ナンシー・ペロシ
ナンシー・ペロシ Nancy Pelosi | |
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2019年に公開された下院議長としての公式肖像写真 | |
生年月日 | 1940年3月26日(84歳) |
出生地 |
アメリカ合衆国 メリーランド州ボルチモア |
出身校 | トリニティ・ワシントン大学 |
所属政党 | 民主党 |
称号 | 教養学士 |
配偶者 | ポール・ペロシ (1963-) |
子女 | 5人 |
親族 | 父・トーマス・ダレサンドロ・ジュニア(ボルチモア市長) |
サイン | |
公式サイト | Congresswoman Nancy Pelosi |
在任期間 | 2019年1月3日 - 2023年1月3日 |
大統領 |
ドナルド・トランプ ジョー・バイデン |
在任期間 | 2007年1月4日 - 2011年1月4日 |
大統領 |
ジョージ・W・ブッシュ バラク・オバマ |
在任期間 | 2003年1月3日 - 2007年1月3日 |
院内幹事 | ステニー・ホイヤー |
在任期間 | 2011年1月3日 - 2011年1月3日 |
院内幹事 | ステニー・ホイヤー |
選挙区 |
(カリフォルニア州第5区→) (カリフォルニア州第8区→) (カリフォルニア州第12区→) カリフォルニア州第11区 |
在任期間 | 1987年6月2日 - 現職 |
その他の職歴 | |
アメリカ合衆国 下院少数党院内幹事 (2002年1月15日 - 2003年1月3日) (院内総務: ディック・ゲッパート) |
ナンシー・パトリシア・ペロシ(英語: Nancy Patricia Pelosi [pəˈloʊsi]、旧姓ダレサンドロ(D'Alesandro)、1940年3月26日 - )は、アメリカ合衆国の政治家。第60・63代アメリカ合衆国下院議長。民主党所属の下院議員。アメリカ合衆国史上初の女性、かつイタリア系アメリカ人の下院議長である。
来歴
[編集]メリーランド州ボルチモア出身。父親はメリーランド州の下院議員とボルチモア市長を務めたトーマス・ダレサンドロ・ジュニア(Thomas D'Alesandro Jr.)。
1987年、下院議員選挙に民主党から立候補し初当選。カリフォルニア州サンフランシスコなどを選挙区とし、11回当選を果している。2001年、当時少数党だった下院民主党の院内幹事に選出され、2003年、リチャード・ゲッパートの大統領候補指名への参戦に伴い、リーダーである下院院内総務となった。
2006年の中間選挙で民主党が下院で過半数を獲得したことにより、2007年1月、女性として初[注 1]の第60代下院議長[注 2] に就任した[注 3]。以後2008年の大統領選挙における民主党勝利、連邦議会選での躍進まで、大統領選に勝利したオバマと並んでブッシュ政権末期における民主党躍進の象徴的存在の一人であった。
しかし2010年の中間選挙にかけてオバマ政権の支持が低迷するに従って、リベラルな信条を優先して雇用問題を軽視した元凶として批判を浴びるようになり、対立野党の共和党のみならず民主党内からも批判を受けるなど、この批判が本選挙での下院民主党の苦戦を招く一因となった[1]。その中間選挙において民主党は、下院では60議席以上を失う歴史的大敗を喫して過半数を失い、下院多数党の地位を共和党に明け渡すこととなった。これにより、自身も2011年1月に開かれる新しい連邦議会(第112期合衆国連邦議会)では、下院議長の座を共和党のジョン・ベイナー院内総務に譲り退任することが確実となった。歴史的に見て、下院議長を務めていた議員は自ら出身政党が選挙に敗北し少数党となった場合、多くは一介の議員に戻っており[注 4]、引き続き院内総務やナンバー2の院内幹事[注 5] など下院少数党指導部の要職を務めるケースは非常に稀であったが[注 6]、第112期連邦議会でも院内総務を務める意欲を示して院内総務選挙に立候補し[2]、2010年11月17日の下院民主党議員総会において行われた選挙で当選を果たした[3]。2015年旭日大綬章受章。
2018年12月、2019年1月から始まる第116議会での8年ぶりの下院議長復帰に向けてリーダーシップの長期化や高齢化を懸念する反対派と任期を最大2期4年と上限を設定することや民主党下院の指導者の任期を通常3期(最大4期)に制限することなどで合意した[4]。
2020年のアメリカ大統領選挙で、民主党候補であるジョー・バイデン前副大統領への支持を表明した[5]。2021年1月3日、議長選挙で第4期目の下院議長に選出された。
