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Wikipedia:井戸端/subj/「函数/関数」など複数の表記がある語の扱い

「函数/関数」など複数の表記がある語の扱い

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Wikipedia:井戸端/subj/「関数」か「函数」かで以前議論されていたものですが、特に方針として定まることもなく立ち消えになってしまっているようです。先日正規分布にて「函数」から「関数」に変更する編集を行ったところ、即時にIPユーザーによって差し戻されました。私の応酬の結果最終的に編集合戦となって利用者に迷惑をかける形になってしまいました。私としては自分が原因で編集保護がかかってしまった状況が非常にショックであり、今後このようなことにならないで済むよう明確な方針を定めて欲しいと思います。

私は、以下のように考えています。

意味は同じで旧字体/新字体の関係にある字では問題になっていないように感じる。例えば「舊字體」などという表記は見かけない。
6/12訂正: 函数→関数は「同音の漢字による書きかえ」とは無関係でした。ただし問題は同様なので論旨は変わりません。--いかづちSqueak 2009年6月11日 (木) 18:54 (UTC)[返信]
  • ふつう、書き換え前の字(例:函数)の方が書き換え後の字(例:関数)よりも"正しい"
"正しい"というのは、本来の意味を正確に表しているという意味で
  • ふつう、書き換え後の字の方が広く用いられている
  • Wikipediaでは万人に分かりやすい表記が望ましく、そのため"正し"くないことを承知で広く用いられている字を使うべきである
  • どちらを使うにせよ、何らかの形でもう一方の表記に言及すべきである

以上について、意見・反論などをお願いします。また、方針を定めるにあたって以下のことが問題になると思います。

  • 何をもって「広く用いられている」と判断するか
一般人に利用可能な調査方法は検索エンジンのヒット数を見るくらいしかないが、これは信頼性に欠けるという意見が多い。権威のある本を参考にする方法は、本の選定に利用者の意図が入りこむ。
  • 方針で定めた望ましい表記に書き換えるべきか
案:
  • 既存のものは
  • 即時に望ましい表記に書き換える
  • 編集のついでに書き換える
  • 個人の裁量に任せる
  • そのまま残す
  • 新規に書くものは
  • 望ましい表記のみを使う
  • 個人の裁量に任せ、それの書き換えも個人の裁量に任せる
  • 個人の裁量に任せ、一度書かれたものは変更を禁止する
私の意見としては、個人の裁量に任せた場合、"声の大きい"ユーザーが勝つ状態になり、それは望ましくないと思います。
  • 別表記をどこで言及するか
案:
  • 文中のすべてに言及(これはさすがにありえないと思うが)
  • 文中の初出のみに言及
  • 記事になっているものはその記事でのみ言及、その他は初出のみに言及
  • 上に加えて、言及されている語を含む複合語はその記事でも言及しない(例:「関数電卓」という記事があったとして、「関数」の記事に言及があれば「関数電卓」の記事では言及しない)
  • 複合語は常に言及しない(「関数」という記事がなくても「関数電卓」で言及しない)
  • 言及の仕方
案:
  • 関数(函数)
  • 関数(書きかえ前の表記:函数)
  • (テンプレートとして)「この記事中の「関数」は同音の漢字による書きかえによって書き換えられた表記です。書きかえ前の表記は「函数」です。」

以上です。私の案に対する意見や、他にもっと良い案があればお願いします。またそもそも何か他に決めるべきことを見過ごしている可能性があります。何かありましたら教えてください。 --いかづちSqueak 2009年5月27日 (水) 21:23 (UTC)[返信]

記事名にもバラつきがありますね。そして記事内容にもバラつきがありますね。超関数のように記事名と内容で別表記なのもありますし、距離函数のように記事内に両方の表記が存在し統一されていないものもありますし。個人的には現代日本語の使い手として「関数」の使用を推します。ただし、書籍名や、商標や特許などで「函数」が正式名称であったり、引用元の原文で使用されている等ではこの限りではありません。 --בועת סבון 2009年5月28日 (木) 01:12 (UTC)[返信]
以前の井戸端でも学術用語集 数学編のことには言及していますが、学術用語集では(凡例のページに)「つかっても良い語は()で示す」などと正式な語と許容慣用語とを区別して表記していると考えます。つまり英->和の表で「—関数(—函数)」となっていれば—関数は正式で—函数は使用しても間違いとはしないという扱いであると考えます。--あら金 2009年5月28日 (木) 01:40 (UTC)[返信]
両方の表記を使っても良いのでしょうが、ページ内の表記が混在していたり、別表記名からのリダイレクトが無かったりと言うのは運用上問題ではないでしょうか?--ひゃくまんこのしあわせ 2009年5月28日 (木) 02:55 (UTC)[返信]

ご意見ありがとうございます。

>בועת סבוןさん 現在は過去の荒らし(当該ブロック依頼参照)の影響で非常にばらついていますね。正式名称や原文表記については失念していましたがもちろんその通りに考えています。

>あら金さん なるほど、関数に関してはそのようになっているのですね。ただ今回問題にしたいのは漢字表記全体の方針です。個々の単語についてはその記事で個別に議論すべきだと思います。とはいえ一つの例として非常に参考になりました。

>ひゃくまんこのしあわせさん 両方の表記を許可するのも一つの方法ですが、その結果として現状の混乱があるわけです。両方の表記を許可したままで現状の混乱を収める方法があればよいのですが、残念ながら私には思いつきません。運用上の問題を収めるのが目的で、そのための手段として表記の統一を図る必要があると感じています。--いかづちSqueak 2009年5月28日 (木) 13:40 (UTC)[返信]

(コメント)「関数」は自然科学分野以外では定義されていない語なので学術用語集で良いように考えます。学術用語集は学問分野ごとに学会主導で編纂されていますが、(当時の)文部省の指導で用語の扱いが同じになるように調整されています(冊子体の学術用語集の巻末付録にあります)。つまり数学編では「函数」が正式、化学編では「~関数」が正式ということがないように調節はしてあるということです。また文部省の教科書検定の基準について政令で「用語については特段の理由がなければ、学術用語集、JIS規格書…、によること。」[1]となっているので特に理由がなければ教科書用語と学術用語集とは合致します。そして正式とその他の使っても良い語があるのであれば、プロジェクト××でローカルルールを立で「学術用語集で正式のものを使う」とルール立てすればよいように考えます(例Wikipedia:ウィキプロジェクト 化学/化学物質の名称の扱い)。--あら金 2009年5月28日 (木) 17:11 (UTC)[返信]

(コメント)えーと、まず、表記はともあれ、編集合戦にならないようにするには、自分が正しいと思って行った編集が差し戻されたとき、自分の正しいと思ったことについて、他の視点はないか、自分の知らない知見はないかということを考え、ノートやプロジェクトで先行する議論がないかを確認し、外部の資料を参照して、正しさ、一般的な広がりなどを確認し、再考することが一番大事だと思います。関数/函数について、過去の議論/論争を知らなかったなら、たとえばノート:関数 (数学)くらいには辿り着くことができるでしょう。

既に函数荒らし(および[2])という認識があったならば、対処としてはLTA:MATHまたはその模倣としてブロックを検討するべきだったかもしれません。

「Wikipediaでは万人に分かりやすい表記が望ましく、そのため"正し"くないことを承知で広く用いられている字を使うべきである」ということについては、「百科事典なのだから、Wikipediaでは正しい表記が望ましく、そのため"正し"くないことを承知で広く用いられている字は項目名としては用いるべきでない」あるいは「正しいことが明らかで、今日的な用法としてもそのようにあるべきという考えが妥当であるならば、単に広く用いられていることに迎合すべきではない」という考え方もあります。一意的に定めるように方針を作ろうとするなら、まずは、どちらの考えをとるかについて合意を探らないと。分野によって傾向が異なることはありますし、一般に広く使われていないとしても、学術の世界では用法が確立している場合もあります。また、その用法が広まった理由などについても考慮する必要がでてくることもあるでしょう。これは、漢字のみならず、「ヴ/ブ」や「・(ナカグロ)」ほかカナ転写関係全般、姓名順など、表記をめぐる多くの論点に共通する議論となります。

学術用語集のように指針となるようなものがあれば、まずはその分野のプロジェクトで合意をはかり、やや一般的な語句を用いる項目については、他分野の執筆者との調整をするというのが、基本となると思います。ただし、そこでも、学術分野の表記、教育分野の表記、メディアなどの表記、行政上の指針、自称/他称、固有名詞など、多くの論点がありえます。

個人的には、以上のような背景があることを知り、明確な誤りでなければ、記事中で別の表記に言及し、一方しか知らない人であっても求める記事にたどり着けるようにリダイレクトなどで適切な処置をとることが出来ていれば、それでいいや、と思うのが一番いいと思う。せいぜい、記事内、同一分野内での用法は、そろえるという程度(ためには、プロジェクトの合意が望ましい)。表記にこだわるなら、むしろ、いつから、その語が用いられるようになったか、誰がその概念を導入し、その語を当てたのか、というようなこととあわせて、その表記違いが生じる理由や使われ方がどのように違うかについての説明を加えること、加えるための用例や随筆などでの言及を探すことに労力を使うほうがいいんじゃないかな、と思っています。

表記関係は、なりゆきである程度定まっていくようなところはあるし、指針となるものが得られる分野もあるでしょうから、強くこだわる人がいなければ、そう混乱は起こらないけど、いちどこじれるとなかなか解決しない。プロジェクトレベルではともかく、統一的な方針を作ろうとすると、調整はそうとう難しいと思います。学術用語の受容や文部省の動向などを参照して、とかいうことになりかねない。それはそれで、記事にして欲しかったりもするけれど。

言及の仕方としては、表記ゆれのひとつとして冒頭で触れればまずは十分で、語源、元となる概念と、その表記・概念の変遷や、特にその語について専門家の言及などは、できれば書く、ということになるでしょうか。--Ks aka 98 2009年5月28日 (木) 20:30 (UTC)[返信]

この問題は以前のwikipedia:井戸端/subj/「関数」か「函数」かでの議論では、「関数」が適切という意見が大勢で有効な反論はなく、そうなっているものと思っていましたが、そこではっきりした結論を出しておかなかったために、今でも「函数」に固執する人がいるようですので、改めて私が「関数」を適切とする論拠を提示します。
1. まず、wikipedia:表記ガイド中の「17 学術用語」 によれば「学術用語は文部科学省が版行した『学術用語集』に準じます。」とあります。 そして『オンライン学術用語集 数学編』で検索すると、「函数」にはヒットする語がなく、「関数」ですと「関数(/)函数」がヒットします。 これは「関数」と書くのが本則で、「函数」も許容されることを意味します。
2. 中学・高校における数学教育では、(少なくとも20年前から)「関数」と教えてきたことは多くの人の指摘する通りです。 そこでこの教育を受けた世代の人々にとっては「関数」と書くことが当然と受け取られるものと思います。
3. 学界でこの言葉ともっとも関係の深い数学の分野でも、上の井戸端論議で数学科出身の人が『「函数」は普通には使われていません』と言明しています。 実際、数学分野の専門家が関与している『学術用語集 数学編』や『岩波数学辞典』でも「関数」が採用されていますので、その通りであろうと考えます。
3. 私自身は物理学の分野のものですが、物理でも今は「関数」一色で「函数」はまったく使われません。 それは例えば「日本物理学会誌」の解説記事をちょっと眺めても分かります。 そしてこれは世代に関係なくそうなので、例えば1914年生まれで文化勲章の栄に輝く流体力学の大家、今井功先生のご著書の表題も『応用超関数論』です。
4. 以上、この概念にもっとも親しい学問分野、数学と物理学とでもっぱら「関数」が使われていることを述べました。 「函数」がもっぱら使われている分野があることを知りませんが、もしありましたらご提示下さい。
5. 以上から、少なくとも「「関数」か「函数」か」に関しては記事名や本文中の記載はすべて「関数」と書き、「函数」は「関数」へのリダイレクトとするのが適当というはっきりした結論が出せるものと考えます。--Midz 2009年5月29日 (金) 00:35 (UTC) [返信]
この辺りが関係しているのでしょうか? 私も「函数」という表記は日本語版ウィキペディアでは一切許容するべきではないと思っています(固有名詞でもない限り)。検索するといっぱいありますね[3]。とりあえず超函数超関数に戻して、移動保護すべきです。--Damena 2009年5月29日 (金) 03:56 (UTC)[返信]
一切許容しないとなると「函数とも書く」という事実も記載できませんし、『代微積拾級』にどう書いてあったかということも記述できなくなりますが、そういう意図でしょうか。--Jms 2009年5月29日 (金) 09:38 (UTC)[返信]

Watch Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 軍事#旧陸軍の”聯隊”について(改名提案) 執筆者の意欲を削ぐような真似までして、たかが表記にこだわるのか。お前ら執筆者の代わりになれんのかよ?って感じ。--220.150.133.157 2009年5月29日 (金) 10:08 (UTC)[返信]

(コメント)「函数とも書く」はウィクショナリーの役割であり、百科事典としては必須ではないと考えます。関数の記事に「函数とも書く」と書くのは親切ですが、~関数の記事すべてにそれぞれ「~函数とも書く」とするのはやりすぎのように考えます。--あら金 2009年5月29日 (金) 10:10 (UTC)[返信]
(今更だけれど) それはおそらく函数/関数問題の社会的・歴史的パースペクティヴを見落としているのではないかと思います。そういった、綜合的視点をも提供できてこその「百科」事典ではないかと。もちろん「~関数の記事すべて」で、というのはナンセンスです。--Jms 2009年6月28日 (日) 02:53 (UTC)[返信]

◆まず、Midz さんに反論させて頂きます。話の取っ掛かりとしてですので、何か含むものがあるのではありません。悪しからず。

  • 「これは「関数」と書くのが本則で、「函数」も許容されることを意味します」とのことですが、数学編主査の彌永先生は「併記されているものについては、括弧内のもの(関数、函数で言えば函数の方)が用いられることを強く望む」とはっきりと述べられています。これは、お上の命令で無理に当用漢字内に収めさせられたが、現場の(当時の数学者の)本意ではなかったことを示唆します。
  • 「数学科出身の人が『「函数」は普通には使われていません』と言明しています」とのことですが、「普通には」の意味が不明瞭です。私(白駒)は数学科出身ですが、「函数」は普通に使われていますと明言しておきましょう。どの程度「普通に」であるかは、ノート:関数 (数学) などで少々検証されていることです。
  • 中学・高校の教育における表記に従うならば、円錐は円すい、楕円はだ円と表記しなければならないことになります。受けてきた教育によってなじみがあるのは理解できますが、それ以外の表記を排除しなければならないとも思えません。

過去の経緯も関係しているかもしれませんが、この問題には言葉狩りのような臭いがします。私としては、記事を書く人が函数と書きたいならば、それを認めて気持ちよく記事を書いて頂きたいと考えています。繰り返し揉めるくらいならば、当分は無理に統一しようとしないこととしませんか。数十年後に函数が全く使われなくなれば、自然に関数に統一されることでしょう。私は以前

関数を函数に、函数を関数に変更するだけの編集は推奨されない行為であることを共通に認識しておく

ことを提案しました。函数派の方はその節度は守っているように思いますので、関数派の方も、記事の内容を向上させることなしに「関数が正しいんだ」と言わんばかりの編集合戦を仕掛けるのは勘弁して頂けないでしょうか。今回のケースも、函数について「誤記」だの「荒らし」だのと要約欄に書いていることが火に油を注いでいるように見受けられます。--白駒 2009年5月30日 (土) 05:42 (UTC)[返信]

(コメント)楕円とだ円の場合と関数と函数の場合は状況が異なります。Wikipedia内にローカルルールが存在するならば現実社会ががどうであれWikipediaのローカルルールに準拠すべきです。(前回の議論でも言い尽くされているでしょうが)Wikipedia:スタイルマニュアル#日本語表記引用すると『漢字の字体が複数ある場合には常用漢字表にある字体の採用を原則とします。(ただし原文を引用した箇所は除く)』です。関数と函数は漢字の字体が複数ある場合ですが楕円とだ円は漢字の字体が複数ある場合には該当しません。そして少なくともWikipediaの記事タイトルは原文の引用行為ではないので、常用漢字にない字体を含む「函数」よりも常用漢字で構成される「関数」を優先するというのがローカルルールの趣旨と考えます。そして執筆者の見解というのは原則を覆す根拠としては薄弱で、原則を覆すなは少なくともノート、ポータル、プロジェクト等で合意に基づいて「函数」を優先するローカルルール・議論の合意が必要と考えます。そのような合意が示されないのであれば「関数」を優先するということであると考えます。併記する権利があるということと併記が維持される保障があるというのは別問題と考えます。特にタイトルは技術上併記できるものではないので併記する保障がなくても仕方がないと考えます。--あら金 2009年5月30日 (土) 07:18 (UTC)[返信]
「関数と函数は漢字の字体が複数ある場合で」はありません。もしそうしている出典があれば関数 (数学)脚注に加えておきたいのでぜひ教えてください。--Jms 2009年5月30日 (土) 07:52 (UTC)[返信]
◆私はこの問題の過去の経緯についてよく知らないのですが、上の白駒さんのご意見に全面的に同意します。あら金さんが引用した部分は竜と龍のような異体字の問題を想定しているのでは? 関は函と音が同じということで流用されたに過ぎないのであって、函の異体字ではありません。そもそもJAWPは日本語版であって日本国版ではないのですから、日本国政府が定めた常用漢字表に全面的に従うべきだとするのは日本国政府POVに当たるのではないでしょうか。Wikipedia:スタイルマニュアルのJAWPにおける位置付けも「考慮すべきガイドライン」です。(Jmsさんと競合しましたがそのまま)--sergei 2009年5月30日 (土) 07:58 (UTC)[返信]
提起者です。函数派も交じり議論が白熱してきて嬉しい限りです。しかし量的に全レスが辛くなってきましたので以降重要そうな発言だけに返答したいと思います。何か見落としがあれば指摘していただけると幸いです。
  • まず、皆さん主に関数/函数について意見を下さっていますが、私が決めたいのはそれに限りません。数学関連で共軛/共役や抛物線/放物線、また下記の聯隊/連隊も問題になっていますし、他に書きかえの影響を受けている語として義捐金/義援金や交叉/交差なども今後問題になる可能性があります。それら全てに対する基本となるような見解を定めたいと思います。その上で、例外処理をするならするで個別に話し合えばいいと思っています。例えば私は函数/関数は関数の方がいいと思いますが、座剤/坐剤は坐剤の方がいいと思います(現在も坐剤です)。
  • LTA:MATHについては知っていましたが、今回のIP氏がこれとほぼ同IPであるということには気づきませんでした。どうやら同一人物の可能性が高そうですね。この荒らしとは関係なく単に個人的な好みで書き換えている方かと思ったのでノートページで対話を試みたのですが、有名な荒らしであればブロックが妥当だったかもしれません。しかしそれはともあれこれは決めておくべき問題だと思います。
  • 恥ずかしながらノート:関数 (数学)には思い至りませんでした。今読んでみましたが、以前の井戸端とや同様に議論が紛糾し結論が出る前に寂れてしまっているようですね。残念です。今回はそうならないでほしいものです。
  • 「広く用いられている表記を使うべき」か「正しい表記を使うべき」かの議論は重要です。それもここで議論すべきだと思います。念のため言っておきますと私は決して「広く用いられる表記」にしろと押しつけたいのではありません。どちらが望ましいかを議論で決着を付けたくて、その上で私の意見は「広く用いられる表記」なので、是非反対意見を聞きたいです。
  • >220.150.133.157さん まず、礼儀をわきまえてください。しかし非常に有用な情報をありがとうございます。聯隊/連隊は今回の問題とおなじく「同音の漢字による書きかえ」が原因です。問題の原因は同じであるのに別々の場所で議論されていたのは問題ですね。ここに誘導してみました。執筆者の意欲が殺がれるかどうかは双方にとって言えることですので、意見をすり合わせるための議論は必要でしょうね。
  • >円錐/円すい、楕円/だ円 これも問題ですね。ただ私はこれは今回の「同音の漢字による書きかえ」とは別に扱うべき問題かと思っているので、後で別に提案しようかと思っていたのですがどうでしょう。ここで一緒に議論してしまった方が良いでしょうかね。
なお、議論活性化のため関数 (数学)とそのノート、および聯隊/連隊の問題の議論されていたWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 軍事とその本文からこちらにリンクとコメント依頼を張りました。 --いかづちSqueak 2009年5月30日 (土) 07:59 (UTC)[返信]
「函数派も交じり」とは誰のことでしょうか。履歴を精査して頂ければ分かると思いますが、私自身は記事内では一貫して「関数」表記を用いています。「基本となるような見解を定めたい」ということ自体に私は疑問を投げかけているのですが、そこはいかがでしょうか。過去にこれほど揉めた件についてまとめようとするならば、確かな知見を持ち、過去の議論を精査して見通しを立てる必要があると思いますが、いかづちSqueak さん自身に確かな見通しがないならば、ここは一旦引いてはいかがでしょうか。--白駒 2009年5月30日 (土) 08:32 (UTC)[返信]

誰だったっけなあ(遠い目をする)。

日本語圏SF作家の誰かだったと記憶しているのだが、「作品の中では正しい表現をしなければいけない」と思い込んでしまい、自作品の日本語表現をどのように正しくすればいいのかで原稿が書けなくなってしまったという経験をエッセイに書いてたやつがいた。遅筆を責められ編集者にそのあたりのことを相談したら、「たったひとつの正しい日本語なんかありませんし、同一作品の中で同じ言葉が漢字になっていたりひらがなになっていたりしてもかまわないのです」と言われてしばらく目が点になっていたのだそうです。うぶなひとだったんだなぁ。誰だったか覚えてねーけど、そいつもその後売れっ子になってずうずうしいいやんな作家になってしまったのではなかったか。筒井康隆とか小松左京とか豊田有恒とかクラスの重鎮だったのではなかったかな(豊田有恒が重鎮だったことはないか(=^_^;=))。

でだ。

表現の統一なんて、同一作家であったとしてもまっとうできないようなレベルのものなんじゃないかと思う。おれはいちおう売文でお金をもらえてた時期もあるし著書もあったりしますが、用語の振れを修正するためのプログラムを自作して持ってて使ってたりもしますが、しかしあえて別表記を選ぶことも少なくなかったりします。「たったひとつの正しい表記があるはずだ」とか「その表記が優先されるべきだ」とかいうのはあなたの思い込みでしかないと思うし、「全体が統一されていないとキモチワルイ」っていうのはあなたの個人的な美学でしかないと思う。あなたの原稿についてはあなたの思い込みや美学を生かしてくれてかまわないのだが、Wikipediaにそういうものを持ち込むのは間違いです。ていうか、アンソロジー本で表記統一のために原稿に手を入れるなんてあり得ないだろ?(百科事典がアンソロジー本なのかどうかってあたりに争う余地はあると思うけどねっ)

なんていうか、こういう問題提起をする時点で、あなたなんか根本的な勘違いをしてはいないか。そういう観点から、再考してほしいなあとか思います。簡単に言うなら、あなたは間違った編集を強行したあげくに項目を保護させてしまった大馬鹿者なんであって、問題提起をする前に反省しとけとか思うんであります。なんていうかね、Wikipediaは一方で「世界最高レベルの情報量を持つ百科事典を集合智として築く」という崇高な目的を掲げておりそのコンセプトに共感した多くの編集者が集まっているものではあるのだが、もう一方で烏合の衆の集まりでありわけわかんない編集者がいたり自らの考えに基づいて強権を振り回す愚かな管理者がいたりすることも許容せざるを得ないという諦観を余儀なくされるものでもあるわけ。いろんな意味で、世間と同じ程度にカオスな世界なわけですよ。そのカオスが許容できないんだったらWikipediaとは縁を切る方が幸せな人生を送れるのじゃないかなあとか思うのであります。

おまけ。

同じことを先行する別のひとも言ってたりしますが。数学の世界では「函数」が正しい表記であり、数学記事を書ける編集者のうちある程度の割合のひとたちは「函数」という表現をしたがるであろうことは想像に難くない。だったら「函数」という表記が気になってもそんなもんはほっておいて、数学に詳しい方々が気持ちよく書けるような状況を維持することに努めるってのも大事なことなんじゃないか。「関数」という表現にこだわって数学に詳しい人々のやる気を失わせるなんて百害あって一利なしだろうと思う。数学に縁がないがゆえに「関数」という表現に抵抗がない者が数学に詳しい人々を追い出すような結果になったら、ばかばかしいでしょうが。表現なんぞにこだわってbotみたいな編集をやるやつは全員いなくなってくれていいと、おれは思います。だいたいそういうやつは、機械的に判断なんか介在させずに作業してたりして。それこそ「関数とは~。『函数』と表現されることもある」みたいな説明文を「関数とは~。『関数』と表現されることもある」に置き換えるみたいな間抜けなことを平気でやる人口無能botすらけっこう見かけたりして憂鬱になるんだった。善意ってそこまで人を無神経にするものなんだろうか、みたいな。--Nekosuki600 2009年5月30日 (土) 15:43 (UTC)[返信]

すみません、白駒さんは函数派かと思っていました。基本見解を定めることに反対だったのですね。それに対しては、私は現在の問題は基本見解がないことが原因だと思っていますので、それを決めない限り混乱は続くと考えています。また、白駒さんの考え方は「どちらの表記も許容しろ」ということに思えますが、それも一つの見解です。考えてみるとどちらかの表記に決めることを前提として書いてきましたが、「どちらも許す」というルールもそれはそれで確固たるルールになりうると思います。
>過去にこれほど揉めた件についてまとめようとするならば、確かな知見を持ち、過去の議論を精査して見通しを立てる必要があると思いますが
私は思いません。知見を持って精査し見通しを立てられるような人が世にどれだけいるでしょうか。Wikipediaはそのような特殊な人がいなければ成り立たないようなシステムではない、あるいはであるべきでないと思っています。私には見通しがありませんし、誰にも無いように思います。見通しは大勢が議論していく中でできてくるものではないでしょうか。
Nekosuki600さんの発言はどうも私宛の個人攻撃に思えるのですが、個人攻撃には特に応える必要を感じません。「どちらの表記も許容しろ」という意見は受け取りました。 --いかづちSqueak 2009年5月30日 (土) 17:05 (UTC)[返信]
自分に対する個人攻撃だと受け取るのはあなたの自由ですからどうでもいいです。そんな狭い範囲に対する攻撃ではなく、もっと広い範囲の「統一の美学」みたいなもんに対する攻撃と受け取って欲しかったが。この程度の批判を個人攻撃だと受け取るなんて、自意識過剰ではないだろーかと思います。世界はもっと広くていろいろな価値観がせめぎあっているのだということ、Wikipediaが実現できているかどうかはとにかくとして「戦争」と同じくらいに「智」の世界は主戦場なのだということ、そのあたりを理解し覚悟していただきたいもんだとか思ったりはしましたが、それはおれの個人的感想です。ていうか、こんなネタで問題提起をしないでくれよっ、というおれの叫びは伝わったんでしょーか?(ふっ)--Nekosuki600 2009年5月30日 (土) 17:27 (UTC)[返信]

この度、白駒さんから、私の所論への反論を頂きましたので、それに関する知見と見解と、白駒さんへの御願いを書きます。

  • オンライン学術用語集 数学編 では「関数(/)函数」になっていて少し曖昧なところがありますが、同じオンライン学術用語集の物理学編で引きましたら「function」の和訳は「関数」だけで 「函数」には触れてありませんでした。
  •  数学の世界での「普通さ」は私も関心があり、ノート:関数でMakotoyさんが示された例秋季総合分科会(2007)で講演題目で「関数/函数」を含むものを数えてみましたら、確かに「関数」が23件、「函数」が2件でした(Makotoyさんは「函数」が3件と報告しています。 私の数え方に見落としがあったのかも知れません。)。 このくらいの差があれば、数学の世界でも「普通に「関数」を使っている」との表現も許されるのでないかと思います。 なお、数学会の4つの分科会の名称が「実函数論分科会」など、すべて「函数」を使っているのはご愛嬌ですが。
  •  私が今回、この問題に引っかかったのは「超関数」の扱いからです。 この項目は履歴で見ますと2005年3月につくられ、その時点では「超関数」でした。 ところが2007年に「関数/函数」の編集合戦に巻き込まれましたが、「保護」の手段で「超関数」の表記が保たれ、最近まで来ました。 ところが先月、4月の終りにこれを「シュワルツ超函数」へ移動する動きがあり、その後「関数」から「函数」への書き換えが進んで、ごく最近(5月28日)に残されていた「超関数」も「超函数」へ移動させられました。  私は「シュワルツの超関数」と「佐藤の超関数」を独立記事にすることはそれなりの意味があると思いますが、残された「超関数」の内容には不満で、手を入れたいと思っていました。 しかし、それが「超函数」に移動し、すべてが「函数」に書き換えられたことで気勢をそがれた気分でいます。 白駒さんもこの移動がご所信に反する行為であることは認めて下さると思います。
  •  白駒さんは「関数/函数」の問題では中立の立場を貫かれようとされておられることは解りますが、私にはこれは優劣がはっきりした問題であると感じられます。 そこで白駒さんに御願いですが、この問題に決着をつけるため、立場を変えて、たとえばWikipedia:ウィキプロジェクト 数学において「関数」を優先するとの結論を出し、それをポータル:数学ででも表明して頂けませんでしょうか。 理由は私が前回に述べた論拠(に「物理学編」を加えたもの)で充分だと思います。 そのお墨付きにより、「関数」→「函数」の書き換えに少しは歯止めがかかるのではないかと期待しています。 よろしく御願いします。--Midz 2009年5月31日 (日) 06:30 (UTC)[返信]
私は別に「お墨付き」を出すような立場にありません。また、ポータルなどでただ単に「お墨付き」を出したところで、混乱が増すばかりになる可能性があります。超函数の件は、一連の再編の一環ととらえられますが、物理と関係が深い対象であり、物理の方は「関数」としか書かないのであれば、とまどいがあろうことも理解できます。Midz さん御自身では「関数」と表記しつつ内容を充実させるとか、改名が必要と思われるならば個別にノートで提案してはいかがでしょうか。まあともかく、関数派の一部の方が通りすがりに「関数が当然で函数はおかしい」といった態度で臨む限り、根本的には歩み寄れないような気がします。--白駒 2009年5月31日 (日) 22:29 (UTC)[返信]
表記を統一させずに各記事の「函数」から「関数」又は「関数」から「函数」の編集合戦を減らす方法を思いつきました。テンプレート {{Japanese function}} を用意して、「関数」/「函数」をテンプレートに置き換えれば、テンプレートを編集するだけで全ての表記を一括して変更できるようになるので、標準名前空間における各記事の編集合戦が今より少なくなると思います。 --ひゃくまんこのしあわせ 2009年6月4日 (木) 02:03 (UTC)[返信]
技術的に不可能です。記事あたり数十箇所「関数(函数)」があり、記事も広範囲です。それをすべてテンプレート処理すると表示の遅延は確実であり、そのような随時負荷がかかるようであるとシステムはちょっとしたことで頻繁にダウンします。また正式とか筆頭とかのこだわりなのでテンプレートで納得する方もいないと考えます。--あら金 2009年6月4日 (木) 02:35 (UTC)[返信]
「技術的には可能」でしょ。ただ、私は(図表などの目的出る場合などを除いて)記事本文でテンプレートを使用することは原則として許容しないので賛成はすることはありませんが…。(和暦テンプレートを散々拒んでいるのと同じ理由です。)--2009年6月26日 (金) 01:22 (UTC)

議論の舞台を移したらいかがでしょうか

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「関数/函数」について活発な議論が繰り広げられてきましたが、また収拾がつかなくなってきたようです。 この場はいかづちSqueak さんが提起した項目ですが、提案の具体的例として「関数/函数」を用いたため、提起者の意図に反してまた「関数」と「函数」のどちらがよいかの議論になってしまい、申し訳ない次第です。 関数か函数か、の議論はあまり井戸端にはふさわしくなく、むしろWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 数学の方が向いていると思いますので、議論の舞台をそちらへ移したら如何でしょうか。 そしてそこで互いにまず論拠を提示して議論を進め、合意が得られてそのままWikipedia:ウィキプロジェクト 数学の記事のなかで「推奨」と記述出来れば幸いですが。 --Midz 2009年6月4日 (木) 02:23 (UTC) [返信]

分野を限定せず日本語全般の問題として扱ったほうが良いと思います。例えば「言語哲学」に『真理関数』を『真理函数』と表記している箇所があります。 --ひゃくまんこのしあわせ 2009年6月5日 (金) 01:10 (UTC)[返信]
コメント有難うございました。 が、同意は致しかねます。
  •  まず、「関数/函数」という言葉はもともと数学用語であり、物理を始めとする諸分野で用いているのは、ものごとを精確に表現するための手段としてそれを借用しているものです。 「言語哲学」はよく知りませんが同じ事情だと思います。 従って他分野ではそれぞれ数学での議論を参考にお決めになればよいことで、まずは数学分野でどうするかを纏めるのが基本だと思います。
  •  そして「関数」、「函数」のどちらを採るかは数学分野で大きく問題になっていることで、この井戸端での議論でも他分野からの議論の参入は皆無でした。 ですからこれは「ウィキプロジェクト 数学」の場の方が集中した議論が出来てよいと思います。
以上の理由で私は上記提案を維持します。 --Midz 2009年6月5日 (金) 06:11 (UTC)[返信]
コメント「言語哲学」のラッセルやヴィトゲンシュタインのあたりで真理関数が出てくるのは、まあ「数学」に含んでもいいような気がします。ただ、数学の術語からの使用だとしても、哲学ほか人文系の一部、物理ほか自然科学全般でも用いられる言葉ですから、舞台を数学プロジェクトに移すなら、適宜告知をしたほうがよいと思います。継続して書き換えや移動が行なわれる函数/関数に限定して、暫定的にどっちかに決めることを先行させて、その後全般的な表記法との折り合いを付ける、ということなら、それは一案かもしれません。ただ、広く用いられている言葉であり、一般的な記事名の選択あるいは利用者の態度といったところまで論点は広がっているようですから、井戸端で継続、移動するなら表記ガイドのノートなどが好ましいように思います。--Ks aka 98 2009年6月5日 (金) 07:06 (UTC)[返信]
コメントすでにサブページ化されており、必要ならばこのサブページを適切なノートページなどにも展開できるわけで、場所を移動しても特にメリットはないような気がします。--Nekosuki600 2009年6月5日 (金) 08:34 (UTC)[返信]
コメントここでは常用漢字表にしたがうのが規則ですから「関数」が正しい表記です。このような規則により文章の質が安定するのだと思います。したがって本問題は常用漢字やWikipediaの表記規則から見直すべきでありWikipedia:ウィキプロジェクト 数学だけで決めていい話ではありません。したがって議論の場の移行には反対します。そして、(「函数」は否定しませんが)ひとまず混乱収拾のため「関数」が正しいとの結論を示すべきだと考えます。--みや1229 2009年6月5日 (金) 20:15 (UTC)[返信]
沢山のコメントを有難うございました。 皆様、議論の場の移行には反対であること、それに情況が少し変化しましたので、「Wikipedia-ノート:ウィキプロジェクト」への移行提案を取り下げます。
私が今度、この議論に参入したのは、この4月末以来「超関数」項目で改名提案の手続きなしに「関数」→「函数」への書き換えが行われたことに起因します。 私は「関数/函数」問題では「関数」と書くのが適当であると考えていますが、これまで何回か取り上げられた議論ではいつも「関数」派が優勢なのに結論を出せずにあいまいに終って、どこにも明確な方針が記載されずにいます。 そしてそこにこれらの書き換えが行われる原因の一つがあるように感じました。 そこでこの井戸端記事で、5月29日付けで私が「関数」を適当と考える論拠を明確に提示しましたが、その後のその論点に対する正面からの反論も賛成意見もなく、議論が脇に流れて、またまた尻切れトンボの結末になりそうでした。 そこで議論の場を移してそこで私の論点をさらに精密に提示して論議を呼び込み、何とか数学分野での方針明示にこぎつけたい、と考えたのが提案の趣旨でした。 しかしこの度、「超関数」項目が白駒さんのお骨折りで正常な姿に戻され、その他にはいまのところ問題はなさそうですので、このまま事態が落ち着くならばそれもよかろうと考え、提案を取り下げる次第です。 これを機にこの種の編集合戦がこれからも起こらないようにするにはどうすればよいかを考えていただくと幸いです。 --Midz 2009年6月6日 (土) 06:51 (UTC)[返信]
無粋な言い草かもしれませんが、私は何も骨を折っていないことが経緯をよくご覧になれば分かるでしょう、と指摘しておきます。「正常な姿」が何か、というのも人によって違う可能性がある、ということも指摘しておきます。--白駒 2009年6月9日 (火) 12:23 (UTC)[返信]

表記をめぐる論争の捉え方、みたいな

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白駒さんの 2009年5月30日 (土) 05:42 (UTC)を手がかりに、最初の提案に立ち戻って考えると、圧倒的に「正しい」とできる表記がないという項目ということで考える必要があるんじゃないかなと思いました。過去の関連議論から思いつくものを拾ってみると

  • 語義、語源、由来など
  • 公的な、あるいは広く影響力のある用語集・用例集などの記載
  • 一般的な広がり
  • 特定分野における正しさ、用例集、広がり
  • 「正式名称」

といったところ。これらは、それぞれに「正しい」ものだと思うんですよ。これらの中からどれを選ぶのがいいか、というのを「基本見解」としてまとめることができれば、それはそれでいいかもしれないけど、それも難しいと思うんだ。

表記をめぐる論争は、相手の言い分もわかるけど、いろんな観点から見たら、ウィキペディアでの記述としては、こっちがいいんじゃないか、という形で結論をだすしかないと思うんですね。そうでなければ、相手が正しいとしていること、重視していることそのものを否定しないと。

執筆者同士なら、慣習的なところは共有していて、その上でどうするって話ができるだろうし、「超関数」みたいに分野が違うところでぶつかったとしても、まあ互いに尊重してなんとかなるような気がする。

で、表記のことそのものについて、十分な知見があるひとであれば、上で書いたようなことを踏まえれば、語義的にはどう、文科省がどう、百科事典ではどう、用語集ではどう、異体字というのはこういうもので、といった話を説明したり用例を挙げたりして、その分野についての特性は執筆者が説明して、それぞれに一通りの知識を得た上で、総合的にどの表記を選ぶのが妥当かということで合意を試みることが期待されます。それで合意が得られる(得られないこともあると思いますが)、まあ、受け入れられるものだと思うんですよ。というか、それでなお「正しさ」を主張するのであれば、それは他の「正しさ」を受け入れないということで、一つの立場として認められるとしても、他の正しさを覆すものにはなりえず、編集を強行することは認められない。記事は執筆者の所有物ではないですから。

結局のところ、漢字やカナの表記には、さまざまな論点があり、安易にどちらが正しいといえるものではないということを把握できず、「正しさ」について、公的なレベルでの経緯や、その分野における緒論、少なくともウィキペディア上でなされた議論などを踏まえずに、「こっちが正しいんだ」と言わんばかりの編集合戦を仕掛けることや、「誤記」だの「荒らし」だのと要約欄に書くことや、単純に変換する編集のみを行うことこそが、避けるべきことと言えるでしょう。Aという表記で合意のある状態で、記事を書く人がBと書いていたとしても、その人がBと書くことは認められるのであって、Aと書かないからと言って責める筋合いのものではなく、これこれこういう理由で、Aを採用しているので、とお断りをして、修正させてもらう、と。

そういうようなことでどうでしょうか。で、その上で、「函数」と「関数」は、一通り調べられているように思いますし(利用者:Ks aka 98/砂場3固定リンク)、そろそろなんとかならんかとも思いますが。--Ks aka 98 2009年6月6日 (土) 08:25 (UTC)[返信]

(コメント)「制式」と「正式」を取り違えて議論しているだけかと。「制式」用語は基準に基づいて(事前合意を取り付けておくか、事後に合意形成するかの違いはあれ)合意によって統一した語で、「正式」な用語の中から1つ選択されるということです。基準にあいまいさがなければ、「制式」を選定するための合意に際して議論は発生しませんが、基準にあいまいさが存在するのであれば合意形成によって決定するしかないということだけです。つまり「正しい」ことは観点に基づくので「正式」は観点の数だけ(不定数ないしは無数)に存在します。したがって、「制式」を選択するのに「間違っていない事の主張」を行ういうのは「正式」の根拠となる第三者の検証可能な観点の存在を主張するだけで、選択するための優劣の比較の役にはたたないということだと考えます。議論進行に寄与のない点に繰り返し議論や印象を誘導したり、要約欄で野次やあおり文句をいれれるのは両者とも(、故意性・悪質性が存在するかとか見逃すほど軽いかなどの判断は別として本質的には)議論回避・妨害だと考えます。議論進行は提案によって進捗するのであり批評批判によって進捗するものではないので、当事者の発言がいずれの論旨かを区別できないことは無いと存じます。なので合意形成には提案が必要で、提案があったのであれば批評ではなく逆提案で対応してください。--あら金 2009年6月6日 (土) 09:51 (UTC)[返信]

(コメント)この井戸端の提案は「明確な方針を定めて欲しい」ですね。これについては明確な規定表記ガイドを守るだけの事であってそもそも議論の必要性が存在しません。どちらが「正しい」かの議論をしているわけじゃなかったんですね。--みや1229 2009年6月8日 (月) 11:38 (UTC)[返信]

私は表記ガイドが「明確な規定」だとはあまり思いません。私が今回問題に思っているのは同音の漢字による書きかえによって書き換えられた字を使うべきかどうかですが、これは表記ガイドには明確な記載がありません。取り違えていたらすみませんが、明確な規定というのは「字体は原則として常用漢字表に従う」と「専門用語の漢字・平仮名・片仮名のどれを使うかはその分野の慣習に従う」でしょうか。しかし、前者の指示は、書きかえ前後の文字は同じ漢字の別字体ではありませんので適用されません。そして後者で議論がまとまらないわけです。 --いかづちSqueak 2009年6月9日 (火) 02:28 (UTC)[返信]
「函」は常用漢字ではないので「函数」は使えません。また、一般に使われていない「函数」では意味が通じなくなるという現実的な問題もあります。--みや1229 2009年6月9日 (火) 11:30 (UTC)[返信]

◆「明確な方針を定めて欲しい」が提案ならば、「定めなくてよい」が私の逆提案。何のために表記を統一するのか、どこまで統一するのか、といったことを皆さんに(私も含めて)良くお考え頂きたいです。そのメタな部分から意識の差があるように思う。表記を全て統一したい、というある意味で潔癖すぎる考えが多くの方の前提にあり、それが Wikipedia にとって害になっていると私は思います。必ずしも統一しなくともよい、とのおおらかな気持ちを共有した上で、どれかの表記を推奨(強制ではない)した方がよい、と合意が得られた個々の案件については明文化しておくことにすれば十分と考えますが、いかがでしょうか。 ◆合意が得られた場合でも、「無責任に」bot のような置き換えをするのは慎むべき、と強く主張します。合意がなく、大した根拠もない場合はなおさらです。 ◆そのメタの部分での議論が深まれば、関数問題も解決に近付くかもしれません。もとより、つまらぬ編集合戦や移動合戦が起こるのはどうにかしたい。 ◆議論しやすくするために、もう少し具体的なことを言いますと、提案者が関数に統一したい理由は「万人に分かりやすい表記」だから、でよろしいですか。私は「函数」表記になじみがないのは単に教養が足りないためだ、と思うのですが、違いますか。辞書を引くか、Wikipedia 上ではクリック一発で関数のことと分かるのに、教養が足りない一部の人のために関数に統一しなければならない理由は何でしょう。私は(教養が足りないために)「坐剤」よりも「座剤」や「座薬」の方が、「ろ過」より「濾過」の方が意味が分かりやすいですが、同様に「関数」より「函数」の方が意味が分かりやすいという人(確実に一定数いる)を無視して「万人」というのは言い過ぎではありませんか。「濾過」という表記を知らない人のために、全て「ろ過」と書き換えなければなりませんか。率直に言えば、関数派(の一部)の人が思うほどには関数でなければならない理由はないのですよ。そこを理解せずに的外れな発言(現代日本語で一般的とか、常用漢字がどうとか、もはやツッコミを入れる気にもならない)および性急な対処をするから反発されてまとまるものもまとまらないのだ、というのが私の感想です。まあ、反発する方も反発する方ですが。 --白駒 2009年6月9日 (火) 12:23 (UTC)[返信]

