ノート:空気系/過去ログ1

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差し戻しの説明

さきほど「2010年10月10日 (日) 23:45」の編集(差分)を差し戻しました。おそらく冗長な表現を回避する意図の編集だったのだろうと推測しますが、不適切な形でニュアンスが変更されている点が多々あるように感じました。以下で具体的に説明するので、もし異議があれば書いてください。

  • 「2010年10月10日 (日) 23:45」の編集の前の文章→「2010年10月10日 (日) 23:45」の編集の後の文章
の形で説明します。
2006年にだれかが論文で「空気系」という用語を定義して広まった、というようなことではなく、インターネット上のコミュニティで自然発生的に誕生したという形なので、そのニュアンスは前者のほうが近いと思います。
  • 受容のされ方に変質がみられるようになる→受容のされ方が変質した
「変質した」と断定的に書くと、あるときを境に急に変わってしまったような印象になってしまいますが、実際にはだんだん変化していった(そういう作品も増えていった)という感じだと思います。この変化は、アダルトゲームが「泣きゲー」と「抜きゲー」に二分していった頃であり、ポルノシーンの観賞をゲームの目的とするような遊び方(をされる作品)が消えてしまったわけではありません。
  • ポルノシーンを閲覧するための手段として、そのキャラクターと仲良くなるための過程にあたる日常のシーンが存在した→ポルノシーンを閲覧するために仲良くなる過程にあたる日常的シーンが存在した
ここの文章の要旨は、日常のシーンが「手段」から「目的」へと変化したということにありますので、「手段」という用語は残したほうがいいと思います。
  • かきふらいの『けいおん!』がアニメ化されてヒットしたが→かきふらいの『けいおん!』がアニメ化してヒットしたが
この文章の主語は(漫画の)『けいおん!』なので、受動態で書くべきです。能動態で書くなら、主語として「京都アニメーション」、目的語として「『けいおん!』」を配置する必要があります。
  • (空気系作品の特徴である)男性キャラクターやドラマツルギーの排除が徹底的であったことが→(空気系作品の特徴である)男性キャラクターやドラマツルギーの徹底的排除が
「特徴」の節にあるように、排除自体は空気系作品全般にみられる傾向です(中にはあてはまらないものもありますが)。氷川竜介さんは、排除の仕方が究極だったから(『思想地図vol.4 特集・想像力』199頁)というふうに述べられているので、「徹底的排除」ではなく「排除が徹底的であったこと」を理由としたほうが適切かと思います。
  • 部活動を通じて仲間と連帯することによる達成感が目的化している→部活動を通じて仲間との連帯が目的化している
「達成感」の部分を除去した意図がよくわかりません。

以上です。--貿易風 2010年10月11日 (月) 11:28 (UTC)

「空気系」か「日常系」か

なんで「日常系」アニメのヒットの法則て本から引用が多いのに わざわざ空気系て造語に置き換えてるんですかこれ(--126.15.88.206 2012年1月5日 (木) 23:05 (UTC)

コメント 例えば朝日新聞の記事では「空気系」の語を使っていました[1]。編集者個人の造語であったなら大いに問題ですが、実際に使われている言葉ですし、「サザエさん」や「ちびまる子ちゃん」のような作品よりも、2000年代後半に流行した萌え系の日常アニメを中心に論じる場合は、「空気系」の方がふさわしい表現に感じます。--Kanohara 2012年1月25日 (水) 10:49 (UTC)
であれば日常系の記事を別に作らないと話が通らないのでは?空気系として定義することで日常系の定義からも離れている感があるし--110.233.223.180 2013年6月22日 (土) 06:46 (UTC)
コメント圧倒的に日常系の方が人口に膾炙してる表現なのに、空気系なんていう殆ど聞いたこともない表現が使用されているのは非常に違和感を覚えます。何の専門用語か学術用語か知りませんが、あまりに浮世離れした言語感覚に閉口していしまいました。--58.190.172.87 2017年7月21日 (金) 22:55 (UTC)
コメントこの頁自体不要です。空気系も新日常系も全く定着していない言葉で、この頁に挙げられた作品のジャンル項目に唐突にこれをつけられたりして迷惑です。この頁自体も、アニメについての批評を適当に追記して羅列しているだけで要領を得ません。このノートでは記事の存続希望はKanohara氏一人、削除支持は私含め三人ですかね。 --うぃきっぺ会話2018年1月8日 (月) 13:52 (UTC)
コメント いずれにせよ削除要件に該当しないので参考までのご質問で恐縮ですが、ほか2人の削除支持の方はどなたでしょうか?--ディー・エム会話2018年1月8日 (月) 14:17 (UTC)
削除ではなく日常系への名称変更支持者と置き換えてもいいですよ。110.233.223.180さんが言われているように、空気系と定義することで日常系の定義からも離れている感はあります。特定の批評家の記事が雑多に記述され、セカイ系、バトルロイヤル、ハーレム、ループものだのとなぜか別のジャンルの話が出てきて記事が無駄に肥大し、極めて分かりにくい記事になっています。--うぃきっぺ会話2018年1月8日 (月) 15:23 (UTC)
返信 記事の改名であれば正当な理由があれば可能ですが、過去の理由は現在の版では解消しているので、現時点で新たな改名の必要性が発生しているかどうかの問題かと思います。
「日常系の定義からも離れている」というご指摘について、具体的にはどのような定義の差異がありますでしょうか?--ディー・エム会話2018年1月9日 (火) 13:23 (UTC)

以下のように日常系の定義から外れた内容が見受けられます。--うぃきっぺ会話2018年1月10日 (水) 02:11 (UTC)

  • 冒頭

2006年頃からインターネット上で使われ始めた用語である→現在「空気系」という言葉は使われていません。該当する作品はそれぞれの公式サイトで「日常」と称しています。

その作品世界での「空気」を描いていることから空気系といわれる→極めて不明瞭な定義であり、金田一「乙」彦という一個人がそう定義しているからWikipedia全体で従わなければならない理由が不明です。

