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鹵獲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ろ獲から転送)

鹵獲(ろかく、:booty[1])は、敵対者が戦地などで相手方の装備する兵器などを奪うこと[2]。なお、bootyには戦利品という意味もある[3]

戦時国際法上、陸戦法規には「鹵獲」、海戦法規には「捕獲」の概念があるが、意味の広狭など両者には差異がある[1](陸上私有財産非没収の原則など[3])。なお、船舶及びその貨物については戦利艦海上捕獲法の項目を参照。

兵器の鹵獲

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古代中国大陸では春秋戦国時代三国時代などの戦時で度々行われた行為であり、戦国時代日本ではたびたびこの行為が戦の度に行われていた[4]

主な目的として、自身の装備品より良い武器を奪うためや、それらを売り払って金銭にするため、あるいはリバースエンジニアリング等の敵情調査目的などがある。

鹵獲は降伏した敵軍から武装解除の際に取り上げたり、敵軍が撤退あるいは敗走時に遺棄・放棄した兵器や物資を手に入れる場合が多い。しかし、武具鹵獲の機会は戦地に限らず、漂泊船の調査においても可能である(『吾妻鏡』の13世紀の記述として、高麗人の船が日本に着いた際、具足などを調査・記録させている)。

鹵獲した兵器はそのまま自軍の兵器として転用したり、調査を行って分析し自軍の兵器の改良や開発の参考にされることがある。このため、近代以降の軍隊では何らかの理由で兵器を遺棄しなければならなくなった場合、その兵器が敵軍の戦力として運用されないように爆破自沈などを行い破壊ないし使用不能にすることが一般的である。

鹵獲兵器の運用

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鹵獲兵器をそのまま自の装備として転用したとしても、弾薬爆弾ミサイルなどの武装類や、エンジン・機器などの補修部品の規格が自軍と異なっていることが多く、消耗品の更新も難しいことから必ずしも有効な戦力として活用できるわけではない。この場合は稼働率の維持のために共食い整備を行わざるを得なくなった挙句に結局廃棄処分を余儀なくされることもあれば、武装・エンジン・機器などを自軍規格に適合するものに換装したり、別の用途に転用するための大改造を行うこともある。

ソ連軍が遺棄したT-26を調査するフィンランド軍

第二次世界大戦期には大々的に鹵獲兵器が運用され、特に連合国軍と比較し生産力や兵站に劣る枢軸国軍では盛んに鹵獲行為が行われた。ドイツ軍は完全に準備が整わないうちに第二次大戦に突入し、兵器の生産が部隊規模の拡大と損耗補充に追い付かなかったため、鹵獲した各種兵器の有効活用に特に熱心であった。西方戦役において鹵獲されたフランス軍オチキス H35ソミュア S35などの戦車は、一部ドイツ軍仕様の司令塔を装備し、二線級戦線に投入され、治安維持任務などに終戦まで使用された。また、独ソ戦以降は重装甲を誇るソ連赤軍の戦車に対抗する必要上、鹵獲したKV-1T-34などをそのまま運用したり、鹵獲ソ連野砲や占領・併合したフランスチェコの戦車の車体などを流用した対戦車自走砲を多種類製造した。その他、英軍の鹵獲車両も多数が運用されたが、友軍の誤射を防ぐため国籍マークを大きく多数描いているのが特徴となっている。

アメリカ陸軍航空軍が遺棄したB-17Cを日本軍が鹵獲し、日章(日の丸)の国籍マークを描き飛行中の姿

日本軍においても、日中戦争支那事変)の頃から第一線では高性能のブルーノ ZB26軽機関銃マウザー C96自動式拳銃を鹵獲・接収し大規模に運用しており、太平洋戦争大東亜戦争)では、特にアメリカ軍の自動小銃であるM1ガーランドM1カービンは積極的に鹵獲運用されていた。組織的な運用としては、空挺部隊である陸軍第1挺進団に対し、シンガポールの戦いで鹵獲されたトンプソン機関短銃パレンバン空挺作戦後に600挺が供給されている。また、日本軍において鹵獲航空機(主な戦闘機爆撃機ホーカー ハリケーンブルースター バッファローカーチス P-40(トマホーク)ノースアメリカン P-51ボーイング B-17ロッキード ハドソンなど)は、ドイツなどからの輸入機ともども、陸軍航空審査部(旧・飛行実験部実験隊)が主に調査研究の目的で運用していた。

