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Wikipedia:コメント依頼/Tokyokanagawachiba

Tokyokanagawachibaさんのこれまでの行為について、コメントを依頼します。--2011年6月8日 (水) 09:22 (UTC)

これまでの経緯

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Tokyokanagawachibaさんは、ユーロファイター タイフーンで、独自研究を含む問題ある記事へのリンクはWikipediaの三大方針に照らして問題であるとし、リンクの除去を繰り返し、ButuCCさんやLos688さんらの説得にも一向に考えを改める気配がありません。

参考リンク

Tokyokanagawachibaさんのコメント

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上記の「これまでの経緯」のような書き方自体、中立性に欠け、ButuCCさんやLos688さんらの説得とやらについても、その正当性を示す根拠が何ら示されておらず、当方の編集行為を一方的に悪者扱いされた上に妨害されて閉口しております。 ノート:ユーロファイター タイフーン内にある、「検証可能性の無い、独自研究のある、事典として質の低い記事へのリンクを残したがる理由」、というところに問答が記されておりますので、宜しく御吟味下さい。 Tokyokanagawachiba 2011年6月8日 (水) 10:15 (UTC)[返信]



別の人との、どこかのやりとりの一部を、論争の流れを無視して都合の良い部分を抜き書きして、適当に書かれても困ります。他の場所の他人の文章を利用せず、このページを見た人がわかる様に自分で論を組み立てて頂けると有り難いのですが。 他の見る人の面倒も考えた方が良いですよね。

また、礼儀を忘れないようにすべきであるなら、説教がましい言い方は不要です。 また改めて。

Tokyokanagawachiba 2011年6月9日 (木) 20:20 (UTC)[返信]


リンクしたい人たちが、記事を改善すれば問題を解決できる可能性が高くなるから、リンクした方がよい効果があると考えているとしても、その思考には根拠が存在せず、個人的に期待しているに過ぎないことであって、wikipediaの事典として最優先される信頼性を保つ点で全く意味が無く、信頼性保護を目的とし、wikipediaにとって最高規範となる三大方針との整合性がとれず合理性に欠けます。

言い換えれば、その種の思考は、閲覧者に誤情報を与える危険よりも、閲覧してくれた人が、誤情報を見つけ出し、修正してくれるという根拠のない期待をして、wikipediaの信頼性の確保を最大の目標とする三大方針よりも、欠陥可能性のある記事へのリンクを優先すると言う事であり、まともな修正をしてくれる人が出てくるまで、欠陥可能性のある記事はそのまま、だらだらとwikipedia記事として示され、リンクという形で他記事で紹介され続ける訳ですが、それは結果的に事典としての信頼性を犠牲にすると言う事ではないでしょうか。

既存の編集者の都合の良いことばかりを期待して、肝心のwikipediaや閲覧者の利益を考慮していないのではないでしょうか。 wikipediaの信頼性の確保を最大の目標とする三大方針は、そんなにも編集者本位で、甘くてゆるくて生ぬるい、いい加減なものだったのでしょうか。

これまで独自研究と検証可能性不備の記事へのリンク除去に反対する人は、「リンクの除去は排除にあたらない」とか、「ウィキペディアの記事は完璧でなくてもよい」とかいう言い方をしますが、それらは「欠陥記事への紹介」というwikipediaの信頼性確保に逆行する誤った行為を正当化する理屈にはなりませんし、「欠陥記事への紹介リンク削除」が間違った編集であるとの合理的根拠にはなりません。

それらの人たちは同時に、一般記事の文章を除去することが良くて、何故wikipediaの三大方針に反する記事へのリンクを除去するかについて合理的な説明が出来ないでいます。 「記事の修正が先だ」と、その種の人たちは言いますが、修正されるまでの間、その信頼性の無い記事が晒される点について、全く問題意識が無いのです。掲載される条件である、wikipedia三大方針の「検証可能性、中立性、非独自研究」に適合しない、記事として認められないものを記事としてリンクする合理的な説明が全く存在しません。

独自研究排除と検証可能性の完備は、「記事としての完璧さ」を意味するのではなく、ウィキペディアが掲載するべき記事として最低限備えるべき原則であって、完璧以前の問題です。 最低限備えるべき条件すらも備える事のできない書き込みを紹介する意味は無いと思いますが、いかがでしょうか。Tokyokanagawachiba 2011年6月11日 (土) 09:31 (UTC)[返信]



何が問題か、それはテンプレが張られていてもいなくても、記事において、各所の要点で検証可能性が無ければ、それはその時点で信頼性が無いと判断するべきではないのでしょうか。

例を挙げるまでも無いですが 、該当記事内において、「現在のF-X (第4次F-X」の「F-35」では 「アメリカ軍の調達価格でさえ当初予定の倍額の1機9,500万ドル(約86億円)に達する見通しとなっている。」とありますが、根拠が無いですよね。一目瞭然でダメでしょう。最高速度がマッハ1.7ともありますが、そもそもF35は開発中であって、最終的な速度性能は確定していない。目標数値なのか、実験機の数値なのか不明で、しかも数値自体に根拠が無く一般に言われている数字とも違います。 私がテンプレを貼った、「F-Xの現状と展望」においても要点のほとんどに根拠がありません。 確かに、削除依頼を出すのも一手ではありますが、ここではその前段階の措置としてリンク削除を議論しております。Tokyokanagawachiba 2011年6月11日 (土) 12:11 (UTC)[返信]



「リンク除去」の優先度

リンクを除去しようが欠陥記事そのものは維持される、だから欠陥記事をwikipediaの記事として紹介するリンクを維持したままで構わないと言うのは、文脈上、又は内容として合理的でしょうか。私は、それは非合理的と考えます。

そもそも記事間のリンクはwikipediaの記事として認められたものを紹介するために、別の記事との関連性により成されるものであって、そもそもwikipediaの三大方針に適合しないものが記事として認められることが、そもそも有り得ないことなのです。つまり、一旦記事としてリンクされたものであっても、閲覧者や別の編集者から問題を指摘され、いくつかの文章に留まらず、テンプレートを貼るまでに、大幅に問題を指摘されるような場合には、wikipediaの記事としての立場を一時停止するべきであり、問題が大幅に改善され記事として問題ないレベルになった後にリンクするべきなのです。

ある人は、リンクすれば編集してくれる閲覧者が出てくるかもしれない、と言いますが、まず第一に、wikipediaの信頼性を最優先に考えるべきなのは三大方針からして明らかなのであって、問題を認識した上で、しかも出典付きで記事を訂正してくれる編集者が出てきてくれるまでに、どれほどの一般閲覧者に、問題の指摘される情報を晒すかを考えれば、少なくとも他記事からの紹介リンクを外すくらいの事は、wikipediaの編集者として当然の責任なのではないでしょうか。

問題記事をリンクするなら、それを終えてからでも遅くはありません。何故、リンクを張り続ける必然性、妥当性、合理性があるのか、これまでの議論で示し得た人は一人もいません。 wikipediaとして記事として認められないものを他記事からリンクし閲覧者に紹介することは責任ある健全な編集態度とは思えません。



私は、一貫としてwikipediaの信頼性の確保と、信頼性維持の為に存在するwikipedia三大方針と欠陥記事掲載の整合性、他記事からのリンクの合理性、妥当性を問題にしています。 「礼儀正しい」など一度として問題とした事はありません。

Wikipedia:原典のコピーはしないは文章表現に関することで、内容について論じたものではありません。従って、検証可能性と拮抗するものではありません。検証可能性維持と著作権保護は完璧に両立するものです。

このページでも他のページでも書きましたが、wikipedia三大方針とWikipedia:記事どうしをつなぐではWikipediaの規範としてのレベルが根本的に異なります。Wikipedia:記事どうしをつなぐの対象となる記事とは、言うまでも無くWikipediaの信頼性を維持できる、wikipedia三大方針に適合したものであって、検証可能性もない、独自研究もある、中立性にも欠けるようなものは対象ではありません。 そういうものは、そもそも他の記事とリンクする対象ではありません。 対象とするなら、その根拠を示してください。

リンク中心主義の人たちは、wikipedia三大方針に適合しない、そもそもwikipediaの記事とは認められないものでも、リンクしたままで欠陥部位を修正すれば良いと言いますが、誰かがそれを修正するまでに不特定多数の閲覧者に無差別、無条件に欠陥記事が曝け出され、閲覧者が欠陥記事の誤った偏向した記事を読まされること、wikipediaが、その度にその信用性を低下する点について、故意に無視しているのではないでしょうか。これまでリンク中心主義の人たちは、一言もその点について言及したことがありません。

その人たちは、閲覧者からwikipedia三大方針に違反する記事の問題点を指摘された時に、 「じゃあ、あなた自身で修正するか要出典でも付けてください、誰かが修正するまで気長に待って下さい、wikipediaの信頼性など知りません。wikipediaなど、所詮そんなもんです。」と言うつもりなのでしょうか。そういう姿勢が健全でしょうか。

