Wikipedia‐ノート:管理者への立候補/過去ログ2005年

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

コメントについての所感[編集]

大変心苦しい思いをしております。表の方針ではコメントは「候補者が~」とありますので、候補者について言及すれば良いことと受け止めておりました。ゆえに、私は自分の判断基準を公にして、今回については反対票を投じさせていただいた次第であります。他の方に強制するつもりもルールに取り込んで貰う意図もありません。他の方につきましても、候補者に対しての賛否コメントを付けるなら分かるのですが、私の書いたコメントに対する見解も向けられるようです。議論に関係ないものとして削除することもできるのでしょうが、不毛な争いには発展させたくありません。また、このようなことがありますと、今後自分の意見を表明することを萎縮させてしまうことにも繋がりかねません。趣旨ご拝察の上、ご配意くだされば幸いです。竹麦魚(ほうぼう) 2005年1月23日 (日) 05:52 (UTC)

コメントをはじめからノートに記述するようにしてはどうでしょうか。現状、制約を加えたとしても議論に発展するのは避けられないようですし、投票への影響も軽減されると思います。 --Michey 2005年1月24日 (月) 04:24 (UTC)

いまいち何が起こったか状況を把握していないのですが、コメントはもともと投票へ影響を与えるためにあると考えますのではじめからノートを使うことには反対します。不適切なものを移すというのならまだ賛同できますが。tanuki_Z 2005年1月24日 (月) 04:52 (UTC)
投票期間中に影響を与えるようなコメントをするのは本心では反対したい。私がああ書いたのは影響を大きく及ぼしかねないコメントの反論を書いて(コメントの)偏りを修正したかったからです。--Goki 2005年1月24日 (月) 07:19 (UTC)

現行ルールに若干の手直しが必要かどうか[編集]

新ルールに則った投票が、現在進行中のものを含めてすでに6回が行われました。 これによって新ルールの問題点も浮かび上がり、幾つかのルールにおいて若干の表記変更、追補が必要ではないかと思います。
問題点の呈示と考えられる対応策を列挙してみますので、意見をお願いします。

a.賛否欄でも署名以外の文章を付ける事が可能かどうか[編集]

賛否表明の形式の説明において

  1. 「投票欄」となっているところを「投票欄(署名のみ)」と明記する。
  2. 明記せず、署名以外の文章があっても関知しない。

意見や文章については、コメント欄が存在する為1が望ましいと考えますがどうでしょうか。--Snow steed 2005年1月27日 (木) 19:22 (UTC)

現にコメント欄が存在しており、随時コメントの加筆・修正は行なえます。複数のコメントがあればコメント欄に書けば足りると思いますし、検めて賛否欄にコメントを書く必要性を感じません。加えて、2. の「関知しない」につきましては、文字どおり「曖昧な位置付け」の位置に書かれた文章によりコメント欄に書かれた文章との一貫性や重複による混乱の要因にもなりえますし、書き捨て御免の容認にもつながります。過失による書き位置の誤り、書き位置間違いの指摘後の修正を除き、署名以外の文章があった場合は無効票扱いとするなどの対処も必要かと思います。以上の理由により、1の署名のみを支持します。Koba-chan 2005年3月6日 (日) 15:05 (UTC)

b.投票期間の質疑について[編集]

質疑期間と投票期間が分かれているのですが、投票期間中にコメント欄で質問出来ないことに不満を表明された方がいました。 その方は慣例で質問不可と判断されていましたが、私は、ルール制定時には投票期間中には質問出来ないことにするべきとの意見が強かったと記憶しています。
にもかかわらずこういった声が挙がったのは、現在のルールに不備があると言うことではないかと私は思います。
投票の形式の説明において、質疑期間中に不慮の事故があった場合には、質疑は最初からやり直しとなります。質疑をやり直すかどうかの判断は bureaucrat が行います。
という文章の後に

  1. 上記の場合を除いてWikipedia:管理者への立候補及びそのサブページでは期間中の質問及びそれに類する行為は一切不可能と明記。立候補者の会話(ノート)ページやメール等の手段を用いて個人的に質問をする。
  2. 1案に加え、立候補者の会話(ノート)ページなど、他の手段を用いて質問することも一切禁止すべき。
  3. これまで通り明記せず、質問者が現れても関知しないか、なんらかのルールを策定する。

個人的にはそもそもフェーズ制反対の立場で有ったため個人の意見は存在しません。3案の場合はフェーズ制の意義が薄くなるかもしれないと考えます。--Snow steed 2005年1月27日 (木) 19:22 (UTC)

b.強い反対が1名あったことは記憶していますが、フェーズを分けることについてはほかに賛成が1名コメント中にあったきりで、こうした区切りはそもそもコミュニティの合意を経てというよりはなんとなく流れでそうなったと記憶しています。意見は確かに強いものだったと記憶していますが、広範な支持を得ているという意味で強いのではなく、強く主張される方がいるという意味で強いので、それはSteedさんの捉え方とは違いますね。これにはあまり議論ができなかった記憶がありますので、この機会に改めて合意を形成することには賛成です。
私見を述べれば、投票中のコメント・質疑をまったく禁止するということは、どのプロジェクトでも行われていません。ja に特別そうした措置が必要だと考える方が何を懸念されているのが正直わかりません。混乱の懸念という説があるようですが、どこでもそれで秩序だった投票がなされています(激しい論戦はもちろんありますが)。それとも、ja にはそうした制限がぜひとも必要で、わたくしたちはそうした制限なしには落ち着いた討論ができない愚者の集まりなのでしょうか? 私はそこまでに日本語版の投稿者は愚かでもなく統制が取れていないとも考えません。ですが、これはあくまでも私見ですので、他の方のご意見も伺いたいと思います。Aph.
投票中のコメントや反論を禁止するのは、立候補者に不利に働くのではないかと懸念しています。説明不足や誤解は気をつけていても起こりやすいものです。発言や反論が許されない状況では、誤解を解消する術が失われてしまいます。管理者選挙では立候補者について話題になっていくわけですから、立候補者に対しての誤解が蓄積されやすくなります。意見対立がある場合には、まず議論するというウィキペディアでの方針にも反することだと思います。--Michey 2005年1月28日 (金) 01:24 (UTC)

c.多重投票への対処[編集]

投票の資格が投票の開始から遡って直近1ヶ月の編集回数が5回以上あること とありますが、現在投票開始は立候補の一週間後となっている為、予め50回以上編集したアカウントを用意しておき、立候補者を見て投票前に5回編集する事で多重投票可能になってしまいます。

  1. 投票開始を立候補時と書き換える。

--Snow steed 2005年1月27日 (木) 19:22 (UTC)

とりまとめありがとうございます。コメントをつけやすくするためには、セクションをもっと区切っていただくのがよかったかと思います。位置の入れかえなどリファクタリングはお任せします。
c. について賛成し、コメントします。これはそもそもフェーズ制が入るかどうかわからない状態で、フェーズ制のあるなしにかかわらず、信任過程全般を投票と呼ぶ前提で文面を作成したものと記憶しています。ルール制定の投票の後そうした細かいすり合わせをしないためにそのような表現になりましたが、選択肢作成者としては、信任の開始時を想定していましたし、投票された方の意図としてもほとんどの方がそうだろうと思います。ほかの方はいかがでしょうか。--Aphaea* 2005年1月27日 (木) 14:53 (UTC)
コメントしづらいと言うことで、abcそれぞれをセクション分けして文面の見直し、個人的な見解をつけ(署名もしなおし)てみました。自分からこうした行動を起こすのはどうにも苦手で、上手く出来ていない部分があることをお詫びします。Aphaia氏の文章もお言葉に甘えて位置変更をさせて貰いました、問題が有れば修正をお願いします。--Snow steed 2005年1月27日 (木) 19:22 (UTC)
(賛成)ルールの意図からしても「立候補時」と書き換えなくては意味がなくなります。miya 2005年1月29日 (土) 04:25 (UTC)

d.立候補の取り下げについて[編集]

今回Linky-jaの立候補について本人は立候補を取り下げると申し出たわけですが、そもそも現状では、立候補の取り下げという事態を想定していません。

立候補の取り下げについて

  • できるのかできないのか
  • できるとしたらいつならいいのか

という議論はすべきであると考えます。

個人的には質疑期間内ならともかく、投票期間途中で立候補の取り下げというのもどうかと私は思います。(ありていに書けば、投票した人に失礼です。)--Goki 2005年2月12日 (土) 12:20 (UTC)

