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バーバラ・ジョーダン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
バーバラ・ジョーダン
Barbara Charline Jordan
生年月日 (1936-02-21) 1936年2月21日
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 テキサス州ヒューストン
没年月日 1996年1月17日(1996-01-17)(59歳没)
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 テキサス州オースティン
出身校 テキサスサザン大学 (BA)
ボストン大学 (LLB)
前職 ビル・ムーア
所属政党 民主党
称号 大統領自由勲章
配偶者 ナンシー・アール(同棲相手 1960年代後半–1996年)
親族 エドワード・パットン(英語)下院議員

選挙区 テキサス州の旗 テキサス州第18区選出
在任期間 1973年1月3日 - 1979年1月3日

テキサス州の旗 テキサス州
上院議員
選挙区 第11区
在任期間 1967年1月10日 - 1973年1月3日
州知事 ジョン・コナリー
プレストン・スミス
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バーバラ・シャーリーン・ジョーダン英語: Barbara Charline Jordan1936年2月21日 - 1996年1月17日)は、アメリカ合衆国の教育者[1]政治家

民主党に所属し、アフリカ系アメリカ人初のテキサス州選出連邦下院議員を務めたのち、リコンストラクションを経て南部諸州出身のアフリカ系女性から上院議員第1号に選ばれた[2]。1973年にリチャード・ニクソン大統領の弾劾の過程(英語)が始まると、下院司法委員会公聴会で雄弁をふるったジョーダンの冒頭陳述は人々の記憶に残った[3]。1976年の民主党全国大会で女性初、アフリカ系アメリカ人初の基調演説を行い、移民政策改革を論じた委員会をまとめる委員長として功績を残した。

大統領自由勲章ほかの栄誉を受け、アフリカ系アメリカ人の女性で初めてアメリカ連合国時代から続くテキサス州霊園に埋葬されている[4][5]

経歴

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幼少期から学生時代

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1936年2月21日にテキサス州ヒューストン第5区(英語)に誕生する[2]。子供時代は教会生活が中心であった。ジョーダンの母親アーリン・パットン・ジョーダンは教会の教師[1][6]、父親ベンジャミン・ジョーダンはバプテスト教会の説教者であった。なお母方の曾祖父エドワード・パットン(英語)は、ジム・クロウ法の下でアフリカ系テキサス州民の公民権が剥奪される前の、テキサス州選出アフリカ系アメリカ人最後の下院議員の1人であった。3人きょうだいの末っ子で[1]ロバーソン小学校に通い[6]、1952年にフィリス・ウィートリー高校(英語)を優等で卒業した[1][6][7]

ジョーダンは高校の時にエディス・S・サンプソンのスピーチを耳にして、将来は弁護士になろうと決めたという[8]。人種隔離政策が続きテキサス大学オースティン校に入学できなかったため歴史的黒人大学ひとつテキサスサザン大学(英語)へ進み、政治学歴史学を専攻する。在学中に学生ディベート大会に出場してイェール大学ブウラン大学の代表と討論し、ハーバード大学代表とは引き分けた[6]。1956年に同学を優等生(マグナ・クム・ラウデイ(英語)[注 1])として卒業する[6][7]。母校では女子学生友愛会の全国組織デルタ・シグマ・セタ(英語)のデルタ・ガンマ支部に誓約を立てた[6]

大学院はボストン大学ロースクールに進み、1959に卒業(法学学士)[6][7]、政治学講師としてアラバマ州のやはり歴史的黒人大学のひとつ(Tuskegee Institute)で1年、教えている[6]。その後1960年にテキサスに戻ると法律家として個人事務所を開いた[6]

政治家として

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テキサス州下院議員選挙(en:Texas House of Representatives)に1962年と1964年に立候補したジョーダンだが、どちらも落選し[9]、1966年の補欠選挙で目標をテキサス州上院議員に切り替えて当選すると、1883年の同州上院設立以来、初のアフリカ系アメリカ人議員、また同時に同州議会初の黒人女性代議士となった[9]。1968年には任期切れに伴う通常選挙で再選され、1972年まで在職する。州上院の時限付き女性議長(en:pro Tempore )としては初のアフリカ系アメリカ人議員であり、1972年6月10日には知事代行を務めた[10][11]。州知事職に就任したアフリカ系アメリカ人女性はジョーダンが初であり[12]、州議会議員の在職中に法案およそ70件を提案もしくは共同提案した[9][13]