「他のガイドラインや利用者同士での合意によって覆されるものではありません」の解釈について、この「他のガイドラインや利用者同士での合意によって覆されるものではありません」は、Wikipedia:検証可能性のページに出てくる文章ですが、それはまず、wikipediaが百科事典として何よりも重要なのは「信頼性」であって、それを維持する為のwikipedia三大方針が、wikipediaにおいて至上の最高規範であるという事を意味し、wikipediaの信頼性を覆すものは、例えばWikipedia:記事どうしをつなぐといったガイドラインを口実に欠陥記事を閲覧者に紹介し読者やwikipediaへの欠陥記事の害を及ばせる事が無い様に防止すると同時に明確にする為の文章です。

いかなる方針やガイドラインを以ってしても、至上命題である「信頼性維持」の為のwikipedia三大方針に違反するような記事をのさばらせるべきでは無いという意味です。

欠陥記事をリンクして閲覧者に紹介すること自体がwikipediaの信頼性を損ない、wikipedia三大方針に反するのですから、当然です。Wikipedia:記事どうしをつなぐがwikipedia三大方針に優先する根拠も道理も存在しません。何故ならリンクなどでwikipediaの信頼性を維持する事など出来ないからです。

なお、最高原則はWikipedia:五本の柱だとする人がいますが、wikipedia三大方針がWikipedia:五本の柱の中核である事は明白です。 --Tokyokanagawachiba 2011年6月21日 (火) 17:29 (UTC)[返信]




Wikipedia:検証可能性には、「ウィキペディアに執筆してよいかどうかの基準は「真実であるかどうか」ではなく、「検証可能かどうか」です。」と明記してありますが、ユーロファイタータイフーン記事の中にあった、

「2004年5月24日付けのロンドン・イブニング・スタンダードに飛行制限問題が掲載され、コンピューター及びディスプレイの問題で悪天候時の高機動運動が危険であると報じられたが、情報源の問題から記事の信頼性について疑問視する見方も有る」 

というような文章が、該当記事へのリンクもせずに文章で載せているだけで「検証可能」と言えるのか、ちょっと考えれば誰でも判ります。しかも、その文章自体が、「情報源の問題から記事の信頼性について疑問視する見方も有る」と情報の不確実性を示唆しています。こんなものに信頼性があると言えるのでしょうか。百科事典であるwikipediaに載せる価値があるのでしょうか。 無いですよ。 --Tokyokanagawachiba 2011年6月21日 (火) 20:01 (UTC)[返信]



結局、本論についての議論を諦めた人たちの感情的な議論のすり替えで終わるということですかね。 なお、何月何日の新聞記事そのものを客観的に検証出来なければ「検証可能性無し」と言うべきことは、簡単に判ります。--Tokyokanagawachiba 2011年6月22日 (水) 14:39 (UTC)[返信]


そのうち、真面目にお返事するので、しばしお待ちください。 --Tokyokanagawachiba 2011年6月22日 (水) 21:30 (UTC)[返信]



さて、履歴ページの文章は、内容も含めて真実ですが、議論は、履歴ではなく、このページに掲載しているものにてするのが「常識」ではないでしょうか。

また、私が「F-X (航空自衛隊)#現在のF-X (第4次F-X)の記事がリンク先として不適切なほどに酷い記事」などとした事実は全くありません。 捏造は止めるべきではないでしょうか。編集者以前の問題として、どうかと思います。

私はwikipediaの三大原則と、その目的としているwikipediaの信頼性確保を基準に論じているのであって、感情的な捏造や履歴の揚げ足取り、そして感想などではありません。

「年月日が明示されている新聞記事を検証できないってどういうことか」について、Wikipedia:検証可能性では、

「ウィキペディアに執筆してよいかどうかの基準は「真実であるかどうか」ではなく「検証可能かどうか」です。つまり、私たちがウィキペディアで提供するのは、信頼できるソース(情報源)を参照することにより「検証できる」内容だけだということです。このことをウィキペディアでは検証可能性と呼んでいます。」とあり、

「ウィキペディア日本語版では、可能な限り日本語による情報源を示すべきであり、常に日本語による情報源を日本語以外の言語による情報源より優先して使用するべきです。これは、情報源の資料が正しく使用されたことを、日本語版の読者が容易に検証できるようにするためです。」と、なっています。

そして、Wikipedia:信頼できる情報源の「日本語以外の言語で書かれた情報源」では、 「記事の中で非日本語の情報源を自身で日本語に翻訳したものを引用する場合、外国語による原文の引用を明確にするようにし、読者が元の情報源が何を語っているのかと翻訳の正確さを確認できるようにすべきです。 」 とあります。

該当する文章は素人の解釈で、検証するための英文も載せていないばかりか、記事名も欠如し、Wikipedia:に掲載されたものが、どの記事なのか明確に判りにくく、検証可能性を備えているとは言い難いですね。

タイフーンの記事については、ここの議題の「欠陥記事へのリンク削除」問題では無いので、あちらに書いてください。--Tokyokanagawachiba 2011年6月23日 (木) 17:04 (UTC)[返信]



あれは暴言行為ではなく、真実です。 事実である無礼な行為を反省せず、履歴ページの他人の文章の揚げ足取りをして勝手に本題とは無関係に批判に利用する人が多いのに驚きます。自分の無礼を省みずに他人に礼儀を要求する人、世に言う、「他人に厳しく、自分に甘い人」が世間には多いですが、全くその通りです。

そういう人がいるのは折込み済みで、そんな輩を相手にするのも、「あれ」なので、履歴文中に捨てておいてやったまでのことを、本論とは無関係に、他人が勝手に、このページに持ち出している行為の責任など負う積りは全くありません。

私は真実を一旦書きましたが、相手が気の毒なので、このページから消して捨ててやったのであって、勝手に持ち出して鬼の首でも取ったかのように「大喜び」しているのは、文字通り、赤の他人なのです。


さて、本題に入りますが、私の疑問に効果的に答えてくださっているものがありましたでしょうか。私の文章が結果的に繰り返しのような状態になっているのは、そもそも私の疑問に効果的に答えているものが無く、繰り返さざるを得ないものしかないからではないでしょうか。

私も同じ事を繰り返すのはうんざりですしてますので、簡単にすることにしましょう。 私の主張と、その根拠は至って簡単です。

私の主張は、

①Wikipediaの信頼性の確保、それを目的とする三大方針に基づいた編集行為の正当化。

[①-2〕広範囲に独自研究、検証可能性不備を指摘される欠陥記事へのリンク削除は、正当にして妥当な編集行為。

Wikipedia:記事どうしをつなぐの対象は、Wikipedia三大方針に適合したWikipediaとして記事と認められるもののみ。

③欠陥記事の修正作業には、Wikipedia三大方針に基づいて欠陥記事の修正をする人が必要で、いつ出てくるか不明。いつ修正されるか不明な欠陥記事が、修正されるまでに、不特定多数の閲覧者に対し、記事と認められない欠陥記事を、リンクにて紹介され続け、欠陥のある情報をWikipediaとして提供し続けることの問題性が継続するので欠陥記事へのリンク継続は妥当ではない。


根拠

私の編集行為は以下のものに基づいています。

Wikipedia三大方針であるWikipedia:検証可能性Wikipedia:独自研究は載せないWikipedia:中立的な観点Wikipedia:編集方針


Wikipedia:検証可能性

4-1:ウィキペディアに掲載される情報は信頼できるものでなければいけません。

4-2:あらかじめ信頼できる情報源から公表、出版されている事実、視点、理論及び議論だけを収録してください。

4-3:記事は可能なかぎり情報源を明記すべきです。

4-4:情報源が明らかでない内容は、異議を述べて取り除くことができます

4-5:ウィキペディアに執筆してよいかどうかの基準は「真実であるかどうか」ではなく「検証可能かどうか」です。

4-6:三方針は議論の余地がないものであり、他のガイドラインや利用者同士での合意によって覆されるものではありません。

4-7:出典を示す責任は、ある編集を行った執筆者、またはその編集を残すことを希望する執筆者にあります。

4-8:執筆者は出典を明記すべきです。定評のある情報源がない場合、その話題に関する記事はウィキペディアで立てるべきではありません。


Wikipedia:独自研究は載せない

5-1:信頼でき、かつ評判の良い情報を閲覧者に提供することは、ウィキペディアの義務です。ウィキペディアの編集者は、信頼できるか、または評判の良い情報源のみに依拠することで、この義務を果たすことができます/(なぜ独自研究を排除するのか)より

Wikipedia:中立的な観点

すべての記事は特定の観点に偏らずあらゆる観点からの描写を平等に扱い、中立的な観点に沿って書かれていなければならない

その他

Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか

「方針の原理原則を損なうことをしないでください」(「ウィキペディアは規則主義ではありません」より)


また、リンク除去の前提となる欠陥記事がなんたるかについては、記事全般に検証可能性不備や独自研究疑惑のテンプレートが貼られ、文章中にも要出典が付加されていれば、閲覧者にWikipedia記事への不信感を抱かせるに十分で、それを欠陥記事と判断するのは一般通念上、当然です。



無条件、無秩序にリンクしたい人達の基本的な主張と根拠

⑩「欠陥記事へのリンク」の削除よりも、欠陥記事の修正作業を第一とするべきで、リンク削除に反対であると同時に、「欠陥記事へのリンク」の削除行為は妨害する。

⑪「欠陥記事へのリンク」の削除は、欠陥記事の孤立化を促し問題の解決にならない。

⑬問題記述を除去すれば、つまり「欠陥のない記事」へと修正すれば、自ずとリンクを除去する必要も無くなり、「リンク」の方針に違反することもありません。

Wikipedia:記事どうしをつなぐはスタイルに関することで、内容について論じたものではありません。従って、検証可能性と拮抗するものではありません。検証可能性維持と記事のスタイルは完璧に両立するもの

