ニューオーリンズ・セインツ
ニューオーリンズ・セインツ New Orleans Saints | ||||||||||||||||||||||
| ||||||||||||||||||||||
所属地区 | ||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| ||||||||||||||||||||||
チームデザイン | ||||||||||||||||||||||
チームロゴ | ||||||||||||||||||||||
チームカラー | ||||||||||||||||||||||
オールドゴールド 黒 白 | ||||||||||||||||||||||
ユニフォーム | ||||||||||||||||||||||
チーム名 | ||||||||||||||||||||||
| ||||||||||||||||||||||
ホームタウン | ||||||||||||||||||||||
シーザーズ・スーパードーム | ||||||||||||||||||||||
永久欠番 | ||||||||||||||||||||||
| ||||||||||||||||||||||
獲得タイトル | ||||||||||||||||||||||
| ||||||||||||||||||||||
球団組織 | ||||||||||||||||||||||
|
ニューオーリンズ・セインツ(英語: New Orleans Saints、略称: NO)は、アメリカ合衆国ルイジアナ州ニューオーリンズに本拠地をおくNFLチーム。NFC南地区に所属している。第44回スーパーボウルで優勝している。ホームスタジアムはシーザーズ・スーパードーム。本部と練習施設は、同じルイジアナ州のメテリーに位置している。
概要
[編集]1967年にエクスパンションチームとして加入した。1970年のNFLとAFLの統合後、NFC西地区に所属した。チームは創設以来長期低迷し、1978年まで12年連続負け越し、1979年、1983年と8勝8敗になったが勝ち越したシーズンは1987年までなかった。1987年から1992年までに4回プレーオフに進出したがプレーオフでの勝ち星はなかった。この間1991年に初めて地区優勝を果たした。2000年シーズン、プレーオフ5回目の出場で前年のスーパーボウルチャンピオンのセントルイス・ラムズを破りプレーオフ初勝利をあげた。2006年にはNFCチャンピオンシップゲームに進出したがシカゴ・ベアーズに14-39で敗れスーパーボウル出場を逃した。2009年のNFCチャンピオンシップでミネソタ・バイキングスに勝ち初のスーパーボウル進出を果たした。 1967年から1974年まではチュレーン・スタジアム、1975年からシーザーズ・スーパードームを本拠地としている[1]。
2005年はハリケーン・カトリーナによるスーパードームの損傷の為、暫定的にタイガースタジアム(ルイジアナ州バトンルージュ・4試合)とアラモドーム(テキサス州サンアントニオ・3試合)、ジャイアンツ・スタジアム(ニュージャージー州イーストラザフォード・1試合)を使用して、公式戦を行った。スタジアムの改修には1億8500万ドルがかけられて2006年から再びスーパードームを本拠地とした。
チーム設立が承認された11月1日が諸聖人の日であることからチーム名はセインツとつけられた。ロゴマークのフルール・ド・リス(フランス国王の紋章)は、ルイジアナ州がかつてフランス植民地だったことにちなみ、ニューオーリンズ市の紋章でもあるマークがそのまま採用された。マイナーな変更を除き、1967年に採用されたものを一貫して使用し続けている。
チーム創設から1974年まで、ユニフォームの白と黒を逆にして、ホーム用を白、ビジター用を黒にしていた。
トランペッターのアル・ハート(パートオーナーでもあった)はジャズ曲『聖者が街にやってくる』("When The Saints Go Marchin' In")をオフィシャルソングとした。
歴史
[編集]1970年代まで
[編集]1966年11月1日、NFLコミッショナーのピート・ロゼールによって新球団として承認されたことが発表され、1967年に創設された。
1967年、ロサンゼルス・ラムズとのチュレーン・スタジアムで行われた開幕戦でジョン・ギリアムが92ヤードのキックオフリターンTDを決めたが13-27で敗れた。この年チームは3勝11敗に終わった。エクスパンションチームが3勝をあげたのはこの当時のNFL記録であった。
1970年のNFLとAFLの統合を経て(当初NFC西地区に所属)1986年まで20年間地区優勝はおろかプレーオフ出場さえなかった。1979年まで地区2位にさえなることはなかった。その中、QBのアーチー・マニングはプロボウルにも選出された。1979年、1983年とチームは勝率5割を達成したが1987年までのうち残り全てのシーズンは負け越しした。
1970年11月8日、生まれつき右足のつまさきから先のない障害を持ったキッカーのトム・デンプシーがNFL記録となる63ヤードのFGを決めて19-17でデトロイト・ライオンズを破った。この記録は2013年にマット・プレイターが64ヤードのFGを成功させて更新した[2]。
1980年代
[編集]1980年、チームは開幕から14連敗した。地元メディアのスポーツキャスター、Buddy Dilibertoが観衆に紙袋をかぶってホームゲームで応援することを提案した[3]。Aintsと書いた紙袋をかぶり目の部分だけくりぬいて観戦するパフォーマンスはその後、NFLだけでなくアメリカのチームスポーツにおいて急速に拡がり不甲斐ないシーズンを送るチームの応援にはしばしば見られるようになった。この年、サンフランシスコ・49ers戦ではハーフタイムを35-7とリードしながら後半ジョー・モンタナに率いられた相手オフェンスを止められずに35-38で敗れるという当時のNFL記録となる28点差のリードからの逆転負けを喫した[4][5]。
1985年にチームはトム・ベンソンによって購入された。ジム・フィンクスがGMに、ジム・E・モーラ(シアトル・シーホークスのヘッドコーチを務めたジム・L・モーラは彼の息子である)がヘッドコーチとなった。1987年に12勝3敗で創設以来初の勝ち越しを決めてプレーオフに進出した。
1990年代
[編集]1990年から1992年までの3年間はドームパトロールと呼ばれたパット・スウィリング、リッキー・ジャクソン、サム・ミルズ、ヴォーン・ジョンソンの4人のLBを中心とした強力なディフェンスでプレーオフに出場した。
