらは慎重に用いられるべきであるし、他の合意形成された意思決定を上回る拘束力はありません。選挙や投票は、管理者を選ぶときなど、ウィキペディアそのものの外にあるものに対してのみ是認されます。
というもので、実際言われるような解釈がわかれる解釈論争の余地などさほどなく、
- 合意形成の主たる(しかし唯一ではない)方法は、編集と議論であり、投票ではありません
- そうした投票や調査は議論の助けになるどころか、むしろ妨げになる場合があります。それらは慎重に用いられるべきであるし、他の合意形成された意思決定を上回る拘束力はありません。
と明記されています。投票は議論の代替とはならない、議論、(理想的には)全会一致方式のコンセンサスが優先する、それが主たる手段であるが、唯一ではなく、合意形成にむけて調査投票を利用することはありますが、それが主とならないように気をつけよう、他の合意形成された意思決定を上回る拘束力はない、ということですね。
何をこの上解釈論で泥沼になるのかよくわかりません。mizusumashiさんの話は、より具体的なフローチャートを定めるのであれば、ちゅうぶらりんになっている合意形成とWikipedia:投票の指針で すべきでそちらで今後尽力していただきたいと思います。また、そこまでこの内容にこだわるのであれば、なおさらこの意思決定についての節というのは「ウィ キペディアは何ではないか」で積極的に解説しておく文書でわざわざ目の届きにくいところへ分離すべきでも除去すべきでないでしょう。いずれにせよ、この節 を導入することを妨げる理由としてなんら成立していないと思います。
また根本に戻って、基本的な理解がいろんな意味で不足しておられるように思うのですが、すでにMLや上で指摘されているとおり、このコミュニティ節の最初の節の2つはWikimediaプロジェクトの設立規定第3項
- 3.The "wiki process" of consensus building as the final decision-making mechanism for all content.
すべてのコンテンツについての最終的な意思決定の仕組みとしての「wikiプロセス」コンセンサス形成(合意形成)
を継承するものです。だから、Mizusumashiさんがどう思うとか私論を介入させる余地も本当はまったくなくて、除去したほうがいいというのも不当だろうと思う。プロジェクトの設立要件なんか絶対に明記しておく必要があるでしょう。
解釈余地があるとすれば、それは、この節の記述ではなくて、コンセンサス、合意形成って何?という部分であって、それはある程度、少なくとも多数決投票で代わりとなるものではないですよ、と節に書いてあるが、より詳細をつめたいのであれば、合意形成とWikipedia:投票の指針でやってほしいし、それは本当に歓迎されることでしょう。個人的には、コンセンサス、合意形成って何?というのは、en:Wikipedia:Consensusに 完成度の高い形ですでにまとまっていて、これを翻訳すればいいことだろうと思います。いずれにせよ節の除去にむけて私論を戦わせるのは時間の無駄だとおも うし何よりMizusumashiさんのような私論によって本来のコンセンサス過程が歪められるリスクのほうがよほど大きいと思う。除去したいというのは そのひとつの表れでありだから反発があるんでしょう。それするくらいだったら、スピンオフとしてここの翻訳メンバーがそのままen:Wikipedia:Consensusの翻訳に参加していただいて、その上で解釈論争がもしあるんならばそこでやればどうですか?
あと、ついでに、「官僚主義ではない」節ですが、これもWikipedia:五本の柱原理の継承であって、除去は不当。除去もふくめて私論で上書きしないでください。en:Wikipedia:Five pillarsでは Wikipedia does not have firm rulesとあり、これはen:WP:NOTLAWとして英語版では反映されています。当然日本語版でもそうすべきでしょう。今の改定案はこれも含め翻訳され含んでいる状態になっています。この節も基本的には合意形成に帰着します。--119.228.173.119 2009年8月30日 (日) 17:18 (UTC)
- ええと… 119.228.173.119さんは、投稿ブロック破り・ソックパペットとして投稿ブロックされてしまいましたので[13]、直接の応答はしないこととします。119.228.173.119さんの主張に対して、私がどのように考えるかを確認したい方がいらっしゃれば、それを表明していただければその時点でお答えいたします。--mizusumashi(月間感謝賞を応援します) 2009年8月31日 (月) 13:03 (UTC)
- mizusumashi さん、遅れましたが新しい節を設けていただきましたことに感謝いたします。私は119.228.173.119さんの主張に納得するところが多かったので すが取り合えず、その後考えたことを申し上げます。私は多数決でなければ全員一致ではないかと考えましたが、今はそうばかりでもないかなと思います。考え 方をまとめていく段階で反対はしないという意見は出てくると思います。考え方に対して問題点を挙げたり、建設的な意見を述べたりしていく過程で参加者に尊 重される考え方がまとまっていくのであれば反対意見もその考え方に吸収されてまとめきることができるのではないかと楽観的に考えています。ウィキペディア は急ぐ必要がないものと考えていますが急ぐのであれば両論併記とか合意部分のみを実現して残りについて話し合いを続けるという今回の方式もあります。 mizusumashiさんが仰る「多数決方式であれば、少数派の意見は結局は採用されません。」ということであればまとめ上げられるべき考え方に少数派 の意見が影響することが無いように思われます。それから「全会一致方式としてしまうと、疑問があるが議論をとめたくはないといった人たちは黙ってしまうで しょう。」とありますが何故黙るのか理解できないので解説してください。--Sweeper tamonten 2009年9月2日 (水) 05:18 (UTC)
- 119.228.173.119さんのご主張についてですが、正直なところ、119.228.173.119さんのご指摘の何が私の意見への批判となって いるのか、私には良く分かりません。私は、多数決による決定が全会一致に上回る拘束力があるとは言っていませんし、投票が合意形成の妨げにはならないと も、安易に多数決に頼れとも言ってはいないのですから。多数決/全会一致について私が述べているのは、「全会一致でなくてはならない」と決め付けることは 賢明ではない、大事なのは合理的な話し合いを十分に行うことであって「方式」ではない、ということです。en:Wikipedia:Consensusにおいては、合意(consensus)とは合理的な話し合い(discussion)によるものだということが繰り返し強調されています。そして、en:Wikipedia:What Wikipedia is not#Wikipedia is not a democracyを字義通り読めば、「投票(voting)ではない」というのは「話し合いである」ないしは「編集と話し合いである」と
うい うことに対置されているのであって、「全会一致である」ということに対置されているのではありません。私の意見がまったく見当違いで、論ずる余地もないと いうのであれば、例えば、「全会一致でなくてはならない」と明記した方針がなくてはならないのではないでしょうか。しかし、むしろ、エッセイですがen:Wikipedia:What is consensus?には「合意は全会一致(unanimity)ではない」とはっきり書かれています。 - さて、「建設的な意見を述べたりしていく過程で参加者に尊重される考え方がまとまっていくのであれば反対意見もその考え方に吸収されてまとめきることができるのではないかと楽観的に考えています」とのことですが、もしかしたら、ほとんどの場合に、その楽観論は正しいのかもしれません。しかし、その楽観論が多くの場合に正しいことと、方針として「全会一致でなくてはならない」としておくことが有益であるかは、別の問題ではないかと思います:
- まず、「全会一致でなくてはならない」という方針が、建設的な意見を述べたり、反対意見を吸収したりする努力を促進するでしょうか? 以前の節で書いたことの繰り返しになりますが、「全会一致でなくてはならない」という制約は、ときにウィキペディア日本語版の利用者を対論者の「論破」「負けを認めさせること」に向かわせてはいないでしょうか。
- そもそも、その楽観論が正しくて意見がうまくまとまるケースであれば、たんに「よくよく話し合って決めるべき」という規範があるだけで自然と全会一致となるはずで、「全会一致でなくてはならない」ということを方針として定めておく必要はないのではないでしょうか。
- 逆に、不幸にもその楽観論が外れたケースでは、私の意見では、「全会一致でなくてはならない」という方針にはむしろ非常に危険な副作用があるように思いま す。つまり、「きちんと話し合えば全会一致になるはずだ」という理想論は、「いつまでも全会一致にならなければ、それを妨害している『犯人』がいるはず だ」という恐ろしい考え方へ、無意識的につながっているように思えるのです。もし、Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#いつまでも「納得」しないがあるから全会一致を要求していても大丈夫だという考えがあり、それが「反対者を投稿ブロックして全会一致を実現する」ということを含んでいるのであれば、それはまさにこの危険が顕在化した考えだといえるかもしれません。
- 繰り返しになりますが、おっしゃる楽観論はほとんどの場合には正しいのかもしれません。しかし、それが正しい場合にも、重要なのは合理的に話し合うべきということであって、全会一致はその結果としてついてくるだけなのだと思います。
- 「ウィキペディアは急ぐ必要がないものと考えていますが」 とおしゃっていることについてですが、この点は、大いにうなずけます。しかし、そうはいっても、その何ヶ月か、何年か続くか分からない話し合いの間、自動 的にずっと既存状態の維持というのが賢明なことなのでしょうか。何ヶ月も、何年も話し合いを続けるのであれば、そのときどきの多数意見をひとまず反映させ ながら話し合いを続けても良いのではないのかと思います。
- 「mizusumashiさんが仰る「多数決方式であれば、少数派の意見は結局は採用されません。」ということであればまとめ上げられるべき考え方に少数派の意見が影響することが無いように思われます」 という点については、まず、合意形成というものをどう考えるにせよ、そもそもあらゆる種類の少数意見の影響を受けることが求められるいるわけでも、求める べきでもないように思います。例えば、明白に中立性に反する強硬意見の影響を受けるべきなのか(残念ながら、宗教関連などの項目において、そういう強硬意 見はたまに存在するように思います)、影響を受けて良いのか、かなり疑問ではないでしょうか。そして、部分的にであれ受け入れられるべき少数意見であるな らば、多数決に移行する前に合理的な話し合いが十分に行われていたならば、多数意見も合理的な範囲で影響を受けるでしょう。ここでもまた、重要なのは合理 的に話し合うべきということであって、方式ではないと思うのです。
- 「全会一致方式としてしまうと、疑問があるが議論をとめたくはないといった人たちは黙ってしまうでしょう」 というのは、私が断定的に書きすぎたかもしれませんが、例えば、A案とB案が提案されて、いままでのところA案についての支持だけが表明されている場合、 自分としてはA案よりもB案が優れていると思うがともあれどちらかがなるべく早く実施されたほうがよいと考えており、自分がB案の支持を表明してしまうと 何もしないよりは良いと思っているA案の実現でさえ危ぶまれることになるというような状態では、B案への自分の支持を表明しにくくなる、というようなこと です。あるいは、A案とB案の提案だけがなされ、まだどちらの支持もついていない場合も、同じようなことがおこると思います。
- ところで、私は、重要なのは、合理的な話し合いを十分に行うことだ、 ということを繰り返しています。そこで、「しかし、その『合理的』『十分に』というのはどのような状況なのか」という疑問は、起きて当然だろうと思いま す。私の答えは、その「合理的」「十分に」ということがどういうことなのかも、ケース・バイ・ケースで合理的に判断すべし、ということになります。私は、 人間の知的活動とはしばしばそういうものであり、それで良いのだ、少なくともやむをえないのだ、と考えています。
- なお、#「民主主義ではありません」節と「官僚主義ではありません」節の導入反対で のSweeper tamontenさんのご指摘やご質問に、私が直接応答していないものがあります(もしかしたら、この節でも)。どうしても応答が長くなりがちなことなど から、いくらかは割愛させていただいているのですが、もしかしたらご不満に感じておられるかもしれません。もしそのときには、お手数ですが、これには回答 するようにともう一度ご指示いただければ幸いです。--mizusumashi(月間感謝賞を応援します) 2009年9月4日 (金) 10:31 (UTC)--修正:2009年9月11日 (金) 12:59 (UTC)
