タケノハナミ
この記事は「旧馬齢表記」が採用されており、国際的な表記法や2001年以降の日本国内の表記とは異なっています。 |
タケノハナミ | ||||||
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欧字表記 | Takeno Hanami[1] | |||||
品種 | サラブレッド[1] | |||||
性別 | 牝[1] | |||||
毛色 | 黒鹿毛[1] | |||||
生誕 | 1982年4月29日[1] | |||||
死没 | 2008年8月4日(26歳没)[2] | |||||
父 | ハードツービート[1] | |||||
母 | ヒカルカマタ[1] | |||||
母の父 | アイアンリージ[1] | |||||
生国 | 日本(北海道浦河町)[1] | |||||
生産者 | 昭和牧場[1] | |||||
馬主 |
伊坂重昭 →伊坂重憲[1] | |||||
調教師 | 藤原敏文(美浦)[1] | |||||
競走成績 | ||||||
生涯成績 | 21戦5勝[1] | |||||
獲得賞金 | 6271万7000円[1] | |||||
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タケノハナミ(欧字名:Takeno Hanami、1982年4月29日 - 2008年8月4日)は、日本の競走馬、繁殖牝馬[1]。主な勝ち鞍に1985年のローズステークス。
競走馬時代
[編集]デビュー前
[編集]のちにこの馬の馬主となる伊坂重憲は、父で同じく馬主の伊坂重昭が所有馬を預けていた藤原敏文に誘われて昭和牧場を訪れた[3]。そこでタケノハナミを目にした重憲は、素人目にも1頭抜けていたというこの馬を「これは絶対にほしい」と思ったという[3]。しかし、当時馬主資格を有していなかった重憲は父にこの馬を購入してもらい[3]、デビューさせることとなった。
現役時
[編集]1984年、3歳時は2戦したが未勝利。翌1985年、東京競馬場のダート1600メートル戦と芝2400メートル戦で勝利を挙げ[4]、優駿牝馬に挑戦したが13着と敗れる[5][2]。夏に北海道へ遠征し、札幌競馬場のダート1500メートル戦を勝ったあと函館競馬場でオープン馬を相手に2戦したが7、5着であった[6]。
ローズステークスでは岩元市三が騎乗した。単勝12番人気の評価であった[2]が、管理調教師である藤原敏文の指示により先行策を取り[7][2]、逃げた桜花賞馬エルプスを半馬身抑えて勝利した。藤原は勝因について「仕上がりのよさ、だったと思いますね」[7]と振り返っている。
その後、馬主資格を取得した重憲の名義に変更したのちに[3]エリザベス女王杯に出走。4番人気に推されたが13着と敗れ[8]、その後は1987年に札幌競馬場のダートの特別競走で1勝を挙げる[9]にとどまった。
競走成績
[編集]以下の内容は、netkeiba.com[10]に基づく。
競走日 | 競馬場 | 競走名 | 格 | 距離(馬場) | 頭 数 |
枠 番 |
馬 番 |
オッズ (人気) |
着順 | タイム (上り) |
着差 | 騎手 | 斤量 [kg] |
1着馬(2着馬) | 馬体重 [kg] |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1984.12. 2 | 中京 | 3歳新馬 | 芝1200m(良) | 10 | 3 | 3 | 9.0 (3人) | 2着 | 1:12.3 | 0.1 | 国兼正浩 | 53 | ジョーレグノ | ||
12.16 | 中京 | 3歳新馬 | 芝1200m(良) | 9 | 8 | 9 | 2.2 (1人) | 9着 | 1:14.3 | 1.9 | 国兼正浩 | 53 | レオナルドシチー | ||
1985. 1. 6 | 中山 | 4歳未勝利 | ダ1200m(良) | 16 | 1 | 2 | 9.5 (3人) | 5着 | 1:14.4 | 0.9 | 小林常泰 | 53 | ハツカゼシロー | ||
1.26 | 東京 | 4歳未勝利 | ダ1600m(良) | 11 | 4 | 4 | 6.1 (2人) | 1着 | 1:40.3 | -0.4 | 小林常泰 | 53 | (ダイナフリージア) | ||
3. 2 | 中山 | 桃花賞 | 400万下 | 芝1600m(不) | 14 | 3 | 3 | 6.9 (2人) | 3着 | 1:37.9 | 1.0 | 郷原洋行 | 53 | ミスタテガミ | |
3.23 | 中山 | もくれん賞 | 400万下 | 芝2000m(重) | 12 | 1 | 1 | 16.3 (5人) | 5着 | 2:06.0 | 0.8 | 郷原洋行 | 53 | モンテジャパン | |