表記を統一するメリット。それは「函数」表記と「関数」表記の二回検索する手間が省けます。システムで「函数」と「関数」を同一視出来るのであれば、表記がバラバラでも良いと思いますが別の語として扱われる限り出来るだけ揃える方が良いと思います。
Category:函数解析学Category:関数解析学 同じものが二つ存在しますがこれって、表記が統一されていないからですよね。通常記事ならリダイレクトで良いでしょうがカテゴリはリダイレクトにしても無意味ですし、どちらも認めるのならば、各記事やサブカテゴリを両方のカテゴリに入れなければなりませんね。
ちなみに私の希望は、どちらでも良いので表記を揃えて欲しい。もし可能であればシステム側で同一視して欲しい。--ひゃくまんこのしあわせ 2009年6月9日 (火) 13:23 (UTC)[返信]
表記規定にはメリットというよりニーズがあるというべきだと思います。文章は情報を正確に伝える必要があります。とくに多くの方々が読む文章ではなおさらです。そのために用語等に規定を設け誰が執筆してもある程度同じ文章になるようにしているのです。逆に規定がないと記事の品質がバラツイてWikipedia全体のレベル低下につながります。この例ですと常用漢字にない「函数」では多くの読み手が何のことかわからなくなりますね。また、ひゃくまんこのしあわせさんのあげられた「○○解析学」の混乱も起きます。--みや1229 2009年6月9日 (火) 14:13 (UTC)[返信]
「表現のばらつきは品質のばらつき」というあたりの概念がもうよくわかんないわけですよ。また、常用漢字の範囲内か外かというのもあまり関係がないと思う。古くは「函数」という表記しかなかったわけで、そこらへんを無理やり「関数」にまとめたら「常用漢字概念の制約によって劣化した表現とされている」という受け止め方だってできるわけで。
で、この項目で論じるべきことは「表現を統一すべきかどうか」「表現を統一するのが良いと仮に決めたとしてそのための具体的かつ実効的な方法はあるのか」みたいな話だと思うの。ここで「どっちが正しいか」を主張するのは場違いというものだろう(前回のみや1229さんのコメントのときも「それは場違いだろう」という強い違和感を感じた)。
おまけ。「この例ですと常用漢字にない『函数』では多くの読み手が何のことかわからなくなりますね」というのは、何を言っているのかぜんぜんわかんないです。指摘されている範囲では単に「関数」に「函数」へのリダイレクトを置いておき、「函数」の冒頭に「常用漢字概念のせいで『関数』と記されることが多い」という注意書きをつけておきゃいいだけの話ではないんだろうか。おそらくみや1229さんは「関数」という言葉で概念を学んだ世代なんだろうと思うけれども(おれもそうだけれども)、そんなもんは時代的便宜にすぎないのであって、正しい正しくないという判断基準とは無縁の便宜的基準あるいは自分からの距離に関する遠近感的感覚にすぎないでしょう。
そういえば大昔に「大坂城」と「大阪城」で移動合戦があったっけなあ。ざっくり言って、江戸時代も中期になるまで「大阪」なんていう地名は一般的ではなかったっつーの。さあ、じゃあ「おおさかじょう」の項目は「大坂城」がいいか「大阪城」がいいか。おれは大坂城だと思うけどなあ。--Nekosuki600 2009年6月9日 (火) 15:16 (UTC)[返信]
文章は書き手と読み手が同じ解釈をすることが理想だと思います。その文章を構成する用語についても同じ意味に捉えられるようにしておく必要があります。そのために規則を設け誰が書いても同じ用語を記述するようにします。学会誌への投稿規定には用語の基準があります。もしかしたら「函数」を選択する規定を持つ団体があるかもしれません。その場合は「函数」のほうがより多くの人に意味が伝わるからです。ですから本件は「どちらが正しいか」ではなく「どちらがそのコミュニティにとって標準的か」という視点で決めるべきなのです。Wikipediaでは様々なレベルの人たちが利用します。ならばより簡易な常用漢字を使用した用語を選択することが妥当だと思うのです。ただし「関数」が唯一の用語ではないためリダイレクトや「函数」表記の断り書きも必要だと思います。--みや1229 2009年6月10日 (水) 11:25 (UTC)[返信]
それは違うなあ。言語なんて、同一言語の中でもひとりひとりで意味の取り方は違うんで、それをどうすり合わせるかという技術が重要なんです。機械的に単語の配語法を統一してどうなるってもんじゃないでしょう。「もともと、送り手と受け手の解釈は異なるのがデフォルト」なんであって、そこをどう埋めるかという技術論をやるのならば意味があるかもしれない。しかし「配語法の統一」程度の手段で「同じ意味に捉えられること」が保障されるわけじゃない。
そういう論法で主張をするのだったら、日本語でも英語でもギリシャ語でもいいけど、そういう状況を実現してから言ってくれないかね。そういう状況の実現が困難でありほとんど不可能であるから、言葉を使うことが難しいのじゃありませんか。
「食い違いがあること」を前提として、フォローアップの技術を磨くべきっていうことならば同意します。そして、それはWikipedia的には「リダイレクト」や「冒頭定義部での説明」でクリアできることだと思う。Wikipedia上で、あるいは実社会で、「食い違いをなくすこと」を前提とするならば、それは机上の空論ってやつではないかと思います。あなたは、なんかかなり深層のレベルで、よくわかんないけど決定的かつ根本的に間違ってると思う。--Nekosuki600 2009年6月10日 (水) 12:46 (UTC)[返信]
Wikipediaは様々な人が読むのだからその人の背景によって「意味の取り方は違う」なんて無責任な態度でいいのでしょうか?Wikipediaはほぼ公共的な場なのだから多くの人が理解できる文章を提供する責任があると思います。それには一定の縛り(規定)が必要です。--みや1229 2009年6月10日 (水) 13:55 (UTC)[返信]
それが無責任かどうかなんていうレベルで話ははじめられないのですよ。あなたの論点は「万民が同じように受け取る言辞というものがある」というのを前提にしているでしょう。その前提がないんだとすると、あなたの主張は根底から崩れるのです。「一定の縛り」で「万民が同じように受け取る言辞」を実現できると思っているのならば、それは世界を見誤っているのではないだろうかと、おれは思います。
何が違うのかというとね。おれは「あなたとわたしは同じものを見ることができるのか」っていうところから見直さないといけないと言っているのね。あなたは、「わたしとあなたは同じものを見ているはずだ」というところから話をはじめようとしているの。あなたの見方は、狭い世界の範囲内では通用するかもしれないんだけど、たぶん「日本語圏」というような広い枠組みでは成立しないのですよ。おれはそこんところを意識して論を組み立ててほしいとリクエストしているのです。たとえば「函数」と「関数」に関しても、「数学業界」と「物理学業界」では共通基盤を持ってないという話は、上のほうで説明されていたわけでしょう。そういことをふまえて考えてみてはどうかと、おれはあなたに提案しています。同意できるるかどうかは全くの別論、実感できるかどうかについても問いませんが、「異なる感覚・立場の者がいる」ということが認識できないのだったら、その時点で「意見」は「独善」になってしまうと、おれは思うのですよねえ。--Nekosuki600 2009年6月10日 (水) 14:12 (UTC)[返信]
執筆者ではなく読者の立場からすると、「Wikipedia的には「リダイレクト」や「冒頭定義部での説明」でクリア」出来ないことがあるので、表記を揃えて欲しいです。
  1. カテゴリ
    Category:函数解析学Category:関数解析学や、Category:整数論的関数 と Category:整数論的函数 の様に同じ目的のカテゴリにバラバラに記事やサブカテゴリが属しているのは問題ではありませんか?通常の記事であればどちらかをリダイレクトにすればすみますが、カテゴリの場合ページをリダイレクトにしても、カテゴリを表示するページが移るだけで、カテゴリに含まれる記事がリダイレクト先のカテゴリに移るわけではありません。片方に属するの記事をもう片方にも属させないと本来のカテゴリとしての機能を発揮できません。
  2. 検索
    「函数」と「関数」で本文検索の結果が異なります。これは、どちらかでしか検索しない読者に対して不正確な情報を与えています。以下に例を挙げて見ますので比べてみてください。
--ひゃくまんこのしあわせ 2009年6月11日 (木) 01:43 (UTC)[返信]
その理由での統一の必要性というものには全くもって同意できませんが、打開策を記さないのもなんだかなぁと思うので、軟着陸点探しという意味で、思い付きを書いてみます。
 
カテゴリについて。
カテゴリについては、いろいろと扱いが難しそうなので、「強引に併記で統合する」という手を提案してみます。強引に過ぎるというご意見もありましょうが、もともとの統一案が強引なんだからしょうがない。
具体的には、「『Category:函数解析学』や『Category:関数解析学』といったカテゴリの存在は許さない。それに属するものは全て『Category:函数解析学・関数解析学』に放り込む」と決めるということです。これならば、おれは妥協するにやぶさかではありません。
 
検索について。
検索については、検索システムにファジー検索を組み込むよう求めるしか根本的な解法はないんじゃないでしょうか。ファジー検索はファジー検索で問題を抱えていますし、誰がいったいファジーのシソーラスを作るのかという問題は別途出てくるのですが。
なお、本件については「Wikipediaの可能性と限界」の問題に近いような気がします。一般の書籍事辞典類などならば最終的に編集者がトップダウンで用語統一などをはかることはできるのですが(しかしそれすらけっこう破綻していたりもするのですが)、Wikipediaにはそういう考え方はありませんから、表記に揺れがあるのは覚悟の上で検索をするしかないんじゃないだろうかという気がします。書籍事辞典類などからすると「劣化」と思われるかもしれませんが、インターネット検索なんかではそれはもう当然求められるスキルっちゅうかリテラシーというかになってしまっているのであって、個人的にはたいした欠点ではないような気がしています。更に、外来語の音訳とかになったらもうWikipedia的だけではなく世間的にすらぐっちゃぐっちゃなわけで、そのくらいは利用者側にスキルを求めてもいいんじゃないんだろうか(*1)。
  • 1
すんげえ個人的なこと。おれの自分のサイトでは、たとえば「しゃりょう」は、固有名詞を除いて「車輌」と表記することにしていて表記統一プログラムで面倒を見ているのですが、それって「車両」という一般的な表記とは異なるんですよね。「車両」で検索してくるひとを、排除することにつながったりする。
おれのサイトの話なんかどうでもいいんだが、たとえばの話が数学記事を執筆できるだけの実力とモティヴェーションを持っているひとがWikipediaを「函数」で検索してまるっきしひっかからず「Wikipediaって屑」と判断して離れてしまう可能性だってあるわけでしょう。
表記統一ネタって、そんな簡単なもんじゃないです。読者が支払い著者が受け取るというような商業書籍的構造がないWikipediaみたいなところではなおさら、「読者側の都合」って、必ずしも優先されるものにはならないと思うの。軽視しちゃいけないと思うのだが、「読者を尊重しろ」と言われると「それより前に書くやつを尊重しろ」と言い返したくなる。
こんなところで、疑問への返答になりましたでしょうか。なっていたらうれしく思います。更なるつっこみを封じようという意図はありませんので、そこらへんはよろしくどうぞです。でも思わずおれがうなってしばらく考え込んでしまうようなつっこみを期待したかったりはするです。--Nekosuki600 2009年6月11日 (木) 13:28 (UTC)[返信]
ひゃくまんこのしあわせさんへのコメントです。仰るように実用的な面からも統一すべきでそのために表記ガイドがあるんじゃないですか?学校で教えない「函」を使うと読めない人だっているわけですよ。読んでもらえない用語を使っても何とも思わない人は誰に向けて記事を編集しているのか疑問です。ここの議論でもほとんどの人が「関数」にすべきといっているけど、「函数」は一切使うなとは言っていない。ちゃんと対応しようといろんな意見が出ている。その方向で行くべきじゃないですか。--みや1229 2009年6月11日 (木) 13:17 (UTC)[返信]
「函」が読めないひとがいることは否定しないけど、そういうひとは百科事典を使う前に基礎的なお勉強をすべきだと思うんだよねえ。「潜函」とかどーすんのよ、みたいな。東洋象形文字的言語における漢字ってゲルマン語・ラテン語などの系列における「語」と同じような位置付けなんで、「函」という文字は「関」と言い換えられてみたり「箱」と言い換えられてみたりするのだが、いずれもずれを生じるんですよ。まあ「どのレベルでわかりやすくすべきなのか」という閾値問題なのかもしれませんが、わかりやすさをとことん求めるなら「金払って市販の編集者がまとめた百科事典を買いなさい」と助言してあげるのがいちばん親切なんじゃないんだろうか。
で、いまぼくらはそういう話をしているんですか? 違うんじゃないでしょうか。--Nekosuki600 2009年6月11日 (木) 14:36 (UTC)[返信]
◆ごめん。みや1229さん、そのコメントは、白駒さん宛なのかどうかがわからないので、なんかうまいこと移動するか、どのコメントへのレスか明らかにしてもらってよいですか?--Ks aka 98 2009年6月11日 (木) 14:39 (UTC)[返信]
なんで競合にならなかったのかがよくわからないが、今やったデリミタつくりで問題は解決したのじゃないかと思う(同意いただけたらこれ以上のこの件についてのレスは不要)。--Nekosuki600 2009年6月11日 (木) 14:41 (UTC)[返信]
◆今、改めてレス先の遅ればせの宣言にあわせて位置とインデントの変更をしました。おれがどういう意味あいで変更をしたのかについて、みや1229氏におかれましては、じっくり考えてもらえるとりがたい。--Nekosuki600 2009年6月11日 (木) 15:28 (UTC)[返信]

まず私はNekosuki600さんに賛成です。この話は、「ヴァかバか」と同じことですよね?当てはまらない場合もありますが、ほとんどのヴァはバに書き換え可能ですし、みや1229さんの理論で行くと「バに統一」なのでしょうね。ですが本当にそれ(バ行、関数)が大衆的だという証拠なんてありません。どちらも正しい表現で、どちらも使って良いのですから、統一なんて考えるほどの事ではありません。どちらが慣例か分からないなら統一なんて夢の話です。関数が慣例である証拠なんて無いでしょう?[4][5]余談ですが、私は始めて「ヴァイオリン」を見たとき「バイオリンの変種か?」と思いましたよ。多くの人が「バイオリン=ヴァイオリン」と一意に分かるとしても、それが分からない人がいることも事実で、それは「バイオリンの方が適切だ」と言う理由になるかもしれないけれれど、「多くの人」「分からない人がいる」なんて言うのは検証不可能なのであって、統一する理由なんかにはなりません。「ビオロン」なんて言い方もありますし、そんなものは毎回表現の自由ですよ。一般的でないと思った人は、何か他の加筆をする時についでに書き換えればいい話で、それで徐々に一般的表現に近づけていけばいいのです。話をそらしてしまって済みません。ヴァ行の例を挙げればもっと具体的な視点で話が進むのかなと思ったのです。そもそもこの話「表記が複数ある場合」と言うのは「同義語がある場合」と具体的にどう違うのか分かるように教えてほしい。また、カテゴリーの問題ですが、カテゴリーについては統一した方が良いかもしれません。ですがそれは本文や項目名にまで影響をあたえるものではありません。検索の問題は、何が問題なのか良く分かりませんでした。それと実は私は現在投稿自粛中なんです。あくまでも参考程度にしてください。--ぎけんかし 2009年6月11日 (木) 10:19 (UTC)[返信]

関数問題についての草案

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関数問題に絞って、方針の草稿を書きました。御意見をお願いします。--白駒 2009年6月11日 (木) 12:48 (UTC)[返信]

拝読しました。おれは数学については自他共に認める門外漢なのでしばらく様子を見させていただきますが、おおむね同意します。なお、「時限」とか「回数制限」とかのあたりは、「誰がカウントするのか」みたいな話になりかねないので、もうちょっとコンセプトに特化した制約にできないかなあという感想は抱きました。このあたりも追っていいアイディアを考え付いたら何か書かせていただくことがあるかもしれません(率直なところ、これは下のみや1229氏のインデントを考慮しないコメントのせいで白駒さんの貴重な提案が埋もれてしまうのを避けるためのデリミタですので、白駒さんにおかれましては、あまりお気になさらずに)。--Nekosuki600 2009年6月11日 (木) 14:40 (UTC)[返信]
◆基本的に賛同します。混乱を避けるためには編集制限は必要だと思います。でも「項目名に揃えるとか、同一項目内での表記を揃える・・・」これは実用的には必要な編集だと思います。--みや1229 2009年6月11日 (木) 14:52 (UTC)[返信]
◆>提案者が関数に統一したい理由は「万人に分かりやすい表記」だから、でよろしいですか。→おおむねそうですが、「万人」という表現は適切ではありませんでした。「なるべく多くの人」と訂正します。すなわち、「『関数』より『函数』の方が意味が分かりやすいという人」はその人数が少なければ無視するべきだ、ということです。 ◆検索の話が出ましたが、私は併記の仕方について例えば「関数(函数)電卓」のような形を考えていたのですが、検索の便を考えると「関数電卓(函数電卓)」のようにしなければならなそうですね。またそもそも併記をすべきかも決める必要がありますが、私は少なくとも併記なしは検索や編集合戦の問題があると思いますので、どんな形にせよ併記を推奨すべきであるとおもいます。 ◆白駒さんの草稿について、編集制限を設ける案には大いに賛成です。具体的な期間などの細かい点は慎重に決めるべきだと思いますが、少なくとも何らかの制限があるということだけで編集合戦の抑止効果は発揮されると思います。また、「過去の論争」の項の記述は一方的に見えます。「函数にすべき」という意見とその反論も書くべきだと思います。 ◆ぎけんかしさんがGoogleの検索結果を示していらっしゃいますが、Web全体からの検索のため中国語のページが勘定に入っています。日本語のページのみを検索すれば関数は函数より二桁上です[6][7]。 ◆さて今更なのですが、大きな誤認がありました。函数→関数の書き換えは「同音の漢字による書きかえ」の一環だと思っていたのですが、Wikisorceで原文に当たったところこれは載っておらず、無関係だった模様です[8]。ほかに同類のものに日本新聞協会が定めた書き換えも存在するようですが、あまり新聞に使うような語とも思えずこれも関係なさそうです。よく調べず間違ったことを書いてしまい、すみませんでした。ただ、関数表記にすべきという根拠に「同音の~」に示されていることのみを挙げているわけではないため議論の本質にさほど影響は無いと思います。また函数→関数の書きかえの状況は「同音の~」と同様ですので、「同音の~」に示された漢字と函数/関数を同時に議論することにも問題は無いと思います。--いかづちSqueak 2009年6月11日 (木) 18:54 (UTC)[返信]
賛成します。 「項目名やカテゴリー名は原則として「関数」を用いる」の方針を明示するだけでも混乱を防ぐ大きな力になると思います。 --Midz 2009年6月12日 (金) 04:33 (UTC) [返信]
◆白駒さん、方針の草稿のご準備お疲れ様でした。ざっと読んでみて「現行方針」の節はちょっと違和感を覚える部分がありましたのでコメントしてみます。
まず、Wikipediaでは各項目が独立した文書として扱われるので、項目名を関数に統一する一方で同一項目内での表記を揃えることが推奨されないというのはやや不自然ではないかと思います。また、条件を満たすアカウント・ユーザーなら月一回のみ表記の変更をすることが認められるというのもあまり妥当とは思えません。「函数」を「関数」に、「関数」を「函数」に変更するだけの編集は、それを行うのがアカウント・ユーザーであろうとIPユーザーであろうと、また月一回であろうと年一回であろうと不毛であることにかわりはありません。逆に、有意な加筆を伴う編集であればIPユーザーであっても表記を変更することは認められていいのではないかと思います。
そこで次のような案を考えてみました。
  1. (項目名を含め)基本的に「関数」と「函数」のどちらを用いても構わない。
  2. 項目名に「関数」もしくは「函数」の語が含まれる場合は別表記からのリダイレクトを作成する。
  3. 同一の文書内ではどちらかに統一されていることが望ましい。
  4. 「函数」を「関数」に、「関数」を「函数」に変更するだけの編集は行わない。これに違反するユーザーは荒らしと見なす。
  5. 大幅な加筆(バイト数にして1.5倍程度以上)を行う際には元の文章の表記を変更しても構わない。(1.5倍というのは取り敢えずの目安のつもりです。異論があれば増減させてもいいと思います)
  6. カテゴリは同じ内容のものを並立させない。両方作成されてしまった場合には古くからあった方を残し後から作られた方は削除する。(もしプロジェクト参加者の間で合意が得られるようならより広く用いられている「関数」に統一してもいいでしょう)
不備もあるかも知れませんが叩き台として参考にしていただければ幸いです。--sergei 2009年6月13日 (土) 13:51 (UTC)[返信]
◆個人的には「Sergei案」の方がいいような気がするなあ。要するに「内容なんかわかってもいないのに『表記の統一』みたいな表面的なことにこだわって編集合戦に発展させるような思慮浅きユーザ」をどう始末するかって問題なんで。
なお、「1.5倍」については、微妙。元が大きい項目ならばそれってものすごい負担になることなわけで(=^_^;=)。「1.5倍あるいは10キロバイトのいずれか小さい方」くらいがいいんじゃないかと(頭悪いひとにはわかんないややこしいルールかもしれない。10キロバイトだけでもいいかなあ)。
「もしプロジェクト参加者の間で合意が得られるようならより広く用いられている「関数」に統一してもいいでしょう」は、単に火種を増やすだけのような気がする。「プロジェクト参加者の間で合意があれば例外とすることができる」くらいでどうでしょうか。このくらいわかりにくければ火種にはならないと思う。--Nekosuki600 2009年6月13日 (土) 17:24 (UTC)[返信]
◆sergeiさんの案にとくに賛成というわけでも、反対というわけでもありませんが、一点、気になりました。
> 「函数」を「関数」に、「関数」を「函数」に変更するだけの編集は行わない。これに違反するユーザーは荒らしと見なす。
この中の「荒らしと見なす」に疑問があります。たぶん意図されたことではないとは思いますが、これだと、その合意事項を知らずに、「関数」を「函数」に変更するだけの編集を行った人も、荒らしとみなされるようにも読み取れるように思います(そうとしか読み取れない、とまでは言いませんが)。
(1)「会話ページへの注意の後も」(白駒さん案)や、あるいは「この方針を知りながら、あるいは知らされた後にも」といような条件をつけるか、(2)そもそも合意事項を知りながら十分な理由なくそれに反する編集は非難され、投稿ブロックに至りうる行為であるので、このような「みなし規定」は必要ないとするか、どちらかがよいのではないかと思います。
--mizusumashi月間感謝賞を応援します) 2009年6月13日 (土) 21:28 (UTC)[返信]
sergei案は両表記を認めており編集合戦を収拾できないため賛成しません。一方、白駒案は記事の入り口である項目名とカテゴリ名については明確に「関数」を基準に定めておりその部分に関しては混乱を収拾できるから賛同できます。ところで、Midz氏の意見にも近いと思いますが「項目名とカテゴリ名」「本文」「内容を伴わない文字だけの編集」などに分類して可能なところから案をまとめてもいいかと思います。--みや1229 2009年6月14日 (日) 09:36 (UTC)[返信]
なんていうかなあ(頭をかきむしる)。
この議論は「函数・関数のどちらが正しいかという問題には踏み込まずに無用な編集合戦などを抑止する」ことが目的なのであって、この議論を通じてどちらが正しいかという結論を導くためにやっているものではないのです。あなたが「関数と表記するのが正しい」と思っていることはもう十分にわかりましたけれども、関数派の勝利を目指してルールを策定しようというのは、姿勢として間違っていると思います。「どちらが正しいか」では決着がつかない案件だということは、この議論の前提だと思うのですがね。--Nekosuki600 2009年6月14日 (日) 09:45 (UTC)[返信]
Nekosuki600さん。まずは2009年6月11日 (木) 15:28の編集ありがとうございました。「関数派の勝利を目指してルールを策定しよう・・・」そのようなことは述べていません。拡大解釈です。次に「どちらが正しいか」も言っていません。ただし、以前「「関数」が正しい表記です」と書き込んでいますので誤解を招いているかもしれません。これは表記規定上正しいという意味で学術的に正しいという主張ではありません。ご理解をお願いします。最後に書き込む際は文章をよく推敲して書かれる方が良いと思います。「なんていうかなあ(頭をかきむしる)」このような感情的な言葉は反感を買うだけです。--みや1229 2009年6月15日 (月) 11:11 (UTC)[返信]

関数を特例で函数/関数にして、その他の記事では関数で統一でいいんでねーの。別名:日韓W杯、ワールドカップKorea/Japan方式。ぼくの世代だと函数・関数両方にギリギリで馴染みがあるけど、これから10年・20年後になるとちょっときつそう。この前テレビ見ててびっくりしたんだけど、最近は平城京をへいぜいきょうと読むらしい。

そもそもこの問題が揉めるきっかけになったのは片方の派閥の人がもう片方の派閥の人の尊厳を踏みにじるような形で「潰した(荒らし化させた)」からであってなー。ろくに記事は書かないわ、相手の書いた記事の表記を変えてこそっと改名するわ、数式を「分からない」というだけで消したりするわ、傍目に見て結構えぐい事やってる。荒らしは排除という論理はまぁ分かるけど、「荒らしと戦っている」中で生まれた正義的な感覚で、自分らがえぐい事やってるという自覚がなくなってるのも問題だわな。ミイラ取りがミイラになるの典型じゃん。--119.150.7.90 2009年6月14日 (日) 12:43 (UTC)[返信]

Wikipediaやこの記事におけるローカルなルールを理解していないので的を射た発言になっているか不安なのですが、ここでの議論は全体的にそもそも百科事典が持つべき啓蒙の役割を軽視しているように感じます。専門家にとって何が普通かあるいは正しいかではなく、教養のない人間にとって何が読みやすいかを重視すべきではないでしょうか。たとえば(この例えは多少論点がずれている可能性がありますが)「濾過」や「篩管」といった表現を利用すると、「濾す」を「こす」、「篩」を「ふるい」と読むことを知っている人には意味が理解しやすくなりますが、そもそもその漢字を知らない人にとっては可読性が下がるだけだと思います。「函数」も同様で、「函」を「はこ」と読むことを知らない人にとってわかりやすい表現だとは思えません。

ただ、もし白駒さんの案が荒らし行為を防止するというためだけの案でしたら上に挙げた私の意見を超えて適用されるべきだとも思います。しかし、逆にそれだけが目的なら白駒さんの案は厳密さに欠けるのではないでしょうか。荒らし行為を防ぎたいだけなら固有名詞の正確さ保持とページ内の表記の統一以外の目的での名称変更を許容すべきでないと思います。そこで提案なのですが、いったん一時的な対策としてより厳格なルールを採用して、平行して議論を続けるというのはどうでしょうか。遅い議論でしたら申し訳ありません。--210.238.192.238 2009年6月14日 (日) 17:24 (UTC)[返信]

なんかもうだいぶ話がそれてるような気もするんだけどさ。
「啓蒙」って何なのかってことを、おれはしばしば考えるのですよ。「啓蒙」は、「わかりやすく伝えること」を目的とするものだけれども、わかりやすく伝えるべきことは必ずしも「馬鹿にもわかるように要素をそぎ落として単純化したこと」なわけではなく、「わからないひとには、自分にはわからないのだということをわかってもらうこと」であるようにも思うのです。名前忘れたけど、日大法律学部のなんか乱暴な論をぶちかますマスメディア頻出教授がやっているのは「要素をそぎ落として単純化すること(そしてそのそぎ落としの仮定に自分の主張をまぜこむことだったりするのだが、このかっこ内は今回のケースについては別論)」だったりするのだが、わかりにくいが重要な点をそぎ落としてしまうと、しばしば専門的には「間違ったこと」になっちゃったりするんだ。
世界は、必ずしもわかりやすいもんじゃないんだ。百科事典がやるべきことは、「調べるという手順の削減をして手助けをすること」ではあるかもしれないが、「重要な要素をそぎ落として不当にわかりやすく単純化すること」ではないでしょう。重要な要素をそぎ落として不当にわかりやすく単純化したら、それはたいていの場合間違っていることにつながってしまうんでね。
それぞれの項目が要求する水準の前提知識を持っているひとにとっては過不足なく十全なわかりやすい説明を提供することは、百科事典にとって重要な目的でしょう。同時に、それぞれの項目が要求する水準の前提知識を持っていないひとには何も理解できないこと、少なくとも半可通にわかった気分になられたりしないようにすることも、心がけるべき親切ではないのでしょうか。わかってもいないくせにWikipediaをコピペしてレポートを作成してスキャンダルの渦中のひとになっちゃうようなよくわからないひとがそこそこいる昨今なんです(いや、昔からそうだったと思うんだけど)。「なにがなんでもわかりやすくすること」は至上命題ではなく、「わかるひとにはわかるように、わからないひとにはそれなりに」というダブルスタンバイを念頭に置いて考えた方がいいのではないだろうかと、おれは考えます。選民主義だと言うなら言えって感じ。--Nekosuki600 2009年6月14日 (日) 18:36 (UTC)[返信]
説明が不足していたようなので付け加えます。「啓蒙」と書いたのは高等教育や専門教育を受けられない人にもそれを学ぶ機会を与えることが百科事典の役割の一つだと思っているからです。その分野を学べる機会や手段のある人はそれを利用すべきで、百科事典はそのような人が頼るべき対象だとは思いません。まして、正しい知識のコレクションの場ではありえません。
だからこそ、私は単純化すべきではないという点に合意します。教養のない人間にそれを学ぶ機会を与えようと思うなら、必要な要素はすべてもらさず記載すべきだと思います。
私が先のコメントで述べたのは、Wikipediaにおいて専門家なら当然知っているべきことが省かれ初めて学ぶものに理解できなくなっているものが少なくないように感じたことへの問題意識であり、どの漢字を用いるかという専門家にとっては瑣末な問題に対し専門家の視点からの意見しか見られなかったことへの遺憾の念です。(ただ、改めて考えてみると私の意見は一つの記事あるいはジャンルに収まる問題ではないのでここで述べたのは不適切だったかもしれません)--投稿記録/210.238.192.238 2009年6月15日 (月) 10:28 (UTC)[返信]
またまた議論が脇道にそれ、迷走して、せっかく白駒さんがつくって下さった草案が成果を出せないままで終る恐れが出てきましたで、少し違った観点から議論します。
白駒さんの草案の一番大事な点は最初の「項目名とカテゴリー名は原則として「関数」とする。」という条項です。 そしてまず、実はこの条項は、特に項目名に関してはすでに実現していることを注意します。
私は少し前から、項目名はすでにほとんどが「関数」になっているとの印象を持っていました。 そこで今回、実際に項目名を集め、数を数えてみました。 そして結果に客観性を持たせるため、材料の選び方を次のようにしました。 まず、Wikipedia の「検索」で、キーワードを「関数 OR 函数」としてYahoo を利用して検索し、この2つの単語のどちらかを含む項目名の表を得ます。 この項目名にはコンピュータ用語なども含み、さらには何故か「かんすう」を含まない項目名(「ヤコビ行列」など)も含んでいますので、それらを省いて「関数/函数」を含む数学用語だけを選び出します。 こうして上記表を上からたどって、最初の61個のうちに数学用語30個を得ました。 そして30個の項目名のうち27個は「関数」を含み、「函数」を含むものは「距離函数」、「ディラックのデルタ函数」と「リーマンゼータ函数」の3つだけでした。
このうち「ディラックのデルタ函数」について云えば、これは最初は「関数」で始まり、2007年に「函数」との間に移動合戦があり、それも一応「関数」に落ち着きましたが、最近、2009年の2月ころからまた移動合戦が始まり、6月に「函数」で保護され、保護を解除されたあともそのままになっているものです。 また「リーマンゼータ函数」も長らく「ゼータ関数」で通ってきたものを、2009年6月になって現行の「リーマンゼータ函数」へ移動させられたものです。 すなわちこの2つはいずれもごく最近になってから「関数」から「函数」に移行させられたものです。 「距離函数」については事情はあまりよく判りませんが、2007年の最初の記事では「関数」だったようです。
以上により、少なくとも今年の初めには30項目のうち「距離函数」を除く29項目が「関数」表示で、項目名については「原則として「関数」を用いる」はすでに実現していたことが判ります。 (ただ、その29項目のうちで2007年の移動合戦の結果で今まで「移動保護」で守られてきたものが7項目もあるのは問題ですが。) そして最近になってその平和が破られ、またまた論争が始まったのは、強引に既存の「関数」を「函数」へ移動した人が現れたからです。 そこで今問題にすべきは、このような平和を乱す行動をどう防ぐかだと思います。
Wikipedia ではそのような移動を物理的に防ぐ手段はありません。 そこで頼りになるのは、広範な関係者の間で合意を形成し、それら大勢の人の目で見守って混乱が起きそうになればそれを芽のうちにつみ取ることです。 「項目名(とカテゴリー名)は原則として「関数」とする」という原則を方針として明示し、多くの人の共感を得ることが出来れば、移動合戦発生の抑制に大いに役立つのではないかと期待する所以です。
以上要するに、今回白駒さんの草案は、2番目以降の細かい技術的条項には多少問題があるかもしれませんが、その最初の条項は結果的に現状を認知してそれに根拠・権威を与えることで編集・移動合戦を抑制し、平和を保つのに大いに役立つと思われます。 皆様のご賛同を待ちます。  
ご参考までに拾い上げた30個の項目名を次に並べておきます。 順序は検索で得た表での順序通りです。
関数 (数学)、 距離函数、 ガンマ関数、 関数一覧、 正則関数、 楕円関数、 三角関数、 超関数、 ベッセル関数、 解析関数、 空関数、 sinc関数、 有理関数、 シグモイド関数、 双曲線関数、 ディラックのデルタ函数、 滑らかな関数、 指数関数、 リーマンゼータ函数、 凸関数、 周期関数、 関数空間、 メビウス関数、 約数関数、 ランベルトのW関数、 エアリー関数、 初等関数、 二次関数、 グリーン関数、 テータ関数  以上 --Midz 2009年6月16日 (火) 01:43 (UTC)[返信]
ちなみに、6/9 のダンプを調査した結果、リダイレクトを含む全324項目でタイトルに「関数」又は「函数」が使われておりました。その内「函数」がタイトルにある項目は62項目、内訳はリダイレクトが58項目、通常項目は次の4項目でした。
  1. 距離函数
  2. 保型函数
  3. リーマンゼータ函数
  4. ディラックのデルタ函数
公平にするには、リダイレクトを200個追加してタイトル数を同じにしたほうがいいのかな? --ひゃくまんこのしあわせ 2009年6月16日 (火) 05:00 (UTC) (追補) タイトルに「関数」が含むリダイレクト以外の項目数は 126 でした。--ひゃくまんこのしあわせ 2009年6月16日 (火) 05:16 (UTC)[返信]
「項目名(とカテゴリー名)は原則として「関数」とする」を方針として明示することに同意します。できるところから成果を出すことがより広い合意につながると思います。--みや1229 2009年6月16日 (火) 11:04 (UTC)[返信]

以下、長文でごめんなさい。まず、事実関係の指摘から。距離函数は元は「計量 (幾何学)」という項目名で立項され、内容を整備した方の手によって距離函数に移動されています。2年前の騒動の後、ほとんどの項目は「関数」に移動されましたが、どういうわけかひとつだけ見落とされていたようです。なお、今回の騒動の結果、手入れ前のスタブ状態に戻されています。ディラックのデルタ函数については、今年2月に函数表記で加筆があり、その後編集合戦や移動合戦が始まりました。当初は加筆部分だけ函数だったのが、関数に変更されたことに反発を強めたようです。リーマンゼータ函数については、(函数か関数かは異論があるにせよ)今や「ゼータ関数」といえばこの項目で説明されている対象よりも広いものを指すため、移動自体は妥当なものと言えるでしょう。Midz さんは「函数派が平和を乱す」、と一方的なおっしゃりようですが、函数派の方は「何か貢献した際、その貢献部分にのみ自分の好みの函数表記を用いる」という一定の行動原理に基いており、平和を乱しているのはむしろ関数派である、と解釈することも可能なわけです。 ◆Midz さんは「草案の一番大事な点は項目名を揃えること」と解釈されています。各々の方が、どの部分が最も大事と受け取るかは勝手で、他の方は別の部分が最も大事と受け取るかもしれません。私自身は、なるべく多くの方が納得できるように、と考えて草案を書いた、とだけ申し上げておきましょう。 ◆しかしまあ、我ながら突飛な案ではあったので、いろいろと疑問があるのも当然です。sergei さんの案も念頭にはあったのですが、次のように私は思いました。

  • カテゴリについて、先に存在したものを優先するとすれば、「とりあえず先に作っておけ」とばかりに粗悪なものが乱立するおそれがないか(項目名についてもほぼ同様の理由)
  • 有意な編集を伴う場合に限って変更を認める、とすると、誰が有意と判断するのか。バイト数で区切ったならば、必要もないのにだらだらと書くことも考えられる。そもそも、加筆だけでなく整理(その結果バイト数が減ることもある)も記事の質を上げるための立派な編集行為であろう。(なお、加筆や改稿の際に自分の好きな表記で書くことを排除しているつもりはありませんでしたが、分かりにくかったならば推敲します。)

◆同一項目内で揃える必要がない、としたのは、最近の編集合戦や移動合戦が「項目名に揃える」とか「項目内で表記を揃える」という名目から発生したことが念頭にありました。元々存在している「○○関数」という記事に函数表記で加筆されたとしても、「機械的に」関数に書き換えるのは異論がありますよ、ということです。なお、同一項目内で表記が異なることは、必ずしもまずいことではないと私は思っていますが、皆さんがそう思わないのであれば、方針案はいちから書き直さなければならないでしょうね。 ◆一方、一度書かれたものは変更できない、というのもウィキペディアの精神からしておかしな話です。現実に編集合戦が起こっているので、ある程度抑制はしなければなりませんが、RFA で投票の権利を持つ程度の方が、己の責任でもって編集するのを妨げる必要はないのではないでしょうか。ただし、編集には知見が問われますよ、ということを草案内の「おせっかい」云々の部分で牽制しており、これによって「何が何でも関数に統一するべき」という考えの人が大挙して押し寄せることはないだろう、と期待しています。もしそうなったら、内容を理解しているかテストしに行くかも(半分本気)。 ◆なお、「人的リソース」云々のところでほのめかしているように、回数制限等は必ずしも厳密に運用されなくともよいと考えています。私も気が付けば介入しますが、この問題に関心がある方がチェックしてくれるでしょう。もしそういう方がいなければ、それはそれですでに問題は解決していると解釈されます。 ◆119.150.7.90 さんの提案の通りでも面白いかな、と思いました。あるいは、関数 (数学) だけ函数 (数学) にしておくとか。「関数が当然」と思っている人に対する良い「啓蒙」になるかも。--白駒 2009年6月16日 (火) 19:52 (UTC)[返信]

項目名を「函数」にするなら「 (数学)」は不要な気が。--Jms 2009年6月16日 (火) 20:03 (UTC)[返信]
失礼しました。ノート:関数 (数学) における Jms さんの御意見は無論覚えております。細かい話はもし必要になったら、ということで。--白駒 2009年6月18日 (木) 12:45 (UTC)[返信]
白駒さん。 ご所論拝見。 いくつか気になる点がありますので、まずそれへのコメントを書き、最後に私の提案を記します。
  •  「同一項目内で(表記を)を揃える必要はない」はちょっと賛成しかねます。 Wikipedia でも項目内で揃えることはルール以前の暗黙の了解となっていると思います。 あまり杓子定規な適用は感心しませんが、やはり原則は「揃える」ことにしておく必要があると思います。
  •  「ゼータ関数」から「リーマンゼータ函数」への移動はそれなりに意義のあることはお説の通りですが、それが改名提案して意見を募る手続きなしで行われ、しかも「関数」から「函数」への変更が行われたことが問題な訳です。 きちんと手続きを踏めば、多くの意見が寄せられ、結果は「リーマンゼータ関数」へ変更することになったのではないかと考えます。
  •  どちらが平和を乱しているかは感情論になりかねないので議論しませんが、背景として現状はほとんどが「関数」で落ち着いていることは確かだと思います。 関連するデータを挙げますと、私が拾い上げた30項目のうち、24項目が2007年の移動合戦に巻き込まれていますが、そのすべてが一人の人物が2007年7月16日の一日で「関数」→「函数」の移動を行ったことから始まった事象です。 そしてそのような移動合戦の期間を除くと、みな「関数」で平穏に経過しています。 ですから、この問題はずっと「関数」で落ち着いている世界にときどき「函数」への移動を行う人物が現れることで騒動になる現象だと私は解釈しています。
以上でお説へのコメントを終りにして、提案に移ります。
  •  私は草稿の現行方針で、最初の「項目名やカテゴリ名は、原則として「関数」を用いる」の条項だけをのこして、以後の技術的条項はひとまず省いて「公布」し、しばらく様子を見たらどうかと考えます。 それは現在の混乱は、そもそも方針がまったくなかったために起きたもので、方針が確立されればそれだけでかなり改善されるだろうと考えるからです。 もし必要が起きれば、それから技術的ルールを考えても遅くはないと考えます。
  •  私が「関数」を押すのには、Wikipedia:表記ガイドの「学術用語は文部省が版行した「学術用語集」に準じます。」という条項をかなり強いよりどころとしています。 「過去の論争」に付け加えておいて頂けると幸いです。 --Midz 2009年6月18日 (木) 11:28 (UTC)[返信]
私はここの議論が始まるよりも前に「「学術用語集」に準じます」に意義を唱えていますし(Wikipedia‐ノート:表記ガイド#学術用語)、草案においてもすでに言及しているのですが、目を通していないのですか? 私は方針をワンセットで提案しているつもりであって、「項目名を関数に揃える」というところだけ先に既成事実化しようと複数の方が企んでいるのは非常に不愉快です。--白駒 2009年6月18日 (木) 12:45 (UTC)[返信]
白駒 氏の草案のうち1項は現実的にそう編集されていますから、理由は様々であっても多くの方がそれを支持するだろう。逆に2項以下は様々なやり方がありますので意見統一に時間がかかります。できるところから合意しようということです。--みや1229 2009年6月18日 (木) 14:30 (UTC)[返信]
白駒さん、私が上で云ったのは「「学術用語集」に準じます」ではなく、「Wikipedia の表記ガイドに従います」です。 「表記ガイド」を論拠の一つとして「過去の論争」に明記して欲しいのです。 よろしくお願いします。 --Midz 2009年6月18日 (木) 20:44 (UTC)[返信]
「Wikipedia の表記ガイドに従います」よりも「「学術用語集」に準じます」の方がよりクリティカルな論点であり、「「学術用語集」に準じます」について書かれていれば、「Wikipedia の表記ガイドに従います」について書く必要はないでしょう。ルールに盲目的に従おうとする方がいるようならば、そのルールを先に何とかしなければなりませんね。みや1229 さん、「項目名統一を多くの方が支持するだろう」は貴方のひとりよがりでしょう。ここまでの議論の流れを読むと、複数の方が反対よりと思われますし、私も明確に反対しておきます。単に項目名を統一と決めると、「項目内でも関数が当然」と考える一派により、機械的に函数を関数に置き換える動きが必ず出ます。それに反発する一派も出ると、もう収拾が付かなくなるでしょう。したがって、「項目名を統一」は「項目内で揃える必要は必ずしもない」とセットでなければならないと考えています。そもそも、「項目名を統一」はひゃくまんこのしあわせさん御指摘のシステム的な問題を解決するための案であり、それが「記事内でも関数に統一」という流れになるのは私の本意ではありません。…やはり、そもそも表記を揃える必要があるのか、というメタな部分について先に議論する必要がありそうですね。別に節を立てます。--白駒 2009年6月18日 (木) 22:00 (UTC)[返信]

