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ゴルディコヴァ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ゴールディコーヴァから転送)
ゴルディコヴァ
欧字表記 Goldikova
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 2005年3月15日
死没 2021年1月6日(16歳没)
Anabaa
Born Gold
母の父 Blushing Groom
生国 アイルランドの旗 アイルランド
生産者 Wertheimer et Frere
馬主 Wertheimer et Frere
調教師 Freddie Headフランス
競走成績
生涯成績 27戦17勝
獲得賞金 4,466,040ユーロ
勝ち鞍
G1 ロートシルト賞 2007年 - 2011年
G1 ムーラン・ド・ロンシャン賞 2008年
G1 BCマイル 2008年 - 2011年
G1 ファルマスS 2011年
G1 ジャック・ル・マロワ賞 2009年
G1 イスパーン賞 2010・2011年
G1 クイーンアンS 2010年
G1 フォレ賞 2010年
G3 クロエ賞 2008年
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ゴルディコヴァ (Goldikova) は、フランス競走馬である。マイル路線で活躍し、2008年 - 2010年ブリーダーズカップ・マイル3連覇など、ヨーロッパのG1競走最多勝利となる14勝を挙げている。

経歴

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2007年

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2007年9月にデビューしデビュー戦で勝利。続く一般レースでも勝利し2戦2勝で2歳シーズンを終える。

2008年

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2008年、3歳になったゴルディコヴァは一般レースで復帰し、クビ差の2着と惜敗するも、フランスクラシック戦線の有力牝馬の一角としてみなされるようになる。しかし、プール・デッセ・デ・プーリッシュディアヌ賞ザルカヴァに完敗してしまう。しかし、ザルカヴァはヴェルメイユ賞も勝利してフランス牝馬三冠を達成し、さらに凱旋門賞をも制覇した名牝で、相手が悪かったとの見方が後にされるようになる。

その後ザルカヴァと別のマイル路線に進むことにした陣営は、G3のクロエ賞から出直し勝利。するとロートシルト賞ムーラン・ド・ロンシャン賞をともにダルジナを破って勝利。その後アメリカに遠征し、ブリーダーズカップ・マイルも勝利した。

2009年

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2009年、4歳緒戦で距離が伸びたイスパーン賞では見せ場がなく7着に敗れたが、マイルに戻ったファルマスステークスでは1番人気に応え、G1競走4勝目を挙げた。ロートシルト賞ではこの年のプール・デッセ・デ・プーリッシュ馬イルーシヴウェーヴに1馬身1/2差をつけ勝利、同競走を連覇した。続いて出走したジャック・ル・マロワ賞では後続に同競走史上最長となる6馬身差をつけ1:33.5のレースレコードで勝利した[1]。そして、10月のフォレ賞では圧倒的1番人気に支持されたが、ハイペースとなったため失速し伏兵ヴァレナーらにかわされ3着に敗れた。その後アメリカに遠征し、目標であったブリーダーズカップ・マイルに勝利。ミエスクルアー以来の連覇を果たした。この年、カルティエ賞では最優秀古馬に、エクリプス賞では最優秀芝牝馬に選ばれた。

2010年

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2010年、5歳となり緒戦は前年同様イスパーン賞から始動、レースではバイワードに半馬身差つけ快勝、前年の雪辱を果たすと共にG1競走8勝目を挙げた。続くクイーンアンステークスは早めに先頭に立ち、外から追い込むパコボーイをクビ差凌いで9つ目のG1を制した。そして、8月のロートシルト賞を3番手追走からムチを入れる事なく楽に抜け出して3連覇するとともにG1競走10勝目を挙げた。しかし、2頭のラビットを用意し、断然人気で連覇を目指したジャック・ル・マロワ賞では好位から抜け出すも後続を突き放せず、マクフィに差されて2着に敗れた。昨年同様にブリーダーズカップ・マイルのステップレースとして出走したフォレ賞では、好スタートから抑え切れない勢いで逃げる形になる。直線でリーガルパレードのロングスパートに遭うが落ち着いて追走して残り1ハロンで再び先頭に立ち、パコボーイ、ディックターピンの追撃を抑えて勝利。ミエスクを抜いて、ヨーロッパにおける最多勝利の新記録となる、G1競走11勝目を挙げた。3連覇のかかったブリーダーズカップ・マイルでは、スタート直後行きたがる素振りを見せるも、コーナーリングを利用して中団に落ち着かせて追走。直線に入ってスパートをかけ、残り1ハロンで先頭に立ち、そのままジオポンティ以下を抑えて優勝。ブリーダーズカップ・ワールド・サラブレッド・チャンピオンシップの全施行競走を通じても初となる、同一競走3連覇を達成した。翌週、陣営はブリーダーズカップ・マイル4連覇を目標に現役を続行させることを表明する。この年の活躍が認められ、カルティエ賞年度代表馬および最優秀古馬に、エクリプス賞最優秀芝牝馬に選出される。

2011年

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2011年、緒戦のイスパーン賞ではシリュスデゼーグルにクビ差ながらも勝利し、連覇を果たした。しかし続くクイーンアンステークスでは英愛のマイルG1を4連勝中だったキャンフォードクリフスのマークを振りきれず1馬身差で敗れる。ロートシルト賞では2番手追走から早めに抜け出し、サプレザの追い込みを抑えて同競走の4連覇を達成した。ジャック・ル・マロワ賞では後方追走から馬群内側に進路を取るが、外から追い込んできたイモータルヴァースに抜かれて2着。連覇のかかったフォレ賞ではドリームアヘッドのアタマ差の2着に敗れた。その後アメリカに遠征し、史上初の4連覇がかかったブリーダーズカップ・マイルに出走したが3着に敗れ、快挙はならなかった。そのレースを最後に引退し、クールモアスタッドで繁殖牝馬入りする。

