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Wikipedia‐ノート:信頼できる情報源/過去ログ8

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歴史セクションについて

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Wikipedia:信頼できる情報源#歴史ですが、ガイドライン文章としては例示が多いエッセイ的になっていて、「できる限り簡潔に書く。まとまりのない例示より、直接的で簡潔な書き方の方がより明快かもしれません」にいささか欠けると思いました。その一方でWikipedia:信頼できる情報源#自然科学、数学と医学のほうは、冒頭で明確に「査読された科学出版物を使う」と指示しており、分かりやすいガイドラインです。こうなっている事を不思議に感じたので、歴史セクションのオリジナルとなった文章を探したところ、英語版では冒頭部に、

Briefly: published scholarly sources from academic presses should be used.
一言でいうならば、学術出版社から出版された学術的な情報源を使用する必要があります。

と、はっきりと結論が先に述べられており、分かりやすい指示となっておりました。こちらをさらに踏み込んだエッセイのほうでも、冒頭部は

  1. Historical articles on Wikipedia should use scholarly works where possible.
  2. Where scholarly works are unavailable, the highest quality commercial or popular works should be used.
  1. 歴史についてのウィキペディア記事は、可能な限り学術的な出版物を使用すべきです。
  2. 学術的出版物が入手できない場合は、最高品質の、商業的もしくは一般的な出版物を使用すべきです。

と、明快に基準を指示されています。そのため日本語版ガイドラインでも、前者の「一言でいうならば…」の一文を組み込みたいと思うのですが、いかがでしょうか。--Yuasan会話2022年1月16日 (日) 13:00 (UTC)

  • 賛成  ご提案のとおり、前者の「一言でいうならば、学術出版社から出版された学術的な情報源を使用する必要があります。」を組み込むことに賛成です。なお、後者については「最高品質の、商業的もしくは一般的な出版物」が何を指すか不明確なので、こちらは入れなくて良いと思います。--伊佐坂安物会話/履歴2022年1月17日 (月) 09:44 (UTC)
  • コメント コメント依頼から来ました。冒頭に簡潔で明快な基準を示すというご提案に賛同します。ただ、学術出版社の出版物に限定されると、だいぶ敷居が高くなるという印象を持っています。私が興味を持っている古代史ですと、雄山閣や吉川弘文館あたりの出版物に限定されてしまうイメージです。こうした書籍はもちろん信頼できますし、執筆にあたり中心に据えるべき参考図書と思いますが、お値段(笑)含めてアクセスしにくく、また専門書であるゆえに中立的というより著者が主張する説が中心で、なかには角度の付いた内容である場合もあります。対して一般書でも(むしろ一般書であるがゆえに?)複数の学説を挙げて論点・争点をわかりやすく客観的に記述している場合もあり、ウィキペディアのルールである中立性を鑑みて参考になることが少なくありません。もっと踏み込めば出版社でカテゴライズしてよいのかとも思います。極端な喩えですが、歴史分野の一般書で講談社(Portal:歴史学/日本史#講談社)の評価は高いと思いますが、だからといって『学習まんが日本の歴史』を参考にされては困ります。個人的には中公新書あたりまでは十分参考になると思いますし、より具体的には学術出版社の書籍で参考文献に挙げられる出版物までは許容されるべきと思います。そうした考えを元に以下の文章を提案します。一言で言うならば、学術的な信頼性が最優先されます。具体的には、学術出版社の出版物を中心とし、これに参照されている書籍や学術的成果を挙げている著者の出版物を含みます。:以上です。--あずきごはん会話) 2022年1月19日 (水) 13:51 (UTC)コメントを削除--あずきごはん会話2022年1月21日 (金) 14:47 (UTC)
  • コメント 冒頭に要約を付け加えることに異論はありませんが、それよりも本文を日本語版の執筆者向けに改稿すべきではないでしょうか。本文では英語圏のコンテンツが多く例示されていますが、日本語版執筆者にとって、(アメリカ史の記事を書くとかでなければ)分かりにくく参考にならない内容と感じます。例えばですが、英語版私論のen:Wikipedia:Identifying reliable sources (history)が「歴史家とは」「歴史研究とは」などについて整理されており、これを翻訳導入することも検討したらどうかなと思います。--Iso10970会話2022年1月20日 (木) 08:22 (UTC)

ご意見ありがとうございます。「やむを得ず学術出版社から出版されたものが入手できないときは…」という部分を含めるならば、後者案が近いです。英語版オリジナルでは「最高品質の、商業的もしくは一般的な出版物」の指すところは、具体的には以下の記載がありました。

Historical scholarship may include:
歴史に関する研究には、以下を含めてもよいでしょう。

  • 大学レベルの教科書で、学術的文献を要約したもの。
  • 上記に相当する人気のあるもので、通常は学術的出版として発行している歴史家が出版したもの。
  • 上記のような出版物で、非歴史家が執筆し、歴史家が学術的な基準で監修したもの。
  • 非歴史家による一般向け出版物で、学術的な査読付き雑誌に掲載された歴史家による明確な書評やレビュー記事にて、好意的に評価されたもの。(以降略)

こちらの基準であると見なしてはいかがでしょうか。さらに例示が多くなるようですと、単なる歴史セクションの要約ではなくなってくるので、ガイドライン文章というよりはプロジェクト:歴史で整備いただきたいかなとも思います。--Yuasan会話2022年1月20日 (木) 12:05 (UTC)

強く反対 反対意見で申し訳ありません。こちらは、あくまでガイドラインであり、強制力のない奨励事項を提示するという趣旨であるので、「必要がある」「最優先される」などの強いキーワードを入れることには強く反対します。 ご存知の通り、歴史カテゴリーの記事(特に近代日本史)では、多様な歴史観をもつ編集者さん同士の主張の議論から論争に発展することが少なくなく、何かを盾として非常に激しく主張するケースが目に付きます。

ガイドライン(奨励事項)でありながら、強い言葉でルールのような規定事項を提示するのは、 それを根拠として、合意形成の手順を踏まない一方的強行的な編集(除去)が行われたり、また、論争において強者側の一方的勝利というような合意形成とは言えない結果を導いてしまうことを懸念します。

歴史セクションにおいては、歴史観は多様であるという前提に立ち、記事が中立的に掲載され、それらが検証可能な出典であれば、基準はクリア。 よいよい記事としての奨励としては、うんぬんかんぬんと、エッセイ的な文章でやんわりと提示するほうが、 論争の中で盾として使いにくい内容となると思われ、 例えば、現状のようなあまり参考にならないと思われる英語版記事のための説明であったりするほうがむしろ良いのではと思います。 --ひできち東京会話2022年1月20日 (木) 14:55 (UTC)

「あまり参考にならないと思われる文章をめざす」ではWikipedia:方針とガイドラインの方針と合致しないので、簡潔に書けないというのならば、ガイドラインからエッセイに格下げの案もあるかと思います。ガイドラインにするならば「文章が明快、簡潔に、直接的で簡潔な書き方」でお願いしたいです。英語版の記載を見ると、これを満たさないと B-Class criteriaにならない(GAは取れない)という基準であるようです。--Yuasan会話2022年1月20日 (木) 15:13 (UTC)
「あまり参考にならないと思われる文章をめざす」ほうがよいという主旨の意見ではありません。そのような意見をしたつもりはありません。現状のガイドラインの文章が、他の方も言っているように、(日本の)歴史記事の編集においては直接的にはあまり参考にならない内容であるということについて、私も賛同していること、強いルールのような文体が採用されるのは反対であって、現状のような文章にも一理あるという理解を示しただけのことです。もし、私が非常識な意見を言っているというような、悪意をもって解釈されているということであれば、それはそれで別にかまいませんが、そのような提案者の提案には、完全に反対です。--ひできち東京会話2022年1月20日 (木) 15:34 (UTC)
なるほど、「強いキーワード」のところが強く反対であり、要約を作ることには反対ではないということですね。すみません。--Yuasan会話2022年1月20日 (木) 16:12 (UTC)
はい。主旨をご理解いただけているなら、引き続き参加させていただきます。近代日本史の記事において参考になるガイドラインとは、多様な歴史観の編集者さんらが、記事を編集する過程において、他編集者と合意形成するためのマナーや善意をもった姿勢、編集行為かと思います。そういった観点がないがしろにならないような文体であれば、要約を設けることには別に反対ではありません。
マナーや合意形成への姿勢をもって編集するには、一般的には慎重さが求められるわけですが、強いキーワードでの規定事項を提示することは、それを根拠に短絡的な編集をしてしまうというデメリットが生じるのではないか?ということを危惧いたします。--ひできち東京会話2022年1月20日 (木) 16:39 (UTC)
具体的な表記については検討となるのでしょうけれど、「信頼できる文献の間でもランク付けがある」という認識についてはよろしいでしょうか(これは歴史トピックに限定されない前提ですが)。どのような言葉でその優先度を表現するか、という話になるかと思います。--Yuasan会話2022年1月20日 (木) 16:51 (UTC)
はい。認識していますが、それについては他の方も指摘しているように、出典は、最高ランクのものでなければならない、というようなガイドラインは、敷居が高すぎて検証可能性という点で現実的ではないでしょう。
ランクの順序をつけて出典例を示す、ということには反対はしませんが、やはり、
「ランク1の出典とランク3の出典の並記はガイドライン違反だ、ランク3の出典は除去する」、というような、
編集者の主観的な都合のよい解釈がされてしまうことでの、一方的な記事の除去、
論争が収束しない、合意に至らない、というようなデメリットが生じないことを考慮した文体、文章が望ましいと考えます。
また、現状のガイドラインの文章にあるような明らかなNGライン(ガイドブック)を出典するような編集者さんはかなりレアなケースと思ます。そこに文面を多く割く必要はない思います。
例えばですが、論争が合意形成に至る場合は、多数派(ランク1)少数派(OKランクぎりぎりのライン)の両記事を並記することになることが多いと思いますので、そういう過程に導くようなガイドラインであってほしいと思います。特に多様な歴史観をもつ編集者さんが混在する歴史カテゴリにおいては。--ひできち東京会話2022年1月20日 (木) 17:46 (UTC)
  • 返信 残念ですが、ひできち東京さんと私は、目指すWikipediaのありようが違うようですね。表現が強いとおっしゃるのならば、そこは私の論旨ではありませんので緩めの表現に変更しても全然かまいません。しかし、ひできち東京さんの仰る「多様な歴史観をもつ編集者さん」が好きに書けるのであれば、その行く先は百科事典ではなくまとめサイトになると私は考えます。また、ルールが争いを産むような捉え方をされているように思うのも残念です。ここで議論すべきルールは良い記事を書くための指針であり、争いを防ぐための指針であれば、別のところで議論すればよいと思います。また、争いを望みはしませんが、争いを避けることに配慮するあまり、百科事典の構築という一番大切な目的が損なわれるようならば、本末転倒ではないかと考えます。ともあれ合議には従いますが、私とひできち東京さんの認識に大きな隔たりがあることが分かり、この先の議論には加わりたくないなと思いましたので、提案を取り下げて議論から降ります。--あずきごはん会話2022年1月21日 (金) 14:47 (UTC)
    要約を追加することのメリットとデメリットの両面を検討していただきたいという主旨です。デメリット部分の議論がない状況でしたので、私はその観点で意見させていただいております。メリット部分を完全否定しているわけではありませんので、区別して議論していただければ、特に問題ではないと思っておりますが。
    Wikipedia コミュニティへの貢献するガイドラインであれば、記事の発展やWikipediaの運営に寄与すると私は思っていて、そのようなガイドラインであることを希望します。強いルールを用いて理想の記事を具現化したいという考えとは、確かに若干ですが、方向性が異なるかもしれませんね。--ひできち東京会話2022年1月21日 (金) 16:17 (UTC)
  • 強く賛成 研究されているのであれば、研究書を優先すべきでしょう。基本的に査読を受けた研究を採用していけば、ウィキペディアの信頼性が高まると思います。是非ご提案を進めて欲しいと思います。独頭会話2022年1月21日 (金) 13:21 (UTC)