また、緒戦の南方作戦で鹵獲したハリケーン・バッファロー・P-40・B-17などは羽田飛行場で戦意高揚のための展示会で一般公開されたほか、B-17は1942年公開の映画翼の凱歌』にて、バッファロー・P-40・ハドソンは、1943年公開の映画『愛機南へ飛ぶ』、1944年公開の映画『加藤隼戦闘隊』において、ともに一式戦闘機 隼などと対峙する敵機役として大々的に「出演」させている。戦地における鹵獲機装備の実戦部隊としては、P-40のみによる飛行隊がビルマ戦線編成され爆撃機迎撃用に投入されたものの、同士撃ちや消耗部品の供給の問題があったため短期間で解散している。

第二次大戦後の冷戦下で対立する陣営は大抵、アメリカ西側諸国)とソ連(東側諸国)の軍事支援により兵器を潤沢に供給されることが多いため、敵軍に偽装して敵地に潜入する特殊作戦以外で鹵獲兵器を軍の制式兵器として大々的に使用する例はほとんどないが、例外的にイスラエル軍は周辺を敵性国家に囲まれており、欧米諸国からの武器供給も決して安定しているわけではないため、鹵獲兵器(主に東側製)を有効活用するための改造を自国が導入した旧式兵器(主に西側製)の近代化改修同様に重視しており(T-54/55を改修したチランアチザリットなど)、そこで蓄積されたノウハウを活用した外国の兵器の近代化改修を請け負っている。また数度にわたる中東戦争で鹵獲したソ連製の戦闘機や戦車を、開発研究を行うアメリカ軍に引き渡している。

ただし、ベトナム戦争後のインドシナ半島では、統一ベトナムが旧南ベトナムが保有した米国製装備を中越戦争ベトナム・カンボジア戦争で活用している(これに対し、カンボジアではクメール・ルージュロン・ノル政権以前の米国製装備を「反革命的」としてことごとく破壊したといわれている)。

2014年ISILイラクへ侵攻し、モースルイラク治安部隊と交戦した際には、士気が低かったイラク側が武器を放棄して撤退。アメリカが供給したハンヴィーだけでも2,300台がISIL側に渡り、混乱が長引く要因の一つとなった[5][6]

2021年アフガニスタンからアメリカ軍の撤退が開始されるとターリバーンの反攻(2021年ターリバーン攻勢 参照)が本格化。士気が低下していた政府軍が次々と投降して、アメリカが供与した小火器、ハンヴィーなどの車両ほかUH-60 ブラックホークまでもが鹵獲されることとなった[7]

2022年ロシアによるウクライナ侵攻ではウクライナ軍の反転攻勢によりロシア軍が退却した際、多数の装備品が放棄され、ウクライナ軍に鹵獲された。その中にはT-90Aなどの最新型も含まれている。ウクライナ軍の装備はロシア軍と同様に旧ソ連製のものが基本であるため、操作の習得は容易であるうえに部品や弾薬の互換性も高く、動かないものもスペアパーツとして利用できる[8]。一方でロシア軍もウクライナ軍から戦車や艦艇(ギュルザ-M型砲艇など)を鹵獲している。

