ノート:巣鴨中学校・高等学校
この記事は2012年9月2日に削除依頼の審議対象になりました。議論の結果、存続となりました。 |
合意形成に向けて
[編集]編集保護からの解除に向けて、内容について合意形成を行いたいです。履歴を見る限り、2005年11月16日 (水) 12:34 版まで更新されてきている版と、現在保護されている版との間で今までに編集合戦が発生していることが原因かと思います。保護版を記述されている方はなぜこの記述にこだわっておられるか教えていただけますか?--218.221.140.100 2005年11月28日 (月) 15:45 (UTC)
>>218.221.140.100 さん
関係ないですが、半年以上経過していることですし、保護の利点よりも発展性のない欠点の方が強いと思われる
ので、もういいのではないですか?
(こういうところに書き込むのは初めてなので、書き方が間違っていたらすみません)
保護を解除しました。--おはぐろ蜻蛉 2006年6月20日 (火) 14:14 (UTC)
合意形成に向けて(2)
[編集]196.12.137.41さんが、前回保護解除前と同じ状態に戻しています。なぜその状況に戻したのでしょうか。 保護解除後記事が発展し、その内容も決して削除されるべき内容ではないのだから、元に戻す行為は厳に慎むべきであると思います。--219.164.92.212 2006年7月1日 (土) 09:56 (UTC)
>>202.229.26.102 なぜ、再び元に戻したのですか。自分の書いた記事を自慢したいだけですか? 同じ人物ってことはわかってるんですよ。--219.164.92.212 2006年7月1日 (土) 14:37 (UTC)
2006年7月2日 (日) 23:35の差し戻しについて
[編集]2006年7月2日 (日) 21:26(JST)の差し戻しによって、結果的にかなりの量の記述が削除されてしまっています。記述を残した状態でも議論は可能でしょうから、 2006年7月2日 (日) 16:11(JST)の版に戻させて頂きました。(半保護のタグも一緒になくなっていましたし。)
記述を削除すべきだとお考えの方は、上の「合意形成に向けて(2)」の節で議論されるようお願いいたします。--くにゃこ 2006年7月2日 (日) 14:46 (UTC)
合意形成に向けての議論のお願い
[編集]2006年2月17日 (金) 07:34に保護されてから何の議論も行われないまま保護が解除された為に再び編集合戦が繰り広げられているように見受けられます。従って2006年2月17日 (金) 07:34版へ差し戻しました。 ここで編集合戦を行っておられる双方の方々は解決に向けて何が問題なのかを具体的に議論を行って頂き合意の形成をお願いします。 これではなぜ編集合戦が起こっているのか不明です。LOOK 2006年7月2日 (日) 15:59 (UTC)
というか、ひたすら差し戻しを繰り返す人が議論に参加しないことが一番の問題です。議論に参加せず、一定期間過ぎて保護解除した途端に、自分の書いた文章に戻すだけの人をどう処理すればよいのか、とんと見当がつきません。--219.164.92.212 2006年7月2日 (日) 16:24 (UTC)
- もし219.164.92.212さんがそう主張するのなら、219.164.92.212さんご自身も現在ブロックされている内容のどこに反論があるのかを明確にされた方がよろしいかと思います。差し戻しに対して単に不満を主張するだけでは219.164.92.212さん自身も議論に参加されていないのと同じことです。ここを見ている皆さんも論点が全く見えてこない状況じゃないかなと思います。--ロミー 2006年7月3日 (月) 03:28 (UTC)
- 219.164.92.212さんではありませんが、私が上記差し戻しをした理由を記します。そもそも、2005年11月19日 (土) 10:42(JST)にこの記事が保護されたのは、理由なき大量削除への対処であったのだと推測されます。それなのに、2006年6月30日 (金) 01:13の版[1]や、2006年7月1日 (土) 21:48の版[2]では、「この状態で保護されていたから」という理由だけで、この記事全体の分量に比して相対的に大量の記述が削除されています。しかし、保護する版は選べないことになっており、保護された状態の版の内容に必ずしも妥当性があるとは限りません。ですから、「この状態で保護されていたから」というのも、何ら理由にはならないと考えます。