3つ目として「ガイドラインはベストプラクティス(最善策)を示すもの」という理念を反映させる形ですと、以下の案を考えましたが、いかがでしょうか。

  1. 歴史についてのウィキペディア記事では、学術的な出版物が最善の出典です。
  2. 前者が入手できない場合は、商業的もしくは一般的な出版物で、通常は学術出版を行っている歴史家が執筆・監修・高評価を与えたものがそれに次ぎます。

「最善」の語の代わりに、「最も重視される」「最も中心となる」などと記載してもいいかもしれません。上位の方針Wikipedia:独自研究は載せない#信頼できる資料のほうでは「一般的に、最も信頼できる資料は、査読制度のある定期刊行物、大学の出版部によって出版されている書籍や学術誌、主流の新聞、著名な出版社によって出版されている雑誌や学術誌です。」とあるので、「最も信頼できる資料」もよいかと思います。--Yuasan会話2022年1月22日 (土) 02:48 (UTC)

この番号はランクを付けたものということでよいでしょうか?
2番について、「前者が入手できない場合は、」という条件つけることは反対です。入手できるか出来ないかは、究極を言ってしまえば経済的事情でしかないわけで、
「ランク1は神田古本街で入手可能である。ランク1以下の出典は、そもそも条件を満たしていないで記事は除去する。」ということになりませんか?--ひできち東京会話2022年1月22日 (土) 03:29 (UTC)
はい、ランクになります。「入手可能」というのは、検証可能性における「アクセス可能である 」という意味で、WP:PAYWALL「この検証可能性の原則は文献へのアクセスが容易でなければならないことを意味するものではありません」とされています。医師免許試験となっている教科書ですと3万円ぐらいになりますし(ISBN 978-4895928731)。--Yuasan会話2022年1月22日 (土) 04:03 (UTC)
その原則にしたがえば、入手できるできないには原則には関係ないことになりますから、「前者が入手できない場合は」の条件付けは、そもそも不要でしょう。
あと、私の指摘が理解されていないような気もするので補足しておくと、2番のランクの出典を使ってよいのかどうか?が、その条件付けによって、1番のランクの出典が入手できない場合に限定されてしまっているのが問題だということを指摘しております。--ひできち東京会話2022年1月22日 (土) 04:18 (UTC)
「1)の文献の存在を知りながら、敢えて2)の文献を使うケース」というのは、「アクセシビリティが悪い」以外ですと、どのような場面を想定しておりますでしょうか。--Yuasan会話2022年1月22日 (土) 04:30 (UTC)
その仮定をもうけた質問を、私に投げかける意図が理解できません。なにを期待しているですか?提案者には主体的に、はっきりとした意見をしていただきたいです。意図がわかりませんので、回答は控えます。--ひできち東京会話2022年1月22日 (土) 07:39 (UTC)
(ひできち東京さんへ)ひできち東京さんの物言いは、Yuasanに対して失礼ではないでしょうか。WP:CIVにご留意いただき、「記事の発展やWikipediaの運営に寄与する」ような建設的な議論をなさってほしいと思います。--伊佐坂安物会話/履歴2022年1月22日 (土) 09:59 (UTC)
提案者様、こちらの質問にも、ご回答をいただいておりません。提案者様自身が議論の流れを放置するのはおやめください。発言を撤回するならばはっきりと示してください。--ひできち東京会話2022年1月22日 (土) 13:25 (UTC)
1)の文献が存在する場合、2)は「最も重視される」「最も中心となる」とはみなされないのではと考えます。「入手可能」のところを「購入可能」と解釈されるのであれば、そこは変えたほうがいいかもしれません。--Yuasan会話2022年1月22日 (土) 14:07 (UTC)
提案者様は、別の議論の流れの方では「前者が入手できない場合は」は、なくても構わないとは思います」と発言されておりますが、こちらでは依然として、条件付けが必要ということですか?矛盾していませんか?--ひできち東京会話2022年1月22日 (土) 14:26 (UTC)
こちらの質問の意図は、そのような話になります。懸念点が「経済的事情が気になる」という事でしたら、そのような案もなりえます。--Yuasan会話2022年1月22日 (土) 14:37 (UTC)
複数の発言の内容が矛盾していませんか?と指摘しているのですが・・・整合性が取れるように補足なり、間違いながら撤回なり、はっきりとしていただけますか?
「前者が入手できない場合は」は、なくても構わないとは思います」2022年1月22日 (土) 13:51 (UTC)
「入手可能」のところを「購入可能」と解釈されるのであれば、そこは変えたほうがいいかもしれません 2022年1月22日 (土) 14:07 (UTC)--ひできち東京会話2022年1月22日 (土) 14:46 (UTC)
「購入可能と解釈されないように」という案であれば、合意可能ですか?という提案をしております。「なくても構わないとは思います、しかしながら、1)の文献の存在を知りながら、敢えて2)の文献を使う」のはベストプラクティスではないので、GAは取れないでしょうと。--Yuasan会話2022年1月22日 (土) 14:50 (UTC)
いいえ。どのような形に変更されたとしても、ランク付けの定義の部分に、出典の内容と関係のない要素(入手可能、購入可能、アクセス可能など)を条件に加えることには反対です。その根拠は、既に何度も説明しておりますし、他の方のコメントでも同様の意見が出されていると認識しております。以下、もう一度繰り返しますので、ご理解お願いいたします。
「入手できない場合」「存在しない場合」どちらも同じです。意味が完全に変わってしまいます。
ランクに対して、出典の内容と関係のない要素を条件に加えることは、出典内容にランク順位を付ける以上の評価になります。
ランク2について「存在しない場合」の条件をつけてしまうと、
ランク1が存在していれば、条件を満たさないため、ランク2ですらない、出典として認められないということになります。
それはもはや、ランク順位付けではなく、ただのランク1限定指定です。 2022年1月22日 (土) 07:55 (UTC)--ひできち東京会話2022年1月22日 (土) 15:12 (UTC)
「1)の文献の存在を知りながら、敢えて2)の文献を使う」のはベストプラクティスではない、という部分には反対されていないようです。つまり「出典として認められない」というケースを回避できさえすればよい、というお話と取ってよろしいでしょうか。--Yuasan会話2022年1月23日 (日) 03:01 (UTC)
  • 強く賛成 私も強く賛成します。これまで、信頼できる百科事典を作成するのが目的であるはずなのに、自分の主張を記載するために中立的な観点を無視し、信頼性の劣る出典を悪用して掲載しようとするケースに度々遭遇してきました。その対応の際に英語版の内容を調べてこれらの記述を確認し、これが日本語版に定着してくれればと切望していました。また「前者が入手できない場合……」の内容では、国会図書館に寄贈されていない絶版の書籍や、題材によっては最善とされるものがそもそも出版されていない状況に対応するフォローもなされており、必要な表現だと思われます。--Sikemoku会話2022年1月22日 (土) 03:54 (UTC)
  • コメント 理念としては正しいと思いますが、実践の面ではいろいろあるでしょうね。
    • 「前者が入手できない場合は」は不要では。入手できるかどうかは、その人次第でしょう。そもそも存在しないのかとか、あるいは存在するけど外国語文献しかないとか。今はアマゾンとかで外国語文献も1週間もしないで入手できたりしますし。入手できるできないに関わらず、「最良」「次善」は変わらないと思います。
    • 「○○するな」的なことを述べる一方で、どうすれば適切な情報源にアクセスできるかを具体的に示すと生産的だなとも思います。あまりにもガチに寄せすぎて、執筆する人がいなくなってしまうのもどうかなーとも思います。「学術的な文献」によって書かれていない場合に「要改善」とかなんかのタグを表示するとか、落とし所を用意するとかね。
    • 記事の文脈との兼ね合いもあるでしょう。学術的には未評価だったり否定されていても、通俗的に人口に膾炙した有名な話、みたいなものには、それなりの情報源でも可でしょう。要は書き方次第(帰属化など)です。断定的な事実・広く認められた通説のように書くのか、ある人の考え(解釈・一説)として書くのか、誤伝や俗伝として書くのか、文脈によるでしょう。「古典的で有名な学説」と「最新の(古典的通説を覆すような)有名でない学説」の取り扱いも慎重にすべきです。
    • あとは現実問題として「歴史」とは何かってところもあって、極論すれば今日の出来事だって歴史といえば歴史なので、過度に原理主義に走り過ぎなければ。--柒月例祭会話2022年1月22日 (土) 04:39 (UTC)
「入手できない場合」は「存在しない場合」でもいいかもしれません。ただ、地方の小さな集落の歴史ですと、研究家がそもそもいなかったりと、1)も2)も確保できないことがあるかなとは思います。その場合でも、検証可能な情報のみで記事を作ることは可能ですが、GAは取れないでしょう。「もともとの権威・信頼性が無いのにあるふりをしない」ことも、大事なのかなと思います。--Yuasan会話2022年1月22日 (土) 06:10 (UTC)
「入手できない場合」「存在しない場合」どちらも同じです。意味が完全に変わってしまいます。
ランクに対して、出典の内容と関係のない要素を条件に加えることは、出典内容にランク順位を付ける以上の評価になります。
ランク2について「存在しない場合」の条件をつけてしまうと、
ランク1が存在していれば、条件を満たさないため、ランク2ですらない、出典として認められないということになります。
それはもはや、ランク順位付けではなく、ただのランク1限定指定です。--ひできち東京会話2022年1月22日 (土) 07:55 (UTC)
ランク1の十分に信頼できる情報源があれば、信頼性の劣るランク2の資料を利用しなくて何も不都合ないと思うのですが(これは方針のWP:Vにも述べられていることと思いますが)、ランク2の資料が「出典として認められない」ことがひできち東京さんにとってなにか不都合があるということでしょうか?--伊佐坂安物会話/履歴2022年1月22日 (土) 09:59 (UTC)
まず、ランクについての提案者の発言をご確認ください。
「信頼できる文献の間でもランク付けがある」という認識についてはよろしいでしょうか?
として議論を始めていますので、ここで対象としている出典は、すべて、信頼できる文献であることが大前提です。
よって、たとえガイドラインが最善を示しているとしても、次善のランクの文献を使っても問題なく
信頼できる文献であれば、どのランクであろうが、それは編集者が選択した結果として善意に受け取るべきことであるはずです。
提案者が提案していることが「文献のランク付け」についてという大前提で私は提案に応じていますので、
文献内容以外の点について条件付けを前提としてきているところには、指摘を加えるのは当然と考えています。
条件つけによって、実質的な意味が、出典をランク付けするという主旨からかけはなれてしまって
ランク1限定になってしまっていることを指摘しています。
そのような議論の進行をされては、参加している側としては、費やしている時間が無駄になってしまいますので。
決して、私にとってというような個人的な立場からの意見ではありません。--ひできち東京会話2022年1月22日 (土) 10:19 (UTC)
[WP:V]を提示されましたので、改めて、内容確認しましたが「とくに歴史・医学・科学分野のときは、学術的で査読を経た出版物が存在する場合、それが最も信頼できる情報源です。しかしこれらの分野でも、それだけが信頼できる情報源ではありません。学術的でない情報源であっても、それが特に主流の権威的出版物だと信頼されている場合は使用することができます。」とありますので、ガイドラインが提示する最善のランク1と次善のランクも信頼できる情報源であるなら、どちらも出典として利用してよいことになります。
