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フサイチジャンク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フサイチジャンク
2008年10月25日 京都競馬場
欧字表記 Fusaichi Junk
品種 サラブレッド
性別
毛色 青鹿毛
生誕 2003年3月26日
サンデーサイレンス
セトフローリアンII
母の父 Bellotto
生国 日本の旗 日本北海道千歳市
生産者 社台ファーム
馬主 関口房朗
調教師 池江泰寿栗東)→川島正一船橋
競走成績
生涯成績 16戦4勝
獲得賞金 8909万4000円
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フサイチジャンク日本競走馬である。2006年皐月賞トライアル競走若葉ステークスに優勝。また、命名由来からテレビ番組『ジャンクSPORTS』で頻繁に取り上げられた。全兄2002年の皐月賞2着馬タイガーカフェがいる。

来歴

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当歳時に上場されたセレクトセールにおいて、当時の最高落札額となる3億3千万円で落札された。馬名は馬主の関口房朗と同郷(兵庫県尼崎市)のお笑い芸人浜田雅功が出演するフジテレビの番組『ジャンクSPORTS』にちなんで付けられた[1]。JRAの登録上は「多種多様な環境で力強く勝利を目指す馬」の意となっている。皐月賞で鞍上を務めた岩田康誠も尼崎市出身で、同番組はこの3人を「尼崎最強トリオ」と呼んだ。

2005年暮れの中山競馬の新馬戦でデビューし1番人気に応えて快勝すると[2]、翌2006年の福寿草特別も勝ち上がりデビュー2連勝。この勝利は鞍上の武豊にとってJRA通算2700勝のメモリアルとなった。さらに若駒ステークス、若葉ステークスも制してデビュー4連勝を遂げ、皐月賞への優先出走権を得た。迎えた皐月賞では武豊がアドマイヤムーンに騎乗するため、鞍上が岩田康誠に変更。当日は2番人気に推された。しかしレースでは先行したメイショウサムソンを捉えることが出来ず、3着に敗れた。

以降は一転して精彩を欠き始める。次走の東京優駿(日本ダービー)では、当日2番人気に支持されながら11着と大敗。夏の休養を経ての秋緒戦セントライト記念でも1番人気に支持されたが、マツリダゴッホ落馬の影響も受け6着。クラシック最終戦の菊花賞では15着に終わった。その後明確な理由は不明であるが、長期休養を余儀なくされる。

2007年以降は1600万下条件に降格。4歳以降は6戦で3着が最高という成績で、2008年12月中央競馬の競走馬登録を抹消、翌2009年公営船橋競馬に移籍した。しかし移籍後も2戦連続で最下位に終わり、同年5月21日付けで地方競馬の競走馬登録も抹消された。その後8月2日放送のフジテレビ『みんなのケイバ』において、栃木県内の牧場で馬術競技用馬としてトレーニングを積んでいる様子が報じられた。その後は、ラッキーブレイクとともに栃木県の小山乗馬クラブにて乗馬になった。

ジャンクSPORTSとの関連

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前述のとおり、『ジャンクSPORTS』にちなんだ馬名であり、番組内でも3歳までの活躍は頻繁に放送されていた。

新馬戦の際は、ジャンクと並び上位人気が予想されていたフェラーリワン[3]が出走することもあり、関口は自身が所有するフェラーリを何台も連れて中山競馬場に現れ、浜田も競馬場内の馬主席に同席した。前述のとおりジャンクが勝利した際は、馬主席からスタンドのファンに向かって万歳をし、スタンドのファンも一緒に万歳をする光景が見られた。しかもこの日は朝日杯フューチュリティステークス (GI) で同じく関口が所有するフサイチリシャールが勝利・GI制覇となったため、再度表彰式でファンの歓声を浴びることになった。

その後3歳になり、2戦目の福寿草特別には内田恭子が同席したが、勝利して騎乗した武豊がJRA通算2,700勝を達成し、内田がプレゼンターを務めた。3戦目の若駒ステークスを制したときには賞金面から「皐月賞出走が決定的」と番組内で伝えられた。4戦目の皐月賞トライアルである若葉ステークスを制したときには、皐月賞優先出走権を得たことになるが、賞金面から「ダービー出走が決定的」と伝えられた。

その後皐月賞・ダービー・セントライト記念・菊花賞と番組で大きく取り上げたものの、前述のとおり皐月賞以後結果を残すことができなかった。長期休養後1600万条件に降格後は、復帰戦こそ番組で取り上げたものの、その後は番組で殆ど登場することはなかった。