セカイ系の対蹠に位置する。→日常系がそう見做されているという主張は現在見かけません。

本項では特に区別せず以下では空気系に統一する。→使われていない言葉の方に統一するのが不可解です。

  • 空気系作品の特徴

萌え系の美少女に絞ったキャラクター配置→日常系作品のキャラクターは萌え系に限りません。サザエさんも日常系の作品です。

虚構への現実の混入→日常系の作品特有の要素ではありません。

  • 発生・流行までの経緯

新世紀エヴァンゲリオン、涼宮ハルヒシリーズと言った日常系と無関係な作品が挙げられていて冗長です。

  • 広義の空気系/メタ空気系

日常系と無関係の内容であり全て不要です。

  • 他の作品類型との関係

百合以外は日常系と無関係の内容であり全て不要です。

返信 (うぃきっぺさん宛) 「空気系と日常系を同一視するのは独自研究」というのがうぃきっぺさんの主張ですが、この記事中に使われている出典でも、
なお、「日常系」「空気系」という呼称は、それぞれ別の作品傾向として区別されることもあるが、本書内では特段の注意がない限り、同じものとして扱っている。あらかじめご了承いただきたい。 — キネマ旬報映画総合研究所・編『“日常系アニメ”ヒットの法則』キネマ旬報社、2011年、12頁
とあります。まあこの書籍、ウィキペディアのこの記事を出典にしている箇所があるので、注意して扱わないとWP:CIRCULARに抵触しますけれどね。
それと、「サザエさんも日常系の作品」ではないと思います。上記の書籍を始め、この記事が参照しているような幾つかの出典では、明確に「サザエさん」のような作品と「空気系」ないし「日常系」を別ジャンルとして区別しています。
セカイ系やその他のジャンルとの対比は無関係、というのはうぃきっぺさん個人の感想であって、うぃきっぺさんの独自研究でしょう。批評家が書籍を通じて発表した研究など、信頼できる情報源で対比が触れられているのなら、それは無関係でもなんでもないし、ウィキペディアではそのようなものを独自研究とは言いません。
おそらく、うぃきっぺさんの考える「日常系」と、本稿で扱われている「空気系」は別物で、うぃきっぺさんは何か誤解をなされているのではないでしょうか?--Kanohara会話2018年1月10日 (水) 12:20 (UTC)
返信 (Kanoharaさん宛) 別物であることは認識していますよ。なので問題は2つあると考えています。1つは現状では空気系がサザエさんを含む広義の日常系だと誤解される可能性です。実際におそ松さんのジャンルが誤って日常系(空気系)になっていました。もう1つの問題は、狭義の日常系・萌え日常系の作品は現在、公式が空気系を全く自称せず、ファンからも空気系と言われていないことです。
この問題を解決するため、以下を行うべきだと考えています。
①日常系を空気系に転送するのをやめる ②日常の空気系へのリンクを削除する ③空気系と言及されたことがない日常系の作品のジャンルを順次修正する(これは私が少しずつ行います)。
これを行うなら空気系の頁はこのままで良いと思います。またそれにより空気系の頁はそれのみを扱う純粋な頁になるので、新日常系の節の移転・削除にも合意します。--うぃきっぺ会話2018年1月10日 (水) 13:25 (UTC)
コメント すみません横から失礼します。(2)は「Wikipedia:曖昧さ回避#名称の一部が項目名と共通している言葉」の「通用範囲が限定的であるもの、一部が省略される場合が想定できないもの」に該当すると判断し、除去しました。(3)は本記事とは無関係に適切に修正いただきたく思います。(1)は複数の出典で同義とされている用語同士のリダイレクトですので廃止は難しいと思います。--ディー・エム会話2018年1月10日 (水) 14:19 (UTC)
コメント(1)の日常系からの転送廃止を行わないと矛盾が残ります。現状は狭義の日常系(萌え日常系)について記述した記事なのに、日常系でネット検索して空気系に転送されると、上で挙げたおそ松さんを空気系にしてしまうといった、空気系が広義の意味での日常系だという誤解が生じ続けます。(2)を放置するのと同じ事です。転送廃止をしないのなら、日常系を主、空気系を従にし、広義の意味での日常系の記事として空気系はその一部とする必要があります。それは多大な労力を必要としますが、転送廃止すれば問題は回避できます。--うぃきっぺ会話2018年1月11日 (木) 00:44 (UTC)
反対 そもそも「日常系」という語が誕生する以前は、「サザエさん」のような作品が「日常系」と呼ばれることはなかったのですから、うぃきっぺさんの言う「広義の日常系」なるものは、言葉の誤用や誤解に基づくものであって原義ではないはずです。評論家が用いないような誤用を主、出典のしっかりした原義を従として「広義の日常系」を定義するのは、「日常系」の定義を曖昧にし、かえって独自研究を横行させる結果になると考えます。--Kanohara会話2018年1月11日 (木) 01:33 (UTC)
コメント転送廃止をしないのなら、という場合の話で私もそれが妥当だとは全く思いません。私が提案しているのは日常系からの転送の廃止です。この記事の冒頭にあるように「空気系と日常系を別の作品傾向として使い分ける場合もあるが、同義であると解説される場合もある」程度の根拠で転送するのは間違っています。Wikipeidaで曖昧な扱いで正しく定義されていないならば扱わずに転送廃止とすべきでしょう。--うぃきっぺ会話2018年1月11日 (木) 01:50 (UTC)
コメント日常系から空気系への転送は、「Wikipedia:リダイレクト」の「作成者のみ、またはごく一部の者にしか通じないもの。使用例が少なく、著名性が充分でないもの。」や「最小困惑度の原則」違反に該当する可能性が高いです。日常系から空気系への転送をこのリダイレクトの説明ページにある具体例(両方の語句を知っているほぼ全ての人が妥当だと思うようなケース)と比較すると、ノートで私を含め数人から異論が出ている状況では転送するのは妥当ではないです。--うぃきっぺ会話2018年1月11日 (木) 03:12 (UTC)
返信 「(ウィキペディアの)ノートで私を含め数人から異論が出ている状況」を根拠とするのは、単なる独自研究なんじゃないですかね? 「空気系という呼称は廃れてしまった、作成者にしか通じない」と主張するうぃきっぺさんは、一度このノートの上に貼ってある{{Find sources}}から「空気系」を出典検索してみてはいかがでしょうか?
なお、「空気系と日常系を別の作品傾向として使い分ける場合もある」という記述の出典は、私が2018年1月10日 (水) 12:20 (UTC) の発言で引用した『“日常系アニメ”ヒットの法則』12頁の一文が全てです。実際のところ、この出典には「両者がどのように使い分けられているのか」という説明は書かれていませんし、それ以外の出典も示されていません。ざっくりニュースなどを検索してみましたが、両者を同じ意味と定義している用例は幾つも見つかるのに、使い分けについて説明した出典は見つかりませんでした。どうやら、両者を区別する方が希な用例のようです。--Kanohara会話2018年1月11日 (木) 04:53 (UTC)
返信 議論をしている場が根拠にならないというのがよくわからないのですが、Kanoharaさんは日常系から空気系への転送を廃止することには特に反対ではないのでしょうか?私は転送以外のことについては現状、問題視していません。反対ではないのであればリダイレクトの削除依頼をします。「どうやら希な用例のようです。」では最小困惑度の原則に従っていると思えません。
なお言われた通り検索すると空気系は41,500 件、日常系は2,030,000 件で空気系という言葉が日常系より圧倒的に少なく、空気系は使用されていない言葉であるとより強く認識しました。--うぃきっぺ会話2018年1月11日 (木) 06:07 (UTC)
返信 (うぃきっぺさん宛) もちろん、上で 反対 だと書いたように、リダイレクトの削除には反対です。「空気系」と「日常系」が同意語であることには十分な出典があり、有用なリダイレクトですから、削除は道理が通りません。リダイレクト作成の基準のうち「同意語・類義語」に該当しますし、削除の方針における削除すべきでない理由のうち「リダイレクトがある用語に対する検索を補助している場合」に該当します。
このトピックを立てたIPユーザー氏が持論の論拠としている書籍『日常系ヒットの法則』そのものが、前述のように前書きで「日常系=空気系」と定義している書籍ですし、41,500件も使われている単語を、ご自身の意見と、既に論破されているIPユーザーの賛成意見を根拠に「使用例が少なく、著名性が充分でない」と強弁するのは無理があるでしょう。そもそもウィキペディアは多数決主義ではありません。--Kanohara会話2018年1月11日 (木) 07:27 (UTC)
返信 (Kanoharaさん宛) 論破と言う言葉を使う人ですか。Googleで論破を検索するとニコニコ大百科の面白いページが出てきますね。なおニコニコ大百科とピクシブ大辞典の日常系の記事のほうが日常系が主・空気系が従で妥当に思えます。空気系と言う古い言葉に固執しているWikipediaのごく少数の人間は孤立感があります。あと4万を多いと見做すなら200万は圧倒的に感じます。これ以上言っても同じ事の繰り返しなので、私は転送の廃止を提案したままでKanoharaさんは反対し続けるというだけすね。なお私は全く論破されたと認識していません。--うぃきっぺ会話2018年1月11日 (木) 07:53 (UTC)
返信 (うぃきっぺさん宛) で、その「同意語の中では日常系という用例が圧倒的に多い」という調査結果の結論が、「多い方のリダイレクトを削除する」あるいは「間違った用例を取り込んで、おそ松さんやサザエさんを含んだ解説に書き換える」なのですか? うぃきっぺさんの主張は破綻しています。そのような論理の飛躍を含んだ提案には、まったく賛同できません。
Wikipedia:記事名の付け方」には、「認知度が高い」「首尾一貫している」といった基準の他にも、「曖昧でない」という基準もあります。「日常系」がおそ松さんやサザエさんを含んだジャンルであると誤解され、間違った内部リンクを張られているというならなおさら、「日常系」という記事名は曖昧で、記事名としては要領を得ていないため不適当なのではないでしょうか。--Kanohara会話2018年1月11日 (木) 10:44 (UTC)
返信 (Kanoharaさん宛) 私が今提案しているのは記事名の変更ではなく転送の削除ですが。広い意味を持つと見做されている日常系で検索すると、今は使われていない言葉で、古い情報ソースばかりの空気系の記事に飛ばされてしまうのが問題だと言っているのです。それにより空気系ではない作品のジャンルが空気系とされる事態が生じているということです。--うぃきっぺ会話2018年1月11日 (木) 11:01 (UTC)
返信 (うぃきっぺさん宛) ですから、「同意語の中では日常系という用例が圧倒的に多い」から「多い方のリダイレクトを削除する」というのがうぃきっぺさんの主張なのでしょう? それは筋が通らないと言っています。
うぃきっぺさんがこだわっている「広い意味を持つと見做されている日常系」なる定義や用例は、「ギャグ漫画」や「コメディ漫画」などの誤用であって、本来は「日常」とは呼ばれないものです。そもそもこの記事は、「セカイ系」との対比として2000年後半から2010年代前半にアニメ・漫画批評家の間で盛んに論じられたストーリー類型について解説する記事であって、「日常系と呼ばれる作品」を収集するページではないはずです。「広い意味を持つと見做されている日常系で検索すると、今は使われていない言葉で、古い情報ソースばかりの空気系の記事に飛ばされてしまう」ことのどこが「問題」なのですか? ウィキペディアでは、百科事典的な記事に成長する見込みがない記事は無理に立項する必用がありません(Wikipedia:独立記事作成の目安)。誤った用例は批評家の言論の対象にならず、ウィキペディアでわざわざ言及するまでもない内容です。言葉の誤用で検索してきた人に誤用を気付かせることも、記事の重要な役目でしょう。何歩か譲って誤リンクが問題であるとしても、それに対処するなら、「日常系」をリダイレクトとしたまま、「特別:リンク元/日常系」から誤リンクを探し出して修正する方が簡単のはずです。少なくとも「空気系」という語を選んでリンクしている編集者は、「日常系」のリダイレクト先を調べて項目の内容を読んでいるはずですから、自分がリンクしようとしている単語がリンク先として不適切であることに気がつく可能性が高まります。Kanohara会話)--2018年1月11日 (木) 12:29 (UTC) 署名ミス補完--Kanohara会話2018年1月12日 (金) 11:40 (UTC)