- 114.51.62.19さんによるサブページ化が完全に復帰されたので、話し合いを続けていきましょう。よろしくお願いいたします。--mizusumashi(月間感謝賞を応援します) 2009年9月11日 (金) 12:59 (UTC)
- mizusumashi さん、サブページ問題の処理に感謝いたします。私はサブページにおけるあら金さんの書き込みを読んでいました。そしてその内容が重要なものと判断しており ましたのであら金さん本人の再度の書き込みを待ちたいと思います。一旦消去したサブページの内容をここに置くことはルール違反なのでしょうね、残念です。--Sweeper tamonten 2009年9月11日 (金) 22:06 (UTC)
- 114.51.62.19さんによるサブページ化が完全に復帰されたので、話し合いを続けていきましょう。よろしくお願いいたします。--mizusumashi(月間感謝賞を応援します) 2009年9月11日 (金) 12:59 (UTC)
- 119.228.173.119さんのご主張についてですが、正直なところ、119.228.173.119さんのご指摘の何が私の意見への批判となって いるのか、私には良く分かりません。私は、多数決による決定が全会一致に上回る拘束力があるとは言っていませんし、投票が合意形成の妨げにはならないと も、安易に多数決に頼れとも言ってはいないのですから。多数決/全会一致について私が述べているのは、「全会一致でなくてはならない」と決め付けることは 賢明ではない、大事なのは合理的な話し合いを十分に行うことであって「方式」ではない、ということです。en:Wikipedia:Consensusにおいては、合意(consensus)とは合理的な話し合い(discussion)によるものだということが繰り返し強調されています。そして、en:Wikipedia:What Wikipedia is not#Wikipedia is not a democracyを字義通り読めば、「投票(voting)ではない」というのは「話し合いである」ないしは「編集と話し合いである」と
サブページ化とそれから復帰について
[編集] コメント 投稿ブロック中のユーザのブロック破りの疑いのある投稿を除去しました。サブページが作られ(/WP合意形成をどう定めるか)、ブロック破り者とあら金氏とMizusumashi氏がコメントしていますが、特にこちらへ転記などは行っていません。必要があれば転記をお願いします(言うまでもないですがGFDLやらCCやらに注意してください)。
それでですね。あら金氏もMizusumashi氏もお優しすぎます。Vandal userの疑いが晴れぬままなのですから、このIPユーザには構ってやらないでくださいませ。--ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2009年9月5日 (土) 21:23 (UTC)
コメント(追記)GFDLやらCCやらに注意してください、と自分で言ったそばから UTC を UST と書き間違うヘマをやらかしてしまいましたが、単純な差し戻しで履歴継承問題は絡んでいないことと、USTというタイムゾーンが(今のところ)存在しないことと、「Mizusumashi氏の版へ差し戻す」と書いてあることなどから、問題ないだろうと思うのでこのままにしておきます。面目ないです。
なお、この節のコメントは、既にたくさんのコメントが付いてしまったということもあり除去はしませんが、できれば過去ログ化などして仕切りなおしてほしいと思います。Vandal userの汚染が含まれる議論で何が決まろうが一切賛成しない、というような人間も居りますので。--ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2009年9月5日 (土) 21:43 (UTC)
- 記録のために、サブページ化とそれから復帰について、私から簡単に報告しておきます。
- この節の話し合いは、2009年9月4日(UTC)に114.51.62.19さんによってサブページWikipedia‐ノート:ウィキペディアは何ではないか/WP合意形成をどう定めるかに分割され、このページWikipedia‐ノート:ウィキペディアは何ではないかから除去されました。その後に、114.51.62.19さんはソックパペット・投稿ブロックされた利用者のブロック破りの疑いとして投稿ブロックされ、上記の除去はラッキースター・キッドさんによって 2009年9月5日に復帰されました。そして、上記の分割先のサブページも、その投稿ブロックされた114.51.62.19さん以外の加筆者の同意を得、それを理由として私が即時削除を行いました(WP:CSD#全般6類推)。
- これで、114.51.62.19さんによるサブページ化が完全に復帰されたことになり、話し合いの場所が統一されたことになります。--mizusumashi(月間感謝賞を応援します) 2009年9月11日 (金) 12:59 (UTC)
議論の再開
[編集]話合いの場所が統一されたとか言ってるが、もうすでに1ヶ月以上、そしてもうすぐ二ヶ月たって何も話し合われていないだろう?何のために「統一」したんだ?すでに上で誰かも論じているが、その話合いって、そもそもその条項と関係あることなのか?分離が妥当だろう。いずれにせよ、わけのわからないmizusumashi氏による強引な私論によって(そしてそれによって説得されている人はここには一人ももいないように見える)五本の柱はじめ、軽視した上で、行き当たりばったりのごまかし反論を繰り返すだけで、結果コミュニティ節のアップデートが妨害されているだけ。1週間ほどみて、異論がなければ、私のほうで再びMiusumashi氏によってこのトピックと無関係な議論の分離作業を行う。WPの合意形成詳細分で議論したい人は自由にすればいい。しかし話合いを統一だの言っておいて、一切話もする素振りもみせずに妨害したままってのは、このノートの議論妨害だろう。こちらのほうで無関係な議論はやはり分離して、その上で、ほんとうにコミュニティ節に関係ある部分だけで異論がないようであれば、早急に改定案でアップデートすべきだと思う。--121.84.163.194 2009年10月30日 (金) 01:25 (UTC)
あとさ、Mizusumashi氏の妨害行為に警告しておきたいが、あなたの議論の仕方って、木を見て森を見ずなんだ。このノート見ればわかるが、少なくない利用者から結構根本的な異論が複数でていて、日本語版ローカルの私論じゃないのか、とか、プロジェクト設立規定を読んだのか?法律ごっこする場所じゃないという5本の柱の精神と真逆の主張じゃないの?とか、そういう根本的な異論にたいして見解を出すこともせず、私の言うことはおかしいでしょうか?と些末な木の部分の反論ポーズみせても、そりゃ間違っているだろう。本質的な部分の議論すっぽかしたまま前に進もうとしているんだから。そんなもんでは永久に我々は説得されるわけがない、というか、そもそもあなたの考え方が非プロジェクトの思考様態だから。繰り返すが、合意形成のディテール、投票形式についてなんか私論があるなら、その木の部分は木の部分のノートでやってくれ。森の部分でやってるこのノートでそのわけのわからん主張のすりあわせのために全体の森の部分の議論を疲弊させるな。そして実際2ヶ月になろうとしている段階で一切、森にしろ木にしろ話は何も進んでいない。いい加減にしてほしい。以上のような理由で、1週間ほどみて、私の考えに異論がみられないようであれば、木の部分は木の部分に話しを分離する。そしてディテールとは無関係のプロジェクト設立規定、5本の柱の精神にのっとり、問題がないことを再確認の上、改定案でアップデートすることを推し進めることにする。--121.84.163.194 2009年10月30日 (金) 01:41 (UTC)
- 議論が進んでいないのは事実ですが、経緯を考えるとその判断は難しいところでしょう。
- 現時点までに出ている論点としては
- 「民主主義ではありません」節および「官僚主義ではありません」節そのものに対する反対
- コミュニティに関する部分と内容に関する部分とを別ページに分離すべき
- の、二点ですが、後者については反対はないので、改定案でのアップデートを推し進めるのは適当ではないでしょう。内容とコミュニティに関することがらが一つのページでなければならないなら、そのページ名は「ウィキペディアとそのコミュニティは何ではないか」とでもすべきです。内容すなわちウィキペディアのアウトプットと、コミュニティ運営を含めた手法は分離して扱うべきだと思います。--Jms 2009年10月30日 (金) 22:50 (UTC)
- ここに書くべきか迷いましたが、一言だけ。本文冒頭には「ウィキペディアはオンライン百科事典であり、また、それを実現するために、互いに尊重しあう精神の下で高品質の百科事典を作成しようとする人々のオンラインコミュニティです。」とあり、またWikipedia:ウィキペディアについてでも「ウィキペディアは、信頼されるフリーな百科事典、それも質量ともに史上最大の百科事典を、共同作業で創り上げることを目的とするプロジェクト、およびその成果である百科事典本体です。」、さらにWikipedia:ウィキペディアへようこそでも「ウィキペディアは、信頼されるフリーな百科事典を、それも、質においても量においても史上最高の百科事典を目指して、共同作業で創り上げるプロジェクトです。」としています。つまり「ウィキペディア」とは単に百科事典そのもの(内容)を指すだけではなく、それを実現するためのプロジェクトあるいはコミュニティも同時に意味しています。ですので本文書内にコミュニティ節があったとしても、文書名(ページ名)は現在のままがよいと思います(馬から落馬、頭痛が痛い、がおかしいのと同様です)。--Penn Station 2009年10月31日 (土) 00:48 (UTC)
- ウィキペディアはプロジェクトだ、とする記載と、ウィキペディアは百科事典だとする記載、両方があります。後者はたとえばウィキペディア冒頭文、メインページ冒頭など。Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか冒頭文は内容に対応しているのですから、論拠とはしにくいでしょう。--Jms 2009年10月31日 (土) 01:26 (UTC)
- メインページの冒頭は、単に案内文として「百科事典」ということを強調しているだけで、「コミュニティでもある」ことを否定している訳ではないでしょう。プロジェクト関連文書でないウィキペディアの記事は単に現在の記事内容が不適切なのだと思います(英語版の当該記事ではprojectとなっています)。狭義・広義2つの意味があるのだとすれば、ページ名はコミュニティ節を含めても「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか」で十分だと思います。--Penn Station 2009年10月31日 (土) 02:05 (UTC)
- 「コミュニティに関する部分と内容に関する部分とを別ページに分離すべき」について、反対意見がないということだが、このノートを見ると反対意見は存在する。もともとこれを言い出したのは、Jms氏ひとりであって、確かに最初の段階では明確な反対意見はなかったもののそれは、どちらでもよいというだけで、明確な賛同はひとつもない。現段階ではPenn Station氏もそうだし、私もそんな見解は間違っていると考えています。
- おっしゃることがまるで筋が取っていない、というか意味がわからない。「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか冒頭文は内容に対応しているのですから、論拠とはしにくいでしょう。」ということだが、このページの冒頭文は、みての通り、内容に限定するものではなく「ウィキペディアはオンライン百科事典であり、また、それを実現するために、互いに尊重しあう精神の下で高品質の百科事典を作成しようとする人々のオンラインコミュニティです[1]。したがって、ウィキペディアは決して以下のようなものではありません。」とコミュニティも包括するプロジェクトであると規定されている。それに「したがって」このページがある。このページにコミュニティ節を入れないとJMS氏の根拠たるものはまったく否定されるというか、最初から正当な根拠なんてどこにもないと観察するが、いったいどういう根拠で延々主張されているのかまるで理解できない。論証にしにくいどころか、論証の材料そのものじゃないですか。