⑮三大方針がWikipediaにとって重要であること(X)」と「三大方針に反すればリンクを外してもよいこと(Y)」は全く別の事象

⑯Wikipedia:記事どうしをつなぐを内容について論じたもの、検証可能性維持といったCategory:記事内容のルールであると考えているならば、そのような考え方は金輪際捨てて下さい。

⑰「三大方針に反すればリンクを外してもよいこと」という貴方独自の発想はこの誤解に由来するものです。

⑱「リンクがあっても三大方針を無視することにはならない(両立できる)」

⑲その『前提』が成り立つ根拠がそもそも存在しないと考えています。


⑫根拠:Wikipedia:記事どうしをつなぐ



無条件、無秩序にリンクしたい人達の主張についての疑問、質問。

⑬について、

質問⑬-1:三大方針に適合しない欠陥記事は上記④、⑤により、そもそもWikipediaの記事と認められず、「リンク」の方針の対象ではないのではないですか。

質問⑬-2:対象とするなら、その根拠を示してください。

⑭について、

質問⑭-1:Wikipedia:記事どうしをつなぐが結果的にWikipediaの信頼性、三大方針、閲覧者の利益に関わる場合には、最高規範である三大方針に則ってWikipedia:記事どうしをつなぐがなされるべきではないのですか。

質問⑭-2:「スタイルに関すること」だから「内容」を理由とする編集行為を妨害できる根拠は何ですか。

質問⑭-3:欠陥記事の内容を修正するべきと思うなら、そう思う人間が、上記4-7に基づきするべきではないですか。

⑮について

質問⑮-1:三大方針に反する記事へのリンクを外していけない根拠は何か。

質問⑮-2:三大方針に反する記事へのリンクを維持し続けなくてはならない根拠は何ですか。


⑯について、

16-1:そもそも⑯と考える根拠は何ですか。

16-2:「記事どうしをつなぐ方針」は、上記の 5-1 に基づき、「信頼でき、かつ評判の良い情報を閲覧者に提供することは、ウィキペディアの義務」であることを踏まえて行うべきで、記事内容については無関係とするのは間違いではないのか。

⑰について、

17-1:上記の 5-1 にある、「信頼でき、かつ評判の良い情報を閲覧者に提供することは、ウィキペディアの義務」であれば、Wikipediaの信頼性を損ない、三大方針に反するものへのリンクを削除する行為は正当な編集行為ではないのですか。

17-2:17-1について、正当な編集行為でないとするなら、その根拠を示してください。

⑱について、

18-1:重要なのはリンクよりもリンクする対象ではないのですか。

18-2:三大方針に適合しないものをリンクするのは、上記の 5-1、「信頼でき、かつ評判の良い情報を閲覧者に提供することは、ウィキペディアの義務」に反するのではないですか。

18-3:「リンクがあっても三大方針を無視することにはならない(両立できる)」根拠は何ですか。

⑲について、

⑲-1:記事全般に検証可能性不備や独自研究疑惑のテンプレートが貼られ、文章中にも要出典が付加されていれば欠陥と判断するに十分ではないのですか。

その他

1:リンクを張り続ける必然性、妥当性、合理性があるのか、これまでの議論で示し得た人は誰ですか。どの書き込みですか。

2:リンクを削除しても欠陥記事の修正は可能で、修正後にリンクを張っても問題ないのではないですか。 --Tokyokanagawachiba 2011年6月23日 (木) 17:49 (UTC)[返信]



さて、余計なものは省く事として、 ([①-2〕、② 、③ ) について、 ②は④、⑤、⑥に基づきWikipediaの記事とは認められないものであると同時に拒否すべきものであるので、当然ではないでしょうか。④、⑤、⑥には「載せない」「ウィキペディアに掲載される情報は信頼できるものでなければいけません。」等と、厳格に規定されていることから明確にわかるでしょう。

従って、本来、掲載拒否されるべきものである、Wikipedia三大方針④、⑤、⑥に適合しない記事へ閲覧者を導くリンクの必要は無く、[①-2〕「広範囲に独自研究、検証可能性不備を指摘される欠陥記事へのリンク削除は、正当にして妥当な編集行為である。」が導き出されるのは、一般通念上、合理的で自然なことです。ごく普通の編集作業に他なりません。

なお、④、⑤、⑥ について、 そもそも、これらは私の主張の根拠として示しているものであって、他人に同意を求めているものではありません。

-- 質問

⑬-1、⑬-2について、

⑬-3:記事として単に「完成・完結したものはない」と言うのは、記事のテーマに関する情報が中途であると言う事であり、Wikipedia三大方針④、⑤、⑥に反している、「欠陥」とは区別するべきではないですか?

⑬-4:④、⑤、⑥違反の欠陥記事について、Wikipediaに「改善待ち」を理由とする、「欠陥記事又は欠陥記事へのリンク」を維持すべき「規定」は存在しないのではないですか?

⑬-5:記事の各所に④、⑤、⑥いずれかの違反のテンプレが長期間存在する事自体、Wikipedia三大方針④、⑤、⑥に適合しない、欠陥記事であることが一目瞭然なのではないか?そもそも掲載時点で記事の各要点に出典明示が無い事自体がおかしいですよね。

⑬-6:「「Wikipediaの記事と認められない」記事と「欠陥記事」はイコールではない」について、個々の定義と、その根拠を示してください。

⑭-1 : について、

⑭-5:Wikipediaが信頼性に欠ける記事へ閲覧者を導くことが、「結果的にWikipediaの信頼性、三大方針、閲覧者の利益に関わる」ことが無いと、あなたは考えているんですか?

⑭-6:Wikipediaの信頼性に欠ける記事を見ることで閲覧者が被る被害が無い、という根拠を示してください。

⑭-7:信頼性に欠ける記事を閲覧者に見せる事でWikipediaの、「自称百科事典としての信頼性」が損なわれないとする根拠を示してください。

20:「Wikipediaの信頼性の確保を目的とする三大方針に基づく」とは、記事の改善と同時に、④、⑤、⑥に適合しないものを載せないこと、つまり、それらの掲載を拒否する事を意味するのではないか?

21:Wikipedia三大方針④、⑤、⑥の趣旨からすれば、現存する欠陥記事は、「削除猶予中、又は、削除依頼待ち」なのではないですか?

22:本来、掲載を拒否すべき、「Wikipedia三大方針④、⑤、⑥」に適合しないものを、他記事からリンクし、Wikipedia記事として「閲覧者に紹介」するというような、Wikipediaにとっての自己矛盾を放置するのは間違っているのではないですか。

23:リンクが削除され、欠陥記事が孤立化しても、削除猶予中に改善し、まともなWikipedia記事として復活し、リンクさせられる機会と可能性は残されており、その方が、Wikipedia三大方針④、⑤、⑥の趣旨に沿っているのではないですか?

25: 編集上の合理性の議論は、当然の事ながら、コミュニティの多数決ではなく、文字通り、合理性の問題なのでは?

25:結論から言ってWikipedia三大方針である④、⑤、⑥に適合しない、改善の見込みの無い欠陥記事であることは、記事中の三大方針違反のテンプレートの多さ、貼られている期間の長さ等で判断可能であり、その欠陥記事へのリンクが削除されたとしても当然ではないんですか? --Tokyokanagawachiba 2011年6月28日 (火) 03:59 (UTC)[返信]

