ノート:池田大作/過去ログ1
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この項目では存命人物を扱っているため、公式方針である存命人物の伝記を厳守する必要があります。訴訟になりそうな記述については、出典が明記されていなかったり、信頼性に乏しい情報源を出典としている場合、直ちに除去しなければなりません。{{要出典}}や{{要検証}}などのタグを貼るなどして記述の出典を求める行為は、このケースにおいては間違った対応です。そのような記述を残したままにしないでください。名誉毀損のおそれのある記述については特にこれが強く当てはまります。 |
池田大作のWikipediaを総て削除して下さい。この世の為になりません。
--スーパーリアルニュース(会話) 2013年12月23日 (月) 17:21 (UTC) スーパーリアルニュース
異常なまでに細かく来歴が書かれていますが...
見辛く.記事としての価値を明らかに下げています. いくつか代表的な事件を取り上げて,それ以外はすべて削除すべきだと思います.--Ddk50 2009年9月8日 (火) 17:18 (UTC)
この程度は、適切な範囲だと思います。そもそも「記事としての価値」とは、何よりも、明確な事実を綴ることであります。極端にだらだらと書かれているわけでもなく、適当な範囲であると考えます。--Necessary 2009年9月12日 (土) 13:06 (UTC)
いやいや、これはひどいです。
プロフィールに関して
プロフィールに朝鮮名の本名を加えたいのですがよろしいでしょうか? ソースはこちら→http://www6.atwiki.jp/sokakitacho/ --114.162.214.5 2009年5月28日 (木) 19:14 (UTC)
- 事実ならかまわないと思いますが・・・信者たちに非難されそう--Nyaku 2009年5月31日 (日) 08:13 (UTC)
信頼性に乏しく検証不能の情報源(というより独自研究)であり、当該変更は法的問題(名誉棄損ないし侮辱)を構成する可能性が高いものと思料されます。従いまして、提案は却下されるべきと考えます。併せて、IP:114.162.214.5の記述自体が、潜在的に名誉棄損ないし信用棄損を構成する蓋然性の高い記述に相当する可能性があることから、自主的に削除されたほうがよろしいかと存じます。とりあえずは、当ノートのタイトルを中立的な表記に改めさせて頂きました。もし、このままこの記述を放置されるのであれば、適当な期間(1週間程度)を経て、少なくともソースと提示されているリンク先を削除してはどうかと提案いたします。--Pass Lab 2009年6月1日 (月) 01:48 (UTC)
最後の提案については少々乱暴な提案かと思います。彼が在日であることは今まで度々多方面で指摘されていましたし、そのサイトについても一方的に信頼性に乏しいと決め付けるのはいかがなものかと。内容に問題があるのならとっくにサイト自体削除されているはずです。--114.162.52.2 2009年6月1日 (月) 02:51 (UTC)
IP:114.162.214.5が提示したリンク先は、権威のある情報源でもなければ、査読された公表物でもなく、およそWikipedia:信頼できる情報源の趣旨を満たすものではありません。またWikipedia:信頼できる情報源の「存命中の人物の伝記」には、「存命中の人物の項目中で、その人物に関する批判、否定、あるいは有害と解釈できる情報が掲載された場合にはすぐに取り除くべきであり、ノートページに移動してもいけません」と明記されています。何をもって「度々多方面で指摘」されてきたと主張するのか知りませし興味もありませんが、少なくとも検証可能性を満たす形での情報源を提示できない以上、ノートも含めて削除しなくてはならないでしょう。ちなみに、インターネットから削除されていないサイトだから内容に問題はないとする考えは少々乱暴であり、論理的にも間違っているといえるでしょう。内容に問題があっても削除されないサイトは、いくらでも存在します。いずれにしろ、これ以上議論をなさりたいのであれば、きちんとアカウントを使って書き込みをしてください。そうでないと、発言者の同一性を担保できず、議論を積み重ねることができません。--Pass Lab 2009年6月1日 (月) 08:36 (UTC)
>IP:114.162.214.5が提示したリンク先は、権威のある情報源でもなければ、査読された公表物でもなく、およそWikipedia:信頼すべき情報源の趣旨を満たすものではありません。
それはあなたの主観的な感想でしかありません。 そもそも朝鮮人であることがなぜ批判、否定、有害、侮辱、名誉毀損にあたるのでしょうか?それは朝鮮人に対する差別ですよ。 在日信者にとってはむしろ喜ばしい事実なのです。--114.162.52.2 2009年6月2日 (火) 14:16 (UTC)
リンク先を間違えていたため修正しました。IP:114.162.52.2は、Wikipedia:信頼できる情報源をよく熟読してください。検証可能性を満たさない事実を記載することはWikipediaでは禁じられています。また、存命中の人物に関し虚偽の事実を公表することは、当該人物を誹謗中傷するものとして名誉棄損に相当する可能性があります。既に裁判例も存在し、たとえば本年4月24日に大阪高裁が言い渡した判決は、土井たか子・元衆院議長を「(朝鮮)半島出身とされる」などと虚偽の記載をした月刊誌「WiLL」の記事につき、出版元の「ワック・マガジンズ」と花田紀凱編集長ら2人に慰謝料1000万円(一審200万円から増額)の支払いを命じています(讀売新聞等の過去記事を参照してください)。これに準じて考えれば、IP:114.162.52.2の記載も、名誉毀損を構成するものとして民事並びに刑事責任を問われる可能性があるといってよいでしょう。ちなみに、近年の趨勢として司法当局はネット上の名誉毀損・信用毀損等に対し厳しい態度で臨むようになっています。最近もネット上の中傷行為で名誉棄損罪に問われ、一審無罪だった被告が高裁で有罪とされた例もありました。創価学会も訴訟を提起しています。同会についてインターネットの掲示板で悪質な虚偽を書き込んだとして、東京地方裁判所が本年2月3日、豊島区在住の男性に対し損害賠償金80万円の支払いを命じています。判決は問題の記述が「インターネットの2ちゃんねるに掲載されていた情報を鵜呑みにした」ものであることを指摘したうえで、「情報収集をした上で表現行為に及んだものとはいえない」と厳しく処断しています。つまり、たとえ個人がWikipediaなどの掲示板の類いで、他のサイトの情報を鵜呑みにして引用しただけだと言い逃れようとしても、法的責任は免れないということです。あまり調子に乗って表現の自由が許される範囲を踏み越えないほうがよろしいかと存じます。ご自身で削除なさるのが一番ではないでしょうか。--Pass Lab 2009年6月2日 (火) 16:24 (UTC)
IPとは言え失礼にも敬称をつけない等、Pass Lab氏こそ真面目に書き込んでる様にお見受けできませんが・・。でなければ荒らし扱いでしょうか? それでは、どの辺が「検証可能性を満たさない」のか、具体的にご指摘下さい。検証いたしましょう。 ちなみに私はリンク先の管理者ではございません。--114.162.52.2 2009年6月3日 (水) 00:25 (UTC)
まず、IPアドレスに敬称をつけるのは少々おかしいと考えます。敬称をつけて欲しいのであれば、アカウントでアクセスしてください。ともあれ、まずはWikipedia:信頼できる情報源を熟読ください。そのうえで、信頼できる情報と考えるのであれば、根拠を示してご主張ください。いずれにしろ、もう少し論理的に物事を考えて頂きたいのですが、当方が指摘している問題点は検証可能性に関する部分だけではありません。当該事項は真実性について立証できなければ、書き込みを行った者やWikipediaが法的紛争の対象となりかねないという危険性をはらんでいます。既に、IP:114.162.214.5が摘示したサイト同様のいかがわしい情報源で他人を「半島出身」と名指しして1000万円の損害賠償命令が下されているのですから、慎重のうえにも慎重を期すべきことは当然です。--Pass Lab 2009年6月3日 (水) 07:00 (UTC)
論理的な思考が不得手な方もいらっしゃるのは確かですので、今回の件にそってWikipedia:信頼できる情報源について少し噛み砕いてご説明しましょう。
Wikipedia:信頼できる情報源には「ウィキペディアの記事は、信頼できる公刊された情報源を使うべきです」とあります。そして「情報源を使う必要性について議論している2つの方針ページ」としてWikipedia:独自研究は載せないとWikipedia:検証可能性が参照先として挙げられています。「独自研究」とは何かといえば、「独自研究(original research)』とは、信頼できる媒体において未だ発表されたことがないもの」と定義されています。当該参照先サイトにおける情報は、いずれも「信頼できる媒体において未だ発表されたことがないもの」にほかなりません。
もう一つのWikipedianの方針であるWikipedia:検証可能性の要旨として、「ウィキペディアに掲載される情報は信頼できるものでなければいけません。あらかじめ信頼できる情報源から公表、出版されている事実、視点、理論及び議論だけを収録してください。記事は可能なかぎり情報源を明記すべきです。情報源が明らかでない内容は、異議を述べて取り除くことができます」と明記されています。当該参照先サイトが信頼できる情報源に当たらない事は以下の通り明白でしょう。
すなわち、Wikipedia:信頼できる情報源とは何か。以下の論点に注意すべきであると定義されています。(1)複数の独立した一次情報源を使った二次情報源がありますか?(2)底意や関係者間の対立、強硬な見解、そのほか報告に影響する先入観はありますか?。当該参照先サイトは明らかに二次ないし三次以降の情報源ですが、問題となっている事実に関しては「複数の独立した一次情報源」が存在しない事は明白です。またサイト全体をみれば容易に推認できる通り「底意」や「強硬な見解」「そのほか報告に影響する先入観」に満ちています。
Wikipediaでは情報源として(信頼できる)「独立した二次情報源」が要請されています。これは「編集者の監視や、事実の検証プロセスを経ている」「利用できる一次情報源を彼ら自身で見ており、評価するに当たっては彼ら自身の判断を使っている」等の条件を満たすものでなければなりませんが、当該参照先サイトはいずれの条件も充足していません。
またWikipedia:信頼できる情報源には、「オンラインの情報源は、印刷物やほかの伝統的な情報源と同じように信頼性を評価してください。オンラインであれ印刷物であれ、出版したメディアの権威により自動的に信頼性に足りると前提づけることができません。すべての報告は、作成した過程や人々に関する検証が必要です」と記されています。これをもって当該参照先サイトを判ずるに、そもそも「出版したメディアの権威」すら存在せず、「作成した過程や人々に関する検証」すらも不可能な出所不明の情報源と断じざるをえないでしょう。「信頼できる情報源では、情報を集めた手段を再現あるいは検証できます」とも記されていますが、この条件も当該参照先サイトは全く充足していません。
以上から当該参照先サイトは、およそ「信頼できる情報源」とみなすことは不可能です。
Wikipedia:信頼できる情報源の「出所の不確かな素材」の項には、「証拠を提出する義務は疑問の元となる編集を行った人にあり、情報源が提示されていない物は誰でも取り除くことができます」と明記されています。今回の件についていえば、当該参照先サイト以外に信頼できる情報源を提示できないのであれば削除が妥当と帰結されます。
さらにWikipedia:信頼できる情報源には「存命中の人物の伝記」に関する注意として「存命中の人物の項目中で、その人物に関する批判、否定、あるいは有害と解釈できる情報が掲載された場合にはすぐに取り除くべきであり、ノートページに移動してもいけません」とあり、Wikipediaの編集者には名誉毀損への十分な配慮が要請されています。前出の通り、著名な政治家に関して「半島出身」と虚偽の事実を報じた雑誌社と編集者が損害賠償責任を認定されていることから、今回の件も同様の法的責任を問われることが容易に想定され、削除が妥当であると、この観点からも帰結されるわけです。--Pass Lab 2009年6月3日 (水) 15:39 (UTC)
議論に割って入るようで恐縮ですが、「どの辺が「検証可能性を満たさない」のか、具体的にご指摘下さい。検証いたしましょう」との114.162.214.5さんのお言葉に、Pass Labさんが前述されたWikipedia編集のルール上の観点から強い違和感を感じざるを得ませんでした。算数や数学のテストで答えだけを書き、途中の計算式や証明・解答過程を書かずに提出しているのと同じ印象を受けます(しかも証明過程は他人任せ)。これでは、もし答えが合っていたとしても配点はゼロになってしまうと思います。
何度も出てきている検証可能性の項にあるように、ウィキペディアに執筆してよいかどうかの基準は「「真実であるかどうか(答えが合っているかどうか)」ではなく「検証可能かどうか(誰にでも明らかな形で答えを導き出せたと言えるかどうか)」」。もちろん記述する事柄の検証可能性を明らかにすることは、Wikipedia執筆者自身に付加されます。ですから今回の場合、114.162.214.5さんが執筆者であられる以上、ご自身が執筆した内容の検証可能性を負うのは当然と拝察いたします。
そこでリンク先の記載となるわけですが、この答えも随分と粗雑に過ぎると考えます。本や新聞、雑誌での記載があったというならまだ分かるのですが(それを出したとしてもまだ問題ありですし)…。また「内容に問題があるのならとっくにサイト自体削除されているはずです」というお話に首を傾げてしまいました。サイトが存続している=記載内容が真実ということにはならないかと存じます。私が思うに、それこそ「あなたの主観的な感想でしかありません」。またPass Labさんは検証可能性以外の観点からも論を進めておられ、これも全て真っ当な議論だと思います。一見したところ反論の余地は見当たらないのですが、いかがでしょうか。 --G.KOSHINO 2009年6月3日 (水) 19:13 (UTC)
