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ノート:佐村河内守/過去ログ1

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出典の記載方法について[編集]

スカラマンガさんが「リンク切れになりやすい事に対して配慮が無い」として出典のニュースサイトのリンクを「インターネット・アーカイブ」に次々変更されていますが、初掲載時からこうする必要はあるのでしょうか。過去記事をずっと保存しているニュースサイトもあるし、オリジナルにリンクしないとページビューに応じて得られる広告料をニュースサイトが得られなくなります。どの記事が注目されているのかも把握しづらくなる。すべてインターネット・アーカイブに依拠するとあちらのサーバにも負荷がかかる。そもそも、記事の掲載直後はインターネット・アーカイブにキャッシュがない場合もある。「闇雲に貼りつけるだけで変えようとしない編集者には悪意すら感じます」とまで書かれていますが、オリジナルのリンクがあればインターネット・アーカイブを引くのは各人でできます。個人的にはスカラマンガさんはやり過ぎだと感じています。--Wingwatcher会話2014年2月9日 (日) 06:38 (UTC)[返信]

そういった包括的なことについては、こちらではなく、井戸端で意見を聞いた方がいいと思います。--ここで一発会話2014年2月11日 (火) 02:36 (UTC)[返信]

作曲の提示について[編集]

ゴースト使用のため、どの曲が本人、どの曲がゴーストによるものか判明したものの記述をお願いします--よいち24会話2014年2月4日 (火) 23:41 (UTC)[返信]

報道されてから間もない話題で、ゴーストライターの氏名が未公表のため、本文に記述すべきかどうかは微妙(まだ、独自研究と看做される懸念がある)ですが、NHKのこの報道に基づいて作品リストを見てみると、「平成8年ごろ担当した映画音楽」すなわち、1997年5月3日に公開された、すずきじゅんいち監督作品映画《秋桜》で最初にゴーストライターを使っており、それ以降はゴーストライターを使っていた、ということが読み取れます。実質的に、「平成8年以降」の作品は全てゴーストライターを使っていたと言えるのではないでしょうか。--Rienzi会話2014年2月5日 (水) 02:28 (UTC)[返信]
新垣隆さんが、自分がゴーストライターを18年間やっていたとマスコミにファクスを送ったと。元は週刊文春のスクープのよう。2月6日に会見するので詳細はその時でしょう。マツダ映画社に人物紹介が出ていますが、サイトが落ちているのでグーグルのキャッシュ。1970年生まれで桐朋学園大学音楽部作曲家卒業とのこと。--Wingwatcher会話2014年2月5日 (水) 10:13 (UTC)[返信]

正確性テンプレートの除去について[編集]

ゴーストライター問題発覚直後に {{正確性|date=2014年2月4日 (火) 23:40 (UTC)|ゴーストライター利用のため実際にどの曲を本人が作曲したか不明}} が貼られましたが、その後細かい事実関係が明かされてゆき、現在の記事は1996年に新垣氏がゴーストライターを始め、映画《秋桜》以降は同氏による作曲であることが明確に表記されています。新垣氏がゴーストライターを務める以前の佐村河内名義の曲については、佐村河内氏本人が書いたのか、別なゴーストライターがいたのかは不明ですが、この点については事実関係自体がまだ不明であり、それに合わせ現在の記事でも断定的な書き方はされておらず、「記事の正確性に疑問が呈されている」という状態ではありません。「正確性」の問題は解決されていると思いますので、正確性テンプレートを除去しました。--Gruppetto会話2014年2月16日 (日) 08:36 (UTC)[返信]

編集保護依頼[編集]

これから荒れるに決まっているので、ある程度落ち着くまで一週間ほど編集保護したいのですが、よろしいでしょうか。どなたか代わりに手続きしていただけるのでしたら、よろしくお願いします。--Gurusgetty会話2014年2月5日 (水) 08:22 (UTC)[返信]

Gurusgettyさんご自身により、Wikipedia:保護依頼に出されています。--113.197.194.187 2014年2月5日 (水) 08:46 (UTC)[返信]

交響曲第1番 (佐村河内守) も、保護依頼に加えたほうが良いかと思います。--113.197.194.187 2014年2月5日 (水) 08:54 (UTC)[返信]

