ノート:今西錦司
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今西の負の側面について
[編集]58.0.227.135 さんへ。 現在の今西否定派の記述は、今西に対する河田氏の誤読と悪意をベースに書かれており、特に日本の生態学史に関して説得力のある出典がありません。もし今のような記述が必須であるというのでしたら、「今西に対する否定的な意見」「生態学への影響」という小見出しのもとに書くことを提案します。 --Kulukulu 2008年12月5日 (金) 16:42 (UTC)
編集の方針
[編集]今西の経歴、今西理論の成果とその是非についてもう少し記述が必要かと思います。とくに、今西に固有な用語である種社会と一般的な分類学上の種概念の違いなど注意の要するものが多くあるにも関わらず、現在の記述には見られません。 とりあえずolume 57,No.3 Apr. 特集:今西錦司の遺産――清算の試み を中心にした最近の動向の追加が出来る方、協力をお願いします。--60.47.71.31 2007年8月5日 (日) 10:54 (UTC)
理由説明なき一部削除の復元
[編集]114.156.36.32さんが2009年10月30日に理由を説明することなしに導入文の記述の一部を削除しましたので、削除分を復元しました。この削除は内容の劣化をもたらすだけで、有害無益だと考えます。もし削除に合理的な理由があるならば、まずこのノートページに記してみて下さい。--Midz 2010年2月1日 (月) 12:42 (UTC)
どうすればいい
[編集]全体主義者と云われのない非難をどうすればいい。この不当な話を、覆すには、今西のなした、根本的な性格と周辺を含む業績を提示するしか無い。河田などのいわれなき非難を、亡き今西に変わり、どうそそげというのか。それとも、WIKIPEDIAは、不当な非難をそのままにしておいていいのか。削除されるなら、どうすればいいか教えてください。(ここへの書き込みは最後です。反論しません。)
独創的な研究は、偏りから生まれる。今西は、ナチュラリストとして、自然を自分の感じたままに表現し、思索した。今西の周りの人々は、自由な発想と多くの成果が生まれた。
- 可児藤吉 日本の先駆的な群集生態学者 今西錦司と「棲み分け理論」を築く 36歳という若さでサイパン島にて戦死 生きていれば、今西進化論を理論化していたかもしれない
- 吉良竜夫 植物地理学の温量指数 森林帯の気候区分体系の解明
- 森下正明 今西錦司と双頭の鷲 理論・数理生態学 「環境密度理論」分布様式森下のIδ指数、Cλ指数
- 内田俊郎 実験個体群 シャーレの個体群動態 密度効果や相変異を発見 (内田は、今西派ではない。)
- 梅棹忠夫 文明の生態史観
- 伊谷純一郎 ゴリラの大きな社会構造を世界に先駆けて解明 「人類学のノーベル賞」トーマス・ハックスリー賞
- 河合雅雄 霊長類の文化・順位 ニホンザルの芋洗い文化伝承メカニズム 進化「遊び起源説」
- 川喜田二郎 情報整理と発想手法 KJ法
これだけ多産な研究は、仁科先生と、朝永・湯川・坂田の研究(物理系のノーベル賞はすべてこの系列)が比べられるくらいである。生物学・進化学で、このグループの闘将に比肩する研究者が一人でもいるだろうか。利根川進くらいだろう。進化・生態系では一人もいない。すべて、外国の受け売りに終始している。仁科先生は自由な組織人(優れた研究者でもある)だが、今西は、自由な組織人であり、深い思索家であった。今西が、戦争を賛美したり、当時の体制を素晴らしいといったのだろうか。ほとんどの人間が、当時、体制に巻き込まれた。しかし、今西は、思索を続け、「生物の世界」を遺書として残した。ナチュラリスト今西が、登山・大興安嶺の踏破・日本の山、そこで得たものだ。
今西は自由人であり、個性を尊重した、無比の思索家である。この思索家が何を言っているか、常人にはわからない。若くして戦死した可児のような、人間をその後ついに得なかった。ついに現れなかった。今西自身、戦争に徴兵される前、遺書として「生物の世界」を書いた。今西の夢であり、幻影である。この書かれた世界を、理論に落とす人間は、ついに未だに現れていない。
芸術家としての今西を、翻訳する翻訳家がいるのだ。生態学は、多くの翻訳家がで、文明論や発想法も、巨人が出た。巨大さに目がくらむ様な巨人が。しかし、生態学で今西がもっとも言いたかったこと、そして、それと裏腹な進化論も、今西を理解しきり、理論化できる人間は出ていない。これだけの、闘将が揃いながら、出ていない。それだけ、難しい課題である。あまりに難しく、下手に手を出すと、火傷をする。勧めはしない。しかし、研究の原点にこの今西のような、心の歌がなければ、原像がなければ、ほんとうに人を納得させられる、独創的な研究は生まれない。
唾棄すべき今西批判があるから、書いた。何の研究もせず、発想とは何か解らない人間の言うことなど、無視できる骨の太さがなければ、まともな研究など出来ない。今西に全体主義の「萌芽」があると非難する人間が、自分と異なる発想を抹殺する、全体主義者なのだ。それを心に留めてもらいたい。今西は自由な発想をし、周辺の人間も自由人であり、今西はそれを許した。自由な雰囲気がなければ、独創的な研究など生まれない。
今西を示す、記述がある。小西英人の遊魚万筆から、少し長いが引用する。
大興安嶺。
- この名を聞いて、ちょっと心を震わせるのは、古い世代になったのかもしれない。
- 中国黒竜江省は、北はアムール川(黒竜江)、東はウスリー川を隔ててロシアと接し西は内モンゴル自治区と接している。この中国の北の果てにある大山脈が大興安嶺である。アムール川で、釣り人なら、びびっときていただけたかな。そうアムールイトウのアムール川である。日本で、アムールイトウという呼び名より、タイメンという呼び名の方が通るのは、この「大興安嶺」の名残があるのかもしれない。このあたりは満州と呼ばれた地の北の端になる。ここでソ連と日本は、しのぎを削っていたのだった。いわゆるソ満国境地帯が、大興安嶺なのである。:ただし、原野を志すものが「大興安嶺」と聞いて燃えたのは、そのためではない。今西錦司の『大興安嶺探検』(1952年)によるものである。この探検は今西錦司のもと、1942年の5~7月に行われた。
- 序
- 探検というものは、そのスタートにおいて、すぐれた発案者と、この案に共鳴して、これを推進してゆく何人かの熱心な同志と、そして背後から、この案が軌道にのるところまで、これを経済的に援助してくれるよき理解者と、すくなくともこの三つが揃わなければ、成立しない。
- わたくしはその頃、ヒマラヤと大興安嶺を考えていた。ヒマラヤの夢が破れたのちは、大興安嶺が氣にかかって仕方がない。もちろん大興安嶺なら、どこでもよいというのではない。はじめからその縦断を考えていたのである。
- 大興安嶺の同志のほとんどが、当時学生であったということは、異常な現象として、探検史上に特筆されねばならないであろう。戰争はたけなわであった。えらい学者たちが、われもわれもと軍に便乗して、右往左往している。それを嘲るかのごとく、大興安嶺の学生は、軍を乗りこえ、軍の守りの外に、自由の天地を求めていた。
- だからこの書は、一つの精神の記録である。
- (後略)
- 今西錦司『大興安嶺探検』
- 今西隊長の高らかな探検宣言である。
- 京都大学理学部動物学教室の今西錦司と、副隊長をのぞいた隊員のほとんどは学生であった。
- のちに国立民族学博物館を創ることになる梅棹忠夫は、京都大学理学部の2回生で、この探検に参加し、この探検で集めた素材が卒業論文となっている。
- 「探検の京都大学」を、創りあげた探検であったと思う。
今西錦司の人は、その思想は、非難されるようなものなのか。この躍動し、深い思索に満ち、自由で、多くの人を惹きつける冒険家を.
