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ノート:昭和天皇/過去ログ1

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用語として

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「崩御」は天皇・皇后・皇太后・太皇太后がお隠れになることを特別にさす固有名詞なので、むしろ「亡くなった」とする方が日本語として間違っているのではないでしょうか。「御製」もまた、天皇がお作りあそばされた歌をさす固有名詞なので、たんに「和歌」としたら、日本語としてそれは天皇がお詠みあそばされたうたではなく、天皇以外が詠んだ歌になってしまうと思います。例としてふさわしくないかもしれませんが、たとえば「子供が鳴いた」「犬が泣いた」は日本語として誤っています。--白熊α

「崩御」とするより「薨去」(こうきょ)としたほうがよいのではないでしょうか?--16toki 2006年9月15日 (金) 05:37 (UTC)

「崩御」で問題ないと思います。--Alljal 2006年9月25日 (月) 01:24 (UTC)

hirohito is a coward Nazi

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  • 削除するべきです!!
  • 削除しました!!明らかに議論に無関係で、昭和天皇を批判するだけの意味のないものだったので。問題は?

あります。 ノートに書くなら署名が必要不可欠です。このように→「--rosso 2006年11月29日 (水) 08:38 (UTC)

続けます。 「批判するだけ」?何の問題がありますか? 「意味のないもの」?無意味とは誰の判断ですか?出典を求めます。

必要なのは、(情報が事実かどうか、公の記述かどうか)裏付けを取る事です。 「批判だから」は削除の対象にならない。いかがでしょうか?

その上で、英文のみの文章であるなら訳を添えるべきです。 ここはウィキペディア日本語版だからです。

反論は?何かありますか?--rosso 2006年11月29日 (水) 08:38 (UTC)

一般的な議論

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2004年9月16日に投稿された議論

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>昭和天皇(しょうわてんのう、1901年(明治34年)4月29日 - 1989年(昭和64年)1月7日)は、124代目の日本の男性天皇。

昭和天皇が「124代目」というのは何の根拠もない話であるから、「皇統譜によれば124代目とされる」といった注をつけるべき。

>天皇機関説事件 1935年、天皇機関説が排撃された天皇機関説事件について、昭和天皇は侍従武官長・本庄繁に「美濃部説の通りではないか。自分は天皇機関説で良い」と言った。天皇も法の下にあるという近代国家にとって当然のことを説いた天皇機関説は、昭和天皇が帝王学を受けた頃には憲法学の通説であり、昭和天皇自身は何の違和感も持っていなかったと思われる。

裕仁が天皇機関説を支持していたのは事実ですが、井上清が指摘しているように、裕仁は天皇機関説を理解していませんでした。 http://www.asahi-net.or.jp/~qm8m-ndmt/memento/m_13/yomimono.html

このことから、この部分の記述はつりあいのとれないものです。

>2・26事件 >1936年に起きた陸軍皇道派青年将校らによる二・二六事件の際、昭和天皇は、「朕が最も信頼せる老臣を悉く倒すは、真綿にして、朕が首を絞むるに等しき行為なり」と激怒し、「朕自ら近衛師団を率い、此れが鎮定に当らん」との決意で武力鎮圧を命じた。 >これによって決起軍は反乱軍と認定され、事件は速やかに解決に向かったのである。

この記述もつりあいのとれないものです。この事件をきっかけに、裕仁が政治への関与を深めていったことを記述しなければつりあいがとれません。

>太平洋戦争開戦 >1941年9月6日の御前会議で、太平洋戦争(大東亜戦争)は避けられないものとして決定された。御前会議では発言しないことが通例となっていた昭和天皇はこの席で突如発言をし、明治天皇御製の

>「四方の海、みな同朋(はらから)と思う世に、など波風の立ちさわぐらん」 >(四方の海はみな同胞と思うこの世になぜ波風が立ち、騒ぎが起こるのであろう。) という短歌を詠み上げた。これは立憲君主として、政策に直接関与するのを避けた昭和天皇の開戦に対する精一杯の意見表明だったと言われている。

この部分は歴史の偽造と言わざるをえない。

山田朗『大元帥、昭和天皇』新日本出版社,1994 藤原彰他『徹底検証、昭和天皇「独白録」』大月書店,1991

などで明らかにされているように、裕仁は「絶対君主」として行動していました。特に226事件以後。

それに「御製」などという中立性の欠ける用語は使うべきではありません。

また、1941年、1942年、1944年に陸軍航空士官学校(現在の埼玉県入間市)の卒業式に出席しており、利用していたJR東日本川越線の武蔵高萩駅(埼玉県日高市)には現在も昭和天皇用の貴賓室がある。

>昭和天皇の戦争責任を問う人は、以下があげられる。

>井上清 >姜尚中

なぜこの2名が挙げられているのか不明です。姜尚中は歴史家ではないので、なぜここに出てくるのかわからないし、歴史家で裕仁の戦争責任を問う人は少なくありません。というか、ほとんどがそうでしょう。137.205.8.2 2004年9月15日 (水) 23:07 (UTC)

同感。唐突的で蛇足に過ぎないので削除しました。 [[利用者:]]

  井上清、山田朗、藤原彰等、お決まりの左翼史家の著書ばかりを根拠とする一方的な記述が目立ちます。昭和天皇が「絶対君主」として行動していたなどは、例えば上記の山田氏の著作などは、時よりの昭和天皇の発言等を取り上げ、そのような見解に立っていますが、必ずしも学会の通説といえるものではありません。近年も山田氏などと同じ史観に立つと思われるハーバート・ビックス著/吉田裕監修『昭和天皇』が話題になりましたが、これを評価しているのは左派的な歴史家ばかりで、一般的あるいは中立的な歴史家の評価といえば、極めて低いことが知られています。これとはまったく違った史観で書かれた ベン=アミー・シロニー 『母なる天皇』(講談社)、ピ-タ-・ウエッツラ-『昭和天皇と戦争』(原書房)なども参考にすべきでしょう。

昭和天皇=生涯の各部分に分けることと短歌に触れることの提案

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記述がかなり情緒的ではないでしょうか。バトルになりやすいのはわかっています。歴史上の重要な人物であり、長命なので、百科事典としての質を保証するためには、最低でも、1.幼少期、2.皇太子・摂政時代、3.即位~太平洋戦争、4。敗戦~講和条約、5.講和以後~。 と小見出しをつけて記述されたほうがいいと思います。個々の事件を書いていくよりも、そのほうが、プロにせよアンチにせよ、レベルの高い寄稿が期待できるはずです。又年表は簡潔性よりも情緒的になっているのでは? 文章による1.から5.までができれば、年表は不要でしょう。当面は残すにしても、例えば乃木希典による厳格な教育という部分は単に当時の院長が誰か示すことで代用できるはず。

また、天皇と短歌のかかわりについての記述がまったくありません。 作品集として おほうなばら―昭和天皇御製集 昭和天皇 (著), 宮内庁侍従職 (編集) 読売新聞社 ; ISBN: 4643900954 ; (1990/11) 作品全般についてのバランスの取れた解説として 田所泉『昭和天皇の短歌』 創樹社 ; ISBN: 4794305222 ; (1997/12) 現役の歌人の批判的な見地として 内野 光子 (著)短歌と天皇制 風媒社 ; ISBN: 4833120186 ; (2000) があります。 よく指摘される詠風としては、・御歌所派の影響を多く残しているかたわら、近代国家の天皇ゆえに相聞が一首もないこと。・おおらかとされる作風と、約4割が字余りがであること。田所氏によれば、ほとんど唯一といってよい字足らずは、自然児の生物学者・南方熊楠に触発された一首です。さらに戦後になっても権威主義的な天皇像がうかがわれることも触れておくべきでしょう。 MFu



>天皇も法の下にあるという近代国家にとって当然のことを説いた天皇機関説 とありますが、これは機関説の理解としては不十分です。王もまた法の下にある、というのは機関説ではなく、中世ヨーロッパでの話ではなかったでしょうか。むしろ、天皇が国家の機関であるということは、天皇個人の「お人柄」で天皇制支持を説明しようという考えとは正反対の、まさに社会科学的思考なのです。 ふつう、まともな近代法であれば、このことは当たり前なのです。たとえば、 税務署員の徴税が窃盗犯と違うのは、税務署員が国家の機関として行動しているからです。 長谷部恭男「憲法」を参照のこと。MFu

短歌について。昭和天皇は、普通の歌人ではありませんから、第一歌集、第二歌集という順には出しません。したがって、昭和天皇の歌集として、何冊も出すのはあまり意味がないのです。参考文献欄を設けているので、くどいことをすべきではないでしょう。挙げる場合は理由の説明が必要です。それから、天皇の著作権は切れているのでしょうか。一首だけならいいというわけではないので、これは何らかの基準が示されるべきです。参考文献欄がある以上、あえて引用しなかったのですが。

「戦争責任」から、以下の記述を削除しました。

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<削除部分開始> 北朝鮮による拉致問題や、中国との領土問題をきっかけとした憲法改正論議が高まっている現在では、共産主義勢力の退潮と復古主義思想の高まりにより、ニュースやワイドショーでは、リベラルな主張を持つ人の出演が控えられ、太平洋戦争戦争における日本の加害行為を述べる人間を、古臭い共産主義思想だと批判する傾向にある。 <削除部分終了>

上記のような考え方が存在するのは理解いたしますが、この文章がかなり論争的である上に、「昭和天皇」や「天皇の戦争責任」と関係がないため、削除しました。70.32.94.101

敬語・敬称の使用

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気になるのですが、これが日本人の手による運営の、「公式」の辞典であるとするならば、せめて近代の天皇には敬称付けと敬語を行わなければいけないのではないのでしょうか?これは中立性の問題とは関係なく、たとえばイタリア人が公式文書で法王猊下を呼び捨てとするか、チベット人がダライラマ猊下を呼び捨てとするかという、wikipediaそのものの帰属の問題、最低限守るべき礼儀の問題として議論すべき事柄に思えるのですが、いかがでしょう。218.222.239.124

「「公式」の」は「公式の」にすべき。
どこから「公式の」というおごりがでてくるのでしょうか?
「公式の」歴史辞典を作ろうというわけでしょうか?202.211.128.229
賛成です
中立を旨とする辞典でも元首に相当される方には、それなりの敬意を表してしかるべきと思います。220.159.95.139 2005年7月8日 (金) 12:37 (UTC)
反対です。
敬語は不要です。歴史的人物である以上、敬語を使わないでよろしい。
イタリア人と教皇の例を挙げられるが、教皇に対する敬称である聖下は、このような性格の文書ではつかわない。
教皇は、そもそも、カトリック教会の長であって、イタリア人であるという民族的属性とは直接には関係がありません。59.129.65.242

現在、「崩御」という表現が注釈抜きで使用されておりますが、これは不適切ではないでしょうか? 「死去」で十分なのでは。 -- NiKe 2005年7月21日 (木) 02:11 (UTC)

まず事実誤認の指摘から。ウィキペディア日本語版はその名前の通りウィキペディアの日本語版ですので「日本人」は関係ありません。日本語話者はそのほとんどが日本人であるため、しばしば日本人の視点に立って記事が書かれることもありますが、これはウィキペディアの中立的観点からすれば本来望ましいことではありません。
次に些細なことですが、ウィキペディアは辞典ではなく事典です。
敬語に関しては先に述べた点から日本の天皇だけを対象とするのは不適と考えます。もしも行なうのなら世界中の権威者に対して行なうべきでしょう。なお、天皇が元首かどうかはそもそも争いがある点とも思いますが。
個人的には全ての権威者に敬語をつけることに反対します。tanuki_Z(sysopは偉くない) 2005年7月21日 (木) 03:02 (UTC)

:「全ての権威者に敬語をつけることに反対します」とは、どのようなお考えのもとでのご意見でしょうか?たとえば私が今「考え」「意見」という単語に敬体を用いたことについても不要であるとお考えでしょうか。全ての権威者に対しての敬称付けを、私個人としては賛成します。世間的に問題のない方法で選挙されたり保護された元首はもちろん、例えば一部の国にテロリストとして扱われる人物や、あるいは現行の独裁者であろうと、それを支持する人々と勢力が一定以上あるうえは、その人間集団に対する敬意を示す意味でも、彼らの推戴するトップをおろそかに扱うべきではない。中立性を保つということは、礼儀という人類社会を貫くコミュニケーションの一様式について反対的立場をことさら強調することを意味するのではないはずです。

ある人々が、敬意を示している対象(特定の人物、宗教教義、広義のトーテムなど)に対しては、自身の信条とは別に、敬意を示している主体に対する敬意として、それを尊重するのか、多文化主義的態度だと思います。220.159.106.6 2005年8月1日 (月) 00:18 (UTC)

歴史上の人物に敬語をつけることは不要です。

外国の元首や宗教的権威に対する敬語も不要。 不敬罪を復活させろという議論がかつてあり、その準備として外国元首侮辱罪の新設がいわれたことがありました。それと同次元であり、百科事典にふさわしくありません。

なぜ「不要」であり、「ふさわしくない」のか、全く説明がなされていませんが、論拠を示すこともないのでは、衆目には、あなたご自身が気に入らないものを「いらない、いらない」と思い通りにすべく声を大にしている風にしか見えません。

そういった態度は、それこそ万人の共有する百科事典にふさわしくないのではありませんか? なぜ不要であるとのお考えか、論拠をお示しください。

横から失礼します。
上記に多文化主義的云々とあります。
ある人々が、敬意を示している対象(特定の人物、宗教教義、広義のトーテムなど)に対しては、自身の信条とは別に、敬意を示している主体に対する敬意として、それを尊重するのか、多文化主義的態度だと思います。
この「ある人々」というのは無数に存在するのです。これを考えれば自明ではないでしょうか。たとえば、南朝の後裔を自称する熊沢さんという方が皇位を主張なさったことが第二次大戦後にありました。この方を支持する人々が、熊沢氏を陛下といっていたとして、Wikipediaは陛下と敬称をつけなければならないのでしょうか。そしてその死去を崩御といわなければならないのでしょうか。過去の人物で、現代において全く誰も敬意を示していない人などというのは、一握りにすぎないでしょう。その一握りをのぞいて、ありとあらゆる人々に敬称をつけ、敬語を用いるべきなのでしょうか?
そもそもこの敬語云々というのは、ある人Aに敬意を示すBとコミュニケーションをとるとき、CはAに配慮して、一定の敬語を用いるべきでそれが礼儀である、という議論です。一定程度おっしゃるとおり。しかしWikipediaは人ではありません。Bのみが閲覧するということは考慮できません。Aに敬意を示さない人Dに対しても記述されているわけです。Wikipediaは過去の人物に対して「ある人々」が抱く敬意を、読者に強要するべきではありません。
また前段に示したとおり、「ある人々」を基準に敬称・敬語を用い出すと、全体に広がり収拾がつかなくなるでしょう。そしてよしんばなんとか敬称・敬語を使用することができたとしても、もはや敬称を用いる対象が無限に広がり、それは敬称ではなくなってしまう可能性があります。
つまり申し上げたいことは、敬語・敬称とは、用いて呼ぶ人物を、それを用いないで呼ぶ人物と差別化するものでなければ意味がない、ということです。そしてWikipediaが多方面からの閲読に耐えうる公正な記述をこころがけ、かつある人物を読者が敬意を示すべきとか示さないべきとかを提案することを避けるならば、敬称・敬語は用いるべきではないでしょう。百科事典で記述すべきは、ある人物のことであって、それが同定できればよいのです。敬称をアイデンティファイの手段の一つとして用いる必要はありません。Kotoito 2005年8月23日 (火) 15:12 (UTC)

 ある一定の人々というのは、個人もしくは極少数の集団の構成員を示しているのではありません。その範疇は常識で判断なさってください。
 原則論を振りかざして、ある集団が尊敬を示し敬意を払っている対象を故意に貶めることは自文化中心主義につながる態度であることをお分かりください。
 北朝鮮人にとって金日成が神聖な存在であり敬意を示しているならば、イスラム教徒にとってムハンマドがそうであるならば、敢えてそれを否定する必要なないのではないでしょうか。  たとえば、石仏を拝む老婆の前で、その石仏をただの石ころと指摘して踏みつける必要が何故あるのか考えてみてください。
 ある人々が敬意を示している対象が、他の人にはまったく価値のない存在であっても、そのこと(敬意を示すこと)自体(他人に対し)無害ならばそれを認める寛容さと心の広さを持ちませんか。