はいな。(結局自分でやることに。。。) --Gurusgetty会話2014年2月5日 (水) 08:57 (UTC)[返信]

といいつつ、自分も思わず荒らしてしまったりして。。。失礼! --Gurusgetty会話2014年2月5日 (水) 09:04 (UTC)[返信]

いかん、話が面白すぎるので、思わず荒らしてしてしまう。早急な編集保護を求む! --Gurusgetty会話2014年2月5日 (水) 09:17 (UTC)[返信]

半保護最後のMuyo氏の編集(「カテゴリ復旧ほか」という要約[1])で、記事本体が閲覧できない状況になっています。修正をお願いします。--2001:3B0:10:1:0:0:0:1B 2014年2月6日 (木) 05:54 (UTC)閲覧できるようになりました。一時的なのかわかりませんが私の指摘は的はずれかもしれませんでした。すみません。--2001:3B0:10:1:0:0:0:1B 2014年2月6日 (木) 06:02 (UTC) どうやらWikipedia:井戸端/subj/特定の記事が白紙表示されるの現象が起きていたようです。Muyo氏は関係ありませんでした。--2001:3B0:10:1:0:0:0:1B 2014年2月7日 (金) 17:23 (UTC)[返信]

交響曲第1番の録音年について[編集]

経歴中、標記の記述に誤りがあります。録音は2011年4月に行われていますが、それが2010年に行われたという記述になっており、東日本大震災に関連する情報とも矛盾しています。 --221.21.190.249 2014年2月9日 (日) 13:25 (UTC)[返信]

修正しました[2]。またYOUTUBEを出典としていましたが、非公開設定の動画のため除去しました。--途方シネマズ会話2014年2月9日 (日) 23:17 (UTC)[返信]
その前の部分に、「2010年4月4日、大友直人指揮の東京交響楽団により、交響曲第1番《HIROSHIMA》(広島初演版による改訂版)の第1楽章と第3楽章が東京芸術劇場で演奏された。続く4月11-12日、同じコンビで交響曲第1番全曲の録音をパルテノン多摩で行う。」とありますが、これでは2010年4月に録音をしたようにしか読めません。この部分も修正が必要だと思います。--221.21.190.249

J-CASTソースの記述除去ほかについて[編集]

解決済み議論停止から時間が経過しているため。--Garakmiu2会話2014年3月17日 (月) 17:03 (UTC)[返信]

この編集について説明します。まず、当該記述はJ-CASTニュースがテレビ番組『とくダネ!』の内容と称するものを書き起こしているのを出典としていますが、J-CASTは過去にWikipedia‐ノート:信頼できる情報源/過去ログ1#Web上の事物を扱うニュースサイトは信頼できない情報源なのかで信頼性に乏しい情報源として扱われています。こういった存命人物の、とくに不名誉と思われる内容を記述するに当たっては、Wikipedia:存命人物の伝記にも「特段の注意を払わなければなりません」とあるとおり、より信頼性の高い情報源を元にすべきであり、このノートの上にもある注意書き「信頼性に乏しい情報源を出典としている場合、直ちに除去しなければなりません」に従い除去しました。大きな事件になっている以上、類似した情報は今後総合週刊誌など、少なくとも裏取り取材を行っているような情報源から出てくるでしょうから、わざわざこの程度の出典を元に書くことでもないと考えます。

また、カテゴリとしてCategory:身元詐称者なるものが付けられていましたが、これは他のカテゴライズされた項目を見る限り、他人になりすまして詐欺を行うなどした人物に付けられているので、本項の人物のように、経歴なり発表作品を偽った疑いがあるだけでは当てはまらないと思いますので除去しました。--Garakmiu2会話2014年2月11日 (火) 17:05 (UTC)[返信]

賛否が別判断になる複数の事柄を、1項で扱うのはやめていただきたいです。その上で述べますと、「身元詐称者」のwikipedia上の扱いについては詳しくないので判断しません。J-CASTに関しては、気になるのであればこの形に修正なされば良かったのではないでしょうか。多くの編集者に影響を与える行為なので、抑制的に行っていただきたかったです。
方針WP:V#NRをご確認ください。そもそも、「TVで見た」ことを出典にするのが信頼できる情報源とされていないのです。また、存命人物に関する否定的で貧弱な情報源による記述は議論なしで除去してかまわないと存命人物に関する方針にも明記してあります。抑制的などというのはこの場合には当てはまらないということです。よって、Wingwatcherさんが提示される例もこの件では不十分で、まるごと除去があくまでも正解と主張します。--Garakmiu2会話2014年2月12日 (水) 14:56 (UTC)[返信]