主な鹵獲例

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そのまま自軍の兵器として転用

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北京の中国人民革命軍事博物館で展示される「功臣号」
大日本帝国の旗 大日本帝国
ビルマ首都ラングーンの手薄な防空戦力増強のため、1943年2月、陸軍第5飛行師団が隷下の飛行第50戦隊フィリピン戦線で鹵獲したP-40E 4機を宛がい臨時の防空戦闘隊を編成した。しかし、鹵獲機材のため故障が発生しても予備部品がなく稼動率は低下。更に事故により5月26日を以て解散している[9]
主力の九五式軽戦車九七式中戦車より性能が勝っていたため、ビルマ戦線戦車第14連隊第4中隊がM3で編成、インパール作戦に投入され英印軍M3中戦車と交戦し、背後より射撃し撃破している。
硫黄島の戦いビルマ戦線において、遺棄されていた車両を鹵獲しそのまま使用。硫黄島の戦いでは外した搭載砲を砲台として自軍の九〇式野砲と併用し、交戦したM4中戦車を擱座炎上させている[10][11]。ビルマの戦いではメイクテーラ、マンダレー街道の対戦車戦闘後に遺棄されていた車輌を修理し戦闘に投入している[12]
第一次世界大戦後に大量に放出された本中国国民党軍は主力装備としたが、満州事変第一次上海事変日中戦争では工廠ごと大量に鹵獲接収し運用した。
太平洋の戦いで鹵獲された。日本軍は一〇〇式機関短銃よりもこっちをこぞって使った。
ナチス・ドイツの旗 ドイツ国
第二次世界大戦ではドイツ空軍爆撃機は所有していたが、大型4発爆撃機は運用していなかったこともあり、運用された。
爆撃機への迎撃の研究や隠密作戦で運用された。
C型やB型などの初期型やD型などの後期型などを含め多くが鹵獲された。
イタリアが本機を鹵獲していたほか、ドイツ軍も数機を鹵獲している。
墜落した機体を復元してテストした。
ドイツ軍が鹵獲し運用した他、フィンランドも鹵獲運用している。
東部戦線で多数が鹵獲され、写真が残っている。
他のソ連軍機とともに鹵獲された。
独ソ戦初期の電撃戦で多くが鹵獲された。
少数が鹵獲されており、写真が残っている。
墜落機などが復元されており、写真が残っている。
フランス降伏の際に多数を鹵獲している。
フランス降伏の際に鹵獲。頑丈な構造を買われて運用されている
独ソ戦の各所でまとまった数が鹵獲され改造を受けながら運用された。
ドイツが鹵獲した他フィンランドでも運用されていた。
放棄された車輌を多数鹵獲。キューポラを新たに装備した車輌も存在する。
ドイツ軍が数機を鹵獲している。
ドイツ軍が鹵獲。日本軍も太平洋戦線で完全な状態で鹵獲したが使用せず
Mk.1数機を鹵獲している。
鹵獲された本機のMk.1aの写真が残っている
独ソ戦初期に撃破された車両を鹵獲運用している
イタリアが連合国と休戦した後に数十輌が接収されて運用された。
イタリア休戦後に接収されて運用された。
多数がアフリカ戦線で鹵獲され、イタリアは新型戦車の参考にした。
4発重爆の不足からテストなどをしていた。
主に欧州戦線で運用された。
鹵獲したM3に「PzKpfw M3 740(a)」と命名し、主に東部戦線北アフリカ戦線でも運用された。
イタリア休戦の後、その場でこれらの前に完成した車輛はドイツ国防軍に接収された。約100輌のP40が戦争終結までアンサルド社によって生産されたものの、40両がエンジンの不足のため、完成に至らなかった。60両が「PanzerKampfwagen P40 737(i)」の呼称でドイツ軍に徴用され、アンツィオで戦闘に投入された。またエンジンのない車体40両が、固定砲台としてトーチカなどに使用された。
鹵獲したM3に「PzKpfw M3 747(a)」と命名し、主に東部戦線北アフリカ戦線でも運用された。
鹵獲したM4に「PzKpfw M4 748(a)」と命名し、北アフリカ戦線東部戦線で鹵獲したり、欧州戦線ではシャーマン ファイアフライも同じ分類で運用された。
鹵獲したT-34に「PzKpfw T-34 747(r)」と命名し、独ソ戦以降から運用された。
鹵獲したKV-1に「Pz.Kpfw.KW-1 753(r)」と命名。また、IV号戦車の砲を搭載する改造を行い「Pz.Kpfw.KW-1 753(r) mit 7.5 Kw.K L/43」と命名された車両もある。
鹵獲したT-70軽戦車を後方で治安維持任務に投入している。
北アフリカ戦線から欧州戦線や東部戦線まで運用された。
鹵獲したPPSh-41に「MP717(r)」と命名し、そのまま使用したりMP40箱形弾倉を使用できるように改造した。
鹵獲したM1/M1A1トンプソン・サブマシンガンに「MP761(a)」と命名し、そのまま使用した。