もう勝負あったんじゃないですか、114.162.214.5さん。(私は、さん付けで呼んであげますからね(笑)。)どう考えても、114.162.214.5さんの言うことには無理がありますよ。今回、Pass Labさんが示されたWikipedia編集のルールは、きわめて論理的かつ正当な構造をしていると思います。Pass Labさんが勝手に言っていることならまだしも、Wikipediaのルールなんだから、従うしかないでしょ。これに照らしたら、114.162.214.5さんが示した「ソース」なるものは、「ソース」でもなんでもありません。単なる風評です。風評を「辞書」に載せるのはまずいでしょ。それと、「どの辺が「検証可能性を満たさない」のか、具体的にご指摘下さい。検証いたしましょう」って、随分と投げやりな発言ね。かつて、大学のゼミで、同じようなことを言っていたおかしな学生がいたのを、思い出してしまったわ(笑)。だいたいそういう人って、自分の書いたものに自信がなくて、それを指摘されて自分が未熟であることを誰よりもよく知っているから、強がって逆切れしてみせて、うまく責任を転嫁しようとするのよね。ゼミの先生も、困り果てていたわ。話が横道にそれたけど、私は、相加の味方でも敵でもないけど、ちゃんとした真実を載せてほしい、と願うだけ。だって、このサイト、結構使うもの。当然、相加以外もね。あんな変なサイトが、するするっと「ソース」になって、ウィキの編集に使われるなんて、どう考えてもおかしいわよ。
--Antikiyo 2009年6月4日 (木) 10:09 (UTC)
まあまあ皆さん、少々オツムの弱いアンチさんの荒らしなのですから、そんなにムキにならなくてもよろしいのではないでしょうか。元の書き込みのリンク先を削除すれば終わりでしょう。--佐伯鉄太 2009年6月4日 (木) 11:55 (UTC)
アカウントを使います。 G.KOSHINOさん、Antikiyoさん、佐伯鉄太さん、ご参加頂き恐縮です。 ただ、 >私は、さん付けで呼んであげますからね(笑)。 >少々オツムの弱いアンチさんの荒らし については、私に対しての侮辱でしか無いですよ。 検証可能性の証明についてこちらも検証いたしましょう。しばらくお時間を頂きます。 反対側からの検証も頂けると幸いです。G.KOSHINOさんの仰る通り、そちら側も、算数や数学のテストで答えだけを書き、途中の計算式や証明・解答過程を書かずに提出しているのと同じ印象を受けますので。--Apple35 2009年6月5日 (金) 18:08 (UTC)
Apple35さん。「検証可能性の証明についてこちらも検証」とは何を指すのですか? ここは事実について真実性を立証する場所ではありません。そんな独自研究をしたければ、別のサイトなりメディアなりでやってください。あなたがなすべきは、あくまでも信頼できる情報源を提示することです。どうして、こんな簡単な事実が理解できないのでしょうか。前述した通り、Wikipedia:信頼できる情報源の「出所の不確かな素材」の項には、「証拠を提出する義務は疑問の元となる編集を行った人にあり、情報源が提示されていない物は誰でも取り除くことができます」と明記されています。今回の件についていえば、Apple35さんが信頼できる情報源を提示すべきなのです。とにかく、あなたは「検証可能性」の意味も、Wikipediaが行うべきことについても、全く趣旨を理解していないような印象をもちます。まずは、Wikipediaのガイドラインや方針を全て熟読し、そのうえで、前掲の文意について説明してみてください。議論はそれからです。--Pass Lab 2009年6月6日 (土) 02:32 (UTC)
Apple35様。
「そちら側も〜」について、言葉が悪いかもしれませんが大きな勘違いをなさっているのでは、と感じました。そもそも「反対側からの検証」は必要ないのです。非執筆者である私などは、記述内容の検証可能性について疑義を呈するのみでよいからです。その意味で「証明過程が無いですよ」との答えのみで十分なのです。Pass Labさんも引用されている「証拠を提出する義務は疑問の元となる編集を行った人にあり、情報源が提示されていない物は誰でも取り除くことができます」に依ります。
Wikipediaの他のページには今回Apple35さんが根拠とされたようなウェブ上の記載を出典として記述されたものも多々見受けられ、""「なぜ自分の記述だけが問題視されるのか」""と、納得されないかもしれません。しかしそれらはすべて執筆者の「書き逃げ」と閲覧者の「黙認」が同時に起こっている希有な状況であり、ルールからいえば、出典に疑義のある記述は全て問答無用に削除可能です。このページは存命中の人物についてのものであり、どのような立場に身を置かれるにせよ、記述に際してもう少し慎重を期すべきです。
私見ですが、出典を変えたとしても同様の問題が残るか、もしくは以前Pass Labさんが提起したような別の問題群が惹起すると、容易に予測されます。それらを踏まえてのご発言にも期待いたします。
--G.KOSHINO 2009年6月6日 (土) 23:07 (UTC)
12日(金) 18:09まで少し時間はありますが、Apple35様より記述がないようでしたら、検証可能性などの話題についてApple35さんがPass Labさんらが主張する内容でご理解されたものとして、議論ついては終わるということでよろしいでしょうか。--G.KOSHINO 2009年6月12日 (金) 17:49 (UTC)
顕彰について
顕彰の欄で引用の殆どが『フォーラム21』という雑誌からの引用です。この雑誌はインターネットで検索しても分かるように、完全なる『アンチ創価、公明』です。本来中立な立場にあるべき百科事典に、著しく偏った立場からの記事を引用するのは、良くないと思います。--以上の署名のないコメントは、Kkkkk1994(会話・投稿記録)さんが 2008年11月13日 (木) 13:53(UTC) に投稿したものです(モトカル(会話)による付記)。
- たとえ仮に、Kkkkk1994さんがおっしゃるおように『フォーラム21』が著しく偏った立場であったとしても、だからといってそこで主張されていることを載せてはならないということにはならないと思います。
- ウィキペディアの公式方針である「中立的な観点」が述べている”中立的”という意味をよく理解されればおわかりいただけると思います。そこで述べられている「中立的」、「偏りのない」という意味は以下のように様々な言葉で説明されています。
- 「特定の観点からの意見を主張するかわりに、論争における様々な立場を公正に説明すること」
- 創価学会側の池田氏に関する評価も、彼に対する批判も説明すべきということになります。
- 「論争の種になるような立場を主張することなく、単に記述する」
- 顕彰についての批判が正論という論調ではなく、単にそういう指摘があることを述べています。
- 「事実を記述し、様々な意見についての事実も記述せよ、だが、意見の表明は避けよ。」
- 百科事典の立場からは意見を述べていません。
- 「偏りのない記述は、最も普及している観点だけを提示するものではありません。また、最も普及している見方を正しい見方として提示するものでもありません。様々な異なる観点の中間に位置する観点からの意見を(中間=中立であるかのように)正しいものとして提示するものでもありません。全ての観点を提示するということは、p 主義者は p が正しいと考えており、一方で q 主義者は q が正しいと考え、現在その点をめぐる論争がある、というようなの記述をすることです。全ての観点を提示するにあたって、誰がどのような理由で p や q を信じており、どちらがより広く支持されているか、といった背景の説明を大量に供給できることが理想です。」
- 基本的にこのような書き方がなされていると思います。
- これまで池田氏の顕彰についての批判は他のマスメディアでもなされて来たと思います。去年刊行された島田裕巳氏の『日本の10代宗教』(幻冬舎)という著書でも池田氏の名誉博士号獲得について、「創価大学と海外の大学との(実質のともなわない)交流協定が利用されていると批判されても仕方がない面がある」と述べられています。この著書も出典に加えましたし、『フォーラム21』より出典としてよりふさわしいものがみつかり次第挙げようと思います。--モトカル(会話) 2008年11月16日 (日) 08:00 (UTC)
出典先として提示されている『フォーラム21』は、日本における民事訴訟の複数の判決において、学会批判を主たる目的とする雑誌と認定されており、著しく中立性を欠く媒体です。検証可能性に記された「信頼性に乏しい情報源」に該当します(「信頼性に乏しい情報源とは、事実確認について評判がよくない情報源、あるいは事実確認の機能を欠く情報源(「TVで観た」等)、または編集上の監督を欠く情報源です」との記述に該当。同誌発行人である乙骨正生氏は創価学会が訴えた複数の民事訴訟の確定判決で名誉毀損に当たるとして不法行為責任を認定され損害賠償命令が言い渡されている。その確定判決でも、創価学会批判を生業としている事を指摘されたり、取材や事実確認の欠如を糾弾されたりしているなど「事実確認について評判がよくない情報源」「事実確認の機能を欠く情報源」に該当すると思料される。また島田氏の著書も、独自研究の域を出るものでなく、「編集上の監督を欠く情報源」とみなすのが適当)。よりふさわしい出典を提示できない以上、潜在的に紛争の火種となりうる記述に該当する(名誉毀損罪、信用毀損罪、侮辱罪並びにこれらに準ずる民事上の不法行為を構成する可能性がある)ため、いったん削除しました。--E8 2008年12月16日 (火) 17:54 (UTC)
島田裕巳氏著『日本の10大新宗教』における記述は、(1)定量的な分析・検証に基づかない、(2)論拠になる資料がない、(3)島田氏自身が近年、創価学会批判を生業としており著しく中立性を欠く、の3点の理由から、ウィキペディア上での参照資料にふさわしくないため、それに基づく記述を削除しました。--キヨセイ 2008年12月22日 (月) 1:16 (UTC)
当ノートでの議論に準拠し、信頼性の乏しい出典及び、これに基づく記述を一部削除しました。--Pass Lab 2008年12月23日 (火) 08:56 (UTC)
台湾台南県が池田氏に「名誉県民」の称号を授与した件について、蘇煥智台南県長が遺憾の意を表明したなどという報道が「中華日報」紙上でなされましたが、その報道の翌日、すなわち2003年1月10日に、蘇県長が自ら「中華日報の報道は全くのデタラメ。遺憾の意を表すような発言はしていない」と明言。台南県政府宗教課長を通じて、台湾SGI側に正式に伝えられました。このように、当の本人が明確に否定している事実であり、これに基づく記述を削除しました。--キヨセイ 2008年12月31日 (月) 5:50 (UTC)
風評について
2005年12月18日 (日) 05:48 61.114.198.220氏の加筆について:確認できない風評をウィキペディアに書くのはおやめください。--miya 2005年12月18日 (日) 07:05 (UTC)
中立的観点から池田の客観的偉大さを記述するとすぐに反対勢力による妨害的削除があります。抗議します。—以上の署名の無いコメントは、IP:219.49.208.83(会話/履歴/whois)氏が[2006年1月2日 (月) 04:18 (UTC)]に投稿したものです。
Wikipedia:中立的な観点をお読みください。ゆきち 2006年1月2日 (月) 06:59 (UTC)
「偉大さ」とおっしゃっている時点ですでに中立的ではありません。あと、ノートでは~~~~での署名をお願いします。--端くれの錬金術師 2006年1月2日 (月) 09:06 (UTC)
池田大作は客観的にいって偉大では、ないと思います。だいたい、創価学会とか日本では邪魔者扱いと思います。自業自得だとは思いますが、表の名を変えて犯罪をしまくっている集団ですからね。最近では、耐震偽装とか。そんな集団のシンボル化されたものでしょ。北朝鮮と統制手法が同じなんですよね。--以上の署名のないコメントは、219.109.227.230(会話/Whois)さんが 2006年8月27日 (日) 15:08(UTC) に投稿したものです。
犯罪って何をしたのでしょうか?雑誌などの曖昧な情報は適切ではないと思います。 また、本当に客観的なのは何の先入観もない海外の人がだと思いますが・・・ 2007年9月28日TARO—以上のコメントは、60.41.91.226(会話/投稿記録/Whois)さんが[2007年9月27日 (木) 09:55(UTC)]に投稿したものです。
たしかに、「偉大」っていう観点は、「そう感じる人の主観」に過ぎませんよね。--yoshizokun 2006年2月18日 (土) 17:27 (UTC)
保護しないで両論併記でお願いできないでしょうか。 ノートで論がかみ合うとは考えられません。パレスチナ問題のようになっております。 保護は開かれた百科事典として存在意義がありません。 おもねり派の文と批判派の文を両方読んで知識が深まると考えます。 本当に知りたいことが議論されていません。 宗門との対立原因が本当はどうだったのかを両論併記でお願いできれば幸いです。
(2006。03。14ホワイトナイト) --以上の署名のないコメントは、218.120.146.96(会話/Whois)さんが 2006年3月14日 (火) 02:27 (UTC) に投稿したものです。
両論あるならば、両論併記が相当です。争点となっている事項について、この場で決着することは 期待しがたい以上、両論を併記するのでなければ、百科事典としての機能が失われることになります。この点は、氏の出自についても同様です。--以上の署名のないコメントは、220.109.220.9(会話/Whois)さんが 2006年3月27日 (月) 9:55(UTC) に投稿したものです。
抗議
「平和活動家」という価値中立的な事実まで削除するのは許せない。—以上の署名の無いコメントは、IP:219.49.208.83(会話/履歴/whois)氏が[2006年1月2日 (月) 09:42 (UTC)]に投稿したものです。
その書き方からして既に中立さを感じないのですが。--219.127.92.162 2006年1月3日 (火) 20:20 (UTC) ログアウト扱いになっていました。219.127.92.162も自分です。--Lonicera 2006年1月3日 (火) 20:21 (UTC) 「平和活動家」がレイプ事件で訴えられている時点で既に「平和活動家」じゃないですよね。--以上の署名のないコメントは、58.13.141.73(会話/Whois)さんが 2006年2月18日 (土) 01:35(UTC) に投稿したものです。
レイプ事件については、「事実無根」ということで法廷ですでに決着済です。--yoshizokun 2006年2月18日 (土) 17:25 (UTC)
>レイプ事件については、「事実無根」ということで法廷ですでに決着済です。
東京高等裁判所はナゼか証人尋問を拒否し、双方から提出された書証だけで判決を出しました。
書面以外の有力な証拠になるかもしれなかったのにナゼ拒否したのでしょうかね~。--60.35.179.108 2006年2月24日 (金) 11:46 (UTC)
>東京高等裁判所はナゼか証人尋問を拒否し、双方から提出された書証だけで判決を出しました。
>書面以外の有力な証拠になるかもしれなかったのにナゼ拒否したのでしょうかね~。
それは地裁の時に、既に証人や、原告の証言が二転三転し曖昧だった為「訴権の乱用」と言う名目で却下されているからでは?
