大野奨太
北海道日本ハムファイターズ #28 | |
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2009年3月14日(札幌ドーム) | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 岐阜県大垣市 |
生年月日 | 1987年1月13日(37歳) |
身長 体重 |
177 cm 77 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 捕手 |
プロ入り | 2008年 ドラフト1位 |
初出場 | 2009年4月5日 |
年俸 | 2,500万円(2011年) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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大野 奨太(おおの しょうた、1987年1月13日 - )は、北海道日本ハムファイターズに所属するプロ野球選手(捕手)。
経歴
プロ入り前
小学校時代は岐阜県の荒崎野球少年団に所属し、捕手・投手・三塁手をこなす。中学時代は西濃ボーイズで三塁手としてプレーし、岐阜県選抜にも選ばれた。中学時代の夢は県内屈指の名門校である県立岐阜商業高校でプレーすることだったが、岐阜県選抜のメンバーの多くが同校に進学を考える中、あえて岐阜総合学園高校に進学した。
高校時代は1年生の夏から三塁手のレギュラー。秋にチームの正捕手が肩を壊したため捕手に転向した[1]。2年生と3年生の夏に2年連続で岐阜大会の決勝に進むが2年連続決勝で敗れ、甲子園の土は踏めなかった。最後の夏の相手は県立岐阜商業高校だった。高校通算29本塁打。
高校卒業後、東洋大学へ進学。1年春からベンチ入りするも2学年上に田中大輔(中日)が居たため公式戦の出場機会が少なかった。3年春から正捕手となり、チームの4季連続優勝と明治神宮野球大会2連覇に貢献。4年生春には捕手として22年ぶりとなる最高殊勲選手に選ばれ、3年生春から4季連続でベストナインに選ばれた。東都大学リーグ通算55試合出場、166打数43安打、打率.259、6本塁打、19打点。
2008年のプロ野球ドラフト会議にて北海道日本ハムファイターズから1位指名され入団。日本ハムが捕手をドラフト1位で指名したのは1998年に實松一成(現・巨人)を指名して以来2人目。
プロ入り後
新人年の2009年、春季キャンプで一軍に抜擢され、そのまま開幕一軍入り。4月5日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦にてデビュー。4月11日の福岡ソフトバンクホークス戦で初先発出場。藤井秀悟を好リードし、無失点で切り抜けた。以後も先発投手が藤井の時は大野が先発出場し、鶴岡慎也と相性がいいダルビッシュ有と八木智哉を除く先発投手の際も、大野が先発出場するケースがあった。8月にインフルエンザによる発熱が原因で数試合を欠場するも、シーズンを通して一度も出場選手登録を抹消されなかった。日本シリーズ第5戦(11月5日、東京ドーム)では、史上初めて新人捕手として先発出場を果たした。
2010年も引き続き鶴岡と併用され正捕手を争った。前年オフに藤井が読売ジャイアンツへ移籍したものの、この年にチーム最多の14勝を挙げた武田勝など、主に左投手の先発試合で捕手として先発起用され、前年よりも出場機会を増やした。また、前年にはなかった八木やダルビッシュの先発試合での先発出場を経験した。
プレースタイル・人物
当時のコーチであった厚澤和幸が評するに、鶴岡慎也と比べ、リードが自分主導でピッチャーが投げたい球より相手バッターを研究し、弱点を突いたリードをするため、『かかあ天下』と評されている。[2]
チーム内では選手としての力量や人物面について高い評価を得ている。日本ハム応援番組『FFFFF』(北海道テレビ放送)において、日本ハムの選手を対象に実施された[いつ?]「チーム内で恋愛相談をするなら」というアンケートでは断トツの1位に輝いた。
また、2009年のオフ、同じFFFFFの「稲葉篤紀と金子誠が考える日本代表」と題した企画では、2人とも正捕手に大野を指名している。しかし、これは大野がまだ若く伸び代があるだろうという予想。ちなみに、稲葉と金子は共に日本代表経験者である。評細はそれぞれの項目を参照のこと。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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2009 | 日本ハム | 77 | 169 | 154 | 19 | 32 | 9 | 0 | 3 | 50 | 15 | 0 | 0 | 5 | 0 | 6 | 0 | 4 | 43 | 2 | .208 | .256 | .325 | .581 |
2010 | 87 | 216 | 183 | 20 | 42 | 8 | 0 | 4 | 62 | 16 | 1 | 0 | 13 | 0 | 19 | 0 | 1 | 36 | 5 | .230 | .305 | .339 | .644 | |
通算:2年 | 164 | 385 | 337 | 39 | 74 | 17 | 0 | 7 | 112 | 31 | 1 | 0 | 18 | 0 | 25 | 0 | 5 | 79 | 7 | .220 | .270 | .332 | .602 |
- 2010年度シーズン終了時
背番号
- 28 (2009年 - )
個人記録
- 初出場:2009年4月5日、対東北楽天ゴールデンイーグルス3回戦(札幌ドーム) - 8回表、捕手として途中出場
- 初先発出場:2009年4月11日、対福岡ソフトバンクホークス2回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム) - 八番・捕手
- 初安打:2009年4月14日、対オリックス・バファローズ1回戦(札幌ドーム) - 9回裏無死、ライアン・ボーグルソンから
- 初得点:2009年4月15日、対オリックス・バファローズ2回戦(札幌ドーム) - 6回裏無死満塁の一塁走者、金子誠の二塁打で生還
- 初打点:2009年4月18日、対埼玉西武ライオンズ2回戦(西武ドーム) - 2回表二死一・三塁、帆足和幸から適時打
- 初本塁打:2009年5月29日、対横浜ベイスターズ2回戦(横浜スタジアム) - 7回表一死三塁、三浦大輔から
- 初盗塁:2010年9月21日、対オリックス・バファローズ23回戦(札幌ドーム) - 8回裏無死、岸田護と日高剛のバッテリーから二盗