鹵獲したM1カービンに「SIGew455(a)」と命名し、そのまま使用した。
鹵獲したカルカノM1891に「Kar408(i)」と「Gew214(i)」と命名し、そのまま使用した(後者が6.5ミリ)。
鹵獲したルベルM1886に「Gew303(f)」と命名し、そのまま使用した。
鹵獲したM1ガーランドに「SIGew251(a)」と命名し、そのまま使用したり、米兵に扮した特殊部隊で用いられた。
鹵獲したモシンナガンに「Gew254(r)」と命名し、そのまま使用した。
鹵獲した120mm迫撃砲PM-38に「GrW378(r)」と命名し、後にはコピー品の12 cm GrW 42を生産している。
中華人民共和国の旗 中華人民共和国
日本の敗戦後に接収して、その中で運用されていた1両が国共内戦で「功臣号」として活躍。
フランスの旗 フランス
日本の敗戦後、フランス領インドシナで独立運動勢力の鎮圧に使用。砲塔両側面および戦闘室前面、車体前部に増加装甲を施している[13]
戦後に第503戦車連隊にて定数50輌の一個連隊のみで1951年ごろまで現役運用され、1961年ごろまでパリ近郊で予備保管された。
日本の敗戦後、フランス領インドシナに戻ったフランス軍1949年ごろまで現役運用され、インドシナ独立戦争においてベトナムでの連絡や偵察飛行のために使用。
ドイツの敗戦後に接収したZ39とその同型艦4隻が戦後アメリカイギリスに引き渡されるが、後にフランスに譲渡されて、マルセー戦隊にて1957年ごろまで現役運用されて、他の旧ドイツ駆逐艦のための部品取り用にされ、1963年に解体された
オーストラリアの旗 オーストラリア
第二次大戦中、北アフリカ戦線での初戦で降伏したイタリア軍から大量に鹵獲した戦車オーストラリア軍が転用している。M13/40の他に、M11/39も鹵獲され転用されている。この結果、後のイタリア軍とオーストラリア軍との戦闘の際は、両軍ともに同一の戦車を用いた戦闘を行うことになった。
ローデシアの旗 ローデシア
ローデシア紛争において自前の戦車を保有していなかったローデシア政府軍は、アフリカ人抵抗組織から鹵獲したT-55をそのまま使用していた。
バングラデシュの旗 バングラデシュ
第三次印パ戦争後、旧東パキスタン駐留のパキスタン空軍が装備していたF-86をバングラデシュ空軍が再生して運用。しかし、外国の支援が得られずに部品不足に陥った事、MiG-21が供給された事などから数年で退役。
チャドの旗 チャド
チャド内戦中、リビア空軍から鹵獲して使用。リビア国内の基地を空爆した事もあった。現在は退役している。
 ベトナム
ベトナム戦争に敗北した米軍や南ベトナム軍が使用していた物を回収し、民兵部隊などに供給した。
ベトナム戦争中、ベトコン南ベトナム軍から横流しされた物を使用。
ベトナム戦争中、ベトコンが鹵獲や横流しで手に入れた物を使用。
ベトナム戦争に敗北した南ベトナム軍が使用していた物を接収し、カンボジア侵攻に使用。
南ベトナム軍が使用していた物を接収。2018年現在も少数の機体が現役で配備されている。
ベトナム戦争に敗北した南ベトナム軍が使用していた物を接収し、カンボジア侵攻や中越戦争に使用。
イスラエルの旗 イスラエル
エジプト軍のものを鹵獲。イスラエル軍に該当する装備が無かったため、スエズ渡河作戦の際に水陸両用戦車として使用。
イランの旗 イラン
湾岸戦争末期、イランに逃亡して同国空港に次々に着陸した機体を接収、一部は現在も使用されている。
イギリスの旗 イギリス
フォークランド紛争アルゼンチン陸軍の機体を鹵獲(このほか同軍のCH-47 チヌークなども、ヘリコプターが不足していた事から一時的に使用している)。A109は紛争終結後にイギリス陸軍において特殊作戦向けの機体として使用した。好成績であったことから、同軍は独自に同機を追加購入している。
ポルトガルの旗 ポルトガル
第二次大戦中にアゾレス諸島に不時着したアメリカ陸軍航空軍の機体を接収。修繕後にポルトガル空軍で運用した。
セルビアの旗 セルビアユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国/ユーゴスラビアの旗 ユーゴスラビア連邦共和国
クロアチア独立戦争時に、クロアチア人武器密輸用にチャーターしたとされる民間のボーイング707をセルビア軍が鹵獲。輸送機が不足していたため、同機を人員輸送機としてボスニア紛争などに使用した。
クロアチアの旗 クロアチア
クロアチア独立戦争時、クロアチア人パイロットが旧ユーゴスラビア空軍から脱走する際に使用した機体を、クロアチア空軍戦闘機として使用。
 ウクライナ
2022年ロシアのウクライナ侵攻の際、ロシア軍は無秩序な撤退の結果、多数の装備品や物資を放棄しており、それらを鹵獲したウクライナ軍がロシア軍への攻撃に使用している[14]

