えさん2000
えさん2000 | |
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道南自動車フェリー時代の「えさん2000」 | |
基本情報 | |
船種 | フェリー |
船籍 | 日本 |
所有者 |
道南自動車フェリー →津軽海峡フェリー 運輸施設整備事業団[1] |
運用者 |
道南自動車フェリー →津軽海峡フェリー |
建造所 | 三菱重工業下関造船所 |
母港 | 函館港 |
信号符字 | JD2756 |
IMO番号 | 9227625 |
MMSI番号 | 431800596 |
経歴 | |
進水 | 2000年6月23日[2] |
竣工 | 2000年 |
就航 | 2000年10月 |
運航終了 | 2017年2月2日 |
要目 | |
総トン数 | 2,367 トン[3] |
全長 | 110.3 m[3] |
全幅 | 17 m[1] |
深さ | 11.3 m[1] |
機関方式 | ディーゼル |
最大出力 | 9,000馬力[1] |
航海速力 | 17.5ノット[3] |
旅客定員 | 74名[3] |
乗組員 | 14名[2] |
車両搭載数 | 大型トラック29台・中型トラック1台[2]または乗用車70台[3] |
概要
[編集]第五恵山丸の代船として、三菱重工業下関造船所で建造され、2000年10月に青森港と函館港を結ぶ青函航路に就航した。船名は社内公募で決定され[2]、渡島半島の東南端にある恵山と就航年から取られ[3]、21世紀に向け大きく飛躍する願いを込めたものとした[2]。
道南自動車フェリーは従来貨物フェリーとして運航していたが、海上運送法の改正に合わせ旅客航路事業の許可を受け、本船を建造し旅客の輸送を開始した[1]。えさんが2010年に引退し、津軽海峡フェリーが運航する船で道南自動車フェリー時代に建造された最後の船となった。貨物輸送を中心とした設計であるため、旅客定員は74名と少なく、船室は2等2区画のみとなっている。本船のダイヤは特定便(危険物積載車輌指定便)として設定され、特定便として運航される場合は旅客定員が更に減少していた。
車両甲板は船首バウバイザーと船尾ランプを有し、旅客もランプから徒歩で乗船する。船体塗装は道南自動車フェリー時代は薄緑色であったが、その後白一色に津軽海峡フェリーのロゴを配したデザインを経て、濃紺を基調色として船底部と胴体ラインに配した津軽海峡フェリー標準の塗装となっていた。
ブルードルフィン (2代)の就航により、運航から外れた初代ブルードルフィンがブルードルフィン2として復帰したため、本船は2017年2月2日に引退した[4]。
事故・インシデント
[編集]海洋汚染防止法違反
[編集]2010年9月30日14時半ごろ、函館沖南西約5kmの海上で、函館発の南行便で運航中の本船から油が流出した。第1管区海上保安本部函館航空基地のヘリコプターが発見し、調査の結果、機関員が故意に油除去装置を作動させず、船底のビルジタンクから油を含む水約1000リットルを放出したことを認めたため、津軽海峡フェリー株式会社と機関員は海洋汚染等及び海上災害の防止に関する法律(海洋汚染防止法)違反(船舶からの油の排出の規制)の容疑で書類送検された。[5]
脚注
[編集]- ^ a b c d e 三菱重工業下関造船所で建造した道南自動車フェリー(株)の最新鋭船 「えさん2000」 - はこだて財界2000年11月号(函館財界問題研究所)
- ^ a b c d e 三菱重工業(株)下関造船所で2300総トン型カーフェリー「えさん2000」の命名進水式 - はこだて財界2000年8月号
- ^ a b c d e f “船舶のご紹介 えさん2000”. 津軽海峡フェリー株式会社. 2011年11月18日閲覧。
- ^ 『「ブルードルフィン2」運航開始に伴う運航ダイヤ改定のご案内』(プレスリリース)津軽海峡フェリー株式会社、2016年12月8日。オリジナルの2016年12月9日時点におけるアーカイブ 。2016年12月9日閲覧。
- ^ “機関員「面倒で」フェリーから油千リットル流す”. 読売新聞 (読売新聞社). (2013年10月4日)
外部リンク
[編集]- 津軽海峡フェリー - 船舶のご紹介 えさん2000 - ウェイバックマシン(2017年2月1日アーカイブ分)