Wikipedia との関わりを見直さざるを得ない生活環境の急変はいつ訪れるかわかりませんので、「いつでも取り下げられる」を支持します。ぶっちゃけ「投票した人に失礼」という感覚も理解できません。投票中の取り下げを禁じることは、ものすごく無駄です。管理者業務を行なう意思を失った者に対し、投票を継続する意義はあるのでしょうか? やる気も無いのに立候補しっ放しにする方が失礼に思えます。(Linky-ja の取り下げについては、例外中の例外なので、ここでは一般論を述べてます)―غاز(Ghaz) 2005年2月12日 (土) 16:14 (UTC)

表記変更、追補に留まらないルール変更[編集]

  • d.合意形成への条件として最低得票数を要求するか

投票の形式の投票が終了した時点での必要得票数を

  1. 15票以上に変更。
  2. 現状維持。(10票以上)

私はルール制定前の投票状況と、ルール制定後にどう票が動くか未知数で有る事から現在の案を支持しました。 しかし、ルール制定後の投票において、得票数は現在進行中の1件を含めて得票数は20票を遙かに超える状況に有り、jaはそのような状況にないと強く、かつ現行案賛成者で唯一コメントを出した責任上足切りラインの見直しを提案したいと思います。
新ルール変更後間もないだけに、あまり大きいルール変更は望まれていないのではないかとも思いますが、今から話し合いのだけでもしておく必要が有るかと思います。--Snow steed 2005年1月27日 (木) 14:27 (UTC)

過去ログサブページ保護の提案[編集]

投票が終了した後のサブページは編集が必要なわけでもありませんし、また逆に改ざんがあると困ってしまいますので、保護をするという方針にしてはどうでしょう。--sketch/ 2005年3月5日 (土) 14:25 (UTC)

えー、できれば投票より意見がいただきたかったのですが^^;、ともあれ皆さんにご支持いただけたようで何よりです。「管理者に就任した場合は、まずその確認のため、自らの投票ページを保護する」なんて慣例があってもいいな、などとも思いました。基本的に、就任した場合はその方が、見送りの場合は気がついた方が行えばよろしいかと思います。最近就任した管理者で、こちらに賛成と書いてくださった皆さん、よろしくお願いします(もちろん強制ではありません)。
ところで、これはWikipedia‐ノート:保護の方針などにもお知らせする必要があるでしょうか。あるいは拡張して、「過去に行われた投票で、結果が確定しており、再度利用されることがないページ」などとして提案した方がよいのでしょうか。--sketch/ 2005年3月9日 (水) 16:34 (UTC)

「管理者に就任した場合は、まずその確認のため、自らの投票ページを保護する」と言う慣例はあっても良いのでは無いかと存じますが、管理者就任の前後は色々と読まなければならない文書や確認したい事項なども沢山あるでしょうから、管理者就任に際して「やった方が良い事」が増えてしまう事で、管理者立候補への敷居を高く感じてしまう人が増える事は良くないのではないかと存じます。ここはお祝いと言うことで先輩管理者がやってあげても良いのではないでしょうか。

Wikipedia‐ノート:保護の方針には追加した方が良いのではないかと存じます。その際は、「過去に行われた投票で、結果が確定しており、再度利用されることがないページ」等の様な大きな枠組みをまず作り、その一部として管理者への立候補のサブページを明記すると言う具合に方針を構造化してある方が、具体性と抽象性を兼ね備えておりロバストで良いのではないかと存じますが、如何でしょうか。--Tanadesuka 2005年3月10日 (木) 08:57 (UTC)

ためしに自分の過去ログを保存してみました。理由はなんと書いたらよかったでしょう? Wikipedia:保護されたページ#保護されているページの一覧に書くべきでしょうか?miya 2005年3月10日 (木) 14:06 (UTC)
賛成多数で、これでいくことに決まっていることを前提に書きます。
保護する以上、「保護されたページ」にのせるべきでしょう。定式化としては、Tanadesukaさんの枠組みで問題ないように感じました。
候補が自分で保護をかけるということには賛成できません。自分に多少なりとも利害関係のあるページは保護などの管理者権限の行使はおろかログ化やリファクタリングもつつしむべきだというのがプロジェクトを越えたウィキメディアプロジェクト内の常識で、この基準を維持することが、管理者としてのモラルハザードを防ぐことにもつながっています。つねに理想どおりにいかないのは現実ですが、ルールでそれをたわめることには利益がないと感じます。一見無害なところからでもモラルの崩壊は十分起こりえるということを考えれば、他の方がするほうがまだよいのではないでしょうか。--Aphaea* 2005年3月10日 (木) 14:17 (UTC)

ビューロクラット信任の得票数について[編集]

Wikipedia:管理者への立候補/KMT 20050302に既に書いたのですが、ビューロクラット信任の得票数について、通常の管理者が10であるのに対し30が適当と考えています。左記項目に書いた時点で英語版やドイツ語版でのビューロクラット得票は50~60前後であったことと、現時点での日本語版での管理者立候補への投票数、管理者/ビューロクラットの比を考えて3倍程度の得票が必要と考えたためです。ご意見あればよろしくお願いいたします。--Suisui 2005年4月14日 (木) 15:25 (UTC)

「30票」という基準についてはここを読んで初めて知りました。もし「ビューロクラット就任には30票」ということなら・・・もし「管理者選挙」とは異なるプロセスや基準を適用されるなら、Wikipedia:井戸端で告知された上で、もう一週間、選挙期間を延長するべきではないかと思います。「30票必要と知っていたら賛成票を投じた」という人がいたかも知れませんので。miya 2005年4月15日 (金) 23:00 (UTC)
権限の大きさからは検討の必要があるかもしれませんが、今回のTekuneさんの投票に関しては従来どおりのルールで行うべきだと思います。後だしのルールは何かと問題を起こしますので。--Gabriele 2005年4月16日 (土) 08:25 (UTC)
そもそも、ビューロクラットの信任投票に関する合意形成というのはいつどこで行われたのですか?yhr 2005年4月16日 (土) 09:13 (UTC)
僕の知っている限り、合意形成は為されていません。立候補者自身の判断で管理者信任手順が援用されているだけです。ビューロクラット信任における得票数に関する唯一の表明が、上記リンクで示されている Suisui さんの「30票」だと思います。その後、特に異論は出ていないので、議論・周知は不十分ではあるもののこの30票を暗黙の現行ルールとみなす理由はありそうですし、少なくとも Suisui さんが自分自身の発言である30票をコミュニティの合意なく反故にするわけにはいかないでしょう。僕としては、30票を妥当な数だと思うのでルールとして明示することを支持します。今回に限って管理者信任における10票を援用して判断することに強く反対はしませんが、選任プロセスに疑念を含んだまま就任すると後々しこりが残るおそれがあるので、残念ながら見送りとするのが良いと考えてます。―غاز(Ghaz) 2005年4月16日 (土) 11:54 (UTC)
suisui氏の提案された「ビューロ信任30票」は、妥当な内容であると思います。次回の選挙から適用することについては全面賛成します。しかし今回投票締め切りが差し迫った時期に発言されたご真意は『諸君、wikipediaの将来を考えて積極的に投票しようではないか!』と解釈しています。それゆえ今回の選挙に適用するにはちょっと無理があるように思います。個人的には今回の投票では充分な賛成票が投じられたと考えます。Miya.m 2005年4月16日 (土) 12:59 (UTC)
今回はともかく、次回からはビューロ信任のルールは管理者の投票と同一ルールで最低必要得票数のみ変更で良いのではないかと思います。ただ、得票数は3倍ではなく2倍程度が望ましいのではないでしょうか。--Snow steed 2005年4月16日 (土) 13:42 (UTC)
Tekune さん、就任しましたね。今回の判断との整合性を考えると、2倍(20票)がいいのかな。20票派に鞍替えします。―غاز(Ghaz) 2005年4月18日 (月) 15:43 (UTC)
自分は30票が良いと思います。しかし、Tekune氏の投票で投票終了直後に票を入れ、無効になった事などを考えると、現状では投票期間が短いのではないかと思います。また、質問があまりでなかった事を考えると投票の広報も不十分ではないかと感じます。投票の周知のため、たとえば投票期間中は最近更新したページや井戸端のテンプレートに投票期間中である事を知らせるメッセージを入れるなどがあってもいいのではないかと考えています。
なお、KMT氏がTekune氏をBureaucratへの任命をしましたが、30票ルールの提案が投票開始より後であったことから、これを支持します。--krop 2005年4月18日 (月) 16:16 (UTC)
私もKropsoqさんと同意見です。b:Special:Recentchangesのように告知するというのもいいかもしれませんね。-- LUSHEETA (TALK) 2005年4月20日 (水) 08:27 (UTC)

コメント期間についてのご提案[編集]

