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ノート:原子爆弾/過去ログ1

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東京に3発目?

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不勉強で申し訳ありませんが、8/17に3発目が東京に投下されることになっていたのは現在では定説なのですか?--KZY 2004年8月14日 (土) 04:18 (UTC)

いえ、第二次投下目標は小倉と新潟で、東京は東京大空襲(同記事の2回の前後に計5回)で市街の大半が破壊されていた(横浜・川崎も大空襲を受け、首都圏は壊滅)ので、投下しても意味がありませんでした。広島・長崎・小倉・新潟は、原爆投下の破壊効果の観測のためにB-29の空襲から除外されており(本文にある佐世保と福岡には空襲がありましたが)、酷い話です。
追伸:もし東京に投下して、天皇を殺してしまったとしたら、火に油を注ぐ結果になるのは明白で、さすがに無理だったと思います。C Lion hiro 2004年12月3日 (金) 11:54 (UTC)

あと京都もですね。東京の件は既に消されてますが当時は3発目うんぬんの記述があったもので疑問に思ったのです。どうもどこかのテレビ局でそういう報道をしたことがあるようです。--KZY 2004年12月3日 (金) 13:23 (UTC)

映画ローレライで、東京に原爆が!というのを基にしてますね。--利用者:keydaimon2005年4月10日(日)1:32(UTC)                                                                                                                       あの、聞いた話ですが、山梨県の甲府にも原爆投下計画があったらしいです。 くわしいことを知っている人がいたら、教えてください。 。--利用者:x2007年12月13日(木)11:55(UTC)   

爆発高度について

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リトルボーイの項では約600m。広島原爆投下の項では約580メートル。この本文では580メートルとなっています。 この本文に約を付け足すか、もしくは全ての項で数値を揃えるか。前者で細部の編集を行おうと思うのですが、どうでしょうか?またもっと良い方法があれば。森山弘一 2005年10月27日 (木) 07:08 (UTC)

とりあえずこの項目は約を付けるんで良いと思います。他の項の数値は、600だと有効数字1桁、580だと有効数字2桁の範囲においてそれぞれ正確であるには違いないということで、約もついていることですし、特に変更の必要はないと思いますが、もし揃えたいならば「約580」で統一するのが良いかと存じます。Bit 2005年10月27日 (木) 07:47 (UTC)

苦情

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最近この項目に常識では理解できない書き込みが多いのには、本当に驚きました。同じ人が続けざまにしています。ひょっとすると精神を病んでいるのか。まじめに取り組んでいる人々を愚弄するような行為はやめてもらいたい。-2005年11月18日---以上の署名のないコメントは、61.122.217.180会話/Whois)さんが 2005年11月18日 (金) 03:56 (UTC) に投稿したものです(Sog159会話)による付記)。

「原子爆弾」という名の「焼酎」について

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こんなことで「編集合戦」になるのも馬鹿馬鹿しいので、「妥協案」を出します。
百科事典の記述というものは、
1.それが事実と断定できるかどうか、
2.事実と断定できたとして、果たしてそれを掲載する価値があるのかどうか、
という2つの「関門」を経て行なわれるべきだと考えます。
極端な話、例えば「某プロレスラーは「原爆頭突き」という技を得意とした」「軍人将棋には「原爆」という駒がある」「某球団の某選手は「核弾頭」といわれた」のは「事実」でしょうが、こんなどうでもいい情報を、この非常に優れた「原子爆弾」の記事に追加するのは変ですよね。私には、なぜここに「焼酎」の記述が必要なのか(それも「・・・という情報もある」「詳細不明」なんて無責任なコメント付で)、さっぱりわかりません。
でも、妥協しましょう。「それが事実と断定できる」のであれば、その記述を認めましょう。しかし、「事実」と断定するのに、「あの」小林氏の漫画が根拠では、いくら何でも、ということになると思います。ですので、「原子爆弾」という名の焼酎が存在することについて、信頼できる資料を提示してください。小林氏が「出典」を挙げているのであれば、直接その「原典」を確認してください。そうすれば私は、これ以上の「差し戻し」は致しません。(ただし他の方が「載せる価値なし」と判断することまで止めることはできませんが)
期限は特に設けません。あなたがその資料を発見することができたら、そのことをノートに記述の上、私のコメントアウトを差し戻してください。このままでは「載せる意味」がよくわかりませんので、できれば、どうしてこの記述が必要なのか、もっと明確にしていただけるとありがたいですね。このままでは、第三者から見ても、この記述の違和感は免れないと思います。よろしく、ご検討ください。
なお、他の第三者の方(ただし例の「多重アカウント」氏を除く)が私のコメントアウトを差し戻すのであれば、私はその「判定」を素直に受け入れます。Matunami 2006年2月21日 (火) 10:38 (UTC)

[1] ここに「爆弾酒」の一種としての「原子爆弾酒」の記述があり、原子爆弾酒とは「ビール沢山+洋酒少々」の混ぜ酒を指すそうです。
当時「原子爆弾酒」を飲んでいた朝鮮人の誰か→旧軍の青年将校→小林氏と伝わっていく際のどこかで情報が多少歪曲されてしまって、結果的に小林氏の中に「焼酎・原子爆弾」というものが存在したという認識が出来上がってしまったとは考えられませんかね?爆弾酒のパターンの中には焼酎を混ぜるものもあるようですし。仮にそうであれば、ここではなく爆弾酒に記述すべき内容だと思います。Bit 2006年4月23日 (日) 03:57 (UTC)