冒頭の文[編集]

「かつて作曲家を自称していた」は間違いではないでしょうか。これだと、「今では彼自身が作曲家だと言っていない」ことを示さなければなりません。確かにここ18年の作曲の、その少なくともかなりの量が彼の手になるものではないとしても、それ以前の作品はどうなんです?であれば、「作曲家ではない」と言い切れませんよね。であれば、素直に「作曲家である」とした上で、「ただしゴーストライターがいたことが云々」とすべきでしょう。--Ks会話2014年2月16日 (日) 07:34 (UTC)[返信]

「かつて作曲家を自称していた」は、現在の状況からそうであるということが「類推」できるだけで、おっしゃる通り「今では彼自身が作曲家だと言っていない」ことはどこにも示されておりません。現時点では「かつて作曲家を自称していた」というのは執筆者の独自研究にあたるといわざるを得ないため、暫定的に定義文を「日本の作曲家。広島県出身」に改めました。あとに続く定義文で「ゴーストライター云々」についても述べられており、現状は十分に反映されているため、(佐村河内氏自身が「作曲家を自称していました」「作曲家という肩書きを捨てます」とでも言わない限りは)現時点でわざわざ「かつて作曲家を自称していた」とすべきではないと思います。--Rienzi会話2014年2月16日 (日) 08:36 (UTC)[返信]
全く逆の言い方も出来てしまいます。「『作曲家』は間違いではないでしょうか。これだと、『1996年以前の曲は彼自身が作曲していた』ことが証明されなければなりません。」
「『作曲家』は、現在の状況からかつてそうであったかもしれない、ということが『類推』できるだけで、『以前は彼自身が作曲していた』証拠はどこにも示されておりません」など。
また、「今では彼自身が作曲家だと言っていない」ことが示されなければ「(今も)作曲家を自称する人物」ということにもなり得ます。「私は作曲家です」と言った人物ならWikipediaでは誰でも「作曲家」として扱われる訳ではないはずです。新垣氏と出会う以前に実際に自ら作曲した作品があるとしても、それらが「作曲家」としての特筆性を満たす実績を上げているのか?という問題もあります。なので、「作曲家とされる人物」あたりの表記が適切な気もします。--Gruppetto会話2014年2月16日 (日) 09:49 (UTC)[返信]
  • 先ほどインフォボックスで職業欄に「作曲家」と編集したのですが、Gruppettoさんのご意見に賛同いたします。現在報道されている分の情報では、彼は楽譜も読めなければ書くこともできないということですし、ゴーストライターをしていたという人物の証言を本人も謝罪文で認めていることですし、そこから「自称作曲家」と類推するのは果たして独自研究にあたるのでしょうか。他の方のコメントも勘案した上で「作曲家とされる人物」が適切な表現であると思います。--Megevand (会話) 2014年2月16日 (日) 09:56 (UTC)[返信]
  • えーと、まず、Gruppettoさんの「『作曲家とされる人物』あたりの表記が適切な気もします」というご意見に賛同いたします。Wikipedia:スタイルマニュアル_(人物伝)#導入部に照らして考えた場合、「『作曲家』はおかしい」ということであれば、「作曲家とされる人物」または「作曲家として活動していた人物」あたりが妥当なのではないでしょうか。(とはいえ、私個人は当面は「作曲家」でも問題はないと思っているので、自らこの箇所を編集しようとは思っていません)また、「自称作曲家」であることが類推できるからといって、それをオブラートに包まずそのまま書いちゃうのはマズいのではないかと思います。「類推できる」状況であるからといって「自称作曲家」というレッテルをウィキペディアの執筆者個人が貼るのは良くないですね。「自称作曲家」という表現については、信頼できる第三者的情報源で、有識者がそう述べたりしないかぎりは、使うべきではないのではないでしょうか。むしろ、今後の展開次第では、第三者的情報源に基づき、かつ、人物伝のスタイルマニュアルに従った場合に「作曲家」ではなく「詐欺師」の方が肩書きとして適切ということになってしまう、なんてことになりかねないと思ってはいますが・・・。なお、複数の肩書きをもつ人物であり、かつ、議論が途中で宙ぶらりんになっているので参考にはならないかもしれませんが、「人物記事の定義文における肩書きの付け方」が問題になったケースにノート:深見東州#改善のお願いがあります。--Rienzi会話) 2014年2月16日 (日) 11:13 (UTC)修正と補足。--Rienzi会話2014年2月16日 (日) 11:19 (UTC)[返信]
  • 「自称」という形容詞がつけられないのでしたら、上記で既に同意を示していますが「作曲家とされる人物」で良いと思います。--Megevand (会話) 2014年2月16日 (日) 11:28 (UTC)[返信]
  • コメント 私もGruppettoさん、Megevandさんと同様の意見です。佐村河内守自身がゴーストライターの存在を認め、代表作が全部本人の作曲でないことも認めているわけですから、“かつて作曲家を自称していた日本の人物”という定義は、独自研究でもなんでもないでしょう。「作曲家」というのは、自分で作曲した「代表作」があるプロの人のことを指しますから、もはや代表的楽曲が何もないことが明らかになった人のことを、百科事典で「作曲家」と定義するのは逆に間違いだと思います。“作曲家とされる人物”でも何か変だと思います。Rienziさんの案の“作曲家として活動していた人物”はもっと違和感があります。「作曲家」ではなかったわけですから、“作曲家として活動していた”という文言だと、普通に自分で作曲していた人みたいな感じに読み取ることもできうる文章になってしまっています。むしろ、“「作曲家」として知られていた人物”、あるいは、“「作曲家」と自称していた人物”、“「作曲家」と自称して活動していた人物”、というふうに、作曲家の部分は鍵括弧でくくって書く方が適切だと思います。--みしまるもも会話2014年2月16日 (日) 11:46 (UTC)[返信]