参考文献↓(創価学会私的まとめ@WIKI)
http://www6.atwiki.jp/reddog/pages/16.html
--Improvement 2006年3月28日 (火) 01:32 (UTC)
「平和活動家」という肩書き
「平和活動家」という肩書きを入れるかどうかで編集合戦になったようですね。「平和」や「平和活動家」という言葉は「詩人」などと違って定義が曖昧なので、かわって冒頭部に
- >「・・・富士短期大学卒業。1983年に国連平和賞を受賞している。」
と事実のみを書くようにしませんか?この受賞は客観的事実でしょうから。--miya 2006年3月16日 (木) 06:51 (UTC)
- 他にも様々な平和に関する賞を受賞していますが、あえて国連平和賞だけを記す意図を教えていただけませんか?--Magnet 2006年3月17日 (金) 13:26 (UTC)
- それ以前に、そもそも「平和活動家」なんて肩書きは不要だと思うのですが。--Lonicera 2006年3月17日 (金) 17:02 (UTC)
- あくまで宗教団体の代表としての活動の一環でしょうから、「平和活動家」なる肩書きは不要だと思います。--Dojo 2006年3月17日 (金) 17:09 (UTC)
名前の大げさな団体や賞ほど送ってる組織が小さいなんて事 よくあるからね。 一般論だけど。 ○×世界○×連盟=構成員数人とか。最悪一人。 偉い政治家もメンバー=昔一度頼まれて署名しただけで それ以後実質参加してない。政治家の名義貸し。 あの○×も参加=名前が同じ別人 偉い学者さんの親族=親族なんていっぱいいるから最低の人間もいる。 弁護士もいる=弁護士身分詐称しても法律上罰則なし くらいは常識だから注意してね。 まあ繰り返し描くけど一般論だけどね。 --Sinapusu 2006年4月1日 (土) 01:45 (UTC)
池田氏がどう平和に貢献してるのか聞きたいんですけど--以上の署名のないコメントは、219.62.40.41(会話/Whois)さんが 2006年4月16日 (日) 15:30 (UTC) に投稿したものです。
一般的な市民の視点でいうと
創価学会というのは、そもそも国内にいる在日朝鮮人を母体とした組織で、池田大作というのは、その中心的人物ということです。太平洋戦争後の混乱した日本において勢力を伸ばした外国人系ということで、さまざまな工作により政治力や経済力を拡大した外人勢力だといえる存在です。創価学会は排他的な体質で、選挙でも非合法な手段で目的を達成しようとすることは、よく知られていることですよね。こういった人物が国内事情に疎い海外からの信頼を得て、賞(同系組織からの賞かもしれませんが)とかをいただいているわけで、「平和活動家」とはいえない人物であることは、周知の通りです。父親は、朝鮮人ではなかったかな。「平和活動家」と主張するのは個人の勝手ですが、客観的な事実ではありません。もともとは、朝鮮系財閥の白木財閥の丁稚奉公をしていた人物です。 --以上の署名のないコメントは、220.215.124.174(会話/Whois)さんが 2006年5月20日 (土) 03:29 に投稿したものです。
朝鮮人--以上の署名のないコメントは、60.44.125.18(会話/Whois)さんが 2006年5月27日 (土) 01:04 に投稿したものです。
そもそも、池田氏は具体的にどのような"平和"のための活動をしているのでしょうか?"~平和賞"を受賞しただの、どこかのよくわかんない大学の学位を授与されただの、そんなのはどうでもいいです。とにかく、池田氏のことを"平和活動家"と称するに足る活動の例を具体的に示してほしいです。--Aalulu
- [1]に、池田氏が平和活動家であるという、学会側による説明がなされています。--Mait 2007年3月5日 (月) 13:56 (UTC)
極めて抽象的な概念ですからね。それこそ広く解釈すれば全国に何百万という平和活動家がいる訳で、客観的なカテゴリーとは思えません。--3丁目の男 2007年2月17日 (土) 17:07 (UTC)
リンク見ましたが、これによると「平和活動家」としての行動は「著名な政治家や歴史家や芸術家と対話をすること」だということですか?この定義では平和活動家とは言い切れないでしょう。—以上の署名の無いコメントは、3丁目の男(会話・履歴)氏が[2007年3月5日 (月) 14:53(UTC)]に投稿したものです。
- まことに然り。--Mait 2007年3月6日 (火) 18:10 (UTC)
「自称平和活動家」と自称を付けるべきです。自称しているのは事実でしょう。「章」「学位」は知りうる限り全て掲載するべきです。そういうものを集めているのも事実です。それをどう捉えるかは読者に委ねるべきだと思う。--218.42.15.209 2008年2月26日 (火) 02:26 (UTC)
あのー、国連平和賞は存在しません。
2006年1月の保護の解除に向けて
保護から長い時間が経過しておりますが「平和活動家」を記載すべきという意見は出てきません。冒頭に「平和活動家」という記述を削除することで合意とし、保護解除依頼を出したいと思います。--経済準学士 2006年6月9日 (金) 20:14 (UTC) 結構時間が経ちましたが、まだ動きませんね・・・。人物の最後の行の脱字も修正できないまま。。。--以上の署名のないコメントは、218.114.132.211(会話/Whois)さんが 2006年6月23日 (金) 15:04(UTC) に投稿したものです。
まだですか?--ムイチモン 2006年11月11日 (土) 05:38 (UTC)
偽造写真事件判決全文
という訳で、写真を偽造したのは事実ですが、このように、写真を偽造して最高裁東京地方裁で断罪された人間が、「平和活動家」というのはありえないでしょう。大石寺信徒 2006年7月17日 (月) 02:04 (UTC)
初めまして、Improvementと申します。 上記の件ですが、この後の高裁での控訴審判決ではどのようになったのでしょうか? 是非教えてください。 あと上記リンク先の判決文は最高裁ではなく、地裁だと思いますが・・・
--Improvement 2006年7月22日 (土) 01:01 (UTC)
- 上記で「最高裁で断罪された人間」と、「偽造写真事件判決全文」は直接関係ありませんでした。別な事件と混同していました。お詫びして訂正します。ちなみに「偽造写真事件」は、日顕上人に対する名誉毀損は認めたものの、原告が日顕上人ではなかったために、原告側が敗訴しています。裁判自体は負けましたが、名誉毀損は裁判所も認めています。このように偽造写真をもって名誉毀損をするような人物は、世間から糾弾されるべきです。大石寺信徒 2006年7月22日 (土) 14:54 (UTC)
別な事件とは、創価学会では機関紙において、日顕上人が「最高歳で2度断罪された」と誹謗していますが、当の創価学会は、正本堂にかかわる一連の裁判で、「最高歳で39度敗訴」しています。もしどこかで「最高歳で2度断罪」という文字を見かけたら「創価学会は最高歳で39度敗訴」と唱えましょう。大石寺信徒 2006年7月22日 (土) 23:27 (UTC)
ここは中立的に編集する方針を話し合う場ですので、創価学会への批判は避けるべきです。こういう表現ならどうでしょうか?「創価学会は41回日顕上人を訴え、39回敗訴し、2回ほど勝訴した」客観的事実であり中立的な表現だと思いますが。--218.42.15.209 2008年2月26日 (火) 02:30 (UTC)
学歴(富士短期大学卒業)
これは、1967年に、富士短期大学がさきに中退していた各種学校の大世学院の後身だったために、論文提出で卒業と認定されたもので、
1928年 東京都大田区に生まれる。/富士短期大学経済学科卒業。 /1947年 創価学会に入会。
という書き方(1947年以前に「富士短期大学」に入学・卒業していたと思わせる)は正確ではないでしょう。--以上の署名のないコメントは、Yanagi774(会話・投稿記録)さんが 2006年11月27日 (月) 16:00(UTC) に投稿したものです。
「富士短期大学がさきに中退していた各種学校の大世学院の後身だったために、論文提出で卒業と認定されたもので」非常に分かり易い解説だと思います。表現をこのようにすべきだと提案します--218.42.15.209 2008年2月26日 (火) 02:32 (UTC)
簡易プロフに追加
池田大作(いけだだいさく、1928年1月2日 - )は、創価学会名誉会長・SGI(創価学会インタナショナル)会長。東京都大田区出身。富士短期大学卒業。--以上の署名のないコメントは、222.230.135.121(会話/Whois)さんが 2006年11月30日 (木) 04:33(UTC) に投稿したものです。
なんで?
なんで本名が載ってないの?--以上の署名のないコメントは、124.147.85.175(会話/Whois)さんが 2007年1月17日 (水) 09:56(UTC) に投稿したものです。
- I am Zapaneseだからです。←結論
- 自分に都合の悪いことは暴力を以ってしてでも潰す、というのが彼らなりのスタンスなのです。是非、理解してあげてくださいね^^--以上の署名のないコメントは、220.144.35.77(会話/Whois)さんが 2007年8月27日 (月) 13:09(UTC) に投稿したものです。
- 現在は個人情報の保護などで行われていませんが、以前は高額納税者公示制度があり、高額納税者のリストが公開されていました。
- 四谷税務署管内の平成14年度分所得税の高額納税者一覧によれば、池田大作氏は、四谷税務署管内第4位の1億2774万5千円であることが当時告示されています。
- 高額納税者の告示には通名や芸名ではなく本名で告示されますが、池田大作として高額納税者一覧に載っているので、コレが本名ですよ。--121.82.195.107 2010年10月19日 (火) 03:01 (UTC)
確かに疑問です。オームの麻原の出自についても粘着的に削除するグループが居ました。ビルの屋上とか怖いのでこの辺で。--218.42.15.209 2008年2月26日 (火) 02:35 (UTC)
- 出典があれば、記載できるのではないでしょうか?風評はだめというウィキペディアの原則があるので、削除されてしまうのでしょう。--ななき 2008年2月26日 (火) 07:00 (UTC)
池田大作の本名は選挙違反事件の裁判での人定質問の際に池田大作であることがハッキリとしてますよ 112.71.6.69 2010年2月14日 (日) 21:55 (UTC)
1975年について
色々揉めて会長にとどまれなかったからSGI会長という一段高いポストになったと言われていますが、詳細を載せても良いんじゃないでしょうか。--3丁目の男 2007年2月17日 (土) 17:04 (UTC)
略歴の"国連平和賞受賞"の記事について
私が、「200以上の賞・学位等を授与されたというのに、この受賞の事実のみを載せるのは不可解」としてこれを削除した際、"略歴においては受賞歴は厳選されるもの"との理由で再び載せられていました。 受賞数が多い場合、その中から著名なものを厳選して載せると言うことに関しては、全く異議は無いのですが、それが国連平和賞である理由がよく分かりません。とても些細な事ですが、説明して頂ければ幸いです。。 --Aalulu 2007年3月4日 (日) 16:13 (UTC)
- Aaluluさん、初めまして。単なる私見ではありますが、意見を述べます。
- 富士美術館サイトにおけるプロフィールに受賞内容が列挙してありますが、主に1.国連から贈られたもの2.国から贈られたもの3.教育機関から贈られたもの4.その他団体から贈られたもの、の4つに大別できると思います。国連以外の2-4の中から厳選するとなると、ではどこの国のどういったところから贈られたものを選定するかということが焦点になるかと思います。しかしながら、例えばハーバード大学から名誉博士号或いは名誉教授が贈られたりしたのならば代表的な賞として厳選できるでしょうが、あれだけの中から特定の賞・学位を極少数のみ厳選するのは難しいのではないでしょうか。選定できたとしても「なぜそれらがのみを取り上げるのか」といった批判は余計に増えるように思います。
- その点、国連の場合は(それが数多くの賞などの中で最も栄誉あるものかどうかはさておき)、世界的機関でありグローバル組織ということもあり無難な線といえるのではないでしょうか。その中でも国連平和賞は、Wikipediaの記事も存在するほどですし最初にご紹介した富士美術館サイトにおけるプロフィールの本文内においても最初に紹介されています(なお、他の学会系機関の氏のプロフも大体同じような内容になっています)。大体こんな説明で宜しいでしょうか・・・。--Mait 2007年3月5日 (月) 14:09 (UTC)
こう言ってはなんですが、国連平和賞って大した賞じゃないんじゃないですか。なにしろ他の受賞者、例えば岸信介・福田赳夫・笹川良一・鈴木俊一の各氏のページにはまったく記載されていない程ですから。--3丁目の男 2007年3月5日 (月) 14:58 (UTC)
- え、岸信介、笹川良一、鈴木俊一 (東京都知事)の記事に記載されていますよ。「国連平和賞」で検索を掛けてみてください。ちなみに、二階堂進、山口シヅエ、カルロス菅野、オルケスタ・デ・ラ・ルス、パブロ・カザルスの記事にも記載があります。--Mait 2007年3月6日 (火) 18:10 (UTC)
Maitさん。こちらこそ初めまして。丁寧なご説明ありがとうございました。
国連平和賞について話題になっているようなので、ついで(?)にお聞きしたいことがあるのですが、この賞を発行している公機関からのソースを見つけることが出来きず困っています。検索してもどこかの受賞者の経歴のサイトが出てきたり、全く関係のないサイトが出てきたりして・・・とにかく有効な情報が見あたりません。賞の公式なサイト(?)などのURLを教えていただけないでしょうか?出来ればよろしくお願いします。(英文のサイトでも構いません。)--Aalulu 2007年3月7日 (水) 11:42 (UTC)
- 私は別段国連平和賞に詳しいというわけではありません。ノート:国連平和賞で質問なさるとよいでしょう。--Mait 2007年3月7日 (水) 14:35 (UTC)