1991年には開幕から7連勝した。チームのこの快進撃は、聖者の行進と呼ばれた。エースQBボビー・エイビアが肩の負傷により、7戦目から12月半ばまで欠場した。エイビアが離脱する前、他のチームに3ゲーム差で地区首位だったものの、スティーブ・ウォルシュが先発してから、チームは負け越し、エイビアが最後の2試合に復帰してから連勝、11勝5敗で初の地区優勝を果たした[6]。
ジム・モーラはチームを4回プレーオフに導いたがプレーオフでチームは1勝もできず、3勝13敗に終わる1996年シーズン途中に辞任した。
1997年から元シカゴ・ベアーズのヘッドコーチ、マイク・ディトカ(第20回スーパーボウル優勝経験がある)をヘッドコーチとして迎えたが1997年、1998年とチームは6勝10敗に終わった。1999年のNFLドラフトでディトカはその年の全指名権、翌年のドラフト1巡、3巡指名権と引き替えにワシントン・レッドスキンズからドラフト全体5番目の指名権を獲得、RBリッキー・ウィリアムズを獲得した。しかしこの年チームは3勝13敗に終わりディトカとGMのビル・クハリッチは解任された。
2000年代前半
[編集]2000年から2005年まではジム・ハスレットがヘッドコーチとしてチームの指揮を執った。2000年チームは2度目の地区優勝を果たしプレーオフに進出、セントルイス・ラムズを破りプレーオフ初勝利をあげたが翌週の試合でミネソタ・バイキングスに敗れた。GMのランディ・ミューラーはこの年のNFLエクゼクティブ・オブ・ザ・イヤーに選ばれたが2002年シーズン開幕前にベンソンオーナーによって解任された。
2002年、ヒューストン・テキサンズの加入によって地区の再編が行われた際にNFC南地区に移った。同年3月8日にリッキー・ウィリアムズは2つの1巡目指名権を含む4つのドラフト指名権と引き換えに、マイアミ・ドルフィンズにトレードされた。この年チームは第37回スーパーボウル優勝を果たすタンパベイ・バッカニアーズに2勝したが前年に続きプレーオフを逃した(スーパーボウルチャンピオンに2勝してプレーオフに出場できなかったのは1995年にワシントン・レッドスキンズがダラス・カウボーイズに2勝したシーズン以来のことであった)。
2003年は8勝8敗でプレーオフ進出はならず、2004年は開幕6試合で2勝4敗、12試合終了時点で4勝8敗とハスレットヘッドコーチの首が危うい状況であったが、そこからチームは4連勝し8勝8敗となりプレーオフ争いをしていたラムズ、バイキングスと8勝8敗で並んだ。NFCチームとの成績がラムズが7勝5敗、セインツが6勝6敗、バイキングスが5勝7敗であり、ラムズがワイルドカード1つ目の椅子を手に入れ、セインツとの直接対決を制していたバイキングスがもう1つの椅子を手に入れたためプレーオフ出場を逃した。ハリケーン・カトリーナの被害によって本拠地スーパードームでプレイできなかった2005年、チームは3勝13敗の成績に終わりハスレットは解任された。
ブリーズ時代
[編集]2006年3月14日、セインツは前サンディエゴ・チャージャーズのドリュー・ブリーズと6年契約を結んだ。 2006年3月23日、チームはプレシーズンゲームをシュリーブポート及びミシシッピ州ジャクソンで行うと発表した。4月6日にレギュラーシーズンのホームゲームをスーパードームで行うことが発表され9月25日に行われるマンデーナイトフットボールでのアトランタ・ファルコンズ戦がスーパードームでの2シーズンぶりの試合となった。この試合に23-3で勝利した。観衆は70,003人入りESPNのNFL中継としては過去最高の11.8%の視聴率となりおよそ全米の1085万家庭が視聴した。試合前にはグリーン・デイ、U2がWake Me Up When September Ends、The Saints Are Comingで盛り上げた。12月17日チームはNFC南地区(2002年に新設)を初制覇し3回目の地区優勝を決めた。ショーン・ペイトンヘッドコーチはチーム史上2人目となる就任1年目で地区優勝を果たしたコーチとなった。その後プレーオフ1回戦のシードも決まりディビジョナルプレーオフでフィラデルフィア・イーグルスを27-24で破りNFCチャンピオンシップゲームを決めた。3勝13敗からカンファレンスチャンピオンシップゲームに出場を決めたのは1999年にセントルイス・ラムズが前年の4勝12敗から進出した記録を破るNFL新記録となった。セインツがプレーオフで勝利したのはそれまでワイルドカードプレーオフでの勝利しかなくチャンピオンシップゲーム出場は初のことであった。2007年1月21日に行われた試合で14-39でシカゴ・ベアーズに敗れ第41回スーパーボウル出場はならなかった。
2007年、開幕戦でスーパーボウルチャンピオンのインディアナポリス・コルツに10-41で敗れ、続く3試合に連敗した。開幕4連敗した後、4連勝したが7勝7敗から最後の2試合に連敗し最終的に7勝9敗でシーズンを終えた。
2008年、チームは2009年のドラフト2巡と5巡指名権と引き替えにニューヨーク・ジャイアンツからジェレミー・ショッキー、2009年のドラフト4巡指名権と引き替えにニューヨーク・ジェッツからジョナサン・ヴィルマを補強した。
2009年に前ワシントン・レッドスキンズのQBチェイス・ダニエルと契約した。この年の4月30日、ベンソンオーナーと地元自治体は少なくとも2025年まではセインツがニューオーリンズに残留することについて合意したことを発表した。この年、チームは開幕から13連勝を果たしパーフェクトシーズンの期待が高まったが第15週にダラス・カウボーイズに敗れ連勝は止まった。シーズンでは結局13勝3敗の成績を残し、NFC南地区優勝。チーム史上初となる第1シードとしてのプレーオフ出場。ディビジョナルプレイオフではアリゾナ・カーディナルスに45-14で勝利。続くNFCチャンピオンシップではミネソタ・バイキングスと対戦。第4クオーター終了時点で28-28の同点となる接戦となったが、コイントスで先攻をとったセインツが延長でFGを決め、31-28で勝利し、チーム史上初のNFCチャンピオンとなった。そして、同時にチーム史上初のスーパーボウル進出を果たし、第44回スーパーボウルではインディアナポリス・コルツを31-17で破り初制覇を果たした。
2010年、地区優勝はアトランタ・ファルコンズに譲ったもののワイルドカードでプレーオフに出場を果たした。プレーオフ初戦はNFL史上初めて負け越したもののプレーオフ出場を果たしたシアトル・シーホークスとの対戦で、セインツが有利と見られていたが36-41で敗れた。