(インデント戻します)「「作曲家」というのは、自分で作曲した「代表作」があるプロの人のことを指します」という定義は、はじめて聞きましたね。それはともかく、では、問題となった代作の始まり、その時、なぜ彼の所に作曲依頼が来たのでしょう?当然、作曲家であるとの判断があったからですよね。また、代作でさえ、いろいろ疑問はあるものの、かなり詳細な構成の指定があったとも言いますよね。これを重視すれば、少なくとも共同創作者であったとの判断はあり得ます。今は彼を批判する声が多く、それに乗って叩くのは簡単でしょうが、まだ詳しいことはわかっていないのですよ。少なくとも現時点の情報だけで『作曲家であったなどととうてい言えない』という判断をするのはまずいと思いますよ。『詐欺師』ではあるでしょうが、詐欺師であることとと作曲家であることとが同居してはいけない理由はないのです。少なくとも、『作曲家ではない』といいきる判断が、現時点で可能であるとはとうてい思えません。--Ks会話2014年2月16日 (日) 12:08 (UTC)[返信]

ええと、みしまるももさん、私の論旨にご賛同頂いたのだと思いますが、わたくしは「作曲家とされる人物」あたりを上で提案させて頂いております。今後の事態の展開によってはさらに「作曲家とされ人物」としても良いと思います。現時点では「自称」まで使うのは佐村河内守氏に対する感情的反発心のようなものが感じられてしまい百科事典としてゆきすぎた表現になってしまうかと思います。Ksさん、wikipediaで「作曲家」とするには、誰かから作曲家だと判断されているだけでなく、(本人の作品によって)作曲家としての特筆性が必要になってくると思います。とりあえず、複数の方から賛成意見を出して頂きました「作曲家とされる人物」にしておくのは駄目ですか?--Gruppetto会話2014年2月16日 (日) 12:22 (UTC)[返信]
Ksさん、作曲依頼がきていたのは、現在報道されている当時者からの情報がなくて、誰もが作曲家と疑わなかったからです。過去の話なんですから、過去の事例をもってきて、この人物を現時点で「作曲家」とするのは無理があると思います。--Megevand (会話) 2014年2月16日 (日) 12:46 (UTC)[返信]
Megevand様には、私の言っていることがわかっていますか?私は、ゴーストライターが起用されたところを指しています。まず依頼があって、それへの対応としてゴーストライターを捜した、そういう話であったはず。つまり、それ以前は少なくとも最近までのゴーストライターは彼の作曲に関与していなかったのでしょ?その段階で、彼は依頼を受けているんですよ。
もしこの辞典で彼が作曲家としての特筆性を満たす程度には作曲していたのであれば、作曲家と記すになんの問題もないのでは?まあ、そこは私は知らないのですが。少なくとも、その後の作曲を直接に彼が行っていないのでしょうが、だから「作曲家でない」はどうでしょう。それに、私は構成への関与をどう扱うか、葉結構重要だと思っています。--Ks会話2014年2月16日 (日) 13:45 (UTC)[返信]
自伝によれば現在知られているゴーストライターが表れる以前に「山河憧憬」の作曲をしたとありますが、放送がされたのはゴーストライター登場の後の1999年だということです(そのあたりは記事の本文をご覧下さい)。よって、彼が本当に作曲したのかどうかは、現在本人以外に誰も分からないはずです。ゴーストライターの代作で活躍していた時期が大半であり、それ依然の活動も現在の資料から疑わしいのであれば「作曲家である」と言い切ってしまうことはおかしいと思います。まぁ、色々ありますが現在のような「音楽関係者である」というのは無難なところじゃないでしょうか。--Megevand (会話) 2014年2月16日 (日) 14:04 (UTC)[返信]
NHK『山河憧憬』シリーズの中の「武蔵野」の放送台本に名前がありますが[3]、隣の台本に写っている音楽担当の名前は長生淳ですから、一定の高度な作曲技術をもって作曲された音楽をBGMとして使っている番組なのだと思われます。音符が書けない読めないという佐村河内氏が1人で全部書いたとはやはり考え難いのですが、仮にこの番組の音楽を佐村河内氏が(テーマの単旋律だけシンセサイザーで弾いてそれを作曲技術のある他人に構成させたのではなく)に1人で全部構成したのだとしても、佐村河内氏が実際に作った曲で世に出ているのはほぼこれ1つだけなのではないでしょうか?テレビ番組のBGM1つだけというのは作曲家の特筆性としてかなり微妙なのではないでしょうか。--Gruppetto会話2014年2月16日 (日) 14:32 (UTC)[返信]
  • Gruppettoが仰るように特筆性も微妙で、だいいちその確認も現在の資料から出来ないのであれば、そんな現状でどうやって「作曲家」だと言い切ってしまうことができるのでしょうか。やはり「作曲家である」とするのには断固反対します。--Megevand (会話) 2014年2月16日 (日) 14:39 (UTC)[返信]
Gruppettoさんの案の“作曲家とされる人物”だと、やっぱり現時点でも少し変な感じがします。「される」という言葉は、「世間で現に認知されている」という意味合いも日本語にはありますから、何か誤解が生じる感じがします。“「両耳の聞こえない作曲家」として知られていた人物”とするのはどうでしょうか。この言い方は、こちら([4])に出典があります。--みしまるもも会話2014年2月16日 (日) 13:02 (UTC)[返信]

こちらの編集で「音楽関係者」となっています。まぁ、こちらも無難だと思います。ノートでの議論は考慮されなかったことになりますが、決着がつくまで「作曲家」と断言している書き方もどうかなと思っていましたので、とりあえず上記の編集を支持したいと思います。--Megevand (会話) 2014年2月16日 (日) 13:03 (UTC)[返信]