コメント

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  • まあ、まず言えることは、除去されようとしているリンクが、例えば「僕の考えた戦闘機」というような記事へのものであれば、Tokyokanagawachiba さんがしようとしていることに、誰も反対はしないでしょう。そういう意味では、Tokyokanagawachiba さんの主張は一概に不適切なものといえません。だからこそ、Tokyokanagawachiba さんも反論に納得することができないのでしょう。しかし、今回の議論はそう単純なものではないようです。
  • Tokyokanagawachiba さんによれば、論点は「「Wikipediaの信頼性を損なう書き込み」を記事として存続させる事、そして他記事からリンクを張ることの妥当性を問う」(2011年6月6日 (月) 15:09 (UTC))とのことですが、実際にはそうではないでしょう。なぜならば、Tokyokanagawachiba さんの主張には、前提として「リンク先がリンクされる対象として不適切であること」が含まれています。この前提においてのみ、Tokyokanagawachiba さんの論旨は正しいと主張することができるでしょう。リンク除去に反対の人たちは、その前提がおかしいということを主張したいのであって、その前提に基づいた論旨そのものに反駁しようとしているわけではないのでしょう。それは、冒頭の例示から明らかであると考えます。つまりリンク除去に反対する人たちは、「「Wikipediaの信頼性を損なう書き込み」を記事として存続させる事」、あるいは「(「Wikipediaの信頼性を損なう書き込み」に対して)他記事からリンクを張ること」を認めさせようとしているわけではありません。そのような食い違いがあるため、議論がかみ合わず、どちらにとっても「論点のすり替え」であると感じられているのではないかと思います。
  • ですから、(1) Tokyokanagawachiba さんは「リンク先がリンクされる対象として不適切であること」を主張すべきですし、(2) 反対の人たちは、「リンク先がリンクされる対象として適切であること」を主張すべきです。1 については、リンク先がリンクされる対象として不適切でないのに、「不適切な記事へリンクはしないべき」という主張をすることの無意味さを考えれば自明と考えます。2 については、すでに ButuCC さんのコメントに一部含まれていますから、見返してみてはいかがでしょうか。--Calvero 2011年6月8日 (水) 12:26 (UTC) 少し修整 --Calvero 2011年6月8日 (水) 13:22 (UTC)[返信]
    • Tokyokanagawachiba さんによる「リンク先がリンクされる対象として不適切であること」の根拠は「検証可能性の無い、独自研究のある、事典として質の低い記事」であるからということですか。その点について、もう少し書いてみます。--Calvero 2011年6月8日 (水) 12:34 (UTC)[返信]
    • ええと、そうですね。まず Tokyokanagawachiba さんは、リンク先について、どの部分について検証可能性がなくて、どの部分が独自研究であり、どの部分が品質を低下させているのか、具体的に指摘したほうがよいでしょう。そうしなければ、リンク先として不適切であることを明確にできませんし、適切であるという反論の余地がないからです。まさかテンプレートが貼られていることのみをもって、不適切であるとおっしゃっているわけでもないでしょう。また、そうすることによってリンクの是非が議論できるようになるとともに、仮に不適切であると結論されても、リンクしたい人たちは、記事を改善することによって問題を解決できる可能性が高くなりますので、副次的にもよい効果があるといえます。リンク先を編集したくない(する必要を感じていない) Tokyokanagawachiba さんにとっても、その点は回避できるので問題はないところではないでしょうか。
    • あと単なる感想なので聞き流してくださっても結構ですが、一般的な話として、ある論争を解決するために自分が提示した以外の方法が与えられたとき、それが著しく困難であるとか不可能であるとかいう場合はともかくとして、いたずらにそれを忌避することは、あまり建設的でないように思われます。それから、芸術にしても学術にしても、発表したときに完全無欠なものはそうはなく、衆目にさらされることによって否定的なものを含めて意見をあつめ、改善・改良にむかうこともあるはずです。ですからウィキペディアにおいても、誰でも参加できるという性質を考えれば、瑕疵があるからといって注目の機会を奪い一部の好事家のみに編集を委ねる必要はなく、さまざまな人の目に触れさせることによって向上の可能性を高めるべきではないでしょうか。誤った情報を広めてしまうという危惧もありえるでしょうが、免責事項も一応ありますし、利益のほうが大きいと、私には思われます。--Calvero 2011年6月8日 (水) 13:19 (UTC) 方針の文言のみに依拠した議論ではないようなので、正当性のある主張と考え直し、冒頭部を取り除きます。--Calvero 2011年6月9日 (木) 15:26 (UTC)[返信]
  • 別の観点からもコメントしてみます。
    • 信用性の無い情報を世間に晒して編集者として何にも感じないのでしょうか」2011年6月8日 (水) 07:54 (UTC) - すると「紹介するリンクを削除する事は当然の事」となるのでしょうが、既に指摘されているように、リンク先記事を放置することについては、何も感じないのでしょうか。そうでもないようで、
    • 「だったら削除依頼を提出し、そこで審議してください。 」としているので、検討しましょう」2011年6月8日 (水) 07:54 (UTC) - これは検討しなくてよいです。Wikipedia:削除の方針 によれば、独自研究などは、「削除」の対象ではありません。編集で対応してください(項目全体がそうである場合を除きます)。
    • そもそも三大方針に反する書き込みは記事とは認められない」2011年6月8日 (水) 07:54 (UTC) - いまひとつ明らかでないようです。すべての記述が方針に反するものである場合なのか、方針に反する記述を一部含む項目も指すのか。翻って、一部の不適切な情報を隠すために、多くの適切な情報を得る機会をも奪うのが適切であるのか。根本的な問題ではないのかもしれませんが。医薬品には必ず副作用がありますが、益のほうが大きいと判断されれば投与されます。
    • ダメな書き込みを紹介する意味はありません」2011年6月8日 (水) 07:54 (UTC) - 同上です。リンクすることが「ダメな書き込みを紹介する」ことのみを目的としているのか。
    • ~孤立して当然なのです~有害無益です」2011年6月8日 (水) 07:54 (UTC) - はたしてそうでしょうか。閲覧者は、常に編集者に転じる可能性を持っています。出典の無い記述に出典を加えるのは、その記述をした人に限りません。もっとも、そのような可能性は無視できるほど低い、あるいは出典を明示する責任は記載を希望する者にあって閲覧者には無い、というような反論は可能でしょう。
    • 信頼性こそ最優先事項でリンクなど二の次のものに過ぎないのです」2011年6月8日 (水) 07:54 (UTC) - 言おうとしている主旨(信頼性の担保による利益に対するリンクすることの利益の少なさ)とはズレますが、ではなぜリンクを除去することにこだわり、根本的に信頼性を回復する作業を行おうとしないのか。言葉の綾なのか。「その問題記事を編集しなくてはならないと言う事はありません」という主張と矛盾するのではないでしょうか。
    • 三大方針に「リンクを除去しろとは書いていない」からと言って~」2011年6月8日 (水) 07:54 (UTC) - 方針の文面だけにこだわらず、その精神を理解せよという主張と解されます。方針の文面に明示されていないことを議論する以上、妥当といえます。しかし、だからといって自分の解釈が必ずしも正しいということにはなりません。
    • ~リンクを張ることは~否定する行為そのもの」2011年6月8日 (水) 07:54 (UTC) - ひまひとつ明らかでないです。既に指摘されていることですが、リンク先は問題のあることを掲示するテンプレートが貼付されている状態であるのに、独自研究であることを認容すると判定されるのはなぜでしょうか。
    • ~論理的かつ客観的に正しい~リンクを削除する事は当然にして正当な編集行為です」2011年6月8日 (水) 07:54 (UTC) - 前半の主張は正しいとしても、後半の結論には繋がりません。「三大方針の指示など必要することなく正しい行為です」の根拠や論理的な説明は示されていません。
    • それを排除する事がwikipediaと方針を守ることになるのです」2011年6月8日 (水) 07:54 (UTC) - リンクの除去は排除にあたらないと反論されています。
    • 正常な社会の常識は、欠陥品を世に出さないことにあります」2011年6月8日 (水) 07:54 (UTC) - ウィキペディアの記事は完璧でなくてもよいのです。方針に反する場合は除外されますが、一般的な認識としては考え直すべきでしょう。
    • 記事内容が検証可能性・独自研究は載せないに反する場合にやるべきことは、関連記事のリンク除去ではなく問題記述の除去です 」2011年6月7日 (火) 15:43 (UTC) -「それではwikipediaの信頼性とwikipedia自身の三大方針を守れません」2011年6月8日 (水) 07:54 (UTC) - これはおかしいのではないでしょうか。問題記述が除去されれば、方針を守った状態になります。意図は違うのでしょうが、失言だったのではないでしょうか。
    • 「載せてはいけない」という根拠がある」2011年6月8日 (水) 07:54 (UTC) - 方針に基づく根拠ではないことが指摘されています。リンク・紹介は載せると同義なのか。方針の精神を解釈することによって正当とみなされるのか。
    • 適合するまで、世に示すべきでなく」2011年6月8日 (水) 07:54 (UTC) - リンクの除去によって「世に示されていない」状態にはなりません。不適切な論理でしょう。既に同じようなやり取りがされています。
    • 現段階で既に長期間、Wikipedia三大方針に反するものとなっている」2011年6月8日 (水) 07:54 (UTC) - 疑いがもたれている状態に過ぎないのではないですか。そもそも、「具体的にどの記述が問題あると考えているのかコメントを頂いていません」「欠陥記事判定してることしか判りません」2011年6月7日 (火) 15:43 (UTC) - には答えられていないように見受けられます。テンプレートが貼られていれば「それだけで閲覧者の信用を失わせるに十分です」ということでしょうか。
    • 最優先すべきことです」2011年6月8日 (水) 07:54 (UTC) - そうではないと反論されています。根拠がありません。そして、
    • 編集者はWikipediaの信頼性確保の為に最善の事を成すべきであり」2011年6月8日 (水) 07:54 (UTC) - リンクの除去が「最善の事」なのか。既に「リンク先の問題よりも具体的にF-X_(航空自衛隊)を改善する行動をとるべきでしょう」2011年6月6日 (月) 09:35 (UTC) と指摘されていますが、これに対する答は「私がwikipediaの記事とは認められない欠陥ある「F-X (航空自衛隊)」を構ってやる義務などはありません」「その問題記事を編集しなくてはならないと言う事はありません」、だから「もっとも簡単かつ迅速に出来る」作業をしているに過ぎないのではないでしょうか。この部分は必要の無い言葉だったでしょう。
    • 私には私の考えに沿って編集作業をする権利と資格がある。それを邪魔する資格や権利はあなたには無い。あなたの考えを押し付けるのは止めてください」2011年6月8日 (水) 07:54 (UTC) - 被依頼者自身の行動についてはどうなのか。他者がその「権利と資格」に基づいてリンクを追加する編集を行っているのに、それを除去することは「あなたの考えを押し付け」て「それを邪魔する」ことではないのでしょうか。このような主張の仕方は適切ではないでしょう。
  • 細かく見ればほかにもまだあるでしょうけどこのへんで。あと、必要以上に一方的・断定的な口調は慎んだほうがよいでしょう。礼儀を忘れないようにすべきです。--Calvero 2011年6月9日 (木) 15:26 (UTC)[返信]
  • おたずねするがTokyokanagawachiba氏は再三除去を繰り返すF-X (航空自衛隊)の何が問題と認識していますか? 「一から十までダメだ」というのであれば削除依頼にかければよろしい。そちらでの議論が記事を残すか消すか決めるでしょう。「部分的にこの節がダメだ」というのであれば、リンクを外すようなものではない。全体としては記事の内容に信頼性がおけるのだから、抱える部分的な欠陥を直せばいい。他の人が書いているのはそういうことだと思う。またダメな節が広範囲だというなら、そこをコメントアウトした上でノートでの議論を呼びかけるくらいの荒療治は認められるでしょう。「削除依頼」か「コメントアウト」か? Tokyokanagawachiba氏は最低そのくらいのことはするべきと思う。ダメと指摘するTokyokanagawachiba氏にはダメな部分を特定して示す責任はある。何よりF-Xの候補にタイフーンやF-35があがっているのは事実だからリンクを除去するのはやはり不適切でしょう。F-X (航空自衛隊)に貼られている「独自研究」だの「未検証」だののテンプレは出典を伴う記述を節内に含むほど範囲を広く取り過ぎてて、そっちの方が問題が大きいように思える。正直あれはどうにかして、本当に検証や出典の必要な文節を絞った方がいいでしょうね。--220.105.94.64 2011年6月11日 (土) 11:50 (UTC)[返信]