[WP:V]はウィキペディア記事の内容の「方針(ルール)」であり、その位置づけは、「ガイドラインが方針と衝突する場合には、通常は方針を優先します。」ということですので、ご認識ください。--ひできち東京会話2022年1月22日 (土) 11:20 (UTC)
そこは「出典として認められない」のではなく、「ランクボーナスが加点されない」というお話ではないですか。1)や2)に該当しなくても出典として利用してよいのですが、しかしWP:Vの通り「最も信頼できる」という加点は得られないと思います。GA推薦プロセスでも「1)の文献を使用すべきでは」という声が挙がると思うのです。--Yuasan会話2022年1月22日 (土) 11:49 (UTC)
[WP:P]のどこに、加点、ボーナスといった話の説明があるのでしょうか? [WP:P]に表れない概念を組み合わせて議論されているのでしょうか?ウィキペディアンとして、基本的なルールを順守することをモットーとしておりますので、ルールの個人的な解釈にお付き合いすることはできません。--ひできち東京会話2022年1月22日 (土) 12:15 (UTC)
ご指摘の、WP:Vの「とくに歴史・医学・科学分野のときは・・」を厳密にこちらのガイドラインに反映させるならば、ある程度「強いキーワード」を使うのが素直な形になるのかとも思います。それは望まれていないようなので、このような形で満足できないかなと思います。--Yuasan会話2022年1月22日 (土) 12:22 (UTC)
[WP:P]に絡めて、加点、ボーナスといった追加の話の説明がありましたので、その根本的な意味について質問しております。提案者様は議長的な立ち位置で主体的に1つずつ議論をまとめながら、進行させていただきたいです。質問に回答いただけないのですか?--ひできち東京会話2022年1月22日 (土) 12:37 (UTC)
加点されない、ボーナスがつかないというのは「記事の信頼性向上にあまり寄与しない(検証可能ではある)」、ひいてはGAにならない、という点を意味です。ご主張の中心は「多様な歴史観をもつ」という部分だと思うのですが、一方でWP:Vでは「医学・科学分野と同じ手法を使って、歴史を扱う」ことを方針としているので、ここが矛盾した記載となることは回避したいです。WP:Vでは「記事には、信頼できる情報源が公表・出版している内容だけを書くべきです」という、強いキーワードを使っていることはご留意ください。ガイドラインなので、その代わりに「最善です」にはなりえると思います。--Yuasan会話
この流れの議論では提案者様が提示した「信頼できる文献の間でもランク付けがある」が前提です。突然、私の発言の1つである「多様な歴史観をもつ」を持ち出されても、意味が通りません。私の主張は、限定的になってしまう、強いキーワードをつかってほしくないということを、何度かはっきりとお伝えしております。ランク付けに、条件付けをした場合も、強いキーワードを使用しなくても、単なるランクの提示ではなくなってしまって、ランクを限定することになっていることを問題として指摘しております。強いキーワードを用いることと同様に、条件付けすることは、ランク2の出典を無効とする解釈につながるということをご認識ください。--ひできち東京会話2022年1月22日 (土) 13:48 (UTC)
その場合はより全般的な指示となる、Wikipedia:独自研究は載せない#信頼できる資料「常識的な判断として、事実の確認、法的問題の確認、文章の推敲などに多くの人が関わっていればいるほど、公表された内容は信頼できます。」を引用することになるかと思います。ランク3となるのでしょうけれど。--Yuasan会話2022年1月22日 (土) 14:25 (UTC)
Wikipedia:独自研究は載せないは、方針(ルール)です。方針はガイドラインより優先されますんもで、ランク3という、それよりも優先される事項が2つもあるような位置づけとするガイドラインを追加することは、運用に混乱をきた可能性が想定されるので、反対です--ひできち東京会話2022年1月22日 (土) 15:08 (UTC)
これはより全般的な指示ですから、ランク3についての追記は考えておりません。今回の提案は「現状を要約すること」ですので、要約なし現状ママとすることとしても、「Wikipedia:信頼できる情報源#歴史で言及されない資料の扱いはどうなのか」という話は必ず起こります。その場合は、方針を使って解決することになるでしょう。懸念点の中心は「1)にも2)にも該当しないケースの扱い」なのでしょうが、それはランク3になるという認識についてはよろしいでしょうか。--Yuasan会話2022年1月23日 (日) 02:52 (UTC)
そもそも、提案者様は、「現状を要約」だと、要約の内容を限定して提案されたとは認識していおりません。提案内容の変更されるならば、この議論は取り下げ、終了してください。--ひできち東京会話2022年1月23日 (日) 02:59 (UTC)
「トピックの要約文を加筆する提案」としてコメント依頼を提出しております。ひできち東京さんとは「要約を設けることには別に反対ではありません」で合意したと認識して、これまでの議論を進めてきました。--Yuasan会話2022年1月23日 (日) 03:08 (UTC)
提案者様が新たに持ち出した「現状の要約」の意味をはっきりさせてください。、現状のガイドラインの意味は維持したまま要約という意味に解釈するのが常識的とおもわれますが、そうではないのですか?
そもそも、要約とはあくまで現状のガイドラインの文章の意味、定義と完全に対応する、簡潔な文章のことであるはずです。ですが、実際には、提案者様は、ノートでは、タイトルは「歴史セクションについて」とだけ記しており、これが「要約」についての議論の提案であるという説明は合理性がありません。ノートの中での提案でも、「前者の「一言でいうならば…」の一文を組み込みたいと」とだけ提案し、現状のガイドラインの意味は維持したまま要約するという内容に符号する部分はない認識です。その認識でこれまで議論に途中から参加しています。実際のノート上の議論内容が、既に、現状のガイドラインの意味は維持したまま要約とはかけ離れているので、「現状の要約」という言葉を使われている意味が理解できません。どのような意味でそれを使っているのでしょうか?--ひできち東京会話2022年1月23日 (日) 03:34 (UTC)
現状ガイドラインでは、「#歴史に該当しない場合はどうなるのか(ランク3)」については踏み込んで記載していないので、その要約においても記載するつもりはないというお話です。現状で起こっている点について、踏み込んで賛否は示しません。--Yuasan会話2022年1月23日 (日) 04:20 (UTC)
これまでの議論で、歴史に該当しない場合 という点についての議論は一度も登場していない認識です。提案者様がこれまでに使用されているランク3の意味は、一貫して、歴史に該当しない場合ということなのでしょうか?提案者様がランク3を使用されたのは、「、Wikipedia:独自研究は載せない#信頼できる資料「常識的な判断として、事実の確認、法的問題の確認、文章の推敲などに多くの人が関わっていればいるほど、公表された内容は信頼できます。」を引用することになるかと思います。ランク3となるのでしょうけれど 2022年1月22日 (土) 14:25 (UTC)
」だと認識しております。これが、歴史に該当しない場合 であるとは全く考えてもいないことです。ランク3の定義を明確にしてください。提案者様が想定している提案内容が現状そのようになっているのか?提案内容が非常に分かりにくなっております。一度、私を含め他の参加様の意見を組み入れた上で、提案内容を整理していただけないでしょうか?--ひできち東京会話2022年1月23日 (日) 04:52 (UTC)
  • コメント 「信頼性はスペクトルのように幅があ」る(Wikipedia:信頼できる情報源#信頼性の評価)とあるように、現実には「この出典はランク1、あの出典はランク2」のようにイージーにランク分けすることは不可能でしょう。どちらかといえば相対的な問題でしょう。
  • 個別の場面では「そっちの情報源はランク2だ」「いや、そっちこそランク2だ」みたいな争いにシフトするだけ、という感じもします。
  • 「ランク1の出典がついている記事にランク8の出典は不要」みたいなレベルでは話になると思いますけど。
  • 考え方の方向性としては賛同できるのですが、「これはランク1じゃない」といって既存の記事から情報を除去しまくるだけの記事破壊行為の方便にもなりそうな予感もしますよね。だからこの文章になにか無制限の排他性を与えるような感じにはしてほしくないですね。そもそも英語の原文の「should」の受け取り方によるんじゃないでしょうか。「○○がベターである/望ましい」ぐらいのニュアンスに留めておくのが無難ではないかと。極論に走ると、既存の・20年近くかけて積み重ねてきた多くの成果の大半を失う結果になりかねない。そういう犠牲を払ってリセットしてでも、厳格な記事づくりにシフトすべきだ、という話ならば、そうですか、という感じですけど。--柒月例祭会話2022年1月22日 (土) 13:13 (UTC)
記事の除去を目的とするならば、Wikipedia:検証可能性#方針Wikipedia:検証可能性#何を信頼できる情報源とするかだけで十分達成できるので(WP:Vでの「特に主流の権威的出版物」という基準も、争点となりえるでしょう)、こちらではあくまでも目安になるかと感じます。「前者が入手できない場合は」は、なくても構わないとは思いますが、もし前者が存在する場合、GA推薦プロセスで指摘事項にはなってくると思います。--Yuasan会話2022年1月22日 (土) 13:51 (UTC)
  •  追記 私は「理系」分野はわからないのでノーコメントなのですが、「文系」分野では、「その文献/論文が学術出版である」かどうかよりは、「その文献/論文が、他の文献/論文から引用・参照されている」ことによって、「その文献/論文」の価値が変動すると理解しています。「学術論文だけど見向きもされていない」ものと、「市販の文献だけど多数参照されている」ものとを較べれば、後者のほうが広く支持されているとみなすべきでしょう。反面、この理屈だと、古い情報ほど多く参照され、最新の情報はほとんど参照実績がない、ということにもなります。そこに難しさ・悩ましさがあり、イージーに即断できないところがあると思います。
  • たとえばYuasanさんは、ノート:楼蘭で、ある文献の記述の価値・信頼性・採否について利用者:TENさんと意見が分かれています。この一件からも、実際には「この情報源はランク1だ」「いや違う」というところに論点がシフトするだけだという感じはします。--柒月例祭会話2022年1月22日 (土) 13:45 (UTC)
実際のところその通りで、世間において学術研究の多い分野ほど、GAを取りやすいのだと思います。書いた記事が記事がGAを取れるかどうかは、調査する以前の、「どの記事を選ぶか」という所に大きく左右されるのが現実なのでしょう。--Yuasan会話2022年1月22日 (土) 14:37 (UTC)

残された論点を整理いたします。

  • a) 「入手できない場合は」という部分を、購入可能であると取られ、たとえば金銭的な基準とならないか
  • b) これらにマッチしない出典について「出典として認められない」として、削除とはならないか

a) は、経済的なものと取られないような表現が必要でしょう。非売品として配布される書籍もあるかと思います。

b)については、現状ガイドラインのままでもWikipedia:信頼できる情報源#歴史にマッチしない出典をどうするか、という話が残っています。現実として、「地方の小さな集落の歴史で、研究家がそもそもいない」というケースもあると思います。これらにマッチしない文献で記事を書かざる得ない場合もあるでしょう。その場合は「分野ごとのアドバイス」ではなく、さらに上位の文章、たとえばWikipedia:独自研究は載せない#信頼できる資料「常識的な判断として、事実の確認、法的問題の確認、文章の推敲などに多くの人が関わっていればいるほど、公表された内容は信頼できます。」などを使用することになるかと思います。歴史ジャンルに限らず、大多数の編集者は「常識的な判断」を使っていると思います。--Yuasan会話2022年1月23日 (日) 06:04 (UTC)