敬称をつけないと「踏みつけ」ることになるのですか? 全く承服できません。その伝でいけば、例えば金日成であれば「偉大な領袖」(だっけ)と言わなければならないことになりますよ。 -- NiKe 2005年8月24日 (水) 10:54 (UTC)
申し上げたことにご留意いただけなかったようで非常に残念です。が批判の一部は議論の前進に役立つでしょうから、コメント。
ある一定の人々というのは、個人もしくは極少数の集団の構成員を示しているのではありません。その範疇は常識で判断なさってください。
これはもちろん出てくる論点だと思っていました。さすがに個人的崇敬の対象にWikipediaとして敬意を示す必要はないとお考えなのですね。しかし、であるとするならば、この「範疇」が大きな問題となります。具体的にはどのような範疇をお考えでしょうか。
たとえば、石仏を拝む老婆の前で、その石仏をただの石ころと指摘して踏みつける必要が何故あるのか考えてみてください。
私が申し上げているのは「石ころと指摘して踏みつけろ」というのではありません。Wikipediaは「ああ、石仏だ。古くて立派なものだ。これはどういう石で作られてどういう由緒をもつのか」と書けばよいのです。おっしゃっていることは、この例をひくならば、ムスリムに老婆が拝んでいるのだから敬意を示せ、といってむりやり拝ませるようなものです。こちらのほうがはるかに「踏みつけ」にあたるのではないでしょうか。本文中に「金日成は多くの尊敬をあつめている」と書けばよいのであって(あくまで例です。ほんとかどうかわからないことは書くべきではありません)、「偉大な領袖・金日成主席は尊敬すべき云々」と書かなくてもよいといっているのです。
ここで常識で判断せよ、とおっしゃるかもしれません。では、その常識はなにをもって常識とするのでしょうか。はっきり申し上げてしまえば「常識」という言葉は多文化主義にまっこうから反対しているのではないか、とさえ思えます。「常識」的に考えて敬称をつけるべき存在と「常識」的に考えて敬称をつけるべからざる存在をWikipediaは決定してよいのでしょうか。
ある人々が敬意を示している対象が、他の人にはまったく価値のない存在であっても、そのこと(敬意を示すこと)自体(他人に対し)無害ならばそれを認める寛容さと心の広さを持ちませんか。
おっしゃるとおりです。しかし繰り返しになりますがWikipediaは人ではないのです。敬意を示すことが無害ならば、ということですが、敬意を示すということはその対象に対するかなり激しい価値感を表明してしまいます。貶めろといっているのではありません。敬ったり、貶めたり、そういった中立性を阻害する危険性という有害さを可能な限り避けようと申し上げているのです。もちろん完全な中立性など保障されるものではありません。しかしそれに向けて努力することはできるのです。Kotoito 2005年8月24日 (水) 11:45 (UTC)

横から失礼致します。敬称・敬語についてですが、信条的には同感であり理解します。しかし、百科事典であるということからも、敬称・敬語をそのまま用いることは違和感もあります。中立性・公正さに欠けるといわれた場合への反論ができない気もします。

suifuと申します。 私としては「レトリックの問題」ではないかと思うのですが如何でしょう。「客観的視点に立った敬意の払い方」を考えることが賢明に思います。つまり、文章表現上に敬称、敬語を用いるのではなく、客観的表現に留まりながらも、最低限共有できる事実の中で最大限文化的な側面への配慮を試みることです。

元首尊重論への私の意見としては信条的にはおおいに共鳴しております。ただ、記事名を天皇陛下としたり、エリザベス女王陛下として、すべての国家元首を対等に扱い、誰もが尊重するという保証があるのなら、それは一定の客観的視点を担保することでもあり、国家元首尊重論は意義を持つでしょう。しかし、君主制反対の議論はじめ様々な議論がある中で、それは現実的ではないようにも思います。よって、「特殊な地位を有する個人への敬意」ではなく、あくまで「一定の国家・政体の中で法的政治的手続きに乗っ取り一応において認められている事実」「純粋な個人という立場」に対しての尊重をするということならば、それが天皇制反対論者であれ、外国人向けであれ客観性を担保することにはならなでしょうか。最低限全体が共有できる点というのは「検証可能な事実」が基点にあるか否かです。天皇制反対論も踏まえた、元首への敬意の払い方のポイントは現体制において「その国家・政体・組織の認める法的手続きに乗っ取り、一定の地位を保有している事実」であると思うのです。

たとえば社会的汎用性のある「単語」として成立している用語であれば、それがたとえ、「敬意」「敬称」の性格を帯びていたとしても、客観的視点に基づいた表現としての説特性を持つのではないかと思います。  たとえば、今上天皇という言葉はそうでしょう。明らかに今上は敬意を込めた概念ですが、敬意の存否を越えて社会的汎用性のある用語であるとはいえないでしょうか。「今上天皇」というタイトルのページもありますが、あくまで私的個人への敬意に用いるのではなく、敬語・敬称を起源とする言葉であっても、「用語」としては積極的に用いることを考えるべきです。

ただ、一方で、客観性を担保しつつも、そのタイトル・説明が対象としている記事の特定の国や民族の文化的背景については、さらなる配慮が必要に思います。最近の皇室などの記事を見ても、検証可能な公正な情報に固執するばかりに、社会的に通用性の低いタイトルや言葉が氾濫している気もしないでありません。客観的でありながらも、より実態に即して理解するには、特定の価値観の主張が介在することがあるのは、ある意味当然なことです。 記事の中で客観性を担保しつつも、天皇を維持している仕組みや主張を理解するためには、皇室の文化に乗っ取った記事にし、それを如何に客観的な表現に置き換えるかという作業が必要でしょう。ある意味、当たり前すぎることばかりで恐縮するところですが、この原則論的な部分がしばしば軽視されている気がしてなりません。

たとえば、皇族方の記事などはどうでしょう。親王や内親王という身位をつけず、名前だけで掲載されています。外国君主の記事もタイトルは氏名だけだから、氏を持たない皇族は「名前」をというのは確かに理解できますが、均質性を保つために、特定の文化的表現を殺す必要はないと思います。 社会的通用性から見ても、慣習的にも●●親王、●●内親王という記事名があっていいのではないかと思うのです。身位は敬称ではありませんから、皇族方の記事名が名前だけというのは、外国君主との整合性でそうなっているものと解釈しておりますが、今上天皇が天皇明仁という表現になっているのは、左翼歴史観の影響なしとはいえません。その表現は一見敬意を取り払った中立的な表現として通用しそうではありますが、全体の整合性のために天皇の文化的背景を軽視した措置としか思えません。まかり間違えば、中立どころか一定の政治的主張に優しい表現になりかねない。 日本には皇族方を名前だけで呼ぶ文化は0に等しいはずです(自署する場合除く)。そこに宮内庁の介在はあるとしても、そもそもだけで呼称することは避けられてきたし、それは何も皇族に限った話ではなく、歴史上は日本人全体に共通する文化でした。今日では皇族にのみ残っているに過ぎません。

よって、皇族記事に名前の後に身位をつけることを提案します。理由を整理すると

1.近代以降の皇族に身位をつけ、それ以前の皇族には身位をつけるというのは、日本の文化に馴染みのない外国人に対して逆に不親切ではないか。2.歴史的な慣習の上でも名前だけで呼称するのは勅令以下の書状をしたためる以外での通用性が低い。3.一般的には宮号か身位をつけて呼称するのがほとんど。4.身位は敬称ではない。中立性は担保される。5.名前だけでの記事名は外国君主との整合性はとれるが日本の文化的歴史的背景を軽視してしまいかねない。

以上の点です。天皇陛下は明仁(皇族)は今上天皇に統一。宮号を有する皇族には宮号とお名前、身位、称号のある皇族は称号とお名前、身位。さらにお妃については、名前の後に皇太子妃、親王妃などの身位をつけることがいいと思います。 --Suifu 2005年9月6日 (火) 02:13 (UTC)

Suifu 様  私も賛成です。  明仁 (皇室)の欄で敬語表現に改めましたが、改定を繰り返されます。  ノートで議論を喚起する一方、記述を改めて行きたいと思っております。ご協力をお願いいたします。  220.159.50.24

横から失礼いたします。LERKと申します。天皇や皇室の方々に敬称を使うべきか否かは、過去にも議論になったことがあります(こちらです)。このときは「記述対象として書くからには敬称は不要である」にまとまった(と私は見ている)ことになっています。天皇に対して、日本人といえどもいろいろな感情があるかと思います。「敬意の対象とすべき」とか「天皇だってただの人間ではないか」とか、です。私にしてみれば、別にどうでもよいことなのですが。だからといって、天皇は尊敬するに値しない、とも申し上げるつもりはありません。人それぞれだと、申し上げたいわけです。なお、署名についてですが、IP利用者の方でも~~~~でできますので、今後はそのようにご署名をお願いいたします。お目汚し失礼しました。LERK 会話 / 投稿記録 2005年9月6日 (火) 03:08 (UTC)

>>LERK (会話 / 投稿記録) 2005年9月6日 (火) 03:08 (UTC) >> LEAK様、(こちらです)を拝見させていただきましたが、議論が平行線で終わってしまっているようで、まとまりはついていないように思いますがいかがでしょうか。 署名については私は自宅、職場、インターネットカフェーから送信しておりますので、そのたびに変わってしまいますのでこの議論を立ち上げた「220.159.50.24」で統一しますのであしからずお願いします。

:220.159.50.24様、アカウント作成をお勧めする文章をノートページに書き込みましたのでご確認願います。議論とは関係ない話題で失礼しました。LERK 会話 / 投稿記録 2005年9月6日 (火) 10:19 (UTC)

220.159.50.24様、LERK

誤解招いたらすみません。私は「敬語・敬称を用いよ」ということではありません。賛否ありますから。たんに特定の個人を敬うための表現は避けるべきです。ただ、私がいう敬意を込めるという意味では、その個人の尊貴さを高揚する表現は中立性を欠き、事典としても相応しくない。但し、純粋な個人として最低限名誉が尊重されているか、また、一定の国民の尊敬を集めているという事実への配慮です。つまり、敬語使うかどうかという問題ではなく、支持する読み手、支持しない読み手が傷つかない記事です。中立的・客観的表現とは印象として「冷たい印象」があるということも注意すべきです。

とりわけ、天皇家は歴史的・文明的な背景のある存在でもあります。中立的に立ちながらも侮蔑表現、攻撃的表現にとられかねない記事は避けるべきです。しかし、メディアに公開されている周知の事実までどうこうしろというものではありません。よって、敬意を払えというのは具体的にどうしろではなく、「読み手への配慮を」というメッセージとして申し上げたいと思います。一方で、あくまで皇室には敬語表現をというご主張があるのなら、そうした主張には与しないことは明らかにしたいと思います。

それ以上に私が指摘するのは、この事典で、しばしば天皇陛下を天皇明仁として表現されたり、徳仁(皇族)としてタイトルが命名されている部分に疑問を感じるのです。これは敬意というよりも、客観的にかつ正確に理解する上で重要だと思います。 他の王室は氏名だけですから、日本の皇族もそれに合わせた感がありますが、宮号(称号)、名前、身位で表現されるのが一般的であるのだから、そうすべきと申しているのです。--Suifu 2005年9月6日 (火) 05:16 (UTC)

Kotoitoです。Suifuさんの穏当なお立場に賛意を表します。上で延々と敬語・敬称反対論を唱えたのは
>ある人々が、敬意を示している対象(特定の人物、宗教教義、広義のトーテムなど)に対しては、自身の信条とは別に、敬意を示している主体に対する敬意として、それを尊重するのか、多文化主義的態度だと思います。
という議論がとても承伏できるものではなかったからです。で、ようやく皇室の問題に戻れるわけで、慎重なご議論に感謝いたします。
(その点で220.159.50.24さんはSuifuさんの「文章表現上に敬称、敬語を用いるのではなく、客観的表現に留まりながらも、最低限共有できる事実の中で最大限文化的配慮を試みる」という言葉の意味をもう一度お読みになったほうがよいのではないでしょうか?)
こんなところで個人的信条を申し上げるのもなんですが、私も天皇よばわり、まして明仁よばわりは耐え難いものがあります。にもかかわらず、敬語・敬称反対論に与するのはWikipediaの中立性尊重の理念が私の信条によって左右されるべきではないと考えたからでもあります。で。皇室の問題に立ち戻りますとSuifuさんのご提案あたりが落としどころ、の感もあるのですが、あえて先に問題となりそうなことをあげておくと、まず議論の前提となる「皇室は姓を持たない」このどうしようもない事実です。諱で呼ぶこと自体非常識観はありますが、いかに左翼的立場に立っても諱でよぶことしかできないわけで、これはある意味日本の文化的コンテクストを認め、尊重しているともいえるように思えるのです。誰がどう見たって特別ですから。
次に事務的な問題ですが、宮号とお名前、身位あたりはよいのですが、今上のほうで問題とされているように、皇女の場合は皇籍離脱となるわけでやや安定性に欠ける観がありますが、いかがでしょう……と書いていて思いましたが、皇籍離脱した時点で一私人となるわけで、それは百科事典の言及するところではなくなり、それ以前の歴史的人物としての内親王なり女王を記述すればいいので問題ないですね……。というわけで皇族は同意。
ただこれは天皇陛下の場合はどうにもなりません。今上は、まさしく今のお上ですから、どうも事典的でないわけで。おまけに今上天皇というのも語義的に気持ち悪いですし。結局、事典の普遍性をどこまで重視するかということになりますね。そもそも明仁にしろ今上にしろ、のちのちの項目名変更を前提とした記事があるのはいやです。そう考えると制度としての天皇は記述する必要があるとしても、いちいち人物として項目を立てないのも一つの方法のような気もします。だいたい百科事典で云々すること自体……
……結局なにもいっていないに等しいですが、原則Suifuさんに賛成の方向です。-Kotoito 2005年9月6日 (火) 04:47 (UTC)

コメントに感謝申し上げます。「変更される予定がある記事はどうも…」というお言葉、同感です。しかし、物理的な部分は致し方ないと申しますか。方法論でしかないのですよね。私の提言した部分についても同様、完全な合意形成は不可能でしょうから、改正予定を明らかにした上で議論を喚起し、反対論がなければ改正するというのが賢明でしょうか。

今上天皇、結婚される女性皇族についてですが、天皇への統合で試みるというのも一つの手かもしれませんね。 何も個人の項目はなくてもよいとは思います。天皇・皇后・皇太子の場合はそれぞれの記事の中で説明可能でしょう。 逆に積極的に撤廃すべしという立場ではないのですが。

現天皇陛下については、人名一般として「明仁(人名)」の項目があって、さらに「明仁(皇族)」という記事があるわけですよね。よって天皇陛下の諱だけのページは不要に思います。統合する案としては私は「今上天皇」としていいと思います。用語としてとらえてしまうことは乱暴でしょうか。そういう指摘を受ける可能性はありますが。

レトリックとしては、今上天皇 1.現在の在位している天皇を指すとして、一般的説明。2.として現在即位している天皇は…。 と今上天皇は完全に用語化してしまうのです。如何でしょう。 結局、天皇にまつわるすべての言葉が美々しく聞こえるようできていると、割り切ることも大切かな? そんなことない。「当今」「一人」ともいうじゃないか。という説も出てくるかもしれませんが、当今であれ一人であれ、敬称のうちに組み込まれていますし。まして、造語などはできませんし。

「明仁(皇族)」「今上天皇」ともども天皇に統合することも可能ですが、天皇だけで大変な記事量がありますし、「明仁(皇族)」は「今上天皇」に統合してしまうのも手かと思います。今上天皇については個々人の解釈もありますが、あくまで現天皇を指す用語として解釈すべきと思います。時の天皇陛下は今上天皇で統一。皇后陛下や時の皇太子殿下までは個人の項目があっていいと思います。「美智子皇后」「徳仁親王」という形で。 女性皇族は現在のお名前、最終的なお名前を基本として、どちらからでも飛べる感じでどうでしょう。一定の変更は仕方ない気もします。

「敬語は用いない」が原則として、「崩御」などについては如何しようか思案のしどころですね。敬語表現には変わりないですが、皇室用語。皇室典範上の用語として注釈つけて(死去のこと)と触れる形はどうかと思いますが。いわゆる敬語にも様々な概念があると思うのですが如何でしょう。いわゆる社会慣習上、敬う概念というならば中立性を欠くことになりますが、皇室典範もいわゆる法律で法律用語でもあります。社会的敬語概念と法的敬語概念は混同してよいとは必ずしも思いません。もちろん個々人の視点では使用は強制されるものではありませんが。これこそ、皇室記事の客観的視点に基づく文化的尊重ということにはならないでしょうか。要は「情報を広く深く理解するため」ということに軸をおく以上、あらゆる皇室用語は積極的に用い、崩御の欄に飛ぶことで「天皇・上皇・皇后・太皇太后、皇太后の死去のこと。とりわけ、敬って用いる言葉。皇室典範では~条に定められている…」という客観的事実を掲載すればいいので。

--Suifu 2005年9月6日 (火) 05:48 (UTC)

Kotoitoです。同意です。とりあえず、ここのノートではこれをコンセンサスとしてよさそうだとおもいますがほかの方、いかがでしょう。-Kotoito 2005年9月7日 (水) 01:47 (UTC)