Toki-hoと申します。「管理者への立候補」におけるコメント期間に関してご提案をいたします。

提案は

コメントを「投票期間中」ではなく、「候補者への質問期間中」に行う。

です。コメントについては、以前にコンセンサスによって管理者の信任をおこなっていた経緯もあり、賛否の投票期間と同時となっているのかと存じますが、投票によって信任をきめる現況においては、投票期間中におこなうと、個々のコメントのでた時間列によって投票行動が影響をうけるのではないかと危惧します(たとえばマイナーなコメントを見て反対票を投じたが、投票のあとに、そのコメントをくつがえすような別のコメントがでた場合、自身の投票を悔やむことになる またはその逆など)。ですので、投票はすべてのコメントがでたあとにおこなうほうが、公平だと思います。これは1.3 コメントのなかの「コメントが反対を賛成に、あるいはその逆にかえうる(大意 Toki-hoによる要約)」という精神にも合致すると存じます。この提案についてご審議願います。なお、ご意見は整理の都合上、「*提案に賛成」「*提案に反対」「*その他〇〇」などの書き出しからはじめてタイムスタンプいりの署名をお願いいたしたく存じます。また、この議題の審議の期間についてもご意見を賜りたく存じます(「*審議期間について」という書き出しで、どの程度の期間をこの審議についやすか、期限をさだめるかどうかふくめて、お書きください。 そのほか審議のすすめかたについてのご意見は「*審議のすすめ方について」とお書きいただきご意見賜りたく存じます)。よろしくお願いいたします。Toki-ho 2005年10月21日 (金) 00:18 (UTC)

  • 提案に反対ぎみ。コメントで投票の結果を操作しようとするのは良くないことも多いですが、誤解に基づいていると思われる投票が多発している場合などはやむを得ないかなと思います。上記の「たとえ」については反対票を賛成票に切り替えれば後悔は最小限ですみますよね。―غاز(Ghaz) 2005年10月21日 (金) 12:30 (UTC)
  • 提案に反対。コメントにせよ質疑期間にせよ、投票期間とわざわざ分ける意味を感じない。--Snow steed 2005年10月22日 (土) 01:51 (UTC)
  • 質疑期間を前に出すというのはTomosさんの案、現在のスケジュール案はGleamさんが出してくださった案ですが、かえって
    • Wikipediaにかかないが自分のBlogに書いて回答を促す
    • コメントにコメントしないというルールをいれたはずが、現在忘れられているか少なくとも機能していない
    • 最初の3日で質問がなかった場合、ある意味無駄に数日をすごすことになる
    など、実はあまりうまくいっていないのではないかと思います。そして、こういう試みをしているプロジェクトを私はほかに知りません(といっても私が覗いているのはたかだか50かそこらですので、300とも400ともいわれるプロジェクト中に、あるいは日本語版に似た試みが別のところにある可能性は否定しません)。端的にいえば、面白いアイディアではあったが、ウィキの上での合意形成の仕方としては不自然だったということではないでしょうか。そこで上でも出ていますが、審議期間を分けるということをやめ、投票期間と平行してコメントをつける/質疑を行うほうがよいように思います。--Aphaia 2005年10月22日 (土) 02:49 (UTC)
  • 反対します。コメントで投票の流れを変えようというのは、むしろあるべきコメントのあり方だと思います。もし不都合があるとするならば、それは現状のシステムではなく、個別の質問に問題があるのではないでしょうか。質問の仕方について、厳密なルールとは言わないまでも、一定の節度を求めるガイドラインがあるといいかもしれません。―sketch/ 2005年10月22日 (土) 13:31 (UTC)
  • (第1回中間まとめ 10/23)Toki-hoです。みなさまご意見ありがとうございます。いまのところ反対のご意見が圧倒的ですね。提案者としては少し意外ですが、みなさまのご意見が反対ということとでしたら提案をとりさげます。ただ、もう少し時間を頂戴したいと存じます。Ghazさんのご意見にお返事しておきます。「反対を賛成にきりかえる」ことですが、いつもWIKIPEDIAを見ている人でしたら投票期間中に他者のコメントを見てきりかえできると思うのですが、WIKIPEDIAにくる頻度が低い人は、投票期間がおわってから結果をみて、「自分の投票を後悔する」こともあるのではないかな、と おもって、上記のご提案をしたわけです。Snow steedさん、Aphaiaさんのご意見は、そもそも「質問期間」も投票期間と同時にするということですね。Sketchさんは、現況のままで、質問の仕方にルールを設けるというものでしょうか。もう少し、みなさまのご意見をまって、まとめていきたいと思います。よろしくお願いいたします。Toki-ho 2005年10月23日 (日) 13:23 (UTC)
ほぼ2週間たっておりますので、よいのではないでしょうか。Toki-hoさんの提案についてはあまり支持がなく、そのような規制をむしろ行わないことがよいという結論がでているように思いますが、異論のある方はおられますか。
議論のなかで出てきたコメント期間の扱いですが、3つの方向がでてきたように思います。これは見直したほうがよいかもしれません。
  1. 現行のまま。
  2. コメント期間を廃止する。コメントは投票と平行してつけてよいことにする。
    1. コメント期間を廃止の上、投票期間をその分延長する。
    2. コメント期間を廃止の上、投票期間を現在の1週間のままとする。
みおとした論点がありましたら、ご指摘を願います。--Aphaia 2005年11月9日 (水) 04:27 (UTC)

(スレッドもどします)Toki-hoです。Aphaiaさん、まとめをありがとうございます。そうですね。反対意見が多くでたあと、そのほかのご意見がなかったことから、提案にコンセンサスがえられないことがわかりました。了解および了承しました。今回お話をすすめながら改めて思ったのですが、Wikipediaの投票は国政選挙などにおける投票行為とちがい、あくまで話し合いの延長なのだな、と、実感いたしました。提案理由の「あまりWikipediaにくることができない人は、自分の投票をくつがえすコメントがでても、時間的な理由で賛否をかえることができない。」についてですが、これは、ともかく賛否票のかたちで意見をを述べて、あとはコミュニティーにまかせるという意思表示とうけとればよいかな、と、考えを改めました。議論に参加された方、ご覧いただいた方、ありがとうございました。また、上でまとめていただいたこともふまえ、スケジュール見直しは、新たな章をたてての議論となりますでしょうか。または、このままこの章目で展開するのが好都合でしょうか。みなさま、よしなにおとりはからいください。Toki-ho 2005年11月9日 (水) 17:31 (UTC)

信任成立条件の見直し[編集]

以前に提案されたことの繰り返しですが、信任成立条件の見直しを提案します。

現在は

投票期間が終了した時点で、10票以上かつ有効投票の内4分の3以上の賛成票を得た場合に候補者は信任されます。

となっておりますが、1年前でもこれでは少ないのではないかという指摘がありました。この上限をあげることを提案します。現在のコミュニティの規模だと10票は少ないのではないかと思います。

また、現在明文化されていないビューロクラットの信任についても、あらためて文章にすることを提案します。管理者信任と少なくとも同数、あるいはそれ以上(例:2倍)が慣行となっているように思いますが、この点実際に判断をされているビューロクラットの方にご意見を願います(特別な発言権があると考えているわけではないですが、これまでの実施に異議が出ていない以上、方針化にあたり現在の慣行をあまり離れないことも考慮に値する点ではないかと思います)。--Aphaia 2005年11月9日 (水) 04:35 (UTC)

不勉強で、他言語版がどのような基準になっているのか知らないのですが、日本語版に関していうと
  • ログインユーザの割合が少ない = 投票権を持つユーザがコミュニティの規模に対して少ない
  • 管理者の絶対数が不足していると言われている
という状況ですので、もうしばらく現状の基準のままにしておくのがよいのではないでしょうか。ビューロクラットの信任基準の明文化については提案に同意します。どのような基準にするかは他の方の意見を聞きたいと思います。--Tamago915 2005年11月9日 (水) 23:58 (UTC)
確かにログインユーザの割合は少ないのですが、1月に100回以上の編集があるユーザアカウントは100から150程度、5回以上では600から800と記憶しています(数ヶ月前のデータです)。投票権のあるユーザはそれほど少なくはありません。また現在のルールにして以来、20票以下で信任された管理者(Bureaucratではなく)は1人か2人いるかいないかと記憶しています。おっしゃるような懸念はないものと考えています。--Aphaia 2005年11月10日 (木) 01:09 (UTC)

何のために「3/4以上」という基準を設けているのでしょうか?現状でも10票の賛成があっても4票反対があれば管理者には選出されないわけですが…。基準を変更したい人は、

  1. 反対票を入れたくないのですか?
  2. 頭の悪い立候補者に反対票を入れて落選した立候補者からストーカー行為をされるのを懸念されているのですか?
  3. 自分達の立場(地位・階層と言い換えても構いません)を上げたいのですか?