消すだけでなく、対策を考えてください。--Feed(会話) 2012年7月17日 (火) 15:40 (UTC)
- 会話ページにもお知らせしましたが、ウィキペディアではWikipedia:中立的な観点に基づいて記事を執筆することが求められます。今西批判への憤慨はここではなく、適切な媒体で発表してください。--Trca(会話) 2012年7月17日 (火) 15:43 (UTC)
あまりに感情的と除去された部分
[編集]反論は、書きません。
流行の生物社会学と今西学の関係
[編集]- ウイルソンやドーキンスなどの生物社会学は、戦前多くの国で力を持った優生学・社会ダーウィニズム(ナチズム)の復活として、海外で非難を浴びた。生物の持つ多くの特性のうち、遺伝子選択というただひとつの特性に注目し、他の特性をすべて違うと排除する、独特の思考法を、社会生物学者は持つ。[1]
- 今西錦司とその弟子が、自然を観察し、理論を立て、実証した、「個体の独立、種の多様性、社会性、環境を意図的に選択する主体性、全体を俯瞰する方法とその思想」は、社会生物学の理論範囲を超える。
- これが気に入らない、河田雅圭・岸由二・粕谷英一・日高敏隆は、優れた遺伝子のみが生き残る(優生学)という、単純極まりないファシズムにつながる思想を持ち、自己を超える領域にある、今西を全否定し、全体主義の「萌芽」があるとした。
- 注
- 注
すべて、事実です。
- 社会生物学が→流行・メンデルの遺伝子の選択のみ(消去主義)に注目・遺伝子プール(ドーキンスが述べている)・優生学(海外で大論争)・血道(事実と異なる説を強引に事実とする)・海外で優生学と非難されたのは事実です。
- 今西→自前の学問・ナチュラリスト・スキ。
- すべて、根拠があります。社会生物学論争・ドーキンスの著書
- 血道も、事実と異なる説を強引にたて、「学生向けの本」であたかも本当のことのように書くのですから。論争ならともかく。
今西を全体主義とし、社会的な抹殺を企てた河田雅圭・岸由二・粕谷英一の記述を可とし本文に残していいなら、血道、腹いせを他の表現にすれば、本文に書いていいのでしょうか。
- 論争ならともかく、「はじめての進化論」で、何も知らない真っ白な学生に、事実と異なる事を書く。こういうたぐいの人間を、何と言うのでしょうか。非難は実は自分たちに向けられる。べき
- 赤い毛・紅衛兵、ポルポト、ポルポトの若者。河田雅圭・岸由二・粕谷英一は、事実と異なる内容で、洗脳を実行。
- どうですか。
少し修正すれば、客観的になります。
--Feed(会話) 2012年7月18日 (水) 06:31 (UTC)
- この文章が、Wikipedia:中立的な観点に従っていると、本気でお考えですか?だとしたら、申し訳ありませんが、Feedさんがこの問題に関して抱く感情があまりに強いため、百科事典的・中立的な記載をするのは不可能だと考えざるを得ません。繰り返しになりますが、ウィキペディアでは自分の意見を押し殺してでも、中立的な立場を採ることが求められています。社会生物学者への憤慨を発表したいのであれば、個人サイト等、他の媒体をご利用ください。ウィキペディアは自分の意見を発表するための場所ではないのです。--Trca(会話) 2012年7月18日 (水) 08:25 (UTC)
- (追記)なお、これ以上このノートおよび会話ページでの忠告を無視し、方針を無視した内容の連続投稿を続けられた場合、投稿ブロックの措置が取られる可能性があります。ご注意ください。--Trca(会話) 2012年7月18日 (水) 08:28 (UTC)
試行版
[編集]河田雅圭・岸由二・粕谷英一・日高敏隆と今西の関係
- 社会生物学の説は、遺伝子選択を原理とする。自然観察と計算で実証されている。
- 今西錦司の説「個体の独立、種の多様性、社会性、環境を意図的に選択する主体性、全体を俯瞰する方法とその思想」は、弟子と共に自然を観察し、理論を立て、実証されている。社会生物学の遺伝子説とは異なる。
- 河田雅圭は、今西を全体主義の「萌芽」があるとした。(白紙の学生の読む初等教科書で)
- 同様の批判。グールドたちの批判は、社会生物学の主張(とくにその最終章)が、人類への進化理論の安易な適用を招き、人種主義・性差別・優性思想等を助長しかねないというものであった。(専門誌で)(wikipedia社会生物学)
河田雅圭・岸由二・粕谷英一・日高敏隆と今西の関係は以上。
試行版です。 --Feed(会話) 2012年7月18日 (水) 10:54 (UTC)
- 繰り返しますが、河田氏らを批判することが目的であれば、ウィキペディアを利用しないでください。ウィキペディアに書いてよいのは、誰それがこの著作でこのように批判したということだけです。批判内容を評価するとか、批判の背景を分析するとかいった作業は、ここで行ってはいけません。Wikipedia:五本の柱、Wikipedia:規則の概要、Wikipedia:記事を執筆するに一通り目を通してください。--Trca(会話) 2012年7月18日 (水) 12:52 (UTC)
- 編集合戦なのかよくわかりませんが、百科事典の体裁をなしていません。レジュメのように箇条書きで書かれても、何が書かれているのかさっぱりわからず、困惑しております。Trcaさんが指摘されるように、発表したいのでしたらご自分で本なり、ブログなり別の媒体をお使いください。Wikipediaですから、あくまで引用によって構成してください。--Kulukulu(会話) 2012年7月19日 (木) 06:02 (UTC)
修正、ざっと読みました。わかりやすくなっていると思います。
ただ、今西錦司はナチュラリスト、哲学者の側面が強く、周辺の今西学派の業績を示さないと、今西は理解できません。関連人物は上げるべきと思います。
試行版は、少し修正して、載せるつもりです。
全体主義には、社会ダーウィン主義・古典派総合に連なるという、ヨーロッパ型(ナチスやスウェーデン)-佐倉
共生・共同を主義とする日本型があります。
この点も含めないと、きちんとした議論になりません。日本とアメリカの戦前の関係を書いたのは、この趣旨です。 ファシズムと批判するということは、社会的抹殺です。専門誌ならともかく。
書かないつもりでしたが、編集合戦になりそうで、書かせていただきました。
Kulukulu|Kulukulu]さん:Trcaさん。よろしく。
--Feed(会話) 2012年7月19日 (木) 12:21 (UTC)
- 関連人物の多くは今西グループで説明していますし、ただの重複でしょう。個々の業績は個々の記述で行えば良いと思いますよ。あと、ヨーロッパ型アメリカ型日本型の趣旨はよくわかりません。なぜwikipediaで河田などの批判と議論する必要があるんでしょうか。それこそTrcaさんが丁寧に指摘されている話です。--Kulukulu(会話) 2012年7月20日 (金) 03
- 39 (UTC)
- 正確な座標による正確な今西像
1.専門家か、生態学に入れ込んでいる人間を除き、人名だけでは、どのような研究がなされたか、不明です。実際、私自身、今西に興味は持って少しは読んでいますが、生態学・類人猿学は知りません。今西以外の人物は、関連人物があってもなくても、大して変わりませんが、今西錦司だけは、必要と考えます。たしかに、本文中で、今西グループの人名を挙げ、業績が紹介されている部分もありますが、カバーしきれるものではありません。また、内田俊郎のように、今西学派でない人物もいますが、多彩な顔ぶれが回りにいることを説明するのは、悪いことではないと思います。本文と参考文献の間に置くぐらい、構わないのではないでしょうか。