2011年、ブリーズがダン・マリーノが持っていたシーズンパス獲得ヤード記録を破る5476ヤードを投げた。チームは2年ぶりの地区優勝を果たしワイルドカードプレーオフでデトロイト・ライオンズを破ったが、ディビジョナルプレーオフでサンフランシスコ・49ersに32-36で敗れた。シーズン終了後、ディフェンスの強化に貢献のあったグレッグ・ウィリアムズディフェンスコーディネーターがラムズに去り、ラムズのヘッドコーチを務めていたスティーブ・スパヌオーロが後任となった。
2012年、相手選手にけがを負わせるとディフェンス選手が自らプールした資金から報奨金を受け取っていたことが明らかになり、ペイトンヘッドコーチが1年間活動停止処分を、ディフェンス・コーディネーターのウィリアムズが無期限活動停止処分(翌年解除された)を、GMのミッキー・ルーミスが2012年シーズンの最初の8試合の活動停止処分を、アシスタント・ヘッドコーチのジョー・ヴィットが2012年シーズンの最初の6試合の活動停止処分を受けた。また、チームは2012年のドラフト2巡、2013年のドラフト2巡指名権を失った。ジョナサン・ビルマ、アンソニー・ハーグローブ、ウィル・スミス、スコット・フジタの4人も出場停止処分を受けたが、4選手への処分はポール・タグリアブ元コミッショナーの異議裁定で取り消された。この年、ディフェンスが崩壊し、開幕から4連敗し7勝9敗でプレーオフ進出を逃している[7]。
2013年は、開幕から5連勝したが第6週のニューイングランド・ペイトリオッツ戦で残り5秒にトム・ブレイディにTDパスを許し連勝は止まった。ホームでは8戦全勝だったものの、ロードでは3勝5敗と負け越し、地区2位の11勝5敗でシーズンを終え、プレーオフに第6シードで出場した。フィラデルフィア・イーグルスを26-24で破り、ロードでのプレーオフ初勝利をあげた[8]。ディビジョナルプレーオフで第1シードのシアトル・シーホークスと対戦、獲得ヤードでは409対277と上回ったものの、FG2本の失敗、第4ダウンギャンブルが3回中1回成功に終わるなど、要所でシーホークスのディフェンスに抑えられて、15-23で敗れた。
2014年、12月15日のシカゴ・ベアーズ戦で勝利、6勝8敗ながら地区首位に躍り出たが[9]、翌週のアトランタ・ファルコンズ戦に敗れてプレーオフ出場を逃した。2015年と2016年は連続して地区3位に終わり、プレーオフ出場を逃した。
2017年には地区優勝を遂げ、南地区の他2チームとともにプレーオフ出場を果たしたが、ディビジョナル・プレーオフでミネソタ・バイキングスに敗れた。
2018年3月、オーナーのトム・ベンソンが死去して妻のゲイル・ベンソンがオーナーとなった。8月、2019年ドラフト3巡指名権とのトレードでニューヨーク・ジェッツからQBテディ・ブリッジウォーターを獲得した[注 1]。10連勝を遂げるなど、大差をつけて2年連続で地区優勝を遂げ、コンファレンスでも最高の成績でプレーオフに進んだ。だがコンファレンス・チャンピオンシップでロサンゼルス・ラムズに敗れた。
2019年9月、第2週の試合中ブリーズが右手親指靭帯を痛め、約6週間の離脱となったが3年連続で地区優勝を遂げ、第3シードでプレーオフに進むも、初戦でワイルドカードのミネソタ・バイキングスに敗れた。
2020年、前タンパベイ・バッカニアーズのQBジェイミス・ウィンストンと契約した。4年連続で地区優勝を遂げ、第2シードでプレーオフに進出した。第17週の対カロライナ・パンサーズ最終戦では、RB全員が新型コロナウイルス感染症の感染者・濃厚接触者と認定され、欠場するトラブルに見舞われた。この年からプレーオフ進出チームが各カンファレンス7チームとなったため、第2シードのセインツは、ワイルドカード・プレーオフから登場し、第7シードのシカゴ・ベアーズを破った。しかし、40歳以上のベテランQB対決となったタンパベイ・バッカニアーズ戦(QBトム・ブレイディ)に敗れ、ディビジョナル・プレーオフ敗退でシーズンを終えた。2021年3月14日、ブリーズは引退を発表した[10][11]。
ブリーズ後
[編集]ブリーズが引退した2021年シーズンは様々なトラブルに見舞われた。3試合目のプレシーズンゲームはハリケーン"Ida"により中止となり、シーズン開幕戦はジャクソンビル・ジャガーズの本拠地TIAAバンク・フィールドを借りてホームとして行われた。それでも7試合を終えて5勝2敗と好成績でシーズンを始めたが、その後は負傷およびCOVID-19により多くの選手が欠場して5連敗を喫するなど成績を落とし、12月にはシーズン4人目のスターティングQBとしてルーキーのイアン・ブックを起用せざるを得なかった。最終戦までプレーオフ進出の望みを残したものの、進出はならなかった。2022年1月25日、ショーン・ペイトンが契約を残してHC辞職を表明した[12]。後任にはDCデニス・アレンが選ばれた。2022年3月29日、ベテランQBのアンディ・ダルトンと1年契約を結んだ。
2022年シーズンも負け越してプレーオフ進出は逃した。2023年1月31日、契約を残していたショーン・ペイトンを2023年ドラフトの1巡目指名権、2024年ドラフトの2巡目指名権、さらに将来の3巡目指名権と引き換えにデンバー・ブロンコスに譲渡した[13]。レイダースからFAとなったデレック・カーQBを獲得した[14]。
2023年シーズンは9勝8敗と勝ち越し最終週までプレーオフの可能性を残しながらも逃した。
文化
[編集]マスコット
[編集]チーム公式マスコットとして犬のガンボ(Gumbo)と人間のサー・セイント(Sir Saint)がいる。ガンボは、犬種はセント・バーナードで背番号00を着用している。
チアリーダー
[編集]1987年より公式チアリーディングチームとしてセイントセーションズ(Saintsations)が活動している。日本人では、松崎美奈子が2015年から2016年まで在籍していた。
セイントセーションズが創設される以前、セインツには2つのダンスチームがあった。1967年に誕生したルイジアナズ(Lousiannes)は、セインツ・ダンサーズ(Saints Dancers)、マドモアゼルズ(Mademoiselles)、マムゼルス(Mam'selles)と名前を変え、1971年まで活動していた。平均48名のダンサーと、最大12名のリザーブダンサーで構成されていた。このダンスチームは、ディズニーランドのエンターテイメント・ディレクターとして長年活躍し、1967年から1970年までセインツのスタッフとして働いていたトミー・ウォーカーによって創設された。振付けは、ニューオーリンズに住んでいたダンスインストラクター兼ボイスコーチのフィリス・ネルソンが担当した。また、ネルソンは1969年から1971年までチームディレクターも務めた。