返信 うぃきっぺさん宛)ご説明ありがとうございます。

「冒頭」について
  • それは語源の説に対する反論ではないので直接関連性はありませんが、もし仮に「空気系」という語が現在使われていないという主張が適切な出典に基づくものであるならば、語源の真偽の話とは別個の新たな特記事項としての加筆は可能です。
  • 「それぞれの公式サイト」は自己情報源なのでここでの判断材料としては重要視されません。記事に反映するには二次資料の出典が必要です。また、出典に用いる資料に「日常」という語が使われているというだけでは、それは一般名詞の単語としての「日常」なのか、特定の作品ジャンルを指す固有名詞の「日常系」のことを指すのか断定できません。前者であれば当記事の対象外なので、記事に反映するにはそれらを的確に区別できる内容を伴った資料が必要になります。
  • 「金田一「乙」彦」は一個人ではありませんが、もし妥当な出典を伴った有力な異説があるようなら、当該出典の質・量に応じて記述の修正もしくは両論併記は可能かと思います。
  • 「セカイ系の対蹠に位置する」という記述の出典がもし無効であるとするなら相応の根拠が必要です。でなければ、ウィキペディアの方針が定める適切な出典に基づく妥当な記述です。
空気系作品の特徴」について
もし当該の主張が有意な出典に依拠したものであれば加筆を検討する余地はあると思いますが、「日常系」という語を当記事の文献資料群とは異なる語意で用いておられる可能性があるので、仮にウィキペディアの検証可能性の基準をクリアしている場合でも、当記事の出典群が言及している狭義の「日常系」・「空気系」の文脈に組み込んで言及することが妥当かどうかについて精査が必要かもしれません。
発生・流行までの経緯」について
2000年頃以前」の一段落目と「2001年から2010年頃」の一段落目の内容は「発生・流行までの経緯」節からは省いてまとめ直した上で「他の作品類型との関係」節の「セカイ系」の説明に組み入れるのが良いと思います。
広義の空気系/メタ空気系」について
たしかに主題に対して若干ピントがぼやけてしまっている感はあるので、一段落目は「前述の矢口史靖監督作品では〜」以降を省いて概説に加筆、二段落目も空気系とは異なるという前提の言及内容になっているので「メタ空気系」の見出しで「他の作品類型との関係」節に転記した上で、本節は消去で良いのではないでしょうか。
他の作品類型との関係」について
たしかに「セカイ系」「バトルロワイヤル系」…といった他ジャンル名の見出しで書かれていると「空気系」・「日常系」とは無関係の説明であるかのような誤解を生じますし、実際内容的にもやや雑然として脱線気味なようにも感じます。空気系以外の各種ジャンルをここで逐一解説する必要はないので、各ジャンル名の見出しは無しで良いと思います。
その上で、「セカイ系」の一段落目は省くか形骸的説明のみ要約、「バトルロワイヤル系」はスクールカーストもの云々の部分が不要、「ハーレムもの」は全体的に有意な説明でないので全文不要、「ループもの」は空気系との関連に傾注して要約、「泣きゲー」は「2000年頃以前」節の2段落目に転記して内容の重複を整理・統合、「百合」もほとんど空気系の説明になっていないので全文割愛か空気系との関連説明のみに絞って要約、「日常の謎」は基本温存といった形で整理できるのではないかと思います。--ディー・エム会話2018年1月10日 (水) 13:59 (UTC)
返信 (ディー・エムさん宛) 空気系という語が使われてないことを証明するのは悪魔の証明であり困難ですが、空気系と公式に自称している日常系作品を提示できないという事実は根拠になるでしょう。
ただ、Kanoharaさんへの返信で述べたように①②③の措置を取れるのであれば、私はそれ以外は現状のままで良いです。反対が無ければ実行したいと思います。--うぃきっぺ会話2018年1月10日 (水) 14:25 (UTC)
コメント 「空気系」はこのジャンルに対するネガティブなニュアンスを含むので、自虐的な文脈でない限り、公式に自称する作品は少ないと思います。ただ、元々の由来が第三者によるレッテルであっても、作品批評の場で使われる呼称ですから、記事名として使用するのは問題ないと思います。手元にも「空気系」と「日常系」を同義だと解説している文献は何冊かあり、両者をイコールで結びつけることは独自研究ではなく検証可能な事実ですし、「サザエさん」のような「生活もの」の作品との混同を避けるためにも、「空気系」という記事名は記事名として相応しいと、私は考えます。--Kanohara会話2018年1月10日 (水) 23:35 (UTC)
コメント ところでうぃきっぺさんが仰る「空気系と公式に自称している日常系作品を提示できないという事実」についてですが、そもそも「日常系」という語の方も、元々は公式が名乗るようなジャンル名ではなく後付けの作品分類である、という記述が手元の書籍に書いてありました(『“日常系アニメ”ヒットの法則』188頁)。例えば『けいおん!』の中山プロデューサーは同作について「日常系とは考えておらず、自分たちは「ゆるやか系」と呼んでいる」とあります(『“日常系アニメ”ヒットの法則』154頁)。ですので「空気系と公式に自称している日常系作品を提示できない」ことは、うぃきっぺさんの主張の根拠にはなり得ないと考えます。--Kanohara会話2018年1月11日 (木) 04:53 (UTC)
返信 うぃきっぺさん宛)「自称している」という情報源は重要ではなくて、第三者の言及として用語の使用状況がどうなっているのかが問題です。もし「空気系という言葉は死後になっている」と記事に書くのであれば、そのように指摘している出典が必須です。もし記事名を「日常系」に変更するということであれば必ずしもそれは必須ではないですが、主要な文献類を集めて「日常系」の方が使用頻度が高いということを示す必要はあります。現在の本記事で使用している出典群の中で「空気系」という語は現実に使用されていて比較すると多数派だと思いますので、それを否定する証拠が存在しないなら従来の証拠が追認されることになるだけですので、悪魔の証明にはならないかと思います。
「日常系」は主要な複数の出典で「空気系」の同義語とされていますので、リダイレクトの削除はすべきでないと思います。「日常系」の語意に誤解があるのならなおのこと、誤解を持つ人達をできるだけこの記事に誘導して正しい知識を伝える方が、リダイレクトを除去して情報を寸断してしまうよりも効果的ではないでしょうか。
そういう意味では、この記事の冒頭で「日常系」=「空気系」の定義をできるだけ平易かつ明確に明示することがより有効ではないかと思います。その方向でKanoharaさんが既に記事を加筆されていますので、さらに良い説明方法があれば知恵を出し合って推敲していくというのが一番近道なように思います。
それと、各作品記事でのジャンル分けをより正確にやってもらうという目的を考えると、この記事をどうこうして解決できる話でもないので、例えばTemplate:Infobox animangaの使用方法について、ジャンル名の入力項目に「なんとか日常系なんとか」みたいな自己情報源による宣伝的なキャッチフレーズの文言やソース不詳の独自研究によるジャンル記載を避けるようプロジェクト:フィクションで取り決めをしてテンプレートの解説文などに注意喚起を掲示するとか。どちらかといえばそちらに傾注したほうが効果的な気がします。--ディー・エム会話2018年1月11日 (木) 14:31 (UTC)
返信 ディー・エムさん宛)日常系の漫画やアニメの公式サイトで「空気系」と自称しているケースを見ない限りは、古い書籍で古い日常系の作品について空気系と言っているだけで、日常系を空気系の同義語にするいう考えには同意することはできません。今いくつもの日常系アニメの記事をチェックしていますが、公式サイトではどれも日常やコメディと自称しています。右記のように日常系と言っている記事もありました。http://otapol.jp/2016/04/post-6469_4.html --うぃきっぺ会話2018年1月12日 (金) 00:43 (UTC)
コメント 概ねディー・エムさんの主張に賛同します。公式が名乗っているジャンルはキャッチコピーの一種でしかないでしょうし、ハイスクール・フリートのように公式がジャンルを偽る作品もありますしね[2]。ただ、プロジェクトで取り決めをするというのは難航するかも知れません。判断が分かれようがないような作風なのに出典がない作品もあるかも知れませんし、かと思えば、かつての「ガンダムはSFか否か」論争のように、ややこしい論争を抱える作品もあります。一筋縄ではいかない問題かも知れません。
それと、うぃきっぺさんへ。うぃきっぺさんは「古い書籍」と言いますが、WP:NOTNEWSにあるように、ウィキペディアは百科事典であって最新のトレンドを紹介するニュースサイトではないので、歴史的事実に触れることに何ら問題はありません。例えば「情けは人の為ならず」などは、正しい意味よりも誤用の方が浸透していますが、だからといって百科事典の方を誤用に合わせて意味を書き換えるというのは、ウィキペディアの趣旨に反するでしょう。それに2000年代~2010年代の書籍が「古い」ということはないと思いますよ。--Kanohara会話2018年1月12日 (金) 11:40 (UTC)
返信 ウィキペディアの記事編集において「自称しているケース」は重要な判断材料にはなりません。これはウィキペディアの編集方針・ガイドラインに由来します(「Wikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」」・「#自主公表された情報源:公式サイト」・「Wikipedia:信頼できる情報源#企業や組織のウェブサイト」)。あるアニメ作品の公式サイトの情報を、中立性と正確性に注意しながら当該の作品記事に使用することは方針で許容されていますが、個別作品の公式サイトの情報をこの記事に直接反映させることはそれに該当しません。そのため、十分な中立性を担保できうる第三者による出典の情報に依拠する必要があるのです。この点に関しては今回のケースに限らず、ウィキペディアの不文律なので融通の余地がありません。
「古い書籍」というのがどの程度を基準にイメージしているのかわかりませんが、少なくともここ数年に発表された後発の複数の論文でも「空気系」という語が使われており、記事立項の対象として特筆性に不足はないと思います。それより新しい文献資料で「日常系」という表現のほうが多く使用され「空気系」という語が記事名としてふさわしくないという状況があれば記事の改名も検討の余地はありますが、そうであればその根拠となる資料を確認の上判断する必要があるので、二次資料のソースの確認がないままコメントだけで判断することはウィキペディアの編集方針としては妥当ではないです。--ディー・エム会話2018年1月12日 (金) 14:29 (UTC)
返信 ここまで挙げられている書籍もまた企業が販売しているものです。「ここ数年に発表された後発の複数の論文でも「空気系」という語が使われており、」の出典も明示していません。また検証可能性において自主公表された情報源:公式サイトは「それらの情報源自身に関する記事においては、情報源として使用することができます。」とあるので問題ありません。--うぃきっぺ会話2018年1月12日 (金) 14:58 (UTC)
コメント 「空気系」という語が使われている出典は、記事の出典のうち広瀬pp.7-21(2013年)や禧美pp.80-90(2017年)がそれです。記事には使用していませんが、雑賀広海「アニメーションの「運動」再考」(2015年)(著者の経歴を拝見すると博士課程修了前の研究者の方ですが、査読有りとなっていますので論文内の用語の信頼性は確かかと思います)や、ほかの編集者の方の出典ですが書籍でいうと小森(2012年)や、本記事の出典ではありませんが同著者の『神、さもなくば残念。』(小森健太朗、作品社、2013年)などが宇野の著書以降に発表・発行されたもので、「空気系」と「日常系」を同義とした上で「空気系」を採用しています。
ただしこれらは参考です。記事の利用者にとって「日常系」を記事名とするほうが利便性が高いと判断できる客観的資料を伴った根拠があるのなら、個人的には記事の改名にも反対はしませんが、根拠がなければ検討の俎上に載せようがないというのが正直なところです(もし仮に決定打となるような文献資料が無かったとしても、ご自身がそう確信される根拠があるはずですから、結論の成否はともかく、たとえばそれがネット検索でこちらの用語がこれだけヒットするといった状況証拠であっても説明材料としては別に構いません)。