--Goki 2005年11月13日 (日) 02:00 (UTC)

えーと。どこからこういう下種な発想が沸くのでしょうか。これは率直な感想なので、答えてくださらなくてもよいです。
ルールを変える意義はふたつほどあります。
  1. プロジェクトの規模とみあった基準にする。ある言語版でSysopであるということは、それなりにプロジェクトの上で重みを持っています(もちろんそれだけでは足りませんが)。プロジェクトの中で一般に求められている基準からすると、いまの10票というのは少ない。これはすでに昨年の12月に別の方から提案されていたことです。
  2. もうひとつは、15票/30票という基準をあげることで、Checkuserの選出基準を「ビューロクラットに準じる」とひとことで書くことができます。ルールを出来るだけ簡明に保つことにはそれ自体に意義があると考えています。なお、この最低30票というのは財団の方針として提示されていることなので、Checkuserについては動かせない数字です。方針ではもう少し低い数字もでていますが、後の説明で「方針の例示はそのくらいの(25から30の)人数の定期的な投稿者がいるプロジェクトでの最低限の基準」ということなので、Jawikiについては少なくとも30票が要求されると解釈しています。--Aphaia 2005年11月13日 (日) 06:15 (UTC)
投票では、20票以上は確実に見込めますし、最近では反対票だけで20票がはいるくらいで、その20票の内訳が15票-5票でも管理者にはなれるのですから15票に最低ラインをあげても問題ないと考えます。なお、私はストーカーや地位を上げる事に興味は有りません、Wikipedianとして立候補してくださった方に反対票を必要以上にいれるのは好きではありませんが、この基準変更を支持する理由ではありません。--Snow steed 2005年11月13日 (日) 06:32 (UTC)

という理由をはじめから挙げればよいのです。あとは、現在の管理者には適用しないのですか?ということくらいですね。(別に引き上げた基準でも問題ない方々は別ですが。)--Goki 2005年11月13日 (日) 08:37 (UTC)

もともと管理者の信任は明確な投票導入以前はコミュニティの総意が求められていたわけなので、規模に合わせて必要票数を上げること自体には賛成です。ただこの意見は投票導入以前に管理者になった人間が言うとどうにもよろしくないので今まで書きませんでしたが。。
現在の管理者については、他の方の同意があればの話ですが解任規定ができ次第運用の実験の意味を含めて片っ端から解任規定にかけて再信任をやれたらいいなぁと思っていたりしています。tanuki_Z(sysopは偉くない) 2005年11月13日 (日) 09:45 (UTC)

念のために書いておきます。今回に限ってはCheckuserの選出基準云々という合理的な理由があったので了解しましたが、「ユーザ規模に合わせて必要票数を上げる」ことには賛成しているわけではありません。理由は

  • ユーザ規模に合った妥当な必要票数というのが客観的な数字で表せるのか甚だ疑問である。
  • 必要票数を上げる行為自体が新参者にとって階層の壁を感じさせる。
  • 3/4の賛成という規定があるため管理者にふさわしくないユーザに対しては反対票を入れれば済むことである。

からです。--Goki 2005年11月13日 (日) 10:15 (UTC)

私も今回の動きには疑問を感じます。現状の規定で問題が発生しているわけではないのに、規定を厳しく変更することにどういう意義があるのか、よくわからないというのがいちばんの理由です。上のほうで述べたとおり、管理者の数が少ないという現状があるので、規定を緩くするのなら意味はあると思うのですが。正直なところ、一定の基準(例えば、投稿歴1年以上、投稿数2000以上など)を満たしたユーザに自動的に管理者権限を与えるくらいでいいかなと思っているくらいです。--Tamago915 2005年11月13日 (日) 10:41 (UTC)
前回の投票から15票案というのはあるので、別に疑問を感じる所は無いと思いますよ。Sketch氏以降の投票数を見ても20票を下回ったことはないのですから、15票にしようと言う意見がでてもおかしくないでしょう。あと、投稿歴や投稿数を絶対視するのではなく、投稿している内容をきちんと見て判断した方がいいと思います。--Snow steed 2005年11月13日 (日) 11:17 (UTC)

「必要票数を上げる行為自体が新参者にとって階層の壁を感じさせる。」こういう感覚は既に管理者になってる方々や古参の方々には分かりにくいのでしょうね。「投票数を見ても20票を下回ったことはないのですから、15票にしようと言う意見がでてもおかしくない」じゃだめですよ。--Goki 2005年11月13日 (日) 14:40 (UTC)

「上限をあげる」というご提案は、おそらく管理者となるのに必要な賛成票の「下限」を引き上げようというご提案だと推察しますが、現状うまく回っているルールを強いて変更することに合理的な意義を見いだしがたく感じます。下限を引き上げる理由としては、現状の基準により10票前半の賛成で信任された管理者には管理業務を託したくない、といったあたりの主張があり得るかと私は考えましたが、あるいはほかの理由があるでしょうか。

また、「日本語版には管理者が不足している」という主張の方からしてみれば、今回のご提案は管理者が増える可能性を狭めるもので、容認しがたいのではないでしょうか。いずれにせよ、まずは、現状10票としているところをどのように変えたいのか(具体的に何票にしたいという腹案があるのか、それとも今後話し合いで決めたいのか)、そうすることで今後の管理者選任プロセスにどのようなメリットがあるのか、について、提案なさった方またはご賛同の方々にもう少しご説明いただきたいと思います。―sketch/ 2005年11月13日 (日) 15:19 (UTC)