もう一つのチームは、1975年から1978年まで活動していたボンアミス(Bonnes Amies、フランス語で「仲良し」)である。ディー・ケリー・ボイド・アーバインによって指導され、ルイジアナ・スーパードームで初めて踊ったダンサーとなった。1978年にエンジェルズ(Angels)と変更する。しかし、その直後にスタッフアシスタントの人物が麻薬所持で逮捕され、この逮捕にチーム関係者が関わっていた疑いがあったため、解散となった。
1987年、ジム・フィンクスの発案により再度チームのダンスチームの創設が提案され、ザ・セインツ・ダンサーズが結成され、まもなくセイントセーションズへと改名し現在に至る。
セインツが海外での試合をするたびに海外公演を行っており、1993年には東京でもパフォーマンスを行った。
2024年シーズン
AFC | NFC | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
前年 | 西地区 | 南地区 | 北地区 | 東地区 | 西地区 | 南地区 | 北地区 | 東地区 |
1位 | チーフス | テキサンズ | レイブンズ | ビルズ | 49ers | バッカニアーズ | ライオンズ | カウボーイズ |
2位 | レイダース | ジャガーズ | ブラウンズ | ドルフィンズ | ラムズ | セインツ | パッカーズ | イーグルス |
3位 | ブロンコス | コルツ | スティーラーズ | ジェッツ | シーホークス | ファルコンズ | バイキングス | ジャイアンツ |
4位 | チャージャーズ | タイタンズ | ベンガルズ | ペイトリオッツ | カージナルス | パンサーズ | ベアーズ | コマンダース |
:1度対戦 :2度対戦
年 | 成績 | NFC | 地区 | 勝 | 敗 | 分 | 率 | Div | Con | 総得点 | 総失点 | 平均得点 | 平均失点 | SOS | SOV |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2024 | 15位 | 4位 | 2 | 7 | 0 | .222 | 1-3 | 2-4 | 207 | 229 | 23.0 | 25.4 | .533 | .294 | |
2023 | レギュラー敗退 | 9位 | 2位 | 9 | 8 | 0 | .529 | 4–2 | 6–6 | 402 | 327 | 23.6 | 19.2 | .433 | .340 |
2022 | レギュラー敗退 | 12位 | 3位 | 7 | 10 | 0 | .412 | 2-4 | 5-7 | 330 | 345 | 19.4 | 20.3 | .507 | .462 |
2021 | レギュラー敗退 | 8位 | 2位 | 9 | 8 | 0 | .529 | 4-2 | 7-5 | 364 | 335 | 21.4 | 19.7 | .512 | .516 |
2020 | ディビジョナル敗退 | 2位 | 1位 | 12 | 4 | 0 | .750 | 6-0 | 10-2 | 482 | 337 | 30.1 | 21.1 | .459 | .406 |
2019 | ワイルドカード敗退 | 3位 | 1位 | 13 | 3 | 0 | .813 | 5-1 | 9-3 | 458 | 341 | 28.6 | 21.3 | .486 | .417 |
2018 | カンファレンス敗退 | 1位 | 1位 | 13 | 3 | 0 | .813 | 4–2 | 9–3 | 504 | 353 | 31.5 | 22.1 | .482 | .488 |
2017 | ディビジョナル敗退 | 4位 | 1位 | 11 | 5 | 0 | .688 | 4-2 | 8-4 | 448 | 326 | 28.0 | 20.4 | .535 | .483 |
2016 | レギュラー敗退 | 11位 | 3位 | 7 | 9 | 0 | .438 | 2-4 | 6-6 | 469 | 454 | 29.3 | 28.4 | .523 | .393 |
2015 | レギュラー敗退 | 11位 | 3位 | 7 | 9 | 0 | .438 | 3-3 | 5-7 | 408 | 476 | 25.5 | 29.8 | .504 | .402 |
2014 | レギュラー敗退 | 9位 | 2位 | 7 | 9 | 0 | .438 | 3-3 | 6-6 | 401 | 424 | 25.1 | 26.5 | .486 | .415 |
2013 | ディビジョナル敗退 | 6位 | 2位 | 11 | 5 | 0 | .688 | 5-1 | 9-3 | 414 | 304 | 25.9 | 19.0 | .516 | .455 |
2012 | レギュラー敗退 | 12位 | 3位 | 7 | 9 | 0 | .438 | 3-3 | 5-7 | 461 | 454 | 28.8 | 28.4 | .521 | .446 |
2011 | ディビジョナル敗退 | 3位 | 1位 | 13 | 3 | 0 | .813 | 5-1 | 9-3 | 547 | 339 | 34.2 | 21.2 | .441 | .442 |
2010 | ワイルドカード敗退 | 5位 | 2位 | 11 | 5 | 0 | .688 | 4-2 | 9-3 | 384 | 307 | 24.0 | 19.2 | .469 | .426 |
2009 | スーパーボウル制覇 | 1位 | 1位 | 13 | 3 | 0 | .813 | 4-2 | 9-3 | 510 | 341 | 31.9 | 21.3 | .426 | .418 |
2024年シーズン成績
NFC南地区 2024 | ||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
チーム | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | Div | Con | 総得点 | 総失点 | 平均得点 | 平均失点 | SOS | SOV | 残試合 | |
アトランタ・ファルコンズ | 6 | 3 | 0 | .667 | 4-0 | 6-1 | 221 | 216 | 24.6 | 24.0 | .514 | .420 | 8 | |
タンパベイ・バッカニアーズ | 4 | 4 | 0 | .500 | 1-2 | 4-2 | 235 | 213 | 29.4 | 26.6 | .643 | .647 | 9 | |
カロライナ・パンサーズ | 2 | 7 | 0 | .222 | 1-2 | 1-4 | 147 | 293 | 16.3 | 32.6 | .468 | .222 | 8 | |