やはり問題の発端は、関数で落ち着いていたものを1人が荒らしまわったことのようですね。しかしこれだけ多人数を巻き込んだ事態になったということは、やはり今までの表記に問題はあったのだと考えられます。このような場合にWikipediaとして取るべき道は両表記併記の形なのではないかなと思います。あるいは別表記からリダイレクトを作るだけで十分かもしれません。なお、今の段階でカテゴリを関数に揃えるのは白駒さんの言うように関数派の既成事実化になってしまうので議論の妨げになりかねないと思います。議論が進行中のうちは下手に動かない方がよいのではないでしょうか。編集の抑制についてですが、「意味のある編集を伴わない書き換えは禁止」のみでよい気がしてきました。わずかでも意味のある編集をするのは単純な表記書き換えよりかなり困難です。少なくとも機械的に書きかえる荒らしは防げます。それだけでも編集合戦にはならなくなるのではないでしょうか。--いかづちSqueak 2009年6月18日 (木) 22:26 (UTC)[返信]

いくつか指摘を。
  • 「関数で落ち着いていたものを1人が荒らしまわった」は、本当にそうなのか私には疑問です。ただ、それをここで議論する意味もないように思います。
  • 逐一併記するのは、(言い方は悪いですが)あまりに読者を馬鹿にしすぎのように思います。
  • 繰り返しになりますが、「意味のある編集」と誰が判断するのか、という問題があります。数学をよくは知らない人が背伸びをした結果、記事の質が落ちた、ということは一度や二度ではありません。表記の変更以外の編集が含まれてさえいればよい、というのは機械的な変更をただ禁ずるよりも害があるとさえ思います。ノート:関数 (数学) を読み返すに、この「背伸び」の部分が関数問題の核であるようにも思います。
--白駒 2009年6月18日 (木) 23:30 (UTC)[返信]

(白駒さんの2009年6月16日 (火) 19:52 (UTC) のご発言への返信です。どこに書けばいいのかわからないのでここに書きます)ご説明ありがとうございました。私には一見したところ不合理に見えた点も、これまでに起こった編集合戦の経緯を踏まえた現実的な対応として提起されていることがよくわかりました。

項目名やカテゴリの名称に両者を許容することで「早い者勝ち」とばかりに粗悪なものが濫造される懸念は私も感じていました。ただ、私が両者を平等に扱うことにこだわったのは、この件は文部省が当時の多数の数学者の反対を押し切る形で関数への置き換えを進めたことに端を発するという経緯から、どちらかを優先する方針を定めてしまうことは中立的な観点に反する虞があると考えたためです。本体の関数 (数学)が移動保護されている現状を考えると、他の項目まで一律に関数で統一してしまうことはやはり中立性に問題があるのではないかと思います。2年前の騒動以前は両者が混在していたのであれば、どちらかに統一しなくても問題は生じないのではないでしょうか。ただ、本体の関数 (数学)のみ「函数 (数学)」もしくは「函数」にし、他は全て「関数」で統一するというのも折衷案としてはおもしろいと思います。数学分野では函数表記がごく普通に用いられるということを啓蒙する上でも有効かも知れません。

「一度書かれたものは変更できない、というのもウィキペディアの精神からしておかしな話」というのは全く仰る通りです。ただ、許される書き換えと許されない書き換えの線引きは、やはりそれを行う人の属性にではなく、その編集の内容の如何に求めるべきだと思います。実際のところ、これまで編集合戦を起こしてきた人たちの中にはアカウント・ユーザーも多くいました。バイト数にして1.5倍というのは一つの案に過ぎないので、要は数学についてろくにわかっていない人が表記を書き換えるだけのために手を出すようなことを防げるような基準になってさえいれば十分だと思います。

Wikipediaの原則論からいえば同一項目内ではどちらかに統一されていた方がいいと思うのですが、現実問題として統一への志向が編集合戦を誘発する要因になっているのだとしたらそのことにはこだわらなくてもいいと思います。何らかのルールが制定されて編集合戦が鎮静化するまでは同一項目内で混在することを容認するか、あるいは「同一項目内ではどちらかに統一されていることが望ましいが、統一させるだけのために表記を書き換える編集は行わなず、有意な編集のついでに行うものとする」とでも定めておくのがいいかも知れません。

まあ細かい部分をどのように定めるかはともかくとして、最も肝要なのは「関数と函数のどちらの表記をも許容する」ということと、「関数を函数に、もしくは函数を関数に書き換えるだけの編集は行わない」という二点を周知徹底させることだと思います。まず取り敢えずこの二点だけをルールとして制定して、後の細かい部分は実際に運用して様子を見ながら決めていく、ということでもいいかも知れません。--sergei 2009年6月19日 (金) 10:18 (UTC)[返信]

余談・機械的編集についての異議

[編集]

余談です。本論は上の節で、あるいは下に新しい節を新設して、そちらでおやり下さい。

最近、おれが書いたとある項目の部分について機械的でお馬鹿な編集が行われ、表面的には淡々と、しかし内心では激怒しつつ、リバートしたという事例があったのですよ。それは、「食べれません」を「食べられません」に直すという編集だったのですが、編集された部分というのが引用部内部であり、忠実な引用を編集によって破壊され引用における「改変しない」という要件を破壊されたという事例だったのです。

「函数」を「関数」に変更するという編集は、考え方によっては、ありかもしれません。おれはそれを全面的に否定はしない。しかし、それは機械的にやれる編集ではないのです。ひとつひとつその前後関係をチェックし、変更してもいいかどうかを確認しなければ、やれないはずの編集なのです。たとえば引用部については、原文にあたらない限り改変してはいけない。その程度のことも判断できない馬鹿が「函数・関数をめぐる編集合戦」をやってる当事者なんじゃないのか。そういうことをやるやつは、一人残らずWikipediaにはいらない子だと、おれは思うんですよね。そういう馬鹿は出て行ってくれ、存在自体が迷惑だから。この手の間抜けな機械的編集は、時として「関数(函数)は・・・」という定義文を「関数は(関数)は・・・」に書き換えて下すったりするんだ。いやあもうなんていうのこう、おれは端末の前で「死ね死ね死んでしまえ」とか叫んでたりするわけですよ。

エディタで自分のローカルなテキストで置き換えをするときとかでも、一括無確認置き換えとかやると、しばしば文意を破壊したりすることあると思うんですよ。根本的な問題って、そういう文意破壊的機械的置き換えをやって編集合戦に発展させる馬鹿をどう始末するかという問題なんじゃないのか。「関数が正しいか、函数が正しいか」なんていう話はかなり高いレベルの話で、現時点でそもそも話はそんなレベルに達していないのではないか。議論参加者は、その論点をきっちり考えて参加してほしいんだよね。

どちらかが正しく、機械的な変換が可能だみたいに思ってるひとは、いますぐにこの議論から立ち去ってくれないかね。そういうひとは、辛辣で申し訳ないのだけれども、この議論への参加者に期待される最低レベルの水準すら、確実にクリアできていないのだからさ。--Nekosuki600 2009年6月18日 (木) 13:31 (UTC)[返信]

機械的に変換すべきでないのは強く同意いたしますが、この場で議論をしている方々にその視点が欠けているとは思いません。荒らしでない不注意による書き換えなら、単純に差し戻して必要ならその利用者に注意をすればよいだけです。殺意を覚えるかもしれませんが、Wikipediaの仕組み上避けられないことだと思います。そもそも私も正規分布にて機械的変換に殺意を覚えたことが発端でこの議論を立ち上げました。--いかづちSqueak 2009年6月18日 (木) 22:26 (UTC)[返信]
何時も通りすがりで申し訳ありません。私には正規分布に於けるトリガーを引いたのは"函"を"関"に置き換えるだけの編集を行い要約欄に「誤記訂正」と記した方だと見えます[9]。表記を統一したいと主張される方(関数派)は函数派が悪と決めてかかっている様ですが、"函数"との記述をするに足る出典は十分にありますし、以前の議論でもそれは示されていますので"函数"との表記が誤記ではないとには異論は無いでしょう。それを誤記として"函"を"関"置き換えた方はあの項目を編集するに足る知識をお持ちでないか、またはそれを装って"函数"との記述を抹殺したいと目論む関数派(この場合は荒らしと呼ぶに相応しい)と見ることが出来る(少なくとも関数派はそれに便乗している)でしょう。
"函数"を排除する理由としての利便性やシステム上の制約云々ですが、"函数"には十分な出典があり、そもそも"関数"が"函数"の代用字であると言う動かしがたい事実もあります。"函数"に罪はありませんので何とかするとすればシステム側で吸収して頂くか運用でカバーする他はないと思います。因みに「大阪城公園内の大坂城跡に建つ大阪城天守閣」と言った記述が許されるなら当然"函数"は許されるべきだと思いますが如何でしょう。
この問題を解決するキーは関数派の譲歩だと思っています。函数派は少なくとも"関"を"函"に変えるだけの編集は行っていない様に見えます。白駒さんが述べられたとおり"関"を"函"に"函"を"関"に変えるだけの編集を荒らしとして禁じ、既存の記述は自分が気に入らないものだとしても許容するかその項目に有益な加筆を行う事とすれば解決します。その為には関数派の"函数"との記述の許容が不可欠であると考えます(函数派は"関数"との記述を現時点で許容している)。
最後に重複となりますが私の考えを簡潔に纏めておきます。
  • "函"を"関"(又はその逆)に置き換えるだけの編集は荒らしと言える。
  • "函数"には記載されるべき理由がある。
  • 利便性やシステム上の制約との理由だけで"函数"を排除すべきでない。
  • 関数派には"函数"を許容する度量が必要。
--重複太郎 2009年6月19日 (金) 03:57 (UTC)[返信]
一部表現を撤回--重複太郎 2009年6月20日 (土) 09:08 (UTC)[返信]
この節は余談だから。函数はなぜ函数と書くのか、というのは文献に基づいてある程度分かっているのですが、関数はなぜ他の「カン」の字ではなく関数なのか、という文献があれば、函数を排除したい方はぜひ教えてください。学術用語は対象外としている常用漢字がなぜ関数たる根拠になるのかというも不思議ではあるのですが、それ以前に、「かんすう」を習うずっと前に函館や青函トンネルを目にするであろうに、なぜ関数でなければならないか、というのが未だによくわかりません。統一性が必要なら、「青函」ではなく「青カン」と書くべきですよね。--Jms 2009年6月19日 (金) 10:27 (UTC)[返信]
◆ひとつだけ。私は単に関数と函数を互いに書き換える編集を「荒らし」と呼んだり一律に禁止しようと提案したことはありません。Wikipedia:安易に荒らしと呼ばないや上の mizusumashi さんの発言も参照してください。--白駒 2009年6月19日 (金) 23:24 (UTC)[返信]
失礼しました。少し文面を端折りすぎたかもしれません。その上で白駒さんのお名前を出したのは不適切でした。先の投稿での「白駒さんが述べられたとおり」以降の一文は「具体的なルールはこの分野に明るい執筆者の方々で詰めていただくとして、それに反し"函"を"関"(またはその逆)に置き換えるだけの編集は荒らしと言える行為として差し戻す等の対処を行い」とすべきでした。私の表現で白駒さんが強硬な主張をされていると解釈可能になっていたようで大変申し訳ありません。重複太郎 2009年6月20日 (土) 09:08 (UTC)[返信]
えーとですね。多少漢字や数学分野の使用状況に知識があるか、多少の想像力があれば正規分布 で(函数荒らしの除去) [10]と、他人を「荒らし」呼ばわりすることも、「機械的変換に殺意を覚え」ることはないんです。
そもそも、この函数/関数のぐだぐだは、数学分野の執筆者が、関数から函数へ移動したのに対して、「「関数」が入った記事をことごとく「函数」へ移動していますが、なんなんでしょうか?私は今まで「関数」で習って来たのですが・・・、最近、数学界に何か起こったのでしょうか」(Wikipedia:井戸端/subj/「関数」か「函数」か)というような、事情をわかっていない方が、「関数」を「函数」へ移動したのに対して、「悪戯を差し戻し」と要約欄で書いて、差し戻しをしたところからはじまってるんですよ。
もちろん、合意なく大量の移動を行ったことに非がないわけではありませんが、よりよい表記として「函数」を選ぶという理屈はあります。諸分野の慣習や表記についての基本的な知識を持たずに批判的な物言いをし、それを正しいと考える人への配慮ができないなら、表記の議論に口を挟むべきではないでしょう。--Ks aka 98 2009年6月19日 (金) 18:37 (UTC)[返信]
すいません、ちょっと文意が取れなかったのですが、「関数→函数の移動」と「その差し戻し」のどちらが「事情を分かっていない」という意味でしょうか。後者で取りますが、そうすると「事情」とは「函数という表記がある」ということですか? 「関数」か「函数」かで議論している方がこれを分かっていないようには見えないのですが。「荒らし」や「悪戯」と呼んでいるのは同意を取らず多数の記事名を変える行為に対してです。これが問題だとは思いません。一方「誤記」は不適切ですね。ただ、「正規分布に於けるトリガー」と重複太郎さんがおっしゃる例に関しては、記事中他が全て「関数」な中に1つだけ「函数」が混じっていたのですから「誤記」という判断もできると思います。なんにせよ、良かれと思ってした行為が「荒らし」「悪戯」「誤記」呼ばわりされたとしても、無差別に差し戻すのではなくノートに議論を提起すべきです。--いかづちSqueak 2009年6月21日 (日) 17:53 (UTC)[返信]
仮に、もしも、本当に、あなたがそう思っておられるのだとしたら先に出した例の「大阪城公園内の大坂城跡に建つ大阪城天守閣」の"大坂城"は誤記とみなせる事になってしまいますね(ご存じだとは思いますが念のために、漢字の"坂"と"阪"は同じ意味です)。この編集[11][12]の前にノートで"大阪城"との記述の意図等は問われていません。あなたの基準でならこれらの編集も「荒らし」や「悪戯」と見えるのかもしれませんが、あなた以外の大多数の方はそうは判断していない様です。
誤記として"函"を"関"に変えるだけの編集を行った方を善意に取れば"函数"との記述を知らない方なのであろうと判断できますね。それを差し戻すのにわざわざ「貴方は知らないかもしれませんが"函数"との記述は正しいのですよ」とは言わないでしょう。相手の事を考えれば何かの拍子でこの項目を見てしまい、そして"函数"を知らないが故に善意から誤記として編集したのであれば今後その方が戻ってくる可能性はあまり無いでしょう。そこへわざわざ「貴方は間違っていますよ」と指摘するのは余計な軋轢を生むだけではないでしょうか。もし戻ってきたならその時対話を行えば良いのです。一方でノートに呼びかける事も無く「荒らし」との語句を用い「無差別に差し戻す」と言う行為は如何でしょう。あなたが相手方に求める態度とは全く逆ですね。あなたがそうしたから相手方も同じ様に対応したのだと考えることは出来ませんか。そしてあなたは相手方を"荒らし"と呼んだ。と言うことはあなた自身も"荒らし"と同じ事を行っていたと言うことになるのですよ。
最後に念のために、これはいかづちSqueakさんの2009年6月21日 (日) 17:53 (UTC)の投稿に対する返信です。--重複太郎 2009年6月22日 (月) 11:40 (UTC)[返信]
こういった枝葉の議論に時間を費やしたくはないので簡潔に。 >"大坂城"は誤記→固有名詞は話が別です。 >"荒らし"→上で書いたように、同意を取らず多数の記事名を変える行為、あるいはそれに伴って記事の内容も機械的に書きかえる行為。これらを荒らしと呼ぶことに問題を感じません。 --いかづちSqueak 2009年6月22日 (月) 18:20 (UTC)[返信]
「その差し戻し」です。「事情」とは「函数という表記があり、それを正しいと捉える見解があり、用法としてある程度広まっている分野がある」です。
「関数」か「函数」か」で議論を立ち上げた方は、要約欄に「悪戯を差し戻し」と書いて差し戻しをした後に、井戸端で「「関数」か「函数」か」を書き込み、「私は今まで「関数」で習って来たのですが・・・、」と書いていらっしゃいますね。最初に「函数」へ移動したアカウントは「放物線」も「抛物線」へと移動していたのですが、別のアカウントが再度「函数」「抛物線」へ移動したのを受けて会話ページに「「放物線」を「抛物線」に移動するのはやめてください。「放物線」が正式名です。」と書かれています。「函数」の妥当性を理解していたとは思えません。無知ゆえにいきなり「悪戯」呼ばわりしたというのは、それはそれで理解できますが、正当化できる余地はないです。もし函数の妥当性を理解したうえで「悪戯」と書いて差し戻ししたのであれば、悪意ある暴言でしょう。
良かれと思ってした行為が「荒らし」「悪戯」「誤記」呼ばわりされたとしても、無差別に差し戻すのではなくノートに議論を提起すべき」というのは、良かれと思ってした行為が、実は誤りであったなら確かにその通りですし、その行為に理があったとしても、理想としては、議論を提起すべきと思います。しかし、完全な誤りではない修正に対して「荒らし」「悪戯」「誤記」呼ばわりすることは、より大きな問題ですし、差し戻す側も無差別に差し戻すのではなくノートに議論を提起すべきです(全て「関数」中に1つだけ「函数」が混じっていた場合には、「表記の統一もれ」とでも書いておけばよかったと思いますよ。「誤記」という判断はできないと思います。まあ、この編集はしょうがないと思いますけど)。
なお、一度に大量の移動を行うことは適切ではないですが、決して「悪戯」でも「荒らし」でもありません。Wikipedia:荒らし#荒らしではないものWikipedia:安易に荒らしと呼ばないWikipedia:ページの編集は大胆にWikipedia:新規参加者を苛めないでくださいなどをご確認ください。--Ks aka 98 2009年6月22日 (月) 19:05 (UTC)[返信]

なんと。それが荒らしでないということは初めて知りました。これは申し訳ありませんでした。"関数荒らし"はその対話に応じない編集態度を"荒らし"と判断されたとばかり思っていました。そのページを読むとソックパペットを作るあたりになって初めて荒らしと呼べるようですね。今後気を付けます。また、今まで荒らしでないのに荒らし呼ばわりしてしまった方々にお詫びいたします。◆「悪戯」呼ばわりの件、編集履歴はチェックしていませんでした。確かにこれを見ると、特に「『放物線』が正式名です」に関しては「抛物線」表記を知らないことは明確ですね。前言撤回します。が、それでもやはりこのようなマイナーな表記を無配慮に使った場合に(誤って)悪戯と判断されることは十分考えられることだと思います。それに過剰に反応するのではなく、議論で誤解を解くべきでしょう。関数荒らし(とのちに判断された方)は初期は議論に参加していたものの途中から会話を受け付けず自分勝手に編集をしだしたようです。--いかづちSqueak 2009年6月22日 (月) 20:13 (UTC)[返信]

議論全体からは確かに枝葉です。しかし、今後もあなたがこの議論に参加し続ける意思がお有りなら、あなたにとっては枝葉とはならない様に思います。
この編集[13][14]の前の記述(大阪城)も間違いではありませんよ。"関"を"函"に[15]、"阪"を"坂"にの何れも誤りでは無い記述を(ノートへの呼びかけなく)誤りでは無い記述に変えた編集です。両者とも項目名に変化はありませんでした。事象としてほぼ同一に見えるこの両者の一方を「荒らし」と判断された根拠は何処にあるのでしょう。
あなたの行動を可能な限り善意に解釈すると、何かの拍子で正規分布を閲覧しそこで見慣れない函数との表記を目にし履歴を調べた所一ヶ月以上前に"関"から"函"に置換されていたのを発見した。"函数"を調べてみると以前一騒動有り"函数"を用いていた方が荒らしとしてブロックされていた事を知り"函数"と記述するのは荒らしであると思い込み「函数荒らしの除去」として"函"を"関"を機械的に無差別に置換する編集を行った。と取るのが精一杯です(この場合あなたの主張と食い違いが出ます)。
「荒らし」の基準があなたが思っていた基準よりも厳しかった事に気が付いて頂いたのは良いのですが、そもそもあなたが最初に「荒らし」とした編集はあなたの基準すら満たしていませんよ。先の騒動や一般論として云々は良いのですが、あなた自身にも他人に求める指針を適用するつもりがあるのでしょうか。もしそうなら、この期に及んでもまだ相手方にも非があったかの様な振る舞いは如何かと思います。「お前らは○○すべき、俺はやらないけど」では誰も聞いてはくれません。
最後に、いかづちSqueakさんに一般論として問います。
  • いきなり罵倒してきた相手に友好的に優しく接してくれる利用者はどれくらい居ると思いますか。
--重複太郎 2009年6月23日 (火) 04:32 (UTC)[返信]
履歴は調べていません。状況からして有名な荒らしである「関数荒らし」の一環だと思ったので、荒らしの被害を回復するつもりで書き変えました。食い違いとはどこでしょうか。大坂城との違いは、大坂城は固有名詞であること、正規分布での書き換えは機械的であったこと(リンク切れの発生)、関数は影響範囲が広いこと、関数は以前に問題になっていたことが挙げられると思います。「相手方にも非があったかの様な振る舞い」は少々私の文意が伝わっていなかったように思います。非のある無しは重要ではなく、非が無くとも誤解されることはありうるのでそれに対して誤解を解く努力をすべきだということが私の言いたいところです。最後の「一般論」からは何を言おうとしているのか読み取れませんでした。--いかづちSqueak 2009年6月24日 (水) 13:00 (UTC)[返信]
うーん。なんていうかなあ(頭をかきむしる)(これが「感情的な表現」だと思うならそう思いたいひとは思っていいです。おれはあなたの思想信条の自由は尊重するぜ。そう思った頭の中身は軽蔑するけどさっ)。
ええとねえ。「大坂城」だって、計測してはいないけれども最近出版された文献などでの使用回数を基準とするならまず間違いなく「大阪城」が圧倒的に多いんですよ。ていうか、大阪城公園とかへの言及の方が圧倒的に多く歴史的な大坂城の解説が少ないだろうってことをおれは推測の根拠にしてるんだけどさ。
で、確かにこう、「函数荒らし」という概念がWikipediaに存在することは否定しません。ただ、なにをもって「荒らし」と判断するかというのはすごく難しいことであり、そもそも「函数荒らし」なるものが存在したのか、それは荒らしと断定されるようなものだったのか、そのあたりには疑問を持っているのです。単に「数学には詳しいがWikipediaには不慣れなひとの暴走」あたりが発端だったのかもしれないし、それをうまく軟着陸点を探せないままに感情的に対立に育てた馬鹿がどこかにいるんじゃないかという疑念をおれは持っているし。
でだ。
全然別件なんだけどね。最近、それなりに敬意を表すべき活動をしておられる外部サイトのひとから、Wikipediaに対して、著作権侵害を理由とする削除要請が出されたのですよ。著作権侵害と言えるかどうかはすげえ微妙なケースでおれは判断したくなかったので静観してたのだが、「著作権侵害じゃない、おまいは黙っとれ(大意)」というような存続票がついたあたりから混迷しちゃって、外部サイトのひとは「Wikipediaは剽窃サイトなのか」とか怒っちゃいまして。頭抱えましたよねえ。
函数関数もそうですしその削除案件もそうですが、いっきなし「相手を罵倒するやつ」ってのは、おれは「問題の解決を難しくするだけの邪魔なやつ」だと、おれは思います。まあ、明らかに相手方が問題外ならばいきなし強く出てもいいんだけど、「明らかに相手が問題外なのかどうか」という判断で判断者の価値がはかられるのじゃないだろうかって感じ。
函数とか関数とは置いといてさ。あなたは「荒らしだのなんだの他人を罵倒するような言辞を使うのは百年早いわっ」と言われたのじゃないでしょうか。それを正面から受け止め深刻に反省してもらえないことには、いかなる話も始まらないような気がする。--Nekosuki600 2009年6月24日 (水) 13:50 (UTC)[返信]
◆あなたの基準は「同意を取らず多数の記事名を変える行為、あるいはそれに伴って記事の内容も機械的に書きかえる行為」だったはず。だとすれば「多数の記事名を変える行為」を伴っていなければ「有名な荒らし」と判断できないはずなのに履歴を調べずに状況から判断したとは、その当時の本文中から判断したと言うことで宜しいですか(移動がないのに"荒らし"とは矛盾しますよね)。しかし、そうするとあなたは"函数"の記述が正しい事を知りつつ、ノート等への呼びかけを行わずに「函数荒らしの除去」として敢えて善意による編集を行ったかもしれない方に罵声を浴びせる手法をとった事になります。あなたが一般論として説いている態度とは全く逆では無いですか。自らの狭量を差し置いて他人にのみ寛容を求めるのはむしがよいと思いませんか(あなたの言の軽重はあなたの行動で判断されるのですよ)。
因みに"大阪"と言う記述は"関数"よりも古く、今現在建っているものは大阪城天守閣と言っています。更に言えば、今地名として正しいのは大阪ですね。所謂大坂城の住所は大阪市中央区大阪城です。
最後にいかづちSqueakさんに改めて同じ質問をします。
・挨拶もなくいきなり口汚くののしってきた人を友人として優しく受け入れてくれる人はどれくらいいると思いますか。
--重複太郎 2009年6月24日 (水) 15:33 (UTC)[返信]
はい、本文中から判断しました。善意による編集である可能性は低いと思ったために「荒らし」という語を使いました。判断が間違っていたら謝りますが、今回は間違っていなかったようです。また、
>あなたは「荒らしだのなんだの他人を罵倒するような言辞を使うのは百年早いわっ」と言われたのじゃないでしょうか。
についてですが、そうだとしたらまずあなた方の言動からこの含意をくみ取れなかったことをお詫びします。また、そう思われる方がいるということが分かりましたので今後は荒らしの判断をもっと厳密にするか、判断を諦めようと思います。ご忠告感謝します。大阪城については私の「大阪城は関数と別問題」という主張に対して反論はないようですね。--いかづちSqueak 2009年6月25日 (木) 20:10 (UTC)[返信]
すみません。えーと、どこどをう読めば「大阪城については私の『大阪城は関数と別問題』という主張に対して反論はないようですね」ということになるのかがよくわかりません。固有名詞だからとか一般名詞だからとかいう理由で区別をすべき、という発想の根拠がよくわからないので反論のしようがないだけです。--Nekosuki600 2009年6月25日 (木) 23:00 (UTC)[返信]
ここは誤りでは無い記述を誤りでは無い記述に変える編集でつまらない争いを起こさない為にはどうすればよいかを議論するためにあなたが提起した場所ですよね。例えば「スペードのジャックとクラブのジャックは同じ黒の11だ」と「それは同じカードでは無い」は相反する主張では有りませんよね。色と数の話をしている所にスートが違うと言ったところで意味はありませんのでそう言う人はあまり居ないのですが、希に「じゃあスペードのジャックとクラブのジャックが同じカードだと証明してみろ」と言う人が出てきてしまうと世の中そう寛容な人ばかりでは無いので「喧嘩を売っている」と取る人も少なくない数存在すると思うのです。あなたの姿勢は、そう言うつまらない争いを起こさない様にするにはどうしたら良いかを話している所で取るべき姿勢とは思えないのですが、如何ですか。最後に念のためにこれはいかづちSqueakさんの2009年6月25日 (木) 20:10 (UTC)の投稿への返信です。--重複太郎 2009年6月26日 (金) 12:09 (UTC)[返信]
だいぶ疲弊してきたので返信頻度が下がっています。ご了承ください。私は重複太郎さんの大坂城と正規分布での編集に関する「事象としてほぼ同一に見えるこの両者の一方を「荒らし」と判断された根拠は何処にあるのでしょう。」という質問に対して、私がその根拠とした、「固有名詞か」「書き換えが機械的か」「影響範囲」「以前に問題になっていたか」の4つを挙げて、「大坂城と函数は別問題である」という意見を示したつもりです。そしてそれに対して反論はありませんでした。Nekosuki600さんは発想の根拠が分からないとおっしゃいますが、ならば尋ねればよいでしょう。無視されてしまっては真意が分かりません。返答ですが、固有名詞かどうかなど個々の単語・個々の概念に付随する情報は当然考慮すべきだと考えていたので、根拠は特に考えていませんでした。敢えて言えば、Wikipediaでのいろいろな取り決めを見るとこのような語や概念の背景は考慮されているように思われたので、ですね。また、重複太郎さんのカードの例えは少々意味が取りづらかったのですが、次のような意味ですよね? 「"誤りでは無い記述を誤りでは無い記述に変える編集"への議論に際して、私が挙げた4つの根拠などを考慮する必要はない」。これは意外です。私は上に書いたようにこのような個々の状況を考慮することは当然だと思っていましたので、話が通じないわけです。考慮すべきでない/しなくてよいと考える理由を是非お聞かせ下さい。またその際今回のカードのような例を挙げることはなるべく避けていただけると文意が分かりやすく助かります。--いかづちSqueak 2009年7月4日 (土) 01:37 (UTC)[返信]
まず、固有名詞かどうかはあまり問題では無いと思います。普通名詞でも場合によっては固有名詞として扱われる事があります。例えば友人同士の会話で「今日、家によっていくか」とあった場合、"家"は"発言者の家"を指し固有名詞として扱われている事になります。逆に固有名詞が普通名詞になる場合もあります。例えば遠い未来、人類が別の惑星に居住するようになった時、その惑星の衛星を"○○の月"と呼ぶかもしれません。その時"月"は普通名詞になったと言えるでしょう。更に言えば"大坂城"も"大阪城"も固有名詞として誤りではありませんし、それが指す時代によって使い分けるのが一般的です。"関数"と"函数"にもその考え方は適用出来るかもしれませんし、それを否定するルールは今現在存在しません。また、あなたは本文のみを見て判断したと仰っているので機械的かどうかの判断は難しいのでは無いでしょうか。仮に可能であったとしても例に挙げた大坂城でも機械的に置き換えています。次に影響範囲ですが、これは赤リンクが一つあった事を指すと解釈しましたが、他の記事から見れば影響は無いに等しいでしょうし、赤リンクを作った(善意に取ればただの手違い)から荒らしだと言う訳でも無いでしょう。そして過去に問題があったかどうかで言うと大坂城でも移動の応酬があったと言う点で同じと言えるでしょう。これらの事は当然あなたも理解しているとの前提で話を進めていたので、あのような仰りようを目の当たりにすると、先のようなリアクションになるのは自然な事だと思います。--重複太郎 2009年7月5日 (日) 10:04 (UTC)[返信]

そもそも表記を揃える必要があるか

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「項目内で揃えることはルール以前の暗黙の了解となっている」と Midz さんは仰せです。新たな争いの種になりそうですから具体的なことは言いませんが、揃えられていない項目はたくさんあります。揃えられるものなら揃えた方が望ましいでしょうけれども、記事の質を上げるためにそれほど優先度が高いこととは私には思われません。表記について複数の意見があって揉め事の種になっている場合はなおさらです。読者のため、と金科玉条のようにおっしゃる方が絶えませんが、Nekosuki600 さんの「百科事典を使う前に基礎的なお勉強をすべき」が私にはしっくりきます。すなわち、世の中を見渡せば揃っていないことが当たり前なのであって、同じ表現でなければ読めない、というのは高等教育云々以前の基本的なリテラシーの問題だと考えます。正規分布のような子供も読みそうな項目では関数に揃えてあげるべきなのかな、と私も同情的に考えてはいますが、多くの項目ではおせっかいでありましょう。いかがでしょうか。--白駒 2009年6月18日 (木) 22:00 (UTC)[返信]

Wikipedia:表記ガイド#その他には
  • 表記はページ内で統一します。ウィキペディア全体での統一に過度にこだわる必要はありません。
とあり、項目内で揃える方針ですね。複数表記でもめているのを強硬に統一するのは問題だと思いますが、それは適切な基準ができていないことが問題だと思います。--いかづちSqueak 2009年6月18日 (木) 22:45 (UTC)[返信]
表記ガイドの過去ログの「拘束力・効力に関しての記載」節に、そのページの位置付けについて意見が交わされていますので御参照ください。それでもやはり揃えるべきだ、ということに落ち着けば、先に申し上げましたように草案は一時撤回します。--白駒 2009年6月18日 (木) 23:30 (UTC)[返信]
◆該当項目は「考慮すべきガイドライン」であり、まあこう言っちゃ実も蓋もありませんが「厳密に守らなければならないもの」という位置づけじゃないです。少なくともこう、この条項に基づいて「関数と函数のどちらが正しいか」について雌雄を決する必要はないし、統一を目指して編集合戦をやっちゃうような姿勢が容認されるわけでもなかろうと思います。
というか、これって「書く際にあんましテキトーな配語にはしないでくださいまし」というのが主旨なんじゃないんでしょうか。基本的に用語は統一されていないと途中で主旨が変わってきてしまったりするわけで注意すべきところではあるのだが(たとえば「車」と「自動車」を混用すると途中で何を説明していたのかがわからなくなる場合があることは容易に想像がつく)、しかし「関数」「函数」はこの「用語が不一致だったもので話が途中ですりかわってしまう問題」みたいなやつとは無縁のように思えます。--Nekosuki600 2009年6月19日 (金) 09:41 (UTC)[返信]

言葉は情報を伝える重要な役目をするのだからそれを統一するのはあたり前の常識です。いまは、それをどうやって混乱なく進めるかを議論しているのです。表記を揃えなくていいなんて論文誌があったなら世間から相手にされません。多くの人に正確に情報を伝えようとする文化がないということなのですから。したがって拮抗しているような用語ならともかく「関数」に関してはこんな意見は論外だと思います。--みや1229 2009年6月19日 (金) 10:21 (UTC)[返信]