2022年11月の中間選挙で民主党は下院において過半数割れに追い込まれた。同月17日、下院民主党トップを退任する意向を明らかにした[6]。
2024年12月、第二次世界大戦のバルジの戦いから80年を迎える記念行事のため、超党派の議員団とともにルクセンブルグを訪問。この際、階段から落ちて負傷。同月14日に人工股関節を設置する手術を受けた[7]。
主要政策
[編集]内政政策
[編集]ペロシは中絶や同性婚を擁護するリベラル派とみられている。また、2002年の「対イラク戦争容認決議案」には反対票を投じている。経済政策では石油関連企業向け優遇税制の見直し、中産階級向け減税、又1997年以来時給5.15ドルに据え置かれている最低賃金の引き上げなど、格差是正を主張している。後述の中国ほどでないがベトナム社会主義共和国政府がベトナム共産党の一党独裁の体制の下で反体制派、宗教活動家、民主運動家らを弾圧している事にも批判しており、これによりペロシは共産主義独裁体制には批判的と言える。2008年12月のイスラエルによるガザ空爆では「米国は友好的民主国家を力強く支えるべきだ」と主張し空爆を支持、親イスラエル姿勢を強調した。
対中政策
[編集]ペロシは中華人民共和国政府の人権抑圧政策に厳しい態度をとっており、天安門事件やチベット動乱における中国政府の行為を強く批判しているため、民主党内では対中最強硬派の議員の一人とも言われている。1991年の訪問で天安門広場で「中国の民主化のために犠牲になった人たちへささぐ」と中国語と英語で書かれた幕を掲げ、天安門事件の弾圧を批判したことがある。2008年は中国の人権問題を理由に、ジョージ・W・ブッシュ前大統領に北京オリンピック開会式の出席をボイコットするよう迫った。2009年の訪中の際にペロシの前に数十人の陳情者が「ペロシ、中国の人権に関心を持って」などと共産党の腐敗を訴えたが警官に拘束される場面を目撃しており[9]、さらに清華大学で講演を行ったが、中国の人権問題に関する言及はなかった。2009年にダライ・ラマ14世の訪米の際にオバマ大統領は会談を見送ったが、ペロシは下院外交委員長を務めた故トム・ラントスにちなんで創設された人権賞を贈った[10]。
2019年6月12日、香港で逃亡犯を中国本土に引き渡す条例の改正案(2019年逃亡犯条例改正案)をめぐり大規模なデモが発生したことに触れ、一国二制度の枠組みの中に十分な自治権が存在するか再評価する法案の提出を議会に呼び掛けた[11]。
2021年5月、ペロシは新疆ウイグル自治区の人権侵害問題を取り上げる中で「北京冬季五輪を各国首脳は欠席するべき」とする外交的ボイコットを提唱。これにアメリカ政府も同調[12]し、オリンピックとパラリンピックに政府関係者を出席させない方針を採った。こうした対応について、中国外務省は「スポーツの政治化は五輪精神に反し、すべての国のアスリートの利益を損なう」と述べ非難した[13]。
2022年8月2日、中国が自国の領土と主張する台湾を、ニュート・ギングリッチ以来25年ぶりの現職アメリカ合衆国下院議長として訪問した[14]。翌3日には蔡英文総統と会談し、特種大綬卿雲勲章を授与される[15]。これに対して、中国側は強く反発し中国人民解放軍が台湾周辺での軍事演習を行うなどして対抗した。
対日政策〜広島訪問
[編集]2008年9月2日には広島市で行われたG8下院議長会議のため訪日し、参加各国議長とともに平和記念公園の原爆死没者慰霊碑に献花を行った。これまで同慰霊碑に献花を行った現職の米要人としては過去最高クラスの人物である[注 7]。さらに各議長は広島平和記念資料館を訪れ、被爆者の体験談も聞いた[16]。バラク・オバマの広島訪問に対しては「大統領を誇りに思う。核兵器の拡大を防ぐために指導力を発揮している」と高く評価した。
対ロシア
[編集]2022年5月1日、ロシアによる侵攻が続くウクライナを訪問。キーウでゼレンスキー大統領と会談し、ウクライナへの支持を表明した[17]。なお同年前月にはブリンケン国務長官、オースティン国防長官が同様にウクライナを訪問して大統領と会談を行っていた[18]。
私生活
[編集]1963年9月、ポール・ペロシと結婚した[19]。夫はのちに実業家として大きな成功を収める[20]。政治戦略家のクリスティーンとドキュメンタリー作家のアレクサンドラを含む5人の子供を育てた。
2022年の自宅襲撃事件
[編集]2022年10月28日にカリフォルニア州サンフランシスコの自宅に男が侵入した。ペロシは不在であったが、夫のポール・ペロシが襲撃を受けて負傷した[21]。
エピソード
[編集]この節に雑多な内容が羅列されています。 |
- 2020年のトランプ大統領の一般教書演説で、終了後即座にトランプ大統領から渡された原稿を破り捨てた[22]。