- だいたい「何でないか?」はプロジェクトを包括的に「何でないか」1ページで見渡せる早見表のような役割があり、そんなガイダンスを複数ページに分離してなんかメリットありますか?存在意義を考えたことがありますか?実際これまで、コミュニティ運営についてこのページが何度も参照されて議論されるのを目撃されてきたし、分量が膨大な文章ならば、2ページに分割することで可読性のメリットがあるのはわかるが、たかだかこれだけの文章を分離するメリットがなんかあるのか、教えていただきたい。それにこれまでのここの議論をみてれば、なんか頻繁に参照されるこのページから、コミュニティ節を排除して、よりマイナーな場所へ排除するニュアンスが受け止められる。これは単純に毛色が違う内容をページ分割するというより、より目につきにくいところへ排除するという意味合いが強いし、実際そうなれば、いままで「何でないか」への1リンクですんでいたものを、すべて、コミュニティについてのページへのリンクを追加する膨大な作業を伴うことになる。コミュニティ条項の重要性が同等にあるとすれば、これだけの手間をかけて、ページを分離する具体的なメリットはなんかありますか?JMS氏が主張するページ分割の実際的なメリットと束になるだけの実際的な根拠をお示しいただきたい。そうでなければ、英語版でもそしてこれまで日本語版でもうまくいってきた、ページのまとめかたを覆す、変更するだけの理由としては許容するわけにはいかず、同時に単なる改変内容をアップデートするのに妨害している要因としてみなすしかないと考える。早急に意味不明の主張を撤回されることをおすすめする。
- あと、Mizusumashi氏がまきおこした「「民主主義ではありません」節および「官僚主義ではありません」節そのものに対する反対」ってのは、すでに指摘されているように、WPの根本原理と矛盾するので、到底容認されるものではないし、その指摘に対するまっとうな見解表明はひとこともなされないままに、ずるずるここまで引き延ばされているわけだ。コメントをみていると、どうやらそれは、結局WP合意形成の枝葉末節の手順の話らしい。森の部分の文書とは、まるで関係ないからよそでやってくれ、と分離された手続きは正しいと思うし、それはさっさと行われる作業であると思う。今回のJMS氏の見解も間違っているが、その内容範囲について、この議論分離の論点についての異論とはカウントされないので、1週間たって異論がなければ分離というのは当然維持されています。--121.84.163.194 2009年10月31日 (土) 02:34 (UTC)
追加。頻繁に参照されるWikipedia:五本の柱についても、#1に百科事典である、という「目的」が書かれているが「手段」「コミュニティ」も#3,4,5において列挙されている。WPがコミュニティを百科事典というアウトプットをもったコミュニティというものを包括するプロジェクトというのは自明であり、ウィキペディア=アウトプットのみという狭義が定義とかなぜか決めつけている、分離もしくは「ウィキペディアとそのコミュニティは何ではないか」にすべきといかいう主張は間違っている。できたらJMS氏におかれましては、この手の間違った思い込みでこれ以上、進行を妨げることはおやめいただきたい。--121.84.163.194 2009年10月31日 (土) 03:12 (UTC)
- 反対が (わたくしが述べた時点で) ない、と述べたのであって、賛成があった、とも述べていません。端的に言って、その是非が検討されていなかったということです。わたくしは、出ている意見について検討することなく改定案でのアップデートを「推し進める」ことを問題視して述べました。ウィキペディアの内容とコミュニティについての文書をどう構成するかというのには色々意見がありえるので、分離すべきだというのが「間違い」だというのには必ずしも賛成はできませんが、合意形成を図ってまで分離を「推し進める」気もありません。実際的かどうかはさておき、改訂作業の際に、内容についての「何ではないか」と、コミュニティについての「どうあってはいけないか」が混在していることに強い違和感を覚えました。それがウィキペディアでの平均的な感覚であるかどうかはまた別のことであって、そういう意見の人もいた、ということです。--Jms 2009年10月31日 (土) 04:57 (UTC)
- だから、その違和感っていうのは、WP=コンテンツ、コミュニティそれを支える別要素、というあなたの勘違いによってもたらさらているわけです。間違いであるというのに賛成できないのであれば、あなたの考えが正しいというのを私が上で反証した論拠をもって覆す必要がありますが、そんなことはできないでしょう。まだ、WP=プロジェクトである、ということが理解されないのでしょうか??間違い、勘違いに基づく論拠の正当性もない違和感をもって、実際的なメリットも皆無な主張なんて承諾されえないでしょう。別に害にも益にもならない誤解を述べるのは自由だが、妨害行為は慎まれたい。別にあなたは傍観していればいいのであって、参加する必要はありません。それに、もうこの論点についてこれ以上検討などする必要はありますか?間違いであった勘違いであったということを率直に認めて引き下がればよいのでは?是非であれば、あなたの主張は非です。--121.84.163.194 2009年10月31日 (土) 05:11 (UTC)
- 文書構成の仕方は複数ありえますし、その適切な名称は内容依存ので、間違いとは言えないでしょう。「ウィキペディア」という語が多義的に使われる状況が実際にあるわけですから、間違いかどうかという二値判断が常に可能であるわけでもありますまい。いずれにせよ、わたしは出されている意見についての検討をすることなく「推し進める」ことを問題視したのであって、検討し (もちろん合理的な範囲での) 合意の上で進めることについて異議を唱えているわけではないというのはすでに述べた通りです。分離した方が良いという意見があった、そうではないという反論があった、その上で分離しないことになった、というだけのことです。--Jms 2009年10月31日 (土) 05:32 (UTC)
- 論点のすり替えですね。あなたは、「WP=コンテンツである」だからコミュニティという付属要素は別要素に分離されて然るべきである、という論拠と違和感に基づき、分離を主張していました。その論拠が勘違いである、間違いであるとはっきりしている以上、その「文書構成の仕方」分離というあなたの主張は成立しない。そしてそれを主張しているのは、ここであなたただ一人であり、誰も賛同していない。結局あなたがその勘違いに基づく主張を間違いだったと認めればすむ話です。なにもわざわざ「文書構成の仕方が複数ありえる」なんていう大風呂敷を広げた一般論でお茶を濁すこともないでしょうに。もうあなた一人がこの点を内心で納得すればすむ話なんで、もういいですか?あなたひとりの問題だ。そして勘違いを積極的に認めるつもりがなさそうだ、ということはわかったが、整合性のある説明を聞いてもいつまでも納得することなく、強引に我流水田するつもりもないのも了解した。あなたひとりが当初異議をだした論点についてはもう私とPenStationにより検討された。その作業はもう終了した。あなたの当初のべた分離論拠に正当性がなく、これ以上検討をする必要がない、ということでよろしいか?--121.84.163.194 2009年10月31日 (土) 05:39 (UTC)
- 文書構成の仕方は複数ありえますし、その適切な名称は内容依存ので、間違いとは言えないでしょう。「ウィキペディア」という語が多義的に使われる状況が実際にあるわけですから、間違いかどうかという二値判断が常に可能であるわけでもありますまい。いずれにせよ、わたしは出されている意見についての検討をすることなく「推し進める」ことを問題視したのであって、検討し (もちろん合理的な範囲での) 合意の上で進めることについて異議を唱えているわけではないというのはすでに述べた通りです。分離した方が良いという意見があった、そうではないという反論があった、その上で分離しないことになった、というだけのことです。--Jms 2009年10月31日 (土) 05:32 (UTC)
- だから、その違和感っていうのは、WP=コンテンツ、コミュニティそれを支える別要素、というあなたの勘違いによってもたらさらているわけです。間違いであるというのに賛成できないのであれば、あなたの考えが正しいというのを私が上で反証した論拠をもって覆す必要がありますが、そんなことはできないでしょう。まだ、WP=プロジェクトである、ということが理解されないのでしょうか??間違い、勘違いに基づく論拠の正当性もない違和感をもって、実際的なメリットも皆無な主張なんて承諾されえないでしょう。別に害にも益にもならない誤解を述べるのは自由だが、妨害行為は慎まれたい。別にあなたは傍観していればいいのであって、参加する必要はありません。それに、もうこの論点についてこれ以上検討などする必要はありますか?間違いであった勘違いであったということを率直に認めて引き下がればよいのでは?是非であれば、あなたの主張は非です。--121.84.163.194 2009年10月31日 (土) 05:11 (UTC)
「ウィキペディア」という語が多義的に使われる状況が実際にある、それはその通りだ。たとえばメインページの「顧客向け」の百科事典として使えるサイトですよ、というプロジェクトの部分的属性(その部分をあなたが多義だといおうが自由だが、包括のうちの部分にすぎない)を強調するときはそうだろう。しかし、すでに述べたとおり、このページはWPというプロジェクトを包括的に補足説明する例示集であり、コミュニティは属さないと、その一覧から排除する正当性などない。それはこの冒頭文で定義されているとおりのことだ。そこにコミュニティという文字が読めないわけではあるまい。さらにWP五本の柱にもコミュニティ属性については#3,4,5と列挙してある。あなたはこういう事実を踏まえたこれまでも英語版でも日本語版でも踏襲されてきた文書フォーマットを、よくわからない理由、しかもすでにあなた自身、その論拠の正当性も実際的な分離メリットも明言できないような理由であやふやに主張している。示唆するものが大きな本質的な変更であるのならば、そこにはそれなりの有効な説明がもとめられる。しかしあなたはそれを提供できないし、できるわけがないのはすでに示した。いろんなやりかたがありえる、なんていう一般論でごまかされる話ではなく、我わらはきわめて具体的で根本的なこのページの文書フォーマットについて議論してきたわけだ。私のいうことはおわかりになるだろうか?--121.84.163.194 2009年10月31日 (土) 05:48 (UTC)
- 私の主張と対応はすでに書いた通りですし、お尋ねのことに対する答えもその中にあるかと思います。分離するかどうかという点について、現時点で議論を続ける必要性があるとは思えません。--Jms 2009年10月31日 (土) 05:59 (UTC)
- あなたの当初の論拠の正当性を失っているという私の説明についての確認もないし、その当初の主張「分離すべき、それにはこれこれこういう理由がある」という主張のステータスが、現在で生きているのか撤回されていうるのか、説明もされていない。自分の主張のステータスくらい明確にするのが当たり前だろうとおもうが、別にこれはあいまいなままにしておいても支障はないし、これ以上追求しても意味のないことだろう。しかし「現時点で続ける必要があるとは思えない」という表現について、留保がついているとみる。いずれにせよ、今後同様の主張が起こっても、上で述べたように有効な説明など提供されることはないだろうが、すくなくとも今回の流れにおいては、改定案への反映にむけての議論について、あなたの「主張」が障害になるものではない、撤回された、あるいは、すでにその主張は検討され「否」であることが確認され、あなたもその検討結果について納得した、と理解するがよろしいか?現状すでにあなたひとりの問題だ。ぶりかえして議論をひっくり返さないと明言されるのならば、これ以上わたしのほうから確認する事項はないが、それだけ確認させていただきたい。--121.84.163.194 2009年10月31日 (土) 06:50 (UTC)--121.84.163.194 2009年10月31日 (土) 07:25 (UTC)
- 分離した方が良いという意見があった、そうではないという反論があった、その上で分離しないことになった、というだけのこと、というわたくしの認識は既に書いた通りです。「現時点で続ける必要があるとは思えない」の「現時点」という留保は、たとえば、「ウィキペディアは何ではないか」が将来肥大化し、分量といった技術的観点からページをわけた方が良い、といった状況が生ずればその分け方について改めて議論する必要が生じ得るといったことを想定し、その際の言質とならないように書きました。「今回の改訂に関しては」と書いても意図としては同じことです。「ウィキペディア」という語は多義的に用いられており百科事典そのものを意味するとは限らない、というのをわたくしは既に認めていますので、その点についてなにかをお求めだとは考えていません。--Jms 2009年10月31日 (土) 07:58 (UTC)
- 了解しました。では、「コミュニティ節はある理由により別ページに分離すべき」とJMS氏より当初されていた主張は、検証が終わったものとし、結果、コミュニティ節を本文から分離しない、これまでの様式を踏襲することに異存はないことを本人より合意が得られた、コミュニティ節改訂を本文に反映させる過程の今回の話し合いについて、すでに妨げとならないことを確認しました。
