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ノート:ジュセリーノ・ダ・ルース/過去ログ2b

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裁判で”勝訴”したという出典を出してください

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フセインの居場所を米政府に教えたから懸賞金を渡すべきとした訴訟を起こしたというロイターの記事はありますが、勝訴したという情報が見当たらないので、もし出典がありましたら明記して下さるようお願いします。ちなみに、この勝訴したといういう記述は2007年9月29日 (土) 20:54の版のIPユーザーによるものです。--モトカル 2008年2月10日 (日) 07:11 (UTC)

『未来からの警告』のP82に、監修者注として、この裁判で勝訴したとの報告を受けたとありますので、それを出典として挙げました。新聞などのより公的なソースをご存知の方がおられたら出典の提示をお願いします。--モトカル 2008年4月5日 (土) 11:36 (UTC)
韮澤氏の監修者注では「ジュセリーノが勝訴したという報告を受けた」とか、「後はアメリカとブラジルの国家間の問題となっている」というようなアバウトな内容の記述しかなく、日本の裁判制度で言えば、最高裁が判決を確定したというような所まで行ったのかどうか不明なまま中途半端に勝訴したと書くことも問題があるので、ジュセリーノが訴訟を起こしたという記述にとどめています。信頼できる情報源による情報があればその出典と内容を御報告下さい。----モトカル(会話) 2008年6月14日 (土) 14:06 (UTC)

判定のタイミング

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2008年5月のこととして月単位でなされた予言について、いつのまにか判定がなされています(どの版で誰が判定したのかもよく判らないのですが…)。月単位の予言は、せめて1ヶ月程度の誤差を見込んで、早くとも7月までは待つべきではないでしょうか?例えば、5月の千葉地震予言ですが6月に千葉でM7クラスの地震が起ったら、どうするつもりなのでしょうか?その時になって、フラフラと判定や記述を変えるようでは、百科事典の記述としてはふさわしくない、性急な編集と謗られかねません。判定を下すタイミングについて、あるいは過去の予言欄に移すタイミングも含めて、ある程度の基準を考えたいのですが、いかがでしょうか?(wikipedia独自で判定を下すことについての是非という問題はありますが、それはとりあえずおいておくことにします。) --新鳩244号 2008年6月4日 (水) 15:11 (UTC)

2008年5月の予言について、移行を提案した者です。
あくまで私見ですが、6月に千葉を震源とする地震が生じたとしても、5月の予言に符合するとは考えられない、と思っています。
すでに茨城で地震が起こっていますし、氏の予言はこちらを当てはめるのが正しいと考え、仮に6月に地震があった場合、その旨、ジュセリーノ氏が「予知していた」と発表するのではないかと思います。
従って、移行のタイミングについては、該当月末にて行う事でいいのではないでしょうか。
判定時期については、±2週間(月単位の予言の場合、前月後半から次月前半の2ヶ月)くらいで考えてはどうかと提案します。 ---影綱 2008年6月4日 (水) 23:16 (UTC)
#過去の予言(事前に予言していたことが未確認のもの)の節にある2006年の予言の節であえて○×などの判定を控える方が「中立的な観点」の方針に適っているのではないかという意見を書きました。--モトカル 2008年6月5日 (木) 13:23 (UTC)

「ジュセリーノの言葉」の節について

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よくよく考えてみると「ジュセリーノの言葉」の節は『未来からの警告』のP313に掲載されている文をそのまま転載しているものであり、引用という形でもありません。ジュセリーノが「神」や「未来」や「運命」などについてどのように語っているかを紹介する節はあってもいいとは思うのですが、この節の場合は「Wikipedia:引用のガイドライン/草案」のウィキペディアで避けるべき引用などに照らしてみても著作権的に問題になりはしないかと思うのです。

この投稿は2007年11月20日 (火) 00:27の版2007年10月1日10:51:44(UTC)の版「2007年9月30日 (日) 19:18」の版差分で加筆されたものです差分差分差分)。Wikipedia:削除の方針#著作権侵害への対処方法に基づきその一つ手前の版に一旦リバートして特定版削除などの対処をすべきなのかみなさんの意見をお願いします。----モトカル(会話) 2008年6月12日 (木) 16:48 (UTC) --(訂正)----モトカル(会話) 2008年7月13日 (日) 15:36 (UTC)

仮に特定版削除をしなければならないとすると、とてつもない事態が勃発します。「削除される版の記述の復帰問題」の事情があり、IPユーザーさんの記述は永久に利用できなくなり、その記述は闇に葬らなければなりませんし、ブロックされてしまった金さんや、ウィキブレイクしているユーザーさんの記述も、利用できません。偶然の一致や、事実の記述であっても、いちいち、著作権の問題が無いのかをチェックしなければなりません。現行アクティブなユーザーの記述も、誰が何を書いたのかをはっきりさせて、再投稿しなければなりません。サブページも履歴が継承できなくなりますので、削除しなければなりません。つまり、そこの記述が大量に戻って来る事になって、また一つ一つ検討しなければならなくなります。まったく、とてつもない手間です。これだけの手間をかけなければならないほど、その記述が誰かの著作権を侵している可能性が高いのかどうか…。今のところ、私には判断がつきません。--新鳩244号 2008年6月12日 (木) 17:38 (UTC)
特定版削除後の記述の復帰の問題については「Wikipedia‐ノート:削除の方針」の過去の版 にある「特定版削除確定後の再投稿について」や「削除記事の復元について」という節やWikipedia‐ノート:著作権/特定版削除向けrevertなどで議論がされて来ました。
なかなか理解が難しい問題ですが、去年も同様の問題が起こりましたね。当該の節がもしも著作権的な問題があるとの結論が出ること可能性もあるということを考えると、今の時点でその節が加筆される前の版に一旦リバートしておき、そこに新たな加筆をしてもらうことはその後の手間を少しでも減らすことにつながるのでしょうか?----モトカル(会話) 2008年6月13日 (金) 13:22 (UTC)
そんなことをしたら、逆効果でしょうね。事情をあまり知らないユーザーさん等による不用意な再加筆を招いて混乱に拍車をかけかねません。一般の方が皆、現在のjawpが抱えるGFDL問題を理解できているとは思えませんので。
本当に問題があるとお考えなら、仮定に基いた話に時間と労力を割かずに、覚悟をお決めになって、責任をもって削除依頼を出すべきです。その場合、先例を考えると、最悪、半年かそれ以上の間、記事を白紙保護とすることにつながる可能性があると思います。--新鳩244号 2008年6月13日 (金) 13:37 (UTC)

ジュセリーノの言葉を載せることは著作権の問題という面より、ある意味ではジュセリーノならびにその著書の宣伝という面の方が大きいのではということに考え至りました(Wikipedia:ウィキペディアは何でないか#ウィキペディアは演説をする場所ではありません)。その意味では、更なるジュセリーノの言葉の加筆を促す可能性も有しているこの節をいっそのこと削除してはどうでしょうか?先にも述べたように、ジュセリーノが何かについてどのように語っているかを紹介する節はあってもいいとは思いますが、単に言葉を載せた節は百科事典的には有意なものでないと思いますから・・・----モトカル(会話) 2008年6月13日 (金) 15:33 (UTC)

もっと有益な節にスペースを譲るためにも特に異論がなければこの節を削除しようと思います。来週の日曜日(22日)が過ぎた時点(0時を過ぎ、日付が月曜日に変わり次第)で行いたいと思います。----モトカル(会話) 2008年6月15日 (日) 07:58 (UTC)
意見を述べるのが遅くなりまして申し訳ありませんでした。「ジュセリーノの言葉」の節に関してのみ言うのであれば「削除やむなし」で同意いたします。理由についてはここで書かれているような「本からの丸写し」以外のなにものでもないということが確認できたからです。特にこのウィキペディアで一項目を設ける必然というものは感じません。引用元の著作の著作名も示されているのですし、ここでその一部を紹介するという必要はないと思うに至っております。丸襤褸侍--襤褸之介 2008年6月29日 (日) 19:53 (UTC)
報告し忘れておりましたが、特に異論がなかったので2008年6月22日 (日) 15:53の版で削除しました。(署名付記)----モトカル(会話) 2008年6月28日 (土) 14:38 (UTC)


126.103.66.163のIPユーザーさんへ

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ウィキペディアは何でも自由に書いてよいわけではなく、特に「中立的な観点」、「独自研究は載せない」、「検証可能性」の三大公式方針は必ず守らなければならないとされているものです。