- 削除された内容に、POVや著作権などの観点から特に問題となる点があるとも思えません。それなのに理由なく削除するというのは不当ではないでしょうか。記述を削除している方には、「保護解除の状態に戻すため」以外の理由を述べてほしいと思います。--くにゃこ 2006年7月3日 (月) 15:20 (UTC)
- >>ロミーさん
私の意見はおよそ次の通りです。
- 2005年11月19日(土)10:42(JST)版(以下、前回保護版といいます)と同内容の記述の記載者を比較すると、IDが短期間に一時的に使用されすぐに使用されなくなるパターンのものばかりです。これは、自分のIDが集中的に攻撃されるのを防ぐための典型的な荒らしの行動と考えるのが妥当です。
- 前回保護版以降、発展した記事内容は明らかに複数の人の合作であることがわかります。一方で前回保護版の内容は一度にすべてが差し戻しをされている、すなわち1人の行動であることがわかります。これは記事内容の正当性の点から考えても危険なものです。
- 前回保護版では、「悪名高い」といった中傷的な表現や、「鴨中」「鴨高」といういわゆる“スラング”(=一般的に用いられる表現ではない)が表記されていることなど、内容に問題点があります。
- 前回保護版は明らかに情報に乏しく、特に「出身者」や「行事」の項目は削除する意味がないと思われます。また情報が多いからと言って、「発展した記事」で増えた内容を表記することは違法とは考えられません。
- 前回保護版の記載をとどめておくことは荒らし(と思われる人)の思う壺であり、許されがたいことであると思います。--219.164.92.212 2006年7月3日 (月) 17:41 (UTC)
昔の巣鴨は非常に評判の悪い不良学校だったことは承知の事実なのだから「悪名高い」という表現は巣鴨の過去を表すのにピッタリの言葉と思いますけど。
いくら隠したところで事実は変えることは出来ないものです。まあ巣鴨とは個人的に関係ないのでどうでもいいことですが。80.249.70.139 2006年7月4日 (火) 14:01 (UTC)
- 「悪名高い」は主観的なので削除が妥当かと思いますが、「風紀が荒廃して」くらいは別にいいかなとも思います。「鴨中」「鴨高」も、学校に略称は付き物であり、在校生・卒業生、近所の人などが実際にこの名前を使っているのであれば問題はないかなとは思います。でも、なぜ、この部分を書き足すだけでは満足せず、リバートするのかのご説明はお聞きしたいですね。--くにゃこ 2006年7月4日 (火) 14:55 (UTC)
巣鴨が「鴨中」「鴨高」と呼ばれているのは聞いたことがありませんし、ネット検索をかけてみても巣鴨が広くこのように呼ばれているとは確認できません。 また、「風紀が荒廃」「非常に評判の悪い不良学校」などという噂もここ以外では見聞きしたことのないものばかりです。 (ちなみにこんなことを書くのは荒れる要因となるかもしれませんが、以前にも巣鴨出身で文化勲章を受賞なさった市古貞次氏の経歴が改竄されてたこともあり、巣鴨に対して悪意を持っている人間がここを閲覧、投稿している可能性は否定できないと思います)
- そうでしたか。略称については、本当に使われているのだとすると、何らかのソースを示すことが出来るでしょうから、略称を掲載したいと考えている方はぜひソースの提示をお願いします。学校の評判の件は…なかなか難しいかも知れませんねぇ。示されたソースが何の根拠もない罵倒の可能性もありますし。信憑性のあるソースがありましたらご呈示願います。
- 現状ではこのノートに書き込みしているのは「前回保護版」に疑問を呈している立場の人だけのようで…。もう少し様子を見て、前回保護版に賛成の方からのご説明がない時は、2006年7月2日 (日) 16:11(JST)の、半保護された段階の版に戻したいと思いますが、いかがでしょうか。--くにゃこ 2006年7月5日 (水) 15:33 (UTC)
「願書を送るその前に」(大海社)の巣鴨の紹介ページ(P195)で巣鴨という学校について「悪名が高かった」「校内が荒廃していた」とはっきり書かれています。
また週刊朝日の特集でも「ワルの巣鴨として鳴らした都内きっての不良学校」と書かれていました。巣鴨に関するこの手のものは探せばいくらでも出てきますよ。頑なに否定するからかえっていろいろな人から突っ込まれるのではないでしょうか?そんな印象を持ちました。
- まず、お願い。皆さん、ノートを編集する時は署名をお願いいたします。それから、出来るだけインデントを使ってください。誰の意見か分かりづらいです!