- 続いて、例の「統合された話し合い」なるものですが、すでにもうすぐ2ヶ月近く放置されており、Mizusumashi氏をはじめ、コミュニティ節について反映させない方向で先送り、あるいは放置はしていても、けして「統合された話し合い」など進められる期待はないとみなしています。プロジェクト設立規定、WP5本の柱との整合性を欠くMizusumashi氏によるコミュニティ節の反映反対意見ですが、これはその包括的、本質的文書の立ち位置より、かなり下位構造に帰属するWP合意形成の具体的手順の詳細についての私見が中心となっており、それは本文、コミュニティ条項のアップデートと階層、範囲が異なるものであり、彼の見解は本件についての議論(反対意見)とは成立していない、また日本語版ローカルルールで変更してよいものではない、ディテールに陥りすぎて(枝葉末節で方針論拠がない私論)いるという、根本的な異論が複数の利用者より寄せられており、そのプロジェクト根本についての階層での有効な説明は彼より一切提供されないまま、現在にまで至っている、我々の説得には到底至っていない。例外的にJMS氏は当初、上でみられるように別個の独自の切り口からその方向性に同調していたものの、今回最終的に示されたとおりコミュニティ節の反映については、もはや妨げないという立場を確認された。私は、Mizusumashi氏の結果的に1-2ヶ月放置されている議論については、別個の階層の話であるという見解に同調するものだし、その一切の本件と無関係なディテールの議論はこのページより分離独立して、そちらでやればよい、そこで放置されるのは結構だが、それはこれ以上、本件に影響を与えるべき性格のものではないと観察しています。すでに指摘されている、プロジェクト設立規定、WP5本の柱との整合性について、有効な説明が彼よりなされるのであれば、その「森」の部分についてはこのノートで話し合われるべきですが、それ以外の無関係な議論は、このノートより分離する方向で調整していくつもりです。異論がなければ、当初宣言したタイミングよりおよそ1週間で分離したいと思います。その後、その枝葉末節の論点を排除した上で、再度ここで反映にむけて最終的な確認をとり、早急にコミュニティ節の反映をします。--121.84.163.194 2009年10月31日 (土) 08:37 (UTC)
- 分離した方が良いという意見があった、そうではないという反論があった、その上で分離しないことになった、というだけのこと、というわたくしの認識は既に書いた通りです。「現時点で続ける必要があるとは思えない」の「現時点」という留保は、たとえば、「ウィキペディアは何ではないか」が将来肥大化し、分量といった技術的観点からページをわけた方が良い、といった状況が生ずればその分け方について改めて議論する必要が生じ得るといったことを想定し、その際の言質とならないように書きました。「今回の改訂に関しては」と書いても意図としては同じことです。「ウィキペディア」という語は多義的に用いられており百科事典そのものを意味するとは限らない、というのをわたくしは既に認めていますので、その点についてなにかをお求めだとは考えていません。--Jms 2009年10月31日 (土) 07:58 (UTC)
- あなたの当初の論拠の正当性を失っているという私の説明についての確認もないし、その当初の主張「分離すべき、それにはこれこれこういう理由がある」という主張のステータスが、現在で生きているのか撤回されていうるのか、説明もされていない。自分の主張のステータスくらい明確にするのが当たり前だろうとおもうが、別にこれはあいまいなままにしておいても支障はないし、これ以上追求しても意味のないことだろう。しかし「現時点で続ける必要があるとは思えない」という表現について、留保がついているとみる。いずれにせよ、今後同様の主張が起こっても、上で述べたように有効な説明など提供されることはないだろうが、すくなくとも今回の流れにおいては、改定案への反映にむけての議論について、あなたの「主張」が障害になるものではない、撤回された、あるいは、すでにその主張は検討され「否」であることが確認され、あなたもその検討結果について納得した、と理解するがよろしいか?現状すでにあなたひとりの問題だ。ぶりかえして議論をひっくり返さないと明言されるのならば、これ以上わたしのほうから確認する事項はないが、それだけ確認させていただきたい。--121.84.163.194 2009年10月31日 (土) 06:50 (UTC)--121.84.163.194 2009年10月31日 (土) 07:25 (UTC)
最終的決着へむけて、枝葉末節の議論の分離、コミュニティ節アップデート反対意見への反対意見まとめ、もろもろの検証
[編集]以上、おおよそ1週間待機して異議が出ないため本ノートの話し合いと階層が異なる枝葉末節「多数決方式か、全会一致方式か、それとも…」は、Wikipedia‐ノート:合意形成へ分離、移動、そちらで「話し合いが統合」されました。
これまで懸案事項となっている「コミュニティ節改定案導入反対」ですが、反対意見表明者のMizusumashi氏による見解に賛同する議論参加者は現時点でひとりもいない。(どちらでもいい、または別の観点で同調したが誤解に基づく主張で今回それは事実上撤回した参加者はいました)。さらに、この話し合いは、おおよそすでに2ヶ月にわたり完全に議論放棄されており、構図としては、このノートで当初すでに翻訳者中心に合意がなされて作業開始された全面改定プロセスが、全面改定反映直前になって突然、ひとりの利用者の「いつまでも納得しない」見解によって阻害され続けており現在まで放置されているものとみなされます。
特に、反対意見があった検証すべき改訂案の節を再掲します。
ウィキペディアは民主主義ではありません
- ウィキペディアは民主主義、あるいは他のいかなる政治システムの実験ではありません。合意形成の主たる(しかし唯一ではない)方法は、編集と議論であり、投票ではありません。合意形成にむけて調査投票を利用することはありますが、そうした投票や調査は議論の助けになるどころか、むしろ妨げになる場合があります。それらは慎重に用いられるべきであるし、他の合意形成された意思決定を上回る拘束力はありません。選挙や投票は、管理者を選ぶときなど、ウィキペディアそのものの外にあるものに対してのみ是認されます。
ウィキペディアは官僚主義ではありません
- ウィキペディアはきまりで縛られているわけではありません。模擬裁判ではありませんし、規則はコミュニティの目的ではありません。指示の肥大化は避けるべきです。ウィキペディアの基本方針とガイドラインは記述的であり、規範的ではありません。それらは、どのように百科事典を改善していくかについてのコミュニティの変化し続ける合意を示したものであって、法典ではありません。提案や推薦などを投稿するときに犯した手続き上の瑕疵は、その投稿を無効とする根拠にはなりません。同様に、方針の字面の解釈に固執するあまり、方針の本質的意義を損なうことをしないでください(gaming the system(システムの悪用)もご覧ください)。もし規則が百科事典の改善を妨げるものなら、それらを無視してください。見解の不一致は、規則や手続きに固執することによってではなく、合意形成を重視した議論によって解決してください。
Tsukamoto、 Sweeper tamonten、大和屋敷、Web comic、利用者:119.228.173.119より、Mizusumashi氏の改訂案導入反対意見に明確な反対意見が寄せられており、それにたいする反論は結局のところ、ディテイルに陥った、枝葉末節の「合意形成、投票手順」のみに帰着されその時点で議論放棄されていましたが、それ以下についてへはWikipedia合意形成のノートへ議論が分離されました。
上に掲げる改訂案の当該節、民主主義ではありません節の導入とはWikimediaプロジェクトの設立規定第3項
- 3.The "wiki process" of consensus building as the final decision-making mechanism for all content.
すべてのコンテンツについての最終的な意思決定の仕組みとしての「wikiプロセス」コンセンサス形成(合意形成)
合意形成の肯定であり、そのディテールをここで定義、指導するものではない。
また、官僚主義ではありません節の導入とは、特にWikipedia:五本の柱の第5項を継承するもの。
以上は、すでにあげた複数の改訂案導入反対への反対意見として、本義としては異口同音にその複数の利用者によって指摘されていることでありWikimediaプロジェクトの設立規定とWikipedia:五本の柱で、根本的に規定されているプロジェクトを包括的に方向付ける重要な例示条項であり、1ローカル言語版の日本語版がどうこう変更できるものではない、という事実は明らかになっています。
これらのMizusumshi見解への本質的異議にたいする有効な反論(そのプロジェクト方針の階層での議論)は全くなされておらず、階層が外れているWP合意形成の詳細プロセスの私見についてのコメントはすでに分離されています。我々の説得には到底至らず、すでに議論も2ヶ月放棄されていることをもって、すでにMizusumashi異議は却下されたものとみなしてよいと考えています。また、WP合意形成について私論をさらに闘わせたいのであれば、分離されたしかるべき場所で、本議論とは影響のないところで継続されたいと考える。
以上、すでに議論放棄されている本件の話あいについてですが、コミュニティ節改訂案の反映について、有効な反対意見がなされない場合は、速やかに当初の計画をもって全面改定作業完了としたいと思います。念のために1週間、異議への待機の上、その作業を行います。--Everystory 2009年11月6日 (金) 09:50 (UTC)
- または別の観点で同調したが誤解に基づく主張で今回それは事実上撤回した参加者はいましたというのは具体的に誰のことでしょうか。もしわたくしのことなら、「同調」した覚えはありませんし、「誤解に基づく」というのも補足まで含めて考慮すればわたくしの意図とは異なると思います。念のため事実を確認させてください。もしわたくしのことなら、議論の本質にかかわらないこういう手間を増やさない記述をしていただければと思います。--Jms 2009年11月6日 (金) 09:57 (UTC) 脱字補足 --Jms 2009年11月6日 (金) 10:53 (UTC)
- その点について明らかにしてほしいと再三再四確認させてもらったはずですが、
- まず、Wikipediaというのは「多義的」と表現されるものの、「多義的」といえば、重みが同等な印象操作が働くが、本件については「包括的プロジェクト」についての記述であるのは自明であり、「部分的意味であるアウトプット=コンテンツ」ではけしてない、という理解の確認をしたい。この理解があるのかないのか、Yes/Noでお答えいただきたい。
- 結果的にコミュニティ節除去という方向性で、当初合意されていた作業が損なわれていたのは事実であり、その観点で同調圧力として働いたのは事実であり、それをクリアにするためにはそれなりの手間がかかっています。そういう意見があった、検証すべきというのはよいが、それはあなたの誤解に基づく発信であり、その確認がなされていない。--Everystory 2009年11月6日 (金) 10:14 (UTC)
- 「その点について明らかにしてほしいと再三再四確認させてもらったはずですが」といわれましても、同一人物かどうか判断しかねますので…。ウィキペディアがコンテンツのみならずプロジェクト全体を指す場合がある、従って「ウィキペディアは何ではないか」がコンテンツ以外についても「何ではないか」を規程することに一義的な問題があるわけではない、という点についてはすでに述べたとおり Yes です。そのことと、コンテンツとそれ以外を一つの文書にまとめておくのが良いかどうかというのは別のことだ、ということも、今回は分離しないことになったと理解している、というのも既に述べた通りです。--Jms 2009年11月6日 (金) 10:53 (UTC)
- 一義的な問題があるわけではない、という消極的な理由ではなくて、たとえばこのノートの表題はWikipedia名前空間なわけですが、これをいちいち「多義的」でありこの場合はコンテンツでない「もうひとつの意味である」Wikipediaプロジェクトのことだなんて議論は普通起こらないわけです。あなたはそのレベルで、この「Wikipediaは何でないか」のWikipediaがコンテンツであるという部分的意味をおひとりで強調したわけですが、これはむしろメインページの顧客向けの用途と同様に特殊で限定的な意味づけを行う作業であり、この手のWikipedia文書においてはそちらのとらえ方のほうが特殊な用例なわけです。今回は分離がなくなった、という点ですが、あなたのほうから分離したほうが良いという論拠については、このWikipedia=コンテンツだから、という意味以外のことはひとことも発せられていない。なんか分離したほうが良い、その作業をした方がよいという実際的なメリットについて検討に検証に値するコメントがこのノートに存在しますか?ないでしょう。--Everystory 2009年11月6日 (金) 11:08 (UTC)
- 具体的に誰のことを指しているのか不明な記述についてその指示対象を問うたのに対し、なぜ済んだ議論をまた始めようとなさるのかわかりませんが…。--Jms 2009年11月6日 (金) 11:50 (UTC)