少し本題から外れますが、ガイドラインにある「企業や組織のウェブサイト」というのは第三者の企業や組織が発行する情報のことではなく、当事者の企業や組織の情報源の意です。たとえば、『けいおん!』について芳文社京都アニメーションが公表している情報源は自己情報源です。徳間書店株式会社スタイルが発行する専門誌上での同作についての批評や解説は発行者が企業か否かに拘らず第三者の資料ですので自己情報源でなく二次資料とされます。--ディー・エム会話2018年1月12日 (金) 16:49 (UTC)
返信 私が提案しているのは日常系から空気系への転送(リダイレクト)の削除です。現在、他のWiki系サイト(ニコニコ大百科・ピクシブ百科事典・アニオヲタWiki)の日常系の記事では全て日常系が主、空気系が従か記述無しです。空気系はごく少数の研究者だけが使うだけの死語となっているこの現状で、日常系が空気系へのリダイレクトの対象となる同義語とは全く思えません。ただその論文を読むと、つまるところ空気系の論拠となる「けいおん!」が古い作品かどうかが重要な要素となるのだと思います。なので転送の提案は一旦取り下げます。時間が経って空気系と言う言葉がますます風化し空気系と日常系を併記した論文が書かれなくなり、転送が妥当でないことがより明白になってからまた提案することに致します。--うぃきっぺ会話2018年1月12日 (金) 23:59 (UTC)
コメント ロジックが混乱してしまっているようにお見受けします。それはリダイレクトの存在目的とは無関係なので如何ともしがたいです。--ディー・エム会話2018年1月13日 (土) 10:19 (UTC)
コメント 私の説明に対しロジックが混乱しているの一言で済ますのはWikipedia:礼儀を忘れないおよびWikipedia:説明責任への違反だと認識します。今までと同じ事の繰り返しになるならそう言えばいいだけで、そのような中傷は行わなければよいのではないでしょうか。--うぃきっぺ会話2018年1月13日 (土) 10:58 (UTC)
返信 (うぃきっぺさん宛) ここまでのうぃきっぺさんとディー・エムさんのやり取りを見る限り、うぃきっぺさんによるウィキペディアの用語やルールの解釈は、私には相当に奇妙なものに見えます。ロジックの前提となるルール解釈がずれているために、会話が噛み合わないのではないでしょうか? まあウィキペディアは規則主義ではありませんので、ルールの解釈は人によって幅がありますけれど、私の知っているウィキペディアのルールは、ディー・エムさんの解釈に近いです。
うぃきっぺさんの利用者ページを見る限り、うぃきっぺさんはウィキペディアの方針やガイドラインに常日頃強い不満を抱えていて、実地証明によってウィキペディアを改革しようとしているのではないかと察しますが、うぃきっぺさんが理不尽に感じている方針やガイドラインにも色々な理念や背景がありますので、「少数の管理者による偏見に満ちたファシズム的支配」などと言わずに、各種方針文章に目を通してみるのも良いと思いますよ。--Kanohara会話2018年1月13日 (土) 11:20 (UTC)
コメント Kanoharaさんは2018年1月11日 (木) 07:27 (UTC)に「IPユーザー氏が」「既に論破されているIPユーザー」と言っていますが、これはWikipedia:礼儀を忘れないの『「IPユーザーが」などとひとくくりにした発言をしない。』に反すると指摘しておきます。--うぃきっぺ会話2018年1月13日 (土) 11:31 (UTC)
返信 (うぃきっぺ宛) いやいや、2018年1月2日 (火) 02:20 (UTC) の発言でいきなり「あなたがそのらき☆すたファンでしたか。」などと決めつけてきたうぃきっぺさんも、なかなか思い込みの激しい方だと思いますよ。--Kanohara会話2018年1月13日 (土) 11:51 (UTC)
コメントうぃきっぺさん宛)すみません。如何ともしがたい旨について理由を説明しただけで他意はありません。--ディー・エム会話2018年1月13日 (土) 13:42 (UTC)
情報 Googleの書籍検索を調べていたら、2017年6月発売の書籍『図解入門業界研究 最新アニメ業界の動向とカラクリがよーくわかる本 [第2版]』(秀和システムISBN 978-4-7980-5038-6)44頁に、日常系と空気系を同意語とする記述があるのを見かけました。
同書では『らき☆すた』『けいおん!』『けいおん!!』『映画けいおん!』を本文中で紹介しているほか、45頁の一覧で『ひだまりスケッチ』(2007年)、『らき☆すた』(2007年)、『日常』(2011年)、『ゆるゆり』(2011年)、『男子高校生の日常』(2012年)、『ゆゆ式』(2013年)、『たまゆら〜もあぐれっしぶ〜』(2013年)、『ご注文はうさぎですか?』(2014年)、『SHIROBAKO』(2014年)、『だがしかし』(2016年)、『ふらいんぐうぃっち』(2016年)を「ヒットした日常系アニメ」として紹介しています。個人的には「男子高校生の日常、SHIROBAKO、だがしかしは日常系じゃないだろ、“美少女キャラの日常をなだらかに描いて視聴者に安心感や癒しをもたらす。作品の空気を描く”という書籍本文の定義と矛盾してるぞ」とツッコミを入れたいところではあり、文芸評論の場を離れたところで「日常系」「空気系」の定義が曖昧化していることを感じさせる内容とは感じましたが、うぃきっぺさんの言うような「死語化」はにはまだ早い、といったところではないでしょうか。--Kanohara会話2018年1月14日 (日) 12:45 (UTC)
コメント そのあたりは正直、小森『神、さもなくば残念。』(2013)の定義でも、
  1. 未成年(主に中高生、たまに小学生)の女の子たち四人か五人(おおまかに数人増えることもある)がメイン。
  2. なにかの目標に向かって邁進したり、なにかの達成をしたりすることがない。
  3. メインキャラは、性的なくすぐりが多少あってもいいが、基本的に恋愛からは隔離されている。
  4. メインキャラの家族が描かれることもあるが、家族ドラマが主題にはならない。
  5. 過度の不幸、悲惨な事態はいれない。
(以上同書より引用)とされていて、軒並み他の著者の書籍でも表現が変わっているだけで定義の内容としてはおよそ同じかと思いますが、その一方で空気系の代表的作品のひとつとされる『ゆるゆり』は思いっきり3番目の条件に合致しないですし(タイトルのイメージでみんな騙されがちですが冷静にみると中身は思いっきりガチ百合なので)、雑賀2015に『たまこまーけっと』が5に合致しないとの分析があるのですが、だとしたら『らき☆すた』もアニメの賀東招二脚本の回などが4と5の条件から外れるはずなので、ジャンル分析としての質や精度について根本的にどうかと思うところはありますが、それは記事の特筆性を否定するものではないですし、もし将来的に異論を示す有力な出典が出てくればそのときに適宜加筆いただければ良いかと思います。--ディー・エム会話2018年1月14日 (日) 14:41 (UTC)
異能バトルは日常系のなかでと言う作品がありますが、これは実態はハーレム恋愛物なのにそれを「日常系」と称していることから、日常系という言葉が空気系と同義語と見做されてない論拠の一つと言えます。--うぃきっぺ会話2018年1月15日 (月) 00:53 (UTC)
返信 (うぃきっぺさん宛) いや、それは単なる自称なだけなので、「論拠」にはならないかと。そもそも一次資料である「日常系を自称している作品」を片っ端から列挙していって、ウィキペディアの編集者が統計を取ったり傾向を分析したりするのはWP:PSTSにある「一次資料から得られる情報について、あなた自身が分析・合成・解釈・評価などをしてはいけません。代わりに、そのようなことをしている二次資料を出典としてください」というルールに引っ掛かります、念のため。
自称と言えば「日本一萌えにくわしい精神科医」を自称する斎藤環氏が著書『おたく神経サナトリウム』(二見書房、2015年、ISBN 978-4-576-15169-4)にて、有村悠氏と泉伸行氏のブログでのやり取り[3]を引用する形で、「日常系」の特徴についてまとめた、
  1. 4コママンガを原作とすることが多い
  2. 登場人物は女子高生がメインか、大多数
  3. 教師以外の大人があまり登場しない
  4. はっきりしたストーリーの軸がない
  5. 行動範囲は教室>町内>行楽地
  6. 「あるある系コメディ」と「ギャグマンガ」がベース
という定義を「見事な仕事」として支持していました。ちなみに斎藤環氏は「サザエさん」が描いているのは「庶民の日常」、「日常系」で描かれているのは「キャラの日常」であって、「サザエさん」は日常系ではないとしています(同書240頁)。--Kanohara会話2018年1月15日 (月) 01:47 (UTC)
今まで伏せていたその本では空気系という言葉は出てこないのでしょうか。それならば日常系から空気系の転送をやめる論拠になりそうですね。--うぃきっぺ会話2018年1月15日 (月) 02:05 (UTC)
返信 なぜそう思ったのですか? 私は、「日常系」が「空気系」と同じような意味で使われていることを示す論拠にも見えますが……。「日常系」を「空気系」の同意語としている出典は幾らでもあります。
それと、色々と理由をつけて「空気系」への内部リンクをせっせと除去されているようですが、「日常系=空気系である」としている出典で「日常系」「空気系」とされている作品からも内部リンクを除去して「日常生活」へのリンクを貼っているのは、如何なものかと思います。日常生活と言えば、ちょうどいま読んでいた浅羽通明氏の『時間ループ物語論』(2012年、ISBN 978-4-8003-0018-8)の276頁には、「生産的な出来事が描かれない日常系の日常は“日常生活”と言い換え不可能なもので、『けいおん!』のような作品を「日常生活系」と表現すれば、別の作品のように聞こえてしまう。日常系の対義語があるとすれば“非日常系”ではなく“生活系”であろう」という趣旨の説明がありました。
浅羽氏は「生活系」の一例として『うさぎドロップ』『ドラえもん』『おぼっちゃまくん』を挙げています。うぃきっぺさんの考える「空気系と同意語ではない日常系(日常生活系)」は、この「生活系」の概念の方が合っていませんか? なお浅羽氏は、ウィキペディアのこの記事にも言及しつつ「日常系=空気系とも言う」としています。--Kanohara会話2018年1月15日 (月) 03:21 (UTC)
個別の作品の修正については上の③ですでに言っています。それぞれの作品でもし「空気系」だという明確な根拠があるならそれを明示すれば済むことです。実際、けいおん!などこの空気系の頁で空気系だと挙げられている作品については直すつもりはありません。作品の内容を見ただけでこれは空気系だ、と言うのは新日常系の「主な新日常系作品」に作品名を記述することと全く同じになります。私は「主な新日常系作品」は即刻削除すべきだと思っています。私が削除しましょうか?--うぃきっぺ会話2018年1月15日 (月) 04:12 (UTC)
返信 ごちうさ、ゆゆ式は上記に挙げた出典があるので戻しておいて下さい。
新日常系はジャンルというよりは、特定作品が自作品を形容するために用いているキャッチコピーのようなものでしかない、というのが私の認識です。また事情は違うかと。それと日常「生活」を描いていない作品を「日常生活」にリンクするのは独自研究ではないですか?--Kanohara会話2018年1月15日 (月) 04:31 (UTC)
ご注文はうさぎですか?のジャンルはもともとそうなっていましたが。調べて指摘してください。③についてはディー・エムさんは了承していますしKanoharaさんはずっと何も言わなかったのですが。あと「図解入門業界研究 最新アニメ業界の動向とカラクリがよーくわかる本」については学術書ではなく、著者がソフトウェア関連の専門家と漫画家のため、私は信頼できる二次資料だと判断していません。Wikipedia:信頼できる情報源を読んで判断しています。--うぃきっぺ会話2018年1月15日 (月) 04:42 (UTC)