上記のみしまるるももさんのご意見、良いのではないかと思います。現在の「音楽関係者」は暫定で支持しますが、改良のための議論を拒否するものではありません。念のため。--Megevand (会話) 2014年2月16日 (日) 13:05 (UTC)[返信]
「音楽関係者」という定義文は、みしまるももさんの「『作曲家』ではなかった」というご意見などを考慮すると、かなり不自然というか、おかしいと思います。“「両耳の聞こえない作曲家」として知られていた人物”は、悪くないと思いますが、「自分で作曲していなかった」ということでもって、過去にさかのぼって「作曲家」という定義を避けるとすると、「『両耳の聞こえない作曲家』として知られていた人物」というのも、全聾であったかどうかが疑われている現状ではちょっと危ないのではないかと思います。(「両耳の聞こえない作曲家として知られていた」と定義文に書いちゃうと、ウィキペディアが百科事典である以上、「現在は全聾でなかったのではないかと言われている云々」という補足が必要なんじゃないかと・・・)個人的には、いっそのこと「佐村河内守(さむらごうち まもる、1963年9月21日 -)は、日本の広島県出身の人物。」としたほうが、百科事典的には安全なのではないかと思います。「両耳の聞こえない」という点については、定義文の続き「聴覚障害を持ちながら...」で理解できるわけですし、「ゴーストライター問題」や「全聾でなかった疑惑」については記事本文に詳述されているわけですから、定義文はシンプルな方が良いのではないでしょうか。要するに過去から現在の全ての時点において「作曲家」であったかどうかも、「両耳の聞こえない人」であったかどうかも怪しいなら、冒頭の定義文ではそのどちらにも触れない、ということです。長文失礼いたしました。--Rienzi会話) 2014年2月16日 (日) 13:32 (UTC) 斜体部補足。--Rienzi会話2014年2月16日 (日) 13:45 (UTC)[返信]
「作曲家」をどこかに入れようとすると色々おかしくなるのかな、と思いました。「音楽関係者」に関しても「作曲家」ではないが何なのだというところを上手くぼかしている表現ですが、彼の素性がまだ全面的に分からない限り、よくよく考えてみると「音楽関係者」というのは、肩書きを騙っていることに変わりないのかなと思います。色々と私も意見がゆれますが、「作曲家」や「音楽関係者」という言葉を入れない、「佐村河内守(さむらごうち まもる、1963年9月21日 -)は、日本の広島県出身の人物」というのが、現時点で一番良いように思います。--Megevand (会話) 2014年2月16日 (日) 14:10 (UTC)[返信]

とりあえず、Wikipedia的に(資料と照合して)現在ベストではないかという記述にしました([5])。「両耳の聞こえない作曲家」に関しては、冒頭すぐ後の段落で同様のことが書かれていますので、敢えて繰り返す必要もないと思いそれもごそっと除去しました。--Megevand (会話) 2014年2月16日 (日) 14:49 (UTC)[返信]

Megevandさんの編集を確認いたしました。Megevandさんが編集なさった現在の形で、問題ないかと思います。--Rienzi会話2014年2月16日 (日) 15:10 (UTC)[返信]

コメント先日の謝罪会見でますます事の真実が分からなくなってきていますが、会見では、ゴーストライターをつけずに作曲活動していたこともあるようです(NHKの番組)。他の本人の証言を普通に理解すると、シンフォニーなどの曲は書けないがシンセサイザーなどで簡単な曲は作れる、ということになるのかなと思います。ですから、いつぞやKsさんが仰っていたことが思い出されるのですが、「作曲家」としても間違いではないような感じもするのですがどうでしょうか。とはいえ、おそらくこれから色々と会見や報道などがされていくに従って二転三転するような気もするので、今のままいじらないという選択もアリかなと思います。--Megevand (会話) 2014年3月8日 (土) 13:11 (UTC)[返信]

今となっては佐村河内氏の発言にほとんど信憑性はありません。また、上でも書かせて頂きましたが、仮に自力で作曲した曲があったとしても、それらにWikipediaで「作曲家」とできるだけの特筆性を持った業績があるのか?という問題があります。現状では今のままいじらないのがベストだと考えます。--Gruppetto会話2014年3月8日 (土) 14:28 (UTC)[返信]
Gruppettoさんが、佐村河内氏の発言にほとんど信憑性はありません。とお考えならば、関連する項目への記述は控えたほうがよろしいかと思います。百科事典であるウィキペディアは中立的な観点で記述する必要があり、バイアス、というか偏見をお持ちでしたら、中立的には記述できないでしょう。--121.102.14.4 2014年3月10日 (月) 04:23 (UTC)[返信]
今まで嘘をつき続けていた人物の発言に信憑性がある、とする考えは擁護バイアスがかかっており中立的な観点に反します。--Gruppetto会話2014年3月10日 (月) 13:57 (UTC)[返信]
嘘をつき続けてていましたが、3月7日の記者会見では関係者に謝罪、自らの行為を反省をし、一部の事実を明らかにしております。記者会見でも虚偽発言をした疑い(本宮市民の歌)がありますが、「佐村河内の発言はすべてウソである」という視点で記述すべきではありません。佐村河内、新垣、神山の各氏のコメントは、3者に中立的な観点で取り扱うべきでしょう。(参照)Wikipedia:中立的な観点#芸術作品などの特徴に関する意見--124.147.70.112 2014年3月23日 (日) 08:47 (UTC)[返信]