4.21 | 東京 | 八重桜賞 | 400万下 | 芝1600m(稍) | 16 | 8 | 15 | 15.7 (6人) | 9着 | 1:39.0 | 0.9 | 郷原洋行 | 53 | シャダイハマナス | |
5. 3 | 東京 | 4歳400万下 | 芝2400m(良) | 6 | 6 | 6 | 2.8 (1人) | 1着 | 2:29.2 | -0.4 | 郷原洋行 | 53 | (ヨシノディクタス) | ||
5.19 | 東京 | 優駿牝馬 | GI | 芝2400m(良) | 28 | 7 | 24 | 33.7(14人) | 13着 | 2:33.2 | 2.5 | 的場均 | 55 | ノアノハコブネ | |
6.16 | 札幌 | 4歳上900万下 | ダ1800m(良) | 9 | 5 | 5 | 7.8 (3人) | 3着 | 1:52.7 | 0.5 | 郷原洋行 | 53 | トムソンシロー | ||
6.29 | 札幌 | 4歳上900万下 | ダ1500m(良) | 8 | 3 | 3 | 2.7 (1人) | 1着 | 1:32.6 | -0.2 | 郷原洋行 | 53 | (ウメノウインザー) | ||
8. 4 | 函館 | 巴賞 | OP | 芝1800m(良) | 9 | 8 | 9 | 16.7 (4人) | 7着 | 1:49.6 | 2.8 | 郷原洋行 | 52 | ノビアボニータ | |
9. 8 | 函館 | UHB杯 | OP | 芝1800m(不) | 9 | 2 | 2 | 24.4 (9人) | 5着 | 1:53.5 | 2.3 | 郷原洋行 | 52 | ドミナスローズ | |
10.13 | 京都 | ローズS | GII | 芝2000m(良) | 14 | 8 | 14 | 61.3(12人) | 1着 | 2:02.2 | -0.1 | 岩元市三 | 55 | (エルプス) | |
11. 3 | 京都 | エリザベス女王杯 | GI | 芝2400m(良) | 20 | 4 | 7 | 14.5 (4人) | 13着 | 2:29.3 | 2.5 | 郷原洋行 | 55 | リワードウイング | |
1987. 4.11 | 中山 | 船橋S | 1400万下 | 芝1800m(稍) | 12 | 6 | 8 | 54.8(10人) | 9着 | 1:50.7(38.0) | 1.9 | 郷原洋行 | 56 | シンボリカール | 476 |
5. 9 | 東京 | 薫風特別 | 1400万下 | 芝1800m(良) | 7 | 2 | 2 | 7.0 (5人) | 7着 | 1:49.6(48.9) | 0.9 | 郷原洋行 | 55 | アイアンシロー | 470 |
6.20 | 札幌 | 支笏湖特別 | 900万下 | ダ1800m(良) | 8 | 7 | 7 | 2.6 (2人) | 1着 | 1:52.5(37.8) | -0.7 | 郷原洋行 | 55 | (グレンツェンド) | 470 |
7.12 | 札幌 | 道新杯 | OP | ダ1500m(不) | 7 | 7 | 7 | 5.1 (3人) | 7着 | 1:32.5(40.1) | 2.9 | 郷原洋行 | 53 | インターネイティブ | 480 |
8. 9 | 函館 | 巴賞 | OP | 芝1800m(重) | 13 | 5 | 6 | 31.2(12人) | 8着 | 1:51.5(38.6) | 1.7 | 津曲浩二 | 54 | ベルベットグローブ | 480 |
8.23 | 函館 | 函館記念 | GIII | 芝2000m(良) | 14 | 8 | 14 | 63.3(12人) | 14着 | 2:02.9(39.2) | 2.7 | 津曲浩二 | 53 | ウインドストース | 476 |
繁殖牝馬時代
[編集]引退後は1988年から繁殖牝馬となり[2]、8頭の産駒を残した。1995年には双子を受胎したが、片方を潰すことなくどちらも出産。牡馬のキーオブライフは競走馬としてデビューし、牝馬のオペラハナミは競走馬デビューこそしなかったが、繁殖牝馬としてイエロージャケット(2006年若草賞[11]、スプリングカップ[12][13])、ツクシヒメ(2009年黒潮盃[14][15]、TCKディスタフ[16])を産んだ。
また、1998年に出産したシングンオペラは、2000年に船橋競馬場の岡林光浩厩舎へ入厩[17]。2戦目で初勝利を挙げ、4戦目から中央競馬の指定交流競走に挑戦し、のちに中央競馬の高市圭二厩舎へ移籍[17]。共同通信杯4着[17]、青葉賞5着[17]、アルゼンチン共和国杯3着[17]と重賞で善戦したが2勝目は挙げられず[17]、故障を発症し現役を引退。2003年から生まれ故郷の沖田牧場で重賞未勝利ながら種牡馬入りし、J・GIの中山大障害など障害重賞を3勝し、2019年のJRA賞最優秀障害馬に選出されたシングンマイケルの父となった[18]。