「原子爆弾投下の戦略的理由とその歴史的意義の評価」について

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対独戦で使わず対日戦で使った理由が「有色人種に対する差別心」とする記述がありますが、私もそのような側面が無かったとは考えていませんが、事典に記述するにはさすがに根拠薄弱ではないでしょうか?最初の原爆実験は1945年7月16日とありますが、ドイツの降伏は5月8日ですから、単に開発が間に合わなかったからとも考えられます。文献などのソースに基づいて記述しているのならそれを提示して頂ければと思います。ハイゼン 2006年4月12日 (水) 15:34 (UTC)

ドイツではなく日本が投下の目標になった理由は、現在でもはっきりしていません。しかしながら「人種差別」がその理由になっていたと考えるのは、まず専門家の中にも存在しないでしょう。それを示す証拠もないですし、もし「人種差別」があったのなら、アメリカがあれほどドイツを徹底的に高性能爆弾や焼夷弾で破壊しつくしたことが説明できません。
しかしながら、「単に開発が間に合わなかった」という見方も正しくないと考えられています。なぜなら、ドイツが降伏する前ですら、原爆投下の目標はほぼ一貫して日本だったからです。もちろん、アメリカがドイツを目標にしていたことを示す確かな証拠もあります(1943年6月24日のローズベルト大統領とブッシュの会談メモなど)。
では、なぜ一貫して日本だったのかには諸説ありますが、最も有力なのはドイツからの原子力攻撃の恐れを懸念していたというものです。当時のドイツは、アメリカよりも原子力技術が進んでいたと考えられており、またベルギー領からウランも入手できる立場でした。原爆ではなくとも、放射性廃棄物による攻撃は十分考えられるものでした。これをイギリスが恐れていたことが原因と考えられています。
2つ目の原因としては、当時のドイツと日本の科学水準を比べた場合、ドイツに投下すればすぐに研究されてしまう恐れがあったものの、日本なら安心だと考えられていました。とくに投下した原爆が不発だった場合に、日本人がそれを回収しても同じものを作ることはできないと舐められていた(実際にそうなのですが)ことが挙げられます。
3つ目はは、ドイツを目標にすると、アメリカは同盟国のイギリスに対して、原爆の情報をある程度開示しなければなりませんが、日本が投下目標なら情報を独占できる点があります。特に戦後の核管理で優位に立ちたいアメリカの指導者に中には、この点からドイツを目標にすることを避けようとしています。
いずれにしても、根拠のない「人種差別」をWikipediaに記述するのは疑問ですし、全体を読んでも、かなりの間違いや伝聞情報などが目に付きます。また記述者の主義主張が色濃く反映されているようにも感じます。今や日本の世論調査でも、広島・長崎の原爆容認派は4割近くに上っているわけですから、もう少し中立な視点で記述すべきと考えます。--Swordarts 2006年5月12日 (金) 16:15 (UTC)

ユモモの疑問

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ユウの感想  どうしてヒロシマ・ナガサキに原子爆弾をおとさなければいけなかったのか? どうしてユダヤ人は、--以上の署名のないコメントは、222.144.231.31会話/Whois)さんが 2006年6月13日 (火) 11:49 (UTC) に投稿したものです(Sog159会話)による付記)。

海猿loviの疑問

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limitoflovi海猿の感想  どうしてヒロシマ・ナガサキに原子爆弾をおとさなければいけなかったのか? どうしてユダヤ人は、強制収容所に連れて行かれ死ななければいけないのだろう? なんの罪のない人間を殺して楽しいか? 本当に人を簡単に殺していいのか? 私には、<戦争>の良さなんて1つも分からない--以上の署名のないコメントは、222.144.231.31会話/Whois)さんが 2006年6月13日 (火) 11:53 (UTC) に投稿したものです(Sog159会話)による付記)。

「原子爆弾投下の戦略的理由とその歴史的意義の評価」について修正

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二ヶ月ほどたっても、人種差別の項目について、秩序だった反論がないため、修正しました。 原論は残してありますが、それに対する新たな観点を付与してあります。 理由としていくつか列挙します。

  • 日本への原爆投下の時点でドイツ軍はすでに降伏している
  • ドイツへの本土侵攻はすでに1944年6月に開始されているが、日本は島よと爆撃をのぞいて

手をつけられていない

  • 共産主義との対峙は、実際に太平洋戦線集結後にすぐ始まっている

これらの事情を鑑みて、米国の主張の「米兵、日本軍双方の被害をへらすため」はプロパガンダと みても、米国の目的は人種差別とその満足であると断定する根拠には著しく欠けると考えます。 そもそもドイツには落とさなかったが日本には落とした、というのは時期も情勢も異なるため、 比較事態に意味がないのではないかと思います。 --Edoo 2006年7月12日 (水) 05:27 (UTC)

原爆投下の背景に人種差別感情が在ったか否かはその存在を直接に証明することは難しいと思います。 ただし、1910年代頃から米国民の東洋系移民に対する悪感情の激化が見られますので、原爆投下の 計画とその決定に当たって「背中の一押し」が有ったかも知れません。ですが、直接的な証拠が存在し ない段階では記載することは慎重であるべきではないでしょうか? 松原 虹 2006年8月6日 (日) 16:47 (UTC)


