アン・サリヴァン
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(アン・サリバンから転送)
アン・サリヴァン | |
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Anne Sullivan | |
1887年 | |
生誕 |
ジョアンナ・マンズフィールド・サリヴァン 1866年4月14日 アメリカ合衆国・マサチューセッツ州フィーディング・ヒルズ |
死没 |
1936年10月20日(70歳没) アメリカ合衆国・ニューヨークフォレストヒルズ |
国籍 | アメリカ合衆国 |
民族 | アイルランド系アメリカ人 |
出身校 | パーキンス盲学校 |
著名な実績 | ヘレン・ケラーの家庭教師 |
配偶者 | ジョン・アルバート・メイシー |
親 |
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アン・サリヴァンことジョアンナ(アン)・マンズフィールド・サリヴァン・メイシー(Anne Sullivan、またはAnnie Sullivan Macy、Johanna Mansfield Sullivan Macy、1866年4月14日 - 1936年10月20日)は、ヘレン・ケラーの家庭教師(ガヴァネス)。通称「アニー」。日本では「サリバン先生」の名で知られている。ヘレン・ケラーは彼女のおかげで、目、耳の二重の身体障害を克服した(声の障害は無かった)。ヘレン・ケラーの生涯を綴る戯曲は『奇跡の人』と訳されており、「奇跡の人」とはヘレンのことと日本では誤解されがちである。原題は「The Miracle Worker」であり、これは実際にはアンのことを指した言葉である。
生涯
[編集]- 1866年4月14日 - マサチューセッツ州フィーディング・ヒルで、アイルランド系移民の農民トマス・サリヴァンとアリス・クロージーの娘として生まれた。3歳の時、目の病気トラコーマとなる。9歳のとき母親が亡くなり、結核によって身体が不自由になった弟のジミーとチュークスバリー救貧院へ移り住んだ。弟はすぐに亡くなり、アン自身も目の病気の悪化によって視力を失う。その時に病室にて弟の死と自分が盲目ということで鬱状態となり、一切の食事を拒んだが、その病院の看護婦に毎日キリスト教の教えを説かれ、徐々に心を開いていったとされる。チャリティー州委員会議長(フランク・サンボーン)に学校に行きたいと訴えた。
- 1880年10月 - 14歳のときに、マサチューセッツ州ウォータータウンにあるパーキンス盲学校に入り、訓練と数度の手術の結果、視力を回復する。ただし光に弱く、常にサングラスをかけていた。1886年には、アンは卒業生総代としてスピーチを行った。また、在学中には視覚、聴覚障害を克服したローラ・ブリッジマンと出会い、友人になっている。この出会いと自身の盲目の経験が、後のヘレン・ケラーの教育に生かされたことは想像に難くない。聴覚障害児の教育を研究していたアレクサンダー・グラハム・ベル(電話の発明者として知られる)が、パーキンス盲学校を紹介し、アンがケラー家の家庭教師をすることになった。
- 1887年3月3日 - ヘレン・ケラーの家庭教師として教えはじめた。その後パーキン協会、ケンブリッジの女子学生対象の大学への進学を援助し、1900年、遂にヘレンはラドクリフ大学(ハーバード大学の女子学部)へ入学することができた。
- またヘレンの旅行に際してや、様々な講演旅行へ同伴することにより、彼女を支援し続けた。
- 1905年5月2日 - 11歳年下のジョン・アルバート・メイシー(ハーバード大学講師で、ヘレンの自叙伝のエディター)と結婚(1914年頃には別居状態となるものの、32年のメイシーの死まで正式な離婚はしなかった)。
- 1936年10月20日 - 冠動脈血栓症によりニューヨークのフォレストヒルズで死去。70歳。遺体はのちに火葬され、ワシントンD.C.の国立大聖堂の記念碑に埋葬された[1]。
著書
[編集]和書
[編集]- エ・エム・サリヴァン 著、堤芳江 訳『ヘレン・ケラーが語るまで 聾唖教育者の手記』教文館出版部、1934年3月。全国書誌番号:47032344。
- アン・サリバン 著、槙恭子 訳『ヘレン・ケラーはどう教育されたか サリバン先生の記録』明治図書出版、1973年4月。 NCID BN01127669。全国書誌番号:71012908。
- アン・サリバン 著、槙恭子 訳『ヘレン・ケラーはどう教育されたか サリバン先生の記録』(改版)明治図書出版、1995年7月。ISBN 9784181188092。 NCID BN12703648。全国書誌番号:96045258。
- サリバン 著、万成滋 訳、ジョン・A.メーシイ 編『愛とまごころの指 サリバン女史の手紙』社会思想社〈現代教養文庫 797〉、1973年10月。 NCID BN02517567。全国書誌番号:71014542。
アン・サリヴァン聾学校
[編集]ブラジル連邦共和国・リオデジャネイロ州・ニテロイ市には、アン・サリヴァンと名づけられた聾学校がある。学校の命名は彼女の功績をたたえたものである。
脚注
[編集]- ^ Wilson, Scott. Resting Places: The Burial Sites of More Than 14,000 Famous Persons, 3rd ed.: 2 (Kindle Locations 24972–24974). McFarland & Company, Inc., Publishers. Kindle edition.