記事本文の未来の予言の節にある6月に大阪で地震という予言に13日という日付をなぜ書いてはいけないかを#未来の予言についての節に書きましたし、ノートでの議論を参照することを求めました。

そもそもあるIPユーザ(172.231.211の)が要約欄でジュセリーノが講演で13日という日付を語ったようだとしてこの日付を加筆したわけですが、もし「検証可能性」の方針を理解しておられる方なら、講演会で聞いたということを出典にできないことは理解できると思います。また、「実際公開されている予言の的中率は5%を下回っているという意見が多数ではある。」という記述などもきちんとした出典を示さずに書くことも問題だということもわかります。

ウィキペディアはあくまで共同で編集するもので、お互いに意見を異にすることはままあることですが、それを話し合うためにノートページがあり、自身の編集の意図を説明するために「要約欄」が設けられています。

ですから、出典の明示を求める「要出典」が付けられたり、コメントアウトされた箇所を、出典の明示も、要約欄やノートでの説明もなしに、何度も無言で差し戻すという行為はウィキペディアのコミュニティを軽視するものと取られても仕方ありません。(Wikipedia:ウィキペディアでやってはいけないことの中の独断でテンプレートを剥がそうとすることごり押しをすることなどを参照して下さい。)

今一度、13日という日付やその他の問題のある記述をコメントアウトし、[要出典]を付記しました。

投稿ブロックの方針において投稿ブロックの対象となる行為の一つに「記事の編集に際し他の執筆者との協調が図れないなど、Wikipediaの目的遂行を妨げる行動」があり、「ノートページや各種依頼ページにおける議論の拒否や妨害 」という事例が挙げられています。 もし、再びノートでの議論や説明もなしに、差し戻されるなら、一定期間ウィキペディアでの編集を行えなくされる処置がなされる可能性もあるということをどうか御考慮下さい(そのような事態になることを望んでいませんが・・)。----モトカル(会話) 2008年6月16日 (月) 15:15 (UTC)

すでに本文コメントアウト内で伝えてありますが、過去の予言2008年6月の予言における「フィリピンを台風が直撃し、死者が出た」のは、事実です。
何故執拗なまでにこれを否定するのか理解できませんが、事実を歪曲してまで私論を展開する行為は、中立的な観点独自研究は載せない検証可能性の全てに違反する行為です。
以前、管理者さんに対し、「一部ユーザーの悪意のある改竄行為」を報告し、しばらく様子を見るよう指示を受けましたが、改竄を止めるつもりがないようですので、ここに記載した上で、改めて報告、処分の依頼を致します。
俺の依頼によってすぐに何らかの処分が降りるとは思いませんが、執拗な改竄は即刻止めてください。
予言(並びその結果)に異論があるのであればノートへ記載してください。俺はノートは議論をする場と思っていますし、明確な論拠あっての反論には、素直に応じるつもりでもあります。--影綱 2008年7月15日 (火) 22:35 (UTC)

当該ユーザーについて、投稿ブロック依頼を提出しました。再三の警告にも関わらず、曲解、改竄を止める意思はないようです。他ユーザーの方々のご意見を伺いたいと思います。--影綱 2008年7月19日 (土) 21:43 (UTC)


「正確さ」「出典について」の節のサブページ化の提案

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正確さ」「出典について」の節を、サブページとすることを提案いたします。--新鳩244号 2008年7月7日 (月) 11:55 (UTC)

(コメント)他のWikipediaの記事にも増して、この記事においては出典正確さが重要です。この記事がありつづける限り懸案となりつづけるでしょう。その場その場の単発の議論では不足であり、統一した継続的な議論が必要であると思われます。--新鳩244号 2008年7月7日 (月) 11:55 (UTC)
サブページ化しても、本ノートにインクルードするのが基本となりますが、編集の際の負荷は軽減されますし、本ノートの易読性を損なう場合は、古い議論を<noinclude></noinclude>で囲めば、当座の用は足ります。その後、じっくりとリファクタリングを行なった上で古い議論を個別に過去ログ化するのも、サブページ化してあれば容易です。--新鳩244号 2008年7月7日 (月) 11:55 (UTC)
(賛成)。”インクルード(include)”とはサブページの内容を親ページに呼び出すということかと思いますが、<noinclude></noinclude>で囲んだ部分はサブページを開いたときには、表示されるのでしょうね?今までそのようなことをしているノートは見たことないのですが、必要な部分を表示し、不必要な部分を表示させずにおけるという点ではいいアイデアのように思います。ただ、どこを、<noinclude></noinclude>で囲むかについての意見が分かれる恐れもあると思いますが、とりあえずやって見て検討しましょう。----モトカル(会話) 2008年7月7日 (月) 14:14 (UTC)
(賛成)サブページであれ、過去ログであれ、ノートスペースと易読性を確保する意味では有益と考えます。
ただ、できれば先の2つに#2006年の予言の移動について#「ジュセリーノの言葉」の節についてを加えていただきたく追加提案します。--影綱 2008年7月7日 (月) 22:03 (UTC)

提案より7日間異論がありませんでしたので、「正確さ」「出典について」の節を、サブページ化することに決定します。決定の仕方に異議がある方は24時間以内に申し出てください。異議が無ければ、7月17日(UTC)以降可及的速やかに作業を行なわせていただきます。--新鳩244号 2008年7月15日 (火) 10:24 (UTC)

(反対)今回の決定は性急に過ぎます。もう少し時間をとって議論すべきです。--影綱 2008年7月15日 (火) 22:15 (UTC)
この節の本筋である#過去ログ化の告知から一貫して提案していますが、俺がお願いしているのは
#正確さ#2006年の予言の移動について#「ジュセリーノの言葉」の節について各節の
ノートからの移動・削除です。
2008年6月21日 (土) 16:15 (UTC)にてモトカルさんがこれらを過去ログ化すると提案したので、これに従いました。新鳩244号さんがこれを差し戻された(2008年7月7日 (月) 01:17 (UTC))際に俺は疑問を持ち、その旨記載した訳ですが、それに対し「コンセンサス方式というのは、全会一致が原則」(2008年7月7日 (月) 11:25 (UTC))と回答されたのは新鳩244号さんです。
何故今回に限って議論の時間を24時間と限定し、全会一致を待たずに強行されるのでしょうか?
個々の論については、別項でコメントしたいと思いますが、少なくとも18日いっぱい(日本時間)は議論に時間を割いていただきたいと思います。--影綱 2008年7月15日 (火) 22:15 (UTC)
(コメント)『「正確さ」「出典について」の節を、サブページとする』という当初提案について、7日の間、賛成意見だけがあり、反対の意思表示が無かったことから、異議無しと認めて決定とすることにしたものです。しかし、意見の表明漏れがあったり、私が反対意見を見落としている可能性が無いわけではないでしょうから、念のため、手続きの瑕疵についての異議申立て期間を24時間見たものです。議会に喩えて言うならば、議案の審議に7日間かけた後、採決動議に対する異議申立て期間を24時間と見たということです。
仮に、追加提案分をサブページにすることになっても、「正確さ」「出典について」の節が先行してサブページになっていたとしても、後から追加して作業するのは容易なのですから、別枠で考えてなんら問題ないと思うのですが、いかがでしょうか? --新鳩244号 2008年7月16日 (水) 15:09 (UTC)
この件について、#追加提案分についてにコメントを一本化したいと思います。--影綱 2008年7月16日 (水) 22:29 (UTC)

2008年7月17日 (木) 06:09 (UTC)に、#追加提案分についての小見出し内で、影綱さんは決議方法への(反対)意見を撤回されました。これにより、異論は無いことになりますので、当初提案分について、原案通りとする決定は有効であることを確認します。念の為、さらに24時間お待ちいたします。決定の仕方に異議がある方は24時間以内に申し出てください。--新鳩244号 2008年7月17日 (木) 11:33 (UTC)

チェック正確さ」「出典について」の節をサブページ化しました。<noinclude></noinclude>で一部を非表示にする試みも概ね上手くいっていると思います。ご確認下さい。なお、肝心なのはこれからのリファクタリング作業だと思います。--新鳩244号 2008年7月18日 (金) 16:20 (UTC)

サブページ化の完了を確認しました。ひとまず問題はないものと思います。その上で、改めて「過去ログ化」を提議したいと思いますが、いかがでしょうか。--影綱 2008年7月21日 (月) 07:07 (UTC)