改造した上で自軍の兵器として使用

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ナチス・ドイツの旗 ドイツ国
中華人民共和国の旗 中華人民共和国
 フィンランド
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
 ベトナム
  • M18カービン
    アメリカ軍や南ベトナム軍から回収したM16A1自動小銃を独自に改修したアサルトカービン。機関部をそのままに銃身を10.5インチのバレルに交換し、ストックを伸縮式に変更している。主に特殊部隊将校に配備されている。
イスラエルの旗 イスラエル
イランの旗 イラン
  • シームルグ
    イランが湾岸戦争勃発時に逃亡してきたイラク空軍の早期警戒機アドナン1を捕獲し、レーダーをイラン製に換装した早期警戒管制機。
タミル・イーラム解放の虎(スリランカの旗 スリランカ
 ウクライナ
  • T-62改造装甲回収車
    ロシアによるウクライナ侵攻の際、ロシア軍から鹵獲したT-62が装甲回収車に改造されているのが確認されている[16]

兵器開発の参考として使用

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大日本帝国の旗 大日本帝国
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
ナチス・ドイツの旗 ドイツ国
ドイツの旗 ドイツ帝国
  • A7V-U
    A7Vの悪路の走破性の悪さを改善するためイギリスの菱形戦車を参考にA7Vの部品を使い開発された。
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
  • P-80
    通し桁を用いて左右翼を一体製造し、その上に操縦席部分を載せ、機体後部をボルト留めする機体分割法は中島九七式戦闘機以降の日本軍機の標準的技法と同一であり、同時期の他のアメリカ軍機に類例がなく、また、異例の短期間で設計されていることから、詳細なレポートがあった日本軍鹵獲機の構造を模倣した可能性が指摘されている。

調査・研究として使用

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大日本帝国の旗 大日本帝国
  • B-17
    防空演習などにより対重爆戦闘の研究が行われ、また、銃後の防空意識高揚を目的に「敵機爆音集」と題したB-17の飛行高度別エンジン音を収録したレコードも製作され、映画『翼の凱歌』には敵機役で出演した。
  • P-51
    本土防空戦時には特に脅威となるP-51対策として、中国戦線で鹵獲したP-51Cを主に陸軍航空審査部テストパイロット黒江保彦少佐の操縦により、内地の防空飛行戦隊三式戦闘機 飛燕などと模擬空戦を行った。
  • F6F
    鹵獲した1機は戦後進駐してきた米軍が発見した際に、横須賀航空隊で日の丸塗装 ヨ-801という機番が書かれていた。しかし鹵獲したF6Fは実際には飛ばされた記録は無く、唯一参考にしたのは無線機のアース接地の方法だけで、米軍の方式を真似てからは、ノイズの発生が抑えられ、通信感度が良好になった。
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国

プロパガンダに使用

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平壌直轄市の大同江河畔に係留された「プエブロ」
大日本帝国の旗 大日本帝国
中華人民共和国の旗 中華人民共和国朝鮮民主主義人民共和国の旗 北朝鮮
大韓民国の旗 大韓民国
アゼルバイジャンの旗 アゼルバイジャン
 ウクライナ
ロシアの旗 ロシア

その他の利用

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明治二十七八年従軍記章(表面)
大日本帝国の旗 大日本帝国
パプアニューギニアの旗 パプアニューギニア

鹵獲を目的とした作戦

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文書の鹵獲

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青島の戦い後、ヴェルサイユ条約第8款(山東)第157条で日本は膠州湾地域内の旧ドイツ官有動産の所有権を取得した[21]。当時の日本では洋書は入手が容易でなく特に高価な品であり、ドイツ軍の兵士・将校用の図書館だった膠州図書館などからの鹵獲書籍は整理され、日本国内の旧制高校や大学などの機関に分配された[21]