2.批判がありますので、今西の哲学者の側面として、京都学派の特徴を論じることにしました。これが一点。もう一つは、私の時代と違い、今西の評価は地に落ちている。アマゾンで、今西を見てみましたが、コメントもほとんどなく、絶版です。今西が、未来につながらない学者なら仕方がありませんが、河田などの、白紙の学生に対する全体主義の宣伝、が影響している事が考えられます。
私自身、全体主義批判など、wikipediaの今西の記載から消去したほうがいいと考えていました。Kulukuluさんの消去は、正しいと思います。しかし、哲学者としての今西の背景である、京都学派の構造に触れるのは、今西理解の上でも、適当かと思います。また、河田の毒に当てられた、または、河田の毒に当てられる前の、学生の解毒剤にもなります。こういうことは、主義主張なのでしょうか。そうではなく、辞書として、正しい像を提示するのが、wikipediaの役割ではないのでしょうか。
ただ、触れる必要があるのかと言われると、考えてしまいます。しかし、今西の哲学的な側面を理解できないと、本当の今西像ではない、と思います。
今西の正しい位置を表示する、そこが議論の分かれ目であると考えています。京都学派・社会生物学の、歴史的位置、今西との関連での位置、この2つの位置を提示すべきかどうかということです。私の位置は、河田批判ではもうありませんが、京都学派を書くべきか、考えています。ただし、京都学派は、今西錦司以上に知りません。
--Feed(会話) 2012年7月20日 (金) 05:44 (UTC)
- 批判についての座標を除去する理由は何か
修正された版を読みましたが、社会生物学がいろいろな学問の一つであることが消去されています。上に述べましたように、全体座標の中で、今西がどう位置し、批判がどう位置しているか、書かなければ、読者に正しい像が浮かびません。また、修正前の版に比べ、非常に読みにくい。一つは、位置づけがはっきりしていず、読んでいるものに、細部に突っ込んでいって、イメージが失われるためであると思います。
改行は、論の変化に応じなされるべきです。じっさい、長文を書くと、wikipediaの下に、項目として書くように注意が出ます。wikipeddiaの原則に反していると思われます。 --Feed(会話) 2012年7月20日 (金) 05:56 (UTC)
反論だけでは、正確な説明になりません。構造を説明する必要があります。反論だけなら、批判も含め消去したほうがマシ。よりよいのは、全体の座標を示し、批判と反論の全体構造を書くべきです。
今回の修正は、ちょっといただけないと、私は考えています。批判がどういう位置からなされたか、示さないと、読者は、「批判が正しい面もあるが、正しくない面もある」と、思ってしまいます。そう考えるのが普通でしょう。位置を示せば、読者は座標を得て、構造が理解できます。
学者の数は限られており、学者が何を選択するかは、学者の自由です。自分の学問の普及が遅れたからと、他の学者を批判するのは、逆に、自分の学問を最近、他の学問が侵食してきたと批判するのと同じ事です。
だから、座標が、必要なのです。批判の毒を解消するのは、反論ではなく、批判と反論がどういう座標にあるかです。
Kulukuluさんの書きぶりは、今回は、wikipediaの諸原則に反しているのではないでしょうか。 --Feed(会話) 2012年7月20日 (金) 06:09 (UTC)
- 個別議論の問題点
棲み分け論を読ませていただきました。 棲み分け論は、今西の骨格であり、確かに進化に通じますが、進化論ではありません。議論に混乱が見られます。他の項目は、あとで見てみます。--Feed(会話) 2012年7月20日 (金) 20:29 (UTC)
ニホンザル研究を読みました。人間社会研究が消去されています。今西は最終目標は人間の研究でそれを目指してきたと述べています、若い頃だったか、読んで動物から人間を見るのかと驚いた、そんなことができるのか、持た、その発想の異様さに驚いた記憶があります。なぜ消されたのかわかりません。読んでおられない?--Feed(会話) 2012年7月20日 (金) 20:37 (UTC)
棲み分けで、食う食われるも棲み分けが排除されています。私は読んだことがなく、私が書く以前からありますが、重要な点です。どうして消去されたのか。文献に従い書きなおすにしても、残しておくべきでしょう。--Feed(会話) 2012年7月20日 (金) 20:48 (UTC)
進化論は、今西の進化論の構造から入らず、他の学説から入っています。そのため、今西の進化論の構造がわからなくなっています。他との関係は、今西が本当にそのような影響を受けたのかわからない問題です。今西批判に置くべきかどうかはともかく、問題の記述です。直すにしても、直すまでは、他の学説を先に上げるのは、避けるべきでしょう。--Feed(会話) 2012年7月20日 (金) 21:14 (UTC)
今西説に対する批判は、「全く理論的貢献がない」に対する反論が消去されるなど、どのような意図を持って書かれたか、理解に苦しむ。先の、座標の話もある。
私は、今西グループについての豊富な知識から、わかりやすくなったと書いたのだが。理解できない。--Feed(会話) 2012年7月20日 (金) 21:31 (UTC)
- 進化論・今西
進化論や今西の思想は、書きなおすべきだと考えています。元々、不完全はわかっていました。今までのものを修正して仕上げましたが、それらには、根本が欠けています。--Feed(会話) 2012年7月20日 (金) 21:45 (UTC)
- 確認するのも面倒ですが、全体主義批判の、Kulukuluさんの消去は無く、逆に、反論は消去。全体主義の「萌芽」の「萌芽」を除去して、全体主義とする。どこに、意図がある。Kulukuluさん--Feed(会話) 2012年7月20日 (金) 23:51 (UTC)
- 気がついたこと
棲み分け理論で、個体同士の認知が消されていることに、気が付きました。認知は、もっとも重要な概念なのに。
ノートに返事がないので、本文を一部差し戻し、反応を待ちます。--Feed(会話) 2012年7月21日 (土) 03:26 (UTC) 文献を加え、差し戻しました。ノートで議論するためで、編集合戦をする気はありません。--Feed(会話) 2012年7月21日 (土) 03:58 (UTC)
棲み分けを書き加え修正した。ニッチは環境・選択で、今西の棲み分けは、メカニズム論である。この点の区別を、Kulukuluさん曖昧にする。なぜか。--Feed(会話) 2012年7月21日 (土) 05:05 (UTC)
今西の負の側面について [編集]
ノートの最初『今西に対する河田氏の誤読と悪意をベースに書かれており、特に日本の生態学史に関して説得力のある出典がありません。「今西に対する否定的な意見」「生態学への影響」を提案します。 --Kulukulu』
私の意見は、書き過ぎかもしれない、意見をお願いします。Kulukuluさん
--Feed(会話) 2012年7月22日 (日) 12:05 (UTC)
「萌芽」は消されていなかった。申し訳ありません。進化論は、今西の理論を消し、他の学説との比較で、今西進化論がわからない。--Feed(会話) 2012年7月22日 (日) 12:17 (UTC)
私は、「生物の世界」しか読んでいず、後は、本屋で立ち読み程度です。それでも、今西が何者か、何を言おうとしているか、分かっているつもりです。しかし、きちんとした学者が書く方がいいに決まっています。
--Feed(会話) 2012年7月22日 (日) 15:08 (UTC)
- 座標軸
可児が述べています。ニッチと棲み分けが同レベルの理論とするならともかく、そんなことはありえない。社会生物学のゴリゴリならともかく。一方の主張が正しいと限らない。ではないですか。trcaさん。それとも、社会生物学の主張「だけ」が正しい?