(基礎情報について) コメント なぜ「人物」というぼやけた表現にとどめ「日本の作曲家」カテゴリを除去しておきながら、音楽家関係の基礎情報テンプレートは残されているのでしょうか?テンプレ内に「共同作業者」の情報がある意味も分かりません(「作曲家」ではないというのなら、一体、何を共同作業したのかという話になる)。ゴーストライターを付けていようがいまいが、「作曲家として活動していた」ことは確かであるのだから、「作曲家」という記述・カテゴリは復元してもいいのでは?--崎宏会話2014年3月8日 (土) 22:35 (UTC)[返信]

関係者の証言[編集]

佐村河内守#関係者の証言ですが、具体的にどのあたりの資料の検証性について問題にされているのでしょうか?また、そのような議論はノート:交響曲第1番 (佐村河内守)でまとめてやるということでしょうか?今のままではただ漠然と問題があるというだけで何をどうしたら良いのか分かりません。タグを貼られた方、ご説明願えますでしょうか。--Megevand (会話) 2014年2月21日 (金) 17:01 (UTC)[返信]

信頼できる情報源により、検証可能性を満たしているか、ということです。具体的には、一次資料である個人のブログ(WP:BLOGS)、Twitter(WP:TWITTER)を出典にするのは適切か、ということです。先に議論提起されたのが、ノート:交響曲第1番 (佐村河内守)であり、重複している内容もあるため、同じ場所で議論をしたほうがよろしいかと思います。--220.100.20.234 2014年3月5日 (水) 02:43 (UTC)[返信]

ご説明していただき、ありがとうございました。--Megevand (会話) 2014年3月8日 (土) 12:47 (UTC)[返信]

提案[編集]

ゴーストライター問題については、当人の記事にはおおまかなことだけ記述して、この問題の詳細についてを彼の記事から分割して、独立した記事として作った上で書いた方がよろしいんじゃないでしょうか?-- Hatto会話2014年3月8日 (土) 06:59 (UTC)[返信]

