七仏通誡偈
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(七仏通戒偈から転送)
七仏通誡偈(しちぶつ つうかいげ)は、仏教で釈迦以前に存在したとされる6人の仏と、釈迦を含む7人の仏(過去七仏)が共通して説いた教えを一つにまとめたとされている偈であり、原始聖典中や準聖典にも見られ、原始聖典中では最古層のもの(韻文経典)として『法句経』183 偈が、古層のもの(散文聖典)では長部 14『大譬喩経』の、計 2 経に見ることができる[1]。
上座部仏教および禅宗に於いて特に重んぜられ、禅宗では日常の読経にも取り入れられている。一休宗純による「諸悪莫作・衆善奉行」と大書した掛け軸が有名である他、道元は「正法眼蔵」で「諸悪莫作」の巻を設けてこの教えについて詳細に述べている。
内容
[編集]- 諸悪莫作(しょあくまくさ) ― もろもろの悪を作すこと
莫 ()く - 衆善奉行(しゅぜんぶぎょう) ― もろもろの善を行い
- 自浄其意(じじょうごい) ― 自ら其の意(こころ)を浄くす
- 是諸仏教(ぜしょぶっきょう) ― 是がもろもろの仏の教えなり
(「衆善奉行」は漢語訳によっては「諸善奉行」とすることもある。)
パーリ文
[編集]- Sabbapāpassa akaraṇaṃ(サッバパーパッサ アカラナン)「一切の罪を犯さぬこと」
- kusalassa upasampadā(クサラッサ ウパサンパダー)「善を具足すること」
- sacittapariyodapanaṃ(サチッタパリヨーダパナン)「自らの心を清めること」
- etaṃ buddhāna sāsanaṃ(エータン ブッダーナ サーサナン)「これが諸仏の教えである」
サンスクリット文
[編集]- Sarvapāpasya akaraṇam (サルヴァパーパスヤ アカラナム)「一切の罪を犯さぬこと」
- kuśalasya upasampadaḥ (クシャラスヤ ウパサンパダハ)「善を具足すること」
- svacittaparyavadanam (スヴァチッタパリヤヴァダナム)「自らの心を清めること」
- etad buddhasya śāsanam (エータッド ブッダスヤ シャーサナム)「これが(釈迦牟尼)仏の教えである」
逸話
[編集]中国唐の詩人・白居易は禅を好み、禅僧・鳥窠道林(鳥窠和尚)に「仏教の真髄とは何か」と問うたところ、この偈の前半を示された。白居易は「こんなことは3歳の子供でもわかるではないか」といったが、道林に「3歳の子供でもわかるが、80歳の老人でもできないだろう」とたしなめられたため、謝ったという。
これは史実ではないが、道元もこの逸話について論じており、「わかる」と「できる」とは全く異なるということを示した逸話として有名である。