 過去ログ化の再提案について 

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2008年7月18日 (金) 16:20 (UTC)において、新鳩244号さんがサブページ化を完了されました。 これにより、現状残っている議題は「現在進行中」のものと「今後継続の必要がない、終了した議題」とに分かれたことになります。ですので、易読性・今後の議論スペース確保を目的として下記の節、もしくは項において過去ログ化を提案します。

#正確さ節から#2008年5月8日の茨城沖地震関連

#バージニア工科大学銃乱射事件
#四川大地震地震関連
#「過去の予言」関連の各項、並び
#「未来の予言」関連の項内、茨城沖地震、中国地震の移行についてのやりとり」

#出典について節から#未来の予言についての項内、大阪で地震が起こるとされていた件についてのやりとり」

#2006年の予言の移動についての節」

#過去ログ化の告知の節」

#「正確さ」「出典について」の節のサブページ化の提案節から #追加提案分についての項」

以上5節となります。
細かい分類となりますが、ご理解の程宜しくお願いします。議論の期間は24日(日本時間)まで、支障がなければ25日に作業を開始します。方法論等アドバイスいただければ嬉しいです。--影綱 2008年7月21日 (月) 22:31 (UTC)

また遅いと文句を言われるのかもしれませんが、反対しておきます。
もし本当に2007年9月30日 (日) 17:50 (UTC)の版に戻るのだとしたら、出典不明の予言記述も全部戻ってきてしまいます。全てやりなおしです。「出典について」の項には全て目を通す必要があります。
おちついたら、リファクタリングをしようと申しております。サブページ化した部分はそのままおいておいてください。
なんでそんなに早期の過去ログ化に拘られるのか、、、理解に苦しみます。懸案山積みで披露困憊しております。勘弁してください。--新鳩244号 2008年7月24日 (木) 15:54 (UTC)
疲労が溜まっていらっしゃることはお見舞い申し上げます。が、すでに過去ログ化されたものを戻すとは一言も言ってないのですが・・・?
繰り返して申し上げますが、俺の主目的は「現在議論が終了している題について、ノートから削除する」事です。前回(2008年7月6日 (日) 15:20 (UTC)におけるモトカルさんの過去ログ化処理)の際、及びその後の新鳩244号さんのサブページ化提議の際のコメントからも、易読性を確保する事には同意をいただけたものと思っているのですが、この点が食い違うのでしょうか。
サブページ分を残しておくようにとの事ですので、そこには手をつけないとお約束します。
では、それ以外の部分の処理を開始します。--影綱 2008年7月24日 (木) 22:34 (UTC)
2008年7月24日(木)22:52に過去ログ/3を終了しました。--影綱 2008年7月24日 (木) 22:58 (UTC)

特定版削除に向けての対処について

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まず、事実関係を訂正させて頂きます。2008年6月22日 (日) 15:53の版で削除した「ジュセリーノの言葉」の節はアセルスさんが加筆したものではなく、IPユーザー(61.86.171.149)が「2007年10月1日 (月) 10:51の版」「2007年9月30日 (日) 19:18の版」で加筆したものでした(差分)。そのアセルスさんは著作権侵害を理由にその版から最新版まで特定版削除をする必要性があるとの見解を示されました(利用者‐会話:モトカル#「ジュセリーノの言葉」についてを参照)。 現時点では未だ削除依頼は出されてはいませんが、いずれ近いうちになされる可能性があることを考えると、一旦問題の発生する直前の2007年10月1日 (月) 10:45(UTC)の版にリバートし、投稿者に新たな加筆を控えるよう呼びかける必要があると思います。ノートページの方にも対処が必要でしょうか?この問題は早く対処する方がよいので、なるべく早く意見の表明をお願いします。----モトカル(会話) 2008年7月14日 (月) 11:45 (UTC)

ノートページに処置がなされることで、実際の所、どんな影響が及ぶのでしょうか?特定版削除について、よくわからないので俺の意見は保留とし、しばらく編集を止めて推移を見守りたいと思います。--影綱 2008年7月14日 (月) 21:51 (UTC)
リバートして編集を控えるように呼びかけるだけでは、全く効力がなく再加筆しまくりになってしまうのは、2008年の最初に経験済みです。削除依頼を出すなら、最初から白紙化保護をかけるる必要があると思います。特定版削除をしなければいけない問題があるとお考えの方は、ここで議論しても始まらないので、速やかに削除依頼を出して欲しいと思います。そこで議論しましょう。--新鳩244号 2008年7月15日 (火) 10:38 (UTC)
削除依頼は未だ出されていないので、対処についての見解を述べます。
以前に特定版削除待ちの状態で白紙保護された[1]ことは知っていますが、Wikipedia:保護の方針保護をかけてもよい場合を見ても、特定版削除待ちの場合、保護してよいとする根拠は今ひとつはっきりしないように思います。また、どのような場合に「白紙保護」とすることができるのかもまったく書いていませんね。
もし、保護するなら問題発生直前の版にリバートした状態で保護すればよいでしょうし、「白紙保護」まですべき理由はわかりません。そして、本当なら一旦、その版にリバートした上で、その後加筆した内容を著作権者である投稿者本人がすぐに再度投稿できればよいのですが、特定版削除が完了するまでにその投稿を行うと、GFDLの厳密な解釈では「問題を含んだ版の履歴を継承した」ということにはなるのでしょうね。しかし、これは結局、特定版削除が完了後に再度投稿することと結果的には同じことなので、これを方針で認めると、長らく特定版削除の完了を待たずにどんどん、編集が進行してゆけるのにと思います。実際、そのような対処をした例があったと思いますが、それを凡例とすることはよくないかもしれませんね。
とにかく、特定版削除の前提となる著作権の問題についてのリンクを示しておきます。
Wikipedia:著作権侵害への対処Wikipedia:引用のガイドライン/草案Wikipedia:著作権Wikipedia:ガイドブック 著作権に注意 --モトカル(会話) 2008年7月15日 (火) 14:54 (UTC)

前回の削除依頼のゴタゴタ以来関わるつもりはありませんでしたが、削除依頼および著作権関連について数点だけコメントします。

前回の削除依頼が長期化した理由は、著作権侵害が発生しているか否かという判断が曖昧であったことが理由であり、本件のように転載元を特定した削除依頼では過去の例から1週間程度で依頼が完了するものと思われます。そのためには「ジュセリーノの言葉」が引用元とされる書籍の転載であるという確認が必要となりますので、依頼の際には書籍名と掲載ページ、一致の程度を記載願います。

この件については、引用の範疇を超えている虞があるために特定版削除を依頼する必要性を感じますが、もし放置した場合は将来的に問題版以降のさらに大規模な版の喪失につながる危険性があります。特定版削除は、依頼時点で問題版以前まで差し戻してあれば削除依頼テンプレート貼り付け以降の版は活かすことができますので、本来ならば白紙化や保護は不要です。私の見解ではテンプレート貼り付け後に各々が自分の加筆部分のみを加筆するのは問題ないと思いますが(実質的に削除後に加筆しなおすのと同じであるため)、安全性を優先するならば削除完了後まで待っていただくべきであると考えます。--アセルス会話 2008年7月15日 (火) 23:42 (UTC)