あ失礼、岸さんと鈴木さんのなどは検索かけなかったので見逃したようです。岸さんのはどの欄に記載されていましたか。--3丁目の男 2007年3月8日 (木) 04:28 (UTC)
誠に失礼、年譜等しっかりと検索して探せば良かったですね。--3丁目の男 2007年3月8日 (木) 04:33 (UTC)
確認したところ国連平和賞は国連とは無関係(国連が制定していない賞)でしたので誤解を避けるため注釈を加えました。 --ノーザン123 2010年12月11日 (土) 01:38 (UTC)
2007年5月25日 (金) 15:12の版で行った編集の理由について
- 『創価学会がしばしば池田を「平和主義者」として喧伝、アピールするのに利用している「国連平和賞の受賞」に関しても(中略)ことが明らかになっている』の部分を削除した理由は、こういった書き方をすること自体アンチ側の観点に立つことになり、中立的でないからです。
- 「受賞の前年に国連広報局の「国連口述史」編纂計画に対して16万ドル(当時の為替レートで約四千万円)を寄付していることが明らかになっている」この言及は上述済みであるため不要です。
- 「国際連合公式~定かではない」の部分を削除した理由は、Wikipedia:存命人物の伝記があるためです。これによると出典なき批判は即刻削除すべきとしています。このような言及をしている信頼できる情報源の出典と共に記述する必要があります(あくまでこういった意見もあるといった書き方で)。--Mait 2007年5月25日 (金) 15:14 (UTC)
- 理解しました。今後気をつけます。m(_ _)m--Aalulu 2007年5月26日 (土) 11:44 (UTC)
歴史観
本文「歴史観」の中にある「原爆投下は正法を誹謗した報い」とある講演集3巻で述べられた言説は平成19年の久間章生発言にも強い影響を与えたがこれは自民党と連立を組む公明党側には受け入れられなかった。とどなたか追加記述を願います。--211.0.159.40 2007年7月4日 (水) 05:49 (UTC)
本文「歴史観」の中にあった「原爆投下は正法を誹謗した報い」との趣旨の言葉は、出典とされた「池田会長講演集第3巻」にはどこにも掲載されておらず、「出典の無いまたは信頼性の乏しい出典によるもの」に該当する記述であるため、削除いたしました。本件記述を執筆された方は、もしこの記述を残したいと希望される場合、正しい出典を再度明示していただければと存じます。 --キヨセイ 2007年8月18日 (火) 11:08 (UTC)
本文「歴史観」の中にあった「日本が大恩を受けた朝鮮を裏切ったのは、心理的には“劣等感の反転”がある」との趣旨の言葉は、出典とされている和光新聞では「背景は、いろいろ考えられるが、そういう見方がある」という発言になっています。つまり、池田氏自らの見解でなく、一つの考え方を紹介したものです。したがって、池田氏自身の歴史観として記述するのは不適当であると考え、削除いたしました。本件記述を執筆された方は、もしこの記述を残したいと希望される場合、明確に池田氏自らの見解が示された出典を、再度明示していただければと存じます。 --キヨセイ 2007年8月22日 (土) 7:12 (UTC)
「平和活動」の節について
Aaluluさんの「平和活動」の節における記述、「上記の通り、池田は著名人との対談や諸外国の大学等で講演を行っているが、創価学会系のメディアではそれらを「平和活動」を称し、大々的に宣伝している。」この書き方だと池田の活動を平和活動とは認めない、批判者側の観点に立つことになってしまい、中立的ではありません。
以前の「創価学会系のメディアでは池田が精力的に平和活動をしていると度々報じられている。 」という書き方の方が、平和活動を認める立場にも認めない立場にも立っておらず、単に事実のみに着眼した中立的な記述であるため、以前の文章に戻しました。--Mait 2008年3月13日 (木) 01:33 (UTC)
- 単に「平和活動」だと表現が抽象的すぎて誤解を招くのでは?実際、学会側も池田氏の対談・講演・顕彰を平和活動の主な具体例としていて[2]、聖教新聞でもそれらの活動を「平和活動」というニュアンスで報じているので、私の記述が批判者の観点に立っているとは思えません。--Aalulu 2008年3月14日 (金) 23:18 (UTC)
- 具体的に何を平和活動としているのかは、それはAaluluさんが仰る通り書いた方がいいのでしょうけれど。私が批判者の立場に立っていると指摘しているのはそこではないんですよね。問題は「(前略)~それらを「平和活動」を称し、大々的に宣伝している。」の箇所です。出典に依拠した説明であるにも拘らず、それを信頼できる情報源として扱っていない。中立的な観点に則るならば、シンパの文献もアンチの文献も同等に好意的に扱われなければならないのです。Wikipedia:中立的な観点#フェアであることと、好意的な立場をじっくりお読み頂ければと存じます。一応下に引用しておきましょう。
- 「もしも論争についてフェアに説明するのであれば、競合しあっている様々な立場を、常に肯定的で好意的な形で提示すべきです。多くの記事は、対立する見方について紹介しつつも、特定の見方を支持するものになってしまっています。これは失敗です。ある記事が、意見ではなく事実を記述するものになっていたとしても、その記事は依然としてどのような立場に立って書かれているかを読者にそれとなく感じさせるものになっている場合があります。それはどのような事実をとりあげて説明するか、(どのような事実をとりあげないか)、それらをどのように配列し、まとめるか、といったことを通じて行われます。例えば、ある立場に対立する意見を紹介しながらそれを否定する説明を行うと、そうした対立意見を「対立意見」のセクションにまとめて紹介する場合と比べて、ずっと説得力がなくなります。
- こうしたことをするかわりに、記事を書く時には、説明されている全ての立場は、少なくとも賛成できそうに思えるものだというトーンで書くべきです。全ての競合する立場を好意的に説明しましょう。例えば、○○の考え方はよいアイディアだ、但し、一部の反対意見によれば、そうしたアイディアは××を見落としていると言われている、という書き方ができます。もしこういう書き方ができなければ、記事の内容にはいろいろ問題が残り、後に他の人の編集の際にそれを中和するような変更がなされることになるでしょう。」
- Aaluluさんは、アンチの情報源には肯定的でシンパの情報源には否定的なトーンでいつも書いておられますが、それはフェアではないだろう、と言いたいわけです。「創価学会系のメディアでは池田が精力的に平和活動をしていると度々報じられている。 」という書き方は、少々舌っ足らずではあるが、まさしく方針通り肯定的なトーンで書かれています。百歩譲って「(前略)~それらを「平和活動」を称し、大々的に宣伝している。」という記述が、「批判者側の観点に立っている」とまでは言い切れないとしたとしても、ウィキペディアにおける中立的な観点に立った書き方ではないことがご理解頂けたのではないでしょうか。話を戻しますが、平和活動の具体的な内容は記述した方がよいですね。方針に従うならば、「創価学会系のメディアでは池田が精力的に平和活動をしていると度々報じられている。その内容は上述したような著名人との対談や諸外国の大学等での講演等である。」といったところでしょうけれど。Aaluluさんはシンパの情報源に対してもこれくらい肯定的なトーンで書けますか?--Mait 2008年3月15日 (土) 02:51 (UTC)
- 理解して頂けたようで嬉しく思います[3]。--Mait 2008年3月16日 (日) 08:04 (UTC)
呼び方について
本文の中で池田名誉会長と書かれていたり池田と書かれていたりするのですが、これは統一してもいいのでしょうか?--kazu 2008年5月5日 (月) 04:27 (UTC)
- 統一してもいいと思いますが、Wikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)#敬称というのがありますので、「池田名誉会長」という表記での統一は避けるべきだと考えます。現在の記事を見ると、「池田名誉会長」という表記が4箇所あるようですね。そのうち導入部の脚注の箇所と、池田大作#名誉会長就任以降の箇所は、文脈からいっても名誉会長と記述する必要性がある程度あると思いますが、池田大作#マスメディアとの関係の箇所はその必要性がないように感じます。--Mait 2008年5月6日 (火) 15:32 (UTC)
- Wikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)#敬称で述べているのはSir(卿またはサー)、St(聖またはセント)、師などの”敬称”ですが、「会長」、「名誉会長」などは”敬称”ではなく、”役職”であって、役職で呼ぶことは敬意を表していることではないと思います。池田大作氏に限らず、創価学会幹部のことを「来歴」などの節に書くときは、役職を付加することは、どういう立場のときの言動かという情報になるので付けた方がいいと思うのです。特に池田氏の場合、「会長」の時代の言動か、「名誉会長」になってからの言動かは区別した方が情報としてはよりよいと思うのですが・・・ スタイルマニュアルなどのガイドラインは参考にすべきですが、さまざまな状況でよりよいものに練り直すことも大事だと思います。--モトカル 2008年5月7日 (水) 12:24 (UTC)
- 役職で呼ぶことが必ずしも敬称となるとは申しませんが、創価学会に批判的なメディアでは単に「池田」「池田大作」としたりわざわざ「名誉会長池田大作」とする表記も数多くみられることからいっても、やはり役職で呼ぶことには一定の敬意というものが込められているというべきではないでしょうか。役職で呼ぶことがウィキペディア的にOKだとしても、逐一役職をつけていてはくどいように感じます。特に当人の記事においては。また、池田氏の場合、会長時代も名誉会長時代も教団のトップであることには変わりないのですから表記をしっかり区別する必要性は薄いと考えますがいかがでしょう。池田氏がいつから名誉会長に就任したかについての記述もあるわけですから。「敬称」に関しては今回改めて辞書で調べてみましたが、人名や官職(役職)名の後ろに付ける語ということ
なので、ガイドライン的にはOKかもしれませんね。のようです。--Mait 2008年5月7日 (水) 15:18 (UTC), 2008年5月8日 (木) 08:41 (UTC)
- 役職で呼ぶことが必ずしも敬称となるとは申しませんが、創価学会に批判的なメディアでは単に「池田」「池田大作」としたりわざわざ「名誉会長池田大作」とする表記も数多くみられることからいっても、やはり役職で呼ぶことには一定の敬意というものが込められているというべきではないでしょうか。役職で呼ぶことがウィキペディア的にOKだとしても、逐一役職をつけていてはくどいように感じます。特に当人の記事においては。また、池田氏の場合、会長時代も名誉会長時代も教団のトップであることには変わりないのですから表記をしっかり区別する必要性は薄いと考えますがいかがでしょう。池田氏がいつから名誉会長に就任したかについての記述もあるわけですから。「敬称」に関しては今回改めて辞書で調べてみましたが、人名や官職(役職)名の後ろに付ける語ということ
- 創価学会や公明党関連の記事では役職名を付けた方がやはりよいと思いますが、当人の記事においては特に必要性がある場合を除いて、単に苗字だけ、または主語なしでいいかもしれませんね。--モトカル 2008年5月7日 (水) 15:27 (UTC)
- 素早いレスありがとうございます。この件に関してほかのガイドラインにも記されている点を見落としていました。Wikipedia:表記ガイド#人名によれば、敬称に限らず肩書きもアウトのようです。また、Wikipedia‐ノート:表記ガイド#人名につける敬称においてもやはり「人名+官職」はNGという見解が出ているようです。ただし、「スタイルマニュアルなどのガイドラインは参考にすべきですが、さまざまな状況でよりよいものに練り直すことも大事だと思います」というご意見はその通りだと思います。--Mait 2008年5月7日 (水) 15:34 (UTC)
(インデント戻す)Wikipedia‐ノート:表記ガイド#人名につける敬称においては「人物の官職は、時間経過で変わる」という理由でNGとの意見ですね。しかし、かえって時間経過で変わるからこそ、来歴や年表など、時系列的に人物の言動を記す場合、(当人の記事は別にしても)、その時点でどういう立場においての言動かは情報としてはやはり重要だと思います。--モトカル 2008年5月7日 (水) 15:50 (UTC)
- 「Wikipedia‐ノート:表記ガイド#人名につける敬称」におけるGame-MさんやTaiwaanさんの意見では、主な理由は「人名+役職」は敬称になり百科事典的でないということであり、時間経過云々は補足的な位置づけのようですが。実際このような決まりごとが制定されたのも同様の理由からだと思われます。敬称#職業で用いる呼称(肩書き)を見ればやはり肩書きは敬称とも考えられているようですし。「Wikipedia‐ノート:表記ガイド#人名につける敬称」で議論するとすれば、争点は結局のところ「有用性VS百科事典性」ということになりそうです。ただ、私は書き方の工夫で何とかなるものだと考えています。先にも述べましたが、「『役職』『人名』」とか「『役職』の『人名』」とか「『役職』・『人名』」といった書き方です。モトカルさんはこういう書き方についてどう思われますか。--Mait 2008年5月8日 (木) 08:41 (UTC)
- 「『役職』「人名」」とか「『役職』の『人名』」とか「『役職』・『人名』」という書き方とは、名誉会長池田大作が・・・、名誉会長の池田大作が・・・などの書き方だと思いますが、これは「概略」の節などで使いますね。これだと敬称にはならないということですね。「来歴」などの節でも年表的な記述をするときには池田名誉会長が・・・のような書き方の方が本当はしっくり来るのですが、「池田が・・・」とするのが百科事典的記述ということになるのでしょうか?--モトカル 2008年5月9日 (金) 10:09 (UTC)