人種差別かどうかについては確かに証明の難しい事項であり、安易な記述は避けるべきですが、ドイツが降伏するはるか以前(まだヨーロッパ戦線の行方もわからない頃)、1943年5月5日の時点ですでに日本が原爆投下の目標に想定されている、という説もありますので、原爆投下目標の選定に関して一概にドイツと日本で「時期も情勢も異なる」ということはできないと思います。正式な文書としては1944年9月18日の覚書で残されてはおりますが、文書として残される以前から日本に対する原爆使用を視野に入れた幅広い議論がなされていたのではないでしょうか。 それは別にしても、この項目はもう少し日本語を吟味したほうがよろしいかと思います。「しかしながら~」以下の文章はいまいち文意が読み取れません。記事投稿者による校正を望みます。--以上の署名のないコメントは、212.152.81.75会話/Whois)さんが 2006年10月17日 (火) 01:20 (UTC) に投稿したものです(Sog159会話)による付記)。

長崎市の原爆投下について

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長崎の原爆投下について間違いがあります。まず落下中心地である松山町は、厳密には当時は西彼杵郡浦上村であって長崎市ではありません。まして、当然ながら長崎市街ではありません。長崎市街地といった場合、今も昔も諏訪神社や浜の町周辺を差しますがそれらの土地は原爆の直接被害はほとんどうけていません。松山町は当時の浦上村の中心地には近いので浦上村市街地、といういいかたはできるかもしれませんが、これも厳密には誤りで、落下中心地は松山町のなかでも東側の山ふもとにあたり、当時はハッキリいって田舎町ともいえない程度です。--218.222.66.64 2006年10月9日 (月) 11:41 (UTC)

長崎の原爆投下について。まず、落下中心地である松山町は大正9年に浦上山里村が長崎市に併合されて長崎市です。また、爆心地周辺には長崎医科大学、三菱電機鋳造工場、三菱兵器大橋工場、長崎師範学校、鎮西学院、三菱製鋼所などがあり、『田舎町』とはいえないようです。資料等でご確認ください--Sonic883 2006年10月9日 (月) 12:58 (UTC)

八幡製鉄所うんぬんについて、 長崎原爆投下の前日、8月8日に八幡製鉄所が空襲による被害を受けたのは事実ですが、それは小倉を爆撃したからではなく、八幡を爆撃したためです。現在では「北九州市」として同じ市に含まれるひとつの地域のように見えますが、当時は小倉市、八幡市という別の市に属しており、より正確には八幡空襲とすべきであると考えます。何よりも、当時、原爆目標選定都市には爆撃禁止命令が出ており(原爆投下に先立ち、7月末の原爆投下命令と同時に「(原爆等部隊である)特殊攻撃隊に限り」爆撃禁止命令は解除されていますが、これはあくまで原爆投下に関するものであり、焼夷弾などを利用した通常爆撃の許可ではないことを考慮すべきです)、小倉への通常爆撃は禁止されていたため、8月8日に小倉を通常爆撃することは作戦命令上不可能であったはずです。米空軍が規律を犯した、というのであればこの限りではありませんが、私の知る限りそういった証拠を目にしたことはありません。 それから、小倉が目標に選ばれたのは、原爆の威力を確認しやすい地形であることはいうまでもありませんが、当時西日本最大といわれた小倉造兵廠があったことも大きいです(現在の勝山公園付近、市立図書館の近所に碑が残っていたと思います、うろ覚えですみません)。八幡製鉄所は近いといえば近いですが、小倉造兵廠付近を爆心地とした場合、はっきりと八幡製鉄所まで覆いうるとはいえず、八幡製鉄所を狙った選定とはいえないと思います。蛇足かもしれませんが、「八幡製鉄所に近い小倉市」という文章からは八幡製鉄所を狙った目標認定のように見えますので指摘させていただきました。余談ですが、小倉造幣廠は陸軍の「ふ」号作戦、通称風船爆弾の生産地であり、ジェット気流に乗って飛んでいった風船爆弾のひとつがワシントンの原子力プラントまで飛来し、電線に接触して付近に大規模な停電を引き起こし、そのため原爆製造に必要な材料の輸送が3日遅れる、という事件も起こっております。原爆投下に関する最終指令は7月末の命令で、「可及的速やかに行うよう」指示されており、歴史にifはありませんが、この遅れがなければ一日二日の日程差で小倉が被害に見舞われていたかもしれません。 それは別にしても、マンハッタン計画自体が軍部でも一部の上層部しか知らないトップ・シークレットであったために、B29の原爆投下部隊と通常爆撃部隊との間の連携が取れておらず、そのため司令部の意思疎通がうまくいかなかったことがある意味小倉を救ったともいえます。原爆投下がレーダーではなく「目視に限る」とされた命令下では、厚い雲が広がる状況での投下は不可能ですが、そんなことは何も知らない通常爆撃隊が隣接都市である八幡を前日に爆撃してしまったのはアメリカ空軍の命令指揮系統が当時混乱していたことを物語るものではないでしょうか。それほどまでに原爆投下を急がせた原因が何なのか、それは「早くしないと日本が降伏してしまう」「ソ連がヤルタ会談の秘密声明に沿って参戦し、日本の分割を提案してくる」といった政治的な要因にあるであろうことは想定できますが。。。--以上の署名のないコメントは、212.152.81.75会話/Whois)さんが 2006年10月17日 (火) 02:07 (UTC) に投稿したものです(Sog159会話)による付記)。