アセルスさん、コメントをありがとうございます。今一番聞きたかったことに答えて頂き、大変助かりました。削除依頼に二の足を踏んでいたのは以前、長期に渡り白紙保護化され、その経過も、いつ解除されるのかの見通しもわからなまま編集できない事態を経験していたからです。1週間程度ですむのならば、この際きちんと著作権問題を解消しておくべきですね。「テンプレート貼り付け後に各々が自分の加筆部分のみを加筆するのは問題ない」ということなどは方針できちんと認めるようにすれば、特定版削除に対する処理がスムーズに行くと思います。このことは一度提議すべき問題かもしれませんね。1週間程度ですむのならば、仰るように安全を期して特定版削除の完了後に各自が以前投稿した内容を再投稿すればよいと思います。--モトカル(会話) 2008年7月16日 (水) 10:33 (UTC)
保護の必要性と、白紙化の必要性について述べます。
  • 現時点でも、IPユーザーさんがノートでの議論を無視して書き込みを連発しています。削除依頼提出後に加筆が止まるとはとても思えません。書き込みがあるたびに、数百版と照合してGFDL上の瑕疵が無いかを確認し、問題があれば、削除版に追加しなければなりません。たちまち、何カ月の審議機関を要することになってしまいます。このような事態を抑止できるのは、保護措置だけです。
  • しかし、保護が必ずしもすぐに執行されるとは限りません。また保護するのに、どの版に固定すべきなのでしょうか?2007年10月1日 (月) 10:45(UTC)の版には、問題のある記述が多すぎます。これを一時的とはいえ、不明な期間、公開するのはためらわれるものがあります。また現時点での最新版でも、保護までの間、GFDL問題を理解できない方や、故意に無視する方の加筆を招きます。白紙ならば、これらの問題は生じません。
以上、仮に削除依頼が出されるならば次善の選択は白紙化保護と言わざるを得ない事をご理解下さい。--新鳩244号 2008年7月16日 (水) 15:26 (UTC)
保護の必要性については同意しますが、過去の事例から初版に問題がない記事での白紙化には異論があります。過去の事例では内容の是非にかかわらず、削除依頼中については問題版以前の状態で留めるのが多いように記憶しています。もちろん依頼期間中にテンプレート剥がしや新たな著作権侵害の編集があった場合は依頼終了までの全保護となりますが、そもそもIPによる問題のある編集が集中しているのであれば削除依頼とは別に無期限の半保護(IPと新規ユーザーの編集制限)を依頼すれば問題ないはずです。状況を管理者が問題視すれば確認次第対応いただけるはずです。
とはいえ、前のコメントで述べたとおり私は積極的に関わりませんので、どのような処置を選択するのかはお任せします。--アセルス会話 2008年7月17日 (木) 23:38 (UTC)

そもそも、特定版削除依頼はどなたが出されるのでしょうか?初期の記載を見た限りで、アセルスさんが依頼されるものと思って見ていたのですが、今回、アセルスさんはこの件に積極的には関わらない旨を表しています。
となると、別の方が依頼されるわけですが、どなたが主導して行われるのかはっきりしない限り、方法論を述べるのみとなってしまいます。
この件に関しては、ノートにも影響が及ぶ(「#過去ログ化の告知」・「#「正確さ」「出典についてのサブページ化の提案」参照)ことなので、なるべく早い段階での表明をお願い致します。--影綱 2008年7月18日 (金) 01:34 (UTC)

削除依頼の著作権侵害のおそれを理由とする削除依頼(画像以外)には「白紙化」は(著作権侵害に)関係ない部分も隠してしまうのでなるべくるべく避けるようにとされています。残る対処として「差し戻し」と「手動除去」がありますが、本件の場合、「手動除去」が既になされています。いくつかの特定版削除依頼を見ても、保護の話は出てきていません。とりあえず、問題発生の版以降の特定版削除依頼を出そうと思いますが、以前の記述を復帰するために、特定版削除される部分の履歴を確認し、誰がどのような投稿をしたかを把握しておく必要があるので、少し待ってください。削除依頼は遅くとも22日(火曜)までには出したいと思います。--モトカル(会話) 2008年7月18日 (金) 14:19 (UTC)
白紙保護の必要性、なかなかご理解いただけないようです。前回おこった事の経験を踏まえた上で、できるだけ素早く削除審議を終えられるように、また、審議終了後に、GFDL違反な再加筆等が行なわれて、再び削除依頼を出すことになるような悪夢が起らないように、予防第一で言っているのですが…。--新鳩244号 2008年7月18日 (金) 16:42 (UTC)
審議中にGFDL違反な再加筆等の可能性はわかりますが、白紙保護であっても、そうでなくても、審議終了後であれば、GFDL違反な再加筆等が行なわれる可能性は変わらないと思いますので、以下の提案を行います。--モトカル(会話) 2008年7月21日 (月) 03:55 (UTC)
先ほど削除依頼を出しましたので御報告しておきます(Wikipedia:削除依頼/ジュセリーノ・ダ・ルース20080721 )。--モトカル(会話) 2008年7月21日 (月) 07:10 (UTC)

 連絡が遅れました。お詫び申し上げます。私はウィキペディアのルールにはまだ疎くて、今回の何が問題にされているかについて全てを正しく理解をしているとは決していえません。ですが、自分が執筆した部分が削除されたとしても、その部分を自分が新たに書き直す権利が保証されているというのならば今回の決定には同意いたします。それが自分の義務だというのならなおのことです。ハイ。丸襤褸侍こと襤褸之介--襤褸之介 2008年7月27日 (日) 17:43 (UTC)

特定版削除完了後の記述の復帰について

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特定版削除が完了した後の以前の記述の復帰について話し合っておきたいと思います。問題が発生した2007年9月30日 (日) 19:18の版から問題の転載を削除した2008年6月22日 (日) 15:53の版の直前の版までが削除対象になるのなら、最新の内容は生かせるので問題ないですが、削除依頼のテンプレート貼り付けの版までが削除対象になるのなら、一例として2008年7月20日 (日) 09:10の版のまでだとしても約658 版分もの編集が失われます(差分)。削除完了した後に、GFDLを理解していない利用者(特にIPユーザー)がローカルに保存していた以前の記述を再掲すると、またGFDL違反となると考えられます。ただ、ウィキペディア上では履歴から抹消され、それらの投稿はなかったものと同じ扱いなので、ウィキペディア上においては本当の意味でGFDL違反になるのか疑問もありますが・・・ それに違うIPアドレスが同一人物であることや、あるIPユーザーがあるログインユーザーと同一人物であるかは実は肯定も否定もできないということもあります。しかし、それらはGFDL違反となるという前提での話しですが・・・

問題発生の版から、最新版まで、どのような変更がなされたかを確認しました。IPユーザーは116人(種類)ほどありますが、その投稿内容の多くは最新版では採用されていないものであり、現在の記事を復帰する上で必要な記述のうちでも、著作権が問題となるようなオリジナリティ(創作性)を有する加筆はほとんどありませんでした。その多くは以前の版へのリバートや記述の削除、または誤字やタグ関連の修正やリンクの追加などで、著作権が問題になるようなオリジナリティ(創作性)がないものがほとんどです(著作権#著作権による保護の対象を参照)

ただ、58.91.231.21のIPユーザーが 2007年10月2日 (火) 11:42の版で加筆した予言の当たりはずれを色分けした○、△、×であらわすことを説明した文章は今でも採用されています(差分)。

また、125.198.69.248のIPユーザーが2007年11月12日 (月) 00:52の版で加筆した「予言とその周辺の問題点」という節は現在も「事後に公表された予言」の節の最後にコメントアウトされたまま残っていますが、これは内容からしても、出典が未だに示されていないことからも今のうちに削除した方がいいと思います。「事前に語ったことが確認できる予言」のまた、119.105.172.62のIPユーザーが 2008年6月24日 (火) 12:29の版において加筆した2008年6月にアメリカで竜巻が発生するたした予言の結果の記述(出典なし)は現在もそのまま残っています。

また、ログインユーザーは50人加筆していますが、最新版を復帰するのに必要となる記述の中で著作権が問題になるようなオリジナリティ(創作性)がある内容の投稿をされたアカウントユーザは新鳩244号さん影綱さん、丸襤褸侍こと襤褸之介さんとわたし(モトカル)です。ただ、創作性は大きくないですが、ボウマスさんが2008年5月13日 (火) 05:34の版でGyaoでジュセリーノの特集が放送されたという記述は現在もほぼそのまま残っています(差分)。

そこで、Ks aka 98さんが利用者:Ks aka 98/砂場2で紹介されているWikipedia:削除依頼/義和団の乱#2006/10/1以降の加筆を残すためにのケースにならって、上記5人のアカウントユーザーの間で、IPユーザーを含めた他の利用者が自分が以前に投稿した内容を再投稿することについて同意してもらうということができれば、特定版削除が完了した後、以前の記述を復帰するために誰が投稿してもGFDL違反という著作権上の問題が起こることを防げると思います。--モトカル(会話) 2008年7月21日 (月) 03:55 (UTC)