- 学術性が重視される百科事典においては、敬称になってしまうような書き方はあまり適切ではないということなのだと思います。また中立的な観点という方針もありますしね。「人名+役職」が普段見慣れているためにしっくりくるというのは同意なのですが。--Mait 2008年5月10日 (土) 15:49 (UTC)
来歴の記述形式について
元々、「来歴」の節は年表形式で記述していましたが、過去に2度ほど百科事典的な記述にするという理由で、散文形式に変更されましたが、やはり文章量が多い中、散文形式は可読性が非常に悪いです。それに連続した出来事はごく一部で、ほとんどは直接関連のない言動ですから、続けて書く必要はありませんし、これから加筆するにあたっても、散文形式では面倒なことが多いことを他の項目でも経験しておりますので、この記述形式にすることをどうか御理解下さい。--モトカル 2008年5月10日 (土) 15:20 (UTC)
関連項目について
ガンジーとキング牧師の追加をお願いします
- ばかばかしい。何の関係があるのですか?創価学会が「ガンジー・キング・いけだ」とか勝手に宣伝しているから?--217.235.22.247 2010年2月5日 (金) 22:01 (UTC)
潜在的に紛争となりうる記述
信頼性に乏しい情報に基づく憶測・論評を包含し、潜在的に論争となりうる記述を削除しました。出典先の記事は、情報源や出典先を具体的に明示せず「ネット上」なるもの(唯一の出典例示は2ちゃんねるのみ)の見解・論評を中心に記したものであり、当該記述に関しては信頼性に乏しい情報源(事実確認の機能を欠く情報源であり風評・憶測の域を出ない)に該当。かつ、その内容が存命中の人物に対する名誉棄損や侮辱を構成するなど潜在的に紛争となりうる事実の摘示となっているため、削除いたしました。--E8 2009年1月29日 (木) 10:02 (UTC)
- これが具体的に何を指すのかもわかりませんし、第3者が評価しようがありません。勝手にご自分で「信頼性に乏しい」とか「名誉毀損のおそれがある」とか判断しないで、まずはどの情報がそうした恐れがあるのかを問題提起し、きちんとある程度の期間意見を聞いたうえで、行動しなさい。--217.235.16.214 2010年2月21日 (日) 21:23 (UTC)
共著の一覧
- 『文明 西と東』(共著:リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー)サンケイ新聞社
- 『20世紀への対話』(共著:アーノルド・トインビー)文藝春秋
- 『人生問答(上・中・下)』(共著:松下幸之助)潮出版社
- 『人生対談』(共著:宮本顕治)毎日新聞社
- 『人間革命と人間の条件』(共著:アンドレ・マルロー)潮出版社
- 『四季の雁書―往復書簡』(共著:井上靖)潮出版社
- 『闇は暁を求めて』(共著:ルネ・ユイグ)講談社
- 『21世紀への警鐘』(共著:アウレリオ・ペッチェイ)読売新聞社
- 『社会と宗教』(共著:ブライアン・R・ウィルソン)講談社
- 『「平和」と「人生」と「哲学」を語る―対談』(共著:ヘンリー・キッシンジャー)潮出版社
- 『内なる世界-インドと日本』(共著:カラン・シン)東洋哲学研究所
- 『21世紀への人間と哲学―新しい人間像を求めて』(共著:ヨーゼフ・デルボラフ)河出書房新社
- 『吉川英治 人と世界』(共著:土井健司、志村栄一)六興出版
- 『「生命の世紀」への探求―科学と平和と健康と』(共著:ライナス・ポーリング)読売新聞社
- 『敦煌の光彩―美と人生を語る』(共著:常書鴻)徳間書店
- 『世界市民の対話』(共著:ノーマン・カズンズ)毎日新聞社
- 『対談・太陽と大地 開拓の曲―ブラジル移住八十年の庶民史』(共著:児玉良一)第三文明社
- 『大いなる魂の詩』(共著:チンギス・アイトマートフ)読売新聞社
- 『「宇宙」と「人間」のロマンを語る―天文学と仏教の対話』(共著:チャンドラ・ウィックラマシンゲ)毎日新聞社
- 『科学と宗教』(共著:アナトーリ・A・ログノフ)潮出版社
- 『21世紀の人権を語る』(共著:アウストレジェジロ・デ・アタイデ)潮出版社
- 『平和への選択』(共著:ヨハン・ガルトゥング)毎日新聞社
- 『20世紀の精神の教訓(上・下)』(共著:ミハイル・ゴルバチョフ)潮出版社
- 『波瀾万丈のナポレオン』(共著:フィリップ・モワンヌ他)潮出版社
- 『太平洋の旭日』(共著:パトリシオ・エイルウィン)河出書房新社
- 『旭日の世紀を求めて―探求一個燦爛的世紀』(共著:金庸)潮出版社
- 『子どもの世界―対談 青少年に贈る哲学』(共著:アルベリト・A・リハーノフ)第三文明社
- 『美しき獅子の魂―日本とブルガリア』(共著:アクシニア・ジュロヴァ)東洋哲学研究所
- 『健康と人生―生老病死を語る』(共著:ルネ・シマー、ギー・ブルジョ)潮出版社
- 『21世紀への選択』(共著:マジッド・テヘラニアン)潮出版社
- 『カリブの太陽 正義の詩―「キューバの使徒ホセ・マルティ」を語る』(共著:シンティオ・ヴィティエール)潮出版社
- 『希望の選択』(共著:デイビッド・クリーガー)河出書房新社
- 『新しき人類を新しき世界を―教育と社会を語る』(共著:ヴィクトル・A・サドーヴニチィ)潮出版社
- 『東洋の智慧を語る』(共著:季羨林、蒋忠新)東洋哲学研究所
- 『東洋の哲学を語る』(共著:ロケッシュ・チャンドラ)第三文明社
- 『希望の世界へ―宝の架け橋』(共著:趙文富)徳間書店
- 『地球対談 輝く女性の世紀へ』(共著:ヘイゼル・ヘンダーソン)主婦の友社
- 『学は光―文明と教育の未来を語る』(共著:ヴィクトル・A・サドーヴニチィ)潮出版社
- 『宇宙と地球と人間』(共著:アレクサンドル・セレブロフ)潮出版社
- 『人間と文化の虹の架け橋』(共著:趙文富)徳間書店
- 『インドの精神―仏教とヒンズー教』(共著:ベッド・P・ナンダ)東洋哲学研究所
- 『人間主義の大世紀を―わが人生を飾れ』(共著:ジョン・ケネス・ガルブレイス)潮出版社
- 『見つめあう西と東―人間革命と地球革命』(共著:リカルド・ディエス=ホフライトネル)第三文明社
- 『「平和の文化」の輝く世紀へ!』(共著:エリース・ボールディング)潮出版社
- 『「緑の革命」と「心の革命」』(共著:モンコンブ・スワミナサン)潮出版社
- 『地球平和への探求』(共著:ジョセフ・ロートブラット)潮出版社
- 『美しき生命 地球と生きる 哲人ソローとエマソンを語る』(共著:ロナルド・ボスコ、ジョエル・マイアソン)毎日新聞社
- 『対話の文明―平和の希望哲学を語る』(共著:ドゥ・ウェイミン)第三文明社
- 『人間主義の旗を――人間性・慈悲・寛容』(共著:フェリックス・ウンガー)東洋哲学研究所
- 『今日の世界 明日の世界 新たな平和のシルクロード』(共著:ヌール・ヤーマン)河出書房新社
- 『友情の大草原 モンゴルと日本の語らい』(共著:ドジョーギーン・ツェデブ)潮出版社
- 『21世紀の平和と宗教を語る』(共著:ハービー・コックス)潮出版社
- 『人道の世紀へ―ガンジーとインドの哲学を語る』(共著:ニーラカンタ・ラダクリシュナン)第三文明社
- 『文化と芸術の旅路』(共著:饒宗頤、孫立川)潮出版社
--知の分類 2009年2月13日 (金) 18:20 (UTC)
チェックしたところ特に問題がないようですので、本文に書き込みさせて頂きました。--Pass Lab 2009年2月14日 (土) 13:32 (UTC)
外部リンクについて
Papimaruさんによって外部リンクの一つに付け加えられた矢野絢也氏の手記は、現在係争中の名誉毀損裁判(本年6月、元国会議員3人が、矢野氏が出版した著書「闇の流れ 矢野絢也メモ」「黒い手帖」に記載された虚偽の記述で名誉を毀損されたとして、発行元の講談社と矢野らを相手に6600万円の損害賠償と謝罪広告の掲載、販売差し止め等を求めて東京地裁に提訴)で焦点となっている「手帖」についての記述が多くを占めており、法的問題が懸念されます。また、この「手帖」の問題は、そもそも池田大作氏本人とは無関係であり、外部リンクに掲載するにふさわしくないと考えます。したがって、削除させていただきました。 --ナミー 2009年10月5日 (月) 6:51 (UTC)
家族について
池田大作金脈の研究 野田峯雄 三一書房によると 父の子之吉は次男、母は多摩川沿いの古市場(現・大田区矢口3丁目)の農家の娘で旧姓小宮一 両親が結婚したのは1915年 池田一は1976年9月4日に死亡享年80歳 池田増雄は1987年一月に死亡 太作には兄が四人(喜一、増雄、開造、清信)、姉が一人(とよ子)、弟が三人(栄一、隆市、正利)、妹が一人(いね子)
週刊読売1976年10月30日号P127よると(職業役職などは記事が書かれた時点) 祖父・池田五右衛門、祖母・さく 父・子之吉、母・一 長男・池田喜一ビルマで戦死 次男・池田増雄 増美屋総本店代表 三男・小宮開造 阿部商会常務 四男・池田清信 錦洋工業社長 長女・池田とよ子 国立第一病院看護婦 五男・池田大作 六男・池田栄一 トビ職 七男・池田隆市 東和工業勤務 八男・池田正利 増美屋 次女・山越いね子 112.71.6.69 2010年2月14日 (日) 21:53 (UTC)
顕彰について
先日ノーザン123さんから私が削除した行為が荒らしであると忠告を受けました。
ノートで議論せずに削除したことは謝罪します。
問題個所
このことについて、池田や創価学会を親中派に取り込み、日本の世論形成に影響を与えようと画策している中国政府の意向が働いているという指摘もある[54]。近年は外国の大学[55]より「名誉博士号」を授与されることが多いが、日本の大学からは創価大学を除き、授与されていない[56]。日本では静岡県の富士宮市の名誉市民となっている他、第2代会長、戸田城聖の故郷の北海道の厚田村(現「石狩市」)から「栄誉村民章」(1977年)を授与されている[57]。
なぜ私が上記の文を削除したのかその理由を述べさせていただきます。
1.参考資料となっている『SAPIO』の記事内容をネットで確認したところ、証拠となっている実例がいま一つ掴めず、伝聞や憶測によって書かれていると感じられた。http://www.ac.auone-net.jp/~oknehira/UgomekuChugokuTainichiTokumuKousaku.html
2.この記事が掲載されている『SAPIO』の本文をネット版で読むことができなかったので、誰でも容易に検証可能とは言い難い。
3.大学が贈る名誉教授号の選定はその大学の判断で行われるものであるが、上記のような記述だと中国の大学の名誉教授号の選定は国家や政府が関与しているという。これでは中国の大学は国家の意向に沿って動くという憶測を生み、中国の大学を侮辱しているように感じた。
以上の理由から私は上記の個所を削除しました。 失礼しました。最果て 2010年10月4日 (月) 10:05 (UTC)
失礼します。一週間経ても異論が出なかったため問題の個所を一部削除しました。失礼しました。最果て 2010年10月11日 (月) 10:47 (UTC)
連絡が遅くなりました。そういった経緯であれば削除はやむを得ないでしょう。ただ一週間での削除は早過ぎる。最低2週間から一カ月は要すべきであったと言いたい
ただし中国にある大学は国が設立した国立大学ですから名誉教授号の選定は国家や政府が関与しているという指摘はあって当然です。これは中国だけではなくどこの国の国立大学でも言える事です。中国については先日の尖閣諸島問題においての中国側の対応や釈放された中国人船長の言動、対日問題や対台湾路線、チベット問題、google問題、ノーベル賞受賞者や選定した委員会へのあからさまな圧力のかけ方など社会主義国家故抱えている問題の根底から言えばこの程度の問題で中国の大学を侮辱したとは思えません。最果てさんのあげた3点のうち私が納得できるのは2のみである事。問題を重要視し削除に納得した事を申し上げたい。--ノーザン123 2010年10月16日 (土) 13:22 (UTC)
今回、不適切と思える部分を修正し再掲載しました。--ノーザン123 2010年10月17日 (日) 09:41 (UTC)
返信ありがとうございます、ノーザン123さんが削除に納得したことに礼を述べさせて頂きます。しかし、一部の意見に対して私は思うところがありますので、今からそれを述べさせて頂きます。
私が削除した箇所は名誉棄損に当たる可能性がありましたので即刻削除に当たると考えていました。しかし、即刻削除しては編集合戦になる恐れがありましたので間を取って1週間待ちました。
そして、「社会主義国家が抱えているからこの程度の問題で中国の大学を侮辱したとは思えません」と書いておりますが私は2つの理由からそう思えません。
1つ目は国立大学の立ち位置です。国立大学が名誉教授を選定する場合、その国にとって害ある存在に対する授与は国が「待った」をかけると思いますが、あくまでその程度であり、国や政府が特定の人物に授与する命令を出すことは考え難いです。
これは私の偏見ですが、もし中国が創価学会を取り込んで世論を誘導しようとするならば。国家勲章を授けたり、例外的に一部の地域で布教を認めたりする方がずっと効果があるように思え、大学の名誉教授で取り込む策はいささか迂遠すぎるように感じられます。
2つ目。中国がいかなる社会的問題を孕んでいようともそれはそれであり、明確な証拠がない限り灰色を黒だと断ずることはwikipediaにおいて避けるべきだと思います。
ですので私は「指摘される理由の一つとして中国の大学はすべて政府や共産党の指導下、指揮下にあり、通常大学で認められている自治や自主的な活動に制限がかかっているためと言われている」の個所を訂正・削除したいのですがいかがでしょうか。
失礼しました。最果て 2010年10月18日 (月) 11:23 (UTC)
失礼します。
よく考えましたらノーザン123さんは削除した理由に納得しています。
しかし、先日ノーザン123さんが加筆した個所はその削除となった個所です。いったいどこが不適切なのか、その辺りの説明がされていないように感じました。
こういう批判に値する記事は慎重に慎重を重ねる必要があります。
ゆえに、この問題の個所はノートで合意が得られるまで一旦保留とさせていただきます。
失礼しました。最果て 2010年10月19日 (火) 11:50 (UTC)
