クリストファー・マクドナルド (実業家)
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名前 | ||||||
ラテン文字 | Christopher W. MCDONALD | |||||
基本情報 | ||||||
生年月日 |
1931年12月13日 イングランド, ロンドン | |||||
没年月日 |
2011年12月2日(79歳没) 日本, 東京都文京区 | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | GK | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
YC & AC | ||||||
1955-1956 | 東京クラブ | |||||
TRICKクラブ | ||||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
クリストファー・W・マクドナルド (英語: Christopher W McDonald、1931年12月13日 - 2011年12月2日) は、イングランド・ロンドン出身の実業家、サッカー選手。
略歴
[編集]1950年4月に来日しNCR社の日本法人「ナショナル金銭登録機」に勤務。その後1980年からはロレックスの日本法人取締役となり、後に社長・会長も務めた。
訪日以前から趣味としていたサッカーでは横浜カントリー・アンド・アスレティック・クラブ (YC & AC) 、東京クラブ、TRICKクラブなどに所属してゴールキーパーを務め、全国都市対抗サッカー選手権大会への出場経験もある[1][2]。
また、1958年アジア競技大会や1964年の東京オリンピックでは国際サッカー連盟 (FIFA) 役員へのリエゾン(連絡係)を務め、日英間のサッカー交流に貢献。また1960年代から70年代にかけてイングランドの強豪クラブの来日に尽力。またイングランドのアマチュア選手のオールスターとも言うべきミドルセックス・ワンダラーズA.F.C.の来日にも関わり、さらに全国高等学校サッカー選手権大会では長年に渡り同クラブから寄贈された「ミドルセックス・ワンダラーズ杯」の優勝チームへのプレゼンターを務めた。
1992年より日本サッカー協会 (JFA) 顧問、1993年から2008年まで日本プロサッカーリーグ (Jリーグ) の裁定委員会委員も務めた。
1978年に大英帝国勲章OBE、2009年に旭日小綬章をそれぞれ授与された。
2011年8月9日、日本とイギリスのサッカー交流に貢献した功績を称え、JFAより第8回日本サッカー殿堂顕彰者に選出された[3][4]。
2011年12月2日、東京都文京区で間質性肺炎のため死去した[5]。
脚注
[編集]- ^ C・マクドナルド「サッカー随想 懐かしのTRICKクラブ」『イレブン』 1979年12月号、日本スポーツ出版社、135頁。
- ^ “クリストファー W・マクドナルド”. 日本サッカーアーカイブ. 2013年7月13日閲覧。
- ^ 第8回日本サッカー殿堂 掲額者日本サッカー協会 トピックス 2011年8月9日告示
- ^ 日本サッカー殿堂掲額者プロフィール (PDF) 日本サッカー協会 トピックス資料 2011年8月9日告示
- ^ “日英サッカーの“架け橋”C・マクドナルド氏死去”. スポーツニッポン (2011年12月5日). 2014年9月6日閲覧。