ニューオーリンズ・セインツ | 2 | 7 | 0 | .222 | 1-3 | 2-4 | 207 | 229 | 23.0 | 25.4 | .533 | .294 | 8 |
NFC 2024 | ||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
順 位 |
チーム | 地 区 |
勝 | 敗 | 分 | 勝率 | DIV | CON | SOS | SOV |
地区1位 | ||||||||||
1 | デトロイト・ライオンズ | 北 | 7 | 1 | 0 | .875 | 2-0 | 6-1 | .507 | .508 |
2 | ワシントン・コマンダース | 東 | 7 | 2 | 0 | .778 | 2-0 | 5-1 | .392 | .339 |
3 | アトランタ・ファルコンズ | 南 | 6 | 3 | 0 | .667 | 4-0 | 6-1 | .514 | .420 |
4 | アリゾナ・カージナルス | 西 | 5 | 4 | 0 | .556 | 2-0 | 3-3 | .613 | .475 |
ワイルドカード圏内 | ||||||||||
5 | ミネソタ・バイキングス | 北 | 6 | 2 | 0 | .750 | 1-1 | 3-2 | .522 | .472 |
6 | フィラデルフィア・イーグルス | 東 | 6 | 2 | 0 | .750 | 1-0 | 3-2 | .394 | .333 |
7 | グリーンベイ・パッカーズ | 北 | 6 | 3 | 0 | .667 | 0-2 | 2-3 | .553 | .442 |
プレーオフ圏外 | ||||||||||
8 | タンパベイ・バッカニアーズ | 南 | 4 | 4 | 0 | .500 | 1-2 | 4-2 | .643 | .647 |
9 | シカゴ・ベアーズ | 北 | 4 | 4 | 0 | .500 | 0-0 | 2-2 | .457 | .294 |
10 | ロサンゼルス・ラムズ | 西 | 4 | 4 | 0 | .500 | 2-1 | 3-4 | .559 | .471 |
11 | サンフランシスコ・49ers | 西 | 4 | 4 | 0 | .500 | 1-2 | 2-3 | .507 | .343 |
12 | シアトル・シーホークス | 西 | 4 | 5 | 0 | .444 | 0-2 | 1-4 | .506 | .429 |
13 | ダラス・カウボーイズ | 東 | 3 | 5 | 0 | .375 | 1-0 | 1-4 | .507 | .385 |
14 | カロライナ・パンサーズ | 南 | 2 | 7 | 0 | .222 | 1-2 | 1-4 | .468 | .222 |
15 | ニューオーリンズ・セインツ | 南 | 2 | 7 | 0 | .222 | 1-3 | 2-4 | .533 | .294 |
16 | ニューヨーク・ジャイアンツ | 東 | 2 | 7 | 0 | .222 | 0-4 | 1-5 | .584 | .333 |
タイブレーク | ||||||||||
ワイルドカード・プレーオフ | ディビジョナル・プレーオフ | |||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2025年1月11日か12日か13日 |
1月18日か19日 |
1月26日 |
2月9日 シーザーズ・スーパードーム | |||||||||||||||
6 | ||||||||||||||||||
3 | ||||||||||||||||||
2025年1月11日か12日か13日 |
||||||||||||||||||
7 | AFC | |||||||||||||||||
2 | 1月18日か19日 | |||||||||||||||||
2025年1月11日か12日か13日 |
||||||||||||||||||
AFCチャンピオンシップ | ||||||||||||||||||
1月26日 | ||||||||||||||||||
5 | ||||||||||||||||||
4 | ||||||||||||||||||
1 | ||||||||||||||||||
2025年1月11日か12日か13日 | ||||||||||||||||||
1月18日か19日 | ||||||||||||||||||
6 | 第59回スーパーボウル | |||||||||||||||||
3 | ||||||||||||||||||
2025年1月11日か12日か13日 |
||||||||||||||||||
7 | NFC | |||||||||||||||||
2 | 1月18日か19日 | |||||||||||||||||
2025年1月11日か12日か13日 |
||||||||||||||||||
NFCチャンピオンシップ | ||||||||||||||||||
5 | ||||||||||||||||||
4 | ||||||||||||||||||
1 | ||||||||||||||||||
成績
[編集]NFC南地区
[編集]- NO:ニューオーリンズ・セインツ、ATL:アトランタ・ファルコンズ、CAR:カロライナ・パンサーズ、TB:タンパベイ・バッカニアーズ
- 数字:シード順
- v:スーパーボウル優勝
- s:スーパーボウル敗退
- c:カンファレンス決勝敗退
- d:ディビジョナルプレーオフ敗退
- w:ワイルドカードプレーオフ敗退
- 年表示の背景色が変わっている年はチームがスーパーボウルを制覇した年
年 | 地区優勝 | 2位 | 3位 | 4位 | ||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | |
2023 | TB (4d) | 9 | 8 | 0 | NO | 9 | 8 | 0 | ATL | 7 | 10 | 0 | CAR | 2 | 15 | 0 |
2022 | TB (4w) | 8 | 9 | 0 | NO | 7 | 10 | 0 | ATL | 7 | 10 | 0 | CAR | 7 | 10 | 0 |
2021 | TB (2d) | 13 | 4 | 0 | NO | 9 | 8 | 0 | ATL | 7 | 10 | 0 | CAR | 5 | 12 | 0 |
2020 | NO (2d) | 12 | 4 | 0 | TB (5v) | 11 | 5 | 0 | CAR | 5 | 11 | 0 | ATL | 4 | 12 | 0 |