私の理解を。これはSketchさんの求められた説明だけではなくGokiさんの意見への私なりの考えでもあります。
ご承知のように、現在の投票のシステムが導入される前は管理者の信任はコンセンサスによっていました。そして現在の投票はそのコンセンサス制を継承して作られていると理解しています。だからこそ信任システムが変更された際にそれ以前の管理者の信任の正統性を否定して一から選びなおすという手続きを踏まなかったのだと考えています。信任システムが全く別のものになったのでしたら一から選びなおすべきであり、以前のシステムとある程度の連続性があるからこそ以前のシステムによって信任されている管理者の正当性も認めたのだと。尤もこれは私の解釈で他の解釈も考えられますが。
さて、現在検討中の最低限の得票数ですが、これは管理者の信任はコミュニティの一部によって行なわれるべきでなく全体の信任を得るべきであるという考えを反映したものと私は捉えています。そしてこの考えはそれ以前のシステムコンセンサス制に基づいていると。ですからそう理解している私としては否定されるべき「一部」の票数はコミュニティ全体の規模を反映するべきだと考えますので現在の票数よりは増やすべきだという主張を持ちます。ただし、具体的な票数がどれだけであるべきかという点はGokiさんの仰る通り客観的な数字など出ないと考えますので話し合いで決めるべきだと思います。その際その直近で信任された管理者達の得票は一定の参考にはなると思います。
そもそもコンセンサス制の名残という理解をしないで最低得票数を設けること自体、説明はできないと私には思えます。コンセンサス制の名残という理解は、なぜ現在の投票で3/4の得票というきつい条件になっているかを説明するものでもあります。つまり現在の投票での信任の条件とは、具体的な数字にはなっていますが理念としては、コミュニティからの広く厚い賛成があるというものではないかと。そして、最低得票数と3/4の得票の手続きを認め承認している以上、コミュニティはこの理念も承認しているものだと私は今まで思っていました。
以上のような理解を私は持っていますので、現状問題のないシステムをなぜ変えるのかという疑問にも答えることができます。コミュニティの規模を反映していない具体的な「一部」の票数はそもそもの理念に反したもので、従って規模を反映していないこと自体が問題だから、と。
「壁を感じさせる」というのは理解できなくはないのですが、私の理解は以上のものなので規模を反映した適正な値にすることが特段変更以前以上に就任を困難にするものには思えません。この私の考えに対して、やはり感覚が分かりにくいものなのだな、とみられても私としてはどうしようもありません。tanuki_Z(sysopは偉くない) 2005年11月14日 (月) 06:39 (UTC)
それは、信任・選出するための最低票数を引き上げたい理由にはなっていないように思います。具体的な「一部」の票数は、「3/4」の規定により全体の票数が増えれば「一部」の票数は自動的に引き上げられるからです。ですので、最初に
  • 反対票を入れるのがいやなのですか?
とうがった書き方をしたのです。もうひとつ書かせてもらえば、
  • 賛成票を入れるのもいやなのですか?
と言いたくもなるのです。最低票数を引き上げると「黙っていれば」管理者に選任されにくくなるわけですから。--Goki 2005年11月14日 (月) 07:21 (UTC)
(コメント追加)秘密投票では投票が終了した際に賛成票が少ないのに選出されたという事象がありえますが、現在の投票形式だとそうでないので、票の動きに合わせて投票できるので最低票数を引き上げる必要はないと考えます。
不正な投票が疑われた場合にCheckuserを発動できないリスクがあるという理由を除いて、他の最低票数を引き上げる理由には賛同できません。--Goki 2005年11月14日 (月) 07:32 (UTC)
おおむねGokiさんと同様の考えから、やはり引き上げる必要性は薄いと考えました。
まず、コミュニティの規模が拡大しているのならば、最低得票数も上げるべきである、というお話について、下限を上げないと少数の投票だけで管理者が選ばれてしまうことになるから、というような点が根拠として挙がっています。しかし私は逆に、コミュニティの規模が拡大していくのであれば、プロジェクトはそれだけ多くの管理者を必要とするのであり、にもかかわらず規模に応じて信任の下限を引き上げていくと、コミュニティの規模にあった管理者数を確保できなくなってしまうのではないかと思いました。コミュニティの規模がどのようになっても管理者の数が一定数である方が望ましいのであれば、下限の引き上げには納得できますが、そうでないならば、下限は引き上げない方が、適正な管理者数を確保できるのではないでしょうか。この場合、コミュニティの規模に比して少数の投票で信任される管理者が問題視され得ますが、そもそも投票数が少ないようであれば、そのコミュニティはいわば「その程度」のものであり、投票が成立しないような下限は身の丈の合わない設定と言うことになってしまいますし、また投票数が多ければ3/4の基準が有効に機能するので、下限は必要ないことになると思います。
また、コミュニティの規模に応じて下限を引き上げていくのであれば、Aphaiaさんの提案したCheckuserと同一の条件にするという目的は、さらにコミュニティの規模が拡大すれば達成できないことになります。Checkuserと同一の条件にする、というのを主眼にするのであれば、今回だけ引き上げて、以後は引き上げを行わない、とするべきではないかと思います。この点を整理しないまま下限の引き上げを行った場合、今後さらにコミュニティの規模が拡大したときの議論が混乱するように思います。
ところで、Checkuserという言葉はこのノートで突然登場し、以前の議論や機能の紹介へのポインタがないようなのですが、どなたかこれをお示しくだされば幸いです。私の上記の発言は、このノート上に現れたものだけを論点にしていますから、Checkuserという機能の内容や、これに関する過去の議論があれば、意見を変えるかもしれません。よろしくお願いします。―sketch/ 2005年11月14日 (月) 16:15 (UTC)
Wikipedia‐ノート:CheckUserの方針たね 2005年11月14日 (月) 16:19 (UTC)
Sketchさんの視点は私のものとは少し違うのだなと思いました。私が読み違えているのかもしれませんが、管理者の数が確保可能なように制限をゆるやかに保つというふうな御主張があるように思いました。誤読しているようならご訂正を願います。ですが、私は数の確保よりも、「コミュニティから信頼される」ということに疑義の出ない形で信任されえることのほうを重視するべきではないかと考えています。Sysopの第一義は(そのコミュニティにおいて)信頼されているユーザであるということがしばしばWikimedia projectではいわれます。私個人の感覚としては、現在のコミュニティの規模からして、10人というのは少ないと感じています。とくに、ロゴの投票などでは50票を越えるにもかかわらず、Sysopの投票では20票を割り込むことすらある、これは「コミュニティの全体の支持」を得ているとはいえないのではないかと感じます。このあたりの危惧はTanuki Zさんと近いのではないかと思います。そしてこのあたりの感覚は個人によって異なるでしょうし、コミュニティの構成メンバーが異なればかわってくるでしょうから、どのくらいが適正な数であるということは随時見直していくべきではないかと考えています。意見調査をして、現在の数字がより適正であるという方が多いならそれを世論として了解はしますが、Sketchさんら数人が「あげる必要はない」とおっしゃられても、現に不足を感じているものとしては納得はできません。
また、Sketchさんがおっしゃるような政策的な配慮は、果たして有効なものでしょうか。実際に、現在の基準で下限がきいてきた投票はないと記憶しています。また、下限をすえおいたからといって、なりやすさがかわるともいえないのではないでしょうか。実際にはこの基準をめぐる判定がないことから、数字をかえたことで結果には影響しないのかもしれません。しかし感覚の問題として、私には「5人以上の支持、75%」というのでは納得ができない、という思いがあります。1年前同じ議論をしたときには、Snow steedさんが、コミュニティの規模からいって15人では要求が高すぎるといい、多くの人がそれに納得されたという経緯がありました(これは投票で数をみたため、目に見えるかたちで世論があらわれています)。一方、Sketchさんの議論はわたしにとって納得のできるものではなく、現在の基準が適正だという主張もご自身の感覚をでていないように思われます。
Checkuserと同一の条件にする、と私がいったとおっしゃいますが、私が上で提案したのは、BureaucratとCheckuserの条件を同じにすることであって、Sysopではないことにご留意ください。一々あげませんが、細かいところで私の主張を追っていただいていないようにも思います。「Checkuserと同一の条件にする、というのを主眼にするのであれば、今回だけ引き上げて、以後は引き上げを行わない、とするべきではないかと思います。」との御主張ですが、これはどのような論理かわかりませんでした。そもそも、25人から30人というのは「アクティブな投稿者が25人から30人くらいだけいるプロジェクト」における最低限の数字であるという説明が補足としてなされており、Jawikiのような大きなプロジェクトでは、もっと高い水準を要求してもよいだろうと私個人は考えています。英語版などですと、この手の(というのはCheckuserやArbcomのことでSysopのことではありませんが)、重大な権限にかかわる投票では、最低得票数50人や100人を要求するのが通例であり、それを鑑みれば、Jawikiでの投票もプロジェクトの規模に応じて最低得票数の要求などは見直してしかるべきではないかと私は考えています。
一方で、「ある一定範囲の支持があればよい」とする考え方も当然にあって、Sketchさんなどはあるいはそちらに近いのかもしれません。その場合でも、現在の数字は少なすぎるというふうに私などは思います。個人の感覚をいえば、10票75%よりは、20票66%のほうが納得できる、というふうに思います。--Aphaia 2005年11月16日 (水) 10:00 (UTC)

そんなのは10票75%で選出された管理者が不適切な管理者であったときに考えればよいのであって、今下限を引き上げなければならない理由ではないと考えます。(ただし、前段でも書いてますが、Checkuserの件は除きます。)--Goki 2005年11月16日 (水) 10:44 (UTC)

現在の投票状況からすると下限15票でも低いぐらいかもしれないと感じてますが、ひとまず15票に引き上げには賛成します。僕の考えは Tanuki Z さんの意見にかなり近く、繰り返しになるので書きません。ただ、選出方式が変わらなかったとしても、参加者の構成が変わり続ける以上はどのような管理者が信任されるのかも変わってゆくだろうから定期的に再信任投票を行なう制度はあったほうがいいかなと思ってます (Wikipedia‐ノート:管理者の辞任の議論はひそかに応援してます)。「不適切な管理者であったときに考えればよい」については、どうして予防策を立てず積極的に後手へ回るべきであると主張されているのかよくわかりませんでした。―غاز(Ghaz) 2005年11月16日 (水) 14:54 (UTC)
  • 現状予防策がなくても問題であるとは感じていない。(何か問題ありますか?あるなら具体的に述べてください。)
  • 問題を明確にしない予防策は取ったとしても弊害になることが多い。
  • 現在の仕組みでは一度作ってしまった下手な予防策を修正することは容易ではない。

のが理由です。--Goki 2005年11月17日 (木) 02:09 (UTC)(訂正Goki 2005年11月17日 (木) 02:16 (UTC)