論文誌とは違うけれど、岩波の『数学』([16]) では普通に関数も函数も使われています。お説の通りなら、日本数学会は世間から相手にされない、ということになってしまいます。人のことはあまり言えないのですが、御自分の狭い周辺の常識だけが全てとお思いになりませぬよう。--白駒 2009年6月19日 (金) 23:24 (UTC)[返信]
もし「関数も函数も使われている」なら日本数学会は広い世間を相手にしていないとみなしていいと思います。一方、Wikipediaは広く一般を相手にしています。したがって表記統一があるべき姿だと考えます。--みや1229 2009年6月20日 (土) 06:25 (UTC)[返信]
(白駒さんへのコメント)しかし、雑誌『数学』の中でも、一つの論文の中では表記は揃っているだろうと思いますが(現物を見ていませんけど)。 いかづちSqueakさんが指摘して下さった表記ガイドの方針もあり、一つの項目のなかではやはり表記を揃えることを原則とすべきだと思います。--Midz 2009年6月20日 (土) 06:44 (UTC) [返信]
(みや1229さんの20090620T06:25Z へのコメント) 広い世間を相手にしているからこそ多様な表現を許容すべきだ、という考え方もまたあり得ます。ですので、対象範囲の大小をもって、表記統一あるべしと一概には言えないでしょう。--Jms 2009年6月20日 (土) 06:49 (UTC)[返信]
「表記統一あるべしと一概には言えない」その点には同意します。しかし、「函数」は常用漢字以外を含み読めない人がいるため表記統一が望ましいと考えます。--みや1229 2009年6月20日 (土) 15:05 (UTC)[返信]
そういうことは、日本語版ウィキペディアではなく、常用漢字ペディアなりカナペディアなりに求めるべきでしょう。学術用語は常用漢字の対象外ですから、学術用語に常用漢字を用いねばならない理由はありませんし、中学校で「関数」を習う前に「函館」や「青函トンネル」が検定教材に登場しますから、「関数」を習う時点で「函数」が読めないということはないでしょう。学術用語が常用漢字の範囲外であることから義務教育の範囲は学術の範囲外という考え方もできなくはありませんが、そうなると一次関数と二次関数以外は「函数」とする、といった主張もできてしまいます。読める読めないという話と表記統一という話の間に必然性はないのではないでしょうか。表記統一を求めるなら対象となる記事が最も多いであろう丸括弧から始めるのが効果的ではないかなどと言ってはイカンのでしょうね。 --Jms 2009年6月20日 (土) 15:16 (UTC)[返信]
文章は平易に書くことが基本です。同じ意味なのにわざわざ一般的ではない用語を使い読者に不便を与えることは間違いです。--みや1229 2009年6月20日 (土) 16:42 (UTC)[返信]
みや1229さん、申し訳ないのですが、以下の点についてレスポンスをお願いします。それぞれ独立して署名をつけておきますので、それぞれの質問のすぐ下に回答をしていただければそれで大丈夫なようにしてあります。よろしくお願いしますね。--Nekosuki600 2009年6月20日 (土) 16:55 (UTC)[返信]
◆「文章は平易に書くことが基本です」というのが、みや1229さんの個人的な考え方ではなく広く一般的な考え方であるということについての立証をお願いします。平易に書くことがなによりもまして重要であるという点についての説明もお願いします。--Nekosuki600 2009年6月20日 (土) 16:55 (UTC)[返信]
文章は情報を正確に伝えることが基本的な機能ですから平易に書くべきという考えに至ります。その平易さは文章を読むグループのレベルによって変わってくるでしょう。例えば数学会の会員相手と一般相手のWikipediaでは違いますね。ただし、その考え方が広く一般的な考え方かどうかは僕にはわかりませんし、それについて議論するつもりもありません。--みや1229 2009年6月21日 (日) 13:57 (UTC)[返信]
個人的にそう考えておられるということは了解しましたし、その点については議論をしないという点についても了解しました。つきましては、「文章は、平易に書くべきものである」という主張は、今回のケースでの論拠とはなさらないようお願いします。だいたいその手の話って「シドニー・シェルダン作品の『超訳』に対する批判」とか、Wikipediaの外でもいいかげんで尽くしていて結論が出ていない争点のようにも思いますし。--Nekosuki600 2009年6月21日 (日) 14:23 (UTC)[返信]
◆「わざわざ一般的ではない用語を使い読者に不便を与える」というのはこの文脈では「函数という用語を使うこと」を意味するものと思いますが、「函数という言葉が一般的な用語ではないこと」の説明をお願いします。「読者に不便を与える」という点についての証明もお願いします。--Nekosuki600 2009年6月20日 (土) 16:55 (UTC)[返信]
「函数」は教科書で使われていないために読めない人がいるということです。学校で習わなければ知らないということです。--みや1229 2009年6月21日 (日) 13:57 (UTC)[返信]
読めなければ、調べればいいのではないでしょうか。それに、「『函』という文字は別に難読文字なわけではない」ということはすでに複数参加者より主張されていることであり、あなたはそれに有効な反論ができていないと思います。まあ「はこすう」と読んでしまうひとはいるかもしれませんが、「かんすう」か「はこすう」かどちらかであるという程度のことは普通に想像つくのじゃないでしょうか。また、「関数」なら読めるかっていうと、教科書に載っていても読めないやつはいると思うなあ。いずれにせよ決定的な要因になるとは思えません、せいぜい「しごく微妙な程度問題」程度じゃないですか。--Nekosuki600 2009年6月21日 (日) 14:23 (UTC)[返信]
◆学校、教科書、というのがアプリオリに使われている気がしますが…。圏論の標準的な教科書を見たところ、「関数」と「函手」でした。微積分の標準的な教科書で「函数」とするものがあるのは既に指摘のある通りです。みや1229さんの「学校」と「教科書」については何が前提されているのでしょうか。その範囲を逸脱することについては、教科書になく読み方を知らない人がいるからウィキペディアでは記載してはいけない、のでしょうか、それとも、教科書にないのだから教科書での表現に拘束される必要はない、のでしょうか。--Jms 2009年6月21日 (日) 15:08 (UTC)[返信]
◆つけたし。
みや1229さんがおっしゃるところの「学校」「教科書」って、具体的にはどういうもののことでしょうか。つまり、小学校なのか中学校なのか高等学校なのか大学なのか大学院なのか各種学校なのか、ということをうかがいたいのです。--Nekosuki600 2009年6月21日 (日) 15:20 (UTC)[返信]
◆さらにつけたし。教科書として日本語で書かれたものを想定しているのは想像がつくのですが、どこの「学校」「教科書」なのか、という点についてもお忘れなく。--Jms 2009年6月21日 (日) 15:26 (UTC)[返信]
みや1229氏より、別の場所での催促によって別の場所で回答が出ておりましたので、該当部分をこちらに転記しておきます(流れの無視についての苦情はすでに述べました)。以下。--Nekosuki600 2009年6月23日 (火) 13:26 (UTC)--Nekosuki600 2009年6月23日 (火) 13:54 (UTC)(誤変換修正)[返信]
「『教科書』という言葉は、現実問題何を意味するのか(注:この質問はおれが当該場所にて催促した文面の引用です)」。ここでいう教科書とは中学高校で使用する数学系の教科書です。--みや1229 2009年6月23日 (火) 13:18 (UTC)正確に言うとこれは僕のこの節の質問への回答ではありません。--みや1229 2009年6月23日 (火) 14:37 (UTC)[返信]
Jms氏の質問への回答。日本の中学高等学校で使用されている数学の教科書です。僕の主張の根拠としては中学校の数学の教科書とした方がより正確です。なぜならほとんどすべての国民がそれにより「関数」を学ぶからです。--みや1229 2009年6月23日 (火) 14:55 (UTC)[返信]
◆日本語版ウィキペディアであって日本版ウィキペディアではないので、「国民」として日本国民を前提とするのには問題がなくはないのですが、日本語話者の多くが日本国で義務教育を受けるであろうことを暗黙の前提としていらっしゃるのだと仮定して、日本語話者の多くが共通して有するであろう前提知識として日本の中学校までの教育内容を想定する、という意味だと理解します。さて、もしそうだとすれば、そこには「世界最長のトンネル」という知識として「青函トンネル」が含まれますので、「函数」が読めないということは成立しない、ということになりますので、「函数」は読めない、という御主張は日本の中学校までの教育内容を想定するということとは矛盾します。すると、御主張は「関数」として中学校で習うから「関数」とすべきであって、他の表記にすべきではない、ということかと思います。それを確認した上で、わたくしのもう一つの問い、日本の中学校までに習う範囲を逸脱することについては、教科書になく読み方を知らない人がいるからウィキペディアでは記載してはいけない、のでしょうか、それとも、教科書にないのだから教科書での表現に拘束される必要はない、のでしょうかにもお答えいただければ幸いです。前者であればウィキペディアの内容は中学校までの学習指導要領を逸脱してはなりませんし、後者であれば関数 (数学)の記事内容のうち、一次と二次の関数については「関数」表記ですが、それ以外については「函数」と表記することになり、「関数」に統一すべきという立場とは矛盾します。ついでに新しい疑問が出てきてしまいました。日本の中学校での教育内容というのは、いつの時点の学習指導要領に基づいて決めるのでしょうか。--Jms 2009年6月23日 (火) 15:16 (UTC)[返信]
Jms 氏への回答。「中学校で習うから「関数」とすべきであって」違います。Wikipediaの表記ガイドにしたがって「関数」とすべきというのが僕の主張です。表記ガイドが「函数」を規定していると読めるならそれに従うべきです。教科書うんぬんはその表記ガイドが妥当である証拠として述べているだけです。したがって以降のご質問はWikipediaの表記ガイドに照らしてご判断ください。--みや1229 2009年6月23日 (火) 15:40 (UTC)[返信]
そうなのですか。では教科書は関係なかったのですね。学習指導要領を調べようかと思っていたところなので、助かりました。さて、表記ガイドというのは学術用語に関するくだりだと思いますが、そうならば、『学術用語集・数学編』の編集にあたった数学用語専門部会委員の大多数が学術用語としては「函数」を希望しているので、「函数」とすべきなのではありませんか。--Jms 2009年6月23日 (火) 15:56 (UTC)[返信]
◆すでに指摘がなされているのですが、「ガイドラインにすぎない表記ガイド」と同レベルの文書である「記事名のつけ方」というのがあって、後者に従うと「函数」がWikipedia的に正しい用語ということになるのです。つきましては、「Wikipediaの表記ガイド のみ」を論拠として「関数にすべき」と主張するのはおやめいただけると幸いです。すでに指摘がなされている点について無視した上ですでに反論されそれを覆せていない主張を繰り返すのは、他の議論参加者に対する不誠実な姿勢であると考えざるを得ません。「表記ガイド」を唯一の立脚点とする主張は、すでに破綻していると、おれは判断します(同意は、求めませんが、読者の判断は割れるでしょう。少なくとも「表記ガイド のみ」に基づく主張が優勢になるかどうかは微妙だと思います)。--Nekosuki600 2009年6月23日 (火) 16:01 (UTC)[返信]
◆もしも「中学生にも森羅万象を理解させしめることができる百科事典」があればそれはすばらしいと思うのですが、その具体的な像を、おれは思い浮かべることができません。少なくとも「もしかすると難解かもしれない術語の使用抑制と用語統一」でそれが実現できるような気が、率直なところ、まったくしないのです。
Wikipediaに関して「子供向けの配慮はしない」というのは、公式な方針にあるんですよね。なぜここで「にもかかわらず子供向けに用語の削減をし統一をしなければならないと思うのか」についての更なる説明があるとありがたいと思います。--Nekosuki600 2009年6月23日 (火) 15:19 (UTC)[返信]
「にもかかわらず子供向けに用語の削減をし統一をしなければならないと思うのか」は引用のようですが誰の意見でしょうか?僕の意見から派生しているようですが唐突に出てきたので話の流れがよくわかりません。それに「子供向けの配慮はしない」という項目は「ウィキペディアは未成年者を保護するための検閲をしていません」であり、このように表記を変えるのはご意見の信頼性を下げると思います。どうか推敲して正確な文章を書き込んでください。僕も性急な書き込みを慎みます。--みや1229 2009年6月23日 (火) 16:05 (UTC)[返信]
Nekosuki600 氏はWikipediaの方針として「子供向けの配慮はしない」との内部リンクを示し、Wikipediaが子供向けに執筆しなくてよい根拠としています。しかし、リンク先の実際の項目名はWikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは未成年者を保護するための検閲をしていませんであり、内容は未成年者にとって相応しくないものや見せたくないものをブロックできないことを断る内容です。つまり本議論の対象である用語の選択とは趣旨が異なるというわけです。これはNekosuki600 氏が項目名を自己の主張に都合がいいように変更したものであり、実際に内部リンクを開かない人にはそのような方針があると思いこませ議論を混乱させることにつながりかねません。このような行為は議論の根幹を揺るがす問題です。今後は改ざん部の取り消しをしない限りNekosuki600 氏の発言はすべて信用できないものとして扱います。--みや1229 2009年6月24日 (水) 11:03 (UTC)[返信]
◆それは「ウィキペディアは未成年者を保護するための検閲をしていません」ということの含意するところをどうとらえ、それをどう表現するかといういわば芸風の範囲であり、それを改竄だと言うのは「当用漢字制限により関数と書きかえるのは改竄」だと主張するのと大差ないのではないかと思うのですが。実際に内部リンクを開かない人を保護するための検閲もしていないわけですし。--Jms 2009年6月24日 (水) 11:11 (UTC)[返信]
◆えーと。もともとの主旨はお説のとおり「子供には不適切かもしれない情報も掲載されている可能性があるし、それを検閲し削除するという運営方針を持っていない」ですが、そこから演繹すれば当然のように「子供向け百科事典ではない」「子供にもわかるようなレベルにまで噛み砕いて記述されたものではない」が導けるものと考えます。よって取り消しはしません。というか、「統一には同意しない」というだけでこれまでに幾度もみや1229さんからは「不当に攻撃された」というような言辞を受けておりますので、何をいまさらという印象を抱きました。愚考ではございますが、対論側を貶めたところであなたの意見が正当化されるわけではなかろうと思います。--Nekosuki600 2009年6月24日 (水) 12:01 (UTC)[返信]
◆ここには"函数"との記述が誤りだという方は居ません。その上で"関数"に統一すべきか、"函数"に統一すべきか、これまで通り("関数"と"函数"両方つかっても良い)かで意見を出し合おうとしている所です(因みに私は3つ目に賛成です)。あなたの主張は"関数"に統一すべきですよね。そして何故"関数"かとの問いに中学の教科書にそう書かれていると答えています。そして"函数"が読めない可能性を示唆している事から、あなたが想定する読者には児童及び生徒が含まれると解釈できます。そもそも今現在"函数"を書いてはいけないと言うルールは存在しませんので、あなたの主張とその理由、及び現状を勘案すればあなたは「にもかかわらず子供向けに用語の削減をし統一をしなければならないと」主張している。と解釈できます。別の言い方をしますと、あなたは「児童及び生徒への配慮として"函数"との記述を隠蔽しようとしている」となります。しかし、これはしてはならないのですから、あなたがこれ以上"関数"に統一すべきと言う場合には児童及び生徒への配慮以外の"関数"を用いるべき理由を述べる必要があるのです。最後に念のために、これはみや1229さんの2009年6月24日 (水) 11:03 (UTC)の投稿に対する返信です。--重複太郎 2009年6月24日 (水) 16:01 (UTC)[返信]
◆つけたし。いまちょうど「関数」について本 (教科書ではありません) を読んであらためてべんきょうしているのですが、強く関連する事がかかれていたので島田茂「学校数学での用語と記号」福原満州雄他『数学と日本語』共立出版 1981 年 ISBN 4-320-01315-8 pp.135-169 より引用します。「漢語が難しいからといって、漢語によらない言い方に変えたところで概念的な難しさには、変りはない。(中略)漢語によらない言い方が漢語より分りやすいというのは、過去にあった誤解である。この面の難易をきめるのは、生まれてからそれまでの間の語いの拡大のプロセスである」だそうです。「語い」は「語彙」のこと。漢語というのを「日本の中学校では習わない表記」と置き換えてもこれは成立するでしょう。この点も含めて「にもかかわらず子供向けに用語の削減をし統一をしなければならないと思うのか」を説明していただければ幸いです。--Jms 2009年6月23日 (火) 15:40 (UTC)[返信]
◆うーん。あの、たいへんに素朴な疑問なのですが、数学分野での議論について「日本数学会の見識よりも自分の考えの方が正しい」と断言できるその強烈な自信の根源はいったい何なのでしょうか? みや1229さんが「表記は一致させるべきだ」「関数と書くべきだ」とお考えになるのは思想信条の自由なのですが、日本数学会ですら両論併記という判断をしているということは非常に重いものだと考えるのが相当なわけで、個人的感覚で簡単に覆せるようなものではないとおれなんぞは思うのですが。
ついでですが、「日本数学会は広い世間を相手にしていないとみなしていいと思います」というのは、数学関連項目の編集を今後一切ご遠慮いただきたいレベルの暴言であると考えます(熟慮の上でとりあえず一文略)。--Nekosuki600 2009年6月20日 (土) 11:34 (UTC)[返信]
◆同一テキスト内での不ぞろいネタではないのですが。
たとえば四宮和夫は自論文中で原則として「思う」という表記を使わず「おもう」と開いて表記していました。日本語における「omou」は圧倒的に「思う」表記が多いのですが[要出典]、「おもう」と書くのはけっこう非常識な表記なのですが、それで伝わらなくなりますかね。彼は論文誌などでも「おもう」を使っていたように記憶しており、論文誌の編集者はそこを直したりしていなかったのじゃなかろうか。まあ四宮御大の原稿に手を入れるなんていう度胸のある編集者はいなかったと思うわけだが。
前に出した某SF作家の事例や、大坂城の事例などもひっくるめて、「統一」が重要なのかどうか再考を促したく思います。というか、配語法に無頓着でいていいはずはないが、機械的統一でコミュニケーションの基盤が作れるわけじゃないということも同時に視野に入れておかなきゃ単なる「表記統一原理主義」になってしまうわけで、それはまずいんでない?--Nekosuki600 2009年6月20日 (土) 00:21 (UTC)[返信]
「おもう」も「大坂城」もかなや常用漢字を使用しておりどちらも読めます。これらと常用漢字からはずれたために一般には使われていない「函数」を使用することとは、読み手への影響が異なり同列ではありません。反論するなら同じ意味を持ちながら常用漢字以外の表記も認めている例を持ってくるべきです。--みや1229 2009年6月20日 (土) 14:34 (UTC)[返信]
常用漢字表を金科玉条のごとくふりかざすんじゃありませんよ。「函」は常用漢字表にはいっていないかもしれませんが、「函館」という極めて有名な地名に使われていてしばしば目にする漢字ですし、「かん」という読みにしても「青函トンネル」でお馴染みです。前にも記したように「潜函」のように、別段言い換えもなされずに平然と使われている術語もあります。読めて普通の漢字であると言っていいんじゃないでしょうか。
正直、「函」を普通に「はこ」「かん」と読めないひとは、百科事典を使う前に漢和辞典を引いて欲しいなあと思うし、そのくらいの学習機能がなければ百科事典なんか有害なものにしかならないのじゃないだろうかと思ったりもします。--Nekosuki600 2009年6月20日 (土) 14:47 (UTC)[返信]
「函館」は固有名詞(個々の事象を示す名詞)ですから常用漢字の適用をうけません。ちなみに科学や技術分野の用語にも強制力はありません。したがって、将来「函数」が一般化する余地もあるということです。しかし、現在は教科書に使われていないため読めない用語とみなしていいと思います。--みや1229 2009年6月20日 (土) 16:29 (UTC)[返信]
すまん。詳述すると追い詰めることになりかねないので、どうレスポンスすべきなのか迷ってます。とりあえず「常用漢字表に掲載されているかどうか」は判断基準にならないということを確認したいのだが。「函館」や「青函トンネル」を読めないレベルの読解力のやつが百科事典の執筆をすることは間違いである、ということで合意形成ができるとうれしいなあと思ってはいますが、みや1229さん的にはどんなかんじでしょうか。--Nekosuki600 2009年6月20日 (土) 16:36 (UTC)[返信]
◆もういっこおまけ。
「大坂」という地名は、けっこうあちこちにあります。よって「大坂城」は、「大坂というところにある城」という意味だということもあり、「いわゆるところの『大坂城』と『大坂城』の同一性」というあたりは、読む者の知識データベースに依存することになります。
「大坂城」という漢字がまるっきし読めないひとはそうそういないと思いますけれども、読めたとしてそれが「現代では大阪城と呼ばれることが多い城のことである」と理解するかどうかは微妙なんです。そもそも「大坂城」が「おおさかじょう」なのか「おおざかじょう」なのか「だいさかしろ」なのかなんか、知識のデータベースが背景になけりゃ判別できるわけがないでしょうが。
おれ、ちょっと必要があってこの2週間くらいで2500くらいの地名の読みを調べていたんですよね。「古里駅」という駅、おれが先に行った駅では「こりえき」なんだが後からたずねた駅では「ふるさとえき」だったりしました。「漢字なんて読めて当然」だの「漢字の読みは一意的にさだまる(はず)」だのという概念が、おれにはよくわかんないのです。そしてだな、わかんなきゃ調べろ、と思うのです。調べるところから知見は広がっていくのだからな。
第一。「函数」「函館」「青函トンネル」くらい普通に読めるだろう。「函」が難読漢字だということにおれはまったくもって同意しません。
第二。「読める/読めない」で判断するのは間違い。読めなくてもぜんぜんかまわん。読めなければ調べろ、くらいのことは言っていいだろう。読めなくても「函数」表記の項目にたどりつけるだけのテクノロジーは普通にあるし、項目内で説明をしてあげることも可能だ。
で、ふと思ったんだけど、もしかしてみや1229さんって、英語でいうところのファンクションという概念を日本語で「函数」と表記する場合があるのだということを、この論争にかかわる前にはご存知なかったのではありませんか? だから「それは間違いだ」と即断してしまったということならば理解はできるのですが、それは即断であり間違っているので、早めに撤回しておいた方がプライドの傷も浅かったのではないかと思ったりもします。--Nekosuki600 2009年6月20日 (土) 15:42 (UTC)[返信]
「ご存知なかった」および「プライドの傷も浅かった」はNekosuki600氏による想像ですし、議論の主題とは無関係ですので返答はしません。--みや1229 2009年6月21日 (日) 14:03 (UTC)[返信]

記事内の、あるいはウィキペディア内の文章の統一感のためにどちらかに(たいていの場合、「関数」に)表記をそろえるべきだ、と主張されている方々に知っていただきたいことがあります。それは、「函数」を「関数」に寄せたぐらいでは埋めようもないほどのちぐはぐが記事内に、あるいは記事間にままあるということです。これには単なる字面の問題もあれば、より深刻な言葉の選択の問題や、そもそもどういうスタイルの文章で物事を説明するか、ということについてのばらつきもあります。たとえば、「かんすう」という言葉の表記を統一するならばそれよりも先に「かんすう」と「写像」というふたつの言葉の使い分けを確立させないといけない(そして、それはまだできていない)と思いますし、類似の同音の表記ぶれの問題も実はほかにたくさんあるのです。(例えばより難しい問題に、線形vs線型などがあります。)だから、「函数」ひとつをなくせば何かが大幅に改善するかのような物言いはナイーブに過ぎます。

「関数」vs「函数」が繰り返し議論になるのは、この言葉が初・中等教育でも使われているからなのだという印象を受けていますが、ウィキペディアの目標は教科書ではなく百科事典だということをもう一度確認してほしい。そもそもウィキペディアは未成年者を保護するための検閲をしていないように、ウィキペディアの記事が初・中等教育の観点からして好ましくないという事態だって許容されているのです。表記がばらついたり難しくなったりすることを積極的に支持するものではありませんが、慣れ親しんでいないものに出会ったときにそれが糸口になって新たな知見が広がるという側面を見過ごすことはできません。そのため、常用漢字とか、学習指導要領やその他の(とくに、学者コミュニティ以外の)権威にそぐわない要素を排除するべきだと言うような議論には全く賛成できません。

白駒さんの提案された草案が何らかの形でパブリックな場所におかれることを切に望みます。これはWikipedia:ウィキプロジェクト_数学#用語・表記の曖昧さで曖昧な婉曲表現で書かれていることをくわしく補完するものにもなっています。--Makotoy 2009年6月20日 (土) 22:45 (UTC)[返信]

上のコメントの1~2段落と3段落目のつながりについて補足しておきます。結局のところ現在「関数」に統一するべしという意見は、その理由として出されているものが、ウィキペディアの基本的な原則から導かれる根拠を持たず、執筆者への配慮を欠き、現状の日本を特定の方向に誘導する意思を伴ったプロパガンダとすら言えるという意味で、(たとえば「歴史上最初に使われた正統な表記だから」という理由で持って)「関数」を「函数」に、「放物線」を「抛物線」に統一しようとするのと同じぐらい好ましくないということです。そして、「函数」という表記はマイナーでこそあれ、ウィキペディアからただちに排除するほどの理由を見いだすことはできませんでした。--Makotoy 2009年6月21日 (日) 19:13 (UTC)[返信]

上のMakotoyさんの「白駒さんの提案された草案が何らかの形でパブリックな場所におかれることを切に望みます」というご意見に賛成します。やや違和感を覚える部分はあるのですが、細かい点については後から詰めていけばいいでしょう。私の2009年6月13日 (土) 13:51 (UTC) 及び2009年6月19日 (金) 10:18 (UTC) の発言が白駒さんの草案に「反対」するものだと受け取られないよう、はっきりと言明しておきます。--sergei 2009年6月22日 (月) 14:59 (UTC)[返信]
議論がある程度落ち着いてから、と思っていましたが、話がループしていますので、Wikipedia:ウィキプロジェクト 数学/函数と関数をリリースしました。こんなつまらないものは、早く死文になってくれることを願います。細かい点については(必要であれば)Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 数学/函数と関数で検討してください。--白駒 2009年6月28日 (日) 05:52 (UTC)[返信]
(コメント)数学に詳しい方々による明確なメッセージがないことが混乱の背景にあると感じていましたので賛同します。--みや1229 2009年6月28日 (日) 06:33 (UTC)[返信]

表記についての合意以前の問題

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ここから確認しないといけないような気がしてきた。移動や書き換えがあった場合に踏むべき手順というのは、以下のようなものだと考えますが、いかがなもんでしょう。

  • 関数/函数に限らず、表記の異なるもので、移動や機械的な書き換えがあった場合、明らかに、かつ、全面的に誤りである場合はともかく、まずは相手の会話ページやノートなどで、その意図を尋ねる。
  • 可能な限り、なぜ、今の表記を採用すべきかということ、どちらかの表記を選ぶという合意があるなら合意の場所、関連する方針などの説明をする。
  • そこでしばらく待っても返事がなかったら、いったん差し戻しをする。まあ、差し戻しは先にしてもいいけど。
  • 要約欄などで「荒らし」呼ばわりはしない(Wikipedia:安易に荒らしと呼ばない)。
  • 対話に応じないまま、移動や書き換えが続いた場合は、保護依頼や対話を促すための短期のブロックを管理者伝言板で依頼する。ブロック明けに繰り返し編集を強行するなら、投稿ブロック依頼。
  • ただし、「関数/函数」に関しては、LTA:MATHと確信できるならWikipedia:管理者伝言板/投稿ブロック#投稿ブロック中のユーザーのブロック逃れ(ソックパペット)へ。確信が持てないなら合意の上CU依頼。

これならそうそう編集合戦にはならないと思うのですが。--Ks aka 98 2009年6月19日 (金) 19:07 (UTC)[返信]

一般論としては Ks aka 98 さんの仰るとおりで、「安易に荒らしと呼ばない」あたりは双方に強く言いたいところです。ただ、この問題についてはいろいろとこじれてしまっているのですよね。函数派としては、関数派にきちんと説明するのもあきらめてしまっているのではないか、と思います。ここの議論を見てもなかなか互いに話が通じないことは分かりますし。関数派の人だって、函数派から「なぜ関数を使うんだ」と言われるたびに対話しないといけないとなると、やってられないでしょう? 案内の場として、私の書いた文章が機能してくれれば、と期待します。--白駒 2009年6月19日 (金) 23:24 (UTC)[返信]

表現論・表記論

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議論の前提となる事実

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「かんすう」をめぐる議論の前提となるウィキペディア外の事実を念のため列挙します。他にもあれば適宜追加してください。--Jms 2009年6月25日 (木) 23:41 (UTC)[返信]

  • function の漢字圏における訳語として「函数」があてられ、これは日本語でも受容された。
  • 当用漢字の制定により、「函数」の書き換えとして「関数」が選ばれ、『学術用語集』で採用された。但し、同数学編の編集委員からは学術用語として「函数」を用いることが強く希望された。
  • 学習指導要領で「関数」が登場するのは中学校で1958年度、高等学校で1960年度であり、それ以前は「函数」が用いられていた。
  • 常用漢字告示により、1981年に当用漢字は廃止された。専門用語は常用漢字制限の範囲外とされた一方、公用文については公用文作成の要領により常用漢字本表及び付表に制限されているため、常用漢字表前書きにある専門用語の除外の対象とはならない。
  • 現在までの文献で用例調査をすると、「関数」が優位である。優位性の度合いには分野依存性がある。
  • 近年の文献で用例調査をすると「関数」が圧倒的に優位である。 分野別では、一般書ならびに物理学を含む理工学分野ではほとんど「関数」一色であるのに対し、数学分野では「函数」の使用も依然として存在するが、それも分野内での「関数」使用の約1割という少数である。
  • 「函」と「関」のいずれか一方に統一している文献の他、「関数」と「函手」を用いている書籍も存在する (『圏論の基礎』2005年 ISBN 978-4-431-70872-8)。
  • 百科事典に限れば、「函」について一切触れておらず、索引さえも「関」に統一されている百科事典が存在する。(『万有百科大事典』(16巻 物理 数学)小学館 1976年 ISBN不明)

表記は「関数」に統一すべきとする論拠

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またまた迷宮入りしそうですので、ここに私が表記は「関数」とするのがよいと考える論拠を纏めて書き、皆様のご意見をまちたいと思います。 ただお断りしますが、これは表記「関数」が「正しい」とする主張ではなく、あくまで「WIkipediaの記事には適当」であると考える論拠を示すものですから、よろしく御願いします。

以下は大筋において私が5月29日に提示したもの(以下ではこの種の文章を「Midz529」のように名前に日付を添えて表記します)と同じですが、そこでは云い足りなかったこともあり、賛成意見も正面からの反論もあまり頂けずに流されてしまいました。 そしてその後のデータの積み重ねもありますので改めて提示します。 私の言葉尻ではなく、意見自体に正面からのご意見を頂けることを期待します。

  • まず私の言いたいのは、この種の問題ではまず最初によりどころにすべきはWikipedia の「方針・ガイドライン」であるということです。
  • この意見は 「Midz529」で「まず、Wikipedia 中の「17学術用語」によれば「学術用語は文部省が版行した『学術用語集』に準じます。」とあります。」と引用して続く議論を進めたことで表明した積もりでしたが、皆様のご注意をひかず、その後今までまともな議論の対象になりませんでした。 のみならず、白駒さんの草稿中の「過去の論争」に「Wikipediaの表記ガイドに従う」を論拠の1つとして加えて欲しいと「Midz618」でお願いした案件は、「学術用語集に準じます」との記載で尽きている話だからと却下されました。 これは白駒さんが表記ガイドを非常に軽く、「学術用語集」を持ち出すための枕詞に過ぎないと考えておられたためであろうと考えます。 しかし、これはWikipedia の記事の問題ですから、何か問題が生ずれば先人たちの智慧の結晶である「方針・ガイドライン」を参照するのが第一で、それに準拠して定めることで大儀名分を得ることになります。 もちろん「方針・ガイドライン」は絶対のものではなく、それがその場合には適合しないという明確な理由があれば場合に応じて修正しながら使うものですが、この場合はこの表記ガイドに従って話をすすめることに何の不都合もなく、意見が分かれている問題でそのどちらかを選ぶには最適の基準と考えます。
  • こうして「関数/函数」の選択を「学術用語集」に準拠するとすると「関数」が適当という結論が得られます。 それも「Midz529」の段階では「数学編」だけが考慮され、そこには「関数(/)函数」とあって多少の曖昧さが残っていましたが、その後「Midz531」において示したように「物理学編」ではただ「関数」とだけありますので、その優位性は明確だと考えます。
  • いかづちSqueakさんが 618 で指摘して下さったように、Wikipedia:表記ガイド#その他には「表記はページ内で統一します。ウィキペディア全体での統一に過度にこだわる必要はありません。」とあります。 ですから「方針・ガイドライン」を尊重する立場では、白駒さん616の「同一項目内で(表記を)揃える必要がない」というのには賛成致しかねます。
  • ついで挙げたいのは使われ方の広さの差です。
  •  まず、中学・高校の数学教育が数十年前から「関数」で行われていることによって、一般世間ではほぼ完全に「関数」が使われていることは皆の認めていることだと思います。 また「関数」にもっとも縁がありそうな学問分野でも、物理学分野では「関数」一辺倒で、「函数」は使われていないことは前に述べた通りです。 そして「函数」が今でももっともよく使われていると云われている数学分野でもおおかたは「関数」で、たとえば「岩波数学辞典」では「関数」ですし、「Midz531」で報告した日本数学会「2007秋季総合分科会」の講演題目でも「関数」を含むものが圧倒的で、「函数」を含むものの数は「関数」を含むものの数の10%程度でした。
  •  そして次に挙げたいのは、Wikipedia 自身の中での、「関数」を含む項目名の数と「函数」を含むものの数との関係です。 私が「Midz616」で恣意的にならないように注意して選んだ「関数/函数」を含む項目名30のうち、「関数」を含むものが27、「函数」を含むものは3でした。 しかもこの3つの「函数」を含む項目名のうち2つはごく最近に「関数」から「函数」へ改名させられたもので、今年初めの段階では「函数」は1つだけだったことになります。 このように「関数」が圧倒的に多いのは現在だけでなく、2007年の移動合戦の期間中のような特殊な時間帯を除けばほとんど常に成り立っていることです。 これは「Midz616」で名前を挙げた30項目のおのおのの履歴を眺めてみればすぐに確かめられることなので、ぜひ試みて下さい。

以上、「Wikipedia の方針・ガイドライン」と「使われ方の広さ」との2つの選択原理から、表記「関数」が表記「函数」より望ましいことの論証を行ってきました。 よろしくご意見をお寄せ下さい。 とくに「方針・ガイドライン」に代わる実践的選択原理をお考えの方がありましたらご呈示下さり、論議の対象に加えるとよいと思います。 すぐに迷走しがちな論議にこれで少しでも方向性を与えることが出来れば幸いです。 --Midz 2009年6月22日 (月) 05:31 (UTC)[返信]

現時点でMidzさんの挙げられた論点に対して個別にコメントを返すこともできますが、以下の2点について検討していただけませんか。
  • 改めて議論をまとめ直すということでしたら、ご自分の書かれたことだけに限るのではなく、同様の結論を主張されている方達の出した論点を包括的にまとめてもらえないでしょうか。
  • ここで争点になっているのは「関数」と「函数」とのどちらに統一するかということよりもむしろ、「関数」に統一するべきか統一しないべきか、であるように思われます。だから、「表記「関数」が表記「函数」より望ましい」ことではなく、「なぜ統一したほうが望ましいのか」が論証されるべきではないですか。
統一しない立場についてのまとめも書いてみようと思いますが、そちらは少し時間をください。--Makotoy 2009年6月22日 (月) 06:29 (UTC)[返信]
お答えします。 上記の「証明」を書き込んだ後の短時間の間に非常に多くのコメントがなされ、もう時期外れの感もありますが、この機会に私の見解を記録しておくことは有益と考え、ここに割り込んでお答えする所以です。
  • まず第1点ですが、私の上記文章の目的は議論をまとめ直すことではなく、「ウィキペディアの記事には「函数」より「関数」の方が望ましい」という命題を「証明」する事です。 それはこの命題の確立がすべての問題解決の鍵になっていると考えるからです。 そしてここで与えた「証明」は、Makotoy さんが云われた「ウィキペディアの基本的原則から導かれる根拠」を持ち、これで充分だと思いますので、話を他の論点に拡散させる必要を感じません。
  • それから第2点の「統一」問題は次のように考えています。 上の「証明」を書き込んだ後の非常に多くのコメントを一通り眺めましたが、「関数」の優位性に反対する言説はないようです。 とすると議論が落ち着いた暁には、「統一する必要ない」派の方でも、適当な場所(例えば「ウィキプロジェクト:数学」の場)でこの優位性を明示する文章(例えば白駒さん草稿の第1項)を載せて頂けると考えます。 そしてそうするとそれ以上の細工なしに表記は自然に「関数」に収束していき、統一問題は消滅するものと考えています。 それは現在でも上の分析で示したように大部分の項目は「関数」に統一されていて、そうでないものは最近に移動・編集合戦があってその後遺症が残っているものだけですが、それも元の文章に戻す等の名目で無理なく書き換えが進み、上の公示により逆方向の書き換えが抑えられている状況下では、自然に「関数」に統一されると考える訳です。
以上です。 よろしく真意をご推察下さい。 --Midz 2009年6月23日 (火) 08:35 (UTC)[返信]
「望ましい」という言葉には厳密な定義が存在しないのでそんな命題を「証明」することなど不可能です。逆に、Wikipedia:表記ガイドで「学術用語は文部科学省が版行した『学術用語集』に準じます」と定められ、学術用語集数学編には両者が併記してあるという事実から「Wikipediaの既存のルールからは(少なくとも数学分野に関しては)関数と函数のどちらか一方を強制するルールを導き出すことはできない」という命題が簡単に証明できてしまいます。Midzさんが証明というものをそんなにルーズに考えているのだとしたら、数学分野には今後一切関わらない方がいいんじゃないか、と個人的には思うのですが…。
「現在でも上の分析で示したように大部分の項目は『関数』に統一されてい」るのこそが2年前の騒動の後遺症と見なすことができるのは白駒さんが2009年6月16日 (火) 19:52 (UTC) のご発言で指摘されている通りです。それから白駒さんの草案は「元の文章に戻す等の名目で」書き換えをすることも禁じていると考えるのが妥当な解釈でしょう。白駒さんは2009年5月30日 (土) 05:42 (UTC) のご発言でMidzさんの主張に明確に反対されているにも関わらず「正面からの反論もあまり頂けずに」などと述べられていることも含めて、どうもMidzさんは文章を自分の都合のいいようにしか解釈しないという問題があるように思われます。
それはさておき、「統一するべきか統一しないべきか」という点については「統一するというルールを定める必要はない」ということで合意していただけたと考えてよろしいのでしょうか。もしそうならそろそろ白駒さんの草案をWikipedia名前空間上に移すことを検討しませんか。細かい点はそのノートで進めるということにして。--sergei 2009年6月23日 (火) 13:00 (UTC)[返信]
いちいち反論する気にもなりませんが、誤解を生じてもいけませんので、次の諸点に注意を喚起しておきます。
  • まず「関数」は数学分野の専有物ではありませんので、「学術用語集」はこの語を載せている「数学編」と「物理学編」を総合して判断すべきです。
  •  「2年前の騒動の後遺症」については、その騒動の勃発以前にはすべての表記が「関数」であったことを指摘しておきます。
  •  「白駒さんが5 月30日に明確に反対」はどの話題を指すのか分かりませんが、それが「「函数」が普通に使われている」であれば、それは使用割合「1割」を普通に使われていると考えるかどうかの問題で、「正面からの反論」とは言えないと思います。
  •  白駒さんの草案を公の場に移すことは賛成ですが、できれば第1行目の原則だけを公にして、しばらく様子を見ていただけるとさらに幸いです。
--Midz 2009年6月24日 (水) 01:29 (UTC) [返信]
ご回答ありがとうございます。
  • 関数/函数というのは本質的に数学の概念です。物理学その他の学問領域ではこれを応用として利用しているに過ぎません。物理学への応用について解説している項目では物理学編に準拠するにしても、純粋に数学について取り扱っている項目ではまず数学編を重視するのが当然ではないでしょうか。数学編と物理学編双方を総合して判断するにしても、そのうちの一方である数学編に函数表記も載せられている以上、関数が望ましいとまでいえるかどうかは微妙です。少なくとも「証明」などできるものではありません。
  • 関数問題という項目がありますが、これは2007年5月1日に函数問題として立項され、あの騒動のさなかの2007年7月21日に改名提案を経ずに関数問題に移動されました。ですから「その騒動の勃発以前にはすべての表記が『関数』であった」というのは誤りです。こういう存在と全称を取り違えたような誤りを平気で犯す人が数学分野の項目の執筆に携わっているというのが私は不安で仕方ないのですが、それは措いておきます。なお、2007年7月及び今年初めの時期には存在しなかったものですが、今年の4月30日に立項された佐藤超函数という項目が6月12日に改名提案を経ずに佐藤の超関数に移動されたことも指摘しておきます。このことはよくご存知のはずです。
  • 「1割」というのは秋季総合分科会(2007)の講演題目を数えてみた数字を指すのでしょうが、白駒さんが言及されているノート:関数 (数学)では例えばCiNiiでの検索結果が65:24だったとか、名称に「かんすう」を含む四つに分科会全てで函数が用いられているといった事実が報告されています。この指摘は無視するのでしょうか。常識的に考えて、分科会の名称に掲げられているのなら数学分野においては函数表記も普通に用いられているとみなすのが妥当ではないでしょうか。
  • 「白駒さんの草案を公の場に移すこと」に同意いただけたことは心強く思います。これで解決に向けて一歩前進したといえるでしょう。ただし第一項だけを単独でルール化させることには白駒さんが2009年6月18日 (木) 12:45 (UTC) のご発言で反対を表明されていますし、私も賛成できません。この点はご希望通りにはならないと思いますがどうぞご諒承下さい。--sergei 2009年6月24日 (水) 14:59 (UTC)[返信]
お答えします。 また読む人に誤解が生ずることを防ぐことだけを目的に簡単に書いておきます。
  • 第1項、学術用語集の件は新しい材料はないので、読者はきちんと判断してくれると思います。
  • 第2項の2年前の騒動以前のデータは、私が前に挙げた30項目には騒動以前に「函数」になったことがある履歴が見あたらなかったため速断して失礼しました。でも「ほとんど常に「関数」が圧倒的に多かった」という私の主張には影響ないと思います。 もしもお暇がありましたら、私も興味がありますので、騒動勃発以前の一時点での両者の数を数えて報告して下さい。
  • おなじく第2項後半の「佐藤の超関数」への改名の件は既存項目の無断改名ではありません。白駒さんが「超関数」関係項目の混乱を収拾するために原状復帰させた際に「リダイレクト」にした項目「佐藤超函数」を、私が「超関数」関係執筆の際に復活・改名して材料の1つとして組み込んだものです。 この辺の経緯に興味がおありでしたら、関係3項目の履歴をよく読み込んで下さい。
  • 第3項、第4項にも新しい材料がありませんので、読者の判断に任せます。
余談ですが、sergei さんは数学界のために悲憤慷慨なさるので、数学分野の方かと思っていましたら、違って音楽の方がお得意なんですね。 今日、利用者ページを拝見して初めて知りました。 数学分野のことを心配して下さるのは有難く思いますが、あまり揚げ足取りなどせずに、本質をついた議論をして下さい。 --Midz 2009年6月25日 (木) 05:51 (UTC) [返信]
正確に数えてはいませんが、2007年7月の移動に関するログをざっと見た限りでは元々函数だったものが正式な手続きなく関数に移動された例はほかにあまりないようでした。「その騒動の勃発以前にはすべての表記が『関数』であった」の「すべての」の部分を「ほとんどの」と言い換えるなら、それは確かだと思います。その点については争うつもりはあまりせんので、正確な数を報告するのはご容赦下さい。
超関数及び佐藤の超関数の経緯についてはちゃんと履歴を見て把握しています。もし正式に改名提案が提出されていたら、この概念を創出した佐藤幹夫氏が今も超函数と表記している点や、初版投稿者が超函数と表記している点も十分に考慮して欲しい、という旨のコメントをする予定でいたのですが、改名提案の提出がなかったために機会を逸してしまいました。まあこのことは議論の本筋からは離れてしまうのでここでは措いておきます。
Wikipediaへの参加は趣味として無理なく続けられる範囲で、と決めているので数学を含め学術分野にはあまり深入りしないようにしているのですが、時々こうして看過し難い問題が生じるのでついつい口出ししてしまっています。決して揚げ足取りをするつもりはないのですが、やはり「証明」という言葉を安易に用いたり、すべてについて詳細な調査をすることなく「すべての」というような強い表現を用いたりするのは、数学というのがどういう学問であるかをご存知なら決してなさらないはずのことだと思います。その点は今後十分慎重になさって下さい。このコメント自体への返答はもう結構ですから、下に書かれたMakotoyさんと不肖私のアドバイスも十分に考慮していただければ、と存じます。--sergei 2009年6月25日 (木) 10:10 (UTC)[返信]
◆Midz さんへのコメント。 「関数」の優位性に反対する言説はないと仰せですが、日本放送協会方式として同じ前提から違う結論が導けることを示してあります。念のため、日本放送協会方式を更に進めると「函数」とすべきという結論も得られることを示しておきました。--Jms 2009年6月23日 (火) 14:55 (UTC)[返信]
(Jms さんへのお答え) お説はまともな「「関数」の優位性に反対する言説」にはなっていないと思います。 それは、「使われ方の広さ」は言葉だけで、「関数」と比べた「函数」の使われ方のデータをまったく示しておられないということを別にしても、「方針・ガイドライン」の1つ「正式な名称を用いる」と色々な仮定と組み合わせることで別の結論を導くことも可能である、との論理の遊びをしているだけで、しかもその正式名が「函数」であるという論証がはなはだ根拠薄弱であるからです。 「日本放送協会」が正式名で「NHK」は通称であることは万人の認めるところですが、「「函数」が正式名」と云われると大概の人は「どういう意味で?」と首を傾げると思います。 Jms さんは「当用漢字への制限という事情がない「正式な名称」は「函数」だということになります」という持って回った言い方で話を進めていますが、 このような根拠に基づく結論がまともな「「関数」の優位性に反対する言説」とはなっているとは考えられません。 事実、Jms さんご自身、それを自覚なさっているので、これを「表記は「函数」をよしとする論拠」の候補とすることを辞退されているのだと思っていますが、いかがでしょうか。 数学ファンとして論理の可能性・限界を追求して楽しまれるのも結構ですが、問題解決のためにはもっと建設的提案をお願いします。 --Midz 2009年6月24日 (水) 03:01 (UTC) [返信]
どうコメントしたものか考え込んでしまいました。まず、「関数」という表現がなぜ生じたか、という点を確認したいと思います。当用漢字による用字制限が学術用語集にも適用され、当用漢字外のものについてはかな書きに改めるか他の語への言いかえがもとめられたことが、「関数」という表現を生んだ原因です。このことは、『学術用語集・数学編』でも確認できますし、その後の経緯も含めると島田茂「学校数学での用語と記号」福原満州雄他『数学と日本語』共立出版 1981 年 ISBN 4-320-01315-8 pp.135-169 がよくまとまっています。過去の学習指導要領を調べる限り、中学校の学習指導要領で「関数」となるのは昭和33年度、高校では昭和35年度であり、それまでは「函数」です。大学での教科書レベルでいつごろ「関数」が登場するか、解析学、関数論、量子力学、物理数学の範囲でざっと調べてみましたが、確認できたもっとも早い例は昭和38年の井上正雄『関数論』至文堂 (但し冒頭で「関 (函) 数」としている) で、昭和40年に入ると「関数」が使われる様になっていました。因果関係は自明ではありませんが、高校の学習指導要領の改訂時期と符合します。もし当用漢字に「函」が含まれていれば「関数」という表現が生まれなかったでしょうし、「関数」という表現は当用漢字への置き換えの産物以外のなにものでもないのですから、その意味で「函数が正式」というのは否定できないでしょう。もちろん、このことは「函数」と「関数」の用例の多寡とは関係ありません。たとえば、サブルーチン呼び出しについて「函数」という表現を使っている例は、あったとしてもほとんどないだろうと思います。「函数」をよしとする主張をしているのではない、というのは、「Wikipedia の方針・ガイドライン」と「使われ方の広さ」という二つの指導原理から「関数」が導かれる、という論証の瑕疵を指摘するのが目的だからです。それ以外の想像はご自由ですが、わたくしの論点とは関係ありません。--Jms 2009年6月24日 (水) 10:29 (UTC)[返信]
◆Midz さんへのコメント。「函数」について、歴史的な、および(メタファーの機能を持っていると言う)意味的な、「関数」に対する優位性が主張されています。以下は、Midzさんだけにあてたものではないのですが、上のコメントにその問題が端的にあらわれていると思うのでここに書きます。ウィキペディアの方針・ガイドラインとして持ち出されている表記ガイドは「ウィキペディアの基本的原則」ではありません。基本原則というのは、ウィキペディアが百科事典であることとか、自由であることとか、中立であるとかいう、ウィキペディアに参加するものすべてが承知し同意している(と仮定していい)理念のことです。表記ガイドのようなガイドラインのたぐいはそれらの原則に基づきながら実際にウィキペディアを運営していくための運用論に過ぎません。その運用規則が、百科事典のありようや中立性といったより根源的な立場からの挑戦を受けているのだから、表記ガイドになんと書かれているか自体はいまは根拠たりえないわけです。本当に考えるべきは、表記ガイドのこのルールがどんな問題を解決するために導入されたのか、その問題はどれだけの優先度をもっているのか、ということです。ところが、この節のはじめのコメントにある「「方針・ガイドライン」を参照するのが第一」の下りなど、Midzさんやみや1229さんはあまりそう言うことを意識されていないのではないか、と恐れています。--Makotoy 2009年6月23日 (火) 19:05 (UTC)[返信]
(Makotoyさんへ)もちろん私も「方針・ガイドライン」が「基本原則」そのものでないと考えていることは、上の「論拠」に「「方針・ガイドライン」を絶対のものではなく、それがその場合に適合しないという明確な理由があれば場合に応じて修正しながら使うものです。」と書いておいたとおりです。  しかし、「方針・ガイドライン」が先人の智慧で「基本原則」をもっともよく体現した運用規則であることも確かだと思いますから、何かあればまず第一にそれを参照し、それがその場合に適合しなければ、その理由をはっきり説明してから修正し、使うとよいと考えています。 ただ、上で貴兄が「その運用規則が、百科事典のありようや中立性といった根源的な立場から挑戦を受けているのだから」と云われているのが具体的に何を指しているのか分かりませんので、これ以上意見が言えませんが。 --Midz 2009年6月24日 (水) 05:25 (UTC)[返信]
割り込む形になって恐縮ですが、下の私の質問に回答していただけるとありがたいです。--sergei 2009年6月24日 (水) 14:59 (UTC)[返信]
◆Midzさんへ。ここでいわゆる「メタ」な講釈を垂れ続けるのは本意でないのですが、僕の表現がわかりにくかったようなのでもう一度試みることにします。できれば、下でNekosuki600さんやsergeiさんがまとめた質問への回答にこのアドバイスを反映させていただければ幸いに存じます。「方針・ガイドライン」にウィキペディアの基本原則が反映されているか、そうだとしていくつかある基本原則のうちどれが反映されているのか、というのは全く明らかなことではありません。だから、いまMidzさんが持ち出されている表記ガイドがいったいウィキペディアのどの原則を体現した運用規則であるのかは、Midzさんが説明する(か、以前になされた説明へのポインタを示す--どうもこれがないようですが--)必要があります。「根源的な立場から挑戦」とは、「この規則を適用するとこれこれこういう事情によって(〜〜ここに「原則」のどれかを入れる〜〜)が達成できないので、この規則を適用するべきでない」という議論のことです。下の「統一するべきでない立場」節のまとめの「統一することのデメリット」部分に挙げられているものはこれに当てはまっています。このような批判に対する有効な反論とは、「これこれこういう事情というのは誤解なので、この運用規則を適用しても(〜〜上で挿入された原則〜〜)は達成できる」か、「この規則を適用するとこれこれああいう事情によって(〜〜ここに別の「原則」を入れる〜〜)が達成でき、こちらのメリットの方が大きいのでこの規則を適用するだ」のどちらかの形をとるべきです。たとえ「方針・ガイドライン」に先人の智慧が反映されている可能性があるにしても、無批判にその文面を飲み込むべきではありません。いままさに、このガイドラインが適合しない(と複数人が考えている)事態がおこっており、修正する理由がはっきりと説明されていると思いますが、違いますか。--Makotoy 2009年6月24日 (水) 19:21 (UTC)[返信]
◆私からも一言アドバイスさせて下さい。この議論に参加している人は、関数に統一するべきではないという立場の人も含めて、誰もMidzさんがご自分の文章で関数表記を用いることには反対していません。私を含め関数に統一するべきではないという立場の人が主張しているのは、函数表記を用いて書きたい人にも自分の好きな表記で文章を書くことを認めて上げて欲しい、ということです。誰でも自由に参加することができるプロジェクトであるWikipediaにおいて、それが最も相応しいことなのではないでしょうか。「多くの利用者に支持されており、すべての利用者が従うべきだと考えられて」いるWikipedia:中立的な観点、特に「ひとつの帰結:敵のために書く」の節に書かれているような精神を十分にお汲み取り下さい。--sergei 2009年6月25日 (木) 10:10 (UTC)[返信]
 こういう議論をいくらしても懸案解決には繋がらないと考え、またこの節も長くなり過ぎ錯綜して何が問題かも掴みにくくなったので、新しい見出しを設けて一つの具体的行動の提案をしました。 お読みになってご意見をお寄せ下さい。
 それから上記質問は最初は「根元的な立場からの挑戦」が何を云われているのかさっぱり解らなかったのですが、ご説明で「統一は必要がないという論拠」のなかの「統一することのデメリット」であると伺ってようやくイメージが湧きました。 そこで私の考えを上の提案の終わりに書こうかと思ったのですが、提案のイメージを弱める恐れがあるので止めました。 改めてどこかに書きますので、よろしくお願いします。 --Midz 2009年6月26日 (金) 08:35 (UTC)[返信]
Midz 氏への意見。まず「よりどころにすべきはWikipedia の「方針・ガイドライン」である」については同じ意見です。共同作業によって文章データベースをつくるにあたってはその規則を定めることで用語のバラツキを防ぐことができます。そのような規則は守るべきだと思います。もし守れないなら合理的な理由をあげて規則を変えるべきです。ですから本議論においてまずすべきは「方針・ガイドライン」は守ることの確認であると考えます。「使われ方の広さ」の点については着目したデータ(私の場合は常用漢字、教科書での使用)は異なりますが結論については同意します。--みや1229 2009年6月22日 (月) 12:25 (UTC)私は「関数」だから統一すべきという意見ではありません。規則に則って「関数」に統一すべきという意見です。Midz 氏ではない方により私の意見を捻じ曲げる不適切な編集がなされましたが編集合戦は望みませんので補足で対応します。--みや1229 2009年6月22日 (月) 13:09 (UTC)[返信]
◆主としていかづちSqueakさん と みや1229さん に伺いたいのですが。Midzさんからも意見を伺えるとありがたい。
もしも「表記を統一すべき」という意見が大勢を占め、しかしその具体的内容が「函数に統一すべき」となったら、あなたがたはどうしますか。自分が行う編集についてすべて「函数」と表記しますか。それとも合意に逆らって「関数」と記して誰かが「函数」に書き換えたとしても座視するという選択をしますか。はたまた「Wikipediaなんか馬鹿ばっか」とか思ってもう金輪際編集をするのをやめますか。
個人的には、「函数と表記して編集をする」ならば「関数に統一すべき」という考えとの同一性を認めるにやぶさかではありません。しかし「あくまで『関数』と書く(編集合戦はしない、てのも含む)」や「Wikipediaから撤退する」といった選択をするならば、あなたがたには「表記を統一するべし」という主張をする資格がないような気がします。
もしも系の質問ではありますが、おふたかたには「Wikipediaでは『函数』を正式な表記とする、という判断がなされた場合どうするか」について、明確な意思表示を求めます。「仮定の質問には答えられない」なんていう麻生首相みたいな逃げ口上はかんべんしてくださいね(それ以前に、みや1229さんは、優先して回答すべき質問が積み重なっていると思うわけだが)。--Nekosuki600 2009年6月22日 (月) 15:08 (UTC)(微調整--Nekosuki600 2009年6月22日 (月) 15:27 (UTC)[返信]
Nekosuki600さんの質問に回答します。私はまず間違いなく合意に従って函数と書くと思います。根拠としては、私が現在丸括弧を現状のルールに従って(嫌々ながら)使い分けていることがあります。私は半角で書ける記号は半角で書かなければ気持ちが悪いのですが、Wikipediaの記事では全角半角を使い分けます(ノートはこのルールが及ばないと考えるので全て半角)。さて、ここで「Wikipediaから撤退」を選んだら表記統一の主張をする資格がないという意見には反対します。何かルールを変えれば新しいルールに納得できない人が出るのは当然です。納得できない人にはルールを破るよりは去ってもらった方がありがたいです。ここで重要なのは、逆に古いルールに納得できない人もいるということです(ルール改正の動きが出るのだから当然)。考えるべきは「古いルールのままでは去る人(および新しいルールに変わったら来る人)」と「新しいルールに変わったら去る人」のどちらが多いかです。どちらかが大幅に多いのなら、少数派は諦めるべきです。私も「函数」程度であれば対応できますが、もっと面倒な表記に決まった場合、例えば変換で出せずどこかからコピペするしかない字であったり、Unicodeにないためにいちいち画像で書かなければいけかったり、そのようなことになった場合はその分野を編集することを諦めます。Wikipedia全体が同様ならWikipediaを去ります。そのような場合でも、私のようにWikipediaを去る人がごく少数であってその変更によって新規利用者を大勢呼び込めるのであれば、その変更はするべきだと思います。--いかづちSqueak 2009年6月22日 (月) 19:06 (UTC)[返信]
現時点のWikipedia:表記ガイド#丸括弧・波括弧・角括弧にはある条件下で全角形を用いるという丸括弧の使い分けルールはありませんが…。--Jms 2009年6月22日 (月) 19:27 (UTC)[返信]
すみません、もっと明確に決まっていたように思っていたのですが覚え違いのようです。ルール→現在主流の表記と訂正します。--いかづちSqueak 2009年6月24日 (水) 13:00 (UTC)[返信]
◆Squeakさんへ。表記の統一がより多くの執筆者を呼び込むという根拠はなんなのでしょうか。自分たちが記事を書くときには「関数」を使う白駒さんやぼくが、なぜわざわざ「函数」を用いる執筆者たちを擁護しているのか思いを巡らせたことがありますか?現在の、あるいは将来の執筆者が、それなりのこだわりを持って「函数」を用いて(ふらっと立ち寄った執筆者に表記ガイドを熟知していろと要求するのはどだい無理な話です)、それが「誤字」だとか「正しくない」とかいう心ない要約とともに「関数」に機械的に変更されていったとき、彼らがゲンナリしてウィキペディアを去っていくことが懸念されているのです。つまり、異なるスタイル・こだわりをもったの執筆者を尊重し、より多くの執筆者を許容する、ということがまさに表記を統一しないことの根拠のひとつです。--Makotoy 2009年6月23日 (火) 19:05 (UTC)[返信]
上の文章は表記統一の是非についてではなく、主張する資格云々に関する返信です。「新しいルール」と言ったのは表記の統一には限定していません。表記統一すべきかはこの話には関係ありません。--いかづちSqueak 2009年6月24日 (水) 13:00 (UTC)[返信]
Nekosuki600 氏への回答。「函数」を表記すべきと決まればそれに従います。それとNekosuki600 氏への苦言ですが勝手に回答を想像して批難することは議論にとって何の意味もありません。事実や合理的な判断に基づく推定を根拠に意見を述べるようにしてください。--みや1229 2009年6月23日 (火) 10:49 (UTC)[返信]
お二方からの意見が出揃いました。「関数への統一」と同時に「統一表記への強い欲求」があるのだということを理解しました。しかしあいかわらず、「なぜ関数がいいと思うのか」「なぜそんなに統一したがるのか」について、よくわからないままでおります。
率直に申しましてですね。いかづちSqueakさんには別の方が仰っていましたが、ぼくはおふたかたが単に「『かんすう』についての表記の歴史を知らなかった」あるいは「『函数』という表記を知らなかった」だけなのではないかという疑いを禁じえ得ないのです。いや、「知っていた」と抗弁をされてもそうですかということにはなりませんのでこの点については説明は不要なのですが。こういう術語や地名についてはいろいろな変遷があるのが普通であり、それらは簡単に統一できるようなものではないということも知っていて当然なのじゃないだろうかという気がしてならないのですよねえ。
まあ実務的に「関数に統一するという新基準を作るか、それともこれまで通りどっちでもいいという路線でいくのか」というのも重要ではありますが、百科事典作りという知的作業を楽しむ上で「統一への強い欲求」みたいなものも理解しておきたいと思いますので、これからもいろいろと質問をさせていただきます。ご回答よろしくお願いします。
ところで、「みや1229さんが自明のものとして(注:原文では『アプリオリに』という表現を使っている。微妙にニュアンスが異なる可能性があるが、わかりやすさを取った)使っている『教科書』という言葉は、現実問題何を意味するのか」という質問が2名よりあなたに向けて出されております。そちらへのご回答もよろしくお願い申し上げます。--Nekosuki600 2009年6月23日 (火) 11:37 (UTC) --Nekosuki600 2009年6月23日 (火) 13:05 (UTC)(解説追加)[返信]
「『教科書』という言葉は、現実問題何を意味するのか」。ここでいう教科書とは中学高校で使用する数学系の教科書です。三度目になりますが想像で相手を貶める発言はやめましょう。「『函数』という表記を知らなかった」そんなことは他人には”わからない”ことなのだから言及することが間違いです。あなたの発言すべてが想像に基づくように思えます。--みや1229 2009年6月23日 (火) 13:18 (UTC)[返信]
すみませんが、回答は「質問が記されている場所」に書いてもらえますか。まあ今回はコピペしておきますけれども。
最初のうちは知らなくても無理はないのですが、こういう議論では「どういう流れなのか」も大事なのであり、再三にわたって流れを無視するということは「論理的な思考が苦手なのだろう」という予断を抱かせるに十分な理由になるのです。--Nekosuki600 2009年6月23日 (火) 13:24 (UTC)[返信]
「『教科書』という言葉は、現実問題何を意味するのか」という質問に的確に回答したはずですがどうもくい違いがあるようですね。できれば現実問題はどういう本音か言い換えてください。僕としても解読を試みます。ただ議論の枝葉のようなので気長に待っていてください。--みや1229 2009年6月23日 (火) 14:22 (UTC)[返信]
正直なところ、もう苛立ちを隠す気はありません。あなたはいったい何を言っているのですか。ついでに、あなたが議論の全体像を把握していないということがこのレスで明らかになったと思いますし、この程度の議論の全貌を把握できないひとが関数とか函数とかいったい何を言っているのかという感想を抱いたことも隠そうと思いません。それを「上から目線の他者を貶める発言」と評価するかどうかは、他の読者におまかせします。おれは「正当な批判的表現」であると思います。
そう思うのならば、「おおもとの質問があった場所に立ち戻り、その質問を再読し、それから回答すればいい」だけじゃないんでしょうか。「現実問題」のパラフレーズされた詳述は、その元の質問に記されているように思いますが。--Nekosuki600 2009年6月23日 (火) 14:35 (UTC)[返信]
理解できる範囲で向こうにも急ぎ回答してきました。--みや1229 2009年6月23日 (火) 15:05 (UTC)[返信]
積み残されている質問をまとめておきます。とりあえず3項目。--Nekosuki600 2009年6月24日 (水) 11:54 (UTC)[返信]
(1) 『函』は難読文字か?
『函』という文字は難読文字でしょうか。常用漢字表にはいっていないにせよ、「函館」「青函トンネル」という頻出する固有名詞に出てくる文字であり、「はこ」「かん」いずれの読みも広く知られているため、「難読ではない」という意見が出ています。「『函』が読めないひとがいる可能性がある。だから『函数』は不適切で『関数』と表記すべき」という主張への、この実例を伴う「難読文字ではない」という反論をふまえて、ご回答をいただけると幸いです。--Nekosuki600 2009年6月24日 (水) 11:54 (UTC)--Nekosuki600 2009年6月24日 (水) 16:22 (UTC)(誤解を避けるための加筆)--Goki 2009年6月25日 (木) 00:54 (UTC)(誰が見ても明らかな誤りを修正)[返信]
◆「(1)『函』は難読文字か?」への回答場所指定とそのフォーマット例示。
(2) 『Wikipedia:表記ガイド』は基準になるか? (a)
第一に、『表記ガイド』はガイドラインであり、強制力があるものとはなっていません。それを根拠とすることができるかどうかについて、ご回答をいただけると幸いです。--Nekosuki600 2009年6月24日 (水) 11:54 (UTC)[返信]
◆「(2)『Wikipedia:表記ガイド』は基準になるか? (a)」への回答場所指定とそのフォーマット例示。
(3) 『Wikipedia:表記ガイド』は基準になるか? (b)
『表記ガイド』が根拠となるとした場合、もうひとつ別の問題が生じます。同じくガイドラインに『Wikipedia:記事名の付け方』というものがあり、これには「正式な名称を使うこと」という項目が存在しています。例外も規定されてはいますが、もともと「かんすう」は「函数」と表記する言葉でありそれがオリジナルで正式な名称です。『表記ガイド』に従った場合と『記事名の付け方』に従った場合とでは、結論が異なってしまいます。『記事名の付け方』の要請を否定し『表記ガイド』を優先する理由について、ご説明いただけると幸いです。--Nekosuki600 2009年6月24日 (水) 11:54 (UTC)[返信]
◆「(3)『Wikipedia:表記ガイド』は基準になるか? (b)」への回答とそのフォーマット例示。
◆私からも一つ質問です。Makotoyさんや私はどちらか一方の表記に統一したり優先的な地位を与えることがWikipedia:中立的な観点に反するのではないか、という懸念を表明しています。「この件は文部省が当時の多数の数学者の反対を押し切る形で関数への置き換えを進めたことに端を発するという経緯」があるのは私が2009年6月19日 (金) 10:18 (UTC) の発言で述べた通りであり、別のノートへの書き込みですがJmsさんが出典を提示して下さってもいます。皆様ご存知のことと思いますが、Wikipedia:表記ガイドが「考慮すべきガイドライン」であり、この文書自身にも「ただし、このガイドラインはすべての記事に絶対に適用しなければならないものではありません」と断ってあるのに対し、Wikipedia:中立的な観点は「公式な方針」であり、「すべての利用者が従うべきだと考えられています」。どちらをより重視しなければならないかはいうまでもありません。この点についてどうお考えかお答えいただけるとありがたいです。--sergei 2009年6月24日 (水) 14:59 (UTC)[返信]
◆Sergeiさんの質問(200906240459)への回答とそのフォーマット例示。