2019 | NO (3w) | 13 | 3 | 0 | ATL | 7 | 9 | 0 | TB | 7 | 9 | 0 | CAR | 5 | 11 | 0 |
2018 | NO (1c) | 13 | 3 | 0 | ATL | 7 | 9 | 0 | CAR | 7 | 9 | 0 | TB | 5 | 11 | 0 |
2017 | NO (4d) | 11 | 5 | 0 | CAR(5w) | 11 | 5 | 0 | ATL(6d) | 10 | 6 | 0 | TB | 5 | 11 | 0 |
2016 | ATL(2s) | 11 | 5 | 0 | TB | 9 | 7 | 0 | NO | 7 | 9 | 0 | CAR | 6 | 10 | 0 |
2015 | CAR(1s) | 15 | 1 | 0 | ATL | 8 | 8 | 0 | NO | 7 | 9 | 0 | TB | 6 | 10 | 0 |
2014 | CAR(4d) | 7 | 8 | 1 | NO | 7 | 9 | 0 | ATL | 6 | 11 | 0 | TB | 2 | 14 | 0 |
2013 | CAR(2d) | 12 | 4 | 0 | NO (6d) | 11 | 5 | 0 | ATL | 4 | 12 | 0 | TB | 4 | 12 | 0 |
2012 | ATL(1c) | 13 | 3 | 0 | CAR | 7 | 9 | 0 | NO | 7 | 9 | 0 | TB | 7 | 9 | 0 |
2011 | NO (3d) | 13 | 3 | 0 | ATL(5w) | 10 | 6 | 0 | CAR | 6 | 10 | 0 | TB | 4 | 12 | 0 |
2010 | ATL(1d) | 13 | 3 | 0 | NO (5w) | 11 | 5 | 0 | TB | 10 | 6 | 0 | CAR | 2 | 14 | 0 |
2009 | NO (1v) | 13 | 3 | 0 | ATL | 9 | 7 | 0 | CAR | 8 | 8 | 0 | TB | 3 | 13 | 0 |
2008 | CAR(2d) | 12 | 4 | 0 | ATL(5w) | 11 | 5 | 0 | TB | 9 | 7 | 0 | NO | 8 | 8 | 0 |
2007 | TB (4w) | 9 | 7 | 0 | CAR | 7 | 9 | 0 | NO | 7 | 9 | 0 | ATL | 4 | 12 | 0 |
2006 | NO (2c) | 10 | 6 | 0 | CAR | 8 | 8 | 0 | ATL | 7 | 9 | 0 | TB | 4 | 12 | 0 |
2005 | TB (3w) | 11 | 5 | 0 | CAR(5c) | 11 | 5 | 0 | ATL | 8 | 8 | 0 | NO | 3 | 13 | 0 |
2004 | ATL(2c) | 11 | 5 | 0 | NO | 8 | 8 | 0 | CAR | 7 | 9 | 0 | TB | 5 | 11 | 0 |
2003 | CAR(3s) | 11 | 5 | 0 | NO | 8 | 8 | 0 | TB | 7 | 9 | 0 | ATL | 5 | 11 | 0 |
2002 | TB (2v) | 12 | 4 | 0 | ATL(6d) | 9 | 6 | 1 | NO | 9 | 7 | 0 | CAR | 7 | 9 | 0 |
NFC西地区
[編集]- SF:サンフランシスコ・49ers、LA→RAM→StL:ロサンゼルス・ラムズ→セントルイス・ラムズ、ATL:アトランタ・ファルコンズ、NO:ニューオーリンズ・セインツ、CAR:カロライナ・パンサーズ、SEA:シアトル・シーホークス
- 1982年シーズンはストライキの影響により、地区別成績ではなくカンファレンス上位8チームがプレイオフ進出するルールであったが、ここでは地区別に変換して表記する。
- 括弧内の数字はプレイオフ出場時のシード順(シード制導入前は表記なし)、文字はv:スーパーボウル優勝、s:スーパーボウル敗退・カンファレンス優勝、c:カンファレンス決勝敗退、d:ディビジョナルプレーオフ敗退、w:ワイルドカードプレイオフ敗退。1982年についてはd:2回戦敗退、w:1回戦敗退。
年 | 地区優勝 | 2位 | 3位 | 4位 | 5位 | |||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | |
2001 | StL(1s) | 14 | 2 | 0 | SF(5w) | 12 | 4 | 0 | NO | 7 | 9 | 0 | ATL | 7 | 9 | 0 | CAR | 1 | 15 | 0 |
2000 | NO(3d) | 10 | 6 | 0 | StL(6w) | 10 | 6 | 0 | CAR | 7 | 9 | 0 | SF | 6 | 10 | 0 | ATL | 4 | 12 | 0 |
1999 | StL(1v) | 13 | 3 | 0 | CAR | 8 | 8 | 0 | ATL | 5 | 11 | 0 | SF | 4 | 12 | 0 | NO | 3 | 13 | 0 |
1998 | ATL(2s) | 14 | 2 | 0 | SF(4d) | 12 | 4 | 0 | NO | 6 | 10 | 0 | CAR | 4 | 12 | 0 | StL | 4 | 12 | 0 |
1997 | SF(1c) | 13 | 3 | 0 | CAR | 7 | 9 | 0 | ATL | 7 | 9 | 0 | NO | 6 | 10 | 0 | StL | 5 | 11 | 0 |
1996 | CAR(2c) | 12 | 4 | 0 | SF(4d) | 12 | 4 | 0 | StL | 6 | 10 | 0 | ATL | 3 | 13 | 0 | NO | 3 | 13 | 0 |
1995 | SF(2d) | 11 | 5 | 0 | ATL(6w) | 9 | 7 | 0 | StL | 7 | 9 | 0 | CAR | 7 | 9 | 0 | NO | 7 | 9 | 0 |
1994 | SF(1v) | 13 | 3 | 0 | NO | 7 | 9 | 0 | ATL | 7 | 9 | 0 | RAM | 4 | 12 | 0 | ||||