全体を整理してください。提案者様が論点となっていないと認識している部分について明確にしてください。--ひできち東京会話2022年1月23日 (日) 06:35 (UTC)
整理したという論点についてもかなり疑問を感じる内容なので、全体を整理してくださいとお願いいたしましたが、先にa) について指摘しておきます。
「~できない場合は」というは不要だとする意見を無視しないでください。--ひできち東京会話2022年1月23日 (日) 10:38 (UTC)
残された論点がありましたら挙げてください。それが不要だとする理由は「出典として認められないことになってしまう」であると確認しましたが、そこはb)で対応しています。その他の理由がありましたでしょうか。--Yuasan会話2022年1月23日 (日) 11:38 (UTC)
わかりにくくなっているため、全体を整理してくださいとお願いしましたが、言葉を省略せずに記述していただけますか? 例えば
b)は、削除とならないか?ではなく、記事の除去とならないか?が適切です。
また、提案者様は繰り返しGAが取れない GAにならない を主張していましたが、それを今回の整理した内容に含めていないのは、つまり議論の要素とすることを取り下げたという理解でよいのですか?--ひできち東京会話2022年1月23日 (日) 13:05 (UTC)
なお、提案者様の認識する論点ということでa)b)整理いただきましたが、それらについては繰り返し指摘していますが、a) もb) もその懸念があり、悪意に解釈される恐れがあるため、「入手できない場合は」は不要だと、繰り返し、意見しております。--ひできち東京会話2022年1月23日 (日) 13:11 (UTC)
GA関係については本筋ではないので考慮から外していただいて構いません。論点は「記事の除去」です。「懸念があるために反対」という話は理解しています。しかし繰り返し述べたように、現状ガイドラインのままでもWikipedia:信頼できる情報源#歴史にマッチしない出典をどうするか、これによって記事の除去がなされないかという懸念、すなわち「悪意に解釈される恐れ」があります。それは、さらに上位の文章で判断を仰ぐことになるかと思います。そうなっている今のガイドラインについて、今回の提案では、何か付け加えるつもりも引くつもりもありません。これは足しても引いても、大きな議論へと拡大するでしょうから。
なお、「1)の文献の存在を知りながら、敢えて2)の文献を使うのはベストプラクティスではない」という論に反対する方は皆無でしたので、この点は合意形成とみなしてよろしいでしょうか。 --Yuasan会話2022年1月23日 (日) 13:40 (UTC)
いいえ。「記事の除去」の提案者様の説明には同意できません。現状ガイドライン(Wikipedia:信頼できる情報源#歴史)ではNG判定となる文献の例を指定してはいますが、最善、次善のような例を示してはいませんので、悪意に解釈される懸念はなさそうな内容であり、実際、Wikipedia:信頼できる情報源#歴史を理由にして出典付き記事を除去する編集行為は、私は遭遇したことはありません。
繰り返しになりますが、強いキーワードを使って最善、次善を提示することで、最善がルールであるかのような解釈ができてしまう状況が、新たに作り出されることを懸念しています。強いキーワードの他、次善ランクが条件付き適用となるような内容には、反対です。--ひできち東京会話2022年1月23日 (日) 14:36 (UTC)
いいえ、提案者者の「記事の除去」についての理解内容の説明には同意できません。
現在のガイドラインの信頼できる情報源#歴史には、最善次善ランクの提示はなく、例示における排他性もないため、悪用される懸念はありません。
Wikipedia:信頼できる情報源#歴史を根拠として出典付き記事の除去という編集行為は、私は見たことがありません。
現状ガイドラインには懸念はないが、今回の提案の中に、強いキーワード」や「条件付きランクの提示」が採用されることによって、
最善ではなく次善の出典が提示されている記事がルール(方針)に違反しているかのような解釈をされる懸念が生じることが問題だと指摘しています--ひできち東京会話2022年1月23日 (日) 15:15 (UTC)

たとえば「入手できない場合は」といった表現を回避した文章とするならば、以下の記載などはいかがでしょうか。--Yuasan会話2022年1月23日 (日) 14:08 (UTC)

3の「対抗できません」とは具体的に、記事の編集行為における、「何を否定」しているのですか?提案者様は、新たな言葉を持ち出す場合には、丁寧に説明いただくようお願いいたします。なお特に意味がないならば、そのような要約は不要です。削除してください。--ひできち東京会話2022年1月23日 (日) 20:32 (UTC)
今回3の文章を「入手できない場合は」といった表現の代替え(回避)として追加されたわけですが、
繰り返し「入手できない場合は」のような条件付けは不要だと意見しております。その根拠も何度も提示しております。
提案者様が「入手できない場合は」が必要と考えている理由について説明いただきましたが、それについては、現状ガイドライン内容の認識不足、および提案内容を追加することによる影響の考慮不足ではないか?という問題提起をさせていただいております。さらに他の参加者様からのコメントもあります。
これらの意見を組みこんでいただき、その上で、提案者様が、「入手できない場合は」のような条件付けが必要と考える理由を説明いただけますか?撤回するのであればはっきりとその旨明示ください。--ひできち東京会話2022年1月24日 (月) 02:23 (UTC)
なるほど、現状を「強いキーワードさえなければ、悪用される懸念はありません」とみなしているのですね。ただ、対抗しない限り削除とならないのですから、対抗されるようなケースが思いつかないです。「最善の出典がありながら、次善の出典を使う」ことはベストではない、という部分に反論はないため、ここを書き下すと「第一項の出典が利用可能な際に、敢えて第二項の出典を用いることはベストプラクティスではありません。」となりますが、それでいかがでしょうか。それを記載しなくても他の文章で担保されている、という話であるのならば、それは撤去でよいと思います。--Yuasan会話2022年1月24日 (月) 03:47 (UTC)
再考いただきまして感謝いたします。出典ランク付け定義から、出典内容以外の条件がなくなり、強いキーワードも使用されていないので、反対するところはございません。敢えて言うならば、提案者様が感じられているように、「それを記載しなくても・・・」という印象は確かにありますが、こちらの提案に賛成されている方々は恐らく「最善の出典を希望」の意見であろうと感じるところもありますので、「撤去」が必要であるとは申しません。冗長であるかどうかについては他の参加者様の意見を拝見させていただいてから、判断させていただく程度の立場です。--ひできち東京会話2022年1月24日 (月) 11:33 (UTC)
  1. 歴史についてのウィキペディア記事では、学術的な出版物が最善の出典です。
  2. 商業的もしくは一般的な出版物で、通常は学術出版を行っている歴史家が執筆・監修・高評価を与えたものがそれに次ぎます。
  3. 第二項の出典は、第一項の出典に対して対抗できません。
コメント 3つめを含めるのであれば明確に反対します。
抽象的な議論としてはわかるのですが、じゃあ具体的にどの文献が「学術的な出版物」で、どの文献が「商業的もしくは一般的な出版物」なのでしょう。少なくとも1円でも対価をとれば「商業的」な性格を帯びます。「通常は学術出版を行っている歴史家」とはどうやって判定するのでしょう。「高評価」は?「学術的な出版物」とは、どこかの教育機関が出したPDFは該当するのでしょうか。近代東洋史の専門家が古代西洋についてちょっと語ったものは?江戸時代の寺子屋で配られた文書は令和に刊行された叢書に優越するのですか?
前にも述べたように、現実の情報源には「スペクトルのような」連続性があり、機械的に区別できるものではありません。また、1冊の「学術的な出版物」の中にも、信頼性の高い論述とそうでない論述が混在しているでしょう。他も同様です。理念として、学術的な情報源がベターであるのは確かですが、画一的・排他的な優越性を有するとするのはやりすぎ・非現実的です。
意図的かどうか判りませんが、スルーされてしまったのでもう一度。Yuasanさんはノート:楼蘭#シルクロード検定の公式テキストについてで、『読む事典シルクロードの世界』(NHK出版)が、「専門家が雄山閣や中央公論新社から出した書籍」(TENさん)に優越するものだ、との主張を展開しているように見えます。本件を実施するならば、NHK出版の『読む事典シルクロードの世界』は真っ先に排除されることになると私は思いますが、それでよいのですか??
「信頼できる情報源」は記事執筆に関する重要な文書であり、他の重要な指針との兼ね合いもあります。前にも書いたとおり、実際の記事の書き方次第のところもあり、帰属化する、事実と評価を適切に区別する、というところに気を配りながら情報源を利用すればよいでしょう。--柒月例祭会話2022年1月23日 (日) 18:21 (UTC)
「画一的・排他的」と解釈されないようにという点であれば、「ベストプラクティスではない」という表記ではいかがですか。楼蘭の議論は雄山閣に対抗する意図は当方にありません。en:Wikipedia:Fringe_theoriesに当たってしまったのかなと考えています。--Yuasan会話2022年1月24日 (月) 03:47 (UTC)

その他からの指摘がありませんでしたので、それでは以下の案にてコメントを募集しようと思います。--Yuasan会話2022年1月27日 (木) 14:21 (UTC)

  1. 歴史についてのウィキペディア記事では、学術的な出版物が最善の出典です。
  2. 商業的もしくは一般的な出版物で、通常は学術出版を行っている歴史家が執筆・監修・高評価を与えたものがそれに次ぎます。
  3. 第一項の出典が利用可能な際に、敢えて第二項の出典を用いることはベストプラクティスではありません。
3番ですが、これ自体には賛成の立場ですが、私の感覚では具体的にどのような編集行為を規定しているのか?明確に提示したほうがいいのではないかと思います。
1番2番は利用可能な出典のランクだけを提示したものであり、編集行為としては「どちらの出典を使っても問題はなく、どちらも出典として奨励する」、という意味であると考えるのが常識的かと思いますが、3番の提示は、編集行為の何を奨励(ガイドライン)しているのか?ということが明確ではないと思います。
私の解釈では、3番は「出典として提示した部分の内容が1番2番どちらも同じ内容であることが検証できた場合は、出典2番は出典1番で置き換えることを奨励する」、ということかと思います。このような具体的に奨励する編集行為内容を提示するほうが、要約としてより参考にできる内容になるのではないかと思います。いかがでしょうか?
なお、あくまで私の解釈を1つの事例として挙げただけですので、提示する編集行為は別途検討いただければと思います。--ひできち東京会話2022年1月28日 (金) 04:01 (UTC)
第3項はひできち東京さんの主張が発端となり盛り込んだものなので、「置き換えることを奨励する」と解釈してあなたが反対しないということであれば、私もその解釈を行うことに反対しません。他の方はいかがでしょうか。--Yuasan会話2022年1月28日 (金) 04:22 (UTC)
  • 反対 余計な内容を盛り込みすぎで安易な排他性を伴っているため。提案者は他所での論争のために本提案を行っているのでは?
  • 「Briefly: published scholarly sources from academic presses should be used.」の和訳を追加するだけならば反対しません。ただし、意図的かどうかわかりませんが、提案者はshouldの和訳を使い分けしています。「必要があります」対「すべきです」。この2種の訳のもつ強制度・排他性・優先度には、日本語のニュアンスとして差異があるでしょう。Wikipedia:信頼できる情報源en:Wikipedia:Reliable sources)の冒頭部では「Wikipedia articles should be based on reliable, published sources」を「ウィキペディアの記事の出典には、信頼できる公刊された情報源を使用するべきです。」と和訳しており、これと同様に「べき」として訳出するのがよいでしょう。(日本語のニュアンスとして「べき」は、「必要があります」「ねばならない」よりは排他性が低いと私は感じます。)
  • 依頼者が用いようとしているen:Wikipedia:Identifying reliable sources (history)は私論どまりの文書です。問題点は既に指摘しましたとおりですが、要は極論に走りすぎであると同時に、抽象的すぎて非現実的です。要は「適切な情報源が望ましい」ということなのですが、その適切さを単純な外形で断定しようとして失敗している感じ。--柒月例祭会話2022年1月28日 (金) 05:50 (UTC)
当初の提案は第一項しかありませんでした。「必要があります」か「すべきです」という部分には当方のこだわりはありませんので、他の方の反対が無いのであれば、第一項のみとする案でもよいです。--Yuasan会話2022年1月28日 (金) 12:38 (UTC)