表記は「函数」をよしとする論拠

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どなたか、この主張の方がおいでになりましたらよろしくどうぞです。--Nekosuki600 2009年6月22日 (月) 12:34 (UTC)[返信]

以下は、具体的提案として述べる訳ではありませんが、日本放送協会方式の例示により「Wikipedia の方針・ガイドライン」と「使われ方の広さ」という二つの指導原理から、「関数」に統一すべきという結論と、統一すべきでないという相反する結論が得られることを通じて、当該二指導原理を根拠として「関数」に統一すべきとは結論できない事を示しても、なお「関数」の優位性に反対する言説はないようです (Midz さん 20090623T0835Z) と言われてしまったので、この二つの指導原理から「函数」に統一すべきとも結論できることを示しておきます。日本放送協会方式に至る論証に以下を続けます。記事名としては「函数」が妥当であり、「函数」への言及が不可欠である以上、Wikipedia:表記ガイド#その他により、記事中の表記は「函数」に統一されねばなりません。以上より、当該二指導原理からは、「関数」に統一する、「函数」に統一する、いずれへの統一もしない、全ての立場が導けます。これらの違いは論証の段階をどこで止めるかという点にあります。繰返しますが、ここで主張しているのは当該二指導原理を根拠としての論証に問題があるということであって、具体的に「函数」への統一を求めているわけではありません。--Jms 2009年6月23日 (火) 14:55 (UTC)[返信]

表記の統一は必要ないとする論拠

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Makotoyさんよろしくどうぞ、とかプレッシャをかけてみる(=^_^;=)。--Nekosuki600 2009年6月22日 (月) 12:34 (UTC)[返信]

JmsさんのNHK案が続いていましたが、ここに割り込みます。Makotoy

今までに出た、表記を片方に寄せないことについての立場を支持することになる情報、コメントのまとめ:

  • 「関数」の妥当性については省略します。
  • 「函数」の妥当性
  • 歴史的な経緯
はじめに採用されたのは「函数」のほう(以前の議論より)、 Nekosuki600 06091516
  • 「函」の字義を好む人々がいる
「はこ」という意味がfunctionという数学的概念のメタファーになっているので。(以前の議論より) 白駒 06091223
  • 数学者のあいだに使用者が一定程度いる
著名な数学者をふくめ、一定割合の学者に意図的に選択されている。白駒 05300542, 06192324, 数学界のプログラムで1割ぐらい Midz 05310630 (以前のコメントにおけるMakotoyの調査)
  • 読者が新たな知識を獲得する契機になると期待できる
「関数が当然」と思っている人に対する良い「啓蒙」になる 白駒 06161952, sergei 06191018, Makotoy 06202245
  • 「函数」のデメリットがすくないこと
  • 検索の不便はネットリテラシーに吸収されるべき
このような表記のばらつきへの対処はインターネット上の検索で当然求められることなので。Nekosuki600 06111328
  • 「函」が難読漢字とはいえない
「函数」という言葉を含む記事の対象読者はこの表記を知っているか、自力でその意味にたどり着けるはず。白駒 6091223, 函館、青函トンネルなどで、日本の義務教育の範囲内でさえ字形も読みもよく知られている。 Nekosuki600 06201447, Jms 06201516
  • 文章の伝わりやすさはこのような配語法に還元されるものではない
個人によって言語の意味の取り方は違うことがふつうで、配語法をそろえればよりよい伝達が達成されるわけではない。Nekosuki600 06101246
  • 教育現場での表記、学術用語集という基準は学問における実際の日本語と乖離している
ほかの例として円錐、楕円などの例がある。白駒 05300542, Jms 06191027
  • ウィキペディアが初等中等教育に配慮する必然性がないこと
ウィキペディアは教科書ではなく百科事典なので。 Makotoy 06202245
  • このような表記ぶれは今まで容認されてきていた、対処する優先度の低い問題だということ
  • ほかにも記事内の表記、用語の選択のばらつきはある
白駒 06182200, 例えば「関数」vs「写像」の問題の方が重要 Makotoy 06202245
  • 記事間のばらつきもあり
Makotoy 06202245
  • 表記がぶれても文意に曖昧さは生まれない
「関数」と「函数」の混在によって文章の途中で趣旨がすり替わる恐れは薄い Nekosuki600 06190941
  • ウィキプロジェクト数学で表記のばらつきは容認されていた
Wikipedia:ウィキプロジェクト_数学#用語・表記の曖昧さ Makotoy 06202245
  • 統一することのデメリット
  • どちらが「正しい」かということがあいまい
Ks aka 98 6060825, Nekosuki600 06091516
  • わかりやすさの名の下に情報を落とすべきでない
百科事典は「重要な要素をそぎ落として不当にわかりやすく単純化する」べきではない。Nekosuki600 06141836
  • 執筆者のモチベーション、こだわりも尊重すべき
119.150.7.90 06141243, 白駒 05300542, Nekosuki600 06200021, Makotoy 06211913
  • 現実社会で二通りある表記のうち片方に肩入れすることになる、政府POVによって中立性がおかされる
sergei 05300758, Makotoy 06211913

注意

コメントのポインタはユーザ名と、発言時刻を月日時分の順に2桁ずつです。ここに収録された人が全員「不統一派」だとか、他の人はそうでないとか主張するものではありません。また、論点の簡潔な提示のため、あえて留保などは取り除いたところもあります。「これは極論過ぎる」というような反論はもとのコメントを見た上でにしてください。
数日前にやっと議論に参加した僕の独断による選択とまとめな上に、全く慣れないことなので、取りこぼしや誤解があるものと思われます。まとめとしての簡潔さを損なわない程度に、追加、修正をぜひ上書きしていってください。--Makotoy 2009年6月22日 (月) 21:39 (UTC)[返信]

記事名は「函数」とする一方、本文中では主として「関数」を用いる、という日本放送協会方式を推す立場はどの類型でしょう? 表記を統一している様な、いない様な。この行、適当な類型に移動願います。--Jms 2009年6月22日 (月) 12:48 (UTC)[返信]

適切かどうかわかりませんが、とりあえずここに移動しました。あとはよしなに(=^_^;=)。--Nekosuki600 2009年6月22日 (月) 12:51 (UTC)[返信]

日本放送協会方式、というのは、記事名は「日本放送協会」だが、本文中ではほとんど「NHK」と表記する、というやりかたに勝手につけた名称です。一般論として表記の統一をすべきかどうか、という議論はさておいて (置いちゃうのかっ)、#表記は「関数」に統一すべきとする論拠で挙げられている「Wikipedia の方針・ガイドライン」と「使われ方の広さ」という二つの指導原理から、異なる結論が得られることを示そうと思います。「Wikipedia の方針・ガイドライン」のひとつに、Wikipedia:記事名の付け方というのがあります。このガイドラインでは、Wikipedia:表記ガイドに従うとしつつ、記事名には正式な名称を用いることを求めています。関数 (数学)冒頭で述べられている、function が漢字圏に持ち込まれた際に「函数」が用いられ、日本語でも「函数」が受容されていたが、当用漢字への制限で「関数」が使われる様になった、というのは事実でしょう (当用漢字への制限が理由なのかどうかということがわかる文献があれば教えてください、それ以外は資料により検証可能です)。すると、当用漢字への制限という事情のない「正式な名称」は「函数」だということになります。従って、「Wikipedia の方針・ガイドライン」に従えば、記事名は「函数」となるはずです。記事名は「函数」なのに本文中に一切「函数」が登場しないのは読者を困惑させるだけですから、日本放送協会がそうなっている様に、冒頭で「函数」を用い、以降「関数」をもちいる、つまり表記を「関数」には統一しない、という結論もまた「Wikipedia の方針・ガイドライン」と「使われ方の広さ」という二つの指導原理から導かれることになります。もう少し詳しく書くと、「Wikipedia の方針・ガイドライン」が複数のガイドラインを参照し、かつ、「函数」と「関数」の日本語文献での「使われ方の広さ」に加えて、ガイドラインの「使われ方の広さ」も考慮すると結論が異なる、ということです。--Jms 2009年6月22日 (月) 13:12 (UTC)[返信]

これについてはいくつかの理由から、Jmsさんが現在書かれている形での案よりは白駒さんとsergeiさんの案の方がよいと考えています。しかし、これも「どちらかに寄せることはしない」立場の運用案と言えることと、この立場の具体的な運用案についてあれこれ議論するとまた話が拡散してしまうので、とりあえずこの2つを「統一しない」案の運用候補ということにして、そもそも表記を統一するかしないかの合意を目指すことにしませんか。そちらももう少し時間がかかりそうなので。--Makotoy 2009年6月22日 (月) 23:27 (UTC)[返信]
日本放送協会方式を持ち出した主たる理由は、次の二つです。
  1. 方式の説明でも述べた通り、#表記は「関数」に統一すべきとする論拠で挙げられている「Wikipedia の方針・ガイドライン」と「使われ方の広さ」という二つの指導原理から、「関数」に統一すべきという結論と、統一すべきでないという相反する結論が得られることを通じて、当該二指導原理を根拠として「関数」に統一すべきとは結論できない事を示すこと。
  2. やりようによっては表記を統一している様な、いない様な、どっちが母屋を貸して軒をとられたのかわからん様な落としどころも可能であり、それも視野に入れればそもそも統一すべきか否かという議論自体があまり建設的ではないものではないかという疑義を具体例によって示すこと。
ですので、この議論の文脈において、日本放送協会方式自体を具体的な実施案として提案しているわけではありません。その意味で、検討対象としていただく必要はありません。が、「統一しない」案の運用候補といわれるとちょっと違うと思いますし、「統一する」案の運用候補といわれると、それもちょっと違うと思います。言いたいのは、こういうやりかたをしたら、「統一する」というのが一体何を意味するのかよくわからなくなるのではないかと思いますが、それでも統一しろと言いたいのですか、ということです。「統一する」ではないのだから「統一しない」だろ、と言われるとそうなのですが、そういう、白黒はっきりというやりかたでないのもあるでしょう、というのを示したかったのです。ええ、その立場が通じないであろうことは理解しています。そしてそれが通じないことこそが、この問題の根源ではないかと思っています。--Jms 2009年6月23日 (火) 08:39 (UTC)[返信]


「表記は原則として「関数」を用いる」公示を提案

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皆様が議論を楽しんでおられるのはよく解りますが、このような議論はいくら続けてもWikipedia の貴重な資源を食いつぶすだけで懸案解決に役立つとは思えませんので、ここで改めて具体的な行動の提案をして、その可否について皆様のご意見を伺います。

「「関数」と「函数」のどちらかと云えば「関数」の方が望ましい」ということは上の議論で「「函数」をよしとする論拠」に積極的に名乗り出た論者が出なかったことでようやく確定的となった、貴重な結論ですので、また後戻りしないように心がけていきたいと思います。

そしてこの結論を踏まえて、残るは「表記は「関数」に統一した方よい」(統一派)と「統一は必要ない」(非統一派)との対立ということになっていますが、私はこの両派はそれほど違っているとは思いません。 というのは恐らく私は統一派でしょうが、別に何でも統一しなければまらないと考えているわけではなく、例えば何方かが「函数」を使って1つの独立した項目をつくられたときは、他とあまり干渉しない限りは放置しておいて何の差し支えもないと考えています。 一方で非統一派と目される白駒さんの草稿でも、第1項に「項目名やカテゴリ名は原則として「関数」を用いる。」を採用しています。 ですから具体例では多くは意見が重なるのではないかと思うのです。

そこで私は見出しに書いた文章「表記は原則として「関数」を用いる」をウィキプロジェクト:数学にでも公示することを提案します。 白駒草稿からは「項目名やカテゴリ名」という限定が落ちているとお叱りを受けそうですが、私は「表記ガイド#その他」の「表記はページ内で統一します」を援用(また文句が出そうですが)して解釈すれば同じ内容になると理解します。  私はこの公示が「関数」を「函数」に変更しようとする動きの(心理的)抑制に繋がって移動・編集合戦の防止に役立ち、あとは放置しておいても表記が次第に「関数」に収束していくものと期待しています。  皆様のご意見をお待ちします。 --Midz 2009年6月26日 (金) 07:42 (UTC)[返信]

「数学分野はほうっておけばいいのに何で何が何でも'統一したいのかな」というのが正直な感想です。(「ギリシャ、ギリシア論争」の頃から「もうそろえなくたっていいじゃん」と思ってしまっているので。)--Goki 2009年6月26日 (金) 08:21 (UTC)[返信]
「数学分野」というのはもしかたしたら違うんじゃないかと思いますが、Goki さんの意見に概ね同感です。小針の『確率・統計入門』ISBN 4000051571 に、確率計算の議論について「アハハ」と後輩を煙に巻く先輩というのが登場しますが、そういった余裕があってのウィキペディアな数学だと思います。ので、公示などによらず、軒だか母屋だかもうわからない日本放送協会方式で「アハハ」とやる位の余裕が欲しいなと思います。編集合戦やら統一やらにつながるのは、数学ではなくて、学校教育としての算数・数学なのではないかと思ったりします。今回の議論の過程で日本の数学用語に関する歴史をいろいろとべんきょうさせていただきましたが、なかなか示唆に富む経験でした。--Jms 2009年6月26日 (金) 08:41 (UTC)[返信]
追記。あとは放置しておいても表記が次第に「関数」に収束していくものという表現に、強い違和感を覚えました。収束するなら、その先は「函数」でも「関数」でも、どちらでも良いのではないでしょうか。--Jms 2009年6月26日 (金) 09:29 (UTC)[返信]
「「関数」と「函数」のどちらかと云えば「関数」の方が望ましい」という命題の否定命題は、「どちらかと云えば「函数」の方が望ましい」ではなく、「「関数」と「函数」のどちらでもよい」です。従って「「函数」をよしとする論拠」に積極的に名乗り出た論者が出なかったことは「「関数」と「函数」のどちらかと云えば「関数」の方が望ましい」という意見が合意されたことを示すものではありません。「「関数」と「函数」のどちらでもよい」という意見は多くの人によって表明されており、Midzさんはご自身の意見に寄せられた疑義への回答を途中で打ち切っていることから、「「関数」と「函数」のどちらかと云えば「関数」の方が望ましい」という命題はこれまでの議論によって否認されたものと考える必要があります。
逆に、Nekosuki600さんや私の質問に何の回答も寄せられなかったということから、以下の点で合意が成立したものと判断できます。
  1. 『函』は難読文字ではない。
  2. Wikipedia:表記ガイド』は基準にならない。
  3. どちらか一方の表記に統一したり優先的な地位を与えることはWikipedia:中立的な観点に違反する。
「表記は原則として「関数」を用いる」との文言を公示することは函数から関数に書き換える意欲を徒らに刺激し、移動・編集合戦を誘発しかねません。何度も繰り返しますが、白駒さんは項目やカテゴリの名称を関数に統一するという条項を他の条項とのセットで提案されており、この部分だけを単独で制定しようとする動きが見られることに不快感を表明されています。上記のMidzさんの提案は到底受け入れられるものではないでしょう。
なお、「「函数」をよしとする論拠」に積極的に名乗り出た論者が出なかったことを以て、「「関数」と「函数」のどちらかと云えば「関数」の方が望ましい」という結論が得られた、とするような論理的な誤りを犯す人が数学分野の執筆に携わることへの懸念を重ねて表明しておきます。--sergei 2009年6月26日 (金) 09:37 (UTC)[返信]
Wikipedia:表記ガイド』は基準にならない、というのは妥当な言明なのでしょうか。常用漢字を前提としながら、学術用語について当用漢字制限の元で制定されたものである『学術用語集』を含めて規定しているのは矛盾している、というのならわかるのですが、それをもって「基準とならない」という曖昧な言明に一般化してしまうのは、無駄な摩擦を招く気がします。--Jms 2009年6月26日 (金) 10:21 (UTC)[返信]
大変微妙であり、一般論としてそう言っちゃっていいかどうかは微妙な気はするのですが、今回はまあ「『Wikipedia:表記ガイド』は基準にならない」と断定しちゃっていいんじゃないかなあ。
なんていうかええと決まりごとというものには階層構造があって、「厳守」から「どちらかといえばのおすすめ」までがあります。「ガイドライン」がそのどこらへんに位置づけられるものなのかを考えることなく「ガイドラインに書いてあるのだから」と主張してしまうひとに対しては、「ガイドラインは、この場合、基準にならない」と断言してしまって良いと思います。
まあこの断言の帰結として、「そうかガイドラインなんて守らなくていいのか」とか思って、あるいは報復的に、TPOをわきまえずにガイドラインを全面的に無視する人がでてくる可能性はありますが、それはそれで行く末は定まりますから、ま、いいのじゃないだろうかとか。
そうですねえ。不当に一般化されることを避けるためには、確認事項をちょっと手直しして、「『函数』と『関数』の使い分けについては『Wikipedia:表記ガイド』は基準にならない」にする、というあたりでどうでしょうか。--Nekosuki600 2009年6月26日 (金) 10:38 (UTC)--Nekosuki600 2009年6月26日 (金) 10:42 (UTC)(手直し)[返信]
はい。「んなの考えるまでもなくわかるだろ」レベルだとは思いますが、函数を関数に機械的に置き換える様なレベルもスペクトルの範囲内に想定しないといけなさそうなので、「『函数』と『関数』の使い分けについては」という限定がいろいろな意味で丁度良いかと思います。--Jms 2009年6月26日 (金) 10:47 (UTC)[返信]
◆ご冗談でしょう。この議論のどこをどう読めばそういう結論に達するのか、見当もつきません。議論が続いているのは、おれの感覚では「大勢は『どっちでもいい。どちらかに決める必要はない』なのだが、お3方ほどそれに同意しない方がいて、そのお3方に納得していただくべく他の人々が努力をしているから」です。その納得していない方のひとりが突然何を言い出すのか、というのがおれのMidzさんの発言を読んでの感想なのですが。--Nekosuki600 2009年6月26日 (金) 10:23 (UTC)[返信]
◆私のような部外者が居座っている為に議論を楽しんでいると判断されたのでしょうか。だとすれば大変申し訳ない。私の意見はノート:関数_(数学)で述べたとおりですので、ここでは披露していませんでした(今もその主張を変えたつもりはありません)。私がここに来た動機ですが、あなた方関数派のその姿勢こそが先の騒動を引き起こした一因だと確信しているからです。理由は下記の通りです。
まず、この提案で関数派は何が何でも"関数"で統一したいのだとの印象を強く持ちました。
何故ならあなた自身は"函数"で立項された項目については配慮なさるでしょうが、この提案が現実のものとなれば「原則として関数」を用いるべきなので"函"から"関"に置換すべきと考える人が必ず出るからです。そして"関"から"函"への置換は抑制されるべきとなるので必然として"関数"に統一されるのです。結局は「俺が正しいのだからつべこべ言わずに俺に従え」と言っている様なものです。この姿勢では"函数"を用いたいと思っている方との争いは不可避です。
今、この場に"函数"で統一すべきと主張している方がいない事を"関数"が正義である根拠とされていますが、これは統一した表記を定めなくとも強硬な姿勢を取らなければ"函"か"関"かで争いが起きることは無いと取るべきで、関数派が譲歩し"関"を"函"(又はその逆)に置換する編集に一定のルールを定められれば問題は解決すると言う非統一派の主張を裏付けるものであると私は取りました。
しかし、議論の流れに逆らう強引なあなたの主張はどう頑張っても、やっぱり函数を排除したいのだな。としか取れません。ここに、あなたに限らず"関数"で統一すべきと主張している方々に共通した空気を感じます。元々私はどちらでも良いと思っていますが、その私でさえ違和感を感じるのですから"函数"を積極的に用いたいと思っている方ならもっと激しい拒否反応を示すのではないでしょうか。
このどんな事をしてでも"函数"を排除しようとの姿勢が函数派の態度を硬化させた理由である事は間違いないでしょう。--重複太郎 2009年6月26日 (金) 12:18 (UTC)[返信]
コメント「表記は原則として「関数」を用いる」をウィキプロジェクト:数学に公示する提案に賛成しますが、ここの意見に束縛されず自由に行ってよいと考えます。次にその理由ですが、僕の主張は表記ガイドに従って統一すべきです。それは文章の品質を保つためです。しかし表記ガイドには必ずしも従う必要はないという意見もあります。つまり表記ガイドの解釈が人により差があることが一つの問題だと考えます。そこで実情をよく知る方々により明確な判断を出してほしいと考えます。そうすれば新たな課題が出るかもしれませんがそれは前向きなことだと思います。また当初、Midz氏の提案議論の舞台を移したらいかがでしょうかに反対しましたが、枝葉のやり取りに終始している現状を考えて主張を変えます。--みや1229 2009年6月26日 (金) 17:41 (UTC)[返信]
なぜ「表記ガイド」が唯一絶対の基準にはならないのかについては議論があり、あなたに向けた質問も出されているわけですが、それについて解答を避けつついまだ表記ガイドに固執した見解表明ができる理由が、おれにはよくわかりません。なぜ「表記ガイド」がこのケースで唯一絶対の基準になり得るのか、なぜ「項目名のつけ方」の要請を無視して「表記ガイド」を優先した主張が可能なのかについて、あなたは説明していません。本件では同じくガイドラインである「表記ガイド」の要請と「項目名のつけ方」の要請が、正反対の結論を導いてしまうのです。
反論を無視して言い募るというのは、結論を求めて誠実に議論を尽くす態度ではないように思います。場所を変えても展開は変わりませんよ。それよりも、目下の争点をひとつづつ丁寧にかたづけていくことの方が重要であるはずです。--Nekosuki600 2009年6月27日 (土) 00:57 (UTC)[返信]

「関数」と「函数」のどちらを用いてもよいことの確認

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上に述べましたように、Nekosuki600さんの2009年6月24日 (水) 11:54 (UTC) のご質問、及び私sergeiの2009年6月24日 (水) 14:59 (UTC) の質問に対して何の回答も寄せられなかったことから、以下の点が確定しました。

  • 『函』は難読文字ではない。
  • 『函数』と『関数』の使い分けについてはWikipedia:表記ガイド』は基準にならない。
  • どちらか一方の表記に統一したり優先的な地位を与えることはWikipedia:中立的な観点に違反する。

このことを踏まえ、以下の二点をこれまでの議論から得られた結論として確定させたいと思います。

  1. 「関数」と「函数」のどちらを用いても構わない。
  2. 「関数」を「函数」に、もしくは「函数」を「関数」に書き換えるだけの編集は行わない。

この提案につきまして皆様からのご意見をお待ちします。--sergei 2009年6月26日 (金) 10:11 (UTC)一部文言を追加。--sergei 2009年6月26日 (金) 15:13 (UTC)[返信]