コメントを頂く前に恐縮ですが、ここでもしも一定のコンセンサスが形成できた暁には、井戸端にて公論にかけて、一定期間議論の時間を頂く形をとってはどうかと思いますがどうでしょうか。一定の提案事項と理由をもって議論すれば、少なからず建設的な議論も出来、うまくいけばすべての皇室記事の改正が可能ではないかと思いますが…。反対論も出てきて当然の難しいテーマですので、何ともいえませんが。その分、議論の熟成をして、遠慮ないご意見を頂ければと思うのですが。

一応、コンセンサス形成に値するか否かは別として提案についてまとめをしておきたいと思います。

  1. 皇室記事においては客観的かつ中立的な表現を堅持する目的から敬語・敬称は用いないことを原則とする。
  2. 皇室記事における皇室の地位の尊重は、尊敬の対象としてではなく客観的事実に基づくものとし、文化的背景に対する配慮することによってなされる。左の原則に基づき、日本の皇室に対する百科事典としての中立な表現を堅持とともに皇室の有する文化的な背景をより深く理解する上での整合性を図るものとする。
  3. 但し、敬語表現であっても法令または慣習的に皇室用語として成立しているものについては、あくまで皇室に関する理解を深める趣旨に基づき、中立性を犯さない範囲で用いるものとする。敬語としての意味を持つ単語を用いる際には注釈を儲け、皇室用語に対する一般的解説を付記する他、用語についてリンクを張り、一般的解説を試みる措置を施す。
  4. 天皇陛下の記事は明仁(人名)もあることから、ことさら諱(意味は参照)のみでの項目を必要なく、よって今上天皇に統合する。なお、前項の趣旨に基づき今上天皇という表現もまた敬語表現ではなく用語として扱う。(今上天皇には敬意を表す意味もあるが、日本の伝統文化、慣習上既に単語として社会的認知を得ていることから純粋な単語として扱う。)
  5. なお、皇后陛下、皇太子殿下についての項目は別段、統合する必要はないものとする。
  6. 女性皇族は現在のお名前、最終的なお名前を以って記事のタイトルとする。お妃については、便宜的にお名前の後に皇后、皇太子妃、親王妃、王妃とする。
  7. 皇族の記事名については、明治以前の皇族記事との整合性、または日本の固有の表現を活かす目的から、宮号または称号、お名前、身位を以って構成する(宮号、称号のない場合はお名前、身位。陛下、殿下の敬称は事典の正確に鑑み付記しない)。なお、皇族記事の項目名をお名前と身位を以って構成することの意義としては、第一に身位は敬称ではないため、中立性は担保されると考えるものとする。第二にWikipediaの性格上、現代の人名の取り扱いとして純粋な氏名のみで構成することを原則としているようにも見受けられるが、むしろ日本固有の文化的表現とりわけ社会における汎用性のある表現のうち、より正確な表現を尊重することが望ましいと考える。(変更の具体例 「徳仁(皇族)」→「徳仁親王」)

以上、採択案として提案させて頂きます。ご意見あらばお願いします。原則ですので、カタイ表現になりましたが不明な点についてご指摘を頂いた際には改めてコメントさせて頂きたいと思います。あくまで一個人の案ですので、どういった見解があるかわかりませんが、一応提示させて頂いた意見についてまとめさせて頂きました。

--Suifu 2005年9月7日 (水) 02:32 (UTC)

ほぼ同意ですが、「今上」で項目をたてることにはあらかじめ反対しておきます。なお宮号をもたない親王妃についてはすでに○○親王妃○○で建てることに合意がとれています。井戸端に出されるそうですので、機会があればそちらへまた意見します。--Aphaia 2005年9月7日 (水) 08:13 (UTC)  

妃殿下の扱いは少々課題として残りそうですね。妃殿下のタイトルについてはどうしたらいいかな。 一応、合意もあるようですが、男性皇族との兼ね合いを指摘する声もあります。名前+身位という方向が原則であると思うのですが。 井戸端のレベルでつめればいいかな。 ここでのご意見が出ないようでしたら、Kotoito様の同意で井戸端にでもかける方向にしてよいでしょうか。--Suifu 2005年9月8日 (木) 12:06 (UTC)

Wikipedia:記事名の付け方/日本の皇族に提起しました。--Suifu 2005年9月18日 (日) 09:01 (UTC)


個人的には、たかが子供にまで敬語を使うのはどうかと思いつつ、敬称くらいはつけるべきだろよ・・・という感覚の者ではありますが、逆に考えると難点として「敬称付け」がスタンダードになった時に、それを含む記事が一つならず(もちろん外国のVIPについても含め)出来ることになります。

皇位継承・政権交代などで役職が変わったときに、全部書き換えるの大変だよな・・・。自分もそうである鉄オタやアイドルオタは、何かあるたびにどうでもいいことまで必死に更新してくれますが、こういう地味な?記事が更新されずに古いズレた記述のまま放置されるのもマズイんじゃねーの?・・・と危惧。

まあ、そんな御大葬な百科事典ではさらさら無いというのは私自身思い知らされていますがね、世間はどうみるか。

suifuさんの「レトリックの問題」にほぼ同意です。wikiは日本語版であり、日本人向けでないとの指摘もありますが、日本語で天皇に関して一切の敬語・敬称を排して記述することはそれ自体特別な意味を持ち、決して中立的ではありません。とはいえ事典として読みやすくするためになるべく敬語は節約して誰が読んでもさほど違和感のないものにすべきです。賛成・反対の二元論では意見は集約されません。皆で知恵を出し合って最適なレトリックを探りませんか?--Rumhi 2006年3月8日 (水) 22:12 (UTC)

中立という立場で考えた場合、「天皇」という単語と、「天皇陛下」という用語は分けて考えるべきだと思います。 また、国際常識で言う場合、表敬順位で第1位となる天皇陛下(他に1位はローマ教皇だけ)というご身分を考えるに、昭和天皇に限りませんが、3人称として即位前は「殿下」、即位後は「陛下」とするのが世界的に見ても中立といえると思います。 中立主義というのは、「すべての人を同列に扱う」ということではないです。その方の表敬順位にも寄りますが、上位の人には敬語や敬称を使うというのが中立という物です。--125.175.115.92 2006年5月21日 (日) 19:35 (UTC)

  • 「天皇」はひとつの「役職」に過ぎません。ここは政治的な宣伝の場所ではありません。百科事典において、一部の役職にあるに対して、敬語敬称を使うのは、どうみても中立性に欠け、まったく理解することができません。--神楽 2006年8月7日 (月) 14:22 (UTC)
  • ご指摘大筋では納得できます。でもあまり厳密に考えすぎずに、「陛下」や「殿下」の使用はケースバイケースで考えてもいいのでは?。カンボジアの王族を「ラナリット殿下」なんて表記しているケースもあるくらいですし(私は変だなとは思っていますが)。--Kogane 2006年8月8日 (火) 07:32 (UTC)
  • 神楽氏の発言に同意です。事典・辞典で敬語・敬称などというのは全くもって納得できません。日本人の多数が天皇を尊敬しているから、というような理由は、それ自体根拠のないものですし、仮に事実だったとしても通用しません。たとえば、英語圏や仏語圏でキリスト教徒が多数派をしめるからという理由で、ヤハウェやナザレのイエスに対して敬語を用いている英語や仏語の辞典を中立的とみなすべきでしょうか。それから表敬順位とかうものの出典を教えてください。あるなら。60.47.3.44 2006年10月16日 (月) 18:45 (UTC)
  • 特定の人物に対して、特定の言語で敬語・敬称が用いられることは百科事典的な立場としては積極的に残しておくことは資料として非常に大きい意味があります。従って敬語・敬称の使用はされてしかるべきで、これを削除するのは適当ではありません。勿論そ使用に対して異論があることを項目を立てて明記することも資料として重要です。 
  • 「特定の言語で敬語・敬称が用いられること」を事実として記載することは中立的で辞典の価値を高める行為ですが、本文を敬語・敬称で記述することは全く別種の非中立的な記述です。「この時代のこの国では辞書ですらこのような偏見に基づいて記述されている」ということは、たしかに非常に大きい意味があるかもしれませんが。FXMC 2006年11月21日 (火) 00:32 (UTC)

「御前」「御製」などはどうですか?--Phew 2007年8月25日 (土) 16:57 (UTC)

リベラルとはいえ朝日新聞は新聞ですから購読者を増やすために読者に迎合してる部分があり、「天皇」を「天皇陛下」と表記するなど、ウィキペディアよりは敬う表記を心がけてるようです。その朝日新聞でも「御製」は「歌」と表記しています。ウィキペディアでも「歌」と表記すべきでしょう。--Phew 2007年8月27日 (月) 15:14 (UTC)

天皇の作る詩文や和歌は日本語で「御製」と言い、日本語では敬語・敬称を使用するのが慣習となっています。日本語として定着して用いられている用法を正確に使用することも日本語版であるからこその重要な役目です。その言葉に「敬い」や「非難」が包含しているから中立性に反するとして使用しないのは逆に恣意的な意図を包含した編集になってしまいます。そうした観点では「御所」や今上天皇、「南京大虐殺」の項目名さえもが中立性に反することにもなります。慣習的な用法に拘ることに恣意性はなく「中立性」にも反しないが、慣習的な用法を敢えて使用しないという主張は恣意性がうかがえ「中立性」というものを誤解したものです。Furubo 2007年8月27日 (月) 18:31 (UTC)

ウィキペディアでは日本語の慣習よりウィキペディアの方針文書に従うことになるかと思います。そうでなければ、「天皇」ではなく「天皇陛下」といわないとおかしいですからね。この件は近々、Wikipedia:ウィキプロジェクト 日本の皇室で話し合いましょう。--Phew 2007年9月8日 (土) 17:43 (UTC)
百科事典において、地の文で「陛下は○○をご訪問された」のように書くのは不適切。そこはPhew氏と同感。ただ、「御前会議」とか「天皇御璽(あるいは単に御璽)」のように固有名詞的になっているものとか物質の名称については、たとえば「御前会議(天皇の面前で行う会議)」とか「御璽(天皇の公印)」とか「御製(天皇の詠んだ短歌)」のように少なくとも文中で一度は言及することが必要でしょうね(2度目以降の出現では単に「短歌」とかでもいいんでしょうけど)。そういう専用の名称があるということ自体は知識の一つですから、最初から全く排除してしまうのは知識の隠蔽になってしまいますよね。Phewさんが用語完全排除主義者だとは思っておりませんが、一応念のため「こうあってほしいな」という点を付言させていただきました。--無言雀師 2007年9月8日 (土) 19:58 (UTC)
そうですね。一つの記事に1回以下ということでよいのではないでしょうか?「陛下」は使う朝日新聞でさえ、御製は0回の様ですし。--Phew 2007年9月8日 (土) 20:23 (UTC)

「鷹派政治家」の項目について

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 昭和天皇は「保守的」な人物ではありましたが「タカ派」と呼ぶのはやや極論に過ぎるのではないでしょうか。また「政治家」と言う呼び方も議論の対象になりうるかと。  たとえば柳条湖事件に対して昭和天皇が満足の意を示したとありますが、満州事変など一連の陸軍の動きに対しては個人的に憂慮の念を持っていたとされていますし(そもそも正規の命令系統に反した軍事行動にこのような発言をするというのは「大元帥」である以上考えづらい)、この発言は仮にあったとしてもコンテキストに反するものではないでしょうか? その典拠も気になりますが。また田中首相罷免事件などもタカ派の根拠としては不自然の感があります。  そもそも戦前戦後を通して昭和天皇は国際協調主義的な姿勢を持っていたというのが一応「一般的な」認識であり、それを「鷹派政治家として有名だった」とまで言い切ってしまうのは「自らの主義・主張の発表」ととられかねないのではないかと思います。一つの項目として取り上げるのならこの項はむしろ日米安保体制に対して積極的な賛意を示していた昭和天皇の戦後姿勢などを取り上げるほうが好ましいのではないかと思いますがどうでしょうか?

戦前の国際協調主義がどのような内実であったかを掘り下げればよいのではありませんか。 対英米と対支(あえて当時の言葉を使います)では、態度が違うのです。ジョン・ダワーの吉田茂批判を参照。理想化する必要まったくなし。


「戦犯ヒロヒト」の記述について

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 戦争被害者全員から戦犯扱いされていたというのは常識からかけ離れていて、明らかに極端な左派的な思想ではないでしょうか?当該部分の削除をお願いします。

今、保護扱いになっていますな。思想云々というよりも中傷めいた物言いですよね。戦争責任のことについて触れるのであれば、戦争責任の項を新たに設けるとかするのが妥当でしょうけれど、何度も繰り返しているところ辺りからすると荒らしでしょうね。--Tamachan21 2006年1月14日 (土) 13:19 (UTC)

当該部分のRvを繰り返されている219.49.208.83さんに荒らしのリストへの追加を警告します。他にも創価学会、池田大作、在日コリアンなどの項目などで宣伝を繰り返し、日顕の項目では中傷を繰り返しているようです。百科辞典は創価学会の布教活動の場ではない。

昭和天皇の説明で「戦犯ヒロヒト」と呼ばれるなどという文言がトップに来る辞典など聞いたこともありません。明らかに中傷する目的の記載であり著しく中立性に反します。当然削除に賛成します。

当該部分は削除されたました。皆さんありがとうございました。219.115.200.193 2006年1月28日 (土) 18:13 (UTC)

「戦犯ヒロヒト」という項目は、別に立てるべきでしょうね。

理由

1.天皇の戦争責任を問う立場の人たちの間では、広く使われている。

2.この用語に初めて接した人には、どういうニュアンスで使われているか、説明を要する。

保護解除後に

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言行録ですよね。次の言葉とかはどうでしょうか。あくまで論評はつけずに戦争責任の論争に関連のありそうな言葉だけをつづる、左右両派とも不都合と思う部分もあるでしょうが、あくまでも史料として言行録の部分だけ(できれば背景とかを掲載するのがいい)を掲載するものです。

戦争責任関連項目

「戦争責任者を連合国に引き渡すのは真に苦痛にして忍び難きところなるが、自分が一人引き受けて退位でもして納める訳にはいかないだろうか」と語ったという。(『木戸幸一日記』)。

開戦の時からいつやめるか、やめる時期をいつも考えていました(1969年9月)

そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないのでよくわかりません (1975年10月)

「もう一度戦果を挙げてからでないとなかなか難しい話だと思う」と発言(『木戸幸一日記』)--Tamachan21 2006年3月3日 (金) 14:34 (UTC)

--222.12.150.145 2006年2月24日 (金) 15:30 (UTC)

戦争指導

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要約欄で議論しないでこちらでお願いします。(必ず署名してください)--miya 2006年2月16日 (木) 22:51 (UTC)

  • ・・・と、戦争の帰趨に関わる重大な発言をした(『木戸幸一日記』)。一方では、これが東京大空襲、広島・長崎への核攻撃、沖縄戦・ソ連満州進撃の悲劇に繋がったとする論がある。他方で、実際のところは戦時における昭和天皇の発言は不利な戦局の実態を冷静に探ろうとするものが大半であったとする見方もある。(2006年2月14日 (火) 18:16 の版)
    「戦争の帰趨に関わる重大な」に主観がまだすこし残っているように感じます。実際に重大発言だったのでしょうが、この部分を削った方がより中立的になる(はっきり言って編集合戦になりにくい)のではないでしょうか?--miya 2006年2月16日 (木) 22:51 (UTC)
  • ・・・と述べた。実際、小磯内閣は和平の道を模索していたものの、これは「一撃」を加えた上での和平であって、また、陸軍は本土決戦を主張しており、この時点で天皇に単独に和平を求めてもどうなるものでもなかった。実際のところは戦時における昭和天皇の発言は不利な戦局の実態を冷静に探ろうとするものが大半であったとする見方もある。(2006年2月16日 (木) 22:12 の版)
    「この時点で天皇に単独に和平を求めてもどうなるものでもなかった」かどうかは、現在の私達には断定できないでしょう。こちらも主観であり、百科事典には不適切だと思われます。--miya 2006年2月16日 (木) 22:51 (UTC)

近衛上奏に対する昭和天皇の発言が、仮に原爆投下やソ連参戦に繋がったなどとする論が一部にあったとしても、まったく論拠不十分のもので、このような珍説をウィキペディアで披露するような性格のものではないでしょう。いったい、どういう歴史家がどのような根拠でそのような説を述べているのか、極めて疑問。削除対象のものでしょう。--糾問官 2006年2月17日 (金) 03:07 (UTC)

「重大発言」か否かは、第一に受け取った政治幹部(首相と閣僚)の主観、第二に「天皇制」における昭和天皇の発言を重大発言であると評価する論者(歴史家?)による判断(事実上は単なる表現)ではないですか。「ヒロヒト」の戦争責任を問うべく彼の発言が取り上げられ、新たに彼の発言が公開されるたび議論の的になったことは、私も普通に新聞を読んでいただけで知っております。その種の「議論」そのものがなかったかのような記述(または記述を消そうとする作為)に疑問を感じるのみです。争点は議論があったことを認識するか否かではないかと考えています。2006年2月17日 (金) 03:35 (UTC)署名付加Iosif 2006年2月17日 (金) 03:37 (UTC)