広島・長崎への原爆投下に関する記述の移動の提案

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この原子爆弾の記事は、文字通り原子爆弾そのものに関する記述が中心であるべきです。広島・長崎への原爆投下による被害状況ならまだしも、その経緯や評価までこの記事に記述するのは適切なのでしょうか? それらの記述を、原爆投下全般を扱った記事に移動することを提案します。 現在、ノート:1945年の広島・長崎に対する原爆投下でそういった記事の作成について議論が続いております。ご意見お待ちしています。--ユキポン 2007年2月1日 (木) 14:23 (UTC)

反対します。本記事はそれ自体で既にまとまっており、破壊するべきではありません。現状すでにかなりの分量の情報が築かれている記事群をシャッフルするというのは、よほどの理由と精緻なビジョンがなければするべきではない、という編集における初歩的な常識をどうかご理解ください。Northface 2007年2月1日 (木) 16:09 (UTC)

Northfaceさんは記事内の記述の移動を「破壊」と形容されています。他の方々も同様に、このような移動は記事としての体裁を完全に台無しするような行為だとお考えでしょうか? 引き続き移動について、是非第三者の御意見を賜りたいと思います。なお、ある程度完成された記事の構成を変更させる行為は極力避けるべきだという記述は、Wikipedia:編集方針には存在しません。--ユキポン 2007年2月3日 (土) 00:43 (UTC)

編集方針云々の話をしているわけではなく、ユキポンさんが確かなビジョンもなしにただ、衝動的なな考えに基づきこの記事を切り刻もうとしていることへの危惧を表明しているのです。Northface 2007年2月3日 (土) 06:51 (UTC)

ユキポンさんは何をしているのでしょう? 今日は独断で記事に分割テンプレートを貼ったようですが、 この大項目にまとまった原子爆弾の記事をばらばらにして小項目化しようなどという意見はユキポンさん以外からは出されていないのですよ?(ノート:1945年の広島・長崎に対する原爆投下)

参照されることの多いこの良質な記事の冒頭に独断で目障りなテンプレートを貼って、読者を混乱させるようなことはすべきでないでしょう。

以前も意見したことを再度言わなければならないのは本当に遺憾に思います:

唐突に分割提案されましたが、既存の既に量・質ともに充実しているいくつかの記事群を切り刻むに値する確かで高いビジョンは見当たりません。
ユキポンさんの過去の投稿履歴([2])を拝見させて頂きましたが、この分野に対する編集実績は皆無ですね? さらに近接する軍事分野の編集実績もありませんし、現代史分野の編集実績も全くないようです。
自分の興味分野でもないし、知識のおよぶ範囲でもない分野でいったい何をしようとしているのですか? Wikipedia日本語版を混乱させるような行為はおやめください。お願いいたします。

--Northface 2007年2月18日 (日) 01:41 (UTC)

分割提案のテンプレートを貼るのは問題ないでしょう。ノート:1945年の広島・長崎に対する原爆投下の議論が本項目に影響を与える可能性はありますから、告知するのはむしろ良いことだと思います。また、ヒロシマ・ナガサキに関する記述が原子爆弾そのものの記事としてはやや逸脱気味である、というのは私も今読んでみて思いました。検討の余地はあるでしょう。 -- NiKe 2007年2月18日 (日) 02:26 (UTC)
はじめまして。「ノート:1945年の広島・長崎に対する原爆投下」での結論如何によっては、という意見ですね。その場合もテンプレートの貼り付けは拙速過ぎたといえるでしょう。
この記事の主題が複雑な対象ですから、人によっては「いつだつ」という感想も抱くわけですね。それでは。
--Northface 2007年2月18日 (日) 04:18 (UTC)

他の方の意見を求めている最中に横槍を挟むのはやめて頂きたいですね。自分が納得できないからといって、自分だけが勝手に感じる混乱を、まるでWikipediaの総意であるかのように述べるのも御遠慮願います。私はテンプレートを貼っただけで、記事の内容を台無しにした訳でもありません。確かに私は専門的な知識は持ちませんが、今回提示したのは記事の再構成であり、そういった知識は特別必要としません。本当にこの分割が記事を台無しにするものであれば、きっとこのノートは批判や反発の意見で埋まることでしょう。--ユキポン 2007年2月18日 (日) 11:24 (UTC)

ユキポンさんは過去にも同じようなセリフを言いましたね。

ノート:1945年の広島・長崎に対する原爆投下/過去の議論#ユキポンさんの2007年2月3日の暴言について

わずか、2週間前のご自身の失敗をもうお忘れなのでしょうか。あのときの反省はどこへいったのでしょうか。

ユキポンさんのここ最近の発言からは、Wikipediaの記事をより良くしたいという動機が感じられません。 なにか、人に食って掛かるような発言を繰り返しをするばかりでは、「合意形成」などとてもできないと思われます。 とりあえず、気持を落ち着けて自分を見つめなおすことを勧めます。

--Northface 2007年2月18日 (日) 15:14 (UTC)