コメント - ご無沙汰してます。自身が多忙なのと、当事者という立場上からしばらく静観しておりましたが、結果的にTokyokanagawachibaさんが問題記述の具体的指摘を行なわれるようになりましたので、とりあえずは当初の「リンクの除去だけ」という状態から脱却したと思います。このコメント依頼について、その点のみを議論するものならば、一定の解決へと向かっていると思います。

Tokyokanagawachibaさんはノートでのコメントでリンク除去の理由とされている三大方針(特にWP:VWP:NOR)について力説されることが多いのですが、もしかしてTokyokanagawachibaさんは「(私含め)リンク除去に反対してる人はこれら三大方針を軽視している」というようにお考えなのかなぁと思いました。まずハッキリさせたいことですが、そのようなことは(少なくとも自分は)一切ないです。タイフーンのノートにおける「2011年6月8日 (水) 07:54 (UTC)」時のコメントでもメディア企業とか社会の常識とか例示も交えて力説されてますが、言われずとも承知しておりますし、少なくともその根本についてはTokyokanagawachibaさんの意見に同意ですので、心配されなくても結構です。このコメント依頼の通り、今回問題となったのはリンクという手法の問題であって、三大方針の精神についてまで互いに交錯している状態ではないと認識しています。

従って、Tokyokanagawachibaさんが行った出展要請(差分)は至極正当なものであると考えています(指摘部分は脚注のない記述ですし、それがその分野において「当たり前」であっても出典を不必要とすることはできません)。仮に既にある参考文献で説明できるとしても脚注形式で指摘すべきですし、それ以外の反論があるとすれば当然出典掲示と同様“残す側”がノート等で異論を出すべきです(もちろん出展要請側が提議してもいいです)。その後ある程度待っても出典の掲示、少なくとも出展要請に対するリアクションが全くないのであれば、TokyokanagawachibaさんがWP:Vに従って記述を除去しても何も咎められないでしょう。もちろん、出典付きで復活させる事は出来ますが。

しかし、このコメント依頼は「Tokyokanagawachibaさんのこれまでの行為について」コメントする場です。よって、前述した行為については適切としても、Tokyokanagawachibaさんに全く非がないとは言えない事を申し添えておきます。

  • 第一に「リンク除去」の優先度です(今回最大の争点)。
前述の通り、TokyokanagawachibaさんはF-X (航空自衛隊)について具体的な問題点を指摘し、出展要請を行なってくれました。よって、繰り返しますがその問題記述について変化がなければ、Tokyokanagawachibaさんはその問題記述を除去することが出来ます。そして、Tokyokanagawachibaさんが問題視している部分をF-X (航空自衛隊)から排除することで、記事の欠陥部分が是正され、正常化されます。そうすると、リンク除去は最早必要な作業でしょうか?
三大方針に則り問題記述を除去すれば、つまり「欠陥のない記事」へと修正すれば、自ずとリンクを除去する必要も無くなり、「リンク」の方針に違反することもありません。逆にいえば、欠陥記事を閲覧者に案内すべきでないと「リンク」の方針に背いてまで「三大方針」を遵守するためにリンクを除去するとしても、欠陥記事がある状態そのものがまず「三大方針」を違反し、信頼を損ねる状態にあるわけです。よって、「三大方針」が完全に守られている状態とは即ち「欠陥記事ではない状態」であり、それならば「リンク」の方針も破る必要がない、一方で「リンク」の方針に反する処置を施す必要がある場合は少なからず「三大方針」にそぐわない問題点が残っているわけです。「三大方針」が適切な状態では「リンク」の方針も適切になる、「三大方針」が不適切な状態では「リンク」の方針も不適切になるというわけで、どちらか一方が「違反」する状態はあり得ないわけです。程度の差こそあるかもしれませんが、文字通り「程度問題」であり、完全な対処法ではない以上特に有効な方法とは思いません。それよりも、TokyokanagawachibaさんがF-X (航空自衛隊)について具体的な問題提起をされた今回の方がよほど建設的だと思います。
  • 第二に「他のガイドラインや利用者同士での合意によって覆されるものではありません」の解釈です。
これについてTokyokanagawachibaさんが主張したいのは『「リンクの方針に合致している」「礼儀正しい」から、「中立的でなくてよい」「未検証でよい」「独自研究で構わない」というのは間違いである』という事だと思います。それについてはその通りです。間違いです。しかし、だからと言って『「中立的な文章だ」「検証もされた」「出典もある」。よって、「リンクの方針を無視してもよい」「非礼でよい」』というのは間違いですし、『「中立的じゃない」「未検証だ」「独自研究だ」。だから、対処のためには「リンクを孤立させてもいい」「乱暴でも良い」』というのも間違いです。
例えば方針文書にも書かれていますがWikipedia:原典のコピーはしないは解釈によってWikipedia:検証可能性と拮抗し(本人の判断上で)衝突する可能性がありますが、説明されているように原典の丸写しでなくとも検証可能性は満たせるので、検証可能性を満たすために原典のコピーを容認することはできないという、両者の方針・ガイドラインを逸脱しない結論に達します。大抵の方針はこのように、それぞれ異なったことについて述べているので、そもそも衝突することなく交差することが多いです(当件で別段リンクの方針に衝突することなく三大方針を守る手段があったようにです)。そして、互いの方針が有効に機能するようになるべく衝突を避ける手段を探るべきです。意図的に方針やガイドラインを背く必要に迫られる手段をわざわざ選ぶのは建設的ではないからです。
この文面でいう「他のガイドラインや利用者同士での合意」というのは、Wikipedia:合意形成による利用者同士での合意、つまりWikipedia:五本の柱における「行動規範」に沿っていればよいという解釈を抑止するための物だと思います。合意に関するルールはあくまで合意の仕方でしかなく、そこから生まれた様々な「利用者同士での合意」が三大方針と衝突する可能性は多分にありうるからです。

最初に申しましたように、三大方針の「精神」に関しては始めから問題ありませんし、その「方法」についても提示した差分のような手段をとっていただくのならば何の問題もありません。ただ、以上2点については気に留めておいてほしいと思います。--ButuCC+Mtp «Sub Talk:AVI/I-90» 2011年6月14日 (火) 18:29 (UTC)[返信]