事件性、ニュース性はあれど百科辞典の記事にするほど特筆性のある事案ですかねえ・・・? 社会にある程度影響を与え云々でもすれば単独記事もいいかもしれませんが、Wikipediaは事象を列挙する場所ではないので、どうかなぁと思います。なので現時点では反対です。これから今以上に色々とでっかい社会問題になったり、佐村河内氏や新垣氏個人や音楽出版会社の問題の垣根を越えて社会に教訓としての何らかの共通認識でも生まれれば単独記事としての特筆性も満たせると思いますが・・・。ま、この問題がオウム事件みたくなるわけないですし、難しいでしょう。うーん、子記事としてなら・・・大丈夫かも分からん・・・ --斎条恒軌会話2014年3月8日 (土) 12:41 (UTC)[返信]
コメント私も反対よりです。もし単独記事にするならタイトルはどうされるのでしょうか。今回の事象は佐村河内守固有のものとして(これにのって多くの業界にもゴーストライター問題があることが取り沙汰されているようですが)扱う、つまりこの「佐村河内守」記事内で置いておくほうが良いと考えます。--Megevand (会話) 2014年3月8日 (土) 12:51 (UTC)[返信]
コメントただ、ゴーストライター問題の部分だけでも、結構な量の情報が既に書かれてますからね。もし、単独記事にするならば、「佐村河内守ゴーストライター問題」とかそんな感じで記事にすれば問題ないのでは?そんなこともあって、記事の単独化をしても良さそうかなとも思うわけです。いかがでしょうか?--Hatto会話2014年3月10日 (月) 12:12 (UTC)[返信]
コメント もしも、ゴーストライター問題に関係する記述すべてを分割するなら、佐村河内守には、何も残らなくなってしまうでしょう。佐村河内氏について、ゴーストライターを含む虚偽行為を除いたらば、特に記述することは無いかと思います。--121.102.96.199 2014年3月11日 (火) 09:08 (UTC)[返信]
コメント 分割提案に反対いたします。佐村河内守#ゴーストライター問題だけを分割したのでは、問題発覚までの流れがつかめませんから、結局、分割の際に、分割先に佐村河内守#経歴佐村河内守#人物も含める必要が出てくるでしょう。しかしそれでは、佐村河内守の方にはほぼ何も残りません。私個人の意見を申し上げますと、まず、佐村河内守#ゴーストライター問題については、記述が詳細に過ぎ(正確さと詳しさを重視するあまり、転載・コピペになっている箇所もある?)て、文量・内容ともに過剰だと思います。全部が全部、ウィキペディアの記事に書こうとせずに、百科事典にふさわしい整理された内容と文量にまとめ、「詳しい内容」は出典となる書籍やサイトに委ねる、という形へ作り替える必要があるでしょう。逆に、分割ではなくて、佐村河内守本人がWikipedia:特筆性 (音楽)を満たすかどうか微妙な状態を考慮し、「佐村河内守という人物よりも、佐村河内守をめぐるゴーストライター疑惑という事件のほうに特筆性がある」と看做して、人物記事から事件記事(例えば佐村河内守ゴーストライター事件など)へ改名する、ということは、現在の記事内容を見る限り、ありうるかな、とも思いますが・・・やはり、「過剰な記述とコピペ疑惑のある記述を除去して、人物記事として維持」のほうが妥当だと思いますので、積極的に「提案」はいたしません。--Rienzi会話2014年3月11日 (火) 10:17 (UTC)[返信]