コメント彼女と彼女の猫 』や『ハクメイとミコチ』のジャンル表示の修正作業ありがとうございます。明らかに日常系・空気系の作品ではなく誤記だったと思います。

ただ、この場合、フィクションのジャンルとは無関係な記事「日常生活」へのリンクは不適ですので単純除去の方が望ましいかと思います(Wikipedia:記事どうしをつなぐ#内容に関連するリンクだけを作成)。でないとほとんどの閲覧者はリンク先までは見ないと想定されますので、日常系の作品だと誤解されることを防ぐための措置としては、誤解を与えているジャンル表示自体を除去しないとリンク先をどこに変えても意味が無いと思います。

本記事の「新日常系」の箇所は特に異論も出ませんでしたので除去しました。--ディー・エム会話2018年1月15日 (月) 14:44 (UTC)

コメント もちろん、明らかにこの記事に書かれている日常系・空気系の定義から外れていて、リンクを辿ってこの記事を見ても有益な知識を得られないような作品記事からは、リンクしなくてよいと思います(Wikipedia:記事どうしをつなぐ#内容に関連するリンクだけを作成)。独自研究ならなおさらです。ただ、2018年1月12日 (金) 11:40 (UTC) で書いたように、ジャンル分けの判断を検証可能性で全て解決できるかと言うと、色々難しい問題もあると思います。
Wikipedia:検証可能性#著作権と剽窃」には、出典の内容はできる限り自分の言葉で要約せよ、とあります。「Wikipedia:原典のコピーはしない#検証可能性との関係」にはもう少し詳しく、「検証可能性とは「投稿内容の正確性を支持する信頼できる公刊資料の書誌情報を示せ」ということであって「資料を書き写せ」ということではありません」とあります(私論「Wikipedia:著作権侵害を避けるための注意点」では更に詳しく書かれています)。で、例えばあるアニメ作品について、出典に「『けいおん!』のような、かわいい女の子たちが過ごす、特に事件らしい事件も起きない、楽しくてほのぼのとした日常が見所です。仕事で疲れて帰ってきたアニメファンがほのぼのと楽しめる作風です」みたいなことが書いてあって、それを「日常系(空気系)」と言い換えるのは「自分の言葉で要約」の範疇なんじゃないかなあ……とも思うわけです。もちろん一次資料(この場合は作品そのもの)に解釈を挟むのは「Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料」で禁じられているので、「このアニメにはかわいい女の子がいっぱい出てきて日常描写に力が入っているから、日常系」などと素人判断するのは、宜しくないですけどね。--Kanohara会話2018年1月16日 (火) 17:49 (UTC)
返信 (ディー・エムさん宛) 「彼女と彼女の猫」は公式サイトで日常生活と明記されているので妥当です。「ハクメイとミコチ」もコメントで書いていますが原作紹介で森の日常劇となっています。--うぃきっぺ会話2018年1月17日 (水) 00:16 (UTC)
返信 そういう意味ではなくて、「空気系」との誤解を避けるためにそれらのジャンル表示を修正されているのだとしたら、内部リンクだけ付け替えてもほとんどの閲覧者はわざわざリンク先まで参照しないわけでその修正の変化に気づきもしないと思われるので効果が無いですよという意味です。
記事「日常生活」へのリンクの方は上記説明のとおり、一般的単語の過剰なリンクということでとりあえず両記事から省きました。
「日常」という文言表示の方については、単純除去は望まれないということですのでひとまず「日常劇」に修正しました。この文言であれば「空気系」と混同される懸念はまず無いでしょう。
ジャンル記載の根本的な問題は「空気系」とか「日常系」とか一部の記事だけの話ではないので、整理がつくようなら分野全体でジャンル表示の統一的な選択基準のようなものを検討いただくのがベストかと思います。--ディー・エム会話2018年1月18日 (木) 14:07 (UTC)

分割あるいは改名の再提案

失礼します。「空気系」を「日常系」に分割あるいは改名することを提案します。死語、それどころか当時すらあまり使われていないような個人の造語に拘る意味が分かりません。それに、「pixiv大百科」では萌え系以外の日常系も一緒に書かれているので「おそ松さんやサザエさんを含んだジャンルである」って思われても別にいいかと。--おわさか会話2018年2月4日 (日) 15:26 (UTC)

また、この記事の名前でユーザーが混乱することも考えられます。--おわさか会話2018年2月4日 (日) 15:29 (UTC)
反対 その後、「空気系」「日常系」論がブームになった頃に出版された2000年代末から2010年代初頭の書籍を集めて調べているのですが、こちらでは「当時すらあまり使われていない」という事実を確認できません。
  • 黒瀬陽平「キャラクターが、見ている。――アニメ表現論序説」『思想地図〈vol.1〉』(2008年) - 「萌え系四コマ」
  • 前島賢 『セカイ系とは何か』(ソフトバンク新書版2010年、星海社文庫版2014年) - 「日常系、空気系」(=両者併記)
  • 宇野常寛 『ゼロ年代の想像力』(ハードカバー版2008年、文庫版2011年) - 「空気系」(2011年の文庫版で追加された章に、「萌え四コマ」の物語形式が「「空気系」とか「日常系」とか呼ばれ始めた」という言及あり)
  • キネマ旬報映画総合研究所『“日常系アニメ”ヒットの法則』(2011年) - 「日常系」(序章に「空気系」を同義として扱うとする言及あり)
  • 斎藤環『おたく神経サナトリウム』(連載時2012年、単行本2015年) - 「日常系」
  • 浅羽通明 『時間ループ物語論』(2012年) - 「日常系」(「「空気系」ともいい、ウィキペディアでは……」という言及あり)
  • 小森健太朗『神、さもなくば残念』(2013年) - 「空気系」
  • 広瀬正浩 『戦後日本の聴覚文化』(2013年) - 「空気系」(「同義としての「日常系」という語」という言及あり)
  • 宇野常寛『母性のディストピア』(2017年) - 「日常系」
2011年文庫版『ゼロ年代の想像力』で宇野氏は、2008年のハードカバー版を出版した当時は「空気系」を「当時その言葉もほとんど流行っていなかった」としつつも、その後の3年間で重要なテーマになってきたと言及しています。一方で2012年の書籍『時間ループ物語論』にて浅羽氏が言及している際には「もう少々古くなりつつある話題ですが」という前置きがあり、この頃には既に「空気系」「日常系」の定義を巡る物語論が下火になりつつあったことを伺わせます。実際問題として、「空気系」「日常系」論に関する出典は2008年から2013年辺りのものが主流で、当時は「空気系」という語も主流でした。それ以降の文献(ニュースサイトでの言及など)では、定義について深く掘り下げて論じるものがほとんどありません。仮に、空気系という単語が死語化して日常系という単語が残ったという指摘が事実だったとしても、それを裏付けるような「信頼できる情報源」が確保できないという問題がありますし、2006年から2013年辺りまで盛んに使われていた語を、たかだか5年で「死語」と定義するのは独自研究になってしまうだろう、とも思います。
さて、前島氏は『セカイ系とは何か』の中で、「日常系」も「空気系」も2006年にインターネットで誕生した語であると指摘しています。書籍などの信頼できる情報源で特筆されていないブログや掲示板やウィキサイトなどは、(ノートページでは独自研究が禁じられているわけではないものの)ウィキペディアの標準名前空間の記事に掲載することができないのですが、2006年に書かれた「空気系」の発祥ブログ では、上記のような批評家たちが取り上げている「空気系」の定義とあまり変わらない定義が書かれているのに対し、発祥ブログ主による議論まとめを見ていくと、2016年当時の定義では『サザエさん』『コボちゃん』のような作品は「日常系」に分類されていたらしいことを示すブログエントリが見受けられます。他に、2008年頃に書かれた掲示板のログなどを見ると、「日常系」という語はまだ「空気系」とは別のカテゴリとして扱われており、「空気系」の同義として「萌え日常系」なる造語が提案されているのが見て取れます。ですが、これら当時の定義について特筆した、書籍などの信頼できる情報源は発見できません。その後「日常系」は「空気系」と同一視されるようになったようで、2011年~2012年頃の幾つかの書籍でははっきりと「サザエさん≠日常系」と書かれるようになっています。
仮に「日常系」の記事を分割する、あるいは本来の定義や最近の定義に合わせて書き換えるとしても、前述のようにウィキペディアで使える出典がないために独自研究になってしまいますし、強引に書いたとしても、
日常系とは、ギャグ漫画の別名である。2006年頃からインターネットでギャグ漫画の別名として使われるようになり[要高次出典]、2010年代前半頃はサブカルチャー批評の場で空気系の同義として使われることもあった。現在はギャグ漫画と同義として使われることも、空気系の同義として使われることもある[要高次出典]。空気系がギャグ漫画の一種であることを考えれば、ギャグ漫画の同義と言えよう[独自研究]。
くらいしか書くことがなく、サブスタブから百科事典の記事へと成長する見込みがないと考えます。定義がはっきりせず、信頼できる情報源では空気系の同義語とされている「日常系」は、ウィキペディアでは単独記事になり得ず、「空気系」と併記する形でしか存続できないと考えます。--Kanohara会話2018年2月4日 (日) 23:13 (UTC)
コメント すみませんが改名提案に関しては既出内容と重複するご提案であり、上記で説明済みかつ解決済みの案件です。
記事分割についてはご提案の内容にその必然性を伴っていません。そもそも改名と記事分割は用途も判断材料も異なるものですので、単純に代替案にはなりえません。現在の今記事中には分割の検討対象となりうる独立した特筆性と記事ボリュームを伴ったテキストがありません。
『pixiv大百科』は情報の信頼性とクオリティの問題でウィキペディアの情報源としては使えません。ウィキペディアの基準を満たす情報源に「おそ松さんやサザエさんを含んだジャンルである」という情報が書かれていれば、適切な文脈とバランスで当記事にそのような両論併記を加えることは可能です。仮に「日常系」への改名を検討することがあり得たとしても、いずれにせよ「空気系」という用語への言及が不要になるわけではありません(リダイレクトページと記事ページが入れ替わるだけのことです)。ウィキペディアは百科事典であって流行語辞典ではないので、信頼性のある出典によって社会的・文化的特筆性が担保されている限りは、それが個人の造語であれ死語であれ収録内容の判断には影響しません。語源が「特定の個人の造語である」あるいは「現在は死語である」という信頼できる出典があるならば、記事にそのような説明を加えることは可能です。--ディー・エム会話2018年2月5日 (月) 06:19 (UTC)