競走成績

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競走日 競馬場 競走名 距離 着順 騎手 着差 1着馬(2着馬)
2007.09.17 シャンティイ トートヴォワ賞 芝1600m 1着 O.ペリエ 4馬身 (Perfect Hand)
0000.10.08 シャンティイ ロリー賞 芝1600m 1着 O.ペリエ 2馬身 (Seal Bay)
2008.04.03 ロンシャン ルーヴル賞 芝1600m 2着 O.ペリエ クビ Azabara
0000.05.11 ロンシャン プール・デッセ・デ・プーリッシュ G1 芝1600m 2着 O.ペリエ 2馬身 Zarkava
0000.06.08 シャンティイ ディアヌ賞 G1 芝2100m 3着 O.ペリエ 4 1/2馬身 Zarkava
0000.07.06 メゾンラフィット クロエ賞 G3 芝1600m 1着 O.ペリエ 3馬身 (Top Toss)
0000.08.03 ドーヴィル ロートシルト賞 G1 芝1600m 1着 O.ペリエ 1/2馬身 (Darjina)
0000.09.07 ロンシャン ムーラン・ド・ロンシャン賞 G1 芝1600m 1着 O.ペリエ 1/2馬身 (Darjina)
0000.10.25 サンタアニタパーク BCマイル G1 芝8f 1着 O.ペリエ 1 1/4馬身 (Kip Deville)
2009.05.17 ロンシャン イスパーン賞 G1 芝1850m 7着 O.ペリエ 10 1/2馬身 Never on Sunday
0000.07.08 ニューマーケット ファルマスS G1 芝8f 1着 O.ペリエ 1/2馬身 (Heaven Sent)
0000.08.02 ドーヴィル ロートシルト賞 G1 芝1600m 1着 O.ペリエ 1 1/2馬身 (Elusive Wave)
0000.08.16 ドーヴィル ジャック・ル・マロワ賞 G1 芝1600m 1着 O.ペリエ 6馬身 (Aqlaam)
0000.10.03 ロンシャン フォレ賞 G1 芝1400m 3着 O.ペリエ 1/2馬身 Varener
0000.11.07 サンタアニタパーク BCマイル G1 芝8f 1着 O.ペリエ 1/2馬身 (Courageous Cat)
2010.05.23 ロンシャン イスパーン賞 G1 芝1850m 1着 O.ペリエ 1/2馬身 (Byword)
0000.06.15 アスコット クイーンアンS G1 芝8f 1着 O.ペリエ クビ (Paco Boy)
0000.08.01 ドーヴィル ロートシルト賞 G1 芝1600m 1着 O.ペリエ 3馬身 (Music Show)
0000.08.15 ドーヴィル ジャック・ル・マロワ賞 G1 芝1600m 2着 O.ペリエ 2 1/2馬身 Makfi
0000.10.03 ロンシャン フォレ賞 G1 芝1400m 1着 O.ペリエ 1/2馬身 (Paco Boy)
0000.11.06 チャーチルダウンズ BCマイル G1 芝8f 1着 O.ペリエ 1 3/4馬身 (Gio Ponti)
2011.05.22 ロンシャン イスパーン賞 G1 芝1850m 1着 O.ペリエ クビ (Cirrus des Aigles)
0000.06.14 アスコット クイーンアンS G1 芝8f 2着 O.ペリエ 1馬身 Canford Cliffs
0000.07.31 ドーヴィル ロートシルト賞 G1 芝1600m 1着 O.ペリエ 短クビ (Sahpresa)
0000.08.15 ドーヴィル ジャック・ル・マロワ賞 G1 芝1600m 2着 O.ペリエ 1馬身 Immortal Verse
0000.10.02 ロンシャン フォレ賞 G1 芝1400m 2着 O.ペリエ アタマ Dream Ahead
0000.11.05 チャーチルダウンズ BCマイル G1 芝8f 3着 O.ペリエ 1馬身 Court Vision

エピソード

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ジャック・ル・マロワ賞勝利後、管理するヘッド調教師は「ゴルディコヴァの方が(自身が手綱を取った)ミエスクより上」と評価した[2]。また、ワールド・サラブレッド・ランキングはこのレースの走りに対し、ザルカヴァの凱旋門賞のレーティング128ポンドを上回る、現在の評価方法が採用されて以降最高の130ポンドの評価を与えた[注 1]

血統表

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ゴルディコヴァ血統 (血統表の出典)
父系 ダンジグ系

Anabaa
1992 鹿毛 アメリカ
父の父
Danzig
1977 鹿毛 アメリカ
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Pas De Nom Admirals Voyage
Petitioner
父の母
Balbonella
1984 鹿毛 フランス
Gay Mecene Vaguely Noble
Gay Missile
Bamieres Riverman
Bergamasque

Born Gold
1991 栗毛 アメリカ
Blushing Groom
1974 栗毛 フランス
Red God Nasrullah
Spring Run
Runaway Bride Wild Risk
Aimee
母の母
Riviere d'Or
1985 鹿毛 アメリカ
Lyphard Northern Dancer
Goofed
Gold River Riverman
Glaneuse
母系(F-No.) (FN:22-d)
5代内の近親交配 Northern Dancer 3x4=18.75%、 Riverman 4x4=12.50%、 Nearco 5x5=6.25%

脚注

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注釈

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  1. ^ ただし、ミエスクはインターナショナル・クラシフィケーションの名称だった当時、オールアロング、ペブルスらと並んで史上最高評価の132ポンドを獲得している。

出典

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外部リンク

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