単にアメリカ軍による原子爆弾の使用をこの記事に置いておく必要性を当方は感じません。むしろ、原子爆弾の開発や使用したことによる各国への影響について言及されていないことの方が気になります。一応ユキポンさんのご提案やNiKeさんのご意見に基本的に賛成なんですが、「1945年の広島・長崎に対する原爆投下」での議論がまとまるまで、分割は告知と誘導に留めて保留ということでいいのではないでしょうか。--sabulyn 2007年2月18日 (日) 15:34 (UTC)

必要性を感じない人もいるのですね。私は必要性を感じます。そして、過去にこの記事を作成した何人かの人も必要性を感じてそのような編集をしたのでしょうね。

さて、「1945年の広島・長崎に対する原爆投下」での議論がまとまるまで、分割は告知と誘導に留めて保留という動議でだされましたが、私も同意致します。現在はステップを踏んだ議論が進行しているのですから。 従い、告知は数日間を得て、テンプレートは外すのが適切でしょう。

--Northface 2007年2月18日 (日) 15:41 (UTC)

2週間前の話は、単に表現不足だったまでです。Northfaceさんも、相手の真意を理解・配慮しようという姿勢が未だに学べていないようですね。確かに自分の主張をゴリ押しするばかりの方とは合意形成は難しいでしょう。

それに、何の根拠もなしに「過去にこの記事を作成した何人かの人も必要性を感じてそのような編集をしたのでしょうね」と何故言い切れるのでしょうか? もし広島・長崎原爆投下についてまとめた記事があれば、果たして「原子爆弾」の記事に原爆投下の経緯や評価まで書かれたかは疑問です。あと、「1945年の広島・長崎に対する原爆投下」の議論に決着がつくか、このノートが圧倒的多数の反対案で埋め尽くされるまでは、たとえテンプレートを外されてもまた復活させますので、お忘れなく。--ユキポン 2007年2月18日 (日) 18:51 (UTC)

(追記)現在、ノート:広島市への原子爆弾投下でも同様の議論を行っている最中です。こちらにも参加して頂けたら幸いです。--ユキポン 2007年2月19日 (月) 11:07 (UTC)

なぜ必要性を感じないかといいますと、原子爆弾という記事にあっても良いこと(日本とアメリカ以外)が書いてなくて、なくても良いこと(広島・長崎原爆投下)について書かれているということです。むちろん、「1945年の広島・長崎に対する原爆投下」という記事が存在しなくなるのでしたら、どうしても広島原爆投下と長崎原爆投下の別記事にそれぞれ書くわけにもいかないので、こちらに書くのも仕方ないと思います。しかし、あくまで原子爆弾は核兵器の1つ(一種?)であって、何もアメリカ軍しか開発しなかったというわけではなく、ソ連やドイツなど独自に原子爆弾の開発(研究)をしていたのですから(出典を出せと言われてもすぐには出せませんが)、原子爆弾の記事にアメリカ軍が日本に投下したことやその理由などが長々と書かれているのは不自然と感じてしまい、それを「1945年の広島・長崎に対する原爆投下」へ移すというのは破壊行為ではないと考えます。--sabulyn 2007年2月19日 (月) 12:00 (UTC)

ユキポンさんへ。

なにか、私憤をエネルギーに場をかき回していますね。このままでは、結果的に記事を混乱させる恐れがあります。。。

--Northface 2007年2月19日 (月) 13:21 (UTC)

Sabulynさんへ。

Sabulynさんは必要性を感じないのですね。私は必要性を感じます。意見が分かれました。

兵器としての原子爆弾にのみ興味がある方は不要なものとみえるのかもしれない。 一方、原子爆弾のもたらす悲惨さ恐ろしさとかに興味がある方は必要とみえるでしょう。 そして後者の方は逆に「○×方式」とか爆弾の構造とかには興味がなく不要なものとみえるのかもしれない。

そういうものでしょう。必要性とは見る人により異なります。

--Northface 2007年2月19日 (月) 13:26 (UTC)

本項目から広島・長崎に関する部分を別記事として分離するとして、それに何か不都合があるのでしょうか。別に『Wikipediaにとって原爆投下の歴史的事実や影響は不要』とかいう話ではなく、単にページをテーマによって分けるだけのことでしょう。反対する理由が分かりかねます。 -- NiKe 2007年3月23日 (金) 09:42 (UTC)

現在、情報がまとまっている記事をバラバラにして、情報を分散させることはないでしょう。小項目主義を貫く方針があるわけでもなし。--Northface 2007年3月24日 (土) 06:27 (UTC)

その点については既に述べましたように、現在の状態こそ情報が分散しているという見方もでき、それを閲覧者が見やすいように整理することは破壊行為ではないと考えます。幸いハイパーリンクというWebページの機能を利用すれば、「原子爆弾のもたらす悲惨さ恐ろしさとかに興味がある方」を誘導することは容易なことです。加えて、原子爆弾が兵器である以上、「兵器としての原子爆弾にのみ興味がある方」が閲覧するのは至って当然ではないでしょうか。--sabulyn 2007年3月24日 (土) 07:50 (UTC)
たとえば空襲の項目(IPユーザー時分に佐世保空襲を加筆しました)では、現在、空襲日本本土空襲が分割され、さらに、空襲空爆が統合される流れとなっているようです。このメリットとしては、当該記事の長いページ化を防ぎ、個別の視点による記事の個性化に傾注できるという点でしょう。原子爆弾の項目にしても、分割に際して、関連事項に、「広島」、「長崎」をしっかり明記、その上で、各個、記事の充実に努力を傾注すれば良いと思います。m(_ _)m--N.h.n 2007年3月24日 (土) 10:36 (UTC)分割に際してが抜けていました→追加。m(_ _)m--N.h.n 2007年3月24日 (土) 10:39 (UTC)