「問題発生まで対策を立てる必要はない」と「現状のままでも問題は発生しないので対策する必要はない」は相当に違った意見です。後者が真意であると理解して納得できましたが、今後は自らの考えを的確に表現するように努力してもらいたいと思います。また、強調の使い方や言葉の選択が不必要に攻撃的に感じられますので、その辺も考慮していただけると意見交換がしやすくなるかと。
「現在の仕組みでは一度作ってしまった下手な予防策を修正することは容易ではない」もちょっと理解しがたい意見です。「ルール変更が容易でないのでルール変更に反対」ということでしょうか。「ルール変更が容易でない」ことから導かれる結論は「ルール変更と現状維持のどちらが良いのか慎重に検討して選択しなければならない」であると考えます。
何が問題なのかについては既出のはずですが、僕なりにまとめなおすと「設定されている下限が現状に即していない」ことであり、問題発生が予想されるのではなく既に問題は発生していると認識しています。より具体的な懸念としては「管理者選出が適正なものではないとする批判に耐えられない」および「ほっといても投票が成立するのなら面倒だから投票しないでいいやとか思っちゃう人が多くなる」あたりでしょうか。下限何票が適正と考えるかは人それぞれなので、現状の10票でも適正であると考える人がいても変ではないとは思います。―غاز(Ghaz) 2005年11月17日 (木) 10:40 (UTC)
  • 「管理者選出が適正なものではないとする批判」←批判している方はいますか?
  • 「投票しないでいいやとか思っちゃう人」は下限を引き上げた場合でも出ると思います。(消極的反対という意味で)
--Goki 2005年11月17日 (木) 16:17 (UTC)
批判する者の有無に関わらず、批判に耐えうるシステムを構築することは有意義なことですから「いますか?」と質問することは無意味です。反対票をたくさん集めることには特に意義はないと考えるので、消極的反対が増えても別にいいんじゃないかなと思います。―غاز(Ghaz) 2005年11月22日 (火) 15:31 (UTC)

合意できる箇所の再確認[編集]

まずは改めて数点確認させてください。

一点目は下限がコミュニティの規模にリンクしている限り現状より特別に管理者の就任が難しくなるものではないこと。例えば、ずっと50票の賛成で信任が通っているコミュニティと5票で信任が通っているコミュニティでは、片方が10票を下限とし他方が1票を下限としていても共に全体に占める割合として捉えるならば1/5であり、一方がなりにくいとは言いがたい。

二点目は一部の支持のみを得て就任する管理者は望ましくないこと。一部というよりも私の言いたいことをより分かりやすく伝えるため今後はこの概念を党派と言い換えます。特定の党派の支持のみで管理者となった人間はコミュニティ全体の管理者としては相応しくなく、正当性に疑問がある人間がさも正当性を持つかのごとく振舞うのはよろしくない。

三点目にその人物に信任を感じていない場合、人は反対票を入れる以外に無関心であったりコメントまでしか行なわない可能性があるということ。

四点目に党派の力は総有効票数にもっとも影響されるものの、下限が低いほどその力は強力であること。なぜなら下限が高ければ党派以外の信任票が必要であり、結果総有効票数が多くならなければ投票が成立しないから。

五点目として仮に「コミュニティの規模」にリンクさせるとして(あくまで仮です)、その指標として使いうるのはその直前数回の投票結果であること。登録ユーザー数はもちろん使えませんし、一日の編集総数は曜日や大きなニュースの有無などノイズが多すぎて規模を素直に計ることはできない。

とりあえずこのあたりはお互いに合意できるのではないかと思い確認の意味で提示させていただきます。これらの内合意できないものがあるのでしたら、結構根本的な価値観の相違ということになりかねませんので。tanuki_Z(sysopは偉くない) 2005年11月19日 (土) 10:45 (UTC)

あえてきついことを書かせていただきますが、私は「サイレント・マジョリティを考える必要はない」「物言わぬ奴のことなんか無視してよい」という考え方です。三点目についてはそういう人がいるかもしれないというのはありますが、そんな可能性は考える必要はないと考えてます。また二点目については、(少なくとも総員同意でなくなって以降に選出された)管理者に対する存在価値の否定だと考えてよいですか?--Goki 2005年11月21日 (月) 16:30 (UTC)
Goki さんは二点目・三点目以外には同意と捉えて良いのでしょうか……。えー、僕としては五点すべてに概ね同意します。投票をしないほどサイレントな人は無視でよいというか、存在自体を確認できないわけで考慮しようがないよね。三点目については、まあ合意はできるでしょうが、今回の議論では特に考慮すべき事柄ではないように思えます。投票してない人の意見は、あくまでも「賛成でも反対でもない」ものとして扱うべきです。二点目について、なぜそのような考えに至るのか全くわからないのですが、管理者に対する存在価値の否定と考えてはいけません。―غاز(Ghaz) 2005年11月22日 (火) 15:31 (UTC)
上記5点ともに前提条件の設定がおかしいと思っているので上記5点については同意も何もありません。論理式で判断すればすべて真ですけどね。とにかく、「ユーザの規模に合わせる(その直前数回の投票結果と言い換えてもかまいません)」という理由のみで、下限を引き上げる提案には私は同意できません。(下限を引き上げたい理由は上記5点以外のもっと根本的な理由があるはずです。)--Goki 2005年11月23日 (水) 14:03 (UTC)
私も今回の提案には同意できない立場です。現状で問題が発生しているとの見解もありましたが、10票ぎりぎりで管理者に任命された人が何らかの問題を起こしているわけではなく、問題は発生していないと考えますので、下限を上げる必要はないと考えています。根本的な理由として考えられるのは、管理者になるための敷居を上げることで管理者の質を固定し、ウィキペディアコミュニティの不安定要素・流動化の要素を事前に除去することだと思いますが、多少不安定であるほうがコミュニティの質は高まると思います。あまり固定化すると、コミュニティが内向きになり、硬直化してしまい、管理者の顔色をうかがうようなことになりかねませんので。--Tamago915 2005年11月23日 (水) 15:02 (UTC)
Tanuki Zさんの挙げる5点はすべてその通りだと思いますが、しかしそれが下限引き上げの理由になるとは思えません。利用者数がいくらであろうとも、現在の制度が困った事態を引き起こすことにはなりえないと思うからです。
仮に投票者が少なく、日本語版ウィキペディアの利用者数からしてみるとずっと少ない投票総数で管理者への立候補の投票が成立したとします。だとしても、それはプロジェクトにおける運営への興味を持つ利用者の割合が少なかったということにすぎません。運営に興味を持つ人が少ないことを嘆くことはあり得ると思いますが、だからといってその投票で信任された方の管理者適正に疑問がもたれるものではないでしょう。また、党派による投票によって管理者が誕生するリスクをTanuki Zさんはおっしゃいますが、そのリスクを軽減するために3/4の規定があるのではないかと思います。全体の1/4の反対があれば管理者になることができないというのは、牽制として充分に働きうる規定です。この規定の下では、ある党派が確実に管理者を誕生させようとすれば、全体の3/4の利用者数を得ていなければならないのですから。この状態で、一定のグループによる管理者投票を疑うのは合理的ではないと私は思います。
むしろ、最低10票の賛成票という規定を引き上げると、現在管理者を多数輩出している党派があったとして、その党派が自らの意向に反する管理者を誕生させまいとすることを容易にします。仮にそういった党派があるのなら、引き上げはむしろするべきではありません。詭弁を擁しますが、現在その存在が明らかでもない「党派」のリスクを挙げるのであれば、このように現在の管理者が結託するリスクもまた考慮に入れなければならないでしょう。―sketch/ 2005年11月24日 (木) 13:16 (UTC)
さらに強調すると「ダンマリを決め込むだけ」で管理者に選出しないようにすることが容易になることも付け加えておきます。--Goki 2005年11月24日 (木) 16:52 (UTC)

質問へのご回答ありがとうございました。質問は合意点を確認するという意図と同時に自分の反駁用の材料集めという意図もありました。また謝罪しておきますが、「一部」を「党派」というイコールでない言葉に置き換えたのは詭弁の一種ではあります。ただ、今回のケースでは「一部」は「党派」を含む概念ですので議論を進める上でさほど大きな問題はないだろうと判断していました。

本題の前にもう一点宣言しておきますが、私はGokiさんたちのいう「現状のシステムで問題ない」と「問題のないものは変える必要はない」というご意見には賛成します。ただその二つの結論として「下限を固定化するべきである」という主張を導くことには同意せず、「下限をコミュニティの規模に合わせ続けるべきである」が導かれるはずだと考えています。

さて本題。以下は一応何らかの留保はあるもののおおむね先の質問には皆さん同意であるとして進めていきたいと思います。ただTamago915さんがまだ「敷居を上げる」という表現を使われいるようなので一点目の確認から始めます。

一点目とは要するに次のようなことです。五点目より規模とはそれ以前の投票の結果を意味するわけですから、即時削除慎重派の(A)さん、即時削除の範囲の広い(B)さん、ブロックに慎重な(C)さん、迅速なブロックこそが利益と考える(D)さん、文科系記事の執筆者(E)さん、数学系記事の執筆者(F)さん、地理系記事執筆者の(G)さんのいずれもが50 or 5票の信任を得てきたとき、次に立候補する(X)さんが10 or 1票を割る確率(当選が難しくなる確率)は同じぐらいのものだろうということです。むしろ、割合でなく実体で考えるならば40票を失う方が4票を失うよりも起こりにくいとさえいえるかもしれません。従って、規模にリンクさせつづけることは「敷居を上げる」ことではありません。せいぜい「敷居を下げない」といえるだけです。ところで、現状で敷居を下げなければ"ならない"のであれば、「下限を固定する」という方法ではなく「下限を引き下げる」という方法を選択しないのはなぜでしょうか? また下限を下げなければ"ならない"のでないならば、なぜ問題のない現状を維持することを問題視して変更を加えるべきだとするのでしょうか?