民主党全国大会の冒頭、基調講演を行うバーバラ・ジョーダン(1976年)

1972年の合衆国下院議員選挙が開票されると、ジョーダンはテキサス州女性代議士初の国政下院議員に当選した。リンドン・B・ジョンソン大統領は広範に支援してジョーダンの下院司法委員の座を確保させた。1974年にジョーダンはテレビ演説を行うと、ジョンソンに代わって大統領に選ばれたリチャード・ニクソンに対する下院司法委員会の弾劾請求を支持し、世論をつかんだ[14]。翌1975年にはアメリカ合衆国下院カール アルバート議長の指名を受け民主党運営政策委員会(英語)委員として努める。

ジミー・カーター候補(ジョージア州)が立候補した1976年大統領選挙ではジョーダンが副大統領に推されるが[9]、実際には同年の民主党全国大会でアフリカ系アメリア人女性第1号として基調演説に立った[9]。また候補者でこそなかったが、同大会で1票(0.03%)がジョーダンに投じられた[15]

1977年11月の全米女性会議(1977 National Women's Conference)では歴代の大統領夫人ロザリン・カーターベティー・フォードレディ・バード・ジョンソン、あるいは法曹界ベラ・アブザグ英語版、オードリー・コロム(国連女性の地位委員(英語)、クレア・ランドール(Claire Randall)、ゲリディー・ウィーラー(Gerridee Wheeler)ほか、スタンフォード大学教授セシリア・バーシアガ(英語)グロリア・スタイネム、レノア・ハーシー『Ladies' レディース・ホーム・ジャーナル(英語)編集長およびジーン・オリアリー(英語)レズビアン解放委員会(英語)創設メンバー)と肩を並べて登壇した[16]

政界を1979年に引退したジョーダンは、テキサス大学オースティン校リンドン・B・ジョンソン公共問題大学院の非常勤教授として倫理学を教える。1992年の民主党全国大会では再び基調講演を行なった。

クリントン大統領がジョーダンに大統領自由勲章を授与した1994年、全米黒人地位向上協会がスピンガーン章を贈呈する[1]など、あまたの表彰を受ける。テキサス州とアメリカ合衆国の女性の殿堂に選ばれ、名誉学位を授かったアメリカ各地の大学や大学院にはハーバード大学プリンストン大学を含んだ[1]

主な著作

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  • Barbara Jordan (共著)Education tomorrow : for whom? : Why? : Addresses given in the plenary sessions at the 1975 national forum, October 26-28, 1975. New York : College Entrance Examination Board(大学入学考査委員会)、1975年頃。LCCN 76-364900.
  • Rostow, Elspeth D. 共編 The Great Society : a twenty year critique. Austin, Tex. : テキサス大学大学院リンドン・B・ジョンソン記念図書館(Lyndon B. Johnson School of Public Affairs, Lyndon Baines Johnson Library)。1986年頃。LCCN 85-82443ISBN 0899404170 (pbk.)。
  • Richards, Ann 序、Parham, Sandra 編 Barbara C. Jordan, Speeches--selected speeches. Washington, DC : Howard University Press, 1999. LCCN 99-11022ISBN 0882581996 (pbk. : acid-free paper)
  • Hearon, Shelby 共編 Barbara Jordan, a self-portrait. Garden City, N.Y. : Doubleday, 1979. LCCN 78-2049ISBN 0385135998
  • Sherman, Max 編 Barbara Jordan : speaking the truth with eloquent thunder. 1st ed. + 1 DVD (ドルビーサラウンド、カラー画像 12cm) Austin : University of Texas Press, 2007. LCCN 2006-17267ISBN 9780292716377, 0292716370

脚注

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注釈

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  1. ^ 教育機関によるが成績順に上位5–15%以内の学生を指す。