1993 | SF(2c) | 10 | 6 | 0 | NO | 8 | 8 | 0 | ATL | 6 | 10 | 0 | RAM | 5 | 11 | 0 | ||||
1992 | SF(1c) | 14 | 2 | 0 | NO(4w) | 12 | 4 | 0 | ATL | 6 | 10 | 0 | RAM | 6 | 10 | 0 | ||||
1991 | NO(3w) | 11 | 5 | 0 | ATL(6d) | 10 | 6 | 0 | SF | 10 | 6 | 0 | RAM | 3 | 13 | 0 | ||||
1990 | SF(1c) | 14 | 2 | 0 | NO(6w) | 8 | 8 | 0 | RAM | 5 | 11 | 0 | ATL | 5 | 11 | 0 | ||||
1989 | SF(1v) | 14 | 2 | 0 | RAM(5c) | 11 | 5 | 0 | NO | 9 | 7 | 0 | ATL | 3 | 13 | 0 | ||||
1988 | SF(2v) | 10 | 6 | 0 | RAM(5w) | 10 | 6 | 0 | NO | 10 | 6 | 0 | ATL | 5 | 11 | 0 | ||||
1987 | SF(1d) | 13 | 2 | 0 | NO(4w) | 12 | 3 | 0 | RAM | 6 | 9 | 0 | ATL | 3 | 12 | 0 | ||||
1986 | SF(3d) | 10 | 5 | 1 | RAM(5w) | 10 | 6 | 0 | ATL | 7 | 8 | 1 | NO | 7 | 9 | 0 | ||||
1985 | RAM(2c) | 11 | 5 | 0 | SF(5w) | 10 | 6 | 0 | NO | 5 | 11 | 0 | ATL | 4 | 12 | 0 | ||||
1984 | SF(1v) | 15 | 1 | 0 | RAM(4w) | 10 | 6 | 0 | NO | 7 | 9 | 0 | ATL | 4 | 12 | 0 | ||||
1983 | SF(2c) | 10 | 6 | 0 | RAM(5d) | 9 | 7 | 0 | NO | 8 | 8 | 0 | ATL | 7 | 9 | 0 | ||||
1982 | ATL(5w) | 5 | 4 | 0 | NO | 4 | 5 | 0 | SF | 3 | 6 | 0 | RAM | 2 | 7 | 0 | ||||
1981 | SF(1v) | 13 | 3 | 0 | ATL | 7 | 9 | 0 | LA | 6 | 10 | 0 | NO | 4 | 12 | 0 | ||||
1980 | ATL(1d) | 12 | 4 | 0 | LA(5w) | 11 | 5 | 0 | SF | 6 | 10 | 0 | NO | 1 | 15 | 0 | ||||
1979 | LA(3s) | 9 | 7 | 0 | NO | 8 | 8 | 0 | ATL | 6 | 10 | 0 | SF | 2 | 14 | 0 | ||||
1978 | LA(1c) | 12 | 4 | 0 | ATL(4d) | 9 | 7 | 0 | NO | 7 | 9 | 0 | SF | 2 | 14 | 0 | ||||
1977 | LA(2d) | 10 | 4 | 0 | ATL | 7 | 7 | 0 | SF | 5 | 9 | 0 | NO | 3 | 11 | 0 | ||||
1976 | LA(3c) | 10 | 3 | 1 | SF | 8 | 6 | 0 | ATL | 4 | 10 | 0 | NO | 4 | 10 | 0 | SEA | 2 | 12 | 0 |
1975 | LA(2c) | 12 | 2 | 0 | SF | 5 | 9 | 0 | ATL | 4 | 10 | 0 | NO | 2 | 12 | 0 | ||||
1974 | LA(c) | 10 | 4 | 0 | SF | 6 | 8 | 0 | NO | 5 | 9 | 0 | ATL | 3 | 11 | 0 | ||||
1973 | LA(d) | 12 | 2 | 0 | ATL | 9 | 5 | 0 | SF | 5 | 9 | 0 | NO | 5 | 9 | 0 | ||||
1972 | SF(d) | 8 | 5 | 1 | ATL | 7 | 7 | 0 | LA | 6 | 7 | 1 | NO | 2 | 11 | 1 | ||||
1971 | SF(c) | 9 | 5 | 0 | LA | 8 | 5 | 1 | ATL | 7 | 6 | 1 | NO | 4 | 8 | 2 | ||||
1970 | SF(c) | 10 | 3 | 1 | LA | 9 | 4 | 1 | ATL | 4 | 8 | 2 | NO | 2 | 11 | 1 |
NFL東カンファレンス・キャピトル地区
[編集]- DAL:ダラス・カウボーイズ、WAS:ワシントン・レッドスキンズ、PHI:フィラデルフィア・イーグルス、NO:ニューオーリンズ・セインツ
- 括弧内の文字はc:カンファレンス決勝敗退
- プレイオフは地区優勝チームのみ出場
年 | 地区優勝 | 2位 | 3位 | 4位 | ||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | |
1969 | DAL(c) | 11 | 2 | 1 | WAS | 7 | 5 | 2 | NO | 5 | 9 | 0 | PHI | 4 | 9 | 1 |
NFL東カンファレンス・センチュリー地区
[編集]- PIT:ピッツバーグ・スティーラーズ、CLE:クリーブランド・ブラウンズ、StL:セントルイス・カージナルス、NO:ニューオーリンズ・セインツ
- 括弧内の文字はn:NFL決勝敗退・カンファレンス優勝
- プレイオフは地区優勝チームのみ出場
年 | 地区優勝 | 2位 | 3位 | 4位 | ||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | |
1968 | CLE(n) | 10 | 4 | 0 | StL | 9 | 4 | 1 | NO | 4 | 9 | 1 | PIT | 2 | 11 | 1 |
NFL東カンファレンス・キャピトル地区
[編集]- DAL:ダラス・カウボーイズ、WAS:ワシントン・レッドスキンズ、PHI:フィラデルフィア・イーグルス、NO:ニューオーリンズ・セインツ
- 括弧内の文字はn:NFL決勝敗退・カンファレンス優勝
- プレイオフは地区優勝チームのみ出場