- 2020年7月、何者かがフェイスブックとYouTube上に、ペロシの音声を改変した記者会見ビデオを投稿。フェイスブック側は「部分的に虚偽」との警告を出し、YouTube側は映像そのものを削除した[23]。
- 2020年8月31日、地元のサンフランシスコでマスクを着用していないまま美容院の店内に入り、サービスを受けたことが発覚。サンフランシスコでは、新型コロナウイルス対策によるロックダウン措置の一環として、美容室の屋内での営業は禁止されていた[24][25]。
- 2021年1月8日、2020年の大統領選で負けたトランプ大統領の精神状態を不安視し、トランプ大統領が核兵器を使った攻撃命令を出すことなどを防ぐためとしてマーク・ミリー統合参謀本部議長と協議した[26]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ イタリア系アメリカ人としても初。
- ^ 下院議長は、副大統領に次ぐ大統領職継承順位第2位の要職。
- ^ 伝統的に下院で多数となった党の院内総務が下院議長に昇格する。
- ^ ただし、当該選挙で自身が当選できた場合に限る。トム・フォーリー元下院議長のように、現職の下院議長でありながら落選してしまったケースもある。
- ^ ただし、アメリカの下院においては下院議長職の党派色が強いため、多数党の場合そのリーダーは下院議長であり、院内総務はナンバー2、院内幹事はナンバー3となる。
- ^ 下院院内総務職が初めて設けられた1899年以後で、下院議長を務めている際に自身の出身政党が選挙で少数党に転落し、その後少数党になってからも党指導部の要職を務めた例は、第83期連邦議会(1953年1月3日 - 1955年1月3日)で下院議長を務めた後、第84期連邦議会(1955年1月3日 - 1957年1月3日)および第85期連邦議会(1957年1月3日 - 1959年1月3日)で共和党下院院内総務を務めたジョゼフ・W・マーティン・ジュニアの例が最後である。また、院内幹事を務めた例は存在しない。
- ^ 現職ではないが、1984年にジミー・カーター元大統領が慰霊碑に献花を行った。
出典
[編集]- ^ ““新旧”下院議長泣き笑い 米中間選挙”. 東京新聞 TOKYO Web (中日新聞社). (2010年10月30日). オリジナルの2010年11月1日時点におけるアーカイブ。
- ^ “民主ペロシ氏、業績後退させぬと院内総務立候補”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2010年11月6日) 2010年11月6日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “米民主党下院院内総務にペロシ氏”. ウォール・ストリート・ジャーナル日本版 (ウォール・ストリート・ジャーナル・ジャパン). (2010年11月8日) 2010年12月5日閲覧。
- ^ ナンシー・ペロシ下院議長復帰に向け任期の制限で合意 2018年12月14日配信 Onebox News
- ^ “米民主ペロシ下院議長、バイデン氏に支持表明 大統領選”. Reuters (2020年4月27日). 2020年4月29日閲覧。
- ^ “ペロシ氏「新しい世代が主導を」 米下院民主トップ退任の意向”. 朝日新聞DIGITAL (2022年11月19日). 2022年11月19日閲覧。
- ^ “ペロシ元米下院議長、欧州訪問中の転倒で手術 「順調に回復」”. CNN (2024年12月15日). 2024年12月16日閲覧。
- ^ Krasny, Ros (2022年5月1日). “米下院議長が予告なしにキーウ訪問、ゼレンスキー大統領と会談”. ブルームバーグ. 2022年5月11日閲覧。
- ^ “北京で陳情者数十人を拘束 ペロシ米議長に人権訴え”. MSN産経ニュース (産経デジタル). (2009年5月27日). オリジナルの2009年6月14日時点におけるアーカイブ。
- ^ “ダライ・ラマに米議会で人権賞、オバマ大統領は面会せず”. ロイター (トムソン・ロイター). (2009年10月7日) 2011年1月10日閲覧。
- ^ “ペロシ米下院議長、香港の扱い見直す法制呼び掛け-条例改正案巡り”. Bloomberg (2019年6月13日). 2019年6月12日閲覧。
- ^ “雪が降らないからすべて人工雪…そもそも無理筋だった「北京冬季五輪」という政治案件の残念さ”. プレジデント (2022年1月27日). 2022年1月31日閲覧。
- ^ “中国、米の北京五輪外交ボイコット検討を批判 「スポーツの政治化」”. AFP (2021年11月19日). 2022年1月30日閲覧。