競走成績

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年月日 競馬場 競走名


オッズ
(人気)
着順 騎手
距離(馬場) タイム
(上り3F
タイム
勝ち馬/(2着馬)
2005 12. 11 中山 2歳新馬 15 4 6 2.2(1人) 1着 武豊 55 芝2000m(良) 2:07.0 (34.9) -0.2 (コスモシレナ)
2006 1. 8 京都 福寿草特別 500万下 10 4 4 2.2(1人) 1着 武豊 56 芝2000m(良) 2:02.8 (33.9) -0.1 (メイショウゲンジ)
1. 21 京都 若駒S OP 6 2 2 1.3(1人) 1着 武豊 56 芝2000m(良) 2:03.0 (34.1) -0.3 アドマイヤジュピタ
3. 18 阪神 若葉S OP 10 7 7 1.4(1人) 1着 武豊 56 芝2000m(稍) 2:03.3 (35.6) -0.1 (キャプテンベガ)
4. 16 中山 皐月賞 GI 18 3 6 5.6(2人) 3着 岩田康誠 57 芝2000m(良) 2:00.3 (34.8) 0.4 メイショウサムソン
5. 28 東京 東京優駿 GI 18 8 17 5.5(2人) 11着 岩田康誠 57 芝2400m(稍) 2:29.4 (36.1) 1.5 メイショウサムソン
9. 17 中山 セントライト記念 GII 17 7 13 2.4(1人) 6着 岩田康誠 56 芝2200m(良) 2:13.5 (36.0) 0.4 トーセンシャナオー
10. 22 京都 菊花賞 GI 18 5 10 17.2(5人) 15着 岩田康誠 57 芝3000m(良) 3:05.0 (36.2) 2.3 ソングオブウインド
2007 6. 23 阪神 グリーンS 1600万下 11 1 1 2.1(1人) 8着 武豊 58 芝2400m(良) 2:25.2 (34.9) 0.5 リヴァプール
8. 12 新潟 天の川S 1600万下 13 6 8 3.9(1人) 3着 後藤浩輝 57 芝2000m(良) 1:58.9 (33.8) 0.4 タマモサポート
9. 9 中山 ニューマーケットC 1600万下 14 2 2 3.4(2人) 11着 後藤浩輝 57 芝2000m(良) 2.01.4 (35.0) 1.2 チョウサン
2008 10. 11 京都 大原S 1600万下 11 1 1 8.3(3人) 9着 武豊 57 芝2000m(良) 1.59.8 (35.5) 0.8 トウカイルナ
10. 25 京都 古都S 1600万下 14 8 14 14.5(6人) 13着 池添謙一 57.5 芝2200m(良) 2.15.2 (35.0) 1.1 キングアーサー
11. 16 京都 比叡S 1600万下 11 1 1 29.7(8人) 8着 池添謙一 57 芝2400m(良) 2.30.4 (34.3) 1.3 ナイアガラ
2009 5. 5 船橋 かしわ記念 JpnI 13 6 8 132.4(8人) 13着 張田京 57 1600m(良) 1.41.4 (39.5) 5.5 エスポワールシチー
5. 13 大井 大井記念 SII 15 6 12 51.5(12人) 15着 脇田創 56 2600m(良) 2:57.3 (45.1) 7.9 ライジングウェーブ

血統表

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フサイチジャンク血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ヘイロー系サンデーサイレンス系
[§ 2]

*サンデーサイレンス
Sunday Silence
1986 青鹿毛
父の父
Halo
1969 黒鹿毛
Hail to Reason Turn-to
Nothirdchance
Cosmah Cosmic Bomb
Almahmoud
父の母
Wishing Well
1975 鹿毛
Understanding Promised Land
Pretty Ways
Mountain Flower Montparnasse
Edelweiss

*セトフローリアンII
Seto Flowerian
1990 黒鹿毛
Bellotto
1984
Mr. Prospector Raise a Native
Gold Digger
Shelf Talker Tatan
Melody Mine
母の母
Yeatsina
1984
Yeats Nijinsky II
Lisadell
Sear Blazing Saddles
Wiley Trade
母系(F-No.) 4号族(FN:4-m) [§ 3]
5代内の近親交配 5代内アウトブリード [§ 4]
出典
  1. ^ JBISサーチ フサイチジャンク 5代血統表2017年9月12日閲覧。
  2. ^ netkeiba.com フサイチジャンク 5代血統表2017年9月12日閲覧。
  3. ^ JBISサーチ フサイチジャンク 5代血統表2017年9月12日閲覧。
  4. ^ JBISサーチ フサイチジャンク 5代血統表2017年9月12日閲覧。

全兄タイガーカフェは中央競馬クラシック三冠で2・10・13着。本馬は3・11・15着であり、すべて1 - 2着ずつ下回るめずらしい結果となった。

脚注

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  1. ^ 当初関口は、当該セールのロケ取材に訪れていた『サタうま!』(関西テレビ)の出演者シャンプーハットに命名を勧めたが、返事がなかったため、ジャンクSPORTSの命名となった。
  2. ^ この競走の15着にはシンゲンオールカマー新潟大賞典エプソムカップ)が入っていた。
  3. ^ 当時藤沢和雄厩舎所属で、マイルチャンピオンシップを制したゼンノエルシドの半弟。中央競馬では未勝利に終わり、その後名古屋競馬に移籍するも未勝利で登録抹消。

外部リンク

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