そもそも近衛上奏は1945年2月の話であり、その後内閣が変わり日ソ中立条約不延長通告、ドイツ降伏など状況が大きく変化している。当然この時と夏(6月・7月)では、天皇や政府・軍首脳の「現状認識」が変わっているのは当然で、そうした前提を無視して近衛上奏に対する昭和天皇の発言と原爆投下やソ連参戦を結びつけるのは、全く理解に苦しむのだが--210.196.189.19 2006年2月17日 (金) 07:08 (UTC)

「『戦争の帰趨に関わる重大な』に主観がまだ残っている」(miyaさん)についてはそのとおりだと思います。削除のうえ、これを戦争の帰趨に関わる重大な発言であると捉え、敗戦を遅らせた一因だとする見方がある。として、そこからさらに「終戦の遅れ→悲劇の拡大」を言う人がいるという順にしてみました。「珍説」「理解に苦しむ」等については、そう言われても私ではお答えしようがない。--Iosif 2006年2月17日 (金) 19:48 (UTC)

「お答えしようがない」ような、客観的根拠が薄弱な説は削除致します。ウィキペデアで紹介に値する「云々という見方」なのであれば、それなりの史的根拠が必要なのは当然でしょう。言いっぱなしでは困ります。糾問官

どこにからまれているのか、さっぱりわかりません。紹介されている昭和天皇の発言が影響力をもったとする観点・論説が存在したかしなかったかは、もはや争点ではないなくなっていると理解しています。そのうえで、糾問官さんが「珍説」だと思うことについては、当然お答えしようがない。昭和天皇の発言が明らかになったときに「左翼(?)」が「やはり昭和天皇は戦時指導に影響力をもっていたではないか」と騒いだことに対して理解に苦しむ論説だとおっしゃるのであれば、その批判をしかるべきところで展開されればいいと思います。記事本文が「しかるべきところ」である可能性も、モノによってはあるかもしれません。実は糾問官さんが日本現代史の専門家であって、(1)戦前の天皇制という制度において同発言は決して異例な発言ではないし、(2)にもかかわらずその種の発言があろうと昭和天皇は政策決定において無責任であり、(3)それどころか同・昭和天皇の同・発言など取り上げる価値はないし取り上げることもケシカラン……と誰もが納得せざるを得ないくらいに細密に論じることができるのであれば、それに期待しますし、ガイドしてくれれば真面目に読みます。おたがいそういう立場ではないというのが私の前提ですが。Iosif 2006年2月19日 (日) 11:20 (UTC)
それから、「ノートへ」と誘導している方が何一つ提起しないまま項目ごと消すというのも理解に苦しみます。Iosif 2006年2月19日 (日) 11:20 (UTC)
このノートに書くべきでないのを承知で言い添えたいのですが、私個人は「昭和天皇の戦争責任を追及すべき」という信条をたまたまもちあわせていませんし、そのために昭和天皇が戦争で指導性を発揮した・有責だと主張する立場もとっていないしとりようがないし、逆に昭和天皇が無責任だと主張するわけでもないし、これについては「わからない」でいる一人です。しかし、この流れで「言及するな」というのは“単なる隠蔽”ではないかと思っていて、当初からそう言っているつもりです。いくら熱心に削除してもいずれ誰かが同じことを加筆するだろうような事柄なのに……と思って吃驚しています。Iosif 2006年2月19日 (日) 13:19 (UTC)

不毛な議論はするつもりは毛頭ありません。近衛の上奏に関しての天皇の発言が原爆投下に繋がったなどとするのは、根拠が不十分のものであり、仮にそのような説を唱える人がいたとしても、事典に記載すべき内容のものではないということです。あなた自身は「昭和天皇の戦争責任を追及すべき」立場ではないということを述べておられますが、第三者的立場から見ていえば、「戦争指導」という項目にわざわざこのような珍説(あえてこの表記をしますが)を表記するなどは、天皇の戦争責任を追及する「信条」からのものとしか思えません。あなた自身がどのような考えを持とうが当然に自由なわけですが、根拠不明な論を開陳するのは、フリーの百科事典とはいえ、この名を汚すものに他なりません。どうしてもこの記載にこだわるのであれば、当時の状況下で、天皇の発言がどのような因果関係をもってあなたの開陳した説に至るのかを論証する必要があります。天皇の戦局についての発言、御下問が、何らかの影響を与えていたことは事実でしょうが、あまりにもミスリードする曲解の説は疑問を呈せざるを得ませんし、誰かが同じ記述をするというのであれば、そのつど質していくまでのことです。これは言論を封殺しているとかそういうことではなく、最低限の根拠がなければならないということです。もちろん、あなたが何らかの合理的な論拠をもってしてこの記載をするのであれば、わたくしもそれに従います。糾問官

以下Iosif記:▼取り急ぎ。いつから「私の説」「私の開陳する説」になったんでしょう? 問題としているところがずっとわからないでここに至り、今回もわからないまま読んだのですが、ひょっとするとこういうことですか。

「天皇の発言が影響を与えたのはそうかもしれないが、それがどうして原爆投下やソ連参戦にまでつながるのか。風が吹けば桶屋が儲かるという話ではないか。風が吹いたせいで桶屋が儲かったという客観的根拠を出せるのか」

ということですか? いや、多分そうなんでしょう、今やっと初めて思い至ったんですが。「影響を与えたことは事実でしょうが」と糾問官さんが書いているのを見るまで一度も上記のようには思い至りませんでしたね。以下は全て“もしそうだとしたら”の話です。“もしそうだとしたら”かなり話が違ってきます。しかし、そうだとしたらずいぶん無駄なことをずっと書いていたもんだ(-_-メ;。実際、「無根拠」「珍説」「根拠出せ」の連呼では少なくとも俺は意味がわからん。誰かが「無根拠」と書いて削除しているから「ああ、これ『木戸幸一日記』の話だろう」と思い「はい根拠をどうぞ」という具合に「木戸幸一日記」とだけ書き加えて戻したくらいだ。それでも延々rvを繰り返す。一体何の根拠を求めているのか延々とわからない。/糾問官さんは後々のため「ミスリード」の意味も教えておいてください。「誤読」の意ですか?それとも「誤導」の意ですか?

▼私が隠蔽するなと書いているのは、言い換えれば次のような側面についてですね。

→(1)戦争被害者の多くに「どうせ無条件降伏するなら、もう少し終戦が早ければ○○も△△も死ななかったのに」という思いがあったことをひとまず前提していて、(2)「ご聖断」で終戦するなら早くそうできなかったのだろうか、昭和天皇は戦争の無理な継続に関与していたのか関与していないのかというようなことが(責任を追求したい人にもそうでない人にも、つまり→)左右両方の関心事として長らく存在していたところに、(3)昭和天皇の発言が世に出たことで「なんだ影響してたんじゃねーか」とスキャンダラスに取り上げられた……という一連の過程。

「過程に注目している」というのも今ようやく思いついた表現なので後出しジャンケンなのは認めます。が、これに言及しないのはおかしいと思っています。「そういうことではなく、桶屋が儲かる式の話でもって原爆だのソ連参戦だのとやたらに刺激的な単語を並べたてるのは我慢ならんのだ」と糾問官さんが考えているのであれば(違うのかもしれませんが)、糾問官さんがそのように加筆するなり書き直せばいいだけだと思いますが? それでも、なぜ項目削除を?

▼とはいえ、そこから沖縄戦は避けられなかったか、原爆は避けられなかったかとつなげて真面目に考える人も実在したわけですから私はそれにも言及すべきだと思いますが。←ここに異議ありということでよろしいでしょうか? ▼昭和天皇の発言によって戦争が長引き被害が広がったのかもという情緒的反応(一部には爆発・一部には意図した悪宣伝)については、存在を認識しているわけですよね?▼案の定とはいえ、「信条」を決め付けられたのが大変不愉快なのですが、天皇に無関心な人間も世の中にはいるわけです。すべてを昭和天皇信奉派と昭和天皇断罪派に区分けされてはまったくたまったもんじゃない。天皇問題には(とりわけ天皇個人の戦争責任問題には)まったく無関心な人間(=Iosif)もいれば、ホリエモンのように「天皇は面倒くさい」と言う人間もいます。で、言及も許さんとでも言わんばかりですと、あなたが私の信条を決め付けたように、私もあなたが百科事典に不敬罪を適用しようとしているようにしか思えなくなります。そういうわけでないならば、議論を整理して書き直してはどうでしょうか。Iosif 2006年2月19日 (日) 20:11 (UTC)

前記の通り、無益な話し合いは止めたいので、要点のみ。近衛上奏に対する昭和天皇の発言が、先の原爆だのソ連参戦だのに繋がったとする合理的な論拠はありません。この発言だけを以て、そのような解釈に至る御仁がいたとしても、それは単に、そういう人がいるというだけの話で、私から言わせれば、このような論は説といえるようなものではなく、単なる妄信であると考えます。したがって、このようなものを、あたかも1つの見識のようにウェキペディアで開陳するというのは大いに疑問です。削除した表記ですが、あなた自身が「天皇問題にはまったく無関心な人間」もいると記載していますけれども、このような「無関心」の方々を、近衛上奏に対する天皇の発言で、原爆投下などに繋がったとする「1つの見識」があるというふうにミスリード、即ち誤った方向に人を導くこととなりましょう。「無関心派」を自称するあなたが、根拠の不十分なものに、どうしてそこまでこだわり続けるのかも疑問のところです。糾問官

関心をもつ方々がいたからです。左右を問わず。その背景には膨大な戦争犠牲者がいた。Iosif 2006年2月20日 (月) 19:41 (UTC)戦後史を通じての争点、というか、ずっとそうだったことで一つの軸になっていることがらで、かつ背景の感情にリアリティをもたせている現象だと思いますね。Iosif 2006年2月20日 (月) 20:45 (UTC)
今度はセクション名が気に入らないという人がいるみたいですね。この場合はどういう理由なんでしょう?(そこをたどると複数項目でコメント欄の文章が一字一句同じというIP氏が何人もでてきますが、どういうことなんでしょう?)Iosif

歴史に関心を持つ人がいるのは大いに結構なことですが、問題は、一つの見解として提示する際には、思い込みとしてではなく、しっかりとした史実的根拠に基づかなければならないということです。そのようなものがなんらないにもかかわらず、その人の主観的な思い込みだけで論を組み立てるとするのであれば、これは歴史学の対象外の話で、単なる思い込みを表象しているに過ぎません。そのようなものは、少なくとも「事典」に表記すべき事項ではありません。あまりこのような例を出したくはないのですが、かつて、『現代用語の基礎知識』という有名な本に東京大学の某教授が南京虐殺事件の被害者百万人説を紹介して冷笑されたことがあります。翌年の版では削除されたのですが、最低限の論拠がないものは、「説」や「見解」などとして紹介する価値はなく、そのようなことをすれば却って読者をミスリードすることとなります。別に悪意があって申し上げるわけではありませんが、あなたの行為はこれに類似するものではないかと思います。糾問官

「説教」の要点がわかりません。問題は、そのような見方(学説ではない)が存在したか否か、その見方の存在は日本戦後史にとって記述されるべきか否かのみです。何回も言っていますが。同じ話を繰り返さなくても主旨は理解しています。返信をご覧のとおりです。なるほど、虐殺者が百万人になるとか、朝鮮が植民地化されていなければロシアに植民地されていたのだから日本に感謝しろとか。そういう議論はありますね。こんなものは、どちらも紹介する価値がないのかもしれません。しかし、人を亡くした感情から起きた論争・スキャンダルです。そういうものがあった、との書き方でも存在すべきです。妄信というならそれでもいいでしょう(そうは思いませんが)。妄信だと決め付けたうえで書いてみればいいわけです。なお、「説」や「見解」を紹介する価値があるか否かはあなたが決めることではなく、議論に基づいた合意によって決まることです。私は紹介価値があるとする理由を述べました。それに対する応答を糾門官からは届けられない。議論は相手の文章を最大限に好意的に読むことからはじまりますし、私は可能なかぎりそう心がけようと考えています。「私は認めません」の連呼では対話の糸口もなく、、、、、、、、、、、、、、まったく失意に沈んでいます。Iosif 2006年2月22日 (水) 21:48 (UTC)

ネット上のものとはいえ、あくまでもウィキペディアは百科事典を謳っているはずです。あなたはどう考えているか知りませんが、わたくしは事典を謳う以上は、記載する内容も権威あるものとまではいいませんが、最低限の根拠を持つものでなければいけないと考えます。天皇の発言が原爆投下やソ連参戦等に繋がったとする話は、ごく一部にそのように考える人がいたとしても、根拠が不十分で成り立たないものであることは素直に認めなければならないでしょう。話の根拠が「人を亡くした感情」だとすれば、当然のことながら削除の対象です。そのような話の記載、否、宣伝にこだわるのであれば、他の電子掲示板などを利用すべきです。糾問官

ちょっと話が逸れるようですが、要は「戦争指導」というタイトルと内容である

「1945年1月、フィリピン陥落の後、最高戦争指導会議筋から昭和天皇へ「講和へ向けての意見具申」があった。その時に昭和天皇は「もう一度戦果を挙げてからでないとなかなか難しい話だと思う」と発言した(『木戸幸一日記』)。(一方では、これを戦争の帰趨に関わる重大な発言であると捉え、敗戦を遅らせた一因だとする見方がある。この見方に基づいて、昭和天皇の「重大発言」が、敗戦の遅れ、東京大空襲、広島・長崎への核攻撃、沖縄戦・ソ連満州進撃の悲劇に繋がったとする議論もある。他方では、実際のところは戦時における昭和天皇の発言は不利な戦局の実態を冷静に探ろうとするものが大半であったとする見方もある。)」

(()については、保留部分)という文章が問題なのでしょうか。カッコ内について誰の説なのかを明示できるのであれば、誰の説なのかを明示した上でかつ玉音放送に言及した文章を加え、「降伏前後」として記し4.4「真珠湾攻撃・開戦詔勅」、4・5「人間宣言」の間に1項目設けてみてはいかがでしょうか。時代的にも降伏直前の内容ですし。
カッコ内の保留部分について誰の説か引用できない場合には、木戸幸一日記の引用部分だけを記せばいいのだと思います。昭和天皇の言行録は歴史的にみてかなり重要だと思いますので、木戸幸一日記の記録の部分まで要らないとするのは行き過ぎであるというのが個人的な見解です。
この見解について皆様のご意見を伺いたく存じます。--Tamachan21 2006年2月24日 (金) 15:16 (UTC)

わたくしの申し上げていることは単純で、根拠の不十分なものを「事典」に記載してはならないということです。もちろん、天皇の発言を記載してはならないということではありません。今回のケースは、昭和20年2月に戦況を憂えた天皇の希望により6人の重臣が個別に拝謁し、見解を上奏したものです。この中で即時和平を示唆したのが、敗戦に伴う共産主義革命を恐れたとされる近衛文麿です(『木戸幸一関係文書』)。この際に、天皇が自信の見解として、敵に一撃を与えた上で講和を結びたいという趣旨を示すわけですが、それが議論になっている「発言」ということとなります。この時の単なる「御発言」がいかなる影響をもって、原爆投下だのソ連参戦だのにつながるのか、まったく理解に苦しむというわけです。もっとも、対米和平交渉の展開上、天皇が一撃を加えた上での和平を望んでいたことは事実で、これはドイツとの単独不講和の約束を破りたくないと考えていたこともあるわけです。その天皇が即時和平へと考え方が変化するのは、ドイツが敗北し単独不講和に拘束されなくなったことや沖縄戦で一撃を加えることが不可能であることが判明したころと言われています(戸部良一論文「和平運動と終戦工作」)。ちなみに、昭和20年2月以降の状況はといえば、戦況を好転させるのは不可能な状況ですが、陸軍は徹底抗戦を主張し、遂には本土決戦を言い出す始末。和平をという暗黙の了解のうちに終戦内閣たる鈴木貫太郎内閣が発足します。和平論議はタブーのまま推移しますが、ひそかに和平工作に従事していた吉田茂らが憲兵隊に検挙されるなど、公然と和平を論じるのが極めて危険な事態でありました。鈴木内閣ではソ連を仲介とした和平工作を展開しようとしますが、上手くはいかず、結果はご存じのとおりとなります。多少脱線しましたけれども、誰々の発言がいかなる影響を与えたなどと主張する際には、単にその発言を自分勝手に解釈することなく、その当時の客観的事情をふまえた上で、合理的な解釈をしなければなりません。論文を書く際も当然そうするわけでしょう。個人的には、論議となっている発言について、原爆やソ連参戦につながったなどという説を主張している論文を見てみたい気もしますがね。糾問官←署名ついでに時刻も入れてくださいIosif 2006年2月25日 (土) 05:16 (UTC)


