三保村 (鳥取県)
表示
みほそん 三保村 | |
---|---|
廃止日 | 1893年12月1日 |
廃止理由 |
新設合併 久長村、三保村 → 河原村 |
現在の自治体 | 鳥取市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陰地方) |
都道府県 | 鳥取県 |
郡 | 八上郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
1,091人 ([1]、1891年) |
隣接自治体 |
久長村、国英村、国中村 邑美郡倉田村、三戸古村 高草郡大和村、砂見村 |
三保村役場 | |
所在地 |
鳥取県八上郡久長村大字河原村 (久長村三保村組合役場) |
座標 | 北緯35度25分25秒 東経134度12分20秒 / 北緯35.42365度 東経134.20551度座標: 北緯35度25分25秒 東経134度12分20秒 / 北緯35.42365度 東経134.20551度 |
特記事項 | 座標は現在の布袋公民館位置 |
ウィキプロジェクト |
概要
[編集]現在の鳥取市河原町袋河原・河原町布袋・河原町稲常、および河原町西円通寺・西円通寺の各一部に相当する。千代川流域に位置した。
村名は3つの保の意味で3村が合併してできたことにちなみ、また3つの集落を安らかに保つ意とされる[1][2]。
藩政時代には鳥取藩領の八上郡岩田下庄(いわたしものしょう)に属する袋河原村・布袋村・稲常村があった[3]。
隣接する久長村とは共同で組合役場を設置していたが、人情的に差異なく2村のままでは後来の利益にならないとの理由から、村発足から約4年で合併した[4]。
沿革
[編集]- 1881年(明治14年)9月12日 - 鳥取県再置。
- 1883年(明治16年)3月 - 河原村(後の久長村大字河原村)に置かれた連合戸長役場の管轄区域となる[3]。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制の施行により、袋河原村・布袋村・稲常村が合併して村制施行し、八上郡三保村が発足。旧村名を継承した3大字を編成。久長村との組合役場を同村大字河原村に設置[3][5]。
- 1893年(明治26年)12月1日 - 久長村と合併して河原村が発足。同日三保村廃止[3]。
出身者
[編集]備考
[編集]- 後の河原町大字布袋は一部が1976年(昭和51年)に鳥取市布袋となり、その後1980年(昭和55年)に鳥取市布袋の全域および長谷・赤子田の各一部を合わせて鳥取市西円通寺となった。また河原町側も1980年(昭和55年)に大字布袋などの一部が河原町大字西円通寺となった[6][7]。