記事として体裁がまとまっていようとも、それがWikipediaの規則に従っていなければ話は別です。Wikipedia:記事の分割と統合#統合すべき場合においては、「同一の概念や事物に関して、別名で記事が作られた場合」は統合すべきという指針が出されています。そして原子爆弾投下の背景(投下理由・目標選定など)は原子爆弾広島市への原子爆弾投下長崎市への原子爆弾投下でそれぞれ作成され、いずれかの記事でまとまっているという状態ではありませんので、どこかでまとめ記事が必要ということです。そしてこの記事は原子爆弾そのものを扱う記事ではある以上、原爆投下の経緯について詳細を記述する記事として相応しくないと考える次第です。--ユキポン 2007年3月25日 (日) 01:47 (UTC)

こちらのノートにもコメントします。 言うことに事欠いて、記事の体裁よりも「Wikipediaの規則」を重視する云々の言動をするに至っては、もはや何をか言わんや、です。

大体に、広島原爆と長崎原爆は別の事象ですから、これを別々の記事にする日本語版のやり方と、合併した記事にする英語版のやり方と、どちらが正しいわけでもありません。「Wikipediaの規則」など持ち出しても、その判定はできませんし、そもそもどちらが正しいと判定する必要もありません。両者がそれぞれの読者にとって読みやすい記事を作り上げてきただけの話でしょう。分割とか合併とか声高に叫ぶ必要などどこにもありません。

原爆関係の記事など一度も真面目に編集したことのないユキポンさんの今回の一連の発言がもたらした騒動には、私は呆れ果てています。Atoms 2007年3月25日 (日) 02:09 (UTC)

私はAtomsさんの「記事の品質や体裁がよければ、規則なんていくら破っても構わない」という主張に呆れ返っています。Wikipediaに参加する以上は、当然その規則に従う義務が発生します。そんなに素晴らしい記事を自己流のやり方で作りたいなら、いっそ御自身のホームページを設けられてはいかがでしょうか?幸いこのWikipediaの記事は、GFDLの規約さえ従えば、いくら転載しても著作権法には違反しませんので。

あと、私は広島市への原子爆弾投下長崎市への原子爆弾投下を統合すべきなどとは一度も主張していません。互いに共通する原爆投下の背景の記述をどこかで統合すべきと述べているだけです。そしてその根拠はWikipedia:記事の分割と統合#統合すべき場合にある通りです。何ら客観的な根拠も提示せず、個人的な感情や主観だけを元に統合反対を主張するAtomsさんこそ、Wikipediaに参加する資格があるのか大いに疑問です。--ユキポン 2007年3月25日 (日) 15:03 (UTC)

何か、0か1かのような、ついでに感情的な議論になっている気がしますが、今の統合・分割議論にこの記事が巻き込まれているのは、そもそも原子爆弾という言葉の定義が明確でないからのように感じます。現在の記事冒頭の定義では、他の核分裂反応兵器の説明と変わりがなく、他の核分裂兵器と何が違うのかがわかりにくくなっています。なので、「原子爆弾」という言葉が持つ日本人独特のイメージが先行してしまい、「アメリカ軍による日本での使用」に傾いていってしまっているのではないでしょうか。とは言うものの、原子爆弾と核分裂兵器を明確に区別するのはその時代ごとの核兵器の呼び方という以外は難しく、もっとはっきりした定義づけが必要です。英語版やドイツ語版では原子爆弾(Atomic bomb)は核兵器(Nuclear weapon)へのリダイレクトになっていて、原子爆弾単体の記事があるのは(見た範囲では)日本語版独特のようです。外国語版がそうなっているのは、昔は大量破壊兵器をまとめて「ABC兵器(Atomic, Biological, Chemical weapon)」と呼んでいたものが、現在では「NBC兵器(Nuclear, Biological, Chemical weapon)」と呼ぶように変わっており、Atomic = Nuclearという認識があるからです。日本語版でもこの2つの言葉は同義とされています。つまり、Atomic bombという言葉そのものが古い言葉なのです。したがって、今思いつく定義の改訂案としては、例えば、今の定義に加えて「○○年ごろまでの核分裂反応兵器の古い呼び方である」などです。どうしても広島・長崎のことが書きたければ「狭義では、戦後教育の浸透もあり広島・長崎に投下された爆弾のことだと日本国内では認識されているが、本記事では日本で使用された原子爆弾に限定しない」などと書くのがいいかと思います。まず、最初に原爆とは「核兵器の一種」ではなく、「前にも後にもその2発しか存在しなかった」のではなく、ズバリ当時の核兵器すべてであり、特段の区別はないということが明確になっていれば、おのずと広島・長崎の話は縮小していくのではないでしょうか。また、京都が投下候補地から外れた話や、投下地点の選定理由などの話も記事の定義から考えるとそぐわないという風になっていくはずです。このように考えると、広義で原子爆弾という言葉を捉えた場合、記事の内容はsabulynさんの言うように不足しているのは確かです。もっと世界的な視野でアメリカ以外の国での原子爆弾開発はどうだったのか?という掘り下げが必要なのではないかと思います。原子爆弾とは最初に誰が命名したものなのか?誰が初めて造ったものなのか?アメリカ以外の国では研究はいつから始まり、いつ核実験が実施され、いつごろ実戦投入可能な実物が造られたのか?いつごろから原子爆弾という言葉が戦中戦前の言葉とされるようになったのか?という話も必要です。更に言えば、日本でも原子爆弾の開発は行われていました。そこにはまったく触れず、日本の被害だけをクローズアップするのは中立的な記事とは言い難いと思います。広島・長崎の被害について書くのであれば「原子爆弾を使うとこうなる」という趣旨で例示程度に留めるべきです。原爆の直接的、間接的被害については広島市への原子爆弾投下の記事で実に詳細に書かれていますから。--Balmung0731 2007年4月15日 (日) 12:01 (UTC)