このように私は「問題のない現状」に「下限を上げる」という変更を加えるべきでないと考えておられる方々に対して「問題のない現状」に「下限を固定する」という変更を加えるべきでないと主張したいと思います。

二点目より管理者はコミュニティの一部(党派)のみの支持ではなく全体の支持が望ましいはずです。しかしこれはGokiさんの仰るように総意でなければならないという極論を意味するものではありません。先に言いましたように私は「現状のシステムで問題ない」と考えています。また、現状のシステムに対して総意でないことを理由とした異論は、Gokiさんが『「管理者選出が適正なものではないとする批判」←批判している方はいますか?』と述べられているように存在してはいません。従って現状のシステムによって選ばれている管理者は正統性を与えられる程度には全体に近いコミュニティの支持を受けていると結論付けることができるはずです。

次に四点目より、下限が小さくなるほど党派の力は強くなります。「現状の問題のないシステム」を維持するのでなく「下限を固定化する」という変更を加えた場合、やがて相対的に下限は下がり党派の力は大きくなるといえます。もちろん日本語版の規模が小さくなっていく傾向があるのでしたら党派の力は増大するといえるかもしれませんが、その代わりにその場合「下限を固定する」という変更は「規模にリンクさせる」という現状と異なり管理者の敷居を上げるという欠点を生むでしょう。ところで、党派の力が大きくなった場合、現状のシステムは一部のみの支持は望ましくないという原則により、「下限の固定」という変更によってそれまで与えていた正当性の根拠が揺らぐとは思いませんか?

これに対して3/4が抑止として機能するという反論があると思います。しかし、三点目より人間は常に反対という投票行動をとるとは限らないわけですから、3/4が機能しないことはありうることでしょう。このことに対してもそれは無関心の者が悪いという反論もあると思います。しかし、五点目より下限で期待される票数はそれまで関心を持ってきた人間の数に基づいているものです。その下限が問題になるようなレベルの投票結果を単純に無関心の責任に帰すべきものでしょうか? 下限が問題になるような投票結果が意味するものは「運営に興味を持つ人が少ないこと」ではありません。その候補への「賛成以外の意思表示」が多数あるという事実です。

このあたりが私が先の質問で導こうとした反駁です。次にSketchさんやGokiさんの反論への反駁も書こうと思ったのですが少し時間がないので次回に。

最後に現状のシステムは皆さんの言うように問題のないものです。そして問題のないものをあえて変更する必要はありません。ならなぜ下限の固定という変更を加える必要があるのでしょうか? 現状問題のないウイルス対策ソフトならそのまま使いつづければよいだけです。このとき意味するのはその後も定期的に定義ファイルを更新するということであって現状の問題のない定義ファイルのままでいつづけることではありません。以前子供の足のサイズより少し大きい運動靴を買って、それが問題ないものであれば次も同じ程度に少し大きいサイズの靴を買えばいいだけです。現状問題がないから、問題が生じていないから全く同じサイズの靴を買うことを意味しません。

Gokiさんのいうように「一度作ってしまった下手な予防策」は変更することが難しいものです。これはとりあえずのスタートとして設定された10票の下限が必要以上に神聖視されていることからも証明されています。下手な予防策を取らず現状を維持するために下限をリンクさせつづけるべきです。何か問題が起こるかもしれないからという漠然とした問題意識への予防策として下限の固定を行なうべきではありません。現状の何が問題なのでしょうか? 何か問題を指摘する人はいますか? いないのであればなぜ固定化しようとするのですか? 下限をリンクさせつづけた結果なにか問題が生じたらそのとき対応するのでは何がいけないのですか? 私にはそれらを疑問に感じます。とりあえずこんなところで。tanuki_Z(sysopは偉くない) 2005年11月26日 (土) 09:19 (UTC)

Tanuki Zさんのおっしゃりようは、乱暴にまとめますと「最低得票数は規模に応じて常時変動させることが当初から見込まれていたのであって、それを10票に固定し続けようと方針を変更しようというのであればその根拠を提示すべきだ」という風に読みました。うまい論の運び方だと思いますが、過去に行われた投票ではこれに関して特に活発な議論が行われたわけではありませんから、片方が一種の立証責任を負い、それができないのであればもう片方に決する、という意味合いの議論にはなりえません。私の考えるところによれば、現状の10票下限という考え方がうまくいっているにもかかわらず、それをあえてコミュニティの規模にリンクさせ続けようという風に方針を変更させようという積極的理由がないので、このまま当初の方針である下限10票を維持し続けるべきだ、という主張もできます。どちらが既存の方針を守ろうとしていて、どちらがそれを変更しようとしているのか、という点で争うのは、もともとこれについて確認された方針などというのがないのですから、いくらやっても無駄な議論でしょう。
一点、下限をコミュニティの規模にリンクさせたときに起こりうる事態について、危惧を表明しておきます。日本語版ウィキペディアのコミュニティ規模は発足以来ずっと拡大してきています。しかし、超長期的に見ると、将来的な日本の人口減少、それに伴う日本語話者の減少などによって、コミュニティの規模が縮小することが想定されます。コミュニティの規模に下限をリンクさせるのであれば、その時には管理者信任の下限を引き下げなければなりません。そのとき、過去に下限に足りずに管理者となることができなかった候補者がいた場合、見送り後に下限を引き下げることは場合によって候補者に不公平感を与えますし、またうがった見方をする参加者から、特定の候補者を救済するための引き下げである、と取られたりしかねません。そういったことを考えると、投票の下限は下方硬直性を持つであろうことが予想されます。結果、コミュニティの規模が縮小したにもかかわらず、適切な下限が設定されないのであれば、管理者になるのに必要以上の障壁が生じることになるでしょう。現実味のない話だと思われるかもしれませんが、ウィキペディアは数十年単位で今後存続していくプロジェクトだと私は考えていますので、決して杞憂ではないと思っています。―sketch/ 2005年11月30日 (水) 15:15 (UTC)

前回の私の話の中身はSketchさんのまとめられたとおりです。そして先の反駁が、どちらも現状維持の点から問題がないなら自分達の意見を選ぶべきだと主張できることを表しているに過ぎない、という点にもある程度同意します。ただこれまでの議論に固定化 = 現状維持の主張が含まれていたので、それに対して一旦逆の見方を提示することも先の目的でした。

ただし下限のリンクと下限の固定化という二つの変更には相違点があることも無視すべきではありません。Gikiさんの言われた通りシステムは硬直化しやすいものです。だからこそ問題が起こったときのための柔軟さを考慮することが必要です。下限のリンクはその数字を客観的に決められない以上、変更するたびに話し合う必要があります。そのとき下限を上げることで問題が起こっていると感じている人間が多ければ引き上げ幅を小さくすることもそのときの数値で固定することも、さらに引き下げることも可能です。これらのいわば消極的な変更は難しいものとは言い切れないのではないでしょうか。他方で固定化した場合に問題が生じたならば、固定化した数値の変更という積極的な変更の動議を出し、議論し、決定せねばなりません。こちらは前者に比べれば難しいのではないでしょうか。私個人は規模から見た場合にあまりにも低い下限ぎりぎりの信任に正当性があるとは思えませんが、それを無視して発生するかもしれない問題への対応の柔軟性だけを考えてもリンクさせる方に利点があるように思われます。

ここで前回予告しておいたSketchさんの引き上げが多数派の野望を満たすとすることへの反論を。多数派は自派が望まない管理者候補に対して棄権を使わなくとも3/4で阻止ができます。確かに目立たない形で使えるかどうかの違いはありますが、多数派の野望は現状のシステムがそもそも阻止できない以上引き上げの際の問題点とするのには無理があります。尤もSketchさんの言いたかったことはあるかどうか分からない危険を想定することの無意味さでしょうが。