--Feed(会話) 2012年7月22日 (日) 15:38 (UTC)
既存の、流布された考えだけが正しいのではない。それのみを信望するのは、正しい像から外れるのではないですか。非難に対する反駁がいけない。社会生物学が、解釈を独占し、言論を統制するのですか。批判はありがたく受け取り、文脈化するようにしました。改善されたかもしれません。
しかし、社会生物学の主張は客観的で、今西派の主張は、主観的なのでしょうか。論を立てるときは、自分の言っていることの座標軸はどこにあるか、考えるべきでしょう。必ず、どこかに立脚点がある。それを自覚した上で、論を立てないと、河田ほか忘れましたが、ああいう人間になる。
今西は、46歳まで、無給の講師だった。今西より上の世代が、今西を認めなかったからです。今西は、そんなことは気にしなかった。それに比べて、我々は、いかに人間が劣化しているか。
- 戰争はたけなわであった。えらい学者たちが、われもわれもと軍に便乗して、右往左往している。それを嘲るかのごとく、大興安嶺の学生は、軍を乗りこえ、軍の守りの外に、自由の天地を求めていた。
- だからこの書は、一つの精神の記録である。
今西の鼻くそを煎じて、河田雅圭・岸由二・粕谷英一に飲ませてやりたいよ。なんという精神の劣化。恥ずかしいって言うようなものではない。でも、気持ちを押し殺して、tracaさんに従い、客観的に書いているつもりです。ご理解ください。
--Feed(会話) 2012年7月22日 (日) 15:59 (UTC)
消されないことを見ると、今西学派の主張も、客観的に見ておられる。失礼します。 --Feed(会話) 2012年7月22日 (日) 16:05 (UTC)
kulukuluさん、進化論は、今西の理論を消し、他の学説との比較で、今西進化論がわからない。--Feed(会話) 2012年7月22日 (日) 16:29 (UTC)
- 批判の節では、佐倉らによる批判を紹介するにとどめるべきです。その批判への反論を勝手に書いてはいけません。もし、佐倉の批判に対する反論を誰かが信頼できる情報源において発表していれば、その内容を紹介することは可能です。しかし、ウィキペディアン個人の批判的見解を書いてはいけないのです。今西批判への憎悪感情がそこまで強いようであれば、この記事にはかかわらないことをおすすめします。再度の警告となりますが、これ以上、方針の無視、過剰な連続投稿を繰り返された場合、投稿ブロックの対象となる可能性があります。--Trca(会話) 2012年7月22日 (日) 17:12 (UTC)
佐倉に対しては、正しい批判とも言えるので、何も書いていません。佐倉の背景を注に回しただけです。trcaさんは、背景を書いてはいけないと言われたではないですか。
- しかし、可児の主張するように、単純な「環境と個体選択」しかなかった生態学に、棲み分けと言うメカニズム論、すなわち、個体の相互作用と種社会という複合が環境と絡み合い、生態学的構造を形作る理論を、実証に基づき世界で初めて提示した。この理論は、類人猿の社会構造(ハクスリー賞)に至る業績の基礎にあるといえる。ニッチと棲み分けは同じとされるが、一方は環境の細分に過ぎず、棲み分けはメカニズム論になっていて、ダーウィンの進化論、生態学、生物学を前進させている(可児)。また、遷移循環論はクレメンツの極相を書き換え、梅棹の文明の生態史観の引き金になった理論である。
以上は、可児の説を書いています。それ以外ありますか。憎悪ではありません。書いているものと、私の感情は別です。並置するのも許されないのですか。
- 別の場所に書けばいいのですか。
wikipediaは、ストーリーをもって書けと書いてあります。私にはtraclさんの、追加規則にしか見えない。私の感情と、私の書いているものは、別です。書くにあたっては、ストーリーを持って書けとあります。批判だけで、尻切れトンボがストーリーでしょうか。そうではなく、ノートに書き込んだ内容を批判されているのでしょうか。それなら解ります。ノートでの記載がダメなら、消去します。
--Feed(会話) 2012年7月22日 (日) 20:16 (UTC)
traclさんの書き込みを見る前に、進化論を書きました。知識不足で、上手く書けませんでしたが、現状これくらいです。去るつもりです。出来れば、書いたものを尊重して欲しい。尊重という意味は、今西を理解できないような内容に書き改めないでと言うお願いです。より良くなるのであれば、大歓迎します。修正されたものに対する批判は、書きました。特に、他の学説を先に上げるなど、今西の進化論の構造がわからなくなる。構成をしっかりさせてください。お願いします。
それから、可児の今西評価を消すのは、私は納得出来ない。可児の今西の評価を、先に肯定的評価として、先に書けばいいのでしょうか。同じ事と思うのですが。trcalさんのおっしゃっていることは、そうなります。 --Feed(会話) 2012年7月22日 (日) 20:29 (UTC)
- 時代的に、可児が河田らに反論したということはあり得ませんから、河田らの主張と可児の主張の関連付けを安易に行うべきではありません。可児による評価は可児による評価、河田らによる評価は河田らによる評価として、どちらも中立的に記載するべきです。Feedさんは河田らの主張と可児の主張を並べることで、河田らの主張を批判したいのでしょう?そうでないと、あの場所に可児による評価を置く意味がありませんから。そのようなことはするべきではありません。それから、河田らの主張は河田らの意見として紹介しながら、可児の主張は事実として断定口調で書くのは、Wikipedia:中立的な観点に照らして妥当ではありません。そして、個人的に強い感情を持つ事柄に関しては、ウィキペディアで記事を書くことを控えてください。憎悪感情の発散はここではなく、適切な場所で行ってください。個人サイトでもSNSでもブログでもツイッターでも、書きたいことはかけるのですから。--Trca(会話) 2012年7月22日 (日) 20:51 (UTC)訂正--Trca(会話) 2012年7月22日 (日) 20:56 (UTC)
修正後、読みました。納得行かない点がありますが、trcalさんの基準は満たしたと思います。出来れば、禁止禁止でなく、こうすればいいよと、アドバイスを与えるほうがいいと思います。修正で内容は多少良くなったと思います。配置をもう少し変えたほうがいいですが。ご指摘に従い、自分の感情は抑えるようにはしています。--Feed(会話) 2012年7月22日 (日) 21:12 (UTC)
- まず、Feedさんご自身の論考を書かないでください。何が今西の特徴であるとか、ある研究が今西思想を実証したものであるとか、誰がこのように主張したとかいった記述には、必ず出典を示してください。また出典はなるべく、ページ数等の詳細な情報を含めて示してください。この点に関して、Wikipedia:検証可能性、Wikipedia:出典を明記するを必ず読んでください。