けいおん!映画について

「日本のアニメ映画の歴史に名を残す」という記述には三つの疑問点を抱きます。まず、このリストアニメーション映画#日本国内の歴代アニメ映画収入ランキング(2012年現在)に名前が入っていないのに過分ではないかということ。次にスタジオジブリやシリーズ物を除き、という意味不明な前提を置き日本アカデミー章で受賞されたら日本アニメの映画史に名を残すと記者個人の主観で完結していること。三つ目に記者本人も「日本のアニメーション映画史に新たな一ページを付け加えたといってもよさそうだ」と断言ではないこと。要するに記者個人の飛ばし記事であり、百科事典に記載するには値しないと言えます。引用元となっているソースもAKB商法が的中などと書かれていますし正確に書くならこの分も書かなければいけないでしょう。しかしAKB商法があって成功した、などとここに記述するのも余分な気もしますし商業的に成功した、ぐらいの記述がベターかと思われます。--五大湖会話2012年12月24日 (月) 00:34 (UTC)

コメント まあ別に、他の出典を用いて「大ヒット作」「深夜アニメの映画化作品として初めて日本アカデミー賞優秀アニメーション作品賞を受賞」といった記述に置き換えても構わないのですが一応。ウィキペディアの記事「アニメーション映画#日本国内の歴代アニメ映画収入ランキング(2012年現在)」は「興行収入20億円以上の作品を記載する」というローカルルールを設けていますが、 『映画けいおん!』の最終的な興行収入は19億円とのことですので、表の直下あたりに位置する計算になります(なお20億に届いたとしている記事もありますが、仮にそれが本当だとしたら、来月末に日本映画製作者連盟のデータベースが更新され、ウィキペディアの記事にも反映されることでしょう)。もっとも19億であれ20億であれ、この辺りにランクインしている作品の顔ぶれを見れば、その記事を「飛ばし記事」と形容するのは無理があるのでは? それと同作の成功要因をリピーターを煽る商法のみに求めるなら、「新宿ピカデリーでの初日動員数歴代1位、ならびにパンフレット販売数歴代1位」といったリピーターと無関係な記録について説明がつきません。実際に映画史に名を残したか否かを判断するのはウィキペディアの編集者ではなく、報道記事などの出典を書いた人にあります。除去された記述は戻しておきます。--Kanohara会話) 2012年12月24日 (月) 16:50 (UTC) ちと事実誤認があった箇所を除去。--Kanohara会話2012年12月24日 (月) 16:58 (UTC)
20億に届いたとするソース元では19億になってますよ。Kanoharaさんが修正した文では「日本のアニメ映画の歴史に名を残すのではないかと評されるほどの商業的成功を収め」との記述になっているんですがこの記者が日本のアニメ映画の歴史に名を残すとしたのは深夜アニメ初の日本アカデミー賞受賞と併せという持論で商業的成果だけで判断している事ではないので、この文自体が誤りだと思われます。また発生・流行までの経緯の文脈からいって日本アカデミー賞の方は必要ないと思いますので修正しておきます。この場合大成功した、などという記述のみが妥当と思われます。あとニュースサイトの記事になっているからといって信憑性が高いというわけではないので無条件に信用するのではなく精査は必要です。例えば、けいおん!より興行収入が上であったブレイブ・ストーリーを日本のアニメ映画歴史に名を残した、などという記述にすれば首を傾げる人は多いと思います。日本アカデミー賞も毎年5作選ばれておりそこまでの権威はないかと思われます。本項のテーマは空気系全体であり、けいおん!の情報は2009・2010年にヒットしたという事だけでよくけいおん!の情報自体過多のような気がします。--五大湖会話2012年12月24日 (月) 18:40 (UTC)
コメント まあ、20億に届いたかどうかは来月末の公式発表を待つべきですし、そもそもここで議論する内容でもないでしょう。「日本のアニメ映画の歴史に名を残す」という表現については、別に私も強いこだわりがなく、出典の記述をねじ曲げるような内容でさえなければよいので、複数の出典で確認できる「大ヒット」という記述に差し替えておきます。五大湖さんが除去したサイゾーの出典ですが、これは「東日本大震災の影響で映画全体の興行収入が大きく落ち込む中にあって成功を収めた」という記述の根拠として必要ですので、除去は差し戻させていただきます。
「ブレイブ・ストーリー」については、個人的にはあまり好きな映画ではないものの、興行収入のランキング上位に入っているという客観的事実において映画史に名を残したと言えるのではないでしょうか。たとえどれだけ私や五大湖さんが「ブレイブ・ストーリー」や「けいおん!」を憎んで歴史上からその名を消し去りたいと願っても、映画に支払われた20億、19億という額を我々個人が取り消す手段はありませんし、たとえポケットマネーから20億をポンと支払える億万長者であっても事実を改変することは不可能でしょう。--Kanohara会話2012年12月25日 (火) 15:01 (UTC)
現記述に異論はありません。「歴史に名を残した」という表現はTOP10に食い込むぐらいにしてようやく相応しいかなと思っています。感じ方は人それぞれですが。--五大湖会話2012年12月26日 (水) 10:23 (UTC)

東日本大震災関連の記述について

宮台真司らの予想発言を雑多に羅列しておきながら劇場版けいおん!を引き合いに出して下火になるという予測が外れたかのような書き方しかできないならWikipedia:独自研究に抵触していると思いますので東日本大震災関連は記載する価値は無いのではないでしょうか?最低限「けいおん!は劇場版も空気系であるため東日本大震災の影響で興行不振が予想される」という信頼出来ると皆が納得できる筋の評論が必要でしょう。--122.134.196.224 2013年1月24日 (木) 11:06 (UTC)

コメント 複数の論者が『けいおん!』を引き合いに、東日本大震災後の空気系の不振を予想していたのですから、記述として価値はあると考えます。一方、識者らの予想に沿わない結果も出ているのですから、中立的な観点からも、『映画けいおん!』のヒットに言及する必要はあるでしょう。現存する一次資料や二次資料から情報を集めて整理する調査は強く推奨されておりは「独自の研究」には当たらないとされていますし、記事では特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成になるような言い回しは避けているつもりです。もちろん、できれば後世から振り返って「識者らは東日本大震災の影響で空気系が下火になることを予想したが、実際はそうならなかった」的な総括を述べた出典があれば完璧でしょうが、ウィキペディアには締め切りなんてないので、現状でベターな形としてこのままで良いだろうと考えています。特に問題があるとは考えていません。--Kanohara会話2013年1月24日 (木) 15:38 (UTC)
コメント 他の記述と比べて「こういう発言があった」という発言集にしかなっておらず異質でもし記述として価値はあると言いましてもここまで長文である必然性はあるのでしょうか?それ以前に言い回しに気をつけているとしている現文章では却って劇場版けいおん!のヒットと空気系の動向自体との関係が全然掴めず解釈に大きな幅が出てしまい、さらに出典がけいおん!の興行収入について書いただけで空気系はどうかについては触れていない記事(ともかくサイゾーは重要とは思えないですし見出しからして中立的ではないため要らないでしょう。そもそもコメントが全部匿名なのも。)なので結局独自研究になってしまうでしょう。識者の発言だからと無差別に収集すればいいわけではありませんしさらに私論に過ぎないWikipedia:締め切りなんてないを公式方針であるかのように拡大解釈するのはいかがなものでしょうか?英語版には締め切りはある今締め切りだという対になる私論もあります。すぐに総括を述べた出典を見つけて書き換えろとは一切言いませんしいくらかのご再考をお願いしたいですが中立さを重視するならこのことについては最初から書かないというのも有効な選択肢でしょう。これをもって東日本大震災は原子力産業などと同様「空気系」にも特筆に値するほど重大な影響を与えたということになるのでしょうか?--125.197.120.80 2013年1月25日 (金) 01:42 (UTC)
コメント 私は、現状の版で特に問題を感じません。サイゾーの出典が必要なのは前のセクションの議論で説明した通りです。『映画けいおん!』が空気系と呼べるか否かは、私は別に重要とは思わないのですが、本記事中で発言を引用されている黒瀬陽平氏が、サイゾーで、同映画を「徹底して空気系」と評していたらしい話をネットで小耳に挟んだので、雑誌のバックナンバーを探せば出典は見つかることでしょう。東日本大震災が「空気系」に特筆すべき影響を与えたか否かですが、複数の論者が影響について論じているのですから、ウィキペディア的な意味での特筆性は十分かと思います。私はこの事案が「締め切り」が必要な内容とは感じないのですが、125.197.120.80さんは何をそんなに焦っているのですか?--Kanohara会話2013年1月25日 (金) 15:58 (UTC)
コメント 「特に問題を感じません」の一点張りはいかがなものでしょうか?現記事内容においてけいおん!の興行収入が良かっただけで「予測はハズレ」「空気系の人気継続」と結論付けるのは百科事典的に変です。もし映画けいおん!の内容が空気系じゃなかったという評論だったとしても「特に問題を感じません」と言い続けるつもりだったんでしょうか?確かにKanoharaさんは前セクションで「「東日本大震災の影響で映画全体の興行収入が大きく落ち込む中にあって成功を収めた」という記述の根拠として」と書かれてますね。しかし「サイゾーがあくまで言ったこと」に過ぎませんし、2011年の映画興行収入が前年より落ち込んだと書かれたニュース記事自体は他にもあるものの今回の記事では空気系の言及が全く無く劇場版けいおんが好調だった理由が「AKB商法まがい」の成功と書かれているだけなので空気系に結びつくことにはなりません。けいおん!を抜きにしても今回の予測に関して現内容のままですと東日本大震災から2年近く、けいおんの公開から1年以上経っているため長期的な視点から見て「へぇ」も出ないトリビアにしかなりません。「複数の論者」であろうと特記に値するという有効な根拠にするのは今回の件では無理があります。最後に確認ですがKanoharaさんは{{私論}}が貼られているページだろうと{{Policy}}が貼られているページと同じく厳守しろというお考えですか?--125.196.168.91 2013年1月26日 (土) 03:33 (UTC)
コメント 別に結論づけてはいないでしょう。もっともらしく説得力のあった予想に対し、その後の状況を説明することで、読者が判断する材料を示して中立性を保っているに過ぎません。それに記事にあるように宇野常寛氏は「短期的には悲惨な災害の反動から空気系の流行が続く」と予想しており、現状はそれに反していないのですから、この問題はまだまだ結論が出ていないと言えます。予想に反して空気系が今後も定番ジャンルとして現在の地位を維持していくのか、それとも『映画けいおん!』が最後のあだ花となって衰退していくのか、あるいは「空気系のような作品は社会が不安に陥っている時こそ大流行する」というような新しい言説が出てくるのか、それはもう少し時間が経たなければ分からないことです。
「私論」は、「こういう考えもありますよ」という例として提示するものであって、厳守すべきとか破るべきとかいったものではないでしょう。私が「別に大急ぎで結論を出す理由がない」と考える理由を、自分の個人的な考えとして長文でくどくど説明しても良かったのですが、大筋で同じことを言っている私論があったので、リンクを示したのみです。--Kanohara会話2013年1月26日 (土) 07:38 (UTC)