- さて、本題。巣鴨が昔荒れていたのはどうも本当のことみたいですね。ネットで見てもそうなのかなという気がしました。一方、略称のほうはどうも確認が取れません。そもそも「すがも」って本名が短いから省略するメリットがあまりないですよね…。
- ということで、両者の意見を取り入れて、導入部を以下のように作ってみました。この記述の後に、「代表的な行事」以下、2006年7月2日 (日) 23:35(JST)=2006年7月2日 (日) 16:11(JST)の版の記述を続けるという案です。
- ---以下本文案---
- 巣鴨中学校・高等学校(すがもちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都豊島区にある私立男子中学校・高等学校。硬教育(努力主義、文武両道)を掲げ、中学校は剣道、高校は柔道又は剣道を正規の必修授業科目としている。「全校有段者主義」、「全教科必修主義」を旨とする。かつては風紀が荒廃していて悪名が高い時期もあったが、現在では新御三家の一つに数えられる。
- 所在地は東京都豊島区巣鴨ではなく豊島区上池袋。JR山手線・都電荒川線大塚駅より徒歩10分、JR山手線・JR埼京線・西武池袋線・東武東上線・東京メトロ有楽町線池袋駅より徒歩15分、都営三田線西巣鴨駅より徒歩13分、JR埼京線板橋駅より徒歩15分。
- ---本文案ここまで---
- いかがでしょうか。--くにゃこ 2006年7月7日 (金) 12:47 (UTC)
- 皆さん納得していただけたのでしょうか?とりあえず2006年7月14日 (金) 12:47 (UTC)までは待ちますので、それで異論がなければ上記の提案通り編集させて頂く、ということでよろしいですか?--くにゃこ 2006年7月11日 (火) 15:26 (UTC)
- >>くにゃこさん
- 概ね賛成です。「悪名高い」もある程度は仕方ないですかね。個人的には「願書を送るその前に」が批判的な内容を記述している書物の可能性が否定できないと思いますが。
- 「鴨中」「鴨高」は内輪では確かに使います。むしろさらに略して「ガモ」というだけで本校を意味することは分かるのです。しかし当然内部だけで通じる言葉であって、関係者以外に対して使っても全くわからない言葉です。
- 以下、本当に些細なことで申し訳ないのですが、
- 「新御三家」のリンクは明らかに違うところへ飛んでしまいます。
- 「森林公園」のリンクは曖昧さ回避のページです。ここでは国営武蔵丘陵森林公園のことですのでちょっと工夫をすると親切かなと思います。
- 都電荒川線は正式には大塚駅ではなく「大塚駅前」という駅(停留所?)です。また、都電荒川線の場合「巣鴨新田」という駅(?)の方が本校には近いです。徒歩何分か詳しいことがわからないのは残念ですが、こちらの方が近いことは地図などで確かめられる事実です。
- 自分で案を出していないのにダメだししてすみません。--219.164.92.212 2006年7月11日 (火) 15:40 (UTC)
- えーと以前自分で「悪名高い」は主観的と書いていましたね…。この文言は削除しましょう。それから、「がも」って内部では使うんですか。だったら載せませんか?「関係者は「鴨中」、「鴨高」、さらに「ガモ」という略称で呼ぶことがある。」といった感じで。
- ご指摘の内容、チェックしていなかったものですいませんでした。
- →表示は「新御三家」のまま御三家 (学校)にリンク
- →国営武蔵丘陵森林公園にリンク
- →「JR山手線大塚駅より徒歩12分、都電荒川線巣鴨新田停留場より徒歩10分、JR山手線・JR埼京線・西武池袋線・東武東上線・東京メトロ有楽町線池袋駅より徒歩15分、都営三田線西巣鴨駅より徒歩14分、JR埼京線板橋駅より徒歩14分。」所要時間は学校の公式サイトの情報に統一しました。
- でいかがでしょう?他にもまずい所がありましたらご指摘下さい。ご覧の通りのノーチェックなものですから(汗)--くにゃこ 2006年7月12日 (水) 13:50 (UTC)
- 公式サイトを調べて頂きありがとうございます。
- 鴨中・鴨高ですが、「関係者は~~」でよいかと思います。--219.164.92.212 2006年7月14日 (金) 02:20 (UTC)
- 他の方からも特に反対のご意見を頂かなかったので、合意を得られたものとして上記の文案で編集を行い、半保護解除の依頼も出してきます。--くにゃこ 2006年7月14日 (金) 13:57 (UTC)