- 今西の思想が「正しい」かどうかここで議論する気はありませんが、彼の理論が現在の主流の生物学においてほとんど評価されていないのは事実です。そうである以上、Wikipedia:中立的な観点に基づいて記事を執筆すると、全体的に今西に辛くなります。なるべきです。今西を愛するFeedさんには納得できないかもしれませんが、百科事典とは斬新な再評価を発表する場ではなく、世間と学界における既存の見解を解説する場所ですから、ご理解ください。今西に対する不当な(としかFeedさんには感じられない)批判であっても、淡々と紹介しなければならないのです。それがいやなら、繰り返してのお願いになりますがウィキペディアを利用しないでください。
- どのように執筆するべきか、これまでのご案内した方針群に書いてあります。これらを必ず読んでください。なお、私のこのコメント以降に過剰な連続投稿をなさった場合、投稿ブロック依頼を提出いたしますのでご注意ください。--Trca(会話) 2012年7月22日 (日) 22:20 (UTC)
- 個人的には書きすぎたかなと反省しているところもあるのですが、比較的シンプルに書けていたと思っているところを同じような文章を複数回書かれたりと全体として冗長にされ、引用文献と文脈が離され、構造的にも謎のインデントでグズグズにされると悲しくなります。小見出しをつけたり補註を入れたらわかりやすいという訳ではありません。あと森下・可児・梅棹が今西を参考にしたという事と、彼らが評価されているという事は別です。--Kulukulu(会話) 2012年7月24日 (火) 10:44 (UTC)
- どんな寄与
重複は、KULUKULUさんの、書いたものを尊重したためです。WIKIPEDIAで、KULUKULUさんが、そんなに貴重な貢献をされたのでしょうか。いま、今西の自伝を読んでいますが、KULUKULUさんの生態学の拡張は書かれています。それ以外で、重要な話がありましたか。生態も、すでに書かれていたことを、直しただけでしょう。私の書いた、疑問に答えず、重複があるとか、自分の書いたものがバラバラだとか言われても、困ります。知識の乏しい私は、WIKIPEDIAの大分以前、書き込こまれた内容は教えられるところが多かったです。
構成を、きちんとして書いてください。KULUKULUさん。
異なる学派の評価は、当然低くなります。社会生物学者なら、自分の学派の項目を書けばいいのです。出張ってきて、森下・可児・梅棹の評価が低いと言われても、私から見れば、社会生物学など、集団遺伝学(遺伝子プール)から、集団-遺伝子プールを抜いただけの、ダーウィンの多くの議論を抜いただけの、全く理論的な貢献がない学問に見えます。具体的な、ありなどの利他的な行動、そういう話は別ですが、それがどうした。ということです。自分がどこにいるか、考えてください。自分の学派の見解を、他に強制しないでください。私も、社会生物学は、佐倉先生のように、全体主義を支持する動きが出たと書いてもいいのですよ。KULUKULUさん。
森下・可児・梅棹は評価が低いですか。寺本英は、生物物理・数理生態学の巨頭ではないのですか。生物物理学は、社会生物学と異なるから、寺本の評価が低いのでしょうね。だから、寺本英が、梅棹は、数理生物学のもっとも初期の創始者といっても間違いではない。しかし、博士論文とし、出版したが、欧米の雑誌に載せていなかったと言っています。少し違いますが、メンデルが再発見されず、遺伝現象が一般的になって、同様の説を唱えたメンデルは、価値がないのでしょうか。私信でも、引用の義務がある。
ではお聞きしますが、河田雅圭・岸由二・粕谷英一はきっと、森下・可児・梅棹・寺本英も真っ青な世界的な業績を挙げているのでしょうね。そんな素晴らしい世界的な業績を上げた学者がいたのですか。日本人として、いや世界人類として誇りに思います。KULUKULUさん。
わたしは、KULUKULUさんは、マトモだと思います。でも、もう少し、自分の立ち位置を考え、自分が何を主張しているか、考えてください。
それから、真実などどうでもいいというのは解りますが、例えば、赤狩りのアメリカの百科事典は、赤狩りが正しいと書くべきなのでしょうか。ドイツやスウェーデンでの優生法などは、正しいと書くべきなのでしょうか。アメリカの、1960年台くらいにやっと撤廃された劣等人種(黒人・黄色人種)を差別する公民権法は肯定して書くべきなのでしょうか。いじめで、教育委員会はいじめはない、あったとしても自殺との因果関係はないとしていました。少なくとも、教育委員会という集団は、いじめと自殺を隠蔽する主義だった。警察もそうだった。(それを、大津警察署がひっくり返した。)それを認める、記述にすべきなのでしょうか。どう思われますか。言っていることは解ります。できるだけ従いますが、法には、その前提がある。法の前提を考えてください。自分の前提を考えてください。KULUKULUさん。 私は、最初、川勝平太、次に佐倉統先生かその弟子と思った。科研費など、学者ならだれでも知っていますし。 --Feed(会話) 2012年7月25日 (水) 00:36 (UTC)
ここは、今西以外の議論をする場ではない。辞書の形式を取るべきである。KULUKULUさんは、オーソドックスである。今西を理解しようとしている。そうです。書きすぎる。ただ、反論もさせてください。修正すると、書き込み禁止になるので、しばらく修正しません。進化と生態学は今西の自伝には出て来ません。これは、KULUKULUさんの寄与でしょうが、もっと単純化した記述は前からある。きつい書き方ご容赦ください。文章が子供じみている点もご容赦ください。KULUKULUさん。
--Feed(会話) 2012年7月25日 (水) 00:57 (UTC)
- 上に注意書きがあるように、ここは記事の改善のための話し合いをする場所であって、今西思想の是非について論争したり、今西批判者を揶揄したりするための場所ではありません。Help:ノートページを参考に、どうか礼儀とエチケットを守り、冷静にお願いします。この直前の文中でリンクされているページ、そしてWikipedia:中立的な観点をもう一度ゆっくりとお読みください。Feedさんが感情的な投稿を自制できるようになるまでは、記事の改善について建設的な議論は望めません。そろそろ私も対応に疲れてきました。もう対話は諦めて投稿ブロック依頼を出してしまったほうがよいのではないか、そのような気持ちと闘いながら、何とかご理解いただけるものと信じてこのコメントを書いています。--Trca(会話) 2012年7月25日 (水) 03:40 (UTC)
一箇所だけ修正します。基本的に、今のページは、kulukuluさんの書いたものを元にし、詳しいものは、「今西錦司の人と学説」とでも名付け、新しく立ち上げようかと思います。ただし、kulukuluさんの書かれた点で、納得出来ない点は、修正しておきます。異論があれば、もとに戻すなりしてください。--Feed(会話) 2012年7月29日 (日) 13:31 (UTC)