この方法で問題が起こらないのであれば、賛同します。ただ、該当する各IPユーザーさん、並びにログインユーザーさんが今もここをご覧頂いているか、が不安ではありますが。--影綱 2008年7月21日 (月) 04:21 (UTC)
(追記)現在までの間に「影綱」が投稿した内容について、削除完了後の加筆を他の方がされることに異議がないことを表明します。--影綱 2008年7月21日 (月) 06:38 (UTC)
影綱さん、迅速な同意のお返事ありがとうございます。新鳩244号さん、襤褸之介さんボウマスさんにもノートにこの提案をお知らせしました。ただボウマスさんは今年5月13日の一回しか投稿されていないユーザーであることを考えると、返事が来ない可能性もあります。最新版にこのことを含め、記事の復帰の際の注意点をコメントアウトの形で記しておきました。それから「予言とその周辺の問題点」という節は6か月以上出典が示されていないことから削除することにしました。言うまでもないことですが、提案者であるわたし(モトカル)自身も自分の以前の加筆を誰が投稿しても異義がないことを念のため明言しておきます。--モトカル(会話) 2008年7月21日 (月) 06:03 (UTC)
(保留)私の加筆部分についての回答は保留とさせてください。--新鳩244号 2008年7月21日 (月) 11:41 (UTC)

ところで、モトカルさんは本当に十分にご検討なさったのでしょうか?削除が未決定の段階で、658 版を子細に検討する気力も暇も、当方にはありませんが、例えば、2007年12月21日 (金) 03:00 (UTC)の版差分は、上で名前の挙がってないアセルスさんの手になる創作物を明らかに含んでいるわけですが、例えば、アセルスさんの創作物が存続している間に更に加筆された部分が現在に少しでも引き継がれている事があれば、たとえアセルスさんの創作物が現在の版に1バイトも残っていなくとも、アセルスさんの名前を書かずに再製すると、GFDL違反になります。そういう可能性を一つ一つ漏れなく、確実に潰しましたか?--新鳩244号 2008年7月21日 (月) 12:15 (UTC)

しっかりにチェックしたつもりですが、確かにアセルスさんの加筆は最新の版にも残っている部分がありますね。アセルスさんが加筆されたその内容は現在の版には残っていませんが早速、その他の加筆について問題が起こる可能性も考えアセルスさんにも同意のお願いをしました。誰かが以前の内容を再投稿する可能性としては最近の版である可能性が高く、過去の履歴からわざわざ探して来て投稿するという可能性はほとんどないと思います。チェックもその観点で行いました。完璧ではないと思いますが、厳密に考え過ぎるより、現実的可能性を考えました。新鳩244号さんは同意を保留されるということですが、万が一最終的に同意していただけない場合、今懸念されているのと同じように再度GFDL違反が起こる可能性が出てしまいますね。削除完了がいつになるかは事前にわからないので、私も新鳩244号さんの以前の加筆を他者が投稿しないかをチェックし、問題があればすぐ直前の版に「差し戻し」しようと思いますが、新鳩244号さん自身も、削除完了を知ったら、すぐに以前の加筆を投稿できるようにご準備頂ければと思います。--モトカル(会話) 2008年7月21日 (月) 13:32 (UTC) --モトカル(会話) 2008年7月22日 (火) 15:23 (UTC)(修正)
ご案内いただいたのでコメントいたします。削除後の再加筆時に、通常の履歴継承の方法でGFDLの問題がクリアできるかどうか当方には判断できかねますが、問題なし&必要とあらば同意いたしますので使っていただいてかまいません。--アセルス会話 2008年7月22日 (火) 01:31 (UTC)
アセルスさんの御厚意に感謝いたします。このGFDL問題の解決法は上記に述べたように利用者:Ks aka 98/砂場2#認められる復元方法を参照したものです。Wikipedia:著作権#他人の著作物を使うときを見れば、他人の著作物をウィキペディアで使うためにはその著作権者にGFDLのライセンスの元に使うことを許可されているという事実の記録を作ればよいとされていると思いますので、このように署名入りで、同意することを表明して頂ければよいのだと思います。--モトカル(会話) 2008年7月22日 (火) 15:23 (UTC)

公式な方針である「Wikipedia:著作権/2008年7月13日までの文書対象」を読んで今更ながらに気づいたのですが、投稿者の権利が限定される場合には今回のように削除された記事が復旧された結果、自らが執筆したという記録が残らないというケースなどについて、「ウィキペディアの投稿者は、ウィキペディア内で履歴表示や著作者名表示が正確に行われない場合があるというようなGFDLが保証する著作者の権利の一部が限定されることに同意したものとみなされます。」という旨が明示されています。これは特定版削除された版の記述を削除完了後に誰が投稿してもウィキペディアにおいてはGFDL違反にはならないということを意味していると思います。もし、そうであれば、記事の復帰に向けてややこしい確認をする必要はないということになるのでは思います。これは公式方針であり、2008年7月13日以降の文書を対象とした新方針であるWikipedia:著作権でも同じことが規定されています。--モトカル(会話) 2008年7月26日 (土) 12:53 (UTC)

表の告知は誤りでは?

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表の告知に、削除対象になった版において他者が以前に投稿していた内容をあなたが代わりに投稿することは本人の明確な同意がない限り、新たな削除依頼を出す必要が出てくるので絶対にしないで下さいと書かれていますが、これはどこのガイドラインに基づく決まりでしょうか? Wikipedia:著作権を読んだ限りでは、そのような記述は見当たらないのですが。--銀嶺 2008年8月16日 (土) 12:36 (UTC)

確かに銀嶺さんのおっしゃるように、新・旧の「Wikipedia:著作権」にはそのような記述はなく、むしろウィキペディアの投稿者は、ウィキペディア内で履歴表示や著作者名表示が正確に行われない場合があることに同意したものとみなされるとされている事例の一つに、「削除された記事がカットアンドペーストで復旧された結果、自らが執筆したという記録が残らない」ということが挙げられています。このことは告知の注意書きを書いた後に気づき、ノートや削除依頼のページでも言及しています。ただ、この解釈がウィキペディアにおいて共有されているかということがいまいち曖昧なので、「特定版削除がなされ履歴が破損した状態ではGFDLに従えないため、他人の復元することは、元の執筆者が有する著作権の侵害となる」というコミュニティのこれまでの認識もあることから、安全側に配慮してそのままにしています。この認識はノートでの#特定版削除に向けての対処について#特定版削除完了後の記述の復帰についてでも示されている他、管理者であるKs aka 98さんの利用者:Ks aka 98/砂場2#認められる復元方法でも示されています。そしてこれは「Wikipedia:削除依頼/義和団の乱#2006/10/1以降の加筆を残すために」においても同様の認識から代表者が他の原著作者の同意を取り付けて、過去の記述を再投稿するという方法で記事の復元を行いました。過去には以下の議論もありました(Wikipedia‐ノート:削除の方針の過去ログ(2005年5月20日)の「7.1 特定版削除確定後の再投稿について 」、「7.2 削除記事の復元について 」)。
また、削除依頼が審議中であることを告知するテンプレート(Template:Copyrights)の解説には「不用意に編集や引用を行うと、GFDLや著作権などに絡む問題が併発し、被害を拡大させる可能性があるので、 削除審議に関係ない編集や引用は行わないように」との要請があります。特定版削除は度々起こることなので、日本語版ではこれらのことについて、しっかり統一見解が形成されればと思っています。--モトカル(会話) 2008年8月17日 (日) 02:56 (UTC)

出典についての論議

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未来の予言について

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未来の予言について、それぞれ要出典タグを張らせて頂きました。予言の是非はともかく、現行の記事では、どの予言が、いつ、どのような媒体を通じて発表されたのか、全くわからないものとなっています。仮に1つ2つ、彼が言ってすらいない予言や、意味が全く違って解釈されている予言があっても、気づけない状態です。このような状態は、Wikipediaの原則である三つの方針のうちの一つ、「検証可能性」を欠いていると言えます。

それぞれの予言の存在について、信頼できる情報源を求めさせていただきます。--219ִ106ִ188ִ244 2007年11月12日 (月) 14:46 (UTC)

(報告)2007年11月12日 (月) 14:43 (UTC)の版において、要出典タグを貼らせて頂いた項目のうち、1か月経っても出典の提示が無かったものを、[2007年12月13日 (木) 02:16 (UTC)の版でコメントアウトさせていただきました。再掲載する際には出典を明記してください。今後も出典の提示がない場合には、しかるべき時間の後に編集除去させていただきます。--219ִ106ִ188ִ244 2007年12月24日 (月) 20:55 (UTC)
* コメントアウト外に改行を残さないように、また、セクション編集機能を使用した際に不用な空行を生成してしまわないように、工夫してコメントアウトを掛けました。動作原理がわからない方はお尋ね下さい。
* コメントアウトされた項目の扱いですが、下手に消したり、場所を移したりすると、安易な再加筆を招きかねないので、暫くの間は現在の位置を保ったまま置いておきたいのですが、いかがでしょうか?--219ִ106ִ188ִ244 2007年12月24日 (月) 21:07 (UTC)
(報告)2007年末までに、出典不明としてコメントアウトされた予言記述につきましては、2008年3月31日 (月) 14:57(UTC)の版にて編集除去を行い、本ノートのサブページに転記致しました。--新鳩244号 2008年3月31日 (月) 16:55 (UTC)