──────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────── コメントでしたら「結論」が出てから書けばいいだけの話ですし、けいおん劇場版に関する記述を「読者が判断する材料」の一言で片付けるのはおかしいですよ。「出典があるから問題ないし自己責任」とか言いたいんでしょうけどまるで「私が思い通りにやっていて問題はないし読者が悪い」と言ってるようで反感を買いかねませんね。普通そこまで言うんでしたら少し時間をかけていいですからけいおん劇場版以外(以降の作品)の空気系作品の状況を加筆して補強するべきでしょう。けいおん劇場版の興行収入はAKB商法まがいのおかげであると脚注で言ってしまってるんですから現内容のままでは中立性が保たれることになりませんし、けいおん劇場版で全てが決まってしまったという印象も与えかねずKanoharaさんにとって意図と違うものになるのではないんですか?そして「説得力のあった予想」って誰が言ったことでしょうか?列挙された予想は物議をかもし名指しでの直接的な反応、反論、評価(もちろんネットの匿名意見ではなく識者による著書やメディア上での発言での)が複数出て論争になったって材料が無い限りKanoharaさんの主観ってことになりませんか?特に宮台真司の発言だってまどマギ批評の中での一言に過ぎず重要性が理解出来ません。--125.197.106.19 2013年1月26日 (土) 09:53 (UTC)

コメント 「結論が出ていないから除去」という理屈はまったく通っていないと思うのですが、除去しなければ不都合なことが何かあるのでしょうか? 「けいおん劇場版以外(以降の作品)の空気系作品の状況を加筆して補強するべき」だと125.197.106.19さんがお考えなら、ぜひ125.197.106.19さんが出典を探してきて加筆すれば良いと思うのですが、いつ実現するかという目処も立たない予定のために、現在の一度除去しなければならないという結論に至る因果関係が不明です。論者の名を明示するのも、他の作品に関する論評の中から必要な情報を収集するのも、ウィキペディアの編集としては何ら問題ないもので、その点をことさら問題視する理由が不明です。
なお評論家の予想の部分を記述したのは私ではなく、初版作成者でもある貿易風さんが2011年11月4日に加筆した内容ですので、私に対して「主観」だと文句をつけられても困ります。そもそも重要でないとかただちに除去すべきだとかいう意見も、125.197.106.19さんの主観ではありませんか?--Kanohara会話2013年1月26日 (土) 10:24 (UTC)
コメント 根拠も述べず「もっともらしく説得力のあった予想」と断言したら明確に「主観」でしょう。あと問題ないものという「論者の名を明示、他の作品に関する論評の中から必要な情報を収集」なんて記事が発言の無差別な羅列になり偏向的な内容になったり論者の宣伝行為になりかねません。除去しないことによる不都合は少なからずあるでしょう。無関係な題材が主題の出典はできるかぎり避けるべきです。あとけいおん劇場版がヒットしたのはAKB商法のおかげと断じた記事については除去で異論無いんですか?「東日本大震災に触れているから必要でありあとの内容は感知しなければいい」って理屈は通りませんよ。これは雑感ですがこれからのウィキペディアはどんな事物の記事だろうと出典があるってだけで東日本大震災の話を内容に関係なく挿入しなきゃいけないものなのでしょうか?--125.197.106.19 2013年1月26日 (土) 11:40 (UTC)
コメント 125.197.106.19さんが「劇場版がヒットしたのはAKB商法のおかげと断じた記事」を除去することにこだわるのは解せないところです。だって、俗に「AKB商法」と言われているリピート特典で貰えるグッズって、数コマ程度の映画のフィルムなわけじゃないですか。映画のワンシーンを手元に残しておきたいなら、公式ビジュアルファンブックでも買った方が安いし豪華なのに、わざわざ記念品的なものに価値を見いだす彼らは、間違いなく熱狂的なけいおんファンなわけです。けいおんファンではない人たちにとって、生フィルムなんて何の価値もないのですから。フィルムを手にした何割かは転売屋でしょうけれど、その転売屋が元手として興行収入に貢献した以上の金を払ってフィルムを買い取った人たちは、間違いなく重度のけいおんファンであるわけです。仮に景品がフィルムではなく、お米の配給券やテレビや自動車が当たるとかいった内容なら「けいおんめ、不景気を利用してうまく客を集めたな」といった批判も出てきそうなものですが、そうではないわけです。ですので、「AKB商法で大もうけ」などといった情報は、けいおんの人気を証明しこそすれ貶めるものではないわけです。どうですか?
それと、何度も言うように、現存する一次資料や二次資料から情報を集めて整理する調査は「独自の研究」には当たらず、百科事典の執筆の基本であるとされています。膨大な出典から情報を選択するには主観が入り込む余地も当然あるでしょうけれど、全てを網羅していたら資料を全文丸写ししなければならなくなってしまいます。執筆者の主観に偏らないための方針としては「Wikipedia:中立的な観点」があります。そして宮台真司の発言については出典を確認しましたが、これは「無関係な題材が主題の出典」などではないでしょう。確かにこの記事は『SPA!』の『魔法少女まどか☆マギカ』特集の一環として書かれたものですが、セカイ系など広い話題を扱っており、「震災後の日本で『けいおん!』のようなお気楽な日常ドラマは……」として、本記事の主題に触れています。「何が何でも東日本大震災に結びつける必要はない」とのことですが、大震災は「空気系」がヒットした時代における大きな出来事で、関連づけて論じる論者がいる以上は、無関係ではいられないのではないかと思います。そういう論点があるのなら紹介してもいい。
なお、仮に125.197.106.19さんの主張の通りにこの記事を書くと、この記事は『“日常系アニメ”ヒットの法則』( ISBN 978-4873763590 )のような一部の出典だけを元にして記事を書かなければならなくなりますが、それは単に同書の宣伝、もしくは盗作です。「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか」には、ウィキペディアにおいて禁じられている宣伝行為がどのうようなものであるかが規定されていますが、それは125.197.106.19さんの言う「出典を明記したらその人の宣伝」などという主張とは真逆のものです。--Kanohara会話2013年1月29日 (火) 22:26 (UTC)
「だって、俗に「AKB商法」~」って一個人の解釈じゃないですか。そんなことでサイゾーの記事を押し付けていいものなんですか?もう空気系そのものとは無関係です。余計この記事で劇場版けいおんについて扱うべきではないとしか言いようがなくなります。そんな強弁から現状のままで問題ないと繰り返されてもウィキペディア的におかし過ぎます。
今回の東日本大震災による影響を予測した記述も方針的に問題は無い、複数の人が言っている以外に特記に値するという理由は無いんですか?劇場版けいおんは先述の通り結びつけとして強引さが残る上、純粋に考えて空気系を知る上で現記述ではどのような参考になるというのでしょうか?予測だけ羅列して適当な「事実」を一つだけ書いた状態で「どう判断するかは個人の自由」ということで放置じゃ丸投げっぽく見えて予測発言した人の無責任さが出て印象を悪くしかねないでしょう。やっぱりウィキペディアで書くべきなのは基本的に冷えて固まった鉄のような出来事・結論だと考えますが全然違いますか?--118.108.152.228 2013年1月31日 (木) 11:51 (UTC)
コメント 「AKB商法」をことさら問題視するのも、118.108.152.228さんの一個人の解釈でしょう。『けいおん!』は本記事において「空気系の到達点」とされ、名指しで震災後の不振が予言された作品なのですから、一例としてこれ以上適切な作品はないと考えます。
そろそろ東日本大震災から2年が経ちます。そして『けいおん!』の映画が封切りされてからも既に1年が経過しています。震災の傷痕はいまだ回復にはほど遠い状況でありますが、本記事で扱っている「空気系のブーム」は、「ゼロ年代後半」からの内容を指しており、その中での2年の歳月の経過は十分に「冷えて固まった」と言えるのではないでしょうか。これが何十年何百年も続いてきた伝統芸能の記事であるなら、118.108.152.228さんの主張も筋が通っていると言えるかも知れませんが、一時的な流行と見做されている事象に関してはそうではないでしょう。--Kanohara会話2013年2月5日 (火) 16:28 (UTC)
コメント 「AKB商法」を問題視しているのはKanoharaさんが推しているサイゾーの記事に基づくんですが、何を言っているんでしょうか?サイゾーの記事自体も適切とはいえない上、Kanoharaさんが強弁した「だって、俗に「AKB商法」~」は作品の内容自体とは無関係で「おたくのステレオタイプ」「けいおんのファン層の特徴」のKanoharaさん視点に過ぎません。例えAKB商法とサイゾーが揶揄したメモリアルフィルムの捌け具合が良かったとしても空気系そのものとは無関係でしょう。よって出典を拡大解釈することで映画けいおんの興行収入実績を空気系そのものの成功にすり替えたいとしか見えません。映画けいおん自体、現出典のままでは空気系を語る上で重要なトピックスになっていないのです。そして「東日本大震災から2年が経ちます~」「何十年何百年も続いてきた伝統芸能」と語られても、言った本人も放置か忘れている可能性がある予測を羅列して放置する理由になりません。予測に対する直接的な結論か予測に対する反論など二次的反響といった典拠が最低限必要でしょう。個人的な意見ですが東日本大震災なんて発生以降ジャーナリストにとって不謹慎ながらメディア受けが良く確実に原稿料の取れる題材だから無理矢理触れただけという可能性も認識すべきです。--122.134.166.230 2013年2月7日 (木) 09:43 (UTC)
コメント 私はいまだに122.134.166.230さんが一体何を問題視しているのか理解できず、その問題意識を共有できかねており、正直に言えば「何が意図かはわからないが、百科事典としての品質を損ねることのない枝葉の問題で法律家ごっこをして、記事を破壊しようとしている」という悪印象を捨てきれずにいます。122.134.166.230さんには122.134.166.230さんなりの正義感があってやっているのだとは信じますが、その正義感を私は共有できません。
私にはサイゾーの記事の何が問題なのかは分かりませんし、別にサイゾーの記事が「AKB商法」を非難しているとも感じないのですが(好意的でもないですが)、「空気系(日常系)と震災の影響」を関連付けた出典が不足だというのでしたら、現在の記述に映画けいおん!に触れた産経ニュースの記事などを加えてはどうでしょうか。『映画けいおん!』を日常系の作品として紹介していますし、2ページ目には伊藤遊氏の「特に東日本大震災以降、その魅力にコアなファン以外も気付き始めたのではないか」という発言が紹介されています。まあ伊藤遊氏の『けいおん!』評はファンから批判を浴びたこともあるので微妙なところではありますが、とりあえず122.134.166.230さんが要求する観点は示されていると思います。--Kanohara会話2013年2月7日 (木) 17:44 (UTC)