年 | 地区優勝 | 2位 | 3位 | 4位 | ||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | |
1967 | DAL(n) | 9 | 5 | 0 | PHI | 6 | 7 | 1 | WAS | 5 | 6 | 3 | NO | 3 | 11 | 0 |
主な選手
[編集]現役選手
[編集]永久欠番
[編集]ニューオーリンズ・セインツ 永久欠番一覧 | ||||
背番号 | 選手 | ポジション | 在籍期間 | |
---|---|---|---|---|
31 | ジム・テイラー | Jim Taylor | FB | 1967 |
81 | ダグ・アトキンス | Doug Atkins | DE | 1967–1969 |
プロフットボール殿堂入り
[編集]プロフットボール殿堂入りメンバー一覧 | |||||
選手 | |||||
---|---|---|---|---|---|
背番号 | 名前 | ポジション | 在籍期間 | 選出年 | |
31 | ジム・テイラー | Jim Taylor | FB | 1967 | 1976 |
81 | ダグ・アトキンス | Doug Atkins | DE | 1967–1969 | 1982 |
35 | アール・キャンベル | Earl Campbell | RB | 1984–1985 | 1991 |
57 | リッキー・ジャクソン | Rickey Jackson | LB | 1981–1993 | 2010 |
77 | ウィリー・ローフ | Willie Roaf | OT | 1993–2001 | 2012 |
16 | ケン・ステイブラー | Ken Stabler | QB | 1982–1984 | 2016 |
7 | モーテン・アンダーセン | Morten Andersen | K | 1982–1994 | 2017 |
コーチ・エグゼクティブ | |||||
名前 | 役職 | 在籍期間 | 選出年 | ||
トム・フィアーズ | Tom Fears | ヘッドコーチ | 1967–1970[※ 1] | 1970 | |
マイク・ディトカ | Mike Ditka | ヘッドコーチ | 1997–1999[※ 2] | 1988 | |
ジム・フィンクス | Jim Finks | GM | 1986–1993 | 1995 | |
ハンク・ストラム | Hank Stram | ヘッドコーチ | 1976–1977 | 2003 | |
ディック・スタンフェル | Dick Stanfel | ヘッドコーチ | 1980 | 2016 |
リング・オブ・オナー
[編集]- アーチー・マニング - 2013年選出
- リッキー・ジャクソン - 2013年選出
- ウィリー・ローフ - 2013年選出
- モーテン・アンダーセン - 2015年選出
- トム・ベンソン - 2019年選出
- ウィル・スミス - 2019年選出
- サム・ミルズ - 2021年選出
45周年記念チーム(2011)
[編集]チーム殿堂入り
[編集]個人賞
[編集]歴代ヘッドコーチ
[編集]- トム・フィアーズ (1967-1970)
- J・D・ロバーツ (1970-1972)
- ジョン・ノース (1973-1975)
- アーニー・ヘフェール (1975)
- ハンク・ストラム (1976-1977)
- ディック・ノーラン (1978-1980)
- ディック・スタンフェル (1980)
- バム・フィリップス (1981-1985)
- ウェイド・フィリップス (1985)
- ジム・E・モーラ (1986-1996)
- リック・ベンチュリ (1996)
- マイク・ディトカ (1997-1999)
- ジム・ハスレット (2000-2005)
- ショーン・ペイトン (2006-2011)
- アーロン・クローマー (2012)
- ジョー・ビット (2012)
- ショーン・ペイトン (2013-2021)
- デニス・アレン (2022-)
ギャラリー
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ セインツ側は2019年ドラフト6巡指名権も受け取っている。
出典
[編集]- ^ The Louisiana Superdome
- ^ “ブロンコスのプレイター、NFL新64ヤードのFG成功”. AFP (2013年12月9日). 2015年2月22日閲覧。
- ^ “SB44ウラネタ セインツ編④(完)”. 生沢浩のNFLレポート Inside Blitz (2010年2月27日). 2010年5月22日閲覧。
- ^ “The Best Ever? (pg 2)”. profootballhof.com. 2008年3月13日閲覧。
- ^ VHS 伝説の名勝負ベスト15 大逆転!NFL Number VIDEO ISBN 4-16-911614-3
- ^ “Top 10 QB Injuries With Biggest Team Impact”. realclearsports.com (2011年9月12日). 2015年2月22日閲覧。
- ^ “セインツのペイトン監督、復帰2日目にDCを解任”. アメフトNewsJapan (2013年1月24日). 2015年2月22日閲覧。
- ^ “セインツ、チーム史上初のプレーオフアウェー戦勝利”. アメフトNewsJapan (2014年1月4日). 2015年2月22日閲覧。
- ^ “セインツ 低勝率でプレーオフ進出?“特権”で議論も”. スポーツニッポン (2014年12月17日). 2015年2月22日閲覧。
- ^ “セインツQBブリーズが引退を正式表明、20年の現役生活に別れ”. NFL JAPAN (2021年3月15日). 2021年3月18日閲覧。
- ^ “NFLセインツのQBブリーズが引退を表明 2010年スーパーボウルのMVP”. スポーツニッポン (2021年3月15日). 2021年3月18日閲覧。
- ^ “Sean Payton stepping down as head coach of Saints after 15 seasons”. NFL.com. 2022年1月26日閲覧。
- ^ “Broncos agree to deal with Saints to hire Sean Payton as head coach”. NFL.com. 2023年2月1日閲覧。
- ^ “セインツがQBデレック・カーと4年204億円の契約に合意”. 2023年3月7日閲覧。