- 事実を確認したいということですので、事実関係を明らかにしました。済んだ議論ですが、実際認識がかなり異なっているわけで、実際のところはどのような形で議論が収束しているのか明示しました。上述の事実関係は私の認識は間違っていないと思うし、異論はでないものと予測します。--Everystory 2009年11月6日 (金) 12:07 (UTC)
- 認識は異なっていますが、その相違が今般の改訂での論点には影響ないという点についてはすでに合意ができていると理解しています。というのはすでに確認した通りです。--Jms 2009年11月6日 (金) 12:20 (UTC)
- 改訂についてもはや妨げとならない、というのが一番重要で、それについては確かにすでに争点ではないですが、冒頭部分については正確には、「認識は異なっていた」という過去形です。上述の私の記述のどの部分に「今現在」事実認識が異なるんですか?もし今でもそんなもんがあるならば、具体的に出してください。一貫してあなたの主張は、WP=コンテンツという、このページにあてはまらないWPの部分的意味を前提にするもので、それは否定されている。これが1点。それとは別に、なおまだ、コンテンツとコミュニティを分離する論点があるというが、そんな論点の論拠など最初からどこにも示されておらず後付けに等しい、よってあなたの主張は頭からしっぽまで否であり、それを明確に認めることなしに最後までうやむやにしようとしている、WP=コンテンツであるという一部の意味がこのプロジェクトページにあてはまるという特異な主張を一般化し多義のひとつであるという強引な言い分を最後まで維持し、なんかよくわからない姿勢のままいる、というのが私の認識ですが、訂正部分はありますか?--Everystory 2009年11月6日 (金) 12:32 (UTC)
- 一義的な問題があるわけではなく、また現時点で分離するメリットが特にないから分離しない、というのを、誤解に基づくものだからとするかどうかという点で認識が異なります。しかし、その認識の違いは今般の改訂には影響しません。目的・目標と手段とは区別されるべきというのは一般論として成立しますし、その区別のしかたとしては単一文書内の節で分けるやりかたも、別文書にするやりかたもありますが、今回は従来通り前者による、ということでしょう。--Jms 2009年11月6日 (金) 12:58 (UTC)
- 改訂についてもはや妨げとならない、というのが一番重要で、それについては確かにすでに争点ではないですが、冒頭部分については正確には、「認識は異なっていた」という過去形です。上述の私の記述のどの部分に「今現在」事実認識が異なるんですか?もし今でもそんなもんがあるならば、具体的に出してください。一貫してあなたの主張は、WP=コンテンツという、このページにあてはまらないWPの部分的意味を前提にするもので、それは否定されている。これが1点。それとは別に、なおまだ、コンテンツとコミュニティを分離する論点があるというが、そんな論点の論拠など最初からどこにも示されておらず後付けに等しい、よってあなたの主張は頭からしっぽまで否であり、それを明確に認めることなしに最後までうやむやにしようとしている、WP=コンテンツであるという一部の意味がこのプロジェクトページにあてはまるという特異な主張を一般化し多義のひとつであるという強引な言い分を最後まで維持し、なんかよくわからない姿勢のままいる、というのが私の認識ですが、訂正部分はありますか?--Everystory 2009年11月6日 (金) 12:32 (UTC)
- 認識は異なっていますが、その相違が今般の改訂での論点には影響ないという点についてはすでに合意ができていると理解しています。というのはすでに確認した通りです。--Jms 2009年11月6日 (金) 12:20 (UTC)
- 事実を確認したいということですので、事実関係を明らかにしました。済んだ議論ですが、実際認識がかなり異なっているわけで、実際のところはどのような形で議論が収束しているのか明示しました。上述の事実関係は私の認識は間違っていないと思うし、異論はでないものと予測します。--Everystory 2009年11月6日 (金) 12:07 (UTC)
- 具体的に誰のことを指しているのか不明な記述についてその指示対象を問うたのに対し、なぜ済んだ議論をまた始めようとなさるのかわかりませんが…。--Jms 2009年11月6日 (金) 11:50 (UTC)
- 一義的な問題があるわけではない、という消極的な理由ではなくて、たとえばこのノートの表題はWikipedia名前空間なわけですが、これをいちいち「多義的」でありこの場合はコンテンツでない「もうひとつの意味である」Wikipediaプロジェクトのことだなんて議論は普通起こらないわけです。あなたはそのレベルで、この「Wikipediaは何でないか」のWikipediaがコンテンツであるという部分的意味をおひとりで強調したわけですが、これはむしろメインページの顧客向けの用途と同様に特殊で限定的な意味づけを行う作業であり、この手のWikipedia文書においてはそちらのとらえ方のほうが特殊な用例なわけです。今回は分離がなくなった、という点ですが、あなたのほうから分離したほうが良いという論拠については、このWikipedia=コンテンツだから、という意味以外のことはひとことも発せられていない。なんか分離したほうが良い、その作業をした方がよいという実際的なメリットについて検討に検証に値するコメントがこのノートに存在しますか?ないでしょう。--Everystory 2009年11月6日 (金) 11:08 (UTC)
- 「その点について明らかにしてほしいと再三再四確認させてもらったはずですが」といわれましても、同一人物かどうか判断しかねますので…。ウィキペディアがコンテンツのみならずプロジェクト全体を指す場合がある、従って「ウィキペディアは何ではないか」がコンテンツ以外についても「何ではないか」を規程することに一義的な問題があるわけではない、という点についてはすでに述べたとおり Yes です。そのことと、コンテンツとそれ以外を一つの文書にまとめておくのが良いかどうかというのは別のことだ、ということも、今回は分離しないことになったと理解している、というのも既に述べた通りです。--Jms 2009年11月6日 (金) 10:53 (UTC)
Everystoryさん(と、今後はお呼びすればよろしいのですよね?)は「おおよそ1週間待機して異議が出ない」とおっしゃっていますが、具体的に何をどうするかも示しておらず、「このノートより分離する方向で調整していくつもり」と述べているので、てっきり『この部分はこれこれで関係しないからどこそこへ移動しようと思いますがどうでしょうか』といった宣言が次にくるものと思っていました。これで同意を得たものとされるのは全くもって呆れた話です。そもそも、移動されてしまった部分は飽くまでも「ウィキペディアは何でないか」本文の改訂に関する議論であったわけで、これを枝葉末節と決め付けて排除するのはEverystoryさんによる結論の押し付けとしか言い様がありません。まあ編集合戦になるのも困りますから直ちに戻したりはしませんが、移動したことが良く分かるよう、かつ移動先でもどこから移したものか経緯が分かるよう、若干手を入れさせてもらおうと思います。 -- NiKe 2009年11月6日 (金) 14:06 (UTC)
いきなり前言を翻すかたちになりますが、移動された議論の一部を戻しました。Everystoryさんは既にLTA:FXSTのソックパペットとしてブロックされましたので、復帰させる方が適切と判断しました。 -- NiKe 2009年11月6日 (金) 15:11 (UTC)
- 「議論の統合」については特に意見はないのですが、「コミュニティ」節を更新するべきだと思います。2ヶ月の間議論がされていないうえに、「民主主義でない」「官僚主義でない」の導入に反対しておられる方から「根本的な異論」についても回答をいただいておりません。--伏儀 2009年11月6日 (金) 17:01 (UTC)
- すみません。お手数ですが、「「根本的な異論」についても回答をいただいておりません」の「根本的な異論」というのは、どの異論のことであるかご明示いただけないでしょうか。なお、念の為に申し上げておきますが、投稿ブロック違反者のメッセージにいちいち応答しないのはまったく正当なことであり、その点に非があるように言われても困りますので、投稿ブロック違反者の投稿やそう強く疑われる投稿以外でお願いいたします。
- とはいえ、じつは、私はもう少なくとも「民主主義でない」節の改定にそれほど反対する意思があるわけではありません。「民主主義でない」節の翻訳と導入を主導された方から、私の異議が枝葉末節である、つまり「民主主義でない」節の内容について私のように理解してもよい(そうでなければ、枝葉末節だとはいえません)と太鼓判をいただけましたので。--mizusumashi(月間感謝賞を応援します) 2009年11月6日 (金) 18:02 (UTC)
- 「投稿ブロック違反者の投稿やそう強く疑われる投稿以外でお願いいたします。」という条件では、該当する異論は存在しないことになりますね。2ヶ月待たされたのは投稿ブロック違反者だけではないと思いますが、その点はどのようにお考えですか。「日本語版ローカルの私論じゃないのか、とか、プロジェクト設立規定を読んだのか?法律ごっこする場所じゃないという5本の柱の精神と真逆の主張じゃないの?」という疑問点は私も感じておりました。「民主主義でない」、「官僚主義でない」はそのまま導入して、具体的にどう運用するべきか詰めていくべきだと思いますが。具体的な運用についてmizusumashi殿は適切なご意見をお持ちだと考えますが、「民主主義でない」、「官僚主義でない」を更新しない理由にはならないと思います。--伏儀 2009年11月6日 (金) 18:34 (UTC)
- 失礼、私の希望として上記の疑問点について解説してほしいというもので、「2ヶ月待たされた」ことについてmizusumashi殿に責任を追及しているわけではありません。「官僚主義でない」の更新に反対のようですが、これを導入してから具体的な運用を検討するのは不可能でしょうか。--伏儀 2009年11月6日 (金) 18:53 (UTC)
- 「2ヶ月待たされたのは投稿ブロック違反者だけではないと思いますが、その点はどのようにお考えですか」という点ですが、私が話し合いを積極的に進めなかったのは、私のコートにボールがなく(私の投稿への応答を待っている状態)、私があまり積極的に動いても投稿ブロック違反者の投稿を誘発するおそれがあったからです。
- たぶん、こういうことを申し上げたほうがよいでしょう。そもそも、「民主主義でない」節が、Wikimediaプロジェクトの設立規定の第3項を取り入れた(?)ものであるというのは、いままで投稿ブロック違反者が一方的に主張してきただけのもので、「民主主義でない」節をそう解釈する根拠は示されていません。「民主主義でない」節の内容・表現が設立規定3項そのものであるから、これを取り入れることに異論があるはずがなく、問題となるのはその運用だけだ、というのであれば理解できます。しかし、「民主主義でない」節の内容・表現はそうではありません。
- 私に、「民主主義でない」節を改定したほうがよいかとお尋ねならば、反対であり、除去したほうがよいという私の意見は変わっていません。もし、そういう話し合いをお望みであれば、そういう話し合いを再開するにやぶさかではありません。私は、私のコートにボールが来るのを待っていたのですから。しかし、繰り返しになりますが、いまの時点では、強く反対するつもりもありません。私自身の「全会一致でなくてはならない」というのは賢明ではない、という主張に従うならば、無視してくださっても構わない程度の弱い立場です。
- 「官僚主義でない」節についても、私の立場は変わっていませんし、正直申し上げて、この節の内容が錯綜して意味不明だということに賛同が得られないのは、不思議に感じています。しかし、この節については、それ以上に反対する論拠を私は持っていませんから、私が皆さんの説得に失敗したのだということで、やはり強く反対するほどではありません。--mizusumashi(月間感謝賞を応援します) 2009年11月6日 (金) 19:51 (UTC)
- 民主主義という言葉は、君主制でない、独裁制でない、ということも意味するので、話し合いを求めながら「民主主義でない」というタイトルなのは確かにミスリーディングだと思います。代案として提案されている節のタイトル「多数決至上主義」というのは言葉としてこなれていないので、「多数決制ではありません」あたりでどうでしょう。「官僚主義でない」の方も、タイトルとしては「細則主義でない」ないし「規則主義でない」(これらは会計用語としては存在する様です) などとする方が適切ではないかと思います。が。はて記述的、規範的というのは英語ではどうなっていたかと現在の版を参照したところ、なくなっていました。「官僚主義でない」の方はだいぶ変更になっている部分もあるので (8 月初旬に議論され更新されています)、再度現在の英語版から訳してみるのが適切ではないかと思います。ところで、「官僚主義でない」の文案にある「ウィキペディアそのもの」というのは何を指すのでしょうか…。--Jms 2009年11月6日 (金) 21:55 (UTC)