てことは結局『木戸日記』当該発言の記載に反対しないということなのでしょうか? 糾問官氏に忠言する義理はありませんが、論点ずらし(というよりは「論点のズレの放置」)と立場のブレ立場を明らかにしないことが、対話の難しさを引き起こしていることを確認します。上で述べているような見解や(当該発言の記載には反対しないという)立場を一度も明らかにしなかったこと、他人(私)から解釈を加えられつづけ「風が吹けば桶屋が儲かる」式の記述部分が不満なのか?と問うたときまで自分の考えを一度も明らかにしないのが対話に困難を引き起こしたこと、現在も引き起こしていること(ノート:歴史教科書問題)をご自覚でしょうか。共通点は「無根拠」の連呼だけで何の根拠を求めているかを明らかにしないこと。[1]←この編集などは木戸日記と当該発言だけが記載されているわけですが、アカウント糾問官のものであることを隠していないIPリバートしています。なぜ、このときに天皇の発言のみを記載しそれ以外を削除することというNike氏の編集に賛意を示さなかったのでしょうか?。それに加えて、2006年2月21日(火)05:04の版[2]に対しても「無根拠」「議論不要」と連呼するだけで、上記のように話すよう差し向けても、天皇の発言の記載はまかりならんと言わんばかりに「根拠」の連呼のみだったし、天皇発言の前後を加筆するという姿勢もなかったのはどうしてでしょうか? さらに不思議なのが、前挙2つの時点で、賛意も加筆もなかったのに、今回になって天皇の発言記載そのものには反対しないようだ。どうも、このブレにはちょっとついていけないものがありますね。Iosif 2006年2月25日 (土) 05:05 (UTC)修正付加Iosif 2006年2月25日 (土) 05:16 (UTC)再修正Iosif 2006年2月25日 (土) 05:19 (UTC)再々修正。Iosif 2006年2月25日 (土) 10:20 (UTC)

議論を読ませていただいた限りでは、2月当時の発言を沖縄戦や東京大空襲はともかく、ソ連軍参戦や原爆投下まで結びつけるというのは、本項及び他項中の他の歴史的事実の記述と(内閣や外交関係の変動、天皇による近衛特使派遣問題他)記述とも矛盾しており、採用すべきではないと考えます。確かに考え方がいくつも分かれる事項についてはなるだけ諸説を併記するのが望ましいわけですが、余りにも事実とかけ離れた説まで併記する事には問題があると思われます。例えば、太陽の項目に「太陽の表面温度は約6000度である。だが、ジョージ・アダムスキーは太陽はそんなに熱くないと否定している」という編集がされていたら、次には確実にリバートされるか誰かが削除するでしょう。糾問官さんの編集姿勢にも問題がありそうですが、かと言って、事実無根の中傷に近い臆説まで記載されていい道理もありません。従って、 「1945年1月、フィリピン陥落の後、最高戦争指導会議筋から昭和天皇へ「講和へ向けての意見具申」があった。その時に昭和天皇は「もう一度戦果を挙げてからでないとなかなか難しい話だと思う」と発言した(『木戸幸一日記』)。一方では、これを戦争の帰趨に関わる重大な発言であると捉え、敗戦を遅らせた一因だとする見方がある。この見方に基づいて、昭和天皇の「重大発言」が、その後の様々な悲劇に繋がったとする議論もある。他方では、実際のところは戦時における昭和天皇の発言は不利な戦局の実態を冷静に探ろうとするものが大半であったとする見方もある。」程度の記述に留めるのが妥当と考える。

そもそも、「もう一度戦果を挙げてからでないとなかなか難しい話だと思う」というのは軍部(特に陸軍)の士気が低下していないので、もう一度戦果が挙がってからでないと軍部は納得して講和のテーブルに付かないだろうという、当時の政府・軍内にあった一般論を述べただけであって、例えば鈴木貫太郎首相も就任直後に東郷茂徳外相に全く同じ趣旨のことを言って窘められている。戦争の帰趨を左右するレベルの高度な政治的発言には思えないのだが…(むしろ、この発言で問われるのは天皇個人の問題に特化出来ない政府・軍部全体の問題ではないかと思われるが)。--水野白楓 2006年2月25日 (土) 09:39 (UTC)

程度の記述内容に留めるのがウィキペディアが求める中立性に適った記述であると考えます。

文章の内容と直接関係ないですが、中立的な文章というお考えですが、人それぞれが価値観を持っている以上は、中立性を担保するのは厳しいのでは?せいぜい万人が妥協できる文章ということくらいでは?--Tamachan21 2006年3月3日 (金) 14:49 (UTC)
長々と話し合いが続くのはまったくもって嫌なものですが、私の言いたいことは、当初のとおり、

「近衛上奏に対する昭和天皇の発言が、仮に原爆投下やソ連参戦に繋がったなどとする論が一部にあったとしても、まったく論拠不十分のもので、このような珍説をウィキペディアで披露するような性格のものではないでしょう。いったい、どういう歴史家がどのような根拠でそのような説を述べているのか、極めて疑問。削除対象のものでしょう。」

ということです。さらにもう一点付け加えますと、「戦争指導」という項目を削除致しましたのは事実で、糾問官というアカウントを使用しなかったのは他意はありません。単にログインしていなかっただけの話です。この事典で項目ごと削除したのは、近衛上奏に対する発言をポツンと取り上げるという編集姿勢にも疑問が生じたというとこが正直あり、この発言が果たしてどの程度の影響を与えた「戦争指導」といえるものなのかということも追求しようかと考えましたが、ノートでその旨記載しなかったので誤解を招いたようです。その点はお詫びしたいと思います。 項目ごと削除した理由はといえば、「1945年1月、フィリピン陥落の後、最高戦争指導会議筋から昭和天皇へ」の記載も、1945年1月で間違いないのか。さらに、「最高戦争指導会議筋」というのは具体的には誰のことなのか。「戦争指導」という項目の中で、「最高戦争指導会議筋」から天皇に講和へ向けての意見具申があった。その時に、天皇は難しいという発言をした、という記載を何にも知らない読者が見たらどう考えるでしょうか。最高戦争指導会議というのは、ご承知のとおり、実質的最高意思決定機関です。この「筋」が「和平」について意見具申をしているのに、天皇が反対して、和平が流れたかのごとくミスリードすることとなりませんか?こういったことから項目ごと削除したわけです。 さて、わたくしは天皇の発言を記載してはならないなどと申したことはありません。ただし、その際、発言を意図的か否かはともかくも、客観的事実に反する解釈を加えるのであれば、当然に異議を申し立て、場合によっては削除する気持ちはいつでもあります。糾問官

>ただし、その際、発言を意図的か否かはともかくも、客観的事実に反する解釈を加えるのであれば、当然に異議を申し立て、場合によっては削除する気持ちはいつでもあります。
その前にとりあえず文章を残して保留(<!--- --->の記号を入れる。)にした上でノートで議論するというのもありではないですか。記号を入れれば表面上は文章が消えますが、編集の際にはどういう文章があったかがわかります。その上でノートで項目を作れば是非を論議できますし。第一個人個人がおのおのの価値観があるわけで、客観的で中立的な価値観による文章というのは神話だと思いますよ。せいぜい万人が許容できるというか妥協できる文章を書くしかないと思いますが。客観的なのはせいぜいこういう言動があります。位でしょうし。
無条件に削除はどんな文章があってどんな論議があるのかわかりにくいですから、あまり妥当ではないですよ。そういうのは個人情報の漏洩など私人のプライバシーを侵害するとかその情報を掲載することで犯罪に巻き込まれる被害者が出る場合など、緊急性を要する場合に限るべきではないかと思うのですが。--Tamachan21 2006年3月3日 (金) 15:19 (UTC)

代言人さんが作った言行録の一部に木戸幸一日記の原稿録を入れる

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論評を加えると論争になるので、木戸幸一日記の内容だけを代言人さんの原稿録の一部として記述する案を提言します。)。水野白楓 さんの案は一つの案としてはあるでしょうが、論評を加えるとやはり揉める原因になるのではないかと思います。--Tamachan21 2006年3月3日 (金) 14:49 (UTC)

削除についてはTamachan21氏も発言されていますが、項目ごと削除したことについては、私も多少考えることがあります。だけれども、やむを得なかったとも7割くらいは思っています。また、近衛の内容だけをポツンと紹介するということは、やはり大いなるミスリードをするのではないかと思います。その時の発言というものは、その時の事情などがわからなければ、意味を理解できませんし。そもそも、この発言を紹介しようという意図自体にどのような問題意識があるのかも気になるところです。糾問官

通りすがりの意見。上記にありますけど、やはり問題になっている表記は、ある種のイデオロギー的な意図があるとしか思えませんけど、さすがに長期の保護はいただけないですよね。

エピソード

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エピソードのうち、以下のものをコメントアウトしました。

  • 平和主義者としての面が強いが、戦時中は「どうやったら敵を撃滅できるのか」と質問する事もあった。しかしだからと言って好戦家と結論付けることは拙速であり、戦時下の元首にとって(まして天皇は軍の大元帥である)件の質問をするのは当然と言える。
    上の文のうち「しかしだからと言って好戦家と結論付けることは拙速であり、戦時下の元首にとって(まして天皇は軍の大元帥である)件の質問をするのは当然と言える。」の部分をコメントアウトしました。k人的には戦時下の元首で大元帥がこのように発言するのは当然だと思いますが、しかし、ここで付け加えるのは「論評」にあたるので。それ以前に、このていどの発言で「好戦家」と結論づける人がどれだけいるのかというのが疑問ですが。
  • 初代ブッシュ大統領は、緊張のあまり晩餐会の最中に嘔吐した。崩御の際には人種・地域を問わず、世界各国から代表者が顔を揃えた事からも、彼が世界に与えた影響を窺い知る事が出来る。
    上の文章もコメントアウトしました。(1)父・ブッシュの嘔吐ってどのときのものでしょうか。宮沢首相(当時)との晩餐会のは記憶に新しいですが、昭和天皇は死んでいます。他にも吐いてばかりいる人なのかもしれませんが、かといって嘔吐の理由を「緊張のあまり」だと特定できるもんなんでしょうか。(2)君主の死去にともなって(しかも日本は先進国でそこそこの大国でもある)各国から代表者が顔をそろえるのは当たり前ですから。投稿者は昭和天皇と違って明仁天皇なら各国代表者が顔をそろえたりしないだろうと踏んだのかもしれませんが、そんなことはないでしょうし。しかし、これじゃ、ひいきのひきたおしどころか褒め殺しだ…(^。^;)--Iosif 2006年2月17日 (金) 19:48 (UTC)

保護解除の提議

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編集保護されて2ヶ月が経過しているようです。

2006年2月21日 (火) 06:26 三日月 (保護) 

何が理由で、保護に至ったのか、せめて、保護した当人は当該記事のノートに理由を記載するべきでしょう。 さて、理由が見えないので議論がしにくいですが、2ヶ月も経過したのですから、当時の何らかのトラブルも沈静していることでしょう。保護解除を提議します。Doksesye 2006年4月16日 (日) 15:54 (UTC)

保護した当人です。保護理由は編集合戦です。履歴を見ていただければわかるように、「戦争指導」という節などの追加、削除が繰り返されていたため、編集合戦になっていると判断して保護しました。--三日月 2006年4月16日 (日) 16:07 (UTC)

解説ありがとうございます。 さて、2ヶ月も経過したのですから編集合戦も当然鎮火したと想像できます。保護解除についての三日月さんの意見はいかがですか?Doksesye 2006年4月16日 (日) 16:53 (UTC)

通りすがりですが、一連の流れを見る限りでは、削除されても仕方がなかったような印象が強いですが、確かに、話し合いも終わったようですので、保護解除が望ましいですね。

「保護解除が望ましい」もっともだと思います。[[利用者]:byやっぴ]2006年7月28日(金)20:03

保護解除についての議論はどうなっているのでしょう?昭和天皇#略歴桜田門事件を加えたい、と思っているのですが。 --Fryed-peach 2006年11月3日 (金) 17:04 (UTC)

通りすがりではありますが、解除で意見が統一されていましたので解除依頼に提出致しました。--唄方 2007年1月13日 (土) 03:36 (UTC)

リンクの修正

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階級補任日

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日本陸海軍総合事典による階級補任日

  • 大正元年9月:陸海軍少尉
  • 大正3年10月:中尉
  • 大正5年10月:大尉
  • 大正9年10月:少佐
  • 大正12年10月:中佐
  • 大正14年10月:大佐

--代言人【右】 2006年6月27日 (火) 10:13 (UTC)

保護中に見つかった誤字脱字等

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昭和天皇がパチンコ玉で狙われるエピソードがあります。その記述が「幸い負傷されずにすんだ」となっていますが、正しくは「幸い負傷せずにすんだ」ではないでしょうか。皇族の記述では敬語を使わないようですので、「負傷する」と能動態でいいと思います。--以上の署名のないコメントは、59.138.221.206会話/Whois)さんが 2006年7月25日 (火) 15:10 に投稿したものです。

同じエピソードの「バルコニーに立たれた」もそうですね。--以上の署名のないコメントは、125.201.141.175会話/Whois)さんが 2006年7月28日 (金) 11:55 に投稿したものです。

昭和天皇を演じた人物のところ、太陽 (映画)にリンクしとくとよさそう。--iwaim 2006年8月17日 (木) 02:53 (UTC)

「新日本建設に関する詔書}は人間宣言へと移動・改名されましたので、保護解除後に調整をお願い申し上げます。--Kafuka1964 2007年5月17日 (木) 14:52 (UTC)

天皇機関説

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「機関説は、国家法人説と呼ばれるドイツの学説に由来するが、この学説は国家の本質を「法人」とする点において主権及び主権者の存在をあいまいにする意図をもった学説であり、当時すでに、後発資本主義国であり、外見的立憲主義の典型とされていたドイツにおいてさえ「時代遅れ」とされていた。しかし、戦前期の日本においては、天皇を国家の一機関として観念するという点において、社会科学的思考と結びつく側面をもつと同時に、吉野作造の「民本主義」と並んで護憲運動や大正デモクラシーの理論的バックボーンを演じていたことは、日本資本主義がドイツよりもさらに後発であることと立憲主義がさらに外見的であったことを反映していた。しかし、昭和天皇がそこまでの理解を持っていたかは疑問である。昭和天皇の理解していた機関説は、「一機関」としての性質を強調する一木-美濃部ラインのものではなく、有機体の「頭部」であることを強調する、清水澄の学説に近かったとする説もある。」

この部分は 「機関説に関しての述懐を、昭和天皇のリベラルな性格の証左としながら、同時に、美濃部擁護で動かなかったことを君主の非政治性へのこだわりとする記述」

に対する反論だと思いますが、機関説に関する学説を詳述しているだけで関連性がないと思います。 天皇は学者でないので細かい学説を知ってなくて当然だと思いますが、 機関説が「主権及び主権者の存在をあいまいにする意図をもった学説」であるというだけで「リベラルな性格の証左」 (リベラルな性格というのもあいまいな表現でいろいろ取れますが)には十分ではないでしょうか。 もっとも私はそもそも辞書で昭和天皇がリベラルな性格だったかどうか論評するのは適当でないと思いますが。 また、「現実にはそれほど単純でない。」という一方的に評価を下す表現は辞書として適当でしょうか。 だいぶ昔に読みましたが元の記事は事実だけ書いてあったと思います。この追加は事実に対する仮定的評価を加えてさらにそれに対する反論が正しいとしているものであってまったくの蛇足ではないかと思います。

私はここの表現は

天皇機関説事件 1935年、天皇機関説が排撃された天皇機関説事件について、昭和天皇は侍従武官長・本庄繁に「美濃部説の通りではないか。自分は天皇機関説で良い」と言った。 昭和天皇が帝王学を受けた頃には憲法学の通説であり、昭和天皇自身、「美濃部は忠臣である」と述べていた。

という歴史的事実のみを書くべきではないかと思います。 昭和天皇が機関説をよく理解していなかったとかそれに対する評価は学会でやっていただきたいと思います。 また仮に書くならそれに対する反論も書かないとフェアではないし、ましてや一方的にどちらが正しいとやるべきではない。

また、辞書で「直接・間接にはなんら行動を起こすことはなかった。」という「やらなかったこと」をわざわざ書く意味も私には理解できません。 やらなかったことを書くなら天皇はパチンコをしなかったとか麻雀をしなかったとか全部書いていかなければならなくなりきりがありませんし、歴史にIFはないというのが歴史家の常識ではないでしょうか。 ノート保護中で誰が決定権を持つのか知りませんが、昭和天皇という歴史的評価に論争がある人物だけに、辞書を作るなら「客観的事実」を基本にしないといろいろな立場の人が評価を付け加えていって泥沼になりますよ。--以上の署名の無いコメントは、Tigershotman会話投稿記録)さんによるものです。2006年7月31日 (月) 00:27