- 念のため確認しておきますが、手続きに則った提案をせずに分割することは避けてください。記事を分割する際には、Wikipedia:ページの分割と統合に従い、Wikipedia:分割提案の手続きを踏んでください。必要な過程を飛ばして分割された記事は、削除または即時削除の対象となります。また、仮に分割提案が提起されたとしたら、私は反対します。一般的に、人物記事とその「人と学説」記事が別になるという事態は不合理です。まさかとは思いますが、Feedさんは、邪魔をされずに自分の書きたいことを書くための記事を立ち上げようとしていらっしゃるのではありませんか。仮にそのようなことをお考えだとしたら、そのような行為はウィキペディアを無用に混乱させるだけですから、厳に慎んでください。
- それから、どのような加筆をなさる際にも、Wikipedia:検証可能性を満たすため、必ずWikipedia:出典を明記することを忘れないでください。--Trca(会話) 2012年7月29日 (日) 15:39 (UTC)
kulukuluさんが、長すぎるというので、短かくすればと、思いました。trcalさんもおられますし、好きに書くきはありません。今西は、古いとはいえ、ひとつの哲学・思想・科学の織り成す学問体系です。人物で書ききれるものではありません。ダーウィンと進化論は別項目とすべきですし、ワトソンと二重らせんも別項目とすべきです。マッハと、マッハの哲学も別項目とすべきです。そういうことです。今西の学問は、今西の個性が生み出したものですが、今西という人物とは別のものです。
Peter Mayhew,『これからの進化生態学 ―生態学と進化学の融合―』江副日出夫,高倉耕一,巖圭介,石原道博、共立出版のネット解説を読み、新総合説もかなりのところに来ているようです。(手に入れて読みます)。(今西の学説に何を含むべきかという話です。)今西の学問体系を書き切ることも、必要ではないでしょうか。分割は読みます。
自分の学問体系(社会生物学・新総合説・総合説)が優生学を主張し、全体主義を賛美した歴史を書かず、自分の気に入らない今西を全体主義の「萌芽」!が含まれ!ているとする話にならない河田雅圭・岸由二・粕谷英一もいる。それらを省き、構造を書く。
--Feed(会話) 2012年7月30日 (月) 03:04 (UTC)
- Kulukuluさんが嘆いていらっしゃったのは単に長くなったからではなく、文章の構造と一貫性、スタイルを破壊されたためです。長さをどうにかできればよいのではなく、Feedさんの文章能力そのものが疑問視されていることを理解してください。そして、Feedさんは何度諌められても、社会生物学を罵らずにはいられないようです。繰り返してのお願いになりますが、それほどまでに強い感情的思い入れのある主題の記事を執筆することは避けてください。--Trca(会話) 2012年7月30日 (月) 16:38 (UTC)
- 横からすみません。記事がおかしな事になっていたのでノートを見ればこの有様です。Feed様の編集履歴を追ったところ、あちこちの記事で「主義主張の発表の場にWikipediaを使っている」ようにさえ思えます。複数の記事で複数の方から、異口同音に御指摘されている事を御理解されたか、懸念されます。今まで皆様が御提示されたWikipediaのルールは御覧頂けましたか?そうでなければ熟読して下さい。--JapaneseA(会話) 2012年8月22日 (水) 16:12 (UTC)(主アカウント:利用者:Sutepen angel momo(会話 / 投稿記録 / 記録))
FEEDの考え (最後の議論)
[編集]今西と山本を醜くする、朝見や河田は、論の本質に踏み込まず、関係のないところでの批判である。これらが分かっただけでも良かった。今西と山本は、自分の心中を問い、それにより論を立てた。このようなwikipediaの例を、山本は戦前のファシズム万歳者は、戦後は民主主義万歳に変わると述べている。時間をさいてよかった。一部を除き(自分では)客観性を持ち山本は書ききったが、今西は問題が多い。進化論を始め、解っていない人間の書き込みである。しかし、進化論を修正するのみにする。余計なことだが、山本関連、そして、ks氏への質問は、ひとつも答えられていない。問答無用なのだろう。以後、ここには書き込まない。場を変えなければ、仕方がない。朝見や河田と同じ、すべてはぐらかし。
私は、今西のような発想をするが、山本の発想は知らなかった、しなかった。それを、山本を、歴史から抹殺してもいいのだろうか。私は、すべての人間がそうであるように、意見をもつ。マックス・ウェーバーはどのような立場であろうと、意見とは一定の立場に立ものであるとした。逆に言えば、自分が一定の立場に立つことを自覚し、論を立てろと言っている。はぐらかしの批判は、価値がない。議論が積み上がらない。朝見や河田はそれである。三文学者の発想、トンデモ本だろう。
山本は、聖書の立場で、社会を見、人を見、ものを書いた。それが解らない人に何を言っても無駄である。議論を積み上げる質問を、すべてはぐらかす。意見を受け止め、自分を直し、相手を直す。そして高みに立つ。それをわからない人達。--Feed(会話) 2012年8月23日 (木) 00:30 (UTC)
その後
[編集]- 私としては、こちらが質問に答えていただけなかったという気がしますが。でも、ここを離れるというのはいい判断だと思います。どこでもいいので、好きなところで論議して、高みに登ってくださるのがいいと思います。--Ks(会話) 2012年8月23日 (木) 00:44 (UTC)
見出し追加、絡んでこられたので、互いにを追加--Feed(会話) 2012年8月23日 (木) 01:34 (UTC)
- 絡まれたからと、自分の発言を編集するのはここでは御法度なのですよ。あと、私のノートの方で、質問に答えてもらえるとうれしいですね。--Ks(会話) 2012年8月23日 (木) 01:36 (UTC)
当然理解できることを曲解されないため。仕方がないので、もとに戻す。書き加えたものは以下。相手と自分と言っている。立場の交換ができないのは、幼児。
- 山本は、聖書の立場で、社会を見、人を見、ものを書いた。それが解らない人に何を言っても無駄である。議論を積み上げる質問を、すべてはぐらかす。意見を受け止め、自分を直し、相手を直す。そして「互いに」高みに立つ。それをわからない人達。
仕方がないので、返事を書く。誰でも知っているエネルギー説を説明しろと言う質問。質問の背景を提示し、貴兄の立場を確認してから、回答しようとした。山本七平で、議論の課題になっている『ユダヤ人と日本人』さえ読んでいない人と、討論になった。それを肯定して、私が生物学は特に勉強していないというと、エネルギー説を知っているのかと問う。生物学を勉強していない人間は書き込む権利がないという。当然、相手の意図を疑う。公平さがあるのかと。そのため、矛盾点と、WIKIPEDIAの規定に従っていない点を質問した。初歩的すぎる質問だが、回答があれば答える。馬鹿な質問はやめて。--Feed(会話) 2012年8月23日 (木) 01:59 (UTC)
- やっぱり聞きたいことが全然わからない。
- まず、どなたかが『ユダヤ人と日本人』を読まないで議論したのですね?