沖縄戦では日本側の記録は爆撃等による焼失や戦場での廃棄などが行われたためほとんど残らず、米軍が残した資料は米国国立公文書館などに保存されているが、わずかに残った日本軍の資料は米軍に鹵獲され1950年代初めに日本側に返還された[22]

脚注

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  1. ^ a b 保井健呉「現代国際法における海上輸送規制法制の地位」『同志社法學』第72巻第1号、同志社法學會、2020年5月31日、15-67頁。 
  2. ^ 外交・安全保障 第3回:デュアルユース技術の拡散 ウクライナの戦場での無人航空機(UAV)」、三菱総合研究所、2022年8月4日。 
  3. ^ a b 和仁健太郎「伝統的国際法における敵船・敵貨捕獲の正当化根拠(一)」『阪大法学』第64巻第2号、大阪大学、2014年7月31日、37-72頁。 
  4. ^ 古代における異民族による武具略奪の事例としては、878年(9世紀末)に秋田城蝦夷によって焼き討ちされた際の報告として、甲冑300領や馬1,500匹、穀物類などを盗まれた記述があり(参考・『世界考古学体系4 日本IV』 平凡社 4版1966年 p.67)、武具被害が目立つ。戦国期の例でいえば、『北条五代記』に風魔小太郎が少数精鋭で敵地に侵入した際、繋いであった敵軍の馬に乗り、そのまま転用している
  5. ^ 軍用車ハンビー2300台がISの手に、イラク首相 AFP(2015年6月1日) 2017年7月14日閲覧
  6. ^ コラム:イスラム国を強大化させる米武器供与の「誤算」 AFP(2015年6月4日) 2021年6月6日閲覧
  7. ^ タリバンが軍事パレード アフガンに残された米軍の武器など誇示”. 毎日新聞 (2021年9月2日). 2021年9月3日閲覧。
  8. ^ 退却するロシアの兵器鹵獲 ウクライナ軍、反攻に投入”. www.afpbb.com. 2022年11月4日閲覧。
  9. ^ 『日本軍鹵獲機秘録』 押尾一彦、野原茂 (光人社 2002年)参照
  10. ^ 『帝国陸軍 戦車と砲戦車』学習研究社、181ページ
  11. ^ NHK取材班(編集)『硫黄島玉砕戦-生還者たちが語る真実』日本放送出版協会、147ページ。
  12. ^ ルイ・アレン(著) 平久保正男(翻訳)、小城正(翻訳)、永沢道雄(翻訳)『ビルマ 遠い戦場 下』原書房
  13. ^ 『日本戦車隊戦史』 上田信 (大日本絵画 2005年)
  14. ^ Journal, Yaroslav Trofimov | Photographs by Manu Brabo for The Wall Street. “ウクライナ軍、奪ったロシア製兵器でさらに攻勢”. WSJ Japan. 2022年11月4日閲覧。
  15. ^ 『捕獲戦車』 ヴァルター・J・シュピールベルガー 著 高橋慶史 訳(大日本絵画 2008年)参照
  16. ^ ウクライナ、壊れたロシア戦車を有効活用 貴重な回収車に改造 | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)”. forbesjapan.com. 2023年2月18日閲覧。
  17. ^ Su-25 フロッグフット, 世界の名機シリーズ, イカロス出版, (2019), pp. 76, ISBN 978-4-8022-0745-4 
  18. ^ 藤田昌雄『もう一つの陸軍兵器史 知られざる鹵獲兵器と同盟軍の実態』 光人社 2004年 ISBN 4-7698-1168-3
  19. ^ “ロシア、戦利品の欧米兵器を展示 戦勝記念日へ成果誇示”. 共同通信社. (2024年4月29日). https://nordot.app/1157429232435331377 2024年4月29日閲覧。 
  20. ^ 1990s Bougainville civil war: WWII weapons - wwiiafterwwii WWII EQUIPMENT USED AFTER THE WAR 2022年4月16日閲覧。
  21. ^ a b 志村恵「日独戦争と青島鹵獲書籍」『独文研究室報』第18号、2002年3月、17-32頁。 
  22. ^ 仲本和彦「沖縄戦に関する新資料の紹介~援護業務関係文書を中心に~」『公文書館研究紀要』第18号、沖縄県公文書館、1-13頁。 

関連項目

[編集]
亡命による取得作戦