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ネイサン・ミンチー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ネイト・ミンチーから転送)
ネイサン・ミンチー
Nathan Minchey
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 テキサス州オースティン
生年月日 (1969-08-31) 1969年8月31日(55歳)
身長
体重
6' 8" =約203.2 cm
260 lb =約117.9 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1987年 MLBドラフト2巡目
初出場 MLB / 1993年9月12日
NPB / 1998年4月4日
最終出場 MLB / 1997年9月25日
NPB / 2004年6月19日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ネイサン・デレク・ミンチーNathan Derek Minchey, 1969年8月31日 - )は、アメリカ合衆国テキサス州オースティン出身の元プロ野球選手投手)。

NPBでは1998年 - 2000年広島東洋カープセントラル・リーグ)で、2001年 - 2004年千葉ロッテマリーンズパシフィック・リーグ)でプレー。NPBでは7年間で通算187試合に登板(すべて先発)して7470を記録した(2桁勝利は計5回)。特に、ロッテ時代の2001年には最優秀防御率のタイトルを獲得している。

アメリカ球界での登録名は「ネイト・ミンチー」(Nate Minchey)。2009年から読売ジャイアンツ(巨人)の駐米スカウトを務めており、そちらでのカナ表記は「ネート・ミンチー」となっている。

経歴

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1987年MLBドラフト2巡目でモントリオール・エクスポズに指名され契約。1993年9月12日にボストン・レッドソックスメジャーデビュー。

1997年に移籍したコロラド・ロッキーズを経て、1998年セントラル・リーグ(セ・リーグ)の広島東洋カープに入団。来日1年目から中4日で登板し、同年のセ・リーグ最多先発登板(35試合)・リーグ最多投球回(236イニング)を記録して15勝11敗・防御率2.75の成績を残した。球速は速くないが身長2メートル超の高身長からくりだす多彩な変化球と制球力を武器に、先発ローテーションの中心選手として活躍した。

監督三村敏之から達川晃豊に交代した1999年は、セ・リーグ開幕戦となった4月2日の対中日ドラゴンズ1回戦(ナゴヤドーム)で開幕投手を務めたが、立浪和義に決勝打を浴びて敗戦投手となった。同年は故障離脱の影響で不振(17試合登板・2勝9敗・防御率5.77)に終わる。

2000年、6月に月間MVPを受賞するなどチーム最多の12勝を挙げて復活。しかしオフの契約交渉で年俸の高騰[1]や、中4日登板をすることによって他の先発投手の編成が難しかった事もあり契約は不調に終わり退団する。

2001年パシフィック・リーグ(パ・リーグ)の千葉ロッテマリーンズに移籍。30試合に登板し(12勝14敗・204.1投球回)、防御率3.26で最優秀防御率のタイトルを獲得、パ・リーグで外国人投手として最優秀防御率を獲得したのは初である。また、史上初の外国人投手セ・パ両リーグ2桁勝利を達成[1]

2002年、5月24日のオリックス・ブルーウェーブ戦(千葉マリンスタジアム)で完封勝利を挙げ、外国人投手としては西田亨以来2人目となるセ・パ両リーグでの完封勝利を達成した[2]。同年は32試合で先発登板(パ・リーグ最多の230.1投球回を記録)して15勝14敗・防御率2.85の成績を残した。

2003年は30試合に登板(192.1投球回)して14勝9敗・防御率4.54の成績を残した。チームの絶対的エースとして君臨していたが、2004年山本功児に代わり、ボビー・バレンタインがロッテの監督に就任すると、中4日登板を主張するミンチーと、それを認めないバレンタインの意見が衝突。中5日 - 6日登板となると投球内容が悪く、それと重なり怪我で6月半ばに離脱。7月に右肘の遊離軟骨除去手術を受け[3]、そのまま一軍には復帰できず、12試合で4勝3敗、防御率5.70の成績に終わる[3]。シーズン終了後の10月27日にロッテを退団。同年オフにパ・リーグに新規参入した東北楽天ゴールデンイーグルス田尾安志監督)が獲得を検討し、入団交渉を行った[3]が、入団には至らず、同年限りで現役を引退した。

