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藤村俊二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
おひょいさんから転送)
ふじむら しゅんじ
藤村 俊二
本名 藤村 俊二
生年月日 (1934-12-08) 1934年12月8日
没年月日 (2017-01-25) 2017年1月25日(82歳没)
出生地 日本の旗 日本神奈川県鎌倉市
死没地 日本の旗 日本静岡県御殿場市
血液型 B型
ジャンル 俳優振付師タレント声優
活動期間 1960年 - 2015年
配偶者 なし(離婚歴あり)
公式サイト O’hyoi & Sons
主な作品
テレビドラマ
総理と呼ばないで
映画
ラヂオの時間
デスノート』シリーズ
バラエティー番組など
巨泉・前武ゲバゲバ90分!
おとこの台所
ぶらり途中下車の旅』(2代目ナレーター)
テレビアニメ
黒執事』シリーズ
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藤村 俊二(ふじむら しゅんじ、1934年昭和9年〉12月8日 - 2017年平成29年〉1月25日[1])は、日本俳優声優タレント振付師実業家神奈川県鎌倉市出身。愛称は「おヒョイ(さん)」。俳優事務所、有限会社O’hyoi & Sons(オヒョイアンドサンズ)所属。

生涯

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生い立ち

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実父はスバル興業社長[2]。父は厳格だったが、母はおおらかだったという。

小学校から高等学校まで暁星学園で過ごす。

演出家を志して早稲田大学第一文学部演劇学科へ進学するも、理論偏重の教育に飽き足らず中退。

東宝芸能学校舞踊科を第1期生として卒業。

芸能界へ

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日劇ダンシングチーム12期生として1960年に渡欧し、イギリスフランスを巡る[3]。このとき本場の芸の水準に驚いて舞踊家の道を断念し、帰国後、振付師に転向。ザ・ドリフターズの大人気番組『8時だョ! 全員集合』(TBS)やレナウン「イエイエ」のCFの振り付けも担当した。

『8時だョ! 全員集合』では、ギャグアドバイザーだったこともあり、「ヒゲダンス」の振り付けを担当したとされる。しかし藤村自身が2008年4月18日放送のNHK-FM『邦楽ジョッキー』や『おしゃれカンケイ』でこれを否定し、『8時だョ! 全員集合』で振り付けたのはオープニング(民謡「北海盆唄」の替歌)の「エンヤーコラヤ ドッコイジャンジャン コーラヤ」の部分であり、「腕・肩を順番に触るだけの単純な動作だが、忙しく踊っているように見える振り付け」と語っている。

かつて代表を務めていた俳優事務所「オフィス・オヒョイ」には自身のほか黒澤久雄岡崎友紀らも所属していたが、2011年をもって同事務所は解散。滝口順平の死去に伴い2011年から担当していた『ぶらり途中下車の旅』のナレーションも2015年10月24日放送分からは太川陽介林家たい平石丸謙二郎らが週替わり(代役)でナレーターを務めた(2016年1月9日放送分から小日向文世が3代目ナレーターを担当するまで)。

晩年

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2015年12月になって藤村夫人が『女性自身』のインタビューに応じて、藤村について「体調を考慮して『ぶらり途中下車の旅』のナレーションを2015年10月をもって正式降板し、それと共に芸能界から引退した」ことを公表した。血管の状態が思わしくないため、千葉県の病院に通院していたという[4]。一方、有限会社O’hyoi & Sons(オヒョイアンドサンズ)代表取締役で長男の藤村亜実は「単に『ぶらり途中下車の旅』を降板しただけ」と引退発言報道を公式に否定していた[5][6]

2017年1月25日午後8時45分頃、心不全のため静岡県御殿場市内の病院で死去[1]。82歳没。藤村の死去は2月1日に公表され、藤村の長男が記者会見を開いて「その瞬間を大事に生きていた人」と、父を偲ぶコメントを残した[7]。また、1996年に再婚した28歳年下の女性とは2013年12月頃に離婚。2015年に小脳出血で倒れ、リハビリ生活を送っていたと語られた。

人物

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容姿

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長らく細身に黒髪のアフロヘアートレードマークだったが、56歳のときに胃癌で胃を全摘出してからは毛染めをやめ、白髪と白い口ひげがトレードマークとなった。

役者・芸風

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本人によると、もともと振付師志望であったが、番組中にエキストラ出演を頼まれることが多く、画面に映るのが嫌でその場から「ひょい」と逃げていたところ「おヒョイ」のあだ名がついたという(後輩からは「おヒョイさん」と呼ばれていた)。

バラエティ番組などでは、とぼけたキャラクターと自虐とも取れるシュールな冗談を言うなど、飄々としたキャラクターで人気を集めていた。

本人は「タレント」という肩書きを嫌い、「アクター(俳優)」を自認しており、1990年代以降、先述の胃癌を機にした容姿の変化に伴い、老け役としての需要が急増。知的な老紳士・好々爺役が多かったが、複数回起用された三谷幸喜作品ではボケキャラだった。

たびたび「執事役が似合う芸能人」として話題に挙がることもあり、闘病前の姿を知らない若い世代には特にその傾向が強い。漫画『黒執事』に登場する老執事・タナカは藤村をモデルとして作られており、アニメ化にあたっては当の本人を声優として起用し、死去の際には作者の枢やなが追悼文を発表している[8]。また2017年に公開された『劇場版 黒執事 Book of the Atlantic』は藤村にとっての遺作となった。