宗教家の「原爆は罰」

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項目「池田大作」において出展と共に明示されておりますが。--210.162.10.60 2007年3月23日 (金) 09:36 (UTC)

Help needed for article on Wikipedia in English

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Hello, I am sorry that I cannot read nor write in Japanese. But I hope that someone can read this note and react to it.

On the Wikipedia article List of massacres, which counts hundreds of events, a group of users have repeatedly deleted the entries relative to the nuclear bombing of Hiroshima and Nagasaki. Among many false reasons, they claim on the Discussion Page of the article (and also here) that these two events and the last bombing of Japan on Aug. 15th 1945 were NOT massacres, because "no reliable source" has written that it was a massacre !!! Others and myself think that it is outrageous, but now I have been blocked from editing because I could not accept this lie (the deleted text is here in the article's history).

It would be appreciated if anyone concerned by this shocking situation could contribute to rectifying the truth.

ありがとう , Michel Tavir ----以上の署名のないコメントは、83.88.135.224会話/Whois)さんが 2007年11月7日(水)18:36 に投稿したものです。 (一部修正時の署名補填) ----以上の署名のないコメントは、83.88.135.21会話/Whois)さんが 2007年11月9日(金)17:18 に投稿したものです。

威嚇投下だけで日本が降伏した可能性

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例えば富士の樹海などに原爆を投下し、威力を見せ付けるだけで、日本は十分降伏した可能性が高かったと思います。当時はすでに降伏交渉に向けて日米両政府の接触も始まっていました。なぜ交渉がまとまる前に、威嚇で人のいない箇所に落とすことすらせず、いきなり都市への投下となったかが疑問点にすべきかと思います。米国政府内にも、一度人のいない箇所に投下して威力を見せ付けてはどうかとの声もあったそうです。それを無視して大量殺戮するには何かの理由があったはずです。 このことについて記載してはどうでしょう。--203.138.139.202

理由は、戦争だからです。--BlueSkyWhiteMoon 2008年2月7日 (木) 22:16 (UTC)

ご指摘の二点については、歴史的事実とは異なります。 まず、あの時点では日米で降伏交渉は始まっていません。政府の交渉は、ソ連ルートとスイスルートが水面下で勧められましたが、八月の時点では暗礁に乗り上げた状態でした。ポツダム宣言が最後通告であり、日本が「拒絶」(もしくは「無視」)したというのが事実です。だから投下しても良いか、というのは別の議論になります。

資料が手元にないので、正確な日時は忘れましたが、威嚇については討議されて、結局否定という結論になりました。 否定の理由は5,6個あったと思いますが、覚えている限りでは ①予告投下地点で日本軍に待ち伏せされる可能性があり、爆撃機の乗組員を危険にさらすことが出来ない ②投下した原爆が不発だった場合、日本を勢いづかせてしまい、目的の早期降伏自体を遅らせることになりかねない ③不発だった原爆を日本が回収して、研究される危険がある ④威嚇投下して日本が降伏しなかった場合、実戦で投下しても日本国民や政府に与える精神的な衝撃は小さくなり、降伏が遅れる可能性がある

だったと思います。 ただし、これらの討論は一度限りで二度と話し合われることはなく、またそのときのメンバーも、投下反対派の科学者なども交えたものではなく、投下推進派と中立派のみのものだったはずです。この件で、開発過程で討論されたのは載れ意外には存在しないはずです。--Swordarts 2008年3月19日 (水) 07:30 (UTC)

まず①に関しては100%ありえません。既に本土の制空権もなくしていた状態で上空1万メートルを飛ぶB29が危険にさらされる状況は当時ありえませんでした。 スイスルートに関して日本からは皇室の維持を除いては無条件降伏をする旨の通告を1945年4月20日に出しています。 それを無視したのはアメリカ合衆国です。なぜ原爆を投下したに関してはいろいろ議論があるのですが、一番の理由は人体実験とみるのが各方面の本音のようです。なぜなら、長崎、広島とも各市の半分以上を容易に壊滅状態に押しつぶし殺す程度の水量が貯蔵された水源地があり、そのダムを決壊させれば原爆投下以上の効果があったにもかかわらず原爆投下を選んだからです。しかもそれぞれ種類の違う一発ずつを。ただしこれは各方面の本音であり、建前としては原爆投下が戦争終結を早めたと認識されるべきでしょう。--以上の署名のないコメントは、122.24.199.113会話/Whois)さんが 2008年11月20日 (木) 11:21(UTC) に投稿したものです(Nifeによる付記)。