「2ヶ月待たされた」についてですが、mizusumashi殿のご対応は適切だったと考えます。困惑させたようで恐縮です。「民主主義でない」について、私は「設立規定の第3項そのもの、異論の余地なし」とまでは考えておりません。ただ、その文言は第3項を参考にしている、というのが私の印象です(明確な証拠があるわけではないですが)。文言はそのままで、具体的な運用を検討するべきだと思っています。一方、「全会一致でなくてはならない」というのは賢明ではない、とするmizusumashi殿のご指摘はごもっともだと思います。さて、「官僚主義でない」についてですが、Jms殿のご報告を拝見したところ、どうも状況が変わったようですね。「官僚主義でない」以外を更新したあとに「官僚主義でない」について議論するのが適切でしょう。更新の際、「民主主義でない」のタイトルもJms殿ご提案の「多数決制でない」に変えたほうがよいと思います。--伏儀 2009年11月7日 (土) 16:31 (UTC)
- 「民主主義でない」節について。私がこの節の存続・改定に反対する理由はそれだけではありませんが、ともかくこの節が「全会一致でなくてはならない」ということを宣言しているわけではない、少なくともそれは解釈のひとつに過ぎない、ということが確認されるのであれば、私としては存続・改定に強くは反対しません。反対を表明されている方は私以外にはいないようで、その私も強くは反対しないなのですから、強く推進されるかたが数人いらっしゃれば、存続・改定されるのが道理であろうと思います。前述のことが確認されるのであれば、「多数決制ではありません」という節題にすることに異議ありません。
- 「官僚主義でない」節について。これも、すでに述べたように、もはや強く反対する気はありません。ただ、「記述的であり、規範的ではありません」という断定的表現が除去されるのであれば、ずいぶんマシになるとは思います。--mizusumashi(月間感謝賞を応援します) 2009年11月10日 (火) 13:45 (UTC)
- (追記)愚痴っぽくなるのでやめておこうかと思いましたが、やはり書いておきます。
- たしかに、私は「民主主義でない」節の解釈や運用についての私の見解を長々と書きました。それは、この節を「全会一致でなくてはならない」と解釈され、その意味でこの節を存続されたいと主張されてる方がいたからです(これが適当な見方かは分かりませんが、私の印象では、はじめは「全会一致でなくてはならない」とはっきりこの節に書かれていると言わんばかりの主張に思えました)。「全会一致でなくてはならない」と宣言されているわけではないということが確認されれば、私としては、改めて解釈や運用について意見を述べるほどの気力は残っていません。--mizusumashi(月間感謝賞を応援します) 2009年11月10日 (火) 15:07 (UTC)
- つらつら考えるに、「民主主義でない」節についての問題としては
- 英語版が参照しているen:Wikipedia:Polling is not a substitute for discussionに相当する日本語版の方針・ガイドライン文書がない
- 結局のところ「合意形成による」としか言えないのに、「○○でない」という言い方が求められているのでやりにくい
- といったところが現時点では解決のしようがなく残るかと思います。「多数決制ではありません」というのも言い過ぎと言えば言い過ぎであって、合意に基づいて多数決で結論を出す場合もあることを考えると、「ありません」形式なら「全会一致とも多数決制とも決まっていません」が正確かと思います。が、あまりにわかりにくい節名だと思います。「多数決が絶対ではありません」だと基本は多数決にも思えてしまいますし、困りました。参照先の文書があれば、そちらを読めばわかるでしょう、とも言えるのですが。--Jms 2009年11月10日 (火) 22:47 (UTC)
- 「多数派工作の場ではない」というような文言ではどうでしょう。意見が大きく割れて多数決しか出口がないような解決はなるべく避ける、というような注記をつける方向は考えられませんか。改名提案なんかが問題になるかもしれませんが、多数決を採用する場合にはその合意が要る、というようなことでしょう。--Cerberean 2009年11月20日 (金) 01:13 (UTC)
- つらつら考えるに、「民主主義でない」節についての問題としては
とりあえず現在唯一問題となっているであろう「民主主義ではない」節ですが、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか/改定案090625にて「合意を助ける手段として投票が行われる場合もある」という但し書きを付記してみました。これですと現状に即した内容となっていると思いますし、特に問題はないと考えますがいかがでしょうか?もし反対が無いようでしたらこれらの文言を反映させようと思いますがいかがでしょうか。--Web comic 2009年12月10日 (木) 02:48 (UTC)
- 拝見しましたが、問題点はそこよりはむしろ「民主主義でない」というのが日本語では「多数決制ではない」以外の意味を持ってしまうことにあるかと思います。また、最初の一文がなにを言いたいのかよくわからない点にも問題があると思います。民主主義を含め、政治システムの実験ではない、という趣旨なのはわかりますが、そこが参照しているメールではむしろ社会実験ではあるがそれが第一義ではない旨を述べており、結局「多数決でない」ということを導く枕になりそこねていると思います。最初の一文を除いてしまっても意味は十分に通じるので、最初の一文を除いた上で、節題を趣旨により即した、「多数決制ではありません」なり「多数派工作の場ではない」なり「全会一致とも多数決制とも決まっていません」なり、にするのが良いかと思います。
- 「官僚主義でない」の方はやはり現行のものの訳に改めるのが良いと思います。--Jms 2009年12月10日 (木) 10:28 (UTC)
- それならば「民主主義でない」の部分はそのものズバリで「多数決主義でない」としてしまえばよいのではないのでしょうか。「官僚主義でない」の部分については私自身特にこだわりがあるわけでもないので現在の訳に直しても問題ないと考えます。--Web comic 2009年12月10日 (木) 10:32 (UTC)
- (追記)節名を変更した上、官僚節については英語版から転記を行いました。--Web comic 2009年12月10日 (木) 10:41 (UTC)
- 転記ありがとうございます、090625で作業する決断がつかなかったもので…。従来訳を生かしつつ訳してみました。--Jms 2009年12月10日 (木) 11:24 (UTC)
- 訳を微修正してみました。訳や節名など特に問題が無いようでしたら、今回の転記部分を含めてコミュニティ節を方針文書に反映させたいと思いますがいかがでしょうか。--Web comic 2009年12月11日 (金) 02:51 (UTC)
- 「規則主義ではありません」節の第二パラグラフ一文目は「とらえる」よりは「とられる」あるいは「とる」の方が妥当だと思います。真に受ける、真摯に対応する、という意味に訳すべきでしょう。「多数決主義ではありません」節の冒頭文は、やはり他の部分に比べて浮いていてしっくり来ないので、除去した方が良いと思います。--Jms 2009年12月11日 (金) 08:20 (UTC)
- 訳を微修正してみました。訳や節名など特に問題が無いようでしたら、今回の転記部分を含めてコミュニティ節を方針文書に反映させたいと思いますがいかがでしょうか。--Web comic 2009年12月11日 (金) 02:51 (UTC)
- 転記ありがとうございます、090625で作業する決断がつかなかったもので…。従来訳を生かしつつ訳してみました。--Jms 2009年12月10日 (木) 11:24 (UTC)
(インデント戻し)また微修正しました。「多数決主義ではありません」の冒頭部は現状無くても大意は通るのでとりあえずコメントアウトにしました。もし適切な表現などが見つかったらあとで復帰させればいいでしょうし。--Web comic 2009年12月11日 (金) 08:38 (UTC)
- 訳語の選択について。承認拒絶、あるいは承認却下、という表現は誰かはっきりした主体が絶対的権限を持って決めている様な印象を与えます。メインは合意形成であると述べている部分でそうした強めの表現を用いると違和感を与えわかりにくくなるので、受け入れる、受け入れないの方が良いと思います。「徹底排除」の「徹底」というほど remove は強い表現ではないと思います。「そのようなルールは」の、「ルール」は言い過ぎだったかもしれません。en:Wikipedia:Arbitration Committeeを読む限り、日本語でいう外郭団体とは読めませんでした。--Jms 2009年12月11日 (金) 23:10 (UTC)
- 編集者として疑問にお答えします。受け入れ、排除でも絶対的、あるいは主体性を感じるのは同じでしょう。include、excludeではありません。原文のaccepet、rejectというのは、特にコミュニティ節でるので、平易に、承認、却下と訳すのが妥当です。
- 指示の肥大化、明文化したルールという点での、removeで、日本語では「ルールの撤廃」と普通表現します。「徹底除去」ではありません。原文のoutside Wikipedia proper ですが、これを「外郭」以外に順当な訳があれば、そう教えてください。それで置換すればよいでしょう。--112.68.49.55 2009年12月11日 (金) 23:19 (UTC)
- コミュニティ節ですからコミュニティの文化様態によるわけで、日本語話者を中心とする文化圏としては「承認、却下」よりは「受け入れる、受け入れない」でしょう。refuse ではなく reject ですし。「最近越してきた三丁目の山田さん、なかなか受け入れてもらえないね」というのは近所付き合いの話、これが承認となると、町内会の話なり、長老がウンといわなかったりするわけです。
- 徹底除去読み間違えていました、済みません。「ルールを撤廃」か「(ルール以外の it 対応語) を除去」ですね。他の部分との整合性からは後者の方が良いと思います。指示の肥大化を受けているので、「そうした指示は除去」あたりか。
- outside Wikipedia proper は、以前同様、「ウィキペディアそのもの以外」でよいでしょう。外郭「団体」というのはさすがに違うでしょうから。--Jms 2009年12月11日 (金) 23:45 (UTC)
- 原文の概念を踏まえ、意味を歪曲しない翻訳をお願いいたします。Jmsさんは、共有されないご自分の私感で意味を歪めて翻訳されることが多いと危惧します。
- include、excludeであれば、システムに含有する、排除するという概念ですので「受け入れる、受け入れない」で良いでしょう。しかし、WP方針文書ルールは、含有排除の概念についての合意ですか?違うでしょう。私は日本語文化圏話者ですが、「受け入れる受け入れない」が「承認却下」より絶対性、主体性が緩和しているものとは思いません。acceptは別に受け入れるでもいいでしょう。しかし排除でなく却下です。前者について「受け入れる」ほうがなんか日本語として優しいという主観を強弁されるのであれば、私は共有はしませんが、別に編集されることにはあえて反対はしないものとします。町内会の話でなくWPNOTなんで、別にドライな表現でも正確で歪曲がないほうが望ましいんですが。
- Wikipedia is not governed by statute: it is not a en:moot court, and rules are not the purpose of the community. Written rules do not themselves set accepted practice, but rather document already existing community consensus regarding what should be accepted and what should be rejected. When instruction creep is found to have occurred, it should be removed.という文章において、この節は「ルール」のことであるのは自明であり、removeするのは「ルール」です。他の部分との整合性を考えたから、ちゃんと「ルールの撤廃」のことですよ、と書いたわけですが、「(ルール以外)指示の除去」とはいったいなんのことですか?説明をお願いします。
- これも原文ではoutside wikipedia properということで、わたしは本文に「団体」とどこにも書いていないはずだし、外郭組織と書いています。もうすこし冷静に客観的に原文、訳文を対比してご意見いただくようお願いしておきます。[特別:投稿記録/112.68.49.55|112.68.49.55]] --112.68.59.249 2009年12月12日 (土) 00:18 (UTC)