出典

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  1. ^ a b c d e f Finkelman, Paul (2009). Encyclopedia of African American History 1896 to the Present: From the Age of Segregation to the Twenty-First Century. New York: Oxford University Press. pp. 59–61. ISBN 978-0-19-516779-5 
  2. ^ a b Clines, Francis X. (January 18, 1996). “Barbara Jordan Dies at 59; Her Voice Stirred the Nation”. The New York Times. ISSN 0362-4331. https://www.nytimes.com/1996/01/18/us/barbara-jordan-dies-at-59-her-voice-stirred-the-nation.html 2016年10月22日閲覧。 
  3. ^ JORDAN, Barbara Charline | US House of Representatives: History, Art & Archives”. history.house.gov. 2016年10月22日閲覧。
  4. ^ Barbara Jordan”. Humanities Texas. 18 February 2016閲覧。 “... When she died, in 1996, her burial in the Texas State Cemetery marked yet another first: she was the first black woman interred there.”
  5. ^ Wilson, Scott. Resting Places: The Burial Sites of More Than 14,000 Famous Persons, 3d ed.: 2 (Kindle Location 24267). McFarland & Company, Inc., Publishers. Kindle Edition
  6. ^ a b c d e f g h i Barbara Jordan”. July 16, 2011時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年5月23日閲覧。 at Beejae.com
  7. ^ a b c Profile: Barbara Jordan (1936–1996)”. November 14, 2008時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年5月23日閲覧。 at Human Rights Campaign
  8. ^ Ross, Irwin (February 1977). “Barbara Jordan-New Voice in Washington”. The Reader's Digest: 148–152. 
  9. ^ a b c d e Stateswoman Barbara Jordan – A Closeted Lesbian”. Planet Out. December 14, 2007時点のオリジナルよりアーカイブ。July 12, 2007 [アメリカ合衆国の政治家バーバラ・ジョーダン – 秘密のレズビアン]閲覧。
  10. ^ “Black Woman in Texas Is Governor for a Day (Published 1972) [テキサス州の黒人女性が一日知事に(1972年出版)”] (英語). The New York Times. (1972年6月11日). ISSN 0362-4331. https://www.nytimes.com/1972/06/11/archives/black-woman-in-texas-is-governor-for-a-day.html 2021年2月28日閲覧。 
  11. ^ Today in Texas History: Governor Barbara Jordan? [今日のテキサス史:バーバラ・ジョーダン知事?]” (英語). Texas on the Potomac (2010年6月10日). May 28, 2018時点のオリジナルよりアーカイブ2021年2月28日閲覧。
  12. ^ Wallis, Jay (WFAA) (May 20, 2020). “WFAA Academy: Houston's Barbara Jordan became the first black woman elected into the Texas State Senate [WFAAアカデミー:ヒューストン選出バーバラ・ジョーダン、黒人女性初のテキサス州上院議員に選出]”. wfaa.com. 2023年10月10日閲覧。
  13. ^ テキサスサザン大学特別収集品「バーバラ・ジョーダン資料」2015年10月15日。
  14. ^ “Barbara C. Jordan [バーバラ・C・ジョーダン”]. History.com. (2009年). http://www.history.com/topics/black-history/barbara-c-jordan 7 May 2015閲覧。 
  15. ^ Our Campaigns – US President – D Convention Race – Jul 12, 1976”. 4 July 2015閲覧。
  16. ^ KERA; The Walter J. Brown Media Archives & Peabody Awards Collection (University of Georgia, Athens, Georgia) (1977年11月21日). “National Women's Conference: A Question of Choices [全米女性会議:選択の如何]” (英語). アメリカ公共放送アーカイブ. The Walter J. Brown Media Archives & Peabody Awards Collection at the University of Georgia [ジョージア州立大学ウォルター・J・ブラウン・メディア・アーカイブ&ピーボディ賞コレクション]. 2023年10月10日閲覧。

関連項目

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関連資料

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  • Rogers, Mary Beth. 1998. Barbara Jordan: American hero.

外部リンク

[編集]


先代
ウィリアム・タイラー・ムーア
テキサス州の旗 テキサス州上院議員
1967年1月10日 - 1973年1月3日
次代
チェット・ブルックス
先代
ボブ・プライス
アメリカ合衆国の旗 連邦下院議員テキサス州第18区選出)
1973年1月3日 - 1979年1月3日
次代
ミッキー・リーランド(英語)