- で、私が専門知識がないなら書くなと言ったと。
- で、公平さが無い、と。
- これの何が問題なのですか?あなたは違う人から違うことを言われた。人が違えば言うことが違う。当たり前ではありませんか。その誰かは知りませんが『ユダヤ人と日本人』を知らないで議論した、その人と、この私とが同じ立場、同じ考えを持たなければならないのでしょうか?それに、分野が違えば専門性も違います。その分野によってそのような判断が異なることは大いにあり得るでしょう。
- 私は生物分野に関わる人間として、あなたにこの分野の記述に触れてほしくないと判断しました。その根拠として、エネルギー論、いや、あなたの言葉に従うと「エネルギー生産説」を生んだのでしたね。それはどんなもののことを指しているんですか?--Ks(会話) 2012年8月23日 (木) 02:10 (UTC)
今西の項で、今西錦司の関連論文と、解説本を挙げている。それくらい読めよ。学者先生。解釈を独占するの。参考に挙げたのは一遍だけだが、前後に関連論文もある。今西を知らないと、告白したのに、今西を修正している。その前に私の書き込んだ今西のエネルギー関連追加を読んだはず。一般人の常識の範疇に、エネルギー説はある。エネルギー説を知っているですか。--Feed(会話) 2012年8月23日 (木) 02:15 (UTC)
- どうも文章が難解で困りますね。「今西を知らないと、告白したのに、今西を修正している。」これは、Feed様のことなんでしょうか?--Ks(会話) 2012年8月23日 (木) 02:19 (UTC)
吉良でエネルギー学説、今西でエネっルギー生産説、エネルギー生態学を用語として採用。学術誌でも用語はバラバラ。上げ足取りは、河田、浅見と言う三文学者と同じ。本質を論じ、討論に負けたら、自分が新しい視点を手に入れ、楽しいが、貴兄らの話は、すべて、河田、浅見という三文学者と同じ議論の筋。嫌になる。議論が積み上がらない。惨めだね。今西の本質はどうだとか、山本七平の本質はどうだとか、そういう話なら、やりがいはある。否定論でも。惨めだね。--Feed(会話) 2012年8月23日 (木) 02:30 (UTC)
- ええ、質問の答えが見えないんですが、もし「今西を知らないと、告白したのに、今西を修正している。」。これがFeed様でないなら、私のことを言っていると言うことになりますね。でも、私は今まで「今西を知らないと告白」していないんですよ。もちろん熟知しているという気はありませんが、そこそこには著書を読んではいます。で、少なくとも生態学の分野で「エネルギー生産」と言った用語が出れば、それは特定の立場を表すものと思っているのですが、今西がそれについて何かやったと言うことは知らないんです。それはどんなものだったんですか?--Ks(会話) 2012年8月23日 (木) 02:38 (UTC)
- こちらにも割り込んですみません。Feed様より私の会話ページへ御意見を頂きましたが、文章が難解で何を仰りたいのかわかりかねます。Feed様のされている行為は、投稿ブロックの指針の1つ「宣伝・広告や政治的その他の一方的主張となる記事の投稿」に抵触しないかどうか今一度ご確認下さい。潮汐で貴方様と似たような演説をして投稿ブロックとなった方がいます。--JapaneseA(会話) 2012年8月23日 (木) 11:27 (UTC)
- JapaneseA様、このタイミングでの割り込みは勘弁してください。今、質問の答えを待っているところなので。それに、自分のノートページでのやりとりは、その場で完結させるべきではないでしょうか。--Ks(会話) 2012年8月23日 (木) 12:31 (UTC)
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主義者の定義は、次のようなものです。社会制度(民主制・共産制)は、基本は個人個人を大事にする、尊厳を守ることを基本にしている、ところが、民主制、共産制を個人を超えた価値とすると、民主制・共産制に反する意見をもつものを、抹殺しても構わないとなる。これが、『日本人とユダヤ人』『100人斬り競争』で山本七平が述べた主張の一つです。その背景には、聖書を幼児から暗記させられ、おりにふれ聖書の言葉が出てくる山本が、戦前の軍国主義万歳から、戦後の民主主義万歳にあっという間に変わったのを経験したのです。そして、民主主義に反するものは、すべて軍国主義・ファシズムとして非難され、社会的に抹殺されるようになった。
- 信じられないでしょうが、戦前、戦争反対を唱えた新聞は、不買運動を起こされ、新聞社が潰れるまでになり、戦争賛美に変わった。朝日新聞の大阪本社がそのような目にあった。他にもあるらしいがよく知りません。また、今、女性は大抵戦争反対です。でも、戦前、戦争を避けるため、アメリカと苦しい交渉をしていた外交官?に交渉などやめて、さっさと戦争しろとたくさんの投書がきた。大部分(私の記憶では9割)が女性からのものだったそうです。これは、朝日か日経かで、40年前だったか、読みました。小さな記事でしたが。民主主義は制度であるというのは、朝日だったように思いますが、日経かもしれません。日本人が民主主義が絶対の価値とするのを聞いて、ヨーロッパ人が笑い出し、西欧ではそうではなく、制度と見ていると言ったと書いてありました。(シーシェパードのような団体もあり、むしろ民主主義が価値とする人のほうが多いかもしれません)。聖書では、民主制だったユダヤの民は、周りの王政が強大になるのを見て、王政を願った。山本七平を待つまでもなく、歴史主義を待つまでもなく、西欧の価値の基準はキリスト教で、民主主義は制度です。ただし、これは一部の見方かもしれません。
あなたは、そんなのでっち上げだと言われるでしょう。別に構いません。でっち上げかもしれません。でっち上げと思うのも、各人の自由です。
- これ(でっち上げと思う態度)が良いことか、悪いことか私には解りません。ただ、山本は、聖書や四書五経の知識から、この構造に対するひとつの見方を示したのです。これをファシズムと非難するのもいいでしょう。別に構いません。でも、最初にあるべき、人間の尊厳が、民主主義万歳(といわれのない右翼非難)に対する疑問を提示したからといって、無視されて良いのでしょうか。良いのでしょうね。日本社会は、決して変わらないのですから。
私自身のことですが、追放されても構いません。貴兄に、きちんと向き合うほうが、大事だと思うからです。(向き合っているつもりですが、そうは受け取れないでしょうね)。向き合うことで、追放されるなら仕方がない。
- 私が主義者かどうかですが、人の尊厳を民主主義の名のもとに、理由もなくファシズムとする、すなわち、尊厳を踏みにじるのを主義者とするなら、自分ではそうは思いません。ただ、次のような非難は甘んじて受けなければなりません。miwaSS?だったか、自分の気に入らない意見は消す、自分がいいと思うものは、理由もなく復活させる。悪いが、毛沢東のコウセイ女史(漢字忘れた)を見るようでした。コウセイも人々(人民)を中心に考えていたのでしょうね。1000万人ぐらいが、紅衛兵運動で死んだが、コウセイにとっては共産主義実現には当然だった。当然だったでしょう。
弁解させてもらえれば、ここは、今西のサイトであり、山本七平は山本のサイトです。今西や山本という巨人をこんなに扱っていいのか。これは、私の主張です。向き合うこととは関係ありません。
私が主義者かどうかは、貴兄らが決めることです。私が決めることではありません。
- マックス・ウェーバーくらい読んでほしい。
ks氏の話
私(私=feed 8月24日13時52分追加)は今西を少ししか読んでいないと言いました。生物の世界の1/4くらいでしょうか。今西のすべてがあれで解ったような気がしました。こう書いた後、解説本も含め大分読みました。実際、読んでみると考えていた通りでした。kulukuluさんは専門家で、今西を評価しておられますが、今西を解っていない。
山本七平はある程度は読みましたが、主著とされる2冊は読んでいません。でも、日本人論など読んでいるので、(詭弁も読んでいるし、あそこの議論に出てくる本は大部分読んでいます)ある程度のことはわかる。
私は、山本七平でNNMMさんが議論の中心となった『日本人とユダヤ人』さえ読んでいないということを、一度でも問題にしたことはありません。
KS氏が、生物学の知識がないものは、吉良を書くなといった。だから、NNMMさんに同様のことをなぜ言わないかKSさんに問うたのです(KSさんは、山本の議論に参加しておられNNMMさんがユダヤ人を読んでいないと言われたのを知っておられる)。そして、今西の文章が酷いから、書きなおすとKSさんが言われたことから考え、今西進化論の内容に問題があることにksさんは気づいていない事がわかった。エネルギー説だって、今西の論文を読んでいない。私は、吉良で参考文献をあげているし、今西では、論文もあげている。このことを問題にして、人のことだけ非難するが自分はどうなのですと聞いた。それだけのことです。自己矛盾ではないかと。気に入らない私に対する基準をNNMMさんや、自分に適用しないのですかと。
- 私は、尊敬するある人から、人を追い詰めず、逃げ道を残すように言われた。そこでの議論はもっと穏やかだったのですが。また、私は、自分に非があったり、議論に負けたりすると、すぐ謝る。尊敬する人は、簡単に謝るなと言われた。
- 逆に言うと、非を認めない人間は、私は嫌いです。それだけです。
ksさんは、議論の構造が解っていない。私は、知識がないからと非難する気はない。ただ、知識がなければ書くなと言われるKSさんが、今西のエネルギー説や今西進化論を知っているとは到底思えない。少なくともこの点の知識が欠けるKSさんではないですかと。
私はできるだけ自分に向き合い、これでいいのかと考えながら論を立てる。我、直いかと。あくまで私の立場からですが、公平かと。激しい性格ですから、行き過ぎの点は多々あります。
言いがかりに近い形で(でも、いろいろなことを検証した上ですが)、NNMMさんを追い詰めた。
私に関して、何かしたいのであれば、どうぞ。以上が、皆さんにきちんと向き合っているかと尋ねられると、私はわかりません。KSさんの、エネルギー生態学に関しては、議論としては面白いのですが、こんなでは揚げ足取りに終わるだけで無理と思います。(ネットがダメなので今西の当該論文を読みなおしたのですが。)
それから、今西錦司全集の半分以上は登山・探検関連です。登山関係や、エピソードは今西の像を示すものですが、今西の人となりを示すと、都合がわるいのでしょうね。なぜ消されるのか。
以上は、書きなぐりで、推敲していません。推敲するような議論ではありませんし。終わりにしましょう。やっても無駄な議論ばかりです。意味が無い。どういう訳か、時々ネットが使えなくなり、返事が遅れました。逃げ道のない議論になっているが。書かなければいいのですね。尊敬する人は、一言書いて、後は放っておく。見習えるか?独り言
権力者たる自分には法を適用せず、普通人には厳し法を、それも、自分の気に入らない人間には、より厳しい自分に都合のいい法を創り法を適用する社会になればいいと言う主張ですか。なるほど。
どうしようもないね。書き込み最後にしたい。--Feed(会話) 2012年8月24日 (金) 02:55 (UTC)
- これはもうびっくり。
- 「ks氏の話
- 私は今西を少ししか読んでいないと言いました。生物の世界の1/4くらいでしょうか。今西のすべてがあれで解ったような気がしました。こう書いた後、解説本も含め大分読みました。実際、読んでみると考えていた通りでした。」
- これ、いったいどこから持ってきたんですか?私、どこでこんなこと言いましたか?
