ノート:竹斯国
偏っている、あるいは不正確だと思えても、その編集を単純に隠したり差し戻したりするのではなく、代わりにその編集をできるだけ発展的に改善していただければ幸いです。 論敵のために書いて頂ければ幸いです。
『隋書』や『北史』における記述
[編集]明年(大業4年 608年)、上(煬帝)は文林郎裴清を遣わして倭国に使させた。百済を渡り、竹嶋にゆき、南に耽羅国を望み、都斯麻国(つしまこく)(対馬)を経て、はるかに大海の中にある。また東にいって一支国に至り、また竹斯国(ちくしこく)(筑紫国)に至り、また東にいって秦王国に至る。その住民は華夏に同じく夷州とするが、疑わしく明らかにすることはできない。また、十余国を経て海岸に達する。竹斯国から以東は、みな倭に附庸する[1]。
解釈(諸説)
[編集]- 石原道博 [2]によれば、「華夏」を中華、中夏、中国と捉えている。また、「夷州」については後漢書に登場する「夷州」のことで今の台湾のことと捉えており、使者が疑わしいと思っていることは正しいとしている。
- 石原洋三郎 [3]によれば、竹斯國(筑紫国)の人を華夏と同じ発祥地の人と捉えたものと考えられるとのこと。また、竹斯國(筑紫国)より東は、倭によって征服(附属・保護・支配)された表現(付庸国)であると考えられるとのこと。尚、旧唐書では『倭國者、古倭奴國也』[4]、新唐書では『日本、古倭奴也』[5]とあり、九州北部(筑紫国)に所在した倭奴国を倭国の源流と捉えている。
脚注
[編集]--Stonename(会話) 2020年5月1日 (金) 08:47 (UTC)
- 上記の「訳」っぽいものは、岩波文庫の中途半端な引用もどきなので、コメントアウトをやめて除去し、概説の文章におきかえました。また、岩波文庫でも、講談社学術文庫でも、「華夏」「夷州」うんぬんのところは「秦王国」についての説明だとしていますので、この記事からは除去しました。そうすると、石原洋三郎氏の説を残すなら、「華夏」のことを「竹斯国」の説明としてとらえていることになるので、〈異説〉とさせていただきました。それ以外の石原洋三郎さんの意見は、通説のなぞりなので、コメントアウトさせていただいています。 --ねこぱんだ(会話) 2020年5月2日 (土) 05:15 (UTC)
ご丁寧に、ありがとうございます。今回の記事は、「通説の部分」が大事だと思います。竹斯國(筑紫国)より東は、倭によって支配されているということが、通説です。
ですので「通説のなぞり」の部分は、大事であり、通説として、記述するべきだと思います。(通説をコメントアウトするのは?です)
また、「邪馬台国 石原洋三郎 令和元年十月 第一印刷 P48-49」では、竹斯國(筑紫国)より東は、倭によって征服(附属・保護・支配)された表現(付庸国)であるという「通説」を踏まえた上での表現とされています。秦王国は「竹斯國(筑紫国)より東」です。そうしますと、秦王国は「付庸国」です。「竹斯國(筑紫国)より東」「秦王国や大和州」はすべて「付庸国」です。ご承知の通り、「付庸」とはコトバンクによれば「宗主国に従属してその保護と支配を受けている国。従属国。付庸国。」で「秦王国や大和州」はすべて「付庸国」です。
「至竹斯國 又東至秦王國 其人同於華夏 以爲夷洲 疑不能明也。又經十餘國、達於海岸。自竹斯國以東、皆附庸於倭」とあるのですが、 通説を踏まえた上で、「邪馬台国 石原洋三郎 令和元年十月 第一印刷 P48-49」では「其人」を竹斯國と捉えています。検証可能性を高める上で、説明文は一体的に表現した方が良いかと思います。
さらに、検証可能性を高めるうえで、石原道博氏の解釈や訳文もあった方が良いと思いますが、それは他日。
案
[編集]通説
[編集]- 通説では、竹斯國(筑紫国)より東は、倭によって征服(附属・保護・支配)された表現(付庸国)であると考えられる。旧唐書では『倭國者、古倭奴國也』[1]、新唐書では『日本、古倭奴也』[2]とあり、九州北部(筑紫国)に所在した倭奴国を倭国の源流と捉えている。
- 通説では、上記中国史料の「其人同於華夏 以爲夷洲 疑不能明也。」の部分を、秦王国についての説明としているが、以下の説が存在する。
諸説
[編集]- 石原洋三郎 [3]によれば、竹斯國(筑紫国)の人を華夏と同じ発祥地の人と捉えたものと考えられるとのこと(通説では、竹斯國(筑紫国)より東は、倭によって征服(附属・保護・支配)された表現(付庸国)であるとしている。旧唐書では『倭國者、古倭奴國也』[4]、新唐書では『日本、古倭奴也』[5]とあり、九州北部(筑紫国)に所在した倭奴国を倭国の源流と捉えているため[6]。)
--Stonename(会話) 2020年5月2日 (土) 09:18 (UTC)
- ノート内を節だらけにされておられるようで、どこに記述するべきか極めて分かりにくい状況になっており、とりあえず一番下に記述します。少し拝見しましたが、石原洋三郎氏の出典を基に記述することはWikipedia:信頼できる情報源を満たしているとは流石に言い難いでしょう。市議会議員による自費出版だからです。幻冬舎から出版された作家百田尚樹氏による「日本国紀」を信頼できる情報源として記述する以下と言わざるを得ません。例えば「石原洋三郎によると」の部分を「市議会議員である石原洋三郎の自費出版である邪馬台国によると」と元を明らかにするだけで信頼性がガタ落ちすることからもわかる話でしょう。また、一次資料に対してねこぱんだ様がおっしゃっておられるように「書き下しでも直訳でもなく」解釈を混ぜ込んだものは全て説です。直訳は直訳、説は説と明確に分離すべきでしょう。--Xyy(会話) 2020年5月2日 (土) 10:18 (UTC)
熟読願います
[編集]Stonenameノートを熟読していただければ、幸いです。 あと、邪馬台国ノートも熟読願います。
あと、ウィキペディアの狙いは論争を記述することであり、論争に加わることではないと思います。
あと、であれば、石原道博さんの訳注は必要だと思うのです。 --Stonename(会話) 2020年5月2日 (土) 10:31 (UTC)
- 難しい話をしているわけでもなんでもなく、Wikipedia:信頼できる情報源#自己公表された情報源を読んでいただきたいのです。「市議会議員による自費出版」はここのど真ん中に当てはまります。有名な出版社から出版された作家による歴史書以下であるとしたのはそういうわけです。ねこぱんだ様の見解も待ちたいところですが、私は石原洋三郎氏出典の部分は問題が大きいと思います。--Xyy(会話) 2020年5月2日 (土) 10:58 (UTC)
Xyyさんへ熟読願います
[編集]ぱたごんさんとねこぱんださんは了解しております。
又、ウィキペディアの狙いは論争を記述することであり、論争に加わることではないと思います。
--Stonename(会話) 2020年5月2日 (土) 11:07 (UTC)
- まず、後から読む側が訳が分からなくなるので、新しく節を作るのをやめてください。その上で、Wikipedia:信頼できる情報源#自己公表された情報源が明示されている中でこの「市議会議員による自費出版」の書籍を「ぱたごんさんとねこぱんださん」が了解されているというのなら今後そのような見解が示されるでしょう。また、コメント依頼において広く意見を募るのも方法の一つだと思います。--Xyy(会話) 2020年5月2日 (土) 11:17 (UTC)
Xyyさんへ熟読願います。熟読にしては早すぎます。