ポール・ウィルソン (野球)
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | フロリダ州オーランド |
生年月日 | 1973年3月28日(51歳) |
身長 体重 |
6' 5" =約195.6 cm 210 lb =約95.3 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1994年 MLBドラフト1巡目 |
初出場 | 1996年4月4日 |
最終出場 | 2005年5月16日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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ポール・アンソニー・ウィルソン(Paul Anthony Wilson, 1973年3月28日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州オーランド出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
経歴
[編集]プロ入り - メッツ時代 (1994 - 2000)
[編集]1991年に、ドラフト57巡目 (全体1426位) でピッツバーグ・パイレーツから指名されたが、契約しなかった[1]。その後、1994年6月2日にドラフト1巡目 (全体1位) でニューヨーク・メッツから指名され、6月18日に契約を結んだ[2]。プロ1年目は、マイナーリーグのA+級セントルーシー・メッツとルーキー級のGCL・メッツの2チームでプレー。セントルーシーでは8試合に先発登板し、防御率5.06・0勝5敗・WHIP1.31という成績を記録。また、GCLでは3試合の先発登板で防御率3.00・0勝2敗・WHIP1.00という成績を残した。2チーム計では11試合に登板したが、勝ち星は付かなかった。
1995年は昇格し、AAA級のノーフォーク・タイズとAA級のビンガムトン・メッツの2階級でプレー。ノーフォークでは10試合の先発登板で防御率2.85・5勝3敗・WHIP1.19を、ビンガムトンでは16試合の先発登板で防御率2.17・6勝3敗・WHIP0.94を記録。2チーム計で11勝を挙げ、年間2ケタ勝利をマークした。
1996年4月4日のセントルイス・カーディナルス戦で、メジャーデビューを果たした[3]。デビュー戦では先発投手として6回を投げ、6安打3失点という投球内容で勝敗は付かなかった[3]。同年は全て先発として26試合に登板し、防御率5.38・5勝12敗・WHIP1.53という成績を残した。また、メジャーではキャリア唯一の本塁打も放った。なお、マイナーではビンガムトンとセントルーシーで計3試合に先発登板し、防御率4.85・0勝2敗・WHIP1.62という成績を残した。この時、右肩の腱炎を発症し[4]、内視鏡手術も受けた[5]。
1997年は、セントルーシーとGCLの2チームで計5試合に登板 (うち4試合が先発登板) 。通算で防御率1.75・1勝0敗1セーブ・WHIP0.94という成績を残したが、メジャーでの登板機会はなかった。同年から3年間、故障に見舞われ続けた[4]。
1998年は、ノーフォークで7試合、セントルーシーで5試合に登板 (全て先発) 。防御率5.05・4勝2敗・WHIP1.37という成績を残したが、2年連続でメジャーでは登板しなかった。
1999年は、メジャーでもマイナーでも登板せずじまいだった。
2000年は、ノーフォークとセントルーシーで計20試合に登板 (うち18試合が先発登板) し、防御率3.56・7勝5敗・WHIP1.25を記録。その後、後述のトレードでメッツから放出される為、ジェイソン・イズリングハウゼン、ビル・パルシファーと共に「ジェネレーションK」と謳われて期待されていたが[6]、結局1996年以外はメジャーで登板しなかった。
デビルレイズ時代 (2000 - 2002)
[編集]2000年7月28日に、バッバ・トランメル、リック・ホワイトとのトレードで、ジェイソン・タイナーと共にタンパベイ・デビルレイズへ移籍した[2]。デビルレイズ移籍後は4年ぶりにメジャーで登板機会を得て、7試合に先発登板、4試合にリリーフ登板。防御率3.35・1勝4敗・WHIP1.06という成績を残した。
2001年は、キャリアハイの37試合に登板し、うち24試合で先発として登板した。防御率4.88・8勝9敗・WHIP1.43という成績だった。
2002年は、30試合全てに先発登板し、自身初の規定投球回到達となる193.2回を投げた。そして、防御率4.83・6勝12敗・WHIP1.48という成績を残した。12月21日にFAとなった[2]。
レッズ時代 (2003 - 2007)
[編集]2003年1月12日に、シンシナティ・レッズと契約を結んだ[2]。レッズ加入初年は28試合に先発登板し、うち17試合でQSを記録[7]。2年連続で規定投球回にも到達し、防御率4.64・8勝10敗・WHIP1.44という成績を残した。
2004年は、チェンジアップを武器に頭脳的なピッチングを見せ[8]、29試合の先発登板で防御率4.36・11勝6敗・WHIP1.39を記録、メジャーで初めて2ケタ勝利を挙げた。オフの10月29日にFAとなったが、11月30日にレッズと再契約した[2]。
2005年は肩を故障して内視鏡手術を受けた為[5]、9試合の先発登板で防御率7.77・1勝5敗・WHIP1.84という成績に終わった。
手術の影響が大きくなかった為、2006年はミニキャンプを張ってシーズンに備えた[5]。しかし、最終的にはメジャーで登板することはなく、結果的に2005年がウィルソンにとって、メジャーラストシーズンとなった。なお、同年マイナーではルイビル・バッツ (AAA級) 、サラソタ・レッズ (A+級) 、デイトン・ドラゴンズ (A級) の3階級でプレー。3チーム計で4試合に先発登板し、防御率4.50・1勝3敗・WHIP1.50という成績を残した。