  • コメント さて、今回のケースでは被依頼者の主張に対してはButuCCさんがノート:ユーロファイター タイフーンの2011年6月7日 (火) 15:43 (UTC)版で仰っておりますが、先ず問題点を明確に記述しない限り被依頼者はコンセンサスを得る事は出来ないでしょう。寧ろ拝見させて頂きました所、被依頼者の意見に関して総じて個人的見解が散見されておられます。
特に被依頼者に関しては三大方針がWikipediaの最高規範として異様に持ち上げているようですが、最高原則はWikipedia:五本の柱です。その中の内容によれば、「可能な限り検証可能で信頼できる出典を明記するということをも意味します。とりわけ論争となりがちな話題では出典の明示が求められます。どの版が最も中立的なのかで対立したときには、冷却期間を置くことを宣言して、項目に論争のあることを示すテンプレートタグをつけてください。ノートページで詳細を詰めて、手順に沿って論争を解決してください。」とあります。Wikipedia:ルールすべてを無視しなさいと言うものがあるように、被依頼者にようなケースで用いられますがWikipediaは規則主義ではないのです。被依頼者に関しては方針をいいように解釈し、方針の字面の解釈に固執するあまり方針の原理原則を損ないWikipedia:合意形成を怠ったと言う事実しか残らないのですよ(特に抜粋すれば「 私には私の考えに沿って編集作業をする権利と資格がある。それを邪魔する資格や権利はあなたには無い。あなたの考えを押し付けるのは止めてください。wikipediaの信頼性を損ない、閲覧者に信頼できない書き込みを紹介するリンクを除去する編集作業は、wikipedia三大方針に沿った、明らかに合理的で、正当な編集作業です。あなたはその正当な作業の邪魔をしているに過ぎません。」との発言自体自身の正当性を強調しているだけではないですか?方針に合わなければ即刻削除は貴方の独断ですよね?)。
またWikipediaで一番重要なのは信頼性もそうですが、それ以上に編集しているのは人間である以上、Wikipediaのコミュニティの形成と対話、何よりも礼儀を忘れない事の筈です。そのコミュニティを疲弊させている被依頼者の行動こそ礼儀もなくWikipediaを保全すると言う大義も話し合い平和的に解決を模索する道義も無い、反Wikipedia行為そのものではないですか。長くはなりましたが、被依頼者には礼儀を弁え猛省して頂き、対話した上での合意形成を望みます。それが出来なければ当方としましてはWikipedia:投稿ブロック依頼に掛けることにも反対はいたしません。--R34SkylineV-SpecⅡNür 2011年6月15日 (水) 19:28 (UTC)[返信]
  • コメント既に他の方々が議論し尽くしており私から新しい議論点を提示することはありません。問題の内部リンクは当該記事にとっては関連性の高いもの(FX候補のひとつ)であり、その意味でも問題ないと考えます。被依頼者については過去のWikipedia:コメント依頼/紅美鈴Wikipedia:コメント依頼/利用者:二十時三十分等と同質の、典型的な議論で疲弊させるユーザーであり、その判断基準や具体性も独善的であるか、ソース等が未提示。それらに加えて駄目押しで態度の悪さが加わっています。現状では投稿ブロック依頼を出されても仕方ないレベルでしょう。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2011年6月18日 (土) 02:01 (UTC)[返信]
  • コメント当方も皆さんと意見を異としません。加えて指摘させていただきますと、例えば貴方が挙げた「アメリカ軍の調達価格でさえ当初予定の倍額の1機9,500万ドル(約86億円)に達する見通しとなっている」は去る3月11日、米国防総省の官僚が議会にて8,000万~9,500万ドルになる見込みだと証言しています。日本のネットニュースでも翌12日には配信されました(現在は消えているようです)。貴方がテンプレを貼った文節は、探せばそう困難なくソースを見つけられる内容が多くを占めます。正直申しまして、テンプレを安易に使いすぎたな、と感じますね。もっと細かく、出典を求める記述を丁寧に抽出するべきだったのではないでしょうか?--U8WC078ef5ch 2011年6月18日 (土) 12:11 (UTC)[返信]
  • コメントこの編集を見ると、この人は検証可能性自体理解してないように思えますね。自分に資料の入手能力がないことを”検証不可能”とは言いません。そもそも、当該新聞記事に対して「信頼性に疑問のある」というコメントこそ”要出典”ですよね。一ウィキペディアンの個人的な見解なんて誰も聞いてないって。方針の理解度が低い分だけ利用者:二十時三十分氏より困った人だと思いますね。他人の言葉も理解できないようですし。そろそろブロック依頼してもいいと思います。--uaa 2011年6月21日 (火) 19:15 (UTC)[返信]

(追伸)すぐに消したようですが、「岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM などの、ここの議論にかすりもしない幼稚な中傷しか書けない様な奴は最初から書き込む資格無しと言ったところでしょう。」という発言は看過できないですね。--uaa 2011年6月21日 (火) 19:26 (UTC)[返信]

Uaaさん御連絡ありがとうございます。要約すると私でも数行で纏められるって話なだけなんだけどな。それで逆切れですか。昔は私自身も余り態度は良くなかったと思ってるけど、こりゃ無いわ。完全に問題人物。コメント依頼に関してはまとめ待ちですね。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2011年6月22日 (水) 11:48 (UTC)[返信]
wikipediaにとって重要なのは信頼性と合理性です。

uaa のように、大してレベルが高くないくせに、古参気取りで、でかい面するべきじゃないですね。大笑いです。ブロック依頼をちらつかせるくらいしか能がないのでしょうか。w

uaa のように、大してレベルが高くないくせに、古参気取りで、でかい面するべきじゃないですね。大笑いです。ブロック依頼をちらつかせるくらいしか能がないのでしょうか。

かすりもしませんよ。w

ってどういうことなんでしょうかね?ところで、「かすりもしない」ってどういう意味なんでしょうか?発行日時が明記されている新聞に「検証可能性が無い」という珍説を展開してるし。全くもって意味不明です。--uaa 2011年6月22日 (水) 12:27 (UTC)[返信]

コメント結局、本論では太刀打ちできない人たちの感情的な議論のすり替え、本質のレベルの低さを見抜かれた、古参気取りの情けない編集者もどきの逆切れで終わるということですかね。とのことですが、何が本論なんでしょうか?そもそも、この問題の本質は簡単に判りますよね。F-X (航空自衛隊)#現在のF-X (第4次F-X)の記事がリンク先として不適切なほどに酷い記事だっていうのがTokyokanagawachiba氏の個人的な感想に過ぎないってことじゃないでしょうか?それと、年月日が明示されている新聞記事を検証できないってどういうことなんでしょうかね?肝心なところの回答は全くされていませんが。--uaa 2011年6月22日 (水) 15:49 (UTC)[返信]