次に新しいSketchさんの危惧についてですが、一定の硬直性を持つ可能性は否定しませんがそれが深刻さを持つほどの硬直をもたらすとは私は思っていません。まず第一に以前信任されなかった候補の不満についてですが、立候補回数に制限がない以上今の方が有利と思うのなら今立候補すれば良いだけではないでしょうか。次に下限を下げようとする前には下限は現状維持されているはずです。ということは明示的ではなくてもある程度コミュニティの規模が減少傾向にあることは周知されているのではないでしょうか。つまり「下げる」の前には「上げない」という変更が規模の縮小をアナウンスすると。確かにこの場合でも「上げない」という変更がしにくければ意味はありません。ですが「上げない」というのは変更であって変更ではないわけですからそれほど異論が出るものでもないと思われます。まぁこの危惧はいつか起こるとは私も思っていますが先の話ですから今考えても実際どうなるかは分かるはずもないんですが。

ところでそもそもの話として私とSketchさんやGokiさんと間では下限で信任が否定される頻度の想定、つまり規模に対する下限の位置の認識に大きな違いがあるのではないかと思います。私は下限で引っかかるケースはよほどのことがない限りないと想定しています。これはそれだけ下限は低くあるということでもあります。ですが、Sketchさんの今回の危惧を見てもそうは思っておられないのではないかと感じました。コミュニティが変化するものである以上未来についての保証はできませんが、下限が低めに設定されつづけるのであればSketchさんの想定される危惧は小さいものとはならないでしょうか? そして数値については妥協が成り立ち得ないでしょうか?tanuki_Z(sysopは偉くない) 2005年12月3日 (土) 11:17 (UTC)

お返事が遅くなっていて申し訳ありません。
さて、Tanuki Zさんの4段落目ですが、私は立候補者自身に及ぼす影響より、投票者に及ぼす影響のほうが重要ではないかと思っています。ある人がいったん立候補し、最低得票数に足りず見送りとなった後、最低得票数が引き下げられて再立候補し、当選したとします。このとき、この人の管理者就任に異議を唱えていた方は「この人を当選させるために最低得票数引き下げのための工作が行われたのだ。ウィキペディアで議論を主導するグループが示し合わせて、この人の当選のために引き下げを行ったのだ」と邪推し、ウィキペディアそのものに不信感を抱く、といった可能性があります。このとき、実際に工作が行われたか否かではなくて、そのように思われるか否か、というのが管理の透明性を保つ上で重要になるでしょう。このような恣意的な運用が可能と思わせるシステムにするよりは、常に同一条件であるほうが、より公正さを主張できるのではないでしょうか。
私は、当初の投票時から、最低得票数の下限は設けるべきでない、と思っています。常に3/4の賛成、という一条件で判断するのがよい、と思っているのです。現在の10票という制度が固定化したとき、それを不適切だとするときが来たときに改正するほうがより大変である、とTanuki Zさんはおっしゃいますが、それならば、現在の10票の制限をも撤廃してしまったほうが簡単ではありませんか。それならば、最低得票数の議論に今後費やす人的リソースは0になります。執筆やウィキペディアの質の向上にかかわらない部分に費やす人的リソースは、少ないに越したことはありません。
また、最低得票数がつど適切に設定されるべきである、という考え方なのであれば、その議論が滞ったり、紛糾したりするときに不適切な条件設定による信任が行われる可能性がある、ということになります。常に固定しておけば、そういった事態は発生しえません。以上から、やはり私は最低得票数は変更しないほうが良い、できるならばこの制限は撤廃したほうが良い、という風に思っています。―sketch/ 2005年12月23日 (金) 12:59 (UTC)

投票[編集]

前回も投票で決めたんですから、今回も投票して決めればよいのでは?--Snow steed 2005年11月24日 (木) 15:34 (UTC)

最終的には投票になるだろう、と思います。ただ、投票前には論点を整理しておく必要があるので、現在のノートはその意味で役に立つだろうと思っています。―sketch/ 2005年11月24日 (木) 16:15 (UTC)
それ(「投票して決めればよい」)は今書くことでしょうか。--Goki 2005年11月24日 (木) 16:52 (UTC)
投票になるにしても議論を尽くしたあとでしょうが、議論を尽くしたとはいえない今提案するべきこととは私も思いません。tanuki_Z(sysopは偉くない) 2005年11月26日 (土) 09:19 (UTC)
これだけ議論してまだ足りないんですか? 端から見ていて時間とページと労力の無駄だと思います。--Snow steed 2005年11月26日 (土) 13:36 (UTC)

「はた」ですか。まあいいですけど。(別に今投票に移行するなという意味じゃなかったんだけど。)--Goki 2005年11月26日 (土) 13:53 (UTC)

投票で決めるほど議論が煮詰まっているようには見えないのですが、現時点でだれがどう考えているか、一度整理してみる値打ちはあるように思います。もし現状維持が多数なら、投票を急ぐ必要もないはずですし。というわけで「Vote」ではなく「Poll」としてご意見をお聞かせください。--miya 2005年12月24日 (土) 19:05 (UTC)
特定の選択肢に「現状維持」の語は与えられないと上で長々と述べているのにそれを無視されるのは特定の意図を持たないと分かっていてもあまり気持ちのいいものではありませんね。tanuki_Z(sysopは偉くない) 2005年12月26日 (月) 08:11 (UTC)
すみません、無視と言うより、特定の選択肢に「現状維持」の語は与えられないとおっしゃっていたとは、読解力不足で分かってませんでした。tanuki_Zさんの見解では「現状のシステム」は「下限をコミュニティの規模に合わせるシステム」で、この「問題のない現状」に「下限を固定する」という変更を加えるべきでないということでしょうか・・・。--miya 2005年12月30日 (金) 13:11 (UTC)

意見調査(Poll)[編集]

これは意見調査(Poll)です。決定のための正式投票(Vote)ではありません。 賛成できる選択肢に#~~~~で署名をお願いします(複数選択可)。ほかにも望ましい選択肢があれば追加してください。


「75%以上」のみ

(最低得票数は撤廃したほうが良い)

  1. Tamago915 2005年12月25日 (日) 02:33 (UTC)
  2. sketch/ 2005年12月30日 (金) 10:21 (UTC)
  3. miya 2005年12月30日 (金) 13:11 (UTC)


「10票以上かつ75%以上」

(最低得票数を現在の数値で固定)

  1. Taisyo 2005年12月25日 (日) 02:12 (UTC)
  2. Tamago915 2005年12月25日 (日) 02:33 (UTC)
  3. sketch/ 2005年12月30日 (金) 10:21 (UTC)
  4. miya 2005年12月30日 (金) 13:11 (UTC)
  5. Nya0211 2005年12月30日 (金) 13:37 (UTC)
  6. かえで 2006年5月8日 (月) 04:26 (UTC)
  7. Koba-chan 2006年5月12日 (金) 03:34 (UTC)


「15票以上かつ75%以上」にする

(最低得票数引き上げ・投票率据え置き・CheckUser係の1/2)

  1. Ghaz 2005年12月27日 (火) 17:48 (UTC)
  2. miya 2005年12月30日 (金) 13:11 (UTC)
  3. 雪風 2006年1月2日 (月) 13:21 (UTC)
  4. Snow steed 2006年1月4日 (水) 18:30 (UTC)
  5. Nukkie 2006年5月12日 (金) 08:31 (UTC)


「30票以上かつ75%以上」にする

(CheckUser係と同じにして基準を統一・簡略化する)

  1. Tanadesuka 2005年12月25日 (日) 00:23 (UTC)


「下限にコミュニティの規模を反映」かつ「75%以上」にする

最低得票数に規模を反映・投票率据え置き、具体的票数は保留

  1. tanuki_Z(sysopは偉くない) 2005年12月26日 (月) 08:11 (UTC)


「15票以上かつ66%以上」

(最低得票数引き上げ、最低得票率引き下げ)

  1. miya 2005年12月30日 (金) 13:11 (UTC)


「20票以上かつ66%以上」

(最低得票数引き上げ、最低得票率引き下げ)


「20票以上かつ75%以上」にする

(最低得票数引き上げ・投票率据え置き)

  1. 雪風 2006年1月2日 (月) 13:21 (UTC)
  2. 五寸法師 2006年1月4日 (水) 18:27 (UTC)


「25票以上かつ75%以上」にする

(最低得票数引き上げ・投票率据え置き)


「35票もしくはそれ以上」「かつ75%以上」にする

(最低得票数引き上げ・投票率据え置き)


「直近過去5人の管理人当選者の有効投票数平均の50%以上」「かつ75%以上」にする
「その他の案」

(あれば具体的な案を記入願います)

  1. 三菱善次郎 2006年7月23日 (日) 10:49 (UTC) 最低10票で、66%以上 かつ反対が20票未満、管理者は、3票とする