現時点では第二項について合意が難しいようですので、当初あった第一項のみの提案に切り替えたいと思います。

一言でいうならば、学術出版社から出版された学術的な情報源を使用すべきです。

こちらは方針文章「とくに歴史・医学・科学分野のときは…」が直接の根拠になっています。--Yuasan会話2022年1月31日 (月) 13:28 (UTC)

反対 現状のガイドラインの文章に追加する要約として、一文、一言でいう的な文章は不適切。
Wikipedia:信頼できる情報源#自然科学、数学と医学のスタイルは、段落ごとにタイトル的な1文を段落先頭に配置しているだけあって、タイトル≠要約でしょう。現状の「歴史」ガイドラインの文章には6つの段落がありますが、タイトル的な1文を、「自然科学、数学と医学」と同様のスタイルで追加するならば、現状の「歴史」ガイドラインの文章に沿った形での改善提案となると受け取れますが、提案者様の最終?提案は、たった1文で要約するということでありますから、これはさすがに無理がありすぎるでしょう。
単純な話、「歴史」ガイドラインの文章は一言で纏めらないでしょう?、ということです。
また、提案者様が根拠として提示した、方針も一言で完結した内容ではありません。方針の一部分のみを切り取って、それをガイドラインで「要約」として新しく追加するということは、方針全体が意味していることとは違う印象を与えることになってしまいますし、
実際、「歴史」ガイドラインの文章を要約しているとは言えません。要約ではない文章を冒頭に追加することは、文章全体としての一貫性が失われてしまうことになります。
提案者様は、今回、英語版の私論から切り取ってガイドラインに追加するなどといった、大胆とも思える提案をされておりますが、
私論とガイドラインでは、当然、チェックされる頻度もレベルが違うでしょう、同列に扱うことには疑問を感じます。また、提案内容が、日本語文章としての品質を確保しているかについて考慮されていますでしょうか?要約を追加することに固執するあまり、Wikipedia:信頼できる情報源#歴史の文章全体としての一貫性が疎かになっていないでしょうか?さらに言えば、すべての方針とWikipedia:信頼できる情報源の節1~5がまず前提にあって、その上での分野ごとのアドバイスとして、Wikipedia:信頼できる情報源#歴史が提示されているという大前提があって、そこへ整合性が取れる形で、要約は追加されなければなりません。それが、一言で言い切れる内容であるのか?ということです。
また、提案者様は、提案内容に(私を含めた)参加者の一部から異議が出たら、都度、そこだけを取り下げれば、議論は継続できると考えておられるようですが、当初の提案内容から大きく形が変更してしまっております。今回の提案は、実質的には、要約ではなく、要約的な文章を冒頭に追加、という非常に大きな変更の提案ですので、当然、提案内容全体として議論するべきものであると考えています。
今回の提案内容の変更は、そもそも、議論のやり直しが必要となるレベルではないかと思います。
さらにもう一言、Briefly を「一言で言えば」と訳しておられますが、「簡単に言えば」のほうが正しいニュアンスと思います。両者の日本語の意味合いには違いがありますし、繰り返しになりますが、そもそも、「歴史」ガイドラインの文章は一言で言える内容ではないはずです。--ひできち東京会話2022年1月31日 (月) 21:35 (UTC)
現状のWikipedia:信頼できる情報源#歴史も、私論から切り取られたものです。当初の主張は「結論を先に述べる」でありますし、ひできち東京さんがこれまで「要約を設けることには別に反対ではありません」と主張していたため、議論を継続しております。「一言で言えば」か「簡単に言えば」という部分には、特に当方のこだわりがありませんので意見を反映して対応します。いま募集しているのは議論活性化のためのコメントであり、合意形成のためのコメントではないので、上の案も変化するものとして意見を募集しております。今となって「議論のやり直しが必要」と主張し始めるとなると、既に3票の賛成がある点を無効にしたいたがためではないかなと疑われかねないので、建設的な意見をお願いいたします。
なお、ひできち東京さんが「要約にとどまらず、セクション全体の見直しがしたい」というのであれば私はそれを否定しないですが、それは今回の提案とは異なる、私の器量を超える作業となりますので、新規にひできち東京さんが提案者となってトピックを建てて議論を主導してくださることを望みます。 --Yuasan会話2022年2月1日 (火) 03:20 (UTC)
先の返信内容の繰り返しになりますが、現状のガイドラインの文章に追加する要約として、一文だけしか提示しない内容は、要約、結論になっておらず不適切、全体文章との一貫性に欠けます。
方針Wikipedia:検証可能性#何を信頼できる情報源とするかの一部分のみを切り取って、それをガイドラインで「要約」として新しく追加するということは、方針全体が意味していることとは違う印象を与えることになってしまいます。
方針全体(といってもわずか4つの文章です)を要約するのであれば反対はしません。
これまで議論に参加していたのはそういう前提で参加していて、提案内容が大きく変化しており、明確に反対です。
提案者様は、既に3票の賛成があると主張されていますが、それら賛成コメントの表明の後に、他の参加者の意見によって提案内容が大きく変化しているため、それ以前に投じられた賛成票にこだわる姿勢は、途中の議論を無視しているように見えますので、冷静な姿勢をお願いいたします。
また、そもそも、まだ議論活性化の段階であるならば、賛成反対の票の数よりも、議論内容のほうを重視すべきですので、その意味でも、賛成票にこだわる姿勢は改善を求めます。--ひできち東京会話2022年2月1日 (火) 04:14 (UTC)
なお、追記されたコメント部分の「セクション全体の見直しがしたい」というのであれば、うんぬんのご提案について、そのような予定はありません。--ひできち東京会話2022年2月1日 (火) 04:21 (UTC)
現状でひできち東京さんしか反対が無い状況ですので、あなたの希望する要約案を作る予定はありますでしょうか。英語版から2案を作りましたが、それらに対していくつか賛成票をいただいており、またそれに代案を出さずに反対しているのはあなたのみになっています。英語版を叩き台としないのであれば、それを主張する人が代案を出すべきでしょう。建設的な意見をお願いいたします。--Yuasan会話2022年2月1日 (火) 09:58 (UTC)
要約すると、代案を出さないなら反対意見は無視するということでしょうか?
こちらは問題点を指摘しているわけですが、それを完全に無視している返信でしたので繰り返し問題点を指摘しております。
議論当初から提案者様は、意図的なのかわかりませんが、指摘点を無視する姿勢がたびたび見受けられますので、繰り返し指摘することは必要だろうと認識した上で参加しておりますが、ご本人様は自覚はありますでしょうか?
また提案者様の言う建設的とは、代案を出せということだと判明しましたが、そもそもコメントをする側にはそのような前提はありませんので、それ(建設的な意見)を繰り返し要求する提案者様には、困惑しかありません。
繰り返しますが私は代案を出すような予定はありませんが、提案内容には反対です。根拠は提示しています。--ひできち東京会話2022年2月1日 (火) 19:09 (UTC)
問題点が「方針全体が意味していることとは違う印象を与える」との主張でですので、ひできち東京さんにとって「方針全体が意味していること」は何かということを伺っています。あなたの頭の中にあります要約案は、あなたが言語化しなければ理解できず、他人がそれを読み取って文章化することは困難です。それは議論ではなく、一発あてゲームです。建設的な意見をお願いします--Yuasan会話2022年2月2日 (水) 11:19 (UTC)
Brieflyの訳について修正した案を提示します。--Yuasan会話2022年2月2日 (水) 11:29 (UTC)
簡単に言えば、学術出版社から出版された学術的な情報源を使用すべきです。
提案者様は、ご自身が 2022年1月31日 (月) 13:28 (UTC)のコメントで、「直接の根拠」として提示した、
方針文章「とくに歴史・医学・科学分野のときは…」の省略部分について、ご自身の都合のよい解釈をしているのではないでしょうか?
上記のように示された場合、当然、以下の全ての部分だと受け取るのが一般的です。
Wikipedia:検証可能性#何を信頼できる情報源とするかの中の、「とくに歴史・医学・科学分野のときは、学術的で査読を経た出版物が存在する場合、それが最も信頼できる情報源です。しかしこれらの分野でも、それだけが信頼できる情報源ではありません。学術的でない情報源であっても、それが特に主流の権威的出版物だと信頼されている場合は使用することができます。
それ以外でも、大学レベルの教科書・権威のある出版社からの書籍・雑誌・論文・主流の新聞などは、信頼できる情報源です。 電磁的な出版物でも、同等の基準を満たしていれば使用できます。」
提示の方針文章の提示について、省略しなければ、上記の全文になるはずです。これを1文で要約できるわけがありませんので、そのような要約案には問題があると繰り返し指摘しています。--ひできち東京会話2022年2月2日 (水) 11:52 (UTC)
なるほど、主張が急変したので困惑していましたが、つまるところ第一項に反対しているのではないけれど、加えて第二項なども必要となってくるというところが要点なのですね。結論を先に話していただけると分かりやすいです。--Yuasan会話2022年2月3日 (木) 11:46 (UTC)
いいえ。反対している理由は、最終提案?第一項に反対賛成ということとは次元の違う話です。
繰り返し説明しますが、提案者様は、最終?の提案の直接の根拠として、Wikipedia:方針文章「とくに歴史・医学・科学分野のときは…」を示しました。これはそれまでの提案者様が提示していた英語版私論とは全く違う文章ですので、つまり、提案内容も変更、根拠も変更したことになります。その前提で、提案者様の最終?提案内容を確認する必要があり、最終提案?第一項も問題があります。
方針文章は、「とくに歴史・医学・科学分野のときは、学術的で査読を経た出版物が存在する場合、それが最も信頼できる情報源です」となっていて、出版社を指定していません。提案者様の提案では、学術出版社から出版されたと指定している点に相違があり、要約ではなくなってしまっていることが問題です。
提案者様の根拠づけとして引き出した方針文章に対して、提案内容は要約になっていない、日本語として両者の整合性が取れてないものであり、そのような文章をガイドラインに採用してしまうのは、方針とガイドラインの一貫性が取れない内容になってしまうと、と繰り返し指摘しています。
なお、当初の賛成意見に未だに大きな優位性があると主張されているようですが、上記の通り、提案内容、根拠を変更する前の提案内容に対する賛成意見であり、最終?提案に対する賛成意見ではありません。--ひできち東京会話2022年2月3日 (木) 21:59 (UTC)
抽象的な話の繰り返しではなく、「方針とガイドラインの一貫性が取れない」という所の具体的な例が出てきました。ご指摘の通り、方針文章はたった数行しかないため、こちらを利用するとこれ以上の発展は難しいと思います。方針ではなく、当初通り英語版私論に基づいての「Briefly: published scholarly sources from academic presses should be used.」についてのコメントはいかがでしょうか。--Yuasan会話2022年2月4日 (金) 03:35 (UTC)
提案者様は英語版私論に基づいての提案を一度、取り下げております。それに対して、また議論することは、許容できません。それを許容してしまうと、同じやり方(取り下げ⇒復活)を今後も行って議論を永遠に続けることの口実になってしまいますので。意図的にしろそうでないにしろ、議論を延々と必要以上に引き延ばす行為は、wikipedia コミュニティを疲弊させる行為となる恐れがありますので、そういった論法ははお控えくださるよう、考慮お願いいたします。指摘した問題に対して、提案者様が代案をだせないなら、提案者様自身で廃案としていただきたくのが、議論の1つのまとめ方となるだろうということをアドバイスさせていただきます。--ひできち東京会話2022年2月4日 (金) 11:42 (UTC)