──────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────── コメント出典探しお疲れ様です。残念ながらその伊藤遊さんのコメントが載った産経の記事も東日本大震災そのものへの言及は一番最後の一言に過ぎず真剣に東日本大震災に関して長文など掘り下げたものではありませんね。けいおん!で反映させるべきでは?結局東日本大震災自体日本における全てのものに影響を与えたと言える程の出来事だったんですから、その程度でしたら空気系を語る上で重要な題材になっているとは言えません。そして「サイゾーの記事の何が問題なのかは分かりません」とのことですがコメントが著名人によるものではなく匿名だけという時点で十分問題です(サイゾーに限らず読売、朝日だろうと避けるべきと考えますが)。「ファンから批判を浴びたこともある」と持ち出してる記事も同様でしかも2ちゃんねるの書き込みを元にしてるのは誰も受け入れないでしょう。--122.134.180.182 2013年2月12日 (火) 13:31 (UTC)

コメント はあ……122.134.180.182さんがこの記事や、サイゾーに限らず読売、朝日といった各種メディアを信用できない理由はよくわかりましたが、それはあくまで122.134.180.182さん個人の胸の内にある私論であって、ウィキペディアのルールとは異なるものですよね?
産経新聞の記事は『けいおん!』について書かれた記事ですが、記事名にも「日常系」と書かれており、何ら問題ないでしょう。直前の文で宮台真司氏も『けいおん!』を引き合いに出しているのですし、自然な流れと言えるかと思います。そもそも122.134.180.182さんの理屈だと、出典となる文献は記事の主題と密接に関係のある内容でなければならない上に、文献の一部だけを出典として利用するのは許せないので全文を利用すべき、ということになりますが、それは以前も申し上げたようにウィキペディアのルールにも則っていないし日本の法律にも反している、ただの著作権侵害です。122.134.180.182さんはくれぐれもそのような編集を行わないようお願いします。--Kanohara会話2013年2月13日 (水) 16:17 (UTC)
コメント 暫定的ながら産経の記事で加筆してみました。それでもサイゾーの出典はやっぱり有効とは思えません。「メディアの報道だろうと匿名によるコメントは疑う」ことはメディアリテラシーという一般常識じゃないんですか?ウィキペディアの方針は全メディアの報道を内容に関係なく盲信しなければいけないと定められているのでしょうか?だからコメントが匿名のみだろうとサイゾーの記事は問題ないと言うのですか?著作権侵害云々も普通に読んで「なんでそ~なるの?」としか思えませんが、普通出典元の内容と食い違いが出ないように要約するはずですがなぜ全文を利用って話になるんですか?結局けいおん!が主題の出典ばかりなら「けいおん!」節を作成してそこでまとめればいいのではないでしょうか?ともかく東日本大震災を主題としてダラダラ長文で記載されてる状態はおかしいです。--122.131.241.58 2013年2月19日 (火) 10:33 (UTC)

新たな意見が出ませんが、東日本大震災関連の記述はそろそろ除去しても問題無いですか?--122.134.200.129 2013年5月8日 (水) 09:51 (UTC)

コメント 長いので上の議論はちゃんと読んでいませんが、実社会の出来事と創作ジャンルとの関連性を記述した非常に有用な文章かと思います。方針やガイドラインに鑑みても除去するような理由はないでしょう。--頭痛会話2013年5月8日 (水) 10:04 (UTC)
コメント ご意見ありがとうございます。宮台真司さん他の予想を述べたコメントはともかく出典となってるサイゾーの記事が記事内容を見て良質な出典に思えずネックと感じるのはおかしいでしょうか?--122.134.200.129 2013年5月8日 (水) 10:12 (UTC)
無記名記事のようですのであまり「良質な出典」ではないかもしれませんが、もっとよい出典があれば付け替えたほうがよいという程度でしょうね。--頭痛会話2013年5月8日 (水) 10:28 (UTC)
「もっとよい出典」というのは同内容だけど実名でコメントをした記事ということでしょうか?そうなりますと問題の映画の良かったとされる興行収入は検証可能性的に映画自体の空気系な中身ではなくサイゾーの記事に書いてある「AKB商法まがい」が原因というということになり空気系作品の動向を判断する材料にならないから不適切な記載とますます解釈出来ませんでしょうか?--122.134.200.129 2013年5月8日 (水) 10:39 (UTC)
その記事自体の趣旨は「AKB商法」かもしれませんが、出典としては単に『映画けいおん』の興行収入がよかったということの裏づけに使っているに過ぎませんから別に問題ないでしょう。--頭痛会話2013年5月8日 (水) 10:42 (UTC)
では興行収入が良かった事実のみがあれば良いと言うのでしたらアニメ!アニメ!やシネマトゥデイの典拠が別にあるためサイゾーの記事はあまり「良質な出典」ではないということで除去しても差し支えは無いのでしょうか?あとそれ以前にその宮台真司さんらの発言がどれもその後のフォローが確認できず(有ったらすいません)「勝手に言ってるだけ」感があるため本当に空気系(日常系)というジャンルを知る上で参考になるか疑問なのですが個人の主観に過ぎないのでしょうか?--122.134.200.129 2013年5月8日 (水) 11:29 (UTC)
「興行収入がよかった」だけではなくて「他がぱっとしない中で『けいおん』だけよかった」ということの出典でしょう。「勝手に言ってるだけ」感が云々というのはどういう意味なのかさっぱりわからないのですが、何のことですか。--頭痛会話2013年5月8日 (水) 12:12 (UTC)
「他がぱっとしない中で『けいおん』だけよかった」理由がけいおんでのAKB商法まがいが成功したからというならやっぱり本記事で記述するには不適切じゃないですか。空気系と関係ないんですから。あと「勝手に言ってるだけ」感ですが「責任感が無く言いっぱなし」と言い換えたほうがいいでしょうか?--122.134.200.129 2013年5月8日 (水) 12:36 (UTC)
「理由」は関係ないんですよ。理由の部分の出典じゃないから。
仮にも評論家ないし言論人が公刊された媒体ではっきり述べたのであれば、それなりに責任を持って発言したものと想定するのが妥当でしょう。--頭痛会話2013年5月8日 (水) 13:22 (UTC)
「空気系(日常系)」を主題に扱う話題として「理由」は関係ないとか言うんでしたら恣意的な誘導じゃないですか。
責任云々は言い過ぎかもしれませんが「宮台真司らはこう予想していた」記述自体本当に有用なのでしょうか?--122.134.200.129 2013年5月8日 (水) 14:16 (UTC)
なにがどう恣意的な誘導になるんでしょうか?
あなたは有用と感じないか知りませんが、私は記事にとって非常に有用であると考えると述べました。
出典のありかたについて納得できないのであれば方針文書のノートページやWikipedia:井戸端で意見を聞いてみるといいかもしれませんよ。--頭痛会話2013年5月8日 (水) 14:27 (UTC)
コメント しばらく多忙だったためご無沙汰していましたが、その後入手した出典なども使いつつ加筆してみました。直前の頭痛さんと122.134.200.129さんの議論については、全面的に頭痛さんに賛同します。私には、122.134.200.129さんの主張には共感できる部分を見いだせませんでした。もしサイゾーの記事が信用できない、つまり大震災後にも映画全体の興行収入は落ち込んでいないかも知れないし『映画けいおん!』はヒットしていないかも知れないと言うのでしたら、私の加筆でWEBRONZAの記事が出典として追加されたことによって補完されたと考えますし、サイゾーの記事の信頼性が証明されてなお、何が何でもサイゾーは個人的に気に入らない、不愉快な内容の記事が腹立たしいので視界から消し去りたいと言い張るのでしたら、それは122.134.200.129さんのワガママでしかないでしょう。出典が補完されてもサイゾーの記事を除去すべきでない理由は以前に述べた通りで、「東日本大震災の影響で映画全体の興行収入が大きく落ち込んだ」ことと「その中にあって成功を収めた」という記述を発表済みの情報の合成にしないために、この出典は依然として必用です。それにサイゾーの記事があって困る理由についても、いろいろと意見を伺った上でもなお「122.134.200.129さんが個人的に不愉快になる」という以外の理由を見いだせません。
伊藤遊氏のコメントは『映画けいおん!』公開直後のものなので、震災直後の予想と同列に並べるのはあまり中立ではないのではないかと思って少し位置を変えています。それと、サイゾーにはこの他にも「空気系」関係で有意な記事があったので、別の箇所にも少し追加しておきました。--Kanohara会話2013年5月8日 (水) 18:21 (UTC)
質問 質問ですが今回の加筆で記事はGAなどお墨付きが得られる域に達しているとお考えですか?頭痛さんにもお聞きしたいですが。--125.197.102.5 2013年5月9日 (木) 07:18 (UTC)