「ズボンの折り目が嫌い」という理由から、クリーニングから返ってきたズボンの折り目をわざわざ自分でアイロンをかけて消していた。

交友

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1934年生まれの同い年であった長門裕之愛川欽也大橋巨泉財津一郎森山周一郎らと1976年に親睦団体「昭和九年会」を結成していた。逝去後に親友の森山や中村メイコがマスコミのインタビューに応じている。

実業

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芸能界で活躍する一方、東京・南青山でバー「O'hyoi's」(オヒョイズ)を経営していた。店のロゴマークにはオーナーの藤村のシルエットがあしらわれていた。芸能人が経営する飲食店は、いわゆる名義貸しオーナーの形が多いが、藤村は仕事の合間を縫って店に立つなど、実際に現場での経営を行っていた。また、この店では「お客様にサービスするのが当たり前だから」という理由でサービス料は設定していなかった。2010年12月に閉店。

後任・代役

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藤村の降板、死後、持ち役を引き継いだ人物は以下の通り。

後任 役名 概要作品 後任の初担当作品
小日向文世 ナレーション[注 1] ぶらり途中下車の旅 2016年1月9日
麦人 タナカ[注 2] 黒執事 『黒執事-寄宿学校編-』

出演作品

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テレビドラマ

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映画

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舞台

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吹き替え

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洋画

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海外アニメ

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アニメーション

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劇場アニメ

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テレビアニメ

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  • 黒執事(2008年、毎日放送) - タナカ
  • 黒執事II(2010年、毎日放送) - タナカ
  • 黒執事 Book of Circus(2014年、毎日放送) - タナカ[9]

OVA

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人形劇

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ゲーム

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ラジオ

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ナレーション

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バラエティ

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ドキュメンタリー

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CM

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その他

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著書

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  • キャビアのお茶漬け講談社、1982年8月7日。読売新聞に連載)
  • 『藤村俊二のおとこの台所』日本テレビ放送網、1984.11
  • 『藤村俊二のおとこの台所 part 2』日本テレビ放送網、1985.7
  • 『藤村俊二のおとこの台所 part 3』日本テレビ放送網、1986.7
  • 『オヒョイのジジ通信』ホーム社、2008.11

脚注

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注釈

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  1. ^ 小日向がナレーション就任前まで太川陽介田山涼成林家たい平石丸謙二郎が代打としてナレーションを担当
  2. ^ 藤村が担当する以前にドラマCD版で同役を担当していた
  3. ^ 1970年8月-1971年3月、松岡きっこと共演。1971年4月-1973年3月、岡田可愛と共演。1973年4月-1974年3月、酒井和歌子と共演。1974年4月-1974年9月、研ナオコと共演。1974年10月-1975年3月、ちあきなおみと共演。
  4. ^ この時は、秋の番組対抗スペシャルとして放送され、自身がナレーションを担当している『ぶらり途中下車の旅』の出題者側に顔出しで出演している(他には石井正則、太川陽介、舞の海秀平の3名も同様に出題者側で出演)。

出典

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  1. ^ a b “藤村俊二さん死去 82歳、心不全「おヒョイさん」の愛称”. Sponichi ANNEX. スポーツニッポン新聞社. (2017年2月1日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2017/02/01/kiji/20170201s00041000191000c.html 2017年2月1日閲覧。 
  2. ^ 木村隆 編 編『この母ありて』青蛙房、2010年、204頁。ISBN 978-4-7905-0372-9 
  3. ^ 人生は夕方から楽しくなる:「オヒョイさん」藤村俊二さん”. 毎日新聞 (2009年6月27日). 2022年3月26日閲覧。
  4. ^ “オヒョイさん”藤村俊二 芸能界を引退していた!妻明かす女性自身)2015年12月10日投稿
  5. ^ “81歳藤村俊二が芸能界引退否定「またいつかお目に」”. nikkansports.com. (2015年12月17日). https://www.nikkansports.com/entertainment/news/1580262.html 2019年6月1日閲覧。 
  6. ^ “藤村俊二、体調不良で「ぶらり途中下車の旅」降板 後任は小日向文世”. Sponichi Annex. (2015年12月17日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2015/12/17/kiji/K20151217011700810.html 2019年6月1日閲覧。 
  7. ^ “藤村さん長男が別れのあいさつ「いつもその『瞬間』を大事に生きていた」”. Sponichi ANNEX. スポーツニッポン新聞社. (2017年2月1日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2017/02/01/kiji/20170201s00041000340000c.html 2017年2月1日閲覧。 
  8. ^ 吉川慧 (2017年2月1日). “藤村俊二さんを『黒執事』作者が追悼 「幼少より憧れの老紳士だった」”. ハフィントンポスト日本版. https://www.huffingtonpost.jp/2017/02/01/kuroshituji-fujimura_n_14541272.html 2019年6月1日閲覧。 
  9. ^ Cast/Staff”. 「黒執事」新シリーズ公式サイト. 2014年3月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月22日閲覧。
  10. ^ Cast/Staff - 黒執事 Book of Murder”. アニメ「黒執事」新シリーズ公式サイト. アニプレックス. 2014年11月24日閲覧。
  11. ^ 藤村俊二 - オリコンTV出演情報

関連項目

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外部リンク

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