横から失礼 横から失礼 はたから見ていると、提案にあれこれと反対し、代案も出さない。残念ながらひできち東京さんの2022年2月4日 11:42 (UTC)の発言で、この変更を廃案に追い込むことが目的だったのかとようやく納得しました。まさしくひできち東京さんの議論の在り方はいつまでも納得しないに該当するのではないかと考えています。ひできち東京さんは「余計な内容を盛り込みすぎで安易な排他性を伴っているため。提案者は他所での論争のために本提案を行っているのでは?」とおっしゃられていますが、ここまで見ている人にとってはそっくりそのままひできち東京さんご自身に返ってくる言葉になっていることに気づかれていらっしゃらないようで、残念です。別の人の発言による誤った見解を取り消し--VZP10224会話) 2022年2月5日 (土) 02:07 (UTC)--VZP10224会話2022年2月4日 (金) 12:40 (UTC)

私のコメントではない他の方の発言を持ち出して、私を批判する軽率な行為はお控えください--ひできち東京会話2022年2月4日 (金) 12:58 (UTC)
こちらの方はwikipedia 管理者さんということですので、こういった軽率な言動したことについては、それなりのご対応をお願いいたしますね。横から失礼で、無理筋な批判を受けた側としては看過できません。横から失礼ではなく、この議論のやり取りをしっかりと読み込んでいただき、「自分の主張や観点が否定された後もぐだぐだと固執し、いつまでも言い続け、他者の言葉を受け入れたり自らの過ちを認めたりすることを拒否し、いつまでも論争を続けようとします」これに該当する参加者がこのノートにいるのかどうか、貴方の発言を見直していただきたいですね。--ひできち東京会話2022年2月4日 (金) 13:40 (UTC)
  • コメント VZP10224さんが引用なさった発言は、実際にはひできち東京さんではなく私(㭍月例祭)の発言です。
  • ただまあ、ひできち東京さんとYuasanさんは両者ともに発言しすぎで、結果として第三者が流れを追えなくなっていたり発言しにくくなっている面はあるでしょう。1/16のYuasanさんの提議以降の発言回数は(ざっくり数えて)
    • 40回 Yuasannさん
    • 41回 ひできち東京さん
    • 05回 㭍月例祭
    • 02回 伊佐坂安物さん
    • 02回 あずきごはんさん
    • 01回 Iso10790さん
    • 01回 Dokutouさん
    • 01回 Sikemokuさん
  • (手動で数えたので若干の誤差はあるかもしれませんが)お二人が度を越えて「レスバトル」の様を呈しています。--柒月例祭会話2022年2月4日 (金) 14:53 (UTC)
    集計ご苦労様です。1/16から今日まで28日ありました。平均すると1日2件に満たない議論の頻度となっておりますので、適切な範囲の認識です。参加の意を表明した以上、提案者様のご提案にはそれなりに義務感をもって対応させていただいている次第です。ご提案に内容をしっかりと確認に精査させていただき、根拠をしっかりとしてして意見を申し述べております。回答したことの意味が伝わっていないことが多いように感じることが多く、同じことの繰り返しの発言になっている分、回数が多くなっているかもしれませんが、提案者様に繰り返ししっかりと意見をお伝え説明することを継続した結果、提案者様にご理解いただきつつ、議論が進行している認識です。--ひできち東京会話2022年2月4日 (金) 15:20 (UTC)
    すみません、日数計算間違えました、21日でした。平均すると1日2件程度となります。--ひできち東京会話2022年2月4日 (金) 15:22 (UTC)

  • コメント 本論に戻します。
  • もっとも基礎的なことは、別に「歴史」分野に限らず、「適切な情報源を選び、適切に使え」ということです。特に後段部分についてはWikipedia:中立的な観点なども密接に関わっており、情報源自体は「信頼できる情報源」だったとしても使い方に問題があるという場合も出てきます。
  • 「適切な情報源」については、通俗的情報源(例:娯楽書)や速報的情報源(例:新聞)よりは、学術的情報源のほうが「信頼性の高さ」の期待値は高いでしょう。ただしそれはあくまで一般的傾向に留まるもので、新聞記事は100%ダメ、論文は100%オッケー、というような単純なものではないです。
  • この意味においては、「学術出版」と排他的に限定してしまうのは難があるのではないか、という指摘自体は肯首できます。でもまあ、だったらどうすればいいのかというのを具体的に案を出すのが生産的だ、という面もあるでしょう。私だったら「学術的な情報源など」ぐらいにぼやかした表現をしますかね。こうすれば、出版「社」ではないところの論文集、営利企業が刊行した手堅い図書などを広く包括できます。もちろんこれだとガチガチに定義していないので、人によって意見や解釈が分かれる余地はあります。その場合には個別に議論や合意形成が必要です。(個別の議論を要しないほどに誰が見ても信頼性の高い学術的な情報源だという場合もあるでしょう)学術界でも意見が分かれている・論争が起きているとか、逆に研究者が少なすぎて相互査読や批判的査読が不十分であるという場合には、単に学術論文であるというだけで盲目的に信頼性を与えることもおかしい。そういういろいろなことを包括した上での一文まとめです。逆に言えば、今回の一文を追加したからと言って、それだけを根拠として議論を省略して片端から情報源を除去できるようなものでもないぞ、ってことですね。
  • 「学術的」というのは、適切な著者が、適切な過程を踏み、適切な根拠を示しながら論述したもので、適切な監督や査読がなされている、という期待値が高いということです。しかしその「適切」って何なのさって話を始めるならば、それはもう一件一件個別具体的に合意形成するほかないでしょう。
  • そもそも、長い説明があるところに「Briefly」として一文を加える行為というのは、端的なまとめとして便利でキャッチーである一方で、詳しい説明を読まずに誤解を招くという弊害もりうるものです。そこらへんの一長一短を呑み込んだ上で基本的な方向性や大まかな指針を示すものであり、その一文だけで実用的で完全な定義というのは非現実的では?
  • 「歴史」に関して言うと、史料検証をしている(一次史料をなんでもかんでも真に受けない)、単純な事実と解釈・論考・推論を明瞭適切に区別して叙述している、思考の過程や証拠を詳らかに述べている、他の説についてもきちんと言及検証もする、第三者による査読を受けている、等が望ましい情報源であり、これらを満たす可能性が高いのが「学術的な」情報源ということでしょう。記事もこれらを意識しつつ適切に帰属化するのが理想的でしょう。
  • 個人的にはあとは、明瞭にこれは通俗的な話だよと断った上でなら、通俗的情報源を使って通俗的な事を書くのもあり、とは思っています。ウィキペディアは学術論文ではないので。だから「上杉謙信女性説」みたいなことも、ちゃんとやれば書ける、ということ。
  • 私が眺めていての感想としては、Yuasanさんの提案文面には、どうも「外形的なことだけで判断し、具体的な内容に踏み込んだ議論をせずに、信頼できる情報源ではないと即断する」ような印象を受けます。それはなんかやだな、というところです。--柒月例祭会話2022年2月4日 (金) 15:40 (UTC)
    • 上記の通り、ひできち東京さんの発言でないものをひできち東京さんの発言として扱った意見があり、そちらについては取り消します。申し訳ありませんでした。
    • 一方で「いつまでも納得しない」の点については、いまでもそれに該当しうると考えているため、取り消すことはしません。しばしばいわれることですが、Wikipediaは規則主義ではありませんので、方針文書の字面に該当するような行動している人がいるのかどうか、という問いに回答することはある面では無意味です。ひできち東京さんがここまで示している、「Yuasanさんの提案に対してとにかく反対する」「反対する理由は示すが代案は出さない(提案者に丸投げ)」「最終的に提案の撤回をするよう示唆する」という行動を、Wikipedia:信頼できる情報源という方針文書のノートで展開されているのが、ほかの執筆者からどのようにみられているか、という点も考えられたほうがよいと考えております。要は意見や記述が正しいからといって、その意見や記述をする方法に問題があると、利用者に対して参加の制限がかけられる場合もあるということです(過去にそのような形で参加を制限されている人が多数います)。
    • で、柒月例祭さんが整理されてようやく意見できそうになったので、意見を述べると、確かに学術論文と通俗的な文書との間で明確な優劣をつけるのは「好ましくない」ことは確かです。下手をすると、「数十年前に発表されて、その後の研究で否定された学説に基づく記述を、『小学生向け学習漫画が出典だから』という一言で書き換えてしまう」ことになりかねません(おそらくひできち東京さんが懸念されているのがこのようなシチュエーションであると思われます)。
    • 一方で、sikemokuさんなどが「強く賛成」の意見を表明し、いまだ取り下げされていません。それには、現実問題として全く逆に「歴史の専門家でない人物が書き記したトンデモ説を除去しようとするのを、『信頼できる出版社から刊行された書物にあるじゃないか』といって執拗に記述の除去を拒否する」ことも十分想定されるからと考えています。このようにこういう方針文書の改訂については現実にウィキペディアの活動の中で起きている/起きうる問題点を想定し、それに基づいた議論を行わないと、机上の空論を振りかざしているように見えて誰からも支持されないということすら発生します。
    • 一方で資料の検討をやりすぎると独自研究に陥ることも多々あるので、執筆者による資料の比較検討を行うのも限度があるなぁ、とは思います。--VZP10224会話2022年2月5日 (土) 02:07 (UTC)
WP:DR#3としてコメント、ありがとうございます。ご指摘の通り、学術的で査読を経た出版物というのが、ウィキペディア的な中立的な観点を持っているとは限らないのは事実であると思います。少数意見はWP:WEIGHTで表記するのが方針なのですが、WP:RSにはそれらに関する記載がないので、「除去」となってしまうケースがあると。それについて英語版ガイドラインでは、導入部一行目がそれを考慮した記載になっていました。
Wikipedia articles should be based on reliable, published sources, making sure that all majority and significant minority views that have appeared in those sources are covered
記事は信頼でき、公刊された、「全ての多数意見と重要な少数意見」を取り上げていることが確認された情報源を使用するべきです(Wikipedia:中立的な観点)...
しかしこれは歴史セクションに限らないルールであるので、導入部追記の提案とするか、あるいはそれを考慮して歴史セクションの第2項以降に組み込むか、という議論になってくるかもしれません。--Yuasan会話2022年2月5日 (土) 03:23 (UTC)
なお既に「方針とガイドラインの一貫性が取れない」というのが、具体的には「学術出版社の指定」であることは理解しており、そちらの部分にはこだわりがないです。しかしながら「単にそれをを直せばいい」という発言であるようには、とても思えませんでしたので、「いつまでも納得しない」という指摘に私も同意します。--Yuasan会話2022年2月6日 (日) 02:41 (UTC)
失礼ながら提案者様が、ご自分の(たった1行の)提案内容とその根拠に整合性、一貫性がとれてないことに自覚できていなかったことが根本的に問題ではないかと指摘させていただきます。それゆえに私が数回の繰り返しの説明をしてやっと理解されたのですから、そのやり取りを、私がいつまでも納得しないと、あなたの都合のよい解釈をされるのは、非常に残念です。私の反対意見は他の方にも同意見が出たことで、客観的な意見であることが証明されています。その意見を、貴方が理解されていないので繰り返し説明したことをもって、「いつまでも納得・・・」と言われたのでは、あなたとはもはや議論できません。
まぁただ、やっと理解されたということですし、柒月例祭さんは「発言しすぎ」と指摘されていますし、VZP10224さんからは私の意見は正しいが方法に問題があると指摘されておりますので、まさか指摘だけして議論には参加しないという非生産的な態度ではないだろうと思います。今後は柒月例祭さんVZP10224さんが、私より適切な方法で議論していただけるのだろう思います。--ひできち東京会話2022年2月6日 (日) 03:31 (UTC)
提案者様が自身の主張点「学術出版社の指定」の部分に複数の反対意見があり、柒月例祭さんが代替え案を提示しているもかかわらず、いまだに主張点を変更しようとしない固執した態度は以前から継続して見受けられます。
さらには議論内容を無視して賛成票の数を主張するようになったため、強行的に多数決での結論に持ち込むのではないか?という懸念が生じましたので、他の発言者が私だけになっている状況であっても、しっかりと根拠だてて問題点を指摘する必要がありました。
提案者様の主張への固執の様を見るに、当人にとっては直接的な利益となり得るような至上命題なのだろうと感じます。しかしそのような主観的な態度は、Wikipedia コミュニティのごく一部には貢献するかもしれませんが、全体への貢献とはなりません
貴方の言うとおり、提案内容が採用されてしまった場合に、「このようにこういう方針文書の改訂については現実にウィキペディアの活動の中で起きている/起きうる問題点を想定し、それに基づいた議論を行わないと、机上の空論を振りかざしているように見えて誰からも支持されない」という恐ろしい状況になることを非常に懸念しています。管理者権限をもつ、柒月例祭さんと貴方が、この提案者の提案内容についてしっかりと議論してくれるのあれば、私は発言をする義務感から解放されますので、どうぞよろしくお願いいたします。--ひできち東京会話2022年2月5日 (土) 05:43 (UTC)