- ^ 日本放送協会. “アメリカ ペロシ下院議長が台湾に到着 | NHK”. NHKニュース. 2022年8月4日閲覧。
- ^ 蔡総統、ペロシ米下院議長に「特種大綬卿雲勲章」Ministry of Foreign Affairs, Republic of China (Taiwan) 2022-08-05
- ^ 「議長サミット開幕広島慰霊碑に献花」 『読売新聞』2008年9月2日付夕刊。
- ^ “ペロシ米下院議長、キーウ訪問 ウクライナ大統領と面会”. 2022年5月1日閲覧。
- ^ “ゼレンスキー氏との会談は3時間、鉄道でキーウ入り 米国務長官”. CNN (2022年4月25日). 2022年4月24日閲覧。
- ^ McManus, Margaret (February 4, 1995). “Baltimore-bred lawmaker lives, breathes politics”. The Baltimore Sun December 10, 2011閲覧。
- ^ “ポールペロシが120億XNUMX万ドルの純資産に到達した方法”. ザ・マネー・カンパニー. 2022年6月3日閲覧。
- ^ “米下院議長の夫に暴行 容疑者、不在の議長狙った疑い”. 日本経済新聞 (2022年10月28日). 2022年10月28日閲覧。
- ^ “トランプ氏が一般教書演説、ペロシ氏は終了後に原稿破る”. AFP通信 (2020年2月5日). 2020年4月29日閲覧。
- ^ “ペロシ米下院議長の偽ビデオが拡散、フェイスブックは警告表示”. CNN (2020年8月3日). 2020年8月6日閲覧。
- ^ “ぺロシ氏、マスクなしで美容院利用 トランプ氏が痛烈批判:時事ドットコム”. 時事ドットコム (2020年9月3日). 2020年9月4日閲覧。
- ^ Andrews, Natalie. “ペロシ下院議長、閉鎖中の美容院利用で謝罪せず 動画提供の店を批判”. WSJ Japan. 2020年9月4日閲覧。
- ^ “トランプ氏の核攻撃を懸念、米下院議長が軍トップと協議:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル (2021年1月9日). 2021年1月9日閲覧。
外部リンク
[編集]- Office of the Speaker official website
- Speaker Pelosi official House website
- Collected news and commentary at The New York Times
- Video Biography NIAF Lifetime Achievement Award
- Biography at the Biographical Directory of the United States Congress
- Profile at Project Vote Smart
- Financial information (federal office) at the Federal Election Commission
アメリカ合衆国下院 | ||
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先代 デニス・ハスタート ポール・ライアン |
アメリカ合衆国下院議長 2007年1月4日 - 2011年1月4日 2019年1月3日 - 2023年1月3日 |
次代 ジョン・ベイナー ケビン・マッカーシー |
先代 ディック・ゲッパート ステニー・ホイヤー |
下院少数党院内総務 2003年1月3日 - 2007年1月3日(第20代) 2011年1月3日 - 2019年1月3日(第22代) |
次代 ジョン・ベイナー ケビン・マッカーシー |
先代 デヴィッド・E・ボニアー |
下院少数党院内幹事 2002年1月15日 - 2003年1月3日 |
次代 ステニー・ホイヤー |
先代 ロン・デルムス |
カリフォルニア州選出下院議員 カリフォルニア州8区 1993年1月3日 – present |
現職 |
先代 サラ・バートン (1987年2月21日死去) |
カリフォルニア州選出下院議員 カリフォルニア州5区 1987年6月2日 – 1993年1月3日 |
次代 ボブ・マツイ |
党職 | ||
先代 ビル・リチャードソン |
民主党全国大会議長 2008 |
次代 アントニオ・ヴィラライゴサ |
アメリカ合衆国の儀礼席次 | ||
先代 マーシー・キャプター |
下院議員の先任順 第5位 |
次代 フランク・パロン |