タケノハナミ自身は、2000年12月付で用途変更[19]、繁殖牝馬を引退した[20]。その後は功労馬として門別町にあった名馬のふるさとステーションに繋養され、2003年に同施設が閉鎖されたあとは静内郡静内町(2006年より日高郡新ひだか町)にあるローリングエッグスクラブステーブルへ移動した[21]。その後、2008年8月4日、病気のため死亡[2][20]。26歳没。
繁殖成績
[編集]馬名 | 誕生年 | 性 | 毛色 | 父 | 厩舎 | 馬主 | 戦績・備考 | 出典 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
初仔 | ナオミュトス | 1989年 | 牝 | 鹿毛 | スルーザドラゴン | 美浦・藤原敏文 | 伊坂重憲 | (未出走・繁殖) | [22] |
2番仔 | テンショウゴールド | 1990年 | 牡 | 鹿毛 | ロイヤルスキー | 美浦・藤原敏文 →新潟・向山勝 |
伊坂重憲 →岩村忠太 |
27戦2勝(引退) | [23] |
3番仔 | テンショウメイジン | 1991年 | 牡 | 黒鹿毛 | リドヘイム | 美浦・藤原敏文 →美浦・高市圭二 |
伊坂重憲 | 34戦2勝(引退) | [24] |
4番仔 | リヴリアリリー | 1993年 | 牝 | 鹿毛 | リヴリア | 小林・三坂盛雄 | (未出走・繁殖) | [25] | |
5番仔[注 1] | キーオブライフ | 1995年 | 牡 | 黒鹿毛 | オペラハウス | 美浦・内藤一雄 | 1戦0勝(引退) | [26] | |
オペラハナミ | 牝 | 鹿毛 | (未出走・繁殖) | [27] | |||||
7番仔 | ナイトオブローズ | 1996年 | 牡 | 黒鹿毛 | クリスタルグリッターズ | 美浦・尾形充弘 →北海道・楠克己 |
伊坂重憲 | 45戦4勝(引退) | [28] |
8番仔 | シングンオペラ | 1998年 | 牡 | 黒鹿毛 | オペラハウス | 船橋・岡林光浩 →美浦・高市圭二 |
16戦1勝(引退・種牡馬) | [29] |
血統表
[編集]タケノハナミの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | ファリス系 |
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父 *ハードツービート Hard to Beat 1969 鹿毛 イギリス[7] |
父の父 *ハーディカヌート
|
*ハードリドン | Hard Sauce | |
Toute Belle | ||||
Harvest Maid | Umidwar | |||
Hay Fell | ||||
父の母 Virtuous
|
Above Suspicion | Court Martial | ||
Above Board | ||||
Rose of India | Tulyar | |||
Eastern Grandeur | ||||
母 ヒカルカマタ 1967 鹿毛 北海道浦河町 |
*アイアンリージ | Bull Lea | Bull Dog | |
Rose Leaves | ||||
Iron Maiden | War Admiral | |||
Betty Derr | ||||
母の母 *コランディア
|
Auriban | Pharis | ||
Arriba | ||||
Arlanza | Djebel | |||
Pharyva | ||||
母系(F-No.) | コランディア系(FN:9-e) | [§ 2] | ||
5代内の近親交配 | Bull Dog=Sir Gallahad 4・5(母内)、Pharos 5・5(母内)、Tourbillon 5・5(母内) | [§ 3] | ||
出典 |
- 兄にホースメンホープ[7](1977年日本経済新春杯、中京記念)、ニッショウキング[7](1978年クモハタ記念)がおり、いずれも父はムーティエである[7]。半妹ショウワハナミの産駒ブリットレーンは中央競馬で6勝を挙げている。
- 母の半弟ベルワイド(父インディアナ)は、天皇賞(春)優勝馬。
- そのほかの近親はコランディア#主要なファミリーラインを参照。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 双子を出産。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o “タケノハナミ”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2022年6月5日閲覧。