コメント複数の方が仰っている通り、「学術出版社」の部分を外して、「学術的な情報源を使用する」「学術的な信頼性を求める」という方向で文章を追加するのは方向性としては賛成です(専門家の書いた中公新書などは場合によっては学術論文でも参照されることがある性質のものですし、それがまったく使用できないということでは困りますので)。同時に、「分野ごとのアドバイス」というものなので、利用者:Iso10970さんがすでに仰っている通り「本文を日本語版の執筆者向けに改稿」することの方が大事な気はします。例えば現状の「American History Review(歴史の全分野)やJournal of American History(アメリカ史)は、それぞれ100以上完全な長さのレビューを公表しています」という記載のみではなく、「『史学雑誌』の特集号「回顧と展望」は歴史の全文野において、1年ごとに歴史学界の学術論文から新書などの一般的な刊行物まで広く評価しており、信頼できる情報源を探すことに役立ちます」を加えるなど。すぐに全面的な改稿案は提案できないので恐縮ですが、方向性としてはこんな感じで、「何を信頼できる情報源とするか」という具体的な評価により役立つ内容にしていくことが必要かと思っています。--伊佐坂安物会話/履歴2022年2月6日 (日) 04:42 (UTC)

コメントありがとうございます。要約のところはここまでの話を反映しますと「簡単に言えば、学術的な情報源を使用すべきです。しかし三大方針の一つは中立的観点であることにも留意してください。」でどうかなと思いました。当初にコメントのありました「多様な歴史観」という所は、NPOVにおける「全ての多数意見と重要な少数意見」に収まる範囲でということであって、それを超えるトンデモは「ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません」となるかと思います。
また本文のほうになってくると、日本語版の執筆者向けに改稿というのは必要だとは思うのですが、先に述べております通り私の器量を超える作業となりますので、可能な方が提案者となってトピックを建てていただきたいです。--Yuasan会話2022年2月7日 (月) 12:05 (UTC)
文案を提案。
基本的な考え方
歴史分野においても各国・各時代・ジャンルごと(政治史・経済史・文化史etc)に専門家による様々な研究が行われています(ここでいう専門家とはいわゆる歴史学の専門教育を受けて、継続的に学術雑誌等に寄稿している人々を指します。)
これらの研究は査読を経て学術雑誌あるいは各大学の紀要などに掲載されます。これを学術論文と呼びます。これら学術論文はある程度の分量が溜まった所で当該研究の執筆者の名前でまとめられて出版される場合があります。これを専門書と呼びます。またこれとは別に専門家によっては書き下ろしという形で専門書を執筆し、出版されることもあります。これら学術論文・専門書はその他の専門家によって追試が行われ、その内容に矛盾が無いか・論証の過程に問題が無いかなどが検証され、その末に学界として取り扱いが決まります。査読・追試を経た学術論文・専門書は「信頼できる情報源」として認められます。
これに対して一般書と呼ばれる分類があります。これは専門家ではない一般の読者向けに著された本です。
一般書であっても専門家によって著された本はほとんどの場合「信頼できる情報源」と認められると考えられます。ただし学術論文・専門書と比べてかなり割り引いて考えなければならないでしょう。専門書と違って、一般書では著者には厳密な論証の義務が課されておらず、その内容の妥当性を保証するのは著者のみであるからです。
一般書の中でも非専門家の手によるものは「信頼できる情報源」として認められたとしても基本的にウィキペディアの出典としては相応しくないと見做されるでしょう。非専門家はほとんどの場合いわゆる「歴史学上の手続き」を心得ておらず、論証過程の逸脱・自己の主張に合わせた史料の選択などをやってしまいがちです。
以上が基本的な目安となりますが、あくまで目安に過ぎません。れっきとした専門家の手による学術論文であっても学界から全く顧みられずに消えていく場合もあれば、非専門家の手によって為された研究が専門家から評価されて学界の中での地位を獲得する場合もあります。
信頼できる情報源の発見・アクセス方法
歴史に限りませんが、日本の研究ならばCiniiに数多くの研究が登録されており、調べたい主題について検索をかければ多数の研究が表示されます。同時にその研究が収録されている本を所蔵している図書館も表示されますので、まずはここで調べてみることをお勧めします。その他にもKAKENなどもあり、また各大学のHPで研究成果をまとめて発表している場合もあります。中にはオンラインで閲覧できることもあります。
歴史学術雑誌「史学雑誌」が毎年4月に発表している「回顧と展望」は各国史・各年代・各分野ごとにその前年に発表された研究のうちで注目に値するものをピックアップしており、参照するべき研究をある程度絞ることができます。
以上は主に日本の歴史学界を対象にしたものですが、Google Scholarであれば日本の研究も含めた世界中の研究を調べることが出来、かつオンラインで参照できる場合はそれに対するリンクも表示されます。その他にもJSTOR(英語)・AHR(英語)などに多数の学術雑誌の論文が保存されています。
またその分野の専門家が著した(できれば複数の手による)概説書を参照することも良い方法です。概説書の記述は出版時点での学界の動向を反映していると考えられるので、概説書自身が「信頼できる情報源」と看做せ、かつその参考文献に挙げられている文献はそれも参照すべき文献であると考えられます。
Wikipedia:中立的な観点との兼ね合い
ある研究Aが「〇〇は××である」と述べているとします。それをウィキペディア上で「〇〇は××である」と書くことは正しいでしょうか?それは正しくありません。「〇〇は××であると研究Aは述べている」と書くことは可です。しかしそれはWikipedia:中立的な観点に反する恐れがあります。その研究Aが以前に述べたような「全く顧みられずに消えて」いった研究かもしれないからです。
では研究Aに対して、同じ分野の研究B・C・Dと並べていくことは正しいでしょうか?これも不可ではありません。しかしこれもまたWikipedia:中立的な観点に反する可能性があります。例えば研究Aが定説として評価されており、他のB・C・Dはそれに比べれば学界での地位が低いとした場合、A・B・C・Dを並列に並べることはAの価値を過少に、B・C・Dの価値を過大に書いていることになるからです。
研究史・史学史という観点
ではどうすれば良いのでしょうか?これに対しては研究史・史学史という観点を導入する必要があります。それまで積み重ねられてきた研究の中で専門家たちによる研究の取捨選択、その歴史的変遷を忠実に写し取ることで中立的な観点を守ることが出来ます。
とはいえ、非専門家がこれを忠実に写し取るということは至難の業であり、かつその歴史的変遷をウィキペディアン自身が自身の知見でまとめた場合はそれは独自の研究に他なりません。であれば、研究史のまとめにおいてもまた専門家による「信頼できる情報源」を用いるべきです。
先に挙げた「回顧と展望」は少なくともその発表年に注目に値すると専門家が考えていたということを保証しており、研究史をまとめるのに役立ちます。専門家が論文をまとめるにあたり、その序説などにおいて先行研究を概略でまとめることも多いのでこれも参照に値します。またそもそも研究史をまとめることに主眼を置いた論文・専門書なども存在しますので、こちらも参照するべきでしょう。
以上が文案です。--らりた会話2022年2月9日 (水) 13:19 (UTC)
賛成 丁寧な文案ありがとうございます。情報源を探す際にとても有用な内容で、議論で上がった懸念点も回避されていますし、らりたさんの文案に全面的に賛成です。--伊佐坂安物会話/履歴2022年2月10日 (木) 11:31 (UTC)
賛成 今のところ、らりたさんの文案がとても良いんじゃないかなと思われます。ただ一応、二重鉤括弧 『』 は著作物名を括るのが本来の用法とされていますので、学術論文・専門書は信頼できる情報源として、または、学術論文・専門書は「信頼できる情報源」として、のように書くほうがよろしいかと思います。--33メルメル会話2022年2月10日 (木) 13:38 (UTC)
ご指摘ありがとうございます。ご指摘の部分とそれとは別に一ヶ所軽微な修正をしました。とりあえずお二方に賛意を頂きましたが、これまで議論に参加されてきた方々にも参照頂けているでしょうか。現在から2週間くらい(3月初め)を目途に私の文案を反映したいと思います。--らりた会話2022年2月12日 (土) 10:59 (UTC)
賛成 文案に賛成します。これに準拠することによりウィキペディアの記事の信頼性が高まっていくことを願っています。独頭会話2022年2月12日 (土) 11:56 (UTC)
賛成 らりたさんの案を支持します。基本的な考え方と具体的なことの両方が示されていて良案と思います。「(ただし2022年現在…)」部は、枠外の注記かなにかでもいいと思います。が、このままでダメというものでもないです。--柒月例祭会話2022年2月13日 (日) 04:21 (UTC)
コメント 文案を何度か読み返しましたが、大変まとまっていると同時に、有用度も高いものだと思いました。私は自然科学や技術分野を中心に活動していますが、他分野の執筆者から見てもこの文案に記載されている内容は非常に参考になるもので、歴史セクションに留めておくには勿体ないとすら感じました。私は歴史分野での活動はないため、コメントに留めます。 --紅い目の女の子(会話/履歴) 2022年2月16日 (水) 04:32 (UTC)
㭍月例祭さんのご指摘の部分を削除、他軽微な部分修正を行いました。--らりた会話2022年2月22日 (火) 11:07 (UTC)
文案を反映しました。--らりた会話2022年3月2日 (水) 11:32 (UTC)
私の書いた文案で回顧と展望が「4月」と書いてましたが、5月の間違いでした。現在の「毎年4月に発表している」を「毎年発表している」に修正したいと考えますが、いかがでしょうか?--らりた会話2022年6月11日 (土) 10:55 (UTC)
実行しました。--らりた会話2022年6月19日 (日) 08:31 (UTC)

こだわりすぎは、良くないです。

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しかし、いつまでもそれにこだわっていると、書かれない記事関係ののファンの人たちから断られ、Wikipediaは、不利になります。なので、少しでも多くの人から見られたいのであれば、個人ブログの情報も、受け入れたほうがWikipediaも結果的に活気であふれよくなると思います。どうですか?--コンテナ好き会話2022年3月26日 (土) 08:46 (UTC)

Youtubeの本人動画は出典として適切か?