出典からの転載 著作権に注意[編集]

信頼できる情報源による出典を明記することは重要ですが、出典に書かれている文章を丸ごとコピー&ペーストしている加筆が目立ちます。Wikipedia:ガイドブック 著作権に注意Wikipedia:引用のガイドラインなどをお読みいただき、著作権侵害とならないようにお願いいたします。--121.102.96.199 2014年3月11日 (火) 09:01 (UTC)[返信]

本文修正依頼[編集]

半保護のため、こちらの場で修正依頼をします。佐村河内守#関連項目 サモンプロモーションは所属事務所ではありません[6]佐村河内守#NHKスペシャル 魂の旋律 〜音を失った作曲家〜 について、NHKは佐村河内氏関連番組・調査報告書を公開しました。--220.100.111.208 2014年3月16日 (日) 14:31‎による書き込み(署名追記--崎宏会話2014年3月16日 (日) 15:34 (UTC)[返信]

ご指摘ありがとうございます。関連項目より、除去させていただきました。--崎宏会話2014年3月16日 (日) 15:34 (UTC)[返信]
  • 修正ありがとうございます。佐村河内氏がサモンプロモーションと所属契約をしていたことは過去にも無く、佐村河内氏の曲のコンサートを企画していただけです。出典を探しましたが、東スポしか見つかりませんでした。近いうちにサモンプロモーションが佐村河内氏に損害賠償を請求するでしょうから、そのニュースで事実関係が明らかになるかと思います。--121.102.98.114 2014年3月17日 (月) 11:15 (UTC)[返信]
  • 私も探してみましたが出典が見つかりませんでした。ですので、所属事務所ではなく企画をしたということで修正しました。ついでに事務所HPアーカイブに一緒にあった指揮者とピアニストをカテゴリーの中に入れ直しました([8])。--Megevand (会話) 2014年3月17日 (月) 17:31 (UTC)[返信]

佐村河内守#影響に書かれている本宮市民の歌「みずいろのまち」について、新垣氏とは別のゴーストライターの存在が明らかになりました(佐村河内守氏は音大生にも楽譜を書かせていた! 週刊文春 2014年3月18日)。記者会見では「自分で書いた」と言っておりましたが・・・(佐村河内さん謝罪会見(6) 産経新聞 2014年3月7日)。 あともう一点、[[Category:詐欺師]]は、現時点で適切でしょうか?--133.218.145.248 2014年3月19日 (水) 10:57 (UTC)[返信]