エピソード備忘録

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  • 入江相政侍従長が皇居の草刈りをした際、昭和天皇に雑草が生い茂っていたので刈ったというと昭和天皇は「雑草という草はない。」と戒めた。そのため皇居は草だらけであったという。--雑草の項より。原典は宮中侍従物語。
  • 「杉山メモ」に記載された対米開戦をめぐる昭和天皇との以下のようなやりとりは有名である。
    • 対米戦争の成算を問われた杉山は楽観的な回答をする。これに対して天皇は「汝は支那事変勃発当時の陸相であるが、あのとき事変は3ヶ月で終わると申したのに今になっても終わっていないではないか」と問いつめた。
    • 答えに窮した杉山が「支那は奥地が広うございますので」と言い訳すると、天皇は「太平洋は支那より広いぞ」と一喝した。--杉山元の項より。原典は杉山メモ。
  • アッツ玉砕の際に健闘を称えるように伝えたが、受信装置が破壊されていると説明を受けた際に「それでも電波を出すように。」と返答した。--アッツ島の項より。原典は不明。--220.31.57.47 2006年8月22日 (火) 12:20 (UTC)

「戦犯ヒロヒト」が「昭和天皇」のリダイレクトとして作成された件について

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これは妥当なリダイレクトなのでしょうか。こういう呼び方がいわゆる左翼界で用いられていることは事実であり、その説明として「戦犯ヒロヒト」の項目・記事自体を作成・発展させることについては意義がないとはいいませんが、思想の論争を超えて歴史的事実・評価を記すべき穏当な項目である「昭和天皇」に対して、一方の思想バリバリの(しかも法的に公的な呼称として認められたことのない)呼称を、リダイレクトとして直結させるのは、問題じゃないでしょうか。ウィキペディアは大学構内にある過激派のアジ板じゃないんですから。--無言雀師 2006年9月11日 (月) 13:23 (UTC)

いや、もちろん、どなたかが、この「戦犯ヒロヒト」をリダイレクトでなく独立した記事としてきっちり記述され、その文中で昭和天皇の項目へのリンクが登場するのは何ら問題ないと思います。たとえ昭和天皇に対して否定的な事実を述べる記事の中であっても、「昭和天皇」という文字が登場するならそれが「昭和天皇」という項目にリンクすることは当然ですから。しかし「戦犯ヒロヒト」という文字にパイプを用いて「昭和天皇」にリンクしたり、記事も書かずに(現状のように)いきなりリダイレクトにするのは妥当性を欠くのでは、と思います。--無言雀師 2006年9月11日 (月) 13:31 (UTC)
このリダイレクトはあまりにも酷すぎます。このことが今より広く知られると反発する人が現れるのは必至です。Wikipediaの編集は中立的な観点でなければなりません。--Alljal 2006年9月13日 (水) 04:10 (UTC)

インデント戻します。当方は、次のように考えます。

  • 「戦犯ヒロヒト」という言葉が、過激派のアジ板・ビラ等で登場すること自体は(それが社会通念上好ましいかどうか、侮辱罪を構成するかどうかは別として)事実です。
  • したがって、「なぜそのような言葉が生まれ、どのように使われているか」等々の背景・実情を述べるために「戦犯ヒロヒト」という項目を作ることには反対しません。この場合は当然その記述文中に「昭和天皇」という言葉が登場するでしょうから、それが昭和天皇の項目へリンクとなるのもやむを得ないことでしょう。
  • ただし、用語の定義を超えて人物評を書くのは許されないと思います。というのも、昭和天皇が戦犯であるかどうかについての評価は「昭和天皇」の項目で記述すべきことだからです。百歩譲って「昭和天皇」以外の項目で書くことが(何らかの合意で)認められるようなことにもしなったとしても、「戦犯」が先で片仮名の「ヒロヒト」が後に来るこの項目名「戦犯ヒロヒト」がその人物評専用項目名として相応しいとは直ちに言えないからです。可能性としては「裕仁戦犯」などの表記もあり得るわけで、アジ表記の「戦犯ヒロヒト」を人物評価記述用項目名と認定する合意がない限り、あくまでそこではこの用語の定義・背景説明に限定し、「詳細は昭和天皇の項目参照」などとするべきです。
  • つまり、「この戦犯ヒロヒトという表記は一部でなされていますがそれはこのような背景を持つ偏った表記ですよ」と断った上でのリンク登場であれば、穏当なものだと思います。それならば「ウィキペディアが昭和天皇を戦犯ヒロヒトという蔑称で直接認定しているわけではない」と分かります。
  • しかし、そのようなエクスキューズ(断り書き)を伴った説明もなく、いきなりリダイレクトとして存在することを許してしまうと、とどのつまり「ウィキペディアが昭和天皇の適切な別称として戦犯ヒロヒトを容認している」と受け取られる可能性が出てきます。実際には一人の編集子がやったことですが、ウィキペディアが万民に開かれた閲覧自由な百科事典である以上、ウィキペディアの概要・性格を知っている人ばかりが見るとは限りません。事情も知らない小中学生がちらっと閲覧したときに「戦犯ヒロヒト」がなんの説明もなく「昭和天皇」へのリダイレクトとなっていれば、この「戦犯ヒロヒト」という刺激的かつ偏向のある呼称があたかも正統・穏当なものである、との誤解を生むことにもつながりかねません。

以上のことから、当方はきちんとした用語説明のための項目・記事の内容を持つならば「戦犯ヒロヒト」の項目は存続も可、単なるリダイレクトなら「百科事典による故人への侮辱を容認すること」になるので不可、と思います。あくまでリダイレクトとしては認めない、ということであって、絶対に存在してはならないとは思いません。当方が東京の大学に通っていたバブルの頃は過激派のアジ板に「戦犯ヒロヒト」とよく書かれていましたから、一定の使用実績があることは否定できないからです。個人的にはとんでもない不敬であると考えますが、だからと言って百科事典でその用語の存在まで抹殺するのは、それはそれで逆の偏向になってしまうと思います。--無言雀師 2006年9月13日 (水) 06:28 (UTC)

昭和天皇の戦犯扱いについて

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オランダでは昭和天皇は「戦犯認定」されていたと思います。 天皇の戦争責任は海外ではどのように扱われているのでしょうか?

そういった記述があったらとてもよいと思います。--121.82.212.37 2006年9月12日 (火) 10:12 (UTC)はかせ

このことは昭和天皇の定義として不適切だと思うので戦犯関係の記事にて執筆してはどうでしょうか?--Alljal 2006年9月13日 (水) 04:26 (UTC)
まず、オランダでそのような認定をされていたかどうか、当方は知りません。仮にそれが事実だとした上で述べますが、当方はAlljal氏の見解には賛同できません。なぜ不適切なのでしょうか。百科事典は人物を礼賛するだけの場ではありません。たとえば、冒頭の説明文で「なお、オランダでは戦犯として認定されていたことがある(詳細は後述)」と書き、後半(なるべく後ろのほう)に「戦犯としての評価」などのタイトルで「節」を設け、そこでそのことについて詳述することは何ら不適切とは思いません。無論、中立性を超えた侮辱的・感情丸出しの稚拙な記述は許されませんが、淡々と事実経過を記述するのであれば、それは「昭和天皇」の記事中で行われるのはむしろ当然ではありませんか。Alljal氏の言われるように戦犯関係の記事で執筆するのもいいですが、なぜ「昭和天皇」の「一つの節」において書くことが「不適切」なのか、理解に苦しみます。百科事典は縁起を尊重する祝詞や結婚式の祝辞ではないのです。忌むべきことがあっても、節度をもった上でなら、書くことのほうがむしろ百科事典の大事な役割を果たすことになりませんか。個人的思想信条の優先は控えるべきです。--無言雀師 2006年9月13日 (水) 06:55 (UTC)

オランダで戦犯ってこれの事ですか? 別にオランダ人やオランダ国家が戦犯認定したわけではありませんし、本項目に書くに値するほどの業績、事件ではないですね。良くてジョージ・ウォーカー・ブッシュのように関連項目に追加といったところでしょうか。 物事のネガティブな面について書きたいのであれば、事実だからなどではなく、各種方針に沿った形できちんと資料に基づいて書くべきでしょう。事実であればなんでも書いて良いわけではありません。--Snow steed 2006年9月13日 (水) 07:56 (UTC)

あぁ、やはり世界市民の方々による一方的な認定でしたか。それならある意味言いがかりですから「昭和天皇」の記事内に書くのは妥当じゃないですね。当方はてっきり(一時的に)オランダ国家が戦犯認定でもしていたのかと思ってました。「事実であればなんでも書いて良いわけではありません」まさしくそのとおり。小学校のときに教室でウンチを漏らした、それは事実であっても百科事典に書くことではない。当たり前のことですね。百科事典に記述するに相応しい最低限度の節度というのは当然あってしかるべきです。法的・公的な正当性のない「ためにする」ネガティブ情報は「百科事典を利用した名誉毀損」になります。人物に対する賞賛にせよ非難にせよ、書くのはあくまで事実かつ公正な認定・認識に基づくものであるべきなのは言うまでもありません。--無言雀師 2006年9月13日 (水) 08:20 (UTC)

私の書いた文章が少々稚拙で無言雀師 さんを誤解させてしまったようです。私が言いたかったのはページ「昭和天皇」は彼自身の事柄を書く場であり死後の他人による評価を書くべきではないということです。もし「戦犯認定」云々という事柄があるのであれば新たにそのようなページを作成した上で執筆ということです。いらぬ誤解を招いたことをお詫びします。--Alljal 2006年9月13日 (水) 09:25 (UTC)

エピソード内の記述について

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天皇の質問に対しては、 一切のごまかしも通用しなかったほどあらゆる出来事に精通していたといい、 質問を受けた者は常に緊張していたという。この部分

あらゆる出来事を知っている人間はこの世の中にはいないですよね! 「天皇は神」という戦前の発想がある人が執筆したのでしょうか? 抽象的で曖昧な記述だと自分では思うので、この部分は削除あるいは書き換えをしたほうがいいと思うのですが。いかがでしょうか?

インド全土で一週間の喪に服したことは?

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天皇#天皇と世界には、日本は2日間、インドは3日間、とありますね。 --Fryed-peach 2006年11月3日 (金) 16:49 (UTC)
喪に服した期間ですがインドでは国民全体では3日間、国会前での半旗が一週間のようです。因みにブータンでは一ヶ月喪に服したそうです。--16toki 2006年11月9日 (木) 07:31 (UTC)
そうですか・・・--221.119.120.135 2006年11月19日 (日) 09:04 (UTC)

新日本建設に関する詔書

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>事実は天皇の神格否定と言うことはできない。
>この後も天皇への国民の敬意が薄れることはなかった。
とありますが、根拠不明ですので「要出典」のタグを付けました。一つ目は日本語としても不適です。主語・述語の対応が狂っています。「事実は天皇の神格否定と言うことはできないものであった。」と言いたいのでしょうが、あえて直さずに残してあります。変な日本語のままの方が、読者は疑念を持って批判的に読んでくれると判断したからです。二つ目は国民の意識調査などの具体的なデータが必要と思います。おそらくそういうデータは無いでしょうから、両者とも「出典」が示されなければ、「主観的な記述」、あるいは「独自研究」として削除が適当と思います。--Kafuka1964 2007年4月14日 (土) 16:27 (UTC)

出典を明記とのことですが、皇太子時代の1918年4月から1925年12月まで貴族院の皇族議員でした。明治憲法下では成年に達した皇族の男子は貴族院議員となりました。海行かば 2007年4月19日 (木) 11:30 (UTC)

卜部侍従日記について

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冨田メモについても言えることですが、詳しく検証されてもいない資料を過大に取り上げて史実の確定というのはどうかと。--遠野能史 2007年4月27日 (金) 17:36 (UTC)

(追記):まだ全容が明らかになってもいない、出版されてもいない資料であることを考慮し、記述は最低必要限度にすべきである。現時点で天皇が合祀に反対していたと断定形の記述を行うべきではない。--遠野能史 2007年4月28日 (土) 06:12 (UTC)
あなたのやった行為は荒らしに相当します(Wikipedia:荒らし#白紙化)。すぐに復活させてください。--Phew 2007年4月28日 (土) 07:38 (UTC)
すくなくとも、異義のない部分は復活させるべきでしょう。また、「検証が不十分という見方もある。」等と書き足して全部復活させてよいですよね?異義の無い部分まで除去するようなことは今後はやめてください。警告します!--Phew 2007年4月28日 (土) 07:40 (UTC) 10:41 (UTC) 修正
そうとんがらずに。削除した箇所は今日未明に、感情的な箇所を削った上で富田朝彦の頁に移動させて残しているではありませんか。そちらをご覧の上で書き足されているのですか?見たところ大日本氏の記述を補完しただけのもの、護国神社への今上天皇参拝の際の合祀確認についても出典が明らかでない。そういう理由から、妥当な記述がなされている版に差し戻したのです。最後に差し戻した記述については、この頁の本文よりも卜部侍従の日記についての頁のほうが書き加えるに適していると、私は思うのですが。少なくとも、現人神としての天皇に関するエピソードにはふさわしくないと思われます。あの箇所に書き加えるなら、昭和天皇誤導事件関連のエピソードなどのほうが適当でしょう。そういえば、卜部侍従日記の頁はすでに存在したかと記憶していますが。--遠野能史 2007年4月28日 (土) 08:11 (UTC)
出典が無いと思うなら、出典要請をすれば良いだけです。差し戻しは荒らしに対してしかおこなわないでください。他の場所がよいというのも差し戻しの理由にはなりません。現人神としての天皇に関するエピソードではなく、それとは独立した節です。なんで案があるならそれを書かないで除去するんですか?卜部侍従の日記の頁が見つかってないのになんで除去するんですか?産経新聞の報道については月まで書いてあるのになぜ除去したのですか?早急に対応をしないと荒らしとしてあつかいます。--Phew 2007年4月28日 (土) 10:42 (UTC)
独立した節として立てられたのですか。天皇時代のエピソードの一つに、A級戦犯の合祀に反対していたとも伝わる、との記述を私が行っていたのを見ませんでしたか?追記されるならそちらに追記していただきたかった。独立した節を設けるのであれば、もう少し資料が出揃ってからにすべきであると思われます。あの節は次に資料が発見されるまでの間、あれ以上の成長は見込めなかったでしょう。独立した節にするにはいかにも小さすぎる。節として独立させるべきではなかった。--遠野能史 2007年4月28日 (土) 14:20 (UTC)
(追記)あなたが私の行為について、不当であると感じられるのであれば、保護解除依頼をされてはいかがでしようか。私に対処を要求するより、そちらのほうが確実であり、是非いずれの結果になったとしてもあなた自身満足のいく結果になるでしょう。それが待てないということであれば、卜部侍従日記の頁にでも新たに記述すべきだ。--遠野能史 2007年4月28日 (土) 14:20 (UTC)

発議。卜部侍従日記は今後朝日新聞社からの刊行が決定されており、急いでこれに関連した記事を追加する必要はない。刊行され、なおかつ検証を経て、史実として確定したと判断できる時期が来るまでは、天皇の意志がこうであった、と史実として断じること、昭和天皇の頁に書き込むことはすべきでないと考える。この件を合意事項として、GW明けの保護解除依頼を提案したい。GW中は祝祭日という条件から、接続が増え荒らされる危険が高い。--遠野能史 2007年4月29日 (日) 16:00 (UTC)

記事内容の刷り合わせを行うという提案が利用者‐会話:霧木諒二においてなされたため一旦発議を停止。--遠野能史 2007年4月29日 (日) 17:36 (UTC)
利用者‐会話:霧木諒二での合意により保護解除依頼を行う。--遠野能史 2007年5月1日 (火) 18:04 (UTC)

記事保護後の発言を移動します

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Wikipedia:保護依頼で保護がかけられた後のコメントをこちらに移動します。--Tiyoringo 2007年4月28日 (土) 14:13 (UTC)