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題名の通り、質問があります。WikipediaのYoutuberの記事の中で、本人の動画を出典としているものが見受けられます。これは適切なのでしょうか?忘れてしまったのですが、以前どこかの記事のノートにて、Youtuber本人の動画を出典するのはよくないとの指摘があったのを思い出しまして。どなたかご存じの方がいらっしゃれば教えていただきたいです。--有栖川茜会話2022年4月24日 (日) 13:29 (UTC)

  • コメント 大雑把に言うと2つのポイントがあります。「それは本当か」(信頼性の問題)と、「本当であったとしても百科事典に書くに値するようなことか」(特筆性の問題)の2つです。「youtubeでの自己発信情報」の場合、この両者について、問題になるということです。
  • 一般論としては、適切な査読を経た「信頼できる情報源」の場合、「それは本当か」について独自で裏を取った情報源が「信頼できる」と言うに値します。もしも仮に、芸能ニュースサイトみたいのがあって、そこで「Aさんがyoutubeでこういうことを言っていた」みたいなニュース記事があった場合には、それは「こういうことを言っていた」事自体は事実であろうと推定できますが、「その中身が本当なのか」については未検証、信頼できるとは言えないということになるでしょう。これはyoutubeの芸能情報でなくても、たとえば事件事故などで「警察の発表」をそのまま報じるニュースなどにも適用できます。その報道機関が、警察とは独自に調査し裏を取っているかどうかが、一つの判断基準になるでしょう。(その場合、その独自調査が信用できるのか、という問題は別に検討する必要があります。)
  • 「百科事典に書くに値するか」は、別に検討する必要があります。これも一般論としては、「ニュース」系の情報源は、とにかく何でもかんでも速報するという性格があります。したがってそれだけでは「百科事典に書くに値する」とはいえないかもしれません。(極論すると、新聞やニュースには天気予報欄とかがあり、「6月13日の○地区の予想降水量は2ミリ」みたいな話も「情報源が有る」ことになってしまいます。もちろん、通常はそんなことはいちいち百科事典に残す必要はないとみなされるでしょう。歴史的な大雨みたいな場合にはまた話は変わります。)
  • 近年のyoutubeに関連する「情報源」に関して言うと、(コトバは悪いですが)有象無象のネット情報サイト、みたいのがあり、そこではしばしば「youtubeの中身ほとんどそのまま書いただけ」みたいになっています。一般的にみると、それはたとえ「第三者情報源」だとしても、十分な独自検証がされているとは到底考えられないし、実質的な宣伝誘引目的で「第三者」と言い難かったり、百科事典に掲載するに値するような情報の選別が行われているとは思えなかったりで、百科事典の情報源としては不十分とみなされるでしょう。
  • 逆に言うと、十分な時間が経過し、十分な調査検証査読が行われ、然るべき信頼できる出版社から刊行されたようなものは、情報源にふさわしいでしょう。ただyoutubeについてそうしたものがどれぐらい期待できるかというと、そう多くは無いのでは。ごくごく一部のトップクラスのyoutuberで、たとえば『現代用語の基礎知識』とかに掲載されるような域になれば、とか。おそらくそれは片手で数えるほどしかいなくて、youtubeに熱心な関心がある方からすると、情報の鮮度や情報量、正確性がまったく不十分だと感じられるようなものでしょう。基本的に「サブカルチャー」分野はそういうものです。(あとは、私はこの分野には疎いのでまったくわかりませんが、適切な情報源があるならば。)おそらくWikipedia内の実態としては、そうした「規則」にとらわれずに有象無象の情報をいくらでも書いているページというのが山ほどあり、その分野の執筆者にとってはそれが常態化している(みんなやってるからいいだろ的な)という面はあるだろうと思います。ですが、適切にルールに照らすと、その「常態」は本当はだめなんだよ、という感じですね。--柒月例祭会話2022年6月13日 (月) 03:54 (UTC)
  • 本人動画は適切か、という問いだと範囲が広いですが、場合に依るのではないでしょうか。例えば、ある人が広く批判を浴び報道もされた後で、YouTubeの動画で反論ないし釈明をした、というような場合、報道を記載すると共に本人側の主張も簡単に「Xはこれに対し……と釈明した」というように併記することはWP:NPOVにも即した方法だと思います(余りに本人の主張を長々と書くのは問題ですが、手短かにまとめることができていれば)。 --2001:240:242C:20A:201C:F0C9:DEEA:F849 2022年6月15日 (水) 12:36 (UTC)

Amazon Kindle ダイレクト・パブリッシングによる出版物の扱いについて

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Amazon Kindle ダイレクト・パブリッシング(Amazon KDP)による出版物(以下、Kindle本)について、Wikipedia:信頼できる情報源としての扱いを確認したく、ここで提起します。

事例として、状態量における出典の扱いが問題になりました。追加された記述の出典がKindle本でした。編集者にKindle本は出典としては不適切である(Wikipedia:信頼できる情報源#自己公表された情報源Wikipedia:検証可能性#自主公表された情報源)ことを説明しましたが納得されていないようです。

また、過去の削除依頼(最近では[1][2]など)でもKindle本は自費出版物と同様の扱いであり特筆性を示す根拠とは見なされていません。

ここで、改めてKindle本がどのような出版物であるのか、概略を説明すると、

したがって、これらを合わせて考えれば、Kindle本は適切な査読システムを持たないと言えます。また、上記記事の編集者とのやりとりの中で、出版に際して費用がかかっていないので自費出版物ではないという意見が出ましたが、販売される毎に販売価格に応じてAmazon KDP側が所定の費用を差し引いて著者に支払われるので、実質的には出版費用を後払いしているだけのように思えます。

つまり、私の考えは、Kindle本はWikipediaでは自費出版物と全く同等の扱いであって信頼できる情報源にはあたらない、というものです。この点がはっきりすれば、Wikipedia:信頼できる情報源#自己公表された情報源に書かれている通りであり、記事の記述や人物の特筆性を立証するための文献としては使えませんから、今後同様の事例が発生した際、Kindle本の扱いをめぐって無用の議論が発生することが避けられます。

皆様からの意見をいただきたいと思います。(本ノートの過去ログも含めて同様の議論を探しましたが見つけられませんでした。見逃しがありましたら申し訳ありません)--みそがい会話2022年5月18日 (水) 12:36 (UTC)

(追記)ここでいうKindle本とは、他の出版社の既出版物をKindleマーケットで販売するものは含みません。Amazon KDPのみで扱う本を指しています。--みそがい会話2022年5月19日 (木) 11:48 (UTC)

  • 「Kindle本はWikipediaでは自費出版物と全く同等の扱い」これはほぼ議論の余地がないものと思います。同意します。「出版に際して費用がかかっていないので自費出版物ではない」という相手方の反論も確認しましたが、これはルールの精神を理解していないwikipedia用語でいうところの「Wikipedia:法律家ごっこ」であり、改善が見られないようであればしかるべき手段を取らなければならないように思います。
「記事の記述や人物の特筆性を立証するための文献としては使えません」これには同意しません。自費出版物には「例外となりうるのは、関連分野において著名な専門研究者や有名ジャーナリスト(記者)が自主公表した場合」という例外規定が設けられてますから、作者がこうした人物であることが立証できる限りにおいては使用できます。ただし推奨はされませんし、発見次第、より適切な出典に置き換えられるべきではあります--おいしい豚肉会話2022年6月12日 (日) 02:45 (UTC)
@おいしい豚肉さん 特筆性の証明にはならないでしょう。特筆性の証明は、「対象と無関係な」情報源によってなされるわけですから。前半部分の、記事の記述の出典として使える場合があるというのは正しいと考えますし、他の出典に差し替えたほうがベターということにも同意します。 --紅い目の女の子(会話/履歴) 2022年6月13日 (月) 02:04 (UTC)
おいしい豚肉さん、紅い目の女の子さん、コメントありがとうございます。
先ずは、お二方とも「Kindle本は自費出版物と同等の扱い」であるという点では同意されていると思います。
次に、おいしい豚肉さんが上げている点については、既に著名である(Wikipediaとして何らかの特筆性が立証できる)人物のKindle本(自費出版物)である場合は記事の出典として用いることも「可能」である、ということだと思います。方針やガイドラインで示されている通り、基本的には自費出版物ではなく別の出典が求められています。この点は方針やガイドラインの記述内容の解釈に準じるので、私の「記事の記述や人物の特筆性を立証するための文献としては使えません」という記述は強すぎる表現だったと思います。(これは、Wikipedia:信頼できる情報源#自己公表された情報源:二次資料としての使用では二次資料として使用できませんからその意味では適した記述ですが、Wikipedia:信頼できる情報源#公表者自身についての記事内での自己公表された情報源とはマッチしないという意味です。当然、自分自身の特筆性を示すための情報源としては使用できませんが。)
そこで、ここでいうKindle本は自費出版物相当である旨をWikipedia:信頼できる情報源#自己公表された情報源Wikipedia:検証可能性#自主公表された情報源に明記したほうが良いのではないか、ということを考えています。その点についてはいかがでしょうか。ご意見をいただければと思います。--みそがい会話2022年6月14日 (火) 13:37 (UTC)
  • 出版元(amazonパブリッシング)の学術上の権威はこの場合関係ありません。権威ある筆者が査読のある形態のもので出版したものであるならばwikipediaにおいて権威ある引用元として容認される可能性があります。著作権が切れた過去の書籍(青空文庫)なども、その引用元(青空文庫)の記述が適正であるということがさらに権威ある媒体で検証可能であるかぎり、wikipediaの引用元として参照されることもありうるでしょう。なにしろwikipedia読者にとってweb上で参照しやすいという点で親切だからです。「出版元の権威」と「筆者の権威(あるいは筆者が記述した内容に関する権威)」について混同すべきではありません。Kindle本は権威がないので一律に排除されるというルール設定には反対します。なお「自己公表された情報源」項目をもういちどしっかり最後まで読み込んでいただくことをお薦めします。自費出版本は「一律にすべて排除される」主旨とは一切書いて無いはずです。例えばわたくしの愛読する穂積陳重先生の法窓夜話は自費出版本でしたが一般に権威ある書籍としてしばしば学術論文で引用されています。--大和屋敷会話2022年9月28日 (水) 23:05 (UTC)