「現在では御三家の一つに数えられる。」→「新御三家」の誤りですね。(sinα)
- ご指摘ありがとうございます!直しました。早く半保護が解除されるといいのですが…。--くにゃこ 2006年7月17日 (月) 14:34 (UTC)
重田康光はOB。--220.106.12.241 2007年3月27日 (火) 05:00 (UTC)
合意への提案
[編集]巣鴨中学校・高等学校 | |
---|---|
過去の名称 |
巣園学舎 巣鴨中学校 巣鴨商業学校 巣鴨高等商業学校 |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 学校法人巣鴨学園 |
設立年月日 | 1910年 |
創立記念日 | 11月25日 |
創立者 | 遠藤隆吉 |
共学・別学 | 男子校 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 3学期制 |
所在地 | 〒170-0012 |
東京都豊島区上池袋1-21-1 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
巣鴨中学校・高等学校(すがもちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都豊島区にある私立中学校・高等学校である。中高一貫制男子校。略称は、「鴨中」「鴨高」。
概観
[編集]90年以上の歴史を有する伝統校である。硬教育(努力主義、文武両道)を掲げ、中学校は剣道、高校は柔道又は剣道を正規の必修授業科目としている。「全校有段者主義」、「全教科必修主義」を旨とする。
建学精神
[編集]- 〔訓〕能カを外にして長幼の序を認め、為にする所なくして人格の光を仰ぎ、天道の自ら至るを恐れ、人倫の当に依るべきに従う。人類を一視して其の幸栄を増進し、有用の学術を修め質実の気風を養い、適く所として其の天職を完うせんとす。
教育理念
[編集]- 〔訓〕教育の要は、人の大なるを知り、人をしてその大なる所以の者を知らしむるに在り。また人に接するの第一義なり。
沿革
[編集]- 1910年 - 遠藤隆吉が私塾「巣園学舎」を創立。
- 1922年 - 巣鴨中学校が発足。(所在地:北豊島郡巣鴨村宮仲 →現在の豊島区上池袋1丁目)。
- 1924年 - 巣鴨商業学校を併置。
- 1928年 - 巣鴨高等商業学校(戦後分離の上、学制改革で千葉商科大学に)を併置。
- 1945年 - 東京大空襲により校舎全焼。復旧に着手、授業継続。
- 1949年 - 学制改革により、新制巣鴨中学校、新制巣鴨高等学校、新制巣鴨商業高等学校の3校を併置する学校法人巣鴨学園となる。
- 1956年 - 一橋大学助教授だった堀内政三が校長に就任。
- 1997年 - 制帽着用が自由化される。
- 2000年 - 巣鴨商業高等学校の生徒の募集を停止(2002年3月休校)。全校舎冷暖房化。
- 2002年 - 旧制巣鴨中学校創立来80周年。学園史『文武一貫』刊行。
- 2007年 - 堀内政三が学園長に就任。後任の校長職には堀内不二夫が就任(前職は副校長)。
歴代校長
[編集]- 初代:遠藤隆吉(在任期間1910年5月~1937年6月)
- 第二代:遠藤健吉(在任期間1937年6月~1955年9月)
- 第三代:清水虎雄(在任期間1955年9月~1956年6月)
- 第四代:堀内政三(在任期間1956年6月~2007年3月)
- 第五代:堀内不二夫(在任期間2007年3月~現在)
所在地・アクセス
[編集]学校行事
[編集]- 大菩薩峠越え強歩大会
- 大菩薩峠越え強歩大会は5月に行われる。深夜2時から、東京の奥多摩と山梨の甲州市との間に位置する大菩薩峠を越える。全校生徒が参加するが、中学1年生にとっては入学以来初めて経験する行事である。日中に歩く場合に比べて多くの危険が伴うため、先生や卒業生がコースのいたるところで生徒の安全を見守っている。天候の良い年には富士山が一望でき、その雄大さを実感することができる。また大菩薩峠には、同名小説を書き残した小説家・中里介山にちなんだ「介山荘」がある。なお、1年ごとに出発地点が交換される。学年ごとに踏破する距離が異なり、2005年に実施された大会では、中学1年生:20.9km、中学2年生/3年生:26.0km、高校1年生:27.0km、高校2年生:33.9km、高校3年生:34.5kmのコースであった。2000年ごろまでは、小河内ダム駐車場~塩山北中学校の42.3kmが高校生のコースであったが、小河内ダム駐車場が利用できなくなったことにより、高校生のコースが短縮された。