  • (コメント)インデント戻します。保護依頼受諾に感謝します。そのうえでコメント追加。私が最初に差し戻しを行った大日本氏の記述には、「靖国神社の信者たち」など、偏向した表現があり、悪意が感じられたので差し戻しの形で削除し、以前Phew氏が「徳仁親王の結婚に反対」の節について、優れた方法で記述の移動を行っていましたのでそれに倣う形で移動しました。
その後この記述をPhew氏が取り上げ、加筆を行ってエピソードの項目に書き加えられたようですが、「その証拠として」「証拠もある」など、糾弾調の記述が目立ち、同様の作為を感じたので、荒らしに準ずる行為と判断して差し戻しました。前述した現人神としての天皇の節に不適切な記述が行われているとの判断もありました。また氏の加筆はエピソードの項目に追加されていましたが、この件については最初の差し戻しをかけた後、私がすでにエピソードの天皇時代の節に私自身妥当と判断される範囲の記述を行い、大日本氏の記述の一部を移動させた富田朝彦の頁へのリンクも張っています。氏が卜部侍従の日記の件を書くならば、この記述に追記すべきであり、新たに節を独立させるのは記述の重複にあたります。おはぐろ蜻蛉さんのご意見も伺いたく思いますので、ノート:昭和天皇での議論にもご参加いただけないでしょうか。--遠野能史 2007年4月28日 (土) 13:47 (UTC)
(コメント)それは大量除去(荒らし行為)を行うなんの理由にもなりませんね。そう提案や抗議すれば良いだけです。
荒らしに準ずる行為
どの荒らしに準ずる行為ですか?(Wikipedia:荒らし#荒らしの類型
お互いに提案しあって尊重し編集していけば保護する必要はないのではないですか?保護の解除を提案しませんか?--Phew 2007年4月28日 (土) 14:34 (UTC)
私の編集を荒らしと決め付けておいて、自分の編集は荒らしでない、該当する例がない準ずる行為でもないと言われますが。編集合戦は常識的に考えて、十分、荒らしに準ずる行為にあたるでしょう。該当しなくても迷惑行為だ。細かい内容が追加されていく連続投稿でさえ迷惑行為とみなされるのに。同じ内容が行ったり来たりするだけなのは無意味にログが流れてしまい、他の編集者、閲覧者に迷惑です。現時点では、保護の解除を申請する理由はありません。同じことの繰り返しになるだけだ。--遠野能史 2007年4月28日 (土) 14:45 (UTC)
ウィキペディアでは「荒らしまたは編集合戦」という言い方をしてるのですからこの二つは明らかに違うものです。また、相手の意見を受け入れながら、編集していくことは編集合戦とは違うでしょう。今回、同じ内容が行ったり来たりという事実もありません。--Phew 2007年4月28日 (土) 15:20 (UTC)

ここはニュース速報サイトではないのですから、卜部日記に関する事柄は刊行されてから記述しても遅くないと思います。富田メモにしても今後よりいっそうの研究が進むでしょうからその成果が明らかになってからの方がより読みごたえのある記述ができるかと。--おはぐろ蜻蛉 2007年4月28日 (土) 14:36 (UTC)

その辺は明らかになりしだいどんどん変更していけば良いかと思います。ニュース速報サイトではないことは十分考慮に入れますが、他の記事と同程度にしたいと思います。富田メモ、卜部日記については該当記事への参照とわずかな記載にすることは同意します。--Phew 2007年4月28日 (土) 14:51 (UTC)
これでどうですか?保護解除しませんか?>遠野さん
だめなら、どのへんですか?--Phew 2007年4月28日 (土) 15:20 (UTC)

おはぐろ蜻蛉さん、このような荒らし対応ではない大量の除去(荒らし行為)をおこなったあと、その本人からの保護依頼を認めるのは問題があるのでは無いでしょうか?このようなことを認めていたら、気に入らない節を削除し、遠野能史氏の様にその気に入らない理由を述べて保護依頼を出す行為が横行すると思います。遠野能史氏の直前の大量の除去(荒らし行為)に気がついてなかったのでしたら、事実誤認があったということで保護の撤回をお願いいたします。--Phew 2007年4月28日 (土) 14:51 (UTC)

大胆な編集を参照するといいでしょう。一節丸ごと削除、あるいは大規模な記述の修正は多くのページで見られます。NPOVについても、考慮すべきではありませんか。--遠野能史 2007年4月28日 (土) 14:58 (UTC)
よく見られもそれはだいたいは荒らしですよ。「大胆な編集」に節の丸ごと削除なんて書いてありませんよ。この世に殺人がよくあるからといって殺人が正当化されるものではありません。NPOVについては異なった視点を書けばよいだけです。自分でわからなければ、加筆依頼すれば良いだけです。--Phew 2007年4月28日 (土) 15:20 (UTC)

ここ数日の履歴は明らかに編集合戦といえます。従いまして Wikipedia:保護の方針1.編集合戦になっている場合 に当たり正当な権限行使であったと考えます。--おはぐろ蜻蛉 2007年4月28日 (土) 15:00 (UTC)

その点は了解しました。「大量の除去(荒らし行為)をおこなったあと、その本人からの保護依頼」についてはどうですか?--Phew 2007年4月28日 (土) 15:20 (UTC)
自分の説、編集がそっくり削除されたからといって即、相手を荒らしと決め付けるのは子供じみた態度ではありませんか。失礼ですが、あなたは「私が荒らしである」「私も管理者も私が荒らしだと認めろ」と言っているように聞こえる。提起された議論に返してこられたコメントも警告するだの荒らしとして扱うだのと、およそ大人の取る態度ではなかった。あなたが学生である、未成年者であるとしても、こうした半ば公の場に出る以上、相応に冷静、相手の話を聞く態度を取るべきであると私は考えます。私にも自分の編集をそっくり削除・修正された経験はあるが、そのような反応はしなかった。少し冷静になりましょう。--遠野能史 2007年4月28日 (土) 15:33 (UTC)
別に私の説ではないし、大量の除去は荒らし対応でなければ荒らしですよ。荒らしに対して警告することは再犯を防ぐためにも必要です。あなたは私に「荒らしに準ずる」とかいっておきながら、苦しくなるとそんなこと言うのは卑怯ですよ。--Phew 2007年4月28日 (土) 15:41 (UTC)
あなたは自分が正しいと思っているのか。正直なところ、あの記事内容は偏向がひどすぎる。荒らしに準ずると言って差し支えない。記事内容に問題がないとしても、削除・保護依頼を行った私を一方的に荒らし呼ばわりし、あまつさえ脅迫的な内容のコメントをよこす、管理者を偽装する運営妨害行為と取られても文句は言えないだろう。挙句には管理者からの裁定が下った後も、しつこく食い下がる行為。迷惑行為以外の何物でもない。本文は荒らしていないとしてもこのノートを荒らしている。議論でも何でもない言い争いで紙幅を消費するのは立派な迷惑行為、荒らしではないのか?--遠野能史 2007年4月28日 (土) 15:55 (UTC)
いくら偏向がひどくても荒らしにはなりませんよ。抗議すれば良いではないですか?管理者を偽装なんてしてないし。ちょっと冷静になってください。荒らし呼ばわりされたくないならこちらにもやめてくださいな。どうですか上の提案。--Phew 2007年4月28日 (土) 16:01 (UTC)
Wikipedia:議論が白熱しても冷静に#記事が偏っていると思ったらの様に今後は対応されることをお願いいたします。--Phew 2007年4月28日 (土) 16:49 (UTC)

現状では保護解除すべきではない。泥仕合が予測される。--遠野能史 2007年4月28日 (土) 16:09 (UTC)

判りました。お互い少し冷静になりましょう。しかし、上の提案で足りない点はないですか?--Phew 2007年4月28日 (土) 16:13 (UTC)
Wikipedia:議論が白熱しても冷静ににあるように、議論はじっくりとされることをお勧めします。Wikipedia:井戸端 (告知)などに議論への参加者を募集する告知をするのも1つの方法だと思います。--Tiyoringo 2007年4月28日 (土) 16:20 (UTC)
そもそも昭和天皇の頁本体に書くべき内容ではないと私は考える。以前徳仁親王の結婚に反対の節をあなたは編集移動しているが、今回Phew氏が編集した記事はこれと類似しより不確定、かつ、天皇本人よりも関連人物への依存度が高いと思われる。加えて、内容が内容だけに偏向のひどい記事の追加が連続することが予想される。史実として確定したとみなすには世に出た資料が少なすぎ、また世に出てからの期間も短い。富田朝彦富田メモ卜部亮吾侍従日記のページに記述を行い、エピソードの天皇時代の項目及び関連事項の項目に関連ページへのリンクを張るのが妥当なところだろう。--遠野能史 2007年4月28日 (土) 16:32 (UTC)
昭和天皇本人のことですので、徳仁親王の結婚の件とは違うのでは無いでしょうか?出典が無かったので徳仁親王の結婚の件は昭和天皇と関係なくなってしまいました。富田メモ、卜部亮吾侍従日記についてはここには短く書くだけで良いかと思いますが、護国神社についてはここに書くべきではないでしょうか?大きな出来事なので、「主な出来事」の節内に書くべきではないでしょうか?--Phew 2007年4月28日 (土) 16:44 (UTC)
護国神社関連の報道が今後なされ、史実として確定するのを待つべき。どうしても書くというなら、他の靖国問題関連の頁に書き込んだ上で、リンクを関連事項の節に追加すべきである。今回こうした騒動になったように、場の荒れを誘発する危険のある内容であることも考慮したほうがいい。--遠野能史 2007年4月28日 (土) 16:49 (UTC)
他の記事ならよくてここではいけないというのはよく理解できません。それでは荒らす人間のテロ行為に屈するだけでしょうか。内容よりもWikipediaの方針に従わなかったり、荒らす人間を責めたほうが良いではないでしょうか。--Phew 2007年4月28日 (土) 17:50 (UTC)
ここは人物を扱った頁である。ゆえに、偏った記事を呼び水に誹謗中傷記事がここに書き込まれると、頁の人物への打撃は非常に大きく、その編集をめぐって大きな混乱を引き起こす。事件の頁であれば、そうした自体が発生してもしてもそういう見方もある、という考え方を閲覧・編集する利用者が持ちやすく、穏当な編集のうちに事が終息する可能性が高い。人物のページよりは事件のページのほうが、中立的な記述、両論併記といったバランス調整をやりやすい。人物特に影響力の大きな人物の頁を編集する時には、特に重大事件に関する記述を加える際には評価が分かれることなども考慮して慎重を要する。石原慎太郎の頁が悪い見本だ。ここに書き加えるべきでない、というのはそうした理由からだ。--遠野能史 2007年4月28日 (土) 18:39 (UTC)
Wikipediaの方針にそういうのが無いなら従う必要はないかと思います。提案されてはどうでしょうか?いずれにしろ、テロに屈することになり、よくないです。それともう少し穏やかにいきませんか?こちらもつられてしまうので。--Phew 2007年4月28日 (土) 18:45 (UTC)
それならば、なぜ結局は除去されるような徳仁親王の結婚の書き込みの編集に参加し、除去しないで長い間放置したのですか?--Phew 2007年4月28日 (土) 19:24 (UTC)

インデント戻し。ウィキペディアの方針にないとしても、場の荒れは極力回避すべきものであり、場の荒れが少なくなるよう記述する頁を選ぶことは必要。ウィキペディア編集者の目的は言論テロの撲滅ではなく正確な百科事典の作成にある。方針だけを金科玉条として、常識に反した行為を許容し、あるいは常識的な行為を不当とするのはかえって害が大きい。方針に提案、を繰り返しているが、そうする前に常識で判断して行動すべきである。--遠野能史 2007年4月28日 (土) 18:57 (UTC)

テロ撲滅の意図はないが、編集はテロに屈しないようにしたい。常識ならきっと方針としても受け入れられるはず。私には常識とも思えない。--Phew 2007年4月28日 (土) 19:03 (UTC)
方針としての決定を待たなければ行動できない、常識であっても用いるべきではない、というのでは編集を阻害するだけである。貴方は徹頭徹尾、私に対する反感で発言している。失礼ながらこれ以上の議論は無意味であると考える。問題解決のためには議論を中止し他の編集者の発言を待つのが最良であると考える。--遠野能史 2007年4月28日 (土) 19:13 (UTC)
常識ならよいですが、常識とは思えないと言うことです。こちらはかなり譲歩してるではないですか?反感で発言してるなんて、考え過ぎですよ。--Phew 2007年4月28日 (土) 19:20 (UTC)
根拠なし。貴方からの有効な提案なく、私の提案、富田朝彦の頁については編集合戦を誘発するコメントアウト除去、テンプレート乱用行為を行うなど反感で行動している証左は多い。いずれにせよ、今議論すべきではない。他所にここでの議論を波及させるべきでもない。--遠野能史 2007年4月28日 (土) 19:25 (UTC)
「有効な提案なく」ってそれはあなたの主観ではないですか?ガイドラインに従っただけではないですか。テンプレート乱用とおっしゃいますが、私が貼ったところは富田メモでいきなり削除されたものに近いではないですか?それを私はちゃんと段階を踏んで出典要請してるのに「乱用」はないのではないですか?--Phew 2007年4月28日 (土) 22:27 (UTC)

(追記)正直、以前から思っていたのだが、昭和天皇今上天皇美智子皇后のエピソードについては別のページに分割すべきではないだろうか。量が多くなってきており、編集に支障をきたしている。また別ページに分割すれば、瑣末な記事の投稿による本体の冗長化や荒れを防ぐこともできる。--遠野能史 2007年4月28日 (土) 16:54 (UTC)

今後の編集方針の指針

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近現代史は、どうしても、日本は加害者、それ以外の国々は、被害者と言う側面があることは否定しません。とはいえ、東京大空襲や広島への原爆投下などの視点に立てば、日本もまた、被害者であるという側面を持つというのも事実です。したがって、客観的になりがたい分野であることはここまでの議論で明らかだと思います。

どうして、「日本は加害者、それ以外の国は被害者」になるのか分らない。結局、弱肉強食の帝国主義の時代に、日本は負けただけ。勝てば官軍と言われれば、日本は加害者と言われても、仕方ないかもしれないが。--125.0.219.113 2007年4月28日 (土) 22:57 (UTC)

昭和天皇に対する研究については、日本の国内外を問わず、大量の著作、論文があるでしょうから、Wikipedia:脚注にもとづいて、脚注を添付すること。そうすることによって、客観的な文章を記述することが可能であり、なおかつ、検証可能性を担保することもできます(参考:インドネシア独立戦争)。--Tantal 2007年4月28日 (土) 22:45 (UTC)

執筆願い

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昭和天皇#戦争責任の画像に、 『終戦を発表する昭和天皇』と執筆をしていただけませんか?--221.82.22.202 2007年5月23日 (水) 13:09 (UTC)

賛成します。今保護中なので合意形成が必要かと。--Phew 2007年4月29日 (日) 10:49 (UTC)
賛成。--遠野能史 2007年4月29日 (日) 16:03 (UTC)
ノートでは署名をお願いいたします。--Phew 2007年4月30日 (月) 02:59 (UTC)
ご報告ありがとうございます。3日以上たったので、伝言板に届け出を出そうと思います。--221.82.22.202 2007年5月23日 (水) 13:09 (UTC)

昭和天皇がマイクの前に立つこの写真は、主に海外で終戦「玉音」収録時のものとして扱われているのを目にしますが、日本国内では「玉音」収録時の写真として扱われていないように思われます。背広姿から考えて昭和21年以降のものの可能性が大きいです。キャプションは改めた方がよいのではないでしょうか。--ML JIN 2008年3月23日 (日) 12:32 (UTC)

ウェブ上で調査したところ、「MAINICHI photo bank」では、戦後食糧難に際し「同胞助け合いを」と放送用録音する天皇(1946年05月23日撮影)として登録されていますので該当記事は訂正します。--ML JIN 2008年3月26日 (水) 04:45 (UTC)

遠野さん=222.2.211.17?