保留については了承する。私の偏見を述べさせてもらえれば「指摘される理由の一つとして中国の大学はすべて政府や共産党の指導下、指揮下にあり、通常大学で認められている自治や自主的な活動に制限がかかっているためと言われている」は私自身や友人等周りの実体験であること。池田氏が中国や(CIAなどの)他国のエージェントであり、創価学会はエージェントのための団体になってしまったのではないかという仮説(フランクシナトラや正力松太郎(当時の日本テレビ)は有名であり池田氏ほどの大物であればCIAやSIS等どこかの国のエージェントであってもおかしくはない、一部雑誌で同氏のフリーメーソン説も存在したほどです。原爆に対する認識や発言のぶれはその典型的例)また中国が創価学会を取り込んで世論を誘導しようとするのではなく創価学会が中国での布教を認めさせたいのではないか(現在は活動自体禁止)という思惑があるのではという3点です
ただこの件についてノートで合意を得るのは非常に難しいでしょうし本来この項目は池田大作と関係があるのかというところから議論をスタートしたい--ノーザン123 2010年10月19日 (火) 21:39 (UTC)
返信ありがとうございます。
まずはノーザン123さんが抱いている考えに対して意見を述べさせて頂きます。
1つ目。実体験は独自研究の類に当たると考え、wikipediaの法則に反しているように思えます。
2つ目。「どこかの国のエージェントであってもおかしくない」と申しておりますがそれらは風評・憶測です。もしよろしければ検証のためにその記事のサイトを貼り付けてくだされば幸いにと思います。
3つ目。著書「池田大作の軌跡」に池田氏自身が中国での折伏を否定していました。
本題に入ります。この顕彰という項目と池田氏自身の関係ですが、私の考えから言わせて頂きますと大いに意味があるように思えます。何故なら、顕彰・表彰というのは団体がとある人物の功績を称えるものであり、池田氏は299大学と600もの市や州からその功績を認められています。顕彰という項目はその人物の評価に入りますから私としましては載せるべきだと考えます。
失礼しました。最果て 2010年10月20日 (水) 08:25 (UTC)
議論の途中失礼します。一つ審議したい個所がありましたので今から述べさせて頂きます。
「近年はモスクワ大学、グラスゴー大学等より「名誉博士号」を授与されることが多いが、日本の大学からは池田自身が設立した創価大学を除き、授与されていない」
の文なのですが、何故池田氏は日本の大学から名誉教授号を授与されていない理由を述べられていません。
ですので、私は上記の個所に一文「日本での名誉教授の授与は法律の基準に基づいているので日本の大学からは池田自身が設立した創価大学を除き、授与されていない」
と追加したいのですがいかがでしょうか。
失礼しました。最果て 2010年10月30日 (土) 04:28 (UTC)
失礼します。相当の日数を経ても異論がないことから10月30日付の提案を本文に記載します。最果て 2010年11月13日 (土) 13:32 (UTC)
どうせなら教育基本法106条の問題と入れたほうがよかったのでは・・・。調べたところわかりましたので文章をすでに追記済です--ノーザン123 2010年11月22日 (月) 21:47 (UTC)
評価・批判について
失礼します。先刻池田氏についての記述を拝読していましたが、ノーザン123さんが削除、追加した個所の理由について違和感を覚えました。よって私はそれらの記事を保留とし、合意されてから掲載することを提案します。
まず始めに削除した個所に対する私の考えです。
ノーザン123さんは削除理由として「機関紙は中立的ではない」と挙げられていました。ここで私が疑問に感じましたのは一体誰が参考文献を中立かどうかを判断するのでしょうか。私としましては単に参考文献が中立的でない理由で削除というのはやりすぎではないかと考えます。wikipediaが参考文献として認められる例は誰にでも検証可能でかつ絶対的で疑いのないものです。一つの情報源からですので疑いのないものとは言い切れませんが、この記--アンジェリーナ 2010年11月25日 (木) 12:14 (UTC)事は話した言葉のみを載せており、かつ名指しされた本人からも抗議が上がっていない以上ある程度の信頼性があると考えます。よってノーザン123さんが削除した個所は差し戻すのが妥当と考えますがいかがでしょうか。
次に追加した個所に対する私の考えです。
もしこの本の内容が事実でしたら池田氏は告訴されてもおかしくないと考えています。ネットでこの本の詳細を調べた所、かなり日本の法律に触れている行為を池田氏がしたように書かれています。ですが、この本の内容によって実際に池田氏が捕まった例はありません。池田氏が告発されて起訴された事例があったでしょうか。著者がアンチ創価学会であり、ジャーナリストとしての資格も問われていたことを差し引いても私はこの本の信憑性はかなり低いと考えるのですがいかがでしょうか。
結論
はっきり言いましてノーザン123さんが削除、追加した理由には矛盾が生じています。一方では中立的ではないという理由で評価を削除したのにも関わらず、もう一方では中立的とは言い難いアンチ創価学会側の記事を追加しました。どちらか一方にしてほしいというのが私の願いです。
そして、蛇足になりますが議論が終わったのならば何か一文を載せることをお薦めします。ノーザン123さんが「顕彰の項目に意義があるのか」と定義しておきながら何も言わずに議論から降りるのは社会人的に褒められた行為ではないということを忠告しておきます。失礼しました。最果て 2010年11月22日 (月) 08:13 (UTC)
通常、記事を載せるにあたりその人物や団体が所属もしくは関与している物の証言を載せるのはふさわしくないと考えるのが妥当です。 今回は創価学会名誉会長池田大作氏の評価や批判であるならば関連している創価学会や学会関係の出版物、また創価学会を脱会した人間の証言を記載するのは中立ではないためふさわしくないと考えます 最果てさんが「この記事は話した言葉のみを載せており、かつ名指しされた本人からも抗議が上がっていない以上ある程度の信頼性があると考えます」と仰っていますが文献として挙がっている聖教新聞は創価学会の出版部門であり創価学会WIKI、聖教新聞社WIKIにも出版部門と記載があります。池田大作氏のwikiにおいて名誉会長を務めている創価学会の出版部門が情報源というのであればその中身の信頼性は通常より低く中立ではないという考えや意見が正しい(中立でないという見方をされても仕方が無い)と思います。それは裁判において身内の証言が証拠として採用されないのと同じ事です。スポーツにおけるホームタウンディシジョンではありませんが身内に対してはどうしても甘くなり良い内容が掲載されやすい傾向はどうしても起きると考えます。そもそも人間の評価という流動しやすい内容の情報源とは本当に中立な立場の物からのみ算出するべきではないでしょうか?(例として共産党志位委員長に対する赤旗の評価、大川隆法氏に対する幸福の科学および幸福の科学の出版部門からの評価、読売新聞社日本テレビ系列が出版する雑誌等における正力松太郎氏や渡邉恒夫氏等首脳陣に対する評価、大学の出版物における大学教授や大学創設者に対する評価等は一切WIKIに記載はありません) 逆に蘇歩青氏や石井英朗氏の内容が例えばアメリカの「タイム」誌や「ザ・サン」、聖教新聞以外の新聞各紙や政府広報等創価学会と無縁のものに掲載されていたものであればWIKIに掲載するのに何の問題、支障ももないでしょう(冬柴元大臣の評価を削除しなかったのは掲載元が政府広報であった事が原因)。また聖教新聞が創価学会関係以外の無関係な題材のwikiの情報源(例えば自民党関係や中国関係の情報源)として提示することについては問題ありません
また最果てさんが「一つの情報源からですので疑いのないものとは言い切れませんが」と仰っていますが「一つの情報源」であるからこそ中立的な雑誌の記載記事が必須ではないでしょうか?故に再掲載された聖教新聞が文献となった評価はもう一度削除いたします。再掲載をする際は聖教新聞、第三文明、潮以外(創価学会以外)の情報源の提出をお願い致します。
次に藤原行正氏の記述に対する問題ですが最果てさんは同氏の著書の内容云々を言われていますが私も調べたところ藤原氏が創価学会を脱会した人間である事がわかり中立的観点からして詳細の掲載は好ましくなく本文の削除は妥当と考えます。この件の議論はこれまで
それとは離れますが池田氏のWIKIを確認していましたが元より評価・批判という項目自体がが必要なのかと私は考え評価・批判という項目自体を削除したほうが良いのではないではと考えました
評価・批判という項目が不要と考える理由
- そもそも評価や批判というものは少なからず個人的な感情が入っており中立とは言い難い部分がある事
- 池田氏が現在存命中である事
- 他の宗教関係者は評価・批判という項目の存在が無い事
- 創価学会員の方々は評価の部分を、アンチ創価の方々は批判という項目を編集し編集合戦や論争に発展する可能性がある事
この4点を踏まえて評価・批判という項目の削除について追加議論していきたいと思います--ノーザン123 2010年11月22日 (月) 21:39 (UTC)--ノーザン123 2010年11月22日 (月) 22:01 (UTC)--ノーザン123 2010年11月22日 (月) 23:38 (UTC)
ノーザン123さん返信ありがとうございます。あなたの意見を拝読しての意見を述べさせて頂きます。
まずは「聖教新聞等は学会系の機関紙なので中立性が低い」との意見ですが、私の言葉が足らなかったようです私が問題に挙げているのはwikipediaに載せた記事を削除する理由が単に~から出版されたからというのはあまりに脆弱すぎるのではないかということです。真実か嘘かを見分けるには5W1H{Who(誰が) What(何を) When(いつ) Where(どこで) Why(どうして)How(どのように)}が満たされているかどうかであり、今回の聖教新聞からの記事はそれら条件が満たされているので載せても問題はないかと考えます。
もしノーザン123さんの意見を丸呑みした場合、たとえ記事の内容が真実であっても「信者系だから、またはアンチ系だから」という理由で削除出来る前例を与えてしまうことになりかねません。
ですので、私は載せるべきだと考えます。
次に藤原行正氏の記述に対する問題ですが、認めてくれてありがとうございました。礼を述べます。
最後に評価・批判についての削除議論についてです。
編集合戦になる恐れがあるならば両方削除しても構いませんが、あえて意見を述べさせてもらえれば名誉毀損に触れる可能性を考慮し、削除するのは批判の記事だけで評価は残しても別に問題はないかと考えます。
しかし、この追加議題は長年に渡って定着してきた箇所ですのでノーザン123さんと私の二人だけでなくもっと多くの方の意見を伺い、そして削除には最低でも1ヶ月の猶予期間を設けるべきだと考えますがいかがでしょうか。
失礼しました。最果て 2010年11月23日 (火) 08:23 (UTC)
この追加議題は長年に渡って定着してきた箇所ですのでノーザン123さんと私の二人だけでなくもっと多くの方の意見を伺い、そして削除には最低でも1ヶ月の猶予期間を設けるべきだと考えますがいかがでしょうか。
この意見はOKですが、私の意見は
『評価と批判ともに掲載』、または『評価と批判ともに削除』のどちらかのみ認めたいと思います。片方のみ残す事は後々の禍根(結果編集合戦の可能性も非常に高くなりえる)を残しかねないため避けたほうがよいでしょう。元々この項目も最初から掲載されていたわけではなく途中で追記されたようです。また批判も評価もともに参考文献があり掲載する事で名誉毀損に触れる可能性はないと考えます
また参考までに創価学会の戸田城聖、牧口富三郎、他団体の大川隆法、麻原彰晃等の宗教関係者のほとんどに評価、批判という項目が設けられていない事(池田大作のみ項目がある事は不自然)も私が削除理由としていることに十分に考慮頂きたいと思う。
最果てさんが問題に挙げているwikipediaに載せた記事を削除する理由が単に~から出版されたからというのはあまりに脆弱すぎるのではないかということです。真実か嘘かを見分けるには5W1H{Who(誰が) What(何を) When(いつ) Where(どこで) Why(どうして)How(どのように)}が満たされているかどうかであり、今回の聖教新聞からの記事はそれら条件が満たされているので載せても問題はないかと考えます という意見は全くもっておかしい
池田大作のwikipediaに聖教新聞から出版されたからというため削除理由となるのはwikipedia中立的観点からは削除理由として不自然ではなく問題ではない。他のwikipedia(人物のwikipedia)では関連企業等の評価は一切記載されていないのもwikipediaの現状です。仮に最果て氏の言うとおり系列の出版社の内容をすべて認めて掲載すればwikipediaはその団体のプロバガンダに成り下がります。それでは意味がありません。故に池田大作氏のwikiにおいて同氏が名誉会長を務めている創価学会の出版部門が情報源というのであればその中身の信頼性は通常より低く中立ではないという考えやその内容を削除する私の考えに誤りはないと確信しています。是非削除にご理解を頂きたい。もちろん先ほども記載していますが創価学会以外の出版物から池田氏の評価を記入する事に全く問題はない事も記載致します
はっきり言えば創価学会名誉会長池田大作という人間の評価をするのに創価学会の出版部門である聖教新聞社の内容を載せるのはたとえ創価学会に無関係な人間だ下した評価であってもwikipediaに掲載するのは不適切であるそのため削除した。 またこの件も議題として管理者を含むもっと多くの方の意見を伺い最終結果としたいと思いますがいかがでしょうか?--ノーザン123 2010年11月23日 (火) 11:35 (UTC)
もう一つ追記しますと『評価』と『批判』の項目はともに2007年4月8日モトカル氏がノート等での合意なしで独自に掲載した事が始まりでありその後、論議されず半ば事後承認的に掲載されていたことが判明しましたのでお伝えいたします。また一部文章追加しました--ノーザン123 2010年11月23日 (火) 14:17 (UTC)
ノーザン123さん返信をありがとうございます。あなたがそういう根拠をお持ちなら次の記事についての見解を拝聴出来れば幸いにと感じます。
以下、wikipedia:中立的観点からの転載
「偏った意見を削除して良いか [編集]
中立性の観点のポリシーは、偏った見方から書かれた文章を削除する理由として持ち出されます。これは問題ではないでしょうか?