- ^ a b c d e f “ローズS勝ち馬、 タケノハナミが死亡” (公益社団法人日本語軽種馬協会). netkeiba.comJBISサーチ. ネットドリーマーズ (2008年8月8日). 20122022-06-1205閲覧。
- ^ a b c d 『優駿』、中央競馬ピーアール・センター、2020年4月、73頁。
- ^ 大橋巨泉『巨泉の重賞競走予想全書』(第1刷)ミデアム出版社、1992年3月、1085頁。ISBN 4944001290。
- ^ “競走成績 第46回 優駿牝馬(GI)”. 日本中央競馬会. 2012年6月12日閲覧。
- ^ 『巨泉の重賞競走予想全書』、1796頁。
- ^ a b c d e f 「今月の記録室 第3回ローズS (GII) タケノハナミ」『優駿』1985年12月、132-133頁。
- ^ “競走成績 第10回 エリザベス女王杯(GI)”. 日本中央競馬会. 2012年6月12日閲覧。
- ^ 「新馬・特別レース勝馬一覧」『優駿』1987年8月、154頁。
- ^ “タケノハナミの競走成績”. netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd.. 2024年4月23日閲覧。
- ^ “若草賞、イエロージャケットが人気に応え快勝”. netkeiba.com. ネットドリーマーズ (2006年3月10日). 2012年6月12日閲覧。
- ^ “全国競馬情報「3月29日(水)『園田の交流戦で300万馬券』ほか」”. 競馬実況web. 日経ラジオ社 (2006年3月29日). 2012年6月12日閲覧。
- ^ “名古屋スプリングC、イエロージャケット人気に応える”. netkeiba.com. ネットドリーマーズ (2006年3月29日). 2012年6月12日閲覧。
- ^ “【黒潮盃】(南関東・大井)〜ツクシヒメが牡馬を一蹴”. 競馬実況web. 日経ラジオ社 (2009年8月12日). 2012年6月12日閲覧。
- ^ “黒潮盃、ツクシヒメが17年ぶりの牝馬V”. netkeiba.com. ネットドリーマーズ (2009年8月12日). 2012年6月12日閲覧。
- ^ “ツクシヒメV、ユキチャンは3着/大井・TCKディスタフ”. netkeiba.com. ネットドリーマーズ (2009年10月21日). 2012年6月12日閲覧。
- ^ a b c d e f “シングンオペラ産駒が初勝利”. netkeiba.com. ネットドリーマーズ (2007年10月8日). 2012年6月12日閲覧。
- ^ “【東京ハイジャンプ】3番人気シングンマイケルが安定の飛越で重賞V2”. サンケイスポーツ. (2019年10月15日) 2019年10月15日閲覧。
- ^ タケノハナミ(JPN) - 血統書サービス、2022年6月5日閲覧。
- ^ a b “引退名馬詳細情報 タケノハナミ”. 名馬.jp. 軽種馬育成調教センター. 2011年9月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年6月12日閲覧。
- ^ “名馬のふるさとS、繋養馬の移動先決定”. netkeiba.com. ネットドリーマーズ (2003年12月19日). 2012年6月12日閲覧。
- ^ ナオミュトス - JBISサーチ、2022年11月29日閲覧。
- ^ テンショウゴールド - JBISサーチ、2022年11月29日閲覧。
- ^ テンショウメイジン - JBISサーチ、2022年11月29日閲覧。
- ^ リヴリアリリー - JBISサーチ、2022年11月29日閲覧。
- ^ キーオブライフ - JBISサーチ、2022年11月29日閲覧。
- ^ オペラハナミ - JBISサーチ、2022年11月29日閲覧。
- ^ ナイトオブローズ - JBISサーチ、2022年11月29日閲覧。
- ^ シングンオペラ - JBISサーチ、2022年11月29日閲覧。
- ^ a b “血統情報:5代血統表|タケノハナミ”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年10月15日閲覧。
- ^ “タケノハナミの血統表”. netkeiba.com. 2019年10月15日閲覧。
外部リンク
[編集]- 競走馬成績と情報 netkeiba、スポーツナビ、JBISサーチ
- タケノハナミ - 競走馬のふるさと案内所
- タケノハナミ - 引退名馬(名馬.jp)[リンク切れ]