2007年は、スプリングトレーニングで5試合に登板したが、13.1回で22安打13失点という投球内容に終わり[9]、3月21日にレッズからリリースされた[9][10]。レッズを出た後は、2008年に独立リーグであるゴールデンベースボールリーグのリノ・シルバーソックスで5試合に登板し、防御率15.63・0勝2敗・WHIP2.84という成績を残した[11]。
シルバーソックス以降は、メジャーやマイナーでの試合出場は記録されていない。
投球スタイル
[編集]ツーシームを主体にフォーシーム、チェンジアップ、カーブ、はスライダーなど持ち球をフルに動員して投げる[12]。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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1996 | NYM | 26 | 26 | 1 | 0 | 0 | 5 | 12 | 0 | 0 | .294 | 677 | 149.0 | 157 | 15 | 71 | 11 | 10 | 109 | 3 | 3 | 102 | 89 | 5.38 | 1.53 |
2000 | TB | 11 | 7 | 0 | 0 | 0 | 1 | 4 | 0 | 0 | .200 | 206 | 51.0 | 38 | 1 | 16 | 2 | 4 | 40 | 1 | 0 | 20 | 19 | 3.35 | 1.06 |
2001 | 37 | 24 | 0 | 0 | 0 | 8 | 9 | 0 | 0 | .471 | 674 | 151.1 | 165 | 21 | 52 | 2 | 13 | 119 | 7 | 0 | 94 | 82 | 4.88 | 1.43 | |
2002 | 30 | 30 | 1 | 0 | 0 | 6 | 12 | 0 | 0 | .333 | 851 | 193.2 | 219 | 29 | 67 | 2 | 13 | 111 | 4 | 1 | 113 | 104 | 4.83 | 1.48 | |
2003 | CIN | 28 | 28 | 0 | 0 | 0 | 8 | 10 | 0 | 0 | .444 | 730 | 166.2 | 190 | 24 | 50 | 5 | 7 | 93 | 1 | 0 | 97 | 86 | 4.64 | 1.44 |
2004 | 29 | 29 | 1 | 0 | 0 | 11 | 6 | 0 | 0 | .647 | 798 | 183.2 | 192 | 26 | 63 | 5 | 8 | 117 | 7 | 0 | 93 | 89 | 4.36 | 1.39 | |
2005 | 9 | 9 | 0 | 0 | 0 | 1 | 5 | 0 | 0 | .167 | 224 | 46.1 | 68 | 10 | 17 | 1 | 4 | 30 | 2 | 0 | 41 | 40 | 7.77 | 1.83 | |
通算:7年 | 170 | 153 | 3 | 0 | 0 | 40 | 58 | 0 | 0 | .408 | 4160 | 941.2 | 1029 | 126 | 336 | 28 | 59 | 619 | 25 | 4 | 560 | 509 | 4.86 | 1.45 |
背番号
[編集]- 31(1996年)
- 41(2000年 - 2002年)
- 40(2003年 - 2005年)
脚注
[編集]- ^ 57th Round of the 1991 MLB June Amateur Draft - Baseball-Reference.com (英語). 2020年2月15日閲覧。
- ^ a b c d e Paul Wilson - Baseball-Reference.com (英語). 2020年2月15日閲覧。
- ^ a b Paul Wilson 1996 Pitching Game Logs - Baseball-Reference.com (英語). 2020年2月15日閲覧。
- ^ a b Judy Kamilhor (2019年6月). “Mets: Generation K is a cautionary tale of assessing pitching prospects” (英語). FanSided. 2020年2月15日閲覧。
- ^ a b c 村上雅則、友成那智『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2006』廣済堂出版、2006年、360頁。ISBN 4-331-51146-4。
- ^ Zach Braziller (2015年10月11日). “Tale of Mets’ Generation K shows how great arms go wrong” (英語). New York Post. 2020年2月15日閲覧。
- ^ 村上雅則、友成那智『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2004』廣済堂出版、2004年、342頁。ISBN 4-331-51040-9。
- ^ 村上雅則、友成那智『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2005』廣済堂出版、2005年、340頁。ISBN 4-331-51093-X。
- ^ a b “Reds release pitcher Paul Wilson” (英語). UPI (2007年3月21日). 2020年2月15日閲覧。
- ^ “Reds Release Paul Wilson” (英語). FOX19 (2007年3月21日). 2020年2月15日閲覧。
- ^ 2008 Reno Silver Sox - The Baseball Cube (英語). 2020年2月15日閲覧。
- ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2004』廣済堂出版、2004年、342頁。ISBN 978-4-331-51040-7。