多くの場合、問題です。われわれの多くは、ある記述が偏った見方から書かれているという事実だけでは、その記述を即削除してしまう理由としては不十分だと考えます。もしもその記述が完全に妥当な情報を含んでいるなら、それを活かすべく編集されるべきで、削除されるべきではありません。」
そして、上記で説明した通りこの理由で削除を許すと沿革や憲章などに記載されている項目が軒並み削除対象になる可能性があるので私は反対です。
次に評価・批判の両方掲載か削除かについてですが、wikipediaは人物・出来事を好意的に書くのが一般的ですので普通は批判など載せません。ゆえに私は批判は削除し、そして評価は残しても問題はないと考えています。
最後に、モトカルさんがノートで議論せずに合意したと仰いますが、モトカルさんが議題を挙げたのは3年前まで遡りますので十分皆から認められていると判断しますがいかがでしょうか。
これは私の素朴な疑問なのですが、もしかしてノーザン123さんは機関紙を見下していませんか。あなたの言い分を拝読しますと記事の中身よりも発行元で真実を決めているような印象を受けるのですが。
私から言わせてもらいますと。wikipediaでは記事の発端がどのような文献であろうとも平等に審査される権利があると考えています。そして今回の場合、記事にはしっかりと5W1Hが記されていますので載せても問題はないかと考えていますがいかがでしょうか。
失礼しました最果て 2010年11月23日 (火) 15:30 (UTC)
わかりました。「私から言わせてもらいますと。wikipediaでは記事の発端がどのような文献であろうとも平等に審査される権利があると考えています。そして今回の場合、記事にはしっかりと5W1Hが記されていますので載せても問題はないかと考えていますがいかがでしょうか。」とありますがこれはwikipediaの判断ではなくあなた自身の判断であり個人的な意見と推測致します。仮にwikipediaの方針として同文章の記載があった場合は信頼度に乏しい自団体の機関誌も証拠として認めておるのであれば仕方がありません。すべてを戻すことにします
もちろん削除した藤原行正氏の発言も戻します。理由は藤原氏は自分の著書で中身を語っています。この事が創価学会と藤原氏との間で論争や係争になった事はありません。wikipediaにも係争したとはなく名誉棄損にも当たらないでしょう。むろん最果てさんがwikipediaでは記事の発端がどのような文献であろうとも平等に審査される権利があるというのであれば創価学会を脱会した人間の批判や評価もそのまま掲載すべきではないでしょうか?片方がOKで片方がNGというのはそれはwikipediaの方針ではなく貴殿のわがままでしかありません ただし貴殿が仰っている「機関紙を見下していませんか」という意見ですがそれは全くの間違いである。機関紙はどの機関紙も機関紙して十分にやっていると思いますし見下すつもりはありませんが自分の団体の内容を掲載した機関紙の本文をwikipediaにの掲載するのは5W1Hが記されていても中立的とは言えずwikipediaにはふさわしくないからです。何度も言っていますが創価学会関連以外の項目で聖教新聞の内容がwikipediaに掲載されることに問題はありません。ではお尋ねしますが仮に共産党のwikipediaに対し機関紙の赤旗が記載した内容をwikipediaに記載する事に問題はないとお考えですか?私はNGと考えますが(これについてはお答えください)
あなたの言動を見ているとあたかも創価学会員が池田氏を保護するかのような言動をしているようにしか見えません。それでは中立とは言えないでしょう 評価、批判削除の件は3年が経過しているため評価・批判ともに承認されていると認められるため事実、評価、批判削除の件取り下げとしは現状のまま。記事も一度11/18 21時34分の状態へ差し戻しとします。
今後の論点は 1.創価学会の機関紙に掲載されている人物の評価を創価学会関連wikipediaの評価に載せることは適切か否か?この一点に絞って広く周りに問いたいと思います。別項として再掲載を予定していますがいかがですか? --ノーザン123 2010年11月23日 (火) 21:10 (UTC)
少し冷静になりましょうノーザン123さん。あなたの発言は論理的に記事の正当性を主張しているのではなく感情的に個人を攻撃しているように見えます。私としてはあなたに謝罪と上記の文の削除を求めたいところですが議論を円滑に進めるため不問とします。しかし、私はあなたの発言に対して怒りと呆れの感情を抱いていることを申しておきます。
では、本題に入りましょう。
私は確かに「どのような情報源であれ平等に審査される権利がある」と申しましたが、あなたはそれを拡大解釈しています。私の言い分はどのような情報源であれノートで審査される権利があると言うことです。誰が記事をそのまま本文に載せる権利があると言いましたか。本文に載せる前にノートで議論するのがwikipediaです。そこを間違えてはいけません。そうでないとノーザン123さんが仰る通りwikipediaは単なるプロパガンダに成り下がってしまいます。もしその記事が原因で訴えられたらどうするのですか。wikipediaプロジェクトを頓挫した責任をあなたが取ってくれるのですか。今後はどのような記事であれまずノートで議題を定義してから本文に載せることを忠告します。よってあなたが掲載した個所を削除します。異論があれば新しい項目を立てましたのでそこで議論してから載せましょう。
次に、学会系の出版だから中立的とは言えないという発言に関して意見します。
確かに身内の者の発言を載せるのは問題です。例えば戸田城聖氏が牧口常三郎氏称賛したり共産党員の幹部が共産党を褒め称えるのは問題でしょう。何故なら関係者ですから。しかし、今回の場合は創価学会と関係のない中国の知識人が池田氏を褒め称え、それを聖教新聞等学会関係から出版されたにすぎません。前者と後者では明らかな違いがあることをお分かりでしょう。だから私は載せても問題はないと申しているのです。
最後に他の人物に評価・批判は載せていないと申していますが。ノートで議題に挙げて議論されれば載せても良いのではないかと考えています。wikipediaはまだまだ発展途上です。あなたや私、そして多くの方々の意見によって構成されていく過程にあります。そこで「他の人物はこうだから」という理由で削除するのはおかしいと考えます。もちろんwikipediaの原則を守っているという前提の上でですが。
本文に載せる前にまずノートで議論を。私はそれをノーザン123さんに進言します。
失礼しました。最果て 2010年11月24日 (水) 06:52 (UTC)
ちょっとよろしいでしょうか?中立的に見てノーザン123さんは少し冷静になったほうがよいと思います。「あなたの言動を見ているとあたかも創価学会員が池田氏を保護するかのような言動をしているようにしか見えません」の発言は行き過ぎですよ。学会員の中にも池田体制を批判している人間はいますから。個人攻撃とも取れる発言は以後慎んでください
最果てさんあなたが仰っていることも道筋を外しています。文章を最初から確認したところノーザン123さんは中国人が池田氏を賞賛したことに異を唱えているのではなく「創価学会名誉会長池田大作という人間の評価をするのに創価学会の出版部門である聖教新聞社の内容を載せるのはたとえ創価学会に無関係な人間が下した評価であってもwikipediaに掲載するのは不適切である」と異を唱えています。また「聖教新聞以外の新聞各紙や政府広報等創価学会と無縁のものに掲載されていたものであればWIKIに掲載するのに何の問題、支障もないでしょう」、wikipediaが掲載を認めるのなら認めるとも答えています。
最果てさん「本文に載せる前にノートで議論するのがwikipediaです」って言ってもそのほとんどが議論されずにほとんどの物が皆が勝手に編集するから仕方が無いといえば仕方が無い。いたちごっこかもしれませんが現状では行過ぎた部分を削除する事までで限界ではないですかね。
話は変わりますがノーザン123さんの言っている機関紙の信頼性の無さは一理あると思います。それは元々機関紙はその団体にとって都合の良い事しか記載せず都合の悪いことは決して掲載しないという風潮があり、特に宗教系の機関紙は宗教団体の意図や指示が絡んでくるケースがほとんどです。実際聖教新聞も例外ではなく日蓮正宗との裁判や敗訴した内容はまったく掲載していないし学会にとって都合の悪いことも紙面では掲載しないこれでは中立ではなく意図や指示が絡んでくると疑われても仕方が無い。さらには聖教新聞社が創価学会から完全に独立していないということも中立性を疑われるひとつだと思います。故に私もいくら内容が5W1Hを備えていても中立性を疑われやすい機関紙の内容では逆に信頼性が損なわれ、さらに今回のように人の考え方によって中身がいくらでも変わる評価の問題であれば機関紙をwikipediaの文献として掲載するのはふさわしくないと考えます。
本来であれば機関紙と全く無関係なの雑誌から抽出したデータのみ掲載するのがwikipediaとしての筋道と考えます ノーザン123さん、最果てさんお二人にひとつ提案ですが 今回の件はwikipediaの管理者に一任し管理者が決めた内容に従うということでどうでしょうか?無論管理者も複数人の判断を必要としますが管理人が削除と判断を下せば削除、継続と判断を下せば継続ということでいかがですか? --アンジェリーナ 2010年11月25日 (木) 12:14 (UTC)
アンジェリーナさんご提案ありがとうございます。確かに私も熱くなってしまい、冷静な視点に立てていなかったと反省しています。私はアンジェリーナさんの提案に全面的に賛同し、管理者の決定に従うことにします。
アンジェリーナさん、賢明なご提案をありがとうございました。最果て 2010年11月25日 (木) 14:59 (UTC)
私は管理者ではないので誤解を避けるため前もって申し上げますが世間一般から見たら創価学会も池田大作も聖教新聞も全て創価学会というひとつのカテゴリーとして同じものとして見ているのが現状です。最果てさんが以前仰った 1.戸田城聖氏が牧口常三郎氏称賛したり共産党員の幹部が共産党を褒め称える事 2.創価学会と関係のない中国の知識人が池田氏を褒め称え、それを聖教新聞等学会関係から出版された事 ですが1と2は厳密に言えば違うかもしれません。見方によっては2が池田大作、創価学会、聖教新聞創価学会というひとつのカテゴリーでくくることができるため1と同じだという方もいるでしょう。 さらにはwikipediaを見る人が必ず物事に詳しい人ではありません。人の捉え方では同じものとして見えるかもしれません そういった理由から私も機関紙の内容を参考としたwikipediaへの掲載はモラルとしてふさわしくないと思いますし個人の観想ですが機関紙の内容を掲載した方の行為は非常に残念である。 削除も問題になっていますが記載されている中身を見てどのような感想を抱くかは見る人によって違いますので記事の内容は削除不要と思います。 ただし同様の内容(機関紙の参考とした記事の掲載)が多発した場合は改めて削除審議を行い全て削除へと持っていけばよいと思います --118.103.16.130 2010年11月27日 (土) 09:22 (UTC)
アンジェリーナさんありがとうございます。確かに熱くなりすぎました。以後気をつけます。私も最果てさんと同様にアンジェリーナさんの提案に賛成します。 第三者のアンジェリーナさん、118.103.16.130さんの意見が機関紙をwikipediaの文献として掲載するのはふさわしくないという私の意見に賛同頂いたことは非常に感謝します。--ノーザン123 2010年11月27日 (土) 13:19 (UTC)
評価・批判についての削除議論について一つ提案します。現在【評価・批判】に記載されている内容をそのまま【評価】として統合するのはどうでしょうか?評価はプラスの評価とマイナスの評価がともにあってこそ意味をなすものではないですか。管理者判断される時にはこの意見も参考にしていただけるとありがたいです--ノーザン123 2010年11月27日 (土) 13:32 (UTC)
藤原氏の記述について
上記の議題において提案しましたので一応挙げておきます。私は、この記事は名誉棄損に該当する恐れがありますので載せるべきではないと考えています。
失礼しました。最果て 2010年11月24日 (水) 07:16 (UTC)
名誉棄損に該当する恐れがありますので載せるべきではないという意見ですが 削除した記事を確認しましたが名誉毀損の部分はないと思います。どの部分が名誉毀損にあたりますか? もともと出展元が担保されているものであり また『池田大作の素顔』は古本屋で売っています。買おうと思えばネットでも買えます。著書は発禁処分されてはいないし創価学会や池田大作が著者の藤原氏、本を販売した出版社に対し名誉毀損で訴訟をしていないのであれば、「該当する恐れがありますので載せるべきではない」というのは最果てさんの提案や記事の削除は「疑わしきは罰せず」という方針から誤った提案ではないでしょうか。記事は再掲載して問題ないと思います。 --118.103.16.130 2010年11月27日 (土) 09:42 (UTC)
名誉毀損になるのかは、以下のようなことがポイントがなります。
- 事実の公共性
公共の利害に関する事実なのか、どうか
- 目的の公益性