- InstructionCreep指示をあれこれだす、指示の肥大化については、確かに明文化された文書ルールを一部とする包括的な概念で、指示の肥大化を避ける、ということは、利用者間のやりとりであれこれ指示を出したり、慣習でうまく柔軟に運用されている状態をいちいち明文化しようとする行為、ルールを増やそうとする思想全部をひっくるめたものですが、当該節においては「明文化したルール、規則、きまり」のことを説明しているは自明で、その文脈の最後にremoveするといえば、その明文化ルールの撤廃であるのは当たり前でしょう。これは見解の相違などではなく、当該節を翻訳するにあたって、まず最初に認識しておかなければいけない基礎の部分ですが、これを共有されてないということですか?--112.68.59.249 2009年12月12日 (土) 00:37 (UTC)
- 百科事典としてのウィキペディアの内容についての部分ならまだしも、コミュニティに関する部分は、原則を逸脱しない範囲での言語版ごとの違いがありえます。ですので、原文の意味を全て忠実に反映するよりは、対象とするコミュニティにあわせた表現をとるべきです。原文の概念が絶対だというのなら、日本語訳せずに英文のままにすべきでしょう。
- 排除ではなく却下、というのはなぜそう言えるのでしょうか。reject の原義からすれば throw away という意味でもあり、それを排除と訳しても何らおかしくはないと思いますし、正確でないとも言えないでしょう。この部分では accept の対として用いられているのですから、「受け入れる受け入れない」でよいでしょう。なお、「受け入れる」ほうがなんか日本語として優しい、と主張している訳ではありません。合意を旨とするのならば、「承認」よりは「受け入れる」でしょう、ということです。
- 「(ルール以外)指示の除去」、とは書いていませんが、それはさておき、「ルール」というのは instruction の訳としてぴったりするわけでもないので、ルール以外、と書きました。「そうした指示は除去」というのは、指示の肥大化があったら取り除けという元の文意味をそのまま書いたものです。「明文化したルール、規則、きまり」とした場合、たとえばガイドラインの類では「ルールではない」と明示しているものは除外されてしまいます。肥大化した指示は除去、としておけば、そうしたルールではないものも含めて対象とできます。
- 本文は外郭組織ですが、要約には外郭団体とありました。外郭組織と外郭団体でどういう使い分けをなさっているのかわかりませんが、件の委員会が外郭組織であるという風にはen:Wikipedia:Arbitration Committeeからは読み取れませんでした。「ウィキペディア外郭組織」というのが何を意味しているのかにもよるのかもしれませんが…。--Jms 2009年12月12日 (土) 00:46 (UTC)
(インテンド戻し)これは翻訳であり、その「コミュニティにあわせた表現」というJmsさんの私感は合意もなく共有されていません。ましてや、コミュニティ節の特にrejectという却下でことたりる表現に、わざわざ含有排除の概念を勝手に導入することは、言語版の違いでも町内会の話でも合理的な説明がつきません。
もっとも日本国内でもaccept/rejectが社会的に使用されているのを目撃するのは、クレジットカードの「承認・却下」です。これをわざわざ受け入れる受け入れないと町内会の言語の違いで説明する人はいません。概念の直訳である以上、こんなものはそのままでよいのです。少なくとも、sorry,your credicard is rejectedという場合、これを却下と訳せばぶれはないが、「あなたのレジットカードは排除されましたと訳せば、含有排除概念があるためにおかしくなる。それと一緒。なんでwikipediaの合意ルールの文書に排除なんて概念でわざわざ説明する必要があるんですか?最初あった訳は「受け入れない」ではない。「排除」と書いてあったので、どうみても余剰概念の挿入があると感じ、「却下」に修正したのです。これは、言語間の違い、町内会の問題じゃないでしょう。
instructionクリープについては上でちゃんと説明しています。このITとは、節全部を継承するITであり、具体的には明文化されたルール文書の除去です。だから指示の除去って、具体的に何をするんですか?何をremoveするんです?
外郭団体と書いた要約については外郭組織に訂正しておきます。どっちでも同じようなものですが、日本国内の外郭団体を強く連想されるという弊害があるのであれば、外郭組織です。...outside wikipedia proper...が「ウィキペディアの外郭組織であるarbcom」でなんの問題もないと思いますが、日本の外郭団体を連想する、「外郭」の印象が強烈なので許容できないという主観であれば、別に変えてもらっても構いません。「ウィキペディア外郭組織」でoutside properを踏まえた良い表現だと思うのですがね。それ自身以外という翻訳ですが、properというのは、その主体と関連するがousideという、あくまで「関係」があるというニュアンスがメインなので、単なるそれ以外じゃ翻訳になっていないのですよ。なんか、よりまっとうなアイデアでもおありですか?--112.68.59.249 2009年12月12日 (土) 01:10 (UTC)
- 却下は reject の唯一の意味ではありません。そして却下を広辞苑で引くと、1. 願書などをとりあげずに、さしもどすこと。しぞけもどすこと。2.イ 訴訟などにおいて、主として手続き上の申立を排斥すること。ロ 棄却と区別して用いるときは (以下略) とあります。2. の意味ではないでしょうから、1. の意味だとして、当該部分における accept-reject というのからすると、そぐわないでしょう。単なる翻訳ではなくコミュニティの実状にあわせる、という点については#全面改訂提案のやりとりから合意されていると考えます。もちろん、いや合意しないという主張を今からなさるのはご自由ですが。クレジットカードはウィキペディアの意味での合意形成に基づいて認証されるわけではないでしょうし、「クレジットカードは排除されました」と訳せなどとも主張しておりません。もし reject すべからく却下という主張なら、「体が受け付けない」なども却下となりますが、まさかそういうことをおっしゃっているわけでもありますまい。なお、訳としては「承認却下」のペアよりも「受け入れる受け入れない」のペア、と述べております (途中から)。
- 指示の肥大化に関する部分の it は肥大化した指示を指していると思います。肥大化した指示の除去とは、その言葉のとおりです。除去されるものにはルールだけではなく、「ルールではない」とされているガイドラインの項目なども含まれます。
- 「ウィキペディアの外郭組織」という場合の「ウィキペディア」とは何を指していますか。outside Wikipedia proper をどう解釈しているかの違いかもしれません。それはさておき、いま気づきましたが、原文は選挙や投票が何を endose するか、ということを述べているので、訳はその点で違っていますね。--Jms 2009年12月12日 (土) 01:46 (UTC)
- 唯一の意味ではないのは翻訳として自明ですが、「排除」より上述の理由により妥当だと言ってるのですね。これ、もう十分合理的な説明をしたつもりですが、なお理解されず文句があるのならば、広くコメント依頼でもなんでも出したらどうですか?多数決でもなんでも私の主張のほうが正しいと追認されるはずです。
- ガイドラインってのも合意の文書化のひとつなんですよね。その節のタイトル、その節の内容について、何が論じられているか理解されていますか?「指示の肥大化を避ける」と「引用されている」ページは、その節の主体ではありません。引用されているエッセイです。ルールについて論じる主体文書において、When instruction creep is found to have occurredそのようなエッセイで解説されているような指示の肥大化現象がfound to have occured起こってるのが確認されたら、「そのときは」ルールを除去しろ、ってことでしょう。ITがその直前の単語を指すというようなことではないですね。中学の英語テストならそれで別にいいんでしょうが。ちゃんと節の内容、主題を理解されていますか?
- 「ウィキペディア」とはウィキペディアプロジェクト組織を指しているのは自明です。--112.68.59.249 2009年12月12日 (土) 02:00 (UTC)
- どうも話が通じていない様です。少なくとも途中からは、「承認却下」のペアよりも「受け入れる受け入れない」のペア、と述べているのであって、「排除」だと言いつづけてはいません。指示の肥大化はルールに限った話ではないので、除去対象をルールに限る必要はないでしょう。英語版では requirements と書いています。Wikipedia proper というのはウィキペディアプロジェクト組織のことだ、というのは違うと思いますが…。--Jms 2009年12月12日 (土) 02:13 (UTC)
- 上記の112.68.***.***のIPユーザーはLTA:FXSTのブロック破りとしてブロックされました。--Web comic 2009年12月12日 (土) 02:35 (UTC)
- 「選挙や投票が endorse されるのは」です。この文は2009年1月に、実際に行なわれている選挙を追認すべきという理由で追加され、「選挙」として行なわれている裁定委員会が例示されました。3月に、より特定すべきとして outside Wikipedia proper が加筆されています。通常の編集者の編集対象外である「裁定の方針」をもっている裁定委員会が、ある程度 autonomous body「ウィキペディア本体から独立した組織」であることは事実です。ただしこの条文でこの語がどういう意味であるかは異論の余地があるのもまた事実でしょう。対立を避けるためにこの文自体を削除するのが一案。英語版のように管理者やビューロクラットの選出が、ビューロクラットの裁定する「合意形成プロセス」であるという理解が必ずしもない日本語版では、「投票が追認されている場合」の例示として管理者を挙げておく、というのがもう一案です。--Cerberean 2009年12月12日 (土) 02:49 (UTC)
- 受身でした、ごめんなさい (しかも綴り間違えているし)。当該部分がなくとも主旨には影響がないので、当該部分については必要なら継続審議として、それ以外の部分を本文に反映させる (つまり一時的には除去と等価) のが良いと思います。また先送りかと言われればその通りですが、活かせる部分を寝かしておくこともないと思います。--Jms 2009年12月12日 (土) 03:06 (UTC)
- 文末の投票や選挙についての文は日本語版では現状は無くても大勢に影響の無いものですのでコメントアウトにしました。特に問題が無いならこれらの文章を本文に反映させましょう。--Web comic 2009年12月14日 (月) 22:47 (UTC)
- 受身でした、ごめんなさい (しかも綴り間違えているし)。当該部分がなくとも主旨には影響がないので、当該部分については必要なら継続審議として、それ以外の部分を本文に反映させる (つまり一時的には除去と等価) のが良いと思います。また先送りかと言われればその通りですが、活かせる部分を寝かしておくこともないと思います。--Jms 2009年12月12日 (土) 03:06 (UTC)
- 「選挙や投票が endorse されるのは」です。この文は2009年1月に、実際に行なわれている選挙を追認すべきという理由で追加され、「選挙」として行なわれている裁定委員会が例示されました。3月に、より特定すべきとして outside Wikipedia proper が加筆されています。通常の編集者の編集対象外である「裁定の方針」をもっている裁定委員会が、ある程度 autonomous body「ウィキペディア本体から独立した組織」であることは事実です。ただしこの条文でこの語がどういう意味であるかは異論の余地があるのもまた事実でしょう。対立を避けるためにこの文自体を削除するのが一案。英語版のように管理者やビューロクラットの選出が、ビューロクラットの裁定する「合意形成プロセス」であるという理解が必ずしもない日本語版では、「投票が追認されている場合」の例示として管理者を挙げておく、というのがもう一案です。--Cerberean 2009年12月12日 (土) 02:49 (UTC)
特に反対意見がありませんでしたので本文に反映させました。これで約半年にわたる改定作業はひとまず終了いたしました。私は提案者として至らないところも多くありましたが皆様のお力もあり、百科事典の編纂に有用な良い文書が出来上がったと考えております。この作業にご協力くださった皆様、本当にありがとうございました。--Web comic 2010年1月7日 (木) 06:12 (UTC)
名鑑でないとされる条項の脚注説明の意味について
[編集]ある誘導で、本文書の名鑑ではないとされる条項に触れる機会があったのですが、その条項の脚注(脚注9)がよく判りませんでした。以下の理解で合っていますでしょうか?
