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カール・ウィルソン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
カール・ウィルソン
基本情報
出生名 カール・ディーン・ウィルソン
生誕 1946年12月21日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州ホーソーン
死没 (1998-02-06) 1998年2月6日(51歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州ロサンゼルス
ジャンル ポップ・ロック
職業 ミュージシャンソングライター
担当楽器 ギターボーカルキーボードベース
活動期間 1960年 - 1998年
レーベル キャピトル・レコード
共同作業者 ザ・ビーチ・ボーイズ
著名使用楽器
Gibson ES-355

カール・ディーン・ウィルソン(Carl Dean Wilson、1946年12月21日 - 1998年2月6日)は、アメリカのミュージシャンザ・ビーチ・ボーイズのオリジナル・メンバーである。リードギター担当。メンバーのブライアン・ウィルソンは長兄、デニス・ウィルソンは次兄にあたる。

立派な体格と「天使の歌声」と称されるほどの美しい歌声の持ち主で、「グッド・ヴァイブレーション」、「神のみぞ知る」、「ダーリン」、「アイ・キャン・ヒア・ミュージック」、「ブレイク・アウェイ」、「サーフズ・アップ」等、数多くの曲のリード・ヴォーカルを務めた。また、ソングライターとしても一定の才能を持ち、「ロング・プロミスド・ロード」、「フィール・フロウズ」、「ザ・トレイダー」などの佳曲を残した。

Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第20位[1]

1970年代に入り、ブライアンが精神疾患等の理由によりバンド活動から遠ざかってしまうと、代わってカールがバンドの中心人物となり、音楽性の面でも運営面でもバンドを主導した。特にヴォーカリストとしての成長が著しく、パワー唱法をも身に着け、失われたブライアンのファルセットに代わる、ビーチ・ボーイズの新たな魅力となった。社交的な性格故に、外部のセッション・ワークにも多く参加するようになった。

1980年後半から1981年、音楽的な方向性の違いから一時ビーチ・ボーイズの活動から離れ、ソロ活動を行ったが、1982年4月のツアーより復帰した。翌年発表された2作目のソロ・アルバム『ヤングブラッド』は、大部分が復帰前の録音である。

その後、長らくビーチ・ボーイズを支え続けたが、1998年肺がんにより死去した。51歳没。カールの死後まもなくして、アル・ジャーディンがビーチ・ボーイズのツアーからの離脱を宣言し、カールという柱石を失ったビーチ・ボーイズは事実上の分裂状態に陥った。

兄ブライアンは、カールの死の4ヶ月後に発売されたソロアルバム『イマジネーション』に追悼曲「Lay Down Burden」を収録した[2]

使用ギターはフェンダー・ストラトキャスターフェンダー・ジャガーリッケンバッカー・360/12ギブソン・ES-335カスタム、エピフォン・リヴィエラXIIなど。様々なタイプのギターを使用していたが、1970年代以降はES-335(後にネックをES-355のものに移殖)がトレードマークとなった。字を書いたりするのは左利きだったが、ギターはすべて普通の右用を使用した。

楽曲によっては違う楽器を演奏したこともあり、1968年から1969年のライヴやTV出演では、デニスがリード・ヴォーカルを担当する際はドラムを担当したことがあった。「ロング・プロミスド・ロード」「フィール・フローズ」「オール・ディス・イズ・ザット」をライヴで演奏する際にはキーボードを担当した。「グッド・バイブレーション」のライヴ演奏の際、1970年代前半まではベースでリフを弾きながら歌っていた。

脚注

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  1. ^ Rocklist.net...Q Magazine Lists..”. Q - 100 Greatest Singers (2007年4月). 2013年5月21日閲覧。
  2. ^ "... another [song] is dedicated to brother Carl ('Lay Down Burden')." Granata, Charles; Asher, Tony (October 1, 2016). Wouldn't It Be Nice: Brian Wilson and the Making of the Beach Boys' Pet Sounds. https://books.google.com/books?id=aF6rDAAAQBAJ 

外部リンク

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