もっぱら公益を図る目的でなされたものなのか
- 事実の真実性
摘示された事実が真実であることが証明された、あるいは行為者においてその事実を真実と信ずるについて相当の理由がある
書かれたこと、言われたことが、公共性がなく、公益を図る目的もなく、真実であれば名誉毀損になる可能性があります。
ただし不法行為(名誉棄損)の消滅時効というものもあり 不法行為の消滅時効は、不法行為の損害および相手(加害者)を知ったときから3年、不法行為のときから20年です。不法行為の損害および相手(加害者)を知らなければ、3年の消滅時効にはかかりませんが、不法行為の損害および相手(加害者)を知らなくても、不法行為のときから20年で、消滅時効になります。
今回の件ですが元となっている題材『池田大作の素顔』が仮に不法行為であったとしても発売から20年以上経過してます。創価学会や池田大作が著者の藤原氏、本を販売した出版社に対し名誉毀損で訴訟をしていないのであれば3年の消滅時効にあたり 仮に相手が知らなかったととしても20年が経過、すでに時効が成立しています。
さらに名誉棄損裁判の判例を出しますと あるラーメン・チェーンの運営会社がカルト集団であるかのような書き込みをネット上で行い、都内の会社員が名誉毀損罪に問われた裁判で2008年2月29日、東京地裁の裁判長が「名誉毀損には当たらない」と無罪判決を出しています。
無罪判決の主旨をひと言でいえば、ネット上では「よく調べずウソを書き込んだ」のでない限り無罪ということです。
今回私が掲載した内容はすべて藤原行正著『池田大作の素顔』から引用しています。発売から20年以上経過しているための時効や創価学会や池田大作が著者の藤原氏、本を販売した出版社に対し名誉毀損で訴訟をしていない事を確認した上で掲載した。是非再掲載を願います。 問題になるなら勝手に「カルト」や意味不明な罵詈雑言を記入したユーザーの方がもっと深刻かと思います
掲載できないなら理由を頂けるとありがたいです--ノーザン123 2010年11月28日 (日) 01:13 (UTC)
ノーザン123さん返信をありがとうございます。
掲載できない理由ですか……私はこの本を情報源とすることに疑問を持っているからです。
1、もし池田氏が本当に亡き戸田氏の遺産を掠め取ったのならこれは明らかに窃盗罪であり、刑事訴訟は免れません。しかし、実際はそのようなことがなく刑事どころか民事さえも訴訟が起きていません。
2、5W1Hが記載されていないからです。どの場所で行われ、誰が証言したのか、そしていつ行われたのかが曖昧だからです。
3、藤原氏はこの本の出版にあたってきちんとした裏付けを取れていません。これら証言の情報源は全てアンチ創価学会側からであり、反証である創価学会側への取材を行っていないことを考え、正当な手続きを得て執筆したとは言い難いからです。
以上の理由からです。失礼しました。最果て 2010年11月28日 (日) 03:27 (UTC)
- 私は名誉毀損には当たらないと思います。むしろこういった真実こそ載せて周知徹底すべきだと考えます。--くれたけ 2012年1月14日 (土) 13:27 (UTC)
内容が難しい
失礼します。議題が挙がりましたのでここで議論したいと思います。
「学校教育法106条 大学は、当該大学に学長、副学長、学部長、教授、准教授又は講師として勤務した者であって、教育上又は研究上特に功績のあった者に対し、当該大学の定めるところにより、名誉教授の称号を授与することができる。大学からは池田自身が設立したを除き、授与されておらず他の国内大学で基準を満たしている大学はないため」
という文章を削除しました。
理由は内容が複雑でしたので最低限の記述のみで済まそうと考えたからです。
理由 教育法第106条によって
結果 池田氏が日本の大学から授与されない
だけで十分だと感じています。教育法云々についてはwikipediaのそのページで記載されているわけですから、わざわざ池田氏のページで詳しく説明する必要はないと考えますがいかがでしょうか。
そして、次に削除した箇所ですが。
「その他、日本国内の団体から顕彰された例として、2010年9月11日にweb専門紙のやや日刊カルト新聞から学術称号「ドクター・アウェー」を授与されているやや日刊カルト新聞 創価学会・池田大作氏に、やや日刊カルト新聞が学術称号 2010年9月11日] しかし、理由は不明だが聖教新聞などの創価学会系のメディアでは報じられることはなかった。」
の文章。まず私の率直な感想を述べます。
発行元であるやや日刊カルト紙は国が定める学術機関の条件を満たしていませんので「ドクター・アウェー」は学術称号でありませんし、紙面の発表のみで終わり授与式すら行われていません。このような称号を授与されたことを載せてどうするのですか。と、私は言いたいです。
以上の理由で私は上記の個所を削除しました。
失礼しました最果て 2011年1月15日 (土) 14:01 (UTC)
まず、最果てさんの内容に意見します。前者ですが、理由と結果だけでは不十分です。補足として条文を入れることが必要であると思います。。例として、参考書やビジネス本では補足の必要があるものはそのページや近隣のページに必ず内容の補足があります。またwikipediaではこういう編集の場合、引用として内容を組み込むことや該当ページへのリンクを張ることは必要不可欠と考えます。特に論争の激しい項目ではなおさら必要でしょう故に削除した場合、必ずリンクを張り直します。 次に後者ですがこれは私も聞いたことがないものですので判断はできません。中立的な批判かもわからないので削除もやむなしかと思います。 --ノーザン123 2011年1月15日 (土) 23:09 (UTC)
それともうひとつ、この条文の内容が記載されることは事実を伝えており何の問題もないことです。最果てさんの編集の場合ですと閲覧者の中には良く調べずに 学校基本法106条は「外国籍の人間には授与しない」や「宗教団体に関与した人間には授与しない」「国家が選定している」というデタラメな火種を起こす可能性を否定できません。特に『池田大作』『創価学会』はいろいろなデマや風説が未だに流れています。そういう憶測によるデマを産まないため、条文の表示もしくは条文へのあるURLへのリンクは必ず必要です。これは掲載されている本人にとっても利益のあることであると思いますが・・・--ノーザン123 2011年1月15日 (土) 23:46 (UTC)
ノーザン123さん返信をありがとうございます。
まず日刊カルトの記事は削除の方向で決めたいと思います。
次に補足として条文を入れることですが、それならリンクを張る程度で十分対処できると考えるのですがいかがでしょうか。確かにノーザン123さんの仰る通り無用な誤解を生む可能性がありますが、だからと言って条文を載せると他の文章全てに理由を載せる前例を作ってしまう懸念があります。そうなると記事の内容が難解になってしまい、読者にとって優しくなくなることも考えられます。よってノーザン123さんが出した一案「条文へのあるURLへのリンクは必ず必要です」で進めたいと考えます。
私の意見は以上です。失礼しました。最果て 2011年1月17日 (月) 07:28 (UTC)
本来は条文自体を載せるのが最善ですがURLへのリンクこれでいきましょう。リンク先はお任せしますが条文が全てのっているものが望ましいでしょう--ノーザン123 2011年1月23日 (日) 03:24 (UTC)
分かりました、それでは同じwikipediaのリンク先を貼り付けます。ありがとうございました。
最果て 2011年1月24日 (月) 16:12 (UTC)
池田大作次男の掲載について
池田大作次男の氏名やプロフィールが事細かに掲載されていますが次男は著書活動などを一切していないため氏名を伏せるのが一般的と考えます。また事実上一般人である次男の学歴を掲載するのはその団体のプロパガンダにあたるため以後禁止としますがどうでしょうか?ご意見をお待ちします。--ノーザン123 2011年5月1日 (日) 02:10 (UTC)
失礼します。
これは難しい問題だと考えます。確かに池田氏の次男は創価学会の観点から見れば部外者ですが、池田氏の観点からですと血縁上関係ないと言えません。ですので創価学会のページならともかく池田氏のページなら息子の実名を載せるべきだと考えるのですがいかがでしょうか。もちろん学歴等は池田氏と関係がないため削除に同意します。
失礼しました。最果て 2011年5月2日 (月) 01:01 (UTC)
- テンプレート部分に次男の名前が残っていましたので、一旦除去しました。次男が著名な活動を行っていない一般人であるのならば、Wikipedia:削除の方針#ケース B-2:プライバシー問題に関してにおける「著名人の記事で、著名活動をしていない家族の実名を含むもの。」に照らし合わせ、削除の必要があるかもしれません。--重陽 2011年5月3日 (火) 06:04 (UTC)
ご意見ありがとうございます。 難しい問題ですので複数の著名人wikipediaも参考のため確認しました。掲載があるケースでは
続柄で掲載しているケース:武豊(兄)田中真紀子(息子、娘)小泉純一郎(三男)
氏名を掲載しているケース:田中角栄(妹)
と分かれています。また、武田鉄矢やビートたけしなどのように親族が歌やドラマの題材になったことでB-2:プライバシー問題に関しての例外規定としてWikipediaに氏名が掲載されるケースもありました。しかし池田大作次男は例外規定には該当しないと判断し、実名掲載は避けたほうが賢明です。--ノーザン123 2011年5月7日 (土) 00:42 (UTC)
上記より3週間が経過しましたが意見がありませんでしたので池田大作次男の氏名やプロフィールの掲載禁止は賛同されたとみなします。以後、記述を発見した場合はこのノートによる同意事項違反として即削除します。意見のある方はノートでお待ちします--ノーザン123 2011年5月29日 (日) 12:29 (UTC)
カテゴリ創価大学の教員の追加について
Category:創価大学の教員を追加したものです。ノーザン123さんは池田大作は教員免許は取得しておらず、教授、教員としての在籍はなく削除とされましたが、私は池田大作が本文中に明記されている創価大学名誉教授であるならば、Category‐ノート:日本の高等教育の教員で議論された、Category:日本の高等教育の教員の定義を満たしていると考えます。それから、要約欄で「教員免許は取得しておらず」と書かれておられましたが、高等教育の教員は必ずしも教育職員免許状を必要としないと存じますが、これは何の事を指すのでしょうか。お聞かせ願いたい。--ワセダニアン4号 2011年6月6日 (月) 17:38 (UTC)
私は大学の名誉教授として考えるモノに対しては一般論として
- 名誉教授として大学内で講義、公演を行った場合は日本の高等教育の教員を満たしている
- 名誉教授ではあるが大学内で講義、公演を行っていない場合は日本の高等教育の教員を満たしていないと考えます。
今回のケースでは池田氏は他大学の講義、公演内容は事細かに書かれているが創価大学については何一つ書かれておらず「創価大学の教員として教鞭をとっていない」と友人の学会員に確認しています。そのため現在の本文の内容では日本の高等教育の教員を満たしていないとみなしCategory:創価大学の教員の項目に該当しないものとし不要とした。
今回の件は池田氏が創価大学での勤務経験や講義、公演を行ったその年月をwikipediaの本文へ追記すればそれが証拠となりCategory:創価大学の教員の項目を追加できると考えます。
「教員免許は取得しておらず」という根拠も学会員の友人が話した内容をそのまま記載したためで私は高等教育の教員は必ずしも教育職員免許状を必要としない事は知っていますよ。
創価学会の方に確認しても結構ですから池田氏が創価大学での勤務経験または講義、公演を行ったその年月を本文へ追記願います。私も創価学会の友人に確認予定です--ノーザン123 2011年6月9日 (木) 14:50 (UTC)
最終更新から3週間が経過しましたが意見がないためいったん議論終了とし、Category:創価大学の教員への追加は今回見送りとさせていただきます。 もし、新たな証拠が出た際は再びノートへ内容の追記をお願い致します。ご意見をおまちします--ノーザン123 2011年6月30日 (木) 15:43 (UTC)
石神くん氏による編集を取り消しました
2015年11月16日 (月) 02:20 (JST)における利用者:石神くん(会話 / 投稿記録 / 記録)による編集を、2015年11月16日 (月) 13:36 (JST)において取り消しました。
出典の無い記述を堂々と追加し、要出典タグが付されれば勝手に外す、というのは、WP:Vを理解したうえでの編集とは思えません。ましてや本記事は存命人物についての記事ですから、本来ならば出典の無い記述は即時にリバートされ得る重罪です。石神くん氏はいまいちど関連文書を熟読のうえ、編集に参加していただきたいと思います。--核青(会話) 2015年11月16日 (月) 04:48 (UTC)
- 石神くん氏によって追加された一文は、要出典タグが付されていたにもかかわらず1週間以上にわたって出典が付かなかったため 2015年11月24日 (火) 07:29 (JST)において除去しました。--核青(会話) 2015年11月23日 (月) 22:33 (UTC)