◆おれは、それでいいです。「決める必要はない側」がそれなりに誠実に対話をしている最中に、回答が困難な問いは無視し、嘲笑するかのごとく「議論を楽しんでいる」とか言い、ちゃぶ台返しをされちゃっちゃなあ、これ以上議論をする意味はないような気がします。
とはいえこれで2項目の確認事項を確定させれば今後の編集合戦のうちかなりの部分は抑止できるのではないでしょうか。--Nekosuki600 2009年6月26日 (金) 11:03 (UTC)[返信]
◆補足。すみません、ちょっと上のほうでの議論の結果ですが、理由第二項目について、冒頭に「『函数』と『関数』の使い分けについては」という文言を足すことを提案します。--Nekosuki600 2009年6月26日 (金) 11:18 (UTC)[返信]
まあ、この程度のことなら、大部分が「関数」表記である現行記事も編集合戦に巻き込まれずにすんで実害はなさそうですので、当面はしばらく静観します。 ただ sergei 氏も Nekosuki600 氏も執筆記録を拝見する限りでは数学関係の記事の執筆・編集はまったくなく、まったくの部外者のように見えますので、そのお2人がこのような数学分野の慣習の問題に熱中し、取り仕切っている気になっておられるのはちょっと異様ではありますが。 --Midz 2009年6月26日 (金) 12:39 (UTC)[返信]
やあ、どうも申し訳ないですね。確かに数学にはあまり詳しくないし、執筆経験もありません。また、正直に申しまして理論数学はわかりません。物理学についてもよくわかりません。大学時代には、「非物理学科の学生のための理論物理学ゼミ」というよくわからない自主ゼミの主催者の一人だったりしたことはありましたし、理論物理学の担当教授が素人向けの解説本を出版するときに説明イラストの原図作成を頼まれたくらいのことはありましたけれども、まあそんなのは実績というほどのものではないですわね。でだ。
どちらかというと今回の議論への参加は、「言葉を厳密に、丁寧に使うことを叩き込まれた者」としてのアプローチであることをご理解いただけると幸いです。--Nekosuki600 2009年6月26日 (金) 13:12 (UTC)[返信]
◆Midzさんへ。そのような、「部外者は口を挟むな」といわんばかりの「函数移動荒らし」ばりの言い方はやめていただきたいです。例えば、Midzさんによる「公示の提案」を見る限り(より数学記事に関わっている)僕のコメントにきちんと注意が払われているとはとても思えないです。--Makotoy 2009年6月26日 (金) 13:41 (UTC)[返信]
◆みや1229さんは数学関係の記事をまったく執筆・編集していませんし、いかづちSqueakさんも数学関係の記事の執筆・編集は20回くらいですね。Midzさんはご両名に「部外者は出て行け」と言うつもりでしょうか。--122.29.43.106 2009年6月27日 (土) 07:21 (UTC)[返信]
◆sergeiさんの提案について賛成します。すでに論点は出尽くし、この件に関する現行の表記ガイドの該当部分を適用する(つまり、機械的に「函数」を「函数」に書き換える編集を行う)ことが適切でないことで結論が得られたといって良いと思います。本来「ガイドラインは必ずしも適用する必要はない」と断られているにもかかわらずこの件についてそれを確認するためにこれだけ長い論争が巻き起こってしまったわけだから、以前から提案されていることですが、白駒さんとsergeiさんによる草案をなんらかの形で文書化するのが良いと思います。個人的にはこの草案をウィキプロジェクト数学のサブページとし、表記ガイドの方では注意すべき一例としてそちらへのリンクを張っておくのがよいと思います。--Makotoy 2009年6月26日 (金) 13:41 (UTC)[返信]
◆(賛成)2.について、一般論としては、いずれかの表記を支持する立場への十分な配慮と共に書き換えることは許容されるのが好ましいと思いますが、この場での議論からはそれが望めないと判断し、「関数/函数」では、sergeiさんの提案に賛成します。--Ks aka 98 2009年6月26日 (金) 14:20 (UTC)[返信]
◆反対。これではいずれ編集合戦が再勃発するから。編集合戦の抑止が目的のはずなのに、中立的な観点の話にすり替わっている。ただし、もし編集合戦の抑止よりも中立的な観点のほうが重要だとの考えが多数派ならば、この限りではありません。--138.101.114.40 2009年6月26日 (金) 14:27 (UTC)[返信]
◆Wikipedia的に「編集合戦の抑制」と「中立性の維持」とを比べるなら、結果は火を見るより明らかなんじゃないかと思いますが。編集合戦を抑制するために中立性を犠牲にしていい、なんていう結論になるはずはありません。というか、フェイズが違うものを比べてどうしようというのだ。--Nekosuki600 2009年6月27日 (土) 06:38 (UTC)[返信]
報告 すでにご意見が寄せられた後ではありますが、2009年6月26日 (金) 11:18 (UTC) のNekosuki600さんのご提案を受け、提案内容に一部文言を追加させていただきました。引き続きご意見をよろしくお願いします。--sergei 2009年6月26日 (金) 15:13 (UTC)[返信]
◆ (大筋賛成なコメント)『学術用語集・数学編』主査をして「微妙」と言わしめた、学術用語集編集の際の用語選択意向調査での「函数」と「関数」の拮抗からすれば、どちらかに決まらないというのはさもありなんと思います。その意味でどちらを用いても構わないと明示するのは良いと思いますが、この結論をどこに吸収するかというのを考える必要があると思います。ウィキプロジェクト数学というのも考えましたが、関数という語は数学の専売特許ではないという議論を呼ぶ可能性もあり、よりスマートなやりかたが欲しいところです。論拠の一つである函数と関数に関してはWikipedia:表記ガイドが基準とならないという点を考慮すると、Wikipedia:表記ガイド#その他のページ内表記統一に関する部分を、たとえば
表記は原則としてページ内で統一しますが、「函数」と「関数」の様に、どちらを用いても構わないという合意が中立的な観点からなされている表記もあります。そうした、どちらを用いても構わない表記の一方から他方へ機械的に置き換えるだけの編集は、歓迎されません。また、ウィキペディア全体での表現統一に過度にこだわる必要はありませんらないでください
とするのが良いと思います。中立的な観点への言及をすべきか迷いましたが、138.101.114.40 さんの意見からすると、念のため公式な方針の優先を明示しておく方がよかろうと入れてあります。--Jms 2009年6月26日 (金) 18:44 (UTC)[返信]
注:表記ガイドの書き換えの件は議論の場所違いでありこの議論の範囲外となりますので、下部に別節を作って移動しました。--Nekosuki600 2009年6月27日 (土) 06:35 (UTC)[返信]
◆ (条件付き反対) Category:数学に関する記事に属する記事についてのみ適用されるという前提なら意見はありません。専門外のことと思って静観していましたが、どうも数学以外にも一般化されようとしているようなので一般化については反対します。ここまでの議論で示された根拠の大半は数学分野が前提だったはずです。酸度関数インライン関数についてまで「函数」でもよいとする根拠は見当たりません。また、表記の統一がWikipedia:中立的な観点に違反するという主張はちょっとわかりません。例えば2-メチル-2-プロパノールには色々な表記がありますが、これらの表記を統一することが中立的な観点に違反するとお考えでしょうか。仮に「Category:数学に関する記事においては、「関数」と「函数」のどちらかに統一することはWikipedia:中立的な観点に違反する」という主張であるならば特に反対はありませんが、過度の一般化には反対します。--BlueShift 2009年6月27日 (土) 06:01 (UTC)[返信]
「酸度函数」や「インライン函数」といった用例が実際に有意な頻度で存在するならまだしも、用例のない場合にまで一般化することは想定されていないと理解しています。その一方で、そもそもの議論において「かんすう」は一例でしかなかったわけですから、ある程度一般的な記述になるのも当然かと思います。「函数」と「関数」の様に、というのは「函数」と「関数」の如く由来が明確でそれなりの用例が実際に存在する、という意味で書きました。--Jms 2009年6月27日 (土) 06:28 (UTC)[返信]
反対 まず、対案として”統一すべき”という選択肢がないため提案自体に偏りがあります。また原案は「『Wikipedia:表記ガイド』は基準にならない。」ことを前提としているため上位規定に明文化しないと効力はなく現時点では実効性が期待できない提案であると考えます。--みや1229 2009年6月27日 (土) 07:19 (UTC)[返信]
「上位規定であるところの『項目名のつけ方』に準拠するならば「函数」となるが、2つある上位基準のうち片方だけに準拠する理由はなにか」という質問をネグったままで片方の上位基準のみを理由とするのは、反対としても成立しないと思いますが如何か。回答のしようがないところまで追い込まれたのならば自らの考えを見直してみるというのも大事な選択肢だと、わたくしは思います。--Nekosuki600 2009年6月27日 (土) 08:39 (UTC)[返信]
◆みや1229さんへ。世の中に例外規定というものが存在するように、上位規定に注意を払った上でなおかつ一般的なルールとはことなったルールが個別の場合について定められているならば、該当するケースについてはその例外規定の方が適用することに何の不思議もないと思うのですが。そもそも、みや1229さんがウィキペディアのガイドライン文書を法律のようにとらえて、その価値観を他者にも求めること事態、不当な態度であると思うのです。Wikipedia:ルールにこだわらない(補足:Wikipedia:管理者への立候補/Makotoy 20061113#「Wikipedia:ルールにこだわらない」について)という立場が一定の支持を得ていることに注意を払ってほしいです。--Makotoy 2009年6月27日 (土) 09:54 (UTC)[返信]
Makotoyさんのご助言については十分読ませていただきます。--みや1229 2009年6月27日 (土) 17:14 (UTC)[返信]
(コメント)表記ガイドの書き換えについて議論が進んでいますが、より詳しくケーススタディとしてこの「関数/函数」問題について解説した文書も出しておいた方がよいと思います。表記ガイドのみでなぜ「函数」が尊重されないといけないかについての理由を詳述することは無理ですし、「編集合戦すんな」ということについてもとりあえずやっていいことといけないことを確認することで、二人の利用者が一般的・曖昧な文面についての異なる解釈をもとにリバート合戦を繰り広げるような可能性をできる限りつぶしておきたいということです。そして、そのような個別の場合を取り上げた詳しい解説はウィキプロジェクト数学(のサブページ)が適切でしょう。これについてはすくなくともMidzさんは下で賛意を表明しておられるようですし。具体的には白駒さんの草案をいったんパブリックな場に移動し、sergeiさん (06131351) とKs aka 98さん (06191907)が出された要素を追加していけばいいと思うのですが、いかがでしょうか。--Makotoy 2009年6月27日 (土) 09:54 (UTC)意図せずここに割り込んでしまい、時系列順でなくなってしまいました。が、すでに下で進展しているようなのでここにおいておきます。すみません。--Makotoy 2009年6月27日 (土) 10:15 (UTC)[返信]
コメント 提案者として少しご説明を加えておきます。
(BlueShiftさんへ)この提案は、私としてはWikipedia:ウィキプロジェクト 数学、もしくはそのサブページに加筆することを想定しており、その効力は数学分野の項目にのみ及ぶものと考えています。
(138.101.114.40さんへ)まず、Wikipedia:中立的な観点はWikipediaにおいて最も重要な方針の一つであるということを十分考慮して下さい。それから、私がこのような提案をしたのは、これまでの経緯を見るにどちらかの表記へ統一しようとする志向が編集合戦の要因になっていると思われるからです。この議論の発端となった正規分布などはまさにその例です。私は、上記の二点を定めることによって編集合戦が抑止されると考えています。
(みや1229さんへ)Wikipedia:表記ガイドが本件において最も重視されるべき基準だとお考えなのでしたら、まずNekosuki600さんの2009年6月24日 (水) 11:54 (UTC) のご質問、及び私の2009年6月24日 (水) 14:59 (UTC) の質問にご回答下さい。--sergei 2009年6月27日 (土) 09:19 (UTC)[返信]
表記ガイドまで話を広げたのはちょいとばかり暴走でした。反省しています。問題だと思っているのは、「その効力は数学分野の項目にのみ及ぶ」という場合に、数学分野と並んで他の分野にもかかわる項目についてはどう扱うのか、ということです。そうした、他の分野にわたる可能性があるもの、もっと機械的には他分野の『学術用語集』にも登場するもの、には効力は及ばない、というやりかたもあろうかとは思いますが、それはそれで困るのではないかと思います。数学分野の項目をどう定めるのか、バナナはおやつに含まれますか的で気は引けるのですが、その点についてお考えをお聞かせください。--Jms 2009年6月27日 (土) 09:28 (UTC)[返信]
うーん、何というかなぁ。私たちは今、統一するべきかしないべきかをめぐって散々紛糾した議論を統一しないという方向へ向けて収束させようとしている段階にあるのであって、そういう細かい点については後から詰めていけばいいと思うのです。私としてはまず統一しないという大枠の方向性を定めることに最優先で取り組んで、実際の運用上の細則については後からWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 数学、もしくは新たに作ったサブページのノートで、必要ならWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 物理学あたりにも呼びかけた上で議論すればいいんじゃないでしょうか。期待した回答になっていないかも知れませんがこれでご容赦下さい。--sergei 2009年6月27日 (土) 09:55 (UTC)[返信]
BlueShiftさんの「表記の統一がWikipedia:中立的な観点に違反するという主張はちょっとわかりません。」に同感です。函数と関数は、単なる好みの問題ではないのですか?そうであれば、用語の統一をすべきだと思います。皆の好きにやらせればてんでばらばらになるので、好みはちょっと我慢してもらう、それがWikipedia:表記ガイドの意図するところでしょう。
ですが、「函数」を単なる好みのみではなく明確な意図を持って書いているというケースも考えられます。例えば、当用漢字/常用漢字に反対するという政治的意図がある場合です。しかし、これってWikipedia的に中立的な観点といえますか。これに対して、関数を好んで使うことに、何らかの意図を読み取ることは困難であって、その点ではある意味「中立的」です。
それと、かんすう=functionは固有名詞ではないのだから、何が正式というのもないでしょう。「函数」「関数」どちらも正式だし、だからこそ表記の統一が問題となります。
「どちらかの表記へ統一しようとする志向が編集合戦の要因になっている」には賛同しかねます。そもそも表記の統一ができていなかったことがことの発端です。
また、私はみや1229Nekosuki600さんの主張する「現時点では実効性が期待できない提案である」と同意見で、sergeiさんの提案に賛同しかねます。これでは、おそらくいつかまた編集合戦→議論の経路をたどるでしょう。この議論も過去のノート:関数 (数学)の繰り返しに過ぎません。--138.101.114.40 2009年6月27日 (土) 09:55 (UTC)[返信]
すみませんがNekosuki600さんがどのコメントで「現時点では実効性が期待できない提案である」と主張されたのか示していただけますか。また、これが単なる好みの問題と言い切れないことはすでにこのページで検証されている通りです。たとえば上の「統一しない立場」のまとめを見てください。そして、sergeiさんの案がどのように編集合戦の蓋然性を高めるのか根拠を示してほしいです。また、「正式」というか「圧倒的に支持されている」表記の有る無しはそれが一般名詞であるかどうかとは無関係です。一つのものや人物が異なった表記を持つことはままあるし、学術用語の多くは表記ぶれを持たないものです。--Makotoy 2009年6月27日 (土) 10:15 (UTC)訂正--Makotoy 2009年6月27日 (土) 10:17 (UTC)[返信]
お名前間違えました。すみません。「sergeiさんの案が」「編集合戦の蓋然性を高める」とは書いていません。sergeiさんの案に実効性がないと書きました。後段について、私は例えば固有名詞ではないようなものに「正式」さを求めるのはあまり意味がないという趣旨で書きました。学術用語の多くは表記ぶれを持たないというのはちょっと言いすぎだと思います。例えばBlueShiftさんの例。--138.101.114.43 2009年6月27日 (土) 10:29 (UTC)[返信]
「函数」の妥当性について再度見ました。歴史的経緯は好みとは関係ないですが、次の二項目は好みの問題ともいえるでしょう。「函」の字義を好む、数学者のあいだに「函数」表記を好んで使う人がいる。--138.101.114.43 2009年6月27日 (土) 10:41 (UTC)[返信]
なお、実効性が担保されないことの論拠は、「「関数」を「函数」に、もしくは「函数」を「関数」に書き換えるだけの編集は行わない」という決まりが曖昧で、無数に抜け道があることです。どのような場合に「関数」を「函数」に書き換えるだけの編集に該当するか、厳密な定義を与えることは不可能です。--138.101.114.43 2009年6月27日 (土) 11:18 (UTC)[返信]
sergeiさんの提案(や、以前の白駒さんKs aka 98さんの提案、sergeiさんによる白駒案の修正案)がそれほど具体性を欠いているとは思えません。これはOKこれはだめ、そしてこれらの編集の後で起こった編集合戦はこれらの提案によって予防できるだろう。ということです。--Makotoy 2009年6月27日 (土) 12:21 (UTC)[返信]
問題となった正規分布これこれこれはどうでしょう。
1番目はおそらくMakotoyさんの判断基準ではOKな例だが、表記の統一を乱している。2番目は確かにだめといわれそうだけど、一緒にもうちょこっと直せば(例えば、エントロピーを最大にする分布が正規分布であることが知られている、と付け加える)、いいことになるかもしれない。あるいは、「と書ける。」のように元に差し戻す編集ならばどうか。その点が曖昧すぎる。3番目は2番目に対する報復。オセロのようにひっくり返した。--138.101.114.40 2009年6月27日 (土) 12:46 (UTC)追記あり[返信]
まず一般論について。sergeiさんたちの提案によって防げる編集合戦があるなら何らかの実効性はあると思いませんか。どんな規則にも抜け道はあるものだし、提案されている規則に漏れがあるということじたいはべつにこの提案をパブリックな場におかない理由にはならないと思うのです。典型的な例について規範が与えられるだけでもメリットは十分にあるし、そうでないケースについては後でつけたすか、ケースバイケースでノートで解決を図ることにしたっていいですし。つぎに、具体例について、あげられているもののうち、2つめと3つめはアウトだと思います。2つ目などは、本当にそのちょこっとの付け足しやノートなどでの提案さえあればいいものを、それをせずに要約欄に「誤記」と書いて、「函数」から「関数」に直すという編集を行っているわけで、これがまさにここで問題にされている類型です。--Makotoy 2009年6月27日 (土) 13:20 (UTC)[返信]
「ケースバイケースでノートで解決を図る」労力を考えれば、表記の統一をお願いするほうがよほど実効性が担保されるというのが私の主張です。これ以上議論不要という点でもきわめて低コストです。また正規分布に関して、いまは函数で統一されていますが、sergeiさんの提案では最終的にどうするべきかなんら指針を与えません。これもノートで改めて議論せよということか。--138.101.114.43 2009年6月27日 (土) 13:35 (UTC)[返信]
えー。「ケース・バイ・ケースで解決をはかるのはめんどくさいから基準を作れ」という意見はわりとよく見かけるのですが、それこそ削除依頼なんかでは山ほどみかけるんですが、それはナシです。諦めて、ケース・バイ・ケースで解決をはかってください。法律でいうと英米法なんて基本線がそうなんで法律学的にはめんどくさくてかなわんのですが、ある程度運用すればそれなりに実績が積み重なりなんとかなるものです。現状、Wikipediaでは「個別具体的な議論先行例が足らない」のでしょう。今回のやつも、まとまれば「函数・関数論争については、これを見ろ。これを覆せるだけの論拠があるなら示せ」っていうことで、いちいち最初から議論をしなければならないような状況は突き崩せることでしょう。--Nekosuki600 2009年6月27日 (土) 14:02 (UTC)[返信]
だとすれば、「函数」と「関数」のどちらも用いても構わないという合意になおさら反対します。「函数・関数論争」が永遠に終わらなくなります。それならば、統一派とどちらも用いても構わない派の両方がいるという結論を得るほうがよっぽどましです。--138.101.114.43 2009年6月27日 (土) 14:16 (UTC)[返信]
その結論ってどう違うんですか? 「統一派」と「どちらを用いてもかまわない派」の両方がいるんです。で、「どちらを用いてもかまわない派」は、意見が異なる誰かが「函数」を使おうが「関数」を使おうがかまわないと主張しているのですが、「統一派」は「関数統一派」ならば誰かが「函数」を使うことを禁じようとし、「函数統一派」ならば誰かが「関数」を使うことを禁じようとするから、だから問題になっているんでしょ。
なお、先例をちゃんと蓄積していけば、すでに終わったレベルの論争については「それもう話したから」で済ませることができるようになります(ま、しばしば先行する議論を読み解く気力・能力がないひとが、あたかも新しい争点を思いついたかのごとく問題を提起するのですがね)。既存の議論を乗り越えての新しい提案があるのならば、そこで新たに議論を行うべきであり、そこで手間を惜しんではまずいんじゃないでしょうか。--Nekosuki600 2009年6月27日 (土) 14:28 (UTC)[返信]
明確に違います。「函数」と「関数」のどちらも用いても構わないという合意がここで形成されれば、「統一派」は論拠を失います。こんな「先例」ほど恐ろしいものはないと私には思えます。なお、統一派にも「関数」「函数」どっちでもいいからどっちかに統一してくれと考えている人がいることもお忘れなく。--138.101.114.43 2009年6月27日 (土) 14:38 (UTC)[返信]
今現在は"関数"、"函数"どちらを用いても構わないのでは無いですか。現在は統一派が"函数"を用いてブロックされた利用者が居た事を利用して"函数"の排除を進めている様に見えます。それは以前に他の分野でも見た光景ですが、これがこのプロジェクト標準の問題解決の方法なのでしょうか。--重複太郎 2009年6月27日 (土) 16:32 (UTC)[返信]
違いますよね。ブロック云々は「利用者に依存する問題」であり「ルールに依存する問題」ではありません。「好き勝手」と「自由」の違いを理解しない利用者がルールを盾にして、機械的に処理しようとしているのが透けて見えるんですよねぇ。これだから「フリー」百科事典という日本語訳がいやだったんだよなぁ。(細かい校則を作られた環境で中高生を過ごした連中に多そう。←主観です。)--Goki 2009年7月6日 (月) 00:36 (UTC)[返信]
◆すみません。あ、えーと、138.101.114.40さん@2009年6月27日09:55(UTC) へのコメントです。十中八九嫌味と取られるのではないだろうかと懸念するのですがそういう意図はありません。単純な興味です。本論とは無関係かもしれず後日ノートに自発的に移動するかもしれません。
なんだってまた、おれとみや1229氏をとっちらかったのでしょうか(=^_^;=)。
ネット上の議論でどうやって参加者を識別するかというのはけっこう重要な論点で(というのは全員基本線としては文字でのみ対話をしており、声や顔などの識別に寄与する情報がないからですが)、そういう観点からもちょっと気になりました。おれは文体やら思想の方向性やらで区別しておりさほど大きく間違えることはないのですが(でも似たような主張をするひとを混同することはある)、正反対の論者をとっちらかるプロセスというのがよくわかんなかったのでした。--Nekosuki600 2009年6月27日 (土) 17:33 (UTC)[返信]

中立的な観点という論点

[編集]

表記ガイドの書き換えに関係ない部分を移動させました --Jms 2009年6月27日 (土) 13:54 (UTC)[返信]

<ここから>

「中立的な観点」は「統一する必要はない」意見のもっとも有力な根拠となっていますが、まず最初にこの観点と「関数/函数」の表記問題とは直接の関わり合いはないことを指摘しておきます。 Wikipedia:中立的な観点が扱っているのは、文章の内容、意見、主張にいくつかあればそれらを中立の立場で記述することを求めているもので、表記が2つあるときにそれに中立的な立場で接するなどとは言っていません。 もちろん、2つの表記が内容が違えばそれらを公平に扱う必要があり、中立的な観点ということが生きますが、「関数」と「函数」とは違った表記でも同じ内容を示す言葉ですから、この観点で扱う問題ではありません。 この観点で言っているのは、例えば「関数の表記」という項目を立てるとすれば、「関数を主張する説」と「函数を主張する説」、さらには「両方混ぜて使ってもよい説」があるということを中立の立場できちんと記述せよ、ということだけです。

このことは以前に Makotoy さんから、「ガイドラインが中立性という根元的な観点から挑戦をうけている」、というような話を示されたときから漠然と感じていたことです。 そしてその後「Wikipedia:中立的な観点」という文献があることを教わって読んでみて、考えていた通り、「中立的な観点」の対象は内容であって、表記にはまったく触れていないことを確かめました。 つまり考えてみれば当然のことですが、表記自身は「中立的な観点」の対象たりえませんので、その観点を根拠に「揃える」という選択を排除することは出来ない訳です。

私は今ではこう考えています。 それは百科事典は内容については、複数の意見、内容があれば中立的な観点からそれらをきちんと記述するが、その記述の文章は世の中でもっとも広く使われている表記を使って解りやすく書くべきだ、ということです。 皆様にもこの百科事典の原点に立ち戻って考えて頂けると幸いです。--Midz 2009年6月27日 (土) 12:04 (UTC) [返信]

すぐ上に、は、#枝論・表記ガイドの書き換えについて節の Makotoy 20090627T0954Z を指します。移動者注記。--Jms 2009年6月27日 (土) 13:58 (UTC)[返信]
いみじくもすぐ上で書いているように、ぼくは中立性だけをウィキペディアの原則としてとりあげて、「関数/函数」を統一しない根拠としたことはないです。そして、Midzさんの理屈は物事の「正式な」名称を提供すると言う百科事典の機能の一つを無視していることは、Jmsさんの日本放送協会の例からもあきらかです。誤解のないように言っておけば、ぼく自身が「関数」を使っているのはまあMidzさんがおっしゃるような観点によるものです。ですが、その立場をほかの執筆者に強制する正当性まではないと考えているのが違うのでしょう。何度も繰り返しになるけれど、「なぜ統一しなければならないのか」を示してください。そして、統一するべきということについてMidzさんのあげている根拠は既に反論Nekosuki600 06141836されたものだから、再反論なしに提示し続けることはやめていただきたいです。--Makotoy 2009年6月27日 (土) 12:21 (UTC)補足--Makotoy 2009年6月27日 (土) 12:49 (UTC)[返信]
ついでに、字面の問題と中立性には関係があります。中国語版のウィキペディアが異なった字体の表記を切り替えられるようにしているのには、一方の字体が読めない読者の便を図るということのほかに、圧倒的に人口の多いであろう本土のスタイルに寄せることが中立性をおかす、という判断も入っているはずです。--Makotoy 2009年6月27日 (土) 12:49 (UTC)[返信]
◆表記の選択がなぜ中立的な観点に関わるのか、ということが論点になっているようなのでこのことについて補足しておきます。すでに述べましたように、「学術用語集・数学編」が制定される際には文部省と数学者たちとの間に意見の対立がありました(出典:福原満州雄他『数学と日本語』共立出版 1981 年 ISBN 4-320-01315-8)。現在数学分野において関数と函数の双方が使用されている背景にはこのことがあります。従って当然、関数ないし函数の表記を用いるという行為は、こうした対立についての何らかの意見を言外に含み得ます。
一般的に、ある呼称、ないしは表記を用いるという行為は、特定の意見を表明することと同等の意味を持ち得るものです。例えばロンドンデリーという都市は冒頭のロンドンを略して単にデリーとも呼ばれます。そして、ロンドンデリーないしデリーという呼称を用いるという行為は、その人が特定の立場に立っていることを表明するのと同等の効果を持ちます。こうした対立をめぐって時には殺し合いまで起こるのは皆様よくご存知でしょう。ロンドンデリーもデリーも同じ都市を指しているのだからより一般的な方のみを用い、もう一方は無視してもいい、ということには決してなりません。
Wikipedia:中立的な観点は内容に関してのみ規定しているので表記には適用されないということはありません。ある特定の表記を用いる、ということ自体が重要な「内容」となり得るのです。このことを十分に考慮して下さい。--sergei 2009年6月27日 (土) 13:38 (UTC)[返信]
「ある特定の表記を用いる、ということ自体が重要な「内容」となり得る」について、「函数」という特定の表記を用いる、ということ自体が反文部省(文科省)という政治的主張を含みうるとすれば、「関数」という一般的な表記を用いる場合に比較して、中立性という観点から偏りがあるといえませんか。
(「関数」という表記を用いても、だれも文科省よりの人間だと思う人はいないでしょう。)--138.101.114.43 2009年6月27日 (土) 13:49 (UTC)[返信]
数学とは関係ない例で恐縮ですが、連合王国、ジョルダンはちょっと前までの外務省流の呼び名ですが、これを使う人は明らかにかつての外務省よりの人間でしょう。(イギリス、ヨルダンという表記をつかっても反外務省的だと思う人はいないでしょう。)--138.101.114.43 2009年6月27日 (土) 14:00 (UTC)[返信]
無自覚的にどちらかの陣営に組み込まれるということは普通にあると思いますよ。--Nekosuki600 2009年6月27日 (土) 14:23 (UTC)[返信]
◆「『函数』という特定の表記を用いる、ということ自体が…中立性という観点から偏りがあ」り、「『関数』という表記を用いても、だれも文科省よりの人間だと思う人はいない」ように見えるのだとしたら、それは138.101.114.43さんが無自覚に(おそらくは日本の中学・高校の教育を通して)文部省(現在の文部科学省)の立場に立ってしまっているからではないでしょうか。どちらの表記もそれなりに数多く目にしてきた私としては、函数表記を見れば「これを書いた人は日本の数学界の伝統を尊重しているのだろうな」と、関数表記を見れば「これを書いた人は文部(科学)省の立場や日本の中学・高校の教科書の表記を重視しているのだろうな」と漠然と考えます。
中立性を旨とする百科事典の編集に携わる以上は、対立する複数の立場があって、そのうちどれか一つの立場が中立的でほかの立場が偏っているように見えるのなら、自分が無自覚に特定の立場に立ってしまっているからではないだろうかとまず疑ってみる習慣を身につけていただく必要があるのではないでしょうか。--sergei 2009年6月27日 (土) 15:31 (UTC)[返信]
◆「これを書いた人は日本の数学界の伝統を尊重しているのだろうな」というのは同意しますが、「これを書いた人は文部(科学)省の立場や日本の中学・高校の教科書の表記を重視しているのだろうな」はかなり偏った見方に思えます。
「関数」は昭和30年代ならいざ知らず、今となっては支配的な表記方法です。関数はごく普通の表記というべきです。手元のジーニアス英和辞典でfunctionを引いても「函数」は出てこないし、物理・化学や工学系の本にも無論「函数」は出てきません。Wikipediaでも数学カテゴリ外ではでてきません。
関数表記をみて、もしも「これを書いた人は日本の数学界の伝統を尊重していない」と思う人がいれば、それは視野が狭すぎます。被害妄想に近いかもしれません。数学は数学界のみならず、物理・化学・工学・統計学・経済学といった広い裾野を持つというもう少し広い視点を持ってほしいと思います。--138.101.114.43 2009年6月27日 (土) 15:53 (UTC)[返信]
ですから、「『…文部(科学)省の立場…を重視しているのだろうな』はかなり偏った見方に思えます」とか、「『関数』は…今となっては支配的な表記方法です」という見解自身があなたの立場をよく表しています。他分野のことはともかく、数学分野では函数表記もごく普通に用いられることはすでに何度も説明されていることです(分科会の名称に使用されているのですよ)。今のところ私たちは数学分野の項目におけるルールの制定の取り組んでいるのですから、まずは数学界における習慣を重視するべきでしょう。--sergei 2009年6月27日 (土) 16:08 (UTC)[返信]
「関数」に統一することが中立的な視点からどのような排除につながるのか理解に苦しみます。「これを書いた人は日本の数学界の伝統を尊重」する人を排除するのだろうかとも読めます。しかし、統一することのメリットに比べれば我慢していただくレベルの話だと思います。そもそもそういう人たちがここの議論に意見を寄せているでしょうか? --みや1229 2009年6月27日 (土) 16:12 (UTC)[返信]
申し訳ないんだけれども、みや1229さんは「答えづらい回答はネグって自説を言い募る」というモードになっちゃっているのだと思うんですよね。表現の統一をすることがどのように中立的視点という観点から問題なのであるかはもう説明されています。また、統一するとどういうメリットがあるのかについて、説明はなされていません。たとえば「『函』という文字が読めないひとにとっては『関数』に統一することにメリットがある」というみや1229さんの主張にはすでに反論が寄せられていますし、あなたはその論点からの回答要求を無視して(あるいは回答できずに)います。そこのところで説得力のある説明ができないままに「統一することのメリット」を主張されても困るんだよなあ、と、おれは思うのです。
ていうか、議論ってもうちょっと真摯にやるものじゃないでしょうか。問いかけに対して答えても答えなくてもそれはかまわないんだけど、「容易に説得力のある答えができる問い」には答えておいた方が有利にことが運ぶと思うんですよね。相手方が「これは重要だ」と強く主張する質問に答えなければ「答えられないんだな」と思われてもしょうがないんです。というわけで、積み残しになっている質問に答えていただければありがたいです。--Nekosuki600 2009年6月27日 (土) 16:21 (UTC)[返信]
分科会の名前に「函数」が使われているのは、過去の名称をそのままつかっているからでしょう。固有名詞に近いと考えるべきではないですか。数学分野では函数表記がごく普通に用いられるという論拠にはならないと思います。ただし、「関数」「函数」ごちゃ混ぜが一般的というのが普通というのは、プログラムを見ても分かります。もちろん、本とか論文ごとでは統一するでしょうが。上にもありますが、私はむしろその点を議論しているのかもしれません。
数学分野の項目におけるルールの制定の取り組んでいるのだから、数学界における習慣を重視するのは当然ですが、数学を使うのは例えば工学系の人だって同じです。フーリエ変換など応用分野に近づけば、そちらのほうからの需要も少なからずあるはずです。数学界以外の習慣も考慮に入れるべきでしょう。--138.101.114.43 2009年6月27日 (土) 16:28 (UTC)[返信]
数学が応用範囲の広い学問だということは議論参加者の誰もが承知していることでしょう。で、そのことが、函数表記を好んで使用する数学者も多いにもかかわらず関数表記のみを用いる、とルールとして定めてしまうことで中立的であるはずのWikipediaが文部(科学)省の立場に立ってしまうという問題を回避する理由となり得るのでしょうか? フーリエ変換を応用として使用する程度に数学と関わりのある人ならば、函数という表記があることを知っていても損はしないと思いますが。--sergei 2009年6月27日 (土) 16:47 (UTC)[返信]
どこに何人いるかもわからない人の好みなどという主観的なものは世間の流れを無視してまで両方の記載を認めるべき根拠には到底なりえないと思う。少なくともそれは中立的な視点ではないと思います。--みや1229 2009年6月27日 (土) 17:01 (UTC)[返信]
それはそうかもしれませんね。しかし同じ理由から、みや1229さんの観点が中立だとは限らないということにもなるわけでして。というか、「おそらく答えにくいであろう質問は避けて同じ趣旨の主張を繰り返す」というのは、それは間違っても中立ではないのです。ましてや説得力があるはずがない。方向転換をすることを強くお勧めします。
おれは、なんであなたが「それでも統一を主張するのか」についてのちゃんとした理由を聞きたいんだよ。これまでの主張はもう論破された(少なくとも反論できていない)。そしたら、自らの主張をさらに掘り下げて説得力のある主張を構築するか、諦めるか、選ぶ必要があるのではないでしょうか。--Nekosuki600 2009年6月27日 (土) 17:09 (UTC)[返信]
昭和30年代ならいざ知らず、「関数」表記がこれだけ広がってしまえば、Wikipediaが文部(科学)省の立場に立ってしまうという問題にはならないというのが私の一貫した意見ですが、これに関しては別途意見を募ってはどうですか。
そして、単なる好みの問題ならば、時には我慢も必要です。
なお、函数という表記があることを知るには、「関数(函数)」という項目で充分です。「フーリエ変換」の項でそれを知る必要がなぜあるのでしょう。--Kamogawa06 2009年6月27日 (土) 17:08 (UTC)[返信]
これが単なる好みの問題ではなく、たとえば「函数」側に歴史的な正統性があるということを2009年6月27日 (土) 10:15 〜 10:41 (UTC)のやりとりでわかったいただけたものと思っていたのですが、違ったのでしょうか。--Makotoy 2009年6月27日 (土) 20:45 (UTC)[返信]
違います。「歴史的な正統性」の定義は何ですか。函数が関数よりも起源が古いのは自明です。が、古いだけでは正統とはいえないでしょう。言葉は生き物です。
歴史的には、戦後に(論争があったものの)函数から関数への置き換え進んで、(古めの数学書などに一部函数表記が見られるが)今では関数という表記が一般的、という言説はそんなに偏ってますか。
「単なる好みの問題ならば」は、「もし政治的な意図なく函数表記を使っているならば、それはもはや好みの問題でしょ」という意味です。念のため。そして、政治的な意図で函数表記を使っているならば、中立的立場からの記述とは言いがたいとも上で主張しています。--Kamogawa06 2009年6月27日 (土) 22:47 (UTC)[返信]
「正統」のの語義に、
始祖の学説や教義を忠実に伝えていること。正しい学統。(大辞林 第二版より)
があります。この定義によれば「函数」が歴史的正統性を持つと言ってよいでしょう。問題なのは、この件について中立な表記を決めようとする行為自体が、関数と函数とのせめぎ合いに加担してしまうことになる(と言えるほどに現在の数学界で「函数」が勢いを保っている)というジレンマがあることです。それならばジレンマに飛び込むよりも執筆者の良識に任せたほうがよくはないですか。これも何度も言っていることだけれど、執筆者としてのぼくはいつも「関数」のほうを使っています。しかし、「函数」にも一定の理があること、「函数」が混ざっていることのデメリットが少ないことから、このジレンマを強引に解決する代償(モラルとリソースの損害)にメリットが見合わないと思うのです。--Makotoy 2009年6月28日 (日) 00:45 (UTC)[返信]
それは宗教とか哲学でいう「正統」であって、ことばや表記の正統性についてその定義を強引に当てはめると古いだけで正統になるのでちょっと横暴かなと思いました。「函数/関数」の始祖とかおかしいし、国語辞典の悪い使い方ではないでしょうか。
函数学派の解析と関数学派の解析は矛盾するとかなら話はべつですが…。
ただ、それを参考にさせていただくと「函数/関数」はいまでは数学的にどっちも同じ概念を差すので、どっちも正統でしょう、たぶん。日本数学史に限定すれば函数が正統かもしれませんが、数学記事にいちいち数学史の議論を持ち出すのは政治的でよくないというのが私の考えです。関数 (数学)に歴史的経緯を書けば済む話ではないですか。--Kamogawa06 2009年6月28日 (日) 01:43 (UTC)[返信]
外的事実は#議論の前提となる事実にまとめてあります。もし、というのは無意味かもしれませんが、もし、当用漢字に「函」が含まれていたら、そもそも「関数」という表記は発生しなかったであろうと考えられます (当用漢字の登場以前の「関数」という用例は今のところ発見されていません)。関数が当用漢字に函が含まれないという偶発的事象によって生じたものである以上、なにが「正統」か、というのは明かでしょう。これは、何が「正しい」か、何が「正当」か、ということとは別の話です。--Jms 2009年6月28日 (日) 02:28 (UTC)[返信]
まず第一に、「中立性というのは、必ずしもわかりやすく政治的な問題のみに存在するのではない」ということを言いたいと思います。たとえば「函数」を「関数」に変更させようとした日本政府の立場と、それに抵抗した数学者の立場は、イデオロギッシュな政治的対立であるとは言いにくいものがありますが、立派に政治的対立であり、われわれは「どちらかにへたにくみしてはまずい」という意識を持っていなければなりません。この手の中立性を求められる論点というのは、案外こう多岐にわたっておりそこらじゅうにころがっている、というのがおれの実感です。
第二に。中立性が求められる場合、「中庸なテキストにする」というのはひとつの方法論ですが、なにをもって中庸とするのかといったむずかしい論点を抱え込んでしまいます。慈善の策として「異なる見解を平行して記す」という、両論併記方式というか、意見を平等に並べる方式ってのがあります(まあ、それにしても第三者的に見て取るに足らないであろう意見をどうするかっていう問題はあるわけですが)。そして、この方法で用語を扱ってもべつだん問題はないでしょう。
第三に。「その記述の文章が特定の価値観に基づいて記されている」というのは、ある意味でもっとも危険で安直な方法ではないかと思います。一見公平に見えて、しかしその実もっとも強力に主張を表明する方法だからです。たとえば2つの対立している陣営がありそれぞれの陣営がは自称と相手方の陣営の呼称を持っていると想定してください(そういうところは実在します)。その2つの陣営の片方が使っている両者の名称で統一して文書を作成すれば、それだけでどちらかへの支持表明という強烈な政治性を帯びることなります。「表記そのもの」、あるいは「文章」や「言葉」には、そういう危険性がつきまとっているのであり、であるがゆえに注意深くあらねばならないのです。「表記自身は『中立的な観点』の対象になり得ない」って、どのように考えたらそういう結論に到達できるのか、わたしには全くわかりませんでした。
で、別段こう、統一したからって特段にわかりやすくなるわけではないし、統一しなかったとしても特段にわかりにくいわけでもないわけで、さほどのメリットがあるわけでもないのになぜリスクを犯してまで統一しなければならないと考えるのかが、おれにはわかりません。--Nekosuki600 2009年6月27日 (土) 14:23 (UTC)[返信]
Wikipediaでは、書き手の属性は、できるだけ文章から消すべきではないでしょうか。同一記事で、関数と函数が混在していれば、少なくとも複数人が書いたことが分かります。また、例えば函数が多いブロックは、「数学界の伝統を重視する人」あるいは数学者が書いたと推測されます。が、読み手がそんな情報を必要としているわけではありません。「重要な要素」だなんてとんでもない。単なるノイズだというべきです。
論文や本で表記の統一が求められるもの同じ理由です。共著書で表現に多少ばらつきが出るのはしょうがないにしても、できるかぎり表記は統一するのが常識です。読み手を考慮すれば、共著だからバラバラでいいなんて理屈は成り立ちません。(叱られたのでアカウント作りました)--Kamogawa06 2009年6月27日 (土) 17:08 (UTC)[返信]
21日のコメントで述べたように、この表記ぶれをどちらかに寄せたぐらいでは統一感の達成や執筆者が複数いることの隠蔽にたいして進展はないので、統一することのデメリットとしてあげられていることとあわせれば時期尚早と言えると思います。いまはむしろ情報量を増やすことを目指す時期だし、統一感のためにはもっと基本的な言葉のばらつき(たとえば「任意の」vs「全ての」vs「すべての」vs「どんな〜についても」、数学以前の問題として「だ」vs「である」)を克服しなければいけない、ということを脇において「函数」を「関数」に直したところで空しいし(たとえばいまのディラックのデルタ関数には少なくとも3人の異なったスタイルの執筆者がいるのがわりあいはっきり判ります。)、納得できない執筆者たちだって出てくるでしょう。はっきりいえば、ウィキペディアにとって最も大事な要素である参考文献引用のスタイルすらバラバラなのに、なんでこんなことの統一性にこだわれるんだろうか、というのが正直な思いです。このようなばらつきの存在はウィキというしくみの特性の一つとしてある程度容認するしかないということなのでしょう。ほかの方も言っていることの繰り返しになるけれど、統一するとしてどちらに統一するか、ということさえ自明ではないです。--Makotoy 2009年6月27日 (土) 20:45 (UTC)[返信]
時期尚早とは思いません。もっと基本的な言葉のばらつきを問題にするならば、別途話し合えばいいだけのことです。これが「函数」と「関数」の問題を棚上げにする理由にはなりません。無関係です。「空しい」なら議論に参加せず結果だけ受け入れればいいのでは。「関数」(あるいは「函数」)に統一をお願いすることが、なぜ情報量を増やすことの妨げになるのでしょう。執筆者に配慮しすぎるあまり読み手を軽視するのは本末転倒です。
むしろ、もっと情報量が少ないときに統一の合意ができていれば、今起こっている編集合戦も防げたはずです。もし、「関数」(あるいは「函数」)に統一できれば、「たいして進展」しなくてもほんのちょっとの進展にはなります。
統一するとしてどちらに統一するか、ということさえ自明ではないから「函数、関数論争」が起こるのに、何をいまさらという感想です。せっかく書くならもっと論理的な文章を書いてください。--Kamogawa06 2009年6月27日 (土) 21:10 (UTC)[返信]
端的に書くと、表記の統一は馬鹿を増やすだけです。無知なものに対して知への興味を奪うことになりかねません。百科事典としての意義が薄れるのではないでしょうか。ということで、すべてのページにおいて表記を統一という議論を始めるならとことん反対させていただきます。--Goki 2009年6月27日 (土) 23:51 (UTC)[返信]
「表記の統一」の範囲をどこまでさすのか分かりませんが、表記の統一は馬鹿を増やすというのはなぜですか。「函数」か「関数」にそろえようと思えば(同意さえあれば)簡単にそろうのにやっていなければ、Wikipediaの程度が低いと思われてWikipediaへの興味を奪うことになりかねないというならわかりますが。
表記がめちゃくちゃな本(それも百科事典だったら?)を買ったら読者は怒るでしょう。それとも、Wikipediaはタダだからカオスでよいと?書き手の属性はできるだけ文章から消すのが、客観的なもの書きいうものではないでしょうか。言葉の端々に自己主張するのは馬鹿みたいだからやめてください。--Kamogawa06 2009年6月28日 (日) 00:16 (UTC)[返信]
関数 (数学)の脚注を「関数」にそろえるのは操作的には簡単ですが、それをやられたらわたしゃ泣きます。当該脚注には意図的に使い分けている部分がありますし、一次資料なので記事には挙げていない原典にあたって裏をとっている (ノート:関数 (数学)#函数は意訳なのか?参照) のですが、そうした調査の結果を皆一律「関数」にされたら…。--Jms 2009年6月28日 (日) 00:24 (UTC) 参照先訂正 --Jms 2009年6月28日 (日) 01:09 (UTC)[返信]
関数 (数学)は函数についても書くWikipediaの中立性からみて大事なページですから、それを勝手にしかも機械的に書き換えるのはそれこそ馬鹿のやることでしょう。たしかに、それをやられたのを想像すると泣けます(>_<)--Kamogawa06 2009年6月28日 (日) 00:31 (UTC)[返信]
(Kamogawa06 2009年6月27日 (土) 21:10 (UTC)への返答です) 2009年6月27日 (土) 17:08 (UTC)のKamogawa06さんの論旨が複数著者による書籍における慣行のアナロジーを適用すべきだ、とのことだったので、ウィキペディアの現状がそのアナロジーを適用する段階にないということを申し上げて反論にしました。普通書籍の校正というのはまず素材が出そろって文章がいったん書き上げられてから統一した基準をもとに表現の統一なり修正なりをはかるものだと思いますが、ウィキペディアの数学記事はまだまだ未完成で(ウィキが漸次的に加筆されて成長していくものだということを差し引いても)、その段階にはないです。つまり、「関数」と「函数」がウィキペディア内で混在することについての問題は、そもそも記事を作らなければいけないということに比べたら現段階で優先度が低いです。さらに、中立性やだれでも自由に編集できること、などのウィキペディアの原則・しくみが、普通の書籍と比べてウィキペディアでの表記の統一についての優先順位はより低くなりうる、ということは「中立的な観点という論点」節などで論じられている通りです。
もちろん優先度の低い問題に取り組むのは各利用者の勝手ですが、現行のガイドライン文面では編集合戦が起きたりして執筆者が疲弊しウィキペディアを去ることによって、より優先度の高い問題が解決されなくなってしまう、ということをぼくは主張しています。これはほんのちょっとの進展どころか後退です。ここまでが上のぼくのコメントの言い直しです。表記を統一、というガイドラインを制定したところでこの構図は変わらないか悪化するでしょう。なぜなら、このような編集合戦は新しくやってきた執筆者と「函数は誤りなのだ」と宣言または無言で示唆する(たいてい表記ガイドすら引用しない)編集者との間でおきており、どちらに対してもガイドラインを予備知識として持っていることは期待できないからです。
ところで、表記統一のメリットとして編集合戦回避を挙げられているようですが、「統一しなくてよい」という立場の白駒さんによる草稿がまさにそれを目的にしているのはご存知でしょうか。また、統一しないことが具体的にどう読み手の軽視につながるのかをのべていただけないでしょうか。--Makotoy 2009年6月28日 (日) 00:45 (UTC)割り込んでしまったのを修正--Makotoy 2009年6月28日 (日) 00:49 (UTC)[返信]
優先順位は関係ないことは既に申し上げたとおりです。
編集合戦回避については、上の「「「ケースバイケースでノートで解決を図る」労力を考えれば、表記の統一をお願いするほうがよほど実効性が担保されるというのが私の主張です。これ以上議論不要という点でもきわめて低コストです。また正規分布に関して、いまは函数で統一されていますが、sergeiさんの提案では最終的にどうするべきかなんら指針を与えません。」あたりを読んでください。まあすぐ下で、「めんどくさいから基準を作れという意見はナシ」とNekosuki600さんに否定されていますが、これでは執筆者が疲弊することに変わりないように思われます。それがWikipeida的に正しいなら仕方ないですね。
白駒さんの案なら賛成します。特にどちらかと言えば「関数」を推奨する旨の文言は必須だと思います。sergeiさんは何でこれを退化させるような提案をしてしまったのでしょうか。
「読み手軽視」については、「函数と関数のどちらを用いても構わないという合意」といった決まりは、執筆者の表記に関する趣味を読み手に押し付けかねないという趣旨です。--Kamogawa06 2009年6月28日 (日) 01:43 (UTC)[返信]
表記を統一することこそ「読み手軽視」だと思いますが。理由は上述なので省略します。--Goki 2009年6月28日 (日) 02:44 (UTC)[返信]

議論を読んでそれぞれの主張の根拠をまとめてみました。  まず「統一しない」側は

  1. 数学分野では「函数」が用いられている場合があるし、好んで「函数」を使用する数学者がいる。つまり「函数」を用いて執筆する数学者がいる。
  2. 文章の校正はそれが完成してから行うものであるがWikipediaの数学記事は未完成であり、表記の統一は優先度が低い。
  3. 表記の統一を優先させると編集合戦が起きるが、新しい執筆者が表記ガイドを理解していることは期待できず、結果として彼らがWikipediaを去る可能性がある。

一方、「統一すべき」側は

  1. 「函数/関数」は数学的に同じ概念を指すが「関数」が一般的な用語である。だから「関数」のほうが読者は読みやすい。
  2. 書き手の属性はできるだけ文章から消すべきである。そもそもそれを読者は求めていない。

となるのではないでしょうか。つまり「統一しない」側は執筆者の側に立ち、「統一すべき」側は読者側に立つと言えるのではないでしょうか? そこで両者の利害を検討するとWikipediaは自由に執筆できますから「統一しない」側の1.および2.はまったく問題なく受け入れることができます。3.についてはガイドラインを納得してもらえないならばWikipediaの方針に理解をしてもらえない方ということで去っても別段問題ではないと考えます。それに、「函数」を「関数」に書き換えた場合の執筆者や読者への具体的な不利益が考えられません。であるならばもはや読者側の利益を実現する障壁はないと考えることができます。すなわち、「函数」でも「関数」でも執筆は歓迎し、読者のことを考慮し適時「関数」に統一していくことを実現すべきではないでしょうか?--みや1229 2009年6月28日 (日) 06:12 (UTC)[返信]