- で、長々と書いて、その上で、結局エネルギー論ってなんなんですか?要するに、説明できない、そう判断していいのでしょうね。だから説明から逃げつつ、相手のせいにするしかないと。逃げ道のある議論をしたいって、どこまで甘ったれますか。出鱈目なことを書き散らして、記事をむちゃくちゃにして、質問には答えられず、その上でそれですか。
- 私の立場を宣言しておきます。Feed様の加筆の科学的な部分は一切残さず消します。出典のあるなしなど、このレベルでは問題になりません。読み間違いや誤解が無いということが期待できないからです。それ以外の内容については、文章がまともで、筋道が通っていて、記事にとって有益だと判断できない限りは消します。以上です。--Ks(会話) 2012年8月24日 (金) 03:37 (UTC)
- 賛成 Ksさんの編集方針に同意することを表明します。Feedさんはいくら説明を受けても、演説をやめられないようです。何とか理解していただこうと苦心しましたが、もうあきらめました。--Trca(会話) 2012年8月24日 (金) 03:45 (UTC)
- 賛成 ここまで対話を続けてこられた事に敬意を表します--JapaneseA(会話) 2012年8月25日 (土) 14:34 (UTC)(主アカウント:利用者:Sutepen angel momo(会話 / 投稿記録 / 記録))
- これはもうびっくり。
私とは、feedです。生物の世界の1/4しか読んでいないと最初に書いてあります。まず、-JapaneseA氏の話を書き、それからKS氏の話と、話題を変えたのです。読めば当然分かる。それから、書き込み最後にしたい、と書きました。からみはやめてください。普通の社会では通用しない論理で、意図的に曲げて話をする。私もおかしな点はありますが、あまりにひどい。--Feed(会話) 2012年8月24日 (金) 04:29 (UTC)
- それは失礼。私のことを書くにしては不自然な文だとは思ったんですが。だだ、読めばわかるというのは、普通の日本語の文章で書かれている場合に限ります。
- だが、それではなおさら愚かな話ですね。「生物の世界」はまだ若かった今西がそれまでの研究を元に書き上げたもので、それなりの集大成ではありますが、所詮前半生のそれであり、しかも彼の研究やその成果に直接に触れるものではないですよね。それを読み切らず、にもかかわらずそれですべてがわかったと。どう考えてもおかしいですよね。それでみんなわかるなんてあり得ないでしょ?にもかかわらずわかった、しかも追加で読んだものが思ったとおりだった?あんな薄い文庫本の1/4で彼のすべてを理解したと?
- もしそういうことがあるとすれば、それはその読者が自分でわかりたい、あるいはわかったと思ったことしか読み取れない、受け付けない心を持っている場合、それくらいしかないじゃないですか。
- ですから、私の判断は変わりません。
- あなたは今西と山本しか評価できないでいます。それがひどくいびつなことであるのを認識してください。
- 余談ですが、私の理解では、山本は保守派の提灯持ちに過ぎず、それと今西が並べられるのでは、今西があまりに不憫です。
- 以上、慎重なご判断を望みます。無理とは思うんですが。--Ks(会話) 2012年8月24日 (金) 04:45 (UTC)
(私=feed、8月24日追加)を追加。 KS氏は、悪意でないことが解りました。お詫びします。(すこし、弄ばれたのかとも思いますが、失態で仕方がありません。)。今西のエネルギー生態学の位置づけ議論しましょう。お教えください。ただ、ダーウィンだってその主な説のほとんどは、他から持ってきています。医学生理学賞だって、名前失念、誰かの説を反証しようと実験を重ね、正しいことを証明してしまいノーベル賞をもらった。一応、そのあたりをご考慮ください。
今西の登山家としての側面を度々理由なく消されるので、分割しました。分割申請は、今から(2、3日中に)やります。山は、全集で1/2を占めています。
繰り返しですが、今西否定論者かと思っていました。お詫びします。おかしな野郎です。--Feed(会話)
- 「お教えください」と言われても困ります。こちらには教える材料などありませんよ。だって、今西が『エネルギー生産説を生んだ』と書いたのはあなたではないですか?私はそれは具体的にはどういうことなのか、それを説明して欲しい、そう繰り返して質問しています。それに答えてくれないと、先へ進めません。そうではないですか?
- あと、その新項目、多分削除されます。特筆性無し、と言うのが理由になるでしょう。
- とにかく今西の作り出したエネルギー論の説明をお願いします。--Ks(会話) 2012年8月24日 (金) 05:25 (UTC)
通常の評価と異なるのでは?
[編集]http://www.civic.ninohe.iwate.jp/100W/05/043/page2.htm --武蔵深部(会話) 2013年8月31日 (土) 23:17 (UTC)
- こんなのぽんと貼られても困ります。指摘したい事があるなら、具体的に願います。それから、とりあえず、全面改稿でなければ勝手に書き換えて下さればいいのです。--Ks(会話) 2013年9月1日 (日) 00:20 (UTC)
しばらく書きません。修正されるならどうぞ。--武蔵深部(会話) 2013年10月5日 (土) 14:36 (UTC)
- 私以前の版に戻しました。ご自由に。--武蔵深部(会話) 2013年10月6日 (日) 13:29 (UTC)
- 家庭内の諍いのようなドロドロの記述が残ったが。--武蔵深部(会話) 2013年10月6日 (日) 14:40 (UTC)
- 次に書くときは、参考文献を明らかにして、それに沿って書いて下さいな。私としては、消していただいてありがたかったと。--Ks(会話) 2013年10月6日 (日) 13:47 (UTC)