アメリカは原爆の効果を人体実験したかったので、原爆の完成前に日本が降伏してしまわないように作戦の進行を遅らせるだけでなく、降伏の調停が進まないように画策していたという記事を補足していただきたい。例えば、日本の鉄道網は終戦時まで温存されていました。これを寸断していれば、食料や物資を都市に輸送できませんし疎開もできなくなります。本土決戦など不可能になります。--Nife 2009年7月31日 (金) 20:21 (UTC)

原爆について

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原爆が投下されたのが8:15 原爆が爆発したのが8:16 原爆の発明者はアイン・シュタイン アイン・シュタインには放射線の実験したいためといわれてやったらしい 放射能は強烈な光なので髪の毛も抜けたり病気【原爆後遺症】になる性質をもっているが、それだけではない 放射能に含まれていた光が地面にあたり100年までは植物は生えなくなる性質を持っている 日常、花が枯れるときは太陽に含まれた放射線の原因だと思われるらしい 広島市は全国の寄付に植物もほしいといわれ植物があつまると植物を広島に埋め込みいまでも少しは放射能が入ってる土でも育てられるようになった。 広島にある植物は全国の寄付なので大事に使ってほしい

日常の太陽【光】には放射線が少しだけ含まれている レントゲンは放射能を利用して撮影

原爆には名前がある 広島に投下された爆弾は【リトル・ボーイ】意味は[小さな少年] 長崎に投下された爆弾は【ファット・マン】意味は[太った男性]

原爆ドームの補強工事は3回しか行っていない --59.84.10.96 2008年2月8日 (金) 10:55 (UTC)松本拓也

エネルギー

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原子爆弾は放射性元素の核分裂反応で放出されるエネルギーを利用する爆弾である。TNT火薬などの通常兵器に用いられる物質が化学反応によって原子間の結合エネルギーを解放するのに対して、原子爆弾では原子核を構成する核子の結合エネルギーが解放される。化学結合のエネルギーは電子ボルト (eV) のオーダーだが、核力の結合エネルギーはメガ電子ボルト (MeV) のオーダーである。具体的には1kgのウラン235が核分裂を起こした場合に発生するエネルギーは、およそ20万トンもの化石燃料が燃えた場合に相当する[1]。そのため、原子爆弾で解放される単位質量あたりのエネルギーは通常兵器のそれに比べて約106倍も大きい。

とありますが、

  • 「核子の結合エネルギーが解放される」という表現は正しいでしょうか?実際には「核反応によって失われた質量エネルギーが運動量として放出される」が正しいように思います。
  • 化学結合のエネルギーは電子ボルト (eV) のオーダーだが、核力の結合エネルギーはメガ電子ボルト (MeV) のオーダーである。とあります。確かにこのようにおおざっぱな話をするひともいますが、化学結合といっても石油とTNT火薬ではオーダーが違いますから、百科事典では何桁以上大きいとかかないといけないと思います。
  • その結果の誤解でしょう、TNTと石油ではまったく質量あたりとりだせるエネルギーが異なっているのに、石油と核分裂反応で比較したあとで、通常兵器より原子爆弾が6桁大きいというのは誇張しすぎだと思います。
  • また、通常兵器といっても、燃焼なのか爆燃なのか爆轟なのかによって実際に周囲の物体の破壊に寄与するエネルギーはまったく異なります。現代の爆轟火薬と太平洋戦争のころの原爆を比較して質量あたり実際に周囲の物体の破壊に寄与するエネルギーを測定したら(もちろん測定はできない)、どちらが勝るか分かりません。

通常兵器とひとくくりにして、原子爆弾がとにかく強いと強調したいのは分かりますが、基本的に結合エネルギーから比較して兵器の強弱に結びつけるような比較はよろしくないと思う

--H335 2008年9月14日 (日) 05:50 (UTC)

記事内において、以後の原爆はインプロージョンとあるが、実際問題としてはガンバレル型核爆弾が製造されていることについて記述されていないのはまずいと考えるが。(具体的な米国の爆弾・形式を書いても良いが)0null0 2008年9月24日 (水) 17:55 (UTC)

副産物?

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"プルトニウム239は自然界には殆んど存在しない重金属であるが、原子炉(燃料転換率の高い原子炉が望ましい)内でウラン238が中性子を吸収することで副産物として作られるため、"

とあるが、いやいや、原子「炉」ってぐらいでそもそも原子炉はプルトニウムを生み出すために作られたもの(CP-1を例にもれず)だから、この記述はその後の商業炉のことと分離しないといかにも「副産物」を利用しているという感じにとられてしまう。

記述の変更を求める。0null0会話2015年8月6日 (木) 08:18 (UTC)

本土上陸作戦の関係性

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本土上陸作戦と原子爆弾は関係するのでしょうか。そもそもこの記事は原子爆弾の記事であり、本土上陸作戦とは関係しない。本土上陸作戦の記事を作ることでこれは書かなくていい。書いてある記事から察するに、原子爆弾で日本が投降したから中止みたいに書かれている。関連は関連だが、あまりにも違いがあると思います。--P720171会話2022年12月8日 (木) 23:13 (UTC)