「ジュセリーノの言葉」内 出典の誤りが指摘されています。下記のとおり「未来からの警告~ジュセリーノ予言集I」の著者はマリオ・エンジオですが、「II」の筆者はサンドラ・マイアという別人です。さらに、「II」の中にこの言葉が所蔵されているという確かなソースも示されていません。そこでこのジュセリーノの言葉の出典を「I」だけに戻しました。確かな出典元が確認された後に付記するなり、あるいは著者名を付け加えるなりして下さい。--丸襤褸侍--襤褸之介 2008年5月10日 (土) 17:23 (UTC)

「大阪でM6.3の地震」に関して、6月13日の部分を要出典とさせていただきました。講演で言っていたとの事ですが、
1.いつ、どこの講演で言っていたのか 2.記載された方は講演の場にいたのか、あるいは人伝なのか
を明記して頂くようお願いします。
同時に、関連したとされる14日の岩手地震についても、「評価」を削除させていただきました。。--以上の署名のないコメントは、影綱会話投稿記録)さんが 2008年6月14日 (土) 04:13 (UTC) に投稿したものです(--モトカル(会話)による付記)。

公式方針であるWikipedia:検証可能性にはX理論を唱えた著名な学者に個人的に連絡を取って、「今ではX理論は完全に誤りだと考えています。」ということを聞いたとしても、「ウィキペディアの閲覧者層や他の編集者が満足に検証することができない」から彼がそう言ったという事実をウィキペディアに書いてはいけないという例が示されています。講演の情報を提供して下さること自体はよいのですが、上記の理由から、それを出典として13日という日付を書くことは残念ながら方針上書けないことになると思います。--モトカル 2008年6月14日 (土) 09:25(UTC)----モトカル(会話) 2008年6月14日 (土) 09:33 (UTC)
「事前に語ったことが確認できる予言」として2008年の6月の大阪の地震を掲載しているので、13日という日付が出典にできない講演での情報であることに加え、事前の予言であることが未確認であることからコメントアウトしました。この大阪の地震の予言と14日の岩手県での地震に関する予言の関連が余計な誤解を招かないようにしなければならないと思います。Wikipedia:性急な編集をしないなどでも速報的な編集等を控えるように要請されています。----モトカル(会話) 2008年6月14日 (土) 13:31 (UTC)(修正)----モトカル(会話) 2008年6月14日 (土) 13:46 (UTC)
訂正の必要性について指摘を受けました。「未来の予言」に列記されている「6月」の中の「ブラジルのパラナ州やマットグロッソ州の農業に口蹄疫の影響が出始める。」から「アメリカから来る渡り鳥によってブラジルで鳥インフルエンザが拡大。」までは2007年の年間の予言として発表されたものであって2008年の予言の中にはない予言です。以前もこのようなことがあったと記憶しているのですが、何故同じようなミスが起きるのかよくわかりません。この場合の適切な処置の方法というものをご存知でしたらご教示のほどよろしくお願いいたします。丸襤褸侍--襤褸之介 2008年6月23日 (月) 14:32 (UTC)
時間がないので、色が交互になっていませんが、韮澤潤一郎コラム「ジュセリーノ氏による2007年の月別予言」を確認し、とりあえず修正しました。----モトカル(会話) 2008年6月23日 (月) 23:21 (UTC)
僭越ながら、「フィリピンをハリケーンが襲う」件の修正をした際に色分けも修正致しました。--影綱 2008年6月24日 (火) 00:02 (UTC)

過去の予言(事前に予言していたことが未確認のもの)の節にある2006年の予言

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過去の予言(事前に予言していたことが未確認のもの)の節にある2006年の予言はどこで発表されたものか出典がありませんので、それらの予言を残すのなら出典の明示をお願いします。できれば以下の節のようにページ数も挙げて下さるといいと思います。1週間待ちたいと思いますが、出典の明示がなされない場合は削除する方向で考えたいと思います。ただ、出展が提示され、残す場合でも事件が起きる前に語ったことが確認できないものは評価の前提がそもそも整っていないのですから、○×の判定は控えた方がよいと思います。--モトカル 2008年6月1日 (日) 10:08 (UTC)

ジュセリーノ2006年の年間予言はブラジルの公式ページ[2]に掲載されていたものです。それを機械訳したものが[3]になります。ただしその日本語訳の追従性、精度については当時からかなり疑問視されていまして、それが正しい日本語であるとは思われてはおりません。現在この「2006年の年間の予言」の原文からの精度の高い日本語の訳が読めるものとして残されているは検証と批判ブログ「ジュセリーノ予言の真実[4]」の[5]などしか残されていませんね。何故残らないかというと - 残念なことですが、予言の当事者であるジュセリーノもそうですし日本のジュセリーノ・サイドの人間も過去の予言についてはすぐに削除をしてしまうからでしょう。つまりその殆どが度外れしているからです。この「2006年の年間の予言」というものがジュセリーノによる「本物」かどうなのかという点についていうのであれば「間違いなくジュセリーノ本人の手によるもの」です。ただしそれが正しく日本語に訳出されているかどうかについては私もよくはわかりません。この点についてもっとも正しい見解を示しているのは検証ブログの管理者氏であると思われます。--襤褸之介 2008年6月1日 (日) 20:33 (UTC)
検証ブログの管理者氏にメールを出して意見を伺うことにしました。返事がくるまでしばらくの期間お待ちください。--襤褸之介 2008年6月2日 (月) 02:43 (UTC)
外国語の文献は翻訳という難しい問題がありますね。ポルトガル語がわかる方が協力してもらえるといいのですが・・・
それと書籍であれば発行年などからいつのものかがわかりますが、HPだといつ書かれたものかの検証が難しいかもしれませんし、現在は削除されてしまっているものの検証可能性の問題もあります。アーカイブなどで残っているのでしょうか?ただ先回も書いたように事前に予言していたことが確認できなければ予言の当たり外れを書く意味はないと思います。ウィキペディアの利用者からもこのような件をどう扱うべきか意見を聞きたいと思います。--モトカル 2008年6月2日 (月) 11:45 (UTC)
批判と検証ブログ管理者であるかまた氏より早速ご返事を頂戴しました。全文をここに載せると長くなりますので。モトカル さんののご意見に直対応するような形で箇条書きに書き改めさせていただきます。 1 2006年の年間の予言は確かに事前に公表されたものである。ブラジル(ポルトガル語)のサイトのいくつには、それがそっくりそのまま残存している。 2 ただし「画像」として残されているものは(かまた氏も)見た事はない。唯一ジュセリーノの予言本である「O Homem A Frente...」の中身として見ることは可能である 3 この「O Homem A Frente...」は「たま出版」から昨年の4月に出た「未来から警告」の原本である。本来ならば2006年の年間予言も収蔵されるべきなのであるが、2007年4月に出版された「未来から警告」は2006年の年間の予言は全て省略している。4 現在ウィキペディアに記述のある「2006年の予言」について言うのであれば「確かにジュセリーノが事前に公表した予言」であることは間違いはない。 出典の明示が必要だというのであれば「『未来から警告』のブラジルの原本である「O Homem A Frente...」に掲載されていたものとブラジルのサイトにあるもので確認の取れるもの」とすればそれは間違いのない事実となる。翻訳による問題もない。たま出版サイドからクレームがつくこともない。 5 ただしすべてのものに○△×をつけて判定をつけることは限りなく無意味なことだと思う。○をつけて当ったとするその根拠の提示自体が困難なことだからだ。最低限日本に関する予言に関するものだけに根拠となるもの、ソースを付記することで○と×をつけることでよいのではないか。 そしてこれはかまたあきよし氏が「私見である」として書いていることですが 1 現状からするとウィキペディアの記述に足りないもの、それは ジュセリーノ・ノーブレガ・ダ・ルースの「人物」の項目に「ブラジルでは多くの予言文書の偽造というものが暴露されており、また先行して発表した予言の不正確さというものがすでに知れ渡った人物である」との断わり書きである。それが抜かすことがあっては本来辞書に求められるべき「事実主義」からは遠く離れているということになる。そしてその証拠というか事実として「2006年の予言というものを列記する意味があるのではないか、ということだそうです。 ただし、2006年の予言というものを「原典不詳」という理由でもって全てを削除するというのであれば、それが執筆者の総意だというのであればかまわないのではないか。ただしあくまでも執筆者全員のコンセンサスがあればの話である。しかし当然のことながら「原典が明示できない」という理由で削除というのになるのであればここに掲載されている「未来の予言」というものもその多くは掲載には不適ということにもなる。(マルボロ註 原典が『たま出版』由来のものでは信頼はできないということのようです)--襤褸之介 2008年6月4日 (水) 01:26 (UTC)