直前の1行を読んでないですね。(いちいち書きませんが。)--Goki 2009年6月28日 (日) 14:26 (UTC)[返信]
通りすがりのIPユーザです。この議論は以前から時折拝見しておりましたが、一読者として看過できない内容が見受けられましたので少々口出しさせていただきます。
まず私自身は一読者として統一されないほうが望ましいと考えています。にも拘らず「読者」という抽象的な概念でひとくくりにされ、あたかも「統一」を望む主張の賛同者のように扱われるのは極めて不本意であり不愉快です。執筆者の間に存在する多様性は同様に読者の間にも存在すると考えるべきであり、統一することが読者に利するとの一方的な主張は速やかに撤回されることを望みます。--125.1.110.165 2009年7月2日 (木) 17:19 (UTC)[返信]

枝論・表記ガイドの書き換えについて

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表記ガイドの書き換えについては、こちらではなく表記ガイドのノートでやるべきかと思いますが、なんか話が錯綜している部分があるので、その錯綜している部分を切り分けます。なお、こちらで表記ガイドの書き換えについて合意形成をするのは明らかな場所違いですので、参加者はそこんところヨロシク。--Nekosuki600 2009年6月27日 (土) 06:35 (UTC)[返信]

<ここから>

◆ (大筋賛成なコメント)『学術用語集・数学編』主査をして「微妙」と言わしめた、学術用語集編集の際の用語選択意向調査での「函数」と「関数」の拮抗からすれば、どちらかに決まらないというのはさもありなんと思います。その意味でどちらを用いても構わないと明示するのは良いと思いますが、この結論をどこに吸収するかというのを考える必要があると思います。ウィキプロジェクト数学というのも考えましたが、関数という語は数学の専売特許ではないという議論を呼ぶ可能性もあり、よりスマートなやりかたが欲しいところです。論拠の一つである函数と関数に関してはWikipedia:表記ガイドが基準とならないという点を考慮すると、Wikipedia:表記ガイド#その他のページ内表記統一に関する部分を、たとえば

表記は原則としてページ内で統一しますが、「函数」と「関数」の様に、どちらを用いても構わないという合意が中立的な観点からなされている表記もあります。そうした、どちらを用いても構わない表記の一方から他方へ機械的に置き換えるだけの編集は、歓迎されません。また、ウィキペディア全体での表現統一に過度にこだわる必要はありませんらないでください

とするのが良いと思います。中立的な観点への言及をすべきか迷いましたが、138.101.114.40 さんの意見からすると、念のため公式な方針の優先を明示しておく方がよかろうと入れてあります。--Jms 2009年6月26日 (金) 18:44 (UTC)[返信]

むしろ「また、ウィキペディア全体での表現統一に過度にこだわらないでください。」のほうがいいのかも。--Goki 2009年6月27日 (土) 02:54 (UTC)[返信]
確かに。そうしてみました。--Jms 2009年6月27日 (土) 02:58 (UTC)[返信]
◆上の表記ガイドの文章書き換えについては明確に反対します。 合意はなされていないことは明らかです。 私は
  1. 「関数」と「函数」のどちらを用いても構わない。
  2. 「関数」を「函数」に、もしくは「函数」を「関数」に書き換えるだけの編集は行わない。
 程度のことはウィキプロジェクトに書いても実質的弊害は少なかろうとの考えでしばらく静観すると書いたのすが、表記ガイドにまで手をつけるとなると話はまるっきり違ってきます。 投票・アンケートにより「どちらを用いても構わない」という合意がなされたと主張するためには、少なくとも
  1.  原則として統一する
  2.  統一しない
    1.  項目内では統一する
    2.  項目内でも統一しない
程度の選択肢を設けて、充分に公示し、時間を取って選択してもらう必要がありますが、このような意見募集があったと認識していません。
 中立的観点とこの問題のかかわりについては私は皆さんとまったく違った意見を持っています。 Makotoy へのお約束もあり、もうすぐそれを書きますから、読んで下さい。 --Midz 2009年6月27日 (土) 05:25 (UTC)[返信]
ウィキプロジェクトに書くのは許容できなくもないが、(とりあえず全く同じ文言にすることにして) 表記ガイドだと反対なのは、文書ステータスが違うからでしょうか。表記ガイドに手を入れるなら、当然しかるべき段取りがとられることを前提としていますが…。--Jms 2009年6月27日 (土) 05:44 (UTC)[返信]
(追記) 合意がない、ということが要点なら、
表記は原則としてページ内で統一しますが、「函数」と「関数」の様に、どちらを用いても構わないという意見のある表記もあります。そうした、どちらを用いても構わないという意見のある表記の一方から他方へ機械的に置き換えるだけの編集は、歓迎されません。また、ウィキペディア全体での表現統一に過度にこだわらないでください。
では如何でしょう。これすら問題だというのなら、丸括弧についてはどうお考えなのか、お聞かせいただければ幸いです。--Jms 2009年6月27日 (土) 05:58 (UTC)[返信]
中立的な観点のほかに、ウィキペディアは百科事典であること、より多くの執筆者を許容すべき、という論旨もありましたし、これらも個別の運用論に優先する基本原理として認められると思うのです。特に中立的な観点を強調するよりはこれらを並列するか、あるいはいっそより詳しい(上で提案している、白駒さんの草案をもとにしたウィキプロジェクト数学下の)文書に、[[Wikipedia:ウィキプロジェクト 数学/関数vs.函数|ここ]]で説明されているような理由により〜としてリンクで逃がしてやってもよいかもしれません。--Makotoy 2009年6月27日 (土) 09:54 (UTC)[返信]

表記ガイドの書き換えに関係ない部分を#中立的な観点という論点へ移動させました --Jms 2009年6月27日 (土) 13:54 (UTC)[返信]

「新」ガイドライン案

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「どちらか一方の表記に統一したり優先的な地位を与えることはWikipedia:中立的な観点に違反する。」は私の「中立的な観点と表記」についての文章で否定されたことは大方の認めて頂けるところだと思います。 まだこういう理屈を付けると表記もこの観点の支配下におけるといる論説の試みは続いていますが、「無条件に違反する」となった場合との権威の差は歴然で、これを「ガイドラインは基準にならない」根拠に使うことはもはや難しく、その意味で「方針・ガイドライン」を軸に物事を進めるというWikipediaの王道に戻れたことはとてもよかったと思います。 しかし、まだ色々な議論が乱れ飛んで、先行きがどうなるかの見通しがつかない情況にあります。

さて、うろ覚えですが数学には「ある問題の解決が難しかったら問題を一般化しろ」というような内容の「格言(?)」があったように思います。 そこでここでも問題をWikupedia 全体に広げて、つぎのようなガイドラインを設けたらどうかと考えます。 それは

「ある言葉が同一内容の複数の表記をもつときは、特段の理由がなければ、広く使われている表記を用いて記述する。」

というもので、こういうものがあればWikipedia全般で実務的にかなり役立つ場面があるのではないかと考えます。  私は以前(Midz2009061811:23)「項目内で(表記を)揃えることは「ルール以前の暗黙の了解」」と書いて大分批判されました(白駒2009061822:00)が、その直後にその内容のガイドラインがすでにあることを教えて頂きました(Wikipedia:表記ガイド#その他)。 上記案の内容は私にとってはやはり「ルール以前の暗黙の了解」に思えますので、すでにWikipadia文書のどこかに書いてあるのではないかと思って捜しましたが、見つかりませんでした。 何方かご存知の方があればお教え頂けると幸いです。 大体 Wikipedia にはこの種の文章を書くときの心得といった文書がほとんどないのにちょっと意外感を持っています。

そこで皆様にお願いしますが、このようなガイドラインの存在がWikipedia全体に対し有益と思うか、それともむしろ有害だからない方がよいと考えるかを、まずは現在の「関数/函数」問題を離れて議論して下さい。 そして、もしも有益とお考えのときは、とくに「統一しない派」の方は現在の問題にこれを適用しない特段の理由として何を考えるかをお示し下さい。 この案の議論を通して少しでも解決の方向に議論が進むことを希望しています。 --Midz 2009年6月30日 (火) 04:21 (UTC)[返信]

"佐藤超函数"を用いず"佐藤の超関数"とする辺りを見ると「どちらか一方の表記に統一したり優先的な地位を与えることはWikipedia:中立的な観点に違反する。」のでは無いかと思えてくるのですが間違いでしょうか。現状でほぼ"関数"の表記で統一されているのであればそれで良いではありませんか。その上で置換のルールを決めれば"函数"を用いる人は少数なのですから概ねあなたの主張通りの状況が担保されるはずですよね。--重複太郎 2009年6月30日 (火) 04:54 (UTC)[返信]
佐藤の超関数に関するご質問はどういう意味で「中立的な観点に違反している」と言われているのか今ひとつ解らないのですが、事実を述べてご判断を待ちます。 これは白駒さんが用意して下さった「超関数」項目に、まず超関数という独特な演算方法や公式集を備えた便利な道具があって、その演算方法などの数学的正当性を証明するための手段として佐藤による超関数の表現とシュワルツによる超関数の表現の2つがあることを述べたので、その説明を補足するものとして項目名「佐藤の超関数」という表記になったものです。 如何でしょうか。
後半は「関数/函数」問題に関してはおおむねお説の通りです。 この「新」ガイドラインの話の趣旨はそれとは直接の関係はなく、文章にある通り、まさにWikipedia 本体の問題です。 私は「方針・ガイドライン」を軸に考える立場で今度の問題でもこれに応えるガイドラインを捜しましたが見つかりませんでした。 そこで上で提案したガイドラインが整備されれば、この種の問題に遭遇したときにまずはこれで考えてみて、しっくりしないときは「別段の理由」を考えるという2段階の思考を行えて大いに助けになると考えたわけです。 ですからこのガイドラインが本当に役立つかどうかを検討して頂けると有り難いと思います。 よろしくお願いします。 --Midz 2009年6月30日 (火) 08:29 (UTC)  [返信]
まず始めに、私は"関数"でも"函数"でもどちらでも良く、無理に何れかを排除する必要は無いと思っています。また数学の分野には明るくないので仮に"関数"で統一と言う結論になったとしてもさしたる不便は感じないでしょう。しかし、そのガイドライン案を適用した場合は何度も例に挙げた"大坂城"は"大阪城"と記述する必要が出てくると言うことになりませんか。固有名詞は除くとするならば(それでも"大阪"の"城"だから"大阪城"だと強弁できます)"函数"を含む固有名詞も対象外となるのではないですか。
そこで"佐藤超函数"ですが、これは固有名詞ですよね。佐藤幹夫_(数学者)にリンクのある京都大学数理解析研究所の広報文では普通に超函数と記述されていますし佐藤超函数入門と言う書籍もありますので"佐藤"と"超関数"をくっつけた場合は"佐藤超函数"とした方がより正しい(読者の助けになる)記述になるのでは無いかと思います。また"佐藤超関数"と"佐藤超函数"で、より一般的なのはどちらかと言う問題は"関数"と"函数"とは別に存在しているのでは無いでしょうか。"関数"と"函数"では"関数"が一般的だからと言って"○○関数"と"○○函数"でも絶えず"○○関数"が一般的とは言えないでしょう。仮に"○○函数"としか出典のない事象があった場合、それを解説する場合は当然"○○函数"と記述する必要がありますよね。そうした場合は表記を一致させる為にその項目では全て"函数"と記述するのですか。
また「ある言葉」の最小構成要素も議論の分かれる所となるでしょう("佐藤"の"超"な"関数"なのか"佐藤超函数"なのか)。さらに言えば「特段の理由」や「広く使われている」かどうかは誰が判定するのでしょう。「特段の理由」として議論の余地があるものは除くとなれば元の木阿弥で"函数"でも良い事になりませんか。それに「広く使われている」かどうかは時代によって変わりますよね。昔は○○と言っていた事象や物が今では□□と言っている事例を探すのは難しくないでしょう。それらが今後も「広く使われて」行くかどうかは誰にも解らないことです。そんな事をするまでもなく多くの利用者はその時々で広く用いられている語句や表現を用いるでしょう(因みに"使う"か"用いる"かも決めるのですか)。
最後に中立性についてですが、「違反」かどうかの判断は避けますが、上記の通り無理に無理を重ねている印象が拭えず、何が何でも"函数"を排除したいと考えておられるのだろうと判断しました。そうすると、その姿勢は中立的では無いと言えます。どう考えてもここで無理に無理を重ねるよりあなたが納得できる置換のルールを設ける方に動いた方が得だと思うのですが如何でしょう。
--重複太郎 2009年6月30日 (火) 11:25 (UTC)[返信]
お答えします。
まず最初に、誤解があるといけませんのでお断りしますが、「佐藤の超関数」という言葉は私の創作ではなく、執筆当時にこの主題を扱っていることを私が知っていた唯一の日本語文献「今井功『応用超関数論』(1981年)」で使われていたものを持ってきたものです。
  • 固有名詞ならば当然、その表記を使うべきで対象外です。 しかし、「佐藤超函数」が固有名詞かと訊かれると、ご説明の範囲では固有名詞とは考えられないとお答えすることになります。 ご主張から考えてご指摘の京大広報文には「佐藤超函数」と言う言葉が使ってあるのかと思って読んでみましたが、「超函数」はあっても「佐藤超函数」いう言葉は見当たりませんでした。 「佐藤超函数」という形で広報文の中で使われていればそれはある場所では固有名詞として扱われていることの現れであるかもしれず、さらに調べる必要があるでしょうが、「超函数」という言葉は日本に最初に超関数が紹介された訳本「シュワルツ『超函数の理論』」以来使われてきた普通名詞ですから、固有名詞ということにはなりません。 そして「佐藤超函数」が上記の本が書かれた1981年ころには固有名詞として流通していなかったことは確かですが、今でもおそらくそうだろうと思います。
  • それから私は「函数」を排除したいと思ったことは一度もありません。 ただどこかで「函数」よりは「関数」を推奨することを「公」にすれば、自然に「関数」に統一されていくだろうな、とは考えています。 ですから今回の「佐藤超函数」でも、何らかの証拠でその生みの親の佐藤教授が所属していた京大数理解析研で「佐藤超函数」を固有名詞として扱っていることが示されたら、佐藤教授に敬意をはらって項目名も「佐藤超函数」として、本文でも記述は「超函数」で統一するのがよかろう、と考えていました。 実際は上で述べたように、京大でも固有名詞と考えている節は窺えませんでしたが。
  • 後はなるべく手短かにお答えします。 「別段の理由」は、私はガイドラインをかなり重く考えていますから、それを実際にひっくり返そうとするとかなり強力な根拠を示さねばならず、かなり高い障壁になっていると思います。 それから「広く使われている」はもちろん現時点での話で、しっさいは「関数」と「函数」の場合のように誰も目にも明らかな場合が多いと考えています。 以上です。 少しはご理解頂けたでしょうか。--Midz 2009年7月1日 (水) 08:53 (UTC)[返信]
◆Google で条件を「佐藤超函数 site:kyoto-u.ac.jp」として検索した(同様に"佐藤の超関数"や"佐藤超関数"等でも他複数の大学のサイトと併せて検索してみました)結果をいくつか拝見した所、固有名詞として扱われているのでは無いか、また"佐藤超函数"の方が"佐藤の超関数"より一般的と言えるのでは無いかと思いましたが、数学の分野に明るいあなたがそうでは無いと仰るのであれば恐らくそうなのでしょう。先に述べた理由により自らは「広く使われている表記を用いて記述す」べきと主張しつつもより一般的ではない"佐藤の超関数"を敢えて用いたとするなら「中立的な観点に違反している」と言われても仕方がないのでは無いかと判断しました。恐らく"佐藤の超関数"との表記が京都大学等のウェブサイトであまり用いられていないだけで数学分野では"佐藤超函数"よりも広く用いられている記述なのでしょうから、私の判断が誤っていたのでしょう。
次に固有名詞ですが、これはあるグループの中にある同様のものの中から特定のものを区別する必要がある場合に用いる名称ですから、このケースに該当すると思ったのですが("大坂"の"城"との違いは何処でしょう)、"佐藤超関数"と言った場合でも一意の理論を指さないと理解すれば宜しいでしょうか。だとすれば大変申し訳ない。しかし固有名詞を対象外とするならば、ある事象の解説のために数式を複数例示してそれぞれを"甲函数"、"乙函数"と命名した場合は許される事になりますよね。
最後に"函数"を排除したいとは思わないとの事ですが、あなたの主張では"函数"を積極的に用いたいと考えている利用者との衝突は避けがたい以前述べさせて頂きましたが、ご覧頂けたでしょうか。その後のあなたの行動がこれですから、他人の言葉に耳を傾けること無く自らの理想を実現する事のみに注力していると解釈可能な状態です。これでは合意はむずかしいでしょう。他の方々の助言に従いまず"関数"と"函数"で起こりうる争いをどうするかを解決すべきです。
--重複太郎 2009年7月1日 (水) 11:14 (UTC)[返信]
◆反対します。
まず「私の『中立的な観点と表記』についての文章で否定されたことは大方の認めて頂けるところだと思います」というのがよくわかりません。重要な言質を取られる可能性があるような質問に対してMidzさんが回答しないなどの対話途絶があり、話が進展していないだけではないかと思います。
また「広く使われている表記」というのもあいまいであり、一部分野では主流の表記が他分野では主流とは言えない場合や術語としての記法と一般社会的記法が異なるなんていうのはごく普通にあるわけで(たとえば「毀損」「棄損」/「禁錮」「禁固」など)、「広く」が一般社会的誤用を推進する方向に機能する可能性も強いと考えます。
なんかこう。こちら側からの回答が困難な質問はネグり、別段議論が固まったものでもないものを固まったかのように表現して誘導を試みるなど、ちょっとなんだな、政治家と話をしているような気分になってきちゃいましたよ。それは問題解決をはかるための議論のやり方としては、かなり間違ってはいないか。--Nekosuki600 2009年6月30日 (火) 09:37 (UTC)[返信]
◆このガイドラインが本当に役立つかどうかを検討して頂けると有り難い、とのことですのでコメントします。「ある言葉が同一内容の複数の表記をもつとき」という意味が曖昧なので、このガイドラインは役立たないと思います。役立てたいなら、まずこの部分を明確にすべきです。「言葉」と「表記」の違いが明確ではないので、「ある言葉が複数の表記をもつ」というのが何をいわんとしているのかわかりません。たとえば、平仮名、片仮名、漢字、漢字の様々な字体、というのは「ある言葉が複数の表記をもつ」というのにぴったりだと思いますが、そういうことを意図しているのではないのではないかと想像します。もし、複数の表記がそれぞれ表意文字で行われていたとしたら、それは違う言葉なのでしょうか同じ言葉なのでしょうか、内容は同一なのでしょうか違うのでしょうか。揚げ足取りに思えるかもしれませんが、言葉を大切にするというのは、こういうレベルのことも当然含むと思います。--Jms 2009年6月30日 (火) 11:20 (UTC)[返信]
 コメント有難うございました。 確かに舌足らずでした。 私は同じ内容を表す、例えば「関数」と「函数」、あるいは「三平方の定理」と「ピタゴラスの定理」、というようなものを漠然と考えていました。 このように同じ内容ではあるがまったく異なった表記をどのように言い表したらいいか、考えて教えて頂けると幸いです。 私も考えますが。--Midz 2009年6月30日 (火) 12:06 (UTC)[返信]
(追加)それから多数の方からこのような有益なコメントを頂いて文案を修正し、よりよいものに仕上げていくのはまさにWikipedia ならではの利点で、とても有難く感じます。 これからもよろしくお願い申し上げます。 --Midz 2009年6月30日 (火) 13:02 (UTC)[返信]
「どのように言い表したらいいか、考えて教えて頂けると」と投げかけられても困惑しますが、もしそれを御所望なら、まず「複数の表記がそれぞれ表意文字で行われていたとしたら、それは違う言葉なのでしょうか同じ言葉なのでしょうか、内容は同一なのでしょうか違うのでしょうか」というのにお答えいただく必要があるかと思います。表意文字による語の対象の指示が、表音文字による語の対象の指示と同様に扱い得るかどうかという困難な主題を含んでいる問題ですので、前述の点についてお答えいただかないことには、何をおっしゃりたいのかがわからず、どの様に表現するのが良いのか考えようがありません。なお、「三平方の定理」と「ピタゴラスの定理」については、来歴について片野善一郎『数学用語と記号ものがたり』ISBN 4-7853-1533-4 に簡単な説明が、より詳しい説明が同著者の『数学用語の由来』ISBN4-18-543002-7 にあります。残念ながら後者は版元絶版の様です。--Jms 2009年6月30日 (火) 14:57 (UTC)[返信]
なんか形式名詞の「かな化」(例:この為→このため、~である事→~であること)のような「漢字で書くのがほとんど無意味で、本当に読み手に立っていることが明らか」なものと、表記で揺れがあるようなものを統一するといった「表記の揺れに意味のあるもの」の表記の統一と同一レベルで議論しようとしている方がいる限りいつまでたっても合意点は探れないと私は思います。分けて議論し、当然結論も別になることに同意いただけないと何をやっても無駄な気がしてきました。--Goki 2009年6月30日 (火) 13:10 (UTC)[返信]
それは問題の抽象化に失敗したと解釈すべきです。元の具体的な問題に戻せば関数/函数での編集合戦を防ぐための技術的な話になるでしょう。目には目を的な思想が問題解決の妨げになっているのではないでしょうか。--重複太郎 2009年7月1日 (水) 03:31 (UTC)[返信]
◆直接関係ない話なのですが、Midzさんの物の考え方があまり皆さんに受け入れられていないことを理解していただき、改めていただく助けになるかもしれないので少し述べさせてください。Midzさんは「まず超関数という独特な演算方法や公式集を備えた便利な道具があって、その演算方法などの数学的正当性を証明するための手段として佐藤による超関数の表現とシュワルツによる超関数の表現の2つがある」と述べられました。確かにその解釈もあるのでしょうが、私の解釈とはずいぶん異なります。私は、佐藤超関数には佐藤超関数の、シュワルツ超関数にはシュワルツ超関数の、それぞれ集合論的な定義による実体があり、それらがたまたま似通った、しかも物理学などで応用するのに役立つ性質を持っているので、その場の状況や好みに応じて道具として使い分けられる、というイメージを持っています。同じものに2つの表現があるのではなく、別のものが似たような性質を持っている、ということです。
これはこの場の話題に関係あることではありませんし、きっとどちらのイメージが正しくてどちらのイメージが間違っているという話ではありません。ですから、どちらが正しいかここで白黒つけようなどとは思いません。しかしここで指摘しておきたいのは、おそらくMidzさんにとっては唯一無二であるその超関数に対するイメージも、まったく異なるイメージを持っている他者が現にここに存在しているということです。これは超関数の話に限ったことではありません。表記に関することもそうです。Midzさんにとっては唯一無二の正解であっても、他の方から見ればまったくそんなことはないということもざらにあるわけです。
その辺、もうちょっと謙虚に受け止めていただけないかなぁ、と思います。私から言いたいのはそれだけです。表記に関するガイドライン案自体に対しては特に意見を述べません。--122.29.83.144 2009年6月30日 (火) 13:25 (UTC)[返信]
コメント有難うございました。 超関数項目に書いた私のイメージが唯一無二のものでないことは当然です。 もともとイメージは持つ人により異なるものです。 あの文章がそう受け止められる余地があるとのことで大いに反省しています。
あの文章は超関数を道具として使いたい人に、まずはこう考えればいいでしょうというイメージを伝えることを目的に書いたものです。 もちろん、シュワルツの超関数も佐藤の超関数もそれぞれの数学的実体ですから、数学を主体とするイメージも当然あるわけで、それらはそれぞれの独立項目に任せてあります。 そして超関数項目にはその方向のイメージの解説を書き加えて頂いて、私の書いた道具として使う立場からのイメージと併置することで、まさに中立的な観点が求めているよい記事が出来ると思います。 そしてそれがWikiprdia の趣旨によくあった行き方だと思いますので、どしどし手を加え、充実した記事にして下さい。
表記に関することでも、私は自分の説が唯一無二の正解だと主張したことはもちろん、そう考えたこともありません。 ただガイドラインを尊重するという立場から、その時に応じて「ガイドラインにはこう書いてありますよ」と指摘したりするだけです。 ただ最近は相手が最初から「表記ガイドは基準にならない」と断定したりするので話が難しくなるのですが。 これからもよろしくお見守り下さい。--Midz 2009年7月1日 (水) 01:58 (UTC) [返信]
◆Midzさんは注意深く回答することを避けておいでですが、今回のケースでは「ひとつのガイドラインを守ると別のガイドラインに抵触する」という面倒な状況になっていることはすでに指摘されております。Midzさんが「尊重しろ」と主張するガイドラインと、異なる結論を導くガイドラインとが存在しています。なぜMidzさんは異なる結論を導くガイドラインを無視し自らの結論にとって好ましいガイドラインのみを尊重しろと主張するのか、という疑問が提示されているわけです。
ここで「自分はガイドラインを尊重しろと言っているだけだ」「相手が最初から『表記ガイドは基準にならない』と断定したりするので話が難しくなる」と述べるのは、議論の歪曲にほかならないものと、わたくしは考えます。--Nekosuki600 2009年7月1日 (水) 09:57 (UTC)[返信]
またしても具体的に何を指すのか分からない主張で困惑しますが、それがJms200906231455の「「函数」が「正式名」なのに」という議論を指すのであれば、そうは言えない所以をすでに説明してあります。 もし本当に学界で正式名と認められている用語が学術用語集の記載と異なっているなど、ガイドライン間に矛盾があることを示す例が見つかれば、またその時考えればよいことです。 --Midz 2009年7月2日 (木) 04:27 (UTC)[返信]
「そうは言えない所以をすでに説明してあります」というのが20090624T0301Zの編集のことならば、説明になっていないと思います。当用漢字がなぜ導入されたか、という社会的背景を含めて考えれば、正統という意味での正式表記が「函数」であることに疑いの余地はないでしょう。「函数」の由来とその日本語文献での受容と、「関数」という表記の発生については関数 (数学)の脚注にまとめてありますので、改めて説明することはしません。大学レベル以上の書籍でいつごろ「関数」という語を確認できるか、というのも既に資料を挙げて述べました。何が正式名称か、ということと、何が広く使われているか、というのはまったく別だというのは、日本放送協会を引き合いに出しているのでご理解いただけると思います。--Jms 2009年7月2日 (木) 07:31 (UTC) 一部修正 --Jms 2009年7月2日 (木) 14:55 (UTC)[返信]
うーん。これは意図的な韜晦の術なのだろうか、それとも真性にわかっていないのだろうか。当初は韜晦の術なのだろうと思っていたのですが、そろそろどちらなのだかわからなくなってきた。--Nekosuki600 2009年7月2日 (木) 10:41 (UTC)[返信]
なかなか解ろうとして下さらないJms さんにどう説明したらよいか、そもそもガイドラインでいう「正式な名称」とは何かと考えて「記事名の付け方#正式な名称」を読み返してみて、今までの議論はみなガイドラインを読み違えていたために起こったことに気が付きました。 もちろん、私自身もうっかりしていたので同罪ですが。
それは「正式な名称」とは関係する団体とか法律とかが正式に命名した名称を指すので、一般の普通名詞の表記とはまったく別の話だということです。 一般に団体名などは多くの場合、正式な名称のほかに、略称、別名、別表記などを持ちます。 そして「記事名の付け方」がここで求めているのは記事名として略称などは使わず、定められている「正式な名称」を使うということ、したがって記事名としては「NHK」ではなく「日本放送協会」を、「日比谷高校」ではなく「東京都立日比谷高等学校」を用いてほしい、ということだけです。
「関数/函数」という名称は何処かで定められたというものではありませんので、ここにいう「正式の名称」とは無関係な存在です。 ですからガイドライン間の矛盾は、この件に関してはまったくありません。 ご了解頂ければ幸いです。 --Midz 2009年7月3日 (金) 01:59 (UTC)[返信]
記事名の付け方#正式な名称」には用語の定義がなされていないのでそのような解釈をすることも可能ではありますが、一方で「記事名の付け方#漢字を適切に使うこと」には「固有名詞のほか、正式名称あるいは慣例で常用漢字外の字や字体が用いられる場合には、JIS X 0208にある文字の範囲で記事名に使用しても構いません」という記述があります。「正式な名称」が固有名詞のみに適用されるとするならここでいう固有名詞に含まれない正式名称というのはどのようなものを指しているのでしょうか。
このガイドラインが記事名の付け方について記していることを考えると記事名になりうる語なら固有名詞に限らず適用されると考えるほうが適当だと思います。--125.1.110.165 2009年7月3日 (金) 09:05 (UTC)[返信]
もちろん固有名詞にかぎりません。 固有名詞でない例としては、おなじく「記事名の付け方#正式な名称」にあるワンセグのノートページが参考になると思います。 --Midz 2009年7月3日 (金) 09:56 (UTC) --Midz 2009年7月3日 (金) 12:25 (UTC)(前書きを追加)[返信]
なんで当該項目が「固有名詞を対象にした規定」であるとお考えになったのかわかんないなあ、「ワンセグ」も事例にあがってるということは固有名詞に限らないという意味を内包しているだろうに、と思いましたが。なんか破綻していませんか。--Nekosuki600 2009年7月3日 (金) 10:15 (UTC)[返信]
固有名詞、と考えるのは Midz さんの文脈では妥当ではないと思います。誰か命名権を有する者が存在して、それが命名するとき、かつその時に限り、それは正式名称なのだ、という主張だと理解すれば整合します。問題は、じゃあ「hyperfunction」と言ったのは誰、とか、function に「函数」をあてたのはだれ、ということになったときに、とても難しい主張になるということではないかと (本当はいわゆる後期ウィトゲンシュタインあたりになるともっと難しい気がしますが、それは応用問題ということで)。そうした考え方が、「正書法」という観念とどう整合するのだろうか、という疑問は持っています。で、それはサテオキ。Wikipedia:記事名の付け方#正式な名称の解釈はそのノートで問うていただくこととして、この議論を続ける必要があるのでしょうか、もし元の提案が取り下げられるならば、議論してもしかたないと思うのですが。--Jms 2009年7月3日 (金) 10:27 (UTC)[返信]
うーん。続ける価値があるかどうか。
別にこう、アメリカ合衆国の陪審員制みたいに満場一致になるまで待つ必要もないわけだしなあ。とりあえずこう「どちらかに統一する、という意見は合意を形成できなかった」ということで、結果「どっちで書いてもいい」を結論としちゃっていいような気がしますが。取り下げがなくても、まあこんだけ長い議論をやったわけだし、今後類似のトラブルが起きたらこのページを紹介して「少なくともどっちかでなければならない、という話はない」と説明しちゃっていいような気がします。--Nekosuki600 2009年7月3日 (金) 11:31 (UTC)[返信]
なるほど。当初示されていた事例が固有名詞のみだったので勘違いした部分があったようです。しかし命名権者による命名のみを正式名称と定義する場合、事例に挙げられている「ワンセグ」のノートでは(ここで定義した意味での)正式名称について十分な検証が行われているとは言えません。(誰が命名したのかなどは不明です)
また、これとは別に「記事名になりうる語なら(固有名詞に限らず)適用される」という私の提案についても御一考いただければと思います。--125.1.110.165 2009年7月3日 (金) 12:37 (UTC)[返信]
もともとこの話は Nekosuki600さんがガイドライン同士で矛盾する例がある、といわれたところから始まって、それは片方のガイドラインの読み違いが原因なので、ただしく読めば問題はまったくないことを私が示したものです。 本来そこで終ってよかったのですが、話がまた迷走していったもので、何が問題かもはっきりしない議論は続けても仕方ないと思います。 上のNekosuki600さんのおかしな「結論」にははっきり不同意を表明して、私は議論をうち切ります。--Midz 2009年7月3日 (金) 12:25 (UTC)[返信]
結局これでは言いっぱなしで逃げ切っただけですね。こんな手口はやらせたの誰なんだか…。--Goki 2009年7月3日 (金) 12:41 (UTC)[返信]
初心者ゆえにいろいろ手間取ってしまい、投稿がMidz氏の議論打ち切り宣言の後になってしまったことをお詫びします。なお、「正式な名称」についてここでの「函数/関数」の議論とは無関係という主張について、一貫して不同意である旨を表明し、議論の打ち切りに同意します。(合意形成がなされたとは解釈しないでください)--125.1.110.165 2009年7月3日 (金) 12:53 (UTC)[返信]
◆Midzさんへ。この提案はいったん撤回し、コンセプトを練り直した上で、やはりほかの利用者からの意見を募りたいということであれば改めて井戸端かほかの適切な場所で提示したほうがよいと思います。とりあえず理由をまとめておきます。
  • このページの議論(時間も文量もたくさん費やされました)の成果をより広くのケースに還元したいということなら、
    • まずここでどんな対立点があったのか、それぞれの立場における根拠として何が持ち出され、どれが妥当でどれは妥当でなかったのかを振り返るべきです。
    • その上で、「関数」vs「函数」の場合に限らない普遍的な含意は導かれるか、それは何かをはっきりとさせるべきです。
  • 何か新たなガイドラインを作るならば、それがどんな場合のどんな問題に対処するものなのか文脈を明確にするべきです。
    • 「特別な場合を除き(〜〜ここになにか常識論を入れる〜〜)」という形式のガイドラインをいきなり作る意義などないです。もしそれが本当に当たり前のことなら、わざわざ明文化しなくても物事はその通りに進んでいくはずです。ぎゃくに、実はそれが当たり前でなかったとしたら、結局は他の人がそのガイドラインを変更・撤廃を発議するでしょう。ガイドラインというのは、何かの問題について議論が交わされ、非自明な合意がなされたときに初めて、将来における同様の議論を省略するためにおかれるべきです。
  • ガイドラインを提案・検討する際はウィキペディアの各原則に十分な注意を払うべきです。
    • 6月27日 (土) 12:04 (UTC)のMidzさんのコメントを読んだとき、そこに書かれてあることが本当でMidzさんが、ぼくの6月23日 (火) 19:05 (UTC)のコメント以前にはWP:NPOVを読んだことがなかったのだとしたら空恐ろしいことだと思いました。個別のガイドラインについてどうのこうの言う前にWikipedia:5本の柱からリンクされている各文書を理解してください。
「「表記は原則として「関数」を用いる」公示を提案」、「中立的な観点という論点」およびこの節における提案はそれぞれ過去の議論を甚だしく軽視しており、もはやご自分のされていることが議事妨害こちらも)に限りなく近いということに気がついてほしいです。Nekosuki600さんも指摘されているけれど、Midzさんの『中立的な観点と表記』についての文章はいくつかの具体例を含んだ反論を受けました。それらに対してMidzさんは反応を示していないし、それにも関わらず
〜は中立的な観点に違反する。」は私の「中立的な観点と表記」についての文章で否定された
と主張するのはきわめて不誠実な言いっぱなしのやり方だと思います。少し厳しいことを書きましたが、これもすべてMidzさんならばこれらを理解してより有意義な活動につなげるだけの力をお持ちだろうと見込んでのことです。ぜひ、ここでの経験を将来の糧にできるようがんばってください。--Makotoy 2009年6月30日 (火) 23:19 (UTC)[返信]
まず最初に、他にいくつも私へのコメントが重なり、それへの回答を書いていたため、Makotoy さんへのご返事が遅れたことをお詫びします。
この提案は、たとえば「表記」という言葉は表す内容が豊富すぎて混乱をもたらすとのご指摘をいただいて「用語」の方がいいかなと考えるなど、それなりの収穫はありましたが、私の目指した基本的考え方については予期した効果をあげられそうもなく、議論がだらだら続くのであれば場所ふさぎで周囲に迷惑でしょうから、確かにいったんは撤回した方がよさそうです。 まあ、それは後回しにして、ここではまずMakotoy さんのまとめられた理由について意見を述べ、私の提案文についての説明を補足しておきます。
まず「このページの議論の成果をより広くのケースに還元したいと言うことなら」というのは私の発想とちょうど逆です。 今の議論があまりに「関数/函数」問題の過去のしがらみに手足を取られていますので、「格言」に従って「関数/函数」問題にこだわらずにWikipedia 全体を考えた方が却って問題の本質がよく見えて問題解決の近道ではないかと考えて出した提案です。 しかし、現実はその「このようなガイドラインの存在がWikipedia全体に対し有益と考えるか、有害と考えるか」という問いかけに対しても高い視点からの議論をほとんど頂けませんでしたので、それなら従来の議論と変わらず、場所ふさぎになるだけなので、撤回した方がよいかなと考えた次第です。 
「特段の理由がなければ」についてはすぐ後で述べます。
「Wikipediaの各原則に十分な注意を払うべきです」は当然です。 ただWikipedia の各原則は別に常識とかけ離れた特別のことを言っているわけではないので、いちいちすべてのWikipedia 文書を読んでそれと照らし合わさなくても常識で判断したものは大概大丈夫です。 たとえば以前に私は「項目内では表記を揃える」を「ルール以前の暗黙の了解」と言って叱られましたが、その直後に同じ趣旨の文章が「表記ガイド」にあることを教わりました。「中立的な観点」でも私が読んでいなかったのは確かですが、実際に読んでみて、私が常識に基づいて考えていたとおり、それが内容だけに関するもので表記には触れていないことを確かめることが出来ました。 このガイドライン提案でもその内容は私にとって「ルール以前の常識」の感じがありますので、出す前に全てのWikipedia 文書と照合しなくても、違反があれば指摘して頂いて改めて考えることでよかろうと考えて出しました。 ご了解下さい。
それから、提案文についていまさら説明しても仕方ないかもしれませんが、それを通して私の考えをご理解いただくために、少し説明を加えます。
  •  まず「特段の理由がなければ」ですが、『「特段の理由」として議論のあるものは除くとなれば元の黙阿弥で、何の制限にもならない』と論じる方もいます.。 しかし私はガイドラインはかなり重い規定だと思っていますから、それを覆すとなると人を納得させるかなり強力な理由を示さねばならず、かなり高い障壁になっていると思います。
  •  それから「広く使われている」も実際の場面では「関数/函数」の場合のようにだれの目にも明らかなことが多いので、あまり問題はないと考えています。 実際に使用状態が拮抗している場合は、このガイドラインを機械的に当てはめることは止めて、別途議論を尽くすのがよいでしょう。
以上です。 なお、Makotoy さんが最後にふれておられる「中立的な観点」関係の話は、私がどうしてそう書いたかをすぐ次に述べますので、読んで下さい。 --Midz 2009年7月2日 (木) 04:53 (UTC)[返信]
◆"元の黙阿弥"とは私が常により一般的では無い方の表記を好むとの印象操作ですか。文意を捻ってまで自分を正当化したいのでしょうか。他人の言を自分の都合の良い風にしか解さないその姿勢と併せて、抗議の意を表しておきます。--重複太郎 2009年7月2日 (木) 11:19 (UTC)[返信]
◆「元の黙阿弥」と書いている時点で何もわかっていないことがよーくわかりました。--Goki 2009年7月2日 (木) 11:58 (UTC)[返信]
それではお約束に従って「・・・は中立的な観点に違反する」は「中立的な観点と表記」についての文章で否定された」を導いた私の観察と論理を説明します。 これは私の文章が出て以来の論議をみれば誰でも解ることだからと、あそこでは結論だけ述べたのですが、納得していただけないようなので、詳しく述べる次第です。
私の文章が出て間もなくMakotoy さんが反応を示され、「僕は中立性だけをウィキぺディアの原則としてとりあげて、「関数/函数」を統一しない根拠としたことはないです。」と述べておられます。 これは Makotoyさんが私の文章から、単純には「中立的な観点」が表記を対象にすることは出来ないことを認識された証拠だと判断します。  そしてこの認識は「統一しない派」の人々に共有されたと見えて、それらの人々によって何とか表記を中立的な観点の対象にすることが出来ないかの探求が始まりました。 そしてまず最初に字面だとかロンドンデリーの話で一般的に表記の差が内容・思想の差にかかわる可能性が論じられ、いよいよ本命として segreiさんにより「学術用語集・数学編」制定時の「関数/函数」と数学者と文部省との「対立」が持ち出されました。 つまり、「関数」を用いるのは文部省寄りの立場の人々で、「函数」を用いるのは数学の伝統を重んじる人々であるから、「関数」と「函数」との選択は「文部省寄りの立場」をとるか「数学の伝統を重んじる立場」をとるかの政治的選択の問題であり、「中立的な観点」の対象となりうる、というわけです。 しかし、さすがにこの論理は何人かの人々から反発をうけ、議論が紛糾してきました。 議論のなかでも出てきましたが、今から50年前の学術用語集制定当時ならいざしらず、これだけ「関数」が広く流通している現在において、「関数」を使用することは「数学伝統派」と「文部省寄り派」という対立の一方に(無自覚のうちに)荷担することになる、という議論はあまりにも現実離れして見えます。 現在では当の数学界でも「函数」使用は小数派であり、さらに「現実の数学界では、それほど深刻な論争になっていない」と白駒さんが述べられておられる通りで、「中立的な観点」の介入を必要とするような「関数」と「函数」の「対立」は現実には存在しません。 こうして上述の議論も次第に「表記が中立的な観点の対象になるか」から離れて「統一」派と「統一しない」派の従来の論争に移っていきました。
以上が私の認識です。 「統一しない」派の人々が、「中立的な観点」は単純には表記の問題に適用できないとの認識のもとで、なんとか内容を関連させて対象にできることを示せないかを試みて、結局人を納得させる議論を提示出来ずに尻窄みに終ったことで、適用できないことが確定したと考えました。 そこで私は「中立的な観点に違反する」は「否定された」と書いたのです。 いかがでしょうか。 --Midz 2009年7月3日 (金) 00:36 (UTC)[返信]
あなたが出した二つの提案を撤回する意思表示と善意に取りました。しかし、あなたの提案には当初から無理や矛盾があると指摘が出ていたにも拘わらず、それらを無視し他の方々の貴重な時間を浪費させる結果となった事について一言あっても良いのではないでしょうか。--重複太郎 2009年7月3日 (金) 04:02 (UTC)[返信]
Makotoy氏が「ぼくは中立性だけをウィキペディアの原則としてとりあげて、「関数/函数」を統一しない根拠としたことはないです」と発言されているのは、Midz氏の「「中立的な観点」は「統一する必要はない」意見のもっとも有力な根拠となっていますが」という発言に対する反論にすぎません。このことから「中立的な観点」が表記を対象にすることは出来ないことを認識された証拠だと判断することなど到底できません。無論誤った認識から出発した論理が正しい結論に帰結するはずもありません。--125.1.110.165 2009年7月3日 (金) 09:05 (UTC)[返信]
もしもその認識がなかったとすれば、なぜ皆さんが「その解釈は誤っている」という反論をすることなしに、何とか内容と結びつけて中立性の観点の対象と出来ることを示そうと大変な努力をなさったのかの説明がつきません。 やはり認識があったことは確かだと思います。--Midz 2009年7月3日 (金) 10:46 (UTC)[返信]
私は中身のない長文を読むのがウザイから無視していました(半分本気)。大変な努力って誰がですか?「その解釈は誤っている」とか言い出すと誰かさんの技じゃないけどずーーっと言いっぱなしもできるし。(常に「その解釈は誤っている」って返せばいいんだから。)--Goki 2009年7月3日 (金) 11:14 (UTC)[返信]
Midz氏の論法については複数の方が反論されています。また、Midz氏の解釈が誤っているという指摘が今までなされていなかった、というのは何かの御冗談でしょうか。少なくとも私が「誤っている」と指摘したMidz氏の解釈は今日初めて公にされました。過去にこれを指摘することは、予断や推測といった独自判断を抜きにしては不可能です。このことから「認識があったことは確かだ」との解釈が誤りであると指摘します。--125.1.110.165 2009年7月3日 (金) 13:43 (UTC)[返信]
◆もうこれ以上ここにコメントするのはリソースの無駄だと思って控えていたのですが、私が反応しないことを根拠に「否定された」などと勝手に認識されても困るので簡単に反論しておきます。
Midzさんの2009年6月27日 (土) 12:04 (UTC) のコメントに対しては私の2009年6月27日 (土) 13:38 (UTC) のコメント及びNekosuki600さんの2009年6月27日 (土) 14:23 (UTC) のコメントで反論されています。そして、この二つのコメントに対する有効な再反論はありません。Kamogawa06さん及び同一人物と思われるIPユーザーの反論は、表記の選択の問題がWikipedia:中立的な観点の適用範囲であるという一般論に正面から反駁するものではなく、専ら関数/函数問題に関する点についてだけ述べられたものです。しかもその内容は「『関数』という表記を用いても、だれも文科省よりの人間だと思う人はいない」とする一方で「政治的な意図で函数表記を使っているならば、中立的立場からの記述とは言いがたい」という、論理的一貫性のない偏った立場からの主張であることも付け加えておきます。
「『中立的な観点』は単純には表記の問題に適用できない」などとは全くあり得ないことです。Midzさんはナザレのイエスにおいて解説されている人物に対する日本語での最も一般的な呼称は「イエス・キリスト」なので、正教会関連の項目で「イイスス・ハリストス」という表記を用いたりイスラーム関連の項目で「イーサー」の表記を用いたりするのは罷りならん、史的イエスは「史的イエス・キリスト」に改名しろ、とでも主張するつもりなのでしょうか。非常識なのもいい加減にして下さい。--sergei 2009年7月11日 (土) 16:13 (UTC)[返信]