引退後、2007年から2008年までクリーブランド・インディアンスの日本担当スカウトを務め、2009年1月13日に読売ジャイアンツ(巨人)の駐米スカウトに就任。

選手としての特徴

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日本球界時代の球速は140km/hと当時としても決して速い部類ではなかったが、直球は打者の手元で微妙に動き、大きなカーブにチェンジアップ、決め球のシンカーと多彩な変化球を持ち、何よりコーナーを丹念に突く制球力には定評があった[4]。投球は殆どが変化球で組み立てられていた。

日本球界時代にシーズン最多投球回数を2回記録するなど、スタミナにも定評があったが、ワーカーホリック傾向のある性格が裏目に出てロッテ時代はバレンタインとの衝突を招いた[4]

レッドソックス時代から引退まで配球と結果、打者への対策をメモ帳に書き留めていた[4]

人物

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ロッテ時代はインターネット普及開始期であったが、当時からパソコンを趣味としており、遠征先のホテルではEメールを使って母国の自分の子供と文字や画像によりコミュニケーションを取っていた[4]

現役当時から引退後のスカウト就任を希望しており、引退後はその願いが叶うこととなった[4]

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1993 BOS 5 5 1 0 1 1 2 0 -- .333 141 33.0 35 5 8 2 0 18 2 0 16 13 3.55 1.30
1994 6 5 0 0 0 2 3 0 -- .400 121 23.0 44 1 14 2 0 15 3 1 26 22 8.61 2.52
1996 2 2 0 0 0 0 2 0 -- .000 36 6.0 16 1 5 0 0 4 1 0 11 10 15.00 3.50
1997 COL 2 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 12 2.0 5 0 1 0 0 1 0 0 3 3 13.50 3.00
1998 広島 35 35 6 2 2 15 11 0 -- .577 980 236.0 241 19 57 2 7 123 4 0 91 72 2.75 1.26
1999 17 17 0 0 0 2 9 0 -- .182 376 82.2 105 10 27 0 3 39 2 0 62 53 5.77 1.60
2000 31 31 0 0 0 12 10 0 -- .545 781 183.0 203 20 52 5 3 97 5 1 78 71 3.49 1.39
2001 ロッテ 30 30 5 0 1 12 14 0 -- .462 864 204.1 196 13 63 3 6 102 2 3 88 74 3.26 1.27
2002 32 32 7 2 3 15 14 0 -- .517 955 230.1 222 18 43 4 15 132 4 0 85 73 2.85 1.15
2003 30 30 3 1 0 14 9 0 -- .609 847 192.1 233 19 51 0 8 96 3 0 106 97 4.54 1.48
2004 12 12 0 0 0 4 3 0 -- .571 318 72.2 77 11 26 0 4 37 0 0 50 46 5.70 1.42
MLB:4年 15 12 1 0 1 3 7 0 -- .300 310 64.0 100 7 28 4 0 38 6 1 56 48 6.75 2.00
NPB:7年 187 187 21 5 6 74 70 0 -- .514 5121 1201.1 1277 110 319 14 46 626 20 4 560 486 3.64 1.33
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

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NPB

表彰

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NPB

記録

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NPB初記録
節目の記録
その他の記録
  • 初登板から連続試合先発:187試合 ※NPB歴代2位 ※外国人記録
  • オールスターゲーム出場:2回 (1998年、2003年)

背番号

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  • 57(1993年 - 1994年)
  • 58(1996年)
  • 47(1997年)
  • 43(1998年 - 2004年)

脚注

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  1. ^ a b セ・パ両リーグで活躍した外国人には誰がいる?”. 週刊ベースボールONLINE (2020年3月28日). 2020年7月12日閲覧。
  2. ^ ロッテのミンチーが史上2人目「両リーグ制覇」【2002年5月24日】”. 週刊ベースボールONLINE (2018年5月24日). 2020年7月12日閲覧。
  3. ^ a b c 楽天ミンチー獲り!すでに交渉中」『スポーツ報知報知新聞社、2004年11月16日。オリジナルの2004年12月6日時点におけるアーカイブ。
  4. ^ a b c d e 超人的なスタミナを誇った203センチ右腕ミンチーのワーカーホリック問題とは/平成助っ人賛歌【プロ野球死亡遊戯】 週刊ベースボールONLINE 2020年11月7日(土) 11:02 (2022年7月7日閲覧)

関連項目

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外部リンク

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