かまた氏は不肖「丸襤褸侍」宛てのメールの全文を後日自身のブログ上で公開されるとのこと。できればご確認をお願いします。 ついでと言ってはなんですが、この件に対する私の意見を述べさせていただきます。「まるで急いだような削除」というのはこの時期は慎むべきだと思います。それとこれもこの際一種の「提議」として申し上げることなのですが、かつて「2006年の予言」というものをここで掲載したことで誰からか「内容が事実とは異なる」というようなクレームはあったのでしょうか?その有無によってこの「2006年問題」の意味は大きく違ってくるのではないでしょうか。--襤褸之介 2008年6月4日 (水) 01:26 (UTC)

{{要出典}}貼付後1週間での除去には、一律に反対します。昨年来やっておりますように、貼付後1ヶ月経過でコメントアウト、さらに1カ月経過で、サブページに転記というリズムを守りたいと思います。再記載と再除去の無秩序な繰り返しを避けたいがゆえです。--新鳩244号 2008年6月4日 (水) 15:41 (UTC)
丸襤褸侍さん、労を取ってくださり、丁寧な回答をありがとうございます。そして、ウィキペディアのために協力して下さったかまた氏にも感謝いたします。
2006年の年間の予言は出典があるということですが、ひつひとつの予言に出典をつけてもよいでしょうが、節の冒頭に『未来から警告』の原本である「O Homem A Frente...」とブラジルのサイトが出典である旨を記すのはどうでしょうか?
判定について「○をつけて当ったとするその根拠の提示自体が困難なことだ」というのは確かにそうですね。中立的な観点の方針が「読者が各自で意見を形成する能力を信頼する」ことを推奨していることからしても、○×を書かずに実際の結果だけを書き、予言が当たったか外れたかなどの判断はそれぞれの読者に委ねるというのが好ましいかもしれませんね。
「ブラジルでは多くのジュセリーノの予言文書の偽造というものが暴露されており、また先行して発表した予言の不正確さというものがすでに知れ渡った人物である」という記述については検証可能性という公式方針により信頼できる情報源による出典があれば書いてよいと思いますので、あれば教えていただきたいと思います。
>「原典が明示できない」という理由で削除というのになるのであればここに掲載されている「未来の予言」というものもその多くは掲載には不適ということにもなる。(マルボロ註 原典が『たま出版』由来のものでは信頼はできないということのようです)
原典ではなく、”出典”ですが・・・ 事後になって実は予言していたという主張は当然受け入れられませんが、『たま出版』が信頼できないとしても、未来の予言については”ジュセリーノの予言として公表されている”ことは事実なので掲載には問題ないと思います。
>かまた氏は不肖「丸襤褸侍」宛てのメールの全文を後日自身のブログ上で公開されるとのこと。できればご確認をお願いします。
承知しました。
>「まるで急いだような削除」というのはこの時期は慎むべきだと思います。
かつて「2006年の予言」というものをここで掲載したことで誰からか「内容が事実とは異なる」というようなクレームはあったのでしょうか?
急ぐつもりはありませんし、クレームの有無に拘わらず、ウィキペディアの記事の信頼性のためには出典の明示は不可欠だと思います。少なくともわたしの今まで見た限りでは出典の明示のための1週間は短すぎるという感覚はないのですが・・・ つい昨日のように、ページ数まで指定した偽りの出典による予言が実際に加筆されたことをどうか御考慮下さい。--モトカル 2008年6月5日 (木) 12:35 (UTC)
「つい昨日のように、ページ数まで指定した偽りの出典による予言が実際に加筆された」初めて知りました。ありがとうございます。丸襤褸侍--襤褸之介 2008年6月7日 (土) 01:20 (UTC)
新鳩244号さんの「貼付後1ヶ月経過でコメントアウト、さらに1カ月経過で、サブページに転記というペースは出典のない記事にあまりにも甘過ぎだと思います。本当に検証可能性などのウィキペディアの公式方針を理解している利用者ならば出典なしにみだりに書いたりしないでしょうし、ウィキペディアの質の向上のためにはそのような甘い雰囲気は作らない方がよいと思います。--モトカル 2008年6月5日 (木) 12:35 (UTC)
報告が遅くなりましたが、2006年の予言の出典としてはかまた氏が提示して下さった本とサイトを挙げました。----モトカル(会話) 2008年6月8日 (日) 04:41 (UTC)

正確さについて

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取り敢えず、問題点を指摘しているページにリンクしました。--Kadzuwo 2007年9月25日 (火) 19:24 (UTC)

ジュセリーノの予言にはアジア(特に日本)の天変地異や地震のものが多いですね。一方で自分の母国ブラジルにはそうした地震や自然災害等が全く起こらないみたいですが、これって彼の願望も入っているんじゃないですか?最近の予言の外れ方もひどいし、そうとかした所もしっかり書くべきでしょう。--61.214.32.252 2007年10月4日 (木) 15:56 (UTC)
これは正確には予言というよりも、ほとんど願望だな。隣の韓〇で予言者とか占い師とか自称してる人達が10年前くらいから毎年、お決まりのように日本が海中に沈むだろうと言ってるのとほとんど同じものだろう。それに、的中率が90%なんて根拠はどこにもないでしょ。アメリカ政府にフセイン元大統領の発見の件で莫大な金を要求したそうだが、これもおかしいね。本当にこうした力を持ってる人なら金に執着しないと思うしね。でたらめでも何万件も予言してればそりゃいくつかは当たるでしょうよ。ジュセリーノも自称韓〇人予言者も所詮はそんな程度だと思います。--124.85.192.235 2007年10月9日 (火) 15:21 (UTC)
本には、南米各地の地震、洪水について年代別に記載がありますし、アフリカから高温と干ばつ、水不足によるブラジルへの大量難民、津波による、南米を含む大西洋海岸線の20kmにおよぶ水の浸水など、ベルーの地震による海岸線破壊など、南米の記述もかなりはいっていますよ。ここには、書籍をみればわかる、全部の予言が書かれていません。記事を起こしていくなかで日本やアジアなどを、皆さんが抽出していったのだと思います。--221.191.26.167 2008年2月15日 (金) 11:04 (UTC)
重複になりますがここにも念のために記させていただきます。ジュセリーノ・ダ・ルース氏の生年月日は1960年3月7日です。大元が直せないというのであればそれは仕方がないことなのかもしれませんが、「より正しい記載」を目指すのであれば、「予言が当った」とか「外れた」とか「どの記述が本人のものか」の議論よりもまずこの点から手をつけるべきでしょう。--丸襤褸侍--襤褸之介 2008年2月9日 (土) 20:51 (UTC)

モトカルさん ありがとうございました。--丸襤褸侍--襤褸之介 2008年2月10日 (日) 12:21 (UTC)、--丸襤褸侍--襤褸之介 2008年6月7日 (土) 01:09 (UTC)