表記ガイド改訂情報

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「表記ガイド#学術用語」

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その改定について現在異議が出ている段階です。この時点で上記のような表現で案内するのはとても卑怯だと思います。--Goki 2009年6月30日 (火) 23:42 (UTC)[返信]
事実と意見を区別していますので問題はないと考えます。--みや1229 2009年7月1日 (水) 10:21 (UTC)[返信]
そう主張なさるなら、「提案に賛意を寄せたユーザは皆この井戸端の参加者ですが」の、「が」について合理的説明をお願いします。「提案に賛意を寄せたユーザは皆この井戸端の参加者です」は事実ですし、「本問題のような複数の表記がある用語の併用を一般に認める内容だと思います」はみや1229さんの意見ですが、それをつなぐ「が」は意見でしょうか事実でしょうか。「区別してい」るのなら、接続の「が」も事実か意見かのいずれか一方でしょう。--Jms 2009年7月1日 (水) 10:48 (UTC)[返信]
Jms氏のご意見の「提案に賛意を寄せたユーザは皆この井戸端の参加者です」は事実ですし、「本問題のような複数の表記がある用語の併用を一般に認める内容だと思います」はみや1229さんの意見ですが、それをつなぐ「が」は意見でしょうか事実でしょうか。の「みや1229さんの意見です”が”」の「が」と同じです。重箱の隅をつつくようなことはやめましょう。--みや1229 2009年7月1日 (水) 11:20 (UTC)[返信]
私の用いた「が」は、事実についての記述と事実についての記述を対比させる複文を受けて、問いを導くための接続であって、事実を述べた文と感想を述べた文の接続とは意味づけが異なります。重箱の隅だとお考えなら、印象操作という自覚をお持ちでないと解釈せざるを得ませんが、それでよろしいでしょうか。--Jms 2009年7月1日 (水) 11:30 (UTC)[返信]
「が」は接続詞ですから意見でしょうか事実でしょうかと問われても答えようがありません。苦肉の策であのように答えました。問いにも問題があるとはいえ真摯にお答えしなかったことをお許しください。ただ、事実と意見をつなぐ接続詞ですからそれらを明確に区別できていることになりコメントには特段の問題はないことになります。なお、これ以上続くようでしたらノートに移動させたいと思います。--みや1229 2009年7月3日 (金) 22:57 (UTC)[返信]

「表記ガイド#その他」

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「表記ガイド#その他」の原状回復提案

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  • 上記「表記ガイド#その他」の改訂は、私達の知らない間に提案され、隠密裡に進められて宣言されたものなので、そのプロセスを不当として原状回復を提案しました。 みなさまこぞって「Wikipedia‐ノート:表記ガイド」へ行って賛否・ご意見をお寄せ下さい --Midz 2009年7月8日 (水) 04:24 (UTC)[返信]
    • 何ですかこの印象操作は。「隠密裡に進められて宣言され」って何やねん。著しく不当な表現なので今すぐ取り消しなさい。--Goki 2009年7月8日 (水) 04:50 (UTC)[返信]
    • 取り消す前に、公衆送信可能な隠密裡進行というのをどうやるのか、くわしく教えてください。--Jms 2009年7月8日 (水) 11:44 (UTC)[返信]
    • 同様一通。そんな方法があればいろいろ使い道がありそうです。おれも是非、その術に熟達したいと思いますので、ご教示いただけると幸いです。--Nekosuki600 2009年7月8日 (水) 12:29 (UTC)[返信]
    • 「私達の知らない間に提案され、」の「私達」というのは誰のことですか。私は改定が提案されて実行されるまでの間に気付き、事態の推移を見守っておりました。御自身が気付かなかったという事実は、正しく「私の知らない間に提案され、」と表現してください。--125.1.110.165 2009年7月8日 (水) 14:20 (UTC)[返信]
    • 僕は途中から知っていましたが審議期限を宣言していないし、またその時は賛同者は誰もいなかったため突然審議を打ち切るとは予想していませんでした。これが許されるならこっそりノートに書いて1週間待てばどんな改訂もできることになる。--みや1229 2009年7月8日 (水) 14:37 (UTC)[返信]

将来、統一すべきであるが、今は前提条件が整っていないため、統一すべきでない

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私は、将来、統一すべきであるが、今は前提条件が整っていないため、統一すべきでないと思います。 理由は、3つあります。

  1. WPは百科事典であること。
  2. WPはオンライン百科事典であること。
  3. WPは無国籍(国籍が曖昧)な百科事典であること。
  • 1は、百科事典は利用者のために作られており、雑多な文の集まりではなく、執筆者の主義主張は極力排除されるべきということです。そして利用者は、百科事典で物事を調べようとする素人だけではなく、それを紙に印刷し出版しようとする編集者も含まれることを忘れてはいけません。紙に印刷するときは物理的な制約が生まれ、オンラインでは些細に思える情報量も紙では、多過ぎることがあります。例えば、字の揺れを引けるようにした場合、その語を含む語の索引を全て印刷せねばならず、事は「関数」だけに止まらないので、索引のページ数が大幅に増えてしまいます。索引だけなら良いですが、項目内でバラバラであれば、索引に揺れを含めないとしたときに、記事全部を書き直さなければならず、引用などで自動変換できないことを考えれば、手間は計り知れません。
  • 2は、オンラインとオフラインでは、物理的な制約以外に技術的な制約から、編集手順が全く異なるため、1を行う前提条件を満たしていないということです。オフラインでは、ルール作り->執筆->ルール作り->推敲->出版のような流れで、WPでは、執筆->出版->ルール作り->推敲->出版->(繰り返し)のような流れだと思います。ルール作りの前に出版が行われてしまうこの手順こそが、この論争を含むWPの多くの論争の火種になっていると思います。この手順を改めるには、システムそのものを変え、場合によってはWikiではないシステムに置き換えることが必要です。例えば、1年に1回「出版」することとし、最初の執筆は原稿、情報源扱いにして、作業内容によって、書き込む場所を制限するシステムであれば、オフラインの百科事典と同じ条件になります。
  • 3は、WPの日本語版は、日本語の定義が曖昧なので、「関数」「函数」がそもそも日本語なのかという、前提条件すら整っていないということです。例えば、「2000年1月1日時点で日本国で一般的にもっとも多く使われた語」とした場合でも、2000年から時間が経ってしまったらどうするのかとか、いつの時点でそれを調査するのかとか、誰がそれを調査し判断するのかとか、何を調査対象にするのかとか、多くとはどれくらいのことなのかとか、曖昧なことが多過ぎます。ただし、これについては、「原則として、執筆時から過去10年以内に日本国で出版された百科事典に倣う」みたいなもので、対応できると思います。万が一、日本国で言論の自由が損なわれたら、基準を改めれば十分だと思うからです。

私は、これを考えるにあたって、とにかく「WPは百科事典」を重視しました。百科事典であれば、他の百科事典に倣えば、大抵の問題は解決できると考えました。そして、WPがどんな百科事典であり、オフライン百科事典とどう異なっているかに、改めて気付きました。その異なっている部分こそが、問題の原因であると考えます。この意見を具体的なルールとして書くとすれば、「統一は目指されるべきであるが、現行の編集手順の制約から、統一のためだけの編集は行われてはならない。また、リダイレクトは、これに含まれない。」というところだと思います。--221.28.158.5 2009年7月7日 (火) 05:03 (UTC)[返信]

「統一は目指されるべきである」について、「大筋」では賛成しますが例外がありますよね。たとえば、あえて複数の表記に言及が必要な場合とか。単に「統一は目指されるべきである」だと機械的な輩を排除したい私としては同意できかねるのです。--Goki 2009年7月7日 (火) 07:45 (UTC)[返信]
ルールの書き方に異論はあるが、意見には概ね同意いただけたと理解しました。ルールの文は、もっと広い枠組みでも考えられると思いますので、ここで決めるということではなく、参考程度とさせてください。--221.28.158.5 2009年7月7日 (火) 09:27 (UTC)[返信]
◆微妙だなあ。うーん。
このあたりは「Wikiというものをどう理解するか」とか「紙媒体などの特性をどう把握するか」といったかなり高度にメタな話になってしまうように思う。そしてそのあたりについては、Wikipedia内部にとどまらず現状ほとんど認識がまとめられていません。
たとえばWikipediaをソースとしてその精錬作業を行い「2015年度DVD版Wikipedia」なんてものをリリースしようとかいう時には一度議論をしなくちゃいけない話かもしれませんし、そういう「固定化作業」の際には統一をはかることができるかもしれません(できないかもしれませんが)。しかし「日々変貌を続けることを運命づけられているネットワーク上に存在するWikipedia」に限って言えば、将来にも「統一すべき日」が来るかどうかはなんとも言えないのではないかという気がします。別の方法としては、WikipediaはどうせGFDLなんだし、早急に統一したい方々はフィルタでも開発して「用語の統一をはかったWikipediaのセミクローンサイト」を作るとかっていう手もあるような気がする(それがどういう意味を持つか、どの程度の影響力を持つか、それを考えると誰もやる気がしないだろうけれども)。
おれとしては、「Wikipediaはどういう状況を目指すべきなのか」について思うところがありますが、現状その手の議論や確認作業はほとんどor全く行われていないし、合意の形成が可能かどうかについてもよくわかりません。まずはそこらへんをかたづけないことには、「将来は統一すべき」とも「未来永劫複数の表記を容認すべし」とも言えないなあという感覚です。--Nekosuki600 2009年7月8日 (水) 15:26 (UTC)[返信]
ご意見ありがとうございます。未来のことを決定事項のようにルールとして含めるのには異論があるが、統一すべきでない理由については、概ね同意頂けたと理解しました。「百科事典としては、統一されるべきであるが、WPでは前提条件が整っていないため、統一すべきでない」というところでしょうか。システムを変えるつもりが無ければ、将来は否定されるでしょうし、恐らく他のサイトに取って代わるでしょう。誰もやらなければ、私が作りたいくらいですから。
フィルターによるクローンは、非現実的だと思います。文を解釈できるフィルターは、全ての分野の知識を持った高度な知能だけです。統一してあれば、「函数」表記に拘ったクローンを作るのも容易です。引用以外を機械的に置換して、文字への言及だけ直せば済みます。恐らく、プログラムを作る労力や技術が、犬小屋と軌道エレベーターくらい違います。--221.28.158.5 2009年7月8日 (水) 18:32 (UTC)[返信]
早急になんとかしようという話でない限り、同意があったかどうか、合意が形成されたかどうかは、どうでもいいというかこだわるべきではないポイントであると考えます。また、「百科事典としては統一されるべき」であるかどうかについて、おれは意見を表明していません(それ以前に「百科事典とはなにか」という争点についてなんら合意がない、ということを確認したつもりなのですが)。
フィルタによるクローンは、現実的解法のひとつとして例示しました。「なにもしないでデッドコピー」をデフォルトとした上で、「なにがどうあれ譲れないもの」についてのみ書き換えればいいのですし、そのあたりは「フィルタによる検出→人力置き換え」でも十分に機能するでしょう。問題なのは「なにがどうあれ譲れないもの」が人の数だけあるだろうこと、結果としてそういうサイトを作ったとしてもそのサイトが影響力を持つにいたるかどうかは内容とは無関係な戦略論と運命に依存してしまうこと、あたりです。
結果としてまともに思考すれば同じ論点に戻ってくることになると思うのですが、「同じ論点に戻って来ざるを得ない」ということが理解できるひとは苦笑することこそあれそこで対立することはなかろうと思うので、まあそこらへでよろしいのではなかろうかと思います。百科全書派の思想の現代的表象がパワーゲームになる必要性は、必ずしもないだろうと思うのです。--Nekosuki600 2009年7月9日 (木) 14:32 (UTC)[返信]
百科事典とは何かから、異論があるので、統一すべきでないという結論にのみ同意頂け、百科事典とは何かについては、この場では議論頂けないと理解しました。
「なにがどうあれ譲れないもの」は、人の数だけあるのですから、広範囲に及ぶこともあり、それは一人でできない量ともなります。したがって、人力置き換えは、十分機能しません。世界でたった一人の「譲れないもの」であったときには、百科事典を作れないことになります。--221.28.158.137 2009年7月10日 (金) 14:39 (UTC)[返信]
◇全く逆の考え方ですね。
理想的な状態とは統一に限らず表記に関する一切の規制が撤廃されることだと考えます。たとえば、完全かつ理想的な表現力を持つ執筆者の書いた記事を完全かつ理想的な管理能力を持つシステムで管理し、これを完全かつ理想的な読解力を持つ読者が読み解くとき、表記を統一する必要性など全くないとはずです。しかしそのような理想的な状態を実現することは極めて困難(はっきり不可能と断言してよいくらい)なので、ある意味妥協として統一などのルール作りが行われるのだと思います。
このように考えると紙媒体の百科事典並の制約をそのままWikipediaに課す必然性は全くないと考えます。
また将来についても情報通信技術の一層の進歩により制約はさらに緩められていくと考えます。--125.1.110.165 2009年7月8日 (水) 16:24 (UTC)[返信]
「理想的」「表記」「完全」が抽象的で、よくわからなかったのですが、記述スタイルの自由が保障されるべきと理解しました。であれば、それは保障されません。何故ならば、共同作業において、全員の意見が一致するとは限らないためです。一方で自分の国やISPが言論の自由を許していれば、自分の記述スタイルで別の百科事典を書くことができます。その百科事典には、WPのデータを自由に使えるのです。WPはデータを自由に使いやすくするために、多様性や個性をできるだけ排除しておくべきだと思います。それと、事は紙だけのことではなく、別のオンライン百科事典を作るときにも関係する重要なメリットだと思います。秩序ある状態から混沌とした状態にするのは簡単ですが、混沌とした状態から秩序を取り戻すのは難しいのです。--221.28.158.5 2009年7月8日 (水) 19:56 (UTC)[返信]
「記述スタイルの自由が保障されるべき」と主張しているわけではありません。それは理想ではあるが同時に非現実的だと言っているのです。だからこそ様々な制約が存在しているのだと考えているのです。要するに、「本来統一されないべきであるが、前提条件が実現困難なため、ある程度の統一は容認せざるを得ない」ということです。--125.1.110.165 2009年7月8日 (水) 22:59 (UTC)[返信]
言い直すのが難しいですが、先に法があるか、無法があるかの違いということだと理解しました。ですが、「WPは百科事典である」は明らかに法だと思います。とするならば、WPにおいての最初の法から出発するべきではないでしょうか。--221.28.158.5 2009年7月9日 (木) 13:58 (UTC)[返信]
法/無法という表現には多少違和感を感じますが、それはさておき。法が出発点との御意見にはやはり同意いたしかねます。そもそも百科事典を百科事典たらしめる最大の要素は記述スタイル等のテクニカルな取り決めではなく、そこに収録された膨大な知識や情報そのものではないでしょうか。そしてこうした知識や情報は百科事典という概念より前に実社会の中に存在しており、また実社会は往々にして混沌であり無秩序であり無法であります。よって出発点としては「WPは百科事典である」という最初の法よりさらに前に、現実という「無法」が存在すると考えます。--125.1.110.165 2009年7月9日 (木) 16:41 (UTC)(一部修正)--125.1.110.165 2009年7月9日 (木) 17:21 (UTC)(脱字修正)--125.1.110.165 2009年7月10日 (金) 10:33 (UTC)[返信]
WPは、無法を前提に語るべきだと理解しました。無法が存在することには、同意します。しかし、WPは基本方針に同意したものしか参加できません。参加している時点で、既に法に縛られている筈です。--221.28.158.137 2009年7月10日 (金) 14:44 (UTC)[返信]
ウィキペディアのすべての参加者が基本方針という法の範疇にあることはもちろん承知しておりますし、否定するつもりもありません。しかし繰り返しになりますがウィキペディアに収められる膨大な情報は現実という無法の中に存在しており、現実で生ずる様々な問題がウィキペディアの中に持ち込まれることを防ぎきることは不可能です。(ここで問題となっている「函数/関数の不統一」なども、ウィキペディア内だけの問題ではありません)
結局のところ私の主張としては、「ウィキペディアという法の範疇であってもその外側に無法が存在するという事実を決して忘れてはならない」ということです。問題解決の手段として、法が導入されることは少なくありません。しかし、法を議論の出発点としたとき、法自体を目的と勘違いされる方が少なくありません。そして法を目的とした議論は往々にして不毛であり、また「無法」以上に「無法」となります。このような状況はそれこそ法の趣旨に反します。--125.1.110.165 2009年7月12日 (日) 16:02 (UTC)[返信]
私もルールは可能な限り緩い方が良いと思っています。例えば今、温室効果ガスの排出を抑えようとしていますが、今すぐ化石燃料の使用を禁止する事は出来ないでしょう。将来的に禁止すべきと言うのは正しい考えに思えるかもしれません。それを実現する為にはそれに変わるものを化石燃料より安価に、より入手しやすくする必要がありますが、そうなったとき敢えて化石燃料を使用する人は居るでしょうか。--重複太郎 2009年7月10日 (金) 10:04 (UTC)[返信]
現在、化石燃料は禁止しておらず、今後も禁止されることはないと理解しました。私は、全面的にではありませんが、緩やかに化石燃料を禁止するルール作りが、現在進められていると認識しています。CO2の排出を規制することが、化石燃料の使用を規制することにつながっているからです。化石燃料を燃やせば、CO2が出ることはわかっており、閉じ込める技術も一時しのぎでしかありません。CO2を全く出さない技術が生まれたとしても、それは、別のエネルギーを使うことに他なりません。
私もルールが緩いにこしたことはないと思っていますが、WPは無政府主義者が集まる場所ではなく、言うなればWP政府による法治が行われる場所だと思います。ですから、WP政府が作った法には、中立的な観点は適用されないと思います。確か「中立的な観点」は譲れないものだと、どこかに書いてあった気がしますが、それは「中立的でない観点」を否定していて、中立的な法ではありません。
色々なご意見有難うございました。少し疲れてしまったので、返答はここまでとさせて頂きます。読むことはできると思いますので、意見を書かれたり、議論を続けて下さってもかまいません。--221.28.158.137 2009年7月10日 (金) 14:58 (UTC)[返信]

私が何をしたいのかわからないとか、逃げたと考える人がいるかもしれないので、最後の力を振り絞って書きます。私の認識している範囲では、「統一すべきでない」は、コミュニティの総意ではなく、とりあえず直近の編集合戦を回避するための暫定的なルールだと思っています。緊急避難は済んでいるのだから、もう一度、百科事典として本来どうあるべきなのか、将来どうあるべきなのかゆっくり考えるべきだと思います。将来について語ってもしょうがないと言われる方もおられるようですが、法には、直近の問題を解決するための、時間と範囲を限定した法と、普遍的で恒久的に使われる法があります。例えば、憲法などは、将来国がどうあるべきかについて書いてあります。一方で、テロ特措法などは、将来どうするかの議論は後回しにして、時間と範囲を限定しています。テロ特措法は読んだことが無いのでわかりませんが、殆どの法は、序文でその法が何を目指そうとしているのか書いてあります。私の意見は、あくまでその一例であり、それを直ちにWPのルールにして欲しいと言いたいわけではありません。ただ、「統一すべきでない」を恒久的なルールにする前に、もう一度WPの将来をゆっくり考えるべきではないかと提案しています。そしてその為に、「WPは百科事典である」に立ち返って、他の百科事典と比べるのも悪いことではないと思います。--221.28.158.5 2009年8月3日 (月) 03:44 (UTC)[返信]

一連の議論を見ての感想

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Makotoy の感想

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このページにおける議論の成果物としてWikipedia:ウィキプロジェクト 数学/函数と関数がリリースされて10日以上たちましたが、なんだかまた議論が発散してきているような気がします。(いま行われているやりとりが、何か新たなルールなりあるいは別の実効的な何かにつながる見込みがなさそう、ということです。)もうここらへんでまとめることにしませんか。とても長くなってしまったここでの議論について、あとから簡単に参照できるものとして、Wikipedia:ウィキプロジェクト 数学/函数と関数およびそれを指示する理由がまとめられた#表記の統一は必要ないとする論拠節はすでにありますが、個別の理由付けを離れて、そもそもどんな価値観の対立があったのか、ということをまとめておくのもここで費された言説を後々に有意義に生かすためになると思うので、いま思いつく範囲で、ぼくの立場からの弁明を沿えて書いておくことにします。(何人かの方の議論のやり方にははっきり言ってフラストレーションを覚えましたが、最終的な結論や後でべつの議論から参照する際には関係の無いことなので、書かないことにします。吊し上げ総括みたいで不粋だし。)

  • ガイドラインはドグマなのか?:もっとも明らかだった対立点は、表記ガイドの常用漢字に関する部分をどれだけ徹底的に適用すべきか、というものでした。もちろん「統一しないでいい」派は徹底的に適用しなくていいことを主張し、「統一するべき」派はこれを徹底的に適用するべきだと主張していたわけです。前者の論拠は、ガイドラインは「考慮すべきもの」に過ぎず、そもそもガイドラインの相対に互いに矛盾する部分が含まれているので、恣意的な選択無しにはガイドラインの「厳格な運用」などできない、というものでした。しかし、ウィキペディアにはこの恣意的な選択を行う役割(共同著作物における最終決定権をもつ責任編集者や、宗教の教義を決める宗教指導者にあたるもの)が存在しません。また、一定の指示を受けている立場にWikipedia:ルールにこだわらないがあり、ガイドラインの文面を教条的に飲み込むことは多くの利用者によって否定されているといってよいでしょう。ウィキペディアにおけるドグマとは自由であること、中立であること、百科事典であることなどの創立当初からのウィキペディアのアイデンティティーに関わる原則だけで、運用については柔軟であるべきだ、ということです。
  • 「みんなのルール」:ガイドライン・ルールの内容(表現ではない)を、だれでも簡単にわかようにするべきだ、だから物事の判定規準は「バカにでもわかる」ものであるべきだ、という主張がありました。また、どっちでもいいからとにかくどっちかに倒したルールを作ってほしい、という意見も表明されています。これらは誤りです。なぜなら、微妙な問題に対しては繊細な対処が要求されます。ウィキペディアにおいては見識を持たずルール無しではどうしたらいいか見当もつかないような利用者が微妙な問題の対処に関わる義務はまったく無いので、それを誰にでも対処できるようにルールを単純化して適用するべき、というのは必要のない間違ったアプローチです。
  • 執筆者と編集者とどっちがエライのか?もうひとつの対立軸は「執筆者」vs「編集者」というものでした。ウィキペディアが執筆者に何ら対価を払わない以上、コンテンツを増やしていくためには、執筆者が得る達成感についてできる限り配慮するべきです。もちろん執筆者のやりたい放題にすればカオスになってしまいますから、書き散らかされたものを一定の方向へまとめようとする努力は必要でしょう。そして書き手のこだわりは読者の範囲を狭めるようにはたらいてしまうおそれもあるので、可能な最大限の範囲の読者に文の内容が伝わるようにするのは編集者側に期待されている機能だとも言えます。しかし、ウィキペディアが普通の書籍と違うのは、特定のだれかの「編集者的な」選択を統一的に適用することは、理念から言っても現実的な可能性の面から言ってもありえないということです。ウィキペディアに責任編集者は存在しないし、仮にいたとしてもウィキペディアの全ての記事の事情に適合するような基準などありえないと言ってよいでしょう。つまり、ウィキペディアにおける編集者とは、既存の書籍に比べたら(大局的なことについて)より限定的な立場にあるということです。--Makotoy 2009年7月10日 (金) 16:06 (UTC)[返信]

ここでは、はっきり物を言った奴が正義らしいから言おうと思うけど、はっきり言ってレベル低いよ。何十人もの数学を専門とする大学教授が作った百科事典と異なることを提案するからには、少なくとも数学教えてる先生とかでなければ、発言する資格無い。大学院で専門にしてるとか言ってるレベルでは、話にならない。教えるプロじゃないんだからな。字の違いすら言及しない百科事典があるのに、それでも字の違いが重要だというからには、日本のガイドラインも変えるつもりがあって、その立場にある奴しか言う資格無いよ。本当に数学者なら、xとyが入れ替わってたり、微分の記号が違ってたって気にしないだろ。こんなたかが記号に、利用者のメリットを無くしてまで拘る奴は、ただの衒学者としか思えない。伝統を重んじるなら、専門家が作った百科事典も含めろよ。素人でしか話し合えないんだったら、0から作るんじゃなくて、専門家の作ったものを参考にすれば良いだろ。もっと、謙虚になろうぜ。因みに自分は、数学のど素人。システムが専門だからその立場で意見を述べた。システムも数学も専門でない奴は絡んでくるなと言いたい。文を論理的に解釈できない奴も同じ。IQ130以下は絡んでくるなと言いたい。--221.28.158.137 2009年7月14日 (火) 13:11 (UTC)[返信]

「はっきり言ってレベル低いよ。」なんて言葉吐いた時点であんたのレベルが(以下省略)。また、君の文章は論理的ではない。それが理解できない時点でアウト。--Goki 2009年7月15日 (水) 05:16 (UTC)[返信]
Gokiさんに向かって言っているわけではないので、なんでこのような発言になっているか理解できないなら、ノート読んで下さい。「レベル低い奴は絡むべきではない」は、私の考えではありませんし、自分がレベル高いとも思いません。感想は論理的ではありません。「馬鹿と言った奴が馬鹿」も論理的ではありません。--221.28.158.137 2009年7月25日 (土) 16:02 (UTC)[返信]
「はっきり言ってレベル低いよ。」なんて言葉ではき捨てるなよ。いみねーじゃん。--Goki 2009年7月27日 (月) 08:21 (UTC)[返信]
完全に誤解です。私の意見に概ね同意いただけた方を心強いと思うことはあっても、レベル低いなんて思うはずがありません。感想なので、独り言に近いもので、誰に向けてというものでもありません。あえて誰に向けて書いたかはっきりさせるとすれば、私の書き込みを不要と考え排除しようとする人たちでしょうか。不要だというからには、少なくとも無能な私より、専門知識や知能を持っていなければ、判断できませんよね。他人の書き込みのレベルが低いか高いかなんて、専門家でも簡単には判断できないと思います。ましてや、正しい/間違ってるの判断も、簡単にはできません。ある視点では正しいことも、別の視点では間違っていることなど、よくあることだからです。他人の細かい間違いをいちいち指摘し始めると、人間関係がギスギスしてしまうだけでなく、もっと本質的で大事な正しいことを見失ってしまうことがあります。そして、他人だけでなく自分にも厳しくできる人は、少ないと思います。ですから、WPのような共同作業の場では、他人に甘いくらいが丁度良く、謙虚であるべきではないかと、アンチテーゼ的な書き方をしました。事の発端の、ルールを改めて頂けたようなので、黙ります。--221.28.158.137 2009年7月28日 (火) 17:48 (UTC)[返信]

Midz による総括と感想

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Makotoy さんの「一連の議論を見ての感想」を拝見しました。 私から見ると事実誤認と思われる箇所もありますが、細かい点であげつらっても仕方ないことなので、ここでは私から見た今までの議論を総括して私の認識を提示し、ご参考に供したいと思います。 まず最初に私がこれらの議論に参加している過程で得た、依って立つ理念を書いておきます。

  •  Wikipedia は「常識」と「善意」の基礎の上に立つ構築物である。
  •  Wikipedia は、内容については複数の意見、内容があれば中立的な観点からそれらをきちんと記述するが、その記述の文章は世の中でもっとも広く使われている表記を使って解りやすく書くべきである。

この「関数/函数」問題は今回が最初ではなく、2007年7月にもあって、そこ「Wikipedia:井戸端/subj/「関数」か「函数」か」で一度さんざん議論された問題です。 それはそれまで「関数」表記で平和にすぎてきた多数の記事が突然「函数」表記に書き換えられたことから始まった騒動です。 その時は最終的には管理人の方が適切に「移動保護」を掛けて下さって落ち着き、その後今年2009年に至るまでまた「関数」表記で平穏のうちに過ぎました。 上記井戸端での議論の記録はその巻尾を文章「Makotoy 2007年7月21日(土)15:47(UTC)」(以下ではこれをMakotoy7072115:47と表示します。)で飾られていますが、その中でMakotoyさんは「「関数」を主とし、「函数」は記事内での注やリダイレクトにとどめることに賛成です。」と書いてその理由を述べられています。 私の現在の考えや気分はこのMakotoyさんの文章によってほぼ尽くされています。

その後、同じ2007年10月から「かんすう」の記事名を「関数」にするか「函数」にするかで 熱い議論が闘わされましたが、それも管理者の方の適切な移動保護措置により「関数(数学)」で落ち着き、現在にいたっています。

その後、今年に入って多少の移動・編集合戦はありましたが移動保護などが続いていたこともあって広まることはありませんでした。 そして今回の井戸端論議になった訳です。 それも今回は提起者は「関数/函数」を例題として一般論をするつもりでおられましたが、それがまた「関数/函数」問題に集中してしまい、申し訳ないので場所をほかに移しませんかと一度は提案しましたが(Midz9060402:23)、賛同が得られず、これだけ長大な記録になってしまったものです。 以下では私の関係した議論を中心に、私の視点から総括してご参考に供します。

  • 話はまず提起者が案を示し、それにコメントが加えられ、あら金さんやKs aka 98 さんの客観的で懇切丁寧な説明がありました。 私は上述のMakotoyさんの文章などから「関数」と「函数」との選択については「関数」をとることに決着がついていると考えていましたので、念のためのつもりで改めて「表記ガイド」と「使われ方の広さ」を根拠に「関数」を取ることの論拠を提示しました(Midz905290035)。 ところがそれがつづく白駒さんの反論(白駒9053005:42)のへんから話がおかしくなってきました。 白駒さんは「関数派」によほど不信感をもっておられるようで、「函数派の方はその節度を守っているように思いますので、関数派の方も(中略)編集合戦を仕掛けるのは勘弁していただけないでしょうか」と書いておられます。 これは、Wikipediaでは例外的な期間を除けばほとんど常に「関数」が圧倒的に多く使われており、したがってその平和を乱すもとをつくるのは常に函数派の人々だという私の認識とまったく逆でした。
  • その後も多くの議論がなされましたが、1つの転機は白駒さんによって「関数問題についての草案」作成がアナウンスされたことでした(白駒9061112:48)。私はここで「関数」の「函数」に対する優位性が初めて「公認」されたことを評価して賛成意見を付けておきました(Midz9061204:33)。 それは例えば2007年の騒動の始まりとなった「関数」の「函数」への書き換えなどは、とにかく「関数」の優位性が何処かで明示されていれば避けられたであろうから、その一点だけでも価値があると考えたからです。 その後、膨大な議論があり、白駒草案は6月28日にリリースされたことがアナウンスされました(白駒9062805:52)。 私はこれで「関数」の優位性が公示されたので、「函数」への書き換えが抑えられ、現行の平和が保たれることを期待しています。
  • 上記リリースより前、議論がまだ混乱していて「関数の優位性」が必ずしもはっきり認識されていない恐れがありましたので、私は改めて「表記は「関数」をよしとする論拠」を纏めて書きました(Midz9062205:31)。(なお、現在の表題「表記は「関数」に統一すべきだとする論拠」はNekosuki600さんが交通整理したとき(Nekosuki600 9062212:34)に便宜的に付けられた表題で、私の本来の趣旨とは大きくずれています。 私は上でも述べたとおり、「関数の優位性」が明示されていれば関数優位の現状が平和裡に保たれるだろう、という立場で、機械的に統一すべきだなどとはまったく考えていません。) 私はこの議論で「Wikipedia の方針・ガイドライン」と「使われ方の広さ」の2つの選択原理から、「関数」が「函数」より望ましいとの論証を行いました。 そのためもあってか、その後は「函数の方がよい」という議論は影を潜め、「関数をよしとする」議論と「両方使えることにせよ」とする議論との競合という図式になりました。 そして私が「方針・ガイドライン」を表に出して議論したためでそこに注意が向いたのか、「両方使える」派の論拠に別の視点が持ち込まれました。
  • Nekosuki600さんの度重なる配置換えで時間的順序が分からなくなりましたが、まずは「中立的な観点」から入ります。 それは「表記を一方に統一することはWikipediaの基本的方針である「中立的な観点」に反するから出来ない」という議論です。  しかし、「Wikipedia:中立的な観点」をきちんと読めば、そこで扱っているのは文章の内容、意見、主張であって、表記にはまったく触れていないことが分かり、表記の統一と「中立的な観点」は関係ない、したがって上記議論は成り立たないことを示しました(Midz9062712:04)。 これにより無条件ではこの議論に「中立的な観点」が適用出来ないことを悟った「両方使える」派の人々は、学術用語集制定時の「数学伝統派」と「文部省派」との「対立」を持ち出して何とか「中立的な観点」の対象にしようと努力されましたが、さすがに50年前の「対立」で「関数」表記がこれだけ普遍的になった今を律するのは説得力がなく、尻窄みになって終わりました。
  • もう1つは、表記ガイドに従う限りは両方を混ぜて使ってもよいという結果が出せないので、「表記ガイドは基準にならない」というキャンペーンを始めたことです(sergei9062610:11)。 その根拠は「Wikipedia:記事名の付け方#正式な名称」と「表記ガイド」という2つのガイドラインが「関数/函数」に関して矛盾する結果を与えるから、ということでした(Jms9062213:12)。 しかし、それは単に「記事名の付け方」を読み間違えていただけで、正しく読めば「関数」も「函数」も「正式な名称」ではないので、矛盾はまったくないことに示してケリを付けました(Midz9070301:59)。 その後、新たな矛盾例の提示がありませんので、上記キャンペーンはその根拠はありません。
  • こうして現行の「方針・ガイドライン」を守っている限りは「両方混ぜて使える」結論は導けないので、それではガイドラインを変えてしまおうという動きが出てきたのはさすがに意想外でした。 私はガイドラインはWikipedia運用の基礎となるものですから、それは最大限安定なものであるべきで、軽々しく手をつけるべきではないと考えています。 ですから変更するときはそれをつくるときと匹敵する広く沢山の意見を集めてすりあわせる必要があると考えます。 それにガイドラインは何かに議論があったときに選択の基準となるものですから、その場に及んで議論が巻き起こったりしないように、出来るだけ曖昧さを排除した記述をすべきだと考えます。 その意味で「原則として」などいくらでも恣意的に解釈できる表現は極力避けるべきだと思っています。 今回、表記ガイドの「学術用語」と「その他」で変更が加えられましたが、そのうち「学術用語」に関してはSu-no-Gさんも云われていたように(「利用者‐会話:Su-no-G#ご忠告を有難うございました」)、まだ同情の余地があります。 しかし、「その他」については常識を適切に表現したそれまでの「表記はページ内で統一します。ウィキペディア全体での統一に過度にこだわる必要はありません」を「原則としてページ内の表記は統一しますが、ウィキペディア全体での統一にこだわりすぎないでください」と変えたことは、「他との統一にこだわり過ぎない」の方に主文を移して「項目内での統一」という本来の趣旨の印象を弱め、かつ「原則として」の挿入で恣意的な解釈をする余地を生じさせた改悪としか云いようがありません。 この件については今なお係争中ですので、「Wikipedia‐ノート:表記ガイド#表記の統一関連文言を旧の文に戻し原状回復する提案」をご覧の上、そこの「コメントの場」にコメントをお寄せ下さい。
  • 白駒さんの「現行方針」については「関数と函数が混在しても構わない」が表記ガイドに反するなど問題はありますが、特に非常識な使い方をしなければそうは弊害はないでしょうから、これを緊急避難用のローカルルールとしてしばらく様子をみることにしてよいと思います。 しかし、将来的にはやはりガイドラインや常識ときちんと整合するローカルルールに整備していくのが筋だと考えます。

以上で私から見た今回の一連の議論の総括を終わります。 総じて感じたことは、討論中でやたらと相手の人格攻撃や茶化しが多く、真面目な議論に水がさされたこと、それにJms さんを始めとする何人かの方は「論理」をむやみやたらに振り回す割に、「中立的な観点」や「正式な名称」の文章をご自分の願望に合うように勝手読みするなど、思考や議論が粗雑であったことです。 これからの議論ではもっと建設的な内容を真面目に冷静に議論出来ることを望みます。 それから、真面目な白駒さん、Makotoy さんがどうしてこうまで「函数」にこだわるのか、理解に苦しんでいます。 私は前回2007年の井戸端論議の巻尾を飾るMakotoyさんの議論がもっとも素直でよい解決策だと考えています。 --Midz 2009年8月10日 (月) 04:41 (UTC)[返信]

Jms によるまとめ

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当用漢字の登場により、それまで用いられていた「函数」表記から「関数」表記への書き換えが進められた、という事実があります。もし、ウィキペディアでは「関数」か「函数」いずれか一方の表記しか用いてはならないとすると、この「当用漢字の登場により…書き換えが進められた」という事実は記載できません。つまり、両方の表記を認めるか一方のみ認めるか、という事は、この事実の記載を認めるか認めないかということと等価です。その意味で、事実を事実と認めかどうか、事実の記載を認めるかどうか、というのが実は議論の本質であったと思います。なお、一方的に議論を打ち切り「言いっぱなしで逃げ切っただけ」との批判があるにもかかわらず、「記事名の付け方」を読み間違えていただけで、正しく読めば「関数」も「函数」も「正式な名称」ではないので、矛盾はまったくないことに示してケリを付けました(Midz9070301:59)。という事実をあまりに無視した表現がなされているのに言葉を失いました。しkし、それが Midz さんの認識であるというのは事実なのでしょうから、それが事実に反する認識である、ということを記録のために指摘しておきます。Midz さんの「総じて感じたこと」以降は「感じたこと」なのですから、そうお感じになったというのは事実なのでしょう。意見が異なる場合、相手の説得が難しい場合 (それは必ずしも相手が頑固だということを意味せず、相手の論点を理解できていない場合もあり得るのですが) に、それを「人格攻撃や茶化しが多く、真面目な議論に水がさされた」「思考や議論が粗雑」と感じる方なのだ、ということは理解できました。--Jms 2009年8月10日 (月) 06:54 (UTC)[返信]

お説のように「当用漢字の登場による「函数」から「関数」への書き換え」という事実の記載が出来ることを目的にあなたの改訂がなされたのであれば、その解決は簡単です。 もともと「関数」と「函数」は文脈により区別されている別の言葉であることを皆さんが暗黙のうちに了解しているからこそ「「函数」から「関数」へ」というような文章が成立するので、その文章が「表記はページ内で統一します」というときに統一の対象にならないのは当然と考えられ、原文「表記はページ内で統一します。 ウィキペディア全体での統一に過度にこだわる必要はありません」でなんの紛れもないからです。 しかし、それでもなお心配だというのであれば、「表記ガイドの原状回復」提案のあとの論議(Midz9071004:57)で示唆したように、念のため、原文のあとに「なお、(「タケ」と「竹」のように)文脈によっで使い分けられている語は別の語と考えて、それらの表記を文脈にしたがってそれぞれ個別に統一します。」とでも書き加えておけば、あなたの心配する事態は間違いなく避けられます。 こうして曖昧さを嫌う「表記ガイド」に「原則として」のような恣意的に使われる恐れのある語は不要になります。
もともと「かんすう」という言葉には3つの使い方があります。 そのうちの2つは「「函数」から「関数」へ」というときに対比して使われる「関数」と「函数」で、もう一つは function の訳語として一般的な概念をあらわす使い方です。 そして表記ガイドはこの概念を表す「かんすう」には統一した表記をもちいることを要請するもので、もともと対比した使い分けがはっきりしている2つの言葉を機械的に一方に統一しろなどとは言っていません。 ですから常識と判断力のある人々を対象とするWikipediaでは原文で充分だと思いますが、上で挙げた文章を付け加えて「暗黙の了解」を明文化し、無用な論争の種を取り除いておくことも意味はあると考えます。
こうして表記ガイドの改訂があなたの目的に適合した曖昧さのない文章をつくることだと合意して頂ければ、私の「原状回復提案」の扱いも解決に近づきます。 ひとつはこの提案に賛成していただき、原状回復したあとで、改めてあなたに原文に上記のような内容の文書を付け加えて改訂提案をして頂くことです。 あるいは原状回復をまたずに上記のような改訂提案をしていただくことです。 その場合は私はあなたの提案に賛成し、改訂が完了した後で「原状回復提案」を取り下げることになります。 なお改訂提案をしていただくときは、現在の「その他」の項目から独立させて「ページ内の表記の統一」とでもいうような項目をつくることを一緒に提案して頂くとよいのではないかと考えています。 よろしくお願いします。 --Midz 2009年8月11日 (火) 11:17 (UTC)[返信]
総括やら感想やらを人ごとにわけながらコメントを同じ節に書くのはどうかと思いますが、それはさておき、表記ガイド云々はここでの議論に含まれていない事もありますので、「Wikipedia‐ノート:表記ガイド#表記の統一関連文言を旧の文に戻し原状回復する提案で、かつ、そこでのコメント依頼が終了してからにしてくださいませ。--Jms 2009年8月11日 (火) 11:26 (UTC)[返信]

提起者より

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議論の流れが私の意図していたものとは別の方向に向かっているように感じます。一人の意見に対してその意見の細部をとらえて反論し、意見の応酬が続く結果として議論の対象が複雑に広がっています。ただしこれは現在の議論が無駄だと言っているわけではなく、このような細かい議論も必要だと思います。しかし私はこのような事態を想定していなかったため、議論の広がりが私の限界を超えています。なので、私の言いたいことはすでに言い尽くしていることもあり、提起者として申し訳ないのですが、ここで議論から抜けることとします。この議論を通して、この問題は自分が思っていたよりずっと解決の難しい問題だということが分かりました。また自分の認識が間違っていた点が多々あり、それに気付くことができたことを非常にありがたく思います。--いかづちSqueak 2009年8月11日 (火) 11:49 (UTC)[返信]