- 巣園流 館山水泳学校
- 巣園流館山水泳学校は毎年夏休み中に行われる。現在は中学1年生のみ必修となっており、中学2年生以上は自由参加である。古くから日本に伝わる伝統的な日本泳法(そのうちの水府流太田派)を学ぶ場として現在に受け継がれている。一重伸し、二重伸し、両輪伸しなどの基本泳法から始め、上級班では各種の抜き手も習い、合宿の最後には遠泳が行われる。遠泳では「遠洋、泳洋」の掛け声をかけながら館山湾を横切る。遠泳では両輪伸しで泳ぐことが推奨される。これは、両手は波面のすぐ下をなでるように水平に円を描いて浮力を得、両足は大きくゆったりと前後に開いてから勢いをつけて閉じる「挟み足」から推進力を得る泳法である。両手両足をシンクロさせて一かきするが、一かきするごとに数秒間全身を一直線にして「伸し」をとる。両輪伸しでは手は水を掻かないのでつかれにくく、また「伸し」をとるたびに体を休めることになるので遠泳向きの泳法である。なお巣園流では他の日本泳法各派同様、ほとんどの泳法で頭を水上に出して泳ぐ。学生は白のさらし木綿の褌を締めるが、指導にあたるOBは黒の褌を締め、泳法指導のほか最終日の朝に行われる宿舎対抗の歌合戦の指導にも熱が入る。歌合戦は、声量と迫力に重きが置かれるため、毎夜の歌の指導は荒々しい。
- 蓼科学校勉強合宿
- 勉強合宿は毎年夏休み中に行われる。長野県蓼科高原にある蓼科学校にて、団体生活を学びながら、普段の授業では触れることのできない分野などを学習する。中学生と新高入生1年が勉強合宿を行う。
- 創立記念森林公園マラソン大会
- 創立記念日11月25日を記念して、毎年埼玉県の国営武蔵丘陵森林公園において10km走を行う。全校生必修となっているが、学年によって3分ずつの時間差スタートとしている(制限時間は、中学1年生は90分であるが、高校3年生は75分)。
- 寒稽古
- 3学期の授業開始後、ほどなく行われるのが寒稽古である。剣道・柔道・駆け足(高校生のみ)の3種目から成り、早朝、始業前から稽古が始まる。全校生徒の参加が推奨され、中1から高2までの参加率は90%以上、高3も2割の生徒が参加する。生徒の通学域の拡大や実質全校参加である事情を鑑み、実施期間はかつてより負担が軽くなり、現在、期間は6日間。最終日には納会が行われ、豚汁が配られる。
主な出身者
[編集]- 市古貞次 - 国文学者、東京大学名誉教授、文化勲章受章
- 渥美清 - 俳優、国民栄誉賞受賞
- 浦田正夫 - 日本画家、日本芸術院会員
- 北村治禧 - 彫刻家、日本芸術院会員
- 下村康正 - 刑法学者、中央大学名誉教授
- 安藤英治 - 経済史家、元成蹊大学教授 / マックス・ヴェーバー研究の権威
- 大原慧 - 社会思想家、元東京経済大学教授 / 幸徳秋水研究の権威
- 川口弘 - 経済学者、元中央大学教授・学長 / ケインズ経済学の権威
- 林栄夫 - 経済学者、元東京都立大学教授 / 財政学の権威
- 南部鶴彦 - 経済学者、学習院大学教授 / 産業組織論の権威
- 蝦名賢造 - 経済学者、元獨協大学教授、元獨協中学校・高校校長
- 新井裕 - 元警察庁長官
- 村井順 - 総理府調査室(のち内閣調査室)初代室長、内務・警察官僚。総合警備保障社長
- 平山長 - 元最高裁判所判事
- 森寅雄 - 剣道家(範士八段) / 米国で剣道の普及に尽力し「タイガー・モリ」として知られる
- 小野寺剛 - ソフトテニス選手 / 元全日本チャンピオン
- 北出清五郎 - 元NHKアナウンサー
- 和田勉 - 演出家
- 渋谷和良 - 版画家
- 重田康光 - 光通信社長
- 崔基鎬 - ジャーナリスト
- 村松健 - ピアニスト
- 宇多丸 - ヒップホップ / Rhymester
- 石丸元章 - 著作家 / 小説家 / DJ / ゴンゾジャーナリスト
- 秋山浩保 - 千葉県柏市長
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]--Rentaro2521 2008年1月12日 (土) 16:11 (UTC)
弾丸野郎氏へ
[編集]合意文書を変更するには再度当事者に議論参加を呼びかけ議論する必要有り。何のための半保護かを良く考えること。世直し三太郎 2008年4月13日 (日) 08:34 (UTC)