2007年3月の地震に関する記述内の後日付記された「今上天皇が・・・」以降の一文についてですが、新聞の記事を読む限り、実際地震のあった「能登」とも、「地震」そのものとも、もちろんジュセリーノの予言ともまったく関係のない事実であることがはっきりしましたので、まことに勝手ながら削除させていただきました。もしこれがこの「ジュセリーノ・ダ・ルース」の項目と関係のある事実というのでしたら、その理由であるとか付帯する事実を明記の上、再記述をお願いします。--丸襤褸侍--襤褸之介 2008年5月8日 (木) 07:00 (UTC)
2007年11月25日の地震の予言ですが、ジュセリーノは「船橋」という地名は一切口にはしておりません。「東京、あるいは市川(千葉)で~--」がジュセリーノによる正確な文言です。「船橋」という地名は韮澤潤一郎たま出版社長がたま出版の掲示板上の「韮沢コラム」上で発表したものですが、この韮澤氏が発表した「ジュセリーノ予言」には、ジュセリーノ直筆の手紙の文面というものが一切存在せず、また、2月12日テレビ東京で放送されたTV番組内でもこの11月25日の地震の予言が扱われていましたが、ジュセリーノは「船橋」という地名は読み上げていません。画面で確認されたジュセリーノの手紙にも「船橋」という地名は記されておらず、そもそも韮澤氏が書いた「船橋地震」というもの、本当にジュセリーノ自身によるものなのかそうでないのかという点において、その同一性には疑念が持たれている状態です。このシーンについては最も一般的な動画サイト上でどなたでも確認することが出来ます。 ですので、この11月25日の日本で起きる地震の予言の個所に関しては加筆訂正の必要があると思われます。なぜならば、この項目はあくまでも「ジュセリーノ・ダ・ルース」に関する項目で、韮澤潤一郎氏やたま出版に関するページではありませんから。--丸襤褸侍--襤褸之介 2008年4月5日 (土) 21:16 (UTC) --丸襤褸侍--襤褸之介 2008年6月7日 (土) 01:09 (UTC)
2007年の項目中
「年内 - 元アメリカ合衆国副大統領のアル・ゴア氏がノーベル平和賞を受賞する。(○)10月12日、アル・ゴアのノーベル平和賞の受賞が決定した。」までは事実のようですからそのままでも差し支えないと思うのですが、
「また、1993年から8年間ビル・クリントン政権の副大統領を務めること、「不都合な真実」を出版することも予言していた」
というのは現時点ではあくまでジュセリーノの主張に過ぎません。あとからジュセリーノがそう言いだしただけのことです。ですのでこれに懸かる後半には「~とジュセリーノは主張している。」の一文を付け加えさせていただきました。 --丸襤褸侍--襤褸之介 2008年4月24日 (木) 17:21 (UTC)
2007年の予言の項目中の「11月25日 船橋市予言」を、上記の理由でジュセリーノによるオリジナルの予言の記述「東京、もしくは千葉の市川で~」に訂正しました。混乱を避ける意味で[要注意]としてこの経緯も付記しておきました。--丸襤褸侍--襤褸之介 2008年4月28日 (月) 21:01 (UTC)

これははっきりとした警告になります。ジュセリーノは2007年11月25日の地震の予言については「船橋」という地名はまったく公言はしておりません。正確な文言は「東京、もしくは千葉の市川で~」です。船橋という具体的な地名を口にしたのは韮澤潤一郎氏だけです。この項目はあくまでも「ジュセリーノ・ダ・ルース」及びジュセリーノの発言、行動に限られるべきですのでこの「船橋予言」は即刻書き改めて下さい。もし執筆者がそれをしないようでしたら私が責任をもって書き改めさせていたただきますし、それが意図的になされていないというのであれば「ジュセリーノの予言」と「船橋」の具体的かつ直結した「証拠」のご提示を願いします。--丸襤褸侍--襤褸之介 2008年6月4日 (水) 09:05 (UTC)

今更ながらですが、他の利用者が間違わないように御報告しておきます。2008年5月26日 (月) 11:38の版でリバートの際に、意図せず以前の記述に戻ったようです(差分)。2008年6月4日 (水) 14:10の版で私が修正しております(差分)。----モトカル(会話) 2008年6月15日 (日) 19:24 (UTC)

2008年5月の千葉地震の予言関連

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2008年5月8日の茨城沖地震関連

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2008年の予言の中の5月14日千葉地震の項目中に新たに付け加えられた「(当日ジュセリーノ自身は日本にいたわけであるから「五月、私が日本に滞在中千葉で(茨城でもいいが)M7.2の地震が起きるであろう」といった予言でなければならないはずである) 」ですが、この発言者である批判ブログの管理者氏から、この個所を削除してほしいとの依頼がありました。どういうことかというと、事実主義という原理原則からするとこれはあくまでも氏の主張であって事典の記述としてはふさわしくないとのことです。とりあえず「~と主張している人もいる」という具合に付け加えてさせていただきます。--丸襤褸侍--襤褸之介 2008年5月13日 (火) 10:51 (UTC)

「~と主張している人もいる」では、{{}}の問題があります(Wikipedia:言葉を濁さない)。意見の持ち主を明示させていただきました。--新鳩244号 2008年5月14日 (水) 09:05 (UTC)
新鳩244号さん ありがとうございました。--丸襤褸侍--襤褸之介 2008年5月14日 (水) 13:44 (UTC)

リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件関連

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かつてこのジュセリーノの項が白紙化される原因のひとつでもあった予言関連の事件の記述ですので、まだ時期的にもデリケートなのだとは理解しております。リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件の項を参考にして禁止条項に抵触しないように心掛けて付け足しをしました。何か問題点があればご指摘をお願いします。いきなりの削除はせずにまずここで提議として取り上げてください。--丸襤褸侍--襤褸之介 2008年5月23日 (金) 19:53 (UTC)

バージニア工科大学銃乱射事件

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犯人の氏名の記載の判断はバージニア工科大学銃乱射事件の項目のノートにあるとおりです。それに従いこの項目の記述をしました。--丸襤褸侍--襤褸之介 2008年5月24日 (土) 20:21 (UTC)

四川大地震地震関連

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削除するかしないかの提議です。「2008年5月12日午後3時28分(JST)頃、日本ではなく中国・中西部の四川省でM7.8の大規模な地震が発生し、多くの死傷者が出た。この地震がジュセリーノの予知夢のものかどうかは不明である」~この個所は現時点では不必要ですよね。ジュセリーノはこの地震と自分の予言との関係について何か発言したのでしょうか?--丸襤褸侍--襤褸之介 2008年5月13日 (火) 12:03 (UTC)

080508茨城沖について言及するならば、四川大地震にも言及しておきたいと考える人がいるのは、自然な流れかもしれませ。いずれも、WP:SE絡みの悩ましい問題です。本来なら茨城沖も含めて、7月位までは何も書かずに置いておくのが最善なのでしょうが、事前の策としては、関連不明との記述なら容認してもよいのではないでしょうか。--新鳩244号 2008年5月14日 (水) 09:05 (UTC)
了解いたしました。これも付記したほうがよいかと思われますが、5月8日茨城沖で起きた地震について、ジュセリーノはその関連について言及したという情報があるのですが、その情報源は「たま出版」の掲示板で韮澤潤一郎氏の発言ですね。--丸襤褸侍--襤褸之介 2008年5月14日 (水) 13:44 (UTC)
ジュセリーノが「四川省で起きた事件を事前に予知して中国政府に手紙で警告した」と発言しました。(産経IZA イザネットニュースより[[6]])したがってこの四川省の地震は5月14日の千葉地震の予言(5月8日発生した茨城沖地震)との関連は外して、別の項目として独立させるべきでしょう。bとnの打ち間違えも読む側の勝手な解釈だということもあわせてはっきりしました。--丸襤褸侍--襤褸之介 2008年5月15日 (木) 14:29 (UTC)

「過去の予言」関連

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過去の予言で新たに付け加えられた2008年5月の予言は「2008年」ではなく「2007年の年間予言」の中の5月の予言です。記述者自身による速やかな訂正をお願いいたします。--丸襤褸侍--襤褸之介 2008年6月1日 (日) 20:47 (UTC)

訂正されていることを確認いたしました。--丸襤褸侍--襤褸之介 2008年6月4日 (水) 20:32 (UTC)
「過去の予言」の項目に説明を加えました。少々まわりくどい説明になってしまいましたが、現在執筆者がやっていることを読者に対して説明する義務があると感じたからです。この説明で現状のスタイルは大きく変えることなく、表からはずされている予言のポジション、扱いというものについての明確な提示が出来ると信じております。いかがでしょうか?丸襤褸侍--襤褸之介 2008年6月9日 (月) 20:03 (UTC)
ここの質問は見逃していたので今更ですが、このような記述の場合、読者に対して説明するということは確かに必要ですね。#2006年の予言の移動についてでお知らせしたように文は一部修正しました。----モトカル(会話) 2008年6月15日 (日) 08:58 (UTC)