ところで、TokyokanagawachibaさんはWikipedia:検証可能性の「ウィキペディアに執筆してよいかどうかの基準は「真実であるかどうか」ではなく、「検証可能かどうか」です。」を持ち出してますが、それに続く「この文脈における「検証可能性」とは、編集者が、例えばニューヨーク・タイムズの記事の中身が真実かどうか検証する責任があるという意味ではありません。実際のところ、編集者はその種の調査をしないよう強く求められます。なぜならウィキペディアでは独自研究(オリジナル・リサーチ)を発表してはならないからです。記事は信頼できる情報源が公開している題材だけを含むべきです。それは個々の編集者が真実であると思うかどうかには関係ありません。直観に反するようですが、ウィキペディアに掲載してよいかどうかの基準は「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」(真偽よりも検証可能性)なのです。」の部分は読んだんでしょうか?--uaa 2011年6月22日 (水) 16:04 (UTC)[返信]
コメント - Tokyokanagawachibaさんの対応には失望しました。
  • まず、貴方は礼儀を全く考えない編集態度(自ら「礼儀正しい」など一度として問題とした事はありません」とまで仰られるとは…)であることがよく分かりました。Uaaさんや岩見浩造さんに対する暴言行為もこれに起因するものでしょう。ハッキリ言ってこの一点を持って既に注意を受けるレベルです。
  • 貴方は(このコメント依頼でもそうですが)他人の意見に対して非常に排他的で、それが原因で同じことを何度も説明することになっていると思います。もっとよく読んでください。そして、むやみに意見を拒まないでください。そのようなスタンスの人に議論で示し得た人は一人もいませんとか一言もその点について言及したことがありませんとかコメントされるのは非常に不快です。あなたが言及してないとか言われている事柄は既に複数の方からコメントがありますよね。
  • 貴方はよく根拠をお求めになりますが、それ以前に貴方の意見が既に根拠を求められてもおかしくないような独自の解釈ばかりで、結局何を欲しているのかよく分かりません。例えば、上記でもまた検証可能性もない、独自研究もある、中立性にも欠けるようなものは対象ではありませんという『前提』のうえで、対象であるならその根拠を求められていますが、私は逆にその『前提』が成り立つ根拠がそもそも存在しないと考えています。貴方の言っている三大方針があれこれというのはその『前提』の根拠のつもりで仰っているのかもしれませんが、それでは説明になってません(後述)。貴方はリンクを張り続ける必然性、妥当性、合理性があるのか、これまでの議論で示し得た人は一人もいませんなどなど、他の方々の説明を全て一蹴してきましたが、私から言わせれば貴方の説明こそ肝心な部分をぼかした意味のない説明であると考えます。
  • 原典のコピーはしないの件について「完璧に両立するものです」と判断なされたのに、リンクの件とそれとは同じだというのに未だにご理解いただけないのは残念でなりません。貴方はそれが両立できる理由として
Wikipedia:原典のコピーはしないは文章表現に関することで、内容について論じたものではありません。従って、検証可能性と拮抗するものではありません。検証可能性維持と著作権保護は完璧に両立するものです。
とハッキリ仰ってますね。だったら、同じように
Wikipedia:記事どうしをつなぐはスタイルに関することで、内容について論じたものではありません。従って、検証可能性と拮抗するものではありません。検証可能性維持と記事のスタイルは完璧に両立するものです。
という結論に至らないのが不思議でなりません。もし、Wikipedia:記事どうしをつなぐ内容について論じたもの検証可能性維持といったCategory:記事内容のルールであると考えているならば、そのような考え方は金輪際捨てて下さい。「三大方針に反すればリンクを外してもよいこと」という貴方独自の発想はこの誤解に由来するものです。
  • 「じゃあ、あなた自身で修正するか要出典でも付けてください、誰かが修正するまで気長に待って下さい、wikipediaの信頼性など知りません。wikipediaなど、所詮そんなもんです。」なんていう、誰も言ってない意見に対し、健全でしょうかと反論する行為はストローマンという一種の詭弁です。繰り返しますが、この場で三大方針を無視している人は誰もいないのではないでしょうか。リンクの件について貴方の言うリンク中心主義の人たちは三大方針を無視しているのではなく、「リンクがあっても三大方針を無視することにはならない(両立できる)」と仰っているのです。後述しますが、このやりとりは始めからやってるので、もうやめてくれませんかね。違うといってるのに。
  • 貴方は三大方針がWikipediaに大事だという漠然としたことを述べているだけで、肝心のリンク関連についてはあなたの思想以外に方針文書的な根拠が示されていません。結局は「三大方針の大切さ」を力説し、だから必然的にリンクもすべきでないという貴方の主張を押し通そうとしているに過ぎません。「三大方針がWikipediaにとって重要であること(X)」と「三大方針に反すればリンクを外してもよいこと(Y)」は全く別の事象であり、Xが正しければYも正しいとする詭弁でしかありません。前述したように、三大方針の精神について衝突しているわけではないので、今後同様の種の説明をされてもノーリアクションで行きますので、悪しからずご了承を。Tokyokanagawachibaさんのコメントの大半はこの説明に割かれており、無駄なループを繰り返すだけだからです。
対話を繰り返した結果、Tokyokanagawachibaさんはただ単に自分の主張を表現を変えて演説を繰り返したに過ぎず、他者の意見は一蹴し、挙句の果てには暴言や感情的コメントに自ら堕落する始末、編集態度や礼儀の件もありますし、Tokyokanagawachibaさんはこのような言動に全く抵抗がないのかもしれませんが、私としてはこれらの行動を持ってして、もはやこれ以上対話による解決は不可能と判断します。また、前々から思ってましたがTokyokanagawachibaさんは議論中にもかかわらず独断で編集を行う虜があり、特に、今後奇怪な独断編集を行なうならば、ブロック依頼の提出も辞しません。--ButuCC+Mtp «Sub Talk:AVI/I-90» 2011年6月22日 (水) 16:04 (UTC)[返信]
  • ここまでの議論に参加しておりませんが、ここ数日、推移を見ておりました。Tokyokanagawachibaさんの主張のちぐはぐな点は「Wikipediaの三大方針」をことさらに上げて自分のリンク除去の行為を正当化しておきながら、実際にはそれが何の正当化にもなっていない点にありました。特に、このコメント依頼での数々の指摘により、氏の検証可能性への独自解釈は浮き彫りになっています。「基本方針の正しい理解をしてほしい」この場にコメント寄せた方が真摯に、言葉を尽くしてTokyokanagawachibaさんにお願いしていることです。ここまで明白に問題点を浮き彫りになっています。しかしながら、氏は独自解釈を行って本来の定義とはかけ離れた「Wikipediaの三大方針」を繰り返し、その行動はすでに本来の三大方針から離れて独断での強行編集でしかなくなっています。そろそろ、気づいていただけませんでしょうか。さらに加えて、コメントを寄せてくれた方々への個人攻撃は、何をもって正当化できるとお考えでしょうか。Wikipediaの三大方針や、共同作業、他者との対話において何の意義があるのでしょうか。「そのうち、真面目にお返事するので、しばしお待ちください。」とのことですが、議論中に不真面目な暴言をしたのですか、それてもそれも本気で他者を中傷したのですか。どちらにしても、Tokyokanagawachibaさん自身の行動で「Wikipediaの信頼性云々」というこれまでの主張が単なる方便でしかないことを示された以上、今の姿勢のまま対話続けても無意味でしょう。ブロック依頼を支持します。--Sikemoku 2011年6月23日 (木) 10:22 (UTC)[返信]
  • Tokyokanagawachibaさんにとって、即時に除去すれば議論の場で愚痴ってもよいというのが「常識」なのかもしれませんが、それって個人攻撃の抜け道ではありませんか。そして、投稿行為に対してあまりにも軽薄な考え方ではないでしょうか。余談ですが、議論の場で「常識」を拠所にしようとする方の意見の大半は「常識」という単語を自分の意見を正当化するために用いており、詭弁みたいなものです。常識などという不安定な言葉ではなく、Tokyokanagawachibaさんが過去の履歴は議論の対象にならないと判断した理由を示してほしいものです。
  • Tokyokanagawachibaさんはタイフーンのノートでwikipediaの記事とは認められない欠陥ある「F-X (航空自衛隊)」と仰ってますね。そして、Tokyokanagawachibaさんがリンク除去について終始主張するのは「欠陥記事へのリンクは三大方針に違反する」ためであることも周知の通りです。それなのに、「F-X (航空自衛隊)#現在のF-X (第4次F-X)の記事がリンク先として不適切なほどに酷い記事」などとした事実は全くありませんとされるのは、この上ない自己矛盾ではないでしょうか。じゃあ何でリンク除去するのですか。それとも、「不適切なほどに酷い記事」ではなく「欠陥記事」だということですか、でしたら、それはただの言葉の綾ですね。
  • 余談ですが、「2004年5月24日付けのロンドン・イブニング・スタンダード」と典拠が書かれている以上、貼りつけるべきはTemplate:要出典範囲ではなくTemplate:要検証範囲です。--ButuCC+Mtp «Sub Talk:AVI/I-90» 2011年6月23日 (木) 19:36 (UTC)[返信]

(2011年6月23日 (木) 17:49 (UTC)追加分)

  • 前座部:つまり、あなたはあのコメントをあくまでも正当化するわけですね。貴方の個人意見にすぎないあれを「真実」などという語句で形容する主観的な人であることがよく分かりました。
  • 本題:(注:除去=記述の除去、削除=記事そのものの削除)
    • ① : ①≠①-2です。①に①-2について明示されていません。①に頼らずに①-2を方針的に説明してください。
    • [①-2〕、② 、③ : ですからこちらは何故そう考えるのか方針的根拠を求めています(①≠①-2です)。それらについて貴方の文章以外からの説明が一切ありません。よって、現段階ではそれらは「明示」されているのではなく「解釈」という状態です。こちらとしてはその解釈を問題視します。
    • ④、⑤、⑥ : (三大方針の精神について衝突しているわけではないので、今後同様の種の説明をされてもノーリアクションで行きますので、悪しからず
    • 欠陥記事がなんたるかについて : 欠陥記事であることを示すこと≠リンクを除去することです。欠陥記事を示してもそれを持ってしてリンク除去をするなら結局[①-2〕の説明が要ります(…って、循環論法になってる?)
    • 根拠に対する反論 : [①-2〕が正でなければ④、⑤、⑥は根拠にならない。従って、[①-2〕の「解釈」の妥当性が問題となる。[①-2〕が成立しなければ③は成立しない。②は誤(下記問答で記述)。
    • ⑬-1 : 前提として、「Wikipediaの記事と認められない」記事というのは削除対象である。現存する時点では「改善待ち」であり、削除されたとき初めて「Wikipediaの記事と認められない」判定を受けることになる。各種テンプレにより不備が指摘された状態(以下欠陥記事と称する)は記事が不十分であること注意すると同時に改善を促す状態でもあり、その時点で「Wikipediaの記事と認められない」判定を受けているわけではない。Wikipediaの記事に完成・完結したものはなく、改善を募るのを妨げる理由も無く、時間的制約も無い。「欠陥記事」とは問題ある現存記事にあたり、「Wikipediaの記事と認められない」記事と「欠陥記事」はイコールではない。
    • ⑬-2 : 上記の通り、記事が削除されない限りは「Wikipediaの記事と認められない」判定を受け廃棄されたことにはならず、そもそもそのような対象は現存する記事には存在しない。
    • ⑭-1 : 『結果的にWikipediaの信頼性、三大方針、閲覧者の利益に関わる』のはあなたが想定する[①-2〕が正しいとする前提においてのみ起こりうることです。よって、[①-2〕が証明されない以上そのような状況は起こりえません。また、⑫を無視しなければいけない状況では⑪および上記にない「リンクを除去するだけでは肝心の問題記述が残っている」という問題が残ります。よって、④、⑤(、⑥)を守るために⑫を破ったのに④、⑤(、⑥)を侵す問題が残っていることになります。⑭の主張に則り⑫が両立できる状況とは問題記述を除去し④、⑤(、⑥)が保たれた状況であり、すなわち⑬です。
    • ⑭-2 : リンクを除去する行為はそもそも『「内容」を理由とする編集行為』ではありません
    • ⑭-3 : 4-7に基づいてやるべきことは⑬。
    • ⑮-1 : ⑪(孤立化を進めるだけで効果がない)
    • ⑮-2 : ⑬-1と同義。
    • 16-1 : そのガイドラインはCategory:記事のスタイルのルールに所属する。
    • 16-2 : 5-1に基づいてやるべきことは⑬。
    • 17-1 : ⑬、⑭、⑮(内容を弄らずにリンクを除去するのみは不適当)
    • 17-2 : 17-1+⑪(孤立化を進めるだけで効果がない)
    • 18-1 : 重要なのは問題ある記述の除去
    • 18-2 : ⑬-1と同義。『三大方針に適合しないもの』とはすなわち削除対象
    • 18-3 : ⑭、⑯(スタイルの方針が内容の方針と衝突することはあり得ない)
    • ⑲-1 : その状態は⑬-1に過ぎず、そこから「リンクを除去する」結論([①-2〕)に至らない。
    • その他1 : 下記Calveroさん 2011年6月8日 (水) 13:19 (UTC)やIP:220.105.94.64さん 2011年6月11日 (土) 11:50 (UTC) など(上記返答では⑬-1)が示しました。その意見を切り捨てるかどうかはTokyokanagawachibaさんの勝手ですが、あたかも「何も言ってない」かのようにふるまったり、(個人的に思うのならばともかく)自分自身以外に賛同者がいないのにTokyokanagawachibaさんの批評があたかもコミュニティレベルの批評であるかのようにふるまうのはやめて下さい。Tokyokanagawachibaさんの意見に賛同する方は現時点で皆無であり、貴方がどう考えようと構いませんが、まだそれはあなた自身の主観的な意見に過ぎないことを認識してください。
    • その他2 : ⑬(欠陥記事の修正をやればリンク云々はそもそも手を出さずとも解決する)