- 標準名前空間が対象である。ハウツーでないとされる条項の脚注はWikipedia空間に言及したものだが、この条項の脚注は標準名前空間が対象。
- 整理された、内部リンクからなる一覧を名鑑条項から外すための補足説明である。
もしこの理解が正しいなら、この条項の精神は「内部リンクも作れないような著名でない人名などを羅列するような一覧を作らない」ということなのかと思うわけですが、本当にその理解であっているのか、ご教示いただきたく存じます。ただ、もしその理解が正しいなら、ちょっと判りにくいとは感じました。多分、
- ≪ウィキペディア内の情報を整理≫でない一覧が想像つかなかったので、この部分の必要性が理解できなかった。
- 赤リンクのみで構成される一覧とかを除外するために≪特筆すべき主題を記述するために作成されている……リンク一覧≫という説明になっているのだと思いますが、それが直感的に掴みづらいと感じた。
というところかと思うのですが、まずは私の理解が正しいかどうかについて、ご教示いただきたく存じます。--NISYAN 2010年3月18日 (木) 14:47 (UTC)
- その「誘導」を行った者の一人として口を挟ませてください。まあ、こういうルール解釈問題では、事例を見せた方が良いのではないでしょうか。私からもWikipedia:削除依頼/日本の私服校一覧・日本のセーラー校一覧もしくは、このページでご意見コメントお願いします。--おーた 2010年3月19日 (金) 03:53 (UTC)
- どうも。その削除依頼は削除対処され、管理者以外には事例として見ることが難しい状況になったようにも思いますので、もはや事例提示という状況ではなくなってしまいましたね。依頼ページのノートに記したように、(将来的削除を前提としてでも構いませんが)ノート空間へ移動していただければまだよかったのですが。しばらくこの節にコメントがないようであれば「一時的および/事例(名鑑)1あたりへの移動を前提とした復帰依頼」でも掛けようと思います。他に、名鑑の指摘を受けつつも存続となったケース(つまりは管理者以外でも参照可能な事例)をご存知であれば、事例提示いただけるとありがたいです。--NISYAN 2010年3月19日 (金) 23:20 (UTC)
- まあ、大本の記事「日本の私服校一覧」「日本のセーラー校一覧」は削除になりましたが、内容的には都道府県別に学校の名前が並べられた、ごく普通の「一覧」です。何が議論されたのかについてはWikipedia:削除依頼/日本の私服校一覧・日本のセーラー校一覧を見れば十分なのではないでしょうか。NISYAN氏の見解では「青リンクで構成された一覧」には「ウィキペディアは名鑑ではない」は適用されないということのようですが、当ページ関係者の皆さんには、そのことの当否についてのコメントを引き続きお願いします。
- なお、「名鑑・人物録」は英語版にある「directoryディレクトリ」の訳語なんですが、「日本の私立校で私服の学校を網羅的に並べたもの」、「日本の私立校でセーラー服の学校を網羅的に並べたもの」はディレクトリの典型なんですけどね。--おーた 2010年3月20日 (土) 02:36 (UTC)
- 微妙なニュアンスをコメントしておきます。私の見解は《「青リンクで構成された一覧」には「ウィキペディアは名鑑ではない」は適用されない》という断定的な形ではなく、この文書が求めるものは「適用されない」なのかなぁ?という疑問のニュアンスです。私は脚注の文章から「適用されない」のような気がすると読み取ったわけですが、いやいやそうじゃない、この文書の求めるものは……であって、「適用されない」というのは誤読なんですよ、というのが判ればいいわけです。で、誤読にしろ逆方向の誤読にしろ、誤読する人が多いようであれば、誤読しにくい形に改定しませんか?という話が後に控えています(私一人だけ誤読しているなら、もちろんそれがこの場で確認できるだけで構わないです)。
- 後、学校記事一覧の他の一覧記事と「日本の私立校でセーラー服の学校を網羅的に並べたもの」の違い(名鑑であるかどうかという観点での違い)についてもある程度知りたいと思うところです。あ、これはあくまで事例として、です。セーラー校一覧の存続にこだわって蒸し返しているつもりではないので念のため。--NISYAN 2010年3月20日 (土) 03:51 (UTC)
- Wikipedia:削除依頼/日本の私服校一覧・日本のセーラー校一覧の議論で明らかになったことは、一覧とは何ぞやというレベルで既に途轍もない認識の隔たりが存在するということです。Wikipedia:一覧記事を読んでも、「百科事典的な一覧とは何ぞや」の説明は意外に明快ではないと感じました。その状況では、提起されている脚注の解釈問題についてもまた合意をすんなり確立するのは難しいのかなと思います。まずは、さきに「百科事典らしい一覧の在り方」について合意を形成すべきなんでしょうね。なお、私の個人的な見解としては、学校記事一覧の過半数について特筆性・検証可能性のいずれかあるいは両方の観点から疑問符を付けざるを得ません。時間と気力がないので、すぐに削除依頼などのアクションを起こす気はありませんけど。--Kojidoi 2010年3月21日 (日) 03:25 (UTC)
- どうも。その削除依頼は削除対処され、管理者以外には事例として見ることが難しい状況になったようにも思いますので、もはや事例提示という状況ではなくなってしまいましたね。依頼ページのノートに記したように、(将来的削除を前提としてでも構いませんが)ノート空間へ移動していただければまだよかったのですが。しばらくこの節にコメントがないようであれば「一時的および/事例(名鑑)1あたりへの移動を前提とした復帰依頼」でも掛けようと思います。他に、名鑑の指摘を受けつつも存続となったケース(つまりは管理者以外でも参照可能な事例)をご存知であれば、事例提示いただけるとありがたいです。--NISYAN 2010年3月19日 (金) 23:20 (UTC)
「ウィキペディアは規則主義ではありません」
[編集]「明文化された規則は受け入れられた実践そのものではなく、むしろ何が受け入れられ何が排除されるべきかという事に関するコミュニティの既存の合意を文書化したものです」のところは、以下のような表現の方が分かりやすいと思うのですが、いかがでしょう。
- ウィキペディアにおける行動規範は、基本方針やガイドラインの文言によって創設されるわけではありません。基本方針やガイドラインは、むしろ、何を容認し、何を排除すべきかについてのコミュニティの既存の合意事項を、確認・文書化するものなのです。--Dwy 2010年5月2日 (日) 15:04 (UTC)
- 特に異議もないようなので、変更を実行しました。--Dwy 2010年5月12日 (水) 11:57 (UTC)
ダイヤルアップやモバイルブラウザ~の除去の提案
[編集]「特にダイヤルアップやモバイルブラウザで閲覧している読者にとっては、ダウンロード時間に直接影響します(Help:ページサイズ参照)。」本文より
を除去することを提案します。
理由
- 通信速度、ましてやダイアルアップで接続する人のために編集を制限するわけではない
- 肥大化したテキストよりも典型的な画像のほうがはるかに大きい
- モバイルブラウザで読むことを考慮するために記事執筆を制限するわけではない
--වෙ 2010年5月15日 (土) 10:59 (UTC)
- 反対 この文章はモバイル限定にしたものではなく、通常の環境はもちろんモバイル環境にも配慮して無節操なページサイズ増大は抑制すべしという趣旨ですので、単にモバイルに触れているという理由のみで除去することには反対いたします。--Web comic 2010年5月21日 (金) 00:19 (UTC)
違和感
[編集]いまさら、再び、ですが、タイトルの「ウィキペディアは『何ではないか』」という表現に日本語として違和感を感じるので、 「ウィキペディアは『~ではない』」という言いきり表現と、波型ハイフンを使用した方がいいと思います。 皆様のご意見をお願いいたします。--okyamane 2010年6月8日 (火) 09:52 (UTC)
「私論」「草案」「英語版の記事」を明記することを提案します
[編集]このプロジェクトのリンク先には「公式な方針」や「ガイドライン」ではなく「私論」・「草案」・「英語版の記事」であるものが含まれていますが,文面を見ただけではそのことが分からず,全てのリンク先が日本語版の「公式な方針」や「ガイドライン」であるように誤解してしまう可能性もあります。そこで,リンク先が日本語版の「公式な方針」や「ガイドライン」でないものには「(私論)」「(草案)」「(英語版)」等の注釈を追加することを提案します。Suzukitaro 2010年7月24日 (土) 22:41 (UTC)
- (賛成)適切なご提案だと思いました。リンクをクリックしないと、その文書が「公式な方針」なのか「草案」なのか、あるいは別の文章なのか分からないという現状は、いかにも不親切です。方針の変更を伴うご提案でもないので、作業を開始して差し支えないと思います。--伏儀 2010年8月9日 (月) 16:55 (UTC)
- コメントこの文書は「方針やガイドラインの案内」ではなくて、解説文書や手引きも含まれていますし、ウィキペディア名前空間以外へのリンクもあります。私論についてはリンクしないとか、追放のところは日本語版の運用と合致しないため修正するなど、単純にリンク先の種別を明記するということではなくて、文書自体について修正する、ということを考えたほうが良いと思います。英語版文書へのリンクは、リンク先が英語であることを示したほうが良いと思います。
- ところで、もし違っていたら申し訳ないのですが、Suzukitaro さんは、以前Penpenさん/宝塚ファミリーランドさんとして活動されていた方ではないでしょうか?--Ks aka 98 2010年8月9日 (月) 17:29 (UTC)