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IP:222.2.211.17会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois遠野能史 さんのソックパペットですね。どこかで公開してるようですが、私もどこで公開してるのか知らないです。IP:222.2.211.17会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisはここの記事の編集にも参加しています。多数派偽装工作の様で非常に不愉快なんですが皆さん知ってました?--Phew 2007年5月1日 (火) 12:07 (UTC)

そのIP氏の履歴をみれば1画面目でズラーッと要約欄でのカミングアウトが出てきますが・・・。利用者ページでの両者の関係(同一人性)を正式に明言されてはいないので「不正利用目的意図の払拭」としては不完全ではあるでしょうが、全くカミングアウトがないという訳でもないので、ソックパペット断定呼ばわりはちょっと酷なような気がします。--無言雀師 2007年5月1日 (火) 12:20 (UTC)
ソックパペットに「不正」の意があったのですね。単なる多重アカウントかと思ってました。済みません。しかし、不愉快なことにかわりありません。--Phew 2007年5月1日 (火) 12:37 (UTC)
明言したことがある以上、ソックパペット(=自作自演のための多重アカウント)ではないでしょう。IPとアカウントを使い分け、投票や議論において多数派工作のようなことをしているわけではないですから。常時ログインしてないとかログインし忘れとかの可能性もありますし。ただ、投稿履歴を分割する目的があるのではないかといった詮索や疑念を避けるため、今後は常時ログインして編集して頂いたほうがよろしいのではないかとも思います。―霧木諒二 2007年5月1日 (火) 18:57 (UTC)
フォローありがとうございます。昨日のIPでの編集は私が退席する直前のことで、ログアウトしていたのを忘れそのまま編集してしまったものです。明言以降は、常時ログインでやっておりますよ。--遠野能史 2007年5月1日 (火) 19:15 (UTC)
全然、常時ログインしてないではないですか。--Phew 2007年5月2日 (水) 14:55 (UTC)
私のような知らなかった人には遠野さんと同じ様な編集をする人がいるというのは影響を受けたでしょう。故意かどうかは判りませんが。私は彼の様に「管理者のフリをした」と何度もしつこく決めつけることはしません。ソックパッペットというかそれと関連することでよくわからないことがかなりあるので、彼に質問させてください。遠野さん、こういうことはやってはいけないこととは知っていたのですか?--Phew 2007年5月1日 (火) 22:39 (UTC)
えー、たびたび横からすいません。Phew氏、ウィキペディアは「対立のための場」ではありませんよね。ある記事で意見の違うアカウント編集者と出会った。しかも同時に、同じような編集傾向を持つIP氏が現れた。すわっ、敵だ、こっちは劣勢かよちくしょー、ってよく見たら同一人かよ、きったねぇなぁ、焦ったじゃねえかよ(こっちの陣営に心理的な影響があったじゃねえかよ)正々堂々と一人でかかってこい---これはウィキペディアを「対立・対峙の場」であるかのように考えたときの反応じゃないでしょうか。その投稿行為がノートや投票などの論争で、あからさまに他人を装って加勢するために行われたのであれば、仰せのとおり「こういうことはやってはいけない」だと思いますが、ノートじゃなくて編集での登場で、明白に他人を装うようなことを要約欄で宣言(たとえば「遠野氏の編集が正しいので彼の版に戻す」などの加勢宣言)したわけでもないですし、PC環境によってはログイン忘れなども起こりうるので、貴殿の反応がちょっと過剰かなと思うのですが。「みんなの編集の場」との認識なら「あぁいろんな人が編集に参加するんだな。あれ、なんだ遠野氏ログイン忘れかよw」で済む話じゃないですか。そうじゃなくて、闘いの場、論争の場、絶対譲れないぞ、負けてなるものか、というふうに考えてしまうから「使い分けケシカラン」となってしまうんじゃないかと。勝手に貴殿の気持ちを忖度しているようで申し訳ないですが、素直にそう感じました。当方から見れば貴殿のみならず遠野氏もどっちも頑固だな、という感想ですが、とりあえず、ノートとか投票の場で明白ななりすましをしたわけではないので、「やってはいかん」というのはキツすぎると思います。「まぎらわしいからちゃんとしようよー。たのむぜ」ぐらいの指摘で十分では。論争が、端から見て対立軸に見えてしまうのは仕方ないとしても、せめて心持ちはみなさん「対立」というのは無しにしませんか(まぁ他人様のことを言えた義理でもないが)。--無言雀師 2007年5月1日 (火) 23:16 (UTC)
確かにもめてない時ならあまり問題無いでしょうね。しかし、彼はこれが問題になった記事富田メモでは「対立」せざるをえない状況でなおかつもめていたんですね。いくら注意しても除去を繰り返し、ノートでの対話にも応じない。そして、ばれても「公開してますよー」で済んでしまう、こういうは故意かどうかに関らずまずいと思うんですよね。何より一番問題なのは利用者‐会話:霧木諒二で全く反省の色が見られないことです。--Phew 2007年5月2日 (水) 14:48 (UTC)
話はソックパペット疑惑から「編集における多数派偽装工作疑惑」に訂正されています。--Phew 2007年5月2日 (水) 14:55 (UTC)

方々、いろいろとお世話になります。当方に多数派工作の意図はありません。ここで明言しておきます。あの件は純然たる事故、当方のログインし忘れです。--遠野能史 2007年5月3日 (木) 15:52 (UTC)

保護の原因となった文章の改定案について。

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昭和天皇がA級戦犯をどのように考えていたかを巡って編集合戦となり、本記事は保護されました。その文章について利用者‐会話:霧木諒二において話し合いがもたれました。暫定的に、以下のような文章にすることを提案します。

  • 文案
    • 昭和天皇が戦争を指導した側近に対してどのような感情を抱いていたのかを示す史料は少ない。『昭和天皇独白録』によれば、のちに法務死を遂げた東条英機に対して「元来東条という人物は、話せばよく判る」「東条は一生懸命仕事をやるし、平素いっていることも思慮周密で中々良い処があった」などといった温情ある言葉をかけたという。
    • 1978年にA級戦犯が合祀されて以後、天皇は靖国神社への参拝を行わなかった。2001年8月15日の朝日新聞は、天皇が合祀に反対していたためだと報道した。さらにこれを裏付ける富田メモ(日本経済新聞、2006年)・卜部亮吾侍従日記(朝日新聞、2007年4月26日)といった史料の存在が報道された。詳細はそれぞれのリンク先を参照。
  • この文章について
    • 会話ページでの文案に多少付記をおこなったもの(のつもり)です。不適切な追加/欠落部分がありましたら仰ってください。<Phewさん&遠野さん
    • 他の方も何かコメントがありましたらお寄せください。とくにこの合意が第三者を拘束するかについて当事者お二人の間で意見にずれがあるようなので、どのような扱いにするかのコメントをお願いしたいと思います。
霧木諒二 2007年5月4日 (金) 06:26 (UTC)
  • 私は編集合戦を危惧していただけです。文案に異論はありません。第三者が合意に拘束されないという件ですが、霧木さんが言われるようにノートで事前の合意なくこの部分が改定された場合、差し戻してかまわない、というなら私に異論はありません。場所は節昭和天皇#天皇時代でお願いします。GWも明けましたし、早期の保護解除を。--遠野能史 2007年5月4日 (金) 06:36 (UTC)--遠野能史 2007年5月5日 (土) 16:23 (UTC)
  • 場所は節昭和天皇#天皇時代ですね?
    • 1978年のA級戦犯合祀を契機に天皇は靖国神社への参拝を行わなくなったと2001年8月15日の朝日新聞は報道した。さらにこれを裏付ける富田メモ(日本経済新聞、2006年)・卜部亮吾侍従日記(朝日新聞、2007年4月26日)といった史料の存在が報道された。詳細はそれぞれのリンク先を参照。
がよいかと思います。前の文は白鳥、松岡への加筆が他の人から求められるのでは無いでしょうか?私はよく知らないのでそれでよいです。
A級戦犯をどのように考えていたかを巡って
これはちょっと違うかと思いますが。--Phew 2007年5月4日 (金) 08:43 (UTC)
  • 第三者の拘束については第三者の方々におまかせいたします。--Phew 2007年5月4日 (金) 09:23 (UTC)
    • もう、保護解除されたようです。しかし、なかなか意見が無いようですね。どうでしょう?第三者のかたがたについては拘束を受けないということで。これ以上、編集前に頭に入れる必要がある事項が増えることをいやがってる人もいるようですし。--Phew 2007年5月30日 (水) 11:54 (UTC)
  • 該当記載がある『昭和天皇独白録』のページ番号と形態種別(単行本、文庫本など)を誰か教えてください。保護解除はこれによっては待たなくてよいです。--Phew 2007年5月6日 (日) 14:29 (UTC)
  • 昭和天皇が靖国神社に参拝しなくなった理由については諸説存在します。「1978年にA級戦犯が合祀されて以後」という表現は、A級戦犯合祀が原因であることを暗示するものなので、「1975年11月21日の参拝を最後に」という表現が望ましいです。--Mimboo 2007年5月7日 (月) 10:38 (UTC)
    • では、以下ではどうでしょう?
      • 1975年11月21日の参拝を最後に天皇は靖国神社への参拝を行わなくなった。これはA級戦犯合祀が契機だと2001年8月15日の朝日新聞は報道した。さらにこれを裏付ける富田メモ(日本経済新聞、2006年)・卜部亮吾侍従日記(朝日新聞、2007年4月26日)といった史料の存在が報道された。詳細はそれぞれのリンク先を参照。
--Phew 2007年5月7日 (月) 13:25 (UTC)
  • どなたか『昭和天皇独白録』に東条英機に対して「元来東条という人物は、話せばよく判る」「東条は一生懸命仕事をやるし、平素いっていることも思慮周密で中々良い処があった」などといった温情ある言葉をかけたという。と言う様なことが書いてあったと証言できるかた、いらっしゃいますか?ちょっと見つからなかったので。--Phew 2007年5月9日 (水) 13:53 (UTC)
  • 露木さん、のちに法務死を遂げたを除去してください。今まで気がつかなくてすみません。--Phew 2007年5月9日 (水) 13:53 (UTC)
  • 2番目の文について以下の様な変更案を提示します。特に「などといった温情ある言葉をかけたという。」とは『昭和天皇独白録』に書いていないようです。
    • 昭和天皇が戦争を指導した側近に対してどのような感情を抱いていたのかを示す史料は少ない。『昭和天皇独白録』によれば、東条英機に対して「元来東条という人物は、話せばよく判る」「東条は一生懸命仕事をやるし、平素いっていることも思慮周密で中々良い処があった」と評していた。
--Phew 2007年5月13日 (日) 11:05 (UTC)

この件に関連してるので紹介しておきます。Wikipedia:投稿ブロック依頼/遠野能史 他。現在、CheckUserについて議論中です。ご意見ください。--Phew 2007年9月8日 (土) 06:18 (UTC)


既に、前掲のお二人の間の決着文案は跡形もないくらい編集されまくってますので今更こんなこと言っても意味ないかもしれませんが、傍観者として、率直に「もう少し付け加えたらいいのでは」という部分を指摘いたします。

  • 決着案「これはA級戦犯合祀が契機だと2001年8月15日の朝日新聞は報道した。」
  • 当方案「これはA級戦犯合祀が契機であると昭和天皇自身が○○に語ったと2001年8月15日の朝日新聞は報道した。」

どうでしょうか、決着案だと「○○が契機だ」と判断したのが朝日新聞自身であるかのように読めてしまうと思いませんか(絶対誰でもそう読む、のではなく、そう読める余地があるということです)。しかし、当方案だと「これが契機なんですよ」と判断したのは昭和天皇自身であり、それを聞いた人がいてそのことを朝日新聞がつかんで報道した、となると思います。判断したのは新聞社ではなくなる。より客観的になると思います。

変なたとえですが、

  • A「同被告人が深く反省していると朝日新聞が報道した」
  • B「同被告人が深く反省していると法廷で述べたと朝日新聞が報道した」

これAはまずいと思いませんか。少し文字は増えて冗長かもしれないけど、最低限「どこで述べたか」あるいは「誰がその情報をつかんだのか、判断したのか」という文言がないと、Aみたいに朝日新聞が被告人のこころうちを勝手に認定したような文章になってしまいます。これを百科事典に載せるのはまずくないですか。

もし、決着案のように「契機だと判断したのが朝日新聞であるかのように読める」文章を記事本文に堂々と書いていいとなると、親皇室派の新聞が「そんなのは契機じゃない」と「判断」した記事がどこかにあった場合それも同様に記事本文に書くことを求められる(それを断れなくなる)のではないか、と思うのです。ちょっと細かすぎるかも、と思いますが、客観面の観点からご参考・ご一考いただければ幸いです。--無言雀師 2007年9月11日 (火) 18:36 (UTC)

朝日新聞の報道は「○○が契機だ」と判断したのが実際、朝日新聞自身であるようなので「当方案」はちょっとまずいかと思います。霧木さんがこれを入れようとしたのはこの説がメジャーになったきっかけがこの報道だったからではないでしょうか。もっと断定的に報道したのは昨年の産経新聞です。詳しくは富田メモ。--Phew 2007年9月12日 (水) 11:11 (UTC)
なるほど、ご教示ありがとうございます。いぇ、当方としては、「朝日の独自判断を載せるな」などと主張するつもりは全然ないんです。単に、「新聞社の独自判断を載せていいとなると、逆の判断の別新聞社記事をのっけから門前払いはできなくなって、面倒になっちゃいませんか、それでなくてもここ揉めてるのに」という純粋な老婆心で申し上げたまで。貴殿なり遠野氏なり仲裁者氏なりがそのあたりの可能性を既に含み置きされているのであれば、当方ごとき素人がこれ以上申し上げることはありません。お手間をかけ済みませんでした。以上です。--無言雀師 2007年9月12日 (水) 11:42 (UTC)

原爆「やむを得ない」発言について

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編集合戦が続いているようですが、一旦話し合いが必要と思われます。86.212.81.190 2007年7月5日 (木) 14:47 (UTC)

一瞬治まったかと思ったら、やっぱり続いてるみたいですね。話し合いに同意です。
で、「ニュース速報的」を理由に挙げて削除しているかたがいらっしゃるみたいなんですが、ちょっと無理のある理由づけではないかとおもいます。 --Hatukanezumi 2007年7月5日 (木) 15:18 (UTC)

取りあえず半保護依頼に出した方が。--fromm 2007年7月5日 (木) 15:41 (UTC)

んじゃ、お願いします。 --Hatukanezumi 2007年7月5日 (木) 15:50 (UTC)
該当の箇所、エピソードの節に同日の記者会見の記事があったので関連事項としてそちらに移しました。内容が内容、時期が時期だけに、最初に合意を取ってから書くべきではなかったかと思います。外遊の節は外遊と直接関係あるエピソードで埋めたほうがよろしいかと。訪欧、訪米いずれも探すといろいろエピソードが出てきますし。ライシャワー発言とか。--氏名不詳者 2007年7月5日 (木) 17:26 (UTC)

行幸のエピソード

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「~~その他、行幸先でのエピソード、御製も非常に多い。」この文末に 「天覧の大杉を参照。」を親しまれた天皇の具体的エピソードの一つとして加えたい、または加えて欲しい。--60.238.161.115 2007年8月5日 (日) 01:16 (UTC)

右上のテンプレートについて

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皇子女のなかに常陸宮正仁親王が含まれていないのは何故でしょうか?

死因について

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本文で「十二指腸乳頭周囲腫瘍により崩御(死去)」となっていますが、膵臓癌ではないのでしょうか?。十二指腸乳頭と膵臓は場所的に近いですけど・・・--Kenpei 2007年9月15日 (土) 04:11 (UTC)

私も膵臓癌であったと記憶していたのですが、昭和天皇・香淳皇后(宮内庁)に上記のような記載がありますので、これを出典として現在の記述でよいと考えます。もしよろしければ、当時の新聞の縮刷版でどのように報道されていたか確認なさるとよりよいと思います。--T.Kimura 2007年9月26日 (水) 16:52 (UTC)
たとえば最終的な死因が肝癌だとしても、それが大腸癌から転移した、なんて場合には死亡診断書の病名は大腸癌を主因とする例もあるような気がします。そういう話を聞いたことがあります。もしかするとそういう「端緒」の部位の関係で十二指腸になっているのかも知れません。--無言雀師 2007年9月26日 (水) 20:05 (UTC)

崩御前後の出典のない記述について

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本文より、利用者:Namazu-tronさんによるコメントを以下の通り移動しました。

※※※

出典が見あたらないから削除はいけない。当時の人間なら誰でも知っていること。世間周知の事。ここに残すことが、他に対して出典となる。自分が知らない、ネットで探しても見あたらないのは出典がないことにはならない。疑問があれば、当時の新聞でも図書館で読んだらどうだろうか。年配者に聞いてはどうか。自分の世代と、自分の知識も考えて編集すること!昭和天皇をウオッチしている人は多い。長らく残っている内容は適切な内容と解するべし。削除前にノートでの議論する謙虚さも要。時代が時代なら不敬罪である。

※※※

これについてですが、出典は出典を求めたものが探し出すものではなく、求められた側が提示するものです。当時の新聞や図書館からでも、その出典となりえる情報の提示を求めます。--突撃ひとり(利用者/会話/履歴 2008年5月12日 (月) 04:29 (UTC)

削除する前に[要出典]を付けるべき。手順が違うと言っているのである。時間はかかるが出典は探して見ましょう。出典も求めず、いきなり削除はいけないと言うことである。--Namazu-tron 2008年5月12日 (月) 04:39 (UTC)
  • (コメント)Namazu-tronさんと行き違いになりましたが、要出典タグをつけました。確かに当時の記憶がある人なら多数の人が知っているような事象ではありますので、広く出典を募ったほうが記述の充実に資すると判断したためです。(念のために申し上げますが、Namazu-tronさんが、自身で「要出典」タグを付けたり出典を示すことをせずにそれを言うのはおかしいと思いますよ。あと、不敬罪云々という基準をもってWikipediaの記述を論ずるのは、Wikipedia:中立的な観点に反しますので念のため。)--しいたけ 2008年5月12日 (月) 04:46 (UTC)

あの、「バラエティの自粛」も「報道特番」の記述も削除してません。「バラエティの自粛」は箇条書きの項目に、「報道特番」は「自粛とマスコミ報道」の章に書いています。差し戻す前にちゃんと読んでいただけないですか?--彩華1226 2008年5月12日 (月) 04:53 (UTC)

削除した内容と理由についても付記しておきます。

事前の噂では、5日間追悼番組が放映されることになっていたが、レンタルビデオ店に客が殺到するなど、特番自体の視聴率が振るわなかったことや、経営上の判断から2日間で特番体制は解除されたと言われている。 →正しくは2日間特別編成・5日間自粛(いいとも休止はその影響)であったはず。そもそも特番体制が組まれている最中は土日であり、視聴率は出ない。「レンタルビデオ店に客が殺到」以外を削除。
NHKのチャイム、「昭和64年」の硬貨→昭和天皇と関係ないトリビアなので削除

大葬の礼の記述は重複なので削除、みどりの日、昭和の日は関連項目に転記しました。--彩華1226 2008年5月12日 (月) 05:44 (UTC)