以上です。--ButuCC+Mtp «Sub Talk:AVI/I-90» 2011年6月23日 (木) 19:36 (UTC)[返信]

この質疑応答余計なものは省くことができるものなのですね。でしたら、次はこちらも必要と思う質疑応答しか応答しません。同じ回答を言葉を変えて説明するのは疲れますから(もっとも、ブロック審議中ですし、こちらも多忙ですし、毎回答えるとは限りませんが…)。
  • ④、⑤、⑥には「載せない」「ウィキペディアに掲載される情報は信頼できるものでなければいけません。」等と、厳格に規定されている
(L) : この部分の誤解に尽きると思います。例えば、「××は○○である{{要出典}}」という三大方針からして問題ある記述を内包する「問題記事A」、それがリンクされる、問題ある記述のない「関連記事B」があるとします。この場合、三大方針が示しているのは「問題記事A」に「××は○○である{{要出典}}」という記述を“載せない”というものであり、「関連記事B」に「問題記事A」のリンクを“載せない”という意味ではないということです。というか、リンクを「貼る」「張る」、もしくは「リンクする」ことを「載せる」とは表現しません。「載せる」「掲載する」とはリンクではなく記述のことです(当り前ですが“リンク”と“記述”は同義的に使われません)。
上記(L)を踏まえたうえで考えると、以下
  • ②は④、⑤、⑥に基づきWikipediaの記事とは認められないものであると同時に拒否すべきもの
  • 本来、掲載拒否されるべきものである、Wikipedia三大方針④、⑤、⑥に適合しない記事へ閲覧者を導くリンクの必要は無く、[①-2〕…が導き出されるのは、一般通念上、合理的で自然なこと
という、Tokyokanagawachibaさんの仰る「当然のこと」とされることは三大方針から導き出せない事になります。端的にいえば「②≠④、⑤、⑥」です。
  • ⑬-3 : おおむね⑬-2の通り。「欠陥記事」とは貴方の表現ですが、自分はこのような状態を「改善待ち記事」と表現します。テンプレが張られ改善を要求される状況で、改善が進めばそれでよし、待っても変わらなければ部分除去(問題ある記述を除去)して残った問題のない部分を残す、記事全体が問題ならば削除依頼で審議し、削除されれば所謂「Wikipediaの記事と認められない」ということで決着する、ということになります。あとは⑬-1と同じく、「改善を募るのを妨げる理由も無く、時間的制約も無い。」です。
  • ⑬-4 : それは悪魔の証明ですので回答を拒否します。この場合、存在しない規定かどうかを証明するのではなく、貴方が『「欠陥記事又は欠陥記事へのリンク」を維持すべきでない』、つまり従来から貴方が主張する『三大方針に反する記事へのリンクは三大方針に反する』ことを証明すべきです。
  • ⑬-5 : ⑬-1と同義。「欠陥記事」であることと「リンクを外すべき」ということは別。そして、「欠陥記事」の扱いはどうなのかは⑬-1および⑬-4で説明済み。
  • ⑬-6 : ⑬-1で説明済み。といか、それは⑬-1の結論。
「Wikipediaの記事と認められない」記事 : 定義「削除対象」
「欠陥記事」 : 定義「改善待ち」
根拠 : 削除依頼で削除される記事と記事の一部に問題があり改善が要求されている記事では状態が明確に異なる。
  • ⑭+ : あなたは閲覧者は要出典テンプレが張られているのにもかかわらず鵜呑みにするような愚かな判断をするとでも思っているのですか。問題記事の要出典テンプレやインラインテンプレートが何のために表示されているのか、閲覧者視点から考えた事ありますか。はっきり言ってこんな状態で信用するわけがない。だからそのうちに修正する。修正を待っているうちに誤解を招くことはないんですよ。普通は。でも、だからといってずっと出典のない記述を放置するのも見苦しいだけなので、待っても掲示されないならば改めて削除すれば、それで信頼性に欠ける記述はなくなり、自称百科事典としての信頼性」が損なわれない結果となるのです。
  • ⑭-5,6,7 : いいえ。私なら導かれているリンク先の編集なぞせずにさっさと問題個所を是正すれば「結果的にWikipediaの信頼性、三大方針、閲覧者の利益に関わる」ことが無いと考えますね。問題記事のことを考えず、「信頼性に欠ける記事へ(別記事から)閲覧者を導く」という二次的な問題のみを考えてどうするのですか。というか、⑭-6、⑭-7で貴方は閲覧者が「Wikipediaの信頼性に欠ける記事」を見ることで被る被害、信頼が損なわれることは「無い」のかという根拠を求めていますが、そういう貴方の「リンクを除去する」方法でもそれは同じでしょう。せいぜい「見にくくなる」だけで「無くなる」わけではない。検索すればバッチリ「Wikipediaの信頼性に欠ける記事」が閲覧できる。要はリンク「するか」「しないか」なんてのはそんな瑣末な差しかないんですよ。だからリンクの除去に拘ったところで三大方針に関する改善など望まれないわけで、「Wikipediaの信頼性に欠ける記事」を見ることで被る被害、信頼が損なわれることが「無くなる」方法である『問題記述の直接対処』が肝心であり、それをやるべきであるということです。リンクの除去にしても、最善でなくとも、仮にその行為について誰も批判せず、そのまま周りの方々に許容、賛同されたならば三大方針に則ったものではなく“ただの”編集として受け入れられたでしょうが、その“ただの”編集が間違っていると指摘された時点で、リバート合戦をしてまで押し通すような行為ではありません。メリットは瑣末なものであり、そんなので衝突するよりも“三大方針に則った”問題記述の直接対処に着手した方がよっぽど効果的です。
  • 20 : ないです。(L)と同義。
  • 21 : ⑬-5と同義。「削除猶予中、又は、削除依頼待ち」という見方は“結局出典が見つからない場合”の見方であり、見方を変えれば同時に「出典付与猶予中、又は、出典付記待ち」と見ることもできます。
  • 22 : ⑬-2、(L)、⑭+、⑭-5,6,7ほか参照。説明済み。結論を言うと「リンクを除去しないだけ≒リンクを除去しただけ≠Wikipedia三大方針④、⑤、⑥に適合させる=問題記述の直接対処」。
  • 23 : 一旦孤立化させる意味がわからない。問題記述の直接対処を先にやれば不要な作業。削除猶予中(=改善猶予中)の閲覧者に関しては⑭+参照。
  • 25 : 貴方の意見に賛同する意見が皆無であり、一方で反対する意見が多数ある。これでは多数決云々以前に貴方の意見の合理性を証明する第三者がいない、貴方の反対者への反論に関しても客観的合理性を証明するものはない、貴方の主張は貴方の解釈でしかなく、それを合理的だと判断する第三者が皆無である現状では、私論または独善でしかないと考えます。通常、方針に明文化されておらず、意見衝突のある事項は方針のノートで提案をし、それが正か誤か、明文化が必要か否か、提案をするべきです。
  • 25(その2) : ⑬-5と言ってること同じですよね。あと、欠陥記事と判断可能ということは⑭+でもあるということです。--ButuCC+Mtp «Sub Talk:AVI/I-90» 2011年6月28日 (火) 13:47 (UTC)[返信]

中間報告

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  • コメント依頼参加者の意見は総じて被依頼者に否定的であるとみなせます。

他方、被依頼者は参加者への侮蔑と取れる発言を再三にわたり行い、しかも直後にそれを取り消したり編集する行為を繰り返しており、コミュニティの信頼を著しく損なっているとみなさざるを得ないでしょう。

参加者の中にはブロック依頼へ移行すべしとの意見も複数人から出ておりますので、本日時点の状況ではブロック依頼へ議論の場を移行しても問題ないと思われます。--以上の署名のないコメントは、220.105.94.64会話)さんが 2011年6月24日 (金) 10:36 (UTC) に投稿したものです(R34SkylineV-SpecⅡNürによる付記)。[返信]

まとめ

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被依頼者に関しては改善の態度がまったく見られず、当該ブロック依頼における審議の結果、管理者のJrk2255さんによって被依頼者に対し会話ページを含めた無期限ブロックの対処がなされました。以上の結果により、当コメント依頼をクローズする事を提案いたします。--R34SkylineV-SpecⅡNür 2011年7月2日 (土) 03:49 (UTC)[返信]