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三ッ井卯三男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
三ッ井卯三男
みつい うさお
生年月日 1903年3月8日
出生地 日本の旗 日本 長野県飯山市
没年月日 1977年
出身校 九州帝国大学法文学部卒業
前職 鹿児島県副知事
子女 三ツ井康

当選回数 1回
在任期間 1963年5月1日 - 1967年4月28日
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三ッ井 卯三男(みつい うさお[1]1903年(明治36年)3月8日[2] - 1977年(昭和52年)[3])は、日本の政治家。第16代鹿児島市長

経歴

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長野県飯山市出身。東京高等商業学校(現・一橋大学選科修了、九州帝国大学法文学部卒業[2]。卒業後は長野、山形福岡の各県の中学教師となる[2]。1938年福岡県庁に入り、社会教育、振興、厚生の各課長を経て、1943年海軍司政官になる。帰国後の1947年福岡県秘書課長から鹿児島県庁に転じ、教育、総務の各部長、副知事を歴任する[2]

1959年の鹿児島市長選に保守系から立候補したが[4]、元串木野市長で革新系の平瀬實武に敗れて落選した[5]。4年後の1963年の市長選に現職の平瀬に挑戦する形で再び立候補し、前回と同じ保革対決となり、選挙の結果、現職の平瀬を破り当選した[5]

在任中、市内の住宅不足を解消するため鹿児島開発事業団を発足させ、三ッ井が理事長になった。この他市役所別館の設置、機械式のゴミ焼却炉や堆肥処理施設、屎尿処理場の開設などが挙げられる[2]。さらに谷山市との合併を推し進め、1967年4月に谷山市との合併が実現した。

両市の合併による市長選挙が行われたが、元社会党県議の末吉利雄に敗れた[6]

親族

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フジテレビ副社長、扶桑社共同テレビ社長を務めた三ツ井康は長男[7]

脚注

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  1. ^ 『鹿児島市史第2巻』、39頁。
  2. ^ a b c d e 『日本の歴代市長 市制施行百年の歩み』第3巻、746頁。
  3. ^ 戦後の歴代市長ってどんな人?|関連記事|2020鹿児島市長選|南日本新聞|373news.com
  4. ^ 『鹿児島市史第2巻』、270頁。
  5. ^ a b 『鹿児島市史第2巻』、271頁。
  6. ^ 『日本の歴代市長 市制施行百年の歩み』第3巻、747頁。
  7. ^ 『産経新聞』東京夕刊 1996年1月20日 第1社会面

参考文献

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公職
先代
平瀬實武
